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(331)身体に良いか悪いかの本当のところー『健康問答』『風邪の効用』を読む

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(330)二つの偶然に後押しされて音楽の深みにー恩田陸『蜜蜂と遠雷』を読む

久方ぶりに手応えを感じる小説ー恩田陸『蜜蜂と遠雷』ーを読んだ。その出会いはいささか奇妙なものだった。この本がいかなる賞をとったものか、どんなに話題を呼んだかも、いや著者の性別さえ知らずに、偶々二つの偶然が読む気にさせたのである。一つは、引越しのドタバタの中で、日頃本を読む習慣をあまり持たない妻が、購入したままにしていたこの本をひょんなことから発見したことだった。もう一つは、この本とほぼ舞台や背景などを重ねもった、浜松での国際ピアノコンクールを放映するテレビ番組を観たことである。妻が本を買っていず、テレビもその番組を見る機会を逃していたら、間違いなく読まずにいたに違いない▼この本は、ピアノ・コンテストの第一次予選から本選までの4つのシチュエーションを、4人のコンテスタントを中心に克明に追ったものだ。音楽を文章で表現することの難しさは改めて言うまでもないが、著者は見事にやってのけており(ど素人の私の目にはそう映る)、この世界に無縁なものをしてグッと近づける貴重な価値を持つ。個性豊かな登場人物の描き方が最後まで(最終盤はいささか蛇尾の感がするが)、読むものを惹きつけてやまない。更に、この本に登場する様々な音楽家やその作品の手引書の役を果たしていて、それらの曲を一つ残らずCDででも聴きたくなってしまうのだから不思議だ▼前者の偶然は、衝撃的だった。3歳の時からピアノを弾くことを義務付けられ、その後ずっとその環境にいながら、ほぼ私との出会いを契機にピアノから遠ざかってしまった妻。その彼女が例え束の間でも読もう(買っては見たが呼んだ形跡はない)との気になった(でなければ買わないはず)のだから驚いた。後者の方は、実際に浜松国際ピアノコンクールを密着取材し、中村紘子に師事した青年をしっかりと描いていて観るものを惹きつけて止まず、この本をも読む気にさせた。勿論、小説と現実のピアノコンクールとの違いはあるが、どちらが欠けてもその本質の理解に肉薄は難しかったと思われる▼この二つの偶然の産物に後押しされて読むことになった私は、つくづくと音楽の世界の深遠さと、ピアノ弾きの運命の過酷さを改めて知るに至った。 私との出会いから妻を結果的にピアノから遠ざけてしまったことに、少なからぬ罪悪感を持ってきたのだが、この本を読み終えて、その必要はないと確信した。つまり、なまじっかな意思ではピアノ弾きの人生は到底全うできないことが再確認できるからだ。尤も、ピアノへの憧れとプロを目指した彼女の思いを、無残にもへし折った我がデリカシーのなさをも気づかせて余りあるのだが。幼き日の夢の再確認をしようと買ったものの読まぬうちに、亭主に横取りされてしまった妻は、間違いなく二度とこの本を開くことはないに違いないと思われる。一緒になってやがて50年。苦手な「音楽」は未だに遠い。(2019-12-3)

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(329)息による養生の指南ー五木寛之、帯津良一、玄侑宗久を読む

