これまで概観してきたように、公明党が安倍政権の背後にある「宗教ナショナリズム」と結託して、日本を再び奈落の底に突き落とす重要な片棒を担いでいるとの指摘は、あまりに皮相的な見方が過ぎ、おかしすぎるというほかない。むしろ左右両翼のはざまで喘ぐ「大衆」を真に救済する中道主義の役割こそ見直されるべきではないかと、これまで述べてきた。ここで、私は冒頭に紹介した「25年パラダイム変換説」よりも、「40年日本社会変換説」の効用を説いておきたい欲望に駆られる。何も数字遊びをしようというのではない▼後者は、作家の半藤一利氏の提起によるもので、前者よりもいささか世に早く出たものと思われる。明治維新から40年後の日露戦争の勝利。更にそこから40年後の太平洋戦争の敗北。で、そのまた40年後のバブル絶頂から崩壊を経て今に至る流れ。このような山あり、谷ありの繰り返しを持ち出すと、大澤真幸氏の説といかにも酷似して見える。第一の40年は、富国強兵の国家目標、第二の40年は、継続ゆえの失敗として捉えられる。第三の40年は、経済至上主義の旗印の下での高揚の時代。これはまた、その後の40年ということになると、2025年まで続くわけだが、この期間が同じ経済優先の御旗のもとで繰り返されてはならない。自然の為すがままに放っていると、少子高齢化社会のピークとしての悲惨が待ち受けていることになってしまう。大澤説も半藤説も悲観的な先行きを強調しているという面では同種のものではある。ただ、後者の方は、国の旗印を今からでも遅くないので変えよう、との投げかけを許す余地が未だしもあるように思われる▼1945年から40年かけた期間における凄まじいまでの経済成長を経たうえでの壮絶なバブル崩壊。その影響をもろに受けた日本社会は、”失われた20年”と揶揄された。いや、その時間幅については、今や25年、30年と20年を超えて、更に伸びつつあるといえなくもない。ほぼ同じ期間を日本国の衆議院議員として、その異名を為さしめたことは今になって思えば無念だ。結果的には無為に過ごしてしまったという他ない身として、ひたすら恥じ入るしかない。あれこれとやってはきたが結局は「失われた」というのでは。この誤りを繰り返さないために、さてこれからどうしたらいいのか。(2016・7・12)
Category Archives: 未分類
(160)宿命的に困難さ伴う政治選択の具体的表現ー『見損なわれている中道主義の効用』❹
この50年の日本の政治を概観したが、公明党という存在が一般的に理解されづらいのは、中道政党だからだともいえる。いわゆる右でもなく左でもないという政治選択。これは民主主義の展開が具体的な姿をとって現われるうえでは、どうしても分かりづらいものとならざるを得ない。政権側の一員として政治的構想や政治選択の是非を問われる場合、イエスかノーで迫られると、注文は多々あるにせよ、結局は政権側の構想にイエスとなりがちである。安保法制を例にとろう。自公協議という水面下の交渉で、公明党は自民党の狙いをめぐって修正をあれこれ主張した。だが、終わってみれば、自民党と大差ないかに見える。公明党内部から、自民党との違いを明らかにしてほしいとの要望がそれなりにあったのは当然だろう。一昨年の閣議決定以降、私は決定に至るまでの経緯をつぶさに公表すべきだと、幾つかの機会をとらえて発言した。そうすることで、公明党がいかに自分らしさを発揮したかがわかるし、自民党との主張の違いが判ると思ったからだ▼しかし、それはついになされることはなかった。せめて党首討論を安倍、山口の党首間でやればいい、それが無理なら自民、公明の安保専門家同士で公開の議論でもやるべしと、たきつけたものだ。ある後輩代議士は「赤松さんの言う通りだが、それをやれば連立が壊れる。いつの日か自公協議の全貌は明らかにするから待っていてほしい」と私へのメールで述べたものだ。