山と湖と、城と人とー柳谷郁子『エッセイ集 諏訪育ち 姫路にて』を読む

姫路にも全国各地からの出身者がいるが、長野県の方というのはあまりお目にかからない。まして諏訪地域となると珍しいように思われる。小説家であり、姫路の文芸誌『播火』の主宰兼編集長をされる柳谷郁子さんは、長野県岡谷市生まれで諏訪湖畔で育った。その諏訪湖の取り持つ縁で、私が尊敬する評論家の森田実さんと柳谷さんが交友を深められることになり、このたび『諏訪育ち 姫路にて』という柳谷さんのエッセイ集が美しい装丁のもと、第三文明社から出版の運びになった。本の帯には「大器、いま鮮やか」の見出しのもと、「柳谷郁子さんの作品を読むと心が洗われます。その美しい文章は諏訪湖の自然と姫路城の人造美が調和し、読者の心に響きます。大器、いま鮮やかなる作家が人間の真実を描いたエッセイです」とある。さすが森田実さん。思わず本を開き、読みたくなる評価の仕方に唸ってしまった▼主たる舞台が姫路とあって心ときめく内容のものが多いが、とりわけ「折り鶴」に心撃たれる思いがした。高校二年生の頃の柳谷さんの青春譜。変型三角関係とでもいうべき実らぬ初恋めいたエピソードが甘酸っぱく語られる。一辺の当事者が朝日新聞社の海外特派員、論説副主幹を経て、立命館大学教授から下諏訪町長となって活躍する姿が簡潔に描かれる。そして急転直下、急性心筋梗塞でこの世を去ってしまう(といえば、故高橋文利さんに違いない)。町内の小学生たちが折ったという献花の代わりの折り鶴。思わず眼がしらがうるんでくる。「参列者千人を超える町民葬の一席にひっそりと大きな旅行鞄を足もとに置いて、私もいた」「折り鶴をわが青春にも捧げて、私は『故郷』を歌う全員合唱に加わった」ー50年の歳月を経て、青春を共有したいとおしい友の死を悼む挽歌。その調べがリアルな映像と相まって目に鮮やかに、耳に痛くこだましてくる▼一方、柳谷さんの感性と私のそれとがちょっぴり合わない「よさこい祭り」にも触れておきたい。私は土佐の高知は大好きだが、あの「踊り」がどうも肌に合わない。お隣の徳島の「阿波踊り」の方がよほど好きだ。一言でいえば、型を持つ踊りの美しさと、型破りの奇抜さとを比べると、前者に惹かれてしまう。姫路では「ひめじ良さ恋まつり」なるものが立ちあげられて、年々人気を博しているという。そのテーマ音頭となっている『はじけたらんかい姫路』の作曲が娘さんの夫君であり、作詞が当の柳田さん本人と云えば、力が入るのは当然だろう。しかし、「『よさこいなんて何のこたあない、江戸末期のええじゃないか踊りじゃないか。末世の証拠や』とにべもなく宣われる(のたまわれる)」夫君の方に深く共鳴するのはいかんともしがたい▼姫路が生んだ最後の文士・車谷長吉。私とは同い年にして大学同窓と共通点もあるものの、全く生き方が正反対であった作家。その彼が晩年に書いた『灘の男』から始まる「泣いてからが」も大いに読ませる。喧嘩の強い男の話から一転して、ピアノの猛烈な練習で泣く孫娘に話は移る。その孫に対して「人はね。泣いてからが強いのよ。強くなれるのよ。いいから思いきり泣きなさい」と抱きしめながら励ます柳谷さん。先年、姫路で開かれたリサイタルで、桐朋音大で学ぶ彼女の天分豊かなピアノ演奏に接したばかり。トーク場面であどけなさが残る生身の姿をも見聴きしただけに、ついこちらも前かがみになってしまう。柳谷さんは、このエッセイの中で、未だ自ら書き得ていない本について、これからの意欲を散りばめて吐露されている。親しい友人であった故建部順子さんの弔辞に換える本。「灘の男」の故濱中重太郎氏の伝記。そして諏訪湖にまつわる小説などなど。それぞれの構想で、頭と胸はいっぱいのようだ。果てしないまでの旺盛な創作意欲には、ただただ圧倒されるばかりである。(2017・4・14)

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”される”身から、”する”側への変化ー加来耕三『日本史は「嫉妬」でほぼ説明がつく』を読む

