『日の名残り』ーノーベル賞作家カズオ・イシグロの本を読むのは2冊目。ただしこれは電子書籍で読んだ。理由はたまたま書店になかったからで、特段の意味はない。また、同名の映画も観た。英国の執事のことを描いたノーベル賞受賞作家の映画だということで飛びついた。執事という存在にかねて興味を持っていたこともあるが、アンソニー・ホプキンズとエマ・トンプソンの名演技が光る、と知ったことが大きい。先に読んだクローン人間を扱った『わたしを離さないで』も、映画化されていた。受賞されるまでほとんど知らなかった作家をこのところ立て続けに読み、映画も観ることになったわけだが、やはり異色の味わいを持つ気になる作家だとの印象は消しがたい。これからも恐らく少しづつ読むことになるだろうとの予感がする■この小説はスティーブンスという英国の名だたる執事が主人公。彼が35年間仕えた主人は、英国の貴族の中でも最も有名なダーリントン卿。その居住地の中にあるダーリントンホールには英国の首相や外相、フランス大使やドイツ・ナチスの高官ら数多い著名な人物が出入りしていた屋敷であった。その屋敷で多くの人々が欧州をめぐる政治的議論を交わし、時に歴史の転換期における舞台になったこともしばしばだった。そうした歴史的場面に遭遇することもあった執事は、当然ながらその主人に深い敬慕の念を持つに至った。しかし、肝心の主人が不名誉な噂を立てられ、やがてそれを払拭できぬまま失意のうちに死んでしまう。そして代わりにアメリカの大富豪・ファラディ氏にその屋敷は買い取られ、スティーブンスは執事として雇用される。やがて主人からの勧めもあってドライブ旅行に出かけるのだが、物語はその間にダーリントン卿との思い出を顧みることになる。主人と執事とのえもいわれぬ深い関係、そして執事とはいかにあるべきかの様々なエピソードを交えての洞察などが淡々と語られる■日本には執事的なものは今は見られない。秘書がその存在に代わるものだろう。この両者、似て非なるものだが、主人に仕えるという一点では共通している。私も代議士秘書稼業をわずかに1年半だが経験し、そして20年もの長きに渡って秘書を持つ身になった。そうした体験からしみじみと人に仕えること、主人の心映えを感じてうまく合わせることの難しさを骨身にしみて分った。というか、わかった気になった。しかし、この小説や映画に描かれた執事の所作振る舞いを見て、自分など完全に落伍者であることを改めて知ったしだいだ。秘書でありながら主人の鞄を列車の網棚に忘れたり、主人との待ち合わせ時間に遅れたりなどといった我ながら初歩的かつ大胆なミスは枚挙にいとまがない。さらに、大事な会談に陪席を許されたものの、黙って控えていることに耐えられずに余計な口出しをするなど数多の失敗をしたものである■一方、私には20年間仕えてくれた秘書が複数いたが、彼らまことに卓越した能力の持ち主だった。そのうち国会での秘書は、私が何を考えなにをしようとしているかを全て先んじて押さえ、知らぬ間に用意してくれた。お世話になった数々の所業は数知れない。私と同じ誕生日の議員が複数いることを知った数日後、全国会議員を点検したうえで、リストをさりげなく差し出してくれた。また、かねて私はタブレットとガラケーを併用しているが、以前にスマホに買い替えようとした。その時に、彼はスマホは止めてガラケーとの併用、つまり従来通りがいいとアドバイスしてくれた。些細なことのようだがその判断は全く正しかったと心底から思っている。その秘書のことを良く知るに至った、私が仕えた先輩代議士は後にしみじみと「俺は秘書に恵まれなかったが、君は恵まれているなあ」と述懐されたものである。穴が入りたいとはこのことだったが、私の場合、主人との間に幾つ穴があっても足りなかったろう。ともあれ、このイシグロの小説はわたしにとって今は亡き主人の、壮絶なまでの素晴らしさや失敗ばかりの酷い自分のことをあれこれと思い出せてくれる罪深い本ではあった。(2018・1・28)
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(240)欧米列強の罪深さに慄然とするー池内恵『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』を読む
日本にとって、今年は明治維新から150年だが、100年前というと、明治も終わり大正時代に入った頃で、日本的には日清・日露戦争を終えた頃だ。世界史的にも大きな混乱のさなかであった。第一次世界大戦がはじまったのが1914年。ほぼ戦後処理が終わったのが1918年。その頃に英国とフランスが中東地域の分割を試みたサイクス=ピコ協定が結ばれたのである。外交交渉の任に当たった英国とフランスの外相の名をとってこう呼ばれるが、今もなお続く中東の混迷の元凶はこの協定にあるという。中東研究の第一人者とされる池内恵さんの『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』を本屋で発見し早速に読んだ。