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(97)6-③ 薬剤師の誇りと由来を謎解きのごとく━━山本章『医者が薬を売っていた国日本』

◆医薬分業の歴史をわかりやすく

 薬というと誰にも、それこそ苦い思いをしたり、晴れやかな気分にさせられたりと、いっぱいの思い出があろう。少し前のことになるが、酒を飲む席で、歯痛がどうしようもなく酷くなった。ビールや酒、焼酎などを呑んでる最中に、痛み止めの薬をつい一錠だけ飲んだ。この後どうなったか。いやはや、思い出すだに辛い。就寝前に歯を磨いた途端、つまり薬を飲んでから5時間後くらいだったろうか、口の中が唇から舌までちょうど歯の治療時に麻酔を打たれたと全く同様にしびれだしたのだ。そして約30秒後歩くことも出来ぬほどの酩酊状態が起きた。以来二日間に亘って断続的に同じような症状が起こり、大変な思いをする羽目になった。

 医師に問診を受けても直ちに原因などは分からない。めまいのための薬を呑んでも全く効かない。脳梗塞ではないかとなって、CTやMRIなどを撮って調べたが、特に異常はなし。結果は「酒のせい」ということになり、やがて自然治癒した。

 こんな極端な例とは正反対にそれまでの苦痛からウソのように解放されたことも勿論多々ある。しかし、大筋は、〝効くもくすり、効かぬも薬〟というところかもしれないというと、薬剤師さんに怒られようか。私の周りには薬剤師出身の元衆議院議員や元神戸市議会議長らの友人、知人が少なくない。その筆頭とでもいうべき人物が8年ほど前にすごい本を出した。山本章『医師が薬を売っていた国 日本』である。

 これは日本における医薬分業の歴史を、きわめて分かりやすくかつ専門家の批判にも十分に応え得るように解説した画期的な書物だ。本人は薬剤師学徒や薬局関係者に読んでほしいと言っているが、これは薬を飲んだことのある人がみな読むべき本であると心底から思う。というのは、なぜ医薬分業が日本でかくほどまでに遅れて実現をみたのかが、あたかも推理小説を読んでいるかのように引き込まれつつ分かる仕掛けになっているからだ。

◆医師絶対化への問題提起

 謎解きをするべく著者はそれこそ時空を超えた旅に出るが、これがすこぶる楽しい。スイス・サンセルグから始まりフリードリッヒ二世の十字軍遠征につき合わせられる外遊──さながらこれは歴史散歩だ。また、日本全国の薬剤師の先達たちの足跡を追う旅は、知られざる逸品の苦労話の連続で、目からうろこならぬ、近眼にコンタクトを着けた趣きである。しかも適時、落語からの落し噺が出てきたり、「徒然草」からの兼好法師の言葉が顔を出し、おまけに自作の短歌まで幾つか披露されている。まさにほどよい癒しを感じた。

 医薬分業について少し私の感想を述べたい。正直、普通の暮らしの中で薬剤師の力を実感することはこれまでなかった。で、ご多分にもれず〝医師絶対〟の基本姿勢で、今日まで来たことは否めない。つまり、長い時間待って僅かな時間の診察のすえに医師が処方したものを、また薬局へ行ってそれなりに時間を費やしたうえで貰うのは、どう考えても時間の浪費だと考えてきた。医師が処方したついでに薬も渡して貰えばいい、と恥ずかしながらつい先年まで思ってきていた。今でも時々思わぬこともない。それは調剤薬局といいながらいわゆる調剤をしているのか、単なる出来合いの薬を棚から探し出すにしては随分と時間がかかるではないか、などと疑問を感じてきたからだ。

 本当に医師と薬剤師が対等に分業してやっていけるのか。だいたい、医師が処方したものを探し出すだけではないのか、などとかなり辛辣で傲慢な見方をしていたのである。それがこの本を読むと一変した。種明かし、謎解きを読まない人にするべきでないので控えるが、私の積年の疑問がほぼ解決した。ただ、山本さんにここまで期待されたうえで、本来のあるべき薬剤師の姿を明示された結果、現実の薬剤師さんたちの仕事ぶりがそれに見合ったものになるかどうかについては、いささかの不安と不審が残るとだけは言っておきたい。いつぞやも薬剤師資格を持たない人に、調剤させていた薬局の存在が報じられていたことだし。

【他生のご縁 奥行きの深さと軽妙洒脱さと】

 山本章さんは、姫路市で1945年に生まれた私と同郷の同い年です。幼い頃に両親を共に肺結核で亡くされ、養父母に育てられました。ご自身も若くして同病に罹り、落第を経験するなど辛酸を舐める苦労を重ねた末に、京都大学薬学部に進み、のちに旧厚生省に就職。最終的には麻薬課長を経て、製薬会社に天下るという薬と縁の深い人生を過ごしてきました。

 これまで政治家と高級官僚という関係を超えて、同郷、同年の誼みで親しくさせていただいてきました。今では、「姫人会」なる同郷の仲間の会で年に1-2度ご一緒するのが本当に楽しみです。様々な局面で奥行きの深さと軽妙洒脱さを垣間見せてくれるお人柄に、私はぞっこん参っています。

