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(第5章)第1節 名編集者の箴言散りばめた人物論━━背戸逸夫『縁ありて花ひらき、恩ありて実を結ぶ』を読む

 

 「君はアグレッシブなやつだと思っていたが、最近は少し変わったね。丸くなったよ」──尊敬していた先輩からこういわれてしまった。数年前にかつて青春時代を共有した仲間たちの集いが終わった後の二次会でのことだ。実は、同じこの人が20年近く前のことになるが、拙著『忙中本あり』について「君の本にはエロスを感じる」と妙な表現で評価をしてくれた。理想を求めてあくなき挑戦をする姿勢を褒めてくれたと思いこんでいたのだが、「アグレッシブな」との表現を聴いて、正直落ち込んでしまった。このひとの脳裏には、エロスとアグレッシブが裏腹の関係にあって使われたものだと思われる。ひとの言葉に一喜一憂する歳でもあるまいに。尤も、それだけこの人に憧れていたからだろう。

 背戸逸夫さん━━長く潮出版社で総合雑誌『潮』の編集を担当された。開高健氏始め数多の作家をして「名編集者」と呼ばせた才人である。60歳代半ばで創刊された月刊誌「理念と経営」の編集長を務め、その後編集局長をされた。政党機関紙の記者をしていた私からすると、雑誌作りという隣家の庭の花はどうしても赤く見えてしまう。その背戸さんから『縁ありて花ひらき、恩ありて実を結ぶ』という長いタイトルの本が送られてきた。「理念と経営」で連載されてきた中小企業経営者とのインタビューを中心にした読み物の10年間分をまとめたものである。

●200人超える経営者が登場

 一読打ちのめされた。短い文章でこれだけひとを鮮やかに描き切ったものはかつて目にしたことがない。ニュース記事に始まり、国会の動きを中心とする解説や、コラム、社説と記者時代に私は書いてきた。一番難しいのは人物記事だと思ってきた。そんな私をして心底から感服させる中身である。

 恐らくは若き日より書物を読みに読んでこられた背戸さんは、しっかりと感銘を受けた言葉やフレーズをため込んできておられるはず。それを一気に吐き出された感がする。普通の読者なら読み過ごし投げ捨ててしまう言葉を惜しげもなく披露してくれる。いやはやそんなに見せてくれずともいいですよ、といいたくなるほど適切極まりかねない箴言の列挙。お鮨と天ぷらと、それにウナギを併せ食ったような満腹感がしてしまう。この本は毎月分をゆっくり味わうもので、単行本になったものをまとめて読むときはゆっくりと間合いをおいて読まないと体調に変調をきたしかねない。

 今になるまで、本を読みながらメモを取ったり、ノートを作るなどという事は宗教、思想・哲学の分野を除いてなかっただけに、不可思議な読後感に苛まれている。225人ほどの経営者のたたずまいが取り上げられているが、全く知らないひと(ご存じ吉田松陰、松下幸之助がまぎれ混んでいるが)ばかり。私が会って話を交わしたことがあるのは、僅かに3人。丹羽宇一郎(元伊藤忠商事会長、元中国大使)氏と山中伸弥(ノーベル医学生理学賞受賞者)氏は別格だろうから、明珍宗理さん一人だけと言っていい。姫路で有名な火箸風鈴の作り手である。「ひとのあるなしもうち忘れ、鉄を打ちにかかる姿と呼吸をじっとみているうちに、いつかしら共に槌を持って一振り一振り、精魂をうちこめているような境地にひきこまれます」──静かで見事な風景描写だ。「匠は、市井の人でした。仕事に誇りをもち、思いがけない一家言の蓄えの一端が開示されます。はっきりした性格を所有しているひとでした」──激しさを隠し持った見事な人物描写である。ひとを見抜く力を持った人をして、「お前さんを見誤っていた」と言わせたかった。

【他生の縁 憧れの編集人への思い】

 潮出版社というと、私には若い日からの思い入れがあります。大学を出て公明新聞社に入ることになったのですが、母が「そんな会社に息子が勤めることになったなんて、人に言われへん」と言いました。50年以上経った今も忘れもしません。信仰と縁が薄く、見栄をはること大なるものがあった人です。私が「新聞記者やないか。報道に関われるんや」というと、追い討ちをかけるように、「NHKやったらええけど」ときました。「うーん、そんなら『潮』っていう出版社に入ったとでもいうときゃ、ええやん」と、やけくそ気味で言い返しました。咄嗟に出た〝勤め先詐称〟の発言ですが、〝息子の心母知らず〟もいいところです。母は『潮』の存在すら知らなかったはずですが、それきり黙ってしまいました。

