医師で作家の渡辺淳一さんがつい先日亡くなった。大胆に推測すると、全国の同姓同名の皆さんはお悔やみの想いとともに、ホッとされたかも。恐らく様々な場面で名乗る機会があるたびに迷惑されたろうと思うからである。先日もラジオから聴こえてきた「ワタナベジュンイチです」との声音が苦笑いを含んで伝わってきた。正確には、かのように思えた▲ともあれ巨星墜つ、である。かつて公明新聞に連載小説を書いて頂いたことがあるが、大いに物議を醸した。日経新聞の『失楽園』ほどではなかったのが残念であったが…。我が公明新聞の編集責任者もなかなか味な人選差配だと思ったものだ。一度はお会いしたいと思いながら叶わぬままとなった▲恐らくは彼の絶筆ならぬ”絶口”となった文章を読んだ。19人の作家たちのインタビュー集『作家の決断』である。この中で、私が会った覚えがあるのは、浅田次郎、阿刀田高、西木正明の三氏だけ。後は本を通じてしか知らないが、何れも人生の岐路で、どう障壁を乗り越えたかを語っており、興味は尽きない。尤も、直木賞を始めとする小説家の登竜門やらに悪戦苦闘した話も多くて、少々閉口しないでもなかった。そんな中で、渡辺さんはやはり異色というか、出色である▲一番読ませたのは、医学部に入って解剖書を読み、実際にそれに立ち会って、全身よろめくほどの刺激を受けたというくだり。「人間って、形態学的には全く同じなのに、動いてみるとみんな違う」ことに感動して「本格的に小説を書こう」と決意した、と。「医学は極めて文科系な学問」だとの言い回しも面白い。それで、医者が次々と政治家になったり、作家になるんだな、と妙に感心させられもした。それにつけても「僕は結婚は打算で、不倫は純愛だと思ってる」というセリフに、ドキッとしない男はいるだろうか。ああ、奥さんのことが気になって仕方がない。(2014・5・10)
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(26)葉室燐の新たな連載小説で公明新聞拡大
公明新聞で葉室燐『はだれ雪』の連載が始まっている。今が盛りの人気作家の手になる、赤穂浪士異聞というか「女人忠臣蔵」はまさに注目の的で、毎朝が楽しみなひとは多いものと思われる。政党機関紙でありながら、その連載小説において過去に直木賞作家をはじめ様々な有名作家を登場させてきていることは案外知られていない。私自身、過去の記者時代に、源氏鶏太『時計台の文字盤』の原稿取りを仰せつかって約一年お付き合いしたことがある。また、愛読した『元首の謀反』の作者・中村正軌さんには、連載をお願いしたものの断られた。しかし、そのご縁で、私の拙い本の出版記念パーティーの世話人に名を連ねて頂いたり、今もお付き合いをさせて頂いている▲こうした公明新聞の連載小説にまつわるエピソードには事欠かないが、実は先年に連載された、火坂雅志『安国寺恵瓊』は、大変な人気であった。そんな連載中のさなか。党のある支部会で、その路線をめぐって議論が伯仲してしまい、収拾にやや苦労する羽目に立ち至った。その時、やおら立ち上がった80歳代後半の老婦人が「先ほど来、皆さんがあれこれ言っていることはみんな公明新聞に書いたるがな。それより、公明新聞は小説が面白い」ー場内がどっと沸いて、空気が一変した。その老婦人とも深い付き合いをする仲となった▲ところで、葉室燐といえば、『蜩ノ記』で直木賞を受賞。神戸の老舗バー『グレコ』のママーこの人は大変な読書家で、私に須賀敦子の魅力を教えてくれた人だがーが、この本を推奨しており、大の葉室好きだったことを思い起した。彼女に新たな小説が公明新聞で始まる、と告げたところ、返す言葉で「新聞取る」と。有難い、一瞬のうちに拡大が実現した。▲肝心の私は葉室麟を知らないし、『蜩ノ記』も勧められながら未読だった。それでは彼女に申し訳ないとの思いで、急ぎ読み終えた。が、今一歩ぐっと来ない。主人公・戸田秋谷が立派すぎ、眩しすぎるゆえであろうか。「これも、お読みなったら」と手渡された『風渡る』は、この店の常連・井戸敏三県知事から彼女が勧められた、と。キリシタンとしての黒田官兵衛が描かれる。彼がこういった小説を読むとは意外だった。これは読まねばならぬ。かくして私は、葉室燐にまた嵌まっていくにのかもしれない。(2014・5・3)
