ヒッキーっていう言葉を初めて聞いた。引きこもり状態にあるこどものことを指すそうだ。ひとはそれぞれ自分のこども時代に引き当てて今のこどもをめぐる状況を考えがちだが、果たしてそれでいいのかどうか。自分のこどもの頃には殆どいなかったヒッキーが今なぜ多いのか。引きこもりの子の悩みや親の苦しみから始まって、現代の中学校教育の現場やそれを取り巻く世相など様々な課題をてんこ盛りにしつつ、ぐいぐいと読ませる謎ときに充ちた本に出会った。久方ぶりに寝る時間も惜しんで引き込まれ、全6巻を一気に読んでしまったのである。宮部みゆき『ソロモンの偽証』だ▼総選挙で忙しい折になぜこんな推理小説にはまってしまったのか。勧めたのはまたしても笑医の高柳和江女史である。先日、『ローマ亡き後の地中海世界』4巻は、「斜め読みしたらいいのよ」って確かに彼女が私に言ったので、それを正直にユーモアを込めてこの読書録ブログに書いた。で、それを読んだ彼女は途端にご機嫌の方が斜めに。「聞きかじりを書かないで。これはフライングよ」と。斜め読みをしては、塩野七生さんに申し訳ないということなのだろうか。朝早くに抗議のメールが届き、末尾で「なにか反論ある?」ときた。実際はお腹が減っていたのだが、「グーの音もでない」と、反論はあったが無駄な抵抗はせずに、白旗を掲げることにした▼そんなやり取りの中で、今彼女が憑りつかれてる小説がこの宮部さんのものだと分かった。冒頭の謎めいた電話ボックスのシーンが秀逸だ。映画でも小説でも、いきなり事件の核心に踏み込むような描き方が好ましい。あれこれご託を並べずに、一気に読者を巻き込んでしまう。なぜにここまで惹きつけられたかと、読み終えて考えた。それはこの小説がバブル崩壊の始まりとも言われる1990年冬に舞台設定をしていることと無縁ではない。日本人の多くが流行り風邪に冒されたようなあのバブル熱。誰もかれもが儲け話に浮かれていた。そんな折に14歳の中学生たちが、友人の謎めいた死にまつわる経緯を解き明かそうとする。ついには夏休みに学校で法廷を開くという浮世離れした設定へと進む▼そんななかで、こどもや親の立場からの今の日本のあらゆる問題に取り組む姿が浮き彫りにされてくる。中高生向けの推理児童小説の域をでないように見えていて、その実、切り口は大人たちの世界の在り様に鋭く迫る。とことんこどもの世界に浸りきって、現代社会を見つめているために、その視点は当然ながらこどもの目線だ。この辺り、通常の大人の視点からの世界に慣れ親しんでいるものからすれば、食い足りないものを感じるかもしれない。もしもそんな感じがしたら、頁をめくる速度を落として、子育て時代の自分を振り返ってみることが大事だろう。主要な登場人物たちの「生と死」や「家族と自分」、「友情」など古くからのテーマを考え乍ら、池田晶子の『14歳からの哲学』のことを思い出した。14歳という年齢は、人がものを考えるスタート台なのに違いない。あと10年経つと初孫がその歳になる。さて、それまでにどうするか。(2014・12・3)
(第6章)第3節 歴史と国土からのユニークな「文明評論」━━竹村公太郎『日本史の謎は「地形」で解ける』
牛が暴れる絵巻の秘密
格言に「仏の顔も三度まで」とか、「居候、三杯目にはそっとだし」などとある。これは何事も、二回目まではいいが、三回目となると違ってくるということを意味していよう。ただ、本の世界では通常三部作などと言われて三点セットに意味のあることが多い。竹村公太郎さんも『日本史の謎は「地形」で解ける』シリーズの三作目として「環境・民族篇」を出して大分時間が経つ。このほど改めて読み直した。
前作「文明・文化篇」や前々作に劣らずまことに面白い。この人の着想ほどユニークなものはなく、様々な座談で活用すると、受けること間違いない。この本のなかでも、クルマ文明をなぜ日本は進化させられなかったのかという問題提起は斬新である。つまり牛車や馬車が発達せずに衰退したのは、日本人が「馬や牛を去勢し、徹底してコントロールできなかった。だから車などとしては使いにくかった」ことに原因がある(動物に優しかったということ)というのだ。やがて江戸時代には大八車や籠担ぎが隆盛を誇り、それは明治初めの人力車へと続く。つまり人から動物へではなく、逆に動物から人へだったのである。この辺りを牛が暴れる絵巻の秘密を通じて明らかにしており、魅了される。
また、選挙のたびに掲げられる各党の政策の大きな焦点は安全安心の街づくりであり、治山治水にある。この観点からは元河川局長にして「文明の謎」に通暁した竹村さんの主張は大いに参考になる。例えば、第7章「なぜ勝海舟は治水と堤防で明治新政府に怒ったか」は極めて示唆に富む。「富国強兵のための税収欲しさに、治水の原則とは逆の、洪水の水位を上げる方向へ突き進んだ」という明治政府。他山の石にせねばならないと思われる。
