東京オリンピックから50年。そして今再びの2020年のそれまで、あと6年。思うことは多い。そんな折も折、日経新聞でベラ・チャスラフスカさんのインタビュー記事「東京五輪からの半世紀」を読んだ。彼女は1968年の『プラハの春』へのソ連の介入で、スポーツ界から追放されるという憂き目を見てより20年にも及ぶ弾圧を経験する。ようやく89年のビロード革命で復帰したのも束の間、今度は長男が、離婚をした夫を死に至らしめるという不幸な事件に遭遇し、それを機に心身を病み長い療養生活を送る。ようやく5年ほど前に立ち直ったという。今ではチェコオリンピック協会名誉会長として活躍、東京五輪開催を後押しする。まさに起伏の激しい50年だった。「逆境にも自分を信じて 報われる日は来る」という見出しが心を打つ。彼女は「私の体操、半分は日本生まれ」という。それほど日本との関係は深い。この人を思うにつけ、私は日本びいきの幾人もの外国人を連想する▼なかでも最大の存在はドナルド・キーンさんだ。今年の新春から古典に親しもうと決意した私はあれこれと挑戦してきたが、古典へのよすがとしてのこの人の『日本文学史』読破も、その目標の一つだ。ようやくこのほど、全18巻のうち、9巻目までを読み終えた。まだ道半ばではあるが、近世編3巻分をまとめて取り上げたい。「文学史は、読み物としては一人の執筆者によって書かれたものにとどめをさす」として、小西甚一氏の『日本文藝史』とこのキーン氏のものの二つが圧巻だと言ったのは、大岡信さん(『あなたに語る 日本文学史』前書き)だが、今私は、なるほどなあと深く感じ入っている▼一言で評すれば、実に歯切れがいいのだ。キーン氏は今は帰化して日本人になっているが、元をただせばニューヨーク生まれの米国人。しかし、とっくにいかなる日本人にも引けを取らない堂々たる日本人である。古代・中世編から始まって近世編と読み進めてきたが、ほとほと感心する。かって塩爺こと塩川正十郎さんからドナルド・キーン『明治天皇』がめっぽう面白いと勧められて、かなり難渋したすえに読んだものだが、それよりもはるかに読みやすく面白い▼近世編の第一巻では松尾芭蕉、二巻では近松門左衛門、三巻では狂歌・川柳への論及に目が向く。『奥の細道』での芭蕉の関心は、ひたすら過去に歌人が心を動かされたものであった。「古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ」という彼の言葉は印象深い。また、近松門左衛門では、日本のシェークスピアと目され乍らも「ついにリア王の偉大と格調を備えた人格を創造することは出来なかった」と手厳しい。狂歌については、滑稽の伝統が乏しい日本文学の中で、少ないながらも詩心の分かる人が狂歌師の中にいることを感謝せずにはおられないという表現を用いて、心を砕く。狂歌といえば、「今までは人のことのみ思いしに、おれが死ぬとは、こいつあたまらん」といったものに、今の私などたまらない共感を感じる。定年後の人生に生きがいを感じつつ、一方で先行きの覚束なさに愕然とするものにとって真実の叫びに違いない。(2014・10・29)
ドナルド・キーンの案内で辿る日本文学の旅(59)
東京オリンピックから50年。そして今再びの2020年のそれまで、あと6年。思うことは多い。そんな折も折、日経新聞でベラ・チャスラフスカさんのインタビュー記事「東京五輪からの半世紀」を読んだ。彼女は1968年の『プラハの春』へのソ連の介入で、スポーツ界から追放されるという憂き目を見てより20年にも及ぶ弾圧を経験する。ようやく89年のビロード革命で復帰したのも束の間、今度は長男が、離婚をした夫を死に至らしめるという不幸な事件に遭遇し、それを機に心身を病み長い療養生活を送る。ようやく5年ほど前に立ち直ったという。今ではチェコオリンピック協会名誉会長として活躍、東京五輪開催を後押しする。まさに起伏の激しい50年だった。「逆境にも自分を信じて 報われる日は来る」という見出しが心を打つ。彼女は「私の体操、半分は日本生まれ」という。それほど日本との関係は深い。この人を思うにつけ、私は日本びいきの幾人もの外国人を連想する▼なかでも最大の存在はドナルド・キーンさんだ。今年の新春から古典に親しもうと決意した私はあれこれと挑戦してきたが、古典へのよすがとしてのこの人の『日本文学史』読破も、その目標の一つだ。