この人は姫路が生んだ著名なドイツ文学者の池内紀さんの息子さんである■中東地域について関心はあっても、地理的遠さや混迷の度合いの深さから敬遠ぎみの人は少なくないものと思われる。そういう人にこの本はお勧めしたい。尤も、だからといって最初から順に読もうとすると、そこは学者の書いたもの。特有の硬さは否めない。そういう方には最終章の「アラビアのロレンスと現代」から入られるとよい。できれば、未だこの映画『アラビアのロレンス』をご覧になっていない方は、この章を読んでからDVDを観て、そして1章から順に読まれるといいかも。アクション満載の面白活劇映画かと見る向きも多かろうが、この映画は「アラビア半島での戦闘だけでなく、『アラブの反乱』勢力がダマスカスを制圧し、オスマン帝国から解放された後の1919年5月に開催されたシリア国民会議の描写を通じて、アラブ世界の社会の分裂や、政治制度の未分化がもたらす混乱を描いている」のだ。更に池内さんが言うように「中東国際政治やアラブ世界の政治社会の構造を浮き彫りにする、脚本の作り込みの深さ」が最も重要で、「ハリウッド映画は馬鹿にならない」のである■この表現には明らかに著者自身が馬鹿にしていた過去があるかに思われる。私の大学時代の恩師・永井陽之助先生はしばしば映画や小説を使って国際政治の舞台裏や交渉術の妙を解説して聞かせてくれた。それゆえ塩野七生さんが「(両親が)映画鑑賞を読書と同列において私を育ててくれた」(『人びとのかたち』)といわれるように、「映画こそ国際政治の教科書」との思い込みは強い。永井先生は名著『現代と戦略』において「アラビアのロレンス」に触れる中で、日露戦争においてなぜ「シベリアのロレンスがあらわれなかったのか」と問いかけた後、『あゝ永沼挺進隊』なる本を読み「自分の不明を恥じた」と記している。この永沼挺進隊こそ立派な「満蒙のロレンス」だったというのだ。過去の歴史におけるいかなる戦いにあっても大なり小なり影で暗躍する人物がいることを改めて知った■この本を読み終えて過去の経緯が鮮明に分かり、今の中東地域の混迷に預かって責任があるのが第一義的に英国であり、フランスであることが分かる。そしてロシアにも大きな責任が。第一次大戦時には未だそれほどの力を持ち得ていなかったアメリカもその後の流れの中で応分の責めを負わねばならぬことも。要するに欧米列強の罪深さが分る。ではこれからどうなるのか、いやどうするのかと問いかけると、いたって暗い気分になってしまう。百年前の西欧列強は「帝国の利益追求を剥き出しにして軍事・外交的な介入を繰り返しつつ、少数民族の保護といった高邁な理念を掲げた介入を並行して繰り出した」。現在のEUは「トルコに難民への処置の『下請け』を依頼しつつ、人権理念を掲げてトルコの加盟交渉を果てしなく引き伸ばす」ことに腐心しており、両者には「本質的に根深い連続性」があるという。「トルコと西欧諸国が根底で抱える相互不信が、西欧の矛盾した政策によって表面化」することで、中東のこれまでの秩序を支えていた礎石が失われることを危惧する池内さんは、「そのような事態が来ないことを願うばかり」である、と結んでいる。この結論の覚束なさに慄然とするが、それだけ池内さんは正直なのに違いない。(2018・1・23)
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(239)旅する夢が駆けめぐるー中西進『「旅ことば」の旅』を読む
(239)昨年末のこと。東京駅から姫路に帰ろうと、ホームの売店を覗くと『「旅ことば」の旅』という中西進先生の本があった。この人は万葉集学者で文化勲章受章者。私が専務理事を務める一般社団法人「瀬戸内海島めぐり協会」の代表でもある。議員引退後にいくつかの団体の顧問をお引き受けしているが、その中でも最も力を入れて取り組んでいる仕事のいわば上司に当たる。といっても日常的に接触する機会はなく、発足後は先生が名誉館長をされている京都市の右京区中央図書館での「映画塾」(月一回、先生と一緒に映画を観た後に、解説を聞く)に時々顔を出して、報告をするぐらい。このところご無沙汰していることもあり、早速に購入し徒然に読んでみた■旅に関する88の言葉から日本人にとっての「たび」の意味が見えて来る、と帯にある。先生は昨年88歳になられたこともあって、月刊『ひととき』(ウエッジ刊)に連載された71本に加えて、新たに17本を書き下ろされたという。この人の凄さは私などが到底論じられない奥行きの深さにある。優しい佇まいの中から、古代から今に至る日本文学の粋が溢れ出て来る。この本の巻頭「たび」によると、古い日本語「たむ」が語源で、廻ることがその原義だとされる。「お神輿や山車で神さまが移動なさ」る旅は、「じつは神さまの神偉の領分を示す儀式だった」から、「神輿と神輿がぶつかろうものなら、大変な境界争いになる」というわけだ。姫路・灘のけんか祭りも岸和田のだんじり祭りもそんな由来になろう■年末年始を迎えると、私は「去年今年(こぞことし)貫く棒のごときもの」という高浜虚子の句を思い起こす。この本の巻末「去年今年」はこれをめぐって深い話が続く。「年」という旅人の謎めいた身振りを、いにしえからの俳人たちはさまざまに詠んだ。