人生7度目の引越しをしてしまって、ほぼ一ヶ月。やっと落ち着きかけている。季節は晩秋。とはいうものの日中は未だ未だ暑く、夏を思わせる日もある。新しい居住先の明石市は、色々と〝売り〟に事欠かない小都市だが、私が最も驚き、かつ世に宣揚したいと気に入ったのは「図書館の仕組み」である。質量共に群を抜いている。70歳代半ばの引越しに際して、ほぼ全ての蔵書を生前整理したため、今後は図書館を利用するしかないとは思っていた。だが、かくも便利で充実した図書館が明石市にあるとは。おいおいその中身は明かすとして、まず11月の初旬に、そこから借りて読んだものを紹介したい▼五木寛之『養生のヒント』、帯津良一『養生という生き方』、五木寛之・玄侑宗久『息の発見』の三冊。共通するテーマは、養生。そしてその中核は息の仕方。〝健康おたく〟の異名を欲しいままにしている五木寛之の、朝起きてから眠りにつくまでの生きる作法にはただただ呆れるばかり。彼は80歳代半ばの今日まで、医者、病院には一切通ったことがないとか。ひたすら自己責任のもと身体を慈しみ、鍛えあげる日々を過ごす。五木にこのところ嵌っている我が親友から、既にその奥義を聴いてはいたが、足の指一本一本に名前をつけて、1日の終わりに丁寧に撫で上げその労苦を愛でるとのくだりには実に感動した▼帯津良一は、「ときめきこそ心の養生」とのフレーズに見るように、人とお酒をこよなく愛する、患者にときめきをもたらすお医者さんである。先年国会でのOB議員の会で講演を聴いていらいすっかりファンになった。ここでは、「呼吸法で宇宙を感じ」つつ、「気功の時代を生きる」として、読者に腹式呼吸をすすめる。この人の説く究極の養生は、「日々内なる生命の場のエネルギーを高めていき、死ぬ日に最高にもっていく。そしてあちらの先輩たちが雷でも落ちたかと驚くくらいの猛スピードで死後の世界に突入して行く」というのだ。この「死に方のコツ」はぜひ試してみたい。だが、その前にご本人の体験談を聞きたいものだ▼玄侑宗久と五木との対談はこれまた色々と〝気づき〟を与えてくれた。かたや禅宗の坊さん。もう一方は親鸞を敬う作家。日蓮仏法一筋でここまで生きてきた私には極めて刺激的で挑発的な対談である。若き日に折伏した相手が、日蓮的世界に偏りたくないと発した言葉が突然蘇ってきた。それにしてもこの二人の話の展開は魅力に溢れる。行き着くところは「一日五分、息そのものになる時間をつくろう」ということ。「お経を唱えるのが長寿への一番の呼吸法」との二人の合意を前に、平均寿命を前に早々と散っていった我が先輩や友たちの顔が浮かぶ。私はこの本を読み終えるとともに、読経・唱題の際に、腹式呼吸を意識する日々が始まった。(2019-11-11=敬称略)

 

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(328)「迷残執」との戦いの果てにーやました ひでこ『断捨離』を読む

10年前に出版され話題を集めた本ー私が所帯を持ってから7度目の今回の引っ越しにあたり、まさに「忙中本あり」を地で行くように片付け作業の合間に読んだ。著者によると、「断捨離」の定義とは、以下のようになる。片付けを通じて「見える世界」から「見えない世界」に働きかけていく。そのためにとる行動とは、「断」=入ってくる要らないモノを断つ 、捨=家にはびこるガラクタを捨てる 。その結果、訪れる状態は 離=モノへの執着から離れ、ゆとりのある〝自在〟の空間にいる私、だと。だが、これほど云うは易く行うは難しいことはない。結局は、これまで、いつも「迷残執」に終わってきた。捨てることに迷い、古いものへの執着から逃れられないのである。今回は何とか、と思ったが、部分的に成功したものの、全体的には未だしの感が強い▼一軒家からマンションへというのは今回が初めて。広さは一気に半分くらいになるので、まずは問答無用に荷物を半減させるしかない。これまで、引越しのたびに整理はしてきたものの、段ボール箱に詰めたまま開きもせずに、物置にいれていたものを全部点検するしかなかった。アルバムやら昔から捨てきれないで持ち越してきた荷物がゴッソリと出てきた。全てそのまんま捨てることを決断したが、アルバムだけはそうもいかず、結局大部分はまたも次のところへ運び込むことになってしまった。お皿やグラスなど山のような台所用品の数々は捨てたが、つくづくと、「断捨離」とは、「もったいなさ」と、「懐かしさ」との勝負であると思った。本に書かれているようにはとてもいかない。大袈裟ながら価値観の崩壊さえ実感せざるを得なかった▼最大の難物は、書籍をどうするかという問題だった。議員を辞めるときに、議員会館や地元の事務所、そして議員宿舎に置いていた20年間に溜め込んだ本のほぼ全てを、党の政調スタッフ、秘書メンバー、衆議院の各委員会事務局や調査室のスタッフ、各省庁の担当スタッフたちに持って行って貰った。それでも、家の書斎にはまだ三千冊に迫る蔵書があった。いずれも手放し難い昔馴染みのものばかり。考えた挙句、親しい友人たちや我が姉弟、その子どもたちにアットランダムに選んで送り届けた。さらに、外交安保関連の専門書の類は、参議院議員に初当選した高橋光男氏に、憲法、経済、社会保障関連は伊藤孝江議員の神戸事務所に引き取って貰った。その数、合わせて千冊ほど。それでも千冊近くが残る。これについては自治会の公民館に2対の本立てと共に贈呈することにした。恐る恐る後任の自治会長に申し出たところ、快く受け入れをしていただくことになったのである。私の拙い「忙中本あり」の揮毫と共に、「赤松文庫」(プレート付き)がささやかながら実現したのは嬉しい限りであった▼かくして、手元には、まだ殆ど読んでいない「夏目漱石」、「山崎正和」、「高坂正堯」、「白洲正子」などの全集ものが残った。池田先生の全集のうち、手放せない重要なものと、日蓮大聖人の御書、法華経関係のものとともに、新しい住まいの押入れの中に(本箱はないので)ひっそりと積み込まれることになった。その数300冊ほど。かつて老後になったら読もうと買い込んだ本である。尊敬する先輩が先年膨大な蔵書をそのまんま残されて、鬼籍に入られたが、御夫人が呆然とされていたことを思い起こす。誰しも若き日からの蔵書を整理することには躊躇しがちだが、それだけは私はほぼ今回出来たように思われる。これだけは我ながら褒めてやりたい気がするのだが、いかがなものか。(2019-10-25)

