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【41】人類の危機の連鎖を気づかせる➖スラヴォイ・ジジェク『パンデミック2』(岡崎龍監修/中林敦子訳)を読む/7-19

 本格的な夏の訪れと共に、コロナ感染者の数がまた一段と増えてきた。国内外の旅に手ぐすね引いて待っていた大人にも、夏休みに心躍らせていた子どもたちにも水が浴びせられた格好だ。「第7波の到来」との声に誰しもうんざりする。ジジェクの『パンデミック2』を読むきっかけは、テレビで斎藤幸平氏(『人新世の資本論』の著者)の解説を聞いたことによる。同氏は1冊目に当たる『パンデミック』の監修を担当していた。一方、この本は2020年春以降の情勢変化を踏まえた続編で、コロナ禍を題材にした現代文明論、哲学考、政治分析の赴きがある。著者の奥深く幅広い知性に圧倒されるばかり。参院選前に読み終えていたが、終了後改めて読み直し、コロナ禍を舐めてはならないことを痛感する◆ジジェクは、スロべニアの哲学者。精神分析学をテコに現代世界を俯瞰して解き明かす。「はじめに」の書き出しは「北北西で何か怪しい匂いがする」と、あたかもヒチコックの映画に思いを向かわせつつ、2020年6月、ドイツの食肉工場でのコロナのクラスター発生に繋げていく。第1章は、「マルクス兄弟主演の映画『我輩はカモである』」から口火を切る。以下14章まで、次から次へ映画やドラマを使い、小説を引用して、わかりやすい口調で、難解なコロナ禍での社会的事象や現実政治を腑分けする。更に「補遺」では、「権力と外観と猥褻性に関する四つの省察」と銘打ち、「新ポピュリズムの台頭を特徴とする世界」の動向を占う。具体的にはトランプ米大統領(当時)現象を料理する際の手の内を明かしてくれるのだ◆「彼は猥褻な噂が流れるような威厳のある人物ではない。彼は猥褻性を品位の仮面に見せようとする(公然と)猥褻な人物なのである」とするように、手を替え品を替えて幻想を打ち砕く。「我々が見ているのは『裸の王様』のリメイク版」だが、原作と違って「無邪気な子供の視線」は必要なく、「王様本人が自慢げに『俺は何も着ていない』と公言している」というように。トランプは過去の人ではない。今も米国を二分する人気を博し、2年後の返り咲きを狙っている。日本でも無縁ではない。反トランプの言説は「陰謀論」だとする動きがヒタヒタと水嵩を増している。トランプという〝暴れ馬〟をうまく御していたかに見えた、安倍晋三元首相。彼を亡くしてしまった日本が、やがて深刻な苦境に陥らぬことを願う◆コロナ禍は当初は「我々は皆同じ舟に乗っている」との認識で一致し、「人類は運命共同体」であることを楽観視させた。しかし、ジジェクは、今や「階級間の分断が爆発的に広がっている」とし、最下層にある人々(移民や紛争地に取り残された人々)にとっては、生活が困窮しすぎてCOVID-19(コロナ)は重要な問題ですらない」と危機意識を煽る。最前線でウイルスと闘っている看護師やエッセンシャルワーカーたちを、新時代の搾取階級だと位置付けさえする。混迷を続ける現代世界を救うのは資本主義の装いを変えることでなく、「コミュニズム」の見直しに期待する動きが日本でも漸く仄見えてきた。果たして、それが真に世界を、日本を救うよすがになるのか。それとも新たな混乱の深みへの機縁に過ぎないのか。その辺りに考えは及び、興味は尽きることがない。(2022-7-19)

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【40】6- ④ 精神科医作家の華麗なるデビュー作━━帚木蓬生『白い夏の墓標』

◆小説らしい面白い要素が満載

 久方ぶりに小説らしい小説を読んだ。ここで、小説らしいとは何か、と考えてみる。一にドラマチック。二に、リアリスティック。三に、ミステリアス。あとは欲をいえば、男と女の絡み合いがほどほどにあって、救いがちょっぴり。これが私の求める理想の小説像である。実はこれ、この本を読み終えて、頭に浮かんだものを羅列してみただけ。小説を以前ほど読まなくなったのは、歳を取ったことと関係する。読み進めるにつけて、過ぎ去りし時間への後悔が次ぎつぎと湧き出てあまり楽しくない。平板過ぎたり、リアル過ぎて悲しくなるのも嫌だ。だからといって荒唐無稽なのも。女性が描かれていない、貧しさと無縁なのも面白くない。それでいて、最後は明日への希望が湧いてこないと。この本は、今挙げたような、あって欲しいと思う要素が全部入っている。帚木さんのデビュー作なのである。

 実は、『三たびの海峡』『逃走』『閉鎖病棟』といった初期の作品を感動のうちに読み進めながら、世に「帚木蓬生」の名をたかからしめた『白い夏の墓標』を、私は読まずにきた。なぜか。単純な思い込みだが、「医に関わる者の戦争犯罪」と聞いただけで、暗い雰囲気と結論めいたものが分かってしまう。だから敢えてそういうものは読まずに済ませよう。そんな感じで、きた。それがここへきて読む気になった。理由は二つ。

 一つは新型コロナウイルスのパンデミック。「ウイルス」の犯罪化をどう描いているかに興味が湧いた。もう一つは、このところ大型化してきて、読み辛いものが多いこの人の作品からすると、手ごろな分量だという点。最初の数頁のとっかかりの悪さを乗り切れば、あとは一気に滑り出すボートのように心地よく進む。東大仏文科を出てTBS記者になるも、僅か2年で辞めて九州大医学部へ。卒業後は精神科医をやりながら小説を書く。今なお二足の草鞋をしっかり履き続ける、その才能の凄さ加減が嫌と言うほど分かった。

