読売新聞の読書欄の冒頭のページはそれなりにためになるものが多い。読者からの要望に応えて担当の識者がそれぞれ適切な本を紹介している。今年の初め頃に、「夫婦揃ってリタイアしたが、二人の間に会話がない。このきずまりを埋めるようなウイットに富んだ会話を指南してくれる本はないか」という問いかけが掲載されていた。作家の佐川光晴さんが、武田泰淳の『目まいのする散歩』を読めばと、勧めていた。「夫婦のやりとりを描いた傑作」だというので、早速買いおいていた。選挙のさ中に新快速電車で姫路・神戸間を往復する間に読んだ。当方も疑似的単身赴任が終わり、一緒に生活することが殆んどとなった今、決して夫婦の間で楽しい会話が展開されているわけではない▼8編の散歩にまつわるお話にことよせた小説風読み物で、野間文芸賞を受賞したという。武田泰淳という作家は、『司馬遷』『ひかりごけ』『森と湖のまつり』などの作品で知られるが、私は今まで殆んど読んでこなかった。この本は「近隣への散歩、ソビエトへの散歩が、いつしかただ単なる散歩でなくなり、時空を超えて読む者の胸中深く入り込み、存在とは何かを問いかける。淡々と身辺を語って、生の本質と意味を明らかにする著者晩年の名作」という触れ込みだ。ウーン。浅い読み方しか出来ぬ私のような者にとっては、あたかも別の本の紹介のように思われ、思わず笑ってしまう▼これが書かれた当時、著者は赤坂に住んでいてしばしば散歩に出かけたところが、明治神宮、武道館、代々木公園。そして荻窪、阿佐ヶ谷界隈あたり。私の宿舎は赤坂二丁目にあったし、青年期に歩き回った杉並区下井草や中野区鷺宮周辺が懐かしく思い出された。武田さんは病後間もないころに夫婦であちこちと散歩した様子を描いているのだが、どうしても気になるのは、夫人(作家の武田百合子さん)の方だ。この人、およそ常軌を逸した呑兵衛(女性だから呑み子というべきか)であったようで、惜しげもなくその酒乱ぶりが描かれている。極めつけは、大学教授の友人のうちで酒を呑んでいて、しばしば意識不明になり、悪行のかぎりを尽くす。たとえば、こうだ。「女房は無意識のまま、吐きつづけ、それから座ぶとんの上に、おしっこをした。『あらあら大へんですこと』と、奥さんがびっくりして、自分の下着をとりだして、女房のぬれたパンツをぬがせ、別のパンツをはかせてくれた」とある▼実名入りの話だ。架空のことだと思いたいが、実は違う。作者本人があれこれと妻の乱行を描いたうえで、「この原稿は、当の彼女が筆記しているくらいだから、プライバシー問題は発生しないと思う」とかっこつきでわざわざ但し書きをしているくらいだから。全編こういう調子で面白いことは請け合い。ただ、妙なところもある。「鬼姫の散歩」なる6章の終わりころに、突然ながら公明党がらみの話が出てくるのだ。「公明党が天下を取ったら、威張りだすんじゃあないかなあ。創価学会のスポーツ大会なんかみると、おっかなくなるなあ。公明党の代議士は、みんな同じような、つやつやした顔つきで、同じようなべったりした髪型、同じようなしゃべり方をするのは気にくわない」と、全く旧態依然とした公明党評価だ。こんな御仁に褒められたら却って恥ずかしいのだが、よくぞ平気でこんな認識を書いて残すものよ、とこの武田夫婦には哀れを催すばかりである。(2015・4・5)
つまらない本を売りつける出版社の戦略を見抜け(89)
これまで直木賞受賞作だ、芥川受賞作品だからといってとくに買い求めたりしたことはない。むしろそれ相当の時期が経って、一定の評価が定まって、自分自身も気に入ってから、過去に遡って受賞作を読むというほうが多い。そのほうが当たりはずれがないような気がする。にもかかわらず今回はなぜかいきなり初めて読んでしまった。西加奈子『サラバ!』上下。第152回の直木賞受賞作品だ。この人の作家生活十周年記念作品だという。なかなかの人気のようだから、ついこれまでの不文律とでもいうべきものを破ったのである。結果は?悲惨であった。およそ酷いとしか言いようがない▼下巻の最終章にくるまで退屈至極で、およそこの本のどこがよくて直木賞なのかとの思いは終始離れなかった。あまりこういうことを書くと出版社の営業妨害になると言われそうだから書きたくないが、何一つとっても推奨できない。私がこれまで読んだもののなかで最悪のものの一つだ。御本人がラジオやテレビに登場してインタビューを受けたり、著者として自作を語っていたが、なるほどと思われた。最初からどういう人間が書いたものかを知ってから読むべきだと反省したしだい。文章といい、構想力といい、何一つ心を打つものはなかった。「あなたが信じるものを、誰かに決めさせてはいけないわ」という最終章のタイトルに著者の言いたいことが含まれているのだろうが、これもいたって平凡。ああ、もうやめよう▼少し前に読んだ岸本葉子『生と死をめぐる断想』も小説とエッセイの違いはあれ、心を打たないというところで同じ水準のものといえよう。これも新聞の書評で礼賛してあったのでつい買って読んでしまった。「人はどこから来てどこへ行くのか?」という帯にあるキャッチコピーや「治療や瞑想の経験、仏教・神道・心理学を狩猟し時間と存在について辿りついた境地とは?」という売り込みの言葉に惹かれた。がん体験から十余年云々というからにはそれ相当の悟りを得た境地の披瀝を期待した。するほうが無理だった。最後に著者自身があとがきに書いている。「知性がなし得る限度は霊性の姿を微かに映し得るということです」ーこれは鈴木大拙の『仏教の大意』の一文だそうだが、それが著者のしてきたことを言い当てているという。要するに「生と死」についてあれこれ考えたことを大仰に取り上げたに過ぎない。まんまと出版社の戦略に乗せられてしまった▼川口マーン恵美『住んでみたヨーロッパ
