池田大作先生の『法華経の智慧』全6巻は、私の愛読書である。佐藤優さんが第三文明誌上で、対談形式でそれを読み解いたものをも、深く感じ入りながら読んできた。このほど改めて『希望の源泉 池田思想』という形で単行本になったもののうち第1巻を一気に読んでみた。京都と大阪で月に一回づつ受けているNHK 文化センターでの植木雅俊さんの講座の帰りの車中で、である。仏教思想家の植木さんは中村元先生のお弟子さんとして知られる。京都・四条の『法華経』講義でも、大阪・梅田の『仏教、本当の教え』講義でも、幾たびとなく中村先生の言葉が口をついて出てくる。一方、佐藤優さんはキリスト教プロテスタントの身でありながら、今や池田先生を師と仰ぎ、創価学会のこよなきウオッチャーであり、理解者である。『希望の源泉 池田思想』❶を軸に、計らずも異なった形の「師弟」を考えるきっかけとなった▼植木雅俊さんは講義の中で、ご自分が二足の草鞋を履いてきたことを強調される。会社勤めをしながら、40歳にして中村元先生の門を叩き、やがてサンスクリット語を習得して御茶ノ水女子大で博士号を取り、法華経や維摩経を全訳するまでになった、と。直接中村先生の薫陶を受ける中で、ものの見方も考え方も全て磨かれていったことが、彼の著作『仏教学者 中村元』を読むと手に取るようにわかる。一方、佐藤優さんは未だ池田先生にはお会いしたことはないという。「(自分は)キリスト教徒なので、『会ってこの目で確かめたから信じられる』などという発想は絶対にしません。『会わなくても信じられる』ということが重要なのです」と述べ、「池田会長と直接会ったことがなくても、会長を深く尊敬し、弟子として立派な生き方をしている無名の庶民はたくさんいます。その人たちは、池田会長 との物理的距離は遠くても、生命的距離は近いわけです」と意味深長な表現をしている。お二人を深く尊敬する私としては、この師弟関係の二形態(共に、仕事を通じてのもので、人生の師弟関係とは別であろうことは言うまでもない)をいずれもこよなく尊いものに思うばかりである▼植木さんの法華経講義はとてもわかりやすく、かつ深くて勉強になる。加えて、池田先生の『法華経の智慧』を読み解く、佐藤優さんの手法もとても参考になり力になる。前者は、原点をきちっと抑える上で貴重な学習となり、後者は世界宗教の視座から、応用的側面を分からせてくれる興味深いアドバイスである。随所にキリスト教とのアナロジー(類推)を駆使しながらの展開は、極めて新鮮味がある。ただ、「最初に救済が保証され、あとから信仰上の行為がついてきて、救済が実感されていく。そう考えると、日蓮仏法は、キリスト教の信仰のありように意外に近いのでは」とあるくだりには意外感を抱く。私の理解では、キリスト教と近いのは念仏思想だとの認識だったからである。尤も、その記述のすぐ後ろに、「キリスト教徒の私にどこまで仏教の本質が理解できているかはわかりませんが‥‥」とあり、ホッとする思いもした▼実は今中国で池田思想を研究する動きが顕著で、私の友人の中国人学者もその任に当たっている。この本でも、中国各地の大学に附設されている「池田思想研究所」について触れられ、佐藤さんが『法華経の智慧』を読み込んでいる研究者の中から「今後、どのような展開が生まれてくるのか非常に興味深い」と述べている。加えて、「近い将来、中国で、『信教の自由』が認められ、一挙にたくさんのSGIメンバーが中国に誕生する日が来ると考えています」と、重要な展望を述べているのだ 。これを踏まえて、植木さんの『日中印の比較文化』に関する講義の後で、私は質問を試みてみた。「かつて仏教を生み出したインドでは仏教は廃ってしまい、中国は共産化して仏教を表向き受け入れていない。そんな状況下で、日本発の創価学会SGI が、『池田思想研究所』という形で中国に進出していることをどう見ますか。佐藤優さんがその著作で予測しているように、やがては大きく広まっていくと思いますか」と。一般的には、中国は政治優先の国だから、今の動きは一過性のものに終わる可能性が高いと見る向きが少なくない。私もそれを懸念している。講義の終了間際だったので時間もなく、植木さんからは明確なお答えは得られなかったのだが、このテーマは極めて関心の高いものだけに、今後注目していきたい。(2020-2-9=一部再修正しています)
