毎年1月26日のSGI(創価学会インターナショナル)の日に、SGI会長の池田大作先生が寄せられる記念提言は、今年で44回目のものとなる。今回のタイトルは、「平和と軍縮の新しき世紀を」。長く公明党の外交安全保障政策分野を担ってきた私は、先生のこれまでの提言に強い関心を持ってきた。日本の対応には問題なしとしないものの、核軍縮を巡る状況には微妙ながらも変化の兆しが見える。ここでは今回の提言について、❶変わらぬ現状の背景❷前進が見られる側面❸先生の具体的提言という3つの観点から私なりの整理を試みたい▼まず、核軍縮を巡る大状況がなぜ変わらないか。核抑止論とあきらめの蔓延ーこの二つが挙げられる。米国保有の核の傘のもとに日本が存在することで、これまで70有余年、曲がりなりにも「戦争のない平和」がもたらされてきた。核廃絶は不断に求める命題であるが、結局は見果てぬ夢だーこれが私を含む一般的な見方である。これに対し、池田先生は著名な物理学者で哲学者のK・F・ヴァイツゼッカー博士の考察を引用し、問題の根源を抉りだしている。その考察とは、冷戦時代から今に続く「平和不在」の病理の克服が重要だというものである。私風に言うと、「みんな自分は重い病気に罹ってると自覚しろ」との主張だ。先生はこの病気が治らなかったら、「次代を担う青年たちが健全で豊かな人間性を育む環境は損なわれてしまう」と強調している▼二つ目の観点は、それでも「希望の曙光」はある、核軍縮は僅かながらも前進しているということである。池田先生は、「不可能と言われ続けてきた核兵器禁止条約も2年前に採択が実現し、発効に向けて各国の批准が進んでいる」とする一方、「対人地雷、クラスター爆弾、そして核兵器と、非人道的な兵器を禁止する条約が一つまた一つと制定されてきている」と具体的な実例を挙げている。「国際政治や安全保障に基づく議論だけでなく、人道的な観点からの問題提起が行なわれるように」なったことは、これまでSGIの諸活動を背景に、営々として築かれてきた先生の大いなる行動と言論の結果に違いない。さらに、具体的な前進面として、難民支援での特筆すべき動きやプラスチックごみの削減を目指す運動にも触れている▼三つ目の観点は、❶「平和な社会のビジョン」の共有❷「人間中心の多国間主義」の推進❸「青年による関与」の主流化という3点を、「21世紀の世界の基軸に軍縮を据えるための足場」として挙げていることだ。この中で私が特に感銘を受けたのは、釈迦の説いた「他者の苦しみを自分とは無縁のものと思い、嫌悪の念すら抱く人間心理」に対して、池田先生が「奢りから生じる無関心や無慈悲が、人々の苦しみをより深刻にしてしまう」と喝破されているくだりである。我が身に引き当てて反省と共に強い共感を抱く。加えて❶有志国による「核兵器禁止条約フレンズ」の結成❷国連の第4回軍縮特別総会の2021年の開催❸AI兵器と呼ばれる「自律型致死兵器システム(LAWS)」を禁止する条約の交渉会議の早期立ち上げ❹国連での「水資源担当の特別代表」の任❺SDGs推進に向けての世界の大学の協力推進ーなどを提案した。岩盤にハンマーを撃ち下ろし、割れ目に手を差し入れるがごとき、事細かな提案にただただ胸震える思いが募る。半世紀に及ぶ不屈の闘いに応えねば。(2019-2-2)
(293)胸打つ国づくりへの貢献ー黄文雄『世界を変えた日本と台湾の絆』を読む