ようやくこのほど、全18巻のうち、9巻目までを読み終えた。まだ道半ばではあるが、近世編3巻分をまとめて取り上げたい。「文学史は、読み物としては一人の執筆者によって書かれたものにとどめをさす」として、小西甚一氏の『日本文藝史』とこのキーン氏のものの二つが圧巻だと言ったのは、大岡信さん(『あなたに語る 日本文学史』前書き)だが、今私は、なるほどなあと深く感じ入っている▼一言で評すれば、実に歯切れがいいのだ。キーン氏は今は帰化して日本人になっているが、元をただせばニューヨーク生まれの米国人。しかし、とっくにいかなる日本人にも引けを取らない堂々たる日本人である。古代・中世編から始まって近世編と読み進めてきたが、ほとほと感心する。かって塩爺こと塩川正十郎さんからドナルド・キーン『明治天皇』がめっぽう面白いと勧められて、かなり難渋したすえに読んだものだが、それよりもはるかに読みやすく面白い▼近世編の第一巻では松尾芭蕉、二巻では近松門左衛門、三巻では狂歌・川柳への論及に目が向く。『奥の細道』での芭蕉の関心は、ひたすら過去に歌人が心を動かされたものであった。「古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ」という彼の言葉は印象深い。また、近松門左衛門では、日本のシェークスピアと目され乍らも「ついにリア王の偉大と格調を備えた人格を創造することは出来なかった」と手厳しい。狂歌については、滑稽の伝統が乏しい日本文学の中で、少ないながらも詩心の分かる人が狂歌師の中にいることを感謝せずにはおられないという表現を用いて、心を砕く。狂歌といえば、「今までは人のことのみ思いしに、おれが死ぬとは、こいつあたまらん」といったものに、今の私などたまらない共感を感じる。定年後の人生に生きがいを感じつつ、一方で先行きの覚束なさに愕然とするものにとって真実の叫びに違いない。(2014・10・29)
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心のきしみを察する「聞く耳」を持つこと(58)
哲学という学問分野との付き合いは長い。しかし、未だに私自身、要領をえない。そのくせ気になって、捨てきれない。まったく困ったものだ。世に存在する哲学者が総じて人への理解のさせ方が下手だからだと折り合いをつけて、納得しているというのが現状だ。そんななか気になる哲学者が鷲田清一さんだ。この人、大阪大学総長をされていた頃から注目はしていたが、まともにその著作は読んだことがなかった。昨年の暮れだったかに、ある新聞社恒例の「今年読んだベストスリー」なる企画で、かの山崎正和さん(劇作家にして文明評論家)が、この人のものばかり三冊推奨するという掟破りというか、破格の取り扱いをしていたにもかかわらず、である。しかし、カリスマ臨床心理士たる畏友・志村勝之君と話していて、鷲田さんがいかに凄いかを語るのを聞くに及んで,心は決まった▼『哲学の使い方』なる題名が気にいった。それに新書であることが嬉しい。というわけで、初めての挑戦を試みた。冒頭の「哲学の入口」から、わが”お口に合う”雰囲気が漂ってきた。「哲学をばかにすることこそ真に哲学することである」(パスカル)や、「哲学を学ぶことはできない。ひとはただ哲学することを学びうるのみだ」(カント)などという、一見わかりやすそうな表現が続く。だが、彼はそういう常にわかりやすさを求める私のような読者に忠告する。ひとは「わからないものをわからないままに放置していることに耐えられないから、わかりやすい物語にすぐ飛びつく」のだ、と。「目下のじぶんの関心とはさしあたって接点のないような思考や表現にもふれることが大事だ。じぶんのこれまでの関心にはなかった別の補助線を立てることで、より客観的な価値の遠近法をじぶんのなかに組み込むことが大事だ」とも言う。そんなこと百も承知で、それが出来ずに困ってるのだけど、とのわが内なる声が聞こえてくる▼ところで、鷲田さんは臨床哲学なる分野を開拓した。その展開方法とはこうだ。まず、床に臥している人のところへ出向く医療者のように問題の渦中に出向く,フィールドワークが大事で、そこではまずあれこれ論じる前に「聴く」ことが必要になってくる、と説く。