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(367)「謀略・陰謀」史観の〝迫真性〟に驚くー馬渕睦夫『2021年 世界の真実を読む』

親しい友人との会話の中で、「馬渕睦夫」なる名前が出てきて、この人の本のおかげで、日本の近代史についての自分の長年抱いてきた疑問が見事に消えたという。驚いた。元ウクライナ大使で、少し前に「日本熊森協会」顧問に名を連ねられたことは知っていた。森山まり子同会名誉会長が「国際問題に明るい凄い人」と感嘆してたことも思い起こす。その友人が持ってた本(『自立する日本』)を借りて読んだことは既に紹介した。改めて『2021年 世界の真実』を購入し、一気に読んだ。この人のユーチューブも幾つか見た。いやはや驚いた。新聞やテレビなどで主に報じられていることと真逆のことを主張されており、トランプ米大統領をこよなく評価、絶賛されている▲本を読み終えた直後に大統領選の大まかな結果が分かった。彼の期待した予測がほぼ外れて、バイデン大統領が実現する見通しになった。さあ、この状態をご本人はどう解説するのか。興味深く最新のユーチューブ(第57回)を見た。驚いた。全く動ぜず、この選挙で大いなる不正があった、トランプ氏は勝ったのだと繰り返された。ただし、行われた不正の中身についての言及は、つまりその証拠については触れられていない。米日のメディアが殆ど全て間違った報道をしているとの強調だけが耳朶に残る▲この本の中で、馬渕氏は、トランプ再選で、大きな軍事的紛争が回避され、各国が自国民の福利を最優先する「自国第一主義」に回帰し始めるとし、負ければ世界は軍事的な熱戦に突入すると予測する。彼によると、ディープ・ステート(DS=「国際金融資本」といった方がイメージしやすい)の世界支配に敢然と戦っているのがトランプ氏で、それに完全に侵されてるのが民主党だという。DSの一連の動きの黒幕の一人がジョージ・ソロスで、極左暴力革命集団に資金援助をして社会的緊張を高める役割を果たさせているというのだ。馬渕氏のグローバリズム批判は、即インターナショナリズム批判に通じ、ナショナリズム礼賛の次元に終わっているように見える▲DSの「謀略・陰謀」によって世界がこれまで支配されてきたとの見立ては、概ね一笑に付されてきた。しかし、一方で「ケネディ暗殺」に代表される不可解な事件の存在は、その笑いを押し返す。世界の理解の仕方、この世をどう見るかは、各人自由だが、世界を破滅の方向に誘導するものには与したくない。人気漫画アニメ『鬼滅の刃』が受けているのも、その気分の反映かもしれない。〝マブチスト〟なる言葉が静かに語られるほど信奉者は急増している。大統領選への見方も某月刊誌の論調は〝マブチズム〟に彩られている。馬渕氏は私と同い年。老いて華麗なるデビューをされたかに見える。この人の「世界覇権・10年戦争が始まった」との説は興味深い。その術中に嵌らず、〝超グローバリズム〟に立つ私なりに注視し続けたい。(2020-11-28)

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(366)コロナ禍後の世界へのこよなきヒントー大谷悠『都市の〈隙間〉から まちをつくろう』を読む

「ドイツ・ライプツィヒに学ぶ 空き家と空き地のつかいかた」という長いサブタイトルがついた、とても可愛い装丁の本が届いた。一読、移動がままならぬ「withコロナ」の時代の生き方のヒントが満載された素敵な本だと直感する。新たな世紀の青春絵巻とも読めるし、東西ドイツ統一後の地域史の変遷とも。ただならぬ本だよと、多くの若者にも薦めたい。著者の大谷悠さん(35)の肩書きは「まちづくり活動家・研究者」とあるが、昨年東大の新領域創成科学研究科で博士号(環境学)を取得し、現在は尾道市立大学で非常勤講師も務める新進気鋭の行動する学者である。仲間と共に約10年(2011-2019)ほど、ライプツィヒの空き家を「日本の家」と銘打って運営して、まちづくりに貢献してきた。この本はその活動を通じての体験をもとにまとめたもの。コロナ禍の今なればこそ読まれるべきグッドタイミングの出版だ。

 1960年代に青春を過ごした世代にとって、小田実の『何でも見てやろう』に代表されるような未だ見ぬ世界を「旅すること」がその〝若さのあかし〟であった。その流れは21世紀へと続いてきた。2020年の幕開けと共に突然降って沸いたような新型コロナの蔓延は国境を超える旅を困難にし、「移動」に赤信号をともす。そうした時代の到来を先取りしたかの如く、著者は2010年代に──彼にとっての20歳代後半から30歳代半ばまで──ライプツィヒに住まい、その地を拠点に「空き家と空き地」の再利用を考え、実践してきた。つまり、あちこち動いた体験ではなく、定点に腰を据えて、そのつかいかたに思いを凝らした。その記録であるこの本は期せずして〝新時代の青春記〟にもなっているし、これからの時代の〝町おこし指南書〟ともなっているのだ。