台北空港に降り立ち、思わず震えた。1月下旬とはいえ、沖縄よりも南に位置するので春の訪れを感じさせるはずとの期待は裏切られた。姫路からリムジンバスで揺られること2時間。関空からの機中と合わせ5時間余り。今回の海外旅の伴に選んだのは黄文雄『世界を変えた日本と台湾の絆』。日台関係の歴史を予め掴んでおこうとの安易な気分からだった。新書版で軽いノリの本と思いきや、知ってるつもりの情報より深いものがズッシリと詰まった重い本であった。絆作りにかけた先達たちの熱い思いに私の心は満たされた▼21世紀に入る直前に、『アジア・オープンフォーラム』の一員だった私は、台北、台中、高雄と主だった都市を訪れた。それは、学問上の恩師・中嶋嶺雄先生がご自身の「中国研究」の集大成として精魂傾けられた事業を垣間見る機会であった。李登輝総統と台北の総統府で接見したり、高雄の懇親会で謦咳に接した懐かしい場面が遠い彼方から蘇ってくる。日本と台湾の双方で毎年交互に開催場所を変えながら、北東アジアの国際政治を両国の政治家、知識人たちが議論するものだったが、その場に連なりえたことは大いなる名誉だった▼台湾と日本人というと、すぐ思い起こすのは、後藤新平、八田與一の二人。片や台湾統治の基盤を築いた政治家。後者はダムの設計、灌漑の基礎を作り上げた技術者。だが、この本にはそれ以外の人物がこれでもか、これでも足らぬか、と続々と登場する。農業、医療、教育、道路、港湾建設など、国づくりに必要なあらゆる分野での多士済々の人材が投入されたことが分かる。台湾になぜかくも多くの日本人が打ち込んだのか。それぞれのドラマを知りたい気持ちになってくる。一方、この本の冒頭に掲げられているNHK「朝ドラ」で今放映中の「まんぷく」のモデル・安藤万福のように日本に貢献した台湾人も数多い。相互の信頼を培う何かが両国にはある。これは朝鮮半島とも大陸・中国ともまったく違う▼こうした関係を念頭に、訪台の行程で懇談した沼田大使(日本台湾交流事務所長)に、初代総督の樺山資紀から、二代桂太郎、三代乃木希典、四代児玉源太郎ら錚々たる人物名をあげたところ、「皆早く帰りたいと思っていた連中ばかり」、と吐き出すように言われたのには驚いた。なるほど、そういうものかと、歴史の裏面に思いを致した。と同時に、今の日本人が台湾を低く見る傾向があると、警鐘を打たれていたのは気になった。また、総統府での語らいでも政府高官が日本政府における中国への慮りに対する不満が表明されたのが印象に残る。(2019-1-31)
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(291)病院か在宅かの二つの神話ー小堀鷗一郎『死を生きた人びと』を読む
作家・森鷗外の孫である小堀鷗一郎さん(81歳)は、40年間大学病院・国立医療機関に勤務し、外科医として主に食道がん患者の「救命・治癒・延命」に取り組んできた。65歳で定年退職し、埼玉県新座市の堀ノ内病院に赴任。3年近く経って偶々同僚から引き継ぐかたちで、往診に携わった。それがきっかけで以後15年近く「在宅医療」の世界に。この本『死を生きた人びと』は小堀さんが診てきた355人の患者の死の記録である。42の事例と様々な引用文を使って、基本的には「事実の断片をコラージュしていくという方法」で、自分の体験をまとめた(昨年刊行)▼42の「日々の切れはしからなる生きた物語」は、私たちが普段は頭の外に追いやってる「死」をリアルに身近にさせてくれる。厳然たる事実が研ぎ澄まされた文章で淡々と披瀝される。流転する「生老病死」の、それぞれの段階によって、受け止め方に差異はあろうが、「望ましい死」とは何かを考えさせられる。「自分は死なない」と思っている現代人を、正気にさせる格好の「指南書」だ▼「家か病院か」ー死を迎える場所は大いなる選択である。かつては自宅で最期を迎える人が殆ど。それが1975年頃を境に逆転した。今では病院・診療所での「ご臨終」がほぼ全て。その背景には、三側面が。迫り来る死を認識しない患者や家族。「死は敗北」とばかりにひたすら延命に立ち向かう医者、病院。老いを「予防」しようとする行政と社会。1992年いらい在宅医療の流れが起きた。ほぼ10年前から転換策が次々講じられてきた。だが、未だハード面のみ。病院神話と在宅神話の双方の実態を冷静に説き、著者は「患者と家族にとって望ましいかどうかの総合判断」と結論づける▼「ピンピンころり」の理想に向けて人は生きる。だが、現実は「ねんねんコロリ」の落し穴が至る所に。自分の決着をどうするか。妻や親をどう看取るか。若き日ーウイスキーをひと瓶開けたのちの、奈落の底に陥る我が身のあの感覚。あの恍惚感。そこからの脱却を図るべく駆け抜けた50年。今日もこれでいいか、と端座して考える日が続く。(2019-1-16)
