Category Archives: 未分類

(第6章)第2節 他国にない厳しさが特異な国を作る━━大石久和『[新版]国土が日本人の謎を解く』

 「国土」から説き起こす「日本人論」

 この本の著者・大石久和さんは国交省を退官後20年近く「国土」にまつわる関連機関に関わってきた。その人によるとっておきの「日本人論」である。彼は私と同い年。しかも郷土を同じくする。その上、畏友・太田昭宏元公明党代表と、京大「土木」で机を並べた間柄というから公明党理解は年季が入っており、深い。

 21世紀劈頭、私が衆議院国土交通委員長を拝命した当時、この人は道路局長だった。国会議員として既に8年ほどが経っていたとはいえ、私は全く未知の分野の委員会を仕切らねばならぬとあって、緊張した。観光庁、海上保安庁、気象庁や北海道開発局など多岐にわたる業務について、その道の達人たちが優しく手ほどきをしてくれたが、そのうちの一人が大石さんであった。懐かしい日々を瞬時思い出す。

 実はもう一人、同じ昭和20年生まれの河川局長がいた。文明評論家として今や名高い竹村公太郎さんである。この人は役人時代からペンネームで業界紙にあれこれと書いていたし、退官後は一気に作家への道に邁進された。2003年には早くも『日本文明の謎を解く』を著すなど、次々と興味深い作品を発表してきた。私もそのうち何冊かを小欄で取り上げてきたものである。大石さんの方は10年ほど遅れて〝物書き稼業〟に参入されたことになる。この本は数年前に出されたものの新版ということだが、私の著作をお送りしたお返しのようにいただいた。喜び勇んで読むに至った。期待に違わず大いなる刺激を受け啓発されている。

 若者への対中誤認識に警鐘ならす

 この本は「日本人が長い歴史の中で国土の自然条件から得た経験を他国と比較し、日本人の強みと弱みを解き明かしたもの」である。私は第2章「なぜ『日本人』は生まれたのか」に強く惹きつけられた。そこでは「日本人」を育んだ10の条件が列挙されている。①不便な形②一体で使いにくい③分断される④土砂・土石流災害が襲う⑤可住地が分散⑥近代的土地利用がしにくい──などなど。他国にないこれらの厳しい国土の条件が重なり合って、特異な日本と日本人が作り上げられてきたことを克明に解き明かす。さらに、大陸との距離と、台風の通り道に弓状の形で存在する位置を付け加える。これらが孤立、独立した文明を可能にし、飢饉をもたらし、黒潮の流れの中の「るつぼ」を生み出した。著者はこの章で、日本は中国文明の影響を受けただけの辺境の民族である、と誤認識している多くの若者に強い警鐘を鳴らしている。ぜひ未来を担う彼らに読んで欲しいものだ。

 以下に続く各章で、「世界の残酷さを理解できず」に、「権力を嫌う」うえ、「長期戦略がない」などと言われる日本人の特徴が中国や欧米と比較されていく。数多の知識・文化人たちの著作の一節を引用しながらの説明はまことに分かりやすく、適切で示唆に富む。そんな中、内外の経済学者への不信感とでもいうべきものが随所に顔を出す。社会資本をめぐる誤解や曲解をもたらす原因がメディアや経済学者の無理解にあるとの持論の展開である。従来から経済学の偏向に疑問を抱いてきた私としては、強い共鳴を禁じ得ない。

 最後に大石さんはいわゆる戦後民主主義教育が、いかに本来の日本人のありようを歪めてきたかを指摘している。そのくだりが興味を惹く。「日本人の強みは集団力」にあることを強調しているのだ。「参加意識、当事者意識を持った組織構成員の集団パワーがこの国を再生する」という結論にも私は全面的に賛同したい。尤も、私の場合は、国境を越えた壮大な民衆パワーを発揮しつつある創価学会・SGIが、日本と世界を再生させることに期待するところ大なのであるが‥‥。この辺りについての論及は、また別の機会に期待したい。

【他生のご縁 同世代の国交省ゆかりの仲間】

 国土交通省と公明党の関係が極めて深いものになっていることは、大臣を連続して7人も送っていることでも分かります。衆議院国土交通委員長を務めたに過ぎない私ですが、友人が省内、OBに未だ幾人かいます。彼は公明新聞にも寄稿してくれ、多くの固有のファンがいるほどなのです。

 経済学については、大石さんは、公共事業のあり方をフローとでしかとらえず、ストックで見ようとしないメディアをも批判しています。私の「経済学者批判」は、学生時代から今に続く「経済学オンチ」に由来する偏見に満ちたものとの自覚がありますが、ここで大石さんの応援を得て力強く感じます。

 退官後は活発に行政をバックアップする講演や執筆活動に力を注いでおられます。同じ世代として、大いに共闘を誓うものです。太田元代表を交えて、大石、竹村、そして私も加えて貰い、日本の国土をめぐる座談会でも開き、本に出来たら面白かろうと思っていますが‥‥。

 

Leave a Comment

Filed under 未分類

(第6章) 第7節 失敗から学ぶ仕事の手ほどき━━黒江哲郎『防衛事務次官冷や汗日記』を読む/2-7

「Dことば」に「さしすせそ」

 元防衛事務次官が自分の失敗談を書いた、との新聞広告を発見した。長く外交安保分野に関心を持ってきた者として、「黒江哲郎」の名は明確に覚えている。私より一回りほど歳が違うので、付き合う機会はあまりなかったが、実直さが漂う佇まいと、人気米映画の『24時間』に登場する「クロエ」と同一名とあって、妙に忘れ難い。防衛省の事務方トップに上り詰めた人が「失敗だらけの役人人生」なるサブタイトルのついた本を出すとは。読む前に失敗の中身を邪推して心配しなかったといえば嘘になる。旧知の防衛官僚、自衛隊幹部のさまざまの顔が浮かび、複雑な心境になった。人の失敗談は面白いが、国家の安全を司る役所の裏事情を暴露して大丈夫なのか、との危惧を抱いたのである。

