『新・戦争論』の後半は日本周辺の課題を追う。第5章(朝鮮問題)➀日本が大陸と戦ったのは、いつも中朝連合軍。歴史上、一度も朝鮮半島の単独政権と戦ったことはない。→過去2000年の間に日中間での闘いは白村江、元寇、秀吉の朝鮮進攻,日清戦争、日中戦争の5回。その都度、朝鮮半島は戦場と化し、背後に必ず中国がいた。半島国家韓国と北朝鮮はこれからも中国の息遣いに配慮せざるを得ない。➁歴史になぞらえると、南北朝鮮は三国時代の新羅と高句麗の対立と見ることもできる。あるいは北朝鮮が渤海だと考えた方がいいかもしれない。今、北朝鮮の渤海化と韓国の新羅化が起こっている。同じ朝鮮半島の国といっても韓国と北朝鮮はもともと違う。中国は高句麗を「朝鮮民族の国」ではなく、「中国の地方政権」と位置付けている→うーん。朝鮮半島の分断化をこういうまなざしで見ることや、国境感覚なき時代・空間認識は、中国を利するだけのものだと思うのだが、果たしてどうだろうか▼第6章(中国から尖閣を守る方法)➀中国が「台湾は中国の一部」だと言い続けていることを逆用して、台湾政府と那覇の政府というローカル政府のレベルで話し合う枠組みを作ってしまえば、軟着陸できる。→理屈としてはいい線いってると思うが、果たしてそんなことが通じるかどうか。那覇と東京の現在の関係からすると、日本と沖縄の信頼関係がおぼつかないように思える➁中国は今航空母艦を作っていますが、これを我々は怖がるどころか大歓迎しないといけない。完成する頃には無人飛行機が発達して,第七世代の戦闘機ができるはずですから、航空母艦というのは単に大きいだけの格好の標的にしかならない。→これまた相当先のことと思えるし、普通の人間としては大鑑巨砲主義的感性から抜けきれない。➂ウイグルで起きる(北京政府への)反発は「イスラム主義」的な行動様式になり、どんどん過激になってきている。中国にとって東は経済発展のために必要で、紛争を起こす必要はない。国家安定のために必要なのは、西での安定なのです。→だから、尖閣は安心していいといわれても、にわかにそうはいかない。評論家特有の戯言のように思える▼第7章(分裂するアメリカ)アメリカで生まれ育った黒人が,差別される生活の中で、本当に平等なのはイスラム教なんだと考えて、ムスリムに改宗する動きが起きています。ニューヨークやワシントンでも、街角で突然、メッカの方角に向かってお祈りを始める人がいますから。→ぜひ写真か映像で現場を見てみたい▼第8章(情報5カ条)何かを分析するときは、信用できそうだと思う人の書いたものを読んで、基本的にその上に乗っかること。そのうえで、「これは違う」と思ったら、乗っかる先を変える。→現実的には、そうはうまくいかないのではないか。あれもこれもと目移りがして、結局は落馬してしまうのがオチだろうと、自戒の念をこめつつ▼終章(なぜ戦争論は必要か)20世紀はソ連が崩壊した1991年に終わったのではなく、いまだ続いている。ウクライナ問題はまだ殺したりないから解決しない。「これ以上犠牲が出るのは嫌だ」とお互いが思うところまで行くしかない。→この調子では20世紀は永遠に終わりそうにないのではないかと思わざるを得ない。(この項終わり 2015・3・14)
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中東での事態をよそ事と見る危険(86)
池上彰と佐藤優ー世事万般の動きを解説させて他の追従を許さない二人の男。この二人が対談したとあらば読まぬわけにはいかぬと思いながら、いささか出遅れた感は否めない。昨年11月発刊の『新・戦争論』をこのほどようやく読み終えた。ここでは従来とは趣向を変えて、二人の発言のうち、私が注目したものを拾い出して、それへの感想を記したい▼第一章(地球は危険)欧米で大ベストセラーのダン・ブラウンの『インフェルノ』は人口は感染症によって調整するしかないということを是認している。感染症問題に欧米が積極的でないのは、人口増への白人の恐怖。「経済力を持たないと国家はなめられる」→欧米優位できたこれまでの世界史を逆転させたくないとの思いは陰に陽に見え隠れする。戦後70年の日本は沈む欧米に追従するか、浮揚するアジアに身を寄せるか、真価が問われよう▼第二章(民族と宗教)➀「中国はプレモダンの国が、近代的な民族形成を迂回してポストモダンに辿り着けるのか、という巨大な実験をやっている」→中国はすでにプレ段階からモダンに突入している。実験を成功させ、ポストモダンに辿りつかせねば、隣国日本としてはナショナリズムのぶつかり合いを免れない。