徳川幕府の復讐劇としての「忠臣蔵」
一方、『土地の文明』では、「忠臣蔵」が徳川幕府による復讐劇だったとしている点が興味を惹く。徳川家と吉良家は矢作川を巡って数々の確執があったのだが、家康が天下をとってからは、吉良家に世話にならざるを得ない事情が起こった。「高家」として大事な扱いを余儀なくされたのだ。つまり、徳川家にとって、吉良家はトラブルの元凶でありながらも粗末にできない、という特殊な関係にあった。あわよくば吉良を潰したいとの思いを持ちながら、果たせないという状況が長く続いていた。それを果たすチャンスが、浅野内匠頭の失敗がきっかけとなって遂に巡ってきたとの捉え方である。他に、江戸城の正門と見られる半蔵門そばの、麹町に赤穂浪士がまとまって潜伏していた理由や、吉良邸が討ち入りされやすい場所に移転させられたことなど知られざる事実を次々と暴いていく。
このほか、日本中の多くの土地が持つ謎を解き明かしてくれる。頼朝が鎌倉という狭い土地に幕府を開いた真のわけとか、日本における最後の狩猟民族は、中国地方の毛利家だったとか、知的刺激を幾重にも掻き立ててくれる話が満載されている。尤も、細かい点では、納得し難いことにも出くわす。例えば、大阪の道が狭いために皮膚感覚の街として研ぎ澄まされたという一方、名古屋は街路幅が大きいという対極にある街だとの指摘など兵庫県人から見ると、対極というよりも同種の変な街に見える。さらに、全国の中枢都市は、皆一級河川と呼ばれる大きな河川流域の恩恵で発展した一方、大きな河川がないのに発展したのが福岡市のみという。福岡は確かにそうだが、神戸市も大きい川はないではないか、と首をかしげてしまう。いずれも直ちに納得できないがゆえに、あれこれと思いを巡らせることになり、果てしなく考えが広がっていくのかもしれない。
【他生のご縁 同年生まれの〝文明評論家〟】
竹村さんとの出会いは2001年に遡ります。衆議院国土交通委員長に就任した私は、国交省の各部門の局長の皆さんから、所轄分野のレクチャーを受けました。その時の河川局長が竹村さんでした。同じ時に道路局長だったのが、大石久和さんでしたが、彼らは共に、昭和20年生まれの同い年。大いに親近感を感じたものです。
ちょうどその頃、竹村さんは『建設オピニオン』という業界誌に島陶也という筆名で次々と面白いエッセイを公表していました。編集長との雑談の中から、国土にまつわる謎解きを提起していくという手法で、後に本になる原稿のベースを作り出していたのです。省内で密かなブームを引き起こしていたようですから只者ではないお役人だったのです。
河川局長というポジションにつく人は、昔からユニークな人が多かったという「伝説」があります。私の大先輩市川雄一さんが建設委員長をしていた時の局長は、年賀状にでっかい文字で5字くらいだけ書く〝強者〟だと聞いたことがあります。竹村さんはそういうところではなく、ひたすら日本文明と国土との関係などの謎解きに取り組んでいた特異な人だと見られます。
国交省を辞めてから一時はある議員の秘書になられたと聞きました。退官2年後に博士号を取得されていますから、食い扶持を稼ぎながらひたすら勉強されていたに違いありません。
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スパイ小説らしくない英国情報部員の秘話(65)
私はこれまで随分とスパイ小説は読んできた。しかし、その分野の古典で、著者の実体験に基づいたものとされるサマセット・モーム『アシェンデン』は読んだことがなかった。今年の初めごろに何かの書評で取り上げられていたのを見て読んでみた。一読、さっぱり分からない。というより、初めはスパイ小説風だが、途中からはスパイたる著者の恋物語風の物語に変わってしまっている。読み終えた時点では、スパイが国家の機密を追う通常のスリルとサスペンスに満ちた物語としては、生煮えのものだとの印象が残った。副題に「英国情報部員のファイル」とあるが、いわゆる「スパイ小説」ではなく「スパイの小説」ではないか、とひとり毒づいたものだった。しかし、文化の日を前に、「読書録」に取り上げるべく、あらためて読み直してみると、面白い味わいが見えてきた▼人とひととの会話の妙のようなものについてのモームのこだわりが面白い。「アマチュアは、一度始めたジョークをいつまでも繰り返したがる。冗談と冗談を言う人との関係は、蜜蜂と花の関係のように、手際よく付かず離れずでなくてはいけないのに」ー確かに。大人の品ある会話たるもの、冗談を言ったら、さっと離れていく技が求められる。尤も、そんな会話をする機会にはとんと出くわさないが。で、著者は社交的会話術をするにあたっての秘訣めいたものを明かす。