そして、「多義的なものを多義的なままにみるためには、みずからの専門的知見をいつでも棚上げできる用意がなければならない。いってみれば、哲学はある種の武装解除から始まる」と。このあたりは心理学と重なってこよう。今年の前半に私は友人たちとの対談を電子書籍にして出版した。そのうちの一冊、『この世は全て心理戦』(志村勝之君との対談)では、終始一貫して志村臨床心理士が聴くことの大事さを強調していた。聴けば自ずと問題の行く末は見えてくる、と言っていたものだ▼鷲田さんがつい先日神戸新聞の文化欄に『汀(みぎわ)にて』との小論を寄稿していたのを読んだ。「聴く耳をもたない人の言葉の応酬は、ほとんど石の投げ合い、刀剣による斬り合いを見るにひとしい」として、政治における言葉の劣化から説き起こし、大いに興味をそそられた。「聴く耳になりきる」ということは「口ごもりを聴くこと、つまりは言いたくても言葉が出てこない、そんな心のきしみを聴くということ」なのだと、その重要性を明かしていた。「苦しい体験ほど言葉にはしにくい。だから、語るに語れないことを、それでも相手が訥々と語り始めるまで待つということが『聴く』ことの第一の作法となる」のだという。実は、これも志村が同じことを言っていた。私のような、「聴く」ことが苦手で、ましてや相手の心のきしみをまったく察せぬまま、いつも待ちきれないで言葉を乱発するものには耳が痛い。かくのごとく『哲学の使い方』は日常的により関心の高い「心理学の使い方」とも類似の作法のように見え、大いに食指を動かされた次第である。(2014・10・27)
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アジアとどう向き合うか「戦後責任」を問う(57)ー大沼保昭
「慰安婦問題」をめぐる朝日新聞の問題について様々な論評が飛び交ったなかで、最も共感できたのは文藝春秋11月号の大沼保昭元東大教授の論文だ。この人は「アジア女性基金」の理事を12年間にわたって務めてきただけあって、メディアの報道ぶりを熟知している。タイトルは「慰安婦救済を阻んだ日韓メディアの大罪」とあり、肩には「朝日・本田雅和記者との対決」とあるが、決して朝日新聞のみを追及してるのではない。とりわけ、今後の課題として①日本にいる外国人特派員の報道②英字紙ジャパンタイムズの問題をあげ、国際社会でのイメージ形成に着眼していることは興味深い。また、朝日と読売に、共通の公共空間の基盤を持てと提案していることも首肯できる▼大沼さんとはかねて昵懇にさせていただいていることはしばしば書いてきた。ご自宅にも伺い、東大を定年で退職された際の最終講義にも出かけた。そして娘さんの瑞穂さんが参議院選挙に出馬されるにあたり、そこそこ助言もさせていただいた。初産直後の幼子を母親に預けての政治家への転身は、本人はもちろん、家族全員に苦労が多かったことは想像に難くない。何よりも大沼夫人の苦労が思いやられた。その大沼さんから今夏に一冊の本が送られてきた。大沼保昭、田中宏、内海愛子の3氏が加藤陽子東大教授の司会のもとに鼎談をした『戦後責任』である。当時の私の読書リストでの優先順位は高くなく、書棚に放置していたが、文春に触発されて思いを改め、一気に読んだ。様々な思いを巡らせるに格好のテキストと、いま満足感に浸っている▼中国、韓国、北朝鮮など隣国との関係はこれからますます息をつめる関係になっていくことは必至で、すべての前提として「戦後責任」は解決が迫られる課題だ。お互いが身の内から湧き上がる”ナショナリズムの虫”に翻弄されている限り、北東アジアに明日はない。私は電子書籍でこの夏の初めに畏友・小此木政夫慶大名誉教授との対談『隣の芝生はなぜ青く見えないか』を出版したが、その問題意識も大沼さんたちと共有している。中身はともかくとして、タイトルは我々のものの方が人の食指を動かすものと思うがどうだろうか。「戦後責任」は直截すぎるし、若い人には敬遠されかねない▼いままでこのテーマで様々なものを読んできたが、この本は実に分かりやすい。これは参加メンバーの誠実なお人柄のなせるものだろう。この本の交通整理役を自任する加藤さんがあとがきに「才気煥発で喧嘩早い弟を、穏やかだが芯の強い姉(内海)と、穏やかだが危機の局面にめっぽう強い兄(田中)が、温かく見守っているという空気が流れた瞬間」を描いている。弟は「瞬間湯沸かし器」と揶揄される大沼さんを指すが、本当に笑ってしまう場面が登場する。これはみなさん読んでのお楽しみだ。ともあれ若い人に読ませたい。そして、市民運動が何たるかを考える人たちにとっても凄く参考になろう。「当事者の思いを実現させるため、箱根駅伝みたいに、自分に課せられたー神様が課すんでしょうかねー区間というか期間をとにかく走り続けて次の走者にたすきを渡していく。ほとんどは途中で倒れてしまうけど、ごく稀にゴールインできる人もいる」との大沼さんの言葉が胸に迫ってくる。(2014・10・25)