➁イスラエルのネタニヤフ首相の官房長の発言から。「国際情勢の変化を見るときは、金持ちの動きを見るんだ」「冷戦後、20年も経って,政府が情報とマネーを統制できなくなっており、国家が空洞化している」「戦利品を獲れるという発想を持つ国は、本気で戦争をやろうとする。すると、短期的には、戦争をやる覚悟をもっている国のほうが、実力以上の分配を得る→極東の孤島・日本からはなかなか伺え知れない中東の孤国イスラエルらしい見方だ▼第三章(欧州の闇)➀「1980年代末、モスクワで雑誌を見て驚いたのは、肉屋で人間の肉を吊るして売っている写真が出ていた。食糧危機で人肉を販売せざるを得なくなったのはウクライナだけ」「ドイツのミュンヘンでビールと豚肉を食べていると、その店で働いているウエイトレスはチェコ人かハンガリー人。その豚肉はハンガリーから来る。そのハンガリーの豚小屋で働いているのがウクライナ人。そのエサはウクライナから来ている」「ウクライナは汚い労働、低賃金労働の供給源として必要」→日本での風景もこれと大差ない。東京で飲んでいると、中国人やミャンマー人などアジアの人びとがウエイトレスに多い。そこで出てくる食べ物も……と考えると似たり寄ったりではある。アジアの闇とどちらがより暗いか。➁「ヨーロッパというのは、誤解を招く表現かもしれないが、基本的に戦争が好きな国々です。(中略)再びヨーロッパが火薬庫になる可能性もゼロではありません。ユーゴスラビアにしてもウクライナにしても」→問題はその火薬庫の爆発が地域限定に留まるのか、世界に飛び火するのかということであろう。ここでもアジアの孤島にすむエゴが鎌首をもたげてくる▼第四章(イスラム国と中東)➀「現代の中東は、近代主義者からすれば、中世世界のように見えるかもしれません。イエメンなどは完全に中世で、三十年戦争当時のドイツみたいに、戦国時代がそのまま続いています」→そう、中世とポストモダンの現代がぶつかろうとしているのがテロ戦争の時代だ。先日映画『アメリカンスナイパー』を観て、暗くて重いアメリカの闇を実感した。アメリカよヴェトナム戦争で懲りたのではなかったのか、と。➁「ヨルダンは国王暗殺があったら崩壊します。後継者がきちんと育っていないから。(中略)もし、今テロで国王が殺されたらこの国は本当にカオスになります。実は『イスラム国が狙っているのはそれだ』」→中東で起こっていることをどうしても身近に感じられない日本人。イスラム国が投げかけている問題は第三次世界大戦に繋がりかねないと思われるのだが……▼このように対談の中で私が取り上げたものを挙げてみて気づくのはすべて佐藤優氏の発言ばかり。池上氏は聞き役に回っているという印象が強い。しかも佐藤氏のここでの発言はいささか過激なものが多いと思われるのだが、これは読むほうがのんびりしているからだろうか。以下続く(2015・3・13)
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自分にしかできないことをどう探すか(85)
「あんたは目が見えんのやから、どうせ将来ろくな就職先ないんやから、高い金使って大学行っていったい何になる。(中略)世の中お前が思ってる以上に障害者って邪魔なんや」「お前さえおらんかったら」ー実の娘に向かって母親が投げかけた言葉だ。一回限りではない。毎日のように繰り返される母親からの嫌味と存在否定に追い込まれながらも必死に耐えた。一歳三か月の頃、網膜芽細胞腫という眼球に出来る癌によって両目を摘出せざるをえなかった石田由香里さんー彼女が盲学校を経て大学生になり、フィリピンに行くなどするなかで様々な可能性を広げていく話を、大学での教師西村幹子さんと共に著した『<できること>の見つけ方』で読んだ。「全盲女子大生が手に入れた大切なもの」とのサブタイトルがついた岩波ジュニア新書である。現役時代にお世話になった国会職員の女性から、「2・14」にチョコレートと共に贈られてきたのだ。引退直後に<できること>は何かと思い悩んだ時期があっただけに好奇心に駆られた▼それにしても酷いことをいう母親ではないか。冒頭に挙げた言葉の救いはでてこないかと、気にし続けたが、ついに母親からの詫びの披瀝は最後までなかった。その意味では未完の物語との思いは消えない。”親はなくとも子は育つ”という。親から酷い仕打ちをうけようとも、周りの他人の心配りでいくらでもひとは可能性を伸ばすことができる好例かもしれない。身体に障がいを持ってこの世に誕生しても、親の愛で見事にそのハンディを乗り越えたというケースは、乙武洋匡(おとたけひろただ)さんを待つまでもなく数多い。