嫉妬というものが歴史を動かしてきたことは、容易に想像できる。既にこの分野では傑作の誉れ高い『嫉妬の世界史』が山内昌之東大名誉教授の手になってから13年ほどが経つ。発刊されてすぐに読み、読後録も書いた。ゆえにこの度本屋で加来耕三『日本史は「嫉妬」でほぼ説明がつく』を見た時に、「二番煎じ」との思いを禁じ得なかった。しかし、前者に比して日本史への堀下げが深いかも、との期待感があって挑戦してみた。日本史を分かりやすく説明してくれる歴史作家として加来さんは定評もあり、期待はそれなりにあったのだ。だが、読み終えての印象は日本史といっても近代以前で終わっている分、物足りない思いが残る。尤も少し視点をずらし、嫉妬に翻弄されずに生き残ったり、それなりの役割を果たした名わき役に目を向けさせ、意外に面白い。その観点では役立つ▼私がこの本から参考にした一部は以下の点だ。嫉妬から逃れえた人物を戦国期の中から拾うと、前田利家、大谷吉継、本多正信の3人が挙げられる。一般的には、利家は「凡庸」、吉継は「悲運」、正信は「智謀」といった二文字が思い浮かぶ。しかし、三者三様にその人らしく人生を全うした勝利者かもしれない。利家は、「人間は例外なく、苦労すると謙虚になる」がゆえに、「他人に嫉妬されないようにするにはどうすればいいのかも世間智として理解でき」、「肝に銘じられるようにな」って「嫉妬を押さえられた」人物だという。外様最大の雄藩・前田家が江戸期にあって取り潰されなかったのは、利家以来の歴代藩主が「その言動に細心の注意をはらい、幕閣に嫌われないように終始へりくだった、成果といえなくもない」との見方は注目されよう▼吉継は顔面が潰れる奇病を持ちながら、同時代を生きた盟友・石田三成と並ぶ才能を賞賛された。しかも三成と違って、敵、味方の双方の周囲から嫌われず、嫉妬もされなかった。病気が原因でひとの同情を買ったという側面はあるものの、それだけではなく、「身を一歩下げる、名誉欲を捨てるという」手法や、「人気取りをしない、上位への栄達や野心をまったく示さない」との生き方をしたことである。嫉妬されない極意として、「まるで自らの足跡を消しながら働くように、決して自らは表に立たなかった」というのは凄い。正信もこれに似た生涯を送ったとされる。いかに家康から加増を持ちかけられても決して受けず、「敵と味方を選別し、外からの妬み嫉みの攻撃を、内の守り=文治派の盾で防ぐ工夫もしている」し、徹して周囲への警戒心を怠らなかったようだ▼翻ってわが身と嫉妬という問題に少しだけ触れてみたい。他党と違い実力でのし上がるというよりは「出たいひとより出したいひと」との側面が強くあって、公明党の場合、政治家の候補として地域から選定される。今でこそ高学歴、特殊な才能、鋭い頭脳やら爽やかな面相などの多彩な付加価値を持った候補者が林立する公明党だが、私はほぼ例外中の例外だった。殆どなきに等しい付加価値しか持たず衆議院議員候補に選ばれた。「なんであいつが」との嫉妬の目線は痛いほど感じた。しかし、幸いなことに闘いのさなかには少しづつ消えて行った。有難いことだった。自分的には、使命への一途さ、感謝の一念をひたぶるに燃やしたつもりだ。初っ端の選挙で落選の憂き目をみたことも大きいに違いない。「落ちたのはかわいそう」「今度こそ」との思いを抱いてくださった方々が多くおられたのは嬉しい限りだった。もう30年も前のことになるが、嫉妬されることから闘いは始まり、苦節5年の末に当選してからは、一転自らが嫉妬することとの戦いとなった。この辺りは、また別の機会にしたい。(2017・4・3)

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二流の現代日本を憂うー原田伊織『三流の維新 一流の江戸』を読む

