(284)早すぎたがゆえの未熟さー中公新書編集部編 清水唯一朗『日本史の論点』第4章近代編を読む

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(283)歴史の謎解きに挑む悦びー中公新書編集部編 宮城大蔵『日本史の論点』第5章を読む

「日本史の謎解きをこの1冊で!」ーこの本は実に面白くて、ためになった。古代、中世、近世、近代、現代と5つのパートに分けられ、全部で29の論点が挙げられている。新聞書評欄で知って、一気に読んだ。但し、前から順にというわけにいかず(古代はとっつきにくいゆえ)後ろから挑んだ。で、この読書録も最終章「現代」から遡ってみる。❶戦後論❷吉田路線❸田中角栄論❹高度経済成長❺象徴天皇制の5つが取り扱われている。論点をあれこれ述べたのちに末尾に掲げられたそれぞれの集約部分が興味深い。❶では、「『戦後』に終止符を打ち、一つの時代として完結させるには、戦後につづく時代を規定し、特徴付け、そして名前を与える作業が不可欠である」という。ただ、「戦後」に終止符を打つためには、この70有余年の連続性を断つ必要がある。それは「米国からの自立」を意味するわけで、到底難しい。つまりは米国支配からの脱却なしに「戦後」は終わらないと私は思う■吉田路線の効用は、軍事力を米国任せにして経済優先に打ち込んだ結果、目を見張るスピードでの高度経済成長を果たしたことである。❷と❹は政治と経済の両面から、同じテーマを論じたとも言えよう。かつて日本は「経済は一流だが、政治は三流」と言われたものだが、今や経済についても政治と見合ったものであるとの見方が定着している。著者は、吉田路線をめぐる現時点での重要な論点は、「『経済大国』に代わる日本のアイデンティティはいかなるものなのか」であり、次の路線を問うものだという。そして経済については、「欧米を念頭に置いた後進性と特殊性の呪縛から、肯定的な『日本モデル』へ。そしてその衰退と、経済を中心とした日本モデルの国際的評価の変遷は、そのまま日本の自画像の投影でもあった」と、まとめている。経済への過信から脱却する具体的方途は、どこにあるか。吉田路線という経済成長のみを追う国作りから代わる路線とは。私は今まで、「ほどほどの軍事力と経済力を兼ね備えた文化・芸術立国」という表現を用いることが多かった。これを分かりづらいというなら、「観光大国」と言い替えてもいい。観光は、人口減社会にあって外貨稼ぎの最有力の道であり、日本の歴史・文化・伝統を外に開く最大の機会だからである■ブームと言われるほど、いま田中角栄論が喧しい。同元首相を巡っては、金権腐敗政治の張本人というレッテル貼りを除けば、私はそれなりの評価をするのにやぶさかではない。ただし、それは彼が米国の虎の尾を踏んだ(ロッキード事件の真相と絡む)と見られることが事実なら、との条件つきである。戦後史の中でたった一人だけの「偉業」であったがゆえに、獄に繋がれるとの「汚名」も違って見えてくるからだ。角栄以後の日本の首相たちがリーダーシップ(度量、裁量の面)で、見劣りするのは否めない。もちろん、中曽根首相は比肩されないかなどといった異論はあろうが、どれも彼の登場前後の破壊力とは比べるべくもない。田中の政治的業績の最大のものが「日中国交正常化」であることは論を待たず、それに関する論評も一点を除き的確だ。惜しむらくは当時の日中関係にあって公明党が果たした役割に全く触れていないのは残念である。自民党の外にあって野党外交の真骨頂を示した政党であるからこそ、今に至って連立政権の一翼を担い得ているとの論評が皆無であるのは不思議という他ない■最後の象徴天皇制に関わる記述は「なぜ続いているのか」との問題提起から始まる。結論部分に、現代日本の「象徴」として相応しいかどうか、「国民の総意」を形成する作業として欠かせぬ論点は、「皇位継承の形と皇室の範囲」だとしていることは興味深い。「結婚した女性皇族が皇室を離れるという現在の制度の下では、秋篠宮夫妻の長男である悠仁親王が天皇に即位する頃には、皇室のメンバーが大幅に減少しているという状況が不可避である」ため、「続くかどうか」は大いなる問題となろう。平成天皇の「予期せぬ譲位」は、全ての国民にとってこの問題を考える絶好の機会得たことになるとの著者の問いかけはずしりと重い。かつて衆議院憲法調査会での「女系天皇」の是非をめぐる議論の場で、私は女性天皇の実現は「男女同権」の観念から当然との発言を行ったものである。尤も「男系天皇」に限るとする論者たちの論難に、これが耐えられるかどうか。いささか心もとないのが正直なところではある。(2018-12-3)

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(282)「民衆の力」呼び覚ますか、天皇のお言葉 ー白井聡『国体論』を読む