身体に障がいを持つ人たちを激励する機会がこれまで少なくなかった私だが、この本には大いに学ぶことが多かった▼実はついこの間、高校時代の後輩からある会合に誘われた。それは、やはり全盲の身でしかも79歳という高齢で博士号を取得された森田昭二さんという方のセミナーだった。あいにくと先約があり参加することは叶わなかったが、あとで彼から届いたレジュメを目にして、世の中には本当にすごい人がいるものだとの驚きを持つに至った。この私の後輩も障がいこそ持たないものの、中小企業の社長を経て60歳を超えてから関西学院大の大学院で学び博士号を目指している人物だ。その彼が森田さんはある種の霊的な導きに基づいて目的を果たすことができたことに感銘を新たにしていたことが印象に残る。あらためて五体満足の身でありながら、あれもこれも叶わせられることの出来ないわが身の不甲斐なさに思い至る▼両目がまったく見えない石田さんが「周囲から助けてもらう代わりに、周囲に対して何ができるか」っていうことを探すところに「共生」という言葉の真意があるというのは重く響く。衆議院議員を20年にわたって務めた私は、世の人々のためにお世話もしたが、同時に大いに助けてもらった。これからは、周囲に対し,世の中に対して、恩返しをする生き方が問われると思っている。その意味では現役を退いてからの時間が多いことに心底から感謝している。(2015・3・6)
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男から女へ、年功序列から若者登用へ 藻谷浩介『デフレの正体』(82)
先週取り上げた『地方消滅』での増田寛也さんの問題提起を受けて、私たちが考えねばならない政策に関する本をたて続けに読んだので、順次紹介したい。まずはあの本のなかでも対談相手として登場していた藻谷浩介さんの『デフレの正体』。藻谷さんとは五年ほど前にお会いした。この本が出版された頃だ。公明党の政務調査会に講演者として来てもらった。いらい注目している人だが、益々その論調の鋭さとわかりやすさに磨きがかかっている(最も面白かったのは『里山資本主義』でこれはすでに紹介済み)。日本経済の最大の癌ともいえる、生産年齢人口減少問題にどう立ち向かうかについて、①生産性を上げて、経済成長率を向上させよ②景気対策としての公共工事の増加を図れ③インフレ誘導すべき④エコ対応の技術開発でモノづくりのトップランナーとしての地位を守れーなどという主張が巷に満ち溢れているが、これには実効性が欠けるというのが彼の基本的立場だ。確かにこうした主張は俗耳に入りやすい▼しかし、藻谷氏はそうした主張を退けて、少し角度が違った観点から目指すべき目標を設定する。それは①生産年齢人口の減るペースを少しでも弱める②生産年齢人口に該当する世代の個人所得の総額を維持し増やす③個人消費の総額を維持し増やすの三つだ。いずれもそう難しいことではなく、文字通り生産年齢人口減に真正面から対処するために必要な手立てだと思われる。そしてそれを実現するために、誰が何をすればいいのかを具体的に三つ挙げた。一つは、高齢富裕層から若い世代への所得移転の促進。第二が女性就労の促進と女性経営者の増加。第三に、訪日外国人観光客・定期定住客の増加。これらは単的にいえば、若者、女性、外国人対策。この三ついずれもある意味で分かっているけど手がつけられてこなかったものばかりだ▼彼は、若い世代の所得を頭数の減少に応じて上げる「所得一・四倍増政策」や団塊世代の退職で浮く人件費を若者の給料に回そうなどといった具体的提案を並べる。さらに、若者の所得増加推進は、「エコ」への配慮と同じだとか、生前贈与促進で高齢富裕層から若い世代への所得移転を実現しようなどとの一味違う提案もなされる。女性についての問題点は、「女性を経営側に入れて女性市場を開拓する」という可能性をほとんどの企業が追求していないことに尽きるという。確かにそうだ。それより、もっと基本的なところで女性への偏見が消えていない。それは「女が今以上に働くとさらに子どもの数が減るのではないか」との思い込みだ。藻谷さんは、それを「若い女性の就労率が高い県ほど出生率も高い」として否定する。外国人対策については、公的支出の費用対効果が極めて高い外国人観光客の誘致を推奨している。これは現在瀬戸内海に外国人観光客を誘致しようとの取り組みを仕事として進めようとしている私としては大いに賛同したい。こう見てくると、藻谷さんの主張は「男中心の年功序列の日本人社会」が根本的に見直しを迫られているというものだとわかる。