◆「逆立ちした科学」への憤り

 6つの章立てと展開は、実に技巧が凝らされ、考え抜かれたものだ。物語は肝炎ウイルスの国際会議に出るためにパリを訪問中の大学教授佐伯の舞台回しで進む。①その佐伯とベルナール老人とのいわくありげな邂逅②主人公黒田と佐伯の学生時代の出会い③現代に戻って、謎めいた佐伯のウスト行き④ウイルス研究に取り憑かれた黒田の手記の登場⑤黒田夫人ジゼルの衝撃の告白⑥黒田の娘クレールの快活な振る舞いと、ベルナールの締めくくり的手紙。──仙台型肺炎ウイルスの研究で、米軍にその能力を買われた黒田が、アメリカに留学して、数奇な運命に巻き込まれていく、興味津々たるストーリーが展開していく。

 著者のいいたい最大のポイントは④の手記における、主人公の煩悶にあろう。「逆立ちした科学に向かう者と、まっとうな科学を目指す者に振り分けるものは一体何なのか。実は何もない」「もっとも恐ろしいのは、まっとうだと思い込み、また人からもそう信じられ、その実、逆立ちしている科学ではないのか」と。細菌兵器開発の実態を明解に暴くくだりである。

 一方、この小説の面白さは、⑤の黒田とジゼルの逃避行に違いない。ハラハラどきどきの冒険談に引き込まれていく。だが、そこにいくまでの随所に盛り込まれた物語全体の伏線がたまらない。とりわけ黒田の生い立ちにおける貧しさと、それゆえの複雑な男女のもつれあいが味わい深い。そして巧みな比喩を駆使しての文章のうまさ。「白い綿球状の花をつけた牧草の上を靄が滑走していく。白い水蒸気の帯が深呼吸をするように、次々と山頂の方へ吹きあがっていくごとに、斜面はあざやかな緑に変わっていった」──こうした表現に出くわすたびにため息が出る思いがする。自分はいつになったらこんな情景描写を繰り出せるのか、と。また、娘の若さそのものの強調ぶりに、場違いとも思える不思議さを感じる。と同時に、微かにちらついた不思議な影。ひょっとすると主人公は生きているのかも、との疑念が浮かび上がる。いやはや面白い小説を楽しめた。

【他生のご縁 精神科医と小説家の二刀流の達人】

 帚木蓬生さんは福岡出身。今もそこに住み、精神科医をしながら小説を書いておられます。私の50年来の友人T氏が彼と同じ久留米の明善高校の同期。そんなことからごく早い段階からこの人の書くものに注目してきました。

 初期の作品のうち『逃走』を読み、読後感を処女作『忙中本あり』に取り上げました。併せて、小説の流れとして父上を死なせた方が面白かったのに、と手紙を書きました。それには、「父が死ななかったからこそ、私が生まれたのです」との返事。この真面目な返し方には笑えました。ともあれ、小説をめぐって、作家自身とやりとりするなんてことは滅多にないことで、とても嬉しい経験でした。

 この人は薬物中毒などの歪んだ生活習慣に苛まれている人たちのよすがになって、日常的に患者に寄り添ってきていることで有名です。小説を書く観念空間と実人生を生き抜く現実空間とが織りなす綾の中で紡がれる物語と言葉。それが堪らない魅力を湛えているように思われます。

 

 

 

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【39】沈黙は拒否するとの呼びかけ——岡部芳彦監修『魂の叫び ゼレンスキー大統領100の言葉』読む/6-13

 「セルフィーマン」──この本の監修をした岡部芳彦さん(ウクライナ研究会会長、神戸学院大教授)は、ゼレンスキー大統領から、こう呼ばれたとのエピソードを「はじめに」で紹介している。3年前の9月にウクライナ版ダボス会議と称される「ヤルタ・ヨーロッパ戦略会議」に出席した主要ゲストの集合写真の撮影のあとのこと。岡部さんが同大統領とツーショットを撮りたいと頼んだものの、シャッターを切ってくれる人がいなくて困った。その時彼が岡部さんのスマホを取り上げて自撮りしてくれた。1ヶ月経ち、即位の礼に来日した同大統領は、出迎えの列の中にめざとく岡部さんの姿を見つけ、冒頭の言葉を発したというのである。この最初の出会いの時のゼレンスキーが自撮りしてくれた写真を、2人で持ったショットがこの本の監修者紹介欄に掲げられており、微笑ましい◆当時、ヴォロディーミル・ゼレンスキーも岡部芳彦も日本ではあまり知られた存在ではなかった。だがロシアのウクライナ侵攻から100日が過ぎ、ゼレンスキーを知らない日本人はいないようになり、岡部さんも単なるウクライナ好きの大学教授だけではなくなった。この本は、ゼレンスキー大統領が口にした短いが魂のこもった100の言葉を岡部さんの解説と共に紹介した本である。恐らく編集スタッフが集めた語録の中から岡部さんが選びだし、それに解説を加えたのだろう。同大統領をめぐっては率直に言って、「喜劇俳優上がりの政治の素人が世界の人々の心を揺るがす名政治家になった」との評価が一般的である。この戦争がなければちょっと変わった平凡な政治家に終わったはず、とのしたり顔の解説も出回っている。未だ戦争が続いている中で、歴史がどう評価するか未決着の中での、危うい試みであることを百も承知で出された本だが、何はともあれ読んだ。その結果、深く心を揺さぶられた◆色んなことを考えさせられる。今も、そしてこれからも、たびたびこの本は開くことになるに違いない。100の言葉の中で、私なりのキーワードを一つ挙げる。それは「沈黙」という語句だ。3箇所に登場する。最初は、【043 悲劇は繰り返される】で「同じバビ・ヤールの地に砲弾が落とされても、世界が沈黙しているならば、80年間、『二度と繰り返さない』と言い続けてきたことに、いったいなんの意味があるというのだ。少なくとも5人が殺された。歴史は繰り返す‥‥」(2022-3-2 twitter の投稿より)    二つ目は、【069 沈黙は拒否する】で「われわれを支援してほしい。どんな方法でも。しかし、沈黙以外でだ。」(2022-4-3 第64回グラミー賞でのオンライン演説より)  三つ目は、【074 沈黙のナチズム】で「ナチズムは沈黙の中で生まれるのです。だから、民間人の殺害について、叫んでください。ウクライナ人の殺害について叫んでください。」(2022-3-2 大統領公式HPより)  岡部さんの解説で、キーウ近郊バビ・ヤールで、先の大戦下に僅か二日間で34000人ものユダヤ人が虐殺され、このたびロシア軍によって同じ地にあるホロコーストの被害者たちの追悼施設が爆撃の被害にあったことを知った◆「沈黙以外の方法で支援をしてほしい」これがこの本でのゼレンスキー大統領の言いたいことのエッセンスに違いない。彼は、グラミー賞授賞式の場で、「音楽とは真逆のものは何か」と自問し、「破壊された都市と殺された人々の静寂である」と自答し、「戦争では誰が生き延び、誰が永遠に静寂にとどまるのか、自分たちでは選べないのだ」と付け加えた。そして、集まったアーチスト達に「『あなたたちの音楽で』で、ロシアの爆撃がウクライナ街にもたらした『沈黙』を埋めてほしい」と呼びかけたという。感動せずにはおられない。日本の国会でのオンライン演説では「非難した人たちが、故郷に戻れるようにしなければならない。日本のみなさんもきっと、そういう気持ちがお分かりでしょう。住み慣れた故郷に戻りたい気持ちを」の言葉が選ばれている。あの時の演説では、日本の支援への感謝の言葉が目立ち、チェルノブイリ原発への言及が印象に残った。世界唯一の被爆国日本へのメッセージとしてはインパクトが弱く、物足りない気がしたものだが。(2022-6-13)

