(264)不安定の安定か、安定の不安定かー三谷太一郎『日本の近代とは何であったか』を読む

近代とは何かと問われたら、日本の場合は欧米の文明の影響を受けた明治以降の時代と答える。辞書風には、封建時代の人間性無視、非合理性を廃し、個人の生活・思想における自由を重んじ、設備の機能化、エネルギーの節約を図るようにすることを近代化という、と。では欧米のつまりヨーロッパの近代とは何であったか。一言でいえば、「議論による統治」の確立であり、慣習の支配で拘束された自由と、停滞した独創性を解放しようとするのが、近代の歴史的意味である、と。新聞の書評で見つけた、三谷太一郎『日本の近代とは何であったかー問題視的考察』は、ちょうど今の私の問題意識と一致して、読む気を誘ってくれた■著者の三谷さんは全く存じあげない方だが、本文もさることながら、あとがきを読んで大いに好感を持つことができた。人生そのものを学問に費やし、その間に「達成した事業は余りにも貧しく、誇るに足るようなものではありません」と謙虚に述べたうえで、青春期と老年期の学問の一体性に言及。若き日に成し遂げた仕事の実績、領域は年老いても越えられないものだ、と。結局は、〝処女作に回帰する〝のだということを言おうとされている。もっと率直な言い方をさせてもらうと、偉そうに各論を展開するより、初心に立ち返って、総論にきちっと立ち向かうことが大事だよと、いうことだろう。で、三谷さんは、英国のジャーナリストであるウォルター・バジョットの考察に向き合い、極めて真面目にヨーロッパ近代から日本のそれがどんなものであったかを説き起こしてくれている。バジョットはマルクスと同時代人だ、と始めて知った。片やヨーロッパ近代における経済学、もう一方は政治学を模索した新しいモデルを打ち立てたというわけだ。そうくればますます読まねば、という気になってしまった■明治期における政党政治から始まって、貿易、植民地化、天皇制と4つの切り口で日本近代の成り立ちに迫った著者の視点は鋭い。一つは、「議論による統治」の日本的形態は、明治維新期から今に至るそれへの批判や非難が実質を作り上げ、不安定の安定を作ってきたという。今の安倍政治が危なっかしいものの何とか持ってるように見えるのもその伝統ゆえかもしれない。二つは、日本の資本主義の全ての機能が集中しているといってよい原発の事故について、日本の近代化路線そのものを挫折させた、と。これもまた大いに共感する。三つは、現在のヨーロッパにおける難民問題は、植民地帝国の負の遺産であり、日本にも形を変えて潜在的に存在する、と。在日コリアンから沖縄の差別に至る問題が想起させられる。四つは、ヨーロッパにおける神の存在と日本の天皇との類似性である。明治期の設計者たちは天皇を単に立憲君主に止めず、皇祖皇宗と一体化した道徳の立法者として擁立したのは、神の代替物を探した結果だというわけである■三谷さんは、日本の一国近代化路線の失敗のシンボルとして、東日本大震災による原発事故を位置づける。富国強兵から強兵なき富国路線の挫折だというわけである。そして今後日本にとって必要なことは、「かつて日本近代化を支えた社会的基盤を、様々の具体的な国際的課題の解決を目指す国際的共同体に置き、その組織化を通じて、グローバルな規模で近代化路線を再構築することではないか」という。そして、そのためには「アジアに対する対外平和の拡大と国家を超えた社会のための教育が不可欠」だという。で、そうした自身の目指す多国間秩序構築のモデルとして、1921年暮れから22年初めに開かれたワシントン会議をあげ、そこから導かれた諸条約や諸決議を伴う国際政治体制としてのワシントン体制に学ぼうというのである。この問題提起をどう捉えるか。着眼点は悪くないが、構成要員としての各国の、政治的佇まいの様変わりぶりが大いに気になるところだ。ただ、先達の遺言として銘記しておきたいとは思う。(2018-7-15)

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(263)どこかで間違ったことを思い知るー柳瀬尚紀『ことばと遊び、言葉を学ぶ』を読む