9勝1敗で日本の勝ち』これもタイトルに惹かれて読んだ。ヨーロッパには幾たびか訪れたものの住んだことはない人間にとって憧れを抱く向きは少なくない。それが圧倒的な差で日本の方が勝ってると言われると「え、どこが」って思うもので、つい関心を引く。読み終えて結局は「他人の家の庭はよく見える」の類で、著者はすでにヨーロッパ人になりきっていて、日本の庭がよく見えるということなのだろう。私の知人でドイツに長く住んでいる女性が言っていたというこの本への感想が思い起こされる。曰く「そんなにヨーロッパがお嫌なら、さっさと日本に帰ったらいいのに」と。そうかもしれない。このように書いてきてつくづく思うことは、何々賞を獲ったとか、あるいは深遠な思考の遺産をいただこうとか、奇抜なタイトルに惹かれたりして本は読むものではないということだ。ここでは3人の著者の作品を挙げたが、いずれも女性のものということに特に意味はない。安易な読書をするゆとりなどないということを改めて痛感した。(2015・3・27)
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画竜点睛を欠く外国人ジャーナリストの卓越した日本論(88)
デイヴィッド・ピリング『日本ー喪失と再起の物語』上下二巻(仲達志訳)ーこの本の特徴は何といっても沢山の人に直接インタビューして取材している(御本人によると、トルストイの小説の登場人物並みに膨大な数に上るという)ことに尽きよう。様々な人びとの生の声を生かしながら、具体的事実としての東北大震災と大津波、福島第一原子力発電所事故で壊滅的打撃を被った日本が、喪失の憂き目から再起へと立ち向かう様子を描いている。外国人により外国人向けに説かれた「日本論」としてこれ以上のものはない、というぐらい一般に絶賛されているが、概ね私もそれを認めたい。これまでの『日本論」といえば、ルース・ヴェネディクト『菊と刀』から始まって、ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』に至るまでいくつかあるが、この書もそれら先行するものと比べて遜色ない価値を持っているとされるのに異論はない▼ただ、いささか難癖をつけるとすれば、船橋洋一氏を始めとする自分の友人に甘く、保守主義者の藤原正彦氏や東條英機元首相の孫娘・東條由布子さんらには厳しい眼差しが目立つように思われる(上巻の114頁、下巻の129頁から136頁)。勿論、そういう凸凹があっても一向に構わないのだが、いわゆるリベラルなものの見方が過ぎる物差しを持った著者だということは記憶に残しておいていい。それに加えて現代日本を描くにあたって、与党・公明党や宗教界の王者・創価学会を代表する人物を取り上げていないことはおろか、インタビューを試みてさえいないというのは、適正さを欠くというものだろう。幅広いそして奥深い日本論を書くなら、ダワーやヴェネディクトが試みなかった点に目を向けてみるべきだと思うのだ▼特に惜しまれるのは、下巻の冒頭に「日本人が絶滅に瀕しているという指摘を最初に行ったのは、実は誰あろう、日本の厚生労働大臣であった。二〇〇二年、当時の坂口力厚労相が『このまま少子化が続けば、日本民族は滅亡する』とやや大げさとも取れる表現で懸念を表明したのである」とのくだりを書いておきながら、当の坂口氏にインタビューをしていないのである。しかも、「あとがき」にこうあるから、なおさらだ。「二つの『失われた10年』を経て、今も数多くの問題を抱えているにもかかわらず、日本の『死亡宣告』は明らかな誤診であった」と締めくくっているのだ。だから「誤診」の主である坂口氏に弁明を求めても面白かったと思うのである▼いやはや我ながら妙な筆の進め方になってしまった。現代日本で私が尊敬する二人の男女がこの本の帯で讃えているというのに。一つは「幕末から東日本大震災まで、喪失と再起の歴史を分析する稀有な日本史」という緒方貞子さんの言葉。もう一つは「著者が本書で示した知識と良識は、私がこれまで読んだどんな本よりも、日本が経験してきた変化を理解するのを助けてくれた」というドナルド・キーンさんの指摘。オーソドックスな褒め方が出来ない私だということを割り引いて、皆さんは素直に読んでください。ともあれ話題のトマ・ピケティの『21世紀の資本』よりも面白いことは確かだ。(2015・3・20)
