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(127)今改めて蘇るケネディ米大統領の真実━━ロバート・ダレク(鈴木淑美訳)『JFK 未完の人生』

1960年代から70年代にかけては世界も日本も激動期だった。ちょうどその頃、私は10代半ばから20代の多感な時節を迎えていた。「生と死」を考えさせられた象徴的な出来事を二つだけ挙げると、一つは、63年のケネディ米大統領の暗殺事件。もう一つは70年の三島由紀夫割腹自殺である。それぞれ私が15歳と25歳になる寸前の11月の出来事だった。とりわけケネディ米大統領には、私も御多分にもれず憧れていただけにショックだった。これだけ偉大な人物の人生が突然ぷっつりと断たれるなんて、許せない。激しい憤りを感じた。その後、新聞記者を志し、政治家の道に進むことになったのだが、心の片隅に彼の人生──といっても大統領としての三年足らずの期間だけなのだが──を常に意識していたといえなくもない。他方、私が宗教の世界に入って5年ほど経った時に、三島由紀夫が自決した。あの「人のいのちよりも大事なものがあることを見せてやる」と市ヶ谷の自衛隊員を前にした演説は、今なお忘れ難い。二人の死に方はある意味対照的なのだが、この半世紀ほどの間、「どう生きて、どう死ぬか」のテーマを、二人一緒になって私に突きつけてきたといえよう▼JFK(ジョン・F・ケネディ)を取り上げた著作は数多ある。ただし、記憶に残るものは殆どない。それだからかどうか、死後50年も経った今、突然にあらためて読む羽目になった。しかも翻訳を担当された方から直接勧められた本というのだから。その本はロバート・ダレク(鈴木淑美訳)『JFK 未完の人生』(2006年刊行)である。翻訳家とのご縁など殆どない私としては初めて会った場で、厚かましくも、「翻訳されたものを送ってください、読みますから」と頼んだ。直ちに4冊も送っていただいた。そのうち2冊がケネディもの(もう一冊は『ジョン・F・ケネディ ホワイトハウスの決断』)。残るは、女子体操のコマネチとCIA流交渉術についてのものだった。どれから読むか大いに迷った末に、政治家の端くれとして、ケネディの生涯を真正面から描いたものを選択した▼史上最年少で米大統領になったケネディは、若さに加え人を惹きつける風貌と演説の巧みさで世の人気をさらった。この本を読むまでは漠然とだが、マリリン・モンローとの浮名など彼の女癖の悪さや政治手腕の問題点も知らないわけではなかった。そういう点から「華麗なる大統領ープライバシー」の第14章は興味津々だったことを告白する。「(胃と泌尿器の具合が悪く、腰痛に悩んでいた)健康問題や兄妹の早世からくる『先が長くない』という気持ちから女遊びに走ったが、それは今でも変わらなかった。この先まもなく、核戦争が起こるかもしれない。となれば、人生をできるだけ満喫したい、やりたい放題して生きたい、という衝動に拍車がかかった」とのくだりは衝撃的だ。「関係のあった女性は並べればきりがない」というのは、さもありなんとも思うが、「核戦争が起こるから」というのは「おい、おい、それはないよ。頼むよ」と遅ればせながら言いたくなる▼ケネディ大統領は死して50年余、今なお高い人気を世界で誇る人物だが、同時に影の部分を指摘する識者も少なくない。訳者の鈴木さんもあとがきで光に触れた後で「政策が一貫せず、ブレがある。不安定すぎる‥‥」との指摘もあるとしたうえで、「その『不安定さ』にあえて光をあてたのが本書である」と解説している。「ときには側近の言葉にゆさぶられ、ときには周囲の目を気にし、理解されないといって怒り、嘆く。青くさく人間的なケネディの素顔が浮かび上がる」と、本書の読みどころを挙げているのだが、私としてもそのあたりにとくに興味を持った。ところで、この本には著者・ロバート・ダレクによる「まえがき」も「あとがき」もない。読み手には、スタンフォード大学の教授だということしかわからない。で、あたかも鈴木さんが書いたかのように思われて面白い。翻訳家を育成する先生をされているだけあって、訳はわかりやすく読みやすい。多数ある彼女の訳書の中で、F・フクヤマの『人間の終わり』など、そのタイトルからして大いに興趣をそそられる。読んでみたい。

【他生の縁 異業種交流会で知り合って】

翻訳家・鈴木淑美さんは現在は相島淑美神戸学院大准教授として経営学を教えたり、各種の著作を発表されています。私が初めて会った時は、関学大のIBA(専門職大学院の経営戦略科)で彼女と一緒に学んでいる高校後輩からの紹介でした。上智大を出て日経記者になり、のちに慶應大学院に学び翻訳家になって女子大の講師を経て、という風にまことに学問への志が半端ではないのです。

 

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(126) 6-⑤ 健康を増進し医療費の伸び率低下へ━━辻哲夫『日本の医療制度改革がめざすもの』

◆厚生労働副大臣時代の「輝いていた」1年間

 20年間の私の代議士生活の中で、ある意味一番輝いていたのは、厚生労働副大臣をしていた一年間だけだ──というと、驚かれる方も多いと思われる。では、あと19年は燻っていたのか。やっぱり、権力ある地位に就きたかったのか、などと。いやいや、これは難しく考えないでいただきたい。国土交通委員長と総務委員長を仰せつかった2年とを併せ差し引いて、残り17年間のほぼすべてを外交・安全保障分野での仕事をさせてもらった身からして、時の首相や外相、防衛相を相手に予算委や関連の委員会で質疑を交わしたこともかけがえのない経験だ。それなりに足跡を残せ、輝くこともあったと自負心もないではない。しかし、行政機構の只中で日々政治課題を追う日々はまことに得難いものだったという他ない。

