(177)死期が分からないからこその延命ー志村勝之『こんな死に方がしてみたい!』を読む(3)

私は若き日の一時期に憧れた死に方がある。好きな音楽(ベートーベンの第五交響曲「運命」あたり)をめいっぱいに鳴らしながら、ウイスキー(ビールやお酒、まして焼酎ではない)をしたたかに吞みつつ酩酊気分の絶頂で死にたい、と。ある作家のいまわの際に居合わせた担当記者の回顧談で読んだことの影響だ。だが、真面目に考えるとすぐわかることだが、そのタイミングが難しい。これから死ぬということが分かっていればいいが、大概はそうではない。だとすると、年中音楽を鳴らしたうえでアルコールを吞んでなければならない。死期がいつか分からないからこそ、ひとは延命をし、出来る限り生き抜こうとする。未だ寿命があるのに、見切りをつけるのはもったいないにもほどがあろう。それが客観的にジタバタして見えようがどうかは関係がないのである▼志村氏は、好き勝手に生きてきたご自分の姿をしきりに強調され、だからこそ好き勝手に死にたいということを繰り返す。その考え方に影響を与えた興味深い一冊の本を挙げられている。アメリカの知能心理学者・スタンバーグの『思考スタイルー能力を生かすもの』である。スタンバーグは、「個人の能力」を生かす大きな要因として「思考スタイル」なるものを見つけ、➀立案型➁順守型➂評価型を基軸としての三つの尺度だとしている。既存のルールに従うより、自分なりのルールを創り出すことが大好きなのが、立案型。その反対に、定められたルールに着実に従うことが大好きなのが、順守型。三番目の評価型は、ルールを創り出すのも、従うのも好きではなく、ルールを吟味することが好きだという。志村氏は自分が立案型だとし、様々な実例を挙げつつ、読者に何型か判定するよう迫っている▼私は紛れもなく評価型だと自認する。志村氏は立案型は評価型にストレスを感じ、両者は対極関係にあるという。尤もそう絵に描いたような分け方は出来ず、お互い重なり合っていると思われるのだが。恐らく彼が立案型のご自分を強調されるのは、いかなる大組織にも属さず、大きな物語にも影響されずに、自分で描いた生き方と死に方を勝手気ままにしていきたいとの意思に呼応するからだろう。その伝で行くと、私など大きな組織に属しながら、常に個人としての振る舞いに関心が趣く。同時に、大きな物語にこよなく捉われながら、同時に小さな自分だけの物語にも惹かれるという両面性を持つ。つまりは、常に「評価」をし続けているわけだ▼なかなかスタンバーグは面白いし、そこに着目した志村氏もなかなかだ。私はこの連載を読みつつ、志村氏を評価しながら自分をも評価し、最終的には自分の生き方と死に方をめぐる葛藤に結論をもたらしたいと思っている。70歳にもなって何をいまさらと言われようが、そこは「古希ン若衆」なのだから致し方ない。(2016・10・21)

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(176)上手く死ぬためにどう対応するか―志村勝之『こんな死に方がしてみたい!』を読む(2)