ライプツィヒは旧東ドイツの都市で人口約60万人ぐらいという。日本では我が故郷・姫路よりちょっと大きめ。東西ドイツの合体から30年間の歳月の中で、その人口流動は減少と膨張など四度も変化してきた。世界史を揺るがせた東ドイツという共産主義国家の衰退。冒頭でそれを背景にした一都市の興亡が描かれているのだが、これがまた読み応えがある。世紀の一大変化を余儀なくされたライプツィヒの1990〜2010年は、悪戦苦闘の末に蘇っていく。そのキーワードは「隙間」。その隙間に芽生えた4つの仕組み。そしてその隙間に起こった5つの実践。これらが克明に語られたのち、著者が仲間とともに2011年から、つまりこの30年史の後半の10年に取り組んできた「日本の家」のプロジェクトの全貌があかされる。その切り出し方が面白い──そもそもなぜ「日本の家」を始めたか。「暇だったから」というのだ。暇に任せての所産がどんなものか。現地に足を運んで見てみたいとの強い思いに誘われる。

 著者は昨年その家をドイツ人仲間に任せて帰国し、博士論文を書いた。この本はそれを大幅に加筆修正したものである。随所に写真、イラスト、地図、表などが盛り込まれ、ありとあらゆる工夫が視覚に訴え、読むものの心の隙間に入り込んでくる。著者10年のライプツィヒ放浪の希望と挫折がない混ぜになって。今は尾道のまちづくりに取り組んでいるという。実はこの著者の父上は誰あろう、元東京工大副学長だった大谷清氏。姫路の淳心学院高校から東京大学を経て日経新聞記者になり、国際部長などを経たのち、大学経営に携わったという異色の人物。私とは東京在住の同郷人で形成された姫人会(きじんかい)の親しい仲間。その交流ももう30年近く続く。この息子君の存在はつゆ知らなかった。それだけに、「親バカを寛恕いただきたたく」と、突然送られてきたのこの本には驚いた。

 あとがきで著者は、「風来坊の息子をいつも暖かく迎え、寝食を与え、惜しみなくサポートをしてくれた東京の家族」を始め、多くの皆さんに頂いた「御恩は大きすぎて返せないけれど、次の時代のために活動することで、次の世代の人びとに恩を送りたい」とある。イラストを担当しているリリー・モスバウアーさんは著者の夫人。オーストリア人とのこと。東京一極集中の影で、疲弊する地方の限界集落化に悩む日本にとって示唆に富む本の登場。「東京物語」ならぬ、日墺合体での真逆の「尾道物語」の展開に注目したい。

【他生のご縁

この本が出版された直後に中国新聞で

 

 

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(365)ポアロ三部作とマクドナルドの『さむけ』を読み比べ