虚子の場合は「時は旅」という流れを拒否する棒のごとき不逞の輩のような風体を感じたと思われるという。一方、江戸俳諧の加賀千代女は「若水や流るるうちに去年ことし」と詠み、時を流水のように見立てた。更に近代になって大石悦子の「海溝を目無きものゆく去年今年」との句は、年の瀬を悠然と動きやまないものの姿として捉えている、と。中西先生は「わたしども自身が深海魚のような旅人だと思われ」て身震いしたと結ばれている■この本の楽しみ方は色々あるが、著者の旅先と読者の行ったところと一致したものを探すことも楽しい。私の場合は、去年初めて経験したドイツ・ライン川下りが重なった。中西先生は、日本の川下りがしばしば舟にしがみつきながら悲鳴を上げるケースが多いと述べられた後、ライン川下りでも「一度だけ船中が騒然となって、傾くばかりになった時があった」とされている。ローレライの岩を見るために、船客が一斉に右舷に寄って行ったっためというわけだ。去年9月に私もライン川中流の町・ビンゲンに住む友人夫妻の案内で永年の夢であった川下りをした。その際に、確かにかの場所にさしかかると、ざわめきが高まった。ただ、傾くばかりにはならなかったし、結局お目当てのものは何も見えずがっかりしたものだ。先生も「ごつごつした岩ばかりで、不心得者には何も見えない」とされているが、川下りで損をした思いが数か月経って少しだけ癒された気分になった。(2018・1・15)
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(238)今再びの80年の呪縛ー加藤典洋『もうすぐやってくる尊王攘夷思想のために』を読む
(238)新しい年が明けて、今年は平成30年。同時に明治150年となった。私が大学4年の時(昭和43年)が明治100年だったので、感慨ひとしおだ。この一年の自身のテーマとして「明治維新」とは何であったか、「近代日本」はいかにして形成されたかを追うと共に、これからの日本はどうなるのか、いや、どうするのかを考えていきたい。年末に毎日新聞の書評で知って以来、加藤典洋『もうすぐやってくる尊王攘夷思想のために』に嵌った。これまで私が温めてきた考えを補足修正してくれる格好の本と思われる。ただし、全体で4つのパートに分かれているものの、表題に直結するものは第一章「二十一世紀日本の歴史感覚」と第四章「明治150年の先へ」だけ。挟まれた残りの二つの章におさめられたものは直接は関係ない。本作りのために必要だったのだろうが、こういう編集の仕方をされるとがっかりする。尤も、それゆえに息抜きが出来て読み易くなっているのかもしれない■この本の狙いは、江戸末期から明治維新の際と、アジア太平洋戦争の敗戦に至る前夜の昭和維新の折りに、共に起こった皇国思想(尊王攘夷思想)の由来を確認することである。そして、それらが80年の歳月を隔てていることから、やがてあと7年くらいで二度目の80年が経つとして、同思想が三度目の鎌首をもたげようとしていることに注意を喚起しているのだ。加藤氏の力点は、明治維新後も、昭和の戦後も、二度とも「皇国思想の根を断ち、その克服をめざすことが、少数の試みを除いて、ほとんど誰によっても行われなかった」ことにある。この本では、丸山真男、山本七平らの試みを宣揚する一方で、加藤氏自身の新しい着眼点に大いなる自信を披瀝している。そして「現在私たちの目にしている狭溢な排外思想とすらいえないヘイトクライム、また『うつろな』保守的国家主義思想の跳梁」が、見えないのかとの警告も■明治維新後に、あれだけ騒がれた「攘夷」が嘘のように後退し、反省もないままにいつの日か顧みられずに、「文明開化」の流れに押し流されたこと。そして昭和の戦争後に、負けたアメリカへの掌かえす「対米追従」の順応ぶり。この二つは共通している。この辺りを加藤氏は克明に追いかけ、読むものを惹きつける。前者では福沢諭吉と勝海舟のせめぎ合い。後者では丸山真男、山本七平らの論考の価値を改めて知って知的刺激を満足させられる。かつて同世代の歴史家松本健一氏が「三度の開国」を世に問い、平成の新憲法の必要性を訴えたが、ある意味で真反対の主張とも言えよう■私はこれまで幾度となく明治維新いらい40年ごとに日本社会が変革期を迎え、上昇と下降を繰り返してきたことを取り上げてきた。このままいけば、やがて日本は三度目のどん底を経験するはずとの予測に同調し、であるがゆえに、真っ当な国家目標(経済、軍事に偏重しない文化国家)を掲げるべしと訴えもしてきた。そこには、過去二回における皇国思想の位置づけが足らなかったとの思いが少なからずしてくる。前を見るばかりで、過去の失敗への地に足つけた反省がなく、歴史の顰に倣う姿勢が足らなかった、と。2025年あたりが「二度目の80年後」の到来になるが、その時を漫然と迎えるのではなく、対抗する思想的準備を急がねば、と思うことしきりである。加藤氏はそういう意味での共戦の友、同志足りうるかどうか。同時代を生きてきた、この道の先達ではあるが、正直一抹の心もとなさを感じている。それは何に由来するのかも探りながら、これからの私の思索を重ねていきたい。(2018・1・6 →1・23日に一部修正)
