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(147)7-⑦ なぜ戦争と宗教は深く結びつくのか━━松岡幹夫『日蓮仏教の社会思想的展開』

◆永年の疑問を解いてくれた本との出会い

 親しい新聞記者から以前に訊かれたことが長く気になっていた。「日本近代史において日蓮仏教を信奉した人たちの中に、過激なナショナリストが多いのはどうしてでしょうか」との問いかけだ。確かに、田中智学、北一輝、石原莞爾らはその系譜の中に入る。日蓮大聖人の生涯は闘いの連続であり、革命的言辞に充ち溢れたその言動を曲解すると、時代性もあいまって結果として軍部日本との結びつきが強くなったということだろうか。彼らとの会話を適当にやり過ごしたことに割り切れなさを抱いてきた。ともあれここらを鋭く抉る書物を私は不幸にして知らなかったのである。

 大分前のことだったと思うが、法華経や創価学会について造詣を深めてこられた佐藤優氏と松岡幹夫さんの対談『創価学会を語る』を読み、すでに読書録に取り上げた。そんな作業をするなか、松岡さんの著作一覧の中に、『日蓮仏教の社会思想的展開──近代日本の宗教的イデオロギー』を発見した。松岡さんという人はかつて日蓮正宗の僧侶で、その後宗門を離脱し、日蓮仏教改革のリーダー的存在となった。創価大学を卒業した後、35歳の時に早大で修士号、東大で博士号を取得。創大時代の学友に公明党の私の後輩が何人かいる。

 この本では「日蓮仏教とナショナリズム」の章で田中智学と北一輝、「日蓮仏教と戦争論」で石原莞爾と妹尾義郎、「日蓮仏教と共生思想」で牧口常三郎と宮沢賢治というように6人の思想家、軍人、教育者、作家らを取り上げて詳しく分析を試みている。永年の疑問を解く機会がやってきたとひそかにほくそ笑んだものである。博士論文がベースになったものだが、それでも各章ごとに末尾に「小結」なる”まとめ”が付加されており、その論述は理解しにくくはない。

◆偉大な思想を表層だけしか捉えられない悲・喜劇

 私がこの本を通じて刺激を受けたことは数多い。北一輝については、歴史家で古い友人の故松本健一氏から得たものが多いが、宗教者としての松岡さんの「北一輝論」の方が焦点をつかみやすい。また、浄土真宗、親鸞との戦争との深い関わりも新たに知りえたところが少なくない。この書物が世に出てもう20年余りが経つだけに、もっと早く手にしたかったと、悔やまれる。冒頭に掲げた問いかけの答えは、やはり日蓮大聖人の偉大な思想を表層だけしかとらえられなかった人たちの悲・喜劇ということだろうと思われる。大筋で私の見立ては当たっていた。予想通りである。そんな中で牧口先生のみが「日蓮理解」に正鵠を得たのだと確信する。

 尤も、松岡氏は冷静に「日蓮を相対化」している。その取り上げ方は、牧口先生を深く尊敬している身からすると、正直に云って胸が痛み戸惑いもする。創価学会との深い関係から、我田引水になることを極力避けているのだろう。気になるところは多々ある。とりわけ「日蓮仏教の戦争イデオロギーは、日蓮信奉者たちの思想傾向の多様性と日蓮仏教の思想的多面性とによって聖戦論から反戦論まで幅広く展開された」のだが、「いずれの場合においても、宗教的信念からの人間の生存を第一に尊重するという思想性は見いだせなかった」というくだりなど、その最たるものだ。

 時代性や個人性に起因するのか、日蓮仏教の思想性によるのか。答えをだすには「平和主義やヒューマニズムを標榜する戦後の日蓮仏教についても考察する必要が出てくる」として「今後の課題に」しているが、この本以後、興味深い「戦後編の考察」を次々繰り出しているのは周知の通りである。