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新たな戦争の時代を解く手がかり(87)
『新・戦争論』の後半は日本周辺の課題を追う。第5章(朝鮮問題)➀日本が大陸と戦ったのは、いつも中朝連合軍。歴史上、一度も朝鮮半島の単独政権と戦ったことはない。→過去2000年の間に日中間での闘いは白村江、元寇、秀吉の朝鮮進攻,日清戦争、日中戦争の5回。その都度、朝鮮半島は戦場と化し、背後に必ず中国がいた。半島国家韓国と北朝鮮はこれからも中国の息遣いに配慮せざるを得ない。➁歴史になぞらえると、南北朝鮮は三国時代の新羅と高句麗の対立と見ることもできる。あるいは北朝鮮が渤海だと考えた方がいいかもしれない。今、北朝鮮の渤海化と韓国の新羅化が起こっている。同じ朝鮮半島の国といっても韓国と北朝鮮はもともと違う。中国は高句麗を「朝鮮民族の国」ではなく、「中国の地方政権」と位置付けている→うーん。朝鮮半島の分断化をこういうまなざしで見ることや、国境感覚なき時代・空間認識は、中国を利するだけのものだと思うのだが、果たしてどうだろうか▼第6章(中国から尖閣を守る方法)➀中国が「台湾は中国の一部」だと言い続けていることを逆用して、台湾政府と那覇の政府というローカル政府のレベルで話し合う枠組みを作ってしまえば、軟着陸できる。→理屈としてはいい線いってると思うが、果たしてそんなことが通じるかどうか。那覇と東京の現在の関係からすると、日本と沖縄の信頼関係がおぼつかないように思える➁中国は今航空母艦を作っていますが、これを我々は怖がるどころか大歓迎しないといけない。完成する頃には無人飛行機が発達して,第七世代の戦闘機ができるはずですから、航空母艦というのは単に大きいだけの格好の標的にしかならない。→これまた相当先のことと思えるし、普通の人間としては大鑑巨砲主義的感性から抜けきれない。➂ウイグルで起きる(北京政府への)反発は「イスラム主義」的な行動様式になり、どんどん過激になってきている。中国にとって東は経済発展のために必要で、紛争を起こす必要はない。国家安定のために必要なのは、西での安定なのです。→だから、尖閣は安心していいといわれても、にわかにそうはいかない。評論家特有の戯言のように思える▼第7章(分裂するアメリカ)アメリカで生まれ育った黒人が,差別される生活の中で、本当に平等なのはイスラム教なんだと考えて、ムスリムに改宗する動きが起きています。ニューヨークやワシントンでも、街角で突然、メッカの方角に向かってお祈りを始める人がいますから。→ぜひ写真か映像で現場を見てみたい▼第8章(情報5カ条)何かを分析するときは、信用できそうだと思う人の書いたものを読んで、基本的にその上に乗っかること。そのうえで、「これは違う」と思ったら、乗っかる先を変える。→現実的には、そうはうまくいかないのではないか。あれもこれもと目移りがして、結局は落馬してしまうのがオチだろうと、自戒の念をこめつつ▼終章(なぜ戦争論は必要か)20世紀はソ連が崩壊した1991年に終わったのではなく、いまだ続いている。ウクライナ問題はまだ殺したりないから解決しない。「これ以上犠牲が出るのは嫌だ」とお互いが思うところまで行くしかない。→この調子では20世紀は永遠に終わりそうにないのではないかと思わざるを得ない。(この項終わり 2015・3・14)
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中東での事態をよそ事と見る危険(86)
池上彰と佐藤優ー世事万般の動きを解説させて他の追従を許さない二人の男。この二人が対談したとあらば読まぬわけにはいかぬと思いながら、いささか出遅れた感は否めない。昨年11月発刊の『新・戦争論』をこのほどようやく読み終えた。ここでは従来とは趣向を変えて、二人の発言のうち、私が注目したものを拾い出して、それへの感想を記したい▼第一章(地球は危険)欧米で大ベストセラーのダン・ブラウンの『インフェルノ』は人口は感染症によって調整するしかないということを是認している。感染症問題に欧米が積極的でないのは、人口増への白人の恐怖。「経済力を持たないと国家はなめられる」→欧米優位できたこれまでの世界史を逆転させたくないとの思いは陰に陽に見え隠れする。戦後70年の日本は沈む欧米に追従するか、浮揚するアジアに身を寄せるか、真価が問われよう▼第二章(民族と宗教)➀「中国はプレモダンの国が、近代的な民族形成を迂回してポストモダンに辿り着けるのか、という巨大な実験をやっている」→中国はすでにプレ段階からモダンに突入している。実験を成功させ、ポストモダンに辿りつかせねば、隣国日本としてはナショナリズムのぶつかり合いを免れない。➁イスラエルのネタニヤフ首相の官房長の発言から。「国際情勢の変化を見るときは、金持ちの動きを見るんだ」「冷戦後、20年も経って,政府が情報とマネーを統制できなくなっており、国家が空洞化している」「戦利品を獲れるという発想を持つ国は、本気で戦争をやろうとする。