志村勝之氏のブログ「こんな死に方がしてみたい!」の第一章「死事(しごと)期から」は、全部で9回分(昨年の7月17日から8月4日まで)。ここではまず、彼は人生のスパンを5つの「しごと」期に分ける。いわく、始事期→司事期→仕事期→志事期→死事期である。彼のこのブログは、「新・隠居カウンセラー日記」と名付けられたHP上のコーナーにある。名称が示すように彼のブログ公開は長い歴史を持っているので、彼の持論である5つの「しごと」期なるものは、長年の愛読者にとっては自明のものだろうが、そうでないものには分かりかねる。これは彼としては珍しく不親切な記述の仕方だが、おおよそは、次のようなものだろう。始事期とは、ひととしての事始めの時期であろうから、誕生から幼年期をさすものと思われる。司事期は、社会人になる前の、つまり学校時代であろうか。そして仕事期とは文字通り仕事をする時代。イメージ的には会社での定年までの時間ということであろう。次の志事期は、定年後の暫くの時期に、ボランティアであったり、趣味を生かしてのなんらかの社会的貢献をしようとする試みの時代をさすものと思われる。そして最後の死事期は、文字通りいかに死ぬかを考え、準備する頃を指すものと思われる▼この着想はなかなかに面白い。あまり志村氏はひとの評価を気にしないひとだが、ここは、高名な医学者が彼の「死事期」という着想に、「やや皮肉をこめて」、「死事期ですか。これは恐れ入りました」と、インタビューをした際に述べた言葉を披露している。私にはこれは彼の自尊心を精一杯くすぐったものとして聞こえてくる。実は、このインタビューとは、彼が50代半ばになって、サラリーマン生活をしながら臨床心理系の大学院に入り、修士論文(「定年クライシスをチャンスに変えた男たちの成功事例研究」)を書くにあたって、5人(ある団体が論文募集をした際の受賞者から彼が抽出した人たち)に対して試みたもの。直接的には、志事期の生き方が対象となっており、今回の彼のブログは以下、死事期を対象にして縦横無尽に語っていこうとしているわけである▼さて、彼のいう「死事」とは、「決して『死』の事ではなく、「『上手く死ぬ』ための対応事」だという。何だか分かり辛い。普通のひとは、要するに「死」について四の五のいうのだろう、と思ってしまう。だが、彼は「死」を観念的にあれこれひねくり返すのではなく、どのような死に方をすれば「快適に」死ぬ事が出来るかをリアルに表現しようと言うのである▼一言で結論を訊いてみよう。いったい、貴方はどんな死に方がしてみたいんだ、と。志村氏は「手遅れ死。孤高死。自然死」だとキーワードを三つ挙げている。これは、「延命、孤独(孤立)、自死(自殺)」の三つと対極にあるものだろう。私風に解釈すれば、「死期が近づけばジタバタせずに従容として死を受け入れよう」ということに相違ない。こういってしまえば、なあんだ、と思われる向きが多かろう。しかし、これがなかなか難しい。(2016・10・17)

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(175)この道一筋50年の心理学研究の所産ー志村勝之『こんな死に方がしてみたい!』を読む(1)

志村勝之のブログ『こんな死に方がしてみたい!』をこれから随時取り上げていきたい。彼が1年かかって書き綴った12パートの読み物を一か月ごとに区切って彼の主張を紹介しながら、それに対比して私の考えを披露していこうという試みである。何しろ彼は筋金入りの心理学研究のひとで、その道一筋50年といってもいい。単なる研究者という域にとどまらず、文字通り「臨床心理士」という立場を縦横無尽に生かしながらひとの死を考え抜いた。その所産がこのブログだが、実に読み応えがある▼本当は皆さん彼のブログを読まれることをお勧めするが、時間もお暇もない向きは、私のブログを通じて彼のおおよその考えは分かるようにしていくので、それでも間に合うと信じる。ともあれ彼のように「ひとの死」を真正面から取り上げて論じていった本はあまり目にしたことがない。いや、そこは私の浅学の故で、この世には数多の同種の書物があると言われる向きは多かろう。では訂正しよう。志村のように、あらゆる角度から「死」を考えた末に繰り返しを厭わずにブログという形態でこの思考経過を表明したひとは恐らく彼が初めてではないか▼志村勝之とは何者か。追々語っていくことになるので、ここでは詳しくは触れない。一橋大で、社会心理学の泰斗たる南博教授に師事していらい、心理学に心酔し50年あまり。今では「浪花のカリスマ臨床心理士」の名を欲しいままにしている(というのは私の勝手だが的を見事に射抜いた見立て)とだけ言っておこう。私とは神戸市の中学校で一緒に学んだ仲。お互い違う高校で過ごした3年間と1年の浪人生活の合計4年の空白の後に、東京は中野で再会。というか、彼の中野での下宿先を頼って私が神戸から上京してきたわけだ▼そこで図らずも二人は創価学会の座談会にでることになり、彼の下宿先のおばさん(小学校の教師)に折伏されることとなった。で、私は即刻その場で入会を決意し、彼はそれを断った。いらい、51年半の歳月が流れた。その間に勿論、幾たびかの交流はあった。最大のものは彼が後に妻としたひとを私も憎からず思っていた時期があったことだろう。そして私が40代になって間もなく政治家の道をこころざし、結果的に「失われた40歳代」と私自身が自虐的に規定するような落ち着かなく騒がしい季節の到来で、迷いを生じたときにいつも惜しまぬ激励をしてくれた。そんな二人が古希を迎えた直後に、彼が綴ったブログは実に衝撃的であった。ここまで彼が「死」を考えていたとは思わなかったからだ。そして、これはある程度は想像はしていたが、ここまで彼が私と正反対の方向を向いていたとは驚くほかなかった。(2016・10・14)

