Category Archives: 未分類

この父ありて海舟あり、親子二代「覚悟」の男の生き方(74)

大学時代の級友で土佐の高知に住む豪快な男がいる。なにしろ7億円もの借金をくらってもそう気にしている風には見えない男である。かつて若き日に彼のところに遊びに行った際に、桂浜の竜馬像に行こうということになった。途中でビールや酒を買って、そのうちの何本かを像の前に置いた。竜馬に飲ませると云って。誰かが飲むだけだ、もったいないと私がいうと、そんなことはどうでもいい、とまったく気にもかけなかった。妙に記憶に残るこの男がつい最近神戸にやってきて、久しぶりに逢った。談論風発のなかで勝小吉の『夢酔独言』を滅茶苦茶に面白い、と推奨して帰っていった。勝小吉とは勝海舟の父親のことだ。かねて坂口安吾や子母沢寛や大仏次郎らが勝小吉がいかに豪快無比な人物であるかを書いていることは側聞してはいたが、実際に彼の手になる本などあることさえ知らなかった▼およそひどい悪文というか、誤字、当て字のオンパレードで、段落わけもなしで、句読点もうたれず、会話部分に「」もつけていないので、滅法読みにくいことおびただしい。幾度か途中で投げ出したくなった。正直なところ読み終えて何ほどにこの本がいいのかあまり分からない。解説者によれば、生き生きとした文章であるとか、優れた記憶力を持つ任侠に生きた親分だとかべた褒めなのだが、当方にはとんと分からない。坂口安吾は『堕落論』のなかで、この小吉が書いた本には「最上の芸術家の筆をもってようやく達しうる精神の高さ個性の深さがある」と。この安吾自身、相当に変わった人物ゆえ、変わった者同士は分かりあうということだろうか▼私としては小吉の凄さは分かりかねるまったくの小物だが、息子・麟太郎ことのちの海舟との父子関係には大いに興味をそそられる。明治維新における江戸城無血開城に見るように、勝海舟の胆力は父親譲りの比類を見ない豪快なものである。今、私は明治維新にいたる幕末の15年(1853年~1868年)を細々と研究しているのだが、誰よりも勝海舟に魅力を感じる。彼の書いたものといえば、『氷川清話』で、かつて現役時代に国会議員の赤坂宿舎の裏にあった氷川神社周辺を歩きながらよく思い起こしたものだ。まあ、おやじさんのものより数倍読みやすくはある。「男たるものは決して俺が真似をばしないがいい。孫やひこができたらば、よくよくこの書物を見せて、身のいましめにするがいい」と最後に書いたところを、如何に海舟はじめ子孫たちは読んだろうか。『氷川清話』には一方で少々馬鹿にしながらも、他方で「わが父は潔く、細かいことにこだわらずに鷹揚で、われに文武の業を教えるのに、徐々に勧め励ました」とあるを見ると、反面教師にしながらもその恩義を感じていることが伺える▼勝海舟といえば、私が思い出すのは、漫画家黒金ヒロシが語った勝海舟だ。4年ほど前にNHKで「未来をつくる君たちへ~司馬遼太郎からのメッセージ」というタイトルのもと放映されたものを覚えている。改めてそれのDVDを観てみた。黒金さんが両国中学の男女の生徒たち15人ぐらいと勝海舟の凄さを語り合っている番組だった。そこで、彼は、いかに海舟が「覚悟のひと」であったかを様々な側面から説いていた。マズローの人間の欲望についての5段階説やシュプランガーの学説を引きながらの解説はなかなか観させた。死の間際に勝が「これでおしまい」と言ったことを通じて、普通のひとが陥りやすい不条理感に囚われないためには、自分のために毎日を精一杯に生き抜くことに尽きると述べていたことが強く印象に残っている。小吉や海舟と鷹揚なところが似てなくもないわが級友の過ぎ越し方と、行く末を思いやる年末ではある。(2014・12・29)

Leave a Comment

Filed under 未分類

現場で人びとと同苦することこそ人生の極致(73)

