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(271)会津へのこよなき思いー中村彰彦『幕末維新改メ』を読む

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(第3章)第1節 「防衛通」への変身に見る政治家の真骨頂━━佐瀬昌盛『むしろ素人の方がよい』を読む

「文教族」から猛勉強を重ねて精通

 先年、徳島商業高校を表敬訪問した際に、森本泰造校長(当時)が校庭の一隅にある三木武夫元首相の顕彰碑に連れていってくれた。思わぬ出会いにしばし感慨に耽った。三木は、「三角大福中」と呼び慣わされた自民党の領袖のひとりでありながら「クリーン」を売り物にした特異な政治家だった。私が選挙戦で二度まみえた河本敏夫(元通産相、元経企庁長官)の政治家としての師匠筋にあたっていたからでもある。偶々読みさしにしていた佐瀬昌盛『むしろ素人の方がいい──防衛庁長官・坂田道太が成し遂げた政策の大転換』の中でしばしば登場していたことも手伝った。

 書棚に逗留していたものを、一気に読み進めることになった。もちろん、この本における主人公は三木武夫ではない。坂田道太である。一般にはあまり知られていない人だが、厚生、文部、法務の各大臣、衆議院議長を歴任する間に防衛庁長官に就任した。その時の首相、つまり任命者が三木武夫だったのである。佐瀬昌盛は長く防衛大学校の教授を務めた人で、『(新版) 集団的自衛権』(同名の著作がある)を解説させてこの人の右に出るものはいない。精密な論理構成に基づく論争力には定評がある。その佐瀬が坂田への限りない愛着の思いを込めて書き上げた本がこれである。

 「専門家の防衛論から国民の防衛論へ」と引き寄せ、「戦後日本の防衛政策と自衛隊を振り返る一冊」として読まれるべき名著だと思う。単に「防衛」に関する造詣を深めるために役立つだけではない。政治家という存在を考えるうえで、この人こそ目標とされるべき人物かもしれない。丸眼鏡で長身、学者然とした坂田はいわゆる文教族で、防衛畑とは無縁の人であった。その彼が昭和49年末に長官に就任以後、「防衛を考える会」を発足させ、そこでの学者、文化人らとの議論を通じて、自ら猛烈な勉強を始めた。やがて「防衛」に成熟し、そして精通していった。

 その結果、「所要防衛力構想」(状況に応じて対応するもの)から「基盤的防衛力構想」(あるべき基盤を形成するもの)へと、防衛政策の大転換を成し遂げた。それだけではない。防衛力整備計画を改めて『防衛計画の大綱』を策定、『防衛白書』の作成から日米防衛協力の枠組み作りをも推進したのである。在任期間は歴代最長の747日(庁と省を跨いだ石破茂を除いて)。その間に、ロッキード事件が発覚。いわゆる「三木降ろし」騒動やら、ミグ25機が函館空港に強行着陸する問題が起こった。

 文学青年の面影漂うエピソード

 昭和51年末の三木内閣退陣と共に、坂田は離任するのだが、実は公明党もこの年、党内での防衛大論争でてんやわんやだった。挙句に「自衛隊を認める」など防衛政策の〝小さいが確かな〟転換を成し遂げた。市川雄一元書記長(当時安保部会長)の英断によるものだった。「防衛費のGDP1%枠」など、この頃決められた国の方針を巡っての論争を、懐かしく思い起こす。自社二党による〝不毛の防衛論争〟と揶揄られた時代から、与野党間の多少は噛み合う議論への転換期でもあった。

 佐瀬の筆致は限りなく坂田に対して優しい。あまりにも酷い昨今の政治家の堕落ぶりに比して、その姿勢が屹立して見えるからだろう。三木首相への風当たりの強かった頃に、中立を貫く記者会見をする場面や、シュレジンジャー米国防長官の二度に及ぶ訪日を通じての人間的交流。坂田の奥深さが滲み出るかのように描く。言葉を重んじる政治家の真骨頂とでも言うべきスピーチや数々の文章の紹介も胸を打つ。何しろ、シュレジンジャーとの招宴での冒頭に「会いたい会いたいと待ち焦がれていた人に会えてその喜びを噛みしめているというのが今の私の気持ち」と挨拶をしたという。

