平成の始めから30年間住みなれた姫路を引っ越すことになった。不動産屋を通じて大家さんの意思を聞いたのが二ヶ月ほど前のこと。政治家としての現役20年とそれに至るまでの足掛け5年、そして引退してからほぼ6年の合計31年。平成の時代の全てをこの地で過ごしたので、そこを出るのは断腸の思い、寂しくないと言えば嘘になる。だが、家庭の事情もあり、同じ兵庫エリアならと、思い切って新天地を探すことにした。ようやくそれなりの賃貸マンションを明石市に見つけた。そんな折に、映画『引っ越し大名』が封切られた。原作は土橋章宏『引っ越し大名三千里』なる小説。とても読めず、映画で間に合わせることに。読書録ならぬ映画録になった。いやはや、あらゆる意味で他人事とは思えず、考えさせられた。全国で多くの人が映画や本で接触されていようが、恐らく私ほどの強いインパクトを受けたものはいまい▼松平直矩なる徳川譜代の大名は生涯に7度にわたって、徳川幕府から引っ越しさせられる。彼方此方へと移転した距離が合わせて三千里。虚実合わせ織り込まれた時代ものだが、その移転に伴う差配を任せられたのが、若い侍・片桐春之介という筋立て。この侍、書庫番でひたすら本を読むことで生きてきた、どちらかといえば引きこもり風の頼りなげな男。その人物を登用することで、結果的に失敗をさせ、お家断絶を狙おうという幕府の目論見と内通者をも絡ませた奇想天外な喜劇仕立ての映画である。原作は未だ知らぬが、映画(犬道一心監督)の出来栄えはなかなか。この監督の代表作『のぼうの城』も良かったが、これに勝るとも劣らない。勿論、黒澤明や小津安二郎の作品とは比べるべくもないが▼何しろ舞台は姫路藩。ここから九州は豊後の日田の地へと移るまでのてんやわんやが主に描かれる。映画を観ながら、引っ越し作業の最中である我が身と照らし合わせ、身につまされる思いにしばしば駆られた。当方、選挙に出馬するため、姫路に転居してから借家を移ること4度。今度引っ越すことで所帯を持ってから7度目になる。勿論、この小説、映画とはちょっとだけ似て、まったく非なるものだが、「引越しは戦さである」とのセリフから始まって、経費に関することや、断捨離にまつわるものなどあらゆる面で、共感を持つに至った▼映画の中で心底笑えたのは、荷物に目印の紙を貼り付ける場面での数字が「0123」だったこと。私の頼んだ業者も同じ、この社名の会社だから気付いたのかもしれない。さらに、かの麻薬保持で逮捕されたピエール瀧が登場するシーンは、妙に印象深かった。つまり、お家を持続させるために、人員カットが余儀なくされる運びになって、苦労して田畑を開墾する大勢の侍改め百姓たちのうちのひとりを彼が演じるのだ。最終的に藩への加増が叶い、元の武士に戻れることになるのだが、彼は戻らずに百姓として残る選択をする。その際のセリフが何だか胸に響いた。地に足つけたまともな人間になりますとの宣言のように聞こえたのだ。そのほかにも随所にユーモアとペーソス溢れるくだりがあり、大いに楽しめた。引っ越しがいかに妻に苦労を強いるものか。現役であった過去は、妻に全て任せっぱなし。今回初めて自分で一から十まで関わって、もう殆ど倒れそうになっている。妻の有難さがようやく身に染みてわかったが、時すでに遅すぎる。(2019-10-3)
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(326)劣化した政治の犠牲になった哀れな経済ー小峰隆夫『平成の経済』を読む
政治と経済は自ずと一体不可分のもの。「平成の政治」を見る上で、「平成の経済」は欠かせない。2冊併せ読んで平成の時代の全貌が姿を現す。前者は鼎談三部方式だったが、後者はバブル崩壊後の「経済白書」に取り組んだエコノミスト・小峰隆夫氏ひとりが迫っており、一貫性があって読みやすい。一覧表や図が駆使されていることも理解を助ける。おまけに著者の切り口は、リアルに徹した語り口調でわかりやすい。全体は、①バブルの崩壊と失われた20年の始まり②金融危機とデフレの発生③小泉構造改革と不良債権処理④民主党政権の誕生とリーマン・ショック⑤アベノミクスの展開ーの5部構成である。こう振り返ると、劣化した政治のおかげで犠牲になってきた、この30年の日本経済の悪戦苦闘の実態が蘇ってくる▼一昔前には「経済は一流だが政治は三流」などといった見方が当たり前に使われていた。高度経済成長の名の下、戦後の荒廃から見事に立ち直った原動力としての日本経済の底力が汲み取れよう。今から思えばそれを可能にしたのは政治だから、そう捨てたものではなかったのかもしれない。ただ、平成の30年間は、むしろ「政治は三流だが経済も三流」に後退してしまった感が強いのは酷な見方だろうか。