今回から私が理事を務める一般社団法人「安全保障研究会」の安保研リポート11号に寄稿した『見損なわれている中道主義の効用』を6回に分けて転載する。一回目は「あと4年ー25年パラダイム変換説の恐怖」。
戦後70年を超えた今、もう一つの戦後が改めて意識されだした。それは江戸末期の日本を二分した戊辰戦争を起点とするもので、やがて戦後150年を迎える。この両者は日本の近代が始まるきっかけとなったいくさとその挙句の果てに一国滅亡となった戦いとである。あと4年程で75年の歳月が二つ流れたことになるから、俄然二つの塊を丸ごと比較する試みが現実味を帯びてきたように思われる▼社会学者の大澤真幸氏は、その75年を25年ずつ3分割し、前半75年と後半75年における三つの時代状況が極めて似ており、それぞれが並行して繰り返しているように見えると比較してみせた。その分析によると、明治維新から日清戦争までの25年と、後半におけるポツダム宣言受諾から高度経済成長を経てジャパンアズナンバーワンともてはやされた1970年代頃までの25年が共に、第一期として比べられる。富国強兵を基にした国づくりと経済至上主義による戦後復興とである▼第二期は、1894年の日清戦争から日露戦争を経て第一次世界大戦あたりと、大阪万博からバブル絶頂の1995年まで。前者は大戦景気、後者はバブル景気として特徴づけられる。第三期は、関東大震災を経て太平洋戦争終結までの時期と、1995年の阪神淡路の大震災、オウム真理教事件から今日までとである。戦争前夜から敗北に至るまでの社会状況が、極めて似通っているという。残された時間は4年。今重くのしかかってくる▼この分析が世に問われて既に10年程が経つが、私は最近出版された政治学者・中嶋岳志氏と宗教学者・島薗進氏の対談『愛国と信仰の構造』によって漸く知るに至った。ここでご両人は、この見立てを推奨したうえで、第三期に入ると「社会の基盤のもろさが表立って見え」てきて「国内全体が言いようのない閉塞感に苦しむようになる」と指摘する。そして「同じ失敗を繰り返さないためには、明治に遡って、日本のナショナリズムと宗教の結びつきをとらえ直すことは重要である」と強調している▼「全体主義はよみがえるのか」とのサブタイトルを持つその作業の中で、明治維新以来の歴史において親鸞主義と日蓮主義が果たした役割を克明に追っている。その矛先の鋭さは、あたかも国家神道を免罪するかのごとき様相を示し、奇妙に新鮮でさえある。結論近くで、僅かの紙数ではあるものの、二人が「『居場所なきナショナリズム』を利用する自民党のネオコン勢力」と公明党・創価学会が結びついているとして、警鐘を鳴らしていることは見逃せない。歴史が同じように繰り返すわけでは勿論ない。だが、あらかじめ予定されたかのごとく、ことの推移を占うことは世の認識を誤らせる。聞き捨てならない指弾なので、あまり一般には知られていない公明党のなりたちや理念の具体的展開に触れることで、それが筋違いの杞憂であることを明かしてみたい。(2016・6・12)
【153】あと4年ー25年パラダイム変換説の恐怖 『見損なわれている中道主義の効用』❶
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【152】「大衆」が姿を変えたという錯覚ー薬師寺克行『公明党』
広宣流布ー日蓮大聖人の仏法を世界中に広めて、個人の幸せと社会の繁栄が一致する社会を作ろうとの創価学会の壮大なビジョンに私が目覚めたのは、1964年19歳の年だった。大学在学中にしゃにむにその活動に取り組み、卒業と同時に公明党の機関紙局に就職、公明新聞の記者になった。いらい60年足らず。その間のほぼ真ん中の時期(平成元年)に、衆議院議員候補に推薦され、足掛け5年の苦闘の末に政治家に転身した。来年、公明党は結党60周年を迎えるが、私はほぼ同じ期間を公明新聞記者、党職員、衆議院議員秘書そして代議士として過ごしてきたことになる。つまり、公明党の60年は私の人生そのものと重なる。
この本はそのうちの50年の創価学会と公明党の軌跡を追った本である。元朝日新聞記者で現在は東洋大教授の薬師寺克行氏の手になる『公明党』だ。庶民大衆を無視しイデオロギーの弄びに終始していた自社両党。そこから政治を取り戻すとの旗印のもと「55年体制」打破に賭けた日々。打倒自民党の戦いに一時は自らを解党し、大きな勢力に合流してまで取り組んだ。それがかなわぬと見るや一転、内側からの変革に切り替え、当の相手の懐に入り込み連立を組むまでになった。