 「こんなに純粋に自分の気持ちを会談相手に語った防衛大臣は坂田を措いてはいない」など、文学青年の面影を漂わすエピソードの数々は心和む。坂田は人から揮毫を請われると「人が先、自分は後」と書いた。人を押しのけて前に出ることを厳しく戒めたのだ。これは数学者・岡潔の『春宵十話』からの借用に端を発している。こうした余談も、坂田の人となりを彷彿とさせて余りある。佐瀬はこのあたり、「前へ出たがるタイプだった三木武夫」との相違をさりげなく書き込んでいる。ともあれ、私は、この本から政治家のあるべき姿を真底教えて貰った気がする。(敬称略)

【他生のご縁 佐瀬昌盛対中嶋嶺雄の対決の帰趨】

 佐瀬昌盛さんとは一度だけ、あるパーティで出会いました。中嶋嶺雄先生と佐瀬さんとの某総合雑誌上での論争を巡って、私の感想を伝えたのです。一言でいえば、勝負は佐瀬さんの勝ち、だったと。これには当然ながら、満足そうにうなづかれたのが印象的でした。

 私としては、自分の学問上の師の負けを認めざるを得なかったのには辛いものがありました。しかし、それを補ってあまりある論旨展開の佐瀬さんの見事さには天晴れという他なかったのです。

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(269)観光・日英論争を仕掛けたくなるーデービッド・アトキンソン『新・観光立国論』を読む

先日淡路島で開かれたシンポジウムでは、デービッド・アトキンソン氏による講演がお目当てだった。今が旬の観光評論家(私の勝手な命名)である。元ゴールドマンサックスのアナリストで、今は小西美術工藝の社長が本業。日本の国宝や重要文化財の補修を手がけている。そして、日本の伝統文化財をめぐる様々の改革提言を行政に働きかけ、そのことを通じて観光の重要性を随所で呼びかけている。シンポジウムの見聞録はついこの間の私のもうひとつのブログ『後の祭り回想記』に「『変な外人』の素晴らしすぎる洞察力」と題して掲載したばかり。そのシンポジウムが終わった際に、会場で私は名刺交換した。「元衆議院議員です。あなたのことは、二階自民党幹事長から貰った『イギリス人アナリスト  日本の国宝を守る』を読んで知りました」と伝えたものだ■その際の彼の講演があまりに聞き応えがあったので、つい3年前に出版された『新・観光立国論』を図書館で借りてきて読んだ。中身は当然ながら、あの日の講演とほぼ同じ。人口減が進む日本は産業としての観光業を打ち立てないと、とても生き残っていけない。気候、自然、文化、食事と観光に大事な4条件を全て持っていながら、その活かし方に気づいていないというもの。高級ホテルが不足している、文化財が活用されていない、おもてなしは観光の動機にならないなどの講演コンテンツもほぼ一緒。こう、比較して見ると、3年間、観光分野で全く日本は進歩していないということになる。私が議員を辞めてからのこの5年間、著しくインバウンドが増えているというのに、である■「少子化が経済の足を引っ張る日本。出生率はすぐには上がりません。移民政策は、なかなか受け入れられません。ならば、外国人観光客をたくさんよんで、お金を落としてもらえばいいのです。世界有数の観光大国になれる、潜在力があるのですから」という主張は、魅惑に満ちていよう。観光業に関わってほぼ3年、理屈は分かってきていても今一歩実践がついていかない私にとって、ー極めて示唆に富む内容の本ではあった。そんな折も折、公益財団法人・大阪観光局の理事長を務める溝畑宏さんに出会った。この人、自治省出身のれっきとした高級官僚でありながら、2002年に大分県に出向して、フットボールクラブの代表となっていらい、2008年にはJリーグナビスコ杯優勝に導くなどの力を発揮。2010年には民主党政権時の国交省観光庁長官に就任した。そして、今の立場には3年前から。アトキンソン氏の本が出た頃と一致する■これまで二度ほどお会いしたが、なかなか元気というか、歯に絹着せぬもの言い振りが気持ちいい。尤も、それ故に敵も多かろうと、我が身を顧みず、心配もしてしまう。三度目となった先日の出会いでは、低迷を続ける淡路島のインバウンドに向けて、アドバイスを頂く趣旨が狙いであった。高級志向を持つ外国人富裕層に焦点を絞っていくコンセプトの確立を強調された。具体的には明2019年のラグビーのワールドカップ大会に東大阪、神戸を目指してやってくる、イングランド、アメリカ、ニュージーランド、スコットランド、オーストラリアなどといった国々のサポーターに目をつけよ、というのである。ラグビーの世界大会が日本であるということは漠然とは知っていたものの、それに観光のターゲットを絞るなどとは思いもしなかった。我が身の至らなさに身がすくむ思いだった。先方は大阪へのインバウンド客の激増に気を吐き、来るべき大阪万博やIR(統合型リゾート)の誘致に向けて意欲を燃やしているとあって、意気揚々。私が話の中で、アトキンソン氏のことを持ち出すと、「あんな外人なんか(の言うことを信じるの)」と一蹴された。日本の関西方面の観光客増にひと肌もふた肌も預かってるとの自負心が言わしめたのだろう。さて「観光・日英論争」、どちらに軍配が上がるか。そのうち直接対決でも仕掛けて見るか。(2018-8-19)