 ※参議院選挙が終わるまでしばらく休載します。

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【38】2-⑤ したたかな戦略で封じ込めるかー石川好『中国という難問』

◆「大きく、広く、深く、多い」国

 今から11年ほど前の私の「読書録」(2012-2-11)に書き、電子版『60の知恵習い』に転載した石川好さんの本を、まず紹介したい。

 《先日NHKのラジオ深夜便を聴いていると、懐かしい声が聞こえてきた。作家の石川好さんが、中国の南京などにおいて、日本人による戦争被害をアニメや漫画で紹介する試みをしてきたことを話していたのである。彼が日中友好21世紀委員会の一員として、ユニークな運動を展開してきていることはかねて知ってはいた。しかし、これほどまでとは思わなかった。なかなか聞き応えのある中身で、強いインパクトを受けた。彼とは、私が新聞記者時代に取材をして以来、交友関係が続く仲である。彼が専門としてきたアメリカについての著作はほぼ全部読んできた。その後、中国に主たる関心のスタンスを移されてきたことは十分に知っていたが、この『中国という難問』は読んでいなかったのである。

 一読、非常に新鮮な印象を持った。世に、「嫌中論」や、「中国崩壊論」的な論考は数多い。それを十分に意識した上で、単なる日中友好を叫ぶだけでなく、「大きく」「広く」「深く」「多い」国としての中国をあるがままに捉えようとの試みなのである。ありきたりの「友好論」ではなく、ためにする「反中論」でもない。等身大のかの国を真摯に掴もうとするアプローチの仕方は、中国に関心を持つ者にとって極めて参考になる。

 56もの民族を抱える多民族国家・中国。その憲法に少数民族の処遇が掲げられていることを「絵に描いた餅」だとはいうまい。我が日本国憲法にも類似した項目は少なくないのだから。日中間に真の和解を実現するために、「日本国家から国民へ」と、「日本からアジアへ」の二つの謝罪が必要であるとしている。

 また、10年以上前からの持論である「非西洋社会を代表しての弾薬を込めた謝罪(したたかな計算による戦略的な謝罪の仕方)」を提案するなど、いかにもこの人らしい興味深いアイデアが込められている。「崩壊や分裂でなく、大統一に向かっている」中国との付き合い方を日本は考えるべきだという。本当だろうか、などとはあえて疑わないでおこう。現代中国の現場を知る人の声に、まずは真摯に耳をそばだてたい》

◆世界史を逆転させる「正義の夢想」

 改めて読み直し、古さを感じさせないことに我ながら驚く。なぜ今ここに再録したのか。それは、習近平の就任直前に石川さんが書いたものではあるが、大筋において、10年後の中国の現状を言い当てているからである。「本当だろうか」と疑った風を見せた私など、身の置き場に困惑するほどだ。ウクライナに牙を剥き、歴史の逆転ものかは、襲いかかったプーチンのロシアに、こよなく気を遣う習近平・中国の明日を疑う人はあまりいない。台湾併合から尖閣諸島(魚釣島)に手を伸ばしてくることは明白だとの見たてが、今ほど現実感を伴って聞こえることはないのである。

 石川さんの述べた「謝罪論」とは、日本が自らのかつての植民地主義を、中国を始めアジアに謝って見せること(ポーズだけでなく、国民一人10万円、総額12兆円ほどを弁償)をさす。非西洋社会を代表しての日本の「謝罪」によって、西洋社会に「過ち」を覚醒させ、同じ行為を促し、破産に追い込むという算段である。過去の歴史的名謝罪の主役だったヴァイツゼッカー(対ナチス)やエリツイン(対シベリア連行)、レーガン(対日系米人)の巧みな演技を駆使しての「謝罪」を連想させ、日本に決断を迫ってくるのだ。この〝石川流謝罪のすすめ〟は、荒唐無稽な夢物語だと切って捨てるには惜しい着想と思われる。

 被植民地国家群の対西洋植民地主義への一斉蜂起は、世界史を逆転させる「正義の夢想」だからである。ロシアのウクライナ戦争に端を発し、中国の台湾奪還、北朝鮮の日本報復を想起するという「地獄の連鎖」より遥かに心地よい響きを持つ。今、プーチンのロシアに対して、反戦の声が同国内から起こってくることを待望する向きは極めて大きい。と同じように、中国における反習近平の動きが気にならぬといえば嘘になる。「露中対欧米日」の専制主義と民主主義の確執を前に、かつてのロシアにおける「ゴルバチョフの役割」、中国における「周恩来の存在」──ここらを睨んだしたたかな戦略で、北東アジアの〝今再びの惨劇〟を防ぎたい。

【他生のご縁 北前船フォーラムのリーダーとして】

   石川好さんと先年、淡路島で久方ぶりに再会しました。作家デビューから参議院選出馬、民主党政権のブレーンなどを経て、秋田公立美術工芸短期大学長時代に、私の年来の友人のA氏やK氏たちと一緒に立ち上げた『北前船フォーラム』の代表としてやってきたのです。

 その当時、「瀬戸内海島めぐり協会」専務理事の仕事を手がけて悪戦苦闘していた私は、先達の知恵に学ぼうと出かけました。歴史と伝統の厚み、多層的人脈のスケールの大きさなど何をとっても敵わない力の差を感じました。トップはこちらも負けていない大物(中西進先生)なので、ひたすら裏方の力の差であることを思い知らされたものです。

 

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【37】4 -⑤ 誰が「令和維新」を担うのか━━大前研一『新・仕事力』

◆元祖「維新」のリーダーは今?