原田伊織さんの「維新三部作」は実に読み応えがあった。いわゆる司馬史観なるものがいかに歴史の表層だけしかとらえていないか、ということを微に入り細にわたって解き明かしてくれた。加えて先の大戦以降の民主主義教育なるものも、戦前の全否定には熱心であっても、真に掘り起こすべき歴史の実相には刮目していないことを白日の下にさらけ出した。そこでは薩長土肥の4藩を主力にした明治政府を作った武士たちの横暴さと、徳川幕府を構成した幕僚たちの能力の高さが対比されるように浮き彫りになった。そこへ4作目になる『三流の維新、一流の江戸』が刊行された。前三作の背景をなす江戸期の持つ素晴らしさを描き出したものとして、それなりに面白い。ただ、4匹目のどぜうを狙った感があり、焼き直し的印象は否めない▲尤も、それは三部作の衝撃度が高かったがゆえであって、逆にそれらを読んでいない向きには却って新鮮かもしれぬ。この本をまず読んで、著者の意図の全体像を掴んでから、さかのぼって読み進めば、理解度は相当に進むかもしれない。それにしても原田さんの「維新像」はまだまだ少数派で、明治維新を絶対視する歴史観の根強さは現代日本を覆いつくしている。吉田松陰とその門下生たち、そして坂本竜馬、西郷隆盛らを崇め奉る向きは、彼らをテロリスト呼ばわりする原田さんに対して生理的嫌悪感すら抱きかねないのである。だがどういった分野であれ、私のようないわゆる定説を疑問視するへそ曲がりには、堪えられないほどの爽快感がある▼江戸時代の持つ凄さへの理解度は、前回に取り上げた『徳川が作った先進国日本』で明らかにされたように、かなり進んできている。しかし、私のような原田びいきが改めてこの本で認識を新たにしたことが幾つかある。一つはキリスト教の位置づけである。通常「隠れキリスタン」をめぐる悲惨なエピソードが物語るように、被害者としてのキリスト教徒たちというのが通り相場だ。しかし、九州では真逆にキリスタン大名による非信者たちへの迫害があったという事実は以外に知られていない。もう一つは、少し時代を経ての「廃仏毀釈」のすさまじさである。私など通り一遍に仏教もキリスト教と同じように迫害を受けた程度にしか理解していなかった。しかし、この本で、原田さんは「テロを繰り広げた薩摩長州人は、古来の仏教文化でさえ『外来』であるとして『排斥』した」としていることは改めて注目される。具体例として奈良興福寺や内山永久寺の惨状を紹介し、「仏教文化の殲滅運動」だとして糾弾していることは興味深い▼神道、仏教、儒教という日本における三大思想が、本格的なキリスト教の挑戦を受けたのは、信長、秀吉、家康の勃興した戦国時代末期であった。純粋な宗教次元では、江戸時代の260年の流れのなかで、キリスト教は日本社会に馴染まず、一たびは押し返されたかのように見える。しかし、維新における薩長の乱暴狼藉と「文明開化」の旗印のもとでの西洋文化への無批判な受け入れで、キリスト教はその姿を西洋思想(ギリシャ・ローマの哲学)の装いをまとって再び日本に入り込む。その結果、西洋に比べて、科学技術分野における日本の致命的な遅れは、思想分野においてまでも劣等意識を持たせるに至ったのである。原田さんの維新3部作プラスワンは、明治から150年を経た日本が何に気づくべきかを読むものに示唆してくれる。私たちは現代日本が二流、三流に甘んじることなく、一流の江戸期にまで迫るには、どうすればいいかを考えねばならない。キリスト教プラス西欧哲学という西洋思想などに勝るとも劣らない、日蓮仏法を基盤にした「現代日本思想」の確立こそ急がれる。(2017・3・28)

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関空からジャカルタへの機中で考えたことー磯田道史『徳川がつくった先進国日本』を読む