 

 

 

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(268)「今」を解き明かす飽くなき挑戦ー諸井学『種の記憶』を読む

芥川賞や直木賞など文学にまつわる賞が話題になるたびに、こうした賞の獲得目指して、せっせと小説の執筆に励んでいる友たちを思い起こす。「いい加減に諦めたら」って思う一方、それを目指す生き方そのもが彼らの人生なんだろうから、周りからあれこれ余計なことを言わぬ方がいいに違いないと自戒もする。たまに、読んで欲しいとどこかの出版社に応募したゲラのコピーを戴いて読み始めても、最後まで読み通す根気が続かない。応募小説をいっぱい前にして審査する作家達の苦労が偲ばれるというものだ。そんな折に、一味もふた味も違う作家に出会った■長く付き合ってる電器店主から、自分の同業者に小説書きがいるので会わないかとのお誘いを受けた。その人とは、姫路の文学誌『播火』にいつも寄稿している同人・諸井学さんだ。ネットで、彼が『種の記憶』なる著作を出版しているという予備知識だけを持って、待ち合わせた沖縄料理の居酒屋へ出かけた。7月の25日のことである。ふくよかで笑みをたたえた 商店主風の男が現れた。今年2月に出版された『ガラス玉遊戯』と併せて2冊戴いた。両方とも印象に残る写真を使った見事な装丁。発行所は長野県。発売元の出版社は東京都にある。姫路東高を経て、名古屋工大で金属学を学び、今は電器店を営みつつ小説を書いている、と。独学で「小説」作法を身につけてきたとの言い振りから強い自信が伺えた。話し込むにつれてその奥行きの深い人となりが迫ってきた。初対面で充たされる思いを持つのに時間はさほどかからなかった■諸井=モロイ。アイルランドの生んだ巨大な作家・サミュエル・ベケットの代表作『モロイ』から学んだと、ペンネームに掲げるだけあって、ベケットへの思い入れは相当なものだ。私が、司馬遼太郎の『アイルランド紀行』を携えて、ダブリンに飛び、僅かな時間を過ごした時に偶然出会ったのがベケット研究で名を成す岡室美奈子早稲田大教授(坪内逍遥記念演劇博物館館長)であった。それ以来、ベケットについて表面的には撫でてきた。が、恥ずかしながら『モロイ』については全く知らない(「諸井」より「脆い」にイメージ的親近感を持ってしまう)。岡室教授についてそれなりに関心を持ってる彼に、その場で直ちに電話をして紹介の労をとったことは言うまでもない。ここらで辛うじて面目を施そうとする我が身がいじらしい■勧められるままに『ガラス玉遊戯』における同名の章からまず読んだ。いやはや酷い。全編これ、うんこ、便所の糞壺などの連続。ビー玉のおしゃぶり場面が登場するが、汚いこと夥しい。これが『モロイ』へのオマージュだと「あとがき」で聞かされてももう遅い。「糞尿譚を嫌う向きもあることは重々承知していますが、その中に人間存在の本質があり、またユーモアもあるゆえ、創作に必要な場合は避けることはできません」と言われても、臭さと気持ち悪さが残るだけ。後味がこれだけ悪い文章を読まされたのは初めて。よほど途中で放棄しようかと思ったのだが、そこは作者と会ってしまって本を戴いた弱みがある。もう一冊の方を読みだした■まずは単細胞生物、無脊椎動物、魚類、両生類、爬虫類・鳥類、霊長類・類人猿、霊長類・猿人と7段階を、7つの章に描き分ける手法に惹きつけられた。自分の生まれてからの成長過程を「種」としての変化に擬えるとはユニークだ。曲がりながらもジャーナリストを経て、政治家を志したわたしとしては、リアルさを追い求め、フィクションではなくノンフィクションに我が身を託してきた。新聞記者時代原稿取りに伺った、源氏鶏太氏に創作の奔放さを垣間見、初めての衆議院選挙出馬の際に応援に来てくれた宮本輝さんに、後になって「小説家って嘘つきでないと務まりませんよね」と大胆にも問いかけたりした。親しくお付き合いさせていただいている直木賞作家・中村正軌さんの『元首の謀叛』や、イタリアにまで議員時代に会いに行った塩野七生さんによる『ローマ人の物語15巻』の想像力の逞しさに感服し、舌を巻き続けてきた。そんな私には、諸井さんの本を読むことにはいささか苦痛が伴う。だが、当初はいやいや読み始めたが、次第にその不思議な魅力に捉われ、引き込まれていった■それにはほぼ同時代に同じ姫路で育ったもの同士共通の土地勘や、豊富な文学や音楽の知識の披瀝も相俟って、興味を繋ぐのに十分だった。リズム感のある文章や名古屋弁の面白さが手伝ったことも付け加えておく。諸井さんは、あとがきで、ベケットは、「余剰な言語を削り自らを貧しくした作品によって(師のジェームス・ジョイスのモダニズム文学とは違って)、後のポスト・モダニズム文学を準備した」が、自分は、「『種の記憶』によって、もちろんベケットとは違う形ではあるけれど、彼と同じ立ち位置からわたしの文学を出発させると、密かに宣告した」と、述べている。その心意気たるや凄いという他ない。彼のこの本を読み終えた今、その表現ぶりと我が認識の貧困さとのギャップに悩みはする。モダニズム文学もポスト・モダニズム文学とも無縁できたものとしては、当然のことだろう。老いて今も文学的挑戦に気を吐く彼から学ぶものは甚だ多い。(2018・8・12)