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(290)自覚したものが立ち上がれー江崎禎英『社会は変えられる』を読む
約20年前に書かれた森嶋通夫『日本はなぜ没落するか』を読んだが、その後の日本が没落過程に入ってることを改めて噛み締める思いだ。見事な分析とその的中ぶりには恐れ入るしかなかない。戦後生まれの最先端を走って来た私としては、団塊の世代及び、その前に位置する人間の責任を痛感せざるを得ない。戦前世代の労苦とその所産を引き継ぎ損なって、「アリとキリギリス」の喩えに見るような体たらくを現出させた罪は大きい。この点に関し、昨年末に、首都圏に住む私の甥っ子たちとの懇親会の場でも大いに感じさせられることがあった▼40代半ばの薬科大学准教授と30代後半のIT関連起業者の二人は口を揃えて、今の日本には愛想を尽かす他ないという。彼らの世代にとって明日に抱く希望が感じられず、誇りを持てず、どこか異国の地に行きたいとさえ口にして憚らない。その際に話題になった本が江崎禎英『社会は変えられる』であった。この著者は経産省の役人。「か」の疑問符つきでなく、「る」と言い切ってるところがこぎみいい。日本の社会保障の明日なき厳しい実態に触れたあと、処方箋とご自身の現実の闘いぶりを描いていて味わい深い▼著者は、経産省から岐阜県庁に出向した時代に二つの大きな仕事に携わった。一つは、外国人労働者問題。もう一つは、福島原発事故の被災者対応問題。前者は、同県に住む日系ブラジル人たちがリーマンショック時の生活苦から、帰国を希望する者が続出したことから起きたそれへの支援を巡っての戦いである。ドラマチックな展開は手に汗握る。後者は、被災者支援を手探りで行った際の体験である。 受け入れ住宅施設に浴槽がないことがわかって、急遽長良川温泉への受け入れを実現するまでの苦闘。その努力に心打たれる▼そして再生医療をめぐる法制度の改革についての地道で粘り強い努力にも頭が下がる。尤も、途中経過における厚労省と経産省の対立を巡っては、悪玉、善玉風の描き方が少々ステロタイプに映るが。だが、結果として、この分野では世界最先端の法制度を持つ国との評価を得ているとあっては、細かいこととして目をつぶろう。著者は結論として、「日本が世界が憧れる素晴らしい国として、次の世代に引き継ぐための取り組みを今から始めましょう」と訴えている。高級官僚をめぐるマイナスの話題が多い中で爽やかな印象を受けるいい本である。平坦な道ではないが、その必要を自覚した者から立ち上がる他ない。(2019-1-10)
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(289)リアルなき無惨な救済策ー森嶋通夫『なぜ日本は没落するか』を読む
今年から読書録は短くしたい。これまで2000字ほどだったが、長すぎて読めないとの不評もあり、グッと縮める。新年のトップは森嶋通夫『なぜ日本は没落するか』を。この本は21世紀を迎える直前に書かれた。2050年に照準を合わせて、ズバリ没落すると予言している。とっくに読んだ人も多かろうが、20年経って予言の正否を振り返るのも面白い▼没落の理由は、精神、金融、産業、教育の荒廃にあるとしており、いちいちごもっともと思わせる。とりわけ手厳しいのは政治家に対して。これは全く正鵠を射ており、ぐうの音も出ない。ただ、この本の鋭いところは、ここまで(荒廃の因をたどる作業は得難い)。残念ながら、ではどうするかという処方箋と、その見立てが全くいい加減と言わざるを得ないほどの出来具合だ▼ただ一つの救済策として、「東北アジア共同体」案をあげているものの、その理由の一つとして「日本人はもっと中国の江沢民主席や韓国の金大中大統領を信頼すべきだ」としているくだりにはいささか呆れる。 