この5年の間にかなりこうした提案は取り入れられては来ているが、さらなる徹底が望まれよう▼この本のサブタイトルは、経済は「人口の波」で動くというもの。『地方消滅』での対談で、増田氏が「海外では人口問題に対する危機意識が高いですよね。政治家を含め、人口論をきちんと勉強している」と述べると、藻谷氏は「マクロ経済学は基本的に率ではなく絶対数だというのが、日本を除く世界の常識です」と応じている。さらに、地方人口の減少について、「今よりはるかに縮小はするけど、ゼロにはしない」との地方人口の「防衛・反転線」の構築を求めているのはきわめて現実的な提案といえよう。具体的に自分の住む町をどう住みよい町にするかを一人ひとりが考えていくことが大事だ。この四月に行われる地方統一選挙をきっかけにわが町をどうしたいのか、候補者の主張にしっかり耳を傾けるとともに、自分たちも考えていきたい。(2015・2・21)
【藻谷浩介氏のものは、『世界まちかど政治学』が面白かったです。副題に「世界90ヵ国弾丸旅行記」とあるように、一泊しただけの国でも、弾丸のように素早く動いて、行った先の現場で考えた行動記録です。綾なす歴史と入り乱れる地理を背景に、あたかも名料理人が素早く作ってくれた手料理のように、美味しく味わえたことに感動しました。
中でもドイツの北方領土と呼ばれるカリーニングラードについての記述には唸りました。旧ソ連が第二次大戦でドイツから戦利品として奪い取ったバルト海の港町ですが、かつてはプロイセン王国建国の地・ケーネスヒブルグ。今はロシアの飛び地として、EUに囲まれて孤立しています。カントゆかりの地としても知られていますが、実に興味深く読めました。国会の勉強会でお会いしていらい、注目している人です。(2022-5-20)】
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この父ありて海舟あり、親子二代「覚悟」の男の生き方(74)
大学時代の級友で土佐の高知に住む豪快な男がいる。なにしろ7億円もの借金をくらってもそう気にしている風には見えない男である。かつて若き日に彼のところに遊びに行った際に、桂浜の竜馬像に行こうということになった。途中でビールや酒を買って、そのうちの何本かを像の前に置いた。竜馬に飲ませると云って。誰かが飲むだけだ、もったいないと私がいうと、そんなことはどうでもいい、とまったく気にもかけなかった。妙に記憶に残るこの男がつい最近神戸にやってきて、久しぶりに逢った。談論風発のなかで勝小吉の『夢酔独言』を滅茶苦茶に面白い、と推奨して帰っていった。勝小吉とは勝海舟の父親のことだ。かねて坂口安吾や子母沢寛や大仏次郎らが勝小吉がいかに豪快無比な人物であるかを書いていることは側聞してはいたが、実際に彼の手になる本などあることさえ知らなかった▼およそひどい悪文というか、誤字、当て字のオンパレードで、段落わけもなしで、句読点もうたれず、会話部分に「」もつけていないので、滅法読みにくいことおびただしい。幾度か途中で投げ出したくなった。正直なところ読み終えて何ほどにこの本がいいのかあまり分からない。解説者によれば、生き生きとした文章であるとか、優れた記憶力を持つ任侠に生きた親分だとかべた褒めなのだが、当方にはとんと分からない。坂口安吾は『堕落論』のなかで、この小吉が書いた本には「最上の芸術家の筆をもってようやく達しうる精神の高さ個性の深さがある」と。この安吾自身、相当に変わった人物ゆえ、変わった者同士は分かりあうということだろうか▼私としては小吉の凄さは分かりかねるまったくの小物だが、息子・麟太郎ことのちの海舟との父子関係には大いに興味をそそられる。明治維新における江戸城無血開城に見るように、勝海舟の胆力は父親譲りの比類を見ない豪快なものである。今、私は明治維新にいたる幕末の15年(1853年~1868年)を細々と研究しているのだが、誰よりも勝海舟に魅力を感じる。彼の書いたものといえば、『氷川清話』で、かつて現役時代に国会議員の赤坂宿舎の裏にあった氷川神社周辺を歩きながらよく思い起こしたものだ。まあ、おやじさんのものより数倍読みやすくはある。「男たるものは決して俺が真似をばしないがいい。孫やひこができたらば、よくよくこの書物を見せて、身のいましめにするがいい」と最後に書いたところを、如何に海舟はじめ子孫たちは読んだろうか。『氷川清話』には一方で少々馬鹿にしながらも、他方で「わが父は潔く、細かいことにこだわらずに鷹揚で、われに文武の業を教えるのに、徐々に勧め励ました」とあるを見ると、反面教師にしながらもその恩義を感じていることが伺える▼勝海舟といえば、私が思い出すのは、漫画家黒金ヒロシが語った勝海舟だ。