この本で著者が言いたかったことは最終章の「日本の平和主義はどうあるべきかー安保法制を考える」にある。まずここでは集団的自衛権をめぐる戦後政治を俯瞰するなかで、1981年の「集団的自衛行使の全面禁止」に至る経緯を述べているくだりが注目される。この年の結論に至るまでは、集団的自衛権の部分的容認=部分的禁止といった玉虫色の解釈だったのを、1972年から10年程の歳月をかけて、内閣法制局が全面禁止論へと変えていく様子はなかなか面白く読み応えがある。結果的に内閣法制局の硬直的で官僚主義的な行き方に風穴を開けようとしたのが、あの民主党政権であったというのは、今となっては興味深い。尤も、その民主党が野党になってくるりとその主張を180度変えてしまったことは、何ともはや情けないといえよう▼次に、「平和国家」日本をめぐる安全保障論のところでは、今回の安保法制論議が本質的な議論をせぬまま、不毛のイデオロギー闘争になって行ってしまった経緯を詳しく述べており、共感する。本来ならば、「平和を維持して実現するために必要な手段として、どのような安全保障政策と安全保障法制が必要かをめぐっての論争が行われるはずであった」が、「安保関連法を批判する多くの人々は、あたかも自分たちが平和を象徴し、そして政府が悪意を持って好戦的に戦争を求めていると、意図的に誤ったメッセージを送り続けた」という指摘が特に印象深い。とりわけ「戦争法」なる言葉を濫用した勢力の罪は深いし、それにまんまと乗っかった一部メディアの見識も問われよう▼細谷氏は「法的安定性を尊重しながら、時代状況に応じて柔軟に憲法解釈を変更することが、なぜ立憲主義に否定や破壊になってしまうのだろうか」と問いかけ、自ら「理性的な憲法解釈というよりも、軍事力それ自体を悪と見なして、それを廃棄させようとする運動であり、特定の政治的イデオロギーではないのか」と答える。これに私は全く異論はない。ただあえて付け加えるとすれば、法案成立までの過程で強行採決した(厳密には野党の「採決強行阻止」)政府側の姿勢の在り様と混同されたきらいがあるのは残念だとは言える▼そして著者は「なぜいま安保関連法が必要なのか」という素朴だが、重要な問題提起をするのだ。野党の「戦争法」対政府与党側の「平和法」という根源的で不毛の対立がなぜ起こったのか。ここは、「戦略の逆説」という概念を、前提として理解しなければ、結局は安保法制の必要性を理解できないと、議論を展開していくのだが、引き続き詳細に追っていきたい。(2106・9・15)
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(170)混沌か安定か、岐路に立つ世界ー細谷雄一『安保論争』を読む➂
細谷氏は第三章「我々はどのような世界を生きているか」において、大西洋から太平洋へと舞台は移り、ヨーロッパ中心の国際政治は、アジア太平洋にその焦点が変わったことを取り上げる。その際に、主たるプレイヤーとして新たに登場したのが中国であり、米国の「軍事的な介入主義の伝統が終わりを迎えつつある」との認識を表明している。そこで、日本は、新しい歴史の舞台に立つ国家として、安全保障と国際経済の両面で、中心的役割を担う構想を持て、と鼓舞しているのだ▼現今の国際政治の大きなテーマの一つは、中国の東シナ海と南シナ海での傍若無人な振る舞いへの対処である。先のG 20では、国際司法裁判所による判定に神経をとがらす中国の習近平主席の動向が注目された。この問題で、細谷氏は米国の海軍戦略理論家マハンとオランダの法学者グロティウスの二人を持ち出して「マハンの海」と「グロティウスの海」の対比として描く。前者が弱肉強食の海洋風景を意味し、後者は国際公共財としての海洋事情を表す。中国に対して、今南シナ海や東シナ海でとりつつある態度を改めさせ、法の支配に基づいた秩序を作っていくことこそ、日本の役割だと言うわけだ▼さらに、ロシアと日本の関係という、極めて時事性に富む内容にも踏み込んでいる。安倍、プーチン両首脳の領土、経済の両面からの接近ぶりに、両国関係の画期的好転への期待感が広がる。それにも細谷氏は「希望的憶測から対露政策を進めてはならない」と安易な希望を持つ愚を嗜めている。強固な日米関係と安定的な日中関係があって初めて、日本はロシアに対して戦略的優位にたてるのであり、今のような普天間基地や尖閣諸島問題で、日米同盟に隙間風が吹き、荒れ模様の日中関係では、ロシアの対日譲歩は考えにくいというのである。残念ながらこの極めて常識的な見解に異論を唱える向きはいなかろう▼世界はこれから混沌に向かうのか、それとも安定的な秩序ある方向に向かうのか。これへの結論は、日本外交に理性と規律が国際社会で確立されるよう、ルール作りへの手助けが求められているという。理性ではなく感情を、ルールではなく無法を持って、立ち塞がっているかのように見える中国が相手だ。なかなかに難しい課題だという他ない。(2016・9・11)