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(327)7度目の我が身と重ね合わせ泣き笑うー映画『引っ越し大名』(犬童一心監督)を観る

平成の始めから30年間住みなれた姫路を引っ越すことになった。不動産屋を通じて大家さんの意思を聞いたのが二ヶ月ほど前のこと。政治家としての現役20年とそれに至るまでの足掛け5年、そして引退してからほぼ6年の合計31年。平成の時代の全てをこの地で過ごしたので、そこを出るのは断腸の思い、寂しくないと言えば嘘になる。だが、家庭の事情もあり、同じ兵庫エリアならと、思い切って新天地を探すことにした。ようやくそれなりの賃貸マンションを明石市に見つけた。そんな折に、映画『引っ越し大名』が封切られた。原作は土橋章宏『引っ越し大名三千里』なる小説。とても読めず、映画で間に合わせることに。読書録ならぬ映画録になった。いやはや、あらゆる意味で他人事とは思えず、考えさせられた。全国で多くの人が映画や本で接触されていようが、恐らく私ほどの強いインパクトを受けたものはいまい▼松平直矩なる徳川譜代の大名は生涯に7度にわたって、徳川幕府から引っ越しさせられる。彼方此方へと移転した距離が合わせて三千里。虚実合わせ織り込まれた時代ものだが、その移転に伴う差配を任せられたのが、若い侍・片桐春之介という筋立て。この侍、書庫番でひたすら本を読むことで生きてきた、どちらかといえば引きこもり風の頼りなげな男。その人物を登用することで、結果的に失敗をさせ、お家断絶を狙おうという幕府の目論見と内通者をも絡ませた奇想天外な喜劇仕立ての映画である。原作は未だ知らぬが、映画(犬道一心監督)の出来栄えはなかなか。この監督の代表作『のぼうの城』も良かったが、これに勝るとも劣らない。勿論、黒澤明や小津安二郎の作品とは比べるべくもないが▼何しろ舞台は姫路藩。ここから九州は豊後の日田の地へと移るまでのてんやわんやが主に描かれる。映画を観ながら、引っ越し作業の最中である我が身と照らし合わせ、身につまされる思いにしばしば駆られた。当方、選挙に出馬するため、姫路に転居してから借家を移ること4度。今度引っ越すことで所帯を持ってから7度目になる。勿論、この小説、映画とはちょっとだけ似て、まったく非なるものだが、「引越しは戦さである」とのセリフから始まって、経費に関することや、断捨離にまつわるものなどあらゆる面で、共感を持つに至った▼映画の中で心底笑えたのは、荷物に目印の紙を貼り付ける場面での数字が「0123」だったこと。私の頼んだ業者も同じ、この社名の会社だから気付いたのかもしれない。さらに、かの麻薬保持で逮捕されたピエール瀧が登場するシーンは、妙に印象深かった。つまり、お家を持続させるために、人員カットが余儀なくされる運びになって、苦労して田畑を開墾する大勢の侍改め百姓たちのうちのひとりを彼が演じるのだ。最終的に藩への加増が叶い、元の武士に戻れることになるのだが、彼は戻らずに百姓として残る選択をする。その際のセリフが何だか胸に響いた。地に足つけたまともな人間になりますとの宣言のように聞こえたのだ。そのほかにも随所にユーモアとペーソス溢れるくだりがあり、大いに楽しめた。引っ越しがいかに妻に苦労を強いるものか。現役であった過去は、妻に全て任せっぱなし。今回初めて自分で一から十まで関わって、もう殆ど倒れそうになっている。妻の有難さがようやく身に染みてわかったが、時すでに遅すぎる。(2019-10-3)