「江沢民の13年」と言われる反日教育の元祖や、今の文在寅大統領の容北政策の範たる人を、持ち上げているようでは。この構想は、かの鳩山由紀夫元首相も掲げていたことを見ても、そのリアルのなさがわかろう。理想と現実の違いをかくほどまでも取り違えている人は珍しい。それにしても、森嶋さんは、英国一辺倒で、その推奨の度合いたるや、これまた呆れるほどだ▼今年頂いた賀状で、大前研一さんが、ご自身、平成のはじめに「平成維新」運動を起こしたもののなすことなく失敗の憂き目を見たことを反省しておられた。だが、その一方で、日本は数百年はズルズル落ちると指摘したことは当たったと誇っておられた。森嶋さんも今健在なら、没落するっていった通りだろうといわれるかも知れぬが、「ただ一つの救済策」とされたものは見るも無惨な結果である。大前さんの「平成維新塾」と森嶋さんの「東北アジア共同体」構想。かくほどまでに日本立て直しは難業であるいう他ない。(2019-1-4)
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(288)価値観変えた武士の登場ー中公新書編集部編 倉本一宏『日本史の論点』第1章 「古代」編を読む
日本史のうち古代は好き嫌いの差が大きいように思われる。古代ファンは私の周りにも少なからずいるが、私自身は苦手である。だから、この本もとっつきやすい後ろの現代から前へ逆に読み進めてきた。単に食わず嫌いなのだろうが、遥かなる昔のことに私の貧弱な想像力が及ばないからだとも思う。小説でもSF小説は馴染めない。要するにリアルがないものには手が伸びないのだ。だが、ぐるっと回って元に戻って「列島の形成から六世紀までの概要」を再び読み返すと、かなりわかってはきた。ただ、自分の理解力の拙さを棚上げにして、著者の著述ぶりの難解さが気になる。もっとわかりやすく書いてくれ、と。かつて古代史における天皇の描かれ方で、皇室の血塗られた歴史やその出発点の在りように疑問を抱いたというナイーブな私だが、この本でもあんまり克服できたとは言い難い■論点1はご存知のテーマ「耶馬台国はどこにあったか」である。様々な論争の末、近年になって「纏向遺跡の発掘調査の進展、また最初の倭王権盟主墳である箸墓古墳の年代を卑弥呼の次の世代くらいに遡らせるようになったこと」で畿内説が優勢だという。だが、倉本さんはその説に与せず、現在の久留米市、八女市、みやま市近辺地域で、環濠集落遺跡が発見されれば、との条件付きで、「そここそが耶馬台国の可能性が高い」としている。その推論に至る経緯を丁寧に説いているのだが、最大の根拠は「そもそも、纏向遺跡が耶馬台国だとすると、この巨大遺跡が三世紀になって突然出現した意味が解けない」し、それまで卑弥呼たちが別の場所にいて、そこから「集団で纏向に移住したと考えるのは無理がある」ことを挙げている。加えて、有名な『魏志倭人伝』の距離記載を巡っても、「筑紫平野の南部のどこかに落ち着く」との結論を導き出していて、無理なきように読める。この所在論は、著者が言うように、それにのみ「議論を集中させるのは生産的なことではない」と分かってはいるものの、ミステリーじみて面白くはある■論点2は「大王はどこまでたどれるか」なのだが、この大王なるものの説明がなく、わかりずらい。天皇のことを指すのだろうが、あまりこの表現は馴染みがない。この辺り、要するに不明な、謎めいたことが多くて、よくわからないというのが歴史家にとっても本音だろう。「確実にたどれるのは継体大王」と言われたところで、当方は頭を抱えるしかない。論点3は、「大化の改新はあったのか、なかったのか」。あったものと思い込んできた私など、「大化の改新否定説」なるものに驚く。