ほぼ本年最後の読書録になろうかと思われるものに相応しい本に出くわした。チェーホフの『六号病棟』だ。これは先日紹介した『退屈な話』と同じ岩波文庫に収められており、同じ時期に読み終えたが、あえて別々に取り扱いたい。チェーホフは医師として切実な課題に真正面から立ち向かっており、まことに興味深い作家だ。患者たちがいつも長い時間を待たされたあげくに、三分間ほどだけの診療でお茶を濁されることは日常茶飯事である。昨今はパソコンの登場で、画像を見るだけで医師はついに患者の顔すら見ないで済ますことさえあるといった話まで横行している。しかし、医師は医師として過重極まりない医療労働をするにも関わらず、自身が蓄えた医療の技量に見合っただけの報酬を得ていないとの不満を隠そうとしない▼医師という職業は、わが身を顧みず患者の立場に立ってどこまでも人命救済に立ち向かう存在ではないのか、との思いは今日なお人々の心に強く存在している。この『六号病棟』では、精神、心をを患ったひとと、その患者を治療する医師の二人が真正面から人生の本質をめぐって語ることが中心的な命題として設定されている。煎じ詰めれば、ここで登場する医師は、社会の不公正をもっぱら時代のせいだとしてとらえ、人々が苦しむ現実には不感症で、無責任で、冷淡でさえある。それに対して、患者は、無意識のうちに不公正な特権の上に胡坐をかいて生きてきた医師を鋭く告発する。この小説では医師と患者の対立として描かれているが、医師は特権を得やすい職業の代表であって、他のどのような職業でもより人々の尊敬を集めやすいものはすべて共通しよう。政治家もしかりだ▼その医師が「暖かい気持ちのいい書斎とこの病室との間にはなんの違いもありませんよ」といい、「人生を理解しようとする自由で深い思索と、俗事の完全な無視という二つの幸福さえものに出来れば、人間はどんな境遇にあっても心に平安を見出すことが出来る」と述べるくだりを読んで、まさに自分にも突き付けられた刃だと思った。病室を有権者との出会いに換えれば、そっくり政治家にも当てはまるからだ。今の政治の弛緩しきった実態は、政治家が本質的な部分で「人間の安らぎと満足とは、外部にあるのではなくて、内部にあるのですから」との医師のセリフが示すように、外部にある生身の人間の苦悩を解決することを棚上げし、自身の心のうちに逃げ込みがちなところに原因がある▼ことし結党50年を迎えた公明党は、すべての議員が「大衆とともに戦い、大衆のために戦い、大衆の中に死んでいく」ことを最大のモットーにして全国各地で日々活動をしている。公明党の創立者池田大作先生の根本的指導は常に「現場へ、大衆の中へ入れ」だ。大衆との接触を忘れたものはもはや公明党の議員にあらずとの精神こそ尊い。チェーホフが『六号病棟』で言いたかったことは、決して医師の生き方だけではなく、「ノーブレス・オブリージュ」の大事さを言っているのだと思う。私も現職を辞したからもはや自由だというのではなく、どこまでも大衆の現場での悩み、苦しみに同苦し、解決をはかるお手伝いをする人間でありたい。(2014・12・26)

Leave a Comment

Filed under 未分類

むなしく時が過ぎるだけの「北」との関係ー伊豆見元(71)

私には北朝鮮や韓国の専門家が友人に多い。小此木政夫、古田博司の二人が双璧だが、他にも伊豆見元、重村智計氏らがいる。私が現役時代にこの4人は一度は公明党の外交安全保障部会の場に呼んで、講演をしてもらったものだ。前二者はこれまで幾度か取り上げてきたが、後者の二人はほとんどない。このうち伊豆見さんと知り合ったのは1980年代後半、故中嶋嶺雄先生(元東京外大学長、前秋田国際教養大学長)のアジア・オープンフォーラムの会議やら、台湾への旅で、だ。また、重村さんとは、米国への視察旅行先のワシントンのホテルで偶然に出会い知りあった。彼が毎日新聞記者をされていたころだ。もう20年近く前のことになる▼ネットで見ると、重村氏は伊豆見さんのことを厳しく非難しているようだ。その著作で、学歴詐称の疑いがある、と。名指しは勿論避けているが、明らかに彼のことだとわかる書きぶりだ。両方を知っている身からすると辛いし、あまり関わりたくない話ではある。他にも島田洋一氏(福井大教授)がそのブログで叩いているから、伊豆見氏はなにかと標的にされやすいのであろう。いくつか理由があろうが、最大のものはテレビや新聞メディアにしばしば北朝鮮ウオッチャーとして登場する割には、ご自身の手になる著作がない(訳本や共著はある)ことが原因ではないかと思われる。学者という存在は相互に喧嘩が絶えないようで、陰口を耳にするには事欠かない▼その彼が昨夏に出版したのが『北朝鮮で何が起きているのか ー金正恩体制の実相』で、つい最近まで知らずにいたが、偶然に本屋で発見した。朝鮮半島、とりわけ北朝鮮については情報も限られており謎がまだまだ多い。ゆえに、それを書物という形でまとめることは危険が多かろう。得体のしれないものに一定の見方を提示することは相当に勇気がいるからだ。この本では、①2012年4月以降の挑発の実相②金正恩体制の構造と政策課題③北朝鮮はどこに向かうのかーの三章に分けて解説をしている。究極のポイントは「金正恩指導部の三つの課題と三つの条件」である。国民生活の向上、対南関係の安定化と対米・対日関係の正常化という課題に対して、一定の成果をあげるには①非核化②弾道ミサイルの放棄③韓国に対する挑発行為の停止という三条件を満たさなければならない。しかし、これは国際社会にとって必須の前提条件だが、北朝鮮にとっては到底受け入れられない。結論は「時間だけがむなしく過ぎていく可能性が高い」ということになる▼これから日本はどうすべきかについて、伊豆見さんは、日本は今後も北朝鮮との国交正常化を目指していく必要がある、としたうえで、「北朝鮮を『国際社会の責任ある一員』とするべく」、「『生まれ変わらせる』べく努力を続けていかねばならない」と結んでいる。確かにそうなのだが、この「べき」論はそう簡単ではない。アメリカとキューバの国交正常化という新事態を横目で睨みながら、いよいよ地上最後の関係正常化を必要とする標的に「北朝鮮」がなったことに緊張を覚える。伊豆見さんの本の顔写真を見ながら、彼を傲岸不遜な男だという指摘(ネットで見た)は的外れで、わたしからすれば「程のいいひとなのになあ」と同情の思いは禁じ得ない。ま、出る杭は打たれるのか、とここでも平凡な感想を抱くに至った。(2014・12・23)