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平和追求への営みの陰に咲くあだばな(56)
東京に住む友人から一週間前の9日に、突然メールが届いた。佐藤優『創価学会と平和主義』を読んだが、そのなかの139頁に私が登場しているというのだ。「中身を書きたくてウズウズしているが、(私が)読む楽しみを削いでしまう」から書かない、と。深夜のことゆえ、すぐに書店に行くことも出来ないので、いったい何が取り上げられているのか、あれこれ考えた。20年間の代議士生活の大半を安保・外交の分野に身をおいていた私ゆえ、まさに走馬燈のごとく委員会での発言がよぎってきた。不思議な経験だった。まさにありとあらゆることが思い起こされ、なかなか寝付かれなかったのである▼中国との関係が密接とされる公明党の中にあって、私は積極的に物言う姿勢を崩さなかった。予算委員会で、中国を訪問した自公の先輩政治家たちが、北京で中国におもねる発言をしたことを叱ったこともある。いかに外交辞令とはいえ、度が過ぎる、と。憲法調査会の場で、憲法9条の堅持を主張し続けるわが党内にあって、国際貢献をはっきりと明文上で可能にする記述を付け加えてもいいのではないか、と述べたことも一再ならずある。通り一遍の平和主義ではいけないというのが信条の私だけに叩けば埃はいくらでも出てきておかしくない▼非核三原則は、言うまでもなく、「作らず、持たず、持ち込ませず」だが、私の発案で、公明党は新三原則を提唱した。「作らせず、持たせず、使わせず」と。自らの姿勢をうたうだけではなく、他をも縛るものにすべきだ、との視点からだ。また、ヨルダンとの原子力協定が俎上にのぼった外務委員会で、自国の原発事故を解決できていない状況下にありながら、他国に原発輸出を堂々とするのは納得できないと論陣を張ったこともある。党の態勢がやむなしだったのを、ひっくり返した判断だけに物議を醸したものだ▼しかし、佐藤優さんはこれらのいずれにも目をむけたのではなく、まったく違うことを書いていた。鈴木宗男氏(外務委員長当時)に対する2009年11月18日の衆議院外務委員会での私の発言だった。鈴木氏には選挙で水面下の支援を個人的にも受けていながら、その恩を仇で返すかのごときことを(証人喚問質疑で)してしまったことは、ユーモア交じりではあったにせよ、ずっと気になっていた。しかも、佐藤優さんのまさに膨大な著作群を必死に追っかけて読み進むにつれて、肩に重くのしかかってきたのだ。このあたり、ご存じないひとには分かりづらかろう。冒頭に紹介した友などは、ネット中継で見ており、「あの発言は鮮明に覚えていますよ。赤松さんの誠実さに感動を覚えたものです」というのだが……。ところで、佐藤氏がこのくだりを挿入したのはなぜなのか、との疑問が禁じ得ない。全体の文脈からは外れており、いかにも付け加えた感は否めないのだ。かくして今もなお眠れぬ夜が続く。(2014・10・16)
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中国に新たな革命が起こるとき(55)