 第二弾の麻薬に関する本に続いて、先頃『出でよ!精神科病棟━━大勢で大勢の自立を支援する』という本を出版されました。退官後、一段と熱心に取り組まれてきたNPO法人活動の所産が盛り込まれています。障がいを持つご長男の実体験に基づいた心揺さぶられる本です。

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(96)7-⑥ この国の本来の成り立ちを問いかける試み━━佐藤優『国体の本義』

◆新自由主義台頭への批判の眼差し

 佐藤優氏の超多面的な仕事の中でも、極め付きとでも言うべきものが国家神道的なものへの関心である。かねて彼が北畠親房の『神皇正統記』を中心にいわゆる右翼イデオローグたちとの議論を重ねていることは知っていた。しかし、戦前に文部省の手になり(昭和12年)、占領下の日本で米軍によって禁書になった『国体の本義』についてはほとんど知らなかった。改めて日本という国の成り立ちとしての「国体」というものを考えるにつけ、始めには当方に偏見めいたものがあったが、読み終えて収穫が大きかったことに満足した。

 「国体」とは国家を成り立たせる根本原理をいい、ある意味で「目に見えない憲法」ともいえる。日本のみに特殊なものではなく、どの国にもあるはず。ただ、日本は先の大戦に突入する流れの中で、国家神道が単なる宗教を超え国民の精神を支配する中枢の役割を果たし、それを裏付けた「軍国主義」が国民を塗炭の苦しみに陥れたとの認識が一般である。しかも終戦処理にあたっての最大の関心事が「国体維持」という呼称のもとに天皇の去就が注目を集めたことも重なって、「国体」とくると誰しも反射神経的に身構えてしまいがちだ。

 しかし、佐藤氏がこの書を読み解く必要性を痛感し、行動に移したのは現今の日本の国のありように大いなる危惧を抱いたことが発端であろう。より根本的にはこの二十数年の「新自由主義」の台頭への批判の眼差しがある。そしてヘイトスピーチや排外主義といったこのところの保守思想に潜む病理への危機意識が引き金となっている。こうした現状を解くカギが「国体の本義」にあると言うのだ。「正統派保守思想」を以てして〝誤れる保守的考え方〟を破すと言いたいところなのだろうが、一般には「毒を持って毒を制す」との見方も否定できない。

◆外来思想を土着化する必要性

 『国体の本義』の中で、天皇は「高天原の神々と直結して」おり、「重要なことは知(智)、徳、力という世俗的基準で皇統を評価してはならない」し、「そのような人知を超越する存在なのである」とされる。天皇の軍隊が犯した数々の誤れる行為を今の時点でどうとらえるのか。辛うじて最終章にわずかに触れられていただけであったのは私には少々物足りない。読み解く対象としての「国体の本義」に、「軍事に関する記述は短い」のなら、佐藤氏にそこは補ってほしかった。「高天原に対応する大日本がその領域である。従って、日本の軍隊は世界制覇の野望などそもそももっていない」といわれても、そもそもいつのことをさしているのか分からず、基本的な疑問を禁じ得ないのだ。

 ただ、昭和12年の段階で日本が直面していた思想史的課題と現代のそれが極めて似ているという観点に立つと、俄かにこの本における佐藤氏の読み解き方が注目される。日本文明の特徴は、外来の思想を取り入れて、これを換骨奪胎し、日本風のものに変えてきたことにあろう。古くは仏教や儒教もインド、中国から外来のものとして入ってきたが、同化され日本独自のものに改められてきた。明治維新以降の近代化にあっても日本は西洋列強による植民地化の脅威を避けつつ一意専心、西洋思想を取り入れ同化してきた。しかし、その結果は、どうだったか。『国体の本義』の書き手は、個人主義や自由主義、合理主義が氾濫しただけではないかと厳しく自省しているのだ。その時点から90年近くが経った今もなお基本的状況に変化はない。いやそれどころか、敗戦から占領期を経て、平和憲法の展開でむしろ事態は悪化しているとの見方も成り立つ。

 佐藤氏は、「1930年代にわれわれの先輩が思想的に断罪した『古い思想』(すなわち、個人主義、自由主義、合理主義)が二十一世紀の日本で新自由主義という形態で反復したに過ぎない」と手厳しい。だから、日本人と日本国家が生き残るために、思想的に日本をどう捉えるかが焦眉の課題であるとし、「日本の国体に基づいて、外来思想を土着化する必要がある」と強調する。

 そこで、「日本の国体」とは何かの基本に戻るのだが、それが国家神道的なるものに回帰することでいいのかどうについてはやはり疑問が残る。建国神話などを今に活かすことは、一つの大いなる遺産ではあるが、それだけではなかろうというのが私なんかの結論だ。佐藤氏自身も言ってるように「歴史も世界も複数存在する」のだから、今とこれからに生きる日本人の共有財産にするには、大いなる論争が必要になってくる。

【他生のご縁 『創価学会と平和主義』で発言引用】

 佐藤優氏は私のことを『創価学会と平和主義』(朝日新書)を始め、『世界宗教の条件とは何か』(潮出版社)のサイト版など複数の媒体で触れています。いずれも鈴木宗男氏や彼との関係についての衆議院予算委員会証人喚問での私の発言に関するものです。

 「過ちを改めるに憚ることなかれ」を私が実践したことを過大に評価された分けで、おもはゆい限りです。世界宗教としての創価学会SGIが広宣流布の展開に本格的な取り組みを強める上で、この人の「キリスト教指南」が一段と重要性を増すに違いないと思われます。