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(25)憂鬱さが増すだけの田原VS西研の哲学対談
田原総一朗ーこの人物のテレビ番組に、私は現役の時に二回ほどでたことがある。その時に一度口喧嘩をした。この人は政治家を怒らせることで番組のトークを面白くさせるとの手法をよく用いるようだが、私の時もそのたぐいで、餌食にされそうになった。こともあろうに放映中に、私に対して「冬柴さん」と、あきらかにわざと呼びかけてみたり、きちっと答えているのに「もっと勉強してきてよ」とか言ったのである。
この自尊心の塊のような私に対して(笑)、である。コマーシャルの時間になって、「あんた!いい加減にしろ!」って、つい怒鳴ってしまった。一応、「ごめんなさい」と彼は頭を下げたが後味の悪さは尾を引いた。以後、彼の番組にはぜひ出てほしいと言われるまで、でないとこころに決めたのだが、そのうちこちらが引退してしまったので、当然ながら声はかからないで、今に至っている。
そういう不幸な出会いだったが、彼の書くものや人とのやりとりは面白く読んだり、見たりしていているのだから、私も勝手なものだ。その田原総一朗氏と哲学者の西研さんとの対談『憂鬱になったら、哲学の出番だ!』(幻冬舎)を読んだ。それこそ田原氏の鋭い切り込みは縦横に見られる。しかし、それに対しての答えがあまりぱっとしない。難解な哲学が分かり易く説かれることを期待するむきには羊頭狗肉だ。成果と言えば、田原さんも人の子、西欧哲学は解らんのだということがはっきりしたことか。結局は西洋哲学はただ難しいだけで、一般人には役立たずだということが改めて浮き彫りになった。憂鬱さはますばかりだという他ない。
ただ一か所だけ私としては、非常に興味深いくだりがあった。それは、田原氏が梅原猛さんの書いた『人類哲学序説』に触れたところだ。私はこの本に大変共鳴しているので、それこそ目を凝らして読んだ。西欧哲学の進歩発展主義の破綻を象徴したのが福島原発事故だとして、近代合理主義と決別するとしている梅原氏の主張を紹介。そのうえで、「梅原猛は東洋の思想を見直して、仏教の天台密教の『草木国土悉皆成仏』という考え方に着目したのです。山川や草木にも仏を見るという日本独自の思想で、ここから独自の人類哲学をつくろうとしています」ーデカルト以後の近代哲学が現代世界において、役に立たないことに気づき、新たな船出をしようとする梅原氏の意気や壮としたい、と私は思っている。
ところが、それに対して西研氏は『哲学は、一人ひとりの経験や感度や考えを出し合いながら『これは確かに大切だよね』ということを確かめ合っていく営みです。そういう風にして普遍的なものを取り出そうとすることが大事なので、それを、特定の世界観で代替してはいけないと思います」と答えるにとどまっている。これは、私には西欧哲学の側の敗北宣言に聞こえる。要するに世界的規模での現代人救済に役立たないがゆえに、確かめ合うなどといったぬるいことを言っているのだと思う。
それに対しての田原氏の最後の切り込みは「デカルトやカントらの哲学はヨーロッパ内では受け入れられたけれど、民族を超えて広がらなかったのではないですか」と言うだけ。西研氏の答も「お互いの経験をもとに考えを出し合って、普遍性を求める哲学の復権をめざしたいと思っているのです」と繰り返すのみ。
これって、結局は西研氏は、西欧哲学を超えるものが東洋の哲学にあるということに目を向けようとしないで、西欧哲学の復権にしがみついているだけのように思われてならない。その辺りをもっと田原氏には切り込んでもらいたかった。
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(24)朝鮮半島に行ったことがないのはなぜか
