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官兵衛人気の陰でうごめく人たち (37)

黒田官兵衛人気に煽られて、見誤られている人物が少なからずいる。ここでは二人を挙げたい。一人は伊丹は有岡城主・荒木村重であり、今一人は御着の城主・小寺藤兵衛である。二人ともNHK大河ドラマ(前川洋一作)によると、自らが助かりたいために妻子も家来も何もかも捨てて、ひたすら逃げまくるおよそ最低、最悪の人間として描かれている▲伊丹の友人によると、こういった人物がかつて城主だったということはあまり有難くないので、官兵衛がかつて”滞在された”地として、宣伝しているとのこと。その心中や察してあまりあるが、笑ってしまうことは禁じ得ない。また小寺藤兵衛も、忠臣であり続けた官兵衛を売った卑劣極まりない城主だったことは、御着の人たちとしては恥ずかしい。ここは姫路の官兵衛を強調することで隠したい気分であろう▲勿論、一人の人物でその地が決まるわけではない。とはいうものの、”寄らば何とか”は世の常で、裏と表とでは大違いなのだから、裏に回った地域は面白くないはずだ。そこで、名誉挽回の見方はないものか、と思っていたら、あった。荒木村重はただ逃げまくったのではなく、毛利に援軍を求めるためにかの地に走ったのであって、決してわが身可愛さだけで、逃げたのではないとの説である。つまり、何としてでも織田信長にひと泡食わせ、一矢報いたい、そうでなければ、死んでも死にきれないとの一念だったというのである▲そう、私も信じたい。ともかく、毛利は思わせぶりだけで、最後まで動かなかったのは、まったく罪深いということにすれば、村重が浮かぶ瀬も出て来る。だが、藤兵衛はどうも救いようがないみたいだ。ここは、英雄と裏切り者と、両者が混在する地として、等身大の受け止め方の効用を説くしかないのであろう。(2014・6・30)

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(36)本好きの行きついた果てに(下)

もう一つは、私の尊敬する先輩と、わが妻と三人で懇談した折のことだ。談たまたま本のことに及んだ。よせばよかったのに、私は妻について、「うちのは今までの人生で三冊ぐらいしか本を読んでいないんですよ」とついオーバーながら、本当に近いことを言ってしまった。音楽を愛好する感性人間たるかの女は、読書を習慣とするに至っていないのである。

すかさずキッとした顔をした妻はこう切り返してきた。「確かにこのひとは沢山読んでいますよ。だけどもなーんにも身についていないんですよ」と。先輩は「ほーら言われた」と、呵呵大笑された。蜂の一刺しのような妻の逆襲はこたえた。あらためて”中国における常識”を描いた、異色の歴史家・岡田英弘の傑作『妻も敵なり』を思い起こした。恥ずかしいというよりも、妙にすっきりした気分になった。確かに当たっている、との自覚があるからだ。いらい、我が読書生活の結果としての貧弱さに思いを致さざるを得なくなってしまった。

数多の先人が本をどう読むかについて、その手の内を披露してきたものを私は漁ってきた。一番印象に残ってるのは、読書の達人と言われる松岡正剛が『多読術』で紹介している読書法だ。彼が最も感動して真似したと言われるもので、兵庫・但馬に「青谿書院」(せいけいしょいん)を開いた池田草庵の方法である。掩巻(えんかん)と慎読(しんどく)という二つ。なんだか難しそうで有難そうである。しかし、実際はそうでもない。前者は、「書物を少し読み進んだら、いったん本を閉じて、その内容を追認し、アタマの中ですぐにトレースしていく(順を追ってなぞる)」やり方。

後者は、「読書した内容を必ず他人に提供せよ」というもの。かの吉田松陰が真似をし、導入したと伝えられているから凄い。とはいえ、私はそれを徹底して実践したわけではなく、それこそ身についていない。

なんでもかんでも次から次へ読み、下手したら一度読んだものを、読んでいないと思ってまた読み、終わりの方になって気がつくというケースさえある、というのだから始末が悪い。