明治維新150年の本年、時代を捉える様々な枠組みの提示が見られる。先日私が講演を頼まれた関西学院大学梅田キャンパスでの公開講座では、私は今を生きるうえで押さえておくべき枠組みとして、三つの代表的なものを示した。一つは、日本社会40年周期説、二つは、三度(みたび)の尊王攘夷説、そして三つは、菊から星条旗への国体変換説である。前二者は、これまで幾たびか取り上げて来た。ここでは三つ目のものを紹介したい。これは白井聡『国体論』における画期的な発想による。白井聡氏はまだ41歳の少壮の政治学者。先に『永続敗戦論』で、石橋湛山賞、角川財団学芸賞などを受賞した。一言で言えば、先の大戦で敗れた日本は正面から負けを認めないゆえに更なる敗戦が続いているとする「永続敗戦レジーム』を説くものであった。その論考から一年半、今度はもっと衝撃的なフレームワークの提示である。読んでみて深く感銘した。戦前の菊の御紋による、つまり天皇制のもとでの国体から、一転、戦後は星条旗のもとへと、すなわち米国支配へと国体の主軸が変わったとするものである■といえば、ことは簡単に見えるが、実はそのことを著者は平成天皇の「お言葉」(2016-8-8)から見抜く。そこには「戦後日本の対米従属の問題は、天皇制の問題として、《国体》の概念を用いて分析しなければ解けない」との問題意識が横たわる。お言葉を聞いた瞬間が、この本の出発点となった。安倍首相の思想的同志(日本会議系)と、天皇との「齟齬的関係」は一般的にはあまり知られていない。しかし、深いところでは当然のごとく語られている。この書物ではその背景を丁寧に優しくそして分かりやすく説く。天皇のご公務の在り方を巡っての衝突を見事に解明して見せた、白井氏の直感は鋭い■天皇をめぐる論考は深く切実であり、更にそこから先の分析は、唸らせるばかり。1945年の敗戦を境に、地に堕ちた天皇の権威は、7年間の占領期を経て、いつの間にか米国に取って代わられてしまったとの経緯を克明に追う。かつては鬼畜米英といい、不倶戴天の敵としてきた米国に全てを委ねきって、恬として恥じない日本の現状。およそかつての天皇中心の国家の在りようが、そっくり米国の支配へと移り変わったと言っても過言でないのかもしれない。国の防衛を米国に任せ、経済のみに専念するー「軽武装国家論」といえば聞こえは悪くないが、そこには首根っこを米国に抑え込まれたまま、主権国家とは言い難い半独立国の姿が仄見える。もうそろそろその実態に気付く必要があることをこの本は厳しく問うている■先日の姫路での公明党主催の政治集会で、外務省出身の自民党のY代議士の来賓挨拶を聞く機会があった。吉田茂首相以来の軽武装国家路線の正当性を誇らしげに語っていた。外務省の大先輩が、日米関係の基礎を作った云々と。確かに吉田のとった路線の効用は一度は滅亡の危機に瀕した日本を浮上させた。しかし、それから70年余。日米同盟という美名のもとでの対米従属姿勢のもたらす弊害は目を覆うばかり。戦後民主主義の破綻を私たちは旧日本社会党などいわゆる左翼のせいにしてきた。しかし、もう一方のつがい的存在だった保守の〝無為の責任〟も問われねばならない時が来たように思われる■著者は終章で、「日本人の中で、風を吹かせる役のものは政治家である。しかし、現在の日本にはそういう役割を果たせる政治家は不在であるし、日本の政治屋連には、風を吹かすのが自分たちの義務だという意識は全くない」との経済学者・森嶋通夫が1999年に『なぜ日本は没落するか』で説いた部分を引用している。そして、「日本の右傾化や歴史修正主義の勢力拡大について懸念が表明され」、「(予測は)十分に悲観的であったが、それよりもさらに悲惨な現実がその後の約二◯年の間に急速に展開されてきた」と森嶋の予測の正しさを強調する。この本の末尾で、白井氏は話を再び天皇のお言葉に戻し、そこに「闘う人間の烈しさ」を確信したとして、その闘いの対象を明確に提示することにした本書執筆の由来を明かす。合わせて歴史の転換を画するものは「民衆の力」だと結論付けていることは胸にズシリとこたえる。(2018-11-24)

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(281)半島情勢未来予測の決定版ー古田博司『「統一朝鮮」は日本の災難』を読む