Leave a Comment

Filed under 未分類

スパイ小説らしくない英国情報部員の秘話(65)

私はこれまで随分とスパイ小説は読んできた。しかし、その分野の古典で、著者の実体験に基づいたものとされるサマセット・モーム『アシェンデン』は読んだことがなかった。今年の初めごろに何かの書評で取り上げられていたのを見て読んでみた。一読、さっぱり分からない。というより、初めはスパイ小説風だが、途中からはスパイたる著者の恋物語風の物語に変わってしまっている。読み終えた時点では、スパイが国家の機密を追う通常のスリルとサスペンスに満ちた物語としては、生煮えのものだとの印象が残った。副題に「英国情報部員のファイル」とあるが、いわゆる「スパイ小説」ではなく「スパイの小説」ではないか、とひとり毒づいたものだった。しかし、文化の日を前に、「読書録」に取り上げるべく、あらためて読み直してみると、面白い味わいが見えてきた▼人とひととの会話の妙のようなものについてのモームのこだわりが面白い。「アマチュアは、一度始めたジョークをいつまでも繰り返したがる。冗談と冗談を言う人との関係は、蜜蜂と花の関係のように、手際よく付かず離れずでなくてはいけないのに」ー確かに。大人の品ある会話たるもの、冗談を言ったら、さっと離れていく技が求められる。尤も、そんな会話をする機会にはとんと出くわさないが。で、著者は社交的会話術をするにあたっての秘訣めいたものを明かす。「聞いた話を書き留めておくための小さなノートを用意して」、「晩餐会に行くときなど、話題に困らないように予めその中の話を五つ六つ見ておくことにして」いるというのだ。おまけに、「世間一般で話せる場合はG(generalを表す)のマークが、男性向けのきわどい話の場合はM(menを表す)のマークが付けてある」といったことまで登場人物に語らせていて興味深い▼また、食後のテーブルスピーチの名手が、「演説に関する名著と言われるものはすべて読んで」おり、「どうしたら聞き手とよい関係になれるか」、「相手の琴線に触れるような重々しい言葉をどこで挟むか」や「一つ二つ適切な挿話を入れることで、いかにして聞き手の注意を喚起するか」などについて熟知していたことも明かしている。こういった会話の進め方だけではない。お酒をめぐる洒落たやりとりもさりげなく触れている。「夕食前はシェリーと決めている」という人に、ドライ・マティニーを勧める場合、「ドライ・マティニーを飲める時にシェリーを飲むのでは、オリエント急行で旅ができるのに、乗合馬車でいくようなものですから」などといった気の利いた会話が挿入されているのだ▼一度読んだときには、あまり気づかずにいたーそれでも今挙げた箇所は頁上を折っていたーが、改めて読み直すと、妙に惹かれる。また、この本は解説と訳者あとがきがいい。岡田久雄という朝日新聞外報部出身の人があれこれ裏話を紹介している。モームが自らの伝記に波乱に富む内容を書いているくだりが本書には何も書かれていないのは、「ウインストン・チャーチル首相が『アジェンデンもの』を草稿段階で読んで、公務員の公職に関する守秘義務違反を構成しうる、と警告、それでモームは一部を破棄せざるをえなかったとも言われる」からだ、と。なるほど、それで合点がいった。この本がスパイ小説としては、イマイチのわけが。とはいえ、じっくり読めば味が噛みしめられるのかもしれない。川成洋さん(法政大学名誉教授)が「作家とスパイの二足の草鞋を履いていた」モームのことを『紳士の国のインテリジェンス』なる本に書いていることも、解説で知った。この人とは今から40年ほど前に知り合った。今はどうしておられるか。お会いしたい思いが募るが、まずは本を読んでみよう。(2014・11・2)

Leave a Comment

Filed under 未分類

憂鬱さが増すだけの田原VS西研の哲学対談(64)

