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退屈さを忘れさせる若きチェーホフの話(70)

自分が好きな書き手がその本の中で推奨しているものにはすぐに触手が動くものだ。先に古田博司さん(筑波大教授)の『ヨーロッパ思想を読み解く』を読んでいると、あれこれと本やら学者、評論家への誘いや注文がでてきた。なかでもチェーホフの『退屈な話』についてのくだりに惹かれた。「学者にも知性や理性の欠けた人がいる。勉強と研究で悟性だけを集中的に鍛えるからだ」として、悟性を働かせ過ぎると、概念に頼り過ぎるようになり、時代の変化とともに、現実的な妥当性を概念が失うと、そうした学者の権威は急速に失墜すると古田さんはいう。このチェーホフの本では「晩年にこの事実に気づいた老教授の悲しむべき述懐が象徴的に描かれている」、と。チェーホフとはあまり馴染んでこなかったが、選挙戦のさなかの移動時に読み進めた▼『退屈な話』の翻訳をした松下裕さんは、(きわめて読みやすく分かりやすいので、私はかなりの名訳だと思うが)「解説」で興味深いことを述べている。チェーホフが「死を目前に控えて生涯『共通の理念』を持とうとしなかったことを自覚した人間として主人公を描いた」うえで、「家庭からの疎外感と、学問的名声が人生のどんづまりに来てなんの役にも立たない惨めさとが、その生き方に対する応報だった」と。また、「老教授が次第に陥る人びととの『共通理念』の喪失こそが実生活上の無能力を生み、社会の停滞の原因となる、とその人間的堕落を警告している」とも指摘する。ここでチェーホフがいう「共通の理念」とは、「他者と『共生』して行こうとする意志」をさし、それを持つためには、「他者の生き方に対する生き生きとした関心が必要」なのではないかと松下さんは説く▼ここらの松下さんの読み方には、いささか違和感を感じる。私の耳にはまた違ったチェーホフの声が響く。「自分自身を突きつめたいという気持にも、あらゆるものについて自分の作り上げているすべての思想、感情、観念にも、それらをみな一つに結びつける何か共通したものがないのだ」というチェーホフは、さらに「どんなに敏腕の分析家でも、いわゆる共通理念、あるいは生身の人間の神を見いだすことはできないだろう」と述べている。ここでいう「共通の理念」とは、松下さんの言われるようなものではなく、私には、世界を解釈する上での適切な哲学思想を指すものだと思われる。それは古田さんのいう、時代進展のなかで現実的妥当性を欠いてしまう概念に依拠する科学ではない。そうした人びとに共通の哲理のようなものを持たないと、必ず人はその生の最終局面で途方もない行き詰まりを感じるはずだと信じる。私には、『退屈な話』の主人公が単なる科学信仰に生きて、晩年になり、その信じてきた科学が何の役にも立たぬ時代遅れのものと知って、茫然示寂としている姿がきわめてリアルに分かる。かつて若き日にそうならないように「共通の理念」「生身の人間の神」としての日蓮仏法を選択したという自覚があるからだ▼それにしてもチェーホフが『退屈な話』を書いたのが29歳だったというのには驚く。1860年に生まれ1904年に死んだ。これは、日本でいえば、明治時代とほぼ重なる。中国でいうと、この本が書かれた頃は清朝末期で、いわゆる洋務運動華やかな頃だ。ヨーロッパ近代文明の科学技術を導入しようと躍起になっていた頃だ。チェーホフは、『退屈な話』の中で、「科学は人類に何をもたらしたのか。学のあるヨーロッパ人とさっぱり科学を持たない中国人の違いといったって知れたもので」と同僚の文献学者に問いかけさせ、「中国人たちは科学を知らなかったが、だからといって彼らは何かを失ったでしょうかね」と続けている。そしてこれに「わたし」が「蠅だって科学を知らないがね」とまぜっかえす。このあたりに若さを感じると言えば、飛躍だろうか。日本も中国と五十歩百歩だったわけだから、笑えぬチェーホフの東洋認識ではある。古田博司さんの作品にはかつて学生時代に永井陽之助先生の謦咳に接した私の若き日を思い起こさせる。いや、哲学への造詣の深さからするともっと上かもしれないなどと、勝手な思索の水滴は弾む。(2014・12・17)

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中韓両国のこれからの結末を予測する(69)