こうした自分が歩んできた道を、新聞記者とし、学者としての眼差しで克明に分析されたものを見せられるのは、他人の日記を覗き見るようで実に興味深い。薬師寺氏は、精一杯公正な視点をもとに抑制を利かせた筆致で公明党と創価学会の50年を描いてはいる。私が上司として長年仕えた市川雄一公明党書記長への素描が粗っぽく、いかにもステロタイプ的なことは少々気になるが、これまでにだされた「公明党」論では出色のものだろう▼勿論あれこれ異論をはさみたくなるが、ここでは一点に絞る。「公明党が重視する『大衆』は、五〇年の間に大きく姿を変えてしまった」のだから、「公明党は自らのアイデンティティを再構築するときにきている」という結論だ。ざっくり言えば、経済的に苦しい人々が多かった社会から、今や社会全体が豊かになった。だから救うべき対象としての大衆そのものが変化したという捉え方だ。しかし、創立者がさし示したところの「大衆」は、人間であるがゆえの悩みを持つ存在である。経済苦だけではなく、病苦、人間関係のもつれなどあらゆる苦難に立ち向かう人間を指す。その観点からいえば、50年たっても全く「大衆」の実像は変わっていない。経済にあっては豊かさの中の貧困という「格差拡大」や、統合失調症や引きこもり、痴呆症といった新たなやまいに悩む人々の数は一段と増えている▼そうした状況の中で、政治,政党が果たすべき役割も基本的には変わっていない。安保法制を例に挙げれば、共産党や民進党などの「戦争法」といったレッテル張りの反対姿勢は50年前のいわゆる革新の姿とそっくりダブって見えてくる。つまりは残念ながら「公明党の戦いいまだ終わらず」、ある意味で50年経ってもっと課題は深刻さを増している。「大衆とともに」のアイデンティティは再構築というより、再強化されるときだろう。日本における政党が人間、大衆と真正面から向き合うことをせぬ限り、公明党の役割展開に終止符は打たれることはないのである。(2016・5・26)
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【151】宗教と国家の関係を読み解く大事さー中島岳志、島薗進『愛国と信仰の構造』
自分の所属する団体・創価学会こそ平和を作りゆく主体者であり、担い手だと私は確信している。ところがそうではないとか、すくなくともそうではなくなる可能性があると指摘する論考がこのところ散見される。東京工大教授で政治学者の中島岳志、東大名誉教授で宗教学者の島薗進のお二人は昨今急速にそういった姿勢を示されている。このご両人が対談された『愛国と信仰の構造』を読んで、様々な意味で啓発もされ、驚きもした。いわゆる「アンチ」の立場を取ってきた人たちの主張ではないだけに、その指摘は傾聴に値しよう▼幾つもの興味深い視点が提示されているが、ここでは二つに絞る。まず第一に近代150年の捉え方を挙げたい。中島氏は、社会学者の大澤真幸氏の「日本社会25年パラダイム変換説」を取り上げ、戦前、戦後の75年をそれぞれ三つの時代区分に分けて比較し、分析している。これは作家の半藤一利氏の「40年日本社会変換説」よりもさらにきめ細かく悲観的だ。1868年の明治維新、1894年の日清戦争勃発、1918年の第一次大戦終了までが戦前の3期の仕切り。一方、戦後の3期は1945年の第二次大戦の終結、1970年頃からのジャパンアズナンバーワンを経てバブル絶頂まで、そして1995年の阪神淡路大震災、オウム真理教事件から今日までと続く。この説を推奨する人たちは戦前と戦後の類似性を強調し、これからくる三期の終わりには「社会の基盤のもろさが表立って」きて、「国内全体が言いようのない閉塞感に苦しむ」ことになるという。いささかこれは”予定調和的思考”が過ぎると思うのだが▼第二に、戦前の仏教と右翼思想との関係、とりわけ親鸞主義との関係だ。日蓮主義については既に北一輝や石原莞爾らとの絡みで、言い尽くされてきた感が強い。一方、親鸞主義はあまり知られていない。三井甲之、清沢清之と言われても知ってる人は少なかろう。「自力」への否定としての「絶対他力」や、大勢順応に居直るという意味での「寝転がる思想」といった展開を知って、おぼろげながら理解はできる。