4年ほど前にNHKで「未来をつくる君たちへ~司馬遼太郎からのメッセージ」というタイトルのもと放映されたものを覚えている。改めてそれのDVDを観てみた。黒金さんが両国中学の男女の生徒たち15人ぐらいと勝海舟の凄さを語り合っている番組だった。そこで、彼は、いかに海舟が「覚悟のひと」であったかを様々な側面から説いていた。マズローの人間の欲望についての5段階説やシュプランガーの学説を引きながらの解説はなかなか観させた。死の間際に勝が「これでおしまい」と言ったことを通じて、普通のひとが陥りやすい不条理感に囚われないためには、自分のために毎日を精一杯に生き抜くことに尽きると述べていたことが強く印象に残っている。小吉や海舟と鷹揚なところが似てなくもないわが級友の過ぎ越し方と、行く末を思いやる年末ではある。(2014・12・29)
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現場で人びとと同苦することこそ人生の極致(73)
ほぼ本年最後の読書録になろうかと思われるものに相応しい本に出くわした。チェーホフの『六号病棟』だ。これは先日紹介した『退屈な話』と同じ岩波文庫に収められており、同じ時期に読み終えたが、あえて別々に取り扱いたい。チェーホフは医師として切実な課題に真正面から立ち向かっており、まことに興味深い作家だ。患者たちがいつも長い時間を待たされたあげくに、三分間ほどだけの診療でお茶を濁されることは日常茶飯事である。昨今はパソコンの登場で、画像を見るだけで医師はついに患者の顔すら見ないで済ますことさえあるといった話まで横行している。しかし、医師は医師として過重極まりない医療労働をするにも関わらず、自身が蓄えた医療の技量に見合っただけの報酬を得ていないとの不満を隠そうとしない▼医師という職業は、わが身を顧みず患者の立場に立ってどこまでも人命救済に立ち向かう存在ではないのか、との思いは今日なお人々の心に強く存在している。この『六号病棟』では、精神、心をを患ったひとと、その患者を治療する医師の二人が真正面から人生の本質をめぐって語ることが中心的な命題として設定されている。煎じ詰めれば、ここで登場する医師は、社会の不公正をもっぱら時代のせいだとしてとらえ、人々が苦しむ現実には不感症で、無責任で、冷淡でさえある。それに対して、患者は、無意識のうちに不公正な特権の上に胡坐をかいて生きてきた医師を鋭く告発する。この小説では医師と患者の対立として描かれているが、医師は特権を得やすい職業の代表であって、他のどのような職業でもより人々の尊敬を集めやすいものはすべて共通しよう。政治家もしかりだ▼その医師が「暖かい気持ちのいい書斎とこの病室との間にはなんの違いもありませんよ」といい、「人生を理解しようとする自由で深い思索と、俗事の完全な無視という二つの幸福さえものに出来れば、人間はどんな境遇にあっても心に平安を見出すことが出来る」と述べるくだりを読んで、まさに自分にも突き付けられた刃だと思った。病室を有権者との出会いに換えれば、そっくり政治家にも当てはまるからだ。今の政治の弛緩しきった実態は、政治家が本質的な部分で「人間の安らぎと満足とは、外部にあるのではなくて、内部にあるのですから」との医師のセリフが示すように、外部にある生身の人間の苦悩を解決することを棚上げし、自身の心のうちに逃げ込みがちなところに原因がある▼ことし結党50年を迎えた公明党は、すべての議員が「大衆とともに戦い、大衆のために戦い、大衆の中に死んでいく」ことを最大のモットーにして全国各地で日々活動をしている。公明党の創立者池田大作先生の根本的指導は常に「現場へ、大衆の中へ入れ」だ。大衆との接触を忘れたものはもはや公明党の議員にあらずとの精神こそ尊い。チェーホフが『六号病棟』で言いたかったことは、決して医師の生き方だけではなく、「ノーブレス・オブリージュ」の大事さを言っているのだと思う。私も現職を辞したからもはや自由だというのではなく、どこまでも大衆の現場での悩み、苦しみに同苦し、解決をはかるお手伝いをする人間でありたい。(2014・12・26)
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むなしく時が過ぎるだけの「北」との関係ー伊豆見元(71)