 

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(95)「見えない世界」に近づくセンスを磨く極意 佐藤優世界史の極意を読む

元外務省の役人で今は作家の佐藤優さんは、この10年余りですっかり現代日本の青年たちにとっての思想形成のアドバイザーになった感がする。同時並行で雑誌に書きおろす一方で、ありとあらゆるジャンルの人々との対談をし、それらをまとめて出版する姿は驚異的だ。単に書きなぐり喋り散らしているのではない。一つひとつに関連、参考書のたぐいを巻末に挙げて、遅れて来る青年たちを、自ら考える習慣を持つ世界へと誘う。私も随分とお世話になってきた。一つひとつを吟味し料理するだけの知力と理解力が私には残念ながら不足している。このため、まとめてさわりだけを披露するというズルをここでは決め込ませてほしい。皆さんそれぞれの挑戦に期待しながら▼まずは、『世界史の極意』。歴史をアナロジカルに(類比しながら)読み解くという作業ほど魅惑的なものはない。先の大戦直後に生まれ、冷戦期に育った私などは、古今東西の歴史についてそうした営みをあれこれと試みたものだ。しかし今、国際政治は米ソ二極対決から多極化へと変化し、民族、宗教問題が一段と噴出しだした。今こそ、より一層鋭く正鵠を射るための手立てを持たねばならない。この本で著者は「プレモダンの精神、言い換えれば『見えない世界』へのセンスを磨くこと」の重要性を繰り返し説く。「見える世界」の重視という近代の精神は、旧・帝国主義の時代に戦争という破局をもたらした。これからの時代(彼は「新・帝国主義の時代」と規定)は目には見えなくとも確実に存在するものが再浮上してくる、と見る。つまるところ宗教に対するアプローチの必要性を強調しているのだ▼彼はあまねく知られているようにプロテスタントのキリスト教徒である。その立場から『初めての宗教論』右・左巻二冊を書いた。それぞれ「見えない世界の逆襲」と「ナショナリズムと神学」との副題がついている。神学の細かいところは正直よくわからない。かつて私たちは、キリスト教を「科学に逆行する非科学的なもの」と断罪した。「右の頬を打たれれば左の頬を出せ」と出来もせぬことをうたう非現実的な教えだと一刀両断にしてきた。今でも環境・自然破壊の遠因は、人間と自然を対立的に捉えるキリスト教の思想の浅さにあるなどといったステレオタイプ的思考から抜け出せないでいる。この2冊を読むことでそうした見方から脱却できるとはとても言えない。ただ、左巻でのキーパーソンであるフリードリッヒ・シュライエルマッハーについては改めて注目させられた。このひとは「宗教の本質は直観と感情である」とし、また「絶対依存の感情である」とも定義した。要するに、神様は天上のどこかにいるのではなく、「各人の心の中にいる」とした。佐藤さんはこれを「神を『見えない世界』にうまく隠すことに成功したと言ってもいいかも」と述べていることは、言いえて妙で面白い。先に池田大作先生とアーノルド・トインビー博士との対談を読み解いた『地球時代の哲学』のなかでの「直観」についての言及を思い起こす。曰く「池田大作氏が言う直観は、同時に内観なのである。内観とは、時間や空間の次元を超えた、物事の本質を瞬時に、言語化、論理化することなしにとらえることだ」と。このあたりも含め佐藤氏の宗教論は、私のような日蓮仏法者にも今後に研さんへの刺激をもたらす▼多彩な対談本の中から最近読んだものを一つ。異色の女流作家・中村うさぎさんとの『死を笑う』である。原因不明のいわゆる臨死体験をした中村さんと、鈴木宗男事件で社会的な臨死体験を経験した佐藤さんとの対談はなかなか興味深い。「死」をテーマにしながらも気楽に読める小話の連続だ。佐藤さんの父上がモルヒネも効かないという激痛のなかで医者に罵詈雑言を浴びせたという。確かに「痛みは人格を変える」というほかなく、対処のしようがないことに気が重くなる。また、鈴木宗男氏を役人が苦手としたのは、「昔脅かされた不良と二重写しになる」からだというのには、大いに共感し笑える。そんな中で、彼は「死を意識していると、持ち時間が限られているということを常に意識する」から、「文章も引き締まる」と一般論を述べる。だが、自分はそれとは違って「のべつ幕なしに仕事を引き受けてる実務家はダメ」と否定する。かつて外務省の誰だったかが「佐藤があれだけモノに憑かれたかのように書くのは、自らの死期を意識してるに違いない」といってたことを思い出す。さてどうだろう。恐らくはモノを書きだした最初の頃と今とでは違ってきているのではないかと思う。(2015・4・29)