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(174)迫りくる老いと死に立ち向かうー津野海太郎『百歳までの読書術』など

この夏に忘れ物を幾たびかしてしまった。何れも新幹線やバスといった乗り物の中で。一度は、姫路駅での改札口で切符を出す際にないことに気づいた。二度目は家に帰る途中で新幹線の中にアイパッドを忘れた。そして三度目は、バスの中に携帯電話を置いたままにしてしまった。いずれも最終的には手元に戻り事なきを得たが、あれやこれや大騒ぎをしてしまい、面目ないこと夥しかった。更にもっと酷かったのは、戸外でメガネを外してどこに置いたか分からず往生したことだ▼家人からは「もうこれからは首に巻き付けておいたら」とか、「次はいのちを落とさないようにね」と呆れられ、「そろそろ痴呆症ね」と真剣に懸念されている。そんな折も折、津野海太郎『百歳までの読書術』を読み、勇気づけられるというか、慰められた。この本は73歳の著者が自身の読書にまつわる日ごろの思いを書き綴ったものだが、そこは同世代、自ずと色々共感する場面が登場するのだ。最も同意したのは「六十代は過渡期に過ぎない。五十代と七十代のあいだでなんの確信もなく揺れているやわな吊橋みたいなもの」という表現。そう、私も還暦が過ぎてまだまだ若いと思っていた間に、10年が経って七十代に入って、一気に老いを感じるようになってしまっている▼山田風太郎『人間臨終図鑑』は、誕生月が来るたびに紐解く書物だが、近ごろその衣鉢を継ぐ新たなる書物に出くわした。関川夏央『人間晩年図巻1990-1994』である。前者は古今東西の歴史上の人物を死亡年齢順に集めたものだが、後者の方は90年代前半(後半は別に)に亡くなった人々の死にざま、生き方をコンパクトにまとめたもの。ついでに90年代がいかなる時代であったかがわかる仕掛けになっており、なかなかに読ませる印象深い本である。34人が登場するが、私より年上は 9人だけ。同い年で逝ったのは乙羽信子と吉行淳之介の二人。後は皆年下というのはいかにも寂しい▼というわけで、このところ改めて「生と死」を否が応でも感じさせられている。19歳で信仰の道に入り、50年余。途中、政治家生活にどっぷりつかってしまい、回り道をした感が強いが、引退して4年。そろそろ信仰者として完全復活をせねば、と思っている。そういうさなかに、畏友・志村勝之(カリスマ臨床心理士。電子書籍『この世は全て心理戦』の対談相手)がこの一年かけてブログとして書き綴ってきた『こんな死に方がしてみたい!』が完結した。自身の頭と心で考え抜いた手強い本である。同時代を生きた男が渾身の力を込めて書いた「生死論」であり、「死に方研究」でもある。とてもこれは見過ごせない。これから私も一年近くかけて彼の本を読み解き、自分なりの「生死論」と「死に方」ならぬ「生き方研究」をものしてみたいと思うに至っている。(2016・10・6)

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(173)面白すぎてやがて悲しい後味の悪さーP・ルメートル『その女アレックス』

