見え隠れする「仁義なき戦い」ー柚月裕子『弧狼の血』を読む

遠い日に観た深作欣二監督の映画『仁義なき戦い』(原作・飯干晃一)は、筋書きもなにもかも忘却の彼方だが、強烈なインパクトだけは今に残っている。イタリア・マフィアを描いた『ゴッドファーザー』に勝るとも劣らない名作だと、私は持ち上げることを憚らない。それに似た映画が5月半ばに公開されると知り、先に原作を読もうという気になった。柚月裕子『弧狼の血』である。2年半ほど前に刊行されているのに、全くその存在を知らずに来た。読み始めるや一気に嵌り込んでしまった。女の身でありながらとは言わないが、よくぞここまで警察、暴力団の世界をリアルに描けるものよ、とつくづく感心し続けながら読み進んだ■広島県呉原市(架空の町)が舞台。とくれば、もう広島弁が主役。暴力団といえば神戸とくるはずだが、関西弁は暴力の世界といまいちしっくりこない。『仁義なき戦い』での菅原文太らの言葉づかいが今も耳元に響く。警官で暴力団係長・大上章吾の描き方にはド迫力があり圧倒される。その大上の相棒となる新米刑事・日岡秀一とやくざとの乱闘シーンでいきなり幕が開けるが、ここから一気に引きずりこまれる。やくざそのものと見紛う先輩刑事と広島大出のインテリ若造という組み合わせは絶妙である。この小説はもちろん単なる暴力を描いたものではなく、推理小説仕立て。12の章ごとに冒頭に、日岡の書いた日誌が出てくるのだが、何故か黒い線で塗りつぶされている個所が数多く出てくる。ネタばらしは出来ないが、感のいい読み手なら、なぜ消されているか作者の意図がわかるかもしれない。■大上の人物像の描き方に絶妙な差配が窺えるのに比べて日岡はどうも線が弱いし、リアルさに欠けるという印象(これは最後に謎が解けるのだが)に苛まれる。警察官が暴力団と深く関わるなかで一線を越えてしまうという設定も、今によくあるパターンではある。アメリカ映画ではよく見受ける風景なのだが、現象面の一歩奥にある時代背景がよく見えないというのは気にかかる。『仁義なき戦い』は戦後の焼け野原の広島が舞台だけに、否が応でもあの大戦の傷跡が重なって見えた。それに比べてこの小説は歴史の背景がよく見えない。淡泊さが否めず、なにかもの足りなさが付き纏う。つまり、戦後70年余の時代を経ての広島でのヤクザ同士の争い、警察組織と暴力団の凌ぎ合いが小さくまとまって見えてしまう。つまり架空の場所での夢物語のように、である■映画は、役所広司と松坂桃李の二人がコンビで、他に江口洋介や真木よう子が出ているという。果たしていかがな出来栄えか。日本映画界の進展ぶりもうかがえるだけに注目されよう。『仁義なき戦い』では多くの脇役が個性的な光を放ち、金子信雄など未だに記憶に残る。大上の愛用したパナマ帽やジッポライターなど本の中で繰り返し登場する小道具が使われるのかどうか。今からワクワクしている。(2018・4・29)

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「文明開化」の成れの果てー山本義隆『近代日本150年ー科学技術総力戦体制の破綻』を読む