我が幼き頃の読書体験は、コナン・ドイルのシャーロックホームズの冒険推理小説を貸本屋で借りたことにはじまる。勿論、少年用のもので、大人向けではない。この幼少年期の体験は後々にも影響し、やがて国際政治をバックにしたスパイものに嵌っていった。以来60年を超える歳月が流れ、この間どちらかと言えば推理小説とは馴染みが薄くなったことは否定できない。気がついたら後期高齢者。過ぎゆく時を忘れ、熱中するものを持つことが何よりの楽しみな老後の時間の過ごし方、と思うに至っている。そんな折にテレビで、映画『オリエント急行殺人事件』を観た。ご存知、エルキュール・ポアロの活躍するアガサ・クリスティの小説が原作である。ついでに、コロナ禍の有り余る時間を使って、彼女の代表三部作を一気に読んでしまった。『オリエント急行の殺人』『アクロイド殺し』『ナイルに死す』の順番で。改めて言うまでもないが三者三様で実に面白い▲この三作に共通するのは、犯人の圧倒的な意外性。つまり、登場容疑者がほぼ全員、話の舞台回し役(語り手)、中心人物というように読み終えるまで、およそ犯人像は見えてこない。三作のうち、最も驚いた結末は『アクロイド殺し』。読み手としてもう一歩まで追い詰めた、つまり疑いを持ち続けた通りだった作品は『ナイルに死す』。と、えらそうに言うが、それしかないと思っただけで、根拠は疑わしい。ともあれ、ポアロの確信溢れる犯人の追い込み方には今更ながら圧倒される。『ナイルに死す』は、近くテレビで放映されると言うので待ち遠しい(別に待たずともDVDで観ればいいのだが)。時間の経つのも気づかず、我を忘れるほどにのめり込むものがあれば‥‥。老後の過ごし方はそれに尽きるというのは、確かにそうかも知れぬ▲古典的名作の読後感に浸っている間に、毎日新聞の読書欄でめちゃめちゃに褒め称えた推理小説の存在を知った。ロス・マクドナルド『さむけ』(1963年 小笠原豊樹訳)である。推奨しているのは作家の津村記久子さん。これまで「15年以上にわたって繰り返し読んできた」本で、「自分が読んできたあらゆる小説の中でも最強の幕切れ」という。ここまでいうかと、直ちに買い求め、読んだ。確かに、「ミステリーの歴史に残る最後の一文」には感嘆する。読むこと、書くことを生涯の仕事にしている小説家がそういうのだから、確かなのだろうが、天邪鬼の身にとっては注文がないわけではない▲最大のものは、登場人物の名前が分かりづらいこと。つまり、苗字と名前が入り乱れて登場する(それはそれなりに芸の細やかさなのだろうが)ので、こんがらがってしまう。クリスティのものが決められた容疑者の枠内で犯人を探すルールを自身に課しているよう見えるのに比して、若干枠外に対象が広がってしまうかに思われる傾向(それは誤解なのだが)には、読者として追い辛い。ただ、この作者の凄さ(訳者も)は、文章の旨さ。巧みな比喩の展開と随所に織り込まれた情景描写の味わい深さには驚嘆するばかり。例えば、「峠への道を半ば上がったところで、日の光のなかへ出た。眼下の霧は、山脈の入江に打ち寄せる白い海のようにみえる。一休みした峠の頂きからは、内陸の地平線につらなるもう一つの山脈が見えた」というように(いちいちあげるとキリがない)。津村さんならずとも、文章作法の習練用には打ってつけとして、折り紙をつけたくなる。彼女はノートを取って読み進めたというが、なるほどと思わせるに十分な奥行きと膨らみがある。と、ここまで書いてから、推理小説評論家の権田萬治氏の解説を読んだ。『長いお別れ』で著名なレイモンド・チャンドラーと並び称されるほどの作家だと初めて知った。恥ずかしい限り。ここでも「日暮れて道遠し」を実感したしだい。(2020-11-5)

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(364)「教育」と「核武装」と「自立する日本」ー〝時空を超えた三題噺〟を読む

衆院議員を引退してから約8年。寂しかろうと気遣いをしてくれた友人の肝いりで毎月開かれてきた『異業種交流ワインを呑む会』も、早いものでもう80回を越えた。この会には有名無名を問わず個性溢れる人たちが集い、毎度盛況を極めており、面白い。最近の面子で変わり種は、政治学者のロバート・D・エルドリッジと作家の高嶋哲夫のご両人。この二人が友人同士でもあることは最近になって知った。まずはエルドリッジの近作『教育不況からの脱出』から紹介したい。エルドリッジと私の論争の歴史は長い。それを巡ってはついこのほど、〝驚くべき決着〟が付いたのだが、それはまたの機会のお楽しみにしておく。この著作は「クォーター制こそ日本を変える」という大胆かつユニークな提案に満ちたものである。残念ながらタイトルがピンとこない嫌いもあってか、現在のところあまり出版市場で話題になっていない。私なら『魅力ない日本の大学』とかにするところだ。「コロナ禍で日本中がリセットする必要に直面している。旧態依然とした大学教育のあり方を真っ先に変えよ」「9月入学よりも日本に見合った日本型クォーター制の導入を」との主張は魅力に溢れていると思うのだが‥▲このエルドリッジが高嶋哲夫の『紅い砂』の解説を書いていることは既に紹介したが、私は又このほど『日本核武装』なる高嶋の旧著を読んだ。6年前に『日刊ゲンダイ』に連載されたものとのことだが、全く知らずにきた。様々なタブーに挑戦し続ける著者ならではの視点で、興味深い展開になっており一気に読める。ご本人にとっても自信作のようで、先日いただいたメールには「政治関係の人、必読の書だと思いませんか。ぜひオススメくださいね」「僕は核武装反対です」とあった。実はこれ私が「貴兄の想像力(創造力含む)には、脱帽ならぬ脱毛する(笑)」と読後感をメールに書いたことへの返信である。「核抑止」論が華やかなりし頃に、大学で国際政治学の魅力に取り憑かれた私は、卒業後は政治記者として現場を取材しながら、理想と現実の狭間に翻弄され続けてきた。やがて国会のプレイヤーとなり、20年後に市井の一市民に戻った。つい先日「核禁止条約が発効へ 批准国・地域 50に到達」とのニュースを見て、感慨は一段と深い▲そんな私が最近興味深くウオッチしている論客が馬渕睦夫である。彼は外務省出身。駐キューバ、ウクライナ大使などを歴任したのち、防衛大学校教授を経て、現在は評論家。実は私が20数年前から務める、一般財団法人「日本熊森協会」の顧問団(総勢25人)の一員にも新しく名を連ねられた。この人と加瀬英明による対談本『グローバリズムを越えて 自立する日本』を友人に勧められて読んだ。この対談は、第一章の「国際連合は存在しない」との衝撃的なタイトルに始まり、「腐敗した組織・国連」についての両者の鋭い論及で終わっている。読み終えて知的刺激が強すぎてピリピリゾクゾクする。「国連を何とかせねば」ー私は世界変革の手がかりはそれしかないといったスタンスで、大学卒業後からの若き日を生きてきた。馬渕、加瀬(因みに私は大学時代加瀬氏の父上加瀬俊一さんの謦咳に接した)両氏の言い分は、それはそれでよく分かる。ただ、そんなこと言ってないで、どう現実を変えるかに奔走するべきじゃあないのかー〝行動者〟としての思いが募る▲戦後75年が自分の人生そのものと重なる私にとって、加瀬、馬渕ご両人の対談はまさに挑発的内容である。「戦後の日本人の精神的劣化を指摘せざるを得なかった」うえ、これこそ、「今日本を襲っている国難を招いた根本原因と言わざるを得ません」との馬渕の総括を読むにつけ、只事ならぬ想いに駆られる。「国際」や「平和」という言葉の持つ空虚さを指摘した上で、「目に見えない(思想言論の)弾圧」を克服する道は、「国民一人一人が伝統精神を取り戻すこと」だと、結論付けている。この「伝統精神」の強調に文句はない。ここが曖昧なままの決着は、戦後の「保守対革新」の〝不毛の対決〟に逆戻りしてしまう。そうならぬよう、もう一段階超えたかたちでの議論を深め、現実変革を強めて行きたいと思う。敢えて付言すれば、それは「中道主義・人間主義」を入れ込んだ上での世界変革への新たなる行動であるといえようか。(文中敬称略=2020-10-30)