久しぶりに犯罪推理小説を読んだ。「このミス」を始め4つのミステリーランキングで第一位を取り、史上初の6冠に輝く今年最高の話題作という。ピエール・ルメトール 橘明美訳『その女アレックス』。大学でも政治家としても先輩の日笠勝之さんから、ぜひ読むといいよと頂いた。このひとは知る人ぞ知る山本周五郎ファン。あまりこの分野は好きではなかったのではとの印象が強かったが。猛暑も終わり、秋の夜長に何を読もうかという向きには絶対的なお勧め▼推理小説についてはその中身を話してはルール違反だとは自明のことだが、この本のカバーにはわざわざ「読み終えた方へ:101ページ以降の展開は誰にも話さないでください」とある。パリの路上で若い女(アレックス)が誘拐され、目撃者の通報を受けて警察が捜査に乗り出す。3部構成で、各部ごとの章が25、25、11頁と、一章あたりの分量が短い。第二部までは、章ごとにアレックスと警察の視点が切り替わる方式。このテンポの速さが凄く読み易く、加えて鬼気迫る。そして圧倒的にアレックスの視点の方が、息が詰まり手に汗握るのだ。ばらしてもいい100頁の最後は、こんな感じだ。素っ裸の身体を折り曲げた状態で小さな籠状の檻に入れられた彼女は衰弱する一方。それを虎視眈々と狙うのは人間ではなく、ネズミだ、と▼かなりの面白さなのだが、読み終えての印象は後味が悪い。陰惨極まりい殺し方もあるし、ひとつひとつの殺しの場面が唐突で脈絡がない。要するに意味なき殺人だとしか思えない展開の仕方なのだ。それが最終部で一気にどんでん返し的な収束の仕方をするのだが、どうもストンと落ちない。読み終えて数日が経つが未だすっきりしない。読み終えたもの同士で語り合いたいが、身近にいないのが残念だ▼主人公が145㎝ほどの小柄な男で、脇役が大男とか太ってるとか対照的な人物が登場する。あるいはかなり高額の衣服や装身具を身にまとう洒落男と、正反対に貰い煙草や貧乏ぶり丸出しの徹したケチぶりの男だとかが対比するかのように描かれ、ユーモラスだ。高名な画家であった主人公の母親の遺作の処理やら彼の絵に対する嗜好など思わせぶりに書き込まれているが、特に話の主題には最後まで関係してこない。こんなことでいいのかなあと思わないでもない。英国推理作家協会賞受賞というのだが、そこいらは英国に、フランス的なるものへの憧れがあるのかなと邪推さえしてしまう。そして、私のような素人には327頁の最後の行から次の頁の数行の書き方が納得いかない。もっと技巧が凝らされた書き方でないと読者は簡単に騙されるだけだ、と。お勧めだといいつつ、あれこれとケチをつけてしまった。読むものをしてアレックスをグイと好きにさせながら、この結末は何だと怒りが沸いてきたからかもしれない。(2016・10・1)

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(172)妥協の産物ゆえの分かり辛さー細谷雄一『安保論争』を読む➄

現代の安保論争にあって欠けている視点は大きく二つあるとの著者の指摘には同感だ。一つは、伝統的な見方、もう一つは新しい見方に起因する。前者は「力の真空」がもたらす危険を見逃しがちだという点。軍事力が均衡している状態の方が安定し、そのバランスが崩れたときに一気に戦争への機運が高まるというのは、いにしえからの常識だが、なかなか一般的には理解されない。一方、かつての「国家対国家」の紛争の対立の枠組みが今や消えかけ、国際テロ組織が簡単に国境を超えてしまう点だ。たとえば、アフガンは今やタリバンとISにいいように翻弄され、国家は今やズタズタにされてしまっている▼こうした時に、集団安全保障的思考をなおざりにし、一国平和主義的なものの見方に凝り固まっていると、世界の中で孤立するとの指摘は極めてまっとうだ。特に国連平和維持活動にあって、駆けつけ警護を旧来的な日本独自の集団的自衛権の考え方によって避けてきたことは問題だった。だからこそ、その辺りを見直した今回の安保法制を多くの国々が好感を持って迎えたことも見逃せない。「反戦平和」なる旗印が特殊日本的な響きを持ってることを、当の日本人があまり分かっていないのである▼また、国連で日本が米国に対して決して従属的な態度はとっていないとの指摘は意外だった。国連総会で日本がアメリカと同調した態度をとったのは67.2㌫で、同盟国では最も低いというのだ。これを見る限り、アメリカの要請に日本が断り切れず、戦争に巻き込まれてしまうとの論法は「必ずしも公平とはいえない」という著者の主張は新鮮である。自国政府の態度に自虐的過ぎるぐらい不審を持つというのは考えものであろう▼最終的に今回の安保法制論議で問題視されるのは、政府の説明不足に加えて「安保法制懇の報告書、内閣法制局の憲法解釈の法理論、自民党、公明党の間の与党協議、そして防衛省、自衛隊からの具体的な要望と、様々な要素を融合させて、妥協的に合意したことに、(分かりづらさの)大きな理由がある」というが、さもありなんとの思いが私にも強い。とりわけ、自公両党の協議内容は大ぴらに公開してほしかった。党首討論なり、担当者間の公開討議でもやって、両者の主張の食い違いを鮮明にした方が、より分かり易くなったのではないか。この辺りは今からでも遅くないから、検証がなされる必要があるものと思われる。ともあれ、安保論争は持続的に続けられていくことが大事で、この本はそうした営みの糸口になるに違いない。(この項終わり 2016・9・18)