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(326)劣化した政治の犠牲になった哀れな経済ー小峰隆夫『平成の経済』を読む

政治と経済は自ずと一体不可分のもの。「平成の政治」を見る上で、「平成の経済」は欠かせない。2冊併せ読んで平成の時代の全貌が姿を現す。前者は鼎談三部方式だったが、後者はバブル崩壊後の「経済白書」に取り組んだエコノミスト・小峰隆夫氏ひとりが迫っており、一貫性があって読みやすい。一覧表や図が駆使されていることも理解を助ける。おまけに著者の切り口は、リアルに徹した語り口調でわかりやすい。全体は、①バブルの崩壊と失われた20年の始まり②金融危機とデフレの発生③小泉構造改革と不良債権処理④民主党政権の誕生とリーマン・ショック⑤アベノミクスの展開ーの5部構成である。こう振り返ると、劣化した政治のおかげで犠牲になってきた、この30年の日本経済の悪戦苦闘の実態が蘇ってくる▼一昔前には「経済は一流だが政治は三流」などといった見方が当たり前に使われていた。高度経済成長の名の下、戦後の荒廃から見事に立ち直った原動力としての日本経済の底力が汲み取れよう。今から思えばそれを可能にしたのは政治だから、そう捨てたものではなかったのかもしれない。ただ、平成の30年間は、むしろ「政治は三流だが経済も三流」に後退してしまった感が強いのは酷な見方だろうか。バブル絶頂から崩壊を経て長きにわたるデフレとの格闘は、昭和期の両者に比べて共に一段と弱体化した趣が強い。著者は、そのあたりを「政権が目まぐるしく交代し、政治改革が大きな議論となる中で、バブルの処理はどちらかというとわき役に押しやられてしまった感がある」と述べている▼バブル崩壊後の経済停滞については、金融機関に滞留した不良債権の影響に加え、アジアでの通貨危機が国内に飛び火、日本の金融危機を招いてしまった。その状況下で、橋本龍太郎内閣は、財政構造改革など六つもの改革に乗り出したものの、結局は金融をめぐる政策対応に右往左往するだけで、改革はいずれも中途半端に終わってしまった。橋本首相の改革への意気は〝壮〟とするものの、間口を広げすぎた感は否めない。その点、後の小泉純一郎首相は対照的である。「自民党をぶっ潰す」などと云った短い衝撃的なフレーズを駆使し大衆受けを狙う一方、経済学者・竹中平蔵氏を巧みに使って事に当たった政策的明瞭さは刺激的だった。その評価は別れるものの、平成のリーダーとしての特異さは際立つ▼民主党政権誕生と相前後してリーマンショックが襲ったことは、阪神淡路の大震災と同様、日本にとって不幸なことだった。民主党は「一度はやらせたら」との政権交代待望の風に乗って、その座についたが、政権運営の準備と力量の不足で大失敗に終わった。その経緯も坦々と解説されている。一方、アベノミクスなる造語を掲げ、今に続く安倍晋三政権の経済運営への評価は、人により、また立場の違いから異なる。新旧の「三本の矢」の結末、財政再建の先送りなど、決して褒められたものではない。だが、「経済よりも生活重視」「企業よりも家計重視」とのスローガンを掲げて看板倒れに終わった民主党のおかげで、「よりまし」経済との実感はそれなりに天下に漂っている。ただし、それがいつまで続くかは定かでないことをも、小峰氏は丁寧に分析している。ともあれ「平成」を概括的に捉えるための好著であることは間違いない。(2019-9-24)