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(169)「一国平和」という「孤立主義」の闇ー細谷雄一『安保論争』を読む➁
細谷氏は「どのような場合に平和が失われ、戦争が起こるのか」を歴史の具体的事例を通じて学ぼうと、第二章「歴史から安全保障を学ぶ」を書いている。ここでの彼の結論を一言でいうと、「急激なパワーバランスの変化、つまり力の均衡が崩れたときに戦争は起こり易く、他国と協調するなかで集団的に平和と安全は維持できる」というものである。具体的事例として、17~18世紀におけるフランスの軍事的抬頭とそれに対抗した英国の姿勢や、19世紀後半のドイツをめぐる第一次大戦、第二次大戦への動きなどを挙げる。そして現在のアジアでは、中国の軍事的突出と、日米の急速な影響力の低下が平和を破壊する要因だとする▼さらに細谷氏は、心情的に平和を願う「心情倫理」のみで現実の平和が到来すると信じる現代日本人を、「政治のイロハもわきまえない未熟児」(マックス・ウェーバー)だと、言わんばかりに厳しく指摘する。その背景には国際政治学の先達・故高坂正堯氏の言う「孤立主義的な体質」があるとする。これこそ戦前の日本を戦争に導き、戦後の独善的な「一国平和主義」を生み出した原因だというのである。尤も「孤立主義」という言葉を字面だけ見ると、反発する向きはあろう。日米同盟至上主義に凝り固まった姿勢のどこが孤立主義なのか、と。戦後日本の左右対立の構図は、お互いを「対米追従だ」いや、「一国平和主義だ」と罵り合ってきた。「孤立主義には甘美な誘惑がある。他者を無視して、自己の正義を語り、優越意識を楽しむ」ものだとの細谷氏の指摘を見ると、私自身の体内にも、その血が流れており、やがていつの日か米国からの真の独立を待望する思いが強いことを認めざるを得ない▼細谷氏は20世紀の国際社会は、一国単位ではなく、他国と協調するなかで集団的に平和と安全が維持できると考えるようになったという。そう考える一つのきっかけとなったのは、国際連盟脱退から戦争へと突き進むに至った日本の行動であったのは事実だ。ところがその教訓を日本自身が学ぼうとしていないことに警告を発している。昔ながらの「孤立」ともいえる「一国平和主義」にとらわれるべきではないというのだ。このあたり、戦後史の中で遅れて登場した公明党としては、旧左翼陣営に対して、思う存分主張してきた経緯が鮮やかに蘇って来る。ある意味、「一国平和主義」に凝り固まった社会党を打倒する先駆けとなったのは公明党だとの自負さえある。それだけに戦後70年を超えた今頃になっても「一国平和主義」的志向が根を断たれていない状況を見ると、心穏やかではないのである▼この章の結論部分で、細谷氏は「集団的自衛権を軍国主義や戦争と結びつける思考は、20世紀の国際政治の経験を無視し、国際社会の潮流を理解しない議論」だと断じる。そして「心情倫理」だけではなく、「責任倫理」をも視野に入れ、「平和と安全を得るために必要な要素を冷静に議論する」ことを強調する。このことは、今回の「安保法制」の前提となっている集団的自衛権の導入について、安倍自民党と山口公明党が片や認め、片や認めていないという「同床異夢」に基づいた「奇妙な玉虫色」であることと無縁ではない。集団的自衛権という言葉がいつの間にか「魔性」とでもいうべき特色を持つに至っていることに気付かざるを得ないのだが、ここには、公明党の中においても、細谷氏のいう「心情倫理」にこだわる姿勢が色濃く残っているといえよう。(2016・9・9)
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(168)50年前から進展していない「平和」希求者たちー細谷雄一『安保論争』を読む➀