「聞いた話を書き留めておくための小さなノートを用意して」、「晩餐会に行くときなど、話題に困らないように予めその中の話を五つ六つ見ておくことにして」いるというのだ。おまけに、「世間一般で話せる場合はG(generalを表す)のマークが、男性向けのきわどい話の場合はM(menを表す)のマークが付けてある」といったことまで登場人物に語らせていて興味深い▼また、食後のテーブルスピーチの名手が、「演説に関する名著と言われるものはすべて読んで」おり、「どうしたら聞き手とよい関係になれるか」、「相手の琴線に触れるような重々しい言葉をどこで挟むか」や「一つ二つ適切な挿話を入れることで、いかにして聞き手の注意を喚起するか」などについて熟知していたことも明かしている。こういった会話の進め方だけではない。お酒をめぐる洒落たやりとりもさりげなく触れている。「夕食前はシェリーと決めている」という人に、ドライ・マティニーを勧める場合、「ドライ・マティニーを飲める時にシェリーを飲むのでは、オリエント急行で旅ができるのに、乗合馬車でいくようなものですから」などといった気の利いた会話が挿入されているのだ▼一度読んだときには、あまり気づかずにいたーそれでも今挙げた箇所は頁上を折っていたーが、改めて読み直すと、妙に惹かれる。また、この本は解説と訳者あとがきがいい。岡田久雄という朝日新聞外報部出身の人があれこれ裏話を紹介している。モームが自らの伝記に波乱に富む内容を書いているくだりが本書には何も書かれていないのは、「ウインストン・チャーチル首相が『アジェンデンもの』を草稿段階で読んで、公務員の公職に関する守秘義務違反を構成しうる、と警告、それでモームは一部を破棄せざるをえなかったとも言われる」からだ、と。なるほど、それで合点がいった。この本がスパイ小説としては、イマイチのわけが。とはいえ、じっくり読めば味が噛みしめられるのかもしれない。川成洋さん(法政大学名誉教授)が「作家とスパイの二足の草鞋を履いていた」モームのことを『紳士の国のインテリジェンス』なる本に書いていることも、解説で知った。この人とは今から40年ほど前に知り合った。今はどうしておられるか。お会いしたい思いが募るが、まずは本を読んでみよう。(2014・11・2)
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憂鬱さが増すだけの田原VS西研の哲学対談(64)
田原総一朗ーこの人物のテレビ番組に、私は現役の時に二回ほどでたことがある。その時に一度口喧嘩をした。この人は政治家を怒らせることで番組のトークを面白くさせるとの手法をよく用いるようだが、私の時もそのたぐいで、餌食にされそうになった。こともあろうに放映中に、私に対して「冬柴さん」と、あきらかにわざと呼びかけてみたり、きちっと答えているのに「もっと勉強してきてよ」とか言ったのである。
この自尊心の塊のような私に対して(笑)、である。コマーシャルの時間になって、「あんた!いい加減にしろ!」って、つい怒鳴ってしまった。一応、「ごめんなさい」と彼は頭を下げたが後味の悪さは尾を引いた。以後、彼の番組にはぜひ出てほしいと言われるまで、でないとこころに決めたのだが、そのうちこちらが引退してしまったので、当然ながら声はかからないで、今に至っている。
そういう不幸な出会いだったが、彼の書くものや人とのやりとりは面白く読んだり、見たりしていているのだから、私も勝手なものだ。その田原総一朗氏と哲学者の西研さんとの対談『憂鬱になったら、哲学の出番だ!』(幻冬舎)を読んだ。それこそ田原氏の鋭い切り込みは縦横に見られる。しかし、それに対しての答えがあまりぱっとしない。難解な哲学が分かり易く説かれることを期待するむきには羊頭狗肉だ。成果と言えば、田原さんも人の子、西欧哲学は解らんのだということがはっきりしたことか。結局は西洋哲学はただ難しいだけで、一般人には役立たずだということが改めて浮き彫りになった。憂鬱さはますばかりだという他ない。
ただ一か所だけ私としては、非常に興味深いくだりがあった。それは、田原氏が梅原猛さんの書いた『人類哲学序説』に触れたところだ。私はこの本に大変共鳴しているので、それこそ目を凝らして読んだ。西欧哲学の進歩発展主義の破綻を象徴したのが福島原発事故だとして、近代合理主義と決別するとしている梅原氏の主張を紹介。そのうえで、「梅原猛は東洋の思想を見直して、仏教の天台密教の『草木国土悉皆成仏』という考え方に着目したのです。山川や草木にも仏を見るという日本独自の思想で、ここから独自の人類哲学をつくろうとしています」ーデカルト以後の近代哲学が現代世界において、役に立たないことに気づき、新たな船出をしようとする梅原氏の意気や壮としたい、と私は思っている。
