この30年の移ろいの真の切なさー芹川洋一『平成政権史』を読む

「細川護熙から、麻生太郎に至るまで、日本の総理の名前を順番に言えますか?またそこに一つの特徴があるのをご存知?」ー民主党政権が誕生した頃のこと。ソ連からロシアへの100年の変遷の中で、10人の指導者が変わったが、その人たちの順番に法則がある(ハゲ・フサフサが交互に登場)というギャグを聞いて、思いついた。日本の場合はわずかな期間に10人も立て続けに変わっており、しかもそこにもあるひとつの特徴を見出せるからである。お分りだろうか。それはさておき、日本経済新聞論説フェローの芹川洋一さんが『平成政権史』を書かれたと知って、飛びついた。平成の30年が終わろうとする今、うってつけの本であり、近く私風の『回顧録』をまとめる際に、参考にしたいからだ。加えて、彼が中心になってまとめた日経の『憲法改革』なる本の、目の付けどころを高く買っていたからである▼この本は、竹下登政権から説き起こし、今の安倍晋三政権に至るまでの30年17人の政権について、それぞれどんな政権だったかを、10編に分けて追っている。ご本人があとがきで書いているように「独断と偏見のそしりをおそれずに、政権の特色を簡潔にまとめ、平成の政治を大づかみにすることをめざし」ており「日本の政治の30年が縦と横から見えてくるのではないか」と自負しておられる。もちろん、大筋でそれは間違っていない。昭和44年、佐藤政権の頃から公明新聞の政治部記者として曲がりなりにも18年、昭和末期の頃の衆議院秘書を経て、平成元年に衆議院議員候補なって苦節5年の末に当選し、20年間政治家を続け、引退後5年余の今に至るまで、ずっと日本の政治を見続けてきたものとしても、役立つ視点は少なからず見出せる。そして、この間、小沢一郎という政治家に翻弄され続けたという底流に流れるものもよくわかる▼だが、それを認めた上で、この30年史は、脇役を欠いた映画のように、物足りなさが残ることを指摘せざるをえない。「芹川さん、これはちょっと」と。なぜか。公明党に向き合った記述が殆ど出てこないのである。そのうちきっとと思い、最後まで読み続けたが、見事に期待は裏切られた。小渕政権のところで、辛うじて「今日につづく自公連立の起点がここにあることは第1に指摘しておかなけてばならない」とあるだけ。しかも、本文最後に「30年たって政党の体制がもとに戻ってしまった」として、めまぐるしく政権の組み合わせは変わってきたが、結局、全く同じだというのである。以前の、自民・社会・公明・民社・共産の5党から、今の、自民・公明・立憲民主・国民民主・共産の5党へと、「かりに立憲民主党を社会党に、国民民主党を民社党と想定すれば、全く同じである。30年たってひと回りということ」だ、と▼確かに表面的にはそう見られる側面は否定しない。しかし、「全く同じ」とは。公明党は30年前には野党だった。今は与党である。いくらその存在が軽くとも、それを押さえずに、この30年の政治を概説したと言えるのだろうか。これでは孫や子に残す平成政治の歴史としても不正確と言われよう。安倍長期政権の理由として10の項目をあげているが、その中の四番目に「保守派の政権ながら、政策が左側、中道リベラルの側を向いている点こそ政権延命の肝である」とある。ここに、公明党との連立政権の特徴の表れを見ずして何を見るのか。続けて「野党的な考え方を先取りして、無党派層を取り込むねらいがみてとれる」と、その「現実主義者」としての側面を指摘していることを見ると、公明党を意図的に外したとさえ思えてしまう。「独断と偏見」だから、そんなに目くじらたてないで、と言われるのかもしれないが、それでは余りに切ない。(2019-3-18)