「山本義隆」という名を見聞きして、どういうひとかを分る人は今や少ないだろう。現在の肩書は駿台予備校に勤務する科学史家だが、元東大全共闘代表といった方が早い。尤も全共闘に関心を抱く人ももはやそう多くはいないのではないか。だが、団塊の世代にとっては様々な思いを抱かせる懐かしい人だ。この人私より4歳年上だから、60年安保闘争時には19歳だった。当時、一世風靡した連中の多くは転向したり、その戦いの戦線から消えてしまった。そんな中でこの人は、若き日の思いを深く沈めつつ、きちっと生き抜いた数少ない人のように思われる。新聞書評で『近代日本一五〇年 科学技術総力戦体制の破綻』を見てすぐ様に読んでみたいと、買い求めた。理由は二つある。一つは明治維新から150年を科学技術の面から総括した視点に興味を抱いたこと。もう一つは、全共闘の闘士の”この50年”に興味を持ったことである■率直に言って見事な出来栄えだと推奨したい。「対西洋」の観点で、科学技術の分野での立ち遅れへの取り組みが日本近代150年のすべてだったといって過言ではないと私は思ってきた。裏返せば、哲学思想の分野での東洋の立ち位置を見失わせてきてしまった。その罪は大きい。そう考える人間にとって、科学技術総力戦体制は近代日本の別名であり、それが「3・11」(福島原発事故)で完全に破綻したとの捉え方に全く異論はない。この本では明治以降の科学史の流れをきちっと追いつつ、当然の結果としての行きついた果てを克明に記している。これまでの様々な日本近代150年を整理したものの中でも極めて分かりやすく著者の意図が直ちに理解できる。これがしかし、残念ながら「岩波新書」だという事もあり、先入観を持たれ、非現実的な理想主義の流れをくむもの(伝統的左翼思想)として遠ざけられることを憂える■明治維新からの40年で日露戦争に行きつき、更に40年後にかの大戦の敗北に至った。近代日本の前半は、概ね「富国強兵」の時代と位置付けられる。軍事力と資本主義の二人三脚といえようか。しかし、それは「もともとは欧米資本主義の経済活動のなかから生み出された科学技術研究は、戦時下の日本の総力戦体制の下で、国家の機能と一体化していった」のである。つまり、科学技術への要請は常に軍事力、資本主義と裏表をなしており、庶民の生活は一貫して顧みられなかったということでもある。これは戦後も続く。つまり近代日本の後半は、「富国強経」とでもいうべき経済至上主義が国を覆ってきたのだが、結局は科学技術での欧米への遅れを取り戻す戦いの延長戦に過ぎなかったと言える。すなわち明治維新からずっと日本は科学技術で西欧に追いつくため遮二無二走ってきたが、結局それで大事なこと(日本独自の思想哲学の樹立)をし損なったということではないのか。それはまた「文明開化」の名のもとに、西欧文明にただひたすらひれ伏してきたことの行きついた果てのように思われる■あの福島の原発事故の経験をしながら、原発を視野に置かぬ国造りは「(国の)浮沈にかかわる」との捉え方を未だにする政治家が公明党の中にもいるのは誠に残念だ。「問題の本質は、政権・経済産業省・原子力ムラ・原発企業等からなる(日本株式会社)の失敗にある。東芝凋落で示されたのは安倍政権の成長戦略の危うさ」であり、「経済成長の強迫観念にとらわれた戦後の総力戦の破綻である」との著者の主張は首肯できる。これを旧左翼的考え方、岩波文化人の流れをくむものとしてステロタイプ的に決めつけ、無視するのはいささか早計にすぎないか。既にかつての首相経験者二人が反原発運動の先頭に立っていることを見ても分るように、旧来的な「左右対立」ではない新たな対立軸が浮上している。それは恐らく自然を人間が支配するものとして捉えるのではなく、経済成長や科学技術を万能と見る生き方でもなく、人間と自然とが共生する世界、スケールは小さくとも心豊かな国を目指すものであるに違いない。(2018・4・25=修正)

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「反核」を叫ぶ権利はいずこにあるかー太田昌克『偽装の被爆国』を読む

1993年から20年に及んだ私の代議士生活は、いわゆる「失われた20年」とほぼ重なる。バブル崩壊から長期にわたるデフレによる生活不安がそのベースを形成していた。「政治改革」をめぐる動きに端を発し、小選挙区比例代表並立制の導入を経て、連立政治が常態になった期間でもある。それこそ後の祭りなのだが、この間政治家は何をしてきたのかと、時に暗澹たる気分に襲われる。孫や子に恥じない政治家としての足跡を残すことができたのか、と自責の念にも駆られる。なかでも深く頭を垂れざるを得ないテーマが「核廃絶」である。与党の一翼・公明党の議員として、この分野を担当しながら結局は核をめぐる事態を毫も変えることが出来なかった責任は小さくない。そんな折も折、日本という国に対して『偽装の被爆国』との決定的な烙印を押す本に出会った■故市川雄一元書記長を追悼する拙文が毎日新聞朝刊5面に掲載されたのは3月5日のことだった。多くの人々から幾重にも心温まる激励の電話やメールを頂いたが、嬉しかったのは久方ぶりに声を聞けた旧友からのものだった。そのうちのひとりが共同通信の太田昌克記者(編集委員・論説委員)である。早速上京した機会に旧交を温めることになった。その際に戴いたのが彼が昨年9月に出版した上記の本なのである。ボーン上田記念国際記者賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞を受賞。政策研究で博士号も。私より20歳ほども年若なのだが、この分野でのジャーナリストの先達として、畏敬の念を抱いてきた。「石畳を焼きつけていた強い西日に薄い雲がかかると、心地よい南風がピタリとやみ、瀬戸内特有の夕凪が薄暮の公園を静かに包み込んだ」ー2016年5月27日午後6時過ぎの広島市平和記念公園内の原爆死没者慰霊碑前。この印象的な書き出しは、米大統領として史上初めて被爆地に足を踏み入れたバラク・オバマ氏の振る舞いへと続き、読者を「核」の世界へと誘い込む■太田さんはワシントン特派員時代から15年以上にもわたって幾たびもホワイトハウス高官ら米国のエリート官僚を取材してきた。その人々との息詰まるせめぎ合い。日米関係の錯覚をときほぐすお手並み。推理小説の種明かしのように、実に読み応えがある。この辺りの呼吸は他の追随を許さない。ただ、日本人しかも政治家の一員としては何とも切なく虚しい思いになる。「被爆国」という日本の一枚看板の素顔が次々と暴かれ、剥げ落ちて行くからだ。「核」をライフワークとするという広島選出の岸田外相。野球でいえばエースがリリーフで登場しながらも敢え無く打ち込まれて惨敗を喫したような、核兵器禁止条約をめぐる交渉の一部始終。太田さんは「『分断』を防ぐための提案を行うやり方もあったはずだ」し、「将来『核の傘』から脱却できる日が来た時に備え、いま米国の核抑止力を信奉している『傘国』、さらにはその背後に控える核保有国も参加できる仕掛けづくりに、被爆国の外交官の叡智を結集すべきではなかったか」と、さりげなくだが厳しいタッチで追及する。その矛先は政権のパートナーの身にもキリキリと痛く食いこむ■エピローグで、最近「日本政府にはもう『被爆国』と名乗らないでほしい」との被爆者の悲痛な叫びと憤怒の声をよく耳にするようになったと紹介されている。その心情たるや痛いほどよくわかる。ただ、ここで私が想起するのは最近読んだ佐伯啓思さんの『「保守」のゆくえ』における次の一節である。「もし日本に『反核』を唱える権利があるとすれば、それは『唯一の被爆国』だからではなく、日本が西欧近代的な思想を相対化しうるという限りにおいてなのである」。日本は明治維新以降150年というもの西欧近代的な思想に絡めとられてきた。その思想こそ「核」に行きつく宿命を持つがゆえに、それを絶対視してきた日本人には批判する権利はないというのである。つまり、西欧近代的な思想に代わりうるものを日本が持たなければ、「反核」などと偉そうなことをいう権利はない、とまで。この人らしい深くコクのある論理展開である。そうなると、冒頭に述べたように自信喪失をし自己嫌悪に陥っていた私も俄かに蘇る思いを抱く。「反戦・反核」の闘いを世界において長い歳月展開してきた創価学会 SGIにはその資格があるといえるからだ。どうしてか。日蓮仏法を基軸にした中道思想こそ西欧近代的な思想を乗り越えるものだと信ずるからだ。より正確には日本独自の世界観を持ってこそ「核」に反対する権利があるといえようか。こう思うに至って、沸々と「反核」への闘志が改めてわが体内に漲ってきた。(2018・4・15 修正版)

