(334)面白いようでイマイチ落ちないーS・モームの『コスモポリタンズ』(龍口直太郎訳)を読む

アメリカの大統領がツイッターと称する短文を世界に発信する時代。SNSの世界では、短かきを持って尊しとなす傾向が蔓延っているかに思われる。そんな世相に反抗して、わたしのブログは長い。長いものを書いてないと、落ち着かないというか、自分の思考までが奥行きがなくなるように思ってしまうからだ。だが、今年初の「忙中本あり」は、少し短いものに挑戦しよう。読むものはともかく、こちらが書くものは、とスタートした▼わたしの若い時代にはショートショートと称する短編小説が流行った。国内的には星新一のもの。海外ものではサマセット・モームらが主軸であった。昨年晩秋に読んだある本の中に、モームの『コスモポリタンズ』を推奨されるくだりを発見して、読もうとの気になった。毎夜寝る前に一話ずつ読み進めると、ほぼ一ヶ月で読了(29本)する。睡眠促進剤代わりにと思ったが、中々そうはいかない。要するに最後の落ちがイマイチ落ちず、落ち着かなくなって、逆に考えこんでしまうケースが多いのだ▼最初に小池滋さんの解説から読んだのだが、「社交意識」が一番好きな作品だとあったので、そこをまず開いた。しかし、わたし的には面白くない。「ちゃんと前の方に伏線を仕込んでおいて、最初の2行が見事な落ちになっている」というのだが、しっくりこない。人生とはこんなもの、といった「陳腐な感想」がずしりとした重みで読者に迫ってくる、と仰るのだが、わたしとしては、「物識先生」の方が面白かった。あっと驚く終わり方が。こう来なくちゃと思わせる巧みな捻り方に舌を巻く思いだった▼要するに、人それぞれなのだろうが、全般的にわたし好みの落ちを駆使した短編は少なかった。「読み終わって何時間たっても、いつまでも頭の中にあと味が残るような作品」はそう多くない。そんな中で、興味を唆られたのは「困ったときの友」である。モームは世界を舞台に動く、文字通りのコスモポリタン。そこに我が神戸がしばしば登場する。この掌編では、なんと、わたしの育った塩屋、垂水が顔を出すのだから嬉しい。「それじゃ塩谷クラブをご存じありませんね。わたしは若い時分、そこから出発して信号浮標(ビーコン)をまわり、垂水川の口にあがったもんですよ」と。ここで云う塩谷クラブは、ジェームズ山の外国人クラブを指すものと思われる。塩谷は恐らく訳者の間違いではないか。また、垂水川ではなく、福田川ではないか、と云った思いが浮かんできてしまう。おまけにいくつかの誤植も(65、68頁)、目につき、作品の落ちならぬ、落ち度が気になってしまのはどう云うものか。英国切っての作家と手練れの日本人訳者の粗探しをするようでは、今年のわたしの先行きが危ぶまれる。(2020-1-11)

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(333)「常識」を覆される痛快感ー植木雅俊『今を生きるための仏教百話』を読む

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(332) 4- ⑦〝低度経済停滞時代〟を 大転換する戦略━━井手英策『幸福の増税論』及び姉妹編

◆再起動に駆り立てられる迫力

 国会議員を辞めて早くも10年余が経つ。令和の時代になった頃に、昭和から平成にかけての回顧録をまとめる作業を進め、随時ブログでオープンした。そんな私が現役であった時代は「失われた20年」とのフレーズが定着したように、日本は概ね停滞の時間が続いた。同じ時期に政治家を務めた私としては、心底恥じ入る思いを持つ。

 かつて55年体制を打破すべく立ち上がっていた日々に比べ、なにかが狂ってしまった、としか云いようがない風景が今、日本中に広がっている。なんとかせねばとの思いを抱いた私が、井手英策慶應大教授の『幸福の増税論』と出くわした。公明新聞紙上で発表された論考のなかで紹介されていたのである。直ちに読み、続いて発売されたばかりの姉妹編ともいうべき『いまこそ税と社会保障の話をしよう!』を読み終えた。深い感動を覚えるとともに、なぜこの人の本を今まで読んだことがなかったのだろうか、との疑問が起きてきた。