 その間に様々な方々にお世話になったが、最大の存在は当時の事務次官・辻哲夫氏である。この人は同省で早くから逸材として嘱望されていた。2004年の「年金」、05年の「介護保険」に続く、06年の「後期高齢者医療制度」導入を根幹とする医療制度改革に全魂を捧げ、見事に成立を果たした。その彼と、わずか一年とはいえ同じ建物の中で仕事が出来たことは、まさしく僥倖だったと言わざるを得ない。

 定年で彼が退官してほぼ15年。今は東京大学高齢社会総合研究機構の特任教授をされている。同郷出身の誼みもあり、親しく教えを乞うた(恥ずかしながら、何しろ厚生労働省行政はズブの素人だったから)ものだが、残念ながらお互い疎遠になってしまっている。数年前に、私が引退後に関わった某シンクタンクの若手幹部から要請があり、再会出来る機会が訪れた。いやはや嬉しくも懐かしいひと時であった。

 うず高く資料や書物が積み上げられた机の上から、いきなり辻さんは「お読みいただければ」と本を差し出された。『地域包括ケアのすすめ』だった。「私がこのところ取り組んできていることのすべてがこれに収まっています」と言いながら。本好きの私を知りぬいたうえでの心温まる先制の一撃だった。

 一方、私は連れていったコンサルタントと小一時間ほど語り合われる間中、彼の肩越しの書棚から見える一冊の背表紙が気になった。『日本の医療制度改革がめざすもの』とあった。彼が退官直後にまとめたもので、文字通り半生の総決算であると睨んだ。帰り際に図々しくも「これも下さい」と所望したことは言うまでもない。日本人の健康と医療費の行く末を案じるものにとって、これほど的確に関心の的を射てくれるものはない。知的興味をそそって余りある本である。

◆今こそわれわれの生き方を問い直す時期

 これからの約20年の間の高齢化の過程で、「生活習慣病の予防をどう考えるか、医療のあり方をどのように考えるのか。(中略)われわれの生き方をどのようにしていくのかを問い直すべき時期になっている」──これが、この改革の前提だった。問い直しの結果、「医療費の伸び率が結果としてよりマイルドになるようにしたいというのが望み」というのがその理念である。序章の記述以降、図や表をふんだんに用いながら辻さんを中核とした厚労省スタッフの政策の戦略的展開が次々と示される。読み進めながら〝遠い日の砲声〟とでも形容すべき日々が蘇ってきた。在宅医療を地域にどう根付かせるか。みとりをどう進めるか。「病院医療」への偏りから、どう地域のかかりつけ医を定着させるか等々。医療の根本的なあり方を問い直した画期的な提案の姿が再展開されていて、実に興味深い。

 辻さんが中核になって、千葉県柏市において在宅医療と多職種連携の新たな取り組みがなされてきている。「医療制度改革」で展開した理論の現実的展開が柏プロジェクトとして繰り広げられているのだ。政策実施のトップたる事務次官経験者として、まことに責任ある態度だと心底から感心する。若き日よりひたすらに走りぬいてきた辻さんに、定年後をささやかに楽しむ暇もない。

 かつて、彼は入省間もない頃に、介護の現場に行き、実際に要介護者疑似体験をし、おむつに排尿をして過ごした。その経験をさりげなく語ってくれた日のことは忘れられない。ひたすらに日本の医療改革に命を捧げつくす日々を、他人事でなく、いとおしいと思う。辻さんは、先の本の中で長野県のある地域が、各自治会ごとに健康の道を決め、実際にどれだけ歩いたかを競い合って、毎年イベントの際に公表するという実例を紹介している。せめて私も自分の地域でそういったことをやってみないと、かつてのパートナーに申し訳ないとの気がしてならない。

【他生のご縁 厚労省事務次官と副大臣の関係】

 辻さんとは、厚労省を離れてからこの15年間に2〜3度しか会えていませんが、元厚労相で辻さんと親しかった坂口力先輩と3人で会った時のことは懐かしい思い出です。

 語らいの中で、彼が述べた「日本の前途の苦境を思うにつけ、日本中の医師たちが総立ちすることが大事です」との言葉が忘れられません。医師の能力の高さへの期待だったと思われます。だが、医師たちはその期待に応えているのでしょうか。

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(125)少量の放射線と温熱療法の効果を知るー伊藤要子『HSPが病気を必ず治す』