自慢じゃないけど、私はお隣の国・韓国に行ったことがない。朝鮮半島の問題に関心もあるし、身の回りには在日韓国人の友人も少なくない。またその道の専門家も友人には数多い。前回取り上げた古田博司さん以上に付き合いの古いのが小此木政夫さんだ。何と言っても彼とは昭和40年の慶大入学以来だ。同級生だったのである。彼は押しも押されぬ韓国問題の権威である。他にも北朝鮮事情に明るい伊豆見元さんとは中嶋嶺雄先生肝いりの「アジア・オープンフォーラム」でずっとご一緒した仲である。他にも挙げればきりがないほどなのに、どういうわけか韓国訪問に縁がない。
そのくせ韓国、朝鮮関連の本好きで読む。つい先日も呉善花さんの『侮日論』(文春新書)を読み終えた。尊敬する大先輩から「面白い。きわめて参考になる」と勧められたからだが、大いに啓発されるところもあったが、疑問に思うところも少なからずあった。この大先輩は、韓国のテレビ映画が大好きなひとで、「イサン」、「チュモン」などいわゆる歴史ものを絶賛されていた。しかし、私にはどうも馴染まない。朝鮮民族礼賛の雰囲気に嫌味を感じ、その学芸会的展開におぞましさすら感じてしまう。
あらためて気づかされ啓発された点は、韓国人には日本民族を蔑視する傾向が非常に強く、最近になって反日になったのではないということ。ましてや植民地支配がその起源ではなく、太古の昔から日本人を侮ってきた、というくだり。一方、疑問に思った最大の点は、「民族(朝鮮)そのものを一段低いものとみなす蔑視の感覚は、私の知る限り世界でも日本人がもっとも薄い」として、「他民族への蔑視の感覚ならば、韓国人の方がいっそう強く、世界的にもかなり強い方だ」というところだ。このくだりを読んで、むしろ逆ではないか、と思ってしまう。少なくとも私自身は長く韓国人や朝鮮人を蔑視してきたし、そうだからこそ当のその国に行くことは憚られる思いに支配されてきたのである。
いままで、小此木、古田、伊豆見の各氏(一緒に並べると怒られそうだが)を始め数多い韓国、朝鮮通の友人たちに、その韓国観や朝鮮人観を聞いてきた。それぞれニュアンスの違いはあれ、庶民としての朝鮮民族、韓国人は気のいい人たちであるという点は共通しているように感じた。表向きと実際とは大いに違うのだとも。だというなら、一度一緒に連れて行ってくれと言ってきたが、未だに実現していない。天邪鬼な私だからこそ、日韓関係が最悪と言われる今日、この辺りをそろそろ解決する時ではないかと思い始めている。
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(23)朝鮮半島の仙人が解き明かす韓国の真実 ──古田博司
古田博司ー私には学者の友人がそこそこいるが、この人はそんな中でも飛び切り親しい人の部類に入る。筑波大学教授。現代日本における韓国研究の第一人者と言っていい。今まで、『東アジアの思想風景』や『東アジ・イデオロギーを超えて』『日本文明圏の覚醒』などの本を、私の読書録でも紹介してきた。韓国や儒教圏にまつわる知的蓄積たるや大変なものがある。元をただせば、故中嶋嶺雄先生のご紹介で知り合った仲なので、広い意味での同門と言えようかと、生意気にも勝手に私は位置付けている。上京した際に、酒を酌み交わしながらの対話は、古代の朝鮮半島に住む仙人と遭遇したかのようで、まことに時空を超えて楽しい。
先に挙げた本を読まれずとも、タイトルを見ただけでもお分かりのように、彼はかなり硬派の難しいことを論じる。かねてから私は、「難しいことを論じる力がおありなのはよーく分かった。これからは、一般にもっと読まれるような分かり易い本を書いてほしい」と偉そうに言い続けてきた。勿論、今までも『悲しみに笑う韓国人』だとか『朝鮮民族を読み解く』などといった平易なタッチの本もある。しかしながらやはり持ち前の知性が邪魔をして、庶民には馴染まない本をお書きになる傾向がある。つい先年の『「紙の本」はかく語りき』など、その典型だろう。好きなファンにとっては堪らない魅力があるが、もっともっと多くの人に、この人のものを読ませたいと思う者にとっては、いささか惜しいような気がしてきた。