田原総一朗ーこの人物のテレビ番組に、私は現役の時に二回ほどでたことがある。その時に一度口喧嘩をした。この人は政治家を怒らせることで番組のトークを面白くさせるとの手法をよく用いるようだが、私の時もそのたぐいで、餌食にされそうになった。こともあろうに放映中に、私に対して「冬柴さん」と、あきらかにわざと呼びかけてみたり、きちっと答えているのに「もっと勉強してきてよ」とか言ったのである。

この自尊心の塊のような私に対して(笑)、である。コマーシャルの時間になって、「あんた!いい加減にしろ!」って、つい怒鳴ってしまった。一応、「ごめんなさい」と彼は頭を下げたが後味の悪さは尾を引いた。以後、彼の番組にはぜひ出てほしいと言われるまで、でないとこころに決めたのだが、そのうちこちらが引退してしまったので、当然ながら声はかからないで、今に至っている。

そういう不幸な出会いだったが、彼の書くものや人とのやりとりは面白く読んだり、見たりしていているのだから、私も勝手なものだ。その田原総一朗氏と哲学者の西研さんとの対談『憂鬱になったら、哲学の出番だ!』(幻冬舎)を読んだ。それこそ田原氏の鋭い切り込みは縦横に見られる。しかし、それに対しての答えがあまりぱっとしない。難解な哲学が分かり易く説かれることを期待するむきには羊頭狗肉だ。成果と言えば、田原さんも人の子、西欧哲学は解らんのだということがはっきりしたことか。結局は西洋哲学はただ難しいだけで、一般人には役立たずだということが改めて浮き彫りになった。憂鬱さはますばかりだという他ない。

ただ一か所だけ私としては、非常に興味深いくだりがあった。それは、田原氏が梅原猛さんの書いた『人類哲学序説』に触れたところだ。私はこの本に大変共鳴しているので、それこそ目を凝らして読んだ。西欧哲学の進歩発展主義の破綻を象徴したのが福島原発事故だとして、近代合理主義と決別するとしている梅原氏の主張を紹介。そのうえで、「梅原猛は東洋の思想を見直して、仏教の天台密教の『草木国土悉皆成仏』という考え方に着目したのです。山川や草木にも仏を見るという日本独自の思想で、ここから独自の人類哲学をつくろうとしています」ーデカルト以後の近代哲学が現代世界において、役に立たないことに気づき、新たな船出をしようとする梅原氏の意気や壮としたい、と私は思っている。

ところが、それに対して西研氏は『哲学は、一人ひとりの経験や感度や考えを出し合いながら『これは確かに大切だよね』ということを確かめ合っていく営みです。そういう風にして普遍的なものを取り出そうとすることが大事なので、それを、特定の世界観で代替してはいけないと思います」と答えるにとどまっている。これは、私には西欧哲学の側の敗北宣言に聞こえる。要するに世界的規模での現代人救済に役立たないがゆえに、確かめ合うなどといったぬるいことを言っているのだと思う。

それに対しての田原氏の最後の切り込みは「デカルトやカントらの哲学はヨーロッパ内では受け入れられたけれど、民族を超えて広がらなかったのではないですか」と言うだけ。西研氏の答も「お互いの経験をもとに考えを出し合って、普遍性を求める哲学の復権をめざしたいと思っているのです」と繰り返すのみ。

これって、結局は西研氏は、西欧哲学を超えるものが東洋の哲学にあるということに目を向けようとしないで、西欧哲学の復権にしがみついているだけのように思われてならない。その辺りをもっと田原氏には切り込んでもらいたかった。

Leave a Comment

Filed under 未分類

ボートならぬ「クルマの三人男」のドタバタ旅(62)

