[14]失われたものへの貴重な気付き──大隅良典・永田和宏『未来の科学者たちへ』を読む/1-3

 初夢を見た。経済的に恵まれない若者たちに、私が資金を提供する基金団体を作って喜ばれているというものだ。かねて人生最後の望みがそこにあることを、身近な友人に吹聴してきたからに違いない。実は、昨年暮れも押し迫った頃に、姫路出身東京在住の仲間たちの集い「姫人会」が久しぶりに開かれた。その際に、元日経新聞記者から東京工大副学長を経て、現在は公益財団法人「大隅基礎科学創成財団」の常勤理事を務める異色の経歴を持つ才人・大谷清さんから、標題の本をいただいた。出版したばかりの『77年の興亡』を差し上げた代わりだったので、文字通り物々交換となった。よければ読書録に書いて欲しいとのことだった。

 そういう目的で本を貰うことはあまりないこともあり、喜んで年末から貪り読んだ。2016年にノーベル生理学・医学賞を受賞した大隅さんは、冒頭に書いた私の夢に近いものを既に見事に実現されている。卓越した文筆家でもある著名な生物科学者の永田和宏さんの興味深い論考と、友人お二人の対談を織り交ぜた本だが、実に面白く楽しめた。私のような年老いかけた政治家が読んでも貴重な〝気付き〟が幾つもある。科学に近寄りがたいものを持つ全ての人たちに勧めたい好著だ。

●直面する基礎科学分野の危機

 大隅さんがこの財団を作るに至った背景には、基礎科学の分野が危機に瀕している現実がある。国のお金にだけ頼らず広く寄付を募り、基礎科学の理解と振興を目的としての、眼を見張るべき挑戦だ。これは「新しい社会的実験」だとする大隅さんらの試み。それへの宣伝の役割をこの本は持つともいえよう。大いに啓発された。遠い昔に、父親から『なぜだろう なぜかしら』という本を買って貰ったことを覚えている。科学的なものの考え方に興味を持つきっかけを作ってくれようとした親心だったはずだ。だが、後に高校時代に、いわゆる出来のいい友人たちの多くが理系志望だったことに反発する思いもあって「試験管を動かすよりも、人の心を動かす」のだと、私は心密かに息巻いた。そして政治学の門を叩いた。

 以来、半世紀近くが経って、国会の場で、基礎科学への財政的支援をするべし、との気運が公明党内でも起こり、私もその気になったものである。しかし、結局は確かなる手応えの結果はもたらすことができなかった。大隅さんは恐らく政府、政治家に頼ることを諦めて、自ら財団を作る決意をされたのだろう。日本人が総じて「議論」が苦手であることはもはや通説だが、この本ではその代表例として政治家のケースが挙げられている。「いま議論の虚しさを感じさせる場面は国会かもしれない。議論が破綻していることは誰の目にも明らかだ。日本の政治の劣化は著しい」──この指摘は悔しい思いもするが、文字通り的中している。

 この本の二人の著者は私と同世代。様々な意味で現代日本についての思いは共通する。国会、政治家の劣化を指弾されて、人生をこの分野だけで生きてきた者として、恥ずかしくないかと言えば嘘になる。残念ながら同調する気分は抑えがたい。いったいどうしてこんなことになってしまったのか。大隅さんは、テレビで映される国会中継を見て、「議論の中から新しいものが生まれる生産的な活動だと実感することはできようもない」と手厳しい。

 私は先に出版に漕ぎ着けた自著の最後に、国会議員の質問を査定する機関を民間で立ち上げる提案をしている。色々と障害はあっても、やってみる価値はあろう、と。基礎科学への支援を広く呼びかける試みに見倣って、今の国会、政治家を建て直す企てへの支援を呼びかける財団でも作ってみたい。これは〝正夢〟にしたいのだが。

【他生のご縁  高中小の子どもたちとの語らいに参加して】

 大隅さんが姫路にやってくるので、科学好きの高中小生たちを集めて欲しいとの要望を受け、関係筋に声をかけると共に、自分も大いに楽しみにしていました。その日は会場いっぱいに詰めかけた子どもたちとの質疑応答。「ノーベル賞を取るにはどんな勉強をすればいいか?」「壁にぶつかった時には、どんな気持ちでしたか?」と言った質問に丁寧に答えていました。「苦手だからやらないとか、役に立つからやるという観点だけではいけないよ」「私のこれまでの道は失敗ばかり。失敗を恐れてはいけないよ。何をそこから学ぶかが大事です」などと、大人にも通用する大事な話でした。