Leave a Comment

Filed under 未分類

混沌とする国際情勢の見極め方ー佐藤優 宮家邦彦 『世界史の大逆転』を読む

「奇しくもほぼ同時期に外務省を離れた二人が、過去数十年の経験を踏まえ、それぞれ思い思いの視点から、激動する国際情勢の方向性を見極めようとする新たな知的試行錯誤の結果である」(宮家邦彦)「現在の国際情勢は、きわめて混沌としている。こういうときに役に立つのが、地政学と思想史だ。(中略)地政学においては大陸国家と海洋国家という二つの基本類型が存在する。大陸国家は領域的拡張を、海洋国家はネットワークの形成を重視する」(佐藤優)ー国際情勢のルールが変わったとのサブタイトルがついた、佐藤優氏と宮家邦彦氏の対談本『世界史の大逆転』から、各章ごとに注目される発言をピックアップしてみた▼⚫︎「米朝首脳会談後の東アジア」(第1章)ー仮に、朝鮮半島が統一か軍事境界線が取り払われると、韓国が大陸国家性を強めることになり、中国、ロシアの影響下に置かれると日本にとって脅威である。日本は防衛線を対馬に引かねばならず、その安全保障政策は根本的に変わってくる(両者)。⚫︎「国際情勢は『感情』で動く」(第2章)ー北方領土問題の「現実的な落としどころとしては、近々に日ロ平和条約を締結し、歯舞島と色丹島の主権は日本に、一方、国後島と択捉島の主権はロシアに帰属させる。さらにこの平和条約に、『歯舞群島と色丹島の引き渡しに関する協定は、協議を継続したうえで策定する』と定めるのでは(ないか)」(佐藤)▼⚫︎「核抑止から核拡散の時代へ(第3章)ー核をめぐっては、最重要なことは、思考停止せずに、あらゆる可能性を想定して、「ではどうするか」をタブーなしに議論すること」(宮家)である。「日本は非核化政策を貫くべきではあるが、核兵器をつくる原子物理学的な能力はもっていたほうがよい」し、「『つくる能力はあるが意思はない』と国際社会に示すことが重要」(佐藤)。⚫︎「混沌する中東と『脱石油』の衝撃」(第4章)ー「(自分がエネルギーの危機管理担当だったら)原子力、LNG(液化天然ガス)、石炭、石油、それに再生可能エネルギーを組み合わせたベストミックスをめざす。それが最適解だ」。エネルギー産業やエコノミスト、学者、軍事専門家らみんなが知見を出し合い、最善策を議論する必要がある」し、加えて、「経済にも安全保障にも精通した人材の育成も急務」だし、「いまからでも和製エネルギーメジャーの創設めざすべき」である。(宮家)▼⚫︎「AIが世界の『常識』を覆す」(第5章)ー「AI兵器の誕生は、従来の『核抑止論』を根本的に変える可能性がある」ので、「本来なら日本もAI技術の軍事応用を進めるべきなのだが、今の日本にはAIを軍事に応用するという発想そのものがない」(佐藤)。「せめてカウンターAIの研究くらいは今からでも遅くないから、予算をつけて始めるべきだ」(宮家)。⚫︎「民主主義はもう限界なのか」(第6章)ー「私はいまの世界を『新・帝国主義』の時代であると分析して」おり、これは「昔の帝国主義のように植民地を獲得するのではなく、外部からの搾取と収奪によって生き残りを図る」という意味で、「グローバル化の進展」と「国家機能の強化」という二つの異なったベクトルの引っ張り合いが繰り広げられる」(佐藤)ことになる。以上ほんのさわりだけ挙げてみた。随所にお二人の鋭い分析がみられる極めて刺激に満ちた面白い本である。(2019-3-11)