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(171)「戦争法対平和法」という不毛の対立ー細谷雄一『安保論争』を読む➃

この本で著者が言いたかったことは最終章の「日本の平和主義はどうあるべきかー安保法制を考える」にある。まずここでは集団的自衛権をめぐる戦後政治を俯瞰するなかで、1981年の「集団的自衛行使の全面禁止」に至る経緯を述べているくだりが注目される。この年の結論に至るまでは、集団的自衛権の部分的容認=部分的禁止といった玉虫色の解釈だったのを、1972年から10年程の歳月をかけて、内閣法制局が全面禁止論へと変えていく様子はなかなか面白く読み応えがある。結果的に内閣法制局の硬直的で官僚主義的な行き方に風穴を開けようとしたのが、あの民主党政権であったというのは、今となっては興味深い。尤も、その民主党が野党になってくるりとその主張を180度変えてしまったことは、何ともはや情けないといえよう▼次に、「平和国家」日本をめぐる安全保障論のところでは、今回の安保法制論議が本質的な議論をせぬまま、不毛のイデオロギー闘争になって行ってしまった経緯を詳しく述べており、共感する。本来ならば、「平和を維持して実現するために必要な手段として、どのような安全保障政策と安全保障法制が必要かをめぐっての論争が行われるはずであった」が、「安保関連法を批判する多くの人々は、あたかも自分たちが平和を象徴し、そして政府が悪意を持って好戦的に戦争を求めていると、意図的に誤ったメッセージを送り続けた」という指摘が特に印象深い。とりわけ「戦争法」なる言葉を濫用した勢力の罪は深いし、それにまんまと乗っかった一部メディアの見識も問われよう▼細谷氏は「法的安定性を尊重しながら、時代状況に応じて柔軟に憲法解釈を変更することが、なぜ立憲主義に否定や破壊になってしまうのだろうか」と問いかけ、自ら「理性的な憲法解釈というよりも、軍事力それ自体を悪と見なして、それを廃棄させようとする運動であり、特定の政治的イデオロギーではないのか」と答える。これに私は全く異論はない。ただあえて付け加えるとすれば、法案成立までの過程で強行採決した(厳密には野党の「採決強行阻止」)政府側の姿勢の在り様と混同されたきらいがあるのは残念だとは言える▼そして著者は「なぜいま安保関連法が必要なのか」という素朴だが、重要な問題提起をするのだ。野党の「戦争法」対政府与党側の「平和法」という根源的で不毛の対立がなぜ起こったのか。ここは、「戦略の逆説」という概念を、前提として理解しなければ、結局は安保法制の必要性を理解できないと、議論を展開していくのだが、引き続き詳細に追っていきたい。(2106・9・15)

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(170)混沌か安定か、岐路に立つ世界ー細谷雄一『安保論争』を読む➂