私には北朝鮮や韓国の専門家が友人に多い。小此木政夫、古田博司の二人が双璧だが、他にも伊豆見元、重村智計氏らがいる。私が現役時代にこの4人は一度は公明党の外交安全保障部会の場に呼んで、講演をしてもらったものだ。前二者はこれまで幾度か取り上げてきたが、後者の二人はほとんどない。このうち伊豆見さんと知り合ったのは1980年代後半、故中嶋嶺雄先生(元東京外大学長、前秋田国際教養大学長)のアジア・オープンフォーラムの会議やら、台湾への旅で、だ。また、重村さんとは、米国への視察旅行先のワシントンのホテルで偶然に出会い知りあった。彼が毎日新聞記者をされていたころだ。もう20年近く前のことになる▼ネットで見ると、重村氏は伊豆見さんのことを厳しく非難しているようだ。その著作で、学歴詐称の疑いがある、と。名指しは勿論避けているが、明らかに彼のことだとわかる書きぶりだ。両方を知っている身からすると辛いし、あまり関わりたくない話ではある。他にも島田洋一氏(福井大教授)がそのブログで叩いているから、伊豆見氏はなにかと標的にされやすいのであろう。いくつか理由があろうが、最大のものはテレビや新聞メディアにしばしば北朝鮮ウオッチャーとして登場する割には、ご自身の手になる著作がない(訳本や共著はある)ことが原因ではないかと思われる。学者という存在は相互に喧嘩が絶えないようで、陰口を耳にするには事欠かない▼その彼が昨夏に出版したのが『北朝鮮で何が起きているのか ー金正恩体制の実相』で、つい最近まで知らずにいたが、偶然に本屋で発見した。朝鮮半島、とりわけ北朝鮮については情報も限られており謎がまだまだ多い。ゆえに、それを書物という形でまとめることは危険が多かろう。得体のしれないものに一定の見方を提示することは相当に勇気がいるからだ。この本では、①2012年4月以降の挑発の実相②金正恩体制の構造と政策課題③北朝鮮はどこに向かうのかーの三章に分けて解説をしている。究極のポイントは「金正恩指導部の三つの課題と三つの条件」である。国民生活の向上、対南関係の安定化と対米・対日関係の正常化という課題に対して、一定の成果をあげるには①非核化②弾道ミサイルの放棄③韓国に対する挑発行為の停止という三条件を満たさなければならない。しかし、これは国際社会にとって必須の前提条件だが、北朝鮮にとっては到底受け入れられない。結論は「時間だけがむなしく過ぎていく可能性が高い」ということになる▼これから日本はどうすべきかについて、伊豆見さんは、日本は今後も北朝鮮との国交正常化を目指していく必要がある、としたうえで、「北朝鮮を『国際社会の責任ある一員』とするべく」、「『生まれ変わらせる』べく努力を続けていかねばならない」と結んでいる。確かにそうなのだが、この「べき」論はそう簡単ではない。アメリカとキューバの国交正常化という新事態を横目で睨みながら、いよいよ地上最後の関係正常化を必要とする標的に「北朝鮮」がなったことに緊張を覚える。伊豆見さんの本の顔写真を見ながら、彼を傲岸不遜な男だという指摘(ネットで見た)は的外れで、わたしからすれば「程のいいひとなのになあ」と同情の思いは禁じ得ない。ま、出る杭は打たれるのか、とここでも平凡な感想を抱くに至った。(2014・12・23)
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スパイ小説らしくない英国情報部員の秘話(65)
私はこれまで随分とスパイ小説は読んできた。しかし、その分野の古典で、著者の実体験に基づいたものとされるサマセット・モーム『アシェンデン』は読んだことがなかった。今年の初めごろに何かの書評で取り上げられていたのを見て読んでみた。一読、さっぱり分からない。というより、初めはスパイ小説風だが、途中からはスパイたる著者の恋物語風の物語に変わってしまっている。読み終えた時点では、スパイが国家の機密を追う通常のスリルとサスペンスに満ちた物語としては、生煮えのものだとの印象が残った。副題に「英国情報部員のファイル」とあるが、いわゆる「スパイ小説」ではなく「スパイの小説」ではないか、とひとり毒づいたものだった。しかし、文化の日を前に、「読書録」に取り上げるべく、あらためて読み直してみると、面白い味わいが見えてきた▼人とひととの会話の妙のようなものについてのモームのこだわりが面白い。「アマチュアは、一度始めたジョークをいつまでも繰り返したがる。冗談と冗談を言う人との関係は、蜜蜂と花の関係のように、手際よく付かず離れずでなくてはいけないのに」ー確かに。大人の品ある会話たるもの、冗談を言ったら、さっと離れていく技が求められる。尤も、そんな会話をする機会にはとんと出くわさないが。で、著者は社交的会話術をするにあたっての秘訣めいたものを明かす。