ついこの間新訳が出たというので飛びついたショーペンハウエルの『読書について』にはいささか衝撃を受けた。「読書するとは、自分でものを考えずに代わりに他人に考えて貰うことだ」から、「自分の頭で考える営みを離れて、読書にうつると、ほっとする」と鋭く見抜く。加えて、「読書しているとき、私たちの頭は他人の思想が駆けめぐる運動場にすぎない」と畳み込んだうえに、「たくさん読めば読むほど、読んだ内容が痕跡をとどめなくなってしまう」と決めつける。あまりのお見通しの立派さにほとほと笑ってしまった。ショーペンハウエルといえば、デカルト、カントと並ぶ西洋哲学御三家のひとり。兵庫は丹波篠山ゆかりの民謡で盆踊り唄の”デカンショ節”の語源との説もあるこの三人の哲学者。苦手な哲学をいい加減に考えていた報いかもしれないなどと、妙な自責の念にさえ駆られるからおかしなものだ。

蔵書をめぐっては、いくら家内から責め立てられようとも、置いておけばきっと役に立つことがあるとの思いが頭から離れなかった。それは、子どもに本を譲るということである。

ところが、つい先日、書棚の前で、「この辺りからなら、どれでも好きなものを持って行っていいよ」と私が言ったときに、娘夫婦は何と応えたか。「本は言えに置かないのが私たちのポリシー(原則)です。家は狭いし、だいたい本は図書館から借りて読めばいいと考えています」と。うーん、そうくるとは予想外であった。「いいんですか、こんなに貰ってしまって、有難うございます」と押し頂いてくれるものとの反応を信じて疑ってなかった、わが身が滑稽に思えてならなかった。

それならば、と私の視線は自ずと四歳の孫娘に向かう。ここにある本は、お前が大きくなったら、み―んな、あげるよ、しっかり読むといいね、と言った。こういうと、孫娘の目はとたんに輝いて見えた。ようやく仄かな満足感を抱いた。

だが、かの女が大きくなる頃には、紙の本はどうなっていることだろうか。電子書籍なるものの存在が頭をよぎる。確かに場所は必要としない。必要な時には自在に取り出せる。電子書籍が幅を利かす時代の子にとって、古い紙の本は益々遠いものになっていくに違いない。(2014・6・28)

 

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(35)本好きの行きついた果てに(上)

一昨日(25日)、京都で文化講演会『忙中本ありー本好きの行きついた果てに』を行った。その際に話した内容を二回に分けて、大まかに再現します。

高校を卒業してまもない頃。友人と一緒に神戸のとある大型書店に行った。彼は「こんなにも本はいっぱいあるのだから、少々読んだからと言っても追い付かないね。だから僕はあんまりシャカリキになって読まないことにするよ」と。私はその時直ちに、いや、だからこそ俺はがむしゃらに読むぞと呟いたものである。

あれからほぼ50年が経つ。誕生日がやってくるたびに、兵庫・但馬の生んだ異色の作家山田風太郎の『人間臨終図鑑』(年齢順に著名な歴史上の人物の死に方を描く)をとりだして、その時点での私自分の年齢で亡くなった人のページを開き、読むことにしている。もはや、下巻に突入してしまった。

よく座右の書と言われるように繰り返して読む本を持っている人が多い。私など全くと言っていいほどそれはない。この風太郎のものとて、関連部分を読むだけで繰り返して読みはしない。そのうちいつか意中の本に出会うはずと思って生きてきたが、残念なことに未だ出会わないのである。

一体ひとは一生のうちに何冊の本を読めるのだろうか、などということを誰しも考える。年におよそ100冊として、15歳から60年間読み続けると、約6千冊くらいか。ま、いくら頑張ってみても1万冊がやっとかも、などと取らぬ狸の皮算用ならぬ、”読まぬ読書家の夢心地”になったりした。

勿論世の中には強者がいて、一日一冊(頁数にはこだわらない)主義と称したり、「量書狂読」を売り物にするコラムニストの井家上孝幸のように『一年で600冊の本を読む法』といった本を書くひともいる。しかし、通常の人々はそんな読み方はしないだろう。かくいう私は、10冊ぐらいを同時並行的に読んだりするが、スピードは普通。したがってこれまでで、せいぜい5千冊がやっとだろうと思われる。もはや人生の陽は沈みかけているのに、若き日に夢見た”悟りの境地”というゴールは未だ見えない。いつも気にしているわけではないが、時々困ったものだと思う。

一体何を目的に本は読むものか。勿論ひとによって色々だろう。西播磨が生んだこれまた異色の中国文学者・高島敏男に『本が好き、悪口いうのはもっと好き』との絶妙の題名の本があるが、ともかくも理屈よりも好きだから、面白いから読むというのが普通一般だと思われる。フランス文学者で異彩を放つ・鹿島茂は「人生に四楽あり、一に読書、二は好色、三には飲酒、四には悪口」と、蜀山人の三楽をもじって、一つ付け加えている。好色、飲酒をこの位置に置くのは異論を持つ向きもあろうが、読書が”人生お楽しみレース”のトップの座を占め、悪口が上位を窺っているとの構図は大きく外れていないものと思われる。