中国の動向が気にかかる。香港での学生によるデモが、とくに。私の友人で、香港在住19年、創業12期目のホープウイル・グループ代表の堀明則さんのレポートを読んだ。堀さんは”和僑”の代表の一人でもあり、外から日本を見る眼差し確かな国際人だ。今回のデモは香港の行政長官を選ぶ選挙が、自由な立候補の権利が市民に与えられないものであることから学生、市民の反発を招いたものである。堀さんは、今の学生たちが中国人というよりも香港人というアイデンティティを持っていて、その特徴はデモの実態が「やられてもやり返さず、ものは壊さず、助け合い、座り込みし仲間と香港の将来を真剣に議論しあう、そして道路をしっかり掃除する」ものだと指摘。つまりきわめて紳士的なものだと評価している。そういう比較的おとなしいデモであっても、先行きは覚束ないといえ、中国各地の統治にも微妙な影響を与えることは必至だ▼香港でも習近平政権の横暴さは際立ってきており、他の少数民族居住地域などでは推して知るべきだ。このあたりを含む中国内部事情にめっぽう詳しい情報といえば、宮崎正弘、石平の『2015年 中国の真実』を置いてほかにない。このシリーズでの中国批判のトーンは上がる一方で、二人の舌鋒は留まることを知らない。要約すると、中国経済の破たんは秒読み入っており、その責任はすべて習近平にあり、やがて彼によって共産党政権は潰されるか、彼自身が潰されるかの瀬戸際にあるという。毎回のことだが、現場に足を運んでのレポートだけに迫力がある。2006年に「世界にも誇れる美観のエコ都市が生まれる」(胡錦涛)としていた河北省唐山市の「曽妃甸(そうひでん)大工業区」は日本円で10兆円の巨費が投じられたが、10年が経った今はどうか。「オフィスパークには鉄筋フレームだけ、橋梁建築は途中で放棄され、官庁予定地にはガラ空きのビルが水浸しとなり、満潮時には浅瀬で蟹が捕れる。まさにゴーストタウンではなく、ゴーストシティだ」と。嗚呼、残骸や強者どもの夢のあとー一日の利払いが15億円強に上るとして中国経済の破たんを占う▼「香港の不動産王は、すでに中国の物件をすべて売り逃げしている」とか「不動産バブルで、中産階級が全滅」し、「内需も投資も輸出も全部駄目になり、バブル崩壊次第で経済は全滅する」などと囃し立てられると、経済関係者ならずとも、誰しも浮足立つ思いになる。それらの原因は習近平の戦略なき政権運営ぶりにあるとして、一つ一つ実例を挙げていく。英米などアングロサクソンやIMFへの挑戦から始まって世界各国で無謀というほかない試みの連発は呆れるばかり。▼宮崎、石両氏は、中国の権力闘争が結局は、今なお影響力を残す江沢民元主席に対する、胡錦涛前主席の怨念が背後にあると見る。胡錦涛は習近平と組んで江沢民派の殲滅を図ったのちに、習近平追い落としを図ろうとするという読みである。果たしてそうなるかどうか。これでは、やがて中国に新たな革命が起こるという見立てを持つしかないのだが、一般的にはかなり過激な情報に映ろう。中国の真意が読み取れぬ中、尖閣列島周辺における不穏なうごきに見るように、ひたひたと武力攻撃への準備をしていることだけは明確に迫ってくる。(2014・10・11)
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爺さんの昔話、苦労談をどう聴くか(54)
映画『柘榴坂の仇討』を観た感想はすでに別のブログに書いた(「後の祭り 回走記」)が、直ちに小説も読んでみた。こちらは、浅田次郎『五郎治殿御始末』の中に収録されている。同名のもの二つの他に四つ、併せて六つの短編小説から構成されており、それぞれ三十頁あまりなので読みやすかった。映像が脳裏に残っているのを後追いしたせいもあってか、相乗効果が発揮されてすべてが謎解きされたかのようにクリアになった。映画でも小説でも一度観ただけであれこれ批評するのはおこがましいなどと、殊勝な気分にさえなってしまったのである。映画では「静かで暗すぎる」印象が強いと思った。確かにそうなのだが、小説は短い分逆に凛とした味が強烈に伝わってきて感動が深い。短いものを含まらせ長くすると、どうしても余計なものが入ってきて、大味になるということか。ともあれ両方を併せて鑑賞するのが良いと分かった▼浅田さんはこの六編の短編小説で、いずれも江戸から明治へと世の中が激変する中で取り残される側の悲しい物語りを思いれたっぷりに示してくれている。260年もの間続いた時代が変わるってことは、普通の人間にとってはおよそ驚天動地のことだったろう。髷と散切り頭が交錯し、着物と洋服姿が行き交うのは、表面的な変化であって、何よりも懐具合が違った。とりわけ徳川の側にいたさむらいたちは、まさに塗炭の苦しみに直面したということが、この短編集で嫌というほど分かった。