そんな思いを一気に跳ね飛ばすメッチャ面白い本がつい先ごろ出た。『醜いが、眼をそらすな、隣国・韓国!』という変なタイトルの本がそれである。「韓国人は『卑劣』ということを、理解できない。なぜなら、ほとんどの国民が卑劣だからだ!」などといったことがガンガン出て来る。その身に危険が及ぶのではないか、と他人事ながら心配してあげたくなる凄い内容だ。もっとも、産経新聞紙上での『正論』に、時折書いておられるような、洞察力に富む国際政治の現状への切り口も散見されるから、「誹謗・中傷」的な言辞に終始しているわけではない。易しすぎるとも言える論じ方で、深い韓国理解が得られる「文科省推薦の良書」かもしれない。
ただ、文句がないわけではない。2刷りのものでは、間違い記述や誤植が若干目立つ。特に、昨年亡くなられるまで秋田国際教養大学学長だった中嶋先生を「前秋田教育大学学長」と書くなどもってのほか。他にも初歩的ミスがあって、それを探す楽しみも。これはひたすらに出版社のせいだろう。まあ、著者としてはそんなことは気にせずに、これからも分かり易い本を書いてほしい。雑誌に書かれたものから類推して、近く古田流「西洋哲学入門」といった本が出版されるのではないかと私は睨んでいる。手ぐすね引きながら、固唾を吞んで期待しているところだ。
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(22)必要なのは、森にすむ動物にもやさしい視点
NHK広島総局に電話をしたのは、中国山地のあちこちで始まってるという挑戦は、大いに結構だが、木を伐採したあとをどうしているのかという問題である。つまり、スギやヒノキの針葉樹林を伐採した後に、少しでもブナやナラといった広葉樹林を植えていくことがないと、日本の森は蘇らないのではないか、との視点が私には気になっている。その点について、地元はどのような認識をもっているかと訊いてみた。井上恭介チーフ・プロデューサーは、あまりその認識がなかったことを認めたうえで、真庭町の町長はその点についての主張をしていたことを教えてくれた。
この『里山資本主義』では、これからの日本の進む道は二つあるという。一つは、「都会の活気と喧騒の中で、都会らしい二十一世紀型のしなやかな文明を開拓し、ビジネスにもつなげて、世界と戦おうという道」。もう一つは、「鳥がさえずる地方の穏やかな環境で、お年寄りや子どもにやさしいもう一つの文明の形をつくりあげて、都会を下支えする後背地を保っていく道」である。しかし、私は、この二つ目の道を作る際に、あえていえば、森にすむ動物にも優しい視点を盛り込む必要があるということだ。
森にすむ動物たち、すなわちクマやシカ、イノシシなどが荒廃する森から里山や人里に降りて来る現象が近年とみに目立つ。それは、膨大な針葉樹林のために動物たちの生息する環境が厳しいものになってきていることと無縁ではない。適度な広葉樹林の必要性が指摘されて久しい。中国山地はもはやクマが絶滅的状況にあると言われているが、それは広葉樹林の欠如と大いに関係するのだ。
今、中国山地で展開されている試みにそうした視点がなければ、結局は、元の木阿弥になってしまう。つまりスギやヒノキの針葉樹林の大量植林とその伐採の繰り返しでは、森の保水力は保てず、従来通りの川の氾濫をもたらしてしまうことになる。せっかく、伐採をするなら、そのあとに、広葉樹林を計画的に植えるという観点を入れる必要があろう。そこまでフォローしてこその「里山資本主義」だと考える。
この本はエネルギー供給という観点では鋭いものがあるが、もっと大きなこの国の安全や安心といった面では足らないところがあると言わざるをえない。NHK広島総局の井上氏には、藻谷さんにも、また現場の皆さんにも私の主張を伝えておいて欲しいと言っておいたが、さてどのように考えられるか。
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(21)21世紀の先端アイテムは里山の木材からー里山資本主義