ところが、それに対して西研氏は『哲学は、一人ひとりの経験や感度や考えを出し合いながら『これは確かに大切だよね』ということを確かめ合っていく営みです。そういう風にして普遍的なものを取り出そうとすることが大事なので、それを、特定の世界観で代替してはいけないと思います」と答えるにとどまっている。これは、私には西欧哲学の側の敗北宣言に聞こえる。要するに世界的規模での現代人救済に役立たないがゆえに、確かめ合うなどといったぬるいことを言っているのだと思う。
それに対しての田原氏の最後の切り込みは「デカルトやカントらの哲学はヨーロッパ内では受け入れられたけれど、民族を超えて広がらなかったのではないですか」と言うだけ。西研氏の答も「お互いの経験をもとに考えを出し合って、普遍性を求める哲学の復権をめざしたいと思っているのです」と繰り返すのみ。
これって、結局は西研氏は、西欧哲学を超えるものが東洋の哲学にあるということに目を向けようとしないで、西欧哲学の復権にしがみついているだけのように思われてならない。その辺りをもっと田原氏には切り込んでもらいたかった。
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(63)ローマ亡き後に海賊が跋扈する世界を斜め読みー塩野七生
笑医塾の塾長である高柳和江女史(元日本医大准教授)が先日、明石に講演に来られた際にしばし懇談した。今年の前半に、一緒に電子書籍『笑いは命を洗います』を出版して以来だった。その折に彼女が「これって、面白いわよ。私もう読んだからあげる」ってくれたのが、塩野七生『ローマ亡き後の地中海世界 海賊、そして海軍』第二巻だった。気にはなっていたが、未読だった。塩野七生さんといえば、『ローマ人の物語』全15巻だが、これはその続編にあたる。現役の最後のころに厚生労働省の村木厚子さんと懇談したことがある。未だ事務次官に就任される少し前のことだ。あの冤罪をめぐる話をあれこれと聴いていくなかで、彼女が拘留中にこの15巻を全て読み切ったといわれたのが印象に残った。ノートを作りながら、と言われていた。ざっと読むだけで全ては忘却の彼方にある自分との差を思い知らされた▼正直に言って、わたし的には『ローマ人の物語』にしても、この『ローマ亡き後の地中海世界』にしても、そう面白い物語ではない。数千年も前の戦闘の数々を真剣に読む気にはなれなかったし、読み続けるには根気がいる作業だった。それでも文中に時折出てくる警句や教訓めいた言い回しには魅了される。これにはどうも癖になる。今回の4冊でも随所に顔を出してきた。「マキャベリが言ったのかそれともグイッチャルディーニ(ルネッサンス時代のイタリアの歴史家)の書にあったのかは忘れたが、長年にわたって私の頭から離れない一句がある」とくると、獲物を前にした猟師のように、気が漲ってくる。「現実主義者が誤りを犯すのは、相手も自分と同じように考えるだろうから、バカなまねだけはしないにちがいない、と思ったときである」と。さらに、「今日に至るまで人類は、ありとあらゆる政体を考えついてきた。王政。貴族政ともいわれる寡頭政。民主政。そして共産主義体制と。しかし、指導者のいない政体だけは、考え出すことは出来なかった」──これは歴史は個々の人間で変わるものかどうかという考察をめぐって、一昔前のイタリアの経済学者の書の中にあった一句が忘れられない、と前置きして掲げられているといった具合だ▼「人は死んでも石鹸は残るが、率いていた人物が死ねばそれとともに死ぬのが、個人の才能に頼ることで機能していた組織の宿命である」「人間とは、良かれ悪しかれ、現実的なことよりも現実から遠く離れたことのほうに、より胸を熱くするものである」「その気になりさえすれば勝てる、とわかれば、人間は、迎え撃つ体制の強化にも真剣になる」などなど、七生風アフォリズム(格言)とでも言えそうなものがここでも健在だった。それにしても人が死んだら石鹸は残るとは、この人らしい▼ローマ亡きあとに、北アフリカから来襲して地中海世界を席巻したイスラムの海賊の傍若無人ぶり。さらに、トルコが海賊を自国の海軍として吸収していくとの知恵に満ちた展開ぶり。「キリスト教連合艦隊VSオスマントルコ」の血沸き肉躍る(一般的には、だが)戦線の描写。それぞれに味わえるが、わたし的には、映画好きな塩野さんが、黒澤明の名作『七人の侍』を持ち出して、傭兵と侍との違いを述べたくだりが最もぐっときた。「山賊の襲撃にそなえて農民たちを組織し、訓練していくうちに、侍たちの胸中に、忘れていた侍の精神が再び頭をもたげてきた」──傭兵であることを忘れ、侍精神に徹したがゆえに、七人中四人が討ち死にし、残る三人も失業する。それゆえに、「あの映画を観た欧米人の心までとらえた」というのだ▼ところで、高柳女史から別件で、電話がその後かかってきた。その際に「あの本頂いてありがとう。その後一、三、四巻と自分で買って読んでるけど、正直しんどいね。あんたはあれのどこが面白いの?」って訊いてみた。すると、「あら、ああいう本はまじめに読まないのよ。ダーッと斜め読みするのよ。アハハハ」ときた。まったく。笑医の先生にかかると全てが笑いのタネになってしまう。