 大前研一という名前を聞いて何を感じるか。一般的には、強い憧れと少々の反発の二つに分かれるように思われる。1990年代前半に、この人が「平成維新の会」なる政治団体を率いて一世風靡した頃を覚えている人は年配者には多いはず。あれから30年ほどが経ち、「あの人は今?」と去就を問う人もまた少なくなかろう。「維新」を名乗る政党が今政局の動向を左右する機運は否定できない。それをどう見ているのか。〝元祖維新〟のリーダーに聞いてみたい気がする。

 私はこの人と随分付き合った時期があり、疎遠になった今も畏敬の念は消えない。ここではそれに触れないが、「安倍・菅」政権の時代が過ぎ去り、コロナ禍の3年にも一応の見通しが立ちかけた今、この人の今の主張(「令和維新」)に耳を傾けてみたいと思うに至った。最近の著書から『新・仕事力』を選んで読んでみた。ビジネス・ブレイクスルー(BBT)の会長、学長として、日本の将来を担う人材育成に渾身の力を注いでおられる姿が彷彿としてくる。一方で、安倍政権批判(出版は2020年)の矛先は留まるところを知らぬほど。否が応でも「大前研一健在」を思い知った。

 憧憬と反発と──この人について回る毀誉褒貶は、ご本人の強烈な個性によるところが大きい。そのよって来たる所以は、〝脱日本人的思考〟にあるように私には思える。この本にも早稲田大理工学部と東京工大修士課程では誰にも負けないと思っていたが、MITの博士課程に留学して欧米出身者が優秀なので驚いたとの記述があり、その後経営コンサルタント会社の「マッキンゼー」でいかに鍛えられたかを誇られている。

◆大前流提言と現実の落差

 かつては、「働かざるもの食うべからず」で、がむしゃらに働かせ、また働いてきた日本人も今はむかし。日本的経営と働き方ののんびりさ加減は、天下内外に知れ渡っているものの、中々直らない。この本でのテーマ「働き方改革」については、随分前から警鐘を鳴らしてきた大前さんだが、政府は聞く耳を持たなかった。改めて大前流提言と日本の現実との落差の原因を考えてみる。答えは、大前氏の議論の進め方が合意の余地がないほどの厳しさがあり、長年の惰性を改めて方向転換することは至難だという点であろうか。

 例えば、①同一労働同一賃金②生産性革命③正規社員化の推進④残業上限60時間⑤外国人労働者制限⑥教育無償化・給付型奨学金の推進という政策について、「矛盾だらけ」とバッサリ切り捨てる。しかも「アベノミクス『自体』失敗のオンパレード」で、首相の主張は「すべて詭弁、捏造である」とし、「皆が等しく貧乏になっていく」現実が進行している、と。こうくると、「給与・資産が日本の一人負け状態」、「的外れの働き方改革関連法」などといった現実を認識している向きも、素直に議論が出来なくなろう。

 新型コロナ禍で在宅勤務やテレワークが拡大し、常態となりつつある今日、大前氏のかねてからの〝現場認識〟が正論と思えても、ついていけないとの隔絶感が否定できないと思われる。とりわけ、政治家を含む公務員の働き方改革を強調する大前氏の舌鋒はするど過ぎる。アナログな行政システムの墨守ではなく、新たな国民データベースを優秀な高校生に作って貰う方が早い、とまで仰るのだから。

 一方、国全体でなく、大前氏の個人に対する働き方改革の呼びかけは、受け入れられやすそうに思われる。一言で言うと、自分の「メンタルブロックを外せ」に尽きるからだ。「自分の中の〝壁〟を壊しながら、『脳の筋トレ』を繰り返していけば、どれほど困難な問題に相対しても、また何歳になろうとも、的確な解決策を導き出せる」といわれる。さてこう聞いて、私のような定年後世代は尻込みするか、どうか。「ヒト、モノ、カネ」の時代から「ヒト、ヒト、ヒト」と、ひたすら人間力が問われる時代という転機に直面して、つべこべ言ってるわけにはいかない。読み終えて、かつて「平成維新塾」作りに失敗した大前さんが今取り組む、BBT 大学の卒業生の姿がリアルに見えてこないことが気になってくるのだが。

【他生のご縁 マレーシア、シンガポール、豪州への旅を一緒に】

 大前研一さんとは一緒にマレーシア、シンガポール、そして豪州に旅をしました。市川雄一公明党書記長とのご縁がきっかけです。議員会館で「大前経済塾」を幾度か開いた後、自公の国会議員4人で向かったのです。マレーシアではマハティール首相と懇談し、その熟練度の高いAI駆使の様子を見させて貰いました。

 大前さんについては私の失敗談があります。姫路での政経懇談会のゲストスピーカーを依頼して引き受けていただいたまではよかったのですが、開催少し前に40分の持ち時間を20分にと言ったためドタキャンの憂き目にあってしまいました。急遽、福田康夫官房長官(当時)に代打をお願いして、事なきを得たのですが、お二人共にご迷惑をかけてしまいました。先年、姫路での樫本大進さんのバイオリン演奏が呼び物の「ル・ポン国際音楽祭」に行きましたところ、お隣の席に大前夫人が座られたのは驚きました。

 

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【36】7-③ 遺跡探訪を豊富な写真で克明に━━小山満『シルクロードと法華経』