Leave a Comment

Filed under 未分類

奥深く幅広い「旅」ードナルド・キーン『日本文学史』を読む

作家のドナルド・キーンさんが亡くなったと聞いて、三つのことを思い出した。一つは、塩川正十郎さん(故人=元財務相)から、キーンさんの『明治天皇』上下2巻を勧められた上、実際に頂き、苦労して読んだこと。二つ目は新幹線車中で近くに極めて似た人が座っていながら、声をかけずに済ませてしまったこと。三つ目は、『日本文学史』全18巻を読み終えているのに、『忙中本あり』に取り上げていないことである。正確に言うと、半分の9巻まで読んだ時に、書いている。2014-10-29に、「ドナルド・キーンの案内で辿る日本文学の旅」のタイトルで。ということで、残りの9冊についても触れて、決着をつけることで、自分なりの追悼の意の表明としたい▼膨大な日本文学の論及の中から、代表的な3人だけを取り上げて読後感とするのは、甚だ心もとないがお許しを。明治150年の節目に、西欧文明と格闘した漱石の苦悩を思い起こすところから。キーン氏(以下著者)によると、『草枕』は「漱石文学の中でもっとも意図的に日本の伝統的手法を取り入れたもの」であるが、漱石はそれ以後ぷっつりとその追求をやめ、嫌悪していたはずの西洋文学に傾斜を強めていく。その結果、「『生命のやりとり』をするような小説を書こう」との「決心は、後続の作品に力を与え、多くの日本人読者をして漱石を尊崇させる因となったが、文学にとって貴重ななにものかー一種の詩ーを奪ったと言える」とする。かくいう私も漱石文学の詩的なるものを排して、人生と真正面から対峙するテーマを追う姿勢が好きで、これまできた。その辺りを再確認するべく今、漱石全集読破に挑戦中だが、著者の視点は大いなる水先案内人足りうる▼一方、森鴎外について。偶々、鴎外の孫・小堀欧一郎さん(医師)の著作『死を生きた人々』を読み、かつNHKスペシャルで、この人の在宅診療ぶりを感動のうちに観たこともあって、改めて祖父・鴎外に関心を持った。「語られぬ部分があまりに多い彼の小説は、ちょっと読んだだけでは味があまりに淡白に過ぎ、今日の読者を堪能させるまでには至らない」という。確かに、私には近寄りがたい存在だ。著者は、ディレッタント(好事家)だった鴎外について「翻訳、物語、戯曲、詩、小説、評論、史伝等に」と、活動は様々に広がったが、「偉人として後世の人に仰がれる存在になった」という。その理由は「文武両道をきわめた者として、日本の伝統的理想を、身をもって行ったからである」とする。日本の伝統から離れたと見られる漱石と真逆といえようか。数多の弟子がいた漱石と、全くいなかった鴎外と。対称的な二人はどこまでいっても興味が尽きない▼「鴎外を神のように尊敬すると自認した」三島由紀夫について、著者の眼差しは鋭く、微に入り細を穿つ。「日本文学の古典から得た情緒を、繊細で古風な文体を用いて再現するのがうまい神童だった」か弱き少年が、やがて「筋肉たくましいおとなになり、鴎外の歴史小説に出てくる主人公そのままに真一文字に腹かききって死ねる男になった」のだが、「実は、それが話のすべてではなかった」と、筆を運び、「この古武士に見まがう人間が、死の日に、近代日本文学の一級の部に入る作品を書き上げていた」と、読み物風のタッチで読者を引き込み、『豊饒の海』四部作へと導入していく。日本の近代・現代文学史に興味を持つ向きには堪えられない面白さがそれこそ満載されている。例によって「一度読んだだけ」の私だが「読書の本懐は再読にあり」を実践してみたいものだと思うに至っている。(2019-3-3)

Leave a Comment

Filed under 未分類

政治家の資産公開より資質公開をー大山礼子『政治を再建するいくつかの方法』を読む

先日、故大沼保昭元東大教授を偲ぶ会があった。ご生前に奥様や娘さんらご家族も含め親しくしていただいたことや、『忙中本あり』で、ご著作を紹介するたびに喜んでいただいたりしたこともあって、一泊二日で上京した。予想通り、会場の如水会館は一杯だった。6人の代表の方々の弔辞はいずれも本当に心打つ聞かせる内容だった。死の病の床にあって遺著『国際法』の執筆に全魂を注ぐ一方で、ご自分の葬儀における全てをプロデュースされ、弔辞者を指名し、それぞれの中身にまで注文をつけられたというから驚くほかない▼献花の後、隣のホールで参加者の懇親会があった。読売新聞の特別編集委員の橋本五郎氏と故人を偲ぶ会話を交わした際に、談偶々、大山礼子『政治を再建する、いくつかの方法』に及んだ。「政治制度から考える」との副題がついているものだ。その角度に大いなる興味を持ち、読み終えたばかりだったので、「あれ、いいね」って水を向けた。彼は同調せず。寧ろ否定的な雰囲気だった。その理由を問ういとまもなく会話は中断。この人、『二回半読む』との著作を持つ、名うての書評家だけに色々不満があるのだろうと理解した。だが、そうなると、「一回だけ読む」の私としてはムラムラと天邪鬼心が鎌首をもたげた▼大山さんは今は駒沢大教授だが、以前は国会図書館に勤務。かつて勉強会にお招きし、お話を伺ったことがある。国会の仕組み、政治家のありよう、選挙制度の問題点に、一家言も二家言も持っておられる様子がありありだった。案の定というべきか、今回の本は壊れた政治の再建に向けて、真正面から斬り込んでいる。お粗末な議員立法の現状。法案修正がほぼ皆無の実態。予算を論じない予算委員会の惨状。使われていない国政調査権の不思議。いずれも本質を突いた議論の展開で、読み応え十分だ。更に、議員の無能さを暴いた章も面白い。危険水域に達した政治不信の背景にある政治家不信について、実例を挙げている。とりわけ政務活動費や職務手当の使われ方など、傾聴に値するものばかりである。議員経験者として、我が身の不明を棚上げにして、この手の議論に参画することは面映ゆい限りだが、この際お許しを願いたい▼私の政治再建に向けての持論は、国会議員の仕事ぶりを詳らかにすることに尽きる。衆参両院の全ての議員の国会での質疑の中味、日常活動の現実などを赤裸々にする事で、一気に国会の雰囲気は変わると確信する。それを恐れている議員が多いのは間違いない。政治家の資産公開を公表するのもいいが、政治家の資質公開の方がよほど意味がある。どこに基準を置くのかなど、もちろん問題なしとはしないが、世の英知を結集することで幾らでも可能だ。こういった議論のきっかけをもたらす本として本書は価値がある。ただ、惜しむらくは課題への挑み方がソフトに過ぎる。この辺りが五郎さんも恐らく気になってるのかも。国会審議は無意味?無能な議員が多過ぎる?などと、各章立ての語尾に全て 「 ?」 がついているのがその証拠だ。? はつけず断定をして欲しい。(2019-2-26)