●他生のご縁 イタリアで憲法改正をめぐる論議
塩野七生さんとの思い出の最大のものは、衆議院欧州憲法事情調査団(故中山太郎団長)の一行とともにイタリア・ローマに行った時に、現地日本大使館で懇談したことです。開口一番、「わざわざ日本から来られた議員の皆さんが、日本人の私に会おうと言われるのは‥」と、皮肉混じりと思えるご挨拶をいただいたのを覚えています。お話の中心は、「憲法改正」についてはもっと垣根を低くすべしとのご主張でしたが、最も印象に残っています。
私は、その当時、須賀敦子さんにハマっていた頃だったので、別れ際に「日本の男性は塩野さんの『ローマ人の物語』ファンが多いですが、女性は須賀さんが多いですよ」と、挑発的な語りかけをしてみました。塩野さんがどう返してくるか、興味津々でしたが、「そうですね。私も須賀さんに見倣わないといけませんね」と、肩透かし。我ながら、ばかなこと言ったと今なお恥いる思いです。
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ボートならぬ「クルマの三人男」のドタバタ旅(62)
神戸市内の中学校を卒業して50年あまりが経つ。そのうち今もなお兵庫県内に住むクラス仲間3人が、もう一人の友が住む熊本に旅をすることになった。車で。わずか3日間だったからその殆どを車中で過ごした。合計で約2000キロ走った。準備を入念にしたり、旅先でトラブルを起こさぬようにと、あれこれ気を配ったりもした。70代寸前の爺さん三人のドタバタ車旅を自ら経験して思い出したのが、ジェローム・K・ジェローム 丸谷才一訳『ボートの三人男』である。つい先頃読み終えていたが、自らのクルマ旅との類似性に気づき、あらためて取り出して再読。ついでに旅先のよすがにと鞄の底に潜ませたしだい▼気鬱にとりつかれた3人の紳士が犬をお供に、テムズ河を旅する話。全編これ愉快で滑稽で珍妙このうえないエピソードの連続。読むものをして抱腹絶倒に至らしめるとくれば、読まずにはおらない。1889年に書かれたというから日本では明治時代の中頃にあたる。120年も前の作品ながら、いまだに世界で愛読されている英国ユーモア小説の古典なのだ。訳者は先頃亡くなってしまったが、際立った文芸評論家であり小説家の丸谷才一さん。そして解説がユーモア作家といっては言い足りないほど深くて重い小説家の井上ひさしさん。この人も先年旅立たれた。この組み合わせの魅力がこのうえない芳醇な香りを漂わせており、大いに楽しませてもらった▼とりわけ井上さんの解説は、見事というほかない。ユーモア小説を書くにあたって要求されるのは、「場面に応じて様々な文体を次々に繰り出す手練」と「それらをもう一つ高い次元で統一しくくっていく作業」だという。その二つの「至難の事業」が「見事に完成を見ている」ケースとして具体的に挙げているところを、今回の二度目の読書作業で辿ってみた。小説冒頭の「病気の総揚げ」から始まって、第四章の「荷造りのドタバタ」、第六章の「美文による風景点描」などなどを経て第十二章の「缶詰との笑劇風格闘」に至るまで、まことに面白い。一回目では味わえなかったコクと深みさえ味わえた思いがする▼井上さんによると「英国人は常に叡智と遅鈍の中間にある」(プリーストリイ)そうだが、「叡知は鋭い機智や洒落を生む。遅鈍は滑稽の原料である」と解説する。加えて、このあと「明治以降のわれら大和民族は奸智に長けている故に、ユーモアからははるかに遠い(からといって別に「悪い」と申しているのではないが」と日本人との比較を忘れない。確かに、と一度は納得するものの、再考すると首をかしげてしまう。昨今の日本人は果たして奸智に長けているのだろうか、と。悪賢いどころか馬鹿がつくほど生真面目で純情なのではないか、と対外関係の中では思わせられることが多い。それでもユーモアから遠いことだけは間違いない。そんなこんなでわれらの「クルマの三人男」のドタバタ旅は無事終わったのだが、残念ながらボート旅ほど面白くはない。ただ、互いの絆は大いに固まったことだけは間違いないので、よしとしよう。(2014・11・9)
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スパイ小説らしくない英国情報部員の秘話(61)