バブル絶頂から崩壊を経て長きにわたるデフレとの格闘は、昭和期の両者に比べて共に一段と弱体化した趣が強い。著者は、そのあたりを「政権が目まぐるしく交代し、政治改革が大きな議論となる中で、バブルの処理はどちらかというとわき役に押しやられてしまった感がある」と述べている▼バブル崩壊後の経済停滞については、金融機関に滞留した不良債権の影響に加え、アジアでの通貨危機が国内に飛び火、日本の金融危機を招いてしまった。その状況下で、橋本龍太郎内閣は、財政構造改革など六つもの改革に乗り出したものの、結局は金融をめぐる政策対応に右往左往するだけで、改革はいずれも中途半端に終わってしまった。橋本首相の改革への意気は〝壮〟とするものの、間口を広げすぎた感は否めない。その点、後の小泉純一郎首相は対照的である。「自民党をぶっ潰す」などと云った短い衝撃的なフレーズを駆使し大衆受けを狙う一方、経済学者・竹中平蔵氏を巧みに使って事に当たった政策的明瞭さは刺激的だった。その評価は別れるものの、平成のリーダーとしての特異さは際立つ▼民主党政権誕生と相前後してリーマンショックが襲ったことは、阪神淡路の大震災と同様、日本にとって不幸なことだった。民主党は「一度はやらせたら」との政権交代待望の風に乗って、その座についたが、政権運営の準備と力量の不足で大失敗に終わった。その経緯も坦々と解説されている。一方、アベノミクスなる造語を掲げ、今に続く安倍晋三政権の経済運営への評価は、人により、また立場の違いから異なる。新旧の「三本の矢」の結末、財政再建の先送りなど、決して褒められたものではない。だが、「経済よりも生活重視」「企業よりも家計重視」とのスローガンを掲げて看板倒れに終わった民主党のおかげで、「よりまし」経済との実感はそれなりに天下に漂っている。ただし、それがいつまで続くかは定かでないことをも、小峰氏は丁寧に分析している。ともあれ「平成」を概括的に捉えるための好著であることは間違いない。(2019-9-24)
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(325)公明党の存在って、こんな程度だったの?ー御厨貴・芹川洋一編『平成の政治』を読む
日経新聞社が平成の時代を、政治、経済、経営の三つの観点から総括、分析した本だというので、まず、『平成の政治』から読んだ。御厨貴(東大名誉教授)と芹川洋一(日経論説フェロー)の二人がホスト役になって、ジェラルド・カーチス(コロンビア大名誉教授)、大田弘子(政策研究大学院大教授)、蒲島郁夫(熊本県知事)の三人とそれぞれ語り合っている。30年を「政治改革」「官邸主導」「地方」の視点で捉えた三部形式。読み応え十分で、概ね満足できた。ただ一点だけ不満が残る。30年のうち、後半20年を「自公連立」の相方として演じてきた公明党についての記述があまりにも少なく、弱いことだ。分かってそうしてるのか。それとも本当のところが分からないからなのか。何もよく書けと言いたいのではない。もっときちっと料理して欲しいと言いたい。これでは、「平成の政治」を読み解いたと云われても、よく噛まないまま固まりを飲み込んだ時のように、消化不良が気にかかる▼それでもゼロではない。5頁ほどだけ出てくる。三者三様に鋭く公明党の抱えている課題について論及しており、興味深い。御厨は、国交相を公明党の指定席にしたことで、ある種の透明感が限定的にせよ生じたことと、政策、特に安全保障分野で、本気で熱心に議論をすることを公明党のプラス面として評価している。一方、安保法制に賛成して以来、議員と支持者の間が遠くなったことと、社会性を巡って議員と創価学会中枢との関係に矛盾が生じていることを課題としてあげている。また、芹川は、小選挙区選出議員はリアリスティックだが、比例区選出議員は理想主義的な傾向が強い、と指摘する。加えて、支持者の間における無党派層の増加や親の世代と子供の世代のギャップなども注目されるとしている。その上で、カーティスは、「公明党なくして自民党もない」として、重要な公明党の役割を強調し、芹川も両者の関係は「渾然一体化」しており、御厨に至っては「もう離れられない」とまで云う。しかし、論及はそこで停止してしまっているのだ▼私が問題にしたいのは、そういう公明党の存在が平成の政治をどう動かしてきたのか。何を変え、何を変えずにきたのか。そのような分析が皆無だということについてである。芹川は、別の著作で、今の政党の分布図が55年体制以前と比べほぼ同じになった、元に戻ったと述べており、この本でも「ぐるっと一回りした」と同じ認識を繰り返し、御厨も同調している。 すなわち、かつての社会党が立憲民主党に、民社党が国民民主党になっただけで、名称は変われども一回転したに過ぎないと云うのである。