 時系列での章立てのため、最初の頃に登場する若き日の黒江さんの失敗談は実に興味深い。立ちくらみでフロアに昏倒したとか、車の中で、大臣に醤油を浴びせたといったことから、総理大臣やら、防衛大臣、先輩幹部に怒鳴られた出来事が次々と出てくるのだ。そんな中にさりげなく、政治家との付き合いにおいて、使ってはいけない「Dことば」やら、相手を乗せる「さしすせそ」といった言葉の使い方が挿入されている。つまり、「ですから」「だから」「だったら」は、相手を怒らせるし、「さすが」「知りませんでした」「凄いですね」「センスありますね」「そうなんですか」は、逆に喜ばせるというわけだ。理詰めで相手を屈服させる愚かさを説くくだりなど、身につまされる。

 〝男の器量表〟か〝村の掟集〟か

 この失敗談は、同時に相手側の人物査定にも繋がっている。醤油を浴びた大臣の対応の仕方を始め、必要以上に怒った人、逆に優しい言葉をかけてくれた人物などが散りばめられており、さながら〝男の器量評〟の感もする。知っている人ばかり出てくるので興味津々にならざるをえなかった。そう、この本は遅れてきたる後輩官僚たちへのこよなき教訓集であると共に、政治家の嗜みにも深く関わる〝村の掟集〟かとも読める。我が後輩たちに読ませたい。そして、官僚、政治家の世界だけではなく、世の中全ての働く人たちへの〝仕事の手ほどき〟にもなっている。「冷汗三斗」の体験談を読むうちに、この国の「防衛」の実態が縦横斜めから分かってくる仕掛けだともいえよう。

 この人は「南スーダンPKO日報」問題で、次官を引責辞任した。「自分の能力に対する過信の裏返し」で、「いつの頃からか、議論の際に相手の主張に耳を傾けるよりも、自分が正しいと考えるところを主張することばかり考えるようになっていた」と、「謙虚さを欠いていた」ことが失敗の原因だと、締め括っている。この問題は私には、当時の大臣の未熟さに全てを帰すところなきにしもあらずだったので、逆に彼流の謙虚さが浮き彫りなった感がする。最後になるが、この本の中で、公明党及び議員のことが3箇所出てくる。いずれも、温かいまなざしで貫かれた記述で、その優しさに改めてホッとする思いだ。さて昨今、優秀な大学生が就職先に官僚を志望しなくなったと聞く。この本が世に出回ってどうなるか。大いに気になるところだ。

【他生のご縁 解説を担当した新聞記者】

 この本について、私は当初危惧を抱いたことから書き出しています。恐らく、著者としては、この私の書き振りは不本意だと誤解するのではないかと〝危惧〟していました。案の定というべきか、黒江さんは、冒頭を読み「身構えた」といいます。後に批判めいたことが続くことを予想したのでしょう。しかし、そうではなかったことにホッとしたという意味のメールが届きました。タイトルから、あたかも防衛事務次官のゴシップ集であるかのような印象を受けたことを素直に私は表現したのですが、いささか不味かったようです。

 「政策は、政府が無機質に決定しているのではなく、生身の人間が努力を積み重ねて作り上げています。そうした政策決定過程の実態をお伝えできればと思います」というのが本心なのですから、サブタイトルは、『失敗から透けて見える政策決定過程』というあたりにして欲しかったと思っています。

 この本は、元防衛官僚を中心に作るサイト『市ヶ谷台論壇』での連載を、朝日新聞の論考サイト『論座』に転載されたものです。その辺を含め藤田朝日新聞編集委員が読み応えのある「解説」を書いており、大いに関心を持たせます。とりわけ安倍元首相に「厳しい刃」を向け続けた同新聞社の媒体に元事務次官の論考を載せるのは、元職同士とはいえ、それなりの苦労があったと思われます。当然ながら「平和安全法制」のくだりでは、きっちりと批判の矛先が元首相に向けられております。

 実はこの人は衆院憲法調査会の欧州視察団の随行記者。その一員だった私とは20年ほどの繋がりがあります。鋭いと定評のある敏腕記者です。そういう観点からも読む楽しみがありました。

 

 

 

 

 

 

Leave a Comment

Filed under 未分類

【19】5-⑦ 想像を絶する生き物の一瞬━━安藤誠『日常の奇跡─安藤誠の世界』

◆クマの談笑、ツルのダンス、フクロウの頬擦り

 「生きてるってことは実は奇跡の連続を経験していることなんです」──初めて安藤誠さんの「映像&講演」を芦屋市で開かれた講演会でのスライドやユーチューブを通して見て聴いた5年程前に強く印象に残った言葉である。それに刺激され、私の回顧録ブログは『日常的奇跡の軌跡』と名付けることにした。