Category Archives: 未分類
(336)第45回SGI提言ー『人類共生の時代へ 建設の鼓動』を読む
今年もSGIの日(1-26)がやってきた。45回目である。その日に合わせて池田先生による記念提言が発表された。二日間8頁にわたる膨大な分量である。その中身を聖教新聞で読み、そのポイントと自身の受け止め方を記してみたい。まず、この手のものは難しく、苦手だから敬遠してしまうという向きには、第一日目の冒頭の第一段落ーいわゆる前文にあたるところーを熟読した上で、文中に掲げられた見出しを書き出すことをお勧めしたい。加えて両日に掲載された論文の末尾の9、10行分を先生が示された結論として胸に刻むことも。勿論、そういう安易なやり方ではならぬことはいうまでもないが、全く読まないよりはいいということも付言しておきたい▼今年の提言はただならぬ響きを持つ。地球上、とりわけ日本で気候変動に伴う異常気象による被害が続発しており、いよいよ放置することは許されない事態に我々が直面しているからだ。あと10年で地球が存続するか、滅亡するかの分岐点(国連のSDGs=持続可能な達成目標としての2030年)を迎えるとの認識は、もはやよほど能天気な人以外は皆共有するに至っている。その上で、提言は危機感の共有だけではなく、建設的な行動を共に起こす重要性を訴えている。具体的には〝気候変動問題に立ち向かう青年行動の10年〟の意義を込めた活動を各地で幅広く起こそうとの呼びかけがなされているが、ここにこの論文の最大の眼目があろう。青年の10年でなく、青年行動の10年とあることに深い感慨を抱く。対象は青年の気概を持つ全ての人々であると受け止めざるをえない表現だから▼続いて、具体的提案を世に問うている。一つは、核兵器禁止条約の第一回締約国会議の開催を受ける形での「核なき世界を選択する民衆フォーラム」の開催。二つは、核拡散防止条約(NPT)の再検討会議で、その最終文書に「多国間の核軍縮交渉の開始」と「AI(人工知能)などの新技術と核兵器の問題を巡る協議」に関する合意を盛り込むこと。三つは、国連の「防災グローバル・プラットホーム会合」を今年日本で行い、異常気象に伴う課題を集中的に討議すること。四つは、紛争や災害の影響で教育を受ける機会を失った子どもたちへの支援を強化するために「教育のための国際連帯税」の創設をすること、主たるものは以上四つだ。こうした提案の背景に、池田先生の国連に対する深い思いがあるのだが、改めて、「国連の使命は『弱者の側に立つ』中に」、との1行の持つ含意に強い共感を抱く▼今回の提言で、法華経の「娑婆即寂光」の法理に触れているところには強く胸打たれた。つまり、娑婆世界は〝堪え忍ぶしかない場所〟ではなく、〝人々が願ってやまない世界(寂光土)を実現する場所〟だというのが釈迦の本意だったことや、日蓮大聖人が法華経のメッセージの核心として「自分たちが今いる場所をそのまま『寂光土』として輝かせていく行動を広げること」を挙げていることを紹介している。集約すると、利己主義や悲観主義でもない第三の道があると池田先生は強調し、「一人一人が自らの生命を宝塔のように輝かせ、社会を希望で照らす行動を広げる中で、自分たちが望む世界を自らの手で建設することの重要性」を訴えている。この提言を読み終えた今、法華経が説く、自分の足元から希望を灯すことこそ国土変革のドラマであり、思想だとの共通認識を世界中の人々が持てるように頑張らねば、との思いを強く抱くに至った。私が今起こそうとしている〝見て見ぬ振りをしない運動〟も根っこで繋がっていると確信している。(2020-1-28)