作家・筒井康隆氏による「現代語裏辞典」では、「凝り性」の項には、「柳瀬尚紀」とだけあるとのこと。先に紹介した『日本語は天才である』を読んだ際にも、つくづくこの人こそ「日本語の天才である」と思ったものだ。言葉というものに凝りに凝ってこだわった人生を歩んだ人だ。残念なことに2年前の7月30日に鬼籍の人となられた。その日本語の達人が中学校で特別に授業をした記録が、河出書房新社の尽力で、そのまんま本になった。これは日本語と英語の授業ともなっていて、実に面白くためになる。と同時に、いったい自分はどこで間違ってしまったのか、と深い反省に陥らせられる■ここで収録されている授業は、長浜市立西中学校、久留米大学附設中学校、島根県美郷町立邑智中学校の三校とPTA対象の番外編。色々と興味をそそられる場面が数多いが、一つだけ例を挙げる。「車で」は英語でなんていうか?「by car」。では、「彼の車で」は?「by his car」と答える生徒たち。実はこれ、正解は「in his car」。ここのやり取りは実にうまい。「人間は間違えて覚えるんです。どんどん間違えて、そして覚えていく。英語にかぎらず、日本語でも、どんどん間違ってかまわない。間違えて覚えるんだという自信をもってください」この授業を受けた中学生たちは宝物を掴んだに違いない■柳瀬さんはこうした授業の中で、分からない言葉と出会ったら、辞書を引くという最も基本的なことを強調。驚くべき体験を披露している。小さな国語辞典を丸暗記したというのだ。国語辞典一冊が真っ黒になって「完全にぶち壊れ」るまで読んだという。私なんか、幾たびか挑戦したものの、ほんの数十ページで挫折してしまった。日本語では『新明解国語辞典』(三省堂)を推奨しているが、なるほどこの本(辞典と呼ばずに)は一味違う。「凡人」の定義には唸ってしまう。たんに平凡な人間ではなくて、「自らを高める努力を怠ったり功名心を持ち合わせなかったりして、他に対する影響力が皆無のまま一生を終える人」ーこう読んで、俺は凡人ではないな、とほくそ笑むと、そのすぐあとに、「俗人」の定義が。「それにしても世の中には俗人になりたがるのが多いですね」と。ギャフンとなる他ない■英語の辞書では、齋藤秀三郎の『熟語本位 英和中辞典』(岩波書店)を、「全ページ赤鉛筆の線だらけに」して、「ヨレヨレになり、手垢にまみれ、くさくなるほど読んだ」と。これは私も高校時代に手元に置いた。しかし、今ではどこへ行ったかわからない。意欲を燃やしてページを繰った日は遠い昔のかなたに散ってしまっている。この授業は、私のようなかつての真面目少年がやがていつの間にか、俗人に成り果てた経緯を思い起こさせる。改めて「少年老いやすく学なりがたし」を突きつけられる、実に罪深い本である。そのくせ、「『ロアルド・ダール コレクション』がめっちゃおもしろい」とか「筆者が手がけた『完訳 ナンセンスの絵本』」やら、『ガリヴァー旅行記』を何度目かの通読をしたといったくだりに出くわすと、ついメモってしまう。「今更」っていう気持ちが起こるが、その都度、「生きてる限りは青春だ」と我が身に言い聞かせて。尤も、青春って、「[夢・野心に満ち、疲れを知らぬ〕若い時代」なんだけど。(2018-7-7 )

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(262)子や孫の行く末を案ずるー『未来の年表』と『LIFE SHIFT』を読む

河合雅司『未来の年表』のインパクトは極めて強い。発刊からちょうど一年が経つが、この間に大きな話題になった。既に続編も出ている。「人口減少日本でこれから起きること」のサブタイトルも示しているように、このまま手を拱いて放置していると、日本はこのように消滅への道を歩むと予測する衝撃の書である。もう一冊のリンダ・グラットンとアンドリュー・スコット『LIFE SHIFT (100年時代の人生戦略)』の方にも強烈な刺激を受けた。前者が少子高齢社会の社会全体としての対応を求めているのに比し、後者はどちらかといえば、個人としての取り組みを促しているものと読める。共に、時代の転換期にどうするんだと激しく問いかけを迫っている警世の書でもある■先に私は『LIFE SHIFT』を読んだ。偶々テレビで、著者のひとりL・グラットンを囲む青年たちとの語り合いの場面を見てしまったのである。番組名は忘れたが、今若手社会学者として注目されている古市憲寿氏が司会役をしていた。登場している連中の手に、その本があり、グラットン女史も好印象だったので直ぐに飛びついた。面白かった。「人生80年」と言われだしたのも束の間、もう「100年時代」だそうな。それを今年73歳の爺さんが読むというのだから、お笑い草かもしれない。で、私が読んで一番感動したのは、もはや「教育→仕事→引退」という人生の定番スリーステージ時代は終わり、新たなステージを迎えているという捉え方だ■これはお金偏重の人生を、根底から変えて、成長至上主義的な生き方の次に位置する新しい生き方を指す。それこそ、エクスプローラー、インディペンデンス・プロデューサー、ポートフォリオ・ワーカーの三つの選択肢だというのである。英語だと分かりづらい。日本語で私なりに解釈するとそれぞれ、❶いわゆるフリーターをしながらも将来に向けて知見を蓄える生き方❷個人事業主あるいは起業家とも言える生き方❸いくつかの他業種を同時並行的に関わる生き方ーと言えようか。こうした生き方が求められるのが、これからの「人生100年」時代であり、そこには年齢などあまり関係ないというのだ。そういう時代をこれから生きる若い人たちは大変だなあと思いつつ、残された時間を充実させて生きるぞと自らに言い聞かせながら読んだのである■そこへ、気にしつつ放置してきた『未来の年表』を読む気になったのは、政治家としての責任から、という思いがやはりある。ここで展開される年表はまさに正視に耐えない。これまでの日本の遺産を食い尽くすだけであった「団塊の世代」とそのジュニア世代たちが年老いていくとどういう社会がそこに展開するか。これは少しだけの想像力があればわかろうというものだ。しかし、改めて突きつけられると辛い。先に述べた新しいステージでいえば、ポートフォリオワーカーを自ら実践していると呑気に構えてる(わけではないが)身として、恥ずかしい。要するに、我が子や孫たちがこれではどうなってしまうのか、という切実な問題なのだ。河合さんは、この本で、「日本を救う10の処方箋」を次世代のためにいま取り組むこととしてあげている。これこそ現実に責任を持つ政治家や官僚が議論の対象にすべきことであろう。「戦略的に縮む」ことが第一に提起されているが、重要な問題提起だ。私がこれまで、繰り返し主張してきた、「富国強芸」の旗印というのも、ある意味で同じ趣旨といえなくもない。ともあれ、ここでの処方箋をひとつの素材にして各方面における議論を起こし、いっときも早い具体的な対応策が講じられねばならないといえよう。(2018-6-29)