一昨年来の安保法制をめぐる動きを追うにつけて、いわゆる”左翼知識人”の知的及び行動的退廃とでもいうべきものを嘆かわしく感じる。とりわけSEALEDsなど若い世代の動きを持ち上げ、そこに縋ってるかのように見えることに。それは、かつての60年代から70年代にかけての「安保闘争」へのノスタルジーを重ね合わせているのかもしれない。かつて自分たちが歩んだ道を、また歩もうとする後輩たちの誤りを糺さずに、むしろおもねってるようにしか見えないことは、私には大いなる悲喜劇だと思われる。そういう風に考えていた私が細谷雄一『安保論争』を読んで、まことに共感するところが大きい▼いま「安保法制」をわざわざ「戦争法」と呼んで反対する人々が、イスラム国への批判やウクライナの現状について、殆ど声をあげているようには見えないことを、細谷氏は不思議であると指摘する。ベトナム戦争への反対を叫ぶ中で、青春期を過ごしてきた私のような世代からすればなおさらだ。ベトナム戦争を経て、南北ベトナムは一本化し、荒廃そのものの地から逞しく蘇った。一方深く傷ついたアメリカは今もなお戦争から足を洗えないでいる。この結果だけを見ても、今展開されている事態に日本の「平和勢力」が声を上げ続けないのはおかしいといえよう。地球的規模で「平和と戦争」を見つめないと、結局は日本人だけ平和であればいいとのエゴであると見られてしまう▼安保をめぐる議論は、かつてと大きく違っているはずだ。それは、自社対決の55年体制下の時代は、自衛隊を違憲の存在とし、日米同盟を危険なものとして否定してきたが、今ではそれらを受け入れることが国民的コンセンサスとして定着しているからだ。ところが、「戦争法反対」という人たちは、時代の変化に目を向けず、議論を50年程前に戻そうとしているかに見える。これでは、かつての安保世代が失敗した経験を、後輩たちに押し付けようとしているだけではないのかと思う。そこには50年の時代の変化が全くこの人たちには見えていないというしかない▼「安保関連法の必要を説く者が、安全保障環境の未来を想定しているのに対して、安保関連法を批判する者が安全保障環境の過去を想定している場合が多かった」-こう細谷氏が指摘することを一体彼らはどう考えるのか。戦争空間が世界大から宇宙大へと広がり、サイバー空間で争われることなったことの意味を意図的に外していいのだろうか。こう指摘すると、一体今の世において戦争が起こると本気でお前は考えているのかとの反論が聞こえてきそうだ。戦争に対処しようとするからこそ、却って巻き込まれるのであって、当初からそんなものを考えない方がいいのだ、と。こうした”古き良き考え”というか、「空想的平和主義」とでもいうべき「非武装中立的思考」が今もなお彼らの頭に宿っていることを真剣に憂わざるを得ない。細谷氏の言説を追いながら、「ベトナムからシリアへ」と背景の舞台が変わった日本の「安保」を数回にわたり考えてみたい。(2016・9・5)
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(167)せいぜい歯を食いしばって、聴き耳を立てること
さて、志村勝之氏が示すもう一つの「聴く技術(スキル)」の要領(中核)は、6つの「言葉返し」技法に宿るという。いわく、➀相槌返し➁オウム返し➂要約返し➃感情返し➄質問返し➅接続詞返しである。とりわけ面白いのは一番目。「ハ・ナ・ソ・ウ」と憶えておくといい、とまことに丁寧だ。ハイハイ、ナルホド、ソウカ、ウンーといった風な相槌をー感情を適宜入れ込み、適当に組み合わせてーうちながら、相手の話を聴くというわけだ。先にも述べたように、相手の話を聴いているのがもどかしくて、何やかやと言葉を挟みがちな私にとってなかなか苦痛を伴う要領ではある▼とかく相手の話が長かったり、それこそ要領を得ない話しぶりだと、どうしても「何が云いたいんだ」「簡単にまとめると」という風に迫ってしまう。現役時代に、官僚や政治家の話を聴いているうちに癖がついてしまったに違いない。「接続詞返し」のくだりでは、相手の話した内容に対して、「WHYとBUTの接続詞は極力控える」、代わりに「主としてWHAT、WHERE、WHEN、HOW、AND」を用いるといいいという。「ナゼ、どうしてなんだ」とか「だけど、ねえ」などを乱発しがちな私にはとても難しく思われる。