幕末という時代の転換期がこれほどリアルに生活実感を漲らせて迫ってくる小説はなかなかお目にかからないだけに貴重な体験をすることが出来た▼『五郎治殿御始末』は、曾祖父と曾孫の間の秘められた話が展開される。「わしは、お前の年頃にいちど死に損なった」と87歳の翁が8歳ほどの少年に語っていく。「いかな覚悟の戦でも、先駆ける者はさほど怖い思いはせぬ。怖いのは後に続く者だ」「人に先んじて死に向き合えば、怖い思いをしなくてすむ。そして生きるか死ぬかは、人間が決めることではない」ー生と死にかんするこのあたりのしゃべり口調は、あたかもわが爺さんが今の世に出てきて諭してくれているようでリアルに迫ってくる▼この小説を読んでいて印象に残ったのは、自らの苦労談を語ることの意味だ。「たとえ血を分けた子や孫にも身の上話など語るべきではない。人にはそれぞれの苦労があり、誰に語ったところでわかってもらえるものではないからの」「苦労は忘れてゆかねばならぬ。頭が忘れ、体が覚えておればよい。苦労人とは、そういう人のことだよ」「語ればいつまでも忘られぬ。語らねば忘れてしまう」ーそう。著者は、苦労知らずのまま歳を取ったものに限って、僅かばかりの苦労談を語りたがると言いたいのだろう。そんなものでも若い者は聴いたほうがいい。体が忘れてしまい、頭が覚えているだけの話であっても、聴く側にとっては大いに体に効くことが多いから。(2014・10・7)
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車は動かせても、人はなかなか動かせないー寺松輝彦『偉人はかく教える』を読む (53)
「人を動かす秘訣」ーサブタイトルにこうある。人なら誰しも一度は人を動かす魅力に取りつかれるはず。かつて私も真剣に考えたことがあるテーマだが、いつの日か脇に追いやっていた。寺松輝彦『偉人はかく教える』は、ナポレオンからの書き出しにはじまって、終章の織田信長に至るまで古今東西のリーダーたちの知恵と哲学を披露してくれる。アマゾンで手に入れ、一気に読んだ。歴史の山河に埋もれていた様々な名場面、名セリフがあたかも起床ラッパに起こされた兵士のように蘇ってくるから面白い▼著者は3万人の経営幹部を育て上げたカリスマ講師であり、実は私の50年来の友人だ。早稲田を卒業してから、ひたすら社員教育の世界で邁進してきた。新入社員の取り扱いから社長の立ち居振る舞いまで、会社経営の現場を知り抜いた男が、半世紀に及ぶ自身の研鑽を余すところなく提示している。これまでは業界におけるハウツーものの出版が主だったが、このたびは初めて一般読者の胸元にまで激しく迫ってくるものを出版した。私的な関係を超えて多くの人々に読んでほしいと思う。昭和30年代に少年期を過ごした者たちにとって偉人伝は慣れ親しんだ分野であるが、最近はどうだろうか。あまり読まれているような気配を感じない。この書は、経営の任に当たる人たちへのこよなき指南書ではあるが、同時に春秋に富む青年若者たちへの副読本でもある▼先日NHKの人気番組「知恵泉」でホンダの創業者・本田宗一郎氏の経営者ぶりを二回に亘って取り上げていた。これは、今年初めに民放で取り扱っていたトヨタの基盤を不動のものにした豊田喜一郎氏を描いた映画「リーダーズ」と同じように深い感動を与えてくれた。寺松さんがこのホンダ、トヨタのトップ(トヨタは5代目・豊田英二氏)を現代ニッポンの代表的経営者(偉人)として取り上げているのには満足を覚えた。この本は六つの章からなるが、人格、有能、決断と行動、規律、人間味などのキーワードの中で異彩を放つのは、第四章の「姿と形と振る舞いの神通力」だ。管理者らしさをどこで発揮するか。それは「立ち居振る舞いの模範を示す。これしかない」と。さらに、「将軍は決してためらいや、落胆、そして疲労の色を見せてはならない」というジョージ・S・パットン将軍の言葉を挙げて、「堂々たる姿を演じきる」必要性を強調する。ここらあたりは、寺松さんの若き日の姿とだぶって見え、私には無性に懐かしい思いが溢れてきてならなかった。そう、いつも彼はかっこ良かったし今もそうなのである▼カリスマ性を持つ優れたトップに共通するポイントを5つ挙げている。⓵不可能を可能にした実績を持つ➁希望を人々に与える⓷人の善なる部分を認める➃自分の持てるものをえ分かち合う➄人生を前向きに楽しむーこれらはいずれも彼自身が備えている要素なのだ。