Filed under 未分類
(335)いま創価学会SGIが熱いー佐藤優『世界宗教の条件とは何か』を読む
世界宗教となった創価学会SGI。これからさらに世界に向けて布教のコマを進める上でのアドバイスを、佐藤優さんが創価大学の学生を前に熱く語った講義。それが『世界宗教の条件とは何か』である。❶宗門との訣別❷世界伝道❸与党化ーこの三つがその条件だとする。ひと昔前ではおよそ考えられない筋立ての論理展開に驚愕を覚えつつ、感動のうちに納得して、読む創価学会員をして立ち上がらせる力を持った本である▼現在、朝日新聞発刊の週刊紙『アエラ』で、『池田大作研究 世界宗教を追う』が連載中だが、これは、池田先生の『私の履歴書』(池田大作全集所収=日経新聞初出)を読み解く体裁を取っている。この二つを併せ読むことで一段と現在における世界宗教の姿が浮き彫りにされる。単に創価学会員を勇気付けるだけではなく、一般の人々にもキリスト教やイスラム教などの歴史と現在、その問題点などをわからせてくれる▼佐藤優さんはキリスト教とのアナロジー(類推)で創価学会を考える手法を駆使する。また、様々な宗教の「内在的論理」を知ることの効用を語る。さらには日本の歴史を学ぶことが世界広布に役立つことを説く。一方で、数多くの書物や映画を挙げて具体的な思考の手ほどきも施してくれる。映画『八甲田山」を題材にした「リーダーと民衆」論にはただただ感じ入り、唸らせられた▼彼をして「知の巨人」 との命名は改めてむべなるかな、と感心する。キリスト者をかつて二重人格とのレッテルを貼って一刀両断にしてきた我が身が恥ずかしい。邪宗教との位置付けで他宗教を打捨ててきた我が姿にも。日暮れて道遠しならぬ、道に迷った感が強い者には、読みようによっては罪深い中身だ。なお、潮出版社がホームページでこの本を元に、首都圏の大学生を対象に語り合った「佐藤優の白熱教室」を連載している。その第2回に私のことが触れられている。恥ずかしながら付言しておきたい。(2020-1-21)
Filed under 未分類
(334)面白いようでイマイチ落ちないーS・モームの『コスモポリタンズ』(龍口直太郎訳)を読む
アメリカの大統領がツイッターと称する短文を世界に発信する時代。SNSの世界では、短かきを持って尊しとなす傾向が蔓延っているかに思われる。そんな世相に反抗して、わたしのブログは長い。長いものを書いてないと、落ち着かないというか、自分の思考までが奥行きがなくなるように思ってしまうからだ。だが、今年初の「忙中本あり」は、少し短いものに挑戦しよう。読むものはともかく、こちらが書くものは、とスタートした▼わたしの若い時代にはショートショートと称する短編小説が流行った。国内的には星新一のもの。海外ものではサマセット・モームらが主軸であった。昨年晩秋に読んだある本の中に、モームの『コスモポリタンズ』を推奨されるくだりを発見して、読もうとの気になった。毎夜寝る前に一話ずつ読み進めると、ほぼ一ヶ月で読了(29本)する。睡眠促進剤代わりにと思ったが、中々そうはいかない。要するに最後の落ちがイマイチ落ちず、落ち着かなくなって、逆に考えこんでしまうケースが多いのだ▼最初に小池滋さんの解説から読んだのだが、「社交意識」が一番好きな作品だとあったので、そこをまず開いた。しかし、わたし的には面白くない。「ちゃんと前の方に伏線を仕込んでおいて、最初の2行が見事な落ちになっている」というのだが、しっくりこない。人生とはこんなもの、といった「陳腐な感想」がずしりとした重みで読者に迫ってくる、と仰るのだが、わたしとしては、「物識先生」の方が面白かった。あっと驚く終わり方が。こう来なくちゃと思わせる巧みな捻り方に舌を巻く思いだった▼要するに、人それぞれなのだろうが、全般的にわたし好みの落ちを駆使した短編は少なかった。