すると、短期的には、戦争をやる覚悟をもっている国のほうが、実力以上の分配を得る→極東の孤島・日本からはなかなか伺え知れない中東の孤国イスラエルらしい見方だ▼第三章(欧州の闇)➀「1980年代末、モスクワで雑誌を見て驚いたのは、肉屋で人間の肉を吊るして売っている写真が出ていた。食糧危機で人肉を販売せざるを得なくなったのはウクライナだけ」「ドイツのミュンヘンでビールと豚肉を食べていると、その店で働いているウエイトレスはチェコ人かハンガリー人。その豚肉はハンガリーから来る。そのハンガリーの豚小屋で働いているのがウクライナ人。そのエサはウクライナから来ている」「ウクライナは汚い労働、低賃金労働の供給源として必要」→日本での風景もこれと大差ない。東京で飲んでいると、中国人やミャンマー人などアジアの人びとがウエイトレスに多い。そこで出てくる食べ物も……と考えると似たり寄ったりではある。アジアの闇とどちらがより暗いか。➁「ヨーロッパというのは、誤解を招く表現かもしれないが、基本的に戦争が好きな国々です。(中略)再びヨーロッパが火薬庫になる可能性もゼロではありません。ユーゴスラビアにしてもウクライナにしても」→問題はその火薬庫の爆発が地域限定に留まるのか、世界に飛び火するのかということであろう。ここでもアジアの孤島にすむエゴが鎌首をもたげてくる▼第四章(イスラム国と中東)➀「現代の中東は、近代主義者からすれば、中世世界のように見えるかもしれません。イエメンなどは完全に中世で、三十年戦争当時のドイツみたいに、戦国時代がそのまま続いています」→そう、中世とポストモダンの現代がぶつかろうとしているのがテロ戦争の時代だ。先日映画『アメリカンスナイパー』を観て、暗くて重いアメリカの闇を実感した。アメリカよヴェトナム戦争で懲りたのではなかったのか、と。➁「ヨルダンは国王暗殺があったら崩壊します。後継者がきちんと育っていないから。(中略)もし、今テロで国王が殺されたらこの国は本当にカオスになります。実は『イスラム国が狙っているのはそれだ』」→中東で起こっていることをどうしても身近に感じられない日本人。イスラム国が投げかけている問題は第三次世界大戦に繋がりかねないと思われるのだが……▼このように対談の中で私が取り上げたものを挙げてみて気づくのはすべて佐藤優氏の発言ばかり。池上氏は聞き役に回っているという印象が強い。しかも佐藤氏のここでの発言はいささか過激なものが多いと思われるのだが、これは読むほうがのんびりしているからだろうか。以下続く(2015・3・13)
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自分にしかできないことをどう探すか(85)
「あんたは目が見えんのやから、どうせ将来ろくな就職先ないんやから、高い金使って大学行っていったい何になる。(中略)世の中お前が思ってる以上に障害者って邪魔なんや」「お前さえおらんかったら」ー実の娘に向かって母親が投げかけた言葉だ。一回限りではない。毎日のように繰り返される母親からの嫌味と存在否定に追い込まれながらも必死に耐えた。一歳三か月の頃、網膜芽細胞腫という眼球に出来る癌によって両目を摘出せざるをえなかった石田由香里さんー彼女が盲学校を経て大学生になり、フィリピンに行くなどするなかで様々な可能性を広げていく話を、大学での教師西村幹子さんと共に著した『<できること>の見つけ方』で読んだ。「全盲女子大生が手に入れた大切なもの」とのサブタイトルがついた岩波ジュニア新書である。現役時代にお世話になった国会職員の女性から、「2・14」にチョコレートと共に贈られてきたのだ。引退直後に<できること>は何かと思い悩んだ時期があっただけに好奇心に駆られた▼それにしても酷いことをいう母親ではないか。冒頭に挙げた言葉の救いはでてこないかと、気にし続けたが、ついに母親からの詫びの披瀝は最後までなかった。その意味では未完の物語との思いは消えない。”親はなくとも子は育つ”という。親から酷い仕打ちをうけようとも、周りの他人の心配りでいくらでもひとは可能性を伸ばすことができる好例かもしれない。身体に障がいを持ってこの世に誕生しても、親の愛で見事にそのハンディを乗り越えたというケースは、乙武洋匡(おとたけひろただ)さんを待つまでもなく数多い。身体に障がいを持つ人たちを激励する機会がこれまで少なくなかった私だが、この本には大いに学ぶことが多かった▼実はついこの間、高校時代の後輩からある会合に誘われた。それは、やはり全盲の身でしかも79歳という高齢で博士号を取得された森田昭二さんという方のセミナーだった。あいにくと先約があり参加することは叶わなかったが、あとで彼から届いたレジュメを目にして、世の中には本当にすごい人がいるものだとの驚きを持つに至った。この私の後輩も障がいこそ持たないものの、中小企業の社長を経て60歳を超えてから関西学院大の大学院で学び博士号を目指している人物だ。