「聞いた話を書き留めておくための小さなノートを用意して」、「晩餐会に行くときなど、話題に困らないように予めその中の話を五つ六つ見ておくことにして」いるというのだ。おまけに、「世間一般で話せる場合はG(generalを表す)のマークが、男性向けのきわどい話の場合はM(menを表す)のマークが付けてある」といったことまで登場人物に語らせていて興味深い▼また、食後のテーブルスピーチの名手が、「演説に関する名著と言われるものはすべて読んで」おり、「どうしたら聞き手とよい関係になれるか」、「相手の琴線に触れるような重々しい言葉をどこで挟むか」や「一つ二つ適切な挿話を入れることで、いかにして聞き手の注意を喚起するか」などについて熟知していたことも明かしている。こういった会話の進め方だけではない。お酒をめぐる洒落たやりとりもさりげなく触れている。「夕食前はシェリーと決めている」という人に、ドライ・マティニーを勧める場合、「ドライ・マティニーを飲める時にシェリーを飲むのでは、オリエント急行で旅ができるのに、乗合馬車でいくようなものですから」などといった気の利いた会話が挿入されているのだ▼一度読んだときには、あまり気づかずにいたーそれでも今挙げた箇所は頁上を折っていたーが、改めて読み直すと、妙に惹かれる。また、この本は解説と訳者あとがきがいい。岡田久雄という朝日新聞外報部出身の人があれこれ裏話を紹介している。モームが自らの伝記に波乱に富む内容を書いているくだりが本書には何も書かれていないのは、「ウインストン・チャーチル首相が『アジェンデンもの』を草稿段階で読んで、公務員の公職に関する守秘義務違反を構成しうる、と警告、それでモームは一部を破棄せざるをえなかったとも言われる」からだ、と。なるほど、それで合点がいった。この本がスパイ小説としては、イマイチのわけが。とはいえ、じっくり読めば味が噛みしめられるのかもしれない。川成洋さん(法政大学名誉教授)が「作家とスパイの二足の草鞋を履いていた」モームのことを『紳士の国のインテリジェンス』なる本に書いていることも、解説で知った。この人とは今から40年ほど前に知り合った。今はどうしておられるか。お会いしたい思いが募るが、まずは本を読んでみよう。(2014・11・2)
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憂鬱さが増すだけの田原VS西研の哲学対談(64)
田原総一朗ーこの人物のテレビ番組に、私は現役の時に二回ほどでたことがある。その時に一度口喧嘩をした。この人は政治家を怒らせることで番組のトークを面白くさせるとの手法をよく用いるようだが、私の時もそのたぐいで、餌食にされそうになった。こともあろうに放映中に、私に対して「冬柴さん」と、あきらかにわざと呼びかけてみたり、きちっと答えているのに「もっと勉強してきてよ」とか言ったのである。
この自尊心の塊のような私に対して(笑)、である。コマーシャルの時間になって、「あんた!いい加減にしろ!」って、つい怒鳴ってしまった。一応、「ごめんなさい」と彼は頭を下げたが後味の悪さは尾を引いた。以後、彼の番組にはぜひ出てほしいと言われるまで、でないとこころに決めたのだが、そのうちこちらが引退してしまったので、当然ながら声はかからないで、今に至っている。
そういう不幸な出会いだったが、彼の書くものや人とのやりとりは面白く読んだり、見たりしていているのだから、私も勝手なものだ。その田原総一朗氏と哲学者の西研さんとの対談『憂鬱になったら、哲学の出番だ!』(幻冬舎)を読んだ。それこそ田原氏の鋭い切り込みは縦横に見られる。しかし、それに対しての答えがあまりぱっとしない。難解な哲学が分かり易く説かれることを期待するむきには羊頭狗肉だ。成果と言えば、田原さんも人の子、西欧哲学は解らんのだということがはっきりしたことか。結局は西洋哲学はただ難しいだけで、一般人には役立たずだということが改めて浮き彫りになった。憂鬱さはますばかりだという他ない。
ただ一か所だけ私としては、非常に興味深いくだりがあった。それは、田原氏が梅原猛さんの書いた『人類哲学序説』に触れたところだ。私はこの本に大変共鳴しているので、それこそ目を凝らして読んだ。西欧哲学の進歩発展主義の破綻を象徴したのが福島原発事故だとして、近代合理主義と決別するとしている梅原氏の主張を紹介。そのうえで、「梅原猛は東洋の思想を見直して、仏教の天台密教の『草木国土悉皆成仏』という考え方に着目したのです。山川や草木にも仏を見るという日本独自の思想で、ここから独自の人類哲学をつくろうとしています」ーデカルト以後の近代哲学が現代世界において、役に立たないことに気づき、新たな船出をしようとする梅原氏の意気や壮としたい、と私は思っている。