ないものねだりが過ぎたかもしれないが、メディアも自公の違いをもっと明らかにする方向を促す努力をすべきだった▼要するに中道主義は政治表現の対象として分かりづらい宿命にあるということをここで指摘している。かつての民主党と、仮に公明党が組んでいたらどうなっていたか。理念的には似たものを共有していた両党だけに、面白かったかもしれない。私には「早く生い立て民主党」と云って、同党の成熟を待ち望んだ頃もあったが、所詮は無理なことだった。勿論「政治の安定」という観点から、そんな”火遊び”のようなことは到底できないのだが。中道主義は本来、機に応じて左右両翼の政治選択と歩調を合わせることがあってもいいはずのものだろう。机上の空論を弄ぶなと云われることを百も承知で、なお口にしてみたい欲望に駆られる▼今のような自公政権が永遠に続いていけば、民主主義本来の政権交代が叶わない。中道主義はここでジレンマに陥ってしまう。理屈の上では、中道主義の政党は、どこかで一方の党の補完の役割を放棄して、もう一方の側の支援に回るということがあってもいいはずなのである。日本の政治の前進のために近い将来そういったことが起こりうるかどうか。そのためには、少なくとも政権を競う片方の政党グループに、世界観を異にする革命政党の本質を持つ共産党が存在することはあってはならない。(2016・7・5)
Filed under 未分類
(159)50年前と本質的には変わらない政治的風景ー『見損なわれている中道主義の効用』➌
公明党が誕生して50年余り。目標とした理想は達成され。「物語」は完結したといえようか。残念ながら否である。右翼に位置付けられてきた自民党は、相対的により洗練された存在感のある政党であるとはいえ、依然として金権腐敗的体質はぬけきれず、その呪縛にとらわれた政治家は後を絶たない。一方、左翼に位置してきた社会党の系譜を受け継ぐ社民党に昔日の面影はない。また、民主党は一たび政権の座を襲うも、あまりにお粗末極まりない運営で天下に恥をさらけ出してしまった。その結果として、いかに隠そうとも革命政党の本質を持つ共産党が左翼の一方の旗頭たろうとする現在は、大衆にとってただひたすら不幸という他ない▼かつて自民党の幹事長を務めたのちに、同党を飛び出し、打倒自民党の闘いをそれこそあらゆる手段をもってして果たそうとし続けた小沢一郎氏。その彼がまさに刀折れ矢尽きた姿でなお一人共産党とまで組もうとしていることは、流石に贔屓目(ひいきめ)が過ぎるとはいOえ、自民党政治の問題点をあらわにしていると見れなくもない▼最近話題になっている元朝日新聞記者で東洋大教授の薬師寺克行氏の『公明党』によると、大衆救済を目的にした公明党だが、当の大衆がかつてのような貧困から脱却し、豊かになったゆえ、そのアイデンティティーを見失い、再構築が迫られているという。しかし、本当にそうだろうか?私はそれは違うと思う。50年経って確かにかつて貧しかった層が豊かになったが、一方で「豊かさの中の貧困」は顕著になり、社会全体を覆う経済的格差の大きさも見過ごすことが出来ないものとなっている▼加えて言えば、元々創価学会の目指した救済対象としての「大衆」とは、経済的側面からのもののみではない。心やからだの健康を含めた全人間的側面を意味するものとしての存在であった。この50年の歳月は、心の病を持つ統合失調症の患者の激増やら引きこもり、登校拒否の子どもたちや若者たちを生み出してしまった。新たな課題の激増に見るように、大衆は一段と厳しい日常的状況に晒されており、救済の手が差し伸べられることをひたすら待っていることに何ら変化はないという他ないのである。(2016・6・30)
Filed under 未分類
(158)公明党が抱く「物語」を知っているか 『見損なわれている中道主義の効用』➋