 『潮』には、尊敬すべき先輩が何人もいました。背戸さんの直ぐ歳下の木村博さんもその一人です。この人とは晩年親交を深めることが出来、60歳を超えてドイツに居を移された再婚先にまで押しかけました。再婚相手は、『潮』同期入社の若くしてドイツに渡られた女性です。その木村さんのお宅で、背戸さんの本の魅力を語り合ったものです。雑誌編集に生涯をかけた魅力溢れる先輩は、もう二人ともこの世にいないのは残念なことです。

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(200)ひとり一人が繋がることの大事さー山折哲雄『「ひとり」の哲学』を読む

人間の孤独について考え抜き、深い関心を抱く友人から、「自分はもう読み終えたのでいらないから」と言われて本を貰った。山折哲雄『「ひとり」の哲学』である。「親鸞、道元、日蓮、一遍らの生きざまを振り返り、日本思想の源流ともいえる『ひとりの覚悟』ともいえるべきものに光を当てる」という触れ込みだ。その友人はあまり中身に感じ入るところはなかったようだが、恐らく私なら仏教に関心を持っているだけに、読みたいと思うに違いないと見込まれた。有難いこと。ざっと読ませていただいた。それなりに勉強になった。だが、ひとに勧めようとは思わない▼私は19歳で日蓮仏教の門を叩いた。いらい職業としての新聞記者、政治家の道は歩んだものの、創価学会ひとすじの人生である。尤も、前期青年期ともいえる15歳あたりから19歳までに思想遍歴めいたものはないではない。高校時代に倉田百三『出家とその弟子』をかじって親鸞に興味を抱き、友人の勧めで「財団法人天風会」に入り、創始者・中村天風に傾倒したことも。これはヨガの哲学めいており座禅を組み無念無想の境地に入るところは禅宗に似ている。天下に遍く知られているように、日蓮は鎌倉時代に「四個の格言」を表明し、念仏は無限地獄に陥り、禅は天魔の所為であると断定した。鎌倉時代に支配的だった宗教(他に真言、律宗)について、その思想的位置づけをしたわけだ。なぜそういえるのかと、私も「格闘」し続けたが、ここでは触れない▼山折さんは、ひろさちや氏らと並んで仏教を現代にひろく整理し紹介する水先案内人の役割を果たしている。ここではドイツの哲学者カール・ヤスパースのいう「基軸の時代」のひそみに倣って、日本の鎌倉時代における宗教者たちの”乱舞”を対比させている。紀元前800年から前200年の間に、中国やインド、西欧世界に次々と哲人たちが出現、人類最大の精神変革期を形成したが、日本では、親鸞、道元、日蓮、法然、一遍らが登場した13世紀がそれにあたるというわけである。さらに山折さんは、これらの宗教者たちは「その生涯においてひとりで立つ気概をみせ、ひたすらひとりの命に向き合い、その魂の救済のために献身し、語り続ける人生を送っていた」とする。この流れは近代日本の夜明けに一人立った福沢諭吉へと行きつくわけだが、この書では殆ど掘り下げてはいない。前記の鎌倉の巨人たちを追うために旅にでて足跡を探るなど、いかにも売れっ子の本づくりの常とう手段めいていて安易な匂いがする▼彼が言わんとするところは現代日本人に垣間見える「ひとり」や「孤立や孤独」を嫌う風潮だ。確かに「自助・共助・公助」はひたすら助けを求める構図であって、自ら一人立って立ち向かう意図を感じさせない。なにかにすがろうとする柔な姿勢そのものである。福沢の言った「独立自尊」の気風はひたすら影が薄い。現代における「つながる」ことの魅力に触れていないのも物足りない。独立、自立なくしてただ群れるだけであってはならぬ。尤も、ひとり立ったひとびとが相互につながるときの力たるや壮絶なものがある。今、世界中に日蓮仏法の系譜を受け継ぐ人々がSGI運動に嬉々として馳せ参じている姿には眼を見張らせられる。親鸞や道元の流れは「ひとり」に寄り添うものではあっても、日蓮の「ひとり一人」を強力に繋げ束ねる力には遠く及ばない。鎌倉期の宗教者たちの現代世界への影響力に、つい思いをはせてしまった。(2017・2・25)

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(199)塾歌の由来から破天荒な青年期に再会ー福沢諭吉『福翁自伝』を読む