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(261)合理的手段としての軍事力ー道下徳成『北朝鮮 瀬戸際外交の歴史』を読む

この本の存在を知ったのは、礒崎敦仁慶大准教授の「北朝鮮の交渉術」と題する毎日新聞のコラム(「今週の本棚」6-3付け)だった。彼はこの6-12の米朝首脳会談でメディアに登場した専門家の中で、恐らく最も若い部類に入る。私が現役時代だから10年ほども前に、駐日米国公使邸での日米懇談会で初めて会った。私の慶應での同級生・小此木政夫氏の後継の一人ということで、親しく言葉を交わしたことを覚えている。今回の一連の出来事を北朝鮮の側から解説する論者として、最もシャープな語り口調だったとの印象を持つ。その礒崎氏が近年、日本人研究者によって生み出された優れた北朝鮮研究の書のひとつとして選び、過去から今に至る核・ミサイル外交を「ひとつの文脈で捉え直すことに成功している」と評価したのが道下徳成『北朝鮮 瀬戸際外交の歴史』である■道下さんは、戦略論や日本の防衛政策の専門家で政策研究大学大学院准教授。柳澤協二氏の対話集『抑止力を問う』で巻頭を飾っており、二人の間で最も骨太な議論がなされていたとの思いが強い。北朝鮮の外交を巡っては、まともな意味では今回初めて広範囲な人びとの口の端にのぼった感がするが、この書は北朝鮮の指導者たちが「その政策目的を達成する合理的手段として軍事力を用いてきたこと」を明らかにしている。瀬戸際外交とは、緊張をギリギリまで高めることで相手の譲歩を迫る手法を指す。昨今では北朝鮮の十八番のように見られているが、歴史上有名なのは、1938年のナチス・ヒトラーがミュンヘン会談の場で、英仏にズデーデン地方の割譲を迫ったもの(両国の宥和政策を引き出すことに繋がる)と、1962年のキューバ危機に際して、ケネディ米大統領がソ連に核戦争も辞さない姿勢をとったケースが双璧だろう。北朝鮮としては、1968年の米海軍情報収集艦プエブロ号を乗員丸ごと拿捕した事案がほぼ最初のものになるわけだから、もうこの手法も50年の年季が入ってるのだ■この書の序章で、道下さんは、北朝鮮の瀬戸際外交の特徴として❶北朝鮮の政策目的は、時代とともに、野心的かつ攻撃的なものから限定的かつ防衛的なものに変化してきた❷北朝鮮の軍事行動は政策目的に合致していた❸北朝鮮の軍事行動は局地的な軍事バランスなどの構造的な要因によって促進され、あるいは制約されてきた❹北朝鮮の指導者たちは過去の経験から教訓を学び、時とともに軍事行動と外交活動を、より巧妙に結びつけるようになってきたーの4点を挙げている。精密な分析を通じてこうした結論を引き出してくる道下さんの手際はまことに鮮やかなものである。さらに、歴史的に分析をすることで❶北朝鮮の瀬戸際外交において抑止力は不可欠の要素であり続けてきた❷法的な要素が重要な役割を果たしてきた❸奇襲的行動によって対象国に心理的ショックを与える手法をしばしば用いてきたことなどが明らかになったとしていることも興味深い■一般的には、北朝鮮が国内政治上の問題を解決するために軍事行動をとってきたとすることや、国際環境が悪化した場合に軍事行動をとる傾向があるとの分析がなされがちだ。しかし、道下さんは明確にこうした見方は誤りであり、正しくないと明言している。そうした結論への導き方は極めて冷静で信頼するに足る。勿論こうした分析を示しているからといって彼は別に北朝鮮の瀬戸際外交を礼賛しているわけではない。「短期的には成功を収めた場合でも、周辺諸国の対抗措置を促進することによって、中長期的には否定的な結果を招くことがあった」とすると共に、「北朝鮮は軍事力を合理的に使用してきたのは事実であるが、政治目的の達成という点からみると、五段階評価の『三』程度の成績であった」としている。つまり、中ぐらいなのだ。しかし、これとて、一般には合理的どころか極めて感情的、恣意的な外交・軍事政策だと見られがちであった北朝鮮を結果的に大いに持ち上げていることになろう。国際社会の場に初めて登場したといっていい金正恩氏。その背景をなす外交姿勢の分析が示す意味は、限りなく大きいと言えるのではないか。   (2018-6-19)

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(260)現代の独裁者と民衆の距離ー鴨下ひろみ『テレビに映らない北朝鮮』を読む