公明党が結党されたのは1964年。今の政党の中では共産、自民に次いで三番目に古い。今年で誕生して52年目になる。当初は日米安保条約の段階的解消などを掲げ、立派な「左翼政党」であった。しかし、1981年に党内大論議の末に、自衛隊の存在を容認するなど安保政策を抜本的に転換し、現実的な政策に切り替えた。1980年代は「社公民連立政権」を模索するも、不可能なることを覚知するや、90年代後半には自らを半ば解党。大きな勢力構築へと向かう新進党結成に参加した。1999年には、小渕首相の要請に応じて自民党との連立政権に合意。既に15年余りが経つ▼こうした「左から右へ」との大胆な転換、「反権力から政権中枢へ」といった立ち位置の変遷の目まぐるしさから、その狙いを訝しがる向きは少なくない。だが、その変化には大きな筋が一本通っている。それは、「政治を庶民大衆の手に取り戻す」という目的である。その目的の成就のためには”あの手この手”を使うことは厭わず、”手を変え品を変えて”でも迫る。そういった「物語」に生きてきたのが公明党なのである▼この政党は周知のように、池田大作創価学会名誉会長が創立者である。結党の集いに「大衆とともに戦い、大衆とともに語り、大衆の中に死んでいく」との指標が与えられ、全ての議員が座右の銘としてきた。成立当時の日本の政治は、自民党と社会党の二大巨大政党がイデオロギー対立に明け暮れ、庶民大衆は顧みられることがなかった。だが、あれから半世紀の間に、世界における社会主義は崩壊。それにあい呼応するかのように、日本社会党は姿を消した。そして自民党も一党単独では政権を維持する力を失った。連立政治が常態となり、その一方の担い手が公明党になって久しい▼この事態をどうとらえるべきか。自民党が政権維持のために公明党の力を借り、公明党は権力に寄り添うことで組織防衛をしようとしている、との捉え方が一般的だ。しかし、それはより本質を衝いてはいない。結党時に誓い合ったこの党の揺るがぬ理想的目標は、繰り返すが政治を庶民大衆の手に取り戻すことであり、政治家個人、政党の在り方の根本的改革を果たすということである。つまり、違う角度から言えば、日本の政党、政治家が社会全体から信頼され、尊敬に値するものになればいい。そうなれば、公明党は主たる役目を終え、後裔に退いていいとの捉え方に立つ。権力奪取を最終目標にするのではない。政界を浄化し、公正・公平な価値観をもった複数の政党が政権を相互に交代して担う。そういった姿を実現するために、あたかも触媒の役割を果たすことこそ自らの使命とし、その集団が抱え持つ「物語」として、公明党は思い描いてきたのである。
(2016・6・21)
Filed under 未分類
【153】あと4年ー25年パラダイム変換説の恐怖 『見損なわれている中道主義の効用』❶
今回から私が理事を務める一般社団法人「安全保障研究会」の安保研リポート11号に寄稿した『見損なわれている中道主義の効用』を6回に分けて転載する。一回目は「あと4年ー25年パラダイム変換説の恐怖」。
戦後70年を超えた今、もう一つの戦後が改めて意識されだした。それは江戸末期の日本を二分した戊辰戦争を起点とするもので、やがて戦後150年を迎える。この両者は日本の近代が始まるきっかけとなったいくさとその挙句の果てに一国滅亡となった戦いとである。あと4年程で75年の歳月が二つ流れたことになるから、俄然二つの塊を丸ごと比較する試みが現実味を帯びてきたように思われる▼社会学者の大澤真幸氏は、その75年を25年ずつ3分割し、前半75年と後半75年における三つの時代状況が極めて似ており、それぞれが並行して繰り返しているように見えると比較してみせた。その分析によると、明治維新から日清戦争までの25年と、後半におけるポツダム宣言受諾から高度経済成長を経てジャパンアズナンバーワンともてはやされた1970年代頃までの25年が共に、第一期として比べられる。