本居宣長の国学の構造と親鸞の思想の類似性。さらには、ありのままの神に随順する「大和心」が「絶対他力」と重なり、日本の全体主義の流れが加速していったとの指摘は興味深い▼宗教、思想が用い方や理解の浅深によっていか様にも変わった側面を露にすることは日蓮、親鸞のケースだけでは勿論ない。だが、日本近代の形成にあって極めて深刻で甚大な負の影響を与えたものゆえ、その仕組みは熟知しておく必要があろう。この本の後半に「愛国と信仰の暴走を回避するために」との章があり、中島氏が公明党の自民党への追随に警鐘を鳴らし、島薗氏が創価学会に対し「国家とは距離を保って活動してほしい」と述べているくだりがある。「よみがえる全体主義」の一角を創価学会、公明党が担いでいるとの”倒錯した見立て”が提示されているのだ。ここは自民党を内側から変えようとし、日本社会の構造変革に関わる際の陥穽に気をつけろ、との注告だと冷静に銘記しておきたい。(2016・5・21)
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【150】西洋的父性の論理へとジャンプする危険━━河合隼雄『中空構造日本の深層』
NHKは時に応じて「困った会長」が登場するが、それとは別に、興味深い番組をしばしば作ってくれる。中でも「100分de名著」シリーズは私の好きなものの一つだ。先に放映され、一冊の本にまとめられた『「日本人」とは何者か?』も面白かった。ここでは4人の思想家たちの代表的な著作を4人の学者たちがそれぞれ解説しているが、そのうち、河合隼雄『中空構造日本の深層』を改めて読んでみた。生前の河合氏とは、彼が文化庁長官時代に一度だけだが忘れえぬ交流をした。日本の政治家はユーモアセンスが欠けていると言われるので、その磨き方の教えを乞うたのだ。詳細は以前に書いたので省くが、重要なことをさりげなく言われたり、書かかれたりする人だった。この本でも日本、日本人の特質を僅かな紙数の中でずばり表現していることが印象深い。
要約すれば「日本人の思想や宗教、ひいては社会構造の原型は中空である」というもの。要するに中心は空っぽといわれるのである。キリスト教的世界が「中心に存在する唯一者の権威や力で統合される構造」であるのと違って、日本では「中心は必ずしも力を持つことを要せず、うまく中心的な位置を占めることによって、全体のバランスを保つのである」という。このあたりの対比については言い尽くされてきた感もあるのだが、河合氏はここで「中空構造が今は危機に立っている」との重要な指摘をしている。
★日本的母性と対極にあるもの
その中で、憲法をめぐる保革の対立──その論争の起因としての江藤淳氏の有名な「1946年憲法の拘束」論を取り上げていて興味をひく。江藤氏は「憲法へのアメリカの介入があり、交戦権不承認の条項を入れ込んだことが日本人を意識的、無意識的に拘束」しているとして、憲法への疑義を提起したと位置付けられる。河合氏もこれを全否定はしていない。一たびは評価し共感を表明したうえで、「その結論は急ぎすぎの感を持たざるを得ない」とし、「西洋的父性を日本的中空構造の中心に据えようとする」ことに、強い危惧を表明している。それはつまり、日本的母性と対極にあるものだといえばわかりやすいかもしれない。
これらの論争が取りざたされたのは昭和56年。ちょうど公明党が安保政策で現実路線に大転換をした頃だ。河合氏は江藤氏及びその主張に与する流れに対して「西洋的父性の論理へとジャンプすることではなく、日本人としてのわれわれの全存在をかけた生き方から生み出されてきたものを、明確に把握してゆこう」と「意識化への努力」を提言している。で、それから35年ほどが経っているが、憲法や防衛をめぐる状況に変化はあるだろうか。
保革の対立自体は、いわゆる革新の壊滅で変質した。代わって、今我々の目の前に展開している政治選択上の対立は、大枠では「自公」対「民共」という新たなものだ。ここでは「西洋的父性の論理」に公明党は依拠していないということにだけ留意を促したい。憲法を巡って早急にことを運ぼうとする自民党に対して、もっと議論を深め国民的合意を得ようと言い続けている。防衛についても現実的な対応を進める中で、しっかりと歯止めをかけてきているのは公明党だ。今は亡き河合氏に、「もう少し旧革新への批判を強く書いてほしかった。そうであれば、もっとクリアな論考になりましたよ」と生意気な感想を述べる一方で、「公明党がある限り自民党に無謀なジャンプはさせませんから」と誓いたい。