前略  古田博司様  このところご無沙汰しています。その後お元気でしょうか。腰痛の具合はいかがでしょうか。先日出版元から送っていただいた『「統一朝鮮」は日本の災難』、ありがとうございました。一気に読んでしまったので早く読後感をと思いながら、今頃になってしまいました。相変わらず舌鋒鋭く、朝鮮民族に厳しいですね。これでは本当に伊藤博文や重光葵の二の舞になりかねないと心配します。もうそろそろこういう本は終わりにして、哲学論の新展開ー私の興味からすると、西洋と東洋哲学比較論などーをお願いしたいものと思います。また、最近の大学生や教授事情など、先生お得意の分野の裏表をご披露してほしいです■今回のものについては、私としては、第5章「韓国と北朝鮮は『一国二制度」になるか」における「未来予想」が興味深かったですね。かつて金日成が提唱した「高麗民主連邦共和国」構想が採用され、その後どうなるかということを占っておられるくだりです。あれこれ述べられたのちに、「将来南北が統一国家へと向かえば、巨大な中国経済圏に自然に呑み込まれ、漢字使用が中国の簡体字として復活し、韓国人の名前が中国風に変わってしまうことは、大いに先見されるところ」というのは、先生としては意外に平凡な結論付けでした。一方、米朝首脳会談をめぐって今後の推移予測は面白かったです。事が順調に進めば、北朝鮮のWMD(大量破壊兵器)破棄→終戦宣言→南北平和協定→在韓米軍撤退→南北朝鮮の統一日米防衛ラインの玄界灘までの南下→米中冷戦の日本最前線化。逆に、事がうまく行かなかった場合、米韓合同演習の再開→米の北朝鮮急襲→在韓米軍の脱出(いくらか被害を被るかもしれない)→大量の難民の韓国南下→韓国経済の崩壊→朝鮮半島のバッファーゾーン(緩衝地帯)再開→日米防衛ラインの玄界灘までの南下→日本の米中冷戦の最前線化。これってどっちに転んでも、結論は同じというところがミソですね。ともあれ中国が喜ぶ結論です■その後の推論も興味深いですが、最後に「あくまでも推論である。間違ってたらごめんなさい」って、いいですね。珍しく先生らしくなく殊勝ですね(ごめんなさい)。ともあれ❶在韓米軍がその根拠を失ってしまっていること、❷北朝鮮が核放棄をしなければ、終戦宣言も、平和協定も、南北統一もありえないこと、❸韓国は米国に見捨てられたことは確かだとされてるくだりも大いに注目されます。これからは、玄界灘に着目するしかないとして、「愚痴や未練は玄界灘に捨てて太鼓の乱れ打ち」と石川さゆりがテレビで「無法松の一生」を歌い出す日が来るかもしれないとされているところで、思わず口ずさんでしまいましたよ。尤も、私のは村田英雄調ですが■実は先生のこの本で最も感動したのは最末尾の一文です。「在日韓国人をイジメてはならない。在日韓国人には、私に日本と日本人を教えてくれた、私の妻のような『命の恩人』もいるのだから」と。随分前ですが、先生が読売新聞社から吉野作造賞だったかを受賞された時に、奥様には初めてお会いしましたね。聡明で素敵な方だとの印象はありますが、先生にとって「命の恩人」だとは驚きました。『東アジアの思想風景』『東アジア・イデオロギーを超えて』やら『日本文明圏の覚醒』など私が好きな先生の代表作に始まり、殆ど全てのご著作を読んできた私ですが、この表現に出くわすのはなかったと記憶します。そうです。先生には在日コリアについての思いの丈を書かれる仕事がまだ残ってますね。これは是非とも読みたいです。そのことによって先生の朝鮮民族に対する、真の結論付けが伺えそうな予感がします。そろそろ終わりにします。奥様、そして未だお会いしたことのない息子さんに宜しくお伝えください。                                                                草々

赤松正雄(2018-11-16)

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(280)近代文明との付き合い方指南ー夏目漱石『草枕』を読む