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(237)名作の奥深さに打ちのめされるー漱石『三四郎』とドイル『バスカヴィル家の犬』を読む
この一年の我が読書録の締めくくりにあたって、テレビで観たことがきっかけとなって読んだ2冊の本を取り上げたい。一冊は夏目漱石『三四郎』、ご存じ漱石の代表作である。もう一冊はコナン・ドイルの『バスカヴィル家の犬』、これはご存じシャーロック・ホームズシリーズの最高傑作といわれる長編である。この二冊を挙げると、ハハーンと気づかれる人もいよう。この三か月ぐらいの間にBSで放映された『深読み読書会』で、扱われたものだから。漱石ものとホームズもの。共に私にとって”人生の伴走本”となってくれた本ではあるが、テレビに登場していた一流の読み手にかかると、全く違う世界が見えて来る。改めて自分の浅読みに打ちのめされる思いがした■まずは、ドイルの本から。私たちの世代は子どもの頃の読書といえば、専ら貸本屋さん。私の少年時代には神戸・塩屋の駅北口の真ん前の畳屋さんが貸本をおいていた(雑誌も売っていた)。勿論今はないが、当時はそこが私たちこどもの「宝の園」であった。私の読書遍歴はそこでの名探偵「シャーロックホームズの冒険」を齧ることから始まった。『まだらの紐』『踊る人形』『赤ひげ同盟』などはタイトルに懐かしさを感じるものの、この『バスカヴィル家の犬』には全く出会った記憶がない。ということで、BSでの放映を知って、ビデオに録ったままにして、本屋に走って本を購入してから、原作に挑戦してみた。9月放映の直後に、私は仕事絡みでジャカルタに赴いた。その飛行機の中で貪り読んだのだ。いわくありげな執事とその妻、脱獄囚、博物学者とその美しい妹などが登場する。魔の犬の伝説がある富豪のバスカヴィル家で、当主が死体で発見され、そばには巨大な犬の足跡が。そうくれば、死因が心臓発作によるものとは到底思えない。しかし、謎の人物が登場することで何だか目くらましにあってしまう。これは後でなーあんだという事にはなるのだが…。全体の印象としては私はかなり単純でつまらない作品に思えてならなかった■一方、漱石の『三四郎』は、学生時代に読んだ記憶がある。熊本から列車で上京する三四郎と同席した女性との絡みはよく覚えていた。途中下車して同じ宿に泊まる羽目になって、二人の夜具の間に敷布を巻いて境界線を措くくだりや「ストレイシープ」「偉大なる暗闇」などといった言葉には強い印象が残っていた。今回もビデオは見ないで、改めて漱石全集第5巻をやっとの思いでなんとか読み終えた。列車の窓から折り詰め弁当の空箱を捨てるところや、「人にみせべき」といった表現に出くわし、これは「みせるべき」との誤りではないか、といった明治の社会風潮や文豪の言葉遣いに大いに疑問を持つなど些末なことに拘ってしまった。この国の未来について「滅びるね」と言わせているところには、流石との感動を抱いたものの、総じての読後感はやはり今一わけの分からぬパッとせぬ青春小説だとの域を出なかった■というように本を読んでの読後感は二つとも冴えなかったのだが、テレビを観るとそこには全く別の世界が広がっていた。ホームズについては、この作品が書かれる8年前に当の本人を死なせてしまっており、改めて復活したものだということが分らないと、なかなか本質をつかみえない。テレビの「深読み」では、誰が真犯人なのかをめぐってあれこれと議論を展開していた。有栖川有栖、綾辻行人、島田雅彦氏といった面々が丁々発止と。結局犯人は登場人物以外なのだろう(ホームズの宿敵の大学教授)というところに落ち着くが、当方は判然としない。一方、漱石の方は、テレビでは美禰子の結婚相手は誰が一番合うかという観点から、小倉千加子、朝吹真理子、猪瀬直樹氏らがその見立てを競い合っていた。ここでは、登場人物の男たちが、美禰子という女に断られて傷つくことを恐れ、そろいもそろって無責任になっている様子は現代の状況に酷似しているとの捉え方が面白かった。漱石は当時の日本における女性という存在が掴まえ所のない不可思議なものとして、そのすべての作品で描いたとされるが、美禰子はそのトップバッターだったのだろう。ともあれ、「最初は良く分からない作品だったが、二度目で分かった」(有栖川)とか、「凄く難しい。つまらない作品だと最初は思った」(小倉)といった発言に出くわすとほっとした。尤もだからといって再び読もうという気にはならない。(2017・12・31)
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(236)わからずとも受け入れることの大事さー佐藤愛子『九十歳。何がめでたい』を読む