私などこのうちの殆どを持ち合わせていない。せいぜい5番目だけぐらいか。人生のとばくちに二人して立っていた頃。常に自分を鍛え上げることに執心していた彼を、私は眩しく感じていた。こう思いを募らせて読み終えた私は、この本には表紙のジュリアス・シーザー像をのぞき、絵や写真のたぐいが一切掲載されていないことに気づいた。せめて著者の凛とした顔写真を載せればいいのに、と。ついでに登場する偉人の索引が掲載されていると便利だとも思った。ともあれ、畏友の手になる、ひとの生き方の実践の書の登場に、いま心からほのぼのとした気分に浸っている。(2014・10・1)
【この人は長く小説家修行中の身にあります。今も日本の古代に題材を求めて、日々格闘しています。昔は彼は政治家に向いている、なればいいのにと正直思ってきました。自身を律しつつ、ストイックに物事の成就を目指しゆくその姿勢は、男心をくすぐること大なるものがあったのです。演説をさせても、この国の未来を語らせても惚れ惚れするくらいの才能を見せてくれました。20歳台からずっと共戦の日々を過ごしてきましたが、さして才能に恵まれていない私の方が政治家になってしまいました。人生って不思議なものです。いま彼は機会あるごとに、こよなきアドバイス、激励を繰り返してくれるのです。得難い友の一人です。
透徹した歴史観に基づく彼のものの考え方は、傾聴に値するところが多く、いつも参考にしています。つい先日も、「戦後政治を見る場合、日本古来の歴史研究が欠けているように思えます。明治以降はイギリス、ドイツ、戦後はアメリカの価値観を取り入れるのに急で、前者は江戸時代を、後者は、明治、大正時代を否定することに力を入れてきました。夫婦別姓選択制などもそうですが、なぜ夫婦同姓になったのかなど、歴史的な経緯を含めた議論が必要ですね」などという見解を寄せてくれました。
直木賞の発表があるたびに、私は彼の名を探しています。(2022-5-8)】
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二極化と「中道」公明党の再現を期待(52)
東京に行った際に定宿にしているホテルで目を惹くのは玄関のロビーにその日の新聞が山積みされていることだ。銘柄は朝日新聞のみ。常に300部は置いてあろうか。数日前に行って、いつもと同じ変わらぬ風景に奇妙な異和感を覚えた。週刊誌を見る限り、例の二つの”吉田事件”で、雪崩をうって朝日離れが起きているとの指摘があるからだ。今回の私の上京の目的の一つに、かつて党広報局長をしていた時代ー20年前にもなるのだがーに公明党番記者をしていた連中6人ほどと懇談することがあった。勿論同社の記者も含まれている。あれこれの昔話や”今話”に花を咲かせた。現役を退いてやがて2年、情報に疎くならぬように鋭意気を配っている私にとって珠玉の時間であった▼往復の新幹線車中に持ち込み、読み終えたのは『安倍官邸と新聞ー「二極化する報道」の危機』。朝日新聞社記事審査室幹事の立場にある徳山喜雄氏の手になる、この夏発刊されたばかりの新書。読むきっかけになったのは、これまた昔付き合った東京中日新聞記者(元同社政治部長、現在は東海ラジオ社長)から勧められたため。いや、本人が読んだからといって、私にくれたものである。中身の要点は⓵安倍官邸のメディア戦略が巧妙できわめて有効に働いていおり、首相の考えにそった流れへと世論が導かれている➁在京主要6紙が「朝日、毎日、東京」と「読売、産経、日経」とに二分化されており、深い論議や第三の可能性を探るといった成熟した言論が成立しにくくなっている、の二点だ。とくに後者は、集団的自衛権問題を論じてきた場面で痛感したことだけに、あらためて感じ入った▼第一次内閣の体たらくに比べて別人のごとく振る舞っているかに見える安倍首相だが、その秘密の一つに、民主党政権の大失政があると思われる。同一人物が短い期間にかくほど変われるのは、谷間にさいたあだ花のような、鳩山、菅、野田と続いた前政権の、「何も決められない」政治が存在したからに違いない。ドンドン決めていく政治決断を支持する世論の醸成が根深く存在する。これにはよほど注意を払わねば、気づいた時には手遅れになりかねない危険性があると思われる。