富国強兵を基にした国づくりと経済至上主義による戦後復興とである▼第二期は、1894年の日清戦争から日露戦争を経て第一次世界大戦あたりと、大阪万博からバブル絶頂の1995年まで。前者は大戦景気、後者はバブル景気として特徴づけられる。第三期は、関東大震災を経て太平洋戦争終結までの時期と、1995年の阪神淡路の大震災、オウム真理教事件から今日までとである。戦争前夜から敗北に至るまでの社会状況が、極めて似通っているという。残された時間は4年。今重くのしかかってくる▼この分析が世に問われて既に10年程が経つが、私は最近出版された政治学者・中嶋岳志氏と宗教学者・島薗進氏の対談『愛国と信仰の構造』によって漸く知るに至った。ここでご両人は、この見立てを推奨したうえで、第三期に入ると「社会の基盤のもろさが表立って見え」てきて「国内全体が言いようのない閉塞感に苦しむようになる」と指摘する。そして「同じ失敗を繰り返さないためには、明治に遡って、日本のナショナリズムと宗教の結びつきをとらえ直すことは重要である」と強調している▼「全体主義はよみがえるのか」とのサブタイトルを持つその作業の中で、明治維新以来の歴史において親鸞主義と日蓮主義が果たした役割を克明に追っている。その矛先の鋭さは、あたかも国家神道を免罪するかのごとき様相を示し、奇妙に新鮮でさえある。結論近くで、僅かの紙数ではあるものの、二人が「『居場所なきナショナリズム』を利用する自民党のネオコン勢力」と公明党・創価学会が結びついているとして、警鐘を鳴らしていることは見逃せない。歴史が同じように繰り返すわけでは勿論ない。だが、あらかじめ予定されたかのごとく、ことの推移を占うことは世の認識を誤らせる。聞き捨てならない指弾なので、あまり一般には知られていない公明党のなりたちや理念の具体的展開に触れることで、それが筋違いの杞憂であることを明かしてみたい。(2016・6・12)
Filed under 未分類
【152】「大衆」が姿を変えたという錯覚ー薬師寺克行『公明党』
広宣流布ー日蓮大聖人の仏法を世界中に広めて、個人の幸せと社会の繁栄が一致する社会を作ろうとの創価学会の壮大なビジョンに私が目覚めたのは、1964年19歳の年だった。大学在学中にしゃにむにその活動に取り組み、卒業と同時に公明党の機関紙局に就職、公明新聞の記者になった。いらい60年足らず。その間のほぼ真ん中の時期(平成元年)に、衆議院議員候補に推薦され、足掛け5年の苦闘の末に政治家に転身した。来年、公明党は結党60周年を迎えるが、私はほぼ同じ期間を公明新聞記者、党職員、衆議院議員秘書そして代議士として過ごしてきたことになる。つまり、公明党の60年は私の人生そのものと重なる。
この本はそのうちの50年の創価学会と公明党の軌跡を追った本である。元朝日新聞記者で現在は東洋大教授の薬師寺克行氏の手になる『公明党』だ。庶民大衆を無視しイデオロギーの弄びに終始していた自社両党。そこから政治を取り戻すとの旗印のもと「55年体制」打破に賭けた日々。打倒自民党の戦いに一時は自らを解党し、大きな勢力に合流してまで取り組んだ。それがかなわぬと見るや一転、内側からの変革に切り替え、当の相手の懐に入り込み連立を組むまでになった。