広島の山奥での実践的な試みから現代人の生き方を根底的に問うー藻谷浩介とNHK広島取材班の共著『里山資本主義』が話題を呼んでいるというので読んでみた。事の発端は、2001年夏に中国山地における異様なまでに元気な年配者たちの革命的行動に始まる。衝撃を受けたというNHK広島総局の井上恭介チーフプロデューサーらが藻谷さんと組んで取材を始めた。
藻谷さんは、全国の市町村をくまなく歩いている地域エコノミスト。実は私が現役を退く少し前だから2年ほど前に国会の勉強会で講演を聴いたことがある。最前線の地域の実情を知り抜いている気鋭の経済人との印象を受けた。日本総合研究所の主任研究員であり、元をただせば日本開発銀行の銀行員だ。彼は少し前に『デフレの正体』という本で、「ものが売れないのは景気が悪いからではなく、人口の波に原因がある」との画期的な論稿を世に問うた。そっちは未だ読了してはいない。
中国山地の山奥で何が起こっており、そしてそこから何を感じ、どう今の日本の現状を切り取って未来への予測を打ち立てたのか。一言でいえば、里山を食い物にしてしまおうというのだ。里山にある木の枝を使って「エコストーブ」を活用するー知ってしまえば、なあんだ、と思うほど簡単な仕組みである。灯油を入れる高さ50センチほどの20リットルのペール缶の側面に小さなL字型のステンレス製の煙突がついたものがエコストーブの出来具合だ。この煙突部分に萌えやすいおが屑などをいれて着火して、木の枝をくべるというもの。真上に上がった炎はやがて真横に向きを変え、ストーブ本体に吹き込み、モノを温めていくことに。きわめてシンプルでお金も僅かで出来上がる。このストーブで煮炊きをし、部屋を温めていく。これが21世紀の新経済アイテムというわけだ。
こういう仕組みを著者たちは「里山資本主義」と呼ぶ。おカネの循環がすべてを決するという前提で構築された「マネー資本主義」の経済システムの横に、こっそりと、おカネに依存しないサブシステムを作ってしまおうという考え方である。これは単純に昔の暮らしに戻せと言うのでもなく、今の経済社会に反逆せよというのでもない。要するに、森や人間関係といったおカネでは買えない資産に、最新のテクノロジーを加えて活用することによって、マネーだけを頼りに暮らすのではなく、はるかに安全で安心な底堅い未来を現出させることが出来ると言う。
こうした主張を読んで、一つ大きな疑問が沸いてきた。私は直ちに、NHK広島放送局に電話し、井上さんを呼び出した。そこで交わした話は次回に。
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(20)組織永続のための徳川家来たちの忠義
忠臣蔵のストーリーは、赤穂藩の大石内蔵助以下の47人が、主君の仇を晴らすため、艱難辛苦の果てに見事に吉良上野介を討つというもの。だが、それは表のことで、実は裏は全く違う、と竹村公太郎氏はその謎を「地形」で明かす。面白い。その謎解きの結果は、徳川幕府に吉良家を抹殺したいとの永年の怨念があり、たまたま浅野内匠頭が不祥事を起こしてくれたため、それを利用して巧みに赤穂浪士たちを庇護の下におき、一方的な襲撃を可能にしてやったというのである。それは事件後、吉良家の血筋を一人も残さないほど徹底的に滅亡に追い込んでいったことで解る、と。それは、徳川幕府にとって重要な泉岳寺に赤穂浪士たちが手厚く埋葬されたことなど、巧妙な仕掛けが施されていることでも解る、と。なるほど、そうかと納得してしまう。
では、その謎の「地形」とは何か?それは、1300年代からの矢作川の干拓の歴史に遡る。矢作川とは今の愛知県岡崎市を流れる川だ。この川の河口に吉良家、上流部が徳川家の領地という風に隣接する。ここでは300年に及び塩田をめぐっての干拓争いが繰り広げられた。家康が力を持って徳川家が台頭するまでは、吉良家の方が圧倒的に優位にたっていた経緯がある。しかも、この力関係が逆転したあとも、吉良が対朝廷の関係において優位にあったため、征夷大将軍の地位を世襲するには、徳川家は隠忍自重する必要があった。それがようやく果たせるチャンスを、赤穂義士たちが作ってくれたというのである。