長い間国会に席を置き、外交防衛の議論に参加してきたものとして、引退後も当然ながら国際政治の動向は気になる。しかもかねて交友を重ねてきたひとの手になる分析ならなおさらだ。外務省出身者で物書きに転身した人には岡崎久彦氏から始まって東郷和彦氏や佐藤優氏にいたるまで知人は少なからずいるが、今回取り上げる宮家邦彦氏にはとりわけ思い出が多い。初めて議員会館で彼と会ったころというと、1998年頃で私が当選して5年後くらい、確か彼は中近東第一課長だったはず。話の合間にフセイン・イラク大統領の似顔絵入りの腕時計を見せられたのは印象的だった。直接本人から貰った、と。そう、彼はアラビストだったのだ▼その後彼は、日米安全保障条約課長や中国大使館公使などを経て、イラク大使館公使やら中東アフリカ局参事官などを歴任し、05年に家業を継ぐとの理由で外務省を退職する。09年からはキャノングローバル戦略研究所に務めるかたわら、テレビや新聞雑誌で評論活動を精力的に展開してきている。彼が現役の役人だった頃に、幾つかの外交・防衛に関する論文や、中国から帰国した際には書き溜めたメモ風の中国論を見せてもらったこともある。きっと将来は本にして公開するのだろうと密かに思っていた。だから稼業を継ぐために外務省を辞めると聞いても俄かには信じられず、きっと遠からず物書きになるのだろうと、疑わなかった。その彼がまさに満を持して出版したのが『語られざる中国の結末』と『哀しき半島国家韓国の結末』の2冊だ。すでに様々の書評に取り上げられ、高い評価を得ている。選挙戦のさなか、電車やクルマであちこちと移動したりする車中や早朝の自宅書斎で読み終えた。総選挙も最終盤なので未読の方は選挙後にじっくりと味わってほしい▼なんといっても宮家氏のこの2冊の特徴は詳細な中国大陸と朝鮮半島の未来予想図であり、あらゆる可能性を予測したシュミレーションを表にしたうえで、事細かに論じていることである。中国については米国との衝突後の行方、結末として7つの理論的可能性をシナリオ化している。また、朝鮮半島をめぐっては、中華地域の動向をにらみつつ、8つのシナリオに加え、それぞれ3つのサブシナリオを提示しているから、合計24パターンに及ぶ。しかも従来のこうした分析では欠落していた満州地域など中華周辺の歴史をしっかりと見据えている。であるがゆえに、この地域に関心を持っていた向きには、まさに痒いところに手が届く感じがする。かくいう私も、めくるめく思いで頁をめくった。だが、この地域への関心がいまいちの向きには恐らく煩雑かつ難しく、読みずらいかもしれない▼で、宮家さんが指摘するそれぞれの結末だが、意外にというか、常識的に見える。中国については、出すべき答えは日本がすでに過去150年間での試行錯誤の末に出しているものとして挙げていることからもその穏当さがわかろう。また朝鮮半島については、「統一・強大化する中華政府が,北朝鮮という緩衝地帯を維持するために、たとえ金一族を取り除いてでも『朝鮮民主主義共和国』という枠組みを守ろうとする」というシナリオが最も蓋然性が高いとしている。また、韓国の持つ原則が「冷戦時代にのみ機能する『日米韓連携』ではなく、伝統的な対中華『冊封関係』となった可能性がある」としているくだりが注目される。自制を利かせた書き方だけに見落しそうになったが、印象深く迫ってくる▼『韓国の結末』本の「おわりに」で宮家さんは筑波大の古田博司教授との不思議な縁を語っていて少々驚いた。私と古田教授との関係も改めて触れるまでもなく深いからだ。さっそくに宮家評をメールで訊いてみた。直ちに、「彼はほんものです。なかなか的確だ」といった意味あいの褒め言葉が返ってきた。誰に対しても歯に衣着せぬ厳しい見方をする彼にしては破格の高評価だった。岡崎久彦氏が逝ってしまった今、その穴を埋めそうな大物論客の登場に拍手したい。次作は、恐らくかんぐるに、彼が二度にわたって赴任した国・イラクがターゲットだろう。多分そのタイトルは『文明の交差点で喘ぐ イラクの結末』であろうかと私には思われる。(2014・12・13)

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(68)「武力使わぬ集団的自衛権の行使」にまったく賛成━━伊勢崎賢治『日本人は人を殺しに行くのか』

 2014年の流行語大賞に選ばれたのは、「ダメよダメダメ!」と並んで「集団的自衛権」だった。6期20年にわたって国会議員を務めてきて、主に外交安全保障の分野で仕事をしてきた私としては感慨無量ではある。このテーマに肯定的な学者も否定的な論客も、それぞれ一定の付き合いがある。なかでも国際紛争の現場を熟知している伊勢崎賢治さんとは個人的にも親しい。この人、東京外国語大学大学院教授にして紛争屋の異名を持つ。国際NGOでスラムの住民運動を組織した後、アフリカで開発援助に携わったかと思うと、国連PKO の上級幹部として東ティモール,シエラレオネの、日本政府特別代表としてアフガニスタンの武装解除を指揮した。こう書くといかにもコワそうで偉そうな人を連想しがちだがいたって優しい、とても庶民的な人だ

 その伊勢崎さんの『日本人は人を殺しに行くのかー 戦場からの集団的自衛権入門』を読んだ。これまでもこの人の本はあれこれと読んできており、いつも新鮮な息吹を感じる。しかし、これは、集団的自衛権を論じてはいるが、安倍元総理の発信に目がとらわれ過ぎており、公明党の主張によって大きく変わった最終的姿を正確にはとらえていないように、わたしには思われる。まあ、「おいおい伊勢崎先生。それはないよ」ってところだ。この本の中に、自公協議における公明党の主張と頑張りが一切でてこないのだから。同じ出版社が扱った佐藤優氏の『創価学会と平和主義』と読み比べると彼我の差がよくわかるから面白い。