年末を迎えて今年も多くの友人知人からの「喪中はがき」を受け取った。今日現在、全部で25通。昨年交換した年賀状が250枚ほどだから、ほぼ1割の方に今年ご不幸があったことになる。このうち90歳を超えて亡くなった方は4人。長寿時代になったとはいえ、やはり90歳を超えることは中々稀だということだろう。今朝の新聞で今年のベストセラー第一位が佐藤愛子さんの『九十歳。何がめでたい』であることを知った。同じ新聞で知った私の好きな作家だった葉室麟さんは66歳で亡くなった。残念な限りだ。90までには程遠い。佐藤さんのこの本、だいぶ前に読み終えており、ここで取り上げるにはいささか気おくれがしていたが、多くの人が読んでいる事実を前に取り上げることにした。佐藤愛子さんは大正12年大阪生まれだからもう94歳か。甲南女子高卒業というから小池東京都知事の先輩にあたる。『戦いすんで日が暮れて』で直木賞をとったということでその存在を知って、『血脈』を人から勧められ、『晩鐘』を本屋で手にしたが、結局何も読まずに初めて読んだのがこの本。正直言って年寄りのユーモアあふれるエッセイ集としか読めなかった。恐らくこの本が今年のベストセラートップになったというのはひとえにタイトルのせいだろう。間違いなく連載を掲載した「女性セブン」の発刊元小学館が考えたのだろうと思っていたらあにはからんや、ご本人の閃めきからでたものだとか。何もすることがなくご飯を食べるのも面倒くさく、娘さんやお孫さんにも喋る気がしなくてただムッと坐ってるだけの「老人性うつ病」になっていた時に、連載の依頼を受け、隔週を条件に引き受けたと言う▼「ヤケクソが籠った」というタイトルのお蔭で90歳を優に超えてこれだけ売れると言うのは、ただ者ではない。佐藤さんは、さる8月から9月にかけて朝日新聞夕刊に15回にわたって『語る 人生の贈り物』を連載していた。中でも「私の人生はつくづく怒涛の年月だった」との書き出しで始まる最終回は、読みごたえがあった。二回めの結婚相手との壮絶な日常から離婚への経緯をもとに、88歳で長編小説『晩鐘』を書き始めた。小説で書くことで元夫の変貌を理解しようと考えたという。「人間を書くということは現象を掘り下げること。一生懸命に掘れば現実生活で見えなかった真実が見えてくる」と思って書いたのだが、何もわからなかった、と。だが、いくらかわかったことは、「理解しようとする必要はない、ただ黙って『受け入れる』、それでいい」ということだったという。なかなか含蓄に富んだ言葉だと妙に感心したものである。今回のエッセイ集には、こういった小うるさいことが書いてあるのかと思って読んだ自分が可哀想に思えた。それほど他愛無い老いの日常、年寄りの怒りが面白おかしく書いてあるだけ。なぜこの本を私自身は黙って受け入れることができないのか。それにしても66歳という若さで逝ってしまった葉室麟さんに想いは募る。50歳を超えて本格的に小説家として出発したこの人は常日頃「残された日は多くない」といってせっせと執筆に励んでいたという。わたし的には黒田官兵衛をしてキリスト教国家を目指した人物として描いた『風渡る』『風の軍師』が最も印象深く、好きだ。もっともっと生きて色々と書いてほしかった。また、つい先日82歳で亡くなった私のかけがえのない先輩は小説を書くことが夢だったのに、その願いをついに果たせなかった。十二分に人生における仕事をされたことはその死を悼む各紙の「評伝」の充実さで分るが、ご本人はこれからが本番だと密かに小説の構想を練っておられたはず。こう追うだけでも「90歳、これほどめでたいことはない」ものと思われる。(2017・12・24)
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(235)赤穂浪士たちの異常なまでの親愛感ー野口武彦『花の忠臣蔵』を読む
先日遠来の友たちと共に相生の天下台山(てんがだいさん)へ登った。標高321.4mの山ではあるが頂上からの眺めは、瀬戸内から播州平野をぐるっと一望できる絶品だった。長きにわたって西播磨を歩き回ってきたがこんな近くにこのような素晴らしい山があるなんて知らなかった。案内してくれたのは中学同期の友人だが、鎌倉に住む榎田竜路(アースボイス代表。北京電影学院客員教授)とそのアシスタントの女性(沖縄在住)も同行した。山を下りてから、赤穂へ行くことも今回の小旅行の目的であった。榎田さんは地域振興のために、2分間の映像を受講生に作らせるという手法をひっさげて、全国を渡り歩く内閣府地域活性化伝導師である。この日は彼が兵庫県市川町での半年間の講座を終えた翌日だった。ひと仕事を終えた彼を癒すために私が企画した。赤穂では大石神社に行き、神社の門前に立つ47士たちの石像を観たが、山の眺望に加えて再び友の感激は絶頂に達した。車中で赤穂という町の説明をしたのだが、随行の女性は赤穂浪士たちのことについて十分には知らないという。このため私がつい先日読み終えた野口武彦『花の忠臣蔵』を基に、赤穂浪士たちのことを熱く語った▼これまで数多の忠臣蔵ものを読んできたが、この本はまた違った趣きを持つ。47士に深く寄り添う形でかの時代を描く。例えば将軍綱吉の「生類憐みの令」を間喜兵衛がどう見ていたか。その手紙の中で「法刑が過酷すぎるということは『人性の病い』と申すもの。(中略)天下をお治めになることはできても、ご当人の心はお治めになれないということ」のくだり。時の将軍を地方の一武士がどう見ていたか改めて良く分かる。