ひとは、忙しくなると現実から逃避したいとの思いが募るもの。学生時代、試験が近づくと妙に小説がよみたくなった。小人閑居にして不善をなすのだから、「忙中本あり」が大事とばかりに、今やその言葉を造語して、私はブログのタイトルなどに使っている。

つい先ごろ、本にまつわる幾つかの気になる出来事があった。一つは20年間の東京での単身赴任に区切りをつけ、家族の住む家に戻って来ることに伴い起こった。事務所や宿泊先などに積み上げていた蔵書をどうするか。そのまま送っても受け入れる余地は到底ない。悩んだ挙句に思い切って処分することを決断した。読みもしないのに、いつか読もうと買い溜めた本なども含め数千冊。得難いものなどを除いてほとんど全部を後輩たちや、お世話になった方々に惜しげもなくお譲りした。

ついでに家の狭い書斎もなんとかしてよ、との家内の間断ない責め苦に負けてしまい、数百冊だったが、市の図書館の主催する古本市に提供してしまった。それこそダイエット後の痩せた身体を見るようにスカスカの書棚になってしまったのである。かつて一冊といえども手元から本を手放したりすることがなかった、わが身としては大いなる変身ではあった。(続く 2014・6・27)

 

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(34)小松前法制局長官の死を前に、去来すること ー小倉和夫

 小松一郎前法制局長官が亡くなった。外務省出身としては初めての任で、安倍晋三元首相が集団的自衛権の導入に向けて、期待に応えられる人物として白羽の矢を立てたと見られることなど、晩年は本人にとって不本意なことが少なくなかったものと思われる。彼が外務省国際法局長の頃に、よく私の議員会館の部屋であれこれと懇談した。豊富な外交知識を包み隠して実に物腰優しい紳士だった。後に駐仏大使になられて、「是非一度来てください」と言われながらも果てせなかった。最終のお立場になられて苦労されていたのに、一度も激励の言葉もかけずに終わった。心残りだが、ご冥福を祈る▲小松さんの大先輩・小倉和夫氏が赴任されていた頃にパリを訪れ、その著『中国の威信 日本の矜持』を頂いた。裏表紙に「2001年8月26日仏国巴里にて」と揮毫されている。この人は、吉田茂賞を受賞された『パリの周恩来』から、料理にまつわるものまで幅広い著書を持つ。私は、頂いた本から、日中関係を見る研究や論説が、幕末以降の西洋のアジア進出前後に依るものに大きく偏りすぎていることの非を学んだ。古代から中世にかけての中華の秩序の中での日本外交の歩みをしっかりと踏まえたうえでないと、自ずからかの国を見誤るということを、である▲集団的自衛権問題の与党協議がいよいよ終盤に入ってきたと見られている。これまでの憲法9条下における自衛隊の許容される行動については、個別的自衛権行使がその範囲内であり、集団的自衛権は持っている権利だけれど行使は出来ないというのが、政府の憲法解釈であった。注意を要するのは、個別、集団の境界が曖昧だったということだ。それを整理するのが今回の協議の焦点である。最初から集団的自衛権を認めて、それを限定したり、歯止めを加えるということではない。あくまで、個別的自衛権で出来ることが未だあるはず(これを明らかにすることを、私は適正解釈と呼ぶ)。つまり、集団的自衛権と従来取り違えてきたことがなかったか、ということを確認する作業を今しているはず、というものである。これがまっとうなギャラリーの認識だ。だから、「自衛権拡大に歯止めをかけろ」という表現は誤解を呼ぶ。あるべき姿に自衛権を整理するのであって、決して歯止めをかけて、縮小解釈したり、個別自衛権の枠を超えてしまう拡大解釈をしてはいけない。集団的自衛権行使を容認してしまってから、限定したり、歯止めをかけてももはや遅いのだ▲このあたりを小松氏が健在ならば議論したかった。法制局長官を引き受けていなければ、もっと長生きをしていたはずなどとは言うまい。彼の真面目さが、集団的自衛権行使容認の側に立つ転換点の役割を受けさせ、その役人人生を最後の段階で劇的なものにしたのであろう。フランスでの様々な経験やら積み重ねた国際法から見る、日本の安全保障や外交の在り方について、小倉さんのように、書きたかったはずであろうに。そうした彼の後半生を思いやりながら、残された与党協議の山場を見据えたい(2014・6・24)