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(94)いまなぜ「松陰・長州テロリスト論」か

一つのものを表と裏から見ると、こうも見方とらえ方が違うのかということはママある。しかし、既にその位置づけが世の中に定着してしまっている歴史上の大きな出来事について、180度も違う見方というのはそうざらには存在しない。近代日本が形成される契機となった「明治維新」は、これまで日本の歴史を学ぶ上で肯定的にとらえられてきた。ところが、その逆の見方の決定版とでもいうべきものに出くわした。「明治維新」を徹底的にこきおろした本である。その名もずばり『明治維新という過ち』。著者は原田伊織という作家だ。副題には「日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト」とある。二年前に出された本だが、今年になって「改訂増補版」として装い新たに登場した。NHK大河ドラマ『花燃ゆ』の放映を十分に意識した再出版であることは間違いない。原田さんにとって薩長史観を基に作り上げられた明治以後の歴史はおおむねウソで固められており、それを世の中に広める行為は許せない悪行と目に映るのである▼この本の骨格は二つと私は見る。一つは吉田松陰というウソと司馬遼太郎氏による歴史観の罪である。最大のウソは、松下村塾というのは松陰が主宰した私塾であるというが、それは事実と違い、陽明学者である玉木文之進の私塾だ、という点にあろう。松下村塾は師が講義し、弟子が教育を受ける場ではなく、むしろ談論風発の議論がなされ「尊王攘夷」論で盛り上がった中での松陰が兄貴分であり、リーダー格だった、という。それは今や常識的だ。しかし、強い信念のもとに倒幕に立ち上がった松陰が、狂気のテロリストであって、決して立派な「師」ではないというところまでは、誰しもあまり認めたがらない。そのうえ、「長州閥の元凶にして、日本軍閥の祖、山県有朋」が、その後の日本軍国主義の神の座に松陰を祀り上げていっただけ、と決めつけられては鼻白む向きも多いだろう▼ところで、司馬さんは現代日本の国民的作家として評判が高い。その彼が日露戦争から後の大東亜戦争までの40年間を日本史における「連続性を持たない時代」だと捉えたことはよく知られている。「モノ」「異胎」「魔法の森」と呼ぶ。つまり”わけのわからん40年”というわけだ。そのことを原田さんは罪深いと指弾し、これらこそ「いわゆる明治維新の産物」だと断定する。「(魔法の森が明治維新の産物だと理解するために)長い時間軸を引いて、それに沿って善いことも悪いことも全部並べてみて、白日にさらせと主張している」のは、なかなか意味深く、やってみる価値はあると思う▼実は「明治維新」を否定的に捉えるひとは今まで少ないながらもいる。私の親しいひとの中では、環境考古学者の安田喜憲(東北大名誉教授)さんだ。この人は維新以降、基本的には日本文明が西洋文明に駆逐され続けてきたとして、以後の歴史を厳しいまなざし(特に環境保護の面で)で見ている。また、薩長史観に異論を唱え続ける存在としては作家の半藤一利さんがいる。このひとも明治維新を能天気に推奨したりはしていない。だが、そういはいっても大筋は近代化の大きな機縁を作ったのは「明治維新」に違いなく、あの時に「徳川幕府が曲がりなりにも続いていたら」などと考える人はそうはいないだろう。ところが、原田さんは明らかにもっといい社会ができていたはずと推測してやまない▼この本のもう一つの骨格は、会津にみる士道の潔さに対する思いいれの強さだ。薩長、とりわけ長州武士の悪逆非道ぶりをこの本ほど克明に描いたものを私は寡聞にして知らない。そして会津や二本松における少年たちの見事な生き方について、かくほどまでに感情を乗せ、迸る情熱で描きあげたものも読んだことはなかった。涙を誘うという表現は生ぬるい。涙なくして読めないなどという描き方も歯がゆい。ひたすらに胸を打ち心揺さぶられるばかりだ。昨今、子どもたちに、偉人伝や英雄譚を勧め、読ませることが少なくなった。子どもたちの間でこういう物語が読まれるようになったら、さぞいいのではないか、と思った。この本を読んでいらい、会う人ごとに面白いよと勧めている。先日上京した際、政治家の先輩や後輩、さらには官僚たちとの会話のおりに話題にした。それは反薩長史観を見直すべきだとか、明治維新が過ちであったかどうかということを議論しようというのではない。勝てば官軍の名のもとに強者の歴史の陰で、消えていった弱者のあつい心ざしに、深いまなざしを向けようということを言いたいのである。(2015・4・28)

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(93)ハトはエサのないところには現れないー薬師寺克行『激論!ナショナリズムと外交』を読む