ここまできて気付くことは、志村氏のようなカウンセリングをする人や、相手の相談や悩みを聴く場合にはこれまで見たような作法が第一に求められるということだ▼それとは違って、相手と論争する際にはそういうことばかりにもいかない。適宜、相手を指導したり、行く道を指し示してあげる場合などは、時間との勝負もあり、悠長に構えていられないこともある。という風に、またもや自己弁護のきざしが頭をもたげて来るのだが、結局はバランスの問題ではないかと今は思うことにしている▼とかく相手を理屈で言い負かすことに執心してきた趣きがあるものにとって、自己主張をすることで自己満足に陥りがちだ。相手が納得していないのに、これでよしとしていたらまるで漫画という他ないのだが。これまでの長い人生をそういう「話し方」「聴き方」をして過ごしてきたとは赤面の至りではある。しかし、この歳になって今更身についてしまった癖は治せない。せいぜい、要らぬことを口走らないように「歯を食いしばって」、「聴き耳を立てる」ことに努力してみたい。(この項終わり=2016・8・29)
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(166)カリスマ臨床心理士が明かす「聴く技術の要領」
志村勝之氏は私の見るところ、とてつもないカリスマ臨床心理士だ。心理学への造詣の深さから始まり、哲学、思想、宗教へのアプローチの用意周到さにはただただ圧倒される。この一年彼が展開してきた『こんな死に方をしてみたい!』なる長編のブログ(このほど完結)は出色の出来栄えで、実に面白く興味深い。私は彼のこれまでの生き方に改めて深い関心を持つと共に、これをどう読み解くかに、少々大袈裟だが今や身も心もとらわれている▼さて、その志村氏の私への忠告たるや、心底から唸らせられた。それは、ひとを前にしてその話を丁寧に聴こうとせず、一方的に話すのみで自己満足してきた私にとって、まさに驚天動地、天と地が逆さまになったほどのショックである。で、それは一枚の紙にまとめられ、私に手渡された。タイトルは「聴く技術(スキル)の要領」とある。中身は二つに分かれる。一つ目は「聴く技術(スキル)」の要領は、相手を「受け止める」ことにある。「受け入れる」こととは違う、というのだ。これは聴き方のスタイルとして重要なポイントに違いない▼➀相手の言動に「肯定的なまなざし」を向け続けること➁「こちらだって言いたい!」の気持ちを抑制し続けること➂相手の言葉に対して「否定・反論・支持・命令・強制・支配」をしないこと➃また、助言さえも控えること➄ひたすら、相手に「ちゃんと聞いてますよ!」を感じさせる「言葉返し」をすること➅相手に「もっともっと、あなたに話したい!と思わせること➆相手の「感情」を、どこまでも「相手にわかるよう」に「受け止めて」いくこと➇そして「ああ、この人は自分の話に興味・関心を持ってくれている!」と相手に思わせることーこの8項目を目にしてもう笑ってしまった。これまでの私の対話の仕方とは基本的には真反対だからだ▼勿論、私だってこれに近い対応をしてきていないことはない。でないと、友人、後輩、先輩たち、なべて私に縁あった人々に顔向けできない。だが、おおむねし損なってきたというほかない。相手の非を見つけると、そこにつけ込み、相手の弱さに気づくと、激励の言葉を挟み、相手の無知には自分の知り得ている知識を披瀝する……。そう、そこで気付いた。志村氏と私の50年余りの交流の実相を。彼と話したあとは、「今日は楽しかった」「また会いたい」との実に爽やかな気分に常に満たされていたのである。ということは、私の場合は……。ああ、嫌だ。恥ずかしい。(この項つづく=2016・8・20)
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(165)相手にお構いなく自分の思いだけぶつけると……