私はこれまで随分とスパイ小説は読んできた。しかし、その分野の古典で、著者の実体験に基づいたものとされるサマセット・モーム『アシェンデン』は読んだことがなかった。今年の初めごろに何かの書評で取り上げられていたのを見て読んでみた。一読、さっぱり分からない。というより、初めはスパイ小説風だが、途中からはスパイたる著者の恋物語風の物語に変わってしまっている。読み終えた時点では、スパイが国家の機密を追う通常のスリルとサスペンスに満ちた物語としては、生煮えのものだとの印象が残った。副題に「英国情報部員のファイル」とあるが、いわゆる「スパイ小説」ではなく「スパイの小説」ではないか、とひとり毒づいたものだった。しかし、文化の日を前に、「読書録」に取り上げるべく、あらためて読み直してみると、面白い味わいが見えてきた▼人とひととの会話の妙のようなものについてのモームのこだわりが面白い。「アマチュアは、一度始めたジョークをいつまでも繰り返したがる。冗談と冗談を言う人との関係は、蜜蜂と花の関係のように、手際よく付かず離れずでなくてはいけないのに」ー確かに。大人の品ある会話たるもの、冗談を言ったら、さっと離れていく技が求められる。尤も、そんな会話をする機会にはとんと出くわさないが。で、著者は社交的会話術をするにあたっての秘訣めいたものを明かす。「聞いた話を書き留めておくための小さなノートを用意して」、「晩餐会に行くときなど、話題に困らないように予めその中の話を五つ六つ見ておくことにして」いるというのだ。おまけに、「世間一般で話せる場合はG(generalを表す)のマークが、男性向けのきわどい話の場合はM(menを表す)のマークが付けてある」といったことまで登場人物に語らせていて興味深い▼また、食後のテーブルスピーチの名手が、「演説に関する名著と言われるものはすべて読んで」おり、「どうしたら聞き手とよい関係になれるか」、「相手の琴線に触れるような重々しい言葉をどこで挟むか」や「一つ二つ適切な挿話を入れることで、いかにして聞き手の注意を喚起するか」などについて熟知していたことも明かしている。こういった会話の進め方だけではない。お酒をめぐる洒落たやりとりもさりげなく触れている。「夕食前はシェリーと決めている」という人に、ドライ・マティニーを勧める場合、「ドライ・マティニーを飲める時にシェリーを飲むのでは、オリエント急行で旅ができるのに、乗合馬車でいくようなものですから」などといった気の利いた会話が挿入されているのだ▼一度読んだときには、あまり気づかずにいたーそれでも今挙げた箇所は頁上を折っていたーが、改めて読み直すと、妙に惹かれる。また、この本は解説と訳者あとがきがいい。岡田久雄という朝日新聞外報部出身の人があれこれ裏話を紹介している。モームが自らの伝記に波乱に富む内容を書いているくだりが本書には何も書かれていないのは、「ウインストン・チャーチル首相が『アジェンデンもの』を草稿段階で読んで、公務員の公職に関する守秘義務違反を構成しうる、と警告、それでモームは一部を破棄せざるをえなかったとも言われる」からだ、と。なるほど、それで合点がいった。この本がスパイ小説としては、イマイチのわけが。とはいえ、じっくり読めば味が噛みしめられるのかもしれない。川成洋さん(法政大学名誉教授)が「作家とスパイの二足の草鞋を履いていた」モームのことを『紳士の国のインテリジェンス』なる本に書いていることも、解説で知った。この人とは今から40年ほど前に知り合った。今はどうしておられるか。お会いしたい思いが募るが、まずは本を読んでみよう。(2014・11・2)
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ドナルド・キーンの案内で辿る日本文学の旅(60)
東京オリンピックから50年。そして今再びの2020年のそれまで、あと6年。思うことは多い。そんな折も折、日経新聞でベラ・チャスラフスカさんのインタビュー記事「東京五輪からの半世紀」を読んだ。彼女は1968年の『プラハの春』へのソ連の介入で、スポーツ界から追放されるという憂き目を見てより20年にも及ぶ弾圧を経験する。ようやく89年のビロード革命で復帰したのも束の間、今度は長男が、離婚をした夫を死に至らしめるという不幸な事件に遭遇し、それを機に心身を病み長い療養生活を送る。ようやく5年ほど前に立ち直ったという。今ではチェコオリンピック協会名誉会長として活躍、東京五輪開催を後押しする。まさに起伏の激しい50年だった。「逆境にも自分を信じて 報われる日は来る」という見出しが心を打つ。彼女は「私の体操、半分は日本生まれ」という。それほど日本との関係は深い。