 「ミケランジェロとダヴィンチとではどっちが好きですか?」との質問が少女から飛び出しました。即答出来ずタジタジと見える場面も。この人らしい真面目さが伺えて微笑ましい感じになりました。また、最後に高校生から安倍元首相の国葬についての問いかけには「手続きに問題があり、個人的には反対です」ときっぱり。会場を後にされる間際に立ち話。「所属する公明党としては賛成ですが、私も先生と同様に個人的には反対です」と伝えたしだいです。

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[13]ここに夢あり──フランス人の漫画『失われた田舎暮らしを求めて』を見て読む/12-27

 本年最後にとっておきのl漫画をここで活字で紹介するのは初めてである。どうしても紹介したい特別版なので。著者はWakameTamago(ワカメタマゴ)というペンネームを持つ50歳過ぎのフランス人。本名はフレデリック・ペルーさん。この人を知るきっかけは、姫路市の北端・安富町に住む高校時代から(大学も一緒)の友人山本夫婦である。ご近所に東京から越してきたユニークなフランス人と日本人の夫婦がいる、とのことを聞いたのがきっかけだった。2018年だったか、彼の奥さんも含めて5人で、姫路城三の丸広場での「薪能」の鑑賞に行った。私以外のツーカップルは初めての経験とあって珍しげに見入っていた。楽しい思い出として記憶に刻まれている。そこへ先日突然、山本夫人がそのペルーさんの出版したばかりのこの漫画本を送ってきてくれた。驚いた。

 一読、とてもホッコリした気分になった。と共に、〝Withコロナ〟と言われる時代を先取りした、田舎暮らしの凄い試みに深い感動を覚えたものだ。多くの人に読んで見て貰いたいと、心底から思う。地域再生に向けて様々な議論がかまびすしいが、まずこの本を読むことから考えてみては、と提案したくもなる。西播磨の安富町の山奥で、外国人にどんな仕事ができるのかと、紹介を受けた頃には疑問に私は思っていたが、浅はかだった。パソコンひとつで、どんなところとでもリモートで繋がれることを忘れていた。

 そのあたりについては、既にこの2年で誰もが広く体験済みであることは言うまでもなかろう。彼は、アメリカに本社がある巨大IT企業M社の勤め人なのである。2012年に東京からこの地に移ってきた。同社の仕事の上司と、生まれ故郷のフランスの友人たちと日常的に〝AI 往来〟をする一方、奥深い日本の山あいで牧歌的生活を満喫しているのだった。この漫画本では、その生活ぶりがユーモアたっぷりに事細かに描かれていて、見るものを楽しませてくれる。漫画を描くのは子どもの頃から好きだというだけあって、絵はうまく、とても面白く、挟み込まれるセリフや背景説明が抜群に味わい深いのである。

●色んな動物たちの恩返し

 この漫画の最大の見せ場は、彼の親しい友人の大工さんの咲ちゃんが突然病気で倒れてしまうくだり。常日頃から彼にお世話になった色んな動物たちが次々と恩返しのためにお見舞いにやってくるのだ。大自然の中での人間と野生動物たちの共生の姿。胸を打たれずにはおかない。ファンタジックなシーンの一方、シビアな場面も登場する。東京から引っ越しするにあたって仲介役の不動産屋の〝騙しのテクニック〟や大工さんたちの超のんびりした仕事ぶりなど、大いに笑える。観察力鋭い見事な表現ぶりに関心する。お気に入り朝食が「納豆トースト」だというのは呆れてしまうが。フランスから東京、そして播磨へと移ってきたペルーさんの日常が、いかに豊かであるか。それが村人たちとの交流を通じ、そしてヒルやヤモリたち、ムジナやヤギなど虫類、鹿を始めとする動物たちとの出会いを巡って展開されているのである。

 実は、彼と一緒に宍粟市波賀町戸倉の山奥に、私が理事を務める公益財団法人「奥山保全トラスト」の仲間たちと一緒に、〝トラスト地ツアー〟の一環として、植樹を兼ねて森林の実情を見に行ったことがある。3年半ほど前のこと。彼にとって、荒廃する日本の森林を知るいい機会だったはずである。この漫画の中に印象に残る杉林が出てくる。「なんかかわいそうだね、杉たちがこんなに立派に伸びたのに、今は価値がないと言われて、そして誰も大事にしてくれない」と言いつつ、杉の幹に人が抱きつく描写が登場する。一緒に行ったあの時の体験と学習が見事に反映されていると感じた。この漫画はフランス語版が先に出て、今回の日本語版になったという。フランス人の感想を聞きたいとの思いが募ってくる。都会暮らしに喘ぎつつ、田舎に憧れる多くの人々に読んで貰いたいとてつもなく心に染み込む名作漫画だと思う。