こうした自分が歩んできた道を、新聞記者とし、学者としての眼差しで克明に分析されたものを見せられるのは、他人の日記を覗き見るようで実に興味深い。薬師寺氏は、精一杯公正な視点をもとに抑制を利かせた筆致で公明党と創価学会の50年を描いてはいる。私が上司として長年仕えた市川雄一公明党書記長への素描が粗っぽく、いかにもステロタイプ的なことは少々気になるが、これまでにだされた「公明党」論では出色のものだろう▼勿論あれこれ異論をはさみたくなるが、ここでは一点に絞る。「公明党が重視する『大衆』は、五〇年の間に大きく姿を変えてしまった」のだから、「公明党は自らのアイデンティティを再構築するときにきている」という結論だ。ざっくり言えば、経済的に苦しい人々が多かった社会から、今や社会全体が豊かになった。だから救うべき対象としての大衆そのものが変化したという捉え方だ。しかし、創立者がさし示したところの「大衆」は、人間であるがゆえの悩みを持つ存在である。経済苦だけではなく、病苦、人間関係のもつれなどあらゆる苦難に立ち向かう人間を指す。その観点からいえば、50年たっても全く「大衆」の実像は変わっていない。経済にあっては豊かさの中の貧困という「格差拡大」や、統合失調症や引きこもり、痴呆症といった新たなやまいに悩む人々の数は一段と増えている▼そうした状況の中で、政治,政党が果たすべき役割も基本的には変わっていない。安保法制を例に挙げれば、共産党や民進党などの「戦争法」といったレッテル張りの反対姿勢は50年前のいわゆる革新の姿とそっくりダブって見えてくる。つまりは残念ながら「公明党の戦いいまだ終わらず」、ある意味で50年経ってもっと課題は深刻さを増している。「大衆とともに」のアイデンティティは再構築というより、再強化されるときだろう。日本における政党が人間、大衆と真正面から向き合うことをせぬ限り、公明党の役割展開に終止符は打たれることはないのである。(2016・5・26)
Filed under 未分類
【151】宗教と国家の関係を読み解く大事さー中島岳志、島薗進『愛国と信仰の構造』
自分の所属する団体・創価学会こそ平和を作りゆく主体者であり、担い手だと私は確信している。ところがそうではないとか、すくなくともそうではなくなる可能性があると指摘する論考がこのところ散見される。東京工大教授で政治学者の中島岳志、東大名誉教授で宗教学者の島薗進のお二人は昨今急速にそういった姿勢を示されている。このご両人が対談された『愛国と信仰の構造』を読んで、様々な意味で啓発もされ、驚きもした。いわゆる「アンチ」の立場を取ってきた人たちの主張ではないだけに、その指摘は傾聴に値しよう▼幾つもの興味深い視点が提示されているが、ここでは二つに絞る。まず第一に近代150年の捉え方を挙げたい。中島氏は、社会学者の大澤真幸氏の「日本社会25年パラダイム変換説」を取り上げ、戦前、戦後の75年をそれぞれ三つの時代区分に分けて比較し、分析している。これは作家の半藤一利氏の「40年日本社会変換説」よりもさらにきめ細かく悲観的だ。1868年の明治維新、1894年の日清戦争勃発、1918年の第一次大戦終了までが戦前の3期の仕切り。一方、戦後の3期は1945年の第二次大戦の終結、1970年頃からのジャパンアズナンバーワンを経てバブル絶頂まで、そして1995年の阪神淡路大震災、オウム真理教事件から今日までと続く。この説を推奨する人たちは戦前と戦後の類似性を強調し、これからくる三期の終わりには「社会の基盤のもろさが表立って」きて、「国内全体が言いようのない閉塞感に苦しむ」ことになるという。いささかこれは”予定調和的思考”が過ぎると思うのだが▼第二に、戦前の仏教と右翼思想との関係、とりわけ親鸞主義との関係だ。日蓮主義については既に北一輝や石原莞爾らとの絡みで、言い尽くされてきた感が強い。一方、親鸞主義はあまり知られていない。三井甲之、清沢清之と言われても知ってる人は少なかろう。「自力」への否定としての「絶対他力」や、大勢順応に居直るという意味での「寝転がる思想」といった展開を知って、おぼろげながら理解はできる。本居宣長の国学の構造と親鸞の思想の類似性。さらには、ありのままの神に随順する「大和心」が「絶対他力」と重なり、日本の全体主義の流れが加速していったとの指摘は興味深い▼宗教、思想が用い方や理解の浅深によっていか様にも変わった側面を露にすることは日蓮、親鸞のケースだけでは勿論ない。