ここにはかつては野党だったが、今は与党の公明党の存在が完全に消えている。恐らく、両者は渾然一体だから、公明党を論じても仕方ないと云うのだろう。だが、果たしてそうだろうか。そう見るのは、評論家の力量としてはいささか心もとないと私には思われる。この20年に及ぶ自公連立政権にあって、公明党がどのような力を発揮して政権の一翼を担ってきたのかを追わない政治分析って、一体意味があるのか、と云わざるを得ないのだ▼ただ、そう憤ってみた上で、公明党の側の責任も問われねばならないと思う。ここまで無視されると、党員から議員を経て、また党員に戻った50年に及ぶ公明党のウオッチャーとして恥ずかしく感じる。私は自分を棚上げして、ひたすら今の公明党にもっと自己主張を求めたい。何故の連立なのか。どうして今の安倍政権を支えることが政治の安定に繋がるのか。貧富の格差がますます広がる中で、社会的弱者の側にどう立っているのか。政治の改革はどう進めているのか。選挙で自民党を支え、自民党に支えられて、「公明党の自民党化」が進んでいるとメディアに報じられている。それならば「自民党の公明党化」的側面を、もっとアピールしていいはず。いや、公明新聞や理論誌、グラフ誌に特集が組まれているのを見ていないのかとの反論があろう。しかし、深掘りはなされていない。響いて聴こえてこない。公明党の政治路線を今こそ党の幹部は公明新聞紙上でも論じるべきではないか。それは決して政治の安定を脅かすことにはならない、と私は固く信じているのだが。
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(324)死にゆく流れの革命━━帯津良一『かかり続けてはいけない病院 助けてくれる病院』を読む
歳を取ると、「きょうよう」と、「きょういく」が大事という。「教養と教育」ではない。今日用事があるか、今日行くところがあるか、ということを揶揄って云うのだが、その重要な要素として、医者通いがある。老人にとって病院は、用があり、行くべきところのベストワンなのだ。御多分に漏れず、私も病院に行く機会が滅法増え、薬局で薬を貰うことが重要な〝しごと〟になってしまった。帯津良一さんのことは数年前に国会議員のOBの集まりで講演を聴く機会があり、その名声の寄って来たる所以が分かったものだ。今回のこの本は我が親友が推薦してくれたもので、飛びついて一気に読んだ。それだけでなく、老義母、老妻と家族3人がそれぞれ手にして、それぞれの読み方をしたものである。
私は国会議員を引退する少し前に、脳梗塞を患った。素早い対応が幸を奏して、お陰様で10日ほどの入院、点滴治療だけで、大事には至らず、後遺症もないまま無事に退院できた。それは大いに良かったのだが、その原因には長年の糖尿病罹病があげられる。血管に関する〝兇状持ち〟とも云え、今に至るまで医者、病院との関係が絶えない。それどころか、東京在住から兵庫県に転居したため、主治医が変わった。それから10数年。現在では、セカンドオピニオン、サード、フォースと続く。やがてファイブにも及ぶかもしれない。それぞれの医師は良い人たちなのだが、私を次々と襲う症状になかなかマッチする治療、アドバイスはしていただけない。そんな私にとって、帯津さんのような医師がそばにいてくれたらと思うことしきりである。第1章の「現代の医者、病院の問題点11カ条」から、第5章「『寝たきり長寿』にならない、最強養生12カ条」まで、全て大いに頷ける内容だ。
●「人間には『死にどき』があり、それは自分でみつける」
そんな中で、私が最も興味深く読んだのは、第4章「誰もがうらやむ『死』を迎えるための8カ条」だった。特に、人が死にゆく流れとして、❶食物を受けつけなくなり、穏やかなまどろみに入る❷水分を欲しがらなくなり、意識低下の状態からボンヤリする❸酸欠状態になって、意識がボーッとしてくるーという死のメカニズムを述べたくだりである。この流れに逆らって、延命をしようとするところから様々な問題が起こってくる、との指摘は極めて重要だと思われる。これに付随して、「ふだんから死生観を養うこと」、「死は敗北ではない」、「人間には『死にどき』があり、それは自分で見つける」のだ、といった論考はまことに参考になる。ただし、死にどきのタイミングを見つけることが至難のわざだから困る。その辺りについてはイマイチ読み取れないのは残念だ。