(125)先日、名古屋市立大学病院の桜講堂で開かれた第六回放射線ホルミシス講演会(一般社団法人日本放射線ホルミシス協会主催)に行ってきた。この協会を裏で支える、青山登(青山シュタイン社長)と亀井義明(坑道ラドン浴施設「富栖の里」理事長)の両氏と、私は長年の友人である。及ばずながらお手伝いをしていることもあって、この種の会合には積極的に顔を出している。今回は初めての名古屋開催であったが、100人を超える聴衆の皆さんが来られた。私も同地に住む4人の友人を誘った。この日は、中村仁信大阪大学名誉教授、芝本雄太名古屋市大大学院教授、武田力大阪ガン免疫化学療法センター理事長、清水教永大阪府立大学名誉教授ら、放射線医学の分野を代表する学者の講演があり、3時間に及ぶプログラムが次々と続いた▼これまでの講演会で「少しの放射線は体にいい」ということは何回も聞いてきた。だが、放射線科医や放射線作業者、パイロットの人たちが低線量放射線を浴びて、かえって長生き出来ているという話は印象深かった。とりわけ中村先生の、「日本の食品や水の放射能規制は、厳しいというより馬鹿げている」との指摘は耳に強く残る。「欧米や国際規格に比べて、食品は十分の一、水は二十分の一。日本中の国産食品のすべてが汚染しているとの前提で計算されているためにこうなった」として、「一リットル当たり100ベクレル程度では飲んでも問題ない」との主張は、放射能汚染に異常なまでに神経質な人たちに聞かせたい▼中村先生と初めて会ったのは、「富栖の里」での講演を聞いた2年ほど前のこと。その穏やかな佇まいからはおよそ想像できないほど、放射線をめぐる”俗論”には手厳しい。『福島を原発の風評被害から救え』とのインタビュー記事での発言は痛烈だ。加えて、低線量放射線照射の動物実験によるガン抑制遺伝子の活性化や、熱ショック蛋白(HSP)が増えることも分かったとの記述は興味深い。「温熱療法では熱ショック蛋白が出ることによって、免疫力が高まり」、「ストレスから体を守ってくれますので、HSPがホルミシスに一役買っていることは十分考えられる」と言われるのだ。HSPなるものは、最近テレビ番組でも取り上げられているようだが、熱というストレスで増える蛋白のことをさす。私はこれまで殆どこのことについての知識はなかった。ところが、この日の講演の最後に、伊藤要子修文大学教授の「マイルドな加温で増加するヒートショックプロテイン(HSP70)の効果」という特別発言があった。これは極めて分かりやすく面白かった▼伊藤教授の発言は、要するに「長風呂は体にいい」と聞こえた。これまで殆ど「カラスの行水」(入浴時間が極端に短いこと)を地で行く、私にとって衝撃だった。講演会終了後、5人の講師の先生方を囲む懇親会があり、そこで色々と有意義な話を聞くことが出来た。とくに伊藤先生は頭にバンダナを巻いたユニークな先生だった。どなたともすぐに打ち解ける性質(たち)の私なので、この人と昵懇になるには時間はあまりかからなかった。『ヒートショックプロテイン 加温健康法』『HSPが病気を必ず治す』といった著作を表しておられるというので、購入すればいいものを、後日さっそく送っていただいた。「低体温は生活習慣病」だとして、「ダイエットをするなら食事を減らすより、低体温を解消することを勧めたい」との指摘はとても斬新に聞こえる。この人の勧めるHSPを増やす入浴法は「基本は42度Cで10分、41度Cで15分。40度Cで20分である」。健康に関する書物は世に数多あるものの、この本は一味も二味も違うように思われる。まずは、私自身が実験台になるので、今後の報告をお待ちいただきたい。(2015・9・29)

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(124)日本を代表する二人の碩学からの励ましー山崎正和『室町記』

日本を代表する万葉学者である中西進先生と親しく懇談する機会を持った。もう8年ほど前のことになる。淡路島のホテル・ウエスティン「夢舞台」での一般社団法人「瀬戸内海 島めぐり協会」の設立発起人会が始まる前と、終わった後のひとときのことであった。この協会の目的は二つ。一つは瀬戸内海の観光振興だが、もう一つは、日本の原風景が今に残る瀬戸内海への船旅を通して、日本の心のふるさとに立ち至ろうという野心的な試みだ。もちろんこれは会長に就任された中西さんの提案に多く依存しているが、私も一家言を持っている。明治維新以来の欧米との思想戦に負け続けている日本の文明のありようをどうするのかということについてである。中西さんにここらを思いっきりぶつけてみた▼日本の伝統的思想は、キリスト教プラス欧米の哲学思想に、明治維新後と先の大戦後の二度にわたり負け続けており、そこからの立ち直りこそ最優先されるべきだというのが私の持論だ。見方を変えれば、日本近代の失敗をどうとらえるかということでもある。日本近代のとらえ方は、百花繚乱だ。例えば、劇作家で思想家の山崎正和さんは必ずしも否定しないとされるが、ユニークな視点を持たれて注目される。この人は、『室町記』などで、日本の近代は室町時代から始まる、との独自の見方を提起されているのだ。これは相当に斬新な見方だと思われる。この点について私が指摘すると、中西さんは、キリスト教の伝来がほぼその時代と重なることからすれば、決してオーバー過ぎる見方ではないと言われた。実は、山崎さんと中西さんはお二人とも私が尊敬してやまない学者である。総合雑誌『潮』の巻頭随筆『波音』の筆頭ライターは2016年1月号から山崎さんに代わって中西さんが登場されることになった。すでに7年を超えている▼『室町記』で山崎さんは、「生け花」も「茶の湯」も「連歌」も「水墨画」も、そしてあの「能」や「狂言」もこの次代の産物であったとして、日本文化の半ば近くをあの「偉大な趣味の時代」が生み出したと、記していてまことに興味深い。この書では、足利尊氏と後醍醐天皇を「乱世を開いた二人の覇者」として描く一方、「乱世を彩る脇役群像」として、新田義貞、児島高徳、楠木正成、北畠親房らを活写している。さらには「乱世が生んだ趣味の構造」や「乱世の虚実」など”乱世づくし”ともいえる展開は、乱世の何たるかを描いて余りある。最後を「考えてみれば、長い試行錯誤ののちにやっとたどりついた現代日本の社会は、ちょうどあの室町時代から、流血と常識をともに少しづつ失っただけの状態といへないだらうか」と締めくくっている。およそ700年、何もあまり変わっていないとの表現は、辛辣かつ大胆極まりない。山崎さんは、公明新聞に先般膨大なインタビュー記事を掲載され、その中で安全保障法制における公明党の活躍を温かく宣揚されていた。実は、この記事に触発されて『室町記』を書棚の山崎正和著作集第4巻から引っ張り出して読んだことを告白しておく▼一方、中西さんは先に『潮』2015年8月号誌上で「詩心と哲学こそが国を強くする」として「武力に頼る大国主義ではなく、哲学の力、文学の力、詩の力こそがこの国を最も強くする」とされ、現政権の安保法制への態度にくぎを刺された。この日の懇談の中で、私は公明党が安倍自民党に対して、歯止めをかけるために精一杯尽力したことを静かに強調した。さすがの私も偉大な文学者を前に、武力を背景にせずして現代国家の外交は無力たることや、日米同盟の強化が必ずしも対米いいなり路線を意味しないことをむやみに力説することはためらわれた。中西さんは、公明党の歯止め貢献は認めるにせよ、「あの旧態依然たる強行的採決は同意できません。私は反対です」ときっぱり言われた。「来年の参議院選挙が厳しいものになることを覚悟した方がいいですよ」とは心の籠った忠告だったと思われる。二人の碩学からの角度の違った「励まし」は実に得難いものと、私には思われてならなかった。