【他生のご縁 『信仰学とは何か』に強い衝撃】

 ここで取り上げた表題の本の出版からは20年以上の時が経っています。ところがつい先年、松岡さんが中心になってまとめた『創学研究Ⅰ──信仰学とは何か』は、この人のその後の知的格闘、宗教的深化が窺えるとても興味深く面白い本です。直ちに、読書録に取り上げる一方、ご本人に私の出したばかりの本『77年の興亡』と共に、素直な読後感を込めて、喜びの手紙を書き送ったものです。

 この本の第4章第2部「信仰と学問の間で━━それぞれの人生体験から」には強く惹きつけられました。「仏教では、イエスの復活のような非現実的なことは説かない。こういう人もいるでしょう。しかし、そんなことはありません」とあって、次のように続く。

 「仏教教典を読むと、非現実的な出来事は随所で説かれています。原始仏典に出てくるブッダと神々や悪魔との対話、法華経に説かれる虚空会の儀式などは、およそ非現実的な出来事というしかありません。その点ではイエスの復活と変わりないのです」と。ブログに引用した私は、「いやはやよくぞ言ってくれたと多くの人は思うに違いない。この当たり前のことが長く私たちの周りから聞かれることはなかった」と書いたのです。

 松岡さんは、師の示された宗教的原理を掘り下げ、分かりやすく解き、現代社会に展開することに腐心しています。つい先頃出された第二弾の『『日蓮大聖人論』も読み応え十分でした。私は公明党の人間として、政治の分野でも、こうした試みがなされるべきだと強く感じています。

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【146】”二匹目のどじょう”を貶しつつ褒めるー原田伊織『官賊と幕臣たち』

柳の下に二匹目のどじょうを求めるのは世の常である。原田伊織『官賊と幕臣たちー列強の日本侵略を防いだ徳川テクノクラート』が書店に並ぶと同時に読んだ。前作『明治維新という過ちー日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』は多くの読者を惹きつけた。ゆえに二作目にも大いなる期待をした。だがほぼ同様の中身がなぞられており、二番煎じ気味は否めない。とはいうもののやはり面白い。凡庸なあまたの出版物をはるかに凌駕する迫力を感じる。多くの若い読者がこの二冊を読むことを薦めたい▼明治維新の際に「薩長土肥」と一言で括られる官軍という一大勢力は、毀誉褒貶はあれども日本を形成した「正義」とされてきた。私たちは学校でそう教えられ、また小説の世界でも十二分に味わってきた。それが実は「過ち」であり、「明治の元勲」はテロリストの成れの果てで、官軍は賊軍であったと聞かされるとただ事ではない。前作の出版以後、著者に対して称賛とともに様々な批判も寄せられたことは想像に難くない。ただ、私のような「へそ曲がり」には堪えられない面白みを感じさせる▼かの国民的作家・司馬遼太郎が暗殺は嫌いと言いながら「桜田門外の変だけは歴史を躍進させたという点で世界史的にも珍しい例外だ」と評価した。それに対してこの後輩(共に大阪外大出身)は「(司馬氏は)何らかの原因で錯乱していた」と指弾するなど、これまでの常識的な「維新観」に徹底的に疑問符を投げつける。前作では「会津」や「二本松」にものぐるおしいほどの哀感を注ぐ一方で、長州や薩摩などの特定の人物を蔑みこき下ろした。坂本龍馬にいたっては単なる武器あっせん商人の手先ぐらいの位置づけである▼二作目では、幕末日本が欧米列強の侵略を防ぎえたのはひとえに、徳川の幕臣テクノクラートによるところが大きいとする。阿部正弘、堀田正睦、川路聖謨、水野忠徳、岩瀬忠震ら「英傑」が、知力と人間力を武器に欧米列強と正面から渡り合った様を克明に描き、きわめて興味深い。このあたりを読むにつけ、続編を書きたかった理由が痛感させられる。維新から150年を経て、歴史の見直しが求められている。原田氏だけではなく少なからぬ論者が従来の維新観にノーを突き付けてはきている。だが、原田伊織という人物がなんだか幕末のサムライをほうふつとさせるところが他と違う。尤も、すでに作り上げられた偶像を壊すには並大抵の力では足りない。その意味では著者には三匹目、四匹目のどじょうを狙って貰いたいし、小説の分野でも安部龍太郎『維新の肖像』のような新しい維新観に立脚したものが続出してほしい。(2016・3・28)