この本における圧巻は、死は大いなるいのちの循環のなかのワンシーンだと述べているところだろう。ただ、「いのちのエネルギーをどんどん高めていって、死ぬ日が最高のエネルギーになるように持っていく」と言われているところには、いささか矛盾を感じざるを得ない。前述したような死に至る流れにある人間にとって、どうしてそんな芸当が出来るのか。意識が朦朧としている人間に「スペースシャトルが大気圏外に飛び出すように、向こうの世界にバーンと飛びだしていく」ことはできるはずがない。「そのためにはどんどん人生に『加速度』をつけていかなければなりません」と言われても、戸惑うだけだ。
恐らく、大きく言って、死にゆくパターンは二つあって、平凡な穏やかな死と非凡な激しい死とに別れるのだろう。帯津さんは後者を目的にしているはず。「一人ひとり三百億年の軌道を生きる同志です」とまで言い切っておられて小気味いいばかり。さて、どっちを選ぶか。今のところ私はギリギリまで、帯津的死に方を志向して、最後の最後は平凡な死に方をするのだろうと思っている。
【他生の縁 国会での前議員の会で講演を聞く】
帯津先生の講演は随分と前に聞いたのですが、今もインパクトが残っています。奥様を亡くされているので、仕事が終わってから、医院の片隅で、若い看護師さんや事務員の女性といっぱい傾けながら、話し込むのが最高の楽しみだと言われていたのが耳に残っています。実に楽しそうな話ぶりでした。
この人は作家の五木寛之さんとの健康を巡っての対談本がありますが、実に楽しいためになるものです。先般、家人と金沢に行った際に、金沢文芸会館を訪問したのですが、その際に五木さんの作品が並べられたコーナーに、その本が並べてあったのにはホッコリした思いに駆られました。
その対談本で五木さんは、1日の終わりに左右の足の指10本を、予めつけた名前を呼びながら、一本ずつ愛おしくさすりながら、今日も一日ありがとうと、その労をねがらうというエピソードを紹介しています。帯津先生という無類の話し上手、聞き上手の人との対談ゆえに出てきたものと思って、深い感動をしたのです。
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(323)自民党本部での講義録ー山内昌之 細谷雄一編著『日本近現代史講義』を読む
副題の「成功と失敗の歴史に学ぶ」と、帯にある〝基本が身につく14講〟に惹かれて購入した。山内昌之氏と細谷雄一氏の編著による『日本近現代史講義』である。最も面白く読めたのは、序章の山内氏による「令和から見た日本近現代史」。第2章も著者の率直さが気に入った。あとはいささか平板であり、気合いが入っていないと言わざるをえない。どうしてそういうものが多いのかと疑問を持った。「おわりに」を読んで、合点がいった。自民党本部での「歴史を学び未来を考える本部」での講義(2015-12〜2018-7)をもとにまとめたものだからである。「(日本の政治家が選択してきた道を)虚心坦懐にそのような過去の軌跡を学び、政治家がどのような選択を行ってきたのかを知ることが肝要だ」と、いみじくも細谷雄一が、あとがきで書いているように、これは入門編であって、「よりいっそう深いもの」「よりいっそう視野の広いもの」となることは今後の課題とされている▼それでも興味深かった章は、序章と1章、2章の三つがあげられる。特に序章の山内昌之の論考は実に魅力に溢れている。かつて私が師事した永井陽之助先生の筆致を思い出せるが如く、古今東西の歴史を自在に掘り起こしつつ、巧みな比喩で鮮やかに比較し、手際よくさばく。この人の手にかかると、平凡な具材を使って美味しく味あわせる料理人を彷彿とさせる。近現代の歴史解釈における誤解の一つは、日本にはこれまで国家戦略がなく、日本人には戦略的思考がないというのは不幸な思い込みだとしているところは惹きつけられた。むしろ「日本人は戦略下手どころか歴史的にすこぶる高度な『戦略文化』を駆使してきた」(エドワード・ルトワック)との引用まで持ち出している。そう、この400年における「完全な戦略的システム」を作り上げてきたリーダー・徳川家康を礼賛しているのだ。家康と江戸時代を再評価する向きは近年少なくないが、山内氏も「稀有の軍人政治家」として「総合力」を評価し、カエサルやナポレオンに勝るとも劣らないかの如く持ち上げているのは実に新鮮な印象を持つ▼また第1章の「立憲革命としての明治維新」は著者の意図とは別に、今の憲法論議を想起しつつ読むと興味深い。「明治における立憲体制の確立は世界史的な意義を持って」いるとして、「これから立憲制度を導入しようとする国」や、「制度は導入したがうまく機能していない国に対して、何がしかの助言ができる立場にある」と述べている。確かに明治維新とその後の国作りはそれだけの「知的資源」を有している。だが、それからほぼ半世紀後における敗戦時の憲法の作られ方および、70年後の今に至る憲法に対する日本人の向き合い方は、およそ「知的資源」を感じさせないと言う他ない。