「読み終わって何時間たっても、いつまでも頭の中にあと味が残るような作品」はそう多くない。そんな中で、興味を唆られたのは「困ったときの友」である。モームは世界を舞台に動く、文字通りのコスモポリタン。そこに我が神戸がしばしば登場する。この掌編では、なんと、わたしの育った塩屋、垂水が顔を出すのだから嬉しい。「それじゃ塩谷クラブをご存じありませんね。わたしは若い時分、そこから出発して信号浮標(ビーコン)をまわり、垂水川の口にあがったもんですよ」と。ここで云う塩谷クラブは、ジェームズ山の外国人クラブを指すものと思われる。塩谷は恐らく訳者の間違いではないか。また、垂水川ではなく、福田川ではないか、と云った思いが浮かんできてしまう。おまけにいくつかの誤植も(65、68頁)、目につき、作品の落ちならぬ、落ち度が気になってしまのはどう云うものか。英国切っての作家と手練れの日本人訳者の粗探しをするようでは、今年のわたしの先行きが危ぶまれる。(2020-1-11)
Filed under 未分類
(332) 4- ⑦〝低度経済停滞時代〟を 大転換する戦略━━井手英策『幸福の増税論』及び姉妹編
◆再起動に駆り立てられる迫力
国会議員を辞めて早くも10年余が経つ。令和の時代になった頃に、昭和から平成にかけての回顧録をまとめる作業を進め、随時ブログでオープンした。そんな私が現役であった時代は「失われた20年」とのフレーズが定着したように、日本は概ね停滞の時間が続いた。同じ時期に政治家を務めた私としては、心底恥じ入る思いを持つ。
かつて55年体制を打破すべく立ち上がっていた日々に比べ、なにかが狂ってしまった、としか云いようがない風景が今、日本中に広がっている。なんとかせねばとの思いを抱いた私が、井手英策慶應大教授の『幸福の増税論』と出くわした。公明新聞紙上で発表された論考のなかで紹介されていたのである。直ちに読み、続いて発売されたばかりの姉妹編ともいうべき『いまこそ税と社会保障の話をしよう!』を読み終えた。深い感動を覚えるとともに、なぜこの人の本を今まで読んだことがなかったのだろうか、との疑問が起きてきた。
それは恐らくこの人がかつて民進党の政策ブレーンだったことと無縁ではないと思われる。私が親しかった歴史家の故松本健一氏や作家の石川好氏らも旧民主党や政府の中枢に身を置いて、アドバイスを繰り返した。それが敢え無く虚しい結果となったことは彼らにとって無念だったろうし、今は無き同党の罪はとても深いように思われる。学問を続けて机上の議論を深めてくると、政治の現場で実地に試してみたいとの誘惑に駆られるものだとは、少なからぬ先達の例を待たずとも分かるところだ。井手さんの場合も同じに違いない。真正リベラルを持って任じる井手さんは、文字通り筋金入りの人である。その生い立ちや人生の軌跡を追うにつけ(結構、頻繁に本の中に出てきて興味深い)、今彼がそうあることが読むものをして納得させる。経済理論の具体的展開とは別に、この人の人生観が私を〝再起動〟に駆り立てて止まない。
◆「ベーシックサービス構想」の提唱
井手さんら団塊第二世代は、親たちとは真反対の〝低度経済停滞時代〟を生きてきた。その挙句の果てが「世帯収入400万円未満が5割」もいて、「子どもを産むのを控えつつ教育費を削る」しかない社会。今や日本はひとり当たりGDPがかつてOECD諸国中2位だったのが、20位前後という貧しさにある。私を含めた古い世代は、その現実を真正面から認めたがらず、あいも変わらぬ「自己責任」に依拠し、いま〝再びの成長〟を期す傾向が強いように思われる。