 本の帯に「全部ウソです。だまされるな」と言って挙げてるテーマは4つ。①集団的自衛権の行使を容認しないと、アメリカは日本を助けてくれない➁そのうち、中国、北朝鮮、韓国が日本に戦争を仕掛けてくる➂国連PKOへの自衛隊の派遣は世界の役に立っている④イラク戦争で自衛隊に戦死者はでていない。これを公明党的に言わせると、①はその通り、ウソだと思う。集団的自衛権の行使容認に関わらず、両国の関係は不変だろう。感情は別にして。➁は、突発的、暴発的挑発はゼロとしないのではないかと考えるが、おおむね同調する。➂は同意できない。ウソだと言っては、自衛隊員があまりに気の毒だ。④は帰国後の隊員の自殺が少なくないことをさしているのだが、現地では戦死者は出ていないことは事実だ。

●参考にしたい「ソフトボーダー」論

 この本で大きく評価し、私が賛同するのは、「安倍内閣が打ち出した『集団的自衛権の15事例』」がほとんどその必要性を感じさせないものであることを克明に論じている第四章だ。著者ならずとも、「集団的自衛権の行使容認をすべき理由になるものが一つも含まれていない、というのは驚きだった」のである。それを実際の交渉で明らかにしていったのが公明党だった。結果として、従来あいまいであった個別的自衛権と集団的自衛権との線引きを明確にしたのである。であるから、公明党としては、安保法制で集団的自衛権の行使を容認したものとは認識していないのだ。この辺りを伊勢崎さんには立ち至って解説してほしかった。

 しかし、我田引水的にわが身を褒めるだけでは能がない。「行動する平和主義」を自認する公明党としては、単なる軍事的な抑止力に頼るのだけではなく、平和構築に向けての積極的な交渉を重視している。その意味で実際に国際紛争の現場で「敵」とのせめぎあいをしてきた人の「ソフトボーダー」という考え方についての具体的提案は重い意味を持つ。これは具体的に「柔らかな国境」を作る努力をさすのだが、北方領土、尖閣,竹島の領土問題を考えるうえで、大いに参考にしたい。

 併せて伊勢崎さんのCOIN(Counter-Insurgency=対テロ戦マニュアル)についての考察は鋭い。本来、COIN はウイニング・ザ・ウオー(敵を軍事的にやっつける)ではなく、ウイニング・ザ・ピープル(人心掌握戦に勝つ)であると強調する伊勢崎さんは、「ジャパンCOIN 」の活用を呼び掛けている。つまりは、日本らしさで世界に”参戦”しようというのである。「アメリカが試行錯誤し続けるCOINの戦略の中で、日本が行うべきことは『武力を使わない集団的自衛権の行使』である」という指摘には全く同意する。ここまで読み進めてきて、やはりこの人は公明党の真のブレーンになって欲しい人だと心底から思う。

【他生のご縁 ウクライナだけでなくアフガンにも関心をとの呼びかけ】

 伊勢崎さんと公明党の距離は今、いささか遠くなったように思えるのは残念なことです。恐らく、「安保法制」前後の公明党の動向が原因でしょう。一方、ウクライナ戦争を巡って様々な論者がテレビに登場しますが、この人の解説は一味も二味も違って、聞き応えがあります。

 ウクライナやパレスチナだけではなく、アフガンにも関心を持って欲しいとの呼びかけは、私の胸の中に深く刺さりました。

 

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ヒッキーが分かってから教育を論じよう(67)

ヒッキーっていう言葉を初めて聞いた。引きこもり状態にあるこどものことを指すそうだ。ひとはそれぞれ自分のこども時代に引き当てて今のこどもをめぐる状況を考えがちだが、果たしてそれでいいのかどうか。自分のこどもの頃には殆どいなかったヒッキーが今なぜ多いのか。引きこもりの子の悩みや親の苦しみから始まって、現代の中学校教育の現場やそれを取り巻く世相など様々な課題をてんこ盛りにしつつ、ぐいぐいと読ませる謎ときに充ちた本に出会った。久方ぶりに寝る時間も惜しんで引き込まれ、全6巻を一気に読んでしまったのである。宮部みゆき『ソロモンの偽証』だ▼総選挙で忙しい折になぜこんな推理小説にはまってしまったのか。勧めたのはまたしても笑医の高柳和江女史である。先日、『ローマ亡き後の地中海世界』4巻は、「斜め読みしたらいいのよ」って確かに彼女が私に言ったので、それを正直にユーモアを込めてこの読書録ブログに書いた。で、それを読んだ彼女は途端にご機嫌の方が斜めに。「聞きかじりを書かないで。これはフライングよ」と。斜め読みをしては、塩野七生さんに申し訳ないということなのだろうか。朝早くに抗議のメールが届き、末尾で「なにか反論ある?」ときた。実際はお腹が減っていたのだが、「グーの音もでない」と、反論はあったが無駄な抵抗はせずに、白旗を掲げることにした▼そんなやり取りの中で、今彼女が憑りつかれてる小説がこの宮部さんのものだと分かった。冒頭の謎めいた電話ボックスのシーンが秀逸だ。映画でも小説でも、いきなり事件の核心に踏み込むような描き方が好ましい。あれこれご託を並べずに、一気に読者を巻き込んでしまう。なぜにここまで惹きつけられたかと、読み終えて考えた。それはこの小説がバブル崩壊の始まりとも言われる1990年冬に舞台設定をしていることと無縁ではない。日本人の多くが流行り風邪に冒されたようなあのバブル熱。誰もかれもが儲け話に浮かれていた。そんな折に14歳の中学生たちが、友人の謎めいた死にまつわる経緯を解き明かそうとする。ついには夏休みに学校で法廷を開くという浮世離れした設定へと進む▼そんななかで、こどもや親の立場からの今の日本のあらゆる問題に取り組む姿が浮き彫りにされてくる。中高生向けの推理児童小説の域をでないように見えていて、その実、切り口は大人たちの世界の在り様に鋭く迫る。とことんこどもの世界に浸りきって、現代社会を見つめているために、その視点は当然ながらこどもの目線だ。この辺り、通常の大人の視点からの世界に慣れ親しんでいるものからすれば、食い足りないものを感じるかもしれない。もしもそんな感じがしたら、頁をめくる速度を落として、子育て時代の自分を振り返ってみることが大事だろう。主要な登場人物たちの「生と死」や「家族と自分」、「友情」など古くからのテーマを考え乍ら、池田晶子の『14歳からの哲学』のことを思い出した。14歳という年齢は、人がものを考えるスタート台なのに違いない。あと10年経つと初孫がその歳になる。さて、それまでにどうするか。(2014・12・3)