こういう経緯を知ってみると、なるほどと思える。前回見たような赤穂浪士たちへの様々な配慮も、吉良への怨念を果たす徳川の意志の表れとみると謎が解けてくるわけである。これまでは、江戸の危ない中心部に浪士たちが多く潜んだことはその大胆さを示すものだとか、吉良邸を寂しいところに移したのは、むしろ吉良が防御しやすいようにしたためであるとかとの俗説が支配的だった。しかし、徳川対吉良の対決の歴史を知らされてみると、見方がぐっと変わってくる。
加えて、泉岳寺という家康が創建した寺に埋葬したことは、この討ち入りを忠義の物語として仕上げ、日本国中に広めていくためであった。その宣伝のために、わざわざ高輪大木戸を泉岳寺のそばに移すということまでやってのけているという。当時の旅人が泉岳寺により立ち入り易いようにした(全国への宣伝効果を狙って)ということを指摘する。このことは、同時に徳川家にとって真のねらいであった「吉良家の取り潰し」の企みが秘匿できる(赤穂浪士への賛嘆の影に徳川の狙いは隠せる)からだという。
まことに、竹村さんの推理は巧みである。つくづくなるほど、と感じ入らされる。私は、ここまでして徳川幕府は、自らの体制を永続可能なものにしていく配慮を怠らなかったということに驚愕する。家康は自らの世襲体制を出来る限り長きにわたって続けさせるべく、ありとあらゆる手立てを講じたことはよく知られている。しかし、それが実際に、260年もの長きにわたって存続しえたのは、その後継者たちの壮絶なまでの思いがなければ到底実現しえない。家康が逝って100年ほどの歳月が流れた後に、その思いを果たすために永年の宿敵である吉良を用意周到なやり方で巧みに潰してしまい、その体制の永続化をはかったとは、凄い。むしろ、この徳川の忠義の方が、赤穂の浪士たちの忠義よりも重く深いものがあり、われわれ現代に生きるものが学ばねばならないと思う。
つまり、主君がしでかした失敗の汚名を雪ぐための隠忍自重の浪士たちの闘いも勿論、称賛に値する。だが、それを巧みに利用して、徳川家の組織温存、発展のために、家来たちがその忠義を創建者のために尽くすということは、もっと大きいことではなかったかと、思われてならない。
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(19)表は赤穂浪士の情。裏は徳川幕府の怨。
「忠臣蔵には日本人の情がいっぱいつまっています。この情を世界に訴えるべきだと思います」-中西進さんはかつて、テレビの忠臣蔵特集番組で、忠臣蔵を世界に紹介する際に何をポイントにすればいいか、と訊かれてこうコメントした。『日本人の忘れもの』第三巻の最終章に出て来る。忠臣蔵と情。これには誰しも異存はない。その通りだと思う。今、NHKの大河ドラマで放映中の『軍師 官兵衛』も情にあつい官兵衛と24人の部下たちのドラマだ。我が郷土は情にとりわけあつい人たちを多く輩出しているのは嬉しい限りだ。
その上にたって、忠臣蔵の赤穂浪士たちの話は情だけではなく、全く別の観点から読み解けるとの珍しい説を目にした。竹村公太郎さんの『日本史の謎は「地形」で解ける』だ。実は、この本、文庫化されるにあたって整理され直したもので、読むのは二度目になる。一度目と違ってさらに面白いことを考えさせられた。
竹村さんは私が衆議院国土交通委員長をしていた2001年に河川局長をしておられたれっきとした高級官僚。たまたま私とは同い年だが、途方もない凄い男だと思う。日本史を文科系の頭で考えるのではなく、気象や地形といった観点から読み解くというのだから。赤穂浪士の話も彼にかかると、徳川幕府が吉良家を潰すために、赤穂浪士の討ち入りがしやすいようにあれこれ便宜をはかり、成功した後もそれを宣揚するために大いに尽力したのだという。つまりは、情の物語は表面で、実は裏面は怨の物語である。しかも主体は徳川幕府なのであって、浪士ではない。読んでいない人のために概略紹介しておこう。