今日や明日食べることに事欠く深刻な台所事情のはずなのに、核実験にうつつを抜かしミサイルを飛ばす。平気で政府高官を粛清し、白昼堂々と異国の地で人さらいや時に抹殺さえも。そのくせ国際社会でいかに制裁を受けようとも懲りずにしたたかに渡り合う。恐怖政治が展開されているのに、最高指導者は意外に大衆に親しまれている一面もありそうーまさに群盲象ならぬ狐狸を撫でる感がするのだが、これが北朝鮮の一般的なイメージではないか。そこへ、米朝首脳会談がシンガポールで行われ、テレビ映像で金正恩という人物をまじかに見る機会を得た。「素晴らしい人柄で頭がいい。両方兼ね備えている」ーついこの間まで、互いに派手な罵り合いをしていた一方の当事者が褒めちぎった。これまでの伝統的な米国指導者とは全く異質で、ツイッター的思考の持ち主であるトランプ氏の発言に改めて戸惑いを覚えた人は少なくないと思われる■私はこれまでの人生で、朝鮮半島問題を専門とする学者と数多く付き合ってきた。古くは、神谷不二氏から始まって、小此木政夫、伊豆見元、古田博司、磯埼敦仁といった錚々たる面々だ。またジャーナリストでは東京新聞の五味洋治、フジテレビの鴨下ひろみ記者とも。鴨下さんは『テレビに映らない北朝鮮』をつい先程出版したばかり。彼女と私が初めて会ったのは市川雄一秘書をしていた頃だった。市川氏がしばしば彼女のことを鋭い視点を持った優秀な記者だと評価していたことを思い起こす。30年に及ぶ北朝鮮ウオッチャーが満を持して解き明かした本を読み終えた直後に、金正恩委員長の文在寅韓国大統領との〝抱擁シーン〟やトランプ米大統領とのツーショットを見ることになった。北東アジアに真の意味で平和が訪れるかどうかの瀬戸際に立って、我が頭の中を去来するものは甚だ多い■北朝鮮でやはり気になるのは恐怖政治の内情である。「不機嫌な独裁者」とのタイトルの第1章では、2万人にも及ぶ粛清があったとの韓国脱北者組織の発表を挙げている。数の多さもさることながら、金正恩に異見を述べたとか、会議で居眠りをしたからとか、姿勢が悪いからとの理由で、高射機関銃で銃殺されたというのには呆れはてるとともに、戦慄を覚える。最終章の「北京で見たノースコリア」では、北朝鮮のエリートの脱北が後を絶たない例をあげ、太英浩在英公使ら10人近い外交官の亡命(16年夏までに)を韓国メディアが報じていることに触れている。これが体制崩壊につながるかどうかは、未だ分からないとしているのだが、大いに興味をそそられるところだ■この本では、今述べたように厳しい政情を暴く1章と5章に挟まれた2-3-4章に、北朝鮮におけるさまざまな実態が映し出されている。超豪華なホテルやスキー場。シェルター役を兼ねた地下の奥深いところを走る地下鉄。街の随所を覆う太陽光パネル。エリート教育の光と影など興味深いものが次々と。そんな中で、鴨下さんが一貫して追い続けているものが庶民大衆の実像だ。彼等の真実を見抜こうとする著者の目は、純朴そのものの表情を見逃してはいない。組織の永続にとって怖いものは外からの批判、攻撃ではなく、内側からの腐敗、叛逆だと見るのが歴史の鉄則だろう。その点で、金正恩委員長は米国と対等に渡り合う外交に狡知の限りを尽くしつつ、内政における不満や批判を早期に摘み潰す姿勢であることは間違いない。〝人権抑圧〝という砂上ならぬ〝氷上の楼閣〝の上に立つ異常極まりない政権。今回の米朝会談および声明を巡って、今後の展開に様々な憶測が飛び交う。朝鮮半島に平和が字句通り構築されるのか、それとも再び一触即発の危機的状況に逆戻りするのか。真反対の見方が存在する。ただ少なくとも、厚いベールに包まれた状態から指導者が飛び出してきたことだけは明瞭である。鴨下さんの続編に期待したい。(2018・6・15)

 

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(259)現場に身を置いて考える凄みー藻谷浩介『世界まちかど地政学』を読む