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【145】割腹前夜に何を彼は考えていたかー三島由紀夫『命売ります』

三島由紀夫の『命売ります』という題名の本が売れているというので、アマゾンで注文して読んだ。書店で購入する場合と違って中身があまりわからないままに購入してしまい、放置してしまうことが多いなかで、これはしっかりと読めた。要するに彼のものとしては気楽に読めるエンタテインメントである。三島本人も「小説の主人公といふものは、ものすごい意思の強烈な人間のはうがいいか、万事スイスイ、成行まかせの任意の人間のはうがいいのか、については、むかしから議論があります。前者にこだはると物語が限定され、後者に失すると骨無し小説になります。しかし、今度私の書かうと思ってゐるのは、後者のはうです。今風の言葉だと、サイケデリック冒険小説とでもいふのでせうか?」と「作者の言葉」を寄せている▼この本は昭和43年5月から10月まで週刊誌「プレイボーイ」に連載されたものが12月に単行本として出版された。あの自衛隊市ヶ谷駐屯地での割腹自殺事件が起こるほぼ2年前。すでに当時、同志の学生たちと血盟状を作成したり、自衛隊への体験入隊をするなど着々とことを起こす準備を進めていた時期にあたる。それゆえ、単なるエンタメというよりも、形は「サイケデリック冒険小説」の装いを取りながら、その実、解説で種村季弘が書いているように「小説家三島由紀夫その人の生身の魂の告白が、あからさまに吐露されている」ものだと思われる▼尤も、主人公の羽仁男が襲われる「荒涼たる孤独感」や「寄る辺のない不安」と、その果てに行きつく、一度捨てたはずの「生」への執着、「凡庸な生に対する餓渇に近いあこがれの感情」などをあの当時の三島が抱いていたと思うことはそれなりの勇気がいる。通常イメージされる三島由紀夫とは無縁のものと思われるからだ。それだけに、種村の推測に身をゆだねることは極めて興味深い。確かに「骨無し」ではあるものの、一刀両断には判じがたしたたかさを持った本だともいえようか▼昭和45年11月に彼が自殺をしたときに真っ先に抱いたのは「なんでそんなバカなことをするのか」との憤りに彩られた凡庸な思いだった。あれから45年余の歳月が経った。三島由紀夫ありせば90歳を超えているはず。老いさらばえたすがたを人に見せることをせず、輝いたままの精神と肉体を印象付けたいとの彼の思いはおそらく成功したといえるのだろう。しかしながら、命は「売る」ものでも、「買う」ものでもなく、「使う」ものだとの本来の観点にたてば、迫りくる老いの中でも懸命に「使命を果たす」姿のほうが、凡愚な私には尊いものに思われる。(2016・3・26)

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【144】日本人キリスト者に欠ける視点ー三谷隆正『幸福論』