「心の師となるとも心を師とせざれ」との先哲の言葉を戒めにしている我々からして、思わず共感してしまう。また、浅野内匠頭という主君と従者たちの関係を描くエピソードが面白い。武林唯七の月代を剃ったときのこと。頭の皮膚を湯で湿すのを忘れたり、剃刀の柄が緩んでしまったのを殿様の頭で柄をすげたりしてしまった。主君は立腹はしたが、あまりの粗忽ぶりにおかしくて笑いだしてしまい、別段の御咎めはなかったという。こうした主従関係を通じて、いかに内匠頭が皆から愛されていたかを描き出す。「個性はそれぞれまちまちだが、共通しているのはみんな内匠頭が好きだったことだ」から続く数行は、忠臣蔵の本質を抉り出して尽きない。大いなることの成就には中心者への深い信頼と愛が必要だということを思い知らされた▶赤穂浪士たちの石像を観ながら、それぞれが極めて強烈な個性の持ち主だったことを改めて思った。そしてそういう人たちを郷土の大先輩に持ったわが身の誇らしさを。こういったことを口にするところがいかにも我ながら政治家臭い。恥ずかしながら、そう思ってしまう。昨今、あまりにもだらしのないふしだらな政治家の実態の一端が明らかになったり、職業倫理のかけらもうかがえないような企業人の不始末を見聞きするにつけても、赤穂浪士たちの壮絶なまでの立ち居振る舞いが眩いばかりだ。この本は今こそ読まれてしかるべきものかもしれない▼討ち入りのあとの当時予想されていた動きが克明にしるされているくだりも興味深い。吉良有縁の上杉家の報復を恐れる関係者たちの対応ぶりはいかにも臨場感をもって迫って来る。結局「上杉は来なかった」との叙述には改めて多くのことを知らされた。赤穂浪士たちの人間群像があらゆる角度から描かれていて興味は尽きないが、彼らが残した辞世の句には当然ながら心撃つものが多い。堀部弥兵衛の「雪晴れて思ひを遂ぐる朝(あした)かな」には、達成感が雪の白さと晴れ渡った空気のなかに凝縮されていて心地よく響く。吉田忠左衛門の「君がため思ひぞ積もる白雪を散らすは今朝の峯の松風」も、松の枝から雪が音を立てて落ちるさまが眼に浮かび耳に聞こえてくるようだ。忠臣蔵、赤穂義士の物語も「諸説紛々、異説あり」の世界だろうが、こうした”ものがたり”をわがことのように語れる播州人はまことに幸せである。(2017・12・21)
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(234)目くるめく音の世界を解きほぐすー読売日本交響楽団編『オーケストラ解体新書』を読む
『オーケストラ解体新書』ーこの本の表紙は実にいい。読売日本交響楽団(読響)の構成メンバー90人全員の笑顔輝く写真が素晴らしい。弾ける音色が聞こえて来るかのように。表紙の左右に折り込まれている部分をすべて開けてみると、普段は見えないところにいる人々も笑っている(二三人の例外を除いて)。オーケストラの演奏では楽団員の笑顔はあまりお目にかからない。いつも真面目そのものの真剣な顔ばかりの印象が濃いだけにより一層惹きつけられる。巻末のインタビューで読響常任指揮者のシルヴァン・カンブルランが「もっと笑顔で弾いてほしい。楽器を弾くことに集中するだけでなく、もっと体全体で音楽をやってほしい」と楽団員に具体的な注文を付けていることに我が意を得た思いだ▼この本の中心的編著者の飯田政之さん(読響事務局長を経て現在は福岡放送取締役)とは彼が読売新聞政治部時代に知り合った。鹿児島県出身(鶴丸高、東大卒)で今もなお剣道をこよなく愛し、ヴァイオリンの名奏者でもある。現役時代に広報局長をしていた私はあまたの各紙・各局の新聞・放送記者と付き合ったが、衆議院議員会館に付設されていた卓球場で汗を流したのは彼の他にはあまりいない。それくらい親しい間柄で、幾度となく議論を交わしたが、かくほどまでに音楽に造詣が深かったとは知らなかった。若き日より培った薀蓄を背景に縦横無尽の才を発揮して、目くるめく音の発現体を解きほぐしている。先日、日本カイロプラクターズ協会の博多での催しに参加した際、彼と久方ぶりに顔を合わせ、美味しい肴を前に痛飲しつつ語り合った。ペンと剣の使い手が、音楽の世界から映像の世界へと更に飛翔されようとする姿に感じ入ったものである▼なんといっても、第一章「一期一会の音楽を作る」に魅了された。ユーリ・テルミカーノフから、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ、シルヴァン・カンブルランに至る読響の指揮棒を振った人たちを紹介するタッチは私のような音楽の世界の門外漢の胸にも迫りくるものがある。口絵で紹介された彼らの雄姿を目で追いながら読響の華麗なる歴史を思いやった。この章には3本のコラムが披露されているが、鬼才たちの日常がしのばれて微笑ましくさえある。後半第6章に掲載された「日本のオーケストラの課題を語る」という大学教授、作曲家、指揮者らの鼎談は、色々と考えさせられる。オーケストラの世界は圧倒的に西洋優位だとの思い込みを再考させてくれるくだりに特に惹きつけられた。