神戸市内の中学校を卒業して50年あまりが経つ。そのうち今もなお兵庫県内に住むクラス仲間3人が、もう一人の友が住む熊本に旅をすることになった。車で。わずか3日間だったからその殆どを車中で過ごした。合計で約2000キロ走った。準備を入念にしたり、旅先でトラブルを起こさぬようにと、あれこれ気を配ったりもした。70代寸前の爺さん三人のドタバタ車旅を自ら経験して思い出したのが、ジェローム・K・ジェローム 丸谷才一訳『ボートの三人男』である。つい先頃読み終えていたが、自らのクルマ旅との類似性に気づき、あらためて取り出して再読。ついでに旅先のよすがにと鞄の底に潜ませたしだい▼気鬱にとりつかれた3人の紳士が犬をお供に、テムズ河を旅する話。全編これ愉快で滑稽で珍妙このうえないエピソードの連続。読むものをして抱腹絶倒に至らしめるとくれば、読まずにはおらない。1889年に書かれたというから日本では明治時代の中頃にあたる。120年も前の作品ながら、いまだに世界で愛読されている英国ユーモア小説の古典なのだ。訳者は先頃亡くなってしまったが、際立った文芸評論家であり小説家の丸谷才一さん。そして解説がユーモア作家といっては言い足りないほど深くて重い小説家の井上ひさしさん。この人も先年旅立たれた。この組み合わせの魅力がこのうえない芳醇な香りを漂わせており、大いに楽しませてもらった▼とりわけ井上さんの解説は、見事というほかない。ユーモア小説を書くにあたって要求されるのは、「場面に応じて様々な文体を次々に繰り出す手練」と「それらをもう一つ高い次元で統一しくくっていく作業」だという。その二つの「至難の事業」が「見事に完成を見ている」ケースとして具体的に挙げているところを、今回の二度目の読書作業で辿ってみた。小説冒頭の「病気の総揚げ」から始まって、第四章の「荷造りのドタバタ」、第六章の「美文による風景点描」などなどを経て第十二章の「缶詰との笑劇風格闘」に至るまで、まことに面白い。一回目では味わえなかったコクと深みさえ味わえた思いがする▼井上さんによると「英国人は常に叡智と遅鈍の中間にある」(プリーストリイ)そうだが、「叡知は鋭い機智や洒落を生む。遅鈍は滑稽の原料である」と解説する。加えて、このあと「明治以降のわれら大和民族は奸智に長けている故に、ユーモアからははるかに遠い(からといって別に「悪い」と申しているのではないが」と日本人との比較を忘れない。確かに、と一度は納得するものの、再考すると首をかしげてしまう。昨今の日本人は果たして奸智に長けているのだろうか、と。悪賢いどころか馬鹿がつくほど生真面目で純情なのではないか、と対外関係の中では思わせられることが多い。それでもユーモアから遠いことだけは間違いない。そんなこんなでわれらの「クルマの三人男」のドタバタ旅は無事終わったのだが、残念ながらボート旅ほど面白くはない。ただ、互いの絆は大いに固まったことだけは間違いないので、よしとしよう。(2014・11・9)

Leave a Comment

Filed under 未分類

ドナルド・キーンの案内で辿る日本文学の旅(60)

東京オリンピックから50年。そして今再びの2020年のそれまで、あと6年。思うことは多い。そんな折も折、日経新聞でベラ・チャスラフスカさんのインタビュー記事「東京五輪からの半世紀」を読んだ。彼女は1968年の『プラハの春』へのソ連の介入で、スポーツ界から追放されるという憂き目を見てより20年にも及ぶ弾圧を経験する。ようやく89年のビロード革命で復帰したのも束の間、今度は長男が、離婚をした夫を死に至らしめるという不幸な事件に遭遇し、それを機に心身を病み長い療養生活を送る。ようやく5年ほど前に立ち直ったという。今ではチェコオリンピック協会名誉会長として活躍、東京五輪開催を後押しする。まさに起伏の激しい50年だった。「逆境にも自分を信じて 報われる日は来る」という見出しが心を打つ。彼女は「私の体操、半分は日本生まれ」という。それほど日本との関係は深い。この人を思うにつけ、私は日本びいきの幾人もの外国人を連想する▼なかでも最大の存在はドナルド・キーンさんだ。今年の新春から古典に親しもうと決意した私はあれこれと挑戦してきたが、古典へのよすがとしてのこの人の『日本文学史』読破も、その目標の一つだ。ようやくこのほど、全18巻のうち、9巻目までを読み終えた。まだ道半ばではあるが、近世編3巻分をまとめて取り上げたい。「文学史は、読み物としては一人の執筆者によって書かれたものにとどめをさす」として、小西甚一氏の『日本文藝史』とこのキーン氏のものの二つが圧巻だと言ったのは、大岡信さん(『あなたに語る 日本文学史』前書き)だが、今私は、なるほどなあと深く感じ入っている▼一言で評すれば、実に歯切れがいいのだ。キーン氏は今は帰化して日本人になっているが、元をただせばニューヨーク生まれの米国人。しかし、とっくにいかなる日本人にも引けを取らない堂々たる日本人である。古代・中世編から始まって近世編と読み進めてきたが、ほとほと感心する。かって塩爺こと塩川正十郎さんからドナルド・キーン『明治天皇』がめっぽう面白いと勧められて、かなり難渋したすえに読んだものだが、それよりもはるかに読みやすく面白い▼近世編の第一巻では松尾芭蕉、二巻では近松門左衛門、三巻では狂歌・川柳への論及に目が向く。『奥の細道』での芭蕉の関心は、ひたすら過去に歌人が心を動かされたものであった。「古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ」という彼の言葉は印象深い。また、近松門左衛門では、日本のシェークスピアと目され乍らも「ついにリア王の偉大と格調を備えた人格を創造することは出来なかった」と手厳しい。狂歌については、滑稽の伝統が乏しい日本文学の中で、少ないながらも詩心の分かる人が狂歌師の中にいることを感謝せずにはおられないという表現を用いて、心を砕く。狂歌といえば、「今までは人のことのみ思いしに、おれが死ぬとは、こいつあたまらん」といったものに、今の私などたまらない共感を感じる。定年後の人生に生きがいを感じつつ、一方で先行きの覚束なさに愕然とするものにとって真実の叫びに違いない。(2014・10・29)