●他生のご縁 国家目標の必要性否定される

山崎正和さんには、私の処女作『忙中本あり』の出版記念会にも世話人に名を連ねてくださり、ご挨拶をいただきました。いろんな機会にご一緒することがあり、あれこれ意見を交わしたことが懐かしく思い出されます。

ある時、私が「日本社会40年変換説」を持ち出して、明治維新、日清日露の戦争、第二次世界大戦での敗北、バブル絶頂といった40年ごとの節目を挙げた上で、それぞれの時代に国家目標があったことに触れました。そこで、これからの時代には、軍事力、経済力に代わり得る新たな目標を持つべきではないでしょうか、と問いかけました。その時に、にこり微笑んで、そういうものはもう必要ないでしょう、と言われたのです。

私は、芸術・文化力を強調したかったのですが、時間切れとなってしまいました。そのままお別れしたのは未だに心残りです。

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(123)護憲派も改憲派も書いてこなかった真実━━長谷川三千子『9条を読もう!』

自衛戦争、制裁戦争を認める所以

安保法制をめぐる議論を通じて、改めて浮かび上がってきたのは「憲法改正」をいったいどうするかという課題であった。そんな折もおり、まことに適切な本が出た。長谷川三千子『九条を読もう!』である。わずかに91頁のちっちゃな新書に過ぎない。しかし、内容たるや薄っぺらどころかずっしりと重い。宣伝文句にあるように、ここには「誰も書かなかった憲法9条の真実」があり、「護憲派も改憲派も必読の一冊」だといえよう。長谷川三千子さんといえば、『民主主義とは何なのか』の対談本で、かの岡崎久彦氏がここまでへりくだるかというほどに持ち上げた、極めてうるさ型で硬派の論客だと見られているが、この書ではまことに丁寧に書いていて別人かと見まがうほどの優しさが横溢している。

憲法学者がこぞってと言っていいほど「違憲」を強調した安保法制法案。しかし、多くの憲法学者(ジュリストのアンケートでは調査対象の63%)が自衛隊そのものを違憲ないしはその可能性あり、としていた。その前提をもとにすれば、彼らの対応ぶりは当然すぎる帰結といえよう。長谷川さんはまず冒頭で、憲法学者の習性からして憲法の欠陥をあげつらうことは難しいということを指摘している。「すでにある法律や憲法を大前提として、それをいかに整合的に解釈するかが自分たちの仕事であると心得てい」る人たちが、その矛盾を指摘などできるはずがないというわけだ。9条1項と2項の内容が正反対であり、1項を守れば2項が守れず、2項を守れば1項を守ることができないという矛盾を指摘したうえでの、このくだりには挑発を大きく超える問題提起としてなるほどと頷かされる。

1項の戦争放棄が、全面放棄なのか、それとも条件付きなのかについて、不戦条約と国連憲章、そして憲法前文を対比しながらの論理展開はまことに面白い。近代国際社会が国の外でも内でも「力」の概念を柱に成り立っていることを一語で体現しているのが「主権」という言葉であった。であるがゆえに、「不戦条約」でも、各国に最低限の「力」の保持と行使の権力を認めないわけにはいかなかった。自衛戦争を認め、制裁戦争を認めているゆえんである。1項が仮に全面的に戦争放棄をしているとすれば、完全に国際法に背を向けた憲法になってしまうというわけだ。

「軍事によらない平和」という「反知性主義」

 また、「9条2項は平和を破壊する」についてもなかなか読ませる。かつてある護憲派の先達が、世界に先駆けて完全な戦争放棄規定を日本は持っているのだから、それを各国に輸出すべきだという考えを披歴した。今でも根強くそういう考えを持ってる人がいる。現実を理想に近づけ、広めるべきであって、現実に合わせて理想を引きずりおろすのは本末転倒だというものだ。しかし、長谷川さんはこの本で、徹底した戦争放棄、戦力不保持は、ある一国の憲法規定にしてしまってはダメだということを、かつてアメリカで唱えられた「戦争違法化」の理論から克明に明らかにしている。それは結果的に国際社会の中に軍事的空白地域を作り出してしまい、平和を壊すことに直結するというわけだ。また、「戦争違法化」の動きは、必然的に国家間の争いを裁く国際法廷の必要をもたらすが、所詮それは勝者の運営するものになってしまい、到底うまくいかないというのだ。

 このほかにも、マッカーサー戦略なるものの実態やら、その根幹である「沖縄の基地化・9条・核兵器」の”恐怖の3点セット”というものを提示している。古関彰一、大江健三郎氏らの著作をはじめとして20冊にも及ぶ参考文献をあげつつ、いずれについても見落としている盲点を衝く記述は実に小気味いい。最後に、憲法9条は、戦勝国が敗戦国を断罪し、その「犯罪国家」をしばるための「誓約書」を強要するものであったと強調。さらに、それこそが「軍事による平和」を意味するのに、実際には憲法9条が「軍事によらない平和」の象徴とされているのは、まことに「反知性主義」極まれりであると力説している。安保法制論議の大騒ぎを実りあるものにしていくうえで、こうした憲法への確かなる事実認識をベースにしたうえでの議論がなされることこそ望ましいと思われる。