◆仏教と無縁の人への入門書として

 シルクロード━━音の響きが心地よい。紀元前の昔から大陸を東西に結ぶ道をつたって、人が交流し絹に代表されるモノが動いた。そして仏教も。かつて日本人の多くは、壮大な繋がりに胸をときめかせ、夢を育んだ。この本は、その道筋の跡を追う試みである。

 著者の小山満さんと私は、創価学会学生部員として同じ時代を生きた。同い年だが彼の方が〝早いき〟で学年は私より上、学究肌で信仰心篤い人との印象が濃かった。〝雑学肌で信仰心薄い〟私には仰ぎ見る先輩であった。やがて違う道を歩み、老年になって再会した。若き日を同じ地域で共有した者同士、一気に昔に戻った。仏教美術研究の道に入った彼は、その後創価大教育学部教授、富士美術館の館長に。探究心溢れる少年の面影を残す雰囲気は昔のまま。50年の空白を超えるのに時間はかからなかった。6年前ほど前のことである。

 『シルクロードと法華経』は、主著『仏教図像の研究──図像と経典の関係──』のエッセンスが抽出されたものである。学者人生の凝縮された所産をベースに、講演会で自在に語った記録だ。仏教と無縁の人にとっても、関心が高いテーマをわかりやすく噛み砕いて説いた入門書になっている。時を忘れ、家人の呼びかけも応じず、ひたすら読み続けた。この本の凄さは、著者が訪れたシルクロード途上各地の遺跡探訪と、それに関わる写真画像がふんだんに披露されていること。分かりやすい。しかも、講演会に参加した人からの質問が適宜織り込まれている。通常、質疑応答は各章ごと末尾に掲示されることが多いが、この本では違う。

◆仏教関連の先達の学問的遺産をさりげなく

 講演の中身である本文に質問がかっこ付きで登場、答えが直ぐ続く。普通、論旨が乱れるはずだが、そうなっていない。むしろ理解が進む。著者の貴重な工夫が伺える。大乗仏教の究極としての法華経がどう日本に伝わってきたか。経典、遺跡、翻訳の3つの角度から概説され、北魏、突厥から隋、唐を経て、飛鳥、奈良と京都の時代へと誘われる。随所で日蓮大聖人の御書からの関連部分の引用に出くわす。また、仏教関連の先達の学問的遺産をもさりげなく紹介。興味を惹く。散逸していた資料が整頓されるような思いになる。

    こういっても、仏教独自の難解さがあるのでは、との懸念を持たれる向きがあるかも。しかし、その心配はご無用。観光・歴史ガイドとしても読める。例えば、洛陽の素晴らしさを「黄河のほとりなのでみずみずしい町」だとして、大きな川のない西安と比較している。またタリバンに壊されたバーミヤン(アフガニスタンの首都カブール西百キロ)の二大仏についての記述も「壊されて中の像はない」が、「外側の枠の壁はさほど壊れていない」などリアルに迫ってくる。それぞれ、中国人論やイスラム原理主義などの背景が語られて面白い。

    また、「聖徳太子否定論」を述べたくだりなども。太子信仰批判をめぐる混乱について、「私たちがしっかり正しく捉えていってあげないと(信仰の足場が)戻ってこない」と、学問の責任と継承する者への心構えが読み取れて、読むものはいずまいをただす。勿論、しかつめらしいことばかりではない。「カメラでいいものを撮ろうとしたら、横のラインとかどこかに基本の線を置く」などと、自身の体験を交えてのアドバイスも挿入されて微笑ましい。全編に「美術」の専門家としての、茶や陶器から絵画、庭園に至るまで豊富な知見が散りばめられており、読み応えがある。

 加えて「現代中国」を考える上でのポイントも語られている。例えば、日本の風土、環境と中国のそれを比較して、日本の自然美が強調される。その一方で、中国は「人間の働きを大事にする」ことや、中国人に「一番になりたがる」傾向のあることなどをも指摘。合点がいく。私の最も興味のある「世界と中国の未来」については、「アメリカに代わって中国が中心になる」との見立てを述べた上で、人間の思想の自由をもっと保障すべきだと、専制主義批判がなされている。そこで、習近平・中国と仏教との関係が知りたくなる。

 池田思想研究所が中国各地の大学に付設されていると聞いているが、その意図の全貌は不透明だ。単なる政治的配慮に過ぎないのでは、との疑念もよぎる。香港をめぐる動向を見るとき、信教の自由が危ういどころか、その火は消えたと見る他ない。読み終えて、中国の民衆と宗教の関わりに思いを馳せる。

【他生のご縁 「国際美術展」で来神の際に会う】

 「兵庫美術館で開かれる『第43回IAF国際美術展』に出展するので見に来てくれないか」との連絡があり、昨年初秋に会場に赴き、6年ぶりに出会いました。教え子たちが主催する国際色豊かな会でした。彼の書による墨痕鮮やかな李白の詩「蘭と松」の前で、記念撮影に収まったのです。

 先年の参議院選の支援に来てくれた時は、学生時代に別れて以来でした。40年間の積もる話に花が咲き、時を忘れたものです。『法華衆の芸術』の著者・高橋伸城さんは教え子とか。優秀な教え子がいろんなところで活躍している様子を楽しそうに語ってくれました。

 

 

 

 

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【35】あれこれあるも強気は失せずー井戸敏三『兵庫と歩みて』(総集編)を読む/5-21