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自前の歴史観を持ちたいとの渇望ー佐伯啓思『「保守」のゆくえ』

 朝日新聞を自宅で購読することを来月からやめるつもりだ。長い間まさに愛読してきたのになぜなのかはここでは触れない。それよりも今やめると読めなくなるのが惜しいコラムがある。佐伯啓思(京都大名誉教授)さんの『異論のススメ』だ。この新聞が今辛うじて存在感があるのは、自社の主張とほぼ真反対の考えの持ち主を「異論」として登場させることだろう。この6日付けの「重要政策論の不在 残念ー森友問題一色の国会」がその典型だ。朝日新聞こそこの国会における野党の戦いぶりのこよない応援団であり、主導的役割を果たしている。その新聞が、佐伯さんの批判的意見をオピニオン欄の最下段とはいえ掲載し続けているのは面白い。この問題については与野党とメディアの双方に責任があると思うがこれもここでは触れない。佐伯啓思さんの近作『「保守」のゆくえ』を読んだ。先に西部邁さんが亡くなった時に、その志向するところの類似性に思いを馳せ、よりマイルドなのが佐伯さんだと書いた。かつて若い頃に嵌りかけた評論家・福田恒存氏の延長線上にも位置しよう。この本はまさに現在展開する諸事象の根源的な問題の所在に迫っており、「保守」の真髄とでもいうべきものを明らかにしている■我々が物心ついた頃から一貫してあった「保守対革新」の対立の枠組みが潰えてほぼ30年。いわゆる冷戦が幕を降ろしてからの時期と重なり、日本にあっては平成の30年とダブル。ソ連の崩壊とともに内外における「革新」の退潮があり、世界は混とんとしたカオスの状態に陥っている。佐伯さんは、冷戦とは「ソ連社会主義や共産主義という理想へ向けたそれこそ究極の『進歩主義』と、それを押しとどめようとするアメリカ中心の『保守』との対立」と見なされていたが、実はそうではなく、「計画的・平等主義的な進歩主義」と「競争的・自由主義的な進歩主義」の対立であったという。そして、「保守」を定義し論じることの難しさを正直に告白している。巻頭に掲げられた「無秩序化する世界の中で『保守思想』とは何か」で8つの基本的論点をあげてはいるが、何れも真正面からの定義づけではない。すべて「まともに論じるのにはかなり骨の折れる」ことで、「多くの場合、保守思想は、何らかの具体的な問題状況のなかで、それに即して論じるほかない」としている。まさに、これは私たちが中道主義とは何かを論じる場合と同じだということは興味深いものがある■この本はある意味で解のない論考といえ、矛盾の只中にある課題を考える解決への糸口を示しているに過ぎないものかもしれない。しかし、それゆえにこそ著者の苦労がしのばれ、その思考の所産を頂く喜びも大きい。様々な果実の中でわたし的には、「近代日本とは何であったか」とのテーマに関するものが参考になる。最も読み応えのあるのは第三章「歴史について」で、「「アメリカはその普遍的理念が挑発されていると感じ、中国は『中国』という国家そのものが挑発されていると感じ、イスラムはイスラムの宗教原理が侵食されていると感じて」、悪循環の回路にはまり込んでいる、と。で、最大の問題は「諸国家の利益の対立」ではなく、「西洋啓蒙主義が生み出した歴史観によって作り出された『近代』をめぐる価値の対立」にあると「見ておくべき」だという■西洋の歴史観に翻弄されてきたのが明治維新から150年の日本近代史であり、そこからの脱却こそ日本の大いなる希望であると私は思う。神道日本に仏教、儒教、キリスト教などの外来宗教、思想が入ってきたが、江戸期まではなんとか凌いで、自前の思想的なるものを持してきた。だが、明治に入って科学技術の鎧を纏った西洋啓蒙主義の怒涛のような侵入の前に、日本はなすすべもなく降参してきた。そこから何とか超えるための思想、歴史観の確立を急ごうと私など考えてきた。佐伯さんは「現実的な選択肢として、ポツダム宣言の背後にある歴史観を俎上に挙げ、アメリカの政治信条というべき『近代主義』の普遍的歴史に対して、われわれの歴史観を打ち出すなどということが容易にできるとは思えない」というのだが、そうだろうか。いかに困難であっても、自前の歴史観を持ちたいと渇望する。この本を読んで改めて一層その思いを強めた。(2018・4・10)