「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」ー漱石が『草枕』で、主人公の画家が山路を登りながら考えた、とした冒頭の一節である。かつて私の仲間のある女性衆議院議員が、「棹さす」を正反対の意味ーつまり流れに抵抗するとの観点ーで使っていたのを「それは逆ですよ」と注意したことがある。新明解国語辞典にもわざわざ「最近は誤って、逆行の意に使用する向きも有る」と注釈をつけているぐらいだから、ポピュラーな誤例だと思われる。私自身、国会質問で初デビューした際に、言葉の使い方で同じような間違いをおかしてしまい、聞いていた先輩から注意され、赤面した忘られぬ経験がある。先の相手も、恥ずかしい思いを未だに持っているのかどうか。智に働いて角が立った例かもしれない。知性、感情、意志の精神作用の三区分を用いて、人の世の住みにくさを説いた『草枕』に久しぶりに真正面から取り組んだ■漱石の近代西洋文明批判は、当時から150年後の実態を本質的に見抜いていたかのように思われる。江戸期の日本の教養、文化の粋を知り抜き、自在に操っていた人が嫌悪感を持った西洋文明観とは、一体どういうものか。まずは、詩歌の分野での東西比較を見てみよう。冒頭の第一章には、「余が欲する詩はそんな世間的の人情を鼓舞する様なものではない。俗念を放棄して、しばらくでも塵界を離れた心持ちになれる詩である」として、「人事が根本になる」西洋の詩歌は「銭の勘定を忘れるひまがない」とまで辛辣に非難している。その一方で、「超然と出世間的に利害得失の汗を流し去った心持ちになれる」東洋の詩歌は、「凡てを忘却してぐっすりと寝込む様な功徳」があると褒め称えているのが面白い。利害得失の現象世界ではなく、ことの本質に迫る実相の世界に目を向けよ、というのだろう。漱石は、近代日本の開花が外からの刺激に基づく模倣に終始し、内側からの自発性に乏しいことに批判的だったとされる。そのさわりをこうしたくだりで見ることが出来る■『草枕』のほぼ終わりに近いところで、有名な文明批判が展開される。「汽車程二十世紀の文明を代表するものはあるまい。何百と云ふ人間を同じ箱に詰めて轟と通る。情け容赦はない。(中略)人は汽車へ乗ると云ふ。余は積み込まれると云ふ。人は汽車で行くと云ふ。余は運搬されると云ふ。汽車程個性を軽蔑したものはない。文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によって此個性を踏み付け様とする」ー確かに大都会における朝夕のラッシュ時の列車風景は文字通り、ものを運ぶと同様である。しかし、新幹線の便利さを思う時、そうした危なさは後衛に退き、人の目には映らなくなってしまっている。汽車から始まり、汽船、電信、電話、自動車、全部並べて「横着心の発達した便法」と切り捨てた漱石は、その後の日本が戦争に突き進み、やがて核兵器によって一国滅亡の危機に瀕した未来の姿が見えていたのかもしれない■『草枕』は、主人公の画家が現実の喧騒から逃れるが様に「旅」に出る設定になっているために、さまざまな事態と直に対峙せずに、高みから見下ろすことを漱石が推奨している風に捉える向きがある。しかし、『漱石激読』で、石原千秋は「漱石は降りろとは一度も言っていない」し、「漱石のこれ以後の小説を最後まで読んでも、家族関係から、ジェンダーの問題から、社会から降りる小説は一つもない」と言う。また小森陽一はむしろ「この時代とどう向き合って生き抜くのか。その覚悟の重さと深さは凄い」として「同時代の社会と付き合い続ける」ところが「漱石文学が読者の胸を打つところ」と絶賛する。私たちの世代はまさに時代と社会との格闘にもがき続けてきたとの実感があり、今に生きる全ての人々はそうだと思っている。そこに漱石文学への共感が生まれるのだろう、とも。ところが、先日私が二人の甥(40代と30代)に対して、こうした漱石文学の魅力の一端を語ったところ、「なんで漱石かなあ、さっぱり分からん」ときた。そして「我々の世代以下の若い人間は、今の日本そのものに価値と魅力を感じていない」と。さあ、どうする。近代から降りる、降りないではないーこの問題提起は「ポスト近代」の兆しか。これはまた別の機会に考えたい。(2018-11-5)

 

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(279)時代を抉る鮮やかな人間模様ー保坂正康『昭和の怪物 7つの謎』を読む