こうしたところから説き起こし、井手さんは「頼りあえる社会」に向けて「再分配革命」を提起し、「貯蓄ゼロでも不安ゼロの社会」への処方箋を示す。その目指す手立てはズバリ消費税増税であり、財政観の根本的転換である。具体的には「医療、介護、教育、子育て、障がい者福祉といった『サービス』について、所得制限をはずしていき、できるだけ多くの人を受益者にする。同時に、できるだけ幅ひろい人たちが税という痛みを分かち合う財政へと転換する」。つまりは「ベーシックサービス」構想の提唱である。
2冊の井手さんの本を読んで思うところは数多あるが、最も私の心にこたえたのは「いい加減、政官労使が未曾有の危機に向かって協調しあう『連帯共助』のモデルを考えなければいけない時期なのではないでしょうか。この当たり前の方向を示してくれる政党がこの国にはない。揚げ足取りばっかりが目につくようで‥‥」とのくだりだ。自民党政治を外から改革することに限界を感じて、内側からの変革という〝大英断〟に公明党が身を転じて20年余。与党内野党としての必死の戦いが果たしてどこまで所期の目標に到達し得ているか。幾ばくかの成功事例を挙げることに躊躇はしないものの、残念ながら大筋で変えるに至っていない。だからこそ、貧しい日本の現状がある。それって政府自民党のせいだとは言いたくない。公明党こそ彼の目に叶う政党だと言わせたい。
本の最末尾を、迫り来る「運の良し悪しだけで、多くの不自由を背負い込み、さまざまな可能性が閉ざされてしまう『選択不能社会』」を終わらせるために、「高らかに自由と共存の旗を掲げながら」「新たな文明社会を切り開く」べく、「可能性への闘争をはじめよう。今すぐに」と高揚感漲る表現で結んでいる。一個人としては「社会革命」よりも「人間革命」を優先させる、との自覚のもとに、この60年近く走り続けてきた。その結果が「選択不能社会」とは、無念でならない。今、井手さんの主張に共感と違和感とが混じり合った複雑な思いが沸き起こってきている。
【他生のご縁 『77年の興亡』のリベラルさに驚かれる】
この論考を書いたあと、井手さんとメールでやりとりが始まりました。公明新聞で井手さんを担当するN記者の誘いによって、先の拙著『77年の興亡』にも目を通していただきました。私の説いた外交・安全保障分野における中道主義の展開に興味を抱いていただいたというのです。
私の論調のリベラルぶりに驚いた、とも。とても嬉しいことです。彼の政治、政党に対する既成概念を公明党が撃ち破るであろうことに、私は大いに期待しています。
Filed under 未分類
(330)二つの偶然に後押しされて音楽の深みにー恩田陸『蜜蜂と遠雷』を読む
久方ぶりに手応えを感じる小説ー恩田陸『蜜蜂と遠雷』ーを読んだ。その出会いはいささか奇妙なものだった。この本がいかなる賞をとったものか、どんなに話題を呼んだかも、いや著者の性別さえ知らずに、偶々二つの偶然が読む気にさせたのである。一つは、引越しのドタバタの中で、日頃本を読む習慣をあまり持たない妻が、購入したままにしていたこの本をひょんなことから発見したことだった。もう一つは、この本とほぼ舞台や背景などを重ねもった、浜松での国際ピアノコンクールを放映するテレビ番組を観たことである。妻が本を買っていず、テレビもその番組を見る機会を逃していたら、間違いなく読まずにいたに違いない▼この本は、ピアノ・コンテストの第一次予選から本選までの4つのシチュエーションを、4人のコンテスタントを中心に克明に追ったものだ。音楽を文章で表現することの難しさは改めて言うまでもないが、著者は見事にやってのけており(ど素人の私の目にはそう映る)、この世界に無縁なものをしてグッと近づける貴重な価値を持つ。個性豊かな登場人物の描き方が最後まで(最終盤はいささか蛇尾の感がするが)、読むものを惹きつけてやまない。更に、この本に登場する様々な音楽家やその作品の手引書の役を果たしていて、それらの曲を一つ残らずCDででも聴きたくなってしまうのだから不思議だ▼前者の偶然は、衝撃的だった。3歳の時からピアノを弾くことを義務付けられ、その後ずっとその環境にいながら、ほぼ私との出会いを契機にピアノから遠ざかってしまった妻。