3月上旬にインドネシア・ジャカルタに旅をしてきた。中身の一端については『後の祭り記』に書いたので、ここではまるまる二日間にも及んだ機中で読んだ本について記す。旅の準備の手抜きで、いつもなら数冊は旅行鞄に詰め込むのに、今回に限り忘れた。一冊もなし。慌てて新大阪の駅ナカ書店で探した。磯田道史『徳川がつくった先進国日本』を関空特急「はるか」出発時間ギリギリで選ぶ。落ち着かぬ状況下で選ぶと、やはりろくなことはない。この本、NHK教育テレビの「さかのぼり日本史」(江戸天下泰平の礎)で4回放映された分の文庫化だった。読み進めるにつけ既視感が浮かんでくる。磯田さんとは会ったことはないが、気鋭の歴史学者として注目してきているだけに、「まっ、いっか」との気分でページをめくった。わずか150頁あっという間だった▼周知のとおり、インドネシアという国の宗主国はオランダであった。我が日本を最初に訪れたヨーロッパの国々のうちの一つがこの国である。長崎出島に世界で唯一翻った国旗がオランダのそれであったことは福沢諭吉の『福翁自伝』の読後録で、ついこの前に書いたばかりである。オランダの足跡を探す思いを秘めつつ、未だ見ぬ国への期待を高めた。磯田さんは、この本で徳川260年の間がなぜ平和であったのかを探っている。世界史では当たり前に繰り返されてきた革命や内乱。これが江戸期には殆どなかった「背景には国際環境や自然環境の変化を乗り越えた江戸期日本人のいとなみがあった」という。そのターニングポイント(転換点)として。(1)露こう事件(1806)(2)浅間山噴火・天明の飢饉(1783)(3)宝永の地震・津波(1707)(4)島原の乱(1637)を挙げている。さかのぼりすることで結果から原因を探ることになるが、これをあえて通常通り時系列でみると、家康が”関ケ原”を抑え征夷大将軍になって約30年後に起こった内乱と、それから100年前後で相次いだ二つの天変地異。それから約25年ほどで起こった外圧ということになる▼この小さな本で我々が今認識を新たにすべきことの一つは、ペリー来航で江戸の鎖国が破られたのではなく、既にそれより60年ほど前にロシアによってなされていたということだ。このこと、一般的にはあまり知られていない。あたかも1868年の明治維新の10年ほど前の事件で一気に日本が鎖国から目が覚めたかのごとく取り沙汰されてきているが、それは違う。十分に江戸幕府の中枢は外国を意識し、その準備をしてきたはずと見るべきだろう。作家の原田伊織氏のいうような「維新のテロリスト」や「官賊」に比べ、いかに優秀であった「幕臣たち」といえども、それなりの蓄積がなければ無理なことであったに違いない。磯田さんは「こうした対外的な”危機を乗り切る”ことで、辛うじて”維持し、再生産していった”」と強調。「ペリー来航」のもたらした危機への”予行演習”を「ラクスマン来航」が果たしてことを銘記すべきだとしているが、大いに首肯できよう▼島原の乱は江戸期における最後の本格的内乱であり、厳密に言えば260年の間”パクス・トクガワーナ”(徳川の平和)であったというのは当たらず、この乱以降の220年だったといえる。この乱の本質は領主への農民の不満爆発と、もう一つはキリスト教への迫害に対する抵抗であった。それに加えて徳川五代将軍・綱吉の「生類憐みの令」に端を発した「生命尊重の心」への動きも見逃せない。キリスト教を排斥したことと、生きとし生けるものを大事にするという流れが重なっていることは極めて重要に思われる。それは明治維新以降のキリスト教プラス西欧思想の流入によって近代日本が戦争へと大きく傾斜していき、平和を捨てて行ったことと無縁ではないからである。磯田さんは最後に渡辺崋山の「眼前の繰廻しに百年の計を忘れてはならない」(八勿の訓)を挙げて、長期的視点の大事さを訴えている。この書物から改めて学ぶことは多い。江戸期ならずもっと以前からの地震・津波の大災害の被災を受けてきた国・日本。「3・11」から6年しか経っていないのにもう防災への関心が薄れるようであってはならない。津波・地震先進国として日本は、アチェの大津波を経験したインドネシアと連携することの大事さを強く意識しながら、機中からジャカルタのひととなった。(2017・3・16)

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名編集者の箴言散りばめた人物論ー背戸逸夫『縁ありて花ひらき、恩ありて実を結ぶ』を読む

「君はアグレッシブなやつだと思っていたが、最近は少し変わったね。丸くなったよ」ー尊敬していた先輩から厳しくいわれてしまった。昨年末にかつて青春時代を共有した仲間たちの集いが終わった後の二次会でのことだ。もう20年近く前のことになるが、同じこのひとが拙著『忙中本あり』について「君の本にはエロスを感じる」と妙な表現で評価をしてくれた。理想を求めてあくなき挑戦をする姿勢を褒めてくれたと思いこんでいたのだが、「アグレッシブな」との表現を聴いて正直落ち込んでしまった。このひとの脳裏には、エロスとアグレッシブが裏腹の関係にあって使われたものだと思われる。ひとの言葉に一喜一憂する歳でもあるまいに。尤もそれだけこの人を憧れていたからだろう▼背戸逸夫さん。長く潮出版社で総合雑誌『潮』の編集を担当された。開高健氏始め数多の作家をして「名編集者」と呼ばしめた才人である。60歳代半ばで創刊された月刊誌「理念と経営」の編集長を務め、2年前から編集局長を。政党機関紙の記者をしていた私からすると、雑誌作りという隣家の庭の花はどうしても赤く見えてしまう。その背戸さんから先日、『縁ありて花ひらき、恩ありて実を結ぶ』という長いタイトルの本が送られてきた。「理念と経営」で連載されてきた中小企業経営者とのインタビューを中心にした読み物の10年間分をまとめたものである。一読打ちのめされた。短い文章でこれだけひとを鮮やかに描き切ったものはかつて目にしたことがない。ニュース記事に始まり、国会の動きを中心とする解説や、コラム、社説と記者時代に私は書いてきた。一番難しいのは人物記事だと思ってきた。そんな私をして心底から感服させる中身である▼恐らくは若き日より読みに読んでこられた背戸さんは、しっかりと感銘を受けた言葉やフレーズをため込んできておられるはず。それを一気に吐き出されている感がする。普通の読者なら読み過ごし投げ捨ててしまう言葉を惜しげもなく披露してくれる。いやはやそんなに見せてくれずともいいですよ、といいたくなるほど適切極まりかねない箴言の列挙。お鮨と天ぷらと、それにウナギを併せ食ったような満腹感がしてしまう。この本は毎月分をゆっくり味わうもので、単行本になったものをまとめて読むときはゆっくりと間合いをおいて読まないと体調に変調をきたしかねない。今になるまで、本を読みながらメモを取ったり、ノートを作るなどという事は宗教、思想・哲学の分野を除いてなかっただけに、不可思議な読後感に苛まれている▼225人ほどの経営者のたたずまいが取り上げられているが、全く知らないひと(ご存じ吉田松陰、松下幸之助がまぎれ混んでいるが)ばかり。私が会って話を交わしたことがあるのは、僅かに3人。丹羽宇一郎(元伊藤忠商事会長、元中国大使)氏と山中伸弥(ノーベル医学生理学賞受賞者)氏は別格だろうから、明珍宗理さん一人だけと言っていい。姫路で有名な火箸風鈴の作り手である。「ひとのあるなしもうち忘れ、鉄を打ちにかかる姿と呼吸をじっとみているうちに、いつかしら共に槌を持って一振り一振り、精魂をうちこめているような境地にひきこまれます」-静かで見事な風景描写だ。「匠は、市井の人でした。仕事に誇りをもち、思いがけない一家言の蓄えの一端が開示されます。はっきりした性格を所有しているひとでした」ー激しさを隠し持った見事な人物描写である。ひとを見抜く力を持ったひとをして、見誤らせたいとの思いがこみ上げてくる。(2017・3・3)