新しい友との出会いはいつもながら嬉しいものだ。その友から三度目に会った時に本を頂いた。三谷隆正『幸福論』である。同名のタイトルのものはヒルティやアランが書いている。それなりに読んだことがあるが、三谷隆正のそれは初めてだ。秀れた法哲学者で無教会キリスト者でもあった三谷の人生は1889年~1944年というから、明治半ばから先の大戦の敗北寸前まで生きていたことになる。終戦直後に生まれた私にとってちょうど前の時代の人で、リレーでいえばバトンを渡された世代だ。19歳で日蓮仏法の門に入った私はこれまでいろいろな本に出会ってきたが、この種のものはいささか食傷気味であった。それが読む気になったのは巻末に添えてあった座談会「三谷隆正先生の人と思想」であった▼南原繁、丸山真男、前田陽一、武田清子ら碩学による追憶談義は、三谷という人物をくまなく描き出すとともに、明治から大正、昭和にかけての時代の教養主義を生き生きと表現している。とくに大正教養主義といわれるものが宗教的な流れと人道主義的なものとに分かれているとの指摘は興味深い。同時にまた本文中における二つの世界観を対比したくだりにも惹きつけられた。「古代から現代にいたるまでの智者とも賢者ともいわれるような人々の世界観は、大略二つに分けられる」としたうえで、三谷は「一つはギリシア的教養を以て身を鎧うたる人々にして、基督教的信仰を持たない者の世界観」で、「もう一つは活きた基督教的信仰によって支えられたる世界観」だとしているところだ。勿論、キリスト者の彼は後者のみが「強靭なる積極的人生観と不撓の希望とを持っている」と断じ、「前者は例外なしに究極は厭世主義」と切り捨てている▼敬虔な宗教者らしい真摯な生き方が随所に顔を出して好感は持てるものの、東洋の思想への言及が際立って少ないことは気にかかる。尤も、一か所だけだが真正面から触れられている。「汎神論的主知主義が東洋古今の幸福論を顕著に性格づけている」(208頁)との前後の数行である。「果たして見ることは愛することにまさりて祝福の源であろうか」とか、「静に座して栄光の神を観てよろこぶというような味楽の境地でなくて、起って全身全霊を神の聖前に投げることでなければならぬ」との表現に、抑え気味ながらも東洋思想への批判のまなざしが見て取れよう。しかし、日本人の書いた「幸福論」に仏教や東洋思想への思い入れがなく、キリスト教や西洋哲学への憧れや関心しか見てとれないところに、私などは時代と人の限界を感じてしまうのである▼さて、この本を私に薦めた人とは、だれか。須曽淳麿というほぼ私と同世代の人である。同志社大を出て大塚製薬に入社した後に、早稲田大でも学んで修士となり、やがて刻苦勉励を重ね、55歳にして順天堂大学医学部で博士号を取得するという向学の志きわめて熱き人である。三谷隆正とは遠縁にあたられるとのこと。ある友人を介して、つい数週間前に会ったばかり。真っ赤なマフラーを首に巻いたうえに濃紺のハットを被って。約束の場所・新橋駅前のデゴイチの脇から、初めて現れたあのときはおよそ怪人物に見えた。「努力は肥料、苦労は農薬」という言葉を好んで口にされるようなこの御仁はなかなかの懐深き人と思われる。これからの出会いが無性に楽しくまたれる。(2016・3・9)

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【143】読むたびに微笑む「老いの楽しみ」ー松田道雄『幸運な医者』