 それは恐らくこの人がかつて民進党の政策ブレーンだったことと無縁ではないと思われる。私が親しかった歴史家の故松本健一氏や作家の石川好氏らも旧民主党や政府の中枢に身を置いて、アドバイスを繰り返した。それが敢え無く虚しい結果となったことは彼らにとって無念だったろうし、今は無き同党の罪はとても深いように思われる。学問を続けて机上の議論を深めてくると、政治の現場で実地に試してみたいとの誘惑に駆られるものだとは、少なからぬ先達の例を待たずとも分かるところだ。井手さんの場合も同じに違いない。真正リベラルを持って任じる井手さんは、文字通り筋金入りの人である。その生い立ちや人生の軌跡を追うにつけ(結構、頻繁に本の中に出てきて興味深い)、今彼がそうあることが読むものをして納得させる。経済理論の具体的展開とは別に、この人の人生観が私を〝再起動〟に駆り立てて止まない。

◆「ベーシックサービス構想」の提唱

 井手さんら団塊第二世代は、親たちとは真反対の〝低度経済停滞時代〟を生きてきた。その挙句の果てが「世帯収入400万円未満が5割」もいて、「子どもを産むのを控えつつ教育費を削る」しかない社会。今や日本はひとり当たりGDPがかつてOECD諸国中2位だったのが、20位前後という貧しさにある。私を含めた古い世代は、その現実を真正面から認めたがらず、あいも変わらぬ「自己責任」に依拠し、いま〝再びの成長〟を期す傾向が強いように思われる。

 こうしたところから説き起こし、井手さんは「頼りあえる社会」に向けて「再分配革命」を提起し、「貯蓄ゼロでも不安ゼロの社会」への処方箋を示す。その目指す手立てはズバリ消費税増税であり、財政観の根本的転換である。具体的には「医療、介護、教育、子育て、障がい者福祉といった『サービス』について、所得制限をはずしていき、できるだけ多くの人を受益者にする。同時に、できるだけ幅ひろい人たちが税という痛みを分かち合う財政へと転換する」。つまりは「ベーシックサービス」構想の提唱である。

 2冊の井手さんの本を読んで思うところは数多あるが、最も私の心にこたえたのは「いい加減、政官労使が未曾有の危機に向かって協調しあう『連帯共助』のモデルを考えなければいけない時期なのではないでしょうか。この当たり前の方向を示してくれる政党がこの国にはない。揚げ足取りばっかりが目につくようで‥‥」とのくだりだ。自民党政治を外から改革することに限界を感じて、内側からの変革という〝大英断〟に公明党が身を転じて20年余。与党内野党としての必死の戦いが果たしてどこまで所期の目標に到達し得ているか。幾ばくかの成功事例を挙げることに躊躇はしないものの、残念ながら大筋で変えるに至っていない。だからこそ、貧しい日本の現状がある。それって政府自民党のせいだとは言いたくない。公明党こそ彼の目に叶う政党だと言わせたい。

 本の最末尾を、迫り来る「運の良し悪しだけで、多くの不自由を背負い込み、さまざまな可能性が閉ざされてしまう『選択不能社会』」を終わらせるために、「高らかに自由と共存の旗を掲げながら」「新たな文明社会を切り開く」べく、「可能性への闘争をはじめよう。今すぐに」と高揚感漲る表現で結んでいる。一個人としては「社会革命」よりも「人間革命」を優先させる、との自覚のもとに、この60年近く走り続けてきた。その結果が「選択不能社会」とは、無念でならない。今、井手さんの主張に共感と違和感とが混じり合った複雑な思いが沸き起こってきている。

【他生のご縁 『77年の興亡』のリベラルさに驚かれる】

 この論考を書いたあと、井手さんとメールでやりとりが始まりました。公明新聞で井手さんを担当するN記者の誘いによって、先の拙著『77年の興亡』にも目を通していただきました。私の説いた外交・安全保障分野における中道主義の展開に興味を抱いていただいたというのです。

 私の論調のリベラルぶりに驚いた、とも。とても嬉しいことです。彼の政治、政党に対する既成概念を公明党が撃ち破るであろうことに、私は大いに期待しています。

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(331)身体に良いか悪いかの本当のところー『健康問答』『風邪の効用』を読む