【他生の縁 播磨の山奥で高校同期らと交流】

 ペルーさんとのご縁を取り持ってくれた私の高校、大学時代からの友人山本裕三さんも、ちょっぴり似てます。顔ではなく、生活スタイルが。実は彼の場合は、人生終盤を迎えて、埼玉県大宮市から生まれ育った姫路市安富町に帰ってきました。仕事でイギリスにも長く住んでいましたが、定年後は故郷に戻ってきたのです。ペルーさん、山本さんに共通するのはご夫人の内助の功でしょう。お2人ともとってもすてきな女性で、その支えあってのご両人でしょう。尤も、漫画にあまり登場して来ないのは残念ですが。

 ときどき送られてくるブログに、田舎暮らしは、経済的にいいし、消費者のみの経験から一転、生産者としての視点が得られるなどと書いてありました。第二弾の漫画もそのうち出して欲しいものだと、心の底から思っています。

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[12]直木賞作家の「聞くも涙」の挑戦ープラ・アキラ・アマロー(笹倉明)『出家への道』を読む/12-22

 直木賞作家が人生に転落したすえに、異郷の地で僧侶になるーこのこと自体が小説のテーマになりそうだが、ご本人の手になる『出家への道』という本を読んだ。著者は、前々回に取り上げた、歯にまつわる対談本の河田歯科医の相手方・笹倉明氏である。この人の本は、出世作を始め何も読んではいない。対談を読んで、団塊の世代の責任を指弾されるくだりが気になり、表題作を手にした。驚いた。比較的若くして大なる賞を得ていながら、身を滅ぼす流れ抗しがたく、多大の借財を負い、妻子(しかも複数組)と別れ、タイへの逃避行に身をやつす◆この本は、構成が一風変わっている。ご本人の転落の顛末と、出家に際しての儀式めいたものの一部始終が交互に出てくる。つまり、前者は奇数章に、後者は偶数章に、といった具合に別けられているのだ。日蓮仏法の実践者たる当方としては、直木賞作家が何故に、破滅の道に陥ったのかも興味あるテーマだし、現代における小乗仏教の牙城ともいえるタイの僧侶の生活も気になる。このため、まずは奇数章を全部読んだ後に、出家式を通してのタイ仏教のさわりを垣間見た。圧倒的に、前者の方が読み応えがあった。いかなる分野であれ、いい調子になってる向きには一読をお勧めしたい。明日は我が身とは言わぬまでも、リアルな〝一寸先は闇〟のモデルである◆そんな中で、私が興味を唆られたのは、団塊世代についての自虐的としか言いようがないほどの論及である。戦後民主主義教育の持つ致命的欠陥が、いわゆる躾けの欠如と無責任なまでの自由放任にあることは論をまたない。学歴至上主義による受験勉強一本槍の教育がもたらした荒涼たる風景は、著者に指摘されずともよく分かる。だが、いかに自分自身がまともな教育を受けてこなかったかを、手を変え品を替えて繰り返し訴えられると、妙な気分になる。「それって、言い過ぎじゃない?ご自分の根本的な性癖を棚上げして、制度や仕組みのせいにしすぎじゃあないか」と◆日本で食いつめて、東南アジアに流れる人が少なくないことは分かるが、現地で僧侶になる人は、この人をおいて他に私は知らない。その意味で、これからどう変化されるかが俄然気になる。奇数章を読んだ限りでは、およそいわゆる真人間になるのは難しいと思われる。仏門に入って5年ほどが経たれるようだが、時々日本に帰り、先に紹介した対談本を出版(これは手紙形式かもしれぬが)したり、またこの著作もものされているということは、俗世間への思い断ちがたいものがあると容易に想像できる。タイで僧侶をしている分において食い繋ぐことは出来ても、それを足掛かりに、物書きへの復帰心断ちがたいのなら、結局は元の木阿弥が関の山ではないかと、思ってしまう。同時代人として、大乗仏教の翠たる法華経に身を挺してきたものからすると、タイで乞食行に励む著者の姿はただただ哀れを催す。勿論、見事に変身され、日本に僧侶として凱旋されることも期待したいのだが。(2021-12-22)

 

 

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[11]「新しい社会主義」の勧めー斎藤幸平『人新世の「資本論」』を読む/12-15