著者によると、1980年代後半には歴史学会、「特に関西では強かった」というのだが、曖昧なままで、問題の立て方がひと騒がせだと思う(この辺は編集者の責任かも)のは私だけだろうか。論点4の「女帝と道鏡は何を目指していたか」でも、 核心に迫る記述は読み取れない。辛うじて一般にこれまで道鏡=悪僧説が強かったが、近年は研究も進み、道鏡=学僧説が強まっているという辺りが関心をひく程度だ。「女帝と不適切な関係があったわけではない」というくだりには、なぜそんなことがわかるのかなあ、と苦笑いを禁じ得ない■論点5の「律令制の崩壊」と論点6の「武士の台頭」は連関性を感じさせ、いささか興味を惹きつけるものの、やはり読み物としては退屈である。このように次々とあげつらうことは本意ではないが、学術書でなく一般大衆向けの新書なのだから、もうすこしサービス精神を発揮して欲しい。だが、最後の最後に俄然面白くなる。武家が中央の政治に影響力を持ち、政治の中心に座ると、「日本の歴史は途端に暴力的になって」、「自力救済(=暴力主義)を旨とする武士の世の中を迎え、まったく異なる価値観の国になってしまった」という著者の嘆きが沸々とたぎってくるくだりである。「武士的なもの」が主流になって、「古代的なもの」「京都的なもの」「貴族的なもの」が傍に追いやられた、と。そして、「草深い東国の大地を善」「腐敗した京の都を悪」とする地域感が今に至るまで生き続けている、と慨嘆しているのは興味深い。この指摘、日本史における東西の印象を極端に戯画化して捉えているように思われ、面白い。これは東国を遅れた哀れな地域、京を先進的で恵まれた地域と見る地域感と裏表をなすと、皮肉りたくなる。このような展開をもっと前に出してくれると、古代史もぐっと読み応えが出てくると思うのだが。(2018-12-30)
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(286)迸る米国人の本音ーR・D・エルドリッジ、K・ギルバート『危険な沖縄』と『平和バカの壁』を読む
2018年の沖縄県知事選挙が玉城・デニー氏の勝利で終わったのもつかの間、普天間基地の移転に向けて、辺野古基地の滑走路建設に伴う埋め立て工事が始まった。それに反対する新しい知事の誕生という選挙結果とは真逆の出来事である。この事態が起きる少し前に、私はケント・ギルバート、ロバート・エルドリッジ両氏の対談本『危険な沖縄ー親日米国人のホンネ警告』という本を読んだ。実は著者の一人エルドリッジ氏とは、かつて米軍基地に視察に行った際に会い、色々と議論した間柄である。その後、彼が兵庫県に移転してきて、偶然にも私が友人と共催する異業種交流会で再会した。いらいしばしば会うことに。この間には、ご本人から直接、近著『平和バカの壁』(同じ共著者による)なる本を頂いた。直ちに読んだ。その際に前作の存在も知り、興味を持つに至ったのである。産経新聞系列の出版社名とタイトルを見れば、およそ中身はわかろうというものだが、二冊とも分かったつもりの勘違いを覆させられる刺激いっぱいの本であった■日本人として、安全保障をめぐって米国人から警告を受け、「平和バカ」と罵られて黙ってはいられない。身構えて、ページを繰っていった。エルドリッジ氏とは「沖縄県民の米軍への反発をどう見るか」でしばしば言い合いになる。私の年来の主張は、日本のホストネーション・サポートに対して、米軍側にはゲストネーション・マナーがなさすぎるというもの。それがただされぬ限り、何をしても、どう言っても沖縄の心は変わらない。で、両者の論争は平行線。彼が対談本の中でこの観点のことに触れているかどうかが大いに気になった■最近作で主張するところを、私なりに手短に要約する。紛争発生に対して、戦争で解決する立場を踏襲する米国と、話し合いで解決を図る日本との違いをあげ、手を替え品を替えて、日本の「平和主義」のリアルのなさを強調している。顧みれば、米国との戦争で完膚なきまで叩きのめされた日本は、それに懲りて過去とは全く違う道を歩んできた。