Leave a Comment

Filed under 未分類

(18)自然の持つ美しさを見損なった私たち ー中西進さんと

淡路島での瀬戸内海フォーラムのシンポジウムが終わった後、中西進先生に声をかけた。現代日本の忘れものを述べられる際に、伝統的な中国と比較するのではなくて、現代中国と比べなくてはいけませんよね?と。これは先に述べたくだりが、わたし的には該当すると思って訊いてみたのだが、先生は当然です、ときっぱり。続けて、いかに、今の中国が伝統を逸脱して、きわめて問題が多いかを述べられた。尖閣列島を含む空域をかってに自国の防空識別圏に組み入れて恬として恥じない中国は許しがたいと言われた。そうまで言われたら、私は詰める気力を削がれてしまった。重箱の隅をつつく様な粗さがしはすべきでない、と。

日中両国の忘れ物とくると、アメリカの忘れ物にも触れねばならない。二巻に「もろさ」という文章があり、そこでは9.11のテロ事件が明らかにした現代文明3つの弱点として①高層の建物をよしとする思想②すべてを集中させようとする思想③バーチャルなものにリアリティを持たせようとする思想をあげ、低層、分散、本物への回帰を訴えておられる。あの事件が人間主義からの告発であって、文明の衝突ではないと断じて、小気味良い。あの事件では、アメリカ世論は異常な手段で襲われたとの認識でしかなく、オリエントやアジアにおける生命観や思想がいかに理解しがたいものかとの解説ばかりだったことを指摘。現代アメリカの大きな忘れ物が「人間の自然さ」であると強調している。

自然といえば、第二章にあげられた、みず、あめ、かぜ、とり、おおかみ、やま、はなの七つの文章はいずれも珠玉のもので長く記憶にとどめ活用してみたいと思う。「みず」では、日本人は水で体を削った、と。「みそぎ」という言葉は水・削ぎからきて、水・灌ぎでも身・削ぎでもない、という。水に入ったり、滝に打たれることで、俗悪なものを削り落とすわけだ。「あめ」については、さみだれは夏の長雨だとし、さ乱れであり、源氏物語の雨夜の品定めを挙げる。心の平常を乱し、判断を紛らわしくさせるのはさみだれのしわざだ、と。

また、春雨についての解説も心打たれる。春雨とは下から降る雨との表現には驚く。秋のもみじはしぐれによって死んでいく。しぐれの記号は死。美しい紅葉もやがて落葉して生涯を終える。それと同じく人間も時雨の中で命を自然に戻す。こう春夏秋冬を鮮やかに描く。

「かぜ」では、堀辰雄の「風立ちぬ」の冒頭に登場するポールヴァレリーの詩が引用される。風立ちぬいざいきめやもとの文章から、季節は秋と思いがちだが、夏だ、と。生きめやもという表現をめぐっては、堀の翻訳は死のうという意味になっているが、ここは生きなければならないとの原詩からすると、間違いだと。池田弥三郎さんから教えられたと披露。

「とり」については、都会からその声が聞こえなくなったことを嘆いている。自然の命を告げるものとして鳥の声を聴き留めよ、と。「おおかみ」の捉え方はユニークというか、考えさせられる。おおかみとは大神のことで、8世紀頃の日本人はマガミ、真正の神と呼んだ、と。また、クマについても神と捉えたのが古代の日本人だ、と指摘。社団法人「熊森協会」の顧問として熊の今の姿を、森の荒廃の予兆とみている私だけに強い共感を覚える。

「はな」のくだりは、とりわけ私には印象深く読めた。さくらについて、ずっと散り際がいいと思ってきたけれど、違うというのには驚いた。つまり、さくらが散る姿は、潔く死ぬ姿と重ね合わせるのが日本人の常識なのだが、さくらは死なないのだ、と。しおれないからだ、と。人間はいのちを栄えさせるが、やがて老い、命をしなえさせたのち、魂がかれていく。人間にさくらをあてはめてみると、命が栄え,落花はするが、死にはしないというのである。なんだか狐につままれるというか、屁理屈をきかされた  感がせぬでもないが、さくらについての新たな見方を教えられ慄然とする。

 

 

Leave a Comment

Filed under 未分類

【16】言葉の本来の意味に立ちかえる大事さ━━中西進『日本人の忘れもの』

◆直接訊いた「お勧めの本」

 ロシア・ソチ冬季五輪の日本人選手の活躍に一喜一憂しているさなか、インドネシア・バリ島の日本人女性ダイバー7人の安否が気遣われた。五輪の話題についかき消されてしまいそうな事故だった。2014年のことだ。事故発生後4日目に20キロも漂流していたところを5人は救出されたのだが、残る2人のうち1人は遺体で発見。これを聞いた際に、少し前に読み終えた中西進さんの『日本人の忘れもの』を思い起こした。