「人新世」ー人類が地球を破壊し尽くす時代を指すとのこと。1995年にノーベル化学賞を受賞し、今年1月に亡くなったパウル・クルッツエン氏が名付け親だという。その恐るべき時代を救う鍵が、『資本論』を書いたカール・マルクスの晩年の思想の中にあるとの見立てを述べたのがこの本である。著者の大阪市大大学院准教授・斎藤幸平氏は35歳。飛び切り優秀な若き経済思想家の注目される意欲作でありながら、気にしつつ読まずに放置していた。理由は簡単。『資本論』なるものへの〝定説〟が邪魔をした。その上、「人新世」とのネーミングにイメージが定着しなかったのである。読んでみてつくづくわかった。本も人と同じように見かけだけで判断してはいけない、と強く思う◆今、世界が直面している問題は「気候変動」で、2030年は世界史の分岐点であるとさえ喧伝されている。だからこそ「脱成長」論が台頭してきている。ところが、日本では殆ど無視されているのが現実だ。経済的に恵まれた団塊世代と困窮する氷河期世代の対立に矮小化されていることが原因だと著者は指摘する。成長の果実をしっかりと享受した老人たちが、後は野となれ山となれでは、若者世代が怒るのは当然だ。ここは、老いも若きも一体となって、きたるべき非常事態に備える必要があろう。かつて「南北問題」(この著者はグローバルサウスと呼ぶ)といわれた地球上の経済的格差は益々酷くなっていく一方なだけに、目を特殊な日本的視点だけに留めず、頭を上げて広く世界を見渡したい◆岸田文雄首相が「新しい資本主義」なる言葉を持ち出している。この意味するところは「株主優位でなく公益中心に」「成長と分配の好循環」などの方向性は示されていても、未だ全貌は明確になっていない。恐らくは、行き詰まった資本主義の現状を打開したいとの思いのみが先行してのネーミングだろう。日本のデフレ不況的混迷は、とっくに20年を超えて30年をも凌駕する。であっても、ひたすら経済成長を待望し、V字型回復を目指す流れしか目につかない。それだけに、その方向性を覆そうとする著者の意気込みは注目されよう。しかし、その作業を、あろうことかマルクスの晩年の思想の読み直しで試みたことには驚く。「ソ連の崩壊」を挙げるまでもなく、既にその思想の〝駄目さ加減〟は世に流布しまくっている。「資本論読みの資本論知らず」であっても、世の定見に変化は起きにくい。むしろ著者の提言を「新しい社会主義」の勧めと見てしまう◆「処女作に向かって回帰する」との言葉がある。人の知的創造行為は、一番最初の作品に原型が宿っているというもので、晩年にそれまでとは全く違う方向性を出すというのは、豊臣秀吉の「朝鮮征伐」を出すまでもなく、悪評が常だ。マルクスが今の地球異変を予測したうえで、処方箋を書いていたのを多くの専門家は読み落としている、といわれても俄に首肯し難い。尤もこのように私が言うのも、単にこの著作の初読みの読後印象の域を出ない。この本の興味深いところは、ヨーロッパにおける「脱成長」に向けての具体的な動きを、スペインのバルセロナを始めとして幾つか挙げていることだ。これらが未だ〝未熟な苗〟の段階であることは想像に固くない。それでもそこにしか地球を滅亡から救い、世界史を塗り替える手立てがないとしたら、我々も急ぎ呼応する動きを示さねば、と思う。(2021-12-15)

 

 

 

 

 

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[10]〝歯の真実〟に激しく迫るー河田克之・笹倉明『ブッダの教えが味方する 歯の2大病を滅ぼす法』を読む/12-10