いやあこれは、面白くてためになる。副題に「90か国弾丸旅行記」とあるように、滞在時間は問わず、日帰りでも、一泊でも、文字通り弾丸のように素早く動いて、行った先の現場で考えた記録だ。綾なす歴史と入り乱れる地理を背景に、あたかも名料理人が素早く作ってくれた手料理のように美味しく味わえる。なかなか世界に飛んでいけないし、仮に現場に立っても表面的にしか見る力がない庶民大衆にとって、実に手っ取り早い情報源だ。目の前に出されて見れば、なるほどこういう本は必要だね、ということになるが、もちろん誰でも書けるわけじゃあない■ここで藻谷さんが訪問し取り上げた国は14か国。米国、英国、ロシア、中国といった有名な大国の中の、知られていない地域に始まり、コーカサス三カ国やボリビアという馴染みの薄い国や、スリランカ、パナマ、ミャンマーといった知られてはいるが、イメージの湧かない国といったマイナーなところばかり。自慢じゃないけど一つとして私が訪問したところはない。藻谷さんは、日本全国の約3200市町村の全てと全世界の国の約半分の国々を、全部自費で行ったとか。地域振興をテーマにする研究者という仕事に寄与するとはいえ、おいそれと真似はできないことだ■最も唸ったのは、第1章に登場するカリーニングラード。ドイツの〝北方領土〝と呼ばれるところだ。旧ソ連がかの第二次世界大戦でドイツから「戦利品」として奪い取ったバルト海の港町。かつてはプロイセン王国建国の地・ケーネスヒブルグ。今はロシアの飛び地として、EUに囲まれ孤立している。この地の存在すら知らなかった。実は去年、地元に住む大阪市大の著名な数学者・枡田教授を招いて自治会で教養講座を開いたが、その時の演題が「オイラーの数学」だった。有名な「一筆書きの定理」の手ほどきを受けたのだが、この数学者オイラーのパズルの舞台になった場所がこの地だという。知らなかった。ついでにここがカントゆかりの地であることも■話題がつい横道に逸れてしまった。藻谷さんは日本人が北方領土を返せと声高に叫ぶのはいいが、せめてドイツにおけるカリーニングラードの存在とその背景を知ってからにせよという。国際政治における連動したテーマは、一方だけ論じてもそう簡単に事は運ばないという好例だ、と。少なくとも同時並行でのアプローチが求められよう。ちなみに私が理事を務める「安保政策研究会」の先日の例会で、10人ほどの参加者に、この地のことを話題にしてみたが、ご存知だったのはお一人だけ。少しホッとしないでもなかったが、日本における安保論議はことほど左様に自国本位で、井の中の蛙的側面があるのかもしれぬ。さらに、英国についての記述もむやみに面白かった。求心力と遠心力が織りなす国の多様性と業という切り口が。旧ソ連・コーカサス三カ国も複雑怪奇の見本だ。スリランカとミャンマーを巻き込むインドと中国の地政学も深く考えさせられた。ただ、中国、韓国、台湾の高速鉄道乗り比べについてはイマイチだった。日本の新幹線への誇りのなせる技かも。ともあれ、続編が今から待ち遠しい。(2018-6-10)

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(258)天の声が聴こえる━━佐竹隆幸『「地」的経営のすすめ』

 大阪ミナミの老舗料亭に生まれ、最終的には大学の教授。というと、なに不自由ない生活をガキの頃から過ごし、粋な遊びを身につけた、いわゆる大阪のボンボンを連想する。ところがどっこい、そうは人生甘くない。15の歳に家業が倒産。山のような借金がかぶさって来た。そこへ大病を患い悪戦苦闘は果てしなく続く。とはいうものの生来のガッツが幸いして、マイナスをプラスに、苦境をバネに、次々と難題をはねのける。そして「博覧会おたく」から「世界遺産を巡る旅」と興味の向かうところ果てしなく、見果てぬ夢はなんと「NHK紅白歌合戦の司会役」──実はこれ関西学院大の佐竹隆幸教授(故人)の『「地」的経営のすすめ』の「あとがき」から再構成したものである。

 奥さんとの出会いも書き込まれ、本体よりもこっちの方がめっぽう面白いかも。というと、ご本人や周辺から怒られそうだが、正直ものは嘘をつけないのでお許しを願いたい。佐竹さんとの初めての出会いは20年ほど昔に遡る。地元のサンテレビに顔を出され始めた頃のこと。各地で講演をバンバンこなされ、その話術の巧みさと歯切れの良い口調が大向こうを唸らせて、兵庫の政治家たちの話題にいつもあがっていたと記憶する。当時の経済情勢を料理し、どう経営をしていけば儲かるか、との話は聴衆を魅了し尽くしていたものだ。で今、引退をした私の前に颯爽と登場された。その肩書きは「兵庫県参与」。前の知事だった井戸県政へのアドバイザーとして縦横無尽の活躍をされるなかでの再会となった。

●震災後の厳しい環境を乗り切った物語

 

 頂いた著作は、もう一冊。『「人」財経営のすすめ」。2冊を一気に読んだ。地元神戸の経営者を中心に、震災後の厳しい環境を乗り切った知恵と根性の物語が紡がれ、あぶり出される。兵庫を地盤とする政治家として恥ずかしいことに、私が知ってる企業とひとは、ジュンク堂の社長だけ。それだけに貪るようにページをくった。若き日に通った日東館や海文堂など懐かしい書店の姿は今はない。丸善と業務提携するに至ったこの書店は、今や全国区の書店としてそびえ立つ。背後というか、横合いからかのアマゾンの影が忍び寄るこの業界。明日はどうなるのか、興味は尽きないが、言えることはただ一つ。本屋の財産は「なによりも人です」との工藤社長の文末の言葉だろう。私はジュンク堂の社員にこそ、この本を読ませたいと思った。

 四日市の蔵元ファンを全国に拡大した「宮﨑本店」も興味深い。お酒どころの灘を擁する地域からは敢えて選んでいないところが憎い。清酒「宮の雪」ファンの一人・大前研一氏の著書のなかの言葉が目を惹く。「友人に出すときに、一言『物語』が語れるからだ」と。また、焼酎「キンミヤ」 も北村薫の『飲めば都』に登場していることも初めて知った。全篇余すところなく中小企業経営の真髄に充ちている。兵庫県立大学から関西学院大へと仕事の場を移された佐竹教授。私の後輩で古希に近い同大学のMBAがいるが、佐竹先生の講義の人気が鰻のぼりだと教えてくれた。兵庫から関西一円に知れ渡る名声が、全国に響き渡る日もそう遠くないものと思われる。