【他生の縁 大沼保昭さんの懇親会での出会い】

 長谷川三千子さんと私の出会いは一度だけ。大沼保昭さん主催の会合の懇親会でのことです。かねて産経『正論』などでの論考を通じて、その論理展開の凄さに関心を強めていました。とりわけ、前述したような岡崎久彦さんでさえ、という場面もあり、その思いは次第に高じていました。

 いつか会おうと決めていたら、そのチャンスが巡ってきました。テーブルに近づき、挨拶をしたした際に「貴方のお仲間の婦人部の皆さんに、一度お会いして、憲法のお話をさせていただきたいわ」と言われたのです。おっと。それは、それはと、思いながら、いまだに実現していません。色々と差し障りがあるものの、ひとえに私の怯懦と怠慢ゆえ、と自省しています。

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(122)ダ・ヴィンチから「創の書」へ、秋は芸術 ー高砂京子『文字遊び』

世界の美の歴史を変えた「謎」に迫る、と鳴り物入りでいま開催されている「レオナルド・ダ・ヴィンチと『アンギアーリの戦い』展」。先日、京都・右京区に仕事絡みで行く機会があったので、足を伸ばして京都文化博物館に行ってきました。東京富士美術館での展示が終わってから一か月余、待ち遠しい機会でした。ダ・ヴィンチについてはあの永遠の微笑み「モナリザ」が有名です。恥ずかしながら、今回のものは、聖教新聞の記念対談(6・1付け)やNHKの日曜美術館の放映(6・28)を見るまでは全くと言っていいくらい知りませんでした。16世紀初頭に描かれた「アンギアーリの戦い」は、後世の画家に広範囲な影響を与えたといいます。この壁画が描かれる”以前と以後”とでは、全く違うというのです。以前は平面的・装飾的で静止画だったのが、以後の絵画の世界は、奥行きが立体感のある動画のように変化した、と。確かに、今や電車の中吊り広告で宣伝されている「タヴォラ・ドーリア」という軍旗争奪場面を見ると、そのダイナミックさがなるほど良く解ります▼京都での興奮冷めやらぬ思いのまま、神戸の兵庫県立美術館に行きました。そこで開かれていた「高砂会の創の書展」に顔を出すためです。この会は神戸ではもちろん全国で知る人ぞ知る、書家・高砂京子さん率いる文字を創造的に描き表す人たちの集まりです。わが妻が数年前からこの会に所属し、教えを乞うていることもあり、時々開かれる展示会をのぞきます。文字で(文章ではなく)どれだけ自己を表現出来るかということを試そうという狙いは、まことに斬新です。高砂さんの作品を見るたびに、漢字が絵画へと鮮やかに変身する表現ぶりに魅了されてしまうのです。この美術鑑賞のハシゴをしたあと、神戸のホテルで開かれた高砂会の創立15周年をお祝いする会に出席しました。高砂会員である妻に、あれこれと促されてしぶしぶ。会場の入り口で、神戸新聞の高士薫社長や前神戸市長の矢田立郎さん、それに加古川在住の作家・玉岡かおるさんらと出会い、いきなり盛り上がってしまいました。いずれの方々とも旧知の間柄ですから、気分は一変。人間って勝手なものです▼その会場受付で手渡されたものが『高砂流 「創の書」 文字遊び』との本でした。高砂京子さんの新刊書です。書名の肩には、ココロをカタチに、とありました。この本はもちろん彼女の流派の命である「創の書」とは何かを解題するもので、まことに心浮き立つ素晴らしい内容です。もっともこれは本というよりも、文字画集とでもいうべきものでしょうか。ページをめくっていくだけで,心はなごみ目はみひらかれされるものです。つまり、文章は少なく、文字遊びの実態を写真で見せる編集になっています。ただ、少ない文章がまたなかなか読ませるのです。「はじめに」と「12か月 文字徒然」というエッセイにはこころを絡めとられてしまいました。いや、それ以外にも。とくに第一章の中ごろに織り込まれた「雨に想う」はとても印象的な一文です▼書家として駆け出しの頃、彼女は単身ニューヨークに渡ります。自分の書の可能性を見出すために。そんな旅先で、ある人から「書は美しい。でもこの書の中に、あなたの個性はどこにありますか」と問われ、大いなる衝撃を受けたといいます。ホテルへの帰り道、この質問を反芻しながら雨に打たれてセントラルパークを駆け抜け、ふと顔をあげたその時、雨に煙るニューヨークの街並が目に飛び込んできました。その瞬間、頭の中で何かが弾けた、のです。一心にそのインスピレーションを文字に託して出来たのが「ニューヨーク・レイン」で、「高砂流『創の書』の生まれた瞬間」だ、と。このコラムに私は強いインパクトを受けました。雨がしきりに降る時季。秋雨前線のいたずらというにはあまりにも残酷な鬼怒川の氾濫など胸痛むものがあります。だが、この高砂さん描く「ニューヨークの雨」ほど素敵な雨を、私は知りません。レオナルドの絵画から高砂京子の「創の書」へー芸術は永遠といいますが、私は”とばくち”でいつまでも佇んでいるだけ。そんな身にとって、またしても啓発を受ける大事な機会となりました。(2015・9・13)

【高砂京子さんの会の展示会に一度だけ私も出品したことがあります。およそ平凡な字で、思い出すだに恥ずかしいことです。『文字遊び』というタイトル通りに、字を絵画風に描く高砂さんの書風は素晴らしいの一言です。文字を使って頭をひねることは好きでも、高砂さんのように絵の方にはとても描けません。この人の発想はいよいよこれから大きく羽ばたくに違いないと、予感がします。(2022-5-9)】