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(330)二つの偶然に後押しされて音楽の深みにー恩田陸『蜜蜂と遠雷』を読む

久方ぶりに手応えを感じる小説ー恩田陸『蜜蜂と遠雷』ーを読んだ。その出会いはいささか奇妙なものだった。この本がいかなる賞をとったものか、どんなに話題を呼んだかも、いや著者の性別さえ知らずに、偶々二つの偶然が読む気にさせたのである。一つは、引越しのドタバタの中で、日頃本を読む習慣をあまり持たない妻が、購入したままにしていたこの本をひょんなことから発見したことだった。もう一つは、この本とほぼ舞台や背景などを重ねもった、浜松での国際ピアノコンクールを放映するテレビ番組を観たことである。妻が本を買っていず、テレビもその番組を見る機会を逃していたら、間違いなく読まずにいたに違いない▼この本は、ピアノ・コンテストの第一次予選から本選までの4つのシチュエーションを、4人のコンテスタントを中心に克明に追ったものだ。音楽を文章で表現することの難しさは改めて言うまでもないが、著者は見事にやってのけており(ど素人の私の目にはそう映る)、この世界に無縁なものをしてグッと近づける貴重な価値を持つ。個性豊かな登場人物の描き方が最後まで(最終盤はいささか蛇尾の感がするが)、読むものを惹きつけてやまない。更に、この本に登場する様々な音楽家やその作品の手引書の役を果たしていて、それらの曲を一つ残らずCDででも聴きたくなってしまうのだから不思議だ▼前者の偶然は、衝撃的だった。3歳の時からピアノを弾くことを義務付けられ、その後ずっとその環境にいながら、ほぼ私との出会いを契機にピアノから遠ざかってしまった妻。その彼女が例え束の間でも読もう(買っては見たが呼んだ形跡はない)との気になった(でなければ買わないはず)のだから驚いた。後者の方は、実際に浜松国際ピアノコンクールを密着取材し、中村紘子に師事した青年をしっかりと描いていて観るものを惹きつけて止まず、この本をも読む気にさせた。勿論、小説と現実のピアノコンクールとの違いはあるが、どちらが欠けてもその本質の理解に肉薄は難しかったと思われる▼この二つの偶然の産物に後押しされて読むことになった私は、つくづくと音楽の世界の深遠さと、ピアノ弾きの運命の過酷さを改めて知るに至った。 私との出会いから妻を結果的にピアノから遠ざけてしまったことに、少なからぬ罪悪感を持ってきたのだが、この本を読み終えて、その必要はないと確信した。つまり、なまじっかな意思ではピアノ弾きの人生は到底全うできないことが再確認できるからだ。尤も、ピアノへの憧れとプロを目指した彼女の思いを、無残にもへし折った我がデリカシーのなさをも気づかせて余りあるのだが。幼き日の夢の再確認をしようと買ったものの読まぬうちに、亭主に横取りされてしまった妻は、間違いなく二度とこの本を開くことはないに違いないと思われる。一緒になってやがて50年。苦手な「音楽」は未だに遠い。(2019-12-3)

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(329)息による養生の指南ー五木寛之、帯津良一、玄侑宗久を読む