Leave a Comment

Filed under 未分類

こんな人がいたんだとの驚きー植木雅俊『江戸の大詩人 元政上人』を読む

「忘れられた詩人・文学者」ー元政上人を今に蘇らせる画期的な本を読み、特異な日蓮門下の生き方を新たに知って感慨に耽っている。植木雅俊『江戸の大詩人  元政上人』。副題に「京都深草で育んだ詩心と仏教」とあるように、元政上人とは京都伏見の深草の瑞光寺を開山した日蓮宗の僧のことである。畏友の仏教思想家・植木さんから、この本のことを直接聞き、そして出版記念の会をするので、とお誘いを頂いたのは昨秋の初め頃だった。これまでとはぐっと肌合いが違う作品のうえ、今まで彼の出版にまつわる会には出たことがなかったので、2月3日の会に上京、出席した。作家の安部龍太郎、写真家の白川義員氏始め、数多い出版人やら植木ファンで溢れかえる心温まる催しだった▼昨2018年は元政没後350年。神奈川・平塚の大神山隆盛寺の萩原是正師らを始めとする関係者とのご縁もあって、植木さんはこの本をまとめるべく意を決した。そのあたりの経緯を記念の会で聴いたのだが、世に埋もれたままの大詩人を見事に掘り起こした手際は見事という他ない。「西の元政 東の芭蕉」と呼びならわされたり、西鶴、季吟、一茶、蕪村、賢治らから敬慕されたと言う。だが、どういうわけか、これまでメジャーな存在ではなかった。私が愛読する加藤周一『日本文学史序説』(下)には、石川丈山の詩仙堂との類似性や熊沢蕃山との交わりに触れたうえで、「この詩人はたとえばボードレールのように、よほど碧空と白雲を愛していたらしい」とあるだけだ▼植木さんは彼の膨大な漢詩の中から、動植物を慈しむ心を優しく表すものなどを次々とあげ解説する。また和歌では、春夏秋冬の天然自然や万物の情を歌いあげたものを披露する。そして類い稀な母親思いの振る舞いの数々も。とりわけ仏教思想を詠んだもののうち、地獄界から仏界までの十界を詠みわけたものがわたし的には心に響く。「今は世をすくふこゝろも忘貝(わすれがい)さながらもれぬあみのめぐみに」ーあらゆる人々に具わる仏性を指し示している仏の心を、衆生が忘れ去ってしまっていることを歌として詠んだものだ、と。更に、「次韻節山」という「末法の時に仏法が衰えた中で、仏法の深遠な教えを探究する決意を述べた」詩などを目にすると、胸打たれる▼日蓮大聖人が法華経の真髄を広めるべくこの世に出現された後、およそ400年ほどが経っていた。江戸初期は「詩人であるためには、世間を離れ、退居しなければならない時代」(加藤周一)であった。それからまた400年ほどが経って、第二次大戦後に大聖人の精神を受け継いで怒涛の前進をしてきた創価学会の中で生きてきた私などは、どうしても第二祖・日興上人の「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」(遺誡置文)が頭から離れない。そして、中興の祖と呼ばれ六巻抄を著された日寛上人のことが心から抜けない。世間を離れず、大衆の中で生きて死んでいくことを誓ったものとして、思うことは誠に多い。恐らくは元政上人は多芸に秀で、出現が早過ぎたのだろう。あと4年ほどで、生誕400年を迎えるが、その頃にはこの本が契機となって、元政上人の価値を知る人が一気に増えてきそうな予感がしてならない。(2019-2-20)