阿川佐和子さんの本は、➀聞き上手とは➁聞く醍醐味➂話しやすい聞き方ーの三章に分けられ、「心をひらく35のヒント」とのサブタイトルにあるように、彼女自身の経験が楽しく語られている。だが、読者は別にインタビュアーになるわけではないので、彼女の失敗やら成功例を聞かされても直接的には参考にならない。つまり、彼女の話術の巧みさにはまって面白おかしく読んだ末に、あとで全て忘れてしまうという陥穽に陥るのが関の山である。せいぜい、「面白そうに聞く」「話が脱線したときの戻し方」「オウム返し質問活用法」「知ったかぶりをしない」「喋り過ぎは禁物」の5つぐらいが実用的にはヒントになった程度であった▼要するにこんな本をいくら読んでも私の会話の癖は治らない。現実に偶々先日、小学校の教頭をしている後輩との会話の際にこんなことがあった。彼が「心理学者のアドラーについて岸見一郎さんの『嫌われる勇気』という本を読もうと思います」と言う。既に読んだ本が出てきたからもういけない。よせばいいのに、またしてもあれこれと一方的に喋ってしまった。ここは、「どうしてアドラーに興味持ったの?」と返したうえで、『嫌われる勇気』の人気の秘密をさりげなく語る程度にとどめるべきであった▼心理学の周辺を語ると留まることを知らぬ私は、自分が同書の読後録をブログに書いていることやら、友人の志村勝之との電子対談本『この世は全て心理戦』にまで及んでしまった。聞いてる方は恐らくわけが分からなかったに違いない。話の合間に自分のブログの宣伝やら、電子書籍の効能など織り交ぜるのだから。おまけに、最後には「君が読んだらいいのは『仏教、本当の教え』ではないのかと思うよ」などと、余計な本の紹介までしてしまう始末。これでは、要するに自慢話だ▼長い間政治家をやっていると、何か意味のある話をせねば相手に申し訳ないという勝手な思い込みがあり、ついつい余計なサービスをしてしまう。「話題が豊富な人で、話が面白い」などというお世辞が強迫観念となって、いつの日か「聞く力」が退化し、「話す力」のみが過剰に育っている(これとて、たいしたことはないのだが)のが私の現状だろう。そういう私の在り様を、志村勝之は「アイ中心で、ユウがない」という。つまり、相手の立場を思いやらない「自己中」なんだというわけだ。(この項続く=2016・8・18)
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(164)「話す力」を重視して「聞くこと」を疎かにするとー阿川佐和子『聞く力』
政治家は様々な場面で時々の政策課題について、自身がどういう考えを持つかが問われる。大学の後輩で時に親しく言葉を交わした石破茂前地方創生相がかつて「朝起きて新聞を読んだ後、その日自分が何についてどう発言するかを頭の中で整理するのが自分の日課だ」と言っていたことを思い起こす。政治家たるもの「喋ってこそなんぼのもの」で、黙ってることは悪に等しいということが現役の頃に強迫観念のようになっていたものだ▼しかし、これも一対一の相対関係の中に持ち込むと、時に喋り過ぎは人間関係を損ないがちだ。人はどうしても得意な分野や熟知していると思い込んでいることについては喋りすぎてしまう。相手の話を聞かずに、自分の意見を語ってしまうだけで、自己満足に陥りがちだ。私の場合それに加えて、対話をしている際に、相手の話に口を挟み、しかもその話の筋から逸れて持論を展開しがちになることが多い。数年前のこと、某市の副市長をした大学の先輩が私のために本を買ってきてくれたのに、私は「それならもう読んでます。その人の作品にはもっと面白いのがありますよ」と言いかけた。その先輩は「そうか。なら、もう俺は帰る。お前とはもう会わない」と中座されてしまった。同席していたもう一人の先輩があれこれとりなしてくれようとしたが、最早相手は聞く耳を持たなかった。大失敗だ。ここまではいかずとも、これに類する話は、私の場合恥ずかしながら少々あるのだから始末が悪い▼中学時代から50年余の長きにわたる親友・志村勝之君は、今は大阪で臨床心理士を営むが、こういう私の悪い癖を知り抜いていて、様々な機会にやんわりとアドバイスをしてくれ続けている。先に、二人で出した対談電子本『この世は全て心理戦』にあっても随所で「聞くこと」の大事さを彼は語ったもので、かくいう私も当然のことながらそれを認めている。その彼が先日の語らいの中で、キャスターの阿川佐和子のTBS系TV番組『サワコの朝』を観るように勧めてくれた。彼女の「聞く力」は大変なもので、参考になると思うよ、と▼チャーミングで限りなく爽やかなアガワさんにはかねて私は好意を抱いてきた。だが、私は彼女の書いた累計200万部に迫る国民的ベストセラー『聞く力』は、読む気がなぜかしなかった。どうせ中身は読まずとも、という感じだったのだと思われる。そのくせ、彼女の兄である阿川尚之慶大名誉教授にかつてある会合の場で会った際に、「ぜひ妹さんに会わせて欲しい」とダメ元で頼み込んだことがある(残念ながら未だに実現していない)。偶々観たその朝の番組ではイラストレーターの水森亜土さんが相手だった、確かに見事なやりとりだった。ということで、ようやく重い腰を上げて、そむけていた耳を傾けて、阿川佐和子『聞く力』のページをめくるにいたったのである。(この項続く=20016・8・13)