この人を思うにつけ、私は日本びいきの幾人もの外国人を連想する▼なかでも最大の存在はドナルド・キーンさんだ。今年の新春から古典に親しもうと決意した私はあれこれと挑戦してきたが、古典へのよすがとしてのこの人の『日本文学史』読破も、その目標の一つだ。ようやくこのほど、全18巻のうち、9巻目までを読み終えた。まだ道半ばではあるが、近世編3巻分をまとめて取り上げたい。「文学史は、読み物としては一人の執筆者によって書かれたものにとどめをさす」として、小西甚一氏の『日本文藝史』とこのキーン氏のものの二つが圧巻だと言ったのは、大岡信さん(『あなたに語る 日本文学史』前書き)だが、今私は、なるほどなあと深く感じ入っている▼一言で評すれば、実に歯切れがいいのだ。キーン氏は今は帰化して日本人になっているが、元をただせばニューヨーク生まれの米国人。しかし、とっくにいかなる日本人にも引けを取らない堂々たる日本人である。古代・中世編から始まって近世編と読み進めてきたが、ほとほと感心する。かって塩爺こと塩川正十郎さんからドナルド・キーン『明治天皇』がめっぽう面白いと勧められて、かなり難渋したすえに読んだものだが、それよりもはるかに読みやすく面白い▼近世編の第一巻では松尾芭蕉、二巻では近松門左衛門、三巻では狂歌・川柳への論及に目が向く。『奥の細道』での芭蕉の関心は、ひたすら過去に歌人が心を動かされたものであった。「古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ」という彼の言葉は印象深い。また、近松門左衛門では、日本のシェークスピアと目され乍らも「ついにリア王の偉大と格調を備えた人格を創造することは出来なかった」と手厳しい。狂歌については、滑稽の伝統が乏しい日本文学の中で、少ないながらも詩心の分かる人が狂歌師の中にいることを感謝せずにはおられないという表現を用いて、心を砕く。狂歌といえば、「今までは人のことのみ思いしに、おれが死ぬとは、こいつあたまらん」といったものに、今の私などたまらない共感を感じる。定年後の人生に生きがいを感じつつ、一方で先行きの覚束なさに愕然とするものにとって真実の叫びに違いない。(2014・10・29)
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ドナルド・キーンの案内で辿る日本文学の旅(59)
東京オリンピックから50年。そして今再びの2020年のそれまで、あと6年。思うことは多い。そんな折も折、日経新聞でベラ・チャスラフスカさんのインタビュー記事「東京五輪からの半世紀」を読んだ。彼女は1968年の『プラハの春』へのソ連の介入で、スポーツ界から追放されるという憂き目を見てより20年にも及ぶ弾圧を経験する。ようやく89年のビロード革命で復帰したのも束の間、今度は長男が、離婚をした夫を死に至らしめるという不幸な事件に遭遇し、それを機に心身を病み長い療養生活を送る。ようやく5年ほど前に立ち直ったという。今ではチェコオリンピック協会名誉会長として活躍、東京五輪開催を後押しする。まさに起伏の激しい50年だった。「逆境にも自分を信じて 報われる日は来る」という見出しが心を打つ。彼女は「私の体操、半分は日本生まれ」という。それほど日本との関係は深い。この人を思うにつけ、私は日本びいきの幾人もの外国人を連想する▼なかでも最大の存在はドナルド・キーンさんだ。今年の新春から古典に親しもうと決意した私はあれこれと挑戦してきたが、古典へのよすがとしてのこの人の『日本文学史』読破も、その目標の一つだ。ようやくこのほど、全18巻のうち、9巻目までを読み終えた。まだ道半ばではあるが、近世編3巻分をまとめて取り上げたい。「文学史は、読み物としては一人の執筆者によって書かれたものにとどめをさす」として、小西甚一氏の『日本文藝史』とこのキーン氏のものの二つが圧巻だと言ったのは、大岡信さん(『あなたに語る 日本文学史』前書き)だが、今私は、なるほどなあと深く感じ入っている▼一言で評すれば、実に歯切れがいいのだ。キーン氏は今は帰化して日本人になっているが、元をただせばニューヨーク生まれの米国人。しかし、とっくにいかなる日本人にも引けを取らない堂々たる日本人である。古代・中世編から始まって近世編と読み進めてきたが、ほとほと感心する。かって塩爺こと塩川正十郎さんからドナルド・キーン『明治天皇』がめっぽう面白いと勧められて、かなり難渋したすえに読んだものだが、それよりもはるかに読みやすく面白い▼近世編の第一巻では松尾芭蕉、二巻では近松門左衛門、三巻では狂歌・川柳への論及に目が向く。『奥の細道』での芭蕉の関心は、ひたすら過去に歌人が心を動かされたものであった。「古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ」という彼の言葉は印象深い。