 

Leave a Comment

Filed under 未分類

百年前の日英と今とー夏目漱石『倫敦塔』『幻影の盾』など英国ものを読む

夏目漱石が英国に滞在した二年間ー近代日本が経験した「ヨーロッパ文明の闇」を凝縮させたものとして、私にも胸迫るものがある。遅れることほぼ100年後に二回だけ、しかも駆け足で私はかの地を訪れた。最初は、衆議院税制改革特別委員会の一員として、もう一回は英国の防衛事情を調査するために。漱石全集読破を身に課したものとして気になっていた『倫敦塔』『カーライル博物館』『幻影の盾』の英国もの三部作を取り上げて見る▼『倫敦塔』は、リズミカルなタッチで記された見物記である。最後のところに、大分時間が経ってるので主観が先に立ち、読みずらかろうとの読者への断りがある。確かにそういう側面はあるものの、この英国・ロンドンを代表する建築物を見事に料理していて読み応えはある。私は現場に行ったものの中には入らず、ブリッジの前で、役人時代に英国駐在経験のある伊吹文明氏(元衆議院議長)の説明を聞いた。漱石についての言及はなかった。二度目は石破茂氏(自民党総裁候補)と一緒の旅だったが、会議の連続で観光をする時間はなし。日英双方の「幻影の盾」ならぬ「現実の盾」をめぐる議論ばかりしていたと記憶する▼『倫敦塔』も『カーライル博物館』も、実際に両所を見聞したあとの現実との落差を描き、それなりのオチをつけてるのが切なく感ぜられなくもない。一方『幻影の盾』は、前二者と違って、英国に伝わる英雄譚をあれこれと思い描いたものだが、私的には一番最後の「時間」に関するくだりが最も印象深い。「百年の齢ひ(よわい)は目出度も有難い。然しちと退屈ぢゃ。楽も多かろうが憂もながかろう。水臭い麦酒を日毎に浴びるより、舌を焼く酒精(アルコール)を半滴味はう方が手間がかからぬ」と。単なる長生きでなく、充実した時が大事との極めてまっとうな結論だが、漱石に言われると何だかストンと落ちる▼漱石が英国に代表される欧州文明への劣等感に苛まれた後で書き上げた、これらの作品を読むにつけて、100年後の日本は果たして漱石が抱えた問題を超えたのかと問いたくなる。これは、英日、彼我の差は更に広がってるとの見方と、いや、日本はかつて日英同盟で肩を並べ、今では日米同盟のもとに、追い越したとの相反する見方があるように思われる。前者の代表格は先に取り上げた『なぜ日本は没落するか』の森嶋通夫氏を代表とする英国通の人たち。後者は具体名はともかくとして結構我々の周りには多いものと思われる。私自身は、恥ずかしながら未だ英国はよくわからないというのが偽らざるところである。(2019-2-16)

Leave a Comment

Filed under 未分類

「話し合い絶対主義」の虚構ー井沢元彦『日本史真髄』を読む(下)