 北海道阿寒郡鶴居村に根城を置き、日本中を駆け巡る写真家でアウトドア・マスターガイドの安藤誠さんと私は、一般財団法人「日本熊森協会」の顧問を共に今も務めている。その履歴は私の方が古いが、新しく加わった安藤さんの影響力は遥かに強く深い。講演を幾たびか聴き、釧路湿原近くにある、彼の経営する宿泊施設「ヒッコリーウィンド」にも行った。その人物の奥深さに傾倒してきた私だが、改めてその成り立ちをこの本で知って深い感動に浸っている。

 表紙は、人間のような表情をしたクマの顔をアップで撮った写真である。170頁に及ぶ本文の中に、兄弟と思しき二頭のクマの談笑する立ち姿、数羽のタンチョウヅルたちのダンス、つがいのエゾフクロウの頬擦り、凍った樹液を必至に舐めるシマエナガ、二羽のフクロウがじっと見つめる前を跳ぶように逃げるリス、サクラマスの滝登り、カメラに向かって威嚇するキツネの夫婦といった、動物や鳥そして魚のおよそ私たちが見たことのない一瞬の仕草を捉えた写真が次々と登場する。

 彼の講演会ではこれらの写真と映像をたっぷり見せて貰ったものだが、改めてその奇跡ともいうべき一瞬の姿に圧倒される。国際的な野生動物写真コンテストや自然にフォーカスした写真コンテストに幾たびも入賞している凄腕の作品については何度見ても息を呑むばかりである。

◆湿原の夜に野鳥や動物たちの音楽会

 「ご縁を歩く」と銘打たれた第一部では、クマを始めとする動物や自然との、幼き日の出会いが語られ、「栴檀は双葉より芳し」を強く実感するばかりだ。塾講師から大工になる青年期の苦労談では、出会いの不可思議さを味わう。とりわけ、お金の工面で行き詰まった時に、泣き喚くかと思った奥さんが「ふーん、で、今日何食べる?」と言ったくだりには思わず吹き出した。「こんな大変な時にどういうこと?」と逆ギレする彼に、彼女は「そんなこと言ったって仕方ないでしょ?でも、お腹が減ったっしょ?」とのやりとり。彼は「その時に思ったことは、この人には逆立ちしても絶対に勝てないんだなということでした」と。とてもチャーミングな彼女を知っている私だけに、この場面にちょっぴり羨んだしだい。

 この人は、写真家でガイドという本業以外に、自転車、バイク、ギター、陶磁器など多彩な趣味を持ち、それぞれの道に師匠や仲間がいる。第二部「 安藤誠の世界」ではそのことが愛おしげに語られ、ぐいぐい引き込まれる。そして第三部「ヒッコリーウィンドのネイチャーガイド」では、星空の下でのカヌーという幻想的な風景を始め、湿原の夜における野鳥や動物たちの音楽会、神様きつねの話などが、臨場感たっぷりに描かれ魅惑する。中でも空は晴れているのに突然雷が光り始めた時の描写が凄い。【モニターに映し出された映像に思わず叫んでしまった。それは小さな天使のような女の子に見える雲が稲光を雄阿寒岳のほうへ優しく包み持ち運ぶかのような光景。神々しい光はまるでカムイの矢のように見える】と。そう、この人は文章もまた実に巧みなのだ。この本を読んで、どうしてももう一度、かの地にたまらなく行きたくなった。

【他生のご縁 一目会って話を聞いてとりこに】

 北海道知床岬で観光船が沈没するという悲惨な事故が先年あり、多くの悲しい犠牲者を出してしまいました。実はこの場所近くに、私は安藤誠さんの案内で陸路行ったことがあります。ヒグマが大勢の見物客やカメラの放列の前で悠々とマスを捕まえ食べるシーンをじっくりと見せていただきました。まさに、奇跡の連続であったことを今懐かしく思い起こします。

 実は私が彼に紹介したもうひとりの男がすっかり捉われてしまい、大変な友情を結ぶに至っています。この人物は転勤で東京から札幌勤務になり、釧路をしばしば訪れるようになりました。ご両人を知る私は2人はきっとウマが合うと睨みましたが、案の定でした。安藤さんが講演のたびにいかに意気投合したかに触れていることを仲間から聞いてその都度驚きます。

 釧路湿原を案内された時に、私の歩き方を見て疲れていることを瞬時に見抜かれました。あれこれ気遣いをして頂いたことを思いだします。宿泊施設の前庭でキャンプ場さながらの雰囲気の中で彼が作ってくれた手料理の旨さも忘れ難いものがあります。野生動物の一瞬の生態をカメラに納め続ける腕からすれば、私のような柔な都会人の心の中を見抜くことなど赤子の手をひねるようなものに違いないと、出会うたびに畏れを抱くしだいです。

 彼の母上は著名なデザイナーで、鶴居村で作品展示ショップを開いておられます。そこに立ち寄り、私にはとても高価なアイパッドケースを買ってしまいました。いつも彼に見守られている思いで満足しています。

 

 

 