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(267)多一主義と人間主義の現実的展開ー松岡幹夫『日蓮仏法と池田大作の思想』を読む

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(266)社会構造の劇的変化にどう対処するかー内田樹 編『人口減少社会の未来学』を読む

世界の最先端を切って急速に進む日本の人口減少。これからの社会構造が劇的な変化を強いられることは必至だ。こうした起こり得る未来にどう対処するか。編集者の依頼を受けた思想家の内田樹さんが10数人の論者たちに寄稿文を依頼して、出来上がった本が『人口減少社会の未来学』である。答えたひとは10人。それぞれに強いインパクトを持った中身で、極めて面白い論考集となっている。もちろんくだらないと思われるものもある。しかし、概ね目から鱗の秀逸なものが多かった。私の選んだベスト3(❶注目される中身❷平凡な結論だが無視できないもの❸日本には馴染まぬ奇抜な提案)を挙げ、明日の日本を考えるよすがとしたい■まず、その前に、内田氏の序論について。雇用環境の劇的な変化による破局的事態を回避するための手立てを考えており、興味深い。就職先をどうする、との若者たちの関心事について、銀行、新聞、テレビなどこれまで人気のあった業種は雇用消失リスクが高いとする一方、「看護介護という対人サービスを含む『高齢者ビジネス』」が活気づくという見通しを提起している。結論として、最後に生き残るシステムとは、「人間がそこにいて『生気』を備給しているシステム」だ、と。こう抽出してみると、意外に内田氏らしからぬ平凡な感じが否めない。本題に入る。最も刺激を受けたのは、劇作家・平田オリザ氏の「若い女性に好まれない自治体は滅びる」である。失業者や生活保護世帯が平日の昼間に映画館や劇場に来たら、「社会に繋がってくれてありがとう」と皆がいえる社会にしていくとの考え方の転換を強調している。つまり、「文化による社会包摂」のすすめである。これには斬新な響きを受けた。岡山県奈義町の子育て支援、兵庫県豊岡市の文化政策の展開には大いに惹きつけられた■次に経済学者の井上智洋氏の「頭脳資本主義の到来」。科学技術の研究という最も付加価値を生むクリエイティブな営みに、今の日本は時間もお金も費やさなくなっている、と強調する。科学技術立国としてやっていけるかどうかの瀬戸際に立たされているとの指摘は、改めて衝撃を受ける。無価値な労働に時間を費やす例として、中学校での教員の部活動と書類作成の激増、大学における研究時間の激減(その一方での教育準備の時間増)を具体的に挙げているのは分かりやすい。AIが進歩し普及すればするほど、知力を重視する必要があるが、あらゆる場面でそうなっていないとの指摘である。これは、珍しいものでは全くないが、無視できない重みを感じてしまう■最後に、文筆家の平川克美氏の「人口減少がもたらすモラル大転換の時代」。晩婚化の流れを早婚化に戻すことが難しいのなら、少子化対策として可能な政策は「結婚していなくとも子どもが産める環境を作り出すこと以外にはない」と断定している。フランスやスウエーデンで、法律婚で生まれた子どもでなくとも、同等の法的保護や社会的信用が与えられることを挙げ、日本での子育て支援や育児給付金などの対症療法的な対策では人口減少に歯止めはかからない、と強調。「社会構造(家族構成)や、それを支えているモラルの変更こそが、その鍵になる」という。「人口減少社会における社会デザインとは、無縁の世界に有縁の場を設営してゆくこと以外にはない。(中略) 都市部の中に、家族に変わり得る共生のための場所を作り出していくこと。そして人類史的な相互扶助のモラルを再構築してゆくこと」だ、と。これって、まるでSFのごとく聞こえる。儒教的社会にどっぷり浸かった日本人としては、いかにも荒唐無稽な提案に見ええてしまうのではないか。(2018-7-27)