世の中、油断も隙もあってはいけないということは良くわかってるつもりだが、往々にして忘れる。というか私の場合、自己過信からの自損事故が多い。ひと月近く前、理髪店で椅子に座った状態で脱いでいた靴を履く際に紐を結んだ。その時に女性従業員(そこはすべてそうだが)から「身体やわらかいですねぇ」と感心された。私と同年配の客では、そんなことできる人は珍しいという。そこで終わってれば良かったのだが、「私は前屈など得意だよ」とつい上体を曲げて両手の指の先を地面につけた。いらい四週間というもの、左の脇腹下の腰痛がただならざる状態になってしまったのである▼20代半ばにぎっくり腰になってより還暦を迎えるまで、40年近く腰痛に苦しみぬいた。日本カイロプラクターズ協会と巡り合い、カイロ治療を受けてからのこの10年は、痩せておなかがへこんだことも手伝って、ジョギングをしても腰痛知らずだった。それが元の木阿弥状態になったのだ。70歳になって”現代古希ン若衆”だなどと駄洒落ていたが、腰は体全体の軸とあって辛い。そんな折に再読したのが松田道雄さんの『幸運な医者』と『安楽に死にたい』の2冊。「生と死」や「健康」を考える時など、時に応じて取り出す。松田さんは小児科医をしながら『育児の百科』など物書きとしても活躍。患者の自己決定権の思想にたった医療の実践をつづけ、1998年に90歳で亡くなるまでの30年間は評論・執筆活動に専念した。面識はなかったが、若き日より遠くから憧れていた存在だ▼「長生きするしないは、大部分遺伝因子で決まっていて、変更できるものではない」「長生きした人の話をきいても、その人の鍵が、その人の門の錠前をスムーズにあけられるというのと同じだ。借りてきても、自分の門の錠前をスムーズにあけられるものでない」といった話は含蓄に富む。また、元はマルクス・レーニン主義に傾倒していたが、「ソビエト・ロシアの国教になっていた信仰から離れたのは、私なりに自分の目でロシアを見たから」だという。「育児という実用の仕事をしながらも、その底のほうに、ほんとうは何をしても空しいんだという気持ちを押さえきれなかった」松田さんは、「ニヒリスト」的側面を持ち続けた人だと、世間から見られていた▼マルキストとは無縁で、かつ「幸運な宗教者」である私にとって、松田さんの晩年はとくに気の毒に思われる。それでも、「老いの楽しみ」の章は読み返すたびに微笑む。テレビ、ビデオや映画について語ったくだりは、あんな人でもこんな楽しみを老後に持っていたのか、とにんまりする。「疲労感のある日は西部劇がいい」とか、中国の映画は「風俗的な興味からテープに入れるが、くりかえしてみたいのにはぶつからない」。「香港のは時に面白いのがある」し、「韓国も日本より問題意識があって」いいというようにも。友人たちとのやりとりも読ませる。「むつかしい本はいやになりました。芥川全集予約すべきか迷っています」とか「けさ妻に『あんたなんで生きてんにゃ』とたずねたら『寿命があるさかいや』といいました」など、さりげないながらドキッとさせられる言葉にも出くわす。「長く生きて生を楽しむには、ふたつの丈夫な足場が要る」として「身体」と「精神」をあげたうえで、それを支えてくれたのは「本や音楽や映画もあるが、友人も」と。幾たびめかの腰痛のせいで、いい本を再読できた。(2016・2・28)

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【142】「新しい普遍主義」はいったいどこにー佐藤優『池田大作大学講演を読み解く 世界宗教の条件』

読売新聞の橋本五郎特別編集委員に『二回半読む』という著作がある。本は一度読んだだけではなかなか理解できない。二回は読み、彼のような書評を数多く手がける人はさらに、という意味だった。また、作家の佐藤優さんは、二度ほど読み、また数か月経ってから読みなおすとより頭に収まるものだとどこかに書いていた。私の仕事上のボスだった市川雄一元公明党書記長は、自分が読んで感銘を受けたくだりは必ず身のまわりの人間に語ることを常にしていた。優れた読み手たちは、それぞれ工夫を凝らす努力しているものだが、私はそういうことを知りながら実践できないでいる▼佐藤優『池田大作大学講演を読み解く 世界宗教の条件』を読んで、一体自分はどこをどう読んだのだろうというショックを受けた。佐藤さんはこの10年で100冊を超える出版物を世に問うているが、『地球時代の哲学 池田・トインビー対談を読み解く』と並んで、この人の池田思想理解はおよそ半端なものじゃないことを改めて世界に明らかにしたと確信する。多くの弟子が師の偉業を活字で語ることに手間取っている間に、異教徒がここまで見事に創価学会の果たしてきた役割を披歴するとは‥‥▼北京大学での「新たな民衆像を求めて」という1980年の講演は、「友好と反目の二極化現象」にある昨今の日中関係を打開する上で極めて示唆に富む。池田先生は「中国は神のいない文明」(吉川幸次郎氏)だとの指摘を通じて、ヨーロッパ文明の「普遍を通して個別を見る」伝統に対して、中国文明というものを「個別を通して普遍を見る」という言葉に要約された。こういう素晴らしい能力をあなた方は持っているがゆえに「恐れずに改革開放政策を進めればいい」と中国を世界に誘ったのだ、との見立てはさすがに佐藤氏らしい鮮やかさだ▼経済面では共産主義下にありながら資本主義を導入するという”離れ業”をやってのけた中国も、政治面では依然として共産党一党支配のいびつな体制のまま。同講演において池田先生は「中国が文革の負の遺産を超克し、世界の大国になるには『新しい普遍主義』が必要だと説いた」。佐藤氏もその方向に舵を切ることを全面的に支持している。ところで、この講演から既に四分の一世紀が経つ。ヨーロッパ文明に根差す「旧来の普遍主義」が色褪せた今日、「新しい普遍主義」の姿は未だ明確には見えてこない。この講演を読み返してみて、「旧来の普遍主義」に無批判に身を寄せたままの日本の在りようについて、根源的な不安が沸き起こってくるのを禁じ得ない。問題はむしろ中国ではないのだということが痛切に感じられる。(2016・2.19)