 「二十年 ふり返り見て 思うこと あれこれあるも 今は夢なり」➖井戸敏三前兵庫県知事の詠んだ短歌である。昨年夏の退任のあと、神戸新聞のインタビューに答えた『兵庫と歩みて』の末尾を締めくくっている。井戸さんと付き合ってきた多くの県民は、皆この一句に「おっと、出たぁ」と、にやりとしたはずに違いない。「井戸前知事の20年」とサブタイトルのついたこの記事は昨年11月23日から、今年の3月25日まで、15回に分けて同紙に掲載された。長沼隆之論説副委員長がまとめたものである。井戸さんは在任中に『一歩いっぽ』と題するエッセイ集を幾冊も出版してきた。「決断の重さを感じさせない気さくさが『キャラ』」(長沼)と言われる〝井戸風歩き方〟があちこちにみなぎった楽しい読み物だったが、今回のものは、その総集編ともいえよう◆私と彼とは1945年(昭和20年)生まれの同い年である。誕生した場所も、たつの市と姫路市と同じ西播磨。この20年、いや副知事として彼が戻ってきたのが96年だから、25年余にわたってお付き合い頂いた。これを読むと、この20年が、阪神淡路の大震災から、県下各地を襲った大水害、そしてコロナ禍へと、「災害多発の時代」そのものであったことを、改めて思い知る。心から懸命の戦いの労をねぎらいたい。その上で一点だけ注文を。私は「日本熊森協会」「奥山保全トラスト」の理事、顧問として長く兵庫県に物申してきた。その私が注目したのは、2004年に県下を縦断した台風23号の被害について述べたくだり(第8回)。間接的要因に山林の荒廃を挙げて「県民緑税(県民税均等割に800円上乗せ)を06年度に創設した。この税を活用して整備した森林は、流出割合が減ったとの実証実験の評価もある」と井戸さんは胸を張る。だが、現実は、焼け石に水。対症療法的対応の域を出ないのではないか。森林の全面的広葉樹林化を私たちは訴えている。兵庫の山と森の現状は抜本的解決には程遠いことを憂える◆この読み物は前知事としての思いの丈が散りばめられており、読み応えあるまとめとなっている。ただし5期目後半の振る舞いについては、私のような応援団から見ても首を傾げざるを得ない面が目立った。かの公用車の件や、コロナへの「うちわ対応」など、世間の批判にいささかムキになり、自分を正当化する反面、そのせいをメディアに向け続けた。「知事の独自性とか発信力が問われた」のは、「マスコミの作り上げた偶像」とし、大阪の吉村知事と自分との差異を「疑念なしとしない」と抗議の姿勢は露わだ。新聞記者根性が抜けきれない私だけに、ついメデイアの側の目線で見てしまう。多選批判にも「4年に1度選挙の洗礼を受けており」、「変わって欲しいから批判する」ので、「当選回数の問題じゃない」と、強気一辺倒である。今更しおらしくはなれないにせよ、後味はよくない。どこでも誰でも「多選の弊害」は著しいことは、普遍的なものではないか◆井戸さんのこうした姿勢の背景には、ご自身の知力、体力への過剰なまでの自信があると私は睨む。幕降りてなお、「憲法改正論議で地方自治の位置付け」に向けて、「提言や提案をしていけないかと考えて」いるとの発言や、「延期になったワールドマスターズゲームに出て、平泳ぎの50㍍、100㍍を泳ぎ切る」との意欲には驚くばかりである。官僚を経て地方自治体のトップとして生きてきた井戸さんの人生も、いよいよ総仕上げの段階に入った。彼が現役である限り、こちらも未だ未だと、勇を鼓舞して来た私たち戦後生まれ世代。その兄貴分として、兵庫の、そして日本文明の歴史的転換期を見守る守護神の役割を期待したい。

 そこで私もスローガン風の一句を。「大仕事 終えて 今なお 燃ゆる覇気 日本の夢を 挑み果たせよ」(2022-5-21)

★他生のご縁 同時代を一緒に兵庫に生きてきた幸せ

井戸前知事とは、同じ播磨人、昭和20年生まれ、つまり同郷で同輩とあって、親しくお付き合いをさせていただきました。おまけに私たちの連れ合いが共に音楽学校を出て、バイオリンとピアノと楽器こそ違えど、音楽の道を志したのも同じ。共に子どもが一人娘だということも。尤も、この2つ、中身のレベルが全く違っていて、形だけが似てるだけなのですが‥。ともあれ、知事5期20年、衆議院議員6期20年と、現役時代にズレはあるものの、ほぼ同じ時代を政治家として同じ時間を生きてきたことは、とても嬉しいことです。いつも笑顔を絶やさず、どんな問題にもきちっと考え方と意見を表明出来る得難い人物でもあります。時にはっきりものを言い過ぎるところは、誤解を受けるところでしょうか。でも彼に言われると、その通りだなあと妙に納得してしまいます。かつて、私がある自治体の選挙に出てみたいと言ったことがありますが、その時に即座に、「赤松さんは首長には向かない」と断定されました。一瞬ムッとしましたが、当たってることは事実だと思ったしだいです。

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【34】7-④ 日蓮仏法とキリスト教の類似性━━谷隆一郎『人間と宇宙的神化』

◆出発はトマス・アクィナスの研究

 私にはとても難解な本だった。幾たび投げ出そうと思ったことか。だが、その都度、古い友人の大事な著作を、碌に読みもせずにわからなかったとは言えないと、思い直した。見慣れぬ表現に呻吟し、難しい言い回しに辟易しながら、懸命に頁を繰っていった。谷隆一郎とは、知る人ぞ知るキリスト教哲学者。我が母校・長田高校の16回生の同期でもある。

 彼は東京大工学部を卒業したが、後に文系に入り直した。文学博士になり、九州大学専任講師から最終的には人文科学研究院の教授(今は名誉教授)になった。若い頃には、中世スコラ哲学を専門にし、トマス・アクィナスの研究をしていると、聞いていた。その昔、福岡に行って出会った際に、彼が連れて行ってくれたとあるバーに東京大卒の魅惑的なママがいた。彼女が歓談の途中に、やおらカウンターの脇辺りから絵を取り出した。ピカソの描いた小品だった。妙に組合せが新鮮で驚いたことを今も覚えている。

     あれからあまり交流もないまま40年ほどの時が経った。それが突然また局地豪雨のように、手紙のやり取りをすることになったのは、「東洋哲学研究所」の親しいメンバーTさんとの会話がきっかけだ。谷隆一郎氏と私が友人だと言うと、とても驚かれた。「あんな凄い先生と、赤松さんが‥‥」と、絶句された。キリスト教哲学者と日蓮仏法を信奉する政治家とに、お互い歩んできた道は違ったものの、16歳から3年間、同じ徽章の帽子を被った懐かしい仲間なのである。優しい目つきとおっとりした風貌が、今もなお鮮やかに思い浮かんでくる。