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ひとり一人が繋がることの大事さー山折哲雄『「ひとり」の哲学』を読む

人間の孤独について考え抜き、深い関心を抱く友人から、「自分はもう読み終えたのでいらないから」と言われて本を貰った。山折哲雄『「ひとり」の哲学』である。「親鸞、道元、日蓮、一遍らの生きざまを振り返り、日本思想の源流ともいえる『ひとりの覚悟』ともいえるべきものに光を当てる」という触れ込みだ。その友人はあまり中身に感じ入るところはなかったようだが、恐らく私なら仏教に関心を持っているだけに、読みたいと思うに違いないと見込まれた。有難いこと。ざっと読ませていただいた。それなりに勉強になった。だが、ひとに勧めようとは思わない▼私は19歳で日蓮仏教の門を叩いた。いらい職業としての新聞記者、政治家の道は歩んだものの、創価学会ひとすじの人生である。尤も、前期青年期ともいえる15歳あたりから19歳までに思想遍歴めいたものはないではない。高校時代に倉田百三『出家とその弟子』をかじって親鸞に興味を抱き、友人の勧めで「財団法人天風会」に入り、創始者・中村天風に傾倒したことも。これはヨガの哲学めいており座禅を組み無念無想の境地に入るところは禅宗に似ている。天下に遍く知られているように、日蓮は鎌倉時代に「四個の格言」を表明し、念仏は無限地獄に陥り、禅は天魔の所為であると断定した。鎌倉時代に支配的だった宗教(他に真言、律宗)について、その思想的位置づけをしたわけだ。なぜそういえるのかと、私も「格闘」し続けたが、ここでは触れない▼山折さんは、ひろさちや氏らと並んで仏教を現代にひろく整理し紹介する水先案内人の役割を果たしている。ここではドイツの哲学者カール・ヤスパースのいう「基軸の時代」のひそみに倣って、日本の鎌倉時代における宗教者たちの”乱舞”を対比させている。紀元前800年から前200年の間に、中国やインド、西欧世界に次々と哲人たちが出現、人類最大の精神変革期を形成したが、日本では、親鸞、道元、日蓮、法然、一遍らが登場した13世紀がそれにあたるというわけである。さらに山折さんは、これらの宗教者たちは「その生涯においてひとりで立つ気概をみせ、ひたすらひとりの命に向き合い、その魂の救済のために献身し、語り続ける人生を送っていた」とする。この流れは近代日本の夜明けに一人立った福沢諭吉へと行きつくわけだが、この書では殆ど掘り下げてはいない。前記の鎌倉の巨人たちを追うために旅にでて足跡を探るなど、いかにも売れっ子の本づくりの常とう手段めいていて安易な匂いがする▼彼が言わんとするところは現代日本人に垣間見える「ひとり」や「孤立や孤独」を嫌う風潮だ。確かに「自助・共助・公助」はひたすら助けを求める構図であって、自ら一人立って立ち向かう意図を感じさせない。なにかにすがろうとする柔な姿勢そのものである。福沢の言った「独立自尊」の気風はひたすら影が薄い。現代における「つながる」ことの魅力に触れていないのも物足りない。独立、自立なくしてただ群れるだけであってはならぬ。尤も、ひとり立ったひとびとが相互につながるときの力たるや壮絶なものがある。今、世界中に日蓮仏法の系譜を受け継ぐ人々がSGI運動に嬉々として馳せ参じている姿には眼を見張らせられる。親鸞や道元の流れは「ひとり」に寄り添うものではあっても、日蓮の「ひとり一人」を強力に繋げ束ねる力には遠く及ばない。鎌倉期の宗教者たちの現代世界への影響力に、つい思いをはせてしまった。(2017・2・25)