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(265)これが明治維新の実態だー奈倉哲三ら編『戊辰戦争の新視点』を読む

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(264)不安定の安定か、安定の不安定かー三谷太一郎『日本の近代とは何であったか』を読む

近代とは何かと問われたら、日本の場合は欧米の文明の影響を受けた明治以降の時代と答える。辞書風には、封建時代の人間性無視、非合理性を廃し、個人の生活・思想における自由を重んじ、設備の機能化、エネルギーの節約を図るようにすることを近代化という、と。では欧米のつまりヨーロッパの近代とは何であったか。一言でいえば、「議論による統治」の確立であり、慣習の支配で拘束された自由と、停滞した独創性を解放しようとするのが、近代の歴史的意味である、と。新聞の書評で見つけた、三谷太一郎『日本の近代とは何であったかー問題視的考察』は、ちょうど今の私の問題意識と一致して、読む気を誘ってくれた■著者の三谷さんは全く存じあげない方だが、本文もさることながら、あとがきを読んで大いに好感を持つことができた。人生そのものを学問に費やし、その間に「達成した事業は余りにも貧しく、誇るに足るようなものではありません」と謙虚に述べたうえで、青春期と老年期の学問の一体性に言及。若き日に成し遂げた仕事の実績、領域は年老いても越えられないものだ、と。結局は、〝処女作に回帰する〝のだということを言おうとされている。もっと率直な言い方をさせてもらうと、偉そうに各論を展開するより、初心に立ち返って、総論にきちっと立ち向かうことが大事だよと、いうことだろう。で、三谷さんは、英国のジャーナリストであるウォルター・バジョットの考察に向き合い、極めて真面目にヨーロッパ近代から日本のそれがどんなものであったかを説き起こしてくれている。バジョットはマルクスと同時代人だ、と始めて知った。片やヨーロッパ近代における経済学、もう一方は政治学を模索した新しいモデルを打ち立てたというわけだ。そうくればますます読まねば、という気になってしまった■明治期における政党政治から始まって、貿易、植民地化、天皇制と4つの切り口で日本近代の成り立ちに迫った著者の視点は鋭い。一つは、「議論による統治」の日本的形態は、明治維新期から今に至るそれへの批判や非難が実質を作り上げ、不安定の安定を作ってきたという。今の安倍政治が危なっかしいものの何とか持ってるように見えるのもその伝統ゆえかもしれない。二つは、日本の資本主義の全ての機能が集中しているといってよい原発の事故について、日本の近代化路線そのものを挫折させた、と。これもまた大いに共感する。三つは、現在のヨーロッパにおける難民問題は、植民地帝国の負の遺産であり、日本にも形を変えて潜在的に存在する、と。在日コリアンから沖縄の差別に至る問題が想起させられる。四つは、ヨーロッパにおける神の存在と日本の天皇との類似性である。明治期の設計者たちは天皇を単に立憲君主に止めず、皇祖皇宗と一体化した道徳の立法者として擁立したのは、神の代替物を探した結果だというわけである■三谷さんは、日本の一国近代化路線の失敗のシンボルとして、東日本大震災による原発事故を位置づける。富国強兵から強兵なき富国路線の挫折だというわけである。そして今後日本にとって必要なことは、「かつて日本近代化を支えた社会的基盤を、様々の具体的な国際的課題の解決を目指す国際的共同体に置き、その組織化を通じて、グローバルな規模で近代化路線を再構築することではないか」という。そして、そのためには「アジアに対する対外平和の拡大と国家を超えた社会のための教育が不可欠」だという。で、そうした自身の目指す多国間秩序構築のモデルとして、1921年暮れから22年初めに開かれたワシントン会議をあげ、そこから導かれた諸条約や諸決議を伴う国際政治体制としてのワシントン体制に学ぼうというのである。この問題提起をどう捉えるか。着眼点は悪くないが、構成要員としての各国の、政治的佇まいの様変わりぶりが大いに気になるところだ。ただ、先達の遺言として銘記しておきたいとは思う。(2018-7-15)