【他生の縁 ジョークの利かせ方の伝授を乞う】
河合隼雄さんが文化庁長官をされてた時代に、その部下になる官僚の何人かが私のところにやってきました。談偶々同長官のユーモア論が話題になり、私が読んだ彼のある本に、日本の政治家はウイットやユーモアに欠けるとの意味のことを書いておられたこと話がに及びました。私は、常々スピーチや質問の冒頭に、ジョークを飛ばすことに執心していたので、お役人の皆さんに、河合長官に、ぜひその手の観点から見てタメになる本を教えて欲しいと頼みました。
しばらく経って、同長官からある本が届けられました。その本のタイトルは忘れましたが、あまり面白くなかったことだけ覚えています。そこで、その旨また伝えたところ、やはり、そうでしたか、私もそう思っていましたとの返事。いやはや、それなら勧めたのはどういうことか、と苦笑を禁じ得ませんでした。
河合さんの本では、その昔、『人の心はどこまでわかるか』との本を読んで、読んだだけではわからないことが分かったものでした。「人間の心がいかにわからないものかを骨身にしみてわかっているものが、『心の専門家』である」とする一方で、素人は「心という怪物と対峙するのを避けたがる」ものと位置付けていました。確かに、心の何たるかを真正面から向き合わない自分を、言い当てられたような気がしました。直接会う機会がないまま、お別れしたのは悔やまれます。
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【149】世界史が求めた?起き上がり小法師ーエズラ・ヴォーゲル『鄧小平』
日本の外相が中国を訪れたのは4年半ぶりだという。4月30日に王毅氏と岸田文雄氏の会談を報じる新聞を見て知った。ということは、前回の訪問は民主党政権下。今その党は存在せず、安倍第二次政権下では初めてということになる。いかに日中関係が滞っているかの端的なあかしであろう。両国間の課題は数多いが、最大の外交問題はやはり尖閣問題であり、東シナ海をめぐる問題であることに変化はない。それにつけても思い起こすのは、巧妙極まりない言葉の操り方でトラブル拡大を回避してのけた鄧小平元主席のことである▼尊敬する先輩から「最近読んだ本で最も面白く、身につまされる思いがしたのはエズラ・F・ヴォーゲルの『鄧小平』」と巧みにいざなわれた。社会学者の橋爪大三郎氏がインタビューしたもので、上下二巻に及ぶ重い本編の集約版ともいうべき軽い本である。以前に取り上げた植木雅俊氏との法華経をめぐる対談と同様に、めっぽう読みやすい。「現代中国を理解するための必読書!」と帯に掲げてる通りに、大いなる手引きをしてくれる。昭和40年代から中国問題に関心を持ってきた身としても、待望の著作であることは間違いない。もはや本編にあたろうかとの根気は萎えがちであるがゆえに、「その生涯と業績の大事なポイントをすべて盛り込むもの」との触れ込みは有難い▼私は鄧小平氏に一度だけだが北京の人民大会堂で会ったことがある。幾たびとなく失脚と復活を繰り返し、中国の「起き上がり小法師」と半ば揶揄され、尊敬もされてきた人物だが、その印象はあまり快いものではなかった。したたかで狡猾なやり手というのが顔と小柄な体全体から醸し出された率直な雰囲気だった。あれから40年近い歳月が経って、中国を今日の名実ともに巨大な存在に仕立て上げたのが鄧小平氏だということがわかってみて、初めて自分があまりこの人物のことをわかっていないことに気づく▼橋爪氏に「二〇世紀後半から二一世紀にかけての世界史にとって、もっとも重要な人物だ」と言われてみて改めてそのスケールの大きさに気づいたような気がする。鄧小平氏は「共産党よりも国のために」という考え方できた、とのヴォーゲル氏の捉え方は正鵠を射ていると思う。尤も、その考えが「中国のためよりも世界のため」であってほしいというのはあまりにユートピア的すぎるだろう。しかしながらなかなか世界史的人物が出てきそうにない隣国の住民としては固唾をのむ思いで、その後の動向を気にせざるを得ないのだ。江沢民氏への評価など日本から見て違和感を抱くところや、突然に出てくる「パーソンズ」なる学者の名前とか、疑問を持つところもいささかある。が、これは「予告編」ということだから仕方がないのかも。ともあれ本気で中国と向き合うつもりなら、誰しも本編を読むしかないと思われる。 (2016・5・1)