【他生の縁 思いされる晩年の深い付き合い】

これを書いたのは4年前。佐竹隆幸さんはlまことに残念なことに程なくに急逝されてしまいました。60歳でした。いくら悔やんでも悔やみきれない無念の死です。この人と私は、亡くなられる前の3年ほどに急速に交流を深めました。早い別れを予測していたかのように。大阪・梅田の居酒屋の奥まった小部屋で、姫路・西二階町の蕎麦屋の2階で、神戸のラーメン屋のカウンターで‥‥と、〝転戦先〟には枚挙にいとまがありませんでした。

 一度だけ、関学の梅田校で、私に講演させてくれる機会をいただきました。大勢の院生や教員の皆さんの前で、恥ずかしながら国会議員時代の思い出話を語ったものです。演壇横合いに陣取ったコーディネーターというか、大御所の佐竹さんが、あれこれと私の話に割って入ってきました。つい横道に逸れる話にヤキモキされていたのでしょう。「ところで赤松さんの取り組んでおられる『瀬戸内海島めぐり協会』の方はどうなりましたか、と痛いところを突いてこられたのです。

 そんな中で、公明党の姫路での講演会に前座で登壇願ったあと、場所を駅前の料理屋に移し、二人だけでゆっくり話した際に彼の漏らした〝本心〟が甦ってきます。「兵庫県政を担いたい」と、県知事選挙への「野心」を語ったのです。私は「それは面白い。応援しますよ」と、勝手なことを言ってしまいました。

 ある時、井戸さんに伝えました。「いやあ学者は難しいですよ」とつれない反応。その後の県知事選の推移を振り返ると、思いは千々に乱れます。「佐竹さん、貴方ともっともっと語りたかったよ」と関学で行われた葬儀の際に掲げられた遺影に向かって、私は心の中で叫びました。

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(257)リアルな歴史の舞台裏ーアーネスト・サトウ『一外交官の見た明治維新』上下(坂田精一訳)を読む

150年の時空を乗り越えて、今に当時の雰囲気を伝える素晴らしい本に出会った。読むのが遅すぎるとのご指摘はあろう。食わず嫌いだった。アーネスト・サトウ『一外交官の見た明治維新』は新聞書評で読む気に。今年は「明治維新」というテーマに少し腰を落として取り組もうと思っていた矢先だった。何といってもリアルさが際立つ。数多くの日本人の外国見聞記を読んできたが、これはそれらに圧倒的に勝る。時代の変革期そのものに激しく立ち向かう姿が如実だからだ。明治維新の際の生の日本をイギリスの若者がどう見たか。”事実は小説より奇なり”を思わせる事態の連続に最後まで飽きさせない■サトウは(86歳まで生きたが、日本に初めて赴任した時は20歳前)好奇心の塊のような勇気ある青年だった。彼のお蔭で維新前後の現実が見事に蘇ってくる。当時の日本の風物や習慣が生き生きと描かれている様は貴重極まりない。異国人見たさで集まってくる庶民の息遣いがまるで手に取るように分かるし、幕府の役人がいかにその扱いに苦慮したかも見事に伝わって来る。また、討幕派の連中との虚々実々のやりとりも面白い。出版時(大正に入ってから)に、手が相当加えられている(20代の心情そのものではないはず)とは思うものの、”栴檀は双葉より芳し”で並みの感性の持ち主ではないことには驚くばかり。先の大戦の末期まで、この本は25年もの長い間禁書扱いだったことは冒頭の「訳者の言葉」で知った。坂田氏は「権威をはばからぬ外国人の自由な観察によって明治維新の機微な消息が国民の目にさらされるのを(中略)当時の為政者たちが好まなかったからだろう」と述べているが、確かにそういうことかと良く分かる気がする■当時の殺傷事件の描き方ひとつとっても違う。かつて「桜田門外の変」について取り上げた吉村昭の同名の小説でその凄惨さを知ったが、この記録ではもっと刀の持つ鋭利さが伝わって来る。改めて剣で切られたらさぞ痛いだろうという当然のことに考えが及んだ。同じ殺されるなら拳銃の方が未だしもと、妙な気分にとらわれた。また、庶民生活の在り様はこの本のいたるところで存分に味わえる。とくに時間の流れの中で具体的に描かれるので興味深さが一段と増す。サトウは上巻冒頭近くで、通訳生としての最初に赴任した北京について、「北京の生活には去りがたいものがあった。-(中略)ーそれらは、決して私の脳裏から消え去ることがないだろう」と回顧している。ここのくだりを渡辺京二は名著『逝きし世の面影』において、「中国びいき」外国人の実例として挙げている。だが、これはサトウの外国生活一般への関心の高さであって、日中の比較をすることに意味はないものと思われるがどうだろうか■これまで幕末の日本に進出してきた外国については、薩長と関係の深かったイギリスと、江戸幕府と親交のあったフランスというようにステロタイプ的に二分化して見る傾向があった。しかし現実には二重三重にイギリスの影響が強いなかで、維新が成就したことが分かってくる。維新から40年程で日本は「文明開化と富国強兵」の旗印のもと、科学技術文明と資本主義経済の結託のあかしを打ち立て、日清、日露の両戦役に勝利を勝ち取るまでに強国化する。その闘いを始めるスタート台としての「明治維新」の舞台裏をこの本を通じてリアルにみることが出来るのだが、まことに面白い。ここでの動きを知らずして単に表面だけを追っていては、日本近代150年の幕開けとしての維新史の真実は解らないことを痛切に実感した。(2018・5・19)