この章を読みながら、改めてつい先程私自身が産経新聞のインタビューで答えたあれこれのことを想起せざるをえない▼また、第2章の「日清戦争と東アジア」も極めて刺激的だった。「朝鮮戦争がまだ正式に終戦を迎えていない」現状において、「日清戦争はいまなお、終わっていない」とする捉え方は、日中間の現状を見るにつけても示唆に富んでいる。著者・岡本隆司氏が「歴史的な『相互理解』の欠如を」あげているくだりは、率直な物言いで好感が持てる。「その言動(大陸と半島としているが、中国と朝鮮半島に違いない)が往々にして理解できない。これはいま現在だけではなく、歴史を読んでみてもやはりそうなのであって、極端にいえば、勉強すればするほど、わからなくなる、という世界である」という。加えて「けっきょく本章は、歴史を教えている教師が、歴史にもっと目を向けて欲しい、というごく平凡な願望の吐露に終わってしまった」とも述べている。歴史を学びつつも、現代国際政治や国内政治を追ってきた我が身を振り返るとき、ふと無駄なことに人生をかけてきたなあとの寂寥感を持つ。国家の興亡などを追っても意味があったのかと。
【山内昌之さんの数多の著作で、私は『嫉妬の世界史』のような、歴史と文学のはざまを射抜くようなものが大好きです。『鬼平とキケロと司馬遷』などのタイトルは見るだけで、中身を見ぬうちにぞくぞくしてきます。上記文中にも書きましたが、私が大学で謦咳に接し、深く尊敬した永井陽之助先生にも迫る面白さが漲っています。
現職時代の後半に、英語通訳者として有名な田中祥子さんのご紹介で、山内さんと会食の機会に恵まれました。田中さんとは厚労副大臣としてベトナムに派遣された際にお世話になっていらい、今に至るまで親しくお付き合いさせていただいています。作家・ロシア語通訳者としても著名だった故米原真理さんの親友だったり、職業柄多くの文化人とも親しい方ですが、とりわけウマが合うのが山内先生だと言われ、直ちにせがんだしだいです。本当に楽しい夜でした。(2022-5-21)】
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(322)仏教の女性蔑視という誤りー植木雅俊『差別の超克』を読む
植木雅俊氏といえば、今をときめく仏教思想研究家。去年の4月にNHKのEテレ「100分で名著シリーズ」に『法華経』で登場、好評を博したので、ご覧になられた方も多かろう。この11月には再放送される運びというから、見逃された向きには嬉しい知らせと思われる。ところで、この人の数ある著作の中で、最も初期の頃のものが『差別の超克』である。副題は、「原始仏教と法華経の人間観」。このタイトル、少々近寄りがたい。これでは皆が敬遠するに違いない。簡単にいうと、仏教は女性差別の教えではない、となるのではないか。これは読むにあたって著者の周辺を探ってみた結果の私の直感的まとめである▼仏教が女性蔑視をしていたという説があるそうな。それは根拠のないことではない。ただ、釈迦がそう説いたのではない。釈迦滅後の保守・権威主義者たちが差別し始めたのを、あたかも釈迦の主張のように歪めて伝えられたものだという。そのことを微に入り細にわたってきっちりと捉えて解説したのがこの本である。この辺りのことについて興味のある向きには必読の書だといえよう。ただ、私のような少々へそ曲がり的女性崇拝者は、あまり関心を抱かなかった。尤も、読んでみてなるほどと納得したことは多い▼こんな話がある。先年、近くの県立大に岡山県から入学したばかりの新入女子学生たちと懇談した際のこと。私が「男はみんなオオカミだよ。男女交際には気をつけてね」などとつい余計なことを口走った。すると、そばに居合わせたある女性起業家が「それはちょっと違うのでは。今は男子学生は意気地がなく、女性の方がよっぽど狼かも」ときた。それが証拠の一例として、受験時に、勉強が出来そうな(つまり賢そうな)男子学生のそばにいた女子がチラリチラリとスカートを上げて、動揺を誘うという話を披露したのである。戦後強くなったものは靴下と女性と、その昔に言われたものだが、遂にそこまできたかとの実感がする▼こうした時代状況の中で、仏教の女性蔑視などということを取り上げること自体、果たして意味があるのかと思ってしまう。返って、仏教の後進性との指摘を招き、藪蛇にならないのかと。そう思って、長きにわたって、植木雅俊さんの本の中でこれだけは敬遠してきた。で、今読み終えてやはりその感は拭えないのだが、仏教の歴史の中での捉え方はよく分かった。少し注文させてもらえば、キリスト教やイスラム教との比較の中での人間観、女性観を明らかにしてくれればもっと良かったと思う。ところで、この11月から京都と大阪のNHK文化センターで植木さんによる仏教講座が始まる(1年間)という。京都では『法華経』、大阪では『仏教、本当の教え』が教材だとのこと。そこでは植木さんにはぜひ、「法華経、本当の教え」を講義して欲しいと思うのだが、どうだろうか。