先日、姫路慶應倶楽部の新年会があり、そこで慶應福沢研究センターの都倉武之准教授のミニ講演を聴く機会があった。その中で、慶應塾歌の冒頭部分にある、「見よ風に鳴る 我が旗を 新潮(にいじお)よする 暁の 嵐の中にはためきて 文化の護り 高らかに 貫きたてし 誇りあり……」という歌詞の由来を知った。実はオランダがナポレオンのフランスに敗れ、世界中から後退した時に、唯一長崎出島においてのみその国旗がはためいていたという史実に基づいているというのだ。『福翁自伝』に書いてある、と。これと、幕末動乱のさなかにも揺るがず学問に傾倒した福沢・慶應義塾の姿を、作詞家の富田正文さんがリンクさせたのだ、という。不覚にも全貌を知らなかったのを恥じ、実に50年ぶりに『福翁自伝』を紐解いた。ぐいぐいと引き込まれてしまった▼改めて福沢諭吉というひとがいかに自由闊達な青年時代を送ったかについて知った。酒好きが半端ではない。青年期における乱暴狼藉の場面の連続には呆れるばかりである。そうしたところだけを読むとおよそ後の”教育者”らしからぬ振る舞いに驚く。近代日本を代表する真面目な思想家といったイメージには程遠い。「開国か攘夷か」と、まなじり決した「テロ」まがいの風潮が横行した幕末激動期。そんな時に一方に押し流されぬ無類のバランス感覚で、ひたすら未来に目を向け、洋学を学び続けた。ところが、福沢はそんな自分を「臆病」ものに描く。夜道。向うから怪しげな人物が歩いてきてすれ違う際の心理描写の巧みさ。すれ違った後、お互いに一目散に逃げたというのだから。随所にこうした漫画チックな福沢諭吉が現れ、滅茶苦茶に面白い▼漢学、儒学一辺倒だった時代から洋学へと流れが変わる転換期に、先駆けの役割を果たしたひと。洋学への異常なまでの関心、傾倒ぶりを除けば、本当に親しみやすい普通のひとだったということが分る。学問の師・緒方洪庵に対する敬愛の念は、ひとの世における師弟の重要性を気付かせられる。家族に対する並々ならぬ思い入れも大いに胸を打つ。惜しむらくは、大いに端折って書かれていること。たとえば結婚からこどもを授かられた辺りが出てこないのは物足りぬ。また、差別用語が平気で書かれているあたりも、「天はひとの上にひとを作らず。ひとの下にひとを作らず」との名言を編み出したひとにしては、いかがなものかと首をひねってしまう▼我が青春の曙期に、この本を読んでそれなりに感動した。その後、『学問のすすめ』から『文明論の概略』へと読み進んだものだ。「政治の実際」には背を向け、新聞を出し、評論を書き、大学を経営して青年を訓育した福沢。そんなひとに憧れた頃から半世紀が経った。とっくに福沢の歳を超えてしまった。彼が生きた「慶応」から「明治」という時代の持つ意味を、今ごろになって改めて真剣に考えようとしている。「そんなことして何になるんや、もう遅い。あほか」との声が聞こえてくるのに。(2017・2・19)

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(198)20世紀をもう一度やり直す、とはー宮家邦彦、佐藤優『世界史の転換』を読む