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(256)未完成な革命者ゆえの魅力━━萩原稔『北一輝の「革命」と「アジア」』を読む

 北一輝という人物には不思議な趣きがある。社会主義者から右翼、国家主義者へ。その途上で法華経信者になり、中国革命にも暗躍したとあっては一筋縄ではとても捉えられない人物である。親しかった同世代の歴史学者・松本健一さんが北一輝研究の第一人者ということもあり、私にとって気になり続けてきた存在だ。といっても、その著作『評伝 北一輝』(全五巻)など、まともには読みもしていない。いささか旧聞に属するが、NHK総合テレビで、その松本健一氏が登場した企画番組『日本人は何を考えてきたか』シリーズの第10回「昭和維新の指導者たち」を観る機会があった。「大川周明と北一輝」の二人を並行して紹介したものだった。その際に司会進行役の田原総一朗氏のインタビューに答えていた幾人かの専門家のひとりに萩原稔氏がいた。

 この人、今は大東文化大の教授で日本思想史研究を続ける少壮の学者である。代表作は『北一輝の「革命」と「アジア」』。実は彼は私の高校時代からの親しい友・萩原廣氏の長男である。かねて「息子が同志社で北一輝を研究しているのだ」と聞いてはいたが、会ったこともなくその著作も知らなかった。息子がいない私にとって、友人の子ではあれども可愛いく眩しい存在である。ましてや「日本思想史」という興味深い分野で、頑張ってると聞けば会いたくもなる。親父さんを通じてかねて面談の機会を覗っていた。先般上京の折りに溜池山王で会うことが叶った。自在無碍な喋り口調にお互いが乗って、あっという間に時は過ぎさった。

 生前の松本健一氏に会わせたかったとの思いが一層募った。別に私が介在せずとも同一分野を学ぶ後輩とあれば、彼としても喜んであってくれたはずだろうが。思えば、松本健一氏には、あの朝鮮半島問題の碩学・古田博司氏(筑波大教授)の願いを聞き届け仲介したことがある。幾つになってもお節介焼きが抜けきらない自分がおかしい。

●『一国革命』と『世界革命』の連関性

北一輝については先行の研究者たちの著作が数多ある。だが、北一輝と「アジア」との関わりに関する研究のほとんどは、辛亥革命の勃発(1911年)から「改造法案」執筆(1919年)までに集中。萩原氏は「それ以外の時期にはあまり目配りがなされていない」し、中身的には「北の対外論、とりわけ中国をはじめとする『アジア』論については」「いまだに不十分な点があるといえる」としている。つまり萩原氏自身の著作の独自性は、「北の『一国革命』と『世界革命』の連関性を分析すると同時に、彼の『革命』論における『アジア』の位置づけを明確にした」ことにある。その意気や壮であり、果敢なる挑戦ということには大いに敬意を表したい。北一輝の全貌をとらえるには最適の書だと薦めたい。ただ、萩原氏の筆の運び方において全体に目配りしすぎ故の、回りくどい表現が散見され、私にとっては分かり辛さが若干あったことは指摘せざるをえない。しかし、それは北一輝という思想家の未完成さにも大いに関連しているように思われる。

 確かに、明治維新から40年程が経った頃の日本は庶民大衆の生活の上における貧しさが特段に目立った。その状況下では文字通り「新たな革命」が必要とされた。理想実現のためには思想における左翼も右翼もない。西洋に端を発するものだけに依拠することも躊躇された。北が東洋思想の源泉・仏教の深奥に位置する法華経に目を向けたことは大いなる慧眼だったと確信する。しかし、私の見るところ何れについても生煮えの印象が強い。50年の歳月を法華経に打ち込んできた身からすると、北の法華経への傾倒は共鳴する部分が確かにある。壮大な社会変革への思いを惹起させる日蓮の名文を読み、奮い立たぬものはいないであろう。

 ただ、その前提としての「人間変革」、「人間革命」に思いを致さぬ場合は結局、日蓮を誤って捉えてしまうことになる。「日蓮を敬うとも悪しく敬わば国滅ぶべし」との金言こそ北のケースに的中するといえよう。北の生きた時代にあって、懸命に第二の維新を求めた心意気は尊いものの、結果としてすべての巡りあわせが不都合に終わった。彼の果たそうとした役割は、第一の維新時の吉田松陰だったか、西郷隆盛だったか。ともあれ敗北者ではある。「敗北ゆえに、北は近代日本の思想家のなかでも大きな魅力を持つ人物のひとりとなっている」との萩原氏の指摘はとりわけ印象深い。

【他生の縁 高校同期の子息との交流】

私の著作『77年の興亡』について、萩原稔さんがあれこれと感想を寄せてくれたことは嬉しくも厳しいものがありました。そのうち、最たるものは公明党における党内民主主義の弱さへの指摘でした。党の代表が選挙によって選ばれないというのは、納得いかない、と。

ゼミ生への萩原さんの「公明党論」の一助になればとの、メール交換論争は、大いなる老いの「鍛え」になったと言えましょう。

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(255) 3-⑦ 神は果たしてやってくるのか?━━ベケット戯曲全集❶『ゴドーを待ちながら』(岡室美奈子訳)を読む