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(263)どこかで間違ったことを思い知るー柳瀬尚紀『ことばと遊び、言葉を学ぶ』を読む

作家・筒井康隆氏による「現代語裏辞典」では、「凝り性」の項には、「柳瀬尚紀」とだけあるとのこと。先に紹介した『日本語は天才である』を読んだ際にも、つくづくこの人こそ「日本語の天才である」と思ったものだ。言葉というものに凝りに凝ってこだわった人生を歩んだ人だ。残念なことに2年前の7月30日に鬼籍の人となられた。その日本語の達人が中学校で特別に授業をした記録が、河出書房新社の尽力で、そのまんま本になった。これは日本語と英語の授業ともなっていて、実に面白くためになる。と同時に、いったい自分はどこで間違ってしまったのか、と深い反省に陥らせられる■ここで収録されている授業は、長浜市立西中学校、久留米大学附設中学校、島根県美郷町立邑智中学校の三校とPTA対象の番外編。色々と興味をそそられる場面が数多いが、一つだけ例を挙げる。「車で」は英語でなんていうか?「by car」。では、「彼の車で」は?「by his car」と答える生徒たち。実はこれ、正解は「in his car」。ここのやり取りは実にうまい。「人間は間違えて覚えるんです。どんどん間違えて、そして覚えていく。英語にかぎらず、日本語でも、どんどん間違ってかまわない。間違えて覚えるんだという自信をもってください」この授業を受けた中学生たちは宝物を掴んだに違いない■柳瀬さんはこうした授業の中で、分からない言葉と出会ったら、辞書を引くという最も基本的なことを強調。驚くべき体験を披露している。小さな国語辞典を丸暗記したというのだ。国語辞典一冊が真っ黒になって「完全にぶち壊れ」るまで読んだという。私なんか、幾たびか挑戦したものの、ほんの数十ページで挫折してしまった。日本語では『新明解国語辞典』(三省堂)を推奨しているが、なるほどこの本(辞典と呼ばずに)は一味違う。「凡人」の定義には唸ってしまう。たんに平凡な人間ではなくて、「自らを高める努力を怠ったり功名心を持ち合わせなかったりして、他に対する影響力が皆無のまま一生を終える人」ーこう読んで、俺は凡人ではないな、とほくそ笑むと、そのすぐあとに、「俗人」の定義が。「それにしても世の中には俗人になりたがるのが多いですね」と。ギャフンとなる他ない■英語の辞書では、齋藤秀三郎の『熟語本位 英和中辞典』(岩波書店)を、「全ページ赤鉛筆の線だらけに」して、「ヨレヨレになり、手垢にまみれ、くさくなるほど読んだ」と。これは私も高校時代に手元に置いた。しかし、今ではどこへ行ったかわからない。意欲を燃やしてページを繰った日は遠い昔のかなたに散ってしまっている。この授業は、私のようなかつての真面目少年がやがていつの間にか、俗人に成り果てた経緯を思い起こさせる。改めて「少年老いやすく学なりがたし」を突きつけられる、実に罪深い本である。そのくせ、「『ロアルド・ダール コレクション』がめっちゃおもしろい」とか「筆者が手がけた『完訳 ナンセンスの絵本』」やら、『ガリヴァー旅行記』を何度目かの通読をしたといったくだりに出くわすと、ついメモってしまう。「今更」っていう気持ちが起こるが、その都度、「生きてる限りは青春だ」と我が身に言い聞かせて。尤も、青春って、「[夢・野心に満ち、疲れを知らぬ〕若い時代」なんだけど。(2018-7-7 )