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(325)公明党の存在って、こんな程度だったの?ー御厨貴・芹川洋一編『平成の政治』を読む

日経新聞社が平成の時代を、政治、経済、経営の三つの観点から総括、分析した本だというので、まず、『平成の政治』から読んだ。御厨貴(東大名誉教授)と芹川洋一(日経論説フェロー)の二人がホスト役になって、ジェラルド・カーチス(コロンビア大名誉教授)、大田弘子(政策研究大学院大教授)、蒲島郁夫(熊本県知事)の三人とそれぞれ語り合っている。30年を「政治改革」「官邸主導」「地方」の視点で捉えた三部形式。読み応え十分で、概ね満足できた。ただ一点だけ不満が残る。30年のうち、後半20年を「自公連立」の相方として演じてきた公明党についての記述があまりにも少なく、弱いことだ。分かってそうしてるのか。それとも本当のところが分からないからなのか。何もよく書けと言いたいのではない。もっときちっと料理して欲しいと言いたい。これでは、「平成の政治」を読み解いたと云われても、よく噛まないまま固まりを飲み込んだ時のように、消化不良が気にかかる▼それでもゼロではない。5頁ほどだけ出てくる。三者三様に鋭く公明党の抱えている課題について論及しており、興味深い。御厨は、国交相を公明党の指定席にしたことで、ある種の透明感が限定的にせよ生じたことと、政策、特に安全保障分野で、本気で熱心に議論をすることを公明党のプラス面として評価している。一方、安保法制に賛成して以来、議員と支持者の間が遠くなったことと、社会性を巡って議員と創価学会中枢との関係に矛盾が生じていることを課題としてあげている。また、芹川は、小選挙区選出議員はリアリスティックだが、比例区選出議員は理想主義的な傾向が強い、と指摘する。加えて、支持者の間における無党派層の増加や親の世代と子供の世代のギャップなども注目されるとしている。その上で、カーティスは、「公明党なくして自民党もない」として、重要な公明党の役割を強調し、芹川も両者の関係は「渾然一体化」しており、御厨に至っては「もう離れられない」とまで云う。しかし、論及はそこで停止してしまっているのだ▼私が問題にしたいのは、そういう公明党の存在が平成の政治をどう動かしてきたのか。何を変え、何を変えずにきたのか。そのような分析が皆無だということについてである。芹川は、別の著作で、今の政党の分布図が55年体制以前と比べほぼ同じになった、元に戻ったと述べており、この本でも「ぐるっと一回りした」と同じ認識を繰り返し、御厨も同調している。 すなわち、かつての社会党が立憲民主党に、民社党が国民民主党になっただけで、名称は変われども一回転したに過ぎないと云うのである。ここにはかつては野党だったが、今は与党の公明党の存在が完全に消えている。恐らく、両者は渾然一体だから、公明党を論じても仕方ないと云うのだろう。だが、果たしてそうだろうか。そう見るのは、評論家の力量としてはいささか心もとないと私には思われる。この20年に及ぶ自公連立政権にあって、公明党がどのような力を発揮して政権の一翼を担ってきたのかを追わない政治分析って、一体意味があるのか、と云わざるを得ないのだ▼ただ、そう憤ってみた上で、公明党の側の責任も問われねばならないと思う。ここまで無視されると、党員から議員を経て、また党員に戻った50年に及ぶ公明党のウオッチャーとして恥ずかしく感じる。私は自分を棚上げして、ひたすら今の公明党にもっと自己主張を求めたい。何故の連立なのか。どうして今の安倍政権を支えることが政治の安定に繋がるのか。貧富の格差がますます広がる中で、社会的弱者の側にどう立っているのか。政治の改革はどう進めているのか。選挙で自民党を支え、自民党に支えられて、「公明党の自民党化」が進んでいるとメディアに報じられている。それならば「自民党の公明党化」的側面を、もっとアピールしていいはず。いや、公明新聞や理論誌、グラフ誌に特集が組まれているのを見ていないのかとの反論があろう。しかし、深掘りはなされていない。響いて聴こえてこない。公明党の政治路線を今こそ党の幹部は公明新聞紙上でも論じるべきではないか。それは決して政治の安定を脅かすことにはならない、と私は固く信じているのだが。