先週ご紹介した宮家邦彦氏との懇談の際に、同じ外務省出身の佐藤優氏のことが話題になった。彼がいかに創価学会、公明党への理解が深いかについて、つい力説してしまった。宮家さんは、それには直接触れずに「彼とは対談本を出していますからね」とのこと。ウーン。まことに恥ずかしながら佐藤優さんが凄まじい勢いで次つぎと色んな人との対談本を出しておられるので、うっかり見過ごしていた。正直に告白すると、いささか食傷気味になっていたことは否めない。所望したこともあって、直ちにその新書『世界史の転換ー常識が通じない時代の読み方』が送られてきた。『トランプ大統領とダークサイドの逆襲』と併せて立て続けに読むことになった▼この本の読みどころは、「ISやアル・カイーダなどイスラム過激派がついに西側諸国に対する『世界イスラム革命戦争』を始めた」(佐藤)ということに尽きよう。シリアやイラクで追い詰められつつあるかにみえるイスラム過激派がこれからどう動くのか。極東の島国に住む我々とて無関心では到底いられない。その行方をめぐり「新たなジハード(聖戦)拡散の活動拠点は、フェルガナ盆地」(宮家)と断定していることは興味深い。「ウズベキスタンとキルギス、タジキスタンの国境線がジグゾーパズルのように複雑に入り組み、周囲を天山山脈の山々が取り囲む」ところだと。この戦争の行き着く先についてはさすがにご両人とも曖昧にしている。予断は許されないということなのだろうが、より不気味だ▼全編を通じて強く迫って来るのは、欧米の衰退であり、これまでの世界秩序が終わりを告げようとしていることだ。「『国境のない欧州』という夢は崩れる寸前で、通貨ユーロも風前の灯」との共通認識は「幕開け」であって、次はどうなるのか。「ポスト冷戦時代が終わったいま、私たちは、二十世紀をもう一度やり直していて」いて「現在の混沌とした国際情勢の中で、新たな秩序が形成されて落ち着く。そこからほんとうの新世紀が始まる」(佐藤)という。ここはさりげなくかかれているが、読み飛ばせない。「二十世紀のやり直し」とは「世界大戦のやり直し」を意味するからだ。しかも前世紀のそれと違って、新たな世紀の戦は「西欧文明対イスラム文明」の様相となる気配が濃厚で、それはまさに「世界史の転換」の一大構成要因を意味するものと思われる▼私たちは若き日に、師匠・池田先生から「地球民族主義」の大事さを教えられ、「等距離中立外交」の必要性を学んだ。新しき世紀は「東洋の仏法思想」を中心に据えた時代にせねばならないと夢を育んだものである。つまり、それこそ真の意味での「世界史の転換」を果たす担い手であることを自覚したものだった。あれから50年。もし時代が宮家さんや佐藤さんがここで語っているように展開していくなら、それは私たちが無責任だからだとさえ。ギリシャ哲学とキリスト教との合体による「西欧思想」は明らかに破たんの色が濃い。それを補い新たな世紀を引っ張るに足る思想は、「日蓮仏法」でしかないことを改めてかみしめたい。(2017・2・8)

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(197)世界の今をどう見るかー宮家邦彦『トランプ大統領とダークサイドの逆襲』を読む

タイへの旅から私が帰ってきたその日に、外交評論家の宮家邦彦氏が姫路にやってきた。地元企業関係者らから講演を求められての訪問のついでに、会おうということになった。彼が外務省安全保障課長時代に、外交安保部会長として色々と付き合い、外務省退官後も時に応じて勉強会にお招きしたことがある。このところ疎遠だった間に、彼はメディアの寵児となっている。関西一円での人気テレビ番組『そこまで言って委員会』の常連メンバーで、大きな外交案件でコメントを求められて発信をする一方、国際政治の今を読み解く本を次々と出版している。陸に上がった魚のように、国際政治の現場に疎くなっている私としては眩いばかりの存在だが、無謀さも顧みず”昔取った杵柄”を振り回して立ち向かった▼最大の関心事は、トランプ米大統領の登場に伴う世界の行く末。彼はこのテーマを「ダークサイド」というキーワードで見事に料理してくれた。それって、映画『スターウオーズ』に登場する、悪の皇帝「ダースベイダー」が陥った人間の暗黒面のことをさすという。米国の民衆の間に蔓延する不平、不満をトランプ氏が巧みに束ねて勝利をつかんだ。で、今や世界中にこれと類似の傾向が見て取れるという。この話は年末に緊急出版した『トランプ大統領とダークサイドの逆襲』に詳しい、と。対面する相手の近作を読んでおくことは鉄則なのに、つい見逃してしまっていた。恥ずかしい限り。加えて、私は彼にとって外務省の仲間である佐藤優氏のことを口にしてしまった。直ちに「彼とはこの間対談本を出しました」と、きた。『世界史の大転換』である▼かくして二冊の本を並行して読む羽目になった。『ダークサイドの逆襲』を読んだうえで、『世界史の大転換』を読むと、当然ながら宮家発言部分を中心に極めて分かりやすい。「日本の政治がいまだ、アメリカや欧州のような大衆迎合的ナショナリズムに陥っていない理由は何か。誤解を恐れずにいうならば、安倍首相個人の力量に負うところが大きい」とし、「『ダークサイド』右派の暴走をうまく吸収している」とのくだりは、私との懇談の場面でも強調されていた。「日本の政治の安定」に安倍首相が大いなる役割を発揮しているかを力説していたことが耳朶に残っている▼国際政治の読み解き方として、「ダーク(暗い)か、ブライト(明るい)か」は、いささか乱暴ではないか。またそれって支配者階級と被支配者階級の相克、むかし社会主義革命前夜に見た光景とどう違うのか。あれこれ疑問は沸くものの、これからのパースペクティブ(見通し)を切り拓く上で、今風の切り口として格好のものと言えることは間違いない。こうした「言語象徴」をさらっと持ち出すあたり、ただならざる才能の持ち主だ。多くのひとに読んでもらいたい現代の最先端を行く「国際政治入門」としてお勧めの本だ▼全体的に軽いタッチだが、最終章の「地政学リスクとは何か」はそれなりに歯応えがある。国際情勢を見るポイントとして、1)地政学の「地」は地理の「地」であること2)「パワー」とは動くけれども見ることができない3)パワーは因数分解して相互の関係性を考える4)地政学では「経済合理性」を優先してはいけない5)地図はひっくり返して見ることーの5つを挙げている。いずれも味わい深い。冷戦から新冷戦、ポスト新冷戦を経て、久々の世界史の転換期の到来。これを読み取るうえで貴重な水先案内人に大いなる期待をしたい。(2017・1・29)