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日本3分断の危機ー門田隆将『死の淵を見た男』を読む

大津波が福島第一原発を襲った。「全電源喪失、注水不能、放射線量激増」-わたしたちが生まれ住むこの国・日本が殆ど死滅する寸前までいっていた。北海道と東日本、西日本に3分割されかねない状況ーもちろん東日本は人の住めない地域になるーにあったということを改めて思い知らされ、背筋が凍る。誰しも思い出したくないこととして、わざと忘れたふりをしている事実の集積が目の前に突き付けられる。読み終えて改めて思う。タイトルの『死の淵を見た男』はどうもふさわしくない。ここは『国家の死の淵をみた人たち』にすべきではなかったか、と。門田隆将ー元週刊新潮の記者にして、読売テレビ『そこまで言って委員会』の常連出演者。この人の成し遂げた仕事はとてつもなく大きい。7年前の大震災による津波で被った福島第一原発の被災は、あの「チェルノブイリ」の10倍にも及ぶものであった。それをギリギリの状況で食い止めたのは吉田昌郎所長とその部下たちだった。それを克明に記し続けた門田氏。何よりも驚くのは事故後僅か1年半余りで出版されていることだ。私が読んだのは2016年に一部加筆修正された文庫版による。先日ご本人がテレビで説明しているのを見て、手にしたのだからいかにも遅い。恥ずかしいことだがこの7年避けてきていたのである■政治家のひとりとして、関心があったのは、あの時の首相・菅直人氏の対応だ。彼が事故直後に現地に行ったことで、対応に多くの齟齬をきたしたことは良く知られている。この本でもそのあたりは極めてリアルに描かれている。いかに菅直人という人物が常軌を逸した怒りっぽいひとであるかが手に取るようにわかる。日本は、大災害の時代といわれるこの30年ほどの間に、村山富市、菅直人と二人までも統治能力に欠ける政党の、しかも統率力のない人物をトップに抱く不幸な巡りあわせに出くわした。だが、門田氏は丁寧に菅首相の言い分もしっかりと記載している。決して一方的に断罪はしていない。尤も、もう一人当時の政権にいた政治家が幾たびか登場するが、彼は驚くほどきちっと対応したかのように書かれている。その人物をそれなりに知っている身からすると、いささか眉唾もののようにさえ思われるほどだ。この辺り門田氏がわざと彼我の差を対比させたのかもしれない。国家存亡の危機に際して政治家の立ち居振る舞いは極めて大事で、仮に自公政権だったらどうだったろうかなどと思いを巡らせてしまう■だが、ここではそうした対比よりも、壮絶なまでの危機に立ち向かった時の東電の職員や自衛隊を始めとする様々な現場の戦いぶりを命に刻みたい。吉田昌郎、そして伊沢郁夫(事故時の当直長)や平野勝昭(その日偶々病院検査のため当直長を交替)を始めとする人々の文字通りいのちを賭けた言語を絶する奮闘ぶりは、社会学者の開沼博氏が解説に書いているように「(原発や福島に関する)玉石混交の書籍の中で、本書は間違いなく『歴史に残る3・11本』だ。それは筆者である門田隆将さんの圧倒的な力量による」し、「当時の福島第一原発で働いていた人々はもちろん、官邸、自衛隊、住民にも細かくインタビューを重ねながら状況を重層的に、広い視野を持ちながら描き上げた『福島第一原発事故の教科書』と言っても良い内容だ」との評価は全く同感する。吉田氏は若き日より宗教的素養があった。道元の『正法眼蔵』を座右の書にし、般若心経を諳んじるほど。そして命をかけて事態の収拾に向かう部下たちをして、法華経における地涌菩薩に見たてていた。残念ながら彼は事故の8か月後に食道がんの宣告を受け、その翌年(2013年7月9日)に帰らぬ人となった■吉田氏については作家の黒木亮氏による『ザ・原発所長』なる本がある。未読ではあるが、ネットによると、作者は吉田氏の生い立ちと人間形成の過程を明らかにし、彼の功罪を論じる材料を提供したものだとしている。要するに吉田氏の「光と影」のうち、影の方にも目を向けているのだろう。要約すれば彼が原発所長として、「本社で津波想定を潰した一人だ」し、補修や保安点検作業を大幅に切り詰めた張本人だという。「安全設計を自分でゆるがせにしておいて、事故が起きたら想定外だと言い逃れ、悲劇のヒーローになっているのは許せない」との声も東電の技術者たちの一部から上がっている、と。そうしたことがあったにせよ、この国が死の淵に立ったときに彼らがそれを救ったことは間違いない。光と影の双方を見据えたうえで、なおあまりある得難いものを提供してくれる本である。(2018・3・30)