細谷氏は第三章「我々はどのような世界を生きているか」において、大西洋から太平洋へと舞台は移り、ヨーロッパ中心の国際政治は、アジア太平洋にその焦点が変わったことを取り上げる。その際に、主たるプレイヤーとして新たに登場したのが中国であり、米国の「軍事的な介入主義の伝統が終わりを迎えつつある」との認識を表明している。そこで、日本は、新しい歴史の舞台に立つ国家として、安全保障と国際経済の両面で、中心的役割を担う構想を持て、と鼓舞しているのだ▼現今の国際政治の大きなテーマの一つは、中国の東シナ海と南シナ海での傍若無人な振る舞いへの対処である。先のG 20では、国際司法裁判所による判定に神経をとがらす中国の習近平主席の動向が注目された。この問題で、細谷氏は米国の海軍戦略理論家マハンとオランダの法学者グロティウスの二人を持ち出して「マハンの海」と「グロティウスの海」の対比として描く。前者が弱肉強食の海洋風景を意味し、後者は国際公共財としての海洋事情を表す。中国に対して、今南シナ海や東シナ海でとりつつある態度を改めさせ、法の支配に基づいた秩序を作っていくことこそ、日本の役割だと言うわけだ▼さらに、ロシアと日本の関係という、極めて時事性に富む内容にも踏み込んでいる。安倍、プーチン両首脳の領土、経済の両面からの接近ぶりに、両国関係の画期的好転への期待感が広がる。それにも細谷氏は「希望的憶測から対露政策を進めてはならない」と安易な希望を持つ愚を嗜めている。強固な日米関係と安定的な日中関係があって初めて、日本はロシアに対して戦略的優位にたてるのであり、今のような普天間基地や尖閣諸島問題で、日米同盟に隙間風が吹き、荒れ模様の日中関係では、ロシアの対日譲歩は考えにくいというのである。残念ながらこの極めて常識的な見解に異論を唱える向きはいなかろう▼世界はこれから混沌に向かうのか、それとも安定的な秩序ある方向に向かうのか。これへの結論は、日本外交に理性と規律が国際社会で確立されるよう、ルール作りへの手助けが求められているという。理性ではなく感情を、ルールではなく無法を持って、立ち塞がっているかのように見える中国が相手だ。なかなかに難しい課題だという他ない。(2016・9・11)

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(169)「一国平和」という「孤立主義」の闇ー細谷雄一『安保論争』を読む➁

細谷氏は「どのような場合に平和が失われ、戦争が起こるのか」を歴史の具体的事例を通じて学ぼうと、第二章「歴史から安全保障を学ぶ」を書いている。ここでの彼の結論を一言でいうと、「急激なパワーバランスの変化、つまり力の均衡が崩れたときに戦争は起こり易く、他国と協調するなかで集団的に平和と安全は維持できる」というものである。具体的事例として、17~18世紀におけるフランスの軍事的抬頭とそれに対抗した英国の姿勢や、19世紀後半のドイツをめぐる第一次大戦、第二次大戦への動きなどを挙げる。そして現在のアジアでは、中国の軍事的突出と、日米の急速な影響力の低下が平和を破壊する要因だとする▼さらに細谷氏は、心情的に平和を願う「心情倫理」のみで現実の平和が到来すると信じる現代日本人を、「政治のイロハもわきまえない未熟児」(マックス・ウェーバー)だと、言わんばかりに厳しく指摘する。その背景には国際政治学の先達・故高坂正堯氏の言う「孤立主義的な体質」があるとする。これこそ戦前の日本を戦争に導き、戦後の独善的な「一国平和主義」を生み出した原因だというのである。尤も「孤立主義」という言葉を字面だけ見ると、反発する向きはあろう。日米同盟至上主義に凝り固まった姿勢のどこが孤立主義なのか、と。戦後日本の左右対立の構図は、お互いを「対米追従だ」いや、「一国平和主義だ」と罵り合ってきた。「孤立主義には甘美な誘惑がある。他者を無視して、自己の正義を語り、優越意識を楽しむ」ものだとの細谷氏の指摘を見ると、私自身の体内にも、その血が流れており、やがていつの日か米国からの真の独立を待望する思いが強いことを認めざるを得ない▼細谷氏は20世紀の国際社会は、一国単位ではなく、他国と協調するなかで集団的に平和と安全が維持できると考えるようになったという。そう考える一つのきっかけとなったのは、国際連盟脱退から戦争へと突き進むに至った日本の行動であったのは事実だ。ところがその教訓を日本自身が学ぼうとしていないことに警告を発している。昔ながらの「孤立」ともいえる「一国平和主義」にとらわれるべきではないというのだ。このあたり、戦後史の中で遅れて登場した公明党としては、旧左翼陣営に対して、思う存分主張してきた経緯が鮮やかに蘇って来る。ある意味、「一国平和主義」に凝り固まった社会党を打倒する先駆けとなったのは公明党だとの自負さえある。それだけに戦後70年を超えた今頃になっても「一国平和主義」的志向が根を断たれていない状況を見ると、心穏やかではないのである▼この章の結論部分で、細谷氏は「集団的自衛権を軍国主義や戦争と結びつける思考は、20世紀の国際政治の経験を無視し、国際社会の潮流を理解しない議論」だと断じる。そして「心情倫理」だけではなく、「責任倫理」をも視野に入れ、「平和と安全を得るために必要な要素を冷静に議論する」ことを強調する。このことは、今回の「安保法制」の前提となっている集団的自衛権の導入について、安倍自民党と山口公明党が片や認め、片や認めていないという「同床異夢」に基づいた「奇妙な玉虫色」であることと無縁ではない。集団的自衛権という言葉がいつの間にか「魔性」とでもいうべき特色を持つに至っていることに気付かざるを得ないのだが、ここには、公明党の中においても、細谷氏のいう「心情倫理」にこだわる姿勢が色濃く残っているといえよう。(2016・9・9)