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【148】血液をきれいにし、流れをよくするためにー屋比久勝子『温熱生活のすすめ』
厚生労働省の仕事に携わったころから10年近くが経つ。この間実に様々な医療関係者や健康に深い関心を持つ人々との出会いがあった。中でもいわゆる代替医療の分野の方々とのお付き合いが少なくない。鍼灸、カイロプラクティックから始まって坑道ラドン浴、刺絡、漢方薬、笑いの効用に至るまで、実に多彩だ。いずれも人の免疫力を高めるものとして注目されている。そんな私がかねてお世話になった尊敬する知人から、新たに「琉球温熱療法」のことを聞いた。こうした一連のものには西洋医学への物足りなさが共通して存在している▼そんな中で屋比久勝子『温熱生活のすすめ』『体の温め方と栄養力』を読んだ。それぞれ「未病からガン・難病まで癒す」「病気にならない」といった形容詞がついている。屋比久さんは、元をただせばピアノ教師。それが何故に温熱療法の世界に入られたか。両手の親指が原因不明の病に冒されてからあらゆる治療にあけくれるうちに温熱療法に出会ったことが発端。そのうちに急性肺炎から血清肝炎などを併発。医師から脾臓摘出を勧められるに至る。が、それを拒否。むしろそこから自力で従来の温熱療法を改良、発展させ自身の健康を回復。やがて独自の「琉球温熱治療」を確立した。その執念たるや、凄いの一言に尽きる。この20年ほどの間に大きな成果を上げられており、免疫学の権威・安保徹新潟大大学院教授をして「これだけホルミシスを研究している人に出会ったことはない」と言わしめるほどである▼琉球温熱療法は二段階から成り立つ。まず熱を発する温熱治療器(温灸器)を体にあてて注熱し、コリの原因になっている老廃物をほぐし、血流をよく」する。そのあと、「ラドン浴効果のあるベッドに横たわり、ドームに入る」ことで、全身を温めるというもの。そうやって血流を改善したうえで、質量ともにタンパク質を摂ることにこだわれというのが、その主張の基本である。以前にここでも取り上げた伊藤要子愛知医科大教授のHSP(ヒートショックプロテイン)を増やすことの重要性と共通することが興味深い▼さらに屋比久さんは、ひたすら卵の効用を説いてやまない。一般的に卵はコレステロールを高めるからほどほどにというのが”日本の食生活の常識”だが、彼女は「コレステロールの高い人ほど卵を食べてください」と真反対だ。その理由については実際に読んでいただきたいが、実に説得力がある。血液検査の読み取り方も病院で接触する医師の普通の見方とはかなり違う。「数値が正常でも油断は禁物」との指摘は、心と体にグサッと刺さってくる。これ以上の日本の医療費増を防ぐには統合医療に活路を開くしかない、という主張は目にするし、私も大筋賛同する。先日沖縄に足を運んで、屋比久さんと会い様々な教えを頂いたが、琉球温熱治療を実際に体で試してみて、改めてその意を強くした。(2016・4・24)
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(147)7-⑦ なぜ戦争と宗教は深く結びつくのか━━松岡幹夫『日蓮仏教の社会思想的展開』
◆永年の疑問を解いてくれた本との出会い
親しい新聞記者から以前に訊かれたことが長く気になっていた。「日本近代史において日蓮仏教を信奉した人たちの中に、過激なナショナリストが多いのはどうしてでしょうか」との問いかけだ。確かに、田中智学、北一輝、石原莞爾らはその系譜の中に入る。日蓮大聖人の生涯は闘いの連続であり、革命的言辞に充ち溢れたその言動を曲解すると、時代性もあいまって結果として軍部日本との結びつきが強くなったということだろうか。彼らとの会話を適当にやり過ごしたことに割り切れなさを抱いてきた。ともあれここらを鋭く抉る書物を私は不幸にして知らなかったのである。
大分前のことだったと思うが、法華経や創価学会について造詣を深めてこられた佐藤優氏と松岡幹夫さんの対談『創価学会を語る』を読み、すでに読書録に取り上げた。そんな作業をするなか、松岡さんの著作一覧の中に、『日蓮仏教の社会思想的展開──近代日本の宗教的イデオロギー』を発見した。松岡さんという人はかつて日蓮正宗の僧侶で、その後宗門を離脱し、日蓮仏教改革のリーダー的存在となった。創価大学を卒業した後、35歳の時に早大で修士号、東大で博士号を取得。創大時代の学友に公明党の私の後輩が何人かいる。