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元を正せば脳内ホルモンー中野信子『ヒトは「いじめ」をやめられない』を読む

先日、久方ぶりに映画を観に行った。今話題の『北の桜守』である。吉永小百合の120本目の出演作で、総合雑誌『潮』の「人間探訪」欄に、同映画の監督・滝田洋二郎さんが取り上げられていたこともあり、足を運ぶ気になった。映画の出来栄えについては、泣けてくる感動はあったものの、スピードとリアル感がないと満足しない私としては”いま一の作品”だった。吉永小百合のあの若さは尋常ではない。それこそ特殊メイクをほどこして年相応の苦労がしのばれる老母に見せてくれなければ、と思ってしまう。感情を昂らされたのは、次男が子ども時代に仲間からいじめを受けるシーンだ。貧しいこどもを皆で寄ってたかって辱める場面は印象深い。後年になっていじめの張本人にたまたま”意趣返し”する機会が訪れた場面はカタルシスさえ感じる■実は、先に紹介した『不死身の特攻兵』と併せて高柳和江さんが同時に薦めてきていたのが、中野信子『ヒトは「いじめ」をやめられない』である。つまりご丁寧にも2冊送ってきてくれた。というしだいで、映画を観た後に改めて「いじめ」を考えるに及んだ。高柳先生は、「特攻兵」を読んで、その非効率さ(殆ど飛行機による敵艦体当たりの成果は上がってなかった)と共に、日本の軍隊における理不尽極まりない「いじめ」に改めて憤りを感じた。集団から外れることを避けようと、外れたヒトを皆でいじめるパターンを日本的なマイナスの文化として指弾する。彼女は、中野さんが脳科学者として縦横無尽に「いじめ」について語っているのを知り、私に読ませたいと思ったのに違いない。確かにこれまでの「いじめ」に関する本とは違った視点が提供され、刺激を受けた■「いじめ」に関わる脳内物質としてオキシトシン、セロトニン、ドーパミンの三種類が紹介されている。それぞれ、仲間意識を作るホルモン。安心感をもたらすホルモン。快楽をもたらすホルモン。一言でいえばこういう風になる。このうち注目されるのはセロトニンで、早く言えば、これが少ないと不安感を感じる傾向が強い。しかもこれが日本人はほかの国に比べて多いという調査結果がある。それによると、調査の対象になった29か国中最も多いのが日本。日米比較をすると倍も違う。つまり、日本の方が心配症のヒトがどの国よりも多く、アメリカとは1対2というから驚く。中野さんは「日本人は、先々のリスクを予想し、そのリスクを回避しようと準備をする『慎重な人・心配性な人』、さらに他人の意見や集団の空気に合わせて行動しようとする『空気を読む人』が多くなる傾向がある」という。なぜ日本人にそういう傾向が強くなったのか。中野さんは江戸時代に原因を求めている。つまり、平和な時代だったがゆえに、皆と協力する人、リスクに対して慎重で裏切り者には糾弾する人が生きやすい傾向が定着、それが後々の日本人の遺伝子に反映されたというわけである■これまであまりこんな風の日本人論はお目にかかったことがなかった。こうした遺伝子が持つ傾向ゆえに、日本人にいじめが多いと言われても俄かに賛同でき難いのだが、興味深い指摘ではある。更に新たな発見として、いじめが増える時期が6月と11月だとの主張にも驚く。日照時間が変わると、「セロトニンの合成がうまくできず、分泌量も減り、その結果、不安が強まり”うつ状態”を経験する人が散見される」と。この時期は運動会や学芸会など団結が求められるだけに、いじめの標的になると過激になりやすい、とも。そうしたことから人間関係のトラブルを避けるための手だてを実に細かく提案している。はたして学校現場でこれらに着目するかどうかわからないが、取り入れてみる価値はありそうだ。また、学校や教師の側は「いじめがなかったらなかったことにしたいというのが本音のはず」だから、あやしげなものは見て見ぬふりをするのは自然だという。このため、いじめを報告する努力が報われる環境を作るとか、現場の教育関係者のモチベーションが高まる仕組みを担保する必要を強調している。日本でいじめが激化しやすいのは同調圧力という向社会性ー先生すらも傍観者にさせてしまう同調圧力の強さーだとの指摘は深刻にならざるをえない。(2018・3・26)