それは、第三の道を志向し続けてきた公明党の50年が、これから歩む道と大きくかかわってもくる▼二極化しがちな政治状況はかつて公明党が誕生した時代の背景にもあった。自民対社会の二大政党対立時代だ。論議不毛の時代と言われた。それを阻止し、第三の選択を提示し、大きく時代を変革しようとしてきたのが公明党だった。その公明党が自民党を中から変えようと連立政権に入り、自公蜜月の流れが始まってから10数年。今展開する政治状況に第三の可能性を探る動きが弱く見えるとしたら、大いに嘆かわしい。どうしても二極化からは三極目がかすみがちになる。あらためて「中道」の旗印をもっと鮮明に掲げる必要性を感じると強調しておきたい。(2014・9・29)
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抱腹レポート読んで笑えない笑医に共感 高柳和江(51)
一日に五回笑って、五回感動すれば元気で長生きできるーこれは笑医塾塾長の高柳和江(元日本医大准教授,医学博士)さんの掲げる指針である。先日も明石市の生涯教育リーダーたちを前に一時間半の講演を聴いたが、いやはやいっぱい笑わせて頂いた。彼女は私の高校同期(これをいうと、歳が分かるからといって秘密なのだが)でもあり、親しい間柄なので、この講演の講師として招くきっかけを作らせて頂いた。何回も講演は聴いているが、あらためて実に旨い、と思った。さすがに世界の講演上手なスピーカー2000人の一人に選ばれているだけのことはある。スライドを使って見事なまでの話しっぷりは、毎回データを入れ替えて工夫をしているだけに、新鮮かつ信ぴょう性も高いと思われる(ただし、彼女が触っただけでリウマチで両手の指が曲がっていたのが治ったというのは、写真を見たものの、いささか信じがたい)▼その彼女と久しぶりに終了後昼食を共にした際に、塩野七生さんの文藝春秋10月号の巻頭エッセイを話題にした。『日本人へ137 この夏を忘れさせてくれた一冊の本』というものだが、塩野さんはこの中でコリン・ジョイス『「ニッポン社会」入門』を抱腹(絶倒)ものだと絶賛している。「歌舞伎は歌舞伎町ではやっていない」「作家とサッカーの違いは大きい」「電話を切るとき思わずお辞儀をしてしまう」などなど、「日本で暮らす時にこれだけは覚えておこう」という部分を読むだけでも笑ってしまう、とあれこれ実例を上げている。そして「私だったらこの一冊を、新内閣の大臣たち9から企業の首脳陣、そして新入社員に至るまでの、秋に入っての必読書に推すだろう」とまで言い切っている。尊敬するこの日本を代表する女流作家にこうまで勧められたら読まずにはおれない。早速アマゾンで購入して読んだ▼たまたま笑いがテーマだから、ここは笑医の第一人者である高柳女史に訊いてみた。「文春の塩野さんのエッセイ読んだ?俺、買って読んだけど全く面白くないんだけど」と。彼女からは直ちに「あれ、私も読んだよ。だけどそう、殆ど面白くない。笑うところなんかなかった」との答えが返ってきた。あまりの一致にここは二人して笑った。彼女は「塩野さんはやっぱりもう外人なんだね。感性が。私たち日本人としてはあんまり笑うところはない」とダメ押し。国会の質問に際しても必ず冒頭にはユーモアを交えることを忘れなかった私としては、塩野さんのいう”ユーモアを解さぬ政治家”とは言われたくない思いが人一倍強かった。ところが、そのわが感性も鈍ったのか、と心配したが、高柳さんと同じと知って杞憂に終わった▼ジョイスさんは確かに非常なる勉強家で、ニッポン社会をくまなく調べ上げている。改めてニッポン社会とは何かを知る上で、為になること請け合いである。つまり笑う本,笑える本ではなく、真面目に考えさせる本ではないか。塩野さんのエッセイを読まずに読んだら笑えたかもしれない。要するに、抱腹するっていわれると、じゃあ抱腹させてくれと、開き直るのが私たちの常であり,そうなると意外と笑えないものだ。ところで、高柳さんは「私,あの本,本屋で立ち読みしただけ、良かった、買わなくて」ときた。立ち読みどころか、中身を知らず、塩野七生流お勧め文だけで、買ってしまった俺って馬鹿だなあ、と笑ってしまった。(2014・9・23)
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