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(33)官兵衛と憲法9条の境遇 ──松本清張

黒田官兵衛から今我々が一番学ばなければならないことは何か。それは、官兵衛という兵略家が極力、武力の行使を避けて、戦争なしに相手を屈服させる道を選んだということであろう。官兵衛を描いた数々の作品の中で、松本清張の『軍師の境遇』がそのあたりの官兵衛の戦国武将のなかで特筆されるべき本質を最も明確にしているように思われる▲清張は、播磨の小豪族を信長の陣営に組み入れるべく秀吉のもとで奔走する官兵衛に焦点をあてた。後年の九州における官兵衛と違って、前半生ではひたすらに弁舌と調略で、つまり外交戦で勝利を得てきた。それが後世における「軍師」の名を欲しいままにする所以でもある。しかし、あまりにもその威力が度を超したがゆえに、秀吉からも疎まれ、怖がられる因を作って、結果重んじられない、遠ざけられてしまう。そういった「境遇」を描いて余りあるのがこの本の面白いところだ▲高校生向けに書いたものだけに、若者に託する平和への熱い思いが漲っているともいえる、この清張の官兵衛。誠実でひとを裏切らない正直者であるがために相手からも尊重され、大事にされる戦国武将。いささか褒めすぎかもしれないが、こういう人を生み出した地の人間であるとの誇りさえ、播磨人には湧いてくる。姫路を中心とする播磨の人間は今まであまりそういうイメージで語られなかったのが不思議なほどだ▲時あたかも、集団的自衛権問題が喧しく取り沙汰されている。徹底した平和外交を展開する中で、最後の構えとしての自衛力を不断に保持し、磨き上げていくことに大きな異論はない。しかし、外交に早々と見切りをつけ、軍事的同盟国との関係強化のみに走り過ぎることはひたすらに危ういと言えよう。先の大戦の敗北から70年。大げさにいえば、戦争か外交かの岐路に立つ政治選択を前に、規定が理想に過ぎ、多様なる解釈を生み続けてきた”憲法9条の境遇”に思いを致さざるをえない。気高過ぎるがゆえに具体の現実への適応に難航し続け、ややもすれば変えてしまいたいとの野望にさらされるという境遇に。(2014・6・17)

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(32)元防衛高級官僚を一言でいえば ──柳沢協ニ

今、自衛隊や防衛省関係者のなかで最も評判の悪い人物はだれか?別に一人ひとりに訊いてみたわけではないから推測にしか過ぎないが、防衛庁長官官房長などを経て、元官房副長官補だった柳澤協二氏だろう。なぜって、国の安全保障政策を統括していた身でありながら、今の政府のそれを厳しく批判しているからだ。一言で彼についての評判を言えば、「まったくいい気なもんだよ。立場がかわりゃあ、好きなことばっか言って」というところか▼実は柳澤氏と私は昵懇の間柄。それはそうだろう。政府側の要人と与党公明党の安保政策の責任者の関係だったんだから。私たち二人は党機関誌『公明』で対談をしたことがある。彼が、相次いで興味深い対談本(『抑止力を問う』『脱・同盟時代』)を出した後の頃だった。勿論、対談というよりも私のインタビューというのが相応しい中身だったが、大いに触発されたものだった。彼の心境を一言で譬えれば、「水を得た魚」そのもので、宮仕えから解放された喜びに溢れていた▼その彼が『改憲と国防』『亡国の安保政策ー安倍政権と「積極的平和主義」の罠』などで、一段と激しくトーンを上げて、安倍政権を批判している。前著で、歴史観を持たない安倍晋三という指導者を持ったことを恥じなければいけない、とした彼は、近著では、求められてもいないアメリカとの軍事的双務性を積極的に追い求める亡国の指導者だ、と。一言で、現在の課題についての彼の主張をまとめれば「解釈改憲などせずとも、みんな個別的自衛権ですむ」であろう▼きわめて優秀な防衛官僚であることは間違いない。その安保政策の薀蓄にもおおむね共感する。ただ、政治への洞察がやや希薄ではないか。今回の問題でも首相・安倍晋三にだけその責めを負わせる風があるのには首肯できない。加えて、彼の本は対談部分が多すぎる。是非、自らの論考を真っ向勝負で掲げて貰いたい。私自らのこの評論を一言でいえば、「わが身を棚に上げて」ということになるのだが。(2014・6・14)