◆不条理劇の最高傑作の名訳

 アイルランド出身の劇作家で小説家━━サミュエル・ベケットの戯曲全集が新たな装いで出版された。その第一巻『ゴドーを待ちながら』が訳者の岡室美奈子さんから届いた。岡室さんとは旧知の間柄である。ダブリンの日本大使館で当時の林景一アイルランド大使(前最高裁判事)からご紹介を受けて以来、東京都内で、また早稲田大学構内で幾たびもご一緒させていただいた。

 日本のベケット研究の第一人者であると共に、演劇やテレビドラマについても造詣が深い。毎日新聞夕刊に月一回『私の体はテレビでできている』との、テレビドラマについてのコラムを担当された際には、私は愛読してきた。坪内逍遥博士記念演劇博物館の館長だった肩書からは想像できないチャーミングな女性である。

 本当は一度でも舞台でこの演劇を観てから取り上げることにしようかと思ったものの、取りあえず戯曲をざっと読んで、これを書いている。想像通りというべきか。まったくといっていいほどわけがわからない。いわゆる筋書きが明確な代物ではない。ただひたすらゴドーが来るのを待っているだけの演劇で、結局は来ない。いや、来るかもしれないところで舞台は終わっている。名にし負う不条理劇の最高傑作というのだから、怖いもの見たさならぬ「難しいもの読みたさ」でページをめくっていったのだが。

◆退屈で同じことの繰り返しの人生の実相

 「何やってもダメ」という男のセリフからいきなり始まる。相棒の「生まれてからずーっと、そうならないように頑張ってきたんですけど」の言い回しへと続く。退屈で同じことの繰り返しの人生の実相が描かれ、そのありきたりの日常の中で「ゴドー」なる存在の登場をひたすら待ち続ける。最後は「明日、首を吊ろう。(間)ゴドーが来なかったらね」「もし来たら?」「俺たちは救われる」で終わる。(舞台でのしぐさに伴うセリフは少し続くものの、意味あるやりとりはここまで、だ)ということから「ゴドー」はゴッド=神さまを意味するものとして捉えられてきている。すなわち、平凡な人生を過ごしながら、ひたすら神の登場を待ち続ける人間の営みの実態を描いたとされる劇だというのが一般的な受け止め方だろう。

 しかし、神が来るのを待つとのストーリーとなると、思い出すのは芥川龍之介の『さまよえる猶太人』に登場するゴルゴダの丘の刑場に曳かれていくキリストの姿である。小突き回し悪態をついた群衆にキリストは「行けというなら、行かぬでもないが、その代り、その方はわしの帰るまで、待って居れよ」と言ったという。この話の淵源には、帰ってくるキリストを、神を待つとの「神話」が潜んでいる。

人間の住む世界はそれぞれの解釈によって全く違った色彩を帯びる。この世は「A」だという位置づけから始まって、「Z」に至るまでありとあらゆる意味づけに及ぶ。ベケット描くところのこの演劇は、キリスト教が覆う世界の見方における一つの典型と言える「人の世の解釈づけ」ではないか。私などは人生の曙期にあって、実存主義の哲学を齧って西欧哲学+キリスト教の世界を垣間見た。待ち続けても神など来ないものだと最初から覚知して、我が人生劇のスタートを切ったものである。

 神の代わりに、自身の命の中にある仏性を顕在化させ、縦横無尽に人生を楽しみながら、多くの同志と共に戦うとの「物語」に生きると決めた。「神」的なる存在はどこかからやって来るものではなく、自らの体内から湧き出でてくる最高のパワーを意味するもの、だと。だとするならば、漫然と待っていても始まらない。自ら近づかねば事は始まらない。いま60年ほどの歳月を経て、「待った甲斐があった」いや、「会いに行って会えて良かった」といえる人生を実感していることは無上の幸せというほかない。

【他生の縁 アイルランド・ダブリンでの出会い】

 岡室美奈子さんと初めて出会ったのはアイルランド・ダブリンの日本大使館で、です。当時の林景一大使から紹介されました。この人はベケット研究者ですから、その出身地を訪れるのは珍しくないのでしょうが、偶々一度だけ英国に行った際に足を伸ばした私と出会ったということに、不思議なご縁を感じてしまいます。

 私は、テレビは、NHKスペシャルやバタフライエフェクトを始めとするドキュメントタッチのものや、政治・外交評論分野のものを見ることがもっぱらです。先日、岡室さんの『毎日』の連載コラムに『沖縄本土復帰50年ドキュメンタリードラマ』が取り上げられていました。「他者=沖縄 50年を省みる」とあり、基地問題を自分の問題として捉えられない本土人を、ご自分をも含めて反省されていました。これには大いなる共感をしました。さっそくメールで伝えることにしたものです。

 早稲田大学キャンパスに「坪内逍遥演劇博物館」を訪問して、岡室館長に案内頂いたことがあります。坪内逍遥の銅像前で、作家の司馬遼太郎さんのことを思い出しました。『アイルランド紀行』での若き日の女学生・岡室さんと司馬さんとの出会いの場面です。時間と空間を超えて、司馬さんの熱い思いが伝わってきた瞬間でした。

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