「オーケストラ音楽を『退化』、『様式化』させていく方が、もしかすると日本文化の国際的歴史的役割かもしれないんですよ(笑)」との作曲家・西村朗の発言は、私としては、(笑)の部分を消し去りたいとの思いに駆られた▶先年ある新聞論考で、音楽こそ世界平和へのカギを握る芸術媒体だとの指摘があり深い感銘を受けた。言葉の障壁を越えて、宗教や思想の相違をも乗り越えて、音楽は人間存在を基底部でつなぐものだと私も思う。もっともっとオーケストラによる本格的な音の饗宴が日常生活に入って来ると世の中は幸せになるに違いない。学問としての音楽が苦手だった私はピアノ弾きの女性を妻にした。合唱、斉唱を耳にするたびに、多数の人間が声を合わせることの神々しいまでの素晴らしさを感じてきた。また、少ない経験ながらオーケストラの魅力も聞きかじってきた。この本はそうした音の世界を作り出す側の仕組みを解き明かしてくれる稀有な本である。大概の芸術は眼で分るものだが、音楽ばかりは眼で見えない。それを文字であらわす難しい試みに挑んだ人たちの勇気を推奨したい。(2017・12・3)
【この本一冊だけは、著者が個人でなく編著者。その仕事の中心人物が飯田政之さん。この読書録を書いた時から4年半ほどが経っています。福岡から広島へと勤務先は移動し、今は広島読売テレビの社長になっています。その間に、後輩の柴田岳さん(元公明党番記者)が大阪読売新聞の社長になったことを祝って、3人で姫路で祝杯をあげました。後輩に先を越されたわけですが、我がことのように喜んでいたのがとても印象的でした。
この二人は私の付き合った数多い新聞記者の中で、池田大作先生との記者懇談会に臨んだことがあります。彼らも自慢にしていましたが、私も誇りに思ったことを覚えています。その飯田記者が、テレビ会社の社長になって、本当に嬉しく思い、昨年の衆議院選の際に、激戦区応援で広島を訪れたついでに就任祝いを気持ちだけしました。交わした地酒(銘柄忘れましたが)の美味かったこと。ほんと最高でした。
彼は以前に札幌に勤務した時代にも書いたコラムをまとめた本がありますが、私が好きなのはオーケストラを描いたこっちです。「ウクライナ戦争」の暗雲たなびく中一段と光ってみえます。(2022-5-15)】
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(233)近現代史を見る眼から鱗が落ちるー井沢元彦『逆説の日本史23明治揺籃編』を読む
待望の『逆説の日本史』の23巻が発刊された。週刊ポスト誌上で連載が始まってからだと、およそ25年が経つ。今もなお連載は続いている。今回のものには、「明治揺籃編」と名付けられており、まだあと10年は続くかと思われる。一方で、『逆説の世界史』もネット上で連載が続いており、出版も既に2巻目。著者の井沢元彦氏は元TBSの記者にして作家で、63歳。恥ずかしながら当方は読むのだけでも大変。よくぞまあ、と呆れる。この人とは会ったことはないが、テレビで時々目にする限りでは、喋りよりも書く方が鋭いと感じさせる。ただ、鋭すぎて既存の歴史学者を始め、数多の既成の”知識人の正説”をなで斬り。従って敵も多いように見受けられる。わたし的には知的刺激を十二分に頂き、極めて参考になるだけに御身大切に、と祈る思いではある▶以下、3つの章で私が感じ入ったさわりを紹介したい。第一章「近現代史を歪める人々」で、血祭りにあげられているのは元朝日新聞社主筆。韓国の朴槿恵前大統領の不正疑惑問題についての同主筆の言動を克明に紹介したうえで、「ジャーナリストにとって基本中の基本である『ウラを取る』という作業を行なわず、その上でジャーナリストにとってもっとも禁物である予断と偏見をもって事態を決めつけた、愚かで滑稽な人物」と結論つけている。朴槿恵氏が韓国史上初めて弾劾制度で罷免された今となっては、今は亡き主筆氏としてはぐうの音も出まい。死者に鞭打つことを避けようと、名前すら伏せる私など甘すぎるのに違いない。この章はいわゆるマスコミの常識に踊らせられている人々にとって、目から鱗が落ちるであろう。今までこのシリーズを読んでいない人は、この巻だけでも読むに値するとお勧めしたい▼第二章「琉球処分と初期日本外交」では、「琉球処分」ではなく、琉球の「奴隷解放」だとの「逆説」には首肯できる(但し、このくだりは『沖縄歴史物語』の伊波普猷氏の指摘に全面依存しているのだが)。三百年もの長きにわたって「奴隷制度に馴致されていた沖縄人」が遂に解放されたとの捉え方だ。政治的中枢を「中国」に毒されていた琉球(沖縄)が、日本によって目覚めさせられたという観点は重要だ。この辺り、井沢氏の持論である「朱子学の中毒」というキーワードを駆使しての解説が極めて分かりやすい。今まで沖縄の後進性について、私は「日本政府の差別」に起因すると捉えてきた。”朱子学のせい”という視点は殆どなかった。中国や朝鮮半島と同様に、「朱子学の陥穽」から逃れるのが遅かった沖縄と、比較的早くそれから逃れた日本という対比の仕方は、それなりに面白い▼第三章「廃仏毀釈と宗教の整備」も、私にとって実にためになる思索のポイントを得ることができた。