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(196)呪縛から解き放たれたタイへの旅ー三島由紀夫『暁の寺』を読む

「芸術というのは巨大な夕焼です。一時代のすべての佳いものの燔祭(はんさい)です」から始まって、「夕焼の下の物象はみな、陶酔と恍惚のうちに飛び交わし、……そして地に落ちて死んでしまいます」に終わる40行足らずの文章程、三島由紀夫らしい文章はない。50年もっと前に、彼の文章の持つ魔性に幻惑され、反面教師として位置付ける一方、彼の書くものから遠ざかり、簡明直截を持って旨とする新聞記者稼業に私は身を投じたものだった。市ヶ谷で自刃した際のあの衝撃は私自身の25歳の誕生日前夜ということもあって今に忘れがたい。その三島の代表作・豊穣の海全4巻は長きにわたる読書生活における課題であり続けてきた。就中冒頭に挙げた『暁の寺』はタイ・バンコクを、メナム川(チャオプラヤ川)を舞台にしながら彼の生死観、仏教観を垣間見せたものである。私の人生の本格的幕開け期と、彼の幕じまいのときはほぼ同時期のものとして重なる。いらい半世紀近くもの間、彼の提起したテーマは私の肩に胸に心にのしかかってきたのである▼一度でいいからタイに行ってみたいと思ってきた。それはある種怖いもの見たさに通じる。三島が「(あの事件遂行という)もっとも切迫した現実の只中にみずからを置いて、身を刻むかのようにして書き上げた」(解説の森川達也)からだといえる。行ったところで何が解るというものでもないのだが、それでも行ってみなければ何事も始まらないという思いに駆られたことも事実だ。少年のようなノリで(今どきの若者はそんなことなどしないだろうが)、文庫本を片手に機中のひととなったのだから、文字通り私も変わってはいる▼「歴史は決して人間意志によって動かされぬが、しかも人間意志の本質は、歴史に敢て関わろうとする意志だ、という考えこそ、少年時代以来一貫してかわらぬ本多の持説だった」とのくだりがあるが、それこそ彼の自刃の際に叫んだ歴史に敢て関わろう意志だったいうことが鮮明に浮かび上がってきた。メナム川の上を遊覧モータボートに乗って一時間、猛烈なスピードで北に南に西に東に走った。その合間、波間に彼が死に場所を求め、自分の最期にあたっての舞台装置を探し続けていたことが分かるような気がしてきたのである。「人間の不如意は、時の外に身を置いて、二つの時、二つの死を公平に較べてみて、どちらかの死を選ぶということができないこと」や「どんなに真摯な死も、ただものうい革命の午後に起こった、病理学的な自殺と思われることを避けがたい」との記述を目にして益々その感が強い▼解説子が云う。三島の「挫折」というか「破綻」は「この巻の随所に追求される、大乗仏教を支える二つの根本思想のうちの一つ、いわゆる『阿頼耶識』を中核として展開された、あのめくるめくばかりに巨大な『唯識』思想の世界に、打ちのめされてのことではなかったのか」との指摘は私にとって極めて面白い。「阿頼耶識」は唯識の八番目。未だその奥に、究極の奥底に「九識心王真如の都」とまで表現される九番目の「阿摩羅識」があることを三島は知らない。「三島がこの巨大な思想の体系を、充全に納得し、領解し得たとはいささかも思わない」という森川氏の理解も、まだまだ仏教の基本理解に至っていないのである。このように見て来て、ようやく私は「三島の呪縛」からようやく解き放たれた感がしてくるのを禁じ得ない。(2017・1・22)

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(195)哲人政治は民主主義を上回れるかー岡崎久彦他『クーデターの政治学 政治の天才の国タイ』を読む