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【141】友好と信頼を築く日中融和の試みー浅野勝人『北京大学講義録』『融氷の旅』

元NHKの解説委員にして元内閣官房副長官、元外務副大臣などを歴任した浅野勝人氏。国会議員を勇退されてもう●年が経つ。●年衆議院議長公邸で年に1〜2回開催される前議員の会で久方ぶりにお会いした。一貫して日本と中国との融和に取り組まれてきたことで知られており、かねて尊敬していたジャーナリスト出身の大先輩との再会は私にとって大いなる知的刺激をもたらしてくれた。この人は今「安保政策研究会」という一般社団法人を主宰される一方で、執筆活動にも余念がない。現役時代さながらの意欲と行動ぶりには驚くばかりである。ほどなくして二冊の本が送られてきた。

『北京大学講義録 日中反目の連鎖を断とう』『日中秘話 融氷の旅』だ。私は、故・池田大作創価学会インターナショナル(SGI)会長の学生部総会での講演(1968年)を聴いていらい中国問題に開眼した。強い関心を持って研鑽を重ねてきたのだが、この2冊の本には正直言って全身を激しく揺さぶられた気がする。浅はかな時流におもねらず、ひたすら日中両国の相互理解に身を捧げてこられた浅野氏の姿が改めて浮かび上がってくる。

 前者は、北京大学の学生たちを前にして「外交・安保」「経済政策」「教育論」「公害論」などを真摯に講義された記録だ。貴重な「日中関係論集」として参考になり、利用価値は高い。後者は、面白い秘話がちりばめられた「浅野勝人回顧録」である。これまたもう一つの「日中裏面史」として評価出来る。

 いったいいつの頃から「嫌中論」や「反日論」が両国内に台頭してきたのだろう。「江沢民の13年」という言い回しに代表される反日教育のせいばかりには出来ない。どっちもどっちの広範囲な認識ギャップも災いしていよう。私自身、「自公」の名だたる先輩三人がかつて中国で日本の政治批判をされたことの非を予算委員会の場で、あげつらったことがある。内心忸怩たる思いだったことが遠い日の一葉の写真のように今によみがえる。

 「共産主義中国」を、「お行儀の悪い中国人」を知ったかぶりに批判するのは簡単だ。しかし、悠久の歴史の流れの中で毅然と聳え立つ中国の良き伝統を今に受け継ぐ善なる人々も同じ数だけいることを忘れてはならないのではないか。日中間に真の友好をつちかってきているのは「池田思想」を学び実践する創価学会だけ、との思いこみが私にはあった。中国人学生が寄せた浅野氏の講演に対する感想レポートが掲載されているが、それを読むと厳しい寒さの冬の朝にぱっと窓を開けた時のように、清々しさに圧倒される。人の心を掴むことの大事さを思い知らされて余りある。

 なお、この2冊にはさりげなくだが随所に浅野さんが勧める本の紹介がなされている。山本七平『帝王学「貞観政要」の読み方』やユン・チアン『近代中国の創始者 西太后秘録』上下等々。これらを拾いあげて読むこともまたとっておきの楽しみだ。政治家の書いた本はとかく色眼鏡で見られがちだが、この本はまったく違う。まずは身の回りの学生や青年たちに薦めたい。

 

 

(2016・2・3)

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【140】哲学は真理を教えているものではないー古田博司『使える哲学』