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ぬるま湯の時代に激しい生と死を選んだー西部邁『保守の真髄』を読む

思想家の西部邁さんが亡くなって二か月ほどが経つ。生前に全く接点がなかった人ではあるが、妙に気にかかる人ではあった。とはいえ、彼のものは我が書棚に一冊もない。その思想があまりにラディカル過ぎてついていけそうにないというのが正直な理由だった。そこへ「自死」をされたということを知った。急に読みたくなった。数多の作品の中から『保守の真髄』を選んだ。4章に10節づつ、全部で40節。右手が頸椎摩滅と腱鞘炎の合併症からきた激しい神経痛のために使えず、口述筆記で娘さんの世話になったと冒頭に断りがある。ほぼ遺言風のものであり、胸打たれた。思想の中身はともかく、その生き方はまことに慄然としており、ぬるま湯につかったような生き方をしてきたとの自覚がある身にとって、大いに考えさせられる■ほぼ10歳年下で、若き日にしばしば語り合った後輩の佐伯啓思氏(京都大名誉教授)の「追悼文」(朝日新聞1・25付け)が読ませた。「お前は何を信条にして生きているのか、それを実践しているのか」との「生への覚悟」を常に問いかけられた、と。西部氏は「社会に蔓延する偽善や欺瞞の言説に我慢がならなかった」し、「過敏といってよいほどに繊細な感覚と激しい感情」と「冷めきったような理性と論理」の持ち主だった。であるがゆえに、「決まりきったような党派的意見や個人的な情緒の表出をもっとも嫌っておられた」。この辺りの言動のスタイルは、西部さんとは4歳上の故市川雄一公明党書記長と通ずるものがある。佐伯さんとは4歳ほど上になる私に、市川さんは常に政治家は「何になろうと思うな。何をするかだ」と問いかけられた。そして、透徹した論理展開のもとに、政治家としてなすべきことに果敢に挑戦して足跡を残された。後輩たちには、かりものでなく自分の頭で考えることを常に求められた。知ったかぶりを極度に嫌い、少々的外れでも自分の意見を持つものには耳を傾けた。彼我の差(並行的ではなく斜交い的に)は質的かつ量的に違うものであることを分りつつ、束の間敢えて対比して見たい気になってしまう■西部さんのかねてからの「改憲論」や「核武装論」そして「反米自立論」が、私をしてその作品群を遠ざけた直接の原因ではあるが、ここで語られる「文明に霜が下り雪が降るとき」や「民主主義は白魔術」での要旨には、激しい共感を覚える。とりわけ「近代化の宿痾に食い荒らされたこの列島」の節での「模流時代に喉元まで浸かってきた」が、今やその水位は「頭頂にまで達してしまっている」というところなどには。世の中に無視されてきた彼の予測した事態が今頃になって、重しがとれた湯の中の板のように浮かび上がってきたという他ない。ただ、民主主義批判の在り様においても西部さんのそれはあまりにも苛烈であるがゆえに人々の賛同を得られなかったように思えてならない。佐伯さんが同じことを言ってもその表現が極めてソフトであることと対比されよう■この本の最終節は更に共感を呼ぶ。「人生の最大限綱領は、一人の良い女、一人の良い友、一冊の良い書物そして一個の良い思い出」とのG・K・チェスタトン(イギリスの作家)の言葉を引いているくだりである。「世界社会主義革命」を呼号する輩が横行している時に皮肉を込めて述べたものだ。西部さん自身はしばしば若者にこの言葉を語りかけた。そして難しさの順番は、思い出、友人、女性、書物の順だとする。その理由は(戦争のような)死活の場面を共有することが少なくなったからだ、と。「死を覚悟した勇気」を発揮する場面が今はないと言いたいのだ。最後に、彼が「病院死と自裁死のいずれをとるか」を問いかけ、後者を選んだ過程は深く重い。かつて厚生労働省で仕事をした際に、新たな医療保険制度に「後期高齢者」との名称を冠することにした。死をどう迎えるかの準備として、75歳を私たちは区切りとしたのである。世間では不興を買ったものだが、辻事務次官(当時)始め、当事者のひとりであった私は動じるところはなかった。「自裁死」を選ぶつもりは今の私にはない。だが、「病院死」も選びたくない。ではどうするのか。「自宅死」か。誰に看取ってもらうのか。こう考えると俄かに答は出てこない。考え続けている間は死なないだろうとの錯覚に身を委ねているだけかもしれない。思想的信条の相違を離れて、最終節は今に生きるすべての人が考えるべき材料が提起されている。他の彼の主張とほぼ同様に無視されてしまうのは、あまりにももったいない。(2018・3・18)