 このところ政治の右傾化が顕著だとの指摘が専らだ。確かに安倍首相の再登場いらいの言動を持ち出さずとも、保守勢力の動きが論壇を中心に活発だ。「自社対決」が花盛りの頃に「保守対革新」のガチンコゲームを見続けてきたものにとって、社会党の没落から消滅を経て、民主党の中に潜り込んだかに見える残党たちの影が薄いことには哀れすら催す。同時に保守の中における穏健派もこのところ姿が見えない。かつて自民党の中で安全保障をめぐって「ハト派対タカ派」といわれた対決の構図さえ見られないと言われる。ハトの姿が見えず、タカばっかりだというのだ。このあたりの背景を探る面白い本に出会った。元朝日新聞政治部長で、今は東洋大学教授の薬師寺克行さんの『激論!ナショナリズムと外交』である。サブタイトルに文字通り「ハト派はどこへ行ったか」と付いている▼薬師寺さんとは残念ながらお互いの現役時代には面識はない。朝日新聞の敏腕記者たちとは、船橋洋一氏を筆頭に付き合いは少なくないのだが、このひととはその機会がなかった。というのは薬師寺さんが公明党の担当をしていないということが最大の理由だ。ところが、つい先日同氏が私に会いたいと言っているとの連絡が後輩の代議士を通じて入った。回りくどいなあ、直接言えばいいのにと思いつつ、何事だろうと電話をすると、「公明党の取材をしているので貴方の話も聞きたい」とのことであった。当方としては願うところなので快諾したが、その際に著作を読みたいので送ってほしいと要請した。彼は『外務省』という新書を書いており、それが届けられるものと思っていたらあにはからんや、先に挙げたものと、もう一冊『現代日本政治史 政治改革と政権交代』が送られてきた。政治学を学ぶ学生向けの教科書だ。出版元は有斐閣。ざっと目を通したが、公明党に関する記述は極めて少ない。政治改革に果たした役割からするともっと紙数が割かれていいと思うのだが。なによりもPKO における市川雄一公明党書記長の戦いぶりが皆目でてこないというのでは、推して知るべしだ。こういうことだから公明党を改めて取材しようということなのだろう、と勝手に推測した▼『激論!』は9人の人たちとの対談で構成されている。学者1、評論家1、政治家7という割り振り。ジャーナリスト出身の学者だけに対談は読みごたえがある。なかでも第一章の細谷雄一慶応大教授との対談は面白く、知的刺激をいっぱい受けた。あとは、わが公明党の山口那津男代表のと、平沼赳夫日本維新の会代表代行のものに惹きつけられた(共鳴したわけでは勿論ない)。それ以外の6人のにはパンチがない。ハト派やハトとまでは言わぬまでもそれに近い穏健派の主張には食い足りなさが残る。細谷さんは立教大学時代に、かの北岡伸一氏に、そして慶応大学院時代にはわが学友・田中俊郎氏(慶応大名誉教授)に師事したという。薬師寺さんはこの16歳ほど年下の学者を相手に「欧州に見る寛容と和解の歴史」を語り、日本政治史におけるハト派のゆくえを探っている。細谷氏は各国でポピュリズムが広がって歴史問題がますます政治化すると、保守勢力(タカ派)は自国の正義を語り、リベラル勢力(ハト派)は謝罪と反省を語る。そのような大衆社会では自ずと、自尊心を満足させる甘いお話の方が受け入れられやすい。ハト派の出る幕は少なくなるというしだいだ。こうした指摘を受け、薬師寺氏は、現状を「(復讐心に燃えた)中韓両国の主張に日本政府が反発し、国内的に危機感を煽り、憲法の解釈を見直し自衛隊の活動範囲を広げようとしている」時ととらえ、軍事的緊張が高まりつつあるとの認識を示す▼安倍政権を自民党とともに支える公明党の山口氏はタカ派が強くなりすぎると、「国全体の安定感が疑われる」ので、「国としての包容力とか幅を持っていないといけない」と強調している。薬師寺氏は日中関係などでの山口氏の発言を「国際協調派ならではの主張だ」と持ち上げている。私のとらえ方は、国民の中におけるハト派的主張が後退しているため、相対的にタカ派が目立つということだと思う。公園に行くとハトに餌をやる人がいて、そこにハトが山のようにやってくる。ハトは餌のないところには姿を見せない。つまり、細谷氏が言うようにハト派的主張が国民受けしなくなったということに尽きよう。自民党内ハト派に期待ができない今、政権内ハト派としての公明党にますます期待が高まってこよう。(2015・4・26)

【この読書録のあと、薬師寺さんは力作『公明党』を書き、出版しました。私の発言も僅かですが出てきます。同世代の中で数少ない大学教授になった人だけに、仲間たちの思いも取り込んで、頑張って欲しいものと思っています。「ウクライナ戦争」をめぐって、一段と、その視点が注目されています。(2022-5-14)】

 

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住民票は仕事先、居住地と複数あっていけないか(92)