米国からすれば薬が効きすぎで、早く正気に戻ってくれというところだろうが、そうはいかない。すぐに暴力に訴える米国式トラブル対処法は日本には馴染まなくなってしまっている。ただ、この本を読むと、米国の論理と本音が極めてよく分かる。その価値を大きく評価したい。一方、『危険な沖縄』についても流石に海兵隊の最高責任者のひとり(外交政策部次長)だったエルドリッジ氏だけに、その主張は明快で鋭い。彼は監視カメラの映像を外部に提供したと見られる事件(基地反対派の境界線不法侵入)で米海兵隊を解雇された。事実を知らせることで、国会始め世の中での議論の整理を狙ったのだが、曲解されてしまった。この措置に彼は承服はおろか、反発し続けている。そんじょそこらの「軍人」ではない筋金入りの強者なのである。沖縄タイムス、琉球新報ー現地での二つの新聞メディアに引き摺られる沖縄世論。その主流は左翼そのもので、いびつ過ぎるとの主張が繰り返し強調され、そこには強い説得力がある■ただ、だからといって、読む者の腑にストンと落ちない。浮かんでは消え、消えては浮かぶ駐留米軍の無法ぶりは一部ではあっても目に余る。これに対する沖縄県民の怒りと悲しみを分かっていないのではないか。米国人には、「民族の悲哀」ともいうべきものに眼が届いていないのではないか、と。米軍の犯罪にはこの本でも触れられてはいる。だが、沖縄における日本人の犯罪に比べてその数が少ないことしか述べられていない。これでは開き直っているように思われる。彼は、東北大震災時に米海軍が展開した「トモダチ作戦」の中心人物。日本にとって得難い恩人であり、日本文化に深い理解を示す有数の政治学者であることをも私はよく知っている。沖縄県民の心を深く傷つけた、心ない米兵の存在を、そして背後に横たわる米沖の差別をもたらす仕組みの実態を、ご存じないはずはない。詮ずるところは「日米地位協定」の漸進的改定に打開の鍵があると思うのだが、この本では論及されていない。せっかくの対談でありながら、画竜点睛を欠くところだと私には思われてならない。(2018-12-24)
【エルドリッジさんとは会うたびに楽しい〝喧嘩〟をしてきました。そばに寄り添う夫人がやきもきしながらも笑顔で聴いていたのが忘れられません。彼は米軍の正当性を一歩も譲らず、私の言うゲストネーションマナーが欠如しているとの指摘にも耳を貸さないできたのです。不都合な「日米地位協定」を変えるべし、との私の立場と、沖縄のメディアは反米左翼姿勢を改めよ、との彼の主張は折り合わぬままです。
しかし、その一方で、米軍人の不始末で不幸になった女性たちを救済する訴訟活動にも関わるなど、陰で多大なる応援をしてくれていることが後になってわかりました。優しい心に触れて心底から感動しました(2022-5-23)】
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(285)「江戸は封建」の誤りー中公新書編集部編 大石学『日本史の論点』第三章近世編を読む
通常、日本史は、古代、中世、近世、近代、現代という時代区分で論じられる。この本でもその五つの章で成り立っている。だが、このところ近世という区分けは不必要だという主張にしばしば出くわす。この本の近世を担当する大石学氏も冒頭から「近代は江戸時代に始まるというのが私の主張である」とし、いわゆる近世を初期近代と捉えて「江戸時代イコール封建社会」という従来の見方から脱却すべき時だとしているのは面白い。かつて劇作家の山崎正和氏が室町時代から日本の近代は始まるとしている論考を読んだことがある。また、つい最近刊行された古田博司氏と藤井厳喜氏の『韓国・北朝鮮の悲劇』なる、痛快極まりない対談本でも「近世はいらない」とお二人が云い放つくだりを読んだばかりである。そのようないらない近世なるものについて、7つもの論点で解き明かしたこの章が、実はこの本で一番読み応えがあった。