東條英機、石原莞爾、犬養毅、渡辺和子、瀬島龍三、吉田茂ーこの6人が関わった「歴史の闇」に迫るというのが、この本『昭和の怪物 七つの謎』の触れ込みである。著者は保坂正康。印象に強く残るベスト3を挙げよう。まず、犬養毅の孫・犬養道子と保坂との交流。二番目は、渡辺錠太郎の娘・渡辺和子の残した言葉。三つ目は、石原莞爾の生き方である。40年余の間に延べ4000人もの人々に会ってその体験や考え方を聞き、現代史の視点で昭和史を捉え直すという試みをしてきた人ならではの迫真の著作。実に面白く、惹きつけられる中身に満ちているが、わたし的にはまずここで著者があぶり出す人間模様に感じ入った■いわゆる5-15事件は、昭和7年に時の首相・犬養毅が軍部テロで殺されたもので、その際に「話せばわかる」と彼が言ったことで知らていれる。だが、現実は「靴でも脱げや、話を聞こう」だったとの記述には少なからずショックを受けた。戦後民主主義が喧伝される中で、すり替えられたのでは、との保坂の見立ては深く、重い。当時11歳だった犬養道子(作家)は襲撃の現場となった官邸にいた。事件後60年の節目に犬養家が「犬養毅」を悼む儀式を行った際のエピソードが胸を打つ。同事件にまつわるノンフィクションを既に著していた保坂は、儀式の場で家族を含む関係者を前に「犬養毅」を語る役割を担った。彼は犬養を「テロの犠牲になった悲劇の政治家」で、「近代日本の模範的な政治家」と讃えた。その直後に立った犬養道子は、「祖父を称揚気味に語っていただくのは遺族としてありがたい」が、「多くの矛盾を背負った政治家だった」ところを語らねば、「毅像は正確には理解できない」と、凛として述べた。「感情は感情、評価はまた別と考えて臆することなく語って」と諭すように話しかけられた、と。この一言が保坂の後の人生に大きな意味を持ったとの指摘は、今も元政治家としものを書き、話す私にとっても実に大きい■ベストセラー『置かれた場所で咲きなさい』の著者、渡辺和子はいわゆる2-26事件(昭和11年)で殺害された渡辺錠太郎(陸軍教育総監)の娘。生々しい現場で惨状の全てを見てしまった和子は当時9歳の少女。後の戦時下にカトリックに入信し、シスターになり、教育者になった。保坂は、この渡辺和子の生き方の中に「昭和という時代との闘いといった側面がある」という。「宗教者と赦し」との重いテーマに真正面から取り組んだくだりは息を呑む。彼女は「二・二六事件は、私にとって赦しの対象からは外れています」と断言。許せないのは「父を殺した人たちではなく、後ろにいて逃げ隠れをした人たちです」と。昭和史を見る上で大きな鍵になる出来事はこの言葉でぐっと身近に迫って来る。和子の「自分が変わらなければ何も変わらない、誰かに咲かせてもらえると思ったら間違いで、自分が置かれた場所で咲かなきゃいけないと気付かなければダメよ」との言葉もまた重い。信仰についての保坂の根源的問いかけに対して、和子は真正面からは答えず、心の中でいつも、「お父様のおかげでこれができますよ」と父に語りかけているときに、「父の『愛』を実感する」との記述にも感動した■保坂の世代(1939年生まれ)には「悪魔のような存在として印象づけられている」東條英機。その評伝を6年余りかけて著した保坂。その取材の中心になったのが最も長きにわたって秘書を務めた赤松貞雄という人物である。別に私の親族でも知人でもない。東條については、彼の証言がほぼ全体を覆う。「戦争というのは、東條さんは、最後まで精神力の勝負だと考えていたことは間違いないと思う」との発言で、改めて恐るべき無能なひとに支配された戦時・日本を不幸に思わざるをえない。一方、同じ軍人として東條と終始一貫敵対した関係にあった石原莞爾は、なかなか全体像が掴み得ない人物である。「自らの意見を明確に口にし、上官といえども納得できなければ平然と論破した」という。『世界最終戦論』などに代表される軍事思想家、中国との友好を自らの考えとしてまとめた東亜思想家。そして日蓮宗の教学を学び、宗教者として歩んだ悟りの道などなど、「幾つもの複雑多岐な道」を歩んだ人物である。その彼は東京裁判の被告になぜ自分が選ばれぬかといって、悲憤慷慨したという。この一つとってもその裁判の最中にピストル自殺を図った東條とは人物の器が違うと思われる。北一輝と共通するものをもいくつか感じるが、そこには日蓮の「日蓮を敬うとも悪しく敬まわば、国滅ぶべし」(日蓮仏法の学び損ないではダメだとの意味)との言葉を思い起こす。いずれ、石原莞爾についてはもっと深く語りたい。瀬島龍三や吉田茂についても興味深いことがいっぱい書かれている、実に得難い本である。(敬称略=2018-10-29)

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(278)「現代史の青春」から80年ー川成洋・渡辺雅哉・久保隆『スペイン内戦(1936〜39)と現在』を読む