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(262)子や孫の行く末を案ずるー『未来の年表』と『LIFE SHIFT』を読む

河合雅司『未来の年表』のインパクトは極めて強い。発刊からちょうど一年が経つが、この間に大きな話題になった。既に続編も出ている。「人口減少日本でこれから起きること」のサブタイトルも示しているように、このまま手を拱いて放置していると、日本はこのように消滅への道を歩むと予測する衝撃の書である。もう一冊のリンダ・グラットンとアンドリュー・スコット『LIFE SHIFT (100年時代の人生戦略)』の方にも強烈な刺激を受けた。前者が少子高齢社会の社会全体としての対応を求めているのに比し、後者はどちらかといえば、個人としての取り組みを促しているものと読める。共に、時代の転換期にどうするんだと激しく問いかけを迫っている警世の書でもある■先に私は『LIFE SHIFT』を読んだ。偶々テレビで、著者のひとりL・グラットンを囲む青年たちとの語り合いの場面を見てしまったのである。番組名は忘れたが、今若手社会学者として注目されている古市憲寿氏が司会役をしていた。登場している連中の手に、その本があり、グラットン女史も好印象だったので直ぐに飛びついた。面白かった。「人生80年」と言われだしたのも束の間、もう「100年時代」だそうな。それを今年73歳の爺さんが読むというのだから、お笑い草かもしれない。で、私が読んで一番感動したのは、もはや「教育→仕事→引退」という人生の定番スリーステージ時代は終わり、新たなステージを迎えているという捉え方だ■これはお金偏重の人生を、根底から変えて、成長至上主義的な生き方の次に位置する新しい生き方を指す。それこそ、エクスプローラー、インディペンデンス・プロデューサー、ポートフォリオ・ワーカーの三つの選択肢だというのである。英語だと分かりづらい。日本語で私なりに解釈するとそれぞれ、❶いわゆるフリーターをしながらも将来に向けて知見を蓄える生き方❷個人事業主あるいは起業家とも言える生き方❸いくつかの他業種を同時並行的に関わる生き方ーと言えようか。こうした生き方が求められるのが、これからの「人生100年」時代であり、そこには年齢などあまり関係ないというのだ。そういう時代をこれから生きる若い人たちは大変だなあと思いつつ、残された時間を充実させて生きるぞと自らに言い聞かせながら読んだのである■そこへ、気にしつつ放置してきた『未来の年表』を読む気になったのは、政治家としての責任から、という思いがやはりある。ここで展開される年表はまさに正視に耐えない。これまでの日本の遺産を食い尽くすだけであった「団塊の世代」とそのジュニア世代たちが年老いていくとどういう社会がそこに展開するか。これは少しだけの想像力があればわかろうというものだ。しかし、改めて突きつけられると辛い。先に述べた新しいステージでいえば、ポートフォリオワーカーを自ら実践していると呑気に構えてる(わけではないが)身として、恥ずかしい。要するに、我が子や孫たちがこれではどうなってしまうのか、という切実な問題なのだ。河合さんは、この本で、「日本を救う10の処方箋」を次世代のためにいま取り組むこととしてあげている。これこそ現実に責任を持つ政治家や官僚が議論の対象にすべきことであろう。「戦略的に縮む」ことが第一に提起されているが、重要な問題提起だ。私がこれまで、繰り返し主張してきた、「富国強芸」の旗印というのも、ある意味で同じ趣旨といえなくもない。ともあれ、ここでの処方箋をひとつの素材にして各方面における議論を起こし、いっときも早い具体的な対応策が講じられねばならないといえよう。(2018-6-29)

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