人生7度目の引越しをしてしまって、ほぼ一ヶ月。やっと落ち着きかけている。季節は晩秋。とはいうものの日中は未だ未だ暑く、夏を思わせる日もある。新しい居住先の明石市は、色々と〝売り〟に事欠かない小都市だが、私が最も驚き、かつ世に宣揚したいと気に入ったのは「図書館の仕組み」である。質量共に群を抜いている。70歳代半ばの引越しに際して、ほぼ全ての蔵書を生前整理したため、今後は図書館を利用するしかないとは思っていた。だが、かくも便利で充実した図書館が明石市にあるとは。おいおいその中身は明かすとして、まず11月の初旬に、そこから借りて読んだものを紹介したい▼五木寛之『養生のヒント』、帯津良一『養生という生き方』、五木寛之・玄侑宗久『息の発見』の三冊。共通するテーマは、養生。そしてその中核は息の仕方。〝健康おたく〟の異名を欲しいままにしている五木寛之の、朝起きてから眠りにつくまでの生きる作法にはただただ呆れるばかり。彼は80歳代半ばの今日まで、医者、病院には一切通ったことがないとか。ひたすら自己責任のもと身体を慈しみ、鍛えあげる日々を過ごす。五木にこのところ嵌っている我が親友から、既にその奥義を聴いてはいたが、足の指一本一本に名前をつけて、1日の終わりに丁寧に撫で上げその労苦を愛でるとのくだりには実に感動した▼帯津良一は、「ときめきこそ心の養生」とのフレーズに見るように、人とお酒をこよなく愛する、患者にときめきをもたらすお医者さんである。先年国会でのOB議員の会で講演を聴いていらいすっかりファンになった。ここでは、「呼吸法で宇宙を感じ」つつ、「気功の時代を生きる」として、読者に腹式呼吸をすすめる。この人の説く究極の養生は、「日々内なる生命の場のエネルギーを高めていき、死ぬ日に最高にもっていく。そしてあちらの先輩たちが雷でも落ちたかと驚くくらいの猛スピードで死後の世界に突入して行く」というのだ。この「死に方のコツ」はぜひ試してみたい。だが、その前にご本人の体験談を聞きたいものだ▼玄侑宗久と五木との対談はこれまた色々と〝気づき〟を与えてくれた。かたや禅宗の坊さん。もう一方は親鸞を敬う作家。日蓮仏法一筋でここまで生きてきた私には極めて刺激的で挑発的な対談である。若き日に折伏した相手が、日蓮的世界に偏りたくないと発した言葉が突然蘇ってきた。それにしてもこの二人の話の展開は魅力に溢れる。行き着くところは「一日五分、息そのものになる時間をつくろう」ということ。「お経を唱えるのが長寿への一番の呼吸法」との二人の合意を前に、平均寿命を前に早々と散っていった我が先輩や友たちの顔が浮かぶ。私はこの本を読み終えるとともに、読経・唱題の際に、腹式呼吸を意識する日々が始まった。(2019-11-11=敬称略)

 

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(328)「迷残執」との戦いの果てにーやました ひでこ『断捨離』を読む

10年前に出版され話題を集めた本ー私が所帯を持ってから7度目の今回の引っ越しにあたり、まさに「忙中本あり」を地で行くように片付け作業の合間に読んだ。著者によると、「断捨離」の定義とは、以下のようになる。片付けを通じて「見える世界」から「見えない世界」に働きかけていく。そのためにとる行動とは、「断」=入ってくる要らないモノを断つ 、捨=家にはびこるガラクタを捨てる 。その結果、訪れる状態は 離=モノへの執着から離れ、ゆとりのある〝自在〟の空間にいる私、だと。だが、これほど云うは易く行うは難しいことはない。結局は、これまで、いつも「迷残執」に終わってきた。捨てることに迷い、古いものへの執着から逃れられないのである。今回は何とか、と思ったが、部分的に成功したものの、全体的には未だしの感が強い▼一軒家からマンションへというのは今回が初めて。広さは一気に半分くらいになるので、まずは問答無用に荷物を半減させるしかない。これまで、引越しのたびに整理はしてきたものの、段ボール箱に詰めたまま開きもせずに、物置にいれていたものを全部点検するしかなかった。アルバムやら昔から捨てきれないで持ち越してきた荷物がゴッソリと出てきた。全てそのまんま捨てることを決断したが、アルバムだけはそうもいかず、結局大部分はまたも次のところへ運び込むことになってしまった。お皿やグラスなど山のような台所用品の数々は捨てたが、つくづくと、「断捨離」とは、「もったいなさ」と、「懐かしさ」との勝負であると思った。本に書かれているようにはとてもいかない。大袈裟ながら価値観の崩壊さえ実感せざるを得なかった▼最大の難物は、書籍をどうするかという問題だった。議員を辞めるときに、議員会館や地元の事務所、そして議員宿舎に置いていた20年間に溜め込んだ本のほぼ全てを、党の政調スタッフ、秘書メンバー、衆議院の各委員会事務局や調査室のスタッフ、各省庁の担当スタッフたちに持って行って貰った。それでも、家の書斎にはまだ三千冊に迫る蔵書があった。いずれも手放し難い昔馴染みのものばかり。考えた挙句、親しい友人たちや我が姉弟、その子どもたちにアットランダムに選んで送り届けた。さらに、外交安保関連の専門書の類は、参議院議員に初当選した高橋光男氏に、憲法、経済、社会保障関連は伊藤孝江議員の神戸事務所に引き取って貰った。その数、合わせて千冊ほど。それでも千冊近くが残る。これについては自治会の公民館に2対の本立てと共に贈呈することにした。恐る恐る後任の自治会長に申し出たところ、快く受け入れをしていただくことになったのである。私の拙い「忙中本あり」の揮毫と共に、「赤松文庫」(プレート付き)がささやかながら実現したのは嬉しい限りであった▼かくして、手元には、まだ殆ど読んでいない「夏目漱石」、「山崎正和」、「高坂正堯」、「白洲正子」などの全集ものが残った。池田先生の全集のうち、手放せない重要なものと、日蓮大聖人の御書、法華経関係のものとともに、新しい住まいの押入れの中に(本箱はないので)ひっそりと積み込まれることになった。その数300冊ほど。かつて老後になったら読もうと買い込んだ本である。尊敬する先輩が先年膨大な蔵書をそのまんま残されて、鬼籍に入られたが、御夫人が呆然とされていたことを思い起こす。誰しも若き日からの蔵書を整理することには躊躇しがちだが、それだけは私はほぼ今回出来たように思われる。これだけは我ながら褒めてやりたい気がするのだが、いかがなものか。(2019-10-25)