その彼が森田さんはある種の霊的な導きに基づいて目的を果たすことができたことに感銘を新たにしていたことが印象に残る。あらためて五体満足の身でありながら、あれもこれも叶わせられることの出来ないわが身の不甲斐なさに思い至る▼両目がまったく見えない石田さんが「周囲から助けてもらう代わりに、周囲に対して何ができるか」っていうことを探すところに「共生」という言葉の真意があるというのは重く響く。衆議院議員を20年にわたって務めた私は、世の人々のためにお世話もしたが、同時に大いに助けてもらった。これからは、周囲に対し,世の中に対して、恩返しをする生き方が問われると思っている。その意味では現役を退いてからの時間が多いことに心底から感謝している。(2015・3・6)
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(84)狂気か自殺か宗教かの三択を前に━━ドナルド・キーン『日本文学史』
若い日の記憶にある言葉に、「人生を徹底して真剣に生きようとすると、気が狂うか、自殺することになりかねない。それをさけたければ、宗教をするしかない」というものがある。狂気、自殺、宗教の三択とは、いかにも極端すぎる。特定の宗教を人に勧める側からの陰謀ではないか、との疑念を持つ向きもあるかもしれない。まあ、それの詮索はさておき、日本の小説家の群像を歴史的にたどる作業は、悪戦苦闘しながら真剣に生き抜いた人々に出会うことに繋がり、感慨深い。このところ読み続けているドナルド・キーン『日本文学史』(徳岡孝夫、角地幸夫他訳)。その近代・現代編(全9巻)のうち、今月は一気に3巻から6巻へと進むなかで、そうしたことを痛切に印象付けられた。キーン氏といえば、いつぞやの朝日新聞の新年3日付けだったかに詩人の金子兜太さんとの対談が掲載されていた。90歳を優に超えるお二人の語らいは、人生の風雪を感じ読みごたえがあった。「この歳になって時代を脱却したね」との発言は、実に意味深長だと思えたものである▼この『日本文学史』は、一人ひとりの作家の人生を作品を通じて露にしていく試みで、まことに味わい深い。すでに知っていたことも少なくないが、未知のエピソードもふんだんに発見でき新しい感動の連続だった。全ての作品を自分で読み明かすことがとてもかなわないとなれば、キーン氏の道案内で全貌をともかく手中にできることは得難い経験だと思われる。ニューヨークで生まれたのち、31歳の年に京大大学院に留学していらいおよそ60年。その日本蓄積は深く貴重なものである。ご本人は先の対談で「日本文学の素晴らしい時代は、平安朝、元禄期、そして戦後期の三つ」と語っている▼その戦後期を代表する作家の一人は三島由紀夫だろう。いかに生き、どういう風に死ぬかという課題を突きつけてきたひととして忘れがたい。昭和45年11月25日の市ヶ谷での自衛隊員を前にしての演説や総監室での割腹自殺。あの当時は私自身の人生の曙期だっただけに、より印象が濃い。この本の訳者の一人である徳岡孝夫氏は三島との親交も厚く、自決直前に檄文を渡された人だ。その彼が、先日NHK総合テレビ番組「日本人は何をめざしてきたか」で、インドへの旅から帰ってからの三島が全然変わってしまったと述べていた。「輪廻を悟った」というのだが、どう悟ったのか。彼の最後の作品『豊饒の海』四部作に明らかにされているのだろうが、私には未だに判然とおちないところがある▼キーン氏は「三島が小説家として学んだことのすべてを『豊饒の海』に投入した」と書き、「完成後はもはや何物も残っていないから死ぬほかない」と友人たちに語っていたことを明きらかにしている。「三島由紀夫45歳での死」を私自身が見聞したのは25歳の誕生日の前日だった。「事実は小説より奇なり」に驚き、感じ入ったものだ。ひよわな文弱の徒がのちにボディビルで体を鍛え上げ、美しい印象をひとに与えたままにしておきたいとの三島の思いに、分かったような分からないような気分を抱いた。それから45年後の今がある。「長く生きれば生きるほど人間は醜くなる」という自説を、彼はだれよりも自分に対して、きびしく適用した」という著者の言葉に同意する思いと反発する思いが交錯する▼三島由紀夫の他にも川端康成、太宰治、芥川龍之介らが自死の道を選んでいる。彼らがどう生き、なぜ自殺を選んだのかはキーン文学史を通じてある程度分かる。夏目漱石、森鴎外両巨人の正反対ともいえる生き方、谷崎潤一郎、永井荷風両耽美派の似て非なる姿などについても時を忘れて読みふけることができる。それにしても冒頭にあげた三択のうち宗教を早くして選んだものにとって、名だたる小説家のなかに宗教と格闘したひとがあまりいないように思われるのは残念である。
【他生のご縁 塩川正十郎氏からの誘い】
ドナルド・キーンさんの本との出会いは、『明治天皇』が最初です。政治家の大先輩で、〝塩爺〟こと塩川正十郎さんに勧められました。新学而会という政治家と外交専門家の勉強会の席上でのこと。塩川さんはこの本について、いかに自分が刺激を受けたかを力説されました。希望者には送りますから、と言われました。しばらく経って、上下2巻の高価な本が届きました。とても感激しました。