次に第四の観点としての言霊信仰。言葉が現実を変える力を持つ、と日本では信じられている。結婚式、披露宴での言葉遣い、入学、就職試験における縁起担ぎなど、卑近な例は数多ある。「戦乱記」とでもすべき中身を『太平記』としたり、「戦争」を「事変」と言い換えるなど2千年前から一貫して続く、と。極め付けの例は起きてほしくないことは、契約書にも書かないという日本独自の習慣(トラブルが発生することを予測してはならないという非常識)。これはもう恐ろしい限り。戦争時の大本営発表も同様だったし、東日本大震災時の福島第一原発事故で、メルトダウンの可能性を報じなかったことも言霊信仰のなせる業といえる▼第五には朱子学という「宗教」。本格的に導入されたのは江戸時代から。家康が徳川家の安泰のために「主君への忠義」を説く朱子学に目をつけた。第一義的には謀反を封じ込め、徳川への裏切りを防ぐ目的であったが、同時に朱子学は親孝行を最も重視する教えである。徳川260年間は、この「忠孝」が定着したが、幕末にきたって、天皇の存在に着目した勢力が、徳川将軍家を反忠義の対象として位置付けた。天皇は王者、徳川家は覇者として。このため、彼我の関係が逆転した。同じアジアにあって、中国や韓国は未だに伝統的な朱子学に呪縛されており、日本はその誤りに早く気づいたことには救われる思いがするとの見方も▼第六に天皇の存在。先の大戦で一国滅亡の危機に瀕しながらも、首の皮一枚で「国体の存続」に固執した結果、護られたのが天皇の存在であった。日本という国家にとって神話の時代から一貫して最も権威ある位置を天皇は得てきた。アマテラスの末裔としての血統ゆえである。だが、武士集団が天皇を倒す機会は幾たびかあった。藤原家、源氏、足利家 、豊臣、徳川と、機会はありながら、それを避けた。唯一例外は織田信長。彼は「天皇を超える神」を目指そうとした。それは「安土城」の作り方に明瞭で、「自己神格化」を目論んだとされているが、実現する前に死んだ。このように、武士の棟梁たちが天皇家を滅ぼせなかったのは、ケガレ忌避信仰と怨霊信仰が深く関わるという。以上井沢氏がこの本で主張する日本史を押さえる上で必須の6観点を整理してみた▼井沢氏は最後に結論として、天皇の権威をも凌駕する思想として、「話し合い絶対主義」を挙げている。言い換えれば「和」の思想である。怨霊を生み出さないためだ。それには競争を避けて、話し合いを絶対とし、「和」を重んずる考え方が生まれたのだという。ただ、この辺りの運び方はいささか雑なように思われる。このくだりを付け足したことは、屋上屋を重ねただけでないのか。いささか疑問なしとしない。(2019-2-12)

Leave a Comment

Filed under 未分類

ズバリ歴史を見抜く6つの観点ー井沢元彦『日本史真髄』を読む(上)

Continue reading

Leave a Comment

Filed under 未分類

44回目の提言ー池田大作『平和と軍縮の新しき世紀を』を読む

毎年1月26日のSGI(創価学会インターナショナル)の日に、SGI会長の池田大作先生が寄せられる記念提言は、今年で44回目のものとなる。今回のタイトルは、「平和と軍縮の新しき世紀を」。長く公明党の外交安全保障政策分野を担ってきた私は、先生のこれまでの提言に強い関心を持ってきた。日本の対応には問題なしとしないものの、核軍縮を巡る状況には微妙ながらも変化の兆しが見える。ここでは今回の提言について、❶変わらぬ現状の背景❷前進が見られる側面❸先生の具体的提言という3つの観点から私なりの整理を試みたい▼まず、核軍縮を巡る大状況がなぜ変わらないか。核抑止論とあきらめの蔓延ーこの二つが挙げられる。米国保有の核の傘のもとに日本が存在することで、これまで70有余年、曲がりなりにも「戦争のない平和」がもたらされてきた。核廃絶は不断に求める命題であるが、結局は見果てぬ夢だーこれが私を含む一般的な見方である。これに対し、池田先生は著名な物理学者で哲学者のK・F・ヴァイツゼッカー博士の考察を引用し、問題の根源を抉りだしている。その考察とは、冷戦時代から今に続く「平和不在」の病理の克服が重要だというものである。私風に言うと、「みんな自分は重い病気に罹ってると自覚しろ」との主張だ。先生はこの病気が治らなかったら、「次代を担う青年たちが健全で豊かな人間性を育む環境は損なわれてしまう」と強調している▼二つ目の観点は、それでも「希望の曙光」はある、核軍縮は僅かながらも前進しているということである。池田先生は、「不可能と言われ続けてきた核兵器禁止条約も2年前に採択が実現し、発効に向けて各国の批准が進んでいる」とする一方、「対人地雷、クラスター爆弾、そして核兵器と、非人道的な兵器を禁止する条約が一つまた一つと制定されてきている」と具体的な実例を挙げている。「国際政治や安全保障に基づく議論だけでなく、人道的な観点からの問題提起が行なわれるように」なったことは、これまでSGIの諸活動を背景に、営々として築かれてきた先生の大いなる行動と言論の結果に違いない。さらに、具体的な前進面として、難民支援での特筆すべき動きやプラスチックごみの削減を目指す運動にも触れている▼三つ目の観点は、❶「平和な社会のビジョン」の共有❷「人間中心の多国間主義」の推進❸「青年による関与」の主流化という3点を、「21世紀の世界の基軸に軍縮を据えるための足場」として挙げていることだ。この中で私が特に感銘を受けたのは、釈迦の説いた「他者の苦しみを自分とは無縁のものと思い、嫌悪の念すら抱く人間心理」に対して、池田先生が「奢りから生じる無関心や無慈悲が、人々の苦しみをより深刻にしてしまう」と喝破されているくだりである。我が身に引き当てて反省と共に強い共感を抱く。加えて❶有志国による「核兵器禁止条約フレンズ」の結成❷国連の第4回軍縮特別総会の2021年の開催❸AI兵器と呼ばれる「自律型致死兵器システム(LAWS)」を禁止する条約の交渉会議の早期立ち上げ❹国連での「水資源担当の特別代表」の任❺SDGs推進に向けての世界の大学の協力推進ーなどを提案した。岩盤にハンマーを撃ち下ろし、割れ目に手を差し入れるがごとき、事細かな提案にただただ胸震える思いが募る。半世紀に及ぶ不屈の闘いに応えねば。(2019-2-2)