Leave a Comment

Filed under 未分類

【18】風化する「戦争への感性」ー伊藤絵理子『清六の戦争ーある従軍記者の軌跡』を読む/1-22

 人と人が殺し合う戦争ー日本はそれを起こした結果、敗れてひとたび滅びた。今から77年前のことである。私はその年・1945年(昭和20年)にこの世に生を受けた。いわゆる戦記物は数多く読んできたが、いつの日か読まなくなった。読んでも気分が晴れないからである。新聞記者である著者が、自分の祖父(従軍記者)の戦争報道を追ったドキュメント風のものを久しぶりに読んだ。「戦争の描き方に、この方法があったとは!」と感嘆する加藤陽子東大教授と同様に、私も珍しさに惹かれたのである。戦場になった中国の人びとと、そこまで彼らを殺しに行った(結果的に)日本人。改めて隣国同士の不幸な歴史と位置関係に考え込まざるをえない◆私が直接聞いた「戦争体験」は、我が父母の従軍した兄弟たち3人からだ。うち一人は陸軍少年航空兵に志願し従軍、フィリピンマニラのイポで片腕を失って帰ってきた。その叔父の肩先から伸びた装具の先端の〝鉤型の手〟と共に、忘れられない言葉がある。「マニラ湾に沈み行くあの大きくて美しい太陽を見たことのない人間に戦争を語る資格はない」ー新聞記者として安全保障問題に取り組みはじめていた私に、投げかけられた。戦争を知らない世代が何を論じても、結局は空理空論に過ぎない、と言いたかったのだろう。マニラの夕陽と重ね合わせたところに、その叔父のリアルを感じて、黙るしかなかった遠い日を思い出す◆この本の著者は同じ新聞社の先輩記者だった祖父清六の足跡を丹念に掘り起こし、南京へ、マニラへと足を運ぶ。あの「南京大虐殺」の現場に行き、「捕虜の殺害」に関わる清六の報道の痕跡を追ったくだりと、著者が自身の子どもと一緒に訪れた「記念館」での体験には息を呑んだ。「清六は南京で何を書いたのか」ーこの一点に著者の関心は集中し「必死になって記事を探し続けた」ことは当然だが、結局見出し得なかった。その空白を埋めるかのように、南京事件を伝える記念館での体験が語られる。「報道統制の中で戦場の惨状を伝えなかった記者たちが、虐殺などを行った『加害者』の一員であるという事実は重い。日本軍が中国人に対して行った非道な行いを目の当たりにし、私は申し訳なさといたたまれなさを抱えたまま、記念館を後にした」と◆一方、フィリピンでの清六の足取りは、陣中新聞『神州毎日』を洞窟等で発刊し続けた後、マニラ東方のヤシ畑で栄養失調での最期を迎える。「神州毎日は将兵愛好の的で至るところ引張凧であった」との記述が清六の彼の地での日常を物語っていると、私には見える。著者は、末尾近くで「どうすれば、戦争をあおる記事を書かずにすんだのだろう。故郷を遠く離れた場所で死なずにすんだのだろう」と、問いかけ「戦争へと時代の流れを推し進めた記者の責任は重い。そして、私自身を含む誰もが『清六』になりうることに身震いする」ーこの本の流れと結末を読み終えて、どうしてこれが二つものジャーナリストを称える賞を受賞したのか。正直いって私には分からない。75年前の記者を今の記者が追う旅に出た記録。一呼吸終えたのちに、この顛末にさして感じない我が感性の衰えー「風化する戦争体験」に愕然とする。さて、イポの戦闘で重傷を負い、米軍医に片手切断の手術を受けた我が叔父。その子や孫はこれをどう読むか。そして貴方ならどう読まれるか。(2022-1-23 一部修正)

 

Leave a Comment

Filed under 未分類

【17】創造の触媒になった日蓮の思想ー高橋伸城『法華衆の芸術』を見て、読む/1-16

 読み終えて、立ち込めていた霧が晴れ渡ったような爽快感が込みあげてきた。高橋伸城『法華衆の芸術』である。通常の本よりひとまわり大きいハードカバーで、芸術を説くものらしく鮮やかな写真が随所に盛り込まれた素晴らしい佇まいを持つ。昨年末に出版元の第三文明社に親しい先輩・大島光明社長を訪ねた際にいただいた。「とても良い本だよ」との言葉とともに。新年明けの数日に見て読んで私の長年の仏教美術に対する引っ掛かっていたものが払拭した。仏教美術というと思い起こされるのは仏像である。そして水墨画にみる山岳風景であろう。かねて私はそれらを西洋の宗教美術一般に比して、漠然とだが〝粋でないもの〟と受け止めてきた。あたかも讃美歌と読経の差のように◆この本では、『鶴図下絵和歌巻』(本阿弥光悦)、『源氏物語関屋澪標図屏風』(俵屋宗達)、『唐獅子図屏風』(狩野永徳)、『楓図壁貼付』(長谷川等伯)、『雪中梅竹鳥図』(狩野探幽)、『風神雷神図屏風』(尾形光琳)などが、法華衆の芸術として取り上げられている。更に、もっと一般の目に触れる、あの葛飾北斎、歌川国芳らの絵も。この作家たちが何と、皆日蓮大聖人を慕い、法華経を生活の根本にしていたという。恥ずかしながら知らなかった。安倍龍太郎の小説『等伯』をのぞき、関連する表現との出会いはこれまで私にはなかった。美しい一連の屏風絵や絵図を見ながら、ただ唸るしかなかったのである◆この本の著者・高橋伸城さんは新進気鋭の「ライター・美術史家」である。「大切な人の無事を祈らずにはいられない」「 絵であれ、彫像であれ建物であれ、ものを作るという行為もまた、広い意味での信仰と無縁ではありません」との印象的な文章で始まるこの本は、法華衆による芸術を初めて世にまとまった形で提起したものと言えよう。これまでの仏教美術の常識的見方をぶっ飛ばす勢いと価値がある。まず13人の法華衆の作品群が感性を大胆にくすぐる。そのあと、西洋に広がった法華芸術の展開から、現代美術家の宮島達男氏との対談、河野元昭東大名誉教授へのインタビューが続き、理性を鋭く刺激する。〝絵解き〟〝文字解き〟〝理屈解き〟で、三重奏に酔いしれる思いだ◆「爾前の経々の心は、心のすむは月のごとし、心のきよきは花のごとし。法華経はしからず。月こそ心よ、花こそ心よと申す法門なり」ー手段としてでなく、見る対象そのものズバリを美と捉える、日蓮大聖人の「白米一俵御書」の有名な一節だ。今生きている時代と場所を肯定する法華経の考え方は、宮島氏が言うように「この世にある素材を使い、この世でものを作り上げる造形美術と結びつきやすかった」し、「(日蓮の)革新的な姿勢は、惰性と見分けがつかなくなった〝伝統〟を打破しようともがくアーティストたちにとって、強力な指針になった」と思われる◆こう解説されて得心はいくものの、造形と宗教・思想との関係がこれまで殆ど問題とされてこなかったのはなぜなのか。6年余り前から「芸術創造の触媒となった日蓮の思想」に着目してきた河野氏は、その2つを分けてみがちな学問領域の問題や、宗教と時代の関わりの濃度の差があるとしたうえで、「端的にいえば、実証が難しい」ことに原因があるという。作者たちが、制作にあたっての心境などを語っていない限り、確かにそうに違いない。研究は「まだ緒についたばかり」で、鈴木大拙氏による禅宗のインパクトや、浄土宗的仏像美術の流布に比べてはるかに遅れている。であるからこそ、大いなる希望が水平線の彼方から顔をだす太陽のように沸き起こってくる。わくわくしながら時の到来を待ちたい。(2022-1-16)