 「反逆のカリスマ歯科医」と、名だたる直木賞作家との対話。それだけでも興味が湧いてくるが、この作家は、5年前にタイ・チェンマイで出家し、その名もプラ・アキラ・アマローと改めているとくればもう、その中身や如何にと、読みたくもなる。虫歯や歯周病に悩む人々は世に数多いる。「病の正体を知って真因を消す」とのサブタイトルを見て、手を伸ばさない人はよほど健康で変人に違いない。この本、歯をめぐる世の常識を打ち破ると共に、日本の日常に安住している人を刮目させる深い内容を持つ。未来ある若者には河田歯科医の話を、もはや手遅れを自覚する高齢者にはプラ師の教えの部分を読まれることを勧めたい◆河田さんの主張は敢えて大胆に要約すると「歯石除去」に尽きる。一般的には、歯周病菌や虫歯菌が歯痛、歯病の主因と見られているが、この人はそうではない、と断じる。歯石や歯垢(プラーク)の蓄積によって生じる口内環境を改善することこそが最も大事な対処法だと。このため、歯を漫然と磨いているだけではダメで、定期的に歯石、歯垢を取るべく歯科医に通うことを強く勧める。多くの歯科医は分かってはいても、保険の点数に繋がらないために、積極的にやってこなかった歴史があるのだ。その現実を変えるため、河田さんは繰り返し世に問い、幾冊もの本を出版してきた◆一方、プラ師は、この本では聞き手に徹しており、仏教の話や自論はあまり出てこない。それでも、人の偏見、邪見に影響を受けてきた自身を顧みるくだりは興味深い。これまで悩みや迷いを抱いたことは「悪質な煩悩」によるもので、「愚かな徒労であったことが僧になってやっとわかった。何とも遅すぎたというほかない」と正直に心情を吐露している。また、もう一つ「戦後日本人の精神性の喪失」を嘆く場面は、私にはある意味でこの本のハイライトに思える。敗戦後のGHQによる占領政策に翻弄され、道徳教育などが反故にされ、「欲張りな経済発展だけは認めた」結果、「ヒズミ、ツケがいろんな場面でいまこそ現れている」との見方が提示される。「隣国に対する弱腰にくわえて、米国の圧力には相変わらず抗えないでいること」との指摘には100%同意したい。たまに日本に帰国すると、昨今の日本社会の衰退が「見えすぎて頭が痛くなる。僧にあるまじきストレスが溜まって困ります」との発言は、胸に強く疼く◆実は、私と河田氏は、今から6年前(2016年)に、共著『ニッポンの歯の常識は?だらけ』を出版した。衆議院議員を辞して3年ほどが経った時のこと。親友の強い推奨振り(大阪から姫路まで治療に通う)を聞いて、私もその門を叩いた。通常の歯科医を超えた真摯な研究姿勢に深く傾倒した私は、同氏に電子書籍の出版を勧めたのだが、いつの日か対談本を出そうとの話に転化した。僅か一年だったものの厚生労働副大臣を務めた身として、世の役に立つならばと思った。驚いたのは、同氏が衆参国会議員全員にこの書を贈呈したいと言いだされたことだった。政治家たちに自説を知って欲しいとの熱意には、心底からの執念を感じた。同氏はこの本の第九話で「月に一度の歯石取りが『保険改正(2016年)』以来、制度として確立された」と触れているが、あの時の熱意ある試みが功を奏したのに違いない。(2021-12-14 一部修正)

 

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[9]「日本沈没」とダブる恐怖ー高嶋哲夫『EV』を読む/12-2

 久方ぶりに面白くて怖い小説を読んだ。『EV』ー電気自動車。著者はあの『首都感染』で今日のコロナ禍を10年前に予言した高嶋哲夫さん。あの本の衝撃は忘れ難い。と言っても、10年前に読んだわけではない。コロナ禍で、話題になってからである。神戸でもう8年続いている「異業種交流ワインを飲む会」で出会ってから、親しく付き合って頂いている。その高嶋さんから、先日「自信作なんで読んで欲しい。とくに政治家の皆さんには」と言われた。読まないわけにはいかない。先週末上京した新幹線車中の往復を中心に読み終えた◆実はご本人に「読めというなら、贈呈してくれなきゃあ」と、おねだりした。してしまってから、いささかせこい自分を恥じると共に、実際に頂く(直接会う約束をしていた)前に自分で買って、読み終えて、驚かせてやろうとの悪戯心もおきてきた。かくして読み始めたのだが、ぐいぐい引き込まれた。気になるところに付箋を貼りながら、読んだのだが、前半の100頁ほどはまさに付箋だらけになってしまった。自動車をめぐる情報量がまことに多いのである◆つい先日、NHKスペシャルで、急速に「EV」への転換が迫られている日本の自動車産業の実情が放映されていた。550万人を越える関連企業の労働者。それだけに、一気にガソリン車からの転換は極めて難しい。何もかも変わってしまう。悩む業界の姿がその放映では赤裸々に描かれていて中々興味深かった。私の頭にはそれがベースにあったので、益々面白く興味津々で読めた。高嶋さんは、EVへの転換は止められない流れで、ぐずぐずせずに一気にいかないと、世界で取り残され、とんでもないことになるとのスタンスだ◆偶々民放でリメイク版の『日本沈没』が放映されており、欠かさず見ている。このテレビ映画では、省庁から選抜された若手官僚たちの奮闘ぶりが描かれている。それにそっくりの場面がこの本にも登場してくる。中国と米国の狭間で日本が悪戦苦闘する場面も似ていて、イメージがダブル。かたや地球そのものの異変がもたらす「日本沈没」。もう一方は産業構造の根底的変換がもたらす「日本社会の沈没」。見事なリアルさを伴って恐怖感が迫ってくる。高嶋さんと会い、種々語り合った。ご本人は「売れていない」「読まれていない」と残念がっていた。真面目過ぎる日本人には「ミステリー経済小説」は馴染まないのか。超ベストセラーになって欲しいものだ。(2021-12-2)

 

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[8]「女系天皇」への謎解きー大前繁雄・中島英迪『皇室典範改正への緊急提言』を読む/11-26