 スペインに私が旅をしたのは2001年。衆議院国土交通委員会の委員長として、所属する委員とともにフランスを経て、バルセロナ、マドリードなどを駆け足で回った。目的は両国の高速鉄道事情調査だった。後にも先にもこの国に足を運んだのはそれだけだが、中世そのものの雰囲気を今に湛えた場所などとても印象的だった。実は新聞記者時代に私が関わったスペイン通が二人いて、その人たちの書くものを通じて、この国のことを知った。一人は作家の逢坂剛さん、もう一人は法政大学教授の川成洋さんである。西欧各国の余暇観をスペシャリストに書いてもらうということで、逢坂さんにご登場願った。一時、逢坂さんの小説を片っ端から読み漁ったものだ。一方、川成さんについては書評を書いてもらってからのお付き合いと記憶する。この人は英文学専攻でありながら、スペインに嵌り込んだというユニークな学者である■実は先日、『英国スパイ物語』という同先生の最新著作を本屋で見て、急に会いたくなった。上京の合間を縫って、溜池山王でお会いした。その際に、贈呈していただいたのが『スペイン内戦(1936〜39)と現在』という同氏を中心にしたお三方による最新の編著作である。なんと、800頁にも及ぶ太い本で、お値段も6千円近い。とても普通では買って読もうという気はしない。しかし、頂いたからには読まねばと思って、少しづつ読み進めている。その時に交わした会話は多岐に及ぶが、英文学からスペインに学問の領域を広げる自由を与えてくれた法政大学のおおらかさへの感謝のお気持ちや、現在の文系の学生の就職における苦悩(マッチングしないということ)に関するお話が印象に残っている■この本を前にして、今なぜスペイン内戦か、という問いかけが当然ながら浮かぶ。のちに送っていただいた「図書新聞」(3363号 8月11日付け)の川成さんら著者三人による鼎談を読み、それなりに背景がよく分かった。スペイン内戦については、『誰がために鐘はなる』とか『カタロニア讃歌』など映画や文学で数多く取り上げられている作品を見ても分かるように、当時の世界の文化・芸術に携わる人々の心底を揺さぶる一大出来事だった。それはかの地が持つ独特の文化的基盤、芸術的空気のなせる業ではないか、と思われる。ヘミングウエイ、ジョージ・オーウェル、ロバート・キャパ、ピカソなど数多の芸術家たちが「国際旅団」なるものに加わって参戦したり、それぞれ独自の関わりを持とうとしたことでもわかる。川成さんはこの本について「スペイン内戦を論じた概説書というわけではなく、三分の一ぐらいは文学や音楽、演劇や絵画、哲学、映画などの研究者が関わっています」し、「海外の研究者たちが積極的に寄稿してくれたのも、この手のものとしては大変珍しい」という。「国際旅団」に命懸けで馳せ参じた義勇兵の数は55カ国から約4万人。共和国側の医療・教育・プロパガンダなどの後方支援についた非戦闘員が約2万人。この数字をあげたうえで、川成さんは「スペイン内戦は『現代史の青春』だったのかもしれない」と印象的な記述をしている■思えば、スペイン内戦とは、コミュニズムかファシズムか、どちらを選ぶかとの紛れもない「地獄の選択」であった。現代史は、その後、第二次世界大戦へと突入。ファシズムは大筋のところ後衛に退くに至ったものの、コミュニズムは栄華を誇る展開となった。だが、それも21世紀を前に脆くも崩れ去る。そして世界は、米ソ冷戦から、米一極の時代を経て、今や中国の台頭と、欧米民主主義国家群の退潮という新局面を迎えている■日本におけるスペイン研究にあって、「孤軍奮闘といえば大袈裟かもしれませんが、川成さんは継続して論じられています」(久保隆)との指摘は見逃せない。その人が深い思いを込めて、80年の時を刻んだ「内戦」から「内戦後」への歴史に立ち向かったのがこの本である。スペインに興味を持つ多くの人々にとって記念碑的役割を持つに違いない。ただ、私のような門外漢にとっては、いささか重すぎる。戦後も長く生きて、影響を及ぼし続けたフランコの存在など、一般に不明な部分が気になる。出来れば、「内戦後」の80年間のスペインを整理した補足集を付けて欲しかった。(2018-10-21)

★他生のご縁 公明新聞文芸欄の常連ライター

 川成さんはしばしば公明新聞文芸欄に書評を書かれています。その昔に私が先鞭をつけたのですが、もはやそれを知る人とていないのが現実です。私の『77年の興亡』について、川成さんに書評を書いて欲しいと思って来ましたが、今のところ実現はしていません。そのうちどこかでと期待しています。

 「ウクライナ戦争」に心傷める日々を過ごす中で、改めて「スペイン」に思いを馳せざるをえません。スペイン風邪の猛威とコロナ禍とともに、この戦争には不気味な予感が伴います。80年の歳月を超えて恐怖の類似性に心穏やかでない思いを抱きつつ、川成さんのご意見聞きたいとの思いが募ってきています。

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(277)永遠の母親と子供像を見るー夏目漱石『坊ちゃん』を読む