久方ぶりにかなり知的興奮を感じる本に出会った。山下祐介『地方消滅の罠ー「増田レポート」と人口減少社会の正体』である。先にいわゆる「増田レポート」を真正面から説いた御本人(増田寛也元総務相)の本『地方消滅』は取り上げた。「『地方消滅』を悲観論に終わらせるな」というタイトルで紹介(2015・2・15)したが、この本に何かしっくりこないものを感じたことは事実で、あまり評価はできない印象を持った。それから一か月ほど経って雑誌『世界』の4月号で、同じ著者の論文「隘路に入った復興からの第三の道」を読み、いたく感動した。「この国の中枢と末端をつなぐ問題解決回路の欠如」を強調した上で、自治と政策、マスコミ世論と政策、そして科学と政策の回路といった三つのフィードバックを確保すべきだと訴えていたのである。よし、このひとの本を読もうと、思うに至った▼増田氏らの主張の一枚看板である「選択と集中」は「地方切り捨て」「農家切り捨て」「弱者切り捨て」に帰着するという。東京一極集中を避けるために、地方の拠点を「地方中核都市」などと銘打って選択し、そこに人口を集中させることは結局ミニ東京やミニミニ東京を地方に作ることであって、その周辺の小さい町はどんどん切り捨てられることになる。そうではなくて地方の側からの発信を主軸にしたものが必要だ、と。「増田レポート」は「特定の政策提言集団の意見表明であり、どう見ても首都圏ないしは中心側から見た地方論である」というのだ。「大国経済」に国家のスタンスを置き、国際的な経済競争力に強い関心を持つ生き方が強く打ち出されているのだが、それでいいのかと問いかけ、もう一つの対抗軸を示す。「ふるさと回帰」「田園回帰」論である。「集落を残すか」や「過疎対策は必要か」などの議論は枝葉であって、ことの本質は文字通り国家のあり方を問うことなのだ、と。思えばこうした対立軸は今までにも”出ては消え、消えては出た”ものであり、そう珍しくはない。ただ、このレポートがあまりにも衝撃を持って登場しただけに、心底からの対論が必要とされてきているといえよう▼この本の魅力は、具体的な提案を上げているところにある。例えば、現在の「選択と集中」につながる「自治体間人口獲得ゲーム」に代わっての新しいゲームを「価値観を競う論理対抗ゲーム」と位置付けているのは面白い。さらに人口減少社会に立ち向かうためにあげている三つのポイントが興味深い。一つは、未来の適切な組み込み。第二に人口減少をプラスに生かす社会づくり。第三に、多様な住民を認めるというものだ。この三番目は大いなる発想の転換だ。住民票は一か所にしかおけないという現在の固定した観点から複数に変えようというものである。確かに、住んでいて寝るために帰る町と、昼間働いている町というように、多くの働く人たちは二か所以上の町と縁が濃い。ここらから時代を変える新たな仕組みが出てきそうだというのである▼私が住む姫路市も平成の大合併で53万人の人口を持つに至った。つい先日には「播磨圏域連携中枢都市圏」なるものを石破地方創生相出席のもとに立ち上げたところだ。周辺の農村部はますます過疎化を強める一方で、姫路市にのみひとを集めようとしているかに見える。香寺町、安富町、家島町、夢前町などかつての郡部の町村が今や姫路市に組み込まれている。そこに住む人々の福祉やサービスは向上したのか。またそのさらに外にある福崎町、宍粟市、たつの市、佐用町、赤穂市、相生市、太子町などの過疎化は進む一方ではないのか。もっとお互いの交流を強め、連携を強化するところから相互の発展に寄与する道を探そうというのが本来の狙いのはず。しかし、現実はますます彼我の乖離が増すのではないのかとの危惧も。こういった観点を一体どうするのか。明日から始まる選挙戦で問われてこよう。しかと見つめる機会にしたい。(2015・4・18)

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“町内会長一年生”としての旅立ち(91)

自治会と町内会とはどう違うのか。団地は自治会と呼ぶのが相応しいが、通常の街中のものは町内会がいいのでは、と私は勝手に思っている。昨年の4月から姫路市新在家の自治会の副会長(この地ではこう呼ぶ)になった。生まれ故郷の姫路に東京から移り住んではや27年目が経つが、この間に城北新町、野里、北新在家そして新在家と4回引っ越した。自治会活動はすべて家内に任せっきり。会合はもちろん、町内の掃除から夏祭りに至るまで一切のものに何も出たことはなかった。時々回ってくる隣保長なる役も名前だけで、妻任せ。粗大ごみすら自分で出すことはなかった。それが突然昨年から一年間、一転してやることになった。衆議院議員を辞してから1年が経っており、そろそろ身近なことで地域に貢献しなければと思っていたところに副会長になれと言われた。順番だからと、有無もなかった。▼そんな折、紙屋高雪『”町内会”は義務ですか?』という本を読んだ。このひとは40歳台半ばで団塊ジュニアの世代。私の娘より少し上の年恰好だ。サラリーマンうをしながら漫画評論やらブログガーとして活躍しているひとらしい。私と同様に全く無関心だったのが、つい自治会長を引き受けてしまい、てんてこ舞いしながらも、一風変わった自治会を創っていく様子が描かれている。およそこれまでなら読む気さえ起らなかったジャンルのものだが、必要にせまられたというか、基本を押さえておかねばという義務感で読んだ。読み終えての印象は若いのにえらいなあというのが正直なところ。彼の歳の頃にちょうど選挙に初挑戦した身としては、町内会、自治会活動なるものにはそれこそ関心を持って取り組まねばならなかったはずだったのだが▼この一年副会長として何をしたかと問われると、恥ずかしい限りだ。粗大ごみを出す日が月二回あったが、そのうち一回は午前5時半頃に起きて6時前にはごみを入れるケースなどを出して準備を始めることをした。あとは月一回の定例会の支度として様々のチラシやパンフレットの類を30隣保(全400世帯)ほどのグループに仕分けする仕事がルーティンワーク。年間を通じて最大の仕事が夏祭りということだったが、屋台の担ぎ手がなかなか集まらず苦労した。一度自分でも担ごうとしてみたのだが、そのあまりの重さが未だに肩の骨に残っているかのような気がする▼そんな私が今年は自治会長になってしまった。今年は私の住む3丁目から自治会長を出す順番に当たっていたということで、昨年末からいろんな人に声をかけたが当然ながら引き受けるひとは見いだせず、結局はミイラ取りがミイラになってしまったというしだい。先日はなったとたんに、64歳の方が脳梗塞で亡くなられたということで、お通夜に参列した。隣保長をされていた女性の実の父親ということでもあり、お悔やみに駆け付けたところ、私との人間関係も無縁ではなく、世間の狭さに驚いた。そんなわけで亡くなった方の母親にあたる90歳少し前の老婦人を激励させていただくと、大層喜んでいただいた。後日、お礼の電話があったので、県議選の支援依頼をすると快く応じてくださったうえ、妹さんが神戸市北区在住と分かり電話をさせていただき、これもまた快諾してくださった。なったばかりですべてはこれからだが、手探りの中から一つでも二つでも地域発展のため、皆様が住んでよかったと思われる地域にしていくべく頑張っていきたいと決意している。(2015・4・11)