「今大学で何が起こっているか、知ってますか」って、数年前に筑波大学の古田博司教授から投げかけられた。「学問の淘汰が始まっているのです」「細分化された学問がどんどん間引きされ、使えないものには学生が全く見向きもしないのです」ー筑波大の場合では大学院の法学専攻が5年間志願者ゼロでとうとう廃止になった、という。インターネットの本格的展開は、旧来の”知の持つヒエラルキー”を壊した。分からないことがあれば、直ちに手元のパソコンを開けば何でも解決する。勉強をすることで普遍的な知に近づけるというかつての幻想は消えてしまった▼『使える哲学』なる古田先生の新刊本は極めて明快。使えないくせに”お高い雰囲気”を持つ哲学という学問のイメージを完膚なきまでに壊してくれる。めっぽう面白い本である。この本の結論は「近代=普遍知の時代が終わった」ということ。「哲学というものは哲学者が人を説得しようとしている話を聞く(読む)というだけで」、「別に真理を教えているわけではない」。「もしそこに自分にとって役立つものがあれば利用すればよいだけ」という。以前に取り上げた『ヨーロッパ思想を読み解く』で展開された、西洋哲学の基本にある「向こう側」という世界の捉え方から始まって、ドイツ哲学やフランス思想の問題点を曝け出し、イギリス哲学の優位性を説く。相変わらずこの人は知的刺激を猛烈にもたらしてくれるのだ▼これを読んで、私がかつて学生時代にー1960年代のことだがー知った創価学会の提示する価値観を思い起こした。それは、われわれが求めるべきものは「”真善美”ではなくて”利善美”だ」というもの。真理を求めるのは学者に任せて、一般大衆は利用すべき価値を探せとの指摘だと理解して、はじめは大いに驚いたものだ。あの頃はまだ「近代」のただ中で、普遍知なるものを皆が有難がっていた。「ポスト・モダン」の今になって、信仰50年の自分が創価学会の先駆性に気づくというのも気恥ずかしい▼20年あまり前からの知己である古田さんには、朝鮮半島をめぐる深い洞察から東西哲学比較まで、様々に教えを乞う機会が多い。「40年間、朝鮮だけを研究してしまい」、「朝鮮だけで終わってしまった」のが「悔しいから、今ちょっと暴れている」と謙遜されるだけあって、彼の進境はいやまして著しい。本来の儒教を骨格とする東洋思想への知見に加えて、ヨーロッパ思想への斬新なアプローチは余人の追従を許さないものがある。日蓮仏法をかじっただけの私など到底太刀打ちできないことは百も承知だ。しかし、そこは向こう見ずな私のことゆえ、なんとか蛇に怖じず、とばかりに時々無謀にも挑みかかっている。東洋の叡智の持つ「直観」に磨きをかけて、近くまた議論を吹っ掛けたいと思っているのだが。(2016・1・28)

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【139】歴史を図形で捉えることの面白さー保坂正康『昭和史のかたち』