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(321)四国遍路と幼児誘拐事件ー柚月裕子『慈雨』を読む
定年退職した警察官・神場が妻とともに四国八十八ケ所のお遍路旅に出る。その旅の最中に彼が現職だった群馬県警の所轄で、少女誘拐事件が起こる。後輩たちと協力しつつ、事件解決に意を配りながら続けるお遍路。16年前に自らが捜査に携わった事件と酷似していることが痛烈に心を疼かせる。曖昧かつ不確かな終わらせ方をしてしまった以前の事件と新たな事件との間に、もし繋がる背景があるなら、第三の事件がまた起こるかもしれない。殉職した仲間の一人娘を養女にしていた神場夫婦。後輩の刑事・緒方がその養女と愛し合う仲に。警察官という過酷な仕事と家族という愛の結節場の絡み合いの難しさ。徳島から高知、愛媛を経て香川へ。巡礼の旅のゴール直前に一気に解決へと事件捜査は展開する▼この人の本を読むのは2冊目。最初に読んだ『孤狼の血』はとてつもなく迫力があった。同名の映画は、かつて興奮して見た映画『仁義なき戦い』に勝るとも劣らない内容だった。女性の作家とは俄かに信じがたいほどというと、パワハラになるかもしれぬが、ハードボイルドそのものの作品だった。今度読んだ『慈雨』は新聞広告につられて読んだもの(いきなり文庫本発売が嬉しい)で、読み終えての手応えはまずまず。女性らしい視点が随所に窺えるきめ細やかな配慮が読み取れる作品ではあるが、人物の描き方がやや淡白かもしれない。中心人物以外、人物像が今いち印象に残らない。その分、お遍路の周辺のことには詳しい。作者が歩かねばこうは書けないはず▼四国遍路といえば、因果なことに菅直人元首相を思い起こす。宗教的体験を政治に利用した粗忽でいい加減なケースである。日蓮仏法の信徒としては「真言亡国」との日蓮の規定づけが思い浮かぶが、今流行りの地域おこしにとって四国はこれ無くして語れないから厄介だ。総本山の高野山は今やインバウンドの聖地の感すら漂うが、お遍路は距離からも数からいっても遠く、かつ対象が多すぎるかもしれない。このところ徳島に行く機会が多く、後学のためにと一番寺の霊山寺には行ってみたものの、今関わっている美波町の薬王寺には外見だけでとても行く気にはならない。そういう風にこの本におけるお遍路の描き方には興味がないわけでは無かった。だが、このことは事件の本質と全く関わらない▼幼児誘拐殺人事件はこのところ頻発している。いたいけな少女を誘拐し性的な陵辱を加えるなどして、死に至らしめるなどといったことはおよそ許しがたい犯罪である。この手の犯罪者が繰り返す心理や、全国の刑務所におけるこうした犯罪で刑に服する者たちの数などあれこれと語られる。私はこうした犯罪のディープな描かれ方にはとんと興味がない。悲惨な現実、目や耳を覆いたくなるような場面は生理的に受け付けない。大嫌いだ。「お家に帰りたい」という幼女の言葉を聞いただけで胸塞がる思いだ。この小説はむしろそういうことよりも、夫婦の情愛、親子の心理、職場の厚情などに注目すべきくだりが多いかもしれない。この夏休みに訪れた姫路市北部の安富町にある日本で唯一の坑道ラドン浴・富栖の里の洞窟で、これを読みふけった。そしてひとっけが全くない田舎のログハウスに泊まった。夜の夜中に夢の中で、窓から覗き込む人影を感じて目を覚ました。不気味で気持ちが悪かった。昼間読んだ小説の場面からの影響だった。真夏の夜の出来事にしてはまったくできが良くない。(2019-8-10)
(320)誘われる村上春樹との比較ー夏目漱石『それから』を読む
第一巻から読み進めてきた漱石全集も第6巻となった。『それから』である。漱石の小説のタイトルは凝ったものや単なる思いつきのものなど、色々とあるが、これは動的な印象を与えるだけ良い部類に属すると思われる。『三四郎』から『門』に至る漱石の前期三部作の中間に位置するもので、さあ、それからどうなるのかって、発表当時には新聞小説の読者に期待を抱かせたに違いない。男女の出会いから始まって別れに至るまでの種々の類型を描いたものとして、興味深く読める。ここでは『それから』に見る、漱石文学と村上春樹文学との類似性やら異質性などほんのチョッピリ感じたままを述べてみたい▼まず、この小説のあらすじを超戯画化的に要約する。主人公(代助)は、友人に自分が好きだった女性を斡旋して結婚させてしまう。ところがその二人の仲が良くないと見るや、かつての自分の思いを復活させ、その女性に言い寄る。彼女もこれを受け入れる。