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ある女流作家の乱行と政治を見る目(90)

読売新聞の読書欄の冒頭のページはそれなりにためになるものが多い。読者からの要望に応えて担当の識者がそれぞれ適切な本を紹介している。今年の初め頃に、「夫婦揃ってリタイアしたが、二人の間に会話がない。このきずまりを埋めるようなウイットに富んだ会話を指南してくれる本はないか」という問いかけが掲載されていた。作家の佐川光晴さんが、武田泰淳の『目まいのする散歩』を読めばと、勧めていた。「夫婦のやりとりを描いた傑作」だというので、早速買いおいていた。選挙のさ中に新快速電車で姫路・神戸間を往復する間に読んだ。当方も疑似的単身赴任が終わり、一緒に生活することが殆んどとなった今、決して夫婦の間で楽しい会話が展開されているわけではない▼8編の散歩にまつわるお話にことよせた小説風読み物で、野間文芸賞を受賞したという。武田泰淳という作家は、『司馬遷』『ひかりごけ』『森と湖のまつり』などの作品で知られるが、私は今まで殆んど読んでこなかった。この本は「近隣への散歩、ソビエトへの散歩が、いつしかただ単なる散歩でなくなり、時空を超えて読む者の胸中深く入り込み、存在とは何かを問いかける。淡々と身辺を語って、生の本質と意味を明らかにする著者晩年の名作」という触れ込みだ。ウーン。浅い読み方しか出来ぬ私のような者にとっては、あたかも別の本の紹介のように思われ、思わず笑ってしまう▼これが書かれた当時、著者は赤坂に住んでいてしばしば散歩に出かけたところが、明治神宮、武道館、代々木公園。そして荻窪、阿佐ヶ谷界隈あたり。私の宿舎は赤坂二丁目にあったし、青年期に歩き回った杉並区下井草や中野区鷺宮周辺が懐かしく思い出された。武田さんは病後間もないころに夫婦であちこちと散歩した様子を描いているのだが、どうしても気になるのは、夫人(作家の武田百合子さん)の方だ。この人、およそ常軌を逸した呑兵衛(女性だから呑み子というべきか)であったようで、惜しげもなくその酒乱ぶりが描かれている。極めつけは、大学教授の友人のうちで酒を呑んでいて、しばしば意識不明になり、悪行のかぎりを尽くす。たとえば、こうだ。「女房は無意識のまま、吐きつづけ、それから座ぶとんの上に、おしっこをした。『あらあら大へんですこと』と、奥さんがびっくりして、自分の下着をとりだして、女房のぬれたパンツをぬがせ、別のパンツをはかせてくれた」とある▼実名入りの話だ。架空のことだと思いたいが、実は違う。作者本人があれこれと妻の乱行を描いたうえで、「この原稿は、当の彼女が筆記しているくらいだから、プライバシー問題は発生しないと思う」とかっこつきでわざわざ但し書きをしているくらいだから。全編こういう調子で面白いことは請け合い。ただ、妙なところもある。「鬼姫の散歩」なる6章の終わりころに、突然ながら公明党がらみの話が出てくるのだ。「公明党が天下を取ったら、威張りだすんじゃあないかなあ。創価学会のスポーツ大会なんかみると、おっかなくなるなあ。公明党の代議士は、みんな同じような、つやつやした顔つきで、同じようなべったりした髪型、同じようなしゃべり方をするのは気にくわない」と、全く旧態依然とした公明党評価だ。こんな御仁に褒められたら却って恥ずかしいのだが、よくぞ平気でこんな認識を書いて残すものよ、とこの武田夫婦には哀れを催すばかりである。(2015・4・5)

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つまらない本を売りつける出版社の戦略を見抜け(89)