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塾歌の由来から破天荒な青年期に再会ー福沢諭吉『福翁自伝』を読む

先日、姫路慶應倶楽部の新年会があり、そこで慶應福沢研究センターの都倉武之准教授のミニ講演を聴く機会があった。その中で、慶應塾歌の冒頭部分にある、「見よ風に鳴る 我が旗を 新潮(にいじお)よする 暁の 嵐の中にはためきて 文化の護り 高らかに 貫きたてし 誇りあり……」という歌詞の由来を知った。実はオランダがナポレオンのフランスに敗れ、世界中から後退した時に、唯一長崎出島においてのみその国旗がはためいていたという史実に基づいているというのだ。『福翁自伝』に書いてある、と。これと、幕末動乱のさなかにも揺るがず学問に傾倒した福沢・慶應義塾の姿を、作詞家の富田正文さんがリンクさせたのだ、という。不覚にも全貌を知らなかったのを恥じ、実に50年ぶりに『福翁自伝』を紐解いた。ぐいぐいと引き込まれてしまった▼改めて福沢諭吉というひとがいかに自由闊達な青年時代を送ったかについて知った。酒好きが半端ではない。青年期における乱暴狼藉の場面の連続には呆れるばかりである。そうしたところだけを読むとおよそ後の”教育者”らしからぬ振る舞いに驚く。近代日本を代表する真面目な思想家といったイメージには程遠い。「開国か攘夷か」と、まなじり決した「テロ」まがいの風潮が横行した幕末激動期。そんな時に一方に押し流されぬ無類のバランス感覚で、ひたすら未来に目を向け、洋学を学び続けた。ところが、福沢はそんな自分を「臆病」ものに描く。夜道。向うから怪しげな人物が歩いてきてすれ違う際の心理描写の巧みさ。すれ違った後、お互いに一目散に逃げたというのだから。随所にこうした漫画チックな福沢諭吉が現れ、滅茶苦茶に面白い▼漢学、儒学一辺倒だった時代から洋学へと流れが変わる転換期に、先駆けの役割を果たしたひと。洋学への異常なまでの関心、傾倒ぶりを除けば、本当に親しみやすい普通のひとだったということが分る。学問の師・緒方洪庵に対する敬愛の念は、ひとの世における師弟の重要性を気付かせられる。家族に対する並々ならぬ思い入れも大いに胸を打つ。惜しむらくは、大いに端折って書かれていること。たとえば結婚からこどもを授かられた辺りが出てこないのは物足りぬ。また、差別用語が平気で書かれているあたりも、「天はひとの上にひとを作らず。ひとの下にひとを作らず」との名言を編み出したひとにしては、いかがなものかと首をひねってしまう▼我が青春の曙期に、この本を読んでそれなりに感動した。その後、『学問のすすめ』から『文明論の概略』へと読み進んだものだ。「政治の実際」には背を向け、新聞を出し、評論を書き、大学を経営して青年を訓育した福沢。そんなひとに憧れた頃から半世紀が経った。とっくに福沢の歳を超えてしまった。彼が生きた「慶応」から「明治」という時代の持つ意味を、今ごろになって改めて真剣に考えようとしている。「そんなことして何になるんや、もう遅い。あほか」との声が聞こえてくるのに。(2017・2・19)

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20世紀をもう一度やり直す、とはー宮家邦彦、佐藤優『世界史の転換』を読む