 一冊の本を読む気になるには、色んな動機があるが、タイトルも大いに関係してくる。標題に挙げたものは、堅苦しい感じがして、いささか〝読欲〟が湧いてこなかった。むしろ、第一部の見出しにある「瀬戸際に立つ日本の皇室」とか、第二部の「日本は女系天皇を公認すべし」の方がいいのではないか。著者の一人である大前繁雄さんから贈呈していだいておきながら、長く放置していた言い訳かもしれないが。総選挙が終わって読んだ。重要なテーマが見事に料理されており、為になる素晴らしい本だ。食わず嫌いだったことを恥じる。大前さんとは、かねて兵庫県下の政治家同士とし、また公益財団法人「奥山保全トラスト」での同僚理事として「共戦」してきた仲だが、改めてリスペクトの思いを強めることになった◆韓国、ネパール、ブータンの旅行記から説き起こして、皇室のかけがえのなさを述べて、上皇陛下のビデオメッセージの持つ意味を解読してみせる。大前さん担当の導入部は実に手際がいい。結論としての、「女性宮家創設と旧宮家の子孫の一部皇籍復帰」を主旨とした、皇室典範改正を緊急に行うべきだとの主張もストンと落ちる。文明批評家の中島英迪氏による第二部は、天皇にまつわる難題を12に分けて、問答形式で解き明かす。天皇制度にいかなる価値があるのかとの基本から入って、女系天皇に理論的な根拠あり、と示す。そのうえで、男系・父系こそが日本の伝統に叶うものとする議論を完膚なきまで論破している。論理展開の小気味良さに痺れる思いだ◆男系主義を主張する人たちの理屈とは何か。「歴代の全ての天皇についてその父方をたどれば、初代の神武天皇に行きつくことになる」が、もし女性天皇が一般男子と結婚して子を儲けたとしても、その子の父である一般男子を遡っても、神武天皇にたどりつかない可能性が大きく、その子供が即位すると女系天皇になってしまい、正当性がなくなるという。これを中島氏は、出自が皇族である人々も、この二千年の間で膨大な数に上り、父方をたどって行けば、ほとんど全ての日本人の祖先は神武天皇に行き着くことになって、現在、神武天皇の子孫でない方がむしろ稀だとする。そのため「女性天皇がどの一般男性と結婚しても、彼は男系男子ということ」で、男系主義者たちの理屈は破綻し、正当性を失うというのだ◆私はかねて、天皇はなぜ男系男子でなければならないのか、と疑問を抱いてきた。衆議院憲法調査会で発言をする機会があった時も、「女性天皇でいい」と述べた。尤も、それはどちらかと言えば、男女平等に反するとの単純な理由であり、女性と女系、また男系との区別を明確に認識した上のものではなかった。この本を読み、そのあたりの理解を深めることが出来た。加えて、上皇陛下と安倍晋三氏らとの確執めいたものの問題の所在も改めて分かった。第二次大戦後、私たちは「象徴天皇」と共に歩んできた。だが、「天皇」を深く考えることはタブー視する傾向がなきにしもあらずだった。戦前までの「天皇神格化」の負の側面のみを強調する歴史認識のもとで、失ってきたものは少なくない。これも、この本で感じさせられた気がする。(2021-11-26)

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[7]『慶喜の弁明』も霧の中ー鹿島茂『渋沢栄一』下 論語編を読む/11-15