その彼女が例え束の間でも読もう(買っては見たが呼んだ形跡はない)との気になった(でなければ買わないはず)のだから驚いた。後者の方は、実際に浜松国際ピアノコンクールを密着取材し、中村紘子に師事した青年をしっかりと描いていて観るものを惹きつけて止まず、この本をも読む気にさせた。勿論、小説と現実のピアノコンクールとの違いはあるが、どちらが欠けてもその本質の理解に肉薄は難しかったと思われる▼この二つの偶然の産物に後押しされて読むことになった私は、つくづくと音楽の世界の深遠さと、ピアノ弾きの運命の過酷さを改めて知るに至った。 私との出会いから妻を結果的にピアノから遠ざけてしまったことに、少なからぬ罪悪感を持ってきたのだが、この本を読み終えて、その必要はないと確信した。つまり、なまじっかな意思ではピアノ弾きの人生は到底全うできないことが再確認できるからだ。尤も、ピアノへの憧れとプロを目指した彼女の思いを、無残にもへし折った我がデリカシーのなさをも気づかせて余りあるのだが。幼き日の夢の再確認をしようと買ったものの読まぬうちに、亭主に横取りされてしまった妻は、間違いなく二度とこの本を開くことはないに違いないと思われる。一緒になってやがて50年。苦手な「音楽」は未だに遠い。(2019-12-3)
Filed under 未分類
(329)息による養生の指南ー五木寛之、帯津良一、玄侑宗久を読む
人生7度目の引越しをしてしまって、ほぼ一ヶ月。やっと落ち着きかけている。季節は晩秋。とはいうものの日中は未だ未だ暑く、夏を思わせる日もある。新しい居住先の明石市は、色々と〝売り〟に事欠かない小都市だが、私が最も驚き、かつ世に宣揚したいと気に入ったのは「図書館の仕組み」である。質量共に群を抜いている。70歳代半ばの引越しに際して、ほぼ全ての蔵書を生前整理したため、今後は図書館を利用するしかないとは思っていた。だが、かくも便利で充実した図書館が明石市にあるとは。おいおいその中身は明かすとして、まず11月の初旬に、そこから借りて読んだものを紹介したい▼五木寛之『養生のヒント』、帯津良一『養生という生き方』、五木寛之・玄侑宗久『息の発見』の三冊。共通するテーマは、養生。そしてその中核は息の仕方。〝健康おたく〟の異名を欲しいままにしている五木寛之の、朝起きてから眠りにつくまでの生きる作法にはただただ呆れるばかり。彼は80歳代半ばの今日まで、医者、病院には一切通ったことがないとか。ひたすら自己責任のもと身体を慈しみ、鍛えあげる日々を過ごす。五木にこのところ嵌っている我が親友から、既にその奥義を聴いてはいたが、足の指一本一本に名前をつけて、1日の終わりに丁寧に撫で上げその労苦を愛でるとのくだりには実に感動した▼帯津良一は、「ときめきこそ心の養生」とのフレーズに見るように、人とお酒をこよなく愛する、患者にときめきをもたらすお医者さんである。先年国会でのOB議員の会で講演を聴いていらいすっかりファンになった。ここでは、「呼吸法で宇宙を感じ」つつ、「気功の時代を生きる」として、読者に腹式呼吸をすすめる。この人の説く究極の養生は、「日々内なる生命の場のエネルギーを高めていき、死ぬ日に最高にもっていく。そしてあちらの先輩たちが雷でも落ちたかと驚くくらいの猛スピードで死後の世界に突入して行く」というのだ。この「死に方のコツ」はぜひ試してみたい。だが、その前にご本人の体験談を聞きたいものだ▼玄侑宗久と五木との対談はこれまた色々と〝気づき〟を与えてくれた。かたや禅宗の坊さん。もう一方は親鸞を敬う作家。日蓮仏法一筋でここまで生きてきた私には極めて刺激的で挑発的な対談である。若き日に折伏した相手が、日蓮的世界に偏りたくないと発した言葉が突然蘇ってきた。それにしてもこの二人の話の展開は魅力に溢れる。行き着くところは「一日五分、息そのものになる時間をつくろう」ということ。「お経を唱えるのが長寿への一番の呼吸法」との二人の合意を前に、平均寿命を前に早々と散っていった我が先輩や友たちの顔が浮かぶ。私はこの本を読み終えるとともに、読経・唱題の際に、腹式呼吸を意識する日々が始まった。(2019-11-11=敬称略)