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(363)今度こそ政権入りを狙うー柳原滋雄『ガラパゴス政党 日本共産党の100年』を読む

「日本共産党」と聞くと、今や懐かしさが漂ってくる。かつては嫌悪感ばかり強かったのだが。1960年代半ばを大学で過ごした者にとって、共産主義の浸透はリアルだった。外に、ソ連によるドミノ倒しの脅威が人々を〝反ヴェトナム戦争〟市民運動に駆り立て、内には民青から、中核、革マル派など新左翼に至る学生運動の跋扈が迫ってきていた。「体制変革」よりも「人間変革」こそ、迂遠に見えて根源的な社会変革に繋がると確信した私たちは、創価学会の池田先生による「人間革命」運動に挺身した。東京中野区で過ごした私の学生時代は、選挙のたびに日共との間でのポスター、チラシをめぐるいざこざに翻弄されたものだ。区内各所で日共の輩から公明党を守る動きに多くの時間を費やしたことも〝いまは昔の物語り〟だ▲この間に50-60年の歳月が流れた。ソ連は崩壊し、共産主義を真面な意味で標榜する国家は殆ど消えてなくなった。大学における学生運動ももはや表面的には姿を消し、共産主義をめぐる風景はまさに隔世の感がする。しかし、日本の政治にあって「日本共産党」は、しぶとく生き残っている。いや、それどころか性懲りもなく野党連合政権の中核としての役割に執心しているのだ。それを可能にしている背景には、野党と呼べる政党存在の希薄さの中で、唯一昔ながらの〝歴史と伝統〟を誇る存在が日共しかないことにあろう。そこへ過去30年というもの日本の政治を振り回し続け、今やほぼ〝たった一人の反乱〟の主役となった感が強い小沢一郎氏が、あたかも〝用心棒〟役を果たそうとしているのだ▲この構図は要注意であり、決して侮ってはいけないと思っていた矢先に興味深い本が出版された。『ガラパゴス政党 日本共産党の100年』である。著者は、柳原滋雄氏。元『社会新報』記者も務めたジャーナリストだ。1965年生まれというから〝日共の全盛期〟を直接的にはご存じない世代の書き手である。だが、それ故にといっていいかもしれぬ新鮮なタッチで、過去から今に至る日共の実像を次々と浮き彫りにしている。「詐欺商法」のレベルにあるとんでもない政党であることを鮮やかに暴きだす。日共という存在の実態を知らずに、表向き見えるかりそめのブランディングの役割に期待していると、かつて庇を貸して母屋を取られた京都の某党のようになる、と警告を鳴らしている。今に生きる多くの人に読んで欲しい▲末尾に、日本共産党の「綱領の変遷」が付け加えてあり、大いに参考になるのだが、この本を読み終えて一つ気になることがある。それは、主要参考文献が100冊を超えて5頁にわたって紹介されているが、その中に公明党機関紙局の『憲法三原理をめぐる 日本共産党批判』(1974年)が見当たらないのだ。公明党は日共との「憲法論争」で完膚なきまで同党を打ち砕いた。贔屓目なしにこれが日本政治史に燦然と輝く偉業であることは論をまたない。かなり大部なので、一般読者には馴染みがないのは無理ないと思われるのだが、柳原氏にはここで挙げて欲しかった。公明党関係者として残念という他ない。エピローグで知ったのだが、この本は雑誌『第三文明』に連載されたものだという。『第三文明』といえば、かつて公明党の市川雄一書記長が『共産党は変わったか』(2004年10月号)とのタイトルで書いた連載(五回続きの最後)を読んだことがある。市川さんは、日共との憲法論争を指揮し、自ら筆を取ったことでも知られる。『第三文明』社には、この論文をベースに市川さんに加筆再構成して貰い出版されていたら、大いに読ませるものになったのに、と惜しまれる。(2020-10-23)