Leave a Comment

Filed under 未分類

胸打つ国づくりへの貢献ー黄文雄『世界を変えた日本と台湾の絆』を読む

台北空港に降り立ち、思わず震えた。1月下旬とはいえ、沖縄よりも南に位置するので春の訪れを感じさせるはずとの期待は裏切られた。姫路からリムジンバスで揺られること2時間。関空からの機中と合わせ5時間余り。今回の海外旅の伴に選んだのは黄文雄『世界を変えた日本と台湾の絆』。日台関係の歴史を予め掴んでおこうとの安易な気分からだった。新書版で軽いノリの本と思いきや、知ってるつもりの情報より深いものがズッシリと詰まった重い本であった。絆作りにかけた先達たちの熱い思いに私の心は満たされた▼21世紀に入る直前に、『アジア・オープンフォーラム』の一員だった私は、台北、台中、高雄と主だった都市を訪れた。それは、学問上の恩師・中嶋嶺雄先生がご自身の「中国研究」の集大成として精魂傾けられた事業を垣間見る機会であった。李登輝総統と台北の総統府で接見したり、高雄の懇親会で謦咳に接した懐かしい場面が遠い彼方から蘇ってくる。日本と台湾の双方で毎年交互に開催場所を変えながら、北東アジアの国際政治を両国の政治家、知識人たちが議論するものだったが、その場に連なりえたことは大いなる名誉だった▼台湾と日本人というと、すぐ思い起こすのは、後藤新平、八田與一の二人。片や台湾統治の基盤を築いた政治家。後者はダムの設計、灌漑の基礎を作り上げた技術者。だが、この本にはそれ以外の人物がこれでもか、これでも足らぬか、と続々と登場する。農業、医療、教育、道路、港湾建設など、国づくりに必要なあらゆる分野での多士済々の人材が投入されたことが分かる。台湾になぜかくも多くの日本人が打ち込んだのか。それぞれのドラマを知りたい気持ちになってくる。一方、この本の冒頭に掲げられているNHK「朝ドラ」で今放映中の「まんぷく」のモデル・安藤万福のように日本に貢献した台湾人も数多い。相互の信頼を培う何かが両国にはある。これは朝鮮半島とも大陸・中国ともまったく違う▼こうした関係を念頭に、訪台の行程で懇談した沼田大使(日本台湾交流事務所長)に、初代総督の樺山資紀から、二代桂太郎、三代乃木希典、四代児玉源太郎ら錚々たる人物名をあげたところ、「皆早く帰りたいと思っていた連中ばかり」、と吐き出すように言われたのには驚いた。なるほど、そういうものかと、歴史の裏面に思いを致した。と同時に、今の日本人が台湾を低く見る傾向があると、警鐘を打たれていたのは気になった。また、総統府での語らいでも政府高官が日本政府における中国への慮りに対する不満が表明されたのが印象に残る。(2019-1-31)

 

Leave a Comment

Filed under 未分類