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(324)死にゆく流れの革命━━帯津良一『かかり続けてはいけない病院 助けてくれる病院』を読む

 歳を取ると、「きょうよう」と、「きょういく」が大事という。「教養と教育」ではない。今日用事があるか、今日行くところがあるか、ということを揶揄って云うのだが、その重要な要素として、医者通いがある。老人にとって病院は、用があり、行くべきところのベストワンなのだ。御多分に漏れず、私も病院に行く機会が滅法増え、薬局で薬を貰うことが重要な〝しごと〟になってしまった。帯津良一さんのことは数年前に国会議員のOBの集まりで講演を聴く機会があり、その名声の寄って来たる所以が分かったものだ。今回のこの本は我が親友が推薦してくれたもので、飛びついて一気に読んだ。それだけでなく、老義母、老妻と家族3人がそれぞれ手にして、それぞれの読み方をしたものである。

 私は国会議員を引退する少し前に、脳梗塞を患った。素早い対応が幸を奏して、お陰様で10日ほどの入院、点滴治療だけで、大事には至らず、後遺症もないまま無事に退院できた。それは大いに良かったのだが、その原因には長年の糖尿病罹病があげられる。血管に関する〝兇状持ち〟とも云え、今に至るまで医者、病院との関係が絶えない。それどころか、東京在住から兵庫県に転居したため、主治医が変わった。それから10数年。現在では、セカンドオピニオン、サード、フォースと続く。やがてファイブにも及ぶかもしれない。それぞれの医師は良い人たちなのだが、私を次々と襲う症状になかなかマッチする治療、アドバイスはしていただけない。そんな私にとって、帯津さんのような医師がそばにいてくれたらと思うことしきりである。第1章の「現代の医者、病院の問題点11カ条」から、第5章「『寝たきり長寿』にならない、最強養生12カ条」まで、全て大いに頷ける内容だ。

●「人間には『死にどき』があり、それは自分でみつける」

 そんな中で、私が最も興味深く読んだのは、第4章「誰もがうらやむ『死』を迎えるための8カ条」だった。特に、人が死にゆく流れとして、❶食物を受けつけなくなり、穏やかなまどろみに入る❷水分を欲しがらなくなり、意識低下の状態からボンヤリする❸酸欠状態になって、意識がボーッとしてくるーという死のメカニズムを述べたくだりである。この流れに逆らって、延命をしようとするところから様々な問題が起こってくる、との指摘は極めて重要だと思われる。これに付随して、「ふだんから死生観を養うこと」、「死は敗北ではない」、「人間には『死にどき』があり、それは自分で見つける」のだ、といった論考はまことに参考になる。ただし、死にどきのタイミングを見つけることが至難のわざだから困る。その辺りについてはイマイチ読み取れないのは残念だ。

 この本における圧巻は、死は大いなるいのちの循環のなかのワンシーンだと述べているところだろう。ただ、「いのちのエネルギーをどんどん高めていって、死ぬ日が最高のエネルギーになるように持っていく」と言われているところには、いささか矛盾を感じざるを得ない。前述したような死に至る流れにある人間にとって、どうしてそんな芸当が出来るのか。意識が朦朧としている人間に「スペースシャトルが大気圏外に飛び出すように、向こうの世界にバーンと飛びだしていく」ことはできるはずがない。「そのためにはどんどん人生に『加速度』をつけていかなければなりません」と言われても、戸惑うだけだ。

 恐らく、大きく言って、死にゆくパターンは二つあって、平凡な穏やかな死と非凡な激しい死とに別れるのだろう。帯津さんは後者を目的にしているはず。「一人ひとり三百億年の軌道を生きる同志です」とまで言い切っておられて小気味いいばかり。さて、どっちを選ぶか。今のところ私はギリギリまで、帯津的死に方を志向して、最後の最後は平凡な死に方をするのだろうと思っている。

【他生の縁 国会での前議員の会で講演を聞く】

 帯津先生の講演は随分と前に聞いたのですが、今もインパクトが残っています。奥様を亡くされているので、仕事が終わってから、医院の片隅で、若い看護師さんや事務員の女性といっぱい傾けながら、話し込むのが最高の楽しみだと言われていたのが耳に残っています。実に楽しそうな話ぶりでした。