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(163)愛するがゆえの痛烈な一撃━━村上誠一郎『自民党ひとり良識派』
「私は今、自民党を憂いています。現在の自民党政治の暴走に対して、たった一人でも政治家の使命をかけて闘わなければならない。そう決意をせざるをえないのです」──●年の参議院選挙の直前に出版された本、村上誠一郎『自民党ひとり良識派』を選挙後に一気に読んだ。衆議院議員に連続当選すること●回。自民党一筋に●年。「ミスター自民党」を自認する男の「たった一人の反乱」が気がかりになっていた。何がそこまで駆り立てるのか、と。自民党の内情に深く立ち至るのは差し控えたいが、恐らく全編これ正論であろう。政策課題に関しても一部を除いて、その主張に共鳴することは少なくない。そのうえで、好漢惜しむらくは浮いている、との印象はぬぐいがたい。彼ほどの侍による地に足つけた批判ならば、今少し同調者もいるのだろうに、と思うからだ
村上氏は年齢は私より7歳下だが、衆議院議員当選は7年早く、初めて会った時からその堂々たる風貌は仰ぎ見る存在であった。一緒に欧州経済事情視察に行くなどするなかで妙にウマが合った。かの福島原発事故の後処理問題では出色の論陣を張った彼と、微力ながら私も行動を共にした。その間、事あるごとに「吠えるだけではなく、行動を起こせ」と焚き付けた。引退後にも数回会ったが、その時も「同志を募らなければ。一匹狼では」と偉そうに苦言を呈したものである。
私との最大のくい違いは、安保法制について、いわゆる集団的自衛権の行使容認をしたことは違憲であり、解釈改憲は立憲主義に反するとしている点である。仮に集団的自衛権を憲法を改正しないでまともに導入したのなら、解釈改憲をしたことになろう。しかし、先の安保法制は、従来からの個別的自衛権の範囲を出ていない、というのが私の認識である。そこを彼は曲解してしまっている。殆どの憲法学者たちの指摘する「違憲論」も存知のことだが、彼らが同時に「自衛隊違憲論」者であることを見逃すことはできない。国際法や国際政治学者の多くは、憲法学者と意見を異にしていることも抑えておく必要があろう。尤も、憲法について村上氏は3原理を変えないで、環境権など国民の理解を得やすいものから改正して行くことが穏当な政治的判断だとしている。これなど公明党の「加憲論」と全く同じであり、大いに興味深い。
★未だ遠い自民党の変革
公明党は立党いらい長い間、”自社55年体制”を倒すことに意を注いできた。ソ連崩壊とともに社会党が消滅し、自民党は一党で政権維持をすることが困難となった。21世紀に入り連立政権が常態になって、公明党は外から自民党政治打倒を叫ぶより、内側に入って改革することに方針を変更した。自民党政治を庶民目線のものに変えるためには、与党の一角を占めたうえで普段に主張し続けることが近道だと判断したからである。庶民大衆のために政治を立て直す観点から、与党第一党の存在を注視してきたのだ。村上氏の言われるように、かつての自民党は「あらゆる意味で強固かつ強靭な政党」であった。しかし、その分、庶民大衆からは程遠い存在であった。それを大衆寄りのものにするべく、外から内から、手を変え品を変え、あの手この手で取り組んできたのが公明党なのである。
時として、公明党は「平和の党」の旗を降ろしたのか、との批判を受けることもある。”空想的平和主義”の立場からは無理からぬことかもしれない。現実に根差した中道政治の展開はなかなか理解されがたい側面もある。我々は自民党が庶民に目配りを十分にする党になって欲しいことを念願してきた。「消費増税にせよ、規制改革にせよ、はたまた社会保障改革など国民にとって厳しい政策を着実に推し進めることができるのは唯一、自民党である」と断言する村上氏にとって、公明党の存在こそ手枷足枷になっているとの認識なのかもしれない。