ところが、それに対して西研氏は『哲学は、一人ひとりの経験や感度や考えを出し合いながら『これは確かに大切だよね』ということを確かめ合っていく営みです。そういう風にして普遍的なものを取り出そうとすることが大事なので、それを、特定の世界観で代替してはいけないと思います」と答えるにとどまっている。これは、私には西欧哲学の側の敗北宣言に聞こえる。要するに世界的規模での現代人救済に役立たないがゆえに、確かめ合うなどといったぬるいことを言っているのだと思う。
それに対しての田原氏の最後の切り込みは「デカルトやカントらの哲学はヨーロッパ内では受け入れられたけれど、民族を超えて広がらなかったのではないですか」と言うだけ。西研氏の答も「お互いの経験をもとに考えを出し合って、普遍性を求める哲学の復権をめざしたいと思っているのです」と繰り返すのみ。
これって、結局は西研氏は、西欧哲学を超えるものが東洋の哲学にあるということに目を向けようとしないで、西欧哲学の復権にしがみついているだけのように思われてならない。その辺りをもっと田原氏には切り込んでもらいたかった。
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ボートならぬ「クルマの三人男」のドタバタ旅(62)
神戸市内の中学校を卒業して50年あまりが経つ。そのうち今もなお兵庫県内に住むクラス仲間3人が、もう一人の友が住む熊本に旅をすることになった。車で。わずか3日間だったからその殆どを車中で過ごした。合計で約2000キロ走った。準備を入念にしたり、旅先でトラブルを起こさぬようにと、あれこれ気を配ったりもした。70代寸前の爺さん三人のドタバタ車旅を自ら経験して思い出したのが、ジェローム・K・ジェローム 丸谷才一訳『ボートの三人男』である。つい先頃読み終えていたが、自らのクルマ旅との類似性に気づき、あらためて取り出して再読。ついでに旅先のよすがにと鞄の底に潜ませたしだい▼気鬱にとりつかれた3人の紳士が犬をお供に、テムズ河を旅する話。全編これ愉快で滑稽で珍妙このうえないエピソードの連続。読むものをして抱腹絶倒に至らしめるとくれば、読まずにはおらない。1889年に書かれたというから日本では明治時代の中頃にあたる。120年も前の作品ながら、いまだに世界で愛読されている英国ユーモア小説の古典なのだ。訳者は先頃亡くなってしまったが、際立った文芸評論家であり小説家の丸谷才一さん。そして解説がユーモア作家といっては言い足りないほど深くて重い小説家の井上ひさしさん。この人も先年旅立たれた。この組み合わせの魅力がこのうえない芳醇な香りを漂わせており、大いに楽しませてもらった▼とりわけ井上さんの解説は、見事というほかない。ユーモア小説を書くにあたって要求されるのは、「場面に応じて様々な文体を次々に繰り出す手練」と「それらをもう一つ高い次元で統一しくくっていく作業」だという。その二つの「至難の事業」が「見事に完成を見ている」ケースとして具体的に挙げているところを、今回の二度目の読書作業で辿ってみた。小説冒頭の「病気の総揚げ」から始まって、第四章の「荷造りのドタバタ」、第六章の「美文による風景点描」などなどを経て第十二章の「缶詰との笑劇風格闘」に至るまで、まことに面白い。一回目では味わえなかったコクと深みさえ味わえた思いがする▼井上さんによると「英国人は常に叡智と遅鈍の中間にある」(プリーストリイ)そうだが、「叡知は鋭い機智や洒落を生む。遅鈍は滑稽の原料である」と解説する。加えて、このあと「明治以降のわれら大和民族は奸智に長けている故に、ユーモアからははるかに遠い(からといって別に「悪い」と申しているのではないが」と日本人との比較を忘れない。確かに、と一度は納得するものの、再考すると首をかしげてしまう。昨今の日本人は果たして奸智に長けているのだろうか、と。悪賢いどころか馬鹿がつくほど生真面目で純情なのではないか、と対外関係の中では思わせられることが多い。それでもユーモアから遠いことだけは間違いない。そんなこんなでわれらの「クルマの三人男」のドタバタ旅は無事終わったのだが、残念ながらボート旅ほど面白くはない。ただ、互いの絆は大いに固まったことだけは間違いないので、よしとしよう。(2014・11・9)
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