大石学氏の話の運び方が滅法軽快だからといえよう■近世を否定するということは、江戸期を封建社会と捉えないということでもある。著者は繰り返す。「大名、旗本は強権的・強圧的な封建領主」として「農民に恣意的・抑圧的な支配を行なっていた」のではないことを。ではどういう存在であったのか。「幕府に任命された行政官的・官僚的役割を果たした」傾向が強いというのだ。大名の領地替えである「転封」や、江戸と領地を毎年往復する「参勤交代」がその役割を促進した、と。大名は威張っているようで、じつは「前例主義」と「横並び主義」で、お家断絶を避けるため、できるかぎり個性や独自性を弱め、官僚化していった」との指摘は、なるほどと首肯させられる。映画、テレビのチョンマゲ、チャンバラの古いイメージによる従来の大名・旗本像が思い浮かぶ。これは何のことはない、結局、マルクス主義・唯物史観のもとで培われたとするのだからわたし的には堪らない。高度経済成長が進むにつれて、農村の都市化、都市研究が盛んになっていった。その結果、江戸時代が「土地に緊縛された典型的な封建社会」ではなく、個人レベルでは「身分間移動、地域間移動が行われる流動的な社会だった」ことが明らかになってきたとしている■論点2の「江戸時代の首都は京都か江戸か」と論点3の「日本は鎖国によって閉ざされていた、は本当か」は、比較的論じられやすいテーマで、それぞれ、答えは、「江戸首都論」であり、「鎖国は名ばかり」である。かつて国会で「首都機能移転」が話題になったことにも触れているが、論議に関わったものの一人として関心が改めて呼び覚まされる。また、外国文化をあれこれと取り入れていた江戸期像についてはかなり定着してきており、議論は別れることはないだろう。より興味深いのは、論点4の江戸は「大きな政府」か「小さな政府」かであり、論点5の「家柄重視か実力主義か」の二つの問題提起である。前者は、徳川8代将軍吉宗による享保改革を通しての「大きな政府」が、のちに田沼意次によって「小さな政府」へと舵を切られ、賄賂まみれの金権政治と批判される。だが、経済活性化の効用は大きく、評価は大いに別れる。その後、相次ぐ飢饉で社会不安が高まり、田沼は失脚。松平定信が寛政改革を断行、再び「大きな政府」へと転換する。このように、大小の政府の「揺り戻しを経験しながら、官僚たちを中心に国家の足腰は鍛えられていった」ことを描き、わかりやすい。後者については、著者は官僚制と公文書管理という現代風側面から、見事に時代の様相を切り取っていて実に面白い■論点6は、「平和」の土台が武力か、教育かを、論点7は明治維新が江戸の否定か達成かを問うている。前者は、教育。結論部分に井上ひさしの『國語元年』が取り上げられている。そこで「お国が違うと言葉が通じない」としているのは、「現実とは異なるフィクションである」と述べていて、興味深い。江戸時代に教育の波は北から南までつづうらうらに行き渡っており、平和の土台をなしていたとする姿をリアルに描く。後者は江戸の達成である。ここでの著者の主張は、明治初期と戦後民主化の二つの時期に、「明治維新の革新性」が持ち上げられたとしていることである。そう、二度の欧米文明の寄せる波に慌てふためいた日本は江戸のありかた批判に身を投じてしまった。江戸をけなし貶めることで、明治を、戦後日本を、非常なまでに画期的なものと捉える愚を犯したと言って過言ではないかもしれない。「100年続いた戦国時代を克服し、250年という世界でも稀有な『平和』を実現した」ことにもっと誇りをもつべきであろう。日本の平和が、「合理的・文明的な官僚システムと教育によって支えられ、江戸を中心とする列島社会の均質化ももたらした」ことが強調されている。以上、ここでの江戸見直しは「欧米の没落」と対をなして起こってきた捉え方であることを銘記したい。(2018-12-18)
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