日本人の読書好きなら、いや別に好きでなくとも、誰でも知ってるのが夏目漱石の『坊ちゃん』。全集第2巻に収められている、この名作を再読した。改めてその小説展開の面白さに感銘を受けた。「親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている」ー冒頭から惹きつける。親譲りの慎重さで子供の時から得ばかりしてきた私としては、いや別にそんな人間でなくとも、誰でもその「無鉄砲ぶり」や「損」の中身に引き寄せられる。四国松山の中学校での生徒たちとのバッタ騒ぎや、教師たちの悪事との抗争。最後に加える鉄拳制裁。胸のすくその勧善懲悪ぶりにはやはり快感を覚える。そんな坊ちゃんを例えようもない温かさで見守る下女の清(きよ)。清に母親像を重ね見てきた私だが、今回の再読でどうやらそう単純ではないようだと知った■この小説を漱石は10日あまりで一気に書いたという。その背景には、薩長藩閥政府や東京帝国大学への批判や鬱憤やらが凝縮しているとの見方がある。加えて学校や家族への制度としての在り方への不満も。漱石の小説、それも最も早い段階の『猫』や『坊ちゃん』を老いた身ー心も身体も未だ若いと自認しているがーで読むことには、さすがの私でも抵抗があった。しかし、小森陽一によると、「漱石のなにげない一言に宿っているもののスイッチを押すと途轍もない世界が開けてくる」だけに、「老後に勝手に楽しむ小説のベスト1ですね(笑)」ということになる。そう言われて初めて落ち着き、俄然前向きになるというのも大人気ない限りだが、そこは凡人らしさゆえと自己満足しよう■さて、『漱石激読』による手ほどきとは別に、この小説では養老孟司 の別冊NHK100分de名著『読書の学校 特別授業』も併せて読んだ。これは一転、子供向けの読み物で、大人向けの『激読』とは対照的、好一対である。「大人になる」ということはどういうことか、とのタイトルの一章では、「大人になって日本の世間とどう折り合うか、すでに折り合って生きている人をどう見たらいいのか」と語りかける。この折り合い加減こそ人生の全てと言っていいかも知れない。時に徹底して人と折り合わず、一転、滅茶苦茶に折り合ってきた私なんか、いつまで経っても大人になりきれていないと自認している。脳科学者の書いたこの本、随所に深いヒントが隠されていて興味深い。「学ぶことで私たちは大きく変わっていきます。知るということは、自分の本質が変わることです。本当の意味で学問をすると、目からウロコが落ちる」と。いつまでも変わりきれぬ自分は、中途半端な学びだからか。それとも逆に学びすぎてるのか。結局は、自分の頭で考えるっていうことをしていないからではないか■最後に清をどう見るか。小森と石原千秋は、「正常な家制度でも家族のあり方でも解けない謎が『坊ちゃん』にはあるとして、清が坊ちゃんの先祖代々の墓で待ってるとの表現を挙げている。養老は「清が死ぬことで坊ちゃんは一人になる」「死とは突然やってくる。人は死んでも、心の中に生き続ける。人生はこういうものだと思います」と締めくくる。私は清の普通ではない発言ー親族関係ではないのに同じ墓に入ることーは、深い愛ゆえのレトリックだと思う。謎というほどのことではない。ことほど左様に坊ちゃんは清と一体化していた、と。かつてこの小説を読んだ頃の私は神戸の母と離れて東京の下宿に一人住んでいた。初めて帰郷した時に「帰ってきた〜」と泣き笑いながら抱きついてきたあの時の母の感触を忘れない。休んでいた私の枕元に「寒いだろう、風邪ひくといけないよ」って、衝立代わりに何かを立てかけてくれたことも。清=永遠の母親のイメージは、単純ではあっても、70歳を過ぎた今になっても変わらないのである。(2018-10-13=文中敬称略)

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(276)東大野球部〝百年前の栄光〟ー門田隆将『敗れても 敗れても』を読む

来年創部百年を迎える東大野球部。その前年のこの初夏に、手練れのノンフィクション作家・門田隆将が書いた『敗れても 敗れてもー東大野球部「百年」の奮戦』を読んだ。関西方面で人気テレビ番組のレギュラーメンバーたる本人の口から聞いた上でのことである。着眼点の面白さもあり、東京六大学野球に懐かしい思い出を持つ人間として興味を持った。かねてから格段に弱い東大をリーグに入れ続ける意味に、疑問を持っていた人間としてはなおさらだ。読み終えて、その疑問が晴れたとは言い難い。だが、それとは別に、人間如何に生きるかという根源的なテーマを大いに考えさせられた。そのきっかけを与えてくれる貴重な本である■勝負は勝たねば面白くない。それを大学の4年間に一回も勝てなかった、つまり80連敗したー5チームを相手のリーグ戦で、一年に20戦。4年で80回闘って全て負けたことを意味するーということはさぞ辛かろう。およそ当事者たちはいたたまれないはず、とページをめくった。平成23年から26年まで一回も勝てずに卒業した当時のメンバーの言葉が切なく響く。「八十連敗で卒業したことについては、気持ちというか、〝魂〟がまだ神宮に取りついちゃっているような感じなんですね」と当時の主将。そして卒業後、94連敗でついに連敗を脱した後輩たちを前に、誇らしさとともに、「羨ましく、なんとも言い難い悔しい思いが込み上げても来ます。何が間違っていたのか、もっとやっておけばよかった、後悔の念にさいなまれたりもします」と正直に告白している。かわいそうの一語に尽きる■東大はこの百年の歴史の中で、他の5大学に比べて圧倒的に弱い、ということは歴然としている。この本の最後に付いている年表が何よりも証明している。そこそこ強い時もあったとはいえ、勝ち点3をあげたことは全くない。ベストナインに選ばれたり、プロ野球に入団する人も散見されるが、基本的に〝お荷物〟であることは間違いない。しかし、それだからこそアマチュアの大学野球の真骨頂があるともいえよう。東大野球部に入ってくる連中に共通している思いは、ただ一つ。野球に強い私学、プロ級の選手と対抗出来る得難い経験が出来るということにある。関西六大学では、かつて京都大、神戸大学が入っていた頃がある。関関同立と並んで。しかし、いつの日からか、弱い二つを外した。それだから人気がなくなったとは言わないが、伝統が色褪せてしまったとは言える■尤も、この本の価値は東大野球部の弱さの歴史と伝統を追う(稀ながら勝った時のことにも結構触れており、戸惑うことも)ことではない。ひたすらに、第一章の「沖縄に散った英雄」の中にある。戦前最後の沖縄県知事・島田叡(あきら)のことが克明に描かれており、彼こそ東大野球部の栄光を担う人だったということが明確に分かる。じつは、彼は兵庫二中(現兵庫高)出身で、神戸市須磨区に生まれ育った人である。まさに隣の兵庫三中(現長田高)出身で同垂水区育ちの私は、彼のことをすぐそばにいた先輩として強い関心を持ってきた。先年、TBSテレビが島田叡を特集した際にも貪るように見た。しかし、彼の東大野球部での活躍を巡る深い話は知らなかった。彼の存在があったればこそ東大が六大学の一角を占めるきっかけとなったことは重要である。大学野球の草創期に果たした一高、東大の役割がその後の歴史において風化することは、島田叡とダブルだけに残念である。著者の想いもひたすらそこにあるに違いない。(2018-10-6)