福澤諭吉先生の『学問のすすめ』の読書会を国会内で主催していただき、有志とともに勉強したことを覚えています。私が毎日新聞の『発言席』欄に、医療制度改革についての論考を書いたものが掲載された日に、真っ先に読みましたよ、いい内容でしたとの葉書をいただきましたが、これにも感激しました。
尊敬する塩川先輩に勧められた本をきっかけに、キーンさんの『日本文学史』にはまりました。のちにご本人と、新幹線車中で偶然隣り合わせに。束の間、塩川さんとのことを始めあれこれと語ったものです。
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エネルギーの未来をめぐる常識的で平凡な結論(83)
近頃これほど痛快な思いを持って読み進められた本は少ない。石井彰『木炭・石炭・シェールガス』である。「文明史が語るエネルギーの未来」との副題がついている新書だ。著者は読み始めのところで、世の通説(再生可能エネルギーが将来は原発に代わり得るという考え)に惑わされている人々の哀れさを露骨なまでに明らかにし、後半読み収めのあたりでは、多くの人が信じて疑わない世の通説(CO2の排出が地球温暖化の主因との考え)の間違いが明らかになるかもしれないことを予見してみせる。その両方について私は、自身のかつての国会での発言が関係しており、大いに興味をそそられた。しかも、前者では私は多数側に属し、後者では少数派にあることがなおさら興味深い。ことがエネルギーに関するものだけにどなたも関心を持たざるを得ないはず。皆で論争する契機にすると面白いのではないか▼まず、最初の通説は、煎じ詰めれば、「再生可能エネルギー優位」論だ。「3・11東日本大震災・原発事故」によって、”さよなら原発・こんにちは新エネルギー”のような論調があらゆる場面で取りざたされているのはブラックユーモアだと石井さんはいう。森林という新しくない再生可能エネルギーの過度な利用が大規模な環境破壊をもたらしたことを欧州の歴史や日本の過去に遡って明らかにしている。確かに産業革命の名のもとイギリスやドイツ、フランスでは森林が荒れ果てた。日本でも江戸時代の最終盤・幕末には国土の四分の一近くが完全な裸地になっていた。手つかずは奥山で里山は丸裸だったのだ▼だから、環境破壊をせいぜいもたらさないために安全に十分気をつけることを前提に原発に手を染めたのではなかったのか、と。それをあたかも新しい発見であるかのように再生可能エネルギーを取り扱うのはお笑いだという指摘は確かに笑えそうで笑えない。野田民主党政権末期に衆議院予算委員会で「新エネルギー開発に取り組め」と”大論陣”を張った私としてはいささか反省するところ無きにしもあらずだ。あの時に私は太陽光発電を進めることが事態の抜本的転換になるかのごとくに発言した。化石燃料に比べてエネルギー効率が非常に低く、生態系に悪い影響を与えることを改めて指摘されると、当時ある程度分かっていながら触れずに隠していたことが、覆っていたベールを引きはがすかのように白日の下にさらされたような気がする▼もう一つの通説は、CO2が温暖化の元凶だというもの。実はこれに対する異論はかねてよりあった。とくに、チェルノブイリやスリーマイル事故で劣勢に立たされた原発業界が、巻き返しのために気象学者が唱えだしたCO2 排出による地球温暖化という議論に飛びついたというものが大きい。もちろん、こうした”政治的陰謀説”ではなく、果たして地球は温暖化しているのかという根本的な疑問も提起された。実は私は衆議院環境委員会での質問の際に、一部気象学者の間では、むしろ寒冷化しているとの説もあることをとりあげ、一方に偏らない議論の必要性を喚起したものだ▼石井さんは、スペンスマルクというデンマークの宇宙物理学者が「太陽の磁気活動周期=太陽系外からの宇宙線量変動が低層の雲量に影響し、それが地球気候の変動を生じさせる」との説を唱えていることを紹介し、「極めて説得力に富む新学説である」と持ち上げている。これには大いに我が意を得たりとの気がする。かつて党内の環境部会でこれに近い議論を持ち出しても、多数派に与する人たちから一笑に付された。もう一度議論を蒸し返してみたい思いもしないではない。しかし、著者はこうした議論を持ちだすことによってやみくもに通説を否定しているのではない。むしろ、過去の歴史を見据えたうえで、極端に走ることをいさめているのだ。要するに、「より効率的で生態系負荷の低い再生可能エネルギーの研究開発」を進める一方、「より安全で廃棄物の少ない原子力技術の研究開発も鋭意続け」ることが懸命だと言っているのだ。極めてこれは常識的だろう。また、温暖化の原因をめぐる論争をめぐっても「不確定要素が非常に大きい」として軍配をどちらかにあげることには慎重である。ここでも常識を発揮しており、結論はいたって平凡なのだ。平凡ではいけないのですか、との著者の声が聞こえてきそうだ。凡人は常に非凡を求めるものかも知れない。(2015・2・26)