◆七世紀の証聖者マクシモスの思想を明らかに

 この本は、「東方ギリシア教父、ビザンティンの伝統の集大成者である7世紀の証聖者マクシモスの思想を明らかにした、我が国初の本格的業績」と、される。意外にもか、当然と見るべきか、仏教との類似性を感じた箇所が幾つもあった。例えば、「われわれは他者との様々な関わりにあって、陰に陽に人を裁いたり、何らかの欲望や妬みなどに動かされたり、あるいは空しい虚栄や傲りに捉われたりすることがあろう。そうした情念を自ら是認し、執着することによって、われわれは、自分自身の存在様式の欠落を招いてしまう」(73頁)──これは、われわれ風に理解すると、「十界論」の領域のことかと思われる。遭遇する環境に応じ、体内にある十の範疇に潜在する生命状態が湧き出でてくる、というものだ。そのコントロールは唱題によるのだが‥‥。

 更に、「われわれが、外なる世界にいたずらに神を探し求めても、神はそれ自体としては見出されない。(中略)  すなわち、『わたしは在る』たる神は超越の極みであって、この有限な世界のどこにもそれ自体としては現れない。しかし、諸々のものは、あたかも神的働きのしるしないし、足跡であるかのように、遥かに神を象徴的に指し示しているのだ(ローマ一・二〇)。」(45頁)   ここは、神を仏に置き換えてみるといいだろう。そうすると、「働きのしるしないし、足跡」とは、菩薩界のことに見えてくる。そう、「仏界ばかりは現じがたし」との表現と相重なって、現実世界では仏界に代わって菩薩の働きがその象徴として具現化されることに気付く。

 日蓮仏法徒とキリスト者の違いを、信じるものの形態で比較すると、御本尊にお題目をあげる姿勢と、イエス・キリストの受難の像をおもい浮かべて十字をきる態度になろうか。その究極は、仏にならんとの思いと神に向かわんとする祈りに比せられる。そんな比較心で、第九章「受肉と神化の問題」を読むと、興味深いくだりにでくわした。「われわれにとって神化の道とは、己に閉じられた単純な自力によるものではない。(中略) 人間にいわば創造のはじめから刻印されていた自然・本性的力(可能性)が現に開花し発現してくるのだ。そしてその道は、われわれが能う限り己を無みし、神的エネルゲイアに聴従してゆくという自己否定の道行きとして、はじめて現実に生起してくるであろう」(241頁)というくだりである。

 これこそ、われわれ仏法徒が朝な夕なに御本尊を拝し、「南無妙法蓮華経」と唱える姿と同趣旨のことを言ってるように思われる。その行為こそ、万人各々の生命の内に存在する仏界という最大の自己の持つ可能性を開花させ、涌現することを意味する。「能う限り己を無みし、神的エネルゲイアに聴従云々」とは、一心不乱に、広宣流布を祈ることと同義であろう。違いよりも、類似点をあげる方が異なる存在の行く手を平和なものにすることは、ここでもあたっている。信仰生活58年にして、まじめにキリスト者の本を初めて読んだ。今後の我が行く手に与える影響やいかに。

【他生のご縁 キリスト者と日蓮仏法徒の語らい、いつの日か】

 その昔。「赤松って、法華経を信仰してるんだよね?一度ゆっくり話したいね」と水を向けられたまま、月日が経ってしまった。その道一筋の巨人になってしまった谷さんと、「政治と宗教」の二刀流の私とが語り合えばどうなることだろう。どこかの雑誌にでも声をかけようかと、夢見ているのだが。

 

 

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(第4章)第6節 森での「共存化」が求められる時代─━森山まり子『クマともりとひと』を読む/5-7

 日本最大級の自然環境保護団体

 「『日本熊森協会』って、知ってますか?」──過去20年あまり、こう私が訊いて、「ああ」とか「うん」とか「勿論」と答えてくれた人はゼロ。全国に2万人近い会員がいる日本で最大級の自然環境保護団体だというのに、である。すでに26回の年次総会が開かれている。私がこの会に関わったのは、議員になって間もない頃。三宮での駅頭演説の最中に、宣伝カーの上から見てると、クマの似顔絵と共にその名が書かれた幟が目に飛び込んできた。それいらい、あれこれ文句や注文ばかりつけながらも、この協会をサポートし続けてきた。別にクマが凄く好きというわけではない、森の大事さは分かるけれど、まあ普通である。にも関わらず、顧問を引き受けてから、ずっと休まず応援してきたのはどうしてか?前会長の森山まり子さん(現名誉会長)に不思議な魅力を感じるからだという他ない。

 その森山さんの講演を聴いて直ちにファンになり、応援しようと思った人は少なくない。それくらい、この人の話は説得力がある。『クマともりとひと』は、その森山さんの講話要旨であり、同協会の「誕生物語」である。実はこの本(60頁ほどの小冊子)は読んだことがなかった。お話を幾たびも聴いているから、別に読まずとも、と思っていた。しかし、先年、福岡防衛局に馬毛島のマゲシカ保存の要望のために、私が伊藤哲也同局長にアポを取って同行することになり、改めて読むことにした。JR西日本の新幹線車中で、読んでるうちに思わず、じわっときた。この協会の誕生は、中学校の理科の先生をしていた森山さんのところに、ひとりの女生徒が新聞記事を持ってきたことに始まる。ツキノワグマが絶滅の危機に瀕していることを伝えていた。1992年のことである。

生きとし生けるものの共存

 森山さんは「森を消した文明は全て滅びている」ことは知っていても、クマと森との因果関係には思いが及ばなかった。絶滅するクマについては既存の様々の自然環境保護団体が取り組んでいるはず、と思い込んでいた。ところが現実にはそんな団体は皆無。「科学がどんなに発達しようとも、自然なくして人なし。自然あっての人間だ。その自然というものは、無数の多様な動植物が互いに密接にかかわりあって、絶妙のバランスの上に成り立っている。自然を守るということは、生物の多様性を守ることである」と、普段子供たちに教えている自分が逃げるわけにはいかない。そこから、生徒と教師の〝チーム森山〟の格闘が始まった。