 

 

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(362)知の巨人・後鳥羽院の悲劇を追うー坂井孝一『承久の乱』を読む

なぜ今『承久の乱』が読まれるのか。一般的には、公家から武士の世へと、中世社会のあり方を根底的に変えた大乱を、中央公論新社が4冊の「日本の大乱」シリーズの1冊として出したから、読んでみようかということだろう。このシリーズは、最初に出た(と思う)呉座勇一『応仁の乱』が大層評判を呼んだ(私も3年前にこのブログで取り上げた)こともあり、今や4冊合計60万部突破と宣伝されているほど、売れているようだ。出版社の巧みな戦略に乗ってしまったと言えなくもないが、呉座さんは今や歴史学界の売れっ子として人気である。偶々、この夏に刊行された井沢元彦『逆説の日本史』第25巻で、呉座勇一さんと井沢元彦さんの論争を知った。事の発端は、歴史学者の呉座さんが、推理作家の書いたものは評論に値せず、推理作家に戻るべしと井沢さんに「喧嘩を売った」ことにあるようだ。若い気鋭の歴史学者と、著名な推理作家の〝大げんか〟はギャラリーとしては実に面白い▲この本の著者・坂井孝一さん(創価大教授)についても、呉座さん同様やはり私はこれまで全く知らなかった。これまた全くの偶然に、NHKBSテレビの人気番組『英雄たちの選択』に登場されていたのを見た。学者にしてはかなりのイケメンであることにも興味を唆られた。個人的にこの本を今読もうと思った理由はこれ以外にも二つほどある。一つは、この大乱の主人公・後鳥羽院に関して、友人の電器屋さんにして作家の諸井学さんの『神南備山のほととぎすーわたしの「新古今和歌集」ー』で読んだばかりだからだ。既にこの読書録でも取り上げたが、丸谷才一さんの『後鳥羽院』に鋭く切り込んだ同書は、直木賞受賞に値するとさえ私は入れ込んでいる。二つ目は、歴史通で私が尊敬してやまぬ創価学会の大先輩幹部のFさんが、坂井さんのこの本を読了され、満足感を持たれたやに聞いたからである。自分も読んで感想を語り合いたい、と▲正直に白状すると、『応仁の乱』と同様に、当初なかなか嵌らなかった。歴史学者特有の硬い書き振りに、序章『中世の幕開き』ですぐに躓いてしまった。味気ない文章の羅列に、面白くないとの思いを勝手に募らせ、自分の知識のなさが原因であることは棚に上げて、すぐに放り投げてしまった(第1章まで行けば面白かったはずなのに)。尤も数ヶ月後に思い直し、忘れていた一計をこうじた。こういう時は後ろから読んでみよう、と。終章「帝王たちと承久の乱」から、頁を繰ることにしたのである。「後鳥羽の配流地隠岐島」というみだしで始まるこの章の冒頭。後鳥羽院が京から遥か隔たった出雲国の見尾崎で風待ちしていたのが、「承久3年(1221年)7月18日」と書かれていた。翌1222年は日蓮大聖人ご生誕の年である。ここから一気に土地勘ならぬ、錆びていた歴史勘が動き出した。ということで、第6章「乱後の世界」、第5章「大乱決着」、第4章「承久の乱勃発」と、一気に逆さ読みをしたのが功を奏し、無事読了となったしだい▲坂井さんの本で私が魅力を感じたのは例えの巧みなところ。承久の乱の鎌倉方と京方の勝因、敗因の分析を巡っての展開は特に面白い。「チーム鎌倉」が結束力・総合力を十二分に発揮したのに対して、「後鳥羽ワンマンチーム」はトップの独断先行が災いしたとの見立てがベース。その上に、実戦経験の有無、合戦へのリアリティの有無が左右したと分析。当初は、「後鳥羽が二段構え、三段構えの戦略のもと」に、「杜撰でも楽観的でもなかったはず」だった。ところが「先手を打ったにもかかわらず、逆に劣勢に立たされ」てしまい、「逆転できる可能性のある選択をすべて自ら放棄した」と結論付ける。また、後鳥羽院と貴族の君臣関係は、「現代にたとえれば、伝統ある大企業の四代目ワンマン会長(白河から数えて後鳥羽は四人目の治天の君、天皇を現役の社長とすれば、四代目の会長といえよう)と、管理職の社員の関係ということにでもなろう」と、社員の苦しさを具体的事例を挙げつつ解き明かし、「社員からすればたまったものではない」し、「貴族たちの苦労がしのばれる」と、実に分かりやすい例えが次々と登場する▲また後鳥羽院は、和歌、音楽、漢詩など多芸多才の極致を極めた「洒落のきいた遊び心のある帝王であった」し、蹴鞠や武芸にも秀でた人並外れた能力の持ち主であったという。「記憶力も抜群であり、今様にしろ和歌にしろ一度覚えると、二度と忘れなかった。芸術家にしてプロデューサー、おまけにスポーツマン」で、「まさに文化の巨人」であったことが克明に明かされる。そういった一大巨人が、「チーム鎌倉」軍団に完膚なきまでに敗れて、遠い遠い隠岐島に流される羽目になってしまう。そこから新しい時代が始まったという歴史の分岐点が、この本では見事に描かれており、実に読み応えがある。読み終えて、「呉座vs井沢」論争をどう思うか、坂井さんに急に聞きたくなってきた。一般読者としては面白い方に軍配を上げたくなるものの、過ぎたるは及ばざるが如しで、歴史学者をあまり虚仮にしすぎるのもいかがかとも思うのだが‥‥。(2020-10-14)