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男から女へ、年功序列から若者登用へ 藻谷浩介『デフレの正体』(82)
先週取り上げた『地方消滅』での増田寛也さんの問題提起を受けて、私たちが考えねばならない政策に関する本をたて続けに読んだので、順次紹介したい。まずはあの本のなかでも対談相手として登場していた藻谷浩介さんの『デフレの正体』。藻谷さんとは五年ほど前にお会いした。この本が出版された頃だ。公明党の政務調査会に講演者として来てもらった。いらい注目している人だが、益々その論調の鋭さとわかりやすさに磨きがかかっている(最も面白かったのは『里山資本主義』でこれはすでに紹介済み)。日本経済の最大の癌ともいえる、生産年齢人口減少問題にどう立ち向かうかについて、①生産性を上げて、経済成長率を向上させよ②景気対策としての公共工事の増加を図れ③インフレ誘導すべき④エコ対応の技術開発でモノづくりのトップランナーとしての地位を守れーなどという主張が巷に満ち溢れているが、これには実効性が欠けるというのが彼の基本的立場だ。確かにこうした主張は俗耳に入りやすい▼しかし、藻谷氏はそうした主張を退けて、少し角度が違った観点から目指すべき目標を設定する。それは①生産年齢人口の減るペースを少しでも弱める②生産年齢人口に該当する世代の個人所得の総額を維持し増やす③個人消費の総額を維持し増やすの三つだ。いずれもそう難しいことではなく、文字通り生産年齢人口減に真正面から対処するために必要な手立てだと思われる。そしてそれを実現するために、誰が何をすればいいのかを具体的に三つ挙げた。一つは、高齢富裕層から若い世代への所得移転の促進。第二が女性就労の促進と女性経営者の増加。第三に、訪日外国人観光客・定期定住客の増加。これらは単的にいえば、若者、女性、外国人対策。この三ついずれもある意味で分かっているけど手がつけられてこなかったものばかりだ▼彼は、若い世代の所得を頭数の減少に応じて上げる「所得一・四倍増政策」や団塊世代の退職で浮く人件費を若者の給料に回そうなどといった具体的提案を並べる。さらに、若者の所得増加推進は、「エコ」への配慮と同じだとか、生前贈与促進で高齢富裕層から若い世代への所得移転を実現しようなどとの一味違う提案もなされる。女性についての問題点は、「女性を経営側に入れて女性市場を開拓する」という可能性をほとんどの企業が追求していないことに尽きるという。確かにそうだ。それより、もっと基本的なところで女性への偏見が消えていない。それは「女が今以上に働くとさらに子どもの数が減るのではないか」との思い込みだ。藻谷さんは、それを「若い女性の就労率が高い県ほど出生率も高い」として否定する。外国人対策については、公的支出の費用対効果が極めて高い外国人観光客の誘致を推奨している。これは現在瀬戸内海に外国人観光客を誘致しようとの取り組みを仕事として進めようとしている私としては大いに賛同したい。こう見てくると、藻谷さんの主張は「男中心の年功序列の日本人社会」が根本的に見直しを迫られているというものだとわかる。この5年の間にかなりこうした提案は取り入れられては来ているが、さらなる徹底が望まれよう▼この本のサブタイトルは、経済は「人口の波」で動くというもの。『地方消滅』での対談で、増田氏が「海外では人口問題に対する危機意識が高いですよね。政治家を含め、人口論をきちんと勉強している」と述べると、藻谷氏は「マクロ経済学は基本的に率ではなく絶対数だというのが、日本を除く世界の常識です」と応じている。さらに、地方人口の減少について、「今よりはるかに縮小はするけど、ゼロにはしない」との地方人口の「防衛・反転線」の構築を求めているのはきわめて現実的な提案といえよう。具体的に自分の住む町をどう住みよい町にするかを一人ひとりが考えていくことが大事だ。この四月に行われる地方統一選挙をきっかけにわが町をどうしたいのか、候補者の主張にしっかり耳を傾けるとともに、自分たちも考えていきたい。(2015・2・21)
【藻谷浩介氏のものは、『世界まちかど政治学』が面白かったです。副題に「世界90ヵ国弾丸旅行記」とあるように、一泊しただけの国でも、弾丸のように素早く動いて、行った先の現場で考えた行動記録です。綾なす歴史と入り乱れる地理を背景に、あたかも名料理人が素早く作ってくれた手料理のように、美味しく味わえたことに感動しました。
中でもドイツの北方領土と呼ばれるカリーニングラードについての記述には唸りました。旧ソ連が第二次大戦でドイツから戦利品として奪い取ったバルト海の港町ですが、かつてはプロイセン王国建国の地・ケーネスヒブルグ。今はロシアの飛び地として、EUに囲まれて孤立しています。カントゆかりの地としても知られていますが、実に興味深く読めました。国会の勉強会でお会いしていらい、注目している人です。(2022-5-20)】