 中西さんは20年余り前に当時25歳だった娘さんを初秋の伊東の海で亡くしている。スキューバダイビング中だった。その折のことを『日本人の忘れもの』第一巻「おそれ」という文章に哀切をこめ、怒りを滲ませながら書いている。「自然へのおそれを忘れた現代人の遊び感覚」との副題をつけて。 最愛の娘を亡くすという絶望的な心情を抱えながら、山や海という自然へのおそれ、つつしみを持つべきことの大事さを説く。「自然に対するおそれを知らないチャレンジは、麻薬やエイズと同じようにこわい」のだから、山河を尊び、天地に祈りをささげてきた本来の日本人の姿を忘れるな、と。

 実はこの本は、数年前に初めてご本人にお会いした時に「ご著作のうちで、一番お薦めの本は何でしょうか」との私の問いに、挙げて頂いたものである。万葉集に関するものではなかったので、意表を突かれた思いがした。慌てて書棚から引っ張り出して、あらためて読むことにした。丹念に読み進めると、深い味わいのある本だということに気づいた。まことに早合点は怖い。これは見事な「日本論」である。そして素晴らしい日本を忘れた「現代日本人論」にもなっている。ご本人は、『徒然草』の吉田兼好や『枕草子』の清少納言を日本の名随筆、随筆家として褒め称えておられるが、両人のものに決してひけを取らない抜群の随筆集だと太鼓判を押したい。雑誌「ウエッジ」で連載されたものだが、一つひとつが心に染み入る。忘れないように、座右の銘にすべく心に残った箇所をアイパッドミニに書き残した。私としては初めての試みだった。

◆補完的関係にある「生と死」

 たとえば、「おやこ」では、家族における様々な問題には、〝子ども大人の氾濫〟という原因があるとされとても興味深い。戦前の日本では、両親の役割分担がなされていた。父は子に道理を示し、母は子に滋をつくせとの孔子の教えが生きていた。この関係を胸と背中に言い換え、母は子を胸に抱きかかえ、父は子に背中を向けよ、と教えたのである。また、言葉の本来の意味に立ち返るべし、との着眼はあらためて感じ入る。そもそも『義』という文字は『羊』と『我』からできている。羊は中国で最高の価値あるもので、義のある人間はもっとも価値ある『我』である。『義』に『言』をつけたものが『議』だから、会議とは会合してことばによって自分をつくることだ」という風に、字源にさかのぼって指摘してくれているのだ。「会議」が持つこうした意味には気付かなかった。無意識にやり過ごしている字義の奥深さに今更ながら感心する。

 「戦後の民主主義が儒教なんて古いときめてかかり、いっきょに親の立脚点をさらってしまった結果、父にしろ母にしろ、親子関係がうまくいかなくなった」との指摘は、戦後民主主義の申し子としての団塊世代は耳が痛かろう。今まで、様々な場面でこんな状況が続くと日本はダメになると思い、口にもしながらただ漫然と流されてきたすべての人々がこの本での中西さんの指摘を前に、頭をたれてしまうに違いない。「いのち」では、「生きることと死ぬことをめぐる今日の考えかたは、むかしの考えとよほど違ってる」として、肉体のおわりを生命のおわりと捉えてしまう昨今の風潮を嘆く。「生と死の正しい関係は補完的でおたがいに領域を侵しあっている」と述べ、生死の基本を真正面から説く。そんな中で気になるくだりに出くわした。

 「なぜ現代人は肉体にこだわって肉体の消滅ばかりを気にするのか。肉体の若さを賛美し若さを価値とする社会──現代日本社会はもっともその傾向が強いのだが、そんな社会は未熟な社会であり、中国のように老人を尊重する社会は成熟した文化をもつ」──ここは、ややもすれば、現代中国を敵視しがちな昨今の風潮の日本にあって、見落とされがちな視点だと思われる。

【他生のご縁 京都での映画講演を楽しみに】

 中西進先生と私は、コロナ禍の前に、ある一般社団法人の代表と専務理事として、ご一緒に名を連ねていたことがあります。当時、京都市の右京区図書館に名誉館長をしておられた先生をときどき訪ねました。先生が担当されていた映画講評会を聴くために、打合せの日を調整したのです。参加者と共に映画を観たあとのことでしたが、まさに珠玉のひとときでした。

 令和の名付け親になられたあとも『卒寿の自画像──我が人生の讃歌』を著されました。それを読み、「こんな90歳になってみたい」と思った人は少なくないはずです。私が『新たなる77年の興亡』を出版した直後に総合雑誌『潮』2023年11月号の波音欄に取り上げて頂いたことには、感激しました。