 

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(361)アメリカの「壁」の悲劇を希望を持って預言ー高嶋哲夫『紅い砂』を読む

「陽が昇り始めた。砂漠が赤く染まり、まるで血の海のようだ。その中に五千名以上の難民集団が息を殺して潜んでいる。」ープロローグはアメリカ・メキシコの国境風景から始まり、エピローグは「ジェット機は飛び立った。眼下には緑の世界が広がっている。」と、中米のコルドバ空港の描写で、高嶋哲夫『紅い砂』は終わる。映画化が期待される中で執筆されたというだけあって、映像が目に浮かぶ。最初に躓かなければ一気に読ませる。極めて面白い冒険政治革命小説だが、著者がこの人だと一転、預言の趣きが漂うから不思議だ▲ちょうどつい先日、中米・ホンジュラスの移民集団(キャラバン)約二千人が、北隣のグアテマラに不法入国し、メキシコを経てアメリカに向かっているとのニュースが伝わった(10月4日付サンパウロ発毎日新聞)ところだ。アメリカでは、既に3月下旬に国境を閉鎖し、入国を制限、不法移民の取り締まり、強制送還業務を強化している。この小説の時間設定は少し後。高さ9mにも及ぶ「ザ・ウオール」と呼ばれる壁(断面が縦3㌢、横10㌢の鉄杭)が15㌢間隔で数十㌔に渡って造られていることになっている。トランプ大統領就任直後から話題になったテーマを基に、すかさず小説を書いてしまった著者はさすがだ。先のニュースの先行きがにわかに気になってくる▲小説では冒頭に「ウォールの虐殺」と呼ばれる悲劇が起こってしまう。やがて、その前線での責任者・陸軍大尉が、ある〝密命〟を帯び、コルドバへ飛び、囚われの身になっている反政府側のリーダーである学者の救出に向かう。独裁政治の圧政と麻薬組織の残虐行為に苦しむ庶民大衆。その人びとが憎むべき「ウォールの虐殺者」と一緒になって、圧政者を倒す「革命」に参画するという劇的な過程が克明に描かれる。グイグイと引きつけておいて、最後のどんでん返しで一気に読者にカタルシスを感じさせ、満足させるとの手法は、これまで私が読んだ同じ著者による『首都感染』『首都崩壊』とはまた一味というより、七味くらい違う趣きがあって、惹きつけられる▲国境に壁を造ることが難民の虐殺を招くが、その悲劇の背後に圧政者の謀略があったとの筋立ては興味深い。コロナ禍は残念ながら織り込まれていないが、どこまで預言が的中するか。悲劇的側面を慮って事態が変化するか。それとも、希望的側面に期待して事態が進むか。読んだものだけが味わえる明日の世界への想像が膨らむ。実は先日、著者の高嶋哲夫さんと、同書の解説を担当しているロバート・エルドリッジさん(政治学者)らと一緒に神戸・北野坂で懇談・会食する素晴らしい機会に恵まれた。ここで披露するには憚られるエピソードもあったが、この本が大ブレイクすれば、公開することを私は勝手に約束したい。是非ともこの本が多くの人に読まれるようご協力をお願いする。なお、著者への私の注文を最後に。登場人物の一覧を付けて欲しいということと、ヒロインとヒーローの絡みが思わせぶりなだけで終わってるのは読者のからだによくないですよ、と付け加えておきたい。(2020-10-6)