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(66)日本史の謎ときから国土保全政策を探る 竹村公太郎

 格言に「仏の顔も三度まで」とか、「居候、三杯目にはそっとだし」などとある。これは何事も、二回目まではいいが、三回目となると違ってくるということを意味していよう。ただ、本の世界では通常三部作などと言われて三点セットに意味のあることが多い。竹村公太郎さんも『日本史の謎は「地形」で解ける』シリーズの三作目として「環境・民族編」を出し10年ほどが経つが、このほど改めて読み直した。前作「文明・文化編」や前々作に劣らず面白い。この人の着想ほどユニークなものはなく、様々な座談で活用すると受けること間違いない。この本のなかでも、クルマ文明をなぜ日本は進化させられなかったのかという問題提起は斬新である。つまり牛車や馬車が発達せずに衰退したのは、日本人が「馬や牛を去勢し、徹底してコントロールできなかった。だから車などとしては使いにくかった」ことに原因がある(動物に優しかったということ)というのだ。やがて江戸時代には大八車や籠担ぎが隆盛を誇り、それは明治初めの人力車へと続く。つまり人から動物へではなく、むしろ逆行していった。この辺りを牛が暴れる絵巻の秘密を通じて明らかにしており、魅了される▼また、選挙のたびに掲げられる各党の政策の大きな焦点は安全安心の街づくりであり、治山治水にある。この観点からは元河川局長にして文明の謎に通暁した竹村さんの主張は大いに参考になる。例えば、第7章「なぜ勝海舟は治水と堤防で明治新政府に怒ったか」は極めて示唆に富む。「富国強兵のための税収欲しさに、治水の原則とは逆の、洪水の水位を上げる方向へ突き進んだ」という明治政府。他山の石にせねばならないと思われる▼一方、『土地の文明』では、「忠臣蔵」が徳川幕府による復讐劇だったとしている点が興味を惹く。徳川家と吉良家は矢作川を巡って数々の確執があったのだが、家康が天下をとってからは、吉良家に世話にならざるを得ない事情が起こった。「高家」として大事な扱いを余儀なくされたのだ。つまり、徳川家にとって、吉良家はトラブルの元凶でありながらも粗末にできない、という特殊な関係にあった。あわよくば吉良を潰したいとの思いを持ちながら、果たせないという状況が長く続いていた。それを果たすチャンスが、浅野内匠頭の失敗がきっかけとなって遂に巡ってきたとの捉え方である。他に、江戸城の正門と見られる半蔵門そばの、麹町に赤穂浪士がまとまって潜伏していた理由や、吉良邸が討ち入りされやすい場所に移転させられたことなど知られざる事実を次々と暴いていく▼このほか、日本中の多くの土地が持つ謎を解き明かしてくれる。頼朝が鎌倉という狭い土地に幕府を開いた真のわけとか、日本における最後の狩猟民族は、中国地方の毛利家だったとか、知的刺激を幾重にも掻き立ててくれる話が満載されている。尤も、細かい点では、納得し難いことにも出くわす。例えば、大阪の道が狭いために皮膚感覚の街として研ぎ澄まされたという一方、名古屋は街路幅が大きいという対極にある街だとの指摘など兵庫県人から見ると、対極というよりも同種の変な街に見える。さらに、全国の中枢都市は、皆一級河川と呼ばれる大きな河川流域の恩恵で発展した一方、大きな河川がないのに発展したのが福岡市のみという。福岡は確かにそうだが、神戸市も大きい川はないではないか、と首をかしげてしまう。いずれも直ちに納得できないがゆえに、あれこれと思いを巡らせることになり、果てしなく考えが広がっていくのかもしれない。