明日から三泊四日の日程でタイ・バンコクに行く。昨年から私が関わる企業のトップと一緒に。当地では駐在日本大使の佐渡島志郎さんに会うのを始め、仕事関係から観光まで色々と予定があり楽しみだ。訪問するに当たってかねて読んでいた本を取り出し再読してみた。岡崎久彦、藤井昭彦、横田順子『クーデターの政治学ー政治の天才の国タイ』である。1991年2月のクーデターの2年後に出版されたこの本を私は衆議院議員になったばかりのその年に手にした記憶がある。どちらかと言えばタイトルに惹かれたのだが、中身はいささか退屈であり、羊頭狗肉の感がしていた。クーデターの経緯を時系列的に並べられたのでは興味も薄れようというものだった▼生まれて初めての地に行くにはそれなりの準備が必要で、バンコクといえば、三島由紀夫の『暁の寺』とともにこの本は捨てがたい。読み進めるうちにグイと引き込まれた。「デモクラシーが批判される時、その代案として提示されるのは賢人政治である」「結局は、デモクラシーの代案は独裁体制であり、独裁者が、哲人、賢人、あるいはデモクラシー時代の指導者よりも多少でもすぐれた指導者ならば、その方が良いというのが人類の歴史に何度も現れた一つの考え方である」との記述の後に、「タイという国は、少なくとも西暦紀元以降の世界史上、プラトンのいう哲人王を持った唯一の国だ」して、「ラーマ4世モンクット王(1804~68)こそは、プラトンが哲人王と呼ぶに値する唯一の王と思う」とあった▼本は再読するものだ。一回目は見落としていたところに気づく。プラトンの哲人政治と、映画『王様と私』は知っていても、モンクット王と結びつかなかった。恥ずかしい限り。実はこのコラムの前々回で私は林景一前英国大使の『イギリスは明日もしたたか』を取り上げ、「もう一人の主役を考える」とのタイトルで書いた。その文章の最後のくだりで、「西洋思想に対して、根底において異質の価値観を持つ日本という原点を忘れてはならない」としたうえで、「西洋発の『民主主義』の在り様、行く末に警鐘が乱打されている今だからこそ深く考え直すいとまを持ちたい」と結んだものだ。プラトンの哲人政治、モンクット王的なるものへの待望論ととられよう▼これに対して、当の林景一さんご自身からメールを頂いていた。その中身は、西洋発の「民主主義」に取って代わるものはないのではないか、ということに尽き、どんなにまずくても民主主義を上回る仕組みはないはずというものであった。西欧の思想、西欧発の政治の仕組みが今、行き詰っているとしか思えぬ現状に鑑みて、東洋、なかんづく日本発の思想、仕組みを打ち出したいという考えを提起したのだが、早速反論ごときものにぶつかった。面白い。有難い。次回、タイへの旅の途中考えたものを。(2017・1・17)

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(194)本は易しくなければ優しくないー中村仁信『放射線ホルミシスで健康長寿』を読む

「大量の放射線は身体を破壊するが、少量ならむしろ体に良い」ー私が特別顧問的立場で関わっている一般社団法人「日本放射線ホルミシス協会」の主張を一言で表すとこうなる。少量でピンポイント的に局所にあてると、驚くべき結果を招くということはがん治療の分野で外科手術、抗がん剤治療に加えて、第三の手だてとして今や証明されつつある。しかし、一般的には放射線と言えば、怖い危険なものとのイメージはぬぐいがたい。この傾向に大きく竿をさしたのが東北の大震災による福島原発事故である。「羹に懲りてなますを吹く」の例え通り、「原発に懲りて放射線ホルミシスを排除する」流れは覆いがたい▼ただ、それでも根気よく説明し理解を求めればわかってくれる人は少なくない。私の地元姫路市の北部にある富栖の里での洞窟に入って、肌から口から体内に微量の放射線を取り込んで、がんが治り、元気になったとの実例には枚挙にいとまがない。私も現地にしばしば足を運び、洞窟に入る経験をしている。「百聞は一見に如かず」のことわざがリアルに迫って来る。放射線の権威であり、この団体の理事長である中村仁信(大阪大名誉教授)さんが、免疫学の大家・安保徹(新潟大)、生活科学の重鎮・清水教永(大阪府大)の両氏(ともに名誉教授)と一緒に著した『放射線ホルミシスで健康長寿』という本は、分かりやすくその辺りを解きほぐしてくれ、とても有用で役立つ▼数年前に富栖の里で講演をされた時にお会いしていらい、中村さんとは知己を得た。穏やかな風貌の下に秘めた強い放射線への信念はひとの心を射抜いてやまない。実は私は今『放射線ホルミシスって何だ?10問10答』(仮題)という小冊子を作ることに取り組んでおり、原稿を執筆しているところだ。その際に、この本を参考にしているしだい。「易しくないと本は優しくない」というのが”本を読み継いで50年”の我が人生の行きついた結論的モットーである。どんなにいいことが書いてあったとしても難しければ理解できない。易しく書かれてあることは極めて重要なのである。つまり、ひとに優しいのだ▼この本、十分に易しく書いてある。だが、それでも専門家の書いたものはどうしても難しさがつきまとう。私など元来が単純だから、これでもか、これでもかと分かりやすくして欲しいし、自分が書くならそうしたい。放射線ホルミシスをめぐって、その名前の由来から始まり、なぜ誤解が発生してきたのか、身体にいいのはなぜか、そして原発是非論議にいたるまでの放射線本の決定版ガイダンスを書き、できれば電子本にして出すつもりだ。勿論、中村さんに監修してもらって。おかゆのように既に胃の腑に優しいものを、さらに水を加えたとぎ汁風のもののようにしたい。お正月明けから、その作業に取り組んでいる。乞うご期待。(2017・1・10)