これまで直木賞受賞作だ、芥川受賞作品だからといってとくに買い求めたりしたことはない。むしろそれ相当の時期が経って、一定の評価が定まって、自分自身も気に入ってから、過去に遡って受賞作を読むというほうが多い。そのほうが当たりはずれがないような気がする。にもかかわらず今回はなぜかいきなり初めて読んでしまった。西加奈子『サラバ!』上下。第152回の直木賞受賞作品だ。この人の作家生活十周年記念作品だという。なかなかの人気のようだから、ついこれまでの不文律とでもいうべきものを破ったのである。結果は?悲惨であった。およそ酷いとしか言いようがない▼下巻の最終章にくるまで退屈至極で、およそこの本のどこがよくて直木賞なのかとの思いは終始離れなかった。あまりこういうことを書くと出版社の営業妨害になると言われそうだから書きたくないが、何一つとっても推奨できない。私がこれまで読んだもののなかで最悪のものの一つだ。御本人がラジオやテレビに登場してインタビューを受けたり、著者として自作を語っていたが、なるほどと思われた。最初からどういう人間が書いたものかを知ってから読むべきだと反省したしだい。文章といい、構想力といい、何一つ心を打つものはなかった。「あなたが信じるものを、誰かに決めさせてはいけないわ」という最終章のタイトルに著者の言いたいことが含まれているのだろうが、これもいたって平凡。ああ、もうやめよう▼少し前に読んだ岸本葉子『生と死をめぐる断想』も小説とエッセイの違いはあれ、心を打たないというところで同じ水準のものといえよう。これも新聞の書評で礼賛してあったのでつい買って読んでしまった。「人はどこから来てどこへ行くのか?」という帯にあるキャッチコピーや「治療や瞑想の経験、仏教・神道・心理学を狩猟し時間と存在について辿りついた境地とは?」という売り込みの言葉に惹かれた。がん体験から十余年云々というからにはそれ相当の悟りを得た境地の披瀝を期待した。するほうが無理だった。最後に著者自身があとがきに書いている。「知性がなし得る限度は霊性の姿を微かに映し得るということです」ーこれは鈴木大拙の『仏教の大意』の一文だそうだが、それが著者のしてきたことを言い当てているという。要するに「生と死」についてあれこれ考えたことを大仰に取り上げたに過ぎない。まんまと出版社の戦略に乗せられてしまった▼川口マーン恵美『住んでみたヨーロッパ
9勝1敗で日本の勝ち』これもタイトルに惹かれて読んだ。ヨーロッパには幾たびか訪れたものの住んだことはない人間にとって憧れを抱く向きは少なくない。それが圧倒的な差で日本の方が勝ってると言われると「え、どこが」って思うもので、つい関心を引く。読み終えて結局は「他人の家の庭はよく見える」の類で、著者はすでにヨーロッパ人になりきっていて、日本の庭がよく見えるということなのだろう。私の知人でドイツに長く住んでいる女性が言っていたというこの本への感想が思い起こされる。曰く「そんなにヨーロッパがお嫌なら、さっさと日本に帰ったらいいのに」と。そうかもしれない。このように書いてきてつくづく思うことは、何々賞を獲ったとか、あるいは深遠な思考の遺産をいただこうとか、奇抜なタイトルに惹かれたりして本は読むものではないということだ。ここでは3人の著者の作品を挙げたが、いずれも女性のものということに特に意味はない。安易な読書をするゆとりなどないということを改めて痛感した。(2015・3・27)

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画竜点睛を欠く外国人ジャーナリストの卓越した日本論(88)

デイヴィッド・ピリング『日本ー喪失と再起の物語』上下二巻(仲達志訳)ーこの本の特徴は何といっても沢山の人に直接インタビューして取材している(御本人によると、トルストイの小説の登場人物並みに膨大な数に上るという)ことに尽きよう。様々な人びとの生の声を生かしながら、具体的事実としての東北大震災と大津波、福島第一原子力発電所事故で壊滅的打撃を被った日本が、喪失の憂き目から再起へと立ち向かう様子を描いている。外国人により外国人向けに説かれた「日本論」としてこれ以上のものはない、というぐらい一般に絶賛されているが、概ね私もそれを認めたい。これまでの『日本論」といえば、ルース・ヴェネディクト『菊と刀』から始まって、ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』に至るまでいくつかあるが、この書もそれら先行するものと比べて遜色ない価値を持っているとされるのに異論はない▼ただ、いささか難癖をつけるとすれば、船橋洋一氏を始めとする自分の友人に甘く、保守主義者の藤原正彦氏や東條英機元首相の孫娘・東條由布子さんらには厳しい眼差しが目立つように思われる(上巻の114頁、下巻の129頁から136頁)。勿論、そういう凸凹があっても一向に構わないのだが、いわゆるリベラルなものの見方が過ぎる物差しを持った著者だということは記憶に残しておいていい。それに加えて現代日本を描くにあたって、与党・公明党や宗教界の王者・創価学会を代表する人物を取り上げていないことはおろか、インタビューを試みてさえいないというのは、適正さを欠くというものだろう。幅広いそして奥深い日本論を書くなら、ダワーやヴェネディクトが試みなかった点に目を向けてみるべきだと思うのだ▼特に惜しまれるのは、下巻の冒頭に「日本人が絶滅に瀕しているという指摘を最初に行ったのは、実は誰あろう、日本の厚生労働大臣であった。二〇〇二年、当時の坂口力厚労相が『このまま少子化が続けば、日本民族は滅亡する』とやや大げさとも取れる表現で懸念を表明したのである」とのくだりを書いておきながら、当の坂口氏にインタビューをしていないのである。しかも、「あとがき」にこうあるから、なおさらだ。「二つの『失われた10年』を経て、今も数多くの問題を抱えているにもかかわらず、日本の『死亡宣告』は明らかな誤診であった」と締めくくっているのだ。だから「誤診」の主である坂口氏に弁明を求めても面白かったと思うのである▼いやはや我ながら妙な筆の進め方になってしまった。現代日本で私が尊敬する二人の男女がこの本の帯で讃えているというのに。一つは「幕末から東日本大震災まで、喪失と再起の歴史を分析する稀有な日本史」という緒方貞子さんの言葉。もう一つは「著者が本書で示した知識と良識は、私がこれまで読んだどんな本よりも、日本が経験してきた変化を理解するのを助けてくれた」というドナルド・キーンさんの指摘。オーソドックスな褒め方が出来ない私だということを割り引いて、皆さんは素直に読んでください。ともあれ話題のトマ・ピケティの『21世紀の資本』よりも面白いことは確かだ。(2015・3・20)

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