 

 

 

Leave a Comment

Filed under 未分類

【16】めくるめく池田思想の展開序曲ー創学研究所編『創学研究1ー信仰学とは何か』を読む(下)/1-10

 「仏教では、イエスの復活のような非現実的なことは説かない。こういう人もいるでしょう。しかし、そんなことはありません」ーこの本では随所で〝面白い発言〟が発見できるが、最も私が感じ入ったのは、この松岡氏の見解(第二部「信仰と学問の間でーそれぞれの人生体験から」)である。以下、こう続く。「仏教教典を読むと、非現実的な出来事は随所で説かれています。原始仏典に出てくるブッダと神々や悪魔との対話、法華経に説かれる虚空会の儀式などは、およそ非現実的な出来事というしかありません。その点ではイエスの復活と変わりないのです」。いやはや、よくぞ言ってくれた、と多くの人は思うに違いない。この当たり前のことが長く私たちの周りから聞かれることはなかった◆「キリスト者は二重人格」ー私が創価学会に入った50年余り前には、こう無批判に切って捨てることで、よしとしてきた。それが、「我々仏教者も、佐藤さんが言うように宗教的事実と歴史的事実を立て分けて理解する必要があります」との見解が素直に身の内に入るようになり、キリスト者ともまともに対峙できるようになったのである。これこそ、ここ数年の佐藤優、松岡幹夫両氏の功績に依るところが大きい思われる。尤も、これまでの他宗教批判は、日蓮大聖人の「四箇格言」を勝手に拡大化したものともいえ、取り扱いには注意を要する。日本における仏教理解は、伝来してより1500年足らず経っても、未だ充分になされているとは言い難いのである◆創価学会的世界に安住してきた私のような人間にとって、この本における黒住真、未木文美士、市川裕氏ら宗教学、哲学者の皆さんの指摘は極めて新鮮に聞こえる。例えば未木氏の「(現在の創価学会が)『池田教』のようになってきたのではないか」と、従来は伝統仏教の側面を有していたのに、現状では「純粋な新宗教になって」いる、との危惧を述べているくだりをあげよう。松岡氏はこれに対して、御本尊も、勤行の形式も、御書の解釈も基本的に変わっていないとしたうえで、「要するに物の見方が変わったのです」として、「池田先生の仏教解釈が一切の基準になっています」と明言している。池田思想の本格的展開を待望してきた者にとって、これ以外にも実に興味深いやりとりがなされていて、刺激的だ◆一方、一創価学会員として注目されるのは、第三章における「御書根本」と「信仰体験」に関する記述である。蔦木栄一氏は「池田先生の著作に見る『御書根本』について」の中で、「ただ御書を読むだけでは不十分であり、師弟の精神がなければ御書を身で読むことができない」として、『人間革命』『新・人間革命』から御書についての記述を丹念に拾い上げており、参考になる。私のような些かへそ曲がり的信仰者は、ややもすると、大聖人の御書の核心部分が眩しく見え、「身で読む」ことをためらいがちになる。大聖人の壮大な大確信から発せられる言葉を、時に〝独特の誇張表現〟と見てしまうこともある。この辺り、松岡氏の「学会精神の日蓮大聖人」との表現に見られるように、「超越性と現実性」を併せ見ることが必須なのだろう。最後に、山岡政紀氏の「『新・人間革命』に描かれる地涌の菩薩たち」には唸った。今私がブログに連載する「小説『新・人間革命』から考える」では、気にはなりながら、信仰体験部分をカットしてきたからだ。ともあれ、この本は今に生きる創価学会員にとって必読書だと心底から思う。(2022-1-10)

 

 

 

 

 