 渋沢栄一(上)を取り上げてから随分時間が経った。(下)はもうよそうかと思ったものの、思い直して挑戦することにした。NHK大河ドラマでの放映も3分の2ほど進み、佳境に入ってきている。鹿島さんの本は、算盤編、論語編と、上下に分かれているものの、さしたる区別はなく、人生の前半と後半に分けてあるだけ。波乱万丈だった若き日を描いたのが(上)で、中年以降の事業拡大に向けての壮絶なまでの渋沢の動きを追ったのが(下)である。渋沢の人生を描いたこの上下2冊を通じ、旧来的な歴史上の興味で、最も関心を呼ぶのは、徳川慶喜の江戸末期の動きである。しかも渋沢は、『徳川慶喜公伝』の編纂に携わった。鹿島さんは、渋沢が晩年心血注いだ最大の事業だとまでいう◆大政奉還から鳥羽伏見の戦い、そして維新に至る慶喜の身の振り方が、結局は卑怯者で臆病な人物であったと見てしまいがちなのが一般的である。好意的な立場からのものであっても、結局はよくわからないというのが、せいぜいの落としどころのようだ。渋沢は、その不可解な人物に仕えた。なぜ敵前逃亡的な行動をとったのかとの、率直な疑問まで本人にぶつけたという。一切を語らず沈黙を守っていた慶喜が重い口を開いたのは、明治も20年を過ぎてからのことである。鹿島さんは、「国家百年の計を考えて自ら身を引いた慶喜の複雑な心理を理解するに及んで、渋沢の心に、主君の偉大さに対する強い尊敬の念とともに、強い義憤が湧いてきた」(第63回)と書き、伝記執筆で主君の無念をはらそうと、決意する◆しかし、それでもさらに約20年後の明治40年になって、慶喜自身の証言を聞き出すための「昔夢会」なる、史談の会まで、結論は待たねばならなかった。では、そこで主君の無念を明快に晴らすだけの事実が明らかにできたかというと、実はそうではない。むしろ、一層霧の中に包まれることになってしまったのである。それは、我が身を飾ろうとしない慶喜自身の性癖と、歴史家に徹して評価に公平を期そうとする渋沢の姿勢が重なって災いしたと思われる。その背景には明治35年に慶喜に公爵位が授けられ、完全な名誉回復が実現したこともある。当初の義憤を伝記で晴らす、つまり「弁明」する必要がなくなったと言えなくもない事態が生まれたのだ。結局、「慶喜の事実は藪の中」にあることの責めの一端は、渋沢栄一にもあると言わざるをえない◆一方、論語篇のよってきたる所以を探る意味で、第62回の「『論語』と『算盤』」も精読した。著者は、「渋沢は、自己本位の利潤追求はかえって、自己の利益を妨げるという資本主義のパラドックスを十分に理解した上で、『論語』に基礎を置く『算盤』を主張している」のであり、「近代日本における野放しの資本主義の跋扈は、江戸時代から引きずってきた『論語』オンリーの考え方の反動である」という。渋沢が「論語」と「算盤」の融合を目指したのは、「『論語』を我が物にしながら、『算盤』の論理の内側に止まった『父』を止揚しようとする『息子』の原体験から生まれたものに他ならない」と結論づける。明治維新から、先の「大戦敗北」を真ん中において、2つの77年を経たいま、改めて「論語」の重要性に気づかざるをえない。第一の77年の興亡は、澁沢によって「論語と算盤」の融合がそれなりに試みられたが、第二の77年にあっては、「戦後民主主義」の跋扈によって、「論語」は忘れ去られた感が強い。第三の興亡史がこれから始まろうとする今、改めて「渋沢栄一」が脚光を浴びることは、なかなか意義深いといえよう。(2021-11-17  一部修正)

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[6]世界を分断する「環境」と「原発」ー杉山大志編著『SDGsの不都合な真実』を読む/11-10

ほぼ1ヶ月まともに本を読まずに過ごしたが、ようやく総選挙も終わり、この読書録も再開したい。取り上げるのは、日本最大の自然保護団体である「日本熊森協会」の森山まり子前会長から、読んで頂きたいと送られてきた本だ。「『脱炭素』が世界を救うの大嘘」がサブタイトル。環境派(「脱炭素」優先)vs経済成長派(「原発」優先)の是非を問う動きが世界を分断させつつあるが、この本は、前者の「非」を徹して叩き、後者の「是」を〝そこはかとなく〟主張する本である。私は、「真実は中間にあり」との信念を持つ。この問題も結局は、両者の中間に落ち着かせるしかないと思っている◆13人の論客たちの揃い踏み。私の興味を引いた論考は4つ。まずは、編著者の杉山氏(キャノングローバル戦略研究所研究主幹)の「世界的『脱炭素』で中国が一人勝ちの構図 『環境』優先で軽視される人権問題」から。長い見出しが全てを物語っており、このテーマが、一皮向けば、中国に率いられる後発諸国と欧米など先進諸国の争いだということを明確にする。現代世界の異端児・中国を敵視扱いしたい気持ちは分かるが、それを平和裡に乗り越えねば、地球に明日はない。杉山論文始め「再エネが日本を破壊する」との第一章の他の3論考を読むにつけ、「原発」重視の意向が透けて見えてくる◆次に第2章「正義なきグリーンバブル」からは、ジャーナリストの伊藤博敏氏の「小泉純一郎元首相も騙された!魑魅魍魎が跋扈『グリーンバブル』の内幕」を読む。見出しから予想される通り、東京地検特捜部がこの5月に摘発した再生エネルギー会社「テクノシステム」の詐欺事件について斬り込んでいる。この事件では私の後輩の元衆議院議員が、残念なことに現在捜査対象になっている。総選挙前には、嘘かまことか、ターゲットは広告塔になっていた小泉親子で、T元議員は哀れなダミーと囁かれていた。第3章「『地球温暖化』の暗部」からは、有馬純東大特任教授の「現実を無視する『環境原理主義』は世界を不幸にする」が読ませる。「環境活動家はスイカである」という謎かけを引っ張り出して、かのグレタ・トゥーンベリを叩き、全体主義、社会主義との親和性をあげつらっている。その心は、「外側は緑だが中は赤い」ときた。中々面白い。有馬さんといえば、我が党の原発推進論者との党理論誌上での対談が印象に残る◆第4章は、産経新聞論説委員の長辻象平氏の「コストも妥当、安全性は超優秀 世界で導入が進む『次世代原発』の実力」。「原発」がしんがりに真正面から登場。「やっぱり」との思いが強い。「安全安心の『高温ガス炉』」と言われても、俄に信じがたい。ここでは「中国では日本と対照的に、政治主導者がエネルギーの重要性と高温ガス炉の科学技術をしっかり理解している」と、日本を貶め、中国を妙に持ち上げている。こう書いてくると、私があたかもゴリゴリの環境派に見えてこよう。しかし、いささか極端で気になったくだりを挙げたに過ぎない。最初に述べたように、私はどちらにも真実は含まれ、嘘も混じっていると思っているだけだ。さて、森山さんはどうしてこの本を私に読めと勧めるのだろうか。スイカ割りをして、その中がどんな色か、試すつもりなのかもしれない。(2021-11-10)