●他生のご縁 同年生まれの文明評論家は元河川局長

竹村さんとの出会いは2001年に遡ります。衆議院国土交通委員長に就任した私は、国交省の各部門の局長の皆さんから、所轄分野のレクチャーを受けました。その時の河川局長が竹村さんでした。同じ時に道路局長だったのが、大石久和さんでしたが、彼らは共に、昭和20年生まれの同い年。大いに親近感を感じたものです。

ちょうどその頃、竹村さんは『建設オピニオン』という業界誌に島陶也という筆名で次々と面白いエッセイを公表していました。編集長との雑談の中から、国土にまつわる謎解きを提起していくという手法で、後に本になる原稿のベースを作り出していたのです。省内で密かなブームを引き起こしていたようですから只者ではないお役人だったのです。

 河川局長というポジションにつく人は、昔からユニークな人が多かったという「伝説」があります。私の大先輩市川雄一さんが建設委員長をしていた時の局長は、年賀状にでっかい文字で5字くらいだけ書く〝強者〟だと聞いたことがあります。竹村さんはそういう点ではなく、ひたすら日本文明と国土との関係などの謎解きに取り組んでいたものと見られます。

 国交省を辞めてから一時はある議員の秘書になったと聞きました。退官2年後に博士号を取得されていますから、食い扶持を稼ぎながらひたすら勉強されていたに違いありません。

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(63)ローマ亡き後に海賊が跋扈する世界を斜め読みー塩野七生

 笑医塾の塾長である高柳和江女史(元日本医大准教授)が先日、明石に講演に来られた際にしばし懇談した。今年の前半に、一緒に電子書籍『笑いは命を洗います』を出版して以来だった。その折に彼女が「これって、面白いわよ。私もう読んだからあげる」ってくれたのが、塩野七生『ローマ亡き後の地中海世界 海賊、そして海軍』第二巻だった。気にはなっていたが、未読だった。塩野七生さんといえば、『ローマ人の物語』全15巻だが、これはその続編にあたる。現役の最後のころに厚生労働省の村木厚子さんと懇談したことがある。未だ事務次官に就任される少し前のことだ。あの冤罪をめぐる話をあれこれと聴いていくなかで、彼女が拘留中にこの15巻を全て読み切ったといわれたのが印象に残った。ノートを作りながら、と言われていた。ざっと読むだけで全ては忘却の彼方にある自分との差を思い知らされた▼正直に言って、わたし的には『ローマ人の物語』にしても、この『ローマ亡き後の地中海世界』にしても、そう面白い物語ではない。数千年も前の戦闘の数々を真剣に読む気にはなれなかったし、読み続けるには根気がいる作業だった。それでも文中に時折出てくる警句や教訓めいた言い回しには魅了される。これにはどうも癖になる。今回の4冊でも随所に顔を出してきた。「マキャベリが言ったのかそれともグイッチャルディーニ(ルネッサンス時代のイタリアの歴史家)の書にあったのかは忘れたが、長年にわたって私の頭から離れない一句がある」とくると、獲物を前にした猟師のように、気が漲ってくる。「現実主義者が誤りを犯すのは、相手も自分と同じように考えるだろうから、バカなまねだけはしないにちがいない、と思ったときである」と。さらに、「今日に至るまで人類は、ありとあらゆる政体を考えついてきた。王政。貴族政ともいわれる寡頭政。民主政。そして共産主義体制と。しかし、指導者のいない政体だけは、考え出すことは出来なかった」──これは歴史は個々の人間で変わるものかどうかという考察をめぐって、一昔前のイタリアの経済学者の書の中にあった一句が忘れられない、と前置きして掲げられているといった具合だ▼「人は死んでも石鹸は残るが、率いていた人物が死ねばそれとともに死ぬのが、個人の才能に頼ることで機能していた組織の宿命である」「人間とは、良かれ悪しかれ、現実的なことよりも現実から遠く離れたことのほうに、より胸を熱くするものである」「その気になりさえすれば勝てる、とわかれば、人間は、迎え撃つ体制の強化にも真剣になる」などなど、七生風アフォリズム(格言)とでも言えそうなものがここでも健在だった。それにしても人が死んだら石鹸は残るとは、この人らしい▼ローマ亡きあとに、北アフリカから来襲して地中海世界を席巻したイスラムの海賊の傍若無人ぶり。さらに、トルコが海賊を自国の海軍として吸収していくとの知恵に満ちた展開ぶり。「キリスト教連合艦隊VSオスマントルコ」の血沸き肉躍る(一般的には、だが)戦線の描写。それぞれに味わえるが、わたし的には、映画好きな塩野さんが、黒澤明の名作『七人の侍』を持ち出して、傭兵と侍との違いを述べたくだりが最もぐっときた。「山賊の襲撃にそなえて農民たちを組織し、訓練していくうちに、侍たちの胸中に、忘れていた侍の精神が再び頭をもたげてきた」──傭兵であることを忘れ、侍精神に徹したがゆえに、七人中四人が討ち死にし、残る三人も失業する。それゆえに、「あの映画を観た欧米人の心までとらえた」というのだ▼ところで、高柳女史から別件で、電話がその後かかってきた。その際に「あの本頂いてありがとう。その後一、三、四巻と自分で買って読んでるけど、正直しんどいね。あんたはあれのどこが面白いの?」って訊いてみた。すると、「あら、ああいう本はまじめに読まないのよ。ダーッと斜め読みするのよ。アハハハ」ときた。まったく。笑医の先生にかかると全てが笑いのタネになってしまう。