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(81)悲観論だけに終わらせるな━━増田寛也『地方消滅』を読む/2015-2-5
●「最も正確な未来予測」
日本の896の市町村が消えてしまう──東京一極集中が招く人口急減で、地方が消滅するという衝撃的な中身が話題を集めて10年近くが経つ。改めて、増田寛也『地方消滅』を読んだ。この人は東大を出て、建設省に勤めること20年足らず、40歳を過ぎて岩手県知事を三期12年。そして総務大臣に。それを終えて、今は日本創成会議座長につき、このレポートをまとめた。私は、2001年に衆議院国土交通委員長を勤めた後、総務委員長も一年間だけだがこなした。旧建設省、運輸省、自治省、郵政省などの幹部をそれなりに知っており、増田氏の悪い評判は聞かないが、取り立てていい話も聞いたことはない。要するに真面目で仕事熱心なひとだったが、存在感はあまりなかったものと思われる。しかし、この本の出版でまったく様相は一変。日本の未来に大きく注文をつける存在へと変身されたといえよう。
地方を消滅させないために必死になって戦ってるものにとって、何をわざわざおおげさに悲観的なことを提示しているのか。その思いは今もなお消えない。しかし、彼は「大げさではないか」との批判に対して、「今回の人口予測は日本で出ているあらゆる将来予測の中で最も正確なもの」と胸を張る一方、「何もしなければより厳しい結果になることを心配すべき」だと迫る。今まで自分の街では人口が減りそうだと薄々気づいていたのが、リストを見て「遠く離れた自治体でも同じことが起きているとリアルに認識できるはず。自治体レベルで人口問題を考える、共通のベースができた」と意に介さない。リストに消滅の可能性が高いとして斜線をかけられている町が兵庫県には新温泉町、上郡町、神河町、市川町の4つ。うち私の旧選挙区の西播磨からは3つも入っている。人口のカギを握る若年女性の数が2040年にはそれぞれ三分の一くらいに減り、文字通り数えるくらいになってしまうというのだ。
●まずは現状認識をしっかり
こうしたデータを前に、当事者の意見をかつて訊いたことがある。市川町議会の元議長・稲垣正一氏は、平成の大合併に神崎郡は乗り遅れたことが最大の原因だといった。基本的な行政能力が疑問視される今の町長ではなにおかいわんやだと、匙を投げかけている様子すら伺え、暗澹たる気分になってしまった。尤も、神河町では町おこしのための動きもみられ、私のところにも意見が求められてきている。また、北海道の芦別市出身の稲津久衆議院議員にも電話で水を向けてみた。ここは札幌市が小東京的様相を示して、人口がそちらに流れがち。彼は意欲漲る政治家で、人口減に歯止めをかけるべく八方手を尽くしてはいるものの、前途は楽観を許さないとの見方をしていると受け止めざるを得なかった。
確かに事態は厳しい。増田氏は、以前に紹介した『里山資本主義』の著者・藻谷浩介氏との対談で、「本来、田舎で子育てすべき人たちを吸い寄せて地方を消滅させるだけでなく、集まった人たちに子どもを産ませず、結果的には国全体の人口をひたすら減少させていく──私はこれを『人口のブラックホール現象』と名付けました」という。それに対して藻谷氏は、「東京は人口を消費する街。そこにもっと若者を集めろなどというのは、日本国を消滅させる陰謀ですよ」と応じる。こうした現状を打開するには、皆が現状をしっかりと認識したうえで、立ち上がらねばならない。
増田氏自身があとがきで「今回示した現実を立脚点として、政治、行政、住民が議論を深め、知恵を絞る必要がある。いたずらに悲観するのはやめよう。未来は変えられる。未来を選ぶのは私たちである」と述べる。私は彼がこういうなら、ここから出発する続編を書いて欲しい。でなければ、結局は悲観論で終わってしまう。この本の少し前に出版された冨山和彦『なぜローカル経済から日本は甦るのか』は悲観論を打ち消す具体的方途を示している。藻谷氏の著作同様これからはどう地方を復興させるかの議論を花盛りにしていきたい。
【他生のご縁 今ではただ懐かしい国会質問】
この本を読み、この一文を書いてから10年が経ちました。「地方消滅」の傾向は一段と加速化されているように見えます。今こそ、「地方再生」の転機にすべきだと思います。拙著『77年の興亡』では、政治的価値観のせめぎ合いから、日本近代を見つめてみました。第一の77年のサイクルでは、「近代化」が問われ、第二のサイクルの77年では「民主化」が問われたのです。社会的価値観は一貫して都市化が進み、人口の都市集中が専らでした。その結果が今の惨状をもたらしています。
第三のサイクルでは、「分断か、共存か」が問われるはずだと思います。社会的価値観も「都市か地方か」ではなく、より均等な発展が望まれる瀬戸際です。この辺り、かつて大臣質問をした、されたとの関係に終わった増田さんと議論交わしたいものです。
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