 

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[5]地方 の「文芸同人誌」の凄味を味わう/9-30

「忙中本なし」の昨今、政治、経済、文明論などはともかく、文芸本からは遠ざかる一方。そんな折りもおり、学生時代の懐かしい先輩から地方の同人誌が届いた。『中部ぺん』第28号ー創立されて35 年目を迎える「中部ペンクラブ」が年に一回発行する「総合文芸雑誌」だ。そこには、同クラブの文学賞『特別賞』を受賞された中島公男さん(日本ペンクラブ会員)の喜びの言葉と写真が掲載されていた。少し前に発刊された『瞬間よ止まれ!』が受章対象作だった。そのタイトルから窺えるように、この本は、今を生きる生命の営みに、切なる愛おしさを感じさせる秀作だった。受章を記念して書かれた彼の小論は、文豪トルストイの日記から読み取れる「書くことへの悩み」より筆をおこし、アウレリウスの「今の瞬間だけに生きよ!」で締め括られていた。その誠実なお人柄がしのばれた★実は、それより数日前に、私の友人・諸井学氏から、播州姫路の文学同人誌『播火』108号が届いていた。そこには彼の随筆「日本文学のガラパゴス化」と、特別企画 国文学セミナー『「新古今集」以後の和歌文学』の2篇が掲載されていた。この人は知る人ぞ知る電機商にして作家という二足の草鞋を履いている(3年前に姫路の「黒川録朗賞」を受賞)。そのうえ、日本文学にもヨーロッパのモダニズム文学にも滅法造詣が深い。いわば2足の草鞋を履いた和と洋双方の〝料理の達人〟といえようか。その彼の特技が見事に披露された2篇を読み、心の底から唸った★特別企画の和歌文学セミナーについては、彼の代表作『神南備山のほととぎすー私の新古今和歌集』で使われていた手法の第二弾。初めて読んだ時はものの見事に騙された。架空のセミナーを誌上で展開、さもどこかでやった講演を再録したものと思い込んだ。それが実は全部机上のもので、しかもそれ以外に挿入された掌編も悉く意匠の限りを尽くした内容。読み終えて『新古今和歌集』の全貌が仄みえてくるという企みに絶賛するほかなかった。今回は〝柳の下〟だと分かってはいたものの、結局は彼の術中に嵌まってしまった。「新古今和歌集」が出来上がって後の「勅撰和歌集」講義から、「和歌文学の終焉」をもたらした正岡子規の、〝寝たままの振る舞い〟に及ぶまでの二回分40頁。食べ応え十分の「和食」だった★また、もう一つの「随筆」がまた味わい深い。ここでは、いかに日本文学の今が、世界標準から見て特殊な位置にあるかを明らかにしている。カフカの『変身』の、かの有名な「目ざめてみると、自分が巨大な虫になっていることに気づいた」とのくだりを読んで、某同人誌主宰者が「ある立場が書かせた稀に見る奇書」と捉えていることを一例にあげ、諸井さんの筆は切り込む。「20世紀以降世界の小説家は物語を離れて小説の構造を重視するように」なっているのに、日本の文学は基本的には「あらすじや登場人物のキャラクターに頼った解釈」に終始していることの落差を指摘するのだ。実は私自身、彼我の差の実感が乏しかった。諸井さんとの出会いからサミュエル・ベケットの『モロイ』の存在を知って読んだのだが、全く理解不能だった(この辺りについては既に公表済み)から。諸井さんは、最後に今のような状態が続けば、「世界に通用する小説家が生まれません」し、「ノーベル文学賞など望むべくもないのです」と結んでいる。さて、この「洋食」料理は私には、味が濃いすぎて、いささか後味が悪いように思われる。(2021-9-30)

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