これまで私は明治維新以後、科学技術分野での遅れを取り戻すために、ひたすら明治政府は科学振興に走り、精神・思想分野での対応が等閑(なおざり)であったとの見立てに終始してきた。しかし、井沢氏は明治政府は欧米列強に負けないために「神道+朱子学」という新宗教の樹立に向けて宗教整備をしていったと指摘する。その一つの柱が教育勅語であり、もう一つが神仏分離であり、廃仏毀釈だ、と。日本は、「キリスト教+欧米の哲学」を無批判に受け入れ、古来からの宗教や思想との融合を試みてこなかったとの観点は揺るがない。だが、その背後に日本としての宗教整備がそれなりにあったとの視点は私には希薄だった。勿論、その宗教整備の誤りがその後の日本文明の進展を誤らせ、「侵略戦争」へと駆り立てていったことは疑いがない。このあたりは大いに考えさせられるものがある。尤も、この章での井沢氏の「法華経」理解の浅薄さは気になる。日蓮仏法へのアプローチの仕方はことのほか弱い。今後どう修正されていくか興味を持って見守りつつ、私自身の持論を補強し確立してやがて世に問うていきたい。(2017・11・29 加筆修正)
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(232)西洋の神と東洋の仏の比較に及ぶー小坂井敏晶『答えのない世界を生きる』を読む
友人との語らいの中で出てきた小坂井敏晶氏(パリ第八大学心理学部准教授)の著作に嵌っている。その友は『責任という虚構』なる書物を褒めたのだが、いかんせん、この本は難しそうでわたし的にはいまいち触手が動かない。というわけで、『社会心理学講義』から読むことになったのだが、そこらあたりの経緯は既に前々回の高橋和巳のことを書いたおりに触れた。その後、読んだのが『答えのない世界を生きる』である。これはまことに読み易かった。自伝風の趣きがあり、この人に興味を持った人間にとって、ウーン、なるほど、そういうことだったのかと彼の生い立ちや今に至る人物の背景が分って面白い。考えること、生きることを真正面から捉えて、あれこれと挑戦してみようとする人には圧倒的にお勧めだ▼早稲田大の東伏見グラウンドでホッケーに連日明け暮れていた青年が、やがてパリに飛び学問を志すにいたるお話は、戦後日本の若者たちの類型的パターンを越えて中々読み応えがある。私など小田実の『何でも見てやろう』から始まってありとあらゆる冒険譚をおいかけていくうちに、どこへも行かぬままに(冒険せずに)、齢(よわい)70を超えてしまった。そんな”この道50年”の爺さんにとっても、このひとの若き日の羽目外しは魅惑的である。但し、ここではそれには触れない。むしろ学問の道の進み方でユニークなところに惹かれる。文中、灘中の橋本武先生(中勘助『銀の匙』だけを使って授業したことで有名)のことに触れたうえで、パリの社会科学高等研究院での学び方も同じだったとしているくだりには首肯させられた。「私のアプローチを学際的だと評するひとは少なくない。しかし学問分野という意識が、そもそも私にはなかった。頭を悩ます問いがある。答がどこかに書いてないか。ヒントだけでも見つけたい。そこで先達の助けを借りる。そういう勉強の仕方である」▶こういう勉強の仕方で学んだ人が結局行きついた先は「答えのない世界」であった。「世界から答えが消え去った」とは一般的に西洋近代が重きをなす世界で口にされる。小坂井さんも「神は存在せず、善悪は自分たちが決めるのだと悟った人間はパンドラの箱を開けてしまった」として、「近代以前であれば、聖書などの経典に依拠すれば済んだ」が、いまは、「無根拠から人間は出発するしかない」ので「どうするのか」と、この書物を書いたわけを述べている。確かに、神が死んでからの近代ということになると、彼がいうように「答えのない世界」を手探りで歩くしかないのであろう。しかし、私の見解はいささか違う。それは「神も仏もあるものか」との云い方がなされるように、両者はしばしばひとまとめにされがちだ。だが、神は死んだかもしれないが、仏は存在している▼仏とは死んだ身を指すのではない。また神のように人間存在を越えた絶対者でもない。少なくとも日蓮仏法では、人として最高の境涯を持つに至った存在を仏と云い、全ての人間はその仏の命を本来内在化しているという。つまり、人間存在の外にある造物主としての神ではなく、仏とはわが内なる生命に本来備わっている人間存在の最高の極地の在り様を指す。そのパワーを引き出す方途が「南無妙法蓮華経」とお題目を本尊に向かって唱えることなのである。今や全世界において、悩みを抱えた人間がその行為をなすことによって解決の道を見出した実例、結果はあまた満ち溢れている。これは私に云わせると、旧来的なキリスト教に支配された西欧世界では、「神なき世界」=「答えのない世界」ではあるが、東洋仏教の最高峰・法華経を信奉する日蓮仏法では、「仏満ちる世界」=「答えを見いだせる世界」なのである。神と仏。西洋と東洋。21世紀中葉に向けて人類はいま、宗教観の一大転換を迫られつつある。(2017・11・21)
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