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「戦後」が「戦前」に繋がらないためにー鴻上尚史『不死身の特攻兵』を読む

「僕はどうしても、この人の生涯を本にしたかった」-日本劇作家協会会長の鴻上尚史さんの本を感動と共に読み終えた。『不死身の特攻兵』である。ここで描かれたのは「必ず死んで来い」と上官から言われ、9回出撃しながらもそのつど生還し、92歳まで生きた佐々木友次さんという元特攻兵。新聞の書評欄で見たもののあまり気乗りせずに放っておいた。そこへ笑医塾の高柳和江さん(元日本医大准教授、小児外科医)から、「ぜひ読んでみて」と送られてきた。「特攻」ものは友人の息子で戦史家の畑中丁奎『戦争の罪と罰 特攻の真相』を先年読んでおり、気にはなるものの暗い中身が予想され、引くところがあった。が、高柳先生のお勧めには外れがないし、据え膳食わぬわけにもいかぬ思いでページを繰った■いやはや読んでみると息を吞み続けるど迫力。冒険推理小説を思わせるほどの運び方の巧みさ。直ぐにひきこまれた。先週の読後録(『敗者の想像力』)で紹介したように、我々戦後人は「すくすく育ちすみやかに老いた」。ものごころついた頃には高度経済成長の真っただ中。中年期には「バブル絶頂」。貧富の差はあれども、基本的には豊かな生活を享受してきた。そしてあっという間に高齢者から後期高齢者の長蛇の列に並びかけている。そんな「戦争を知らない老人」たちは、あの7年間の占領期さえも自覚せずにやり過ごしてきた。召集令状に戦慄した若者や家族たちから70有余年。今では、血液検査票に一喜一憂の日々だ。そんな私たちのついひと時代前の特攻兵。同じ日本人として彼らの血涙と苦悩を解っているのか。鴻上さんの仕事は、戦後を呑気に生きてきた老人たちを生前の修羅場に連れ戻す■「帰ってきた特攻兵」ー不遜な言い方になるが、興味津々のテーマである。90歳を超えて目の光を失った元特攻兵へのしつこいまでのインタビュー。奇跡というよりも運を文字通り天から招き寄せた体験の数々。「人間は、容易なことで死ぬもんじゃないぞ」-日露戦争の激戦を生き抜いた父の言葉が繰り返し頭をよぎり胸に迫る。その強い確信を胸に、好きで好きで仕方のない大空を明けても暮れても飛んだ。理不尽そのものの戦地にあって、佐々木さんの言動は驚くほど冷静で強く逞しい■特攻をめぐる本は夥しいほど出版されている。最終章「特攻の実像」はあたかも文献解題の役割を果たしており興味深い。「すくすく育ちすみやかに老いた」元政治家の私も、特攻については殆ど知らずに定番の”美化的風潮”に冒されてきていた。辛うじて50歳代前半に広島・江田島の海軍兵学校跡地や鹿児島・知覧基地に行き、当時の雰囲気を齧って知ったかぶりをしていただけ。そんなわが身がただ恥ずかしい。全軍特攻化を強いた連合艦隊参謀に徹して拒否した、美濃部正少佐。その姿は眩しいまでに光る。それに比し嘘をつくことに躍起となった上官たち。戦後長く生き続けた彼らの事実の数々は重く悲しい。そして大衆に受け、売れるから戦争を煽って書いたメディアの実際も。戦後70数年。「ここまで来て、ようやく冷静に『特攻』を考えられるようになった」と。「戦後」が明確に終わらぬまま新たな「戦前」の匂いが漂う今、極めて重くのしかかって来る言葉だ。(2018・3・10)

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すくすく育ちすみやかに老いた「戦後」ー加藤典洋『敗者の想像力』を読む