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(168)50年前から進展していない「平和」希求者たちー細谷雄一『安保論争』を読む➀

一昨年来の安保法制をめぐる動きを追うにつけて、いわゆる”左翼知識人”の知的及び行動的退廃とでもいうべきものを嘆かわしく感じる。とりわけSEALEDsなど若い世代の動きを持ち上げ、そこに縋ってるかのように見えることに。それは、かつての60年代から70年代にかけての「安保闘争」へのノスタルジーを重ね合わせているのかもしれない。かつて自分たちが歩んだ道を、また歩もうとする後輩たちの誤りを糺さずに、むしろおもねってるようにしか見えないことは、私には大いなる悲喜劇だと思われる。そういう風に考えていた私が細谷雄一『安保論争』を読んで、まことに共感するところが大きい▼いま「安保法制」をわざわざ「戦争法」と呼んで反対する人々が、イスラム国への批判やウクライナの現状について、殆ど声をあげているようには見えないことを、細谷氏は不思議であると指摘する。ベトナム戦争への反対を叫ぶ中で、青春期を過ごしてきた私のような世代からすればなおさらだ。ベトナム戦争を経て、南北ベトナムは一本化し、荒廃そのものの地から逞しく蘇った。一方深く傷ついたアメリカは今もなお戦争から足を洗えないでいる。この結果だけを見ても、今展開されている事態に日本の「平和勢力」が声を上げ続けないのはおかしいといえよう。地球的規模で「平和と戦争」を見つめないと、結局は日本人だけ平和であればいいとのエゴであると見られてしまう▼安保をめぐる議論は、かつてと大きく違っているはずだ。それは、自社対決の55年体制下の時代は、自衛隊を違憲の存在とし、日米同盟を危険なものとして否定してきたが、今ではそれらを受け入れることが国民的コンセンサスとして定着しているからだ。ところが、「戦争法反対」という人たちは、時代の変化に目を向けず、議論を50年程前に戻そうとしているかに見える。これでは、かつての安保世代が失敗した経験を、後輩たちに押し付けようとしているだけではないのかと思う。そこには50年の時代の変化が全くこの人たちには見えていないというしかない▼「安保関連法の必要を説く者が、安全保障環境の未来を想定しているのに対して、安保関連法を批判する者が安全保障環境の過去を想定している場合が多かった」-こう細谷氏が指摘することを一体彼らはどう考えるのか。戦争空間が世界大から宇宙大へと広がり、サイバー空間で争われることなったことの意味を意図的に外していいのだろうか。こう指摘すると、一体今の世において戦争が起こると本気でお前は考えているのかとの反論が聞こえてきそうだ。戦争に対処しようとするからこそ、却って巻き込まれるのであって、当初からそんなものを考えない方がいいのだ、と。こうした”古き良き考え”というか、「空想的平和主義」とでもいうべき「非武装中立的思考」が今もなお彼らの頭に宿っていることを真剣に憂わざるを得ない。細谷氏の言説を追いながら、「ベトナムからシリアへ」と背景の舞台が変わった日本の「安保」を数回にわたり考えてみたい。(2016・9・5)

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