という筋立てを知った友人は主人公の父親にその非を訴える。30歳を越えて結婚をしない息子に業を煮やしていた親父はその理由を知って激怒し、勘当してしまう。生活の全てを委ねていた父親に見捨てられ、主人公は波のまにまに漂う。およそ乱暴なまとめだが、この間に重要なファクターとして彼女の心臓病という患いが厳然とした位置を占める▼こうした出来事は私たちの周りにも散見されるのではないか。尤も、二人の仲が悪くなることや、不幸を期待しながら、期待ハズレに終わったり、あるいは、言い寄ったところで、受け入れられずに終わるなどといったケースが多い。わたしは最近、村上春樹の小説を時に応じて繙く。100年の歳月を隔てて、漱石と春樹というそれぞれの時代の寵児の小説作法の違いや類似性に思いを寄せてみるのは面白い。この二人の作家、描くところの主人公の人間の佇まいが極めて似通っていることに驚く。風来坊というべきか、全く呑気な自由人が描かれる。「何でも都合のよさそうな時間に出る汽車に乗って、其の汽車の持っていく所へ降りて、其所で明日迄暮らして、暮らしているうちに、又新しい運命が、自分を攫ひに来るのを待つ積であった」ーこういう主人公は春樹のものにも、いつも出てくる。先日取り上げた『騎士団長殺し』や、この間読み終えた『海辺のカフカ』などにも。明らかに春樹は漱石を意識していると私には思われる▼一方、違いといえば、漱石のものには出てくる処世訓じみた記述が春樹にはなく、ひたすら音楽や絵画など現代芸術や風俗に関する蘊蓄が披瀝されるばかり。そして男女の濡れ場が露骨な表現を持って直裁に語られるものと、比喩を通じて回りくどく、時に秘められたように語られるものとの違いも大きい。例によって、『漱石激読』では、「代助の性的な欲望も花に託されています」とか、「当時の内務省の検閲官に読み取れなかった性的な描写が漱石の小説にはものすごく繰り込まれている」と云った風に〝深読み〟が繰り出されて、ただただ圧倒される。それにつけても「心臓小説」であるとか、「植物小説」だとか云われると一体自分は何を読んだのだろうかと、自信喪失に陥ってしまう。(2019-8-6)
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(319)無実の選挙違反で逮捕された女流作家の叫びー柳谷郁子『風の紋章』を読む
今回の参議院選挙が始まったばかりの頃、姫路に住む作家の柳谷郁子さんとお会いする機会があった。彼女の著作はこれまで幾たびか取り上げてきた。評論家の森田実さんとのご縁を私が取り持ったこと。そこから新たな出版社との繋がりも出来ることになった。そんなこんなで親しさも増したが、彼女にとってとても大事な本である『風の紋章』は読まずにきた。無実の選挙違反で留置場に入ったとのテーマに、どうしても触手が動かなかったからである。それが変わったのは、ご本人からの「読んで欲しい」との改めての強い勧めが全てだった。喜寿をとっくに過ぎたご高齢にも関わらず、凛とした中に美しさを湛えた佇まい。その秘密を解く鍵がこの本の中に込められているのではないかと思い直し、頁を捲っていった▼1991年の統一地方選挙で、それまで姫路市議だった夫君が県議選に出馬し落選した。その直後に若い事務所員がアルバイト料の買収容疑で警察に逮捕された。およそ信じられない事態を前に、彼女は身代わりを申し出て、そのまま共に逮捕される。その事実を基に、釈放後一気に書き上げたという。サブタイトルは、「留置ナンバー・婦55」と生々しい。参議院選挙の最中でありながら、神戸までの車中といった細切れの時間を寄せ集めて一気に読んだ。罪深き警察の誤判断。巧言に隠れた選挙の裏面。立場が狂わせる人の振る舞い。作家、市議夫人として多くの人々の信頼を勝ち得ていた存在が、海岸の盛砂のように崩れゆく様がリアルに赤裸々に描かれる▼彼女のこの事態における行動を突き動かしたものはただ一つ。無実の罪を被せられた青年を救いたいとの一念だけ。それあるがゆえに身代わりを申し出た。ところが警察権力はそう甘くない。結局二人とも逃れられぬ身に。この辺りの狂おしいまでの筆致は読むものをして、奈落の底に突き落とすかのように切ない。取り調べにあたる刑事。留置場における看守。同じ場所に盗みの罪で入ってきた「ぞっとするほど綺麗」な少女とのやり取りなど一つひとつ深く心に残る。選挙という〝祭りごと〟の背後に、一皮めくると暗い別世界が潜むことを突きつけられる。しかし、それでいて人の世の情けというものの有難さも十二分に味わえる。とりわけ最終節の「天からの贈物」はもう涙無くして読めない。そして強く堅固な家族の絆にも▼実はこの時の兵庫県議選に私は出馬する予定だった。