時代を図形で捉えるー実にユニークな発想の本を発見、一気に読んだ。保坂正康『昭和史のかたち』である。図式イメージはすべての理解を助け、早める。かつて私は創価学会という組織を三角形ではなく、円形で捉えることの大事さに気づいた。「組織の頂点や底辺」という言い回しは三角形やピラミッド型を連想させ、暗く重苦しいイメージが付きまとう。それに比べ、明るい躍動的な組織を説明するには、円や球こそが望ましい。民主的組織のリーダーは円の中心にあり、最前線のメンバーは円周上の人々だ、と。遠心力や求心力も組織にとって欠かすことができない力として説明できる、という風に。物事を図式化することは面白い▼保坂さんはこれを歴史理解に適用した。例えば、昭和史を大まかに捉えるにあたり、昭和元年から20年9月2日の無条件降伏の日までを前期。それから昭和27年4月28日までの米軍占領期間を昭和中期。そして独立を回復した日から昭和天皇が崩御した昭和64年1月7日までを昭和後期とする。これらを三角錐の三つの表面体として捉え、それぞれの時代の中心人物に、東条英機、吉田茂、田中角栄を当てはめる。そして三角錐の底の面にはアメリカ、空洞部分には天皇の存在があるとする。3人の首相経験者にはそれぞれ獄につながれた経験を持つ共通点があり、アメリカとの関係が日本の指導者にとって致命的な意味合いをもつことを明らかにしていく▼この本の最大の焦点は、三章の「昭和史と三角形の重心」だ。明治憲法下では、三角形の頂点に天皇、ほかの二辺にそれぞれ統治権と統帥権とで正三角形を形成していた。それが軍部勢力の台頭により、統治権よりも統帥権が上位に立ち始めるという形で重心が移動し、やがて頂点に位置する天皇をも超えてしまう。いわゆる「統帥権干犯」という事態を惹起するわけである。このあたり、実際に図式で説明をすると実に分かりやすい。こうした正三角形から歪な図形へと変わりゆく姿こそ、昭和前期の天皇から軍部への重心の移動を示して余りある▼保坂さんは、この本で「遠くなりゆく『昭和』を、局面ごとの図形モデルを用い」ながら、「豊富な資料・実例を織り込み、現代に適用可能な歴史の教訓を考え」ていく。ただ、おわりにのところに「戦後七十年の節目に、無自覚な指導者により戦後民主主義体制の骨組みが崩れようとしている」として、ステロタイプ的な批判の言葉を投げかけているのは、いかがなものか。「集団的自衛権の行使を可能にした」安保法制の制定は、「戦後民主主義体制」の一側面を修正強化しこそすれ、骨組みは壊されたりしようとしていない。むしろ、そこでいう「体制」の実態とはなんであるのかが問われるべきだと思う(2016・1・17)

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【138】いろはかるたから学ぶ繰り返しの大事さー鶴見俊輔『読んだ本はどこにいったか』

タイトルに惹かれた。『読んだ本はどこへいったか』という。昨年83歳で亡くなった鶴見俊輔さんの「今まで読んだ本の、自分の中でののこりかたの記録」である。私も今日までそれなりに本を読んできたつもりだが、このタイトルを最初は鶴見さんとは正反対の意味にとってしまった。つまり、本は読んだが何も残っていない、との意味に。妻から先年「本を読んでいても貴方は何も身についていない」と揶揄されたことがずしんとこたえているからに違いない。大いなる反省と新たなる旅立ちへの参考とするために興味深く読んだ▼鶴見さんはこの本を⓵自分の読み直しのメモ⓶京都新聞の山中英之記者へのはなし⓷記者の記録への手入れーの手順で作ったという。ご自分の体内に80歳までの人生で読んだ本がどう残っているかを書き残された。その読書生活の全容をこの本が要約しているものとらえることが出来る。「『老い』というフィルターで濾過され、なお残る本は何か」と自身に問いかけ、「私にとっては、これまで実現したことのない著作の形である」と言われる。随所に魅力溢れる様々な本のエキスが抽出されており、あれもこれも読みたくなる▼「哲学のもう一つの入り口」「生活語を求めて」「大衆小説の残したもの」の三章からなるが、「かるた」について書かれた第二章がお正月の今最も読むにふさわしい。「かるたは単なるゲームではなく、人生のいろいろな状況の中から、自分がとれることわざをとる不思議な文学です。遊びでありながら、実人生と相互乗り入れになっている」と持ち上げる。更に島崎藤村と岡本一平(絵)が作った『藤村いろは歌留多』について「(藤村の全著作の中で)最高のものだと感じるのは、七十八歳になった今の私の評価です」とまでいう▼思えば「かるた」に日本人は多くの思いを託し、様々な教訓を学んできた。私など「犬も歩けば棒にあたる」を読んで「人も歩けば票に出くわす」と想起して、選挙への意欲を高めたり、「猿も木から落ちる」から苦手なことよりも得意なことが失敗の因につながることを戒めたものだ。ここで言えるのは繰り返しの重要性だ。子どもの時から何度も何度も口にして覚えたことだから身についてきたのだろう。「好きこそものの上手なれ」である。読んだ端から忘れてしまう読み方から脱却するために、今年は気になったくだりや興味を持ったところを繰り返し読み直したり、更にその中身を人に語ることで身につけていこうと思っている。(2015・1・6)

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