Leave a Comment

Filed under 未分類

[15]積年の気掛かり吹き飛ぶー創学研究所編『創学研究1ー信仰学とは何か』を読む(上)/1-8

「創学」とはまた聞き慣れない言葉である。キリスト教における「神学」と相関関係にあるものとされる。創学研究所は、2019年4月に設立された。松岡幹夫氏が中心となって立ち上げられたもので、この本が「創学」の出発点であり、現時点での研究所産のすべてになるものと見られる。意欲的な論考や対談、鼎談が満載されており、知的興味を超えた信仰的刺激をたっぷり受けることが出来た。松岡さんの著作についてはこれまで数多く読んできたが、『日蓮仏教の社会思想的展開ー近代日本の宗教的イデオロギー』が最も印象に残っている。作家でキリスト教神学に造詣の深い佐藤優氏との〝二人三脚的関係〟も、昨今つとに知られているが、この本では改めてその絆の深さに感じ入った◆この本を通して、多くの発見や気付きがあったが、ここではほんの一例を挙げてみる。それは「信仰的中断」との概念についてである。これまでの56年を超える信仰生活で、常に私の頭を離れなかったのは、理性的思考と信仰との両立である。疑うことと信じることは正反対の位置にある。日常的にも「思考停止」は悪とされ、考え続けることの重要性は自明の理である。それを日蓮仏法の門を叩く際に、仏の教えは、はなから正しい、その通りですとの姿勢から出発すると聞いて、抵抗感がなかったかというと嘘になる◆しかし、下世話な言い方をすると、文字通り試しにやってみたら、良い結果が出たがゆえに、あれあれっていう感じが続く中で、今があるというのが偽らざる実態である。その仕組みについて、こう説明されている。「あえて、我々は信仰は思考の中断から始まると訴えたい。その意図は自己自身の思考の方法論的死である。決して思考の全面的停止ではない」「思考再生のために、自らの小さな思考を方法論的に殺す。それゆえ、信仰的『中断』と称し、思考停止の一時性を強調する」ーこの解説を読んで、なるほどと心底から得心がいった。折伏の場面で、「下手の考え休むに似たりだよ。我見を一旦捨てて、こっちの話を聞きなよ」と言ってきたことを思い出す。「信仰的中断」をめぐるこの本での絶妙の言い回しに深い感動を覚えるのは私だけではあるまい◆尤もこれは、入り口の段階でのことであって、一旦中に入ると、武芸の道と同じように先達の教えに従うしかない。つべこべ言わずに、ひたすら練習して、基本の繰り返しをするだけである。ただ、この最初が肝心で、一つ間違うと負のスパイラルに陥る。であるがゆえに、皆躊躇するのに違いない。私の場合はレアケースかもしれないだろう。この偉大な仏法にめぐり合い、池田先生という稀有の大師匠と若くして出会った我が身の福運に大感謝するしかない。懐疑の連続。考えに考え抜く日常生活の中で、随所で「信仰的中断」を織り交ぜるー我が身についたこのリズムを改めて確認できた。これを始めとして、この本では深い思索と信仰実践から紡ぎ出された貴重な「考産」が次々と登場してくる。積年の懸案が一気に吹き飛ぶ思いがしてならない。(2022-1-8)

 

 

Leave a Comment

Filed under 未分類

(第4章) 第5節 基礎科学分野の振興へ「新しい社会的実験」━━大隅良典・永田和宏『未来の科学者たちへ』を読む/1-3

ノーベル生理学・医学賞受賞者の切なる挑戦

 経済的に恵まれない若者たちに、私が資金を提供する基金団体を作って喜ばれている━━数年前に見た初夢で、いまも覚えている。かねて人生最後の望みがそこにあることを、身近な友人に吹聴してきたからに違いない。その年の暮れも押し迫った頃に、姫路出身東京在住の仲間たちの集い「姫人会」が開かれた。その際に、元日経新聞記者から東京工大副学長を経た後に、公益財団法人「大隅基礎科学創成財団」の常勤理事を務める異色の経歴を持つ才人・大谷清さんから、標題の本をいただいた。当時出版したばかりの『77年の興亡』を差し上げた代わりだったので、文字通り物々交換となった。よければ読書録に書いて欲しいとのことだった。

 そういう目的で本を貰うことはあまりないこともあり、喜んで年末から貪り読んだ。2016年にノーベル生理学・医学賞を受賞した大隅さんは、冒頭に書いた私の夢に近いものを既に見事に実現されている。卓越した文筆家でもある著名な生物科学者の永田和宏さんの興味深い論考と、友人お二人の対談を織り交ぜた本だが、実に面白く楽しめた。私のような老政治家が読んでも貴重な〝気付き〟が幾つもある。科学に近寄りがたいものを持つ全ての人たちに勧めたい好著だ。

 大隅さんがこの財団を作るに至った背景には、基礎科学の分野が危機に瀕している現実がある。国のお金にだけ頼らず広く寄付を募り、基礎科学の理解と振興を目的としての、眼を見張るべき挑戦だ。これは「新しい社会的実験」だとする大隅さんらの試みである。それへの宣伝の役割をこの本は持つともいえよう。大いに啓発された。遠い昔に、父親から『なぜだろう なぜかしら』という本を買って貰ったことを覚えている。科学的なものの考え方に興味を持つきっかけを作ってくれようとした親心だったはずだ。だが、後に高校時代に、いわゆる出来のいい友人たちの多くが理系志望だったことに反発する思いもあって「試験管を動かすよりも、人の心を動かす」のだと、私は心密かに息巻いた。そして政治学の門を叩いた。