●他生のご縁 イタリアで憲法改正をめぐる論議

塩野七生さんとの思い出の最大のものは、衆議院欧州憲法事情調査団(故中山太郎団長)の一行とともにイタリア・ローマに行った時に、現地日本大使館で懇談したことです。開口一番、「わざわざ日本から来られた議員の皆さんが、日本人の私に会おうと言われるのは‥」と、皮肉混じりと思えるご挨拶をいただいたのを覚えています。お話の中心は、「憲法改正」についてはもっと垣根を低くすべしとのご主張でしたが、最も印象に残っています。

 私は、その当時、須賀敦子さんにハマっていた頃だったので、別れ際に「日本の男性は塩野さんの『ローマ人の物語』ファンが多いですが、女性は須賀さんが多いですよ」と、挑発的な語りかけをしてみました。塩野さんがどう返してくるか、興味津々でしたが、「そうですね。私も須賀さんに見倣わないといけませんね」と、肩透かし。我ながら、ばかなこと言ったと今なお恥いる思いです。

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スパイ小説らしくない英国情報部員の秘話(61)

私はこれまで随分とスパイ小説は読んできた。しかし、その分野の古典で、著者の実体験に基づいたものとされるサマセット・モーム『アシェンデン』は読んだことがなかった。今年の初めごろに何かの書評で取り上げられていたのを見て読んでみた。一読、さっぱり分からない。というより、初めはスパイ小説風だが、途中からはスパイたる著者の恋物語風の物語に変わってしまっている。読み終えた時点では、スパイが国家の機密を追う通常のスリルとサスペンスに満ちた物語としては、生煮えのものだとの印象が残った。副題に「英国情報部員のファイル」とあるが、いわゆる「スパイ小説」ではなく「スパイの小説」ではないか、とひとり毒づいたものだった。しかし、文化の日を前に、「読書録」に取り上げるべく、あらためて読み直してみると、面白い味わいが見えてきた▼人とひととの会話の妙のようなものについてのモームのこだわりが面白い。「アマチュアは、一度始めたジョークをいつまでも繰り返したがる。冗談と冗談を言う人との関係は、蜜蜂と花の関係のように、手際よく付かず離れずでなくてはいけないのに」ー確かに。大人の品ある会話たるもの、冗談を言ったら、さっと離れていく技が求められる。尤も、そんな会話をする機会にはとんと出くわさないが。で、著者は社交的会話術をするにあたっての秘訣めいたものを明かす。「聞いた話を書き留めておくための小さなノートを用意して」、「晩餐会に行くときなど、話題に困らないように予めその中の話を五つ六つ見ておくことにして」いるというのだ。おまけに、「世間一般で話せる場合はG(generalを表す)のマークが、男性向けのきわどい話の場合はM(menを表す)のマークが付けてある」といったことまで登場人物に語らせていて興味深い▼また、食後のテーブルスピーチの名手が、「演説に関する名著と言われるものはすべて読んで」おり、「どうしたら聞き手とよい関係になれるか」、「相手の琴線に触れるような重々しい言葉をどこで挟むか」や「一つ二つ適切な挿話を入れることで、いかにして聞き手の注意を喚起するか」などについて熟知していたことも明かしている。こういった会話の進め方だけではない。お酒をめぐる洒落たやりとりもさりげなく触れている。「夕食前はシェリーと決めている」という人に、ドライ・マティニーを勧める場合、「ドライ・マティニーを飲める時にシェリーを飲むのでは、オリエント急行で旅ができるのに、乗合馬車でいくようなものですから」などといった気の利いた会話が挿入されているのだ▼一度読んだときには、あまり気づかずにいたーそれでも今挙げた箇所は頁上を折っていたーが、改めて読み直すと、妙に惹かれる。また、この本は解説と訳者あとがきがいい。岡田久雄という朝日新聞外報部出身の人があれこれ裏話を紹介している。モームが自らの伝記に波乱に富む内容を書いているくだりが本書には何も書かれていないのは、「ウインストン・チャーチル首相が『アジェンデンもの』を草稿段階で読んで、公務員の公職に関する守秘義務違反を構成しうる、と警告、それでモームは一部を破棄せざるをえなかったとも言われる」からだ、と。なるほど、それで合点がいった。この本がスパイ小説としては、イマイチのわけが。とはいえ、じっくり読めば味が噛みしめられるのかもしれない。川成洋さん(法政大学名誉教授)が「作家とスパイの二足の草鞋を履いていた」モームのことを『紳士の国のインテリジェンス』なる本に書いていることも、解説で知った。この人とは今から40年ほど前に知り合った。今はどうしておられるか。お会いしたい思いが募るが、まずは本を読んでみよう。(2014・11・2)

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ドナルド・キーンの案内で辿る日本文学の旅(59)