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(193)もうひとりの主役を深く考えるー林景一『イギリスは明日もしたたか』を読む

 世界中を驚かせたのは8年前の米大統領選でのトランプ氏の勝利と英国の国民投票でEU離脱が決まったことだった。共に、一般的な予想を覆しての結果だった。ISなど米欧に対する「価値観の反逆」ともいうべき動きが顕著な時代の流れとして伺えるときだけに、より一層注目される。歴史の分岐点とまでいわれる事態。だが、その背景を解説する本については、前者に比べて英国に関するものは圧倒的に少ない。そこへ格好の読み物が登場した。●年前まで、英国駐在大使をしていた林景一さんの『イギリスは明日もしたたか』だ。まさに実況中継風の溢れる臨場感と、深い英国の歴史への洞察力に基づいたもので、知的興味が強く惹きつけられた。

 林さんと私は付き合いが古い。公明党の外交安全保障政策の担当をしていた当時、国際法局長などをされていた彼と幾たびか議論をした仲だ。後にアイルランド駐在大使をされていた頃に、私は司馬遼太郎氏のアイルランド編『街道を行く』を片手に、同地を案内して頂く幸運にも恵まれた。こも旅は自民党の石破茂氏らと訪れた英国視察旅の行程を私だけ延ばし、彼の地に赴いたのである。厚生労働副大臣をしていた折でもあり、同地の医療事情を学ぶ目的があった。加えて、当時の町村外相の代理で、ダブリン在住の邦人に、日本、アイルランド友好に貢献された表彰をさせていただく役目もあったのだ。もちろん、遊びに行ったわけではない。

林さんのただならざる筆力は『アイルランドを知れば日本がわかる』で十分に分かっていた。本当は英国について先に書きたかったはず。ところが、巡りあわせの妙というべきか順序は逆になった。尤もお蔭で最高の舞台装置のもと、水を得た魚のように英国を料理してくれたものを読める私たちは幸せであると言えよう。

   ●英国のお手並み拝見という気分に

 英国が直面している事態をどう見るか、そしてこれからどうなるかについて、楽観論、悲観論双方のシナリオを冷静に分析したうで、今判断を下すのは早いとしている。当然だろう。だが、そこはタイトル故もあって自ずと楽観論の方に読む側の比重はかかる。EU離脱派が「英国一国ならば、世界を相手に自分たちの新たな経済ネットワークを確立する作業も、あっという間にやってみせる」としている辺りに、英国のお手並み拝見という気分になってしまう。

 複雑極まりないこれからの国際政治の展開は、誤解を恐れずに傍観者気分でいえば滅茶苦茶に面白いとも。しばらく世界史で脇役に追いやられていた英国が久方ぶりの主役に、との期待感すら禁じ得ない。メイ首相について報じられることが少ない日本にあって、「鉄の女・サッチャー」並みの辣腕を期待させる書きぶりだ。「氷の女王」「冷たい魚」「ひどく難しい女」など彼女への評価は政治家としては高いと見るべきだろう。英国という国は普通の日本人にとって分りにくいところが多い。聞き古された英国紳士との呼称とは真反対の、狡くてしたたかなイメージは、世界史にそして日本史にあまた刻印を残す。そこからくる好悪の感情を乗り越えて、現実の国際政治は日米英のパートナーシップの重要性を求めている。