だが、日本近代の形成にあって極めて深刻で甚大な負の影響を与えたものゆえ、その仕組みは熟知しておく必要があろう。この本の後半に「愛国と信仰の暴走を回避するために」との章があり、中島氏が公明党の自民党への追随に警鐘を鳴らし、島薗氏が創価学会に対し「国家とは距離を保って活動してほしい」と述べているくだりがある。「よみがえる全体主義」の一角を創価学会、公明党が担いでいるとの”倒錯した見立て”が提示されているのだ。ここは自民党を内側から変えようとし、日本社会の構造変革に関わる際の陥穽に気をつけろ、との注告だと冷静に銘記しておきたい。(2016・5・21)
Filed under 未分類
【150】西洋的父性の論理へとジャンプする危険━━河合隼雄『中空構造日本の深層』
NHKは時に応じて「困った会長」が登場するが、それとは別に、興味深い番組をしばしば作ってくれる。中でも「100分de名著」シリーズは私の好きなものの一つだ。先に放映され、一冊の本にまとめられた『「日本人」とは何者か?』も面白かった。ここでは4人の思想家たちの代表的な著作を4人の学者たちがそれぞれ解説しているが、そのうち、河合隼雄『中空構造日本の深層』を改めて読んでみた。生前の河合氏とは、彼が文化庁長官時代に一度だけだが忘れえぬ交流をした。日本の政治家はユーモアセンスが欠けていると言われるので、その磨き方の教えを乞うたのだ。詳細は以前に書いたので省くが、重要なことをさりげなく言われたり、書かかれたりする人だった。この本でも日本、日本人の特質を僅かな紙数の中でずばり表現していることが印象深い。
要約すれば「日本人の思想や宗教、ひいては社会構造の原型は中空である」というもの。要するに中心は空っぽといわれるのである。キリスト教的世界が「中心に存在する唯一者の権威や力で統合される構造」であるのと違って、日本では「中心は必ずしも力を持つことを要せず、うまく中心的な位置を占めることによって、全体のバランスを保つのである」という。このあたりの対比については言い尽くされてきた感もあるのだが、河合氏はここで「中空構造が今は危機に立っている」との重要な指摘をしている。
★日本的母性と対極にあるもの
その中で、憲法をめぐる保革の対立──その論争の起因としての江藤淳氏の有名な「1946年憲法の拘束」論を取り上げていて興味をひく。江藤氏は「憲法へのアメリカの介入があり、交戦権不承認の条項を入れ込んだことが日本人を意識的、無意識的に拘束」しているとして、憲法への疑義を提起したと位置付けられる。河合氏もこれを全否定はしていない。一たびは評価し共感を表明したうえで、「その結論は急ぎすぎの感を持たざるを得ない」とし、「西洋的父性を日本的中空構造の中心に据えようとする」ことに、強い危惧を表明している。それはつまり、日本的母性と対極にあるものだといえばわかりやすいかもしれない。
これらの論争が取りざたされたのは昭和56年。ちょうど公明党が安保政策で現実路線に大転換をした頃だ。河合氏は江藤氏及びその主張に与する流れに対して「西洋的父性の論理へとジャンプすることではなく、日本人としてのわれわれの全存在をかけた生き方から生み出されてきたものを、明確に把握してゆこう」と「意識化への努力」を提言している。で、それから35年ほどが経っているが、憲法や防衛をめぐる状況に変化はあるだろうか。