 日本の政治の劣化ぶりをも指摘

 以来、半世紀近くが経って、国会の場で、基礎科学への財政的支援をするべし、との気運が公明党内でも起こり、私もその気になったものである。しかし、結局は確かなる手応えの結果はもたらすことができなかった。大隅さんは恐らく政府、政治家に頼ることを諦めて、自ら財団を作る決意をされたのだろう。日本人が総じて「議論」が苦手であることはもはや通説だが、この本ではその代表例として政治家のケースが挙げられている。「いま議論の虚しさを感じさせる場面は国会かもしれない。議論が破綻していることは誰の目にも明らかだ。日本の政治の劣化は著しい」──この指摘は悔しい思いもするが、文字通り的中している。

 この本の二人の著者は私と同世代。様々な意味で現代日本についての思いは共通する。国会、政治家の劣化を指弾されて、人生をこの分野だけで生きてきた者として、恥ずかしくないかと言えば嘘になる。残念ながら同調する気分は抑えがたい。いったいどうしてこんなことになってしまったのか。大隅さんは、テレビで映される国会中継を見て、「議論の中から新しいものが生まれる生産的な活動だと実感することはできようもない」と手厳しい。

 私は先に出版に漕ぎ着けた自著の最後に、国会議員の質問を査定する機関を民間で立ち上げる提案をしている。色々と障害はあっても、やってみる価値はあろう、と。基礎科学への支援を広く呼びかける試みに見倣って、今の国会、政治家を建て直す企てへの支援を呼びかける財団でも作ってみたい。これは〝正夢〟にしたいのだが。

【他生のご縁  高中小の子どもたちとの語らい】

 大隅さんが姫路にやってくるので、科学好きの高中小生たちを集めて欲しいとの要望を受け、関係筋に声をかけると共に、自分も大いに楽しみにしていました。その日は会場いっぱいに詰めかけた子どもたちとの質疑応答。「ノーベル賞を取るにはどんな勉強をすればいいのですか?」「壁にぶつかった時には、どんな気持ちでしたか?」と言った質問に丁寧に答えていました。「苦手だからやらないとか、役に立つからやるという観点だけではいけないよ」「私のこれまでの道は失敗ばかり。失敗を恐れてはいけないよ。何をそこから学ぶかが大事です」などと、大人にも通用する大事な話でした。

 「ミケランジェロとダヴィンチとではどっちが好きですか?」との質問が少女から飛び出しました。即答出来ずタジタジと見える場面も。この人らしい真面目さが伺えて微笑ましい感じになりました。また、最後に高校生から安倍元首相の国葬についての問いかけには「手続きに問題があり、個人的には反対です」ときっぱり。会場を後にされる間際に立ち話。「所属する公明党としては賛成ですが、私も先生と同様に個人的には反対です」と伝えたしだいです。

Leave a Comment

Filed under 未分類

[13]ここに夢あり──フランス人の漫画『失われた田舎暮らしを求めて』を見て読む/12-27

 本年最後にとっておきのl漫画をここで活字で紹介するのは初めてである。どうしても紹介したい特別版なので。著者はWakameTamago(ワカメタマゴ)というペンネームを持つ50歳過ぎのフランス人。本名はフレデリック・ペルーさん。この人を知るきっかけは、姫路市の北端・安富町に住む高校時代から(大学も一緒)の友人山本夫婦である。ご近所に東京から越してきたユニークなフランス人と日本人の夫婦がいる、とのことを聞いたのがきっかけだった。2018年だったか、彼の奥さんも含めて5人で、姫路城三の丸広場での「薪能」の鑑賞に行った。私以外のツーカップルは初めての経験とあって珍しげに見入っていた。楽しい思い出として記憶に刻まれている。そこへ先日突然、山本夫人がそのペルーさんの出版したばかりのこの漫画本を送ってきてくれた。驚いた。

 一読、とてもホッコリした気分になった。と共に、〝Withコロナ〟と言われる時代を先取りした、田舎暮らしの凄い試みに深い感動を覚えたものだ。多くの人に読んで見て貰いたいと、心底から思う。地域再生に向けて様々な議論がかまびすしいが、まずこの本を読むことから考えてみては、と提案したくもなる。西播磨の安富町の山奥で、外国人にどんな仕事ができるのかと、紹介を受けた頃には疑問に私は思っていたが、浅はかだった。パソコンひとつで、どんなところとでもリモートで繋がれることを忘れていた。

 そのあたりについては、既にこの2年で誰もが広く体験済みであることは言うまでもなかろう。彼は、アメリカに本社がある巨大IT企業M社の勤め人なのである。2012年に東京からこの地に移ってきた。同社の仕事の上司と、生まれ故郷のフランスの友人たちと日常的に〝AI 往来〟をする一方、奥深い日本の山あいで牧歌的生活を満喫しているのだった。この漫画本では、その生活ぶりがユーモアたっぷりに事細かに描かれていて、見るものを楽しませてくれる。漫画を描くのは子どもの頃から好きだというだけあって、絵はうまく、とても面白く、挟み込まれるセリフや背景説明が抜群に味わい深いのである。

●色んな動物たちの恩返し

 この漫画の最大の見せ場は、彼の親しい友人の大工さんの咲ちゃんが突然病気で倒れてしまうくだり。常日頃から彼にお世話になった色んな動物たちが次々と恩返しのためにお見舞いにやってくるのだ。大自然の中での人間と野生動物たちの共生の姿。胸を打たれずにはおかない。ファンタジックなシーンの一方、シビアな場面も登場する。東京から引っ越しするにあたって仲介役の不動産屋の〝騙しのテクニック〟や大工さんたちの超のんびりした仕事ぶりなど、大いに笑える。観察力鋭い見事な表現ぶりに関心する。お気に入り朝食が「納豆トースト」だというのは呆れてしまうが。フランスから東京、そして播磨へと移ってきたペルーさんの日常が、いかに豊かであるか。それが村人たちとの交流を通じ、そしてヒルやヤモリたち、ムジナやヤギなど虫類、鹿を始めとする動物たちとの出会いを巡って展開されているのである。