東京オリンピックから50年。そして今再びの2020年のそれまで、あと6年。思うことは多い。そんな折も折、日経新聞でベラ・チャスラフスカさんのインタビュー記事「東京五輪からの半世紀」を読んだ。彼女は1968年の『プラハの春』へのソ連の介入で、スポーツ界から追放されるという憂き目を見てより20年にも及ぶ弾圧を経験する。ようやく89年のビロード革命で復帰したのも束の間、今度は長男が、離婚をした夫を死に至らしめるという不幸な事件に遭遇し、それを機に心身を病み長い療養生活を送る。ようやく5年ほど前に立ち直ったという。今ではチェコオリンピック協会名誉会長として活躍、東京五輪開催を後押しする。まさに起伏の激しい50年だった。「逆境にも自分を信じて 報われる日は来る」という見出しが心を打つ。彼女は「私の体操、半分は日本生まれ」という。それほど日本との関係は深い。この人を思うにつけ、私は日本びいきの幾人もの外国人を連想する▼なかでも最大の存在はドナルド・キーンさんだ。今年の新春から古典に親しもうと決意した私はあれこれと挑戦してきたが、古典へのよすがとしてのこの人の『日本文学史』読破も、その目標の一つだ。ようやくこのほど、全18巻のうち、9巻目までを読み終えた。まだ道半ばではあるが、近世編3巻分をまとめて取り上げたい。「文学史は、読み物としては一人の執筆者によって書かれたものにとどめをさす」として、小西甚一氏の『日本文藝史』とこのキーン氏のものの二つが圧巻だと言ったのは、大岡信さん(『あなたに語る 日本文学史』前書き)だが、今私は、なるほどなあと深く感じ入っている▼一言で評すれば、実に歯切れがいいのだ。キーン氏は今は帰化して日本人になっているが、元をただせばニューヨーク生まれの米国人。しかし、とっくにいかなる日本人にも引けを取らない堂々たる日本人である。古代・中世編から始まって近世編と読み進めてきたが、ほとほと感心する。かって塩爺こと塩川正十郎さんからドナルド・キーン『明治天皇』がめっぽう面白いと勧められて、かなり難渋したすえに読んだものだが、それよりもはるかに読みやすく面白い▼近世編の第一巻では松尾芭蕉、二巻では近松門左衛門、三巻では狂歌・川柳への論及に目が向く。『奥の細道』での芭蕉の関心は、ひたすら過去に歌人が心を動かされたものであった。「古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ」という彼の言葉は印象深い。また、近松門左衛門では、日本のシェークスピアと目され乍らも「ついにリア王の偉大と格調を備えた人格を創造することは出来なかった」と手厳しい。狂歌については、滑稽の伝統が乏しい日本文学の中で、少ないながらも詩心の分かる人が狂歌師の中にいることを感謝せずにはおられないという表現を用いて、心を砕く。狂歌といえば、「今までは人のことのみ思いしに、おれが死ぬとは、こいつあたまらん」といったものに、今の私などたまらない共感を感じる。定年後の人生に生きがいを感じつつ、一方で先行きの覚束なさに愕然とするものにとって真実の叫びに違いない。(2014・10・29)

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心のきしみを察する「聞く耳」を持つこと(58)

哲学という学問分野との付き合いは長い。しかし、未だに私自身、要領をえない。そのくせ気になって、捨てきれない。まったく困ったものだ。世に存在する哲学者が総じて人への理解のさせ方が下手だからだと折り合いをつけて、納得しているというのが現状だ。そんななか気になる哲学者が鷲田清一さんだ。この人、大阪大学総長をされていた頃から注目はしていたが、まともにその著作は読んだことがなかった。昨年の暮れだったかに、ある新聞社恒例の「今年読んだベストスリー」なる企画で、かの山崎正和さん(劇作家にして文明評論家)が、この人のものばかり三冊推奨するという掟破りというか、破格の取り扱いをしていたにもかかわらず、である。しかし、カリスマ臨床心理士たる畏友・志村勝之君と話していて、鷲田さんがいかに凄いかを語るのを聞くに及んで,心は決まった▼『哲学の使い方』なる題名が気にいった。それに新書であることが嬉しい。というわけで、初めての挑戦を試みた。冒頭の「哲学の入口」から、わが”お口に合う”雰囲気が漂ってきた。「哲学をばかにすることこそ真に哲学することである」(パスカル)や、「哲学を学ぶことはできない。ひとはただ哲学することを学びうるのみだ」(カント)などという、一見わかりやすそうな表現が続く。だが、彼はそういう常にわかりやすさを求める私のような読者に忠告する。ひとは「わからないものをわからないままに放置していることに耐えられないから、わかりやすい物語にすぐ飛びつく」のだ、と。「目下のじぶんの関心とはさしあたって接点のないような思考や表現にもふれることが大事だ。じぶんのこれまでの関心にはなかった別の補助線を立てることで、より客観的な価値の遠近法をじぶんのなかに組み込むことが大事だ」とも言う。そんなこと百も承知で、それが出来ずに困ってるのだけど、とのわが内なる声が聞こえてくる▼ところで、鷲田さんは臨床哲学なる分野を開拓した。その展開方法とはこうだ。まず、床に臥している人のところへ出向く医療者のように問題の渦中に出向く,フィールドワークが大事で、そこではまずあれこれ論じる前に「聴く」ことが必要になってくる、と説く。そして、「多義的なものを多義的なままにみるためには、みずからの専門的知見をいつでも棚上げできる用意がなければならない。いってみれば、哲学はある種の武装解除から始まる」と。このあたりは心理学と重なってこよう。今年の前半に私は友人たちとの対談を電子書籍にして出版した。そのうちの一冊、『この世は全て心理戦』(志村勝之君との対談)では、終始一貫して志村臨床心理士が聴くことの大事さを強調していた。聴けば自ずと問題の行く末は見えてくる、と言っていたものだ▼鷲田さんがつい先日神戸新聞の文化欄に『汀(みぎわ)にて』との小論を寄稿していたのを読んだ。「聴く耳をもたない人の言葉の応酬は、ほとんど石の投げ合い、刀剣による斬り合いを見るにひとしい」として、政治における言葉の劣化から説き起こし、大いに興味をそそられた。「聴く耳になりきる」ということは「口ごもりを聴くこと、つまりは言いたくても言葉が出てこない、そんな心のきしみを聴くということ」なのだと、その重要性を明かしていた。「苦しい体験ほど言葉にはしにくい。だから、語るに語れないことを、それでも相手が訥々と語り始めるまで待つということが『聴く』ことの第一の作法となる」のだという。実は、これも志村が同じことを言っていた。私のような、「聴く」ことが苦手で、ましてや相手の心のきしみをまったく察せぬまま、いつも待ちきれないで言葉を乱発するものには耳が痛い。かくのごとく『哲学の使い方』は日常的により関心の高い「心理学の使い方」とも類似の作法のように見え、大いに食指を動かされた次第である。(2014・10・27)