保革の対立自体は、いわゆる革新の壊滅で変質した。代わって、今我々の目の前に展開している政治選択上の対立は、大枠では「自公」対「民共」という新たなものだ。ここでは「西洋的父性の論理」に公明党は依拠していないということにだけ留意を促したい。憲法を巡って早急にことを運ぼうとする自民党に対して、もっと議論を深め国民的合意を得ようと言い続けている。防衛についても現実的な対応を進める中で、しっかりと歯止めをかけてきているのは公明党だ。今は亡き河合氏に、「もう少し旧革新への批判を強く書いてほしかった。そうであれば、もっとクリアな論考になりましたよ」と生意気な感想を述べる一方で、「公明党がある限り自民党に無謀なジャンプはさせませんから」と誓いたい。
【他生の縁 ジョークの利かせ方の伝授を乞う】
河合隼雄さんが文化庁長官をされてた時代に、その部下になる官僚の何人かが私のところにやってきました。談偶々同長官のユーモア論が話題になり、私が読んだ彼のある本に、日本の政治家はウイットやユーモアに欠けるとの意味のことを書いておられたこと話がに及びました。私は、常々スピーチや質問の冒頭に、ジョークを飛ばすことに執心していたので、お役人の皆さんに、河合長官に、ぜひその手の観点から見てタメになる本を教えて欲しいと頼みました。
しばらく経って、同長官からある本が届けられました。その本のタイトルは忘れましたが、あまり面白くなかったことだけ覚えています。そこで、その旨また伝えたところ、やはり、そうでしたか、私もそう思っていましたとの返事。いやはや、それなら勧めたのはどういうことか、と苦笑を禁じ得ませんでした。
河合さんの本では、その昔、『人の心はどこまでわかるか』との本を読んで、読んだだけではわからないことが分かったものでした。「人間の心がいかにわからないものかを骨身にしみてわかっているものが、『心の専門家』である」とする一方で、素人は「心という怪物と対峙するのを避けたがる」ものと位置付けていました。確かに、心の何たるかを真正面から向き合わない自分を、言い当てられたような気がしました。直接会う機会がないまま、お別れしたのは悔やまれます。
Filed under 未分類
【149】世界史が求めた?起き上がり小法師ーエズラ・ヴォーゲル『鄧小平』
日本の外相が中国を訪れたのは4年半ぶりだという。4月30日に王毅氏と岸田文雄氏の会談を報じる新聞を見て知った。ということは、前回の訪問は民主党政権下。今その党は存在せず、安倍第二次政権下では初めてということになる。いかに日中関係が滞っているかの端的なあかしであろう。両国間の課題は数多いが、最大の外交問題はやはり尖閣問題であり、東シナ海をめぐる問題であることに変化はない。それにつけても思い起こすのは、巧妙極まりない言葉の操り方でトラブル拡大を回避してのけた鄧小平元主席のことである▼尊敬する先輩から「最近読んだ本で最も面白く、身につまされる思いがしたのはエズラ・F・ヴォーゲルの『鄧小平』」と巧みにいざなわれた。社会学者の橋爪大三郎氏がインタビューしたもので、上下二巻に及ぶ重い本編の集約版ともいうべき軽い本である。以前に取り上げた植木雅俊氏との法華経をめぐる対談と同様に、めっぽう読みやすい。「現代中国を理解するための必読書!」と帯に掲げてる通りに、大いなる手引きをしてくれる。昭和40年代から中国問題に関心を持ってきた身としても、待望の著作であることは間違いない。もはや本編にあたろうかとの根気は萎えがちであるがゆえに、「その生涯と業績の大事なポイントをすべて盛り込むもの」との触れ込みは有難い▼私は鄧小平氏に一度だけだが北京の人民大会堂で会ったことがある。幾たびとなく失脚と復活を繰り返し、中国の「起き上がり小法師」と半ば揶揄され、尊敬もされてきた人物だが、その印象はあまり快いものではなかった。したたかで狡猾なやり手というのが顔と小柄な体全体から醸し出された率直な雰囲気だった。あれから40年近い歳月が経って、中国を今日の名実ともに巨大な存在に仕立て上げたのが鄧小平氏だということがわかってみて、初めて自分があまりこの人物のことをわかっていないことに気づく▼橋爪氏に「二〇世紀後半から二一世紀にかけての世界史にとって、もっとも重要な人物だ」と言われてみて改めてそのスケールの大きさに気づいたような気がする。