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(275)この150年を考える旅立ちにー夏目漱石『吾輩は猫である』を読む

夏目漱石全集ー我が書棚を飾る全28巻から無言の圧力を感じつつ20数年が経つ。先に朝日新聞社が新聞紙上で『吾輩は猫である』を連載で再掲載し始めた時に、触手が動きかけたが、結局は断念してしまった。それが今年は明治維新から150年の節目の年ということで、明治という時代を真剣に追う気になった。読むものも明治期のものが多くなり、ほぼその時代とともに生まれて死んだ「漱石」に挑戦することにもした。ようやくのことに、全集を繙くことになったのである。既に『倫敦塔・坊ちゃん』(第二巻)、『草枕など』(第三巻)と読み進めており、遂にその魅力に嵌ったといえよう。そしてここに無事、第一巻『吾輩は猫である』の読後録に取りあげることになった。実にめでたい限りだ■猫といえば、我が家にもそれなりの歴史めいたものがある。元来が猫や犬だけでなく鳥や金魚でさえ、なべて生き物を飼うことは我が家では憚られた。その理由は単純。別れが辛いからだったのだが、加えて私の父がかなりの動物嫌いだったことも関係した。真反対に猫好きの家庭に育った妻との結婚で、自ずと私たち夫婦の間ではしばしば喧嘩のテーマにも浮上した。妻の両親と同居(東京・中野で)していた頃など、猫がどこからともなく勝手に上がり込んできて、暗黙の家族となりおおせていた。そこへ私の父が神戸から上京するというので、さあ大変。猫を押入れに隠すことにしたものの、意のままになろうはずがない。父がその姿を発見するや否や、追いかけ回すことになった次第である。とはいうものの、結局は猫好きの家族に負け、飼うことになった。今では孫から私たち夫婦はニャンニャンじいじとバアバ(犬を飼っていた娘の嫁ぎ先の親はワンワン何とかを付けて区別されている)と呼ばれているほどなのだから、まったく世話はない■漱石の「吾輩猫」は、人間世界を大いに批判する。その視線は日露戦争のさなかに書かれたものだけに、随所に様々な隠し絵ならぬ隠し思想が込められているようだ。それこそよーく目を凝らさないと見過ごしかねない。権力の言論統制とのギリギリのせめぎ合いが行われている中で書かれた小説、との側面が見抜けるかどうか。読み手の人間の厚みと深さが試されるのかも。例えば、中学生が草野球をしているボールが苦沙味先生の家に入ってくるといった事件一つとっても‥‥。まあ、そこまで深読みを気にせずとも、単純に「吾輩猫」の視線で人間世界を見るだけでも十分に面白い。ところで、これから全集読破に挑むにあたって、漱石研究の先達たちの「解説絵巻物」の厄介になろうと決めている。第一巻を読みつつ既に石原千秋、小森陽一の『漱石激読』をも併読し終えたのだが、実に刺激的な中身であった。おいおいその成果も反映させていきたい■私としては「哲学先生」の文明談義など、滅法ためになった。「西洋の文明は積極的、進取的かも知れないがつまり不満足で一生をくらす人の作った文明さ。日本の文明は自分以外の状態を変化させて満足を求めるのぢゃない。西洋と大に違ふ所は、根本的に周囲の境遇は動かすべからざるものと云ふ一大仮定の下に発達して居るのだ」ーこのあたり、100年を優に超えてしまった今、漱石の慧眼が光る。「山があって隣国へ行かれなければ、山を崩すといふ考を起す代りに隣国へ行かんでも困らないといふ工夫をする。山を越さなくとも満足だと云ふ心持ちを養成するのだ」ー漱石のいう工夫をせずに、日本人も至るところで山をぶち抜きトンネルを掘って来た。「とにかく西洋人風の積極主義許りがいゝと思ふのは少々誤まって居る様だ。(中略)積極的に出るとすれば金の問題になる」ー漱石の見立て通り、日本も西洋風の金、カネ、かねの世の中になってしまった。日本人は西洋人風に骨の髄まで変質してしまっているのかも知れぬ。今私は〝日暮れて道遠し〟を気にしながらも、近代日本の150年を考える旅に出ようとしている。その旅の第一日目に道連れとなった「吾輩猫」の印象は、冒頭を飾るにふさわしい、ユーモアをいっぱいにたたえつつ、したたかな中身を満載したものであった。(2018-9-30)

 

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