この本の指向するところは極めて深く重い。わたしより少し若い、いわゆる団塊の世代に属する著者だが、こうした論考は日本社会ではこのところ忘れられているように思われる。昨年末の新聞読書欄で知った、加藤典洋『敗者の想像力』である。著者の言わんとするところは、日本人は先の太平洋戦争で敗れ、未だに真の意味での独立を達成していないということを自覚していない。占領期が終わって66年程が経っているのに、皆知ってか知らぬか、日常的には何も違和感を持っていないということに尽きよう。ゆでガエルの挿話が分かりやすい。「カエルを入れた水槽を温め、徐々に温度をあげていく、すると、そこから飛び出す機会を見つけられずに、カエルはついにはゆであがって、死んでしまう」との話である。「日本は未だ米国に占領されており、独立していない」のに、気づかず、ゆで上がってきているということなのだ■冒頭にカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』を用いつつ語っているところは、クローン人間をめぐっての”私の浅読み”(過去に取り上げた)を自覚させられたうえに、「独立と占領」について大いに考えさせられた。ショックを受けるに十分な内容で、ぐいぐい引き込まれた。更に、日本には占領期の経験を描く文学作品が少ないのはなぜかとの指摘も興味深い。「日本は敗戦を終戦と言いかえたし、占領軍も、自分を進駐軍と言いかえた。占領をするものとされるものの、あうんの呼吸の協力があった」との記述は言い得て妙である。敗戦、占領というマイナスイメージを押さえることが両者にとって都合が良かったということだろう。というように様々な観点から日本は本当の自画像を知らないでいるのかもしれない■ただ、一方で、加藤氏のような戦後史の捉え方を「自虐史観」として切り捨てる立場についても触れざるを得ない。この主張をする人々は、概ね「戦前への回帰」を志向し、戦後の支配的潮流となった「欧米的民主主義」を否定的に捉えてきた。いささか極端に言えば「皇国史観」といえ、民族の誇りを前面に押し出す考え方である。ある意味で戦後の日本は、まさにそうした二つの史観の対立、抗争の時代であったと言えよう。戦後そのものが人生のすべてである昭和20年生まれの私にとって、少年期から青年期にかけては文字通り「民主主義」の申し子であった。無批判に”戦後の甘い果実”を享受してきた。しかし、長じてはそんな境遇に疑問を抱くようになったというのが偽らざるところだ■戦中派の思想史家である橋川文三氏は、敗戦前の20年余りが戦禍の連続であった日本を、「ながいながい病床にあった老人」と捉え、敗戦をその老人の死と表現した。それを引用した後、加藤さんは「戦後の時代にやってきたのは、新たに生まれた早熟な子が、みるみる育ち、しかし、すみやかに年老い、もう一度老人になって再度、『ながいながい病床』につくようになった、という経験だった」としていることは極めて印象的である。いかにも、という自虐性は感じるが、しかし、確かにすみやかに年老いてしまって70歳を超えた身として笑ってしまうほどの共感も覚える。大江健三郎と曽野綾子という今に強い影響力を持つ文人同士の”暗闘”ともいうべき事件の存在などの事実も興味深い。他に手塚治虫の『鉄腕アトム』と宮崎駿の『千と千尋の神隠し』の漫画・アニメの世界の比較やら、日本のそれとアメリカのディズニーのものとの比較など極めて面白い。さらに、映画『ゴジラ』と『シン・ゴジラ』論などなかなかに読ませる。こうした一連のテーマを取り上げているのだが、若干消化するのに苦労することを告白せざるを得ない。(2018・3・4)

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貧困な我が想像力に戸惑うばかりー今村昌弘『屍人荘の殺人』を読む

この本に関する関係者の絶賛ぶりを目にして、読まない人はおかしい。だが、読み終えて全く感心しないーという私は恐らくおかしい。今村昌弘『屍人荘の殺人』を私が読む気になったのは新聞書評による。本屋で手にした表紙の帯には、「21世紀最高の大型新人による前代未聞のクローズド・サークル」とあったうえ、人気作家の圧倒的な支持する声がずらり。このところ推理小説は読んでなかったこともあり、迷わず買った。そして悪戦苦闘して数日かかって読み終えた■私がこの本に賛同しないのは勿論理由がある。一つはリアルがないということ。二つは、影の主役の登場がおもわせぶりに書かれているだけ。恐らくは続編に出て来るに違いないが、もう少し触れてくれないと面白くない。小説の世界だから何を書いてもいいという風にはわたしには思えない。こんなこと絶対起こらないと思わざるをえない舞台設定には生理的嫌悪感を持ってしまう。いやあSF小説はどうするのかなどと言われたくない。一方で登場人物の描き方などにリアル感が漂うだけにちぐはぐさが馴染めない■すべては冒頭の手紙に匂わせられている、班目機関なる「特異集団」のしでかしたことで、今後に続くのだろうが、それなら最後になんらかの予告がないと中途半端な感じがしてしまう。実は名探偵シャーロック・ホームズとその友人ワトソンを思わせる明智と葉村という名の大学生が登場するのだが、早々と明智が死んでしまうことに、奇妙な感情が沸いてくる。嘘だろう、と。次々死にゆく人々の展開に読み手の意識が追いつかないのである。密室殺人の粋がこめられているとか、トリックが密接に組み込まれていると言われても■あれこれとケチをつけてしまった。結局はわたしという人間が創造力が貧困で、推理小説の何たるかを知らないということに尽きるのかもしれない。こんなにも絶賛するひとがいるのに。真逆にこういう本が凄いという人たちはいったいどういうひとだろうと思ってしまう。私の感性がおかしいのか。この本を推す人たちがおかしいのか。是非皆さんもこの本を読んでみてほしい。(2018・2・24)

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