鄧小平氏は「共産党よりも国のために」という考え方できた、とのヴォーゲル氏の捉え方は正鵠を射ていると思う。尤も、その考えが「中国のためよりも世界のため」であってほしいというのはあまりにユートピア的すぎるだろう。しかしながらなかなか世界史的人物が出てきそうにない隣国の住民としては固唾をのむ思いで、その後の動向を気にせざるを得ないのだ。江沢民氏への評価など日本から見て違和感を抱くところや、突然に出てくる「パーソンズ」なる学者の名前とか、疑問を持つところもいささかある。が、これは「予告編」ということだから仕方がないのかも。ともあれ本気で中国と向き合うつもりなら、誰しも本編を読むしかないと思われる。 (2016・5・1)
Filed under 未分類
【148】血液をきれいにし、流れをよくするためにー屋比久勝子『温熱生活のすすめ』
厚生労働省の仕事に携わったころから10年近くが経つ。この間実に様々な医療関係者や健康に深い関心を持つ人々との出会いがあった。中でもいわゆる代替医療の分野の方々とのお付き合いが少なくない。鍼灸、カイロプラクティックから始まって坑道ラドン浴、刺絡、漢方薬、笑いの効用に至るまで、実に多彩だ。いずれも人の免疫力を高めるものとして注目されている。そんな私がかねてお世話になった尊敬する知人から、新たに「琉球温熱療法」のことを聞いた。こうした一連のものには西洋医学への物足りなさが共通して存在している▼そんな中で屋比久勝子『温熱生活のすすめ』『体の温め方と栄養力』を読んだ。それぞれ「未病からガン・難病まで癒す」「病気にならない」といった形容詞がついている。屋比久さんは、元をただせばピアノ教師。それが何故に温熱療法の世界に入られたか。両手の親指が原因不明の病に冒されてからあらゆる治療にあけくれるうちに温熱療法に出会ったことが発端。そのうちに急性肺炎から血清肝炎などを併発。医師から脾臓摘出を勧められるに至る。が、それを拒否。むしろそこから自力で従来の温熱療法を改良、発展させ自身の健康を回復。やがて独自の「琉球温熱治療」を確立した。その執念たるや、凄いの一言に尽きる。この20年ほどの間に大きな成果を上げられており、免疫学の権威・安保徹新潟大大学院教授をして「これだけホルミシスを研究している人に出会ったことはない」と言わしめるほどである▼琉球温熱療法は二段階から成り立つ。まず熱を発する温熱治療器(温灸器)を体にあてて注熱し、コリの原因になっている老廃物をほぐし、血流をよく」する。そのあと、「ラドン浴効果のあるベッドに横たわり、ドームに入る」ことで、全身を温めるというもの。そうやって血流を改善したうえで、質量ともにタンパク質を摂ることにこだわれというのが、その主張の基本である。以前にここでも取り上げた伊藤要子愛知医科大教授のHSP(ヒートショックプロテイン)を増やすことの重要性と共通することが興味深い▼さらに屋比久さんは、ひたすら卵の効用を説いてやまない。一般的に卵はコレステロールを高めるからほどほどにというのが”日本の食生活の常識”だが、彼女は「コレステロールの高い人ほど卵を食べてください」と真反対だ。その理由については実際に読んでいただきたいが、実に説得力がある。血液検査の読み取り方も病院で接触する医師の普通の見方とはかなり違う。「数値が正常でも油断は禁物」との指摘は、心と体にグサッと刺さってくる。これ以上の日本の医療費増を防ぐには統合医療に活路を開くしかない、という主張は目にするし、私も大筋賛同する。先日沖縄に足を運んで、屋比久さんと会い様々な教えを頂いたが、琉球温熱治療を実際に体で試してみて、改めてその意を強くした。(2016・4・24)
Filed under 未分類