Leave a Comment

Filed under 未分類

(13)血と非情で得た代価の輝きの謎

万葉集をめぐっても古事記の場合と同様に歴史研究を専門とする学者に激しく挑んでいる人たちがいます。その代表が元TBSの記者で作家の井沢元彦氏です。彼の『逆説の日本史』は超ロングセラーで、単行本で20巻が既刊されており、今も週刊誌で連載中です。独自の切り口で日本史を一刀両断する手法はまことに鮮やかで私も一時はとりこになりました(尤も、明治維新前夜を語りだしてからはいささか煩雑さが目立ち、切れ味が鈍いように思われ、興味が失せてきています)。第三巻「古代言霊編」あたりは、彼の持論展開に拍車がかかっており、冴えわたっています。一言でいえば、万葉集は「犯罪者たちの私家版」だったというのが彼の結論です。怨霊を恐れた桓武天皇が鎮魂のために、犯罪者の名誉を回復し、後々に万葉集はもてはやされるように至ったというのがその見立てなのです。

「日本の歴史は怨霊の歴史である」というのが彼の主張で、その典型的実例が万葉集を通じて見て取れるというわけです。大津皇子を始め、長屋王、有間皇子といった人たちは持統天皇によって無実の罪を着せられ、処刑されたのが史実です。そういった人々の歌が同じく反逆者の大伴家持の手で編纂されたのが万葉集だ、と。

こうした主張はしかし事新しいことではありません。井沢氏本人も、自分は柳田国男、折口信夫、梅原猛氏ら先達の跡づけをしているに過ぎないと言っています。こうした先達たちはみな、学者ではあっても歴史学者ではないというところに彼の言い分の特徴があります。つまり歴史学者は日本の歴史の真実を読み取る力がないといいたいのでしょう。

ただ、歴史学者の書いたものよりも、前述した学者や週刊誌ジャーナリズムの寵児の方が、一般人の目につきやすいと言えます。今では「政治の敗者はアンソロジー(詞華集)に生きる」(大岡信)というのが定説であり、常識になってると思われます。つまり歴史学者の方が弱い立場にあるように私には見えます。

井沢氏に加えて、この議論を押し立てている人をもう一人挙げるとすると、関裕二氏でしょう。『なぜ「万葉集」は古代史の真相を封印したのか』とか『日本古代史 謎と真説』『奈良・古代史 ミステリー紀行』などの本を書いて、いわゆる歴史愛好家に人気の作家です。かつて、古代史に造詣の深い友人に「入門書をあげるとすれば、誰のものがいい?」と水をむけたことがありますが、この人の名があがりました。こういう人たちの仕事のおかげで、日本の歴史や文学が庶民の手に渡った側面があると言えましょう。(ところで、関裕二氏は巻末に参考文献をあげていますが、その中に井沢氏のものが見当たりません。影響を受けてるはずと思われるだけに、少々違和感があります。あえて読まないのかどうか。こっちの方もミステリーです)。

こうした謎追いもいいのですが、静かに万葉集の良さを味わうことも勿論大切なことです。実は先週のことですが、堺市博物館に万葉学の泰斗である中西進先生をたずねました。来月に淡路島で行われる予定のあるフォーラムの講師にお招きすると聞き、その主催者との打合せに同席させていただいたのです。義母が姫路での同先生の文学講座の受講生とのご縁もあって、同先生のことは、かねて注目していました。私自身も数年前に一度だけパーティの場でご紹介され、名刺を交換したことがあるのですが、驚いたことにその時の会話を覚えていただいておりました。「『西播磨の豪族・赤松氏の末裔にあたられるのですか』との問いかけをしましたよね」、と。静かなたたずまいのなかに凛とした面持ちを湛えられた素晴らしいお方でした。これまで数多の学者や文化人と称される皆さんとご挨拶を交わしてきましたが、この人は飛び切り優しい魅力を持たれた方でした。

「一冊だけ先生のご著作から私に勧めて頂くものをあげて頂けますか」とお尋ねすると、一瞬考える風をされた後に、『日本人の忘れもの』でしょうね、との答えが返ってきました。この本は先年に新幹線を待つ新大阪駅の書店で買い求めながら、読むのを忘れていたものです。改めて今それに挑戦していることは言うまでもありません。

『古代史で楽しむ万葉集』とのタイトルで中西先生の手になる文庫本があります。その中で先生がこうした謎解きの対象になっている万葉集の時代をどう見ておられるのかを探してみました。

「大化以後はまことに古代史における一大転換の時であった。それなりに新時代の誕生は輝かしくはあったけれども、一面それは血と非情を代価として得た輝きであった。その非情の歴史の中から、まず最初の万葉歌が生まれて来る。非情の中に非情たり得ないのが人間だからである。この人間にささえられて、万葉歌は芽ばえた」とありました。見事な言い回しに思わずうなりました。血と非情を代価として得た輝きの中に思いっきり身を投じてみたいと、あらためて思います。

Leave a Comment

Filed under 未分類