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(327)7度目の我が身と重ね合わせ泣き笑うー映画『引っ越し大名』(犬童一心監督)を観る

平成の始めから30年間住みなれた姫路を引っ越すことになった。不動産屋を通じて大家さんの意思を聞いたのが二ヶ月ほど前のこと。政治家としての現役20年とそれに至るまでの足掛け5年、そして引退してからほぼ6年の合計31年。平成の時代の全てをこの地で過ごしたので、そこを出るのは断腸の思い、寂しくないと言えば嘘になる。だが、家庭の事情もあり、同じ兵庫エリアならと、思い切って新天地を探すことにした。ようやくそれなりの賃貸マンションを明石市に見つけた。そんな折に、映画『引っ越し大名』が封切られた。原作は土橋章宏『引っ越し大名三千里』なる小説。とても読めず、映画で間に合わせることに。読書録ならぬ映画録になった。いやはや、あらゆる意味で他人事とは思えず、考えさせられた。全国で多くの人が映画や本で接触されていようが、恐らく私ほどの強いインパクトを受けたものはいまい▼松平直矩なる徳川譜代の大名は生涯に7度にわたって、徳川幕府から引っ越しさせられる。彼方此方へと移転した距離が合わせて三千里。虚実合わせ織り込まれた時代ものだが、その移転に伴う差配を任せられたのが、若い侍・片桐春之介という筋立て。この侍、書庫番でひたすら本を読むことで生きてきた、どちらかといえば引きこもり風の頼りなげな男。その人物を登用することで、結果的に失敗をさせ、お家断絶を狙おうという幕府の目論見と内通者をも絡ませた奇想天外な喜劇仕立ての映画である。原作は未だ知らぬが、映画(犬道一心監督)の出来栄えはなかなか。この監督の代表作『のぼうの城』も良かったが、これに勝るとも劣らない。勿論、黒澤明や小津安二郎の作品とは比べるべくもないが▼何しろ舞台は姫路藩。ここから九州は豊後の日田の地へと移るまでのてんやわんやが主に描かれる。映画を観ながら、引っ越し作業の最中である我が身と照らし合わせ、身につまされる思いにしばしば駆られた。当方、選挙に出馬するため、姫路に転居してから借家を移ること4度。今度引っ越すことで所帯を持ってから7度目になる。勿論、この小説、映画とはちょっとだけ似て、まったく非なるものだが、「引越しは戦さである」とのセリフから始まって、経費に関することや、断捨離にまつわるものなどあらゆる面で、共感を持つに至った▼映画の中で心底笑えたのは、荷物に目印の紙を貼り付ける場面での数字が「0123」だったこと。私の頼んだ業者も同じ、この社名の会社だから気付いたのかもしれない。さらに、かの麻薬保持で逮捕されたピエール瀧が登場するシーンは、妙に印象深かった。つまり、お家を持続させるために、人員カットが余儀なくされる運びになって、苦労して田畑を開墾する大勢の侍改め百姓たちのうちのひとりを彼が演じるのだ。最終的に藩への加増が叶い、元の武士に戻れることになるのだが、彼は戻らずに百姓として残る選択をする。その際のセリフが何だか胸に響いた。地に足つけたまともな人間になりますとの宣言のように聞こえたのだ。そのほかにも随所にユーモアとペーソス溢れるくだりがあり、大いに楽しめた。引っ越しがいかに妻に苦労を強いるものか。現役であった過去は、妻に全て任せっぱなし。今回初めて自分で一から十まで関わって、もう殆ど倒れそうになっている。妻の有難さがようやく身に染みてわかったが、時すでに遅すぎる。(2019-10-3)