 この人は作家の五木寛之さんとの健康を巡っての対談本がありますが、実に楽しいためになるものです。先般、家人と金沢に行った際に、金沢文芸会館を訪問したのですが、その際に五木さんの作品が並べられたコーナーに、その本が並べてあったのにはホッコリした思いに駆られました。

 その対談本で五木さんは、1日の終わりに左右の足の指10本を、予めつけた名前を呼びながら、一本ずつ愛おしくさすりながら、今日も一日ありがとうと、その労をねがらうというエピソードを紹介しています。帯津先生という無類の話し上手、聞き上手の人との対談ゆえに出てきたものと思って、深い感動をしたのです。

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(323)自民党本部での講義録ー山内昌之 細谷雄一編著『日本近現代史講義』を読む

副題の「成功と失敗の歴史に学ぶ」と、帯にある〝基本が身につく14講〟に惹かれて購入した。山内昌之氏と細谷雄一氏の編著による『日本近現代史講義』である。最も面白く読めたのは、序章の山内氏による「令和から見た日本近現代史」。第2章も著者の率直さが気に入った。あとはいささか平板であり、気合いが入っていないと言わざるをえない。どうしてそういうものが多いのかと疑問を持った。「おわりに」を読んで、合点がいった。自民党本部での「歴史を学び未来を考える本部」での講義(2015-12〜2018-7)をもとにまとめたものだからである。「(日本の政治家が選択してきた道を)虚心坦懐にそのような過去の軌跡を学び、政治家がどのような選択を行ってきたのかを知ることが肝要だ」と、いみじくも細谷雄一が、あとがきで書いているように、これは入門編であって、「よりいっそう深いもの」「よりいっそう視野の広いもの」となることは今後の課題とされている▼それでも興味深かった章は、序章と1章、2章の三つがあげられる。特に序章の山内昌之の論考は実に魅力に溢れている。かつて私が師事した永井陽之助先生の筆致を思い出せるが如く、古今東西の歴史を自在に掘り起こしつつ、巧みな比喩で鮮やかに比較し、手際よくさばく。この人の手にかかると、平凡な具材を使って美味しく味あわせる料理人を彷彿とさせる。近現代の歴史解釈における誤解の一つは、日本にはこれまで国家戦略がなく、日本人には戦略的思考がないというのは不幸な思い込みだとしているところは惹きつけられた。むしろ「日本人は戦略下手どころか歴史的にすこぶる高度な『戦略文化』を駆使してきた」(エドワード・ルトワック)との引用まで持ち出している。そう、この400年における「完全な戦略的システム」を作り上げてきたリーダー・徳川家康を礼賛しているのだ。家康と江戸時代を再評価する向きは近年少なくないが、山内氏も「稀有の軍人政治家」として「総合力」を評価し、カエサルやナポレオンに勝るとも劣らないかの如く持ち上げているのは実に新鮮な印象を持つ▼また第1章の「立憲革命としての明治維新」は著者の意図とは別に、今の憲法論議を想起しつつ読むと興味深い。「明治における立憲体制の確立は世界史的な意義を持って」いるとして、「これから立憲制度を導入しようとする国」や、「制度は導入したがうまく機能していない国に対して、何がしかの助言ができる立場にある」と述べている。確かに明治維新とその後の国作りはそれだけの「知的資源」を有している。だが、それからほぼ半世紀後における敗戦時の憲法の作られ方および、70年後の今に至る憲法に対する日本人の向き合い方は、およそ「知的資源」を感じさせないと言う他ない。この章を読みながら、改めてつい先程私自身が産経新聞のインタビューで答えたあれこれのことを想起せざるをえない▼また、第2章の「日清戦争と東アジア」も極めて刺激的だった。「朝鮮戦争がまだ正式に終戦を迎えていない」現状において、「日清戦争はいまなお、終わっていない」とする捉え方は、日中間の現状を見るにつけても示唆に富んでいる。著者・岡本隆司氏が「歴史的な『相互理解』の欠如を」あげているくだりは、率直な物言いで好感が持てる。「その言動(大陸と半島としているが、中国と朝鮮半島に違いない)が往々にして理解できない。これはいま現在だけではなく、歴史を読んでみてもやはりそうなのであって、極端にいえば、勉強すればするほど、わからなくなる、という世界である」という。加えて「けっきょく本章は、歴史を教えている教師が、歴史にもっと目を向けて欲しい、というごく平凡な願望の吐露に終わってしまった」とも述べている。歴史を学びつつも、現代国際政治や国内政治を追ってきた我が身を振り返るとき、ふと無駄なことに人生をかけてきたなあとの寂寥感を持つ。国家の興亡などを追っても意味があったのかと。