Filed under 未分類
(328)「迷残執」との戦いの果てにーやました ひでこ『断捨離』を読む
10年前に出版され話題を集めた本ー私が所帯を持ってから7度目の今回の引っ越しにあたり、まさに「忙中本あり」を地で行くように片付け作業の合間に読んだ。著者によると、「断捨離」の定義とは、以下のようになる。片付けを通じて「見える世界」から「見えない世界」に働きかけていく。そのためにとる行動とは、「断」=入ってくる要らないモノを断つ 、捨=家にはびこるガラクタを捨てる 。その結果、訪れる状態は 離=モノへの執着から離れ、ゆとりのある〝自在〟の空間にいる私、だと。だが、これほど云うは易く行うは難しいことはない。結局は、これまで、いつも「迷残執」に終わってきた。捨てることに迷い、古いものへの執着から逃れられないのである。今回は何とか、と思ったが、部分的に成功したものの、全体的には未だしの感が強い▼一軒家からマンションへというのは今回が初めて。広さは一気に半分くらいになるので、まずは問答無用に荷物を半減させるしかない。これまで、引越しのたびに整理はしてきたものの、段ボール箱に詰めたまま開きもせずに、物置にいれていたものを全部点検するしかなかった。アルバムやら昔から捨てきれないで持ち越してきた荷物がゴッソリと出てきた。全てそのまんま捨てることを決断したが、アルバムだけはそうもいかず、結局大部分はまたも次のところへ運び込むことになってしまった。お皿やグラスなど山のような台所用品の数々は捨てたが、つくづくと、「断捨離」とは、「もったいなさ」と、「懐かしさ」との勝負であると思った。本に書かれているようにはとてもいかない。大袈裟ながら価値観の崩壊さえ実感せざるを得なかった▼最大の難物は、書籍をどうするかという問題だった。議員を辞めるときに、議員会館や地元の事務所、そして議員宿舎に置いていた20年間に溜め込んだ本のほぼ全てを、党の政調スタッフ、秘書メンバー、衆議院の各委員会事務局や調査室のスタッフ、各省庁の担当スタッフたちに持って行って貰った。それでも、家の書斎にはまだ三千冊に迫る蔵書があった。いずれも手放し難い昔馴染みのものばかり。考えた挙句、親しい友人たちや我が姉弟、その子どもたちにアットランダムに選んで送り届けた。さらに、外交安保関連の専門書の類は、参議院議員に初当選した高橋光男氏に、憲法、経済、社会保障関連は伊藤孝江議員の神戸事務所に引き取って貰った。その数、合わせて千冊ほど。それでも千冊近くが残る。これについては自治会の公民館に2対の本立てと共に贈呈することにした。恐る恐る後任の自治会長に申し出たところ、快く受け入れをしていただくことになったのである。私の拙い「忙中本あり」の揮毫と共に、「赤松文庫」(プレート付き)がささやかながら実現したのは嬉しい限りであった▼かくして、手元には、まだ殆ど読んでいない「夏目漱石」、「山崎正和」、「高坂正堯」、「白洲正子」などの全集ものが残った。池田先生の全集のうち、手放せない重要なものと、日蓮大聖人の御書、法華経関係のものとともに、新しい住まいの押入れの中に(本箱はないので)ひっそりと積み込まれることになった。その数300冊ほど。かつて老後になったら読もうと買い込んだ本である。尊敬する先輩が先年膨大な蔵書をそのまんま残されて、鬼籍に入られたが、御夫人が呆然とされていたことを思い起こす。誰しも若き日からの蔵書を整理することには躊躇しがちだが、それだけは私はほぼ今回出来たように思われる。これだけは我ながら褒めてやりたい気がするのだが、いかがなものか。(2019-10-25)
Filed under 未分類