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(121)官軍が滅ぼし、賊軍が救ったー半藤一利・保坂正康『賊軍の昭和史』

(121)幾つになっても、世の中には「へーぇ、そうなんだ」ってことが結構ある。「薩長史観」なる言葉を知っていても、明治維新以降、先の大戦が終わるまでの約80年の間、薩摩、長州を中心にした官軍と幕府側についた賊軍との攻防がずっと続いていたことはあまり知られていない。薄々気付いていたことを白日の下に晒された。半藤一利・保坂正康『賊軍の昭和史』を読み終えて、まさに「ふーん。そういうことだったのか」と感嘆するばかりである。半藤さんと会ったのはもう10年以上も前のこと。娘婿である北村経夫さん(当時は産経新聞政治部長、現在は参議院議員)の誘いでお会いした。初対面でいきなり「あなたは随分とくだらない本をたくさん読む人ですね」と言われた。私の『忙中本あり』に目を通されたうえでの感想だった。「先生の本も入ってますよ」と切り返しにもならぬことを口走った頃が懐かしい。それ以後も半藤さんの本はちょくちょく手にするが、この本は飛び切りくだらなくない本である▼「官軍と官軍史観が昭和の戦争を起こし、この国を滅ぼしました。そして、最後の最後で国を救ったのは、賊軍の人々だったのです」ーこれはこの本で半藤さんが言いたかった本音だろう。ただ、これだけでは正確さを欠く。近代日本を作り上げたのは、まぎれもなく戊辰戦争で勝利した薩長を中心とする官軍であり、この勢力の力であの日清,日露の両戦争も勝つことができた。しかし、その後は官軍の驕りもあって、その力が弱まるなかで、賊軍が台頭してきた。だが、結局は昭和の戦争を起こすに至った。最終的にこれに終止符を打った力は賊軍だったということなのだ。ここでいう官軍とは、山口、鹿児島両県を中軸とする反幕府勢力で、賊軍とは江戸幕府側についた諸藩の流れをひく人々である。半藤さんは長岡にルーツを置く人だけに反薩長の意識が過剰なまでに強い▼この本で改めて気付かされたことは少なくない。米内光政(盛岡)、山本五十六(長岡)、井上成美(仙台)の海軍の3人の指導者は、ある意味クールな英雄として位置づけられてきた。だが、それは阿川弘之さんが書いた小説による虚像であり、実際にはそれほどの存在ではなかったという。石原莞爾という人物についても、彼が庄内という賊軍出身であったことを押さえると見えてくることが多い。保坂さんの「(石原莞爾の)評伝をきちんと書けるかどうかに,実は、次代の日本人のメンタリティというか、次の世代の能力が試されている」といわれるほどの石原の多面性に興味が向く。この本を通じて、西郷隆盛の偉大さと鈴木貫太郎の凄さも改めて気付かされた。また、「贖罪の余生を送った稀有な軍人」といわれる今村均陸軍大将の存在もあまり知らなかっただけに胸打つものがあった▼このような官軍と賊軍という古くて、新たらしい視点で、あの戦争の真相に迫るという試みは読み物としてはまことに面白い。戊辰戦争以来の80年の歴史に終止符が打たれたことに、先の大戦の敗北の意味がある、と私は思う。実際この70年生きてきた私たちには、官軍も賊軍も意識下には全くない。あるのは、戦後民主主義の有難さだけだった。で、戦後の新たな対立軸として、米ソ対決の冷戦構造の国内版としての、自社対決があり、資本主義対社会主義の争いが続いた。それがソ連崩壊、東西ドイツの壁の消滅で姿を消した。冷戦後の今の日本にはどういう対立があるか。あるのは、欧米礼賛派と日本自立派とでもいうべきものの葛藤であろうか。私の見るところ、双方に欠けているのが日本固有の思想と欧米思想とを融合させたうえで新たなものを築きあげようという情熱である。この壮大な作業こそ今に生きる日本人に最も求められていることだと思う。(2015・9・9)

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(120)米国に代わって世界支配を目論むドイツーE・トッド『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』