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(360)罪深い〝パワフル市長〟の魅力と懸念とー泉房穂『子どものまちのつくりかた』を読む

30年住み慣れた姫路から明石に転居してやがて1年が経つ。明石海峡大橋と淡路島を借景に海岸まで歩いて15分の生活は、眼だけはコロナ禍にあっても十分に慰められている。この市はこのところ、若い人を中心に人口が増え「子育てしやすいまち」「駅前図書館・本のまち」として知られる。と同時に、「パワハラ」で、日本中に悪名を轟かせた泉房穂氏が市長を勤めることでも。その市長が出版した本『子どものまちのつくりかた』を偶然偶々明石駅前の書店の棚で発見して驚いた▲巻末に慶大の井手英策教授とのツーショット入り対談が掲載されているのだ。井手教授は財政社会学が専門。かつては前原誠司氏のブレーンとして名を馳せた著名な学者である。『分断社会を終わらせる』『増税幸福論』など知的刺激満載の多数の著作を持つ。この読書録でも以前に紹介した。保守の勢いが嫌まして強い、リベラル派退潮のご時世に注目の論客の一人である。とりわけ、ベーシックサービスの導入を強調されていることには刮目する(この辺りは別項で触れたい)▲驚いた理由は他でもない。井手さんが泉市長をまさにベタ褒めされていることに、である。「私がこれまで考えてきたこととも完全に重なり合います。自分がずっと訴え続けてきた思想、哲学を、実はもう率先して、前の段階から実践されていて、こういう素晴らしい結果を出しているまちがあると知り、本当に励まされる思いです」と。慌てて、私はこの本の奥付きを見て出版日を確かめた。かの事件が公になった直後と知って胸撫で下ろす思いがした。と同時に、当時の井手さんの驚きに他人事ながら同情を禁じ得なかった。ったく、泉さんは罪深い、とも▲本人は猛省したうえ、ひとたび辞任し、病的な性癖への専門医の治療を受けたのち、少なからぬ市民の要請を背景に、出直し選挙で返り咲いたことは周知の通り。旧聞に属することでもあり、改めて旧悪をここでは持ち出さない。それよりも、この本の中で理念が示され、現に展開される「子どものまち」のありようをめぐっての建設的論争に関心を持ちたい。今もなお、反泉陣営からは、「財源に問題あり、市政は必ず将来破綻する」との声は根強い。また、駅前だけは活気があっても、少し離れるとシャッター商店街の実態は今なお続く。この本を基に有意義な議論が展開されることを望みたい。(2020-10-1)

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(359)新首相の眼には目をー塩野七生『マキャヴェッリ語録』を読む

菅義偉首相がマキャヴェッリの本を愛読していると知って、本棚から取り出して塩野七生の『マキャベッリ語録』を改めて読むことにした。彼を解くカギをそこから探ろうとしたのである。『君主論』でも『我が友マキャヴェッリ』でもなく、読みやすい『語録』にしたのはご愛嬌。塩野七生さんといえば、日本の政治家は彼女の『ローマ人の物語』を読む人が多い。その流れに先鞭をつけたのは中曽根康弘内閣を支えた後藤田正晴官房長官だったと記憶する。恐らく菅さんも安倍晋三さんを支えながら、塩野さん描くところのマキャヴェッリに思いをいたしたものと勝手に連想する▲菅首相を巡っては、国家観がないとか、薄っぺらだとかの辛口の評価がなされる一方、たたき上げの苦労人で、庶民感覚に根付く政策立案に長けているとの甘党の見方もある。ともあれ高い支持率の出発で、解散総選挙に踏み切る公算が日増しに高まる。先日上京して元官僚や元ジャーナリストら、練達の士たちとの意見交換をしてきたが、今解散に踏み切らずしていつやるのか、との見立てが支配的だった。新型コロナの感染状況の推移がカギを握るものの、そのデータの扱いなど、いかようにも操れるというのである▲この本を読みつつ菅さんの心中を慮るのも一興ではある。「信義を守ることなど気にしなかった君主の方が偉大な事業を成し遂げて」おり、そのためには「人間的なものと野獣的なものを使い分ける能力 」を併せ持つことが大事だとしているくだりは最適の箇所かもしれない。塩野さんは、野獣といえばライオンと狐に注目すべきだとして、この二つを使い分けることに力点を置く。「狐的な性質は、巧みに使われねばなら」ず、「非常に巧妙に内に隠され、しらっぱくれてとぼけて行使される必要がある」と。この辺り、新型コロナ禍と解散総選挙の時期を見る上で絶好の教材になろう▲いやもっと菅さんの心境を計るに足りうるところは、「運命をめぐる論議」のくだりかもしれぬ。「運命は変化するものである。それゆえ人間は、自分流のやり方をつづけても時勢に合っている間はうまくいくが、時代の流れにそわなくなれば、失敗するしかない」という箇所だ。安倍首相を支えたこれまでの時間と、引き続き菅さん自身が政権を運営するこれからの時間とが連続する。これが吉と出るか、凶と出るか。菅さんには懸命の思案が必要だろう。塩野さんは、「慎重であるよりは果敢である方がよいと、断言」している。慎重居士で行くか、勇猛果敢に挑むか。この見極めは新首相の、その一風変わって見える眼に目をむけるしかない、と私は思う。全ての日本人が首相の眼に目を凝らす日々が続く。(2020-9-19)