【山内昌之さんの数多の著作で、私は『嫉妬の世界史』のような、歴史と文学のはざまを射抜くようなものが大好きです。『鬼平とキケロと司馬遷』などのタイトルは見るだけで、中身を見ぬうちにぞくぞくしてきます。上記文中にも書きましたが、私が大学で謦咳に接し、深く尊敬した永井陽之助先生にも迫る面白さが漲っています。

現職時代の後半に、英語通訳者として有名な田中祥子さんのご紹介で、山内さんと会食の機会に恵まれました。田中さんとは厚労副大臣としてベトナムに派遣された際にお世話になっていらい、今に至るまで親しくお付き合いさせていただいています。作家・ロシア語通訳者としても著名だった故米原真理さんの親友だったり、職業柄多くの文化人とも親しい方ですが、とりわけウマが合うのが山内先生だと言われ、直ちにせがんだしだいです。本当に楽しい夜でした。(2022-5-21)】

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(322)仏教の女性蔑視という誤りー植木雅俊『差別の超克』を読む

植木雅俊氏といえば、今をときめく仏教思想研究家。去年の4月にNHKのEテレ「100分で名著シリーズ」に『法華経』で登場、好評を博したので、ご覧になられた方も多かろう。この11月には再放送される運びというから、見逃された向きには嬉しい知らせと思われる。ところで、この人の数ある著作の中で、最も初期の頃のものが『差別の超克』である。副題は、「原始仏教と法華経の人間観」。このタイトル、少々近寄りがたい。これでは皆が敬遠するに違いない。簡単にいうと、仏教は女性差別の教えではない、となるのではないか。これは読むにあたって著者の周辺を探ってみた結果の私の直感的まとめである▼仏教が女性蔑視をしていたという説があるそうな。それは根拠のないことではない。ただ、釈迦がそう説いたのではない。釈迦滅後の保守・権威主義者たちが差別し始めたのを、あたかも釈迦の主張のように歪めて伝えられたものだという。そのことを微に入り細にわたってきっちりと捉えて解説したのがこの本である。この辺りのことについて興味のある向きには必読の書だといえよう。ただ、私のような少々へそ曲がり的女性崇拝者は、あまり関心を抱かなかった。尤も、読んでみてなるほどと納得したことは多い▼こんな話がある。先年、近くの県立大に岡山県から入学したばかりの新入女子学生たちと懇談した際のこと。私が「男はみんなオオカミだよ。男女交際には気をつけてね」などとつい余計なことを口走った。すると、そばに居合わせたある女性起業家が「それはちょっと違うのでは。今は男子学生は意気地がなく、女性の方がよっぽど狼かも」ときた。それが証拠の一例として、受験時に、勉強が出来そうな(つまり賢そうな)男子学生のそばにいた女子がチラリチラリとスカートを上げて、動揺を誘うという話を披露したのである。戦後強くなったものは靴下と女性と、その昔に言われたものだが、遂にそこまできたかとの実感がする▼こうした時代状況の中で、仏教の女性蔑視などということを取り上げること自体、果たして意味があるのかと思ってしまう。返って、仏教の後進性との指摘を招き、藪蛇にならないのかと。そう思って、長きにわたって、植木雅俊さんの本の中でこれだけは敬遠してきた。で、今読み終えてやはりその感は拭えないのだが、仏教の歴史の中での捉え方はよく分かった。少し注文させてもらえば、キリスト教やイスラム教との比較の中での人間観、女性観を明らかにしてくれればもっと良かったと思う。ところで、この11月から京都と大阪のNHK文化センターで植木さんによる仏教講座が始まる(1年間)という。京都では『法華経』、大阪では『仏教、本当の教え』が教材だとのこと。そこでは植木さんにはぜひ、「法華経、本当の教え」を講義して欲しいと思うのだが、どうだろうか。

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