また、近松門左衛門では、日本のシェークスピアと目され乍らも「ついにリア王の偉大と格調を備えた人格を創造することは出来なかった」と手厳しい。狂歌については、滑稽の伝統が乏しい日本文学の中で、少ないながらも詩心の分かる人が狂歌師の中にいることを感謝せずにはおられないという表現を用いて、心を砕く。狂歌といえば、「今までは人のことのみ思いしに、おれが死ぬとは、こいつあたまらん」といったものに、今の私などたまらない共感を感じる。定年後の人生に生きがいを感じつつ、一方で先行きの覚束なさに愕然とするものにとって真実の叫びに違いない。(2014・10・29)
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心のきしみを察する「聞く耳」を持つこと(58)
哲学という学問分野との付き合いは長い。しかし、未だに私自身、要領をえない。そのくせ気になって、捨てきれない。まったく困ったものだ。世に存在する哲学者が総じて人への理解のさせ方が下手だからだと折り合いをつけて、納得しているというのが現状だ。そんななか気になる哲学者が鷲田清一さんだ。この人、大阪大学総長をされていた頃から注目はしていたが、まともにその著作は読んだことがなかった。昨年の暮れだったかに、ある新聞社恒例の「今年読んだベストスリー」なる企画で、かの山崎正和さん(劇作家にして文明評論家)が、この人のものばかり三冊推奨するという掟破りというか、破格の取り扱いをしていたにもかかわらず、である。しかし、カリスマ臨床心理士たる畏友・志村勝之君と話していて、鷲田さんがいかに凄いかを語るのを聞くに及んで,心は決まった▼『哲学の使い方』なる題名が気にいった。それに新書であることが嬉しい。というわけで、初めての挑戦を試みた。冒頭の「哲学の入口」から、わが”お口に合う”雰囲気が漂ってきた。「哲学をばかにすることこそ真に哲学することである」(パスカル)や、「哲学を学ぶことはできない。ひとはただ哲学することを学びうるのみだ」(カント)などという、一見わかりやすそうな表現が続く。だが、彼はそういう常にわかりやすさを求める私のような読者に忠告する。ひとは「わからないものをわからないままに放置していることに耐えられないから、わかりやすい物語にすぐ飛びつく」のだ、と。「目下のじぶんの関心とはさしあたって接点のないような思考や表現にもふれることが大事だ。じぶんのこれまでの関心にはなかった別の補助線を立てることで、より客観的な価値の遠近法をじぶんのなかに組み込むことが大事だ」とも言う。そんなこと百も承知で、それが出来ずに困ってるのだけど、とのわが内なる声が聞こえてくる▼ところで、鷲田さんは臨床哲学なる分野を開拓した。その展開方法とはこうだ。まず、床に臥している人のところへ出向く医療者のように問題の渦中に出向く,フィールドワークが大事で、そこではまずあれこれ論じる前に「聴く」ことが必要になってくる、と説く。そして、「多義的なものを多義的なままにみるためには、みずからの専門的知見をいつでも棚上げできる用意がなければならない。いってみれば、哲学はある種の武装解除から始まる」と。このあたりは心理学と重なってこよう。今年の前半に私は友人たちとの対談を電子書籍にして出版した。そのうちの一冊、『この世は全て心理戦』(志村勝之君との対談)では、終始一貫して志村臨床心理士が聴くことの大事さを強調していた。聴けば自ずと問題の行く末は見えてくる、と言っていたものだ▼鷲田さんがつい先日神戸新聞の文化欄に『汀(みぎわ)にて』との小論を寄稿していたのを読んだ。「聴く耳をもたない人の言葉の応酬は、ほとんど石の投げ合い、刀剣による斬り合いを見るにひとしい」として、政治における言葉の劣化から説き起こし、大いに興味をそそられた。「聴く耳になりきる」ということは「口ごもりを聴くこと、つまりは言いたくても言葉が出てこない、そんな心のきしみを聴くということ」なのだと、その重要性を明かしていた。「苦しい体験ほど言葉にはしにくい。だから、語るに語れないことを、それでも相手が訥々と語り始めるまで待つということが『聴く』ことの第一の作法となる」のだという。実は、これも志村が同じことを言っていた。私のような、「聴く」ことが苦手で、ましてや相手の心のきしみをまったく察せぬまま、いつも待ちきれないで言葉を乱発するものには耳が痛い。かくのごとく『哲学の使い方』は日常的により関心の高い「心理学の使い方」とも類似の作法のように見え、大いに食指を動かされた次第である。(2014・10・27)
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