竹村さんは「赤穂浪士は江戸幕府に匿われていた」のであり、もっと言うと実態は「指名手配の過激派が警視庁の裏をアジトにしたようなもの」だとまで言う。なぜか。①半蔵門は江戸城の大切な正門②江戸幕府は将軍がその半蔵門の堀を渡るのに、構造上危うい木橋ではなく、土手にした③半蔵門の土手防御のため、四谷見附から江戸城までの郭内は御三家や親藩の屋敷を配置し、かつ、戦闘集団の旗本たちも住まわせた④賑わう麹町の商店には、密偵がくまなく配置されていたと推定できる⑤江戸で最も警備が厳重なこの麹町に、副官の吉田忠左衛門、武闘派急先鋒の原惣右衛門をはじめ16名もの赤穂浪士が潜伏していたーこれらのことから先の結論が導き出される、と。
加えて、吉良邸が江戸城郭内ともいえる呉服橋門から本所の回向院の隣に移転させられたのは、なぜか。まさに、強力な警備機構が集積している江戸の中心部から川向こうの倉庫街という寂しいところへ移されたのはいったいなにゆえなのか。竹村さんは、江戸幕府が吉良上野介を江戸城郭内からまるで放逐したのは、吉良家を抹殺するために舞台を自らお膳立てしたのだという。「忠臣蔵」をめぐっては数多の異説が飛び交うが、この説はとびきり変わっていて、興味深い。次回にその種明かしと、そこから私が考えることを述べたい。(この項続く)
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日本人と中国人どっちが──中西進『日本人の忘れもの』日本と中国と、どっちが忘れものが多いか
『日本人の忘れもの』には、一点の非の打ちどころのない本と思っているが、一か所だけ気になるところがある。「なぜ現代人は肉体にこだわって肉体の消滅ばかり気にするのか。肉体の若さを賛美し若さを価値とする社会ー現代日本社会はもっともその傾向が強いのだが、そんな社会は未成熟であり、中国のように老人を尊重する社会は成熟した文化を持つ」という「いのち」の章のくだりだ。中国のように老人を尊重する社会との表現は、伝統的なむかしの中国社会ではないのか。現代日本社会と現代中国社会を比べて、日本の方が老人をより大切にしない国だと断じる根拠に乏しいのではないかと思えてならない。
たまたま中西進先生が淡路島に来られて講演される機会があった。早速、直接確かめてみた。「現代日本に忘れものが多いのはご指摘の通りですが、中国と比較されるときは、伝統中国とではありませんよね」と。「当然です」ときっぱり。続けて、今の中国が尖閣列島上空の空域を勝手に自国の防空識別圏内に組み入れて、恬として恥じないのは全くとんでもない、と思いますとの趣旨の発言を明白にされた。大いに安心した。では、と私は言いかけたが、あまり重箱の隅をつつくのはいかがかとの自制の心が働き、それ以上は触れずに、「そうです、今の中国は全くもって傲慢無礼です」、というに留めた。
第二巻第二章の自然についての指摘はまさしくめくるめく思いがする。「みず」では、日本人は水で身体を削ったのだ、とみそぎの意味に深くこだわる。「あめ」では、春雨は下から降って、文字通り包まれるものだ、と。夏の長雨のさみだれは、さ乱れで、人間の判断を紛らわさせるもの、として源氏物語の雨夜の品定めを例にあげる。晩秋から初冬にかけてふるしぐれは、山の命に眠りを与えるもので、人間もしぐれの中で命を自然に戻すという。
「かぜ」では、故池田弥三郎氏との会話を紹介。堀辰雄の『風立ちぬ』の冒頭のポール・ヴァレリーの詩を引用して、「風立ちぬ。いざ生きめやも」の季節はいつか?秋だと思いがちだが、実は夏だと。また、生きめやもは、原詩ではいきなければならないとなってるのに、堀の翻訳は死のうという意味になっており、これは間違いだと。ここから、日本人にとり風といえば秋を知る道具であった、と風に心を通わせてきた流れを説く。
また、「はな」ではさくらは散り際がよく、死に際がいいものとしての譬えに用いられてきたが、正確ではないと言い切る。さくらは落花はするが、萎れない。花の死とは萎れることだから、さくらは、死にはしない、のだと。なるほど、そういう見方もあるのか、と感心するばかり。一つひとつ覚えて使いこみたい。
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