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(326)劣化した政治の犠牲になった哀れな経済ー小峰隆夫『平成の経済』を読む

政治と経済は自ずと一体不可分のもの。「平成の政治」を見る上で、「平成の経済」は欠かせない。2冊併せ読んで平成の時代の全貌が姿を現す。前者は鼎談三部方式だったが、後者はバブル崩壊後の「経済白書」に取り組んだエコノミスト・小峰隆夫氏ひとりが迫っており、一貫性があって読みやすい。一覧表や図が駆使されていることも理解を助ける。おまけに著者の切り口は、リアルに徹した語り口調でわかりやすい。全体は、①バブルの崩壊と失われた20年の始まり②金融危機とデフレの発生③小泉構造改革と不良債権処理④民主党政権の誕生とリーマン・ショック⑤アベノミクスの展開ーの5部構成である。こう振り返ると、劣化した政治のおかげで犠牲になってきた、この30年の日本経済の悪戦苦闘の実態が蘇ってくる▼一昔前には「経済は一流だが政治は三流」などといった見方が当たり前に使われていた。高度経済成長の名の下、戦後の荒廃から見事に立ち直った原動力としての日本経済の底力が汲み取れよう。今から思えばそれを可能にしたのは政治だから、そう捨てたものではなかったのかもしれない。ただ、平成の30年間は、むしろ「政治は三流だが経済も三流」に後退してしまった感が強いのは酷な見方だろうか。バブル絶頂から崩壊を経て長きにわたるデフレとの格闘は、昭和期の両者に比べて共に一段と弱体化した趣が強い。著者は、そのあたりを「政権が目まぐるしく交代し、政治改革が大きな議論となる中で、バブルの処理はどちらかというとわき役に押しやられてしまった感がある」と述べている▼バブル崩壊後の経済停滞については、金融機関に滞留した不良債権の影響に加え、アジアでの通貨危機が国内に飛び火、日本の金融危機を招いてしまった。その状況下で、橋本龍太郎内閣は、財政構造改革など六つもの改革に乗り出したものの、結局は金融をめぐる政策対応に右往左往するだけで、改革はいずれも中途半端に終わってしまった。橋本首相の改革への意気は〝壮〟とするものの、間口を広げすぎた感は否めない。その点、後の小泉純一郎首相は対照的である。「自民党をぶっ潰す」などと云った短い衝撃的なフレーズを駆使し大衆受けを狙う一方、経済学者・竹中平蔵氏を巧みに使って事に当たった政策的明瞭さは刺激的だった。その評価は別れるものの、平成のリーダーとしての特異さは際立つ▼民主党政権誕生と相前後してリーマンショックが襲ったことは、阪神淡路の大震災と同様、日本にとって不幸なことだった。民主党は「一度はやらせたら」との政権交代待望の風に乗って、その座についたが、政権運営の準備と力量の不足で大失敗に終わった。その経緯も坦々と解説されている。一方、アベノミクスなる造語を掲げ、今に続く安倍晋三政権の経済運営への評価は、人により、また立場の違いから異なる。新旧の「三本の矢」の結末、財政再建の先送りなど、決して褒められたものではない。だが、「経済よりも生活重視」「企業よりも家計重視」とのスローガンを掲げて看板倒れに終わった民主党のおかげで、「よりまし」経済との実感はそれなりに天下に漂っている。ただし、それがいつまで続くかは定かでないことをも、小峰氏は丁寧に分析している。ともあれ「平成」を概括的に捉えるための好著であることは間違いない。(2019-9-24)