直前の衆議院選で次点落選し、県議選に鞍替えをする決意を固めていたのだ。だが、結局は衆院選に再挑戦することとなり、ギリギリで取りやめた。その後暫くして私は無事初当選した。〝苦節足掛け5年〟に翻弄されていた私には、柳谷さんの苦悩は戦場における〝遠い砲声〟のようにしか聞こえなかった。当時は未だ知己を得ていなかったこともあるが、申し訳ないしだいである。以来今日まで多くの政治家や関係者が様々な理由で獄に繋がれるケースを見てきた。最も印象に残っているのは、共に厚労省で働いた村木厚子さん(後に事務次官)の冤罪である。彼女とはひと夜じっくりと体験談を聞く機会があったが、やはり家族の有難さを命の底から語られた。どんなに辛くても夫や娘の励ましあったればこそ乗り切れた、と。獄中で塩野七生の『ローマ人の物語』全15巻を読みきったとの話と合わせて忘れがたい。中国の故事に「疾風に勁草を知る」とある。柳谷さんも、村木さんも、「怒髪天を衝く」思いを持ちつつ、共に見事に乗り越えられて今があることをしみじみと感じさせられる。(2019-7-25)
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(318)山口代表の青春期に与えた親父さんの影響ー新田次郎『ある町の高い煙突』を読む
なぜ今この本なんだろうか。遥か昔の1968年に『週刊言論』ーこれがまた懐かしい。創価学会系の週刊誌ーに初めて書かれた。単行本が翌年に文藝春秋から刊行された企業公害にまつわる本である。そしてついこのほど50年ぶりに文庫(1978年刊)の新装版として出された。その上、映画化もされたというから凄い。新田次郎『ある町の高い煙突』を私が読もうと思ったきっかけは、なんと、山口那津男公明党代表のインタビュー記事(毎日新聞5月21日付け)を見たことによる。新田次郎氏と同じ気象庁勤めだった山口代表の親父さんが、新田氏に語った史実が小説誕生の発端だという▼筋立ては、明治から大正期にかけて茨城県日立市の煙害問題で、鉱山側と被害者の農民側が交渉した結果、156mもの超高層煙突を立てることで、公害被害を克服したというもの。加害者としての企業と被害者としての住民側が、力を合わせて問題解決に当たったところが他の公害のケースと全く違う。当初は対立していたが、やがて一体となって課題解決に当たるようになる。ここらあたりが今になって、脚光を浴びていることの背景にありそうだ。尤も、小説の運び方としては、新田次郎の他のものに比べて、いささか物足りない。男女の描き方の淡白さも、主人公の人間的掘り下げにも不満足感が残る▼じつは、先日参議院兵庫県選挙区の公明党・高橋光男候補の選挙事務所に山口代表が立ち寄られた。束の間、応接コーナーで事務長を務める私と、二人だけの会話をした。「遥か以前に話題になった本がなぜ今また?」「SDGsの影響ですね」「はあ」ー日本だけの枠組みではなく世界的な観点から見て、持続可能な社会を目指すということだろうかー「中国を始めこれから世界で公害問題が先鋭になってくるのでね」「なるほど」「父が着眼したことが今に蘇ってきて、感慨深いですよ」「私はまた原発事故との絡みかと」「それもあるでしょうけどね」ー先の毎日新聞の記事によると、山口氏は、課題にぶつかった時の当事者のありかたとして、「粘り強い対話」や「課題を直視していかに克服するかという高い志」、そして「互いに協調して課題を乗り越えていく姿勢」といったことを学んだと語っている。対立、対抗、分断でなく、対話によって協調して課題を解決することを、高校生の時に父から叩き込まれたような気がする、とも述懐しているが、やはり「栴檀は双葉より芳し」といったところか▼山口代表とは長い付き合いだが、こうしたことは初耳だ。公害問題追及から政党間の合意形成まで、戦後政治史における先駆的役割を果たしてきた公明党。その中興の祖とでも云える山口代表の精神形成に預かって大きな力があったと思えるのが、父上の見聞録だったとは。このお話の主人公関根三郎と山口那津男がわたしには重なって見えてくる。今から46年前に池田先生が結成された「中野兄弟会」。千人を超える当時の創価学会中野区男子部の仲間たち。その中から5人の国会議員が誕生した。山口那津男、漆原良夫、魚住裕一郎、益田洋介(故人)、そして私。私を除く4人はいずれも弁護士経験者。今回、魚住氏の引退で、もはや現役政治家は山口氏だけになってしまった。政治家の資質が問われる中で、同氏は一段と重要な存在になってきている。これからもっともっと政治周辺のことやら、公明党の歩むべき路線についても語って欲しい気がする。(2019-7-13)
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