この本では「日蓮仏教とナショナリズム」の章で田中智学と北一輝、「日蓮仏教と戦争論」で石原莞爾と妹尾義郎、「日蓮仏教と共生思想」で牧口常三郎と宮沢賢治というように6人の思想家、軍人、教育者、作家らを取り上げて詳しく分析を試みている。永年の疑問を解く機会がやってきたとひそかにほくそ笑んだものである。博士論文がベースになったものだが、それでも各章ごとに末尾に「小結」なる”まとめ”が付加されており、その論述は理解しにくくはない。
◆偉大な思想を表層だけしか捉えられない悲・喜劇
私がこの本を通じて刺激を受けたことは数多い。北一輝については、歴史家で古い友人の故松本健一氏から得たものが多いが、宗教者としての松岡さんの「北一輝論」の方が焦点をつかみやすい。また、浄土真宗、親鸞との戦争との深い関わりも新たに知りえたところが少なくない。この書物が世に出てもう20年余りが経つだけに、もっと早く手にしたかったと、悔やまれる。冒頭に掲げた問いかけの答えは、やはり日蓮大聖人の偉大な思想を表層だけしかとらえられなかった人たちの悲・喜劇ということだろうと思われる。大筋で私の見立ては当たっていた。予想通りである。そんな中で牧口先生のみが「日蓮理解」に正鵠を得たのだと確信する。
尤も、松岡氏は冷静に「日蓮を相対化」している。その取り上げ方は、牧口先生を深く尊敬している身からすると、正直に云って胸が痛み戸惑いもする。創価学会との深い関係から、我田引水になることを極力避けているのだろう。気になるところは多々ある。とりわけ「日蓮仏教の戦争イデオロギーは、日蓮信奉者たちの思想傾向の多様性と日蓮仏教の思想的多面性とによって聖戦論から反戦論まで幅広く展開された」のだが、「いずれの場合においても、宗教的信念からの人間の生存を第一に尊重するという思想性は見いだせなかった」というくだりなど、その最たるものだ。
時代性や個人性に起因するのか、日蓮仏教の思想性によるのか。答えをだすには「平和主義やヒューマニズムを標榜する戦後の日蓮仏教についても考察する必要が出てくる」として「今後の課題に」しているが、この本以後、興味深い「戦後編の考察」を次々繰り出しているのは周知の通りである。
【他生のご縁 『信仰学とは何か』に強い衝撃】
ここで取り上げた表題の本の出版からは20年以上の時が経っています。ところがつい先年、松岡さんが中心になってまとめた『創学研究Ⅰ──信仰学とは何か』は、この人のその後の知的格闘、宗教的深化が窺えるとても興味深く面白い本です。直ちに、読書録に取り上げる一方、ご本人に私の出したばかりの本『77年の興亡』と共に、素直な読後感を込めて、喜びの手紙を書き送ったものです。
この本の第4章第2部「信仰と学問の間で━━それぞれの人生体験から」には強く惹きつけられました。「仏教では、イエスの復活のような非現実的なことは説かない。こういう人もいるでしょう。しかし、そんなことはありません」とあって、次のように続く。
「仏教教典を読むと、非現実的な出来事は随所で説かれています。原始仏典に出てくるブッダと神々や悪魔との対話、法華経に説かれる虚空会の儀式などは、およそ非現実的な出来事というしかありません。その点ではイエスの復活と変わりないのです」と。ブログに引用した私は、「いやはやよくぞ言ってくれたと多くの人は思うに違いない。この当たり前のことが長く私たちの周りから聞かれることはなかった」と書いたのです。
松岡さんは、師の示された宗教的原理を掘り下げ、分かりやすく解き、現代社会に展開することに腐心しています。つい先頃出された第二弾の『『日蓮大聖人論』も読み応え十分でした。私は公明党の人間として、政治の分野でも、こうした試みがなされるべきだと強く感じています。
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【146】”二匹目のどじょう”を貶しつつ褒めるー原田伊織『官賊と幕臣たち』