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(31)軍師・官兵衛もの読み比べ序論

今、NHK大河ドラマの放映のお蔭で、黒田官兵衛ゆかりの街が盛り上がっている。何と言ってもその第一は兵庫・姫路市だろうが、これからは福岡・博多市に移っていこう。生まれ育った地と晩年を過ごした地。どちらがどうと言うつもりはない。姫路も博多も甲乙つけがたいほど関わりは深い▼司馬遼太郎『播磨灘物語』を二回目読み終えたのを始め、去年から今にかけて、吉川英治『黒田如水』松本清張『軍師の境遇』火坂雅志『軍師の門』坂口安吾『二流の人』葉室燐『風渡る』『風の軍師』渡邊大門『黒田官兵衛の謎』加来耕三『黒田官兵衛不敗の計略』と読み進めてきた。今年の暮れまでに未読の官兵衛ものをなくしたうえで、読み比べを書いてみたい。これはいわばその序論▼何と言っても型破りで印象に残るのは坂口。文体の異様さと人物への切り込み方が斬新。家来たちの忠節を描いて胸うつのは吉川。オーソドックスに時代の流れの中に人物を浮かび上がらせ、目配りのうまさでは、やはり司馬。殺し合いではなく外交力の重要さを説き、子どもたちにも読ませたいと思わせるのは清張。キリシタンとしての官兵衛、播州よりも九州に視点を定め、大きく想像の翼を羽ばたかせたのは葉室▼ひとの一生は平板ではなく、有為転変、紆余曲折の流れをまとめて捉えないと見誤る。その実例として、豊臣秀吉の青年期から功成り名を遂げた壮年期を経て、狂ったとしかいいようがない朝鮮出兵の老年期が挙げられてきた。が、官兵衛も播州・姫路での行動と九州かいわいでの振る舞いは大いに違うとも見える。ともあれ故郷姫路が生み出したこの人物を、当の地元があまりにも粗末にしてきたことだけは間違いなさそう。遅ればせながら酒の黒田節ならぬ、人物としての黒田官兵衛像を生まれた地に根づかせたい(2014・6・12)

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(30)「回転木馬」みたいな自衛権論議

集団的自衛権をめぐる論議は未だ始まったばかり。様々な論者たちがメディアに登場し、その考えを述べているが、私が注目するのは憲法改正論者。そのうち、憲法を改正する必要を述べながらも、解釈でそれを済ませてしまおうとすることに反対をしている人たちだ▲なかでも小林節慶大名誉教授は筆頭株。この人はかつて自民党のブレーンと目されたり、公明党にも強い関心を寄せた時期(21世紀に入る前あたり)があり、私も幾度かお会いした。『憲法守って国滅ぶ』など明晰な論理展開で分かり易い文章が魅力的な人だ。今回の安倍首相の目論見を「権力による憲法泥棒」と断定。以前の96条改正への動きを「裏口入学」と決めつけたことと同様に明解極まりない▲ただ、小林ウオッチャーによると、彼の憲法改正への姿勢は微妙に変化したと言う。当初は普通の国にすべきだとの立場から憲法9条の改正を唱えていたと見えたのに、今は国際貢献のために自衛隊を海外に派遣することを明記せよとジワリ変わった、と。実は私もそうかもしれない、と睨んでいる。恐らくは平和を希求するのにどこまでも熱心な公明党の支持者たちとの付き合いの中で、その思いを強めるに至ったのであろう▲高村正彦自民党副総裁は地味な人柄の印象だが、どうしてどうして。うるささにおいて派手極まりない。20年ほど前に海外視察に同行していらいの旧知の間柄だが、その芯の強さといったら圧倒的だ。今、しきりに「砂川判決」を持ち出し、必要最小限の措置なら、集団的自衛権の概念に含まれるものでも排除されないとの主張を展開している▲小林さんは憲法学者30年の経験から、このような高村説は聞いたことがないとし、まったくの苦し紛れのものだと切り捨てる。今安倍周辺が提起する集団的自衛権行使への想定事例はいずれも個別的自衛権の問題で、やりたければ「その範囲を広げ、運用を見直して対応すればいい」と明解極まりない。衆議院に私が在籍した20年間にずーっと取り組んできたテーマが今展開される状況を見ながら、「回転木馬」を思い起こすのは何ゆえか。(2014・6・3)