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(325)公明党の存在って、こんな程度だったの?ー御厨貴・芹川洋一編『平成の政治』を読む

日経新聞社が平成の時代を、政治、経済、経営の三つの観点から総括、分析した本だというので、まず、『平成の政治』から読んだ。御厨貴(東大名誉教授)と芹川洋一(日経論説フェロー)の二人がホスト役になって、ジェラルド・カーチス(コロンビア大名誉教授)、大田弘子(政策研究大学院大教授)、蒲島郁夫(熊本県知事)の三人とそれぞれ語り合っている。30年を「政治改革」「官邸主導」「地方」の視点で捉えた三部形式。読み応え十分で、概ね満足できた。ただ一点だけ不満が残る。30年のうち、後半20年を「自公連立」の相方として演じてきた公明党についての記述があまりにも少なく、弱いことだ。分かってそうしてるのか。それとも本当のところが分からないからなのか。何もよく書けと言いたいのではない。もっときちっと料理して欲しいと言いたい。これでは、「平成の政治」を読み解いたと云われても、よく噛まないまま固まりを飲み込んだ時のように、消化不良が気にかかる▼それでもゼロではない。5頁ほどだけ出てくる。三者三様に鋭く公明党の抱えている課題について論及しており、興味深い。御厨は、国交相を公明党の指定席にしたことで、ある種の透明感が限定的にせよ生じたことと、政策、特に安全保障分野で、本気で熱心に議論をすることを公明党のプラス面として評価している。一方、安保法制に賛成して以来、議員と支持者の間が遠くなったことと、社会性を巡って議員と創価学会中枢との関係に矛盾が生じていることを課題としてあげている。また、芹川は、小選挙区選出議員はリアリスティックだが、比例区選出議員は理想主義的な傾向が強い、と指摘する。加えて、支持者の間における無党派層の増加や親の世代と子供の世代のギャップなども注目されるとしている。その上で、カーティスは、「公明党なくして自民党もない」として、重要な公明党の役割を強調し、芹川も両者の関係は「渾然一体化」しており、御厨に至っては「もう離れられない」とまで云う。しかし、論及はそこで停止してしまっているのだ▼私が問題にしたいのは、そういう公明党の存在が平成の政治をどう動かしてきたのか。何を変え、何を変えずにきたのか。そのような分析が皆無だということについてである。芹川は、別の著作で、今の政党の分布図が55年体制以前と比べほぼ同じになった、元に戻ったと述べており、この本でも「ぐるっと一回りした」と同じ認識を繰り返し、御厨も同調している。 すなわち、かつての社会党が立憲民主党に、民社党が国民民主党になっただけで、名称は変われども一回転したに過ぎないと云うのである。ここにはかつては野党だったが、今は与党の公明党の存在が完全に消えている。恐らく、両者は渾然一体だから、公明党を論じても仕方ないと云うのだろう。だが、果たしてそうだろうか。そう見るのは、評論家の力量としてはいささか心もとないと私には思われる。この20年に及ぶ自公連立政権にあって、公明党がどのような力を発揮して政権の一翼を担ってきたのかを追わない政治分析って、一体意味があるのか、と云わざるを得ないのだ▼ただ、そう憤ってみた上で、公明党の側の責任も問われねばならないと思う。ここまで無視されると、党員から議員を経て、また党員に戻った50年に及ぶ公明党のウオッチャーとして恥ずかしく感じる。私は自分を棚上げして、ひたすら今の公明党にもっと自己主張を求めたい。何故の連立なのか。どうして今の安倍政権を支えることが政治の安定に繋がるのか。貧富の格差がますます広がる中で、社会的弱者の側にどう立っているのか。政治の改革はどう進めているのか。選挙で自民党を支え、自民党に支えられて、「公明党の自民党化」が進んでいるとメディアに報じられている。それならば「自民党の公明党化」的側面を、もっとアピールしていいはず。いや、公明新聞や理論誌、グラフ誌に特集が組まれているのを見ていないのかとの反論があろう。しかし、深掘りはなされていない。響いて聴こえてこない。公明党の政治路線を今こそ党の幹部は公明新聞紙上でも論じるべきではないか。それは決して政治の安定を脅かすことにはならない、と私は固く信じているのだが。

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