先週ご紹介した宮家邦彦氏との懇談の際に、同じ外務省出身の佐藤優氏のことが話題になった。彼がいかに創価学会、公明党への理解が深いかについて、つい力説してしまった。宮家さんは、それには直接触れずに「彼とは対談本を出していますからね」とのこと。ウーン。まことに恥ずかしながら佐藤優さんが凄まじい勢いで次つぎと色んな人との対談本を出しておられるので、うっかり見過ごしていた。正直に告白すると、いささか食傷気味になっていたことは否めない。所望したこともあって、直ちにその新書『世界史の転換ー常識が通じない時代の読み方』が送られてきた。『トランプ大統領とダークサイドの逆襲』と併せて立て続けに読むことになった▼この本の読みどころは、「ISやアル・カイーダなどイスラム過激派がついに西側諸国に対する『世界イスラム革命戦争』を始めた」(佐藤)ということに尽きよう。シリアやイラクで追い詰められつつあるかにみえるイスラム過激派がこれからどう動くのか。極東の島国に住む我々とて無関心では到底いられない。その行方をめぐり「新たなジハード(聖戦)拡散の活動拠点は、フェルガナ盆地」(宮家)と断定していることは興味深い。「ウズベキスタンとキルギス、タジキスタンの国境線がジグゾーパズルのように複雑に入り組み、周囲を天山山脈の山々が取り囲む」ところだと。この戦争の行き着く先についてはさすがにご両人とも曖昧にしている。予断は許されないということなのだろうが、より不気味だ▼全編を通じて強く迫って来るのは、欧米の衰退であり、これまでの世界秩序が終わりを告げようとしていることだ。「『国境のない欧州』という夢は崩れる寸前で、通貨ユーロも風前の灯」との共通認識は「幕開け」であって、次はどうなるのか。「ポスト冷戦時代が終わったいま、私たちは、二十世紀をもう一度やり直していて」いて「現在の混沌とした国際情勢の中で、新たな秩序が形成されて落ち着く。そこからほんとうの新世紀が始まる」(佐藤)という。ここはさりげなくかかれているが、読み飛ばせない。「二十世紀のやり直し」とは「世界大戦のやり直し」を意味するからだ。しかも前世紀のそれと違って、新たな世紀の戦は「西欧文明対イスラム文明」の様相となる気配が濃厚で、それはまさに「世界史の転換」の一大構成要因を意味するものと思われる▼私たちは若き日に、師匠・池田先生から「地球民族主義」の大事さを教えられ、「等距離中立外交」の必要性を学んだ。新しき世紀は「東洋の仏法思想」を中心に据えた時代にせねばならないと夢を育んだものである。つまり、それこそ真の意味での「世界史の転換」を果たす担い手であることを自覚したものだった。あれから50年。もし時代が宮家さんや佐藤さんがここで語っているように展開していくなら、それは私たちが無責任だからだとさえ。ギリシャ哲学とキリスト教との合体による「西欧思想」は明らかに破たんの色が濃い。それを補い新たな世紀を引っ張るに足る思想は、「日蓮仏法」でしかないことを改めてかみしめたい。(2017・2・8)

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世界の今をどう見るかー宮家邦彦『トランプ大統領とダークサイドの逆襲』を読む

タイへの旅から私が帰ってきたその日に、外交評論家の宮家邦彦氏が姫路にやってきた。地元企業関係者らから講演を求められての訪問のついでに、会おうということになった。彼が外務省安全保障課長時代に、外交安保部会長として色々と付き合い、外務省退官後も時に応じて勉強会にお招きしたことがある。このところ疎遠だった間に、彼はメディアの寵児となっている。関西一円での人気テレビ番組『そこまで言って委員会』の常連メンバーで、大きな外交案件でコメントを求められて発信をする一方、国際政治の今を読み解く本を次々と出版している。陸に上がった魚のように、国際政治の現場に疎くなっている私としては眩いばかりの存在だが、無謀さも顧みず”昔取った杵柄”を振り回して立ち向かった▼最大の関心事は、トランプ米大統領の登場に伴う世界の行く末。彼はこのテーマを「ダークサイド」というキーワードで見事に料理してくれた。それって、映画『スターウオーズ』に登場する、悪の皇帝「ダースベイダー」が陥った人間の暗黒面のことをさすという。米国の民衆の間に蔓延する不平、不満をトランプ氏が巧みに束ねて勝利をつかんだ。で、今や世界中にこれと類似の傾向が見て取れるという。この話は年末に緊急出版した『トランプ大統領とダークサイドの逆襲』に詳しい、と。対面する相手の近作を読んでおくことは鉄則なのに、つい見逃してしまっていた。恥ずかしい限り。加えて、私は彼にとって外務省の仲間である佐藤優氏のことを口にしてしまった。直ちに「彼とはこの間対談本を出しました」と、きた。『世界史の大転換』である▼かくして二冊の本を並行して読む羽目になった。『ダークサイドの逆襲』を読んだうえで、『世界史の大転換』を読むと、当然ながら宮家発言部分を中心に極めて分かりやすい。「日本の政治がいまだ、アメリカや欧州のような大衆迎合的ナショナリズムに陥っていない理由は何か。誤解を恐れずにいうならば、安倍首相個人の力量に負うところが大きい」とし、「『ダークサイド』右派の暴走をうまく吸収している」とのくだりは、私との懇談の場面でも強調されていた。「日本の政治の安定」に安倍首相が大いなる役割を発揮しているかを力説していたことが耳朶に残っている▼国際政治の読み解き方として、「ダーク(暗い)か、ブライト(明るい)か」は、いささか乱暴ではないか。またそれって支配者階級と被支配者階級の相克、むかし社会主義革命前夜に見た光景とどう違うのか。あれこれ疑問は沸くものの、これからのパースペクティブ(見通し)を切り拓く上で、今風の切り口として格好のものと言えることは間違いない。こうした「言語象徴」をさらっと持ち出すあたり、ただならざる才能の持ち主だ。多くのひとに読んでもらいたい現代の最先端を行く「国際政治入門」としてお勧めの本だ▼全体的に軽いタッチだが、最終章の「地政学リスクとは何か」はそれなりに歯応えがある。国際情勢を見るポイントとして、1)地政学の「地」は地理の「地」であること2)「パワー」とは動くけれども見ることができない3)パワーは因数分解して相互の関係性を考える4)地政学では「経済合理性」を優先してはいけない5)地図はひっくり返して見ることーの5つを挙げている。いずれも味わい深い。冷戦から新冷戦、ポスト新冷戦を経て、久々の世界史の転換期の到来。これを読み取るうえで貴重な水先案内人に大いなる期待をしたい。(2017・1・29)