 実は、彼と一緒に宍粟市波賀町戸倉の山奥に、私が理事を務める公益財団法人「奥山保全トラスト」の仲間たちと一緒に、〝トラスト地ツアー〟の一環として、植樹を兼ねて森林の実情を見に行ったことがある。3年半ほど前のこと。彼にとって、荒廃する日本の森林を知るいい機会だったはずである。この漫画の中に印象に残る杉林が出てくる。「なんかかわいそうだね、杉たちがこんなに立派に伸びたのに、今は価値がないと言われて、そして誰も大事にしてくれない」と言いつつ、杉の幹に人が抱きつく描写が登場する。一緒に行ったあの時の体験と学習が見事に反映されていると感じた。この漫画はフランス語版が先に出て、今回の日本語版になったという。フランス人の感想を聞きたいとの思いが募ってくる。都会暮らしに喘ぎつつ、田舎に憧れる多くの人々に読んで貰いたいとてつもなく心に染み込む名作漫画だと思う。

【他生の縁 播磨の山奥で高校同期らと交流】

 ペルーさんとのご縁を取り持ってくれた私の高校、大学時代からの友人山本裕三さんも、ちょっぴり似てます。顔ではなく、生活スタイルが。実は彼の場合は、人生終盤を迎えて、埼玉県大宮市から生まれ育った姫路市安富町に帰ってきました。仕事でイギリスにも長く住んでいましたが、定年後は故郷に戻ってきたのです。ペルーさん、山本さんに共通するのはご夫人の内助の功でしょう。お2人ともとってもすてきな女性で、その支えあってのご両人でしょう。尤も、漫画にあまり登場して来ないのは残念ですが。

 ときどき送られてくるブログに、田舎暮らしは、経済的にいいし、消費者のみの経験から一転、生産者としての視点が得られるなどと書いてありました。第二弾の漫画もそのうち出して欲しいものだと、心の底から思っています。

Leave a Comment

Filed under 未分類

[12]直木賞作家の「聞くも涙」の挑戦ープラ・アキラ・アマロー(笹倉明)『出家への道』を読む/12-22

 直木賞作家が人生に転落したすえに、異郷の地で僧侶になるーこのこと自体が小説のテーマになりそうだが、ご本人の手になる『出家への道』という本を読んだ。著者は、前々回に取り上げた、歯にまつわる対談本の河田歯科医の相手方・笹倉明氏である。この人の本は、出世作を始め何も読んではいない。対談を読んで、団塊の世代の責任を指弾されるくだりが気になり、表題作を手にした。驚いた。比較的若くして大なる賞を得ていながら、身を滅ぼす流れ抗しがたく、多大の借財を負い、妻子(しかも複数組)と別れ、タイへの逃避行に身をやつす◆この本は、構成が一風変わっている。ご本人の転落の顛末と、出家に際しての儀式めいたものの一部始終が交互に出てくる。つまり、前者は奇数章に、後者は偶数章に、といった具合に別けられているのだ。日蓮仏法の実践者たる当方としては、直木賞作家が何故に、破滅の道に陥ったのかも興味あるテーマだし、現代における小乗仏教の牙城ともいえるタイの僧侶の生活も気になる。このため、まずは奇数章を全部読んだ後に、出家式を通してのタイ仏教のさわりを垣間見た。圧倒的に、前者の方が読み応えがあった。いかなる分野であれ、いい調子になってる向きには一読をお勧めしたい。明日は我が身とは言わぬまでも、リアルな〝一寸先は闇〟のモデルである◆そんな中で、私が興味を唆られたのは、団塊世代についての自虐的としか言いようがないほどの論及である。戦後民主主義教育の持つ致命的欠陥が、いわゆる躾けの欠如と無責任なまでの自由放任にあることは論をまたない。学歴至上主義による受験勉強一本槍の教育がもたらした荒涼たる風景は、著者に指摘されずともよく分かる。だが、いかに自分自身がまともな教育を受けてこなかったかを、手を変え品を替えて繰り返し訴えられると、妙な気分になる。「それって、言い過ぎじゃない?ご自分の根本的な性癖を棚上げして、制度や仕組みのせいにしすぎじゃあないか」と◆日本で食いつめて、東南アジアに流れる人が少なくないことは分かるが、現地で僧侶になる人は、この人をおいて他に私は知らない。その意味で、これからどう変化されるかが俄然気になる。奇数章を読んだ限りでは、およそいわゆる真人間になるのは難しいと思われる。仏門に入って5年ほどが経たれるようだが、時々日本に帰り、先に紹介した対談本を出版(これは手紙形式かもしれぬが)したり、またこの著作もものされているということは、俗世間への思い断ちがたいものがあると容易に想像できる。タイで僧侶をしている分において食い繋ぐことは出来ても、それを足掛かりに、物書きへの復帰心断ちがたいのなら、結局は元の木阿弥が関の山ではないかと、思ってしまう。同時代人として、大乗仏教の翠たる法華経に身を挺してきたものからすると、タイで乞食行に励む著者の姿はただただ哀れを催す。勿論、見事に変身され、日本に僧侶として凱旋されることも期待したいのだが。(2021-12-22)

 

 

Leave a Comment

Filed under 未分類