柳の下に二匹目のどじょうを求めるのは世の常である。原田伊織『官賊と幕臣たちー列強の日本侵略を防いだ徳川テクノクラート』が書店に並ぶと同時に読んだ。前作『明治維新という過ちー日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』は多くの読者を惹きつけた。ゆえに二作目にも大いなる期待をした。だがほぼ同様の中身がなぞられており、二番煎じ気味は否めない。とはいうもののやはり面白い。凡庸なあまたの出版物をはるかに凌駕する迫力を感じる。多くの若い読者がこの二冊を読むことを薦めたい▼明治維新の際に「薩長土肥」と一言で括られる官軍という一大勢力は、毀誉褒貶はあれども日本を形成した「正義」とされてきた。私たちは学校でそう教えられ、また小説の世界でも十二分に味わってきた。それが実は「過ち」であり、「明治の元勲」はテロリストの成れの果てで、官軍は賊軍であったと聞かされるとただ事ではない。前作の出版以後、著者に対して称賛とともに様々な批判も寄せられたことは想像に難くない。ただ、私のような「へそ曲がり」には堪えられない面白みを感じさせる▼かの国民的作家・司馬遼太郎が暗殺は嫌いと言いながら「桜田門外の変だけは歴史を躍進させたという点で世界史的にも珍しい例外だ」と評価した。それに対してこの後輩(共に大阪外大出身)は「(司馬氏は)何らかの原因で錯乱していた」と指弾するなど、これまでの常識的な「維新観」に徹底的に疑問符を投げつける。前作では「会津」や「二本松」にものぐるおしいほどの哀感を注ぐ一方で、長州や薩摩などの特定の人物を蔑みこき下ろした。坂本龍馬にいたっては単なる武器あっせん商人の手先ぐらいの位置づけである▼二作目では、幕末日本が欧米列強の侵略を防ぎえたのはひとえに、徳川の幕臣テクノクラートによるところが大きいとする。阿部正弘、堀田正睦、川路聖謨、水野忠徳、岩瀬忠震ら「英傑」が、知力と人間力を武器に欧米列強と正面から渡り合った様を克明に描き、きわめて興味深い。このあたりを読むにつけ、続編を書きたかった理由が痛感させられる。維新から150年を経て、歴史の見直しが求められている。原田氏だけではなく少なからぬ論者が従来の維新観にノーを突き付けてはきている。だが、原田伊織という人物がなんだか幕末のサムライをほうふつとさせるところが他と違う。尤も、すでに作り上げられた偶像を壊すには並大抵の力では足りない。その意味では著者には三匹目、四匹目のどじょうを狙って貰いたいし、小説の分野でも安部龍太郎『維新の肖像』のような新しい維新観に立脚したものが続出してほしい。(2016・3・28)
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【145】割腹前夜に何を彼は考えていたかー三島由紀夫『命売ります』
三島由紀夫の『命売ります』という題名の本が売れているというので、アマゾンで注文して読んだ。書店で購入する場合と違って中身があまりわからないままに購入してしまい、放置してしまうことが多いなかで、これはしっかりと読めた。要するに彼のものとしては気楽に読めるエンタテインメントである。三島本人も「小説の主人公といふものは、ものすごい意思の強烈な人間のはうがいいか、万事スイスイ、成行まかせの任意の人間のはうがいいのか、については、むかしから議論があります。前者にこだはると物語が限定され、後者に失すると骨無し小説になります。しかし、今度私の書かうと思ってゐるのは、後者のはうです。今風の言葉だと、サイケデリック冒険小説とでもいふのでせうか?」と「作者の言葉」を寄せている▼この本は昭和43年5月から10月まで週刊誌「プレイボーイ」に連載されたものが12月に単行本として出版された。あの自衛隊市ヶ谷駐屯地での割腹自殺事件が起こるほぼ2年前。すでに当時、同志の学生たちと血盟状を作成したり、自衛隊への体験入隊をするなど着々とことを起こす準備を進めていた時期にあたる。それゆえ、単なるエンタメというよりも、形は「サイケデリック冒険小説」の装いを取りながら、その実、解説で種村季弘が書いているように「小説家三島由紀夫その人の生身の魂の告白が、あからさまに吐露されている」ものだと思われる▼尤も、主人公の羽仁男が襲われる「荒涼たる孤独感」や「寄る辺のない不安」と、その果てに行きつく、一度捨てたはずの「生」への執着、「凡庸な生に対する餓渇に近いあこがれの感情」などをあの当時の三島が抱いていたと思うことはそれなりの勇気がいる。通常イメージされる三島由紀夫とは無縁のものと思われるからだ。