 林さんもこの本で英国との協調を訴え、「原則を守るために、分をわきまえながらも、他力を活用して実力以上の成果を上げることを目指す」存在である英国に見習えと強調している。それは分かる。だが、ギリシャ哲学、キリスト教に裏打ちされた西洋思想に対して、根底において異質の価値観を持つ日本という原点を忘れてはならないとの思いも同時に頭をもたげてくる。西洋発の「民主主義」の在り様、行く末に警鐘が乱打されている今だからこそ深く考え直すいとまを持ちたい、と。

【他生の縁 アイルランドからイギリスへと続く】

林景一さんと私を更に強く結びつける役割を果たしてくれた人がいます。早稲田大学教授の岡室美奈子さんです。アイルランド・ダブリンに私が行った時に、偶然この人も来ておられ、大使館でお会いしました。いらい、日本で林夫人も交えて4人で幾度かお会いしました。

 この人は司馬遼太郎さんのアイルランド紀行に登場してきます。留学生時代の若き日にダブリンにやってきた司馬さんとホテルで落ち合う場面があるのです。ここの書き振りはどう見ても、司馬さんが瞬時、乙女に胸ときめかせたとしか思えないのです。岡室さんは多くの友人から冷やかされたというのですが、面白いエピソードです。

 林さんは、英国大使の後、外務省を退官され、最高裁判事に就任され、それも今では終えて一民間人になっています。先年、残念ながら夫人を病気で亡くされてしまいました。

 

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(192)世界、日本の今を根底的に透視するー佐伯啓思『反・民主主義論』を読む

年の暮れになると否が応でも一年の回顧をしてしまう。代議士として飛び回っていた頃には、新幹線車中でのゆとりある時間に読書に励み、多い時には年間100冊を超す本を読んだ。しかし、引退後は新幹線にあまり乗らないこともあって、読書がはかどらない。というのは言い訳なんだが、本年はとうとう40冊を切ってしまった。その分、多くの人に出会い、動き回ったものとして後悔はしないことにする。振り返って、最も印象に残るものは佐伯啓思さん(京大名誉教授)の一連の新書だ。『反・民主主義論』をこの12月に読み、順に過去の作品に遡り『さらば、資本主義』と『日本の宿命』を年末ギリギリに読み終えた。様々な意味で感銘を受け、いま満足感に浸っている▼佐伯さんのものは、これまであれこれ読んできた。とりわけ『西田幾太郎』には思索を深めるきっかけを貰った。団塊の世代に属するひとで、私なんかより少々若いが、彼は今や「文明論」の分野における第一人者だと高く評価したい。一般紙紙上に時々目にする論考も群を抜いてためになる。今年も数多く目にしたが、「世界史の転換点」と題した本年2月8日付けの神戸新聞の「識者の視点」は秀逸だった。一言でいえば、「欧州が生み出し、米国が軸になって世界化してきた価値観こそが試されている」ということに尽きる。イスラム過激派をめぐっての中東の状況も、ロシアや中国の言動も、欧米の価値観への反逆だ▼私がこの12月に遅ればせながら読んだ三冊は、試される価値観という観点から、日本の現状を透視したものでぐいぐい引き込まれた。いずれも雑誌『新潮45』に連載されたものだから、同誌の読者たちにとっては、何をいまさらと言われそうだが、仕方ない。私的にとても面白かったのは「朝日新聞のなかの”戦後日本”」という章。佐伯さんの思想的傾向とは合わないと思われている同紙との”最初の出会い”めいたものに触れられていて、笑いさえ催す。最近、「異論のススメ」などのコラム(11月3日付け「中等教育の再生ー脱ゆとりで解決するのか」は面白かった)で、彼を登場させている同紙だが、”すわり”が決して良くないと思うのは私だけだろうか。つまり、論者と新聞の関係に違和感があるように思われるのだ▼トランプ現象を見事なタッチで抉り、結局は「民主主義の本質そのもの」と位置付けるているのも興味深い。200年ほど前にフランス人貴族・トックヴィルが、地方の小規模な町のようなコミュニティにおける市民による自由な自治を、アメリカの民主主義の最上の部分だとして、取り上げたうえで、「共有する価値のもとでの公共的活動」という”習俗”が支えてきたことを考えてみるべきだという。確かに、「一方で自由な経済競争やIT革命やグローバル金融などで、共和主義精神も宗教的精神も道徳習慣も打ち壊しながら」、もう一方で「民主主義をうまく機能させるなどという虫の良い話はありえない」のだ。こう読み進めてきて、はたと気づく。この”習俗”って、我が自治会活動そのものではないか、と。(2016・12・30)

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