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(29)憲法9条のもとで、自衛権の行使を整理せよ

集団的自衛権をめぐっての論争は、まず自民党と公明党の代表による協議の場が設定された。これはまことに興味深い。与野党の予算委員会での議論などよりも数倍重要だと思われる。結果如何では、日本がこれまで憲法9条のもと他国の戦争に関与してこなかった姿勢を根本的に変えることになるからだ。私は現役時代に幾たびか自民党との安全保障をめぐる協議の場に臨んだが、今回のものに比べれば殆ど意味がなかったとさえ思われるほど。この場に挑む人たちの心中や察して余りあり、羨ましい限りだ▲石破茂『日本人のための「集団的自衛権」入門』は、いかにも彼らしい筆致で得意満面に展開されている。彼には、これまで『国防』『国難』をはじめ数多の防衛に関する著作がある。それらに比べると軽いタッチは否めぬものの、タイムリーではあり、よく整理されている。かつて同窓の先輩面よろしく「あんたは防衛に関わり過ぎる。そろそろ卒業しないと総理に成れないよ」と、偉そうに忠告したことがあるが、いやましてその思いは昨今募ってくる。安倍さんに使い捨てされぬようにね、と▲ところで、この協議は三段階に分かれて行われると見込まれる。一番目はグレーゾーンについて。二番目は国連PKO活動に関するもの。三番目が集団的自衛権の限定的行使についてである。かねて私はこの問題については、集団的自衛権と個別的自衛権、さらには集団安全保障とがごちゃ混ぜになっていることが、一切の混迷の元凶だと指摘し、問題の所在を整理せよと主張、論文も発表してきた(2002年4・16号『世界週報』)。その視点からすれば、この三段階に分けての議論開始は公明党のペースだ▲この場面、三段階すべてを議論し終えて、行使容認にいけば、自民党の勝利。公明党の敗北になる。しかし、グレ―ゾーンにおける法整備の道筋をつけたうえで、個別的自衛権で出来ることを明確にしわけし、集団安全保障における駆けつけ警護は集団的自衛権とは別概念だとして認めることが出来れば、公明党の勝利である。あくまで憲法9条のもとでの憲法解釈を縮小でも拡大でもなく、適正に解釈することがポイントだ。解釈改憲ではなく、解釈の適正化で出来る、できないをはっきりさせることは可能であり、それをすることこそ公明党の使命なのだ。(2014・5・22)

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(28)作家の油断を読み取るたしなみ ──浅田次郎

作家で現在日本ペンクラブ協会の会長・浅田次郎さんとは一度だけ逢ったことがある。正確にいうと、あるパーティ―でわたしが一方的に声をかけたのだ。前回紹介した『作家の決断』に登場する19人のなかで直接逢ったことのある3人のうちの一人だ。ただ、残念ながら、その印象は決して良くなかった▲こちらがそれなりの礼を尽くして声をかけたつもりだったのだが、終始無言。つれないこと夥しい。やあ、どうも。何時も読んでいただいて恐縮です、とぐらいは言ってほしかったなあ。尤も、大勢のなかで、しかも彼が口にモノを運んでる最中だったからやむを得なかったかもしれない。が、『壬生義士伝』や『鉄道員(ぽっぽや)』や『終わらざる夏』で流した涙はなんだったのか、との思いは募った▲『作家の決断』では、「僕は嘘つきでした」と公言してはばからない。嘘つきはどろぼうの始まりではなく、「嘘つきは小説家の始まり」だと言い切って小気味いい。小説家には文章を作ることとストーリーを作ることという二つの才能が必要であると述べ、前者は努力すれば誰でも上手くなる、つまり技術的なものだが、後者については、天賦の才能が必要だ、と。通常、作家は、これを想像力の豊かさだと恰好をつけていうのだが、彼はそれだけではなく、どれくらい嘘がつけるかだと、わざわざ付け加えている▲この本は小説家志望の学生が名だたる作家たちに直接インタビューしているもので、それだけつい作家たちは油断して自分たちの成功話を本音で、恐らくは嘘を交えず語っている。つまりはどれくらい苦労して作家になったか、今の地位を築いたかをあけすけに語っている。この本はタイトルを『作家の油断』とすべきではなかったか。作家はやはり書いたものだけで勝負すべきだろう。また、読者もそれだけを読むべきで、それ以外のものを読み、また直接逢ったりすると幻滅することの方が多いと思われる。(2014・5・15)

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