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呪縛から解き放たれたタイへの旅ー三島由紀夫『暁の寺』を読む

「芸術というのは巨大な夕焼です。一時代のすべての佳いものの燔祭(はんさい)です」から始まって、「夕焼の下の物象はみな、陶酔と恍惚のうちに飛び交わし、……そして地に落ちて死んでしまいます」に終わる40行足らずの文章程、三島由紀夫らしい文章はない。50年もっと前に、彼の文章の持つ魔性に幻惑され、反面教師として位置付ける一方、彼の書くものから遠ざかり、簡明直截を持って旨とする新聞記者稼業に私は身を投じたものだった。市ヶ谷で自刃した際のあの衝撃は私自身の25歳の誕生日前夜ということもあって今に忘れがたい。その三島の代表作・豊穣の海全4巻は長きにわたる読書生活における課題であり続けてきた。就中冒頭に挙げた『暁の寺』はタイ・バンコクを、メナム川(チャオプラヤ川)を舞台にしながら彼の生死観、仏教観を垣間見せたものである。私の人生の本格的幕開け期と、彼の幕じまいのときはほぼ同時期のものとして重なる。いらい半世紀近くもの間、彼の提起したテーマは私の肩に胸に心にのしかかってきたのである▼一度でいいからタイに行ってみたいと思ってきた。それはある種怖いもの見たさに通じる。三島が「(あの事件遂行という)もっとも切迫した現実の只中にみずからを置いて、身を刻むかのようにして書き上げた」(解説の森川達也)からだといえる。行ったところで何が解るというものでもないのだが、それでも行ってみなければ何事も始まらないという思いに駆られたことも事実だ。少年のようなノリで(今どきの若者はそんなことなどしないだろうが)、文庫本を片手に機中のひととなったのだから、文字通り私も変わってはいる▼「歴史は決して人間意志によって動かされぬが、しかも人間意志の本質は、歴史に敢て関わろうとする意志だ、という考えこそ、少年時代以来一貫してかわらぬ本多の持説だった」とのくだりがあるが、それこそ彼の自刃の際に叫んだ歴史に敢て関わろう意志だったいうことが鮮明に浮かび上がってきた。メナム川の上を遊覧モータボートに乗って一時間、猛烈なスピードで北に南に西に東に走った。その合間、波間に彼が死に場所を求め、自分の最期にあたっての舞台装置を探し続けていたことが分かるような気がしてきたのである。「人間の不如意は、時の外に身を置いて、二つの時、二つの死を公平に較べてみて、どちらかの死を選ぶということができないこと」や「どんなに真摯な死も、ただものうい革命の午後に起こった、病理学的な自殺と思われることを避けがたい」との記述を目にして益々その感が強い▼解説子が云う。三島の「挫折」というか「破綻」は「この巻の随所に追求される、大乗仏教を支える二つの根本思想のうちの一つ、いわゆる『阿頼耶識』を中核として展開された、あのめくるめくばかりに巨大な『唯識』思想の世界に、打ちのめされてのことではなかったのか」との指摘は私にとって極めて面白い。「阿頼耶識」は唯識の八番目。未だその奥に、究極の奥底に「九識心王真如の都」とまで表現される九番目の「阿摩羅識」があることを三島は知らない。「三島がこの巨大な思想の体系を、充全に納得し、領解し得たとはいささかも思わない」という森川氏の理解も、まだまだ仏教の基本理解に至っていないのである。このように見て来て、ようやく私は「三島の呪縛」からようやく解き放たれた感がしてくるのを禁じ得ない。(2017・1・22)

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