そのあたりについては触れられていないからわからない。他党批判には手を染めたくないとの慮りなのだろう。だが、かつての自民党との違いは公明党との共闘にあるわけだから、自ずと心中はうかがえるというものだ。自民党の変貌に向けてしゃにむに手を打ってきた側からして、仮に村上氏のいうような現状に同党が陥っているとするなら、「薬が効きすぎた」というべきだろうか。友党の一員として複雑な心境にならざるを得ない。自民党の今を嘆き続ける村上氏と、自民党の変革未だならずとする私とが折り合える日は果たして来るのだろうか。
【他生の縁 日本の政治停滞を憂う仲間同士】
村上水軍の末裔たる村上誠一郎氏は、私がかねて畏敬の念を抱く政治家です。もっともっと表舞台で活躍を、と期待しているうちに彼も70歳を優に越えてしまいました。今ではさらに闘志満々で、自民党改革に執念を燃やし続けています。政治家としてどういう決着をつけられるのか、どのような結末を迎えられるか、人ごととはいえ、大いに気になります。
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(162)「憲法」でも注目されるべき第三の道ー『見損なわれている中道主義の効用❻』
これからの日本社会の行く末に目を凝らすとき、誰しもが1985年のバブル絶頂期から数年を経ての崩壊に始まる、長期低落傾向に歯止めをかける必要性を感じるはずだ。この期間における日本を覆う支配的な価値観とは何だろうか。それは結局のところ、1945年の戦後から一貫して流れる経済成長至上主義、成長神話ともいうべきものではないか。この経済成長に全てを託すことが国家目標に、いや国民の目標にさえなっていることの過ちにそろそろ我々は気づかねばならない。いや多くの人は既にそれに気づき、様々な発信もなされているが、未だ本格的に旗印は取り換えられてはいないのである▼私はこれまでことあるごとに、芸術、文化に力点を置いた国作りにその方向性を変えるべきことを強調してきた。軍事や経済と無縁な国家は勿論ありえない。しかし、それに翻弄されてしまってはもともこもない。経済力や軍事力はほどほどでいい。それよりも、一人ひとりの人間が持てる能力を芸術や文化の面で存分に発揮して、それぞれの人生を謳歌出来るようになったら、どんなに素晴らしいことか。お前は何を戯言を言ってるのか、という向きがあればぜひとも違う目標を提示して頂きたいと心底から思う▼国家目標などといった言い回しは、今更必要ないといわれる方もあろう。現にかつてあるパーティの場で束の間だったが、尊敬する劇作家の山崎正和さんにこうした考えをぶつけたことがあるが、柔らかな微笑みを湛えて「それは必要ないでしょう」と言われたことを覚えている。それは国家目標という言葉の響きが悪いからで、国民の思いとでも言い換えてみたらどうかとも思う。今、安倍政権は「一億総活躍社会」を掲げている。この気持ちは私の言うところと相通じるものがある。あらゆる人々が活躍できるように、との思いは得難い。だが、安倍首相自身の言動がややもすれば、過去の軍国国家の再来や経済力偏重の継続を想起させてしまう。皆が活躍して、その先にいったいどういう国作りをしようというのかが、問われねばならないのだ▼「教育」をめぐっての、戦後民主主義の弊害と戦前回帰の無謀といった異なる立場の間での論争も、あるいは「憲法」についての「改憲か、護憲か」の論議も、中道主義の立場が見失われてはならない。公明党は「教育基本法改正」をめぐって自民党との間で極めて長い時間をかけて議論を積み重ねた歴史を持つ。ひとえに従来の古い「保革対立」から脱却せんとする熱い思いからだ。人間教育に依拠する「創価教育」の伝統を重視する公明党ならではの闘いである。憲法論議でも公明党は現行憲法を貫く3つの基本原理を堅持したうえで、新たな時代変化に呼応するために新しい条項を加える「加憲」を提起している。憲法の「どこを変えて、どこを変えないのか」の議論がまずはなされねばならない。「全部変えてしまえ、いや一切変えてはならない」という対立にはもう終止符を打つ必要がある。参院選挙が終わって、いよいよ公明党の真骨頂が試されるときが来た。今こそ第三の道・中道主義が待望される。(この項終わり=2016・7・13)
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