国会に席をおいていたころに海外に行く機会がたびたびあった。ヨーロッパでは圧倒的にドイツに行ったケースが多い。イギリス、フランス、スペイン、スイス、ノールウエー、ポーランド、オーストリア、イタリアなどそれぞれ一度づつだが、ドイツだけは5回ほどになる。どこへ行くのにもここを経由しないとならないこともあってだが、それだけに思い出も多い。もはや忘却の彼方だが、時に応じて記憶の底から蘇ってくる。そんな中で、たった一度だけ、ドイツに長年住む学生時代の友人と公的行事が終わった後、私的な旅を試みたことがある。その時に、とある街中を夜半に歩いた折、私がたまたまナチスの話題を口にしたところ、彼が表情をこわばらせ、色をなして止めにかかってきた。抑えた口調で、「その話題は御法度だよ。ひとに聞かれるとまずいことになる」と。それまでの雰囲気と一変したその異常さに恐れをなして、さすがの私も押し黙った。以後、話題にもせぬまま幾年月が経った。これには、ドイツ語ではなく日本語でしゃべっただけなのに、どうしてなのかと、未だにいささかの疑問が残っている▼ドイツと日本は先の大戦の戦後処理の違いをめぐって対比されることが多い。敗戦国同士ではあるが、戦後復興の華々しさなどでは共通する点も多い。ベルリンの壁がなくなり、東西ドイツが統一されて30年近くが経つ。この70年の月日で、隠忍自重という言葉がこの国ほど似つかわしい国は無いように思われる。それが今や変質して大きく姿を変えようとしているのではないかとの思いを抱かせる面白い本を読んだ。エマニュエル・トッド(堀茂樹訳)『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』という新書だ。著者はフランスの人口学、家族人類学者。これまで、「ソ連崩壊」や「米国発の金融危機」さらには「アラブの春」を次々と的確に予測してきた。タイトルはかなり大げさではあるが、この本ではドイツの台頭の意味するものを明確にとらえることを提唱していて興味深い。一言でいえば、グローバル化した世界の中で、アメリカとドイツという二つの大きなシステムの真正面対立を予言しているのだ▼私たちは、第二次大戦後の冷戦期を通じて、「米ソ対決」というドラマを見慣れてきた。「ソ連崩壊」の末、冷戦後は、「アメリカ一極論」とか「米中対立の脅威」といった囃子言葉に惑わされがちである。トッド氏は、そういう見方に疑問符を投げかけ、アメリカの力の翳りを見定め、中国の張り子の虎ぶりを見抜く。曰く「いたるところで、つまりヨーロッパにおいてだけでなく世界中で、アメリカのシステムにひびが入り、割れ目が出来」ているとする一方、「中国はおそらく経済成長の瓦解と大きな危機の寸前にいます」と。要するに、アメリカの没落に比例する格好でドイツの興隆に眼を向けるべきことを、隣国フランスの知識人特有の冷徹なまなざしで指摘しているのだ。そして、そういう事態の契機となるのは、ウクライナ危機であり、その危機の帰趨であるという。「最も興味深いのは『西側』の勝利が生み出すものを想像してみること」であり、「もし、ロシアが崩れたら、(中略)おそらく西洋世界の重心の大きな変更に、そしてアメリカシステムの崩壊に行き着く」と強調する▼ロシア嫌いの知識人がアメリカでは多いために、ドイツの脅威を見誤っているとの懸念はなかなかに面白い。一般的に欧米という言い方があるように、またEUとひとくくりにされるように、欧州をまとまっている一つの存在と見がちだが、その実情は全く違うことが改めて良く分かる。ここでは随所にフランスの政治指導者のいい加減さが姿を見せたり、独仏の違いが強調されて極めて分かりやすい。例えば、フランスでは、スピード違反を摘発しようとして憲兵たちが道路わきに隠れていると、「フランス人の軽犯罪者コミュニティというべきものが自然発生し、対向車線でヘッドライトを点滅させ、気をつけろよと教えてくれる」として、助け合いの精神が出てくる。一方、ドイツでは、誰かが違法駐車していると、近所の人が警察を呼ぶとして、フランス人にはショッキングな話だとして紹介している。これって両国の国民性を表していて面白くはあるが、かつて双方を経験した私などには、いかにもステロタイプ的しわけに見えてしまう。どの国でもどっちも混在しているのではないか、と思われるがどうだろうか。ともあれ、最近の独仏事情が浮き彫りにされており、大いに刺激的な本だ。(2015・9・5)

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(119)西洋思想を批判し、日本の心を宣揚した外国人ーラフカディオ・ハーン『新編 日本の面影』

ラフカディオ・ハーン(日本名・小泉八雲)というひとの存在を知り、その名著『怪談』を読みかじってから、もう半世紀ほどが経つ。明治37年に54歳で亡くなる半年ほど前に東京で書いた、つまり最後の仕事となったのが、それだ。彼は、ギリシャのある島でアイルランド人の父とギリシャ人の母との間に生まれた。1850年のことだ。19歳の時に単身、アメリカに渡り、職を転々と変えながら世界各地を飛び回った。やがて通信記者となって40歳の年に来日する。島根県松江の中学校の英語教師として赴任、その年の終わりに小泉セツと結婚した。二年後に書いたのが『見知らぬ日本の面影』である。日本に着いて初めて外国人向けの月刊誌(アトランティック・マンスリー)上に連載した作品だ。恥ずかしながら、これを私は知らずにいた。きっかけは、たまたま見たNHK総合テレビの「100分DE名著」シリーズで取り上げられていたからだ。早速『新編 日本の面影』(池田雅之=訳)を買い求めて読み、深く感動した▼とりわけ私が惹きつけられたのは、「はじめに」である。「日本人の生活の類まれなる魅力は、世界のほかの国では見られないものであり、また日本の西洋化された知識階級の中に見つけられるものでもない。どこの国でもそうであるように、その国の美徳を代表している庶民の中にこそ、その魅力は存在する」ーという風に、日本人の庶民の生活に立ち入って、日本文化の本質や日本人の内面を描こうとする強い狙いが読み取れる。訳者の池田雅之(早稲田大大学院教授)さんは、ハーンが「日本の進歩的知識人や教育制度の中で軽蔑され排除されようとしている日本の古い民間信仰や、迷信、言い伝えや風習、昔話や神話などのフォークロア的世界観の再評価および擁護」をすることで、「近代批判の幕開け」を展開しようとしていることを強調している。日本の近代がキリスト教、西洋哲学・思想の受け入れに必死なあまり、大事な日本のこころを忘れてしまった、という私の最大の関心事の核心をつくテーマにぐいぐいと引き込まれた▼「東洋の第一日目」「盆踊り」「神々の国の首都」から「日本人の微笑」などに至る記述は、実に読みごたえがある。一般社団法人「瀬戸内海 創造の海へ」を立ち上げ、日本の心の風景を瀬戸内海の島々に求め、日本精神のありように迫ろうとしている私にとって大いなる刺激となった。「ホーケキョー」との鶯の鳴き声に、「法華経」を重ね合わせる描き方には思わず微笑んだ。「我が家の小さな仏教信仰者は、こんなにも簡潔に信仰心を伝えているのだ。鶯は流れるようなさえずりの合間に、その聖なる言葉を何度も何度も繰り返し唱和する」ー50年間に亘り、日蓮仏法の信仰にわが身を委ねてきたものとして、このくだりにはまことに胸打つものがあった。物質主義、個人主義、産業中心主義、キリスト教など、ハーンの西洋批判の切口は多岐に亘っている。日本人に代わってのこの批判の切口こそ、今最も注目されねばならないと思う▼この夏、一昨年から続く三度目の熊本行きを思い立った。同県に住む畏友が案内してくれる気安さもあってだが、今回は家内を伴った。初めての阿蘇を見せたい、と。その熊本こそ、ハーンが島根のあとに移転した地なのである。市内の中心にある、ハーンのかつての住まいをつぶさに見る機会を得た。小さいながらも整った庭を見ながら、「日本の庭にて」を思い起こした。「出雲だけではない。日本国中から、昔ながらの安らぎと趣が消えてゆく運命のような気がする」「この庭の美しさを創り出した、今は失われてしまった芸術」などと述べている。日本らしさの消滅という未来を予測しながら、仏教への憧憬を深く強く描き出していたことには感銘を新たにした。ハーンといえば『怪談』。それも深い理解ではなく、紋切型にしか捉えていず、やり過ごしてきた自分を大いに恥じる”熊本旅”になった。昨年、出雲大社を訪れた際に気付かなかったハーンの仕事を、熊本にて改めて気付かされたというのも妙なものだが、彼はその後、神戸、東京と私にとっての有縁の地に移り住んでいる。遅ればせながらも、西洋礼賛の陰で忘れられた日本のこころ、日本精神のありどころをハーンに教えられた。今、たとえようもない幸福感に浸っている。(2015・8・31)