 クマを巡っては、誤解が多い。「本来、森の奥にひっそりと棲んでおり、見かけと正反対で大変臆病。99%ベジタリアンで、肉食を1%するといっても、昆虫やサワガニぐらい。人を襲う習性など全くない。人身事故は、こわがりのクマが人間から逃げようとして起こす」ということが殆ど理解されていないのである。森の荒廃が進んでおり、エサを求めてクマが人里に降りてくることから、人とクマの悲劇が常態になった。それをあらためるべしと、熊森協会はあくなき活動を展開している。2018年に新しい会長が誕生した。室谷悠子さん、当時の女子中学生のひとりで、今は弁護士である。2人の幼な子をかかえて、見事な後継を果たしている。

 先年の総会の挨拶で、私は『77年の興亡』にことよせ、時代を振り返った上で、次の77年を展望した。明治維新からの77年間、日本は「近代化」を求め続けた。第二次世界大戦の敗北から今日までは、「民主化」を求め定着させた77年であった。そして、これからは、「共存化」の時代でなければならない、と。人間同士は国家の体制の違いをのり超えて、また人間と大型野生動物からコロナウイルスまで、生きとし生けるものの共存が求められてくる、と強調した。歴史観に基づき、熊森協会の果たす役割が大きいことを明らかにしたかったのである。この本は、そうしたことの背景を解き明かす、小さいけれど、とて大きな内容を持っていることを強調しておきたい。

【他生のご縁 熱血溢れるリーダーとの街頭での出会い】

 三宮駅前で街頭宣伝活動をして鉢合わせしたあの日から、こんなに長きにわたってお付き合いをすることになろうとは。森山さんとは、幾たびも論争したものです。本当に純で、真っ直ぐで、パワフルな人です。日本最大級の自然環境保護団体のリーダーとしてこの人ほど魅力に溢れた人はいないと思います。

 先に、私が朝日新聞Webサイト『論座』に熊森協会のことを書くと言ったところ、岡山県と兵庫県の県境にある若林原生林地区に行きましょうと、誘ってくれました。実に20数年ぶりでした。人工林との違いを知るためにと連れて行ってくれた思い出の場所再訪です。影響力ある媒体に原稿を書くのなら、原点に立ち返って、現場を取材すべし、との親御心ならぬ先輩心からでした。有難いことと感謝しました。お陰で、力作を書くことが出来たと自負をしています。

 

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【32】政治は30年前に舞い戻ったのかー川上高志『検証 政治改革ーなぜ劣化を招いたのか』を読む/5-2

 

 昭和末から平成初頭にかけて政治改革の嵐が吹いた。あれから30有余年。当時の人々が期待した方向に政治は変わったのか。共同通信の記者である著者が具体的事実を分析し、検証をした。この種の本をここでも幾冊か取り上げてきた。それらは、政治学者によるものが多く、30年経って政治改革を改めて必要とする事態に舞い戻ったようだとの認識で一致していた。この本は、大筋同様の展開がなされているが、現場を見てきた政治記者によるものだけに迫力が違う。結論は「政治改革」どころか、無惨な「劣化」で、「『政治主導』が『強すぎる首相官邸』となり、野党の弱体化と併せて『一強多弱』と呼ばれる政治状況に至っている」と。この期間、プレイヤーの一人として生きてきた私は、深い無念さを抱く。ここでは、公明党の役割に絞って考えてみたい◆30年前の「政治改革」では、38年続いた自民党「一党独裁」から、より交代が可能な仕組みに、と小選挙区比例代表並立制が導入された。確かに政権交代は2009と2013年の二度起こったものの、その前後20年余は自公連立政権が続いている。著者はその原因に、野党の迷走と「補完勢力」としての公明党の存在などを挙げる。「公明党が政策的には違いを抱える自民党を支えることで、政権交代の可能性を小さくしているのは確かだろう。それが、政治の『責任の帰属の明確化』にマイナスに働いている側面は否定できない」というのだ。例えば、「もり、かけ、さくら」と揶揄される自民党中枢の〝犯罪的行為〟を、一昔前の公明党なら許すはずはない。厳しく追及したに違いない。また、「安保法制」のような違憲の色彩が濃い政策にも同調はしなかったはずである。それを玉虫色決着にした。これらによって政権交代は遠のいたとの指摘は間違ってはいない◆この辺りをどう見るか。政策の違いがあっても連立を解消しない公明党には、支持者間でも賛否両論がある。連立解消をすることは、政治の混乱を招くだけ、「安定」が全ての根幹だとの見方が連立持続賛成論だ。一方、「改革」あってこその中道政治、本旨を曲げてまで与党であろうとするのは無理があるとのスタンスが連立一旦離脱論だろう。私は、後者の立場に立つことを『77年の興亡』で表明した。勿論、「改革重視」に主眼があり、「連立離脱」が目的ではない。「改革を忘れた安定でいいのか」ということにつきる。その意味では、安倍政権末期の権力悪用と見る他ない、一連の〝首相の悪事〟には厳しい批判の刃を向けて欲しかった。他方、安全保障分野では、徒にブレーキばかりをかけるのが能ではなく、歯止め付きの推進力も講じる必要がある。ここを見定める複合的視点がこの著作にない。この点は惜しまれる◆最大のポイントは、最終章の「新・政治改革に向けて」である。ここでは、選挙制度、政党、国会の改革と、公選法など現行制度や政官関係の見直しをすることで、国民との信頼を回復すべきだと貴重な問題提起をしている。しかし、いずれも解決に時間がかかる。手っ取り早く「新しい政治改革」に着手するにはどうすればいいか。私は、自公両党中枢が長期的課題を恒常的に議論する場を設けることが最優先されるべきだと思う。憲法、財政、エネルギー問題などを巡って、腰を据えた議論をすることである。ここを曖昧にしたまま、「連立維持のための安定」のみに捉われていると、国家の方向を誤ってしまう。まず虚心坦懐に改革の方途を自公両党が議論する。ここから日本の政治の風景がぐっと変わってくるはずと確信する。(2022-5-2)

 

 

 

 

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