それだけに、種村の推測に身をゆだねることは極めて興味深い。確かに「骨無し」ではあるものの、一刀両断には判じがたしたたかさを持った本だともいえようか▼昭和45年11月に彼が自殺をしたときに真っ先に抱いたのは「なんでそんなバカなことをするのか」との憤りに彩られた凡庸な思いだった。あれから45年余の歳月が経った。三島由紀夫ありせば90歳を超えているはず。老いさらばえたすがたを人に見せることをせず、輝いたままの精神と肉体を印象付けたいとの彼の思いはおそらく成功したといえるのだろう。しかしながら、命は「売る」ものでも、「買う」ものでもなく、「使う」ものだとの本来の観点にたてば、迫りくる老いの中でも懸命に「使命を果たす」姿のほうが、凡愚な私には尊いものに思われる。(2016・3・26)
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【144】日本人キリスト者に欠ける視点ー三谷隆正『幸福論』
新しい友との出会いはいつもながら嬉しいものだ。その友から三度目に会った時に本を頂いた。三谷隆正『幸福論』である。同名のタイトルのものはヒルティやアランが書いている。それなりに読んだことがあるが、三谷隆正のそれは初めてだ。秀れた法哲学者で無教会キリスト者でもあった三谷の人生は1889年~1944年というから、明治半ばから先の大戦の敗北寸前まで生きていたことになる。終戦直後に生まれた私にとってちょうど前の時代の人で、リレーでいえばバトンを渡された世代だ。19歳で日蓮仏法の門に入った私はこれまでいろいろな本に出会ってきたが、この種のものはいささか食傷気味であった。それが読む気になったのは巻末に添えてあった座談会「三谷隆正先生の人と思想」であった▼南原繁、丸山真男、前田陽一、武田清子ら碩学による追憶談義は、三谷という人物をくまなく描き出すとともに、明治から大正、昭和にかけての時代の教養主義を生き生きと表現している。とくに大正教養主義といわれるものが宗教的な流れと人道主義的なものとに分かれているとの指摘は興味深い。同時にまた本文中における二つの世界観を対比したくだりにも惹きつけられた。「古代から現代にいたるまでの智者とも賢者ともいわれるような人々の世界観は、大略二つに分けられる」としたうえで、三谷は「一つはギリシア的教養を以て身を鎧うたる人々にして、基督教的信仰を持たない者の世界観」で、「もう一つは活きた基督教的信仰によって支えられたる世界観」だとしているところだ。勿論、キリスト者の彼は後者のみが「強靭なる積極的人生観と不撓の希望とを持っている」と断じ、「前者は例外なしに究極は厭世主義」と切り捨てている▼敬虔な宗教者らしい真摯な生き方が随所に顔を出して好感は持てるものの、東洋の思想への言及が際立って少ないことは気にかかる。尤も、一か所だけだが真正面から触れられている。「汎神論的主知主義が東洋古今の幸福論を顕著に性格づけている」(208頁)との前後の数行である。「果たして見ることは愛することにまさりて祝福の源であろうか」とか、「静に座して栄光の神を観てよろこぶというような味楽の境地でなくて、起って全身全霊を神の聖前に投げることでなければならぬ」との表現に、抑え気味ながらも東洋思想への批判のまなざしが見て取れよう。しかし、日本人の書いた「幸福論」に仏教や東洋思想への思い入れがなく、キリスト教や西洋哲学への憧れや関心しか見てとれないところに、私などは時代と人の限界を感じてしまうのである▼さて、この本を私に薦めた人とは、だれか。須曽淳麿というほぼ私と同世代の人である。同志社大を出て大塚製薬に入社した後に、早稲田大でも学んで修士となり、やがて刻苦勉励を重ね、55歳にして順天堂大学医学部で博士号を取得するという向学の志きわめて熱き人である。三谷隆正とは遠縁にあたられるとのこと。ある友人を介して、つい数週間前に会ったばかり。真っ赤なマフラーを首に巻いたうえに濃紺のハットを被って。約束の場所・新橋駅前のデゴイチの脇から、初めて現れたあのときはおよそ怪人物に見えた。「努力は肥料、苦労は農薬」という言葉を好んで口にされるようなこの御仁はなかなかの懐深き人と思われる。これからの出会いが無性に楽しくまたれる。(2016・3・9)
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