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アジアとどう向き合うか「戦後責任」を問う(57)ー大沼保昭

「慰安婦問題」をめぐる朝日新聞の問題について様々な論評が飛び交ったなかで、最も共感できたのは文藝春秋11月号の大沼保昭元東大教授の論文だ。この人は「アジア女性基金」の理事を12年間にわたって務めてきただけあって、メディアの報道ぶりを熟知している。タイトルは「慰安婦救済を阻んだ日韓メディアの大罪」とあり、肩には「朝日・本田雅和記者との対決」とあるが、決して朝日新聞のみを追及してるのではない。とりわけ、今後の課題として①日本にいる外国人特派員の報道②英字紙ジャパンタイムズの問題をあげ、国際社会でのイメージ形成に着眼していることは興味深い。また、朝日と読売に、共通の公共空間の基盤を持てと提案していることも首肯できる▼大沼さんとはかねて昵懇にさせていただいていることはしばしば書いてきた。ご自宅にも伺い、東大を定年で退職された際の最終講義にも出かけた。そして娘さんの瑞穂さんが参議院選挙に出馬されるにあたり、そこそこ助言もさせていただいた。初産直後の幼子を母親に預けての政治家への転身は、本人はもちろん、家族全員に苦労が多かったことは想像に難くない。何よりも大沼夫人の苦労が思いやられた。その大沼さんから今夏に一冊の本が送られてきた。大沼保昭、田中宏、内海愛子の3氏が加藤陽子東大教授の司会のもとに鼎談をした『戦後責任』である。当時の私の読書リストでの優先順位は高くなく、書棚に放置していたが、文春に触発されて思いを改め、一気に読んだ。様々な思いを巡らせるに格好のテキストと、いま満足感に浸っている▼中国、韓国、北朝鮮など隣国との関係はこれからますます息をつめる関係になっていくことは必至で、すべての前提として「戦後責任」は解決が迫られる課題だ。お互いが身の内から湧き上がる”ナショナリズムの虫”に翻弄されている限り、北東アジアに明日はない。私は電子書籍でこの夏の初めに畏友・小此木政夫慶大名誉教授との対談『隣の芝生はなぜ青く見えないか』を出版したが、その問題意識も大沼さんたちと共有している。中身はともかくとして、タイトルは我々のものの方が人の食指を動かすものと思うがどうだろうか。「戦後責任」は直截すぎるし、若い人には敬遠されかねない▼いままでこのテーマで様々なものを読んできたが、この本は実に分かりやすい。これは参加メンバーの誠実なお人柄のなせるものだろう。この本の交通整理役を自任する加藤さんがあとがきに「才気煥発で喧嘩早い弟を、穏やかだが芯の強い姉(内海)と、穏やかだが危機の局面にめっぽう強い兄(田中)が、温かく見守っているという空気が流れた瞬間」を描いている。弟は「瞬間湯沸かし器」と揶揄される大沼さんを指すが、本当に笑ってしまう場面が登場する。これはみなさん読んでのお楽しみだ。ともあれ若い人に読ませたい。そして、市民運動が何たるかを考える人たちにとっても凄く参考になろう。「当事者の思いを実現させるため、箱根駅伝みたいに、自分に課せられたー神様が課すんでしょうかねー区間というか期間をとにかく走り続けて次の走者にたすきを渡していく。ほとんどは途中で倒れてしまうけど、ごく稀にゴールインできる人もいる」との大沼さんの言葉が胸に迫ってくる。(2014・10・25)

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