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(118)知らぬことばかりの自分の体について ー 笹山雄一『人体探求の歴史』

(118)還暦を過ぎてから、「60の足習い」とばかりに、ジョギングに精をだすなど健康には十二分に気配りをしているものの、時に容赦なく病魔は襲いかかってくる。青春の真っただ中で肺結核を患ったことがある私は、体についてひときわ関心を持ってきた。この猛暑の夏、笹山雄一『人体探求の歴史』を読み、心底から啓発された。死ぬまで付き合うわが体の仕組みについて、いかに自分が無知であったかが改めて解り、遅ればせながらの探求心がわいてきた。このうえなく役立つ面白い本との出会いに、興奮は冷めやらない。「眼」から始まって「耳」「鼻」「心臓」と続き、「肛門」「精巣」「卵巣」まで15の器官を微に入り細にわたり、特徴や役割を解説し、不調への対応を様々なエピソードを交えて示してくれる。まともに読むと決して読みやすいとは言えないが、よく注意を凝らして読み進めると、思わぬ宝に出くわす。老爺心ながら、この本も前から読むよりも後の「肛門」あたりから入った方がいいですよと言っておきたい▼勿論、ひとの興味のありようは様々。だが、「同病相憐れむ」傾向は万国、万民共通に違いない。痔ろうだったらしい夏目漱石が弟子・小宮豊隆への手紙に「御尻は最後の治療にて」「僕の手術は、乃木大将の自殺と同じ位の苦しみあるものとご承知ありて、崇高なるご同情を賜度候」とある。これを「ふざけて書いている」と見るよりも、哀れが先立ってしまう。「文豪とて、よほど辛かったとみえて、手術七日目に、『切口に冷やかな風の厠より』という句を読んでいる」のには、笑いをこらえて、さすが俳人と称賛したい。「精巣」ではつい先ごろの「切り取り」事件に思いが及び、わがペニスや睾丸が愛おしくなる。中国の宦官にまつわる去勢の実態やら、なぜ日本にはその習慣がなかったのかなどの記述は興味深い。尾籠な話ばかり紹介していては、私の品性が疑われかねない。「有名人の結核とその周辺」のくだりでは、樋口一葉、石川啄木、沖田総司、正岡子規ら「枚挙に暇が無い」と言いながらあれこれ取り上げられていて、知的好奇心がとめどなく湧いてくる。勿論、さりげない病への具体的対処も忘れてはいない。「糖尿病を予防するには、老化を感じる前から、運動するよう心がけることが肝要である」との記述には、わが意を得たりとなった▼本の性質上、杉田玄白が83歳で書き残した『蘭学事始』に関する引用が少なくない。その玄白の『解体新書』を「如何にして出版されるに至ったかは、『冬の鷹』吉村昭に詳しい。胸躍る作品である」と紹介しているのも、読んだものとして大いに共感する。一方、「胃カメラの考案者は日本人」において、その経緯は、「吉村昭氏が書いた『光る壁画』に詳しい」「ぜひ、一読をお勧めする」となっている。これには、すぐ注文したくなってしまう。次から次へとこんな調子。実に体躍り、心騒ぐ本である。一読ならず数読をお勧めする▼私の父は78歳で亡くなった。晩年、両の手のひらの皮膚が捩れたり引きつって困る、これはどうしてか、とよく云っていたものだ。当時は、へーぇといって眼を向けても、それ以上の関心は無かった。ところが、あれから30年ほどが経って、まったく同じ症状がわが手のひらにも現れてきた。遺伝だ。痛いわけではないものの、脂肪の小さな塊のようなものがあちこちから盛り上がって膨らみ、気持ちは穏やかではない。当初は、長年の労働の結果ゆえの勲章か、などと高をくくっていた。整形外科に行くと、デュピュイトラン拘縮という診たてだった。「これ以上酷くなると、手術が必要になってきますね。そうなる前にやりますか」と。冗談じゃない。手のひらを切り刻まれてはたまらない。糖尿病患者に良く見られる症状だというが、因果関係は未だ医学的に分かっていないようだ。かの石川啄木が貧乏な暮らしのなかでじっと手を見た心境と比べるべくもないが、死んだ親父にだんだん似てくる自分に思わず苦笑いせざるを得ない。(2015・8・26)

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