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(358)悪いも良いも全てが暴かれたー門田隆将『疫病2020』を読む

新型コロナウイルスによる肺炎の患者が日本で初めて確認されたのは、2020年1月16日のこと。武漢から10日前の1月6日に帰国した30代の中国人だった。中国は23日に武漢市を封鎖する。その3日後の26日に、日本の厚労省は、ホームページに「新型コロナウイルスに関するQ&A」を公表、「ヒトからヒトへの感染は認められるものの、感染の程度は明らかでない。過剰に心配することはない」との緩やかな見方を示す。著者・門田隆将は、コロナ禍事態への対応について、信じられないほどの〝悪意に満ちた中国〟と、〝善意に満ちた日本〟を対比させつつ、一気に読ませる。発刊されてから2ヶ月余り。気にはなりつつ、「あること」が災いしてわざと読むのを遠ざけていた。親しい友人から勧められたこともあり漸く読んだ。その迫力溢れる筆致に圧倒された。遅かったと、後悔する我が身を恥じるのみ▲この本の凄さは、門田が自身のツイッターでの発信をベースに置いて、克明に事態の進展を追い、歴史の中にしっかりと跡付けし、読者へ提示していることである。最初のそれは、1月18日付け。武漢の新型コロナウイルス対策で、米国CDC(疫病対策センター)がまるで映画『アウトブレイク』のようだとし、日本も人民大移動が始まる中国の春節の前に徹底した対策を取るよう訴えている。その映画は感染症との戦いをダスティン・ホフマン主演で描いた話題作である。ツイッターとそれを補いつつ展開する論評は呆れるほど歯切れ良く見事だ。厚労省始め、日本政府の危機感の欠如や、およそ〝緩い予測〟の数々を披露し、中国で異変がいかにして起こったかを暴く。かつての失敗を教訓にした台湾の見事なまでの危機対応の処し方も見逃せない▲厚生労働省で僅かの間とはいえ、仕事をしたことのある私としては、耐えがたいほどの酷評に苛立った。同時に長きにわたって防衛省を担当した者として、自衛隊の獅子奮迅の活躍ぶりには溜飲を下げる場面も。したたかさを遥かに超えた中国政府の緊急事態への対応と、かの国の医療者や一般国民の懸命の戦いに目を見張る思いもする。共産中国という存在が、自由主義国家群との対決を鮮明にするに至った姿が浮き彫りになっていくあたりは、疫病対応を通じての最新現代国際政治学の生きた教材解説でもある。日本の政治、政治家の無能ぶりを散々こき下ろした挙句、ツイッターの最後を4月22日付けで、日本の死者数が欧米より圧倒的に少ないことを挙げ、医療従事者たちの自己犠牲の精神を持ち上げることを忘れていない。「医療崩壊ギリギリで持ち応える日本が先進医療大国であることは誇り」との結び方は多くの日本人をほっとさせる▲私が読むことを躊躇した「あること」とは何か。新聞広告での「総理も愕然『創価学会』絶対権力者の逆襲」との見出しである。目次にはこれに類するものは見られない。「混沌政界へ突入」と題する章に含まれているのだが、いかにも創価学会、公明党関係者を釣るためだけの餌のように見えて、その魂胆を卑しく思ってしまったのである。「絶対権力者」という表現にもその下心が否定できない。「国民一律10万円給付」は、公明党の若手議員たちが早い段階で主張してきたテーマである。それを受け入れるに至らなかった党執行部を不審に思っていた私は、支援団体・創価学会側から激しく責められて立ち上がるに至った経緯は口惜しく思える。そんなこんなで、読むに値しないと勝手に決めてしまった。巻末にある著者と佐藤正久氏(参議院議員)との産経『正論』5月号の対談収録も読ませる。「ひげの隊長」で呼称される佐藤さんの識見と胆力はただものでない。それにしても彼の〝政界内部告発〟には改めてため息の出る思いがする。関連年表共々しっかり目を通し、長く保存するに値するものだと付け加えたい。(2020-9-10)

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