(164)「話す力」を重視して「聞くこと」を疎かにするとー阿川佐和子『聞く力』

政治家は様々な場面で時々の政策課題について、自身がどういう考えを持つかが問われる。大学の後輩で時に親しく言葉を交わした石破茂前地方創生相がかつて「朝起きて新聞を読んだ後、その日自分が何についてどう発言するかを頭の中で整理するのが自分の日課だ」と言っていたことを思い起こす。政治家たるもの「喋ってこそなんぼのもの」で、黙ってることは悪に等しいということが現役の頃に強迫観念のようになっていたものだ▼しかし、これも一対一の相対関係の中に持ち込むと、時に喋り過ぎは人間関係を損ないがちだ。人はどうしても得意な分野や熟知していると思い込んでいることについては喋りすぎてしまう。相手の話を聞かずに、自分の意見を語ってしまうだけで、自己満足に陥りがちだ。私の場合それに加えて、対話をしている際に、相手の話に口を挟み、しかもその話の筋から逸れて持論を展開しがちになることが多い。数年前のこと、某市の副市長をした大学の先輩が私のために本を買ってきてくれたのに、私は「それならもう読んでます。その人の作品にはもっと面白いのがありますよ」と言いかけた。その先輩は「そうか。なら、もう俺は帰る。お前とはもう会わない」と中座されてしまった。同席していたもう一人の先輩があれこれとりなしてくれようとしたが、最早相手は聞く耳を持たなかった。大失敗だ。ここまではいかずとも、これに類する話は、私の場合恥ずかしながら少々あるのだから始末が悪い▼中学時代から50年余の長きにわたる親友・志村勝之君は、今は大阪で臨床心理士を営むが、こういう私の悪い癖を知り抜いていて、様々な機会にやんわりとアドバイスをしてくれ続けている。先に、二人で出した対談電子本『この世は全て心理戦』にあっても随所で「聞くこと」の大事さを彼は語ったもので、かくいう私も当然のことながらそれを認めている。その彼が先日の語らいの中で、キャスターの阿川佐和子のTBS系TV番組『サワコの朝』を観るように勧めてくれた。彼女の「聞く力」は大変なもので、参考になると思うよ、と▼チャーミングで限りなく爽やかなアガワさんにはかねて私は好意を抱いてきた。だが、私は彼女の書いた累計200万部に迫る国民的ベストセラー『聞く力』は、読む気がなぜかしなかった。どうせ中身は読まずとも、という感じだったのだと思われる。そのくせ、彼女の兄である阿川尚之慶大名誉教授にかつてある会合の場で会った際に、「ぜひ妹さんに会わせて欲しい」とダメ元で頼み込んだことがある(残念ながら未だに実現していない)。偶々観たその朝の番組ではイラストレーターの水森亜土さんが相手だった、確かに見事なやりとりだった。ということで、ようやく重い腰を上げて、そむけていた耳を傾けて、阿川佐和子『聞く力』のページをめくるにいたったのである。(この項続く=20016・8・13)

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(163)愛するがゆえの痛烈な一撃━━村上誠一郎『自民党ひとり良識派』

「私は今、自民党を憂いています。現在の自民党政治の暴走に対して、たった一人でも政治家の使命をかけて闘わなければならない。そう決意をせざるをえないのです」──●年の参議院選挙の直前に出版された本、村上誠一郎『自民党ひとり良識派』を選挙後に一気に読んだ。衆議院議員に連続当選すること●回。自民党一筋に●年。「ミスター自民党」を自認する男の「たった一人の反乱」が気がかりになっていた。何がそこまで駆り立てるのか、と。自民党の内情に深く立ち至るのは差し控えたいが、恐らく全編これ正論であろう。政策課題に関しても一部を除いて、その主張に共鳴することは少なくない。そのうえで、好漢惜しむらくは浮いている、との印象はぬぐいがたい。彼ほどの侍による地に足つけた批判ならば、今少し同調者もいるのだろうに、と思うからだ

 村上氏は年齢は私より7歳下だが、衆議院議員当選は7年早く、初めて会った時からその堂々たる風貌は仰ぎ見る存在であった。一緒に欧州経済事情視察に行くなどするなかで妙にウマが合った。かの福島原発事故の後処理問題では出色の論陣を張った彼と、微力ながら私も行動を共にした。その間、事あるごとに「吠えるだけではなく、行動を起こせ」と焚き付けた。引退後にも数回会ったが、その時も「同志を募らなければ。一匹狼では」と偉そうに苦言を呈したものである。

 私との最大のくい違いは、安保法制について、いわゆる集団的自衛権の行使容認をしたことは違憲であり、解釈改憲は立憲主義に反するとしている点である。仮に集団的自衛権を憲法を改正しないでまともに導入したのなら、解釈改憲をしたことになろう。しかし、先の安保法制は、従来からの個別的自衛権の範囲を出ていない、というのが私の認識である。そこを彼は曲解してしまっている。殆どの憲法学者たちの指摘する「違憲論」も存知のことだが、彼らが同時に「自衛隊違憲論」者であることを見逃すことはできない。国際法や国際政治学者の多くは、憲法学者と意見を異にしていることも抑えておく必要があろう。尤も、憲法について村上氏は3原理を変えないで、環境権など国民の理解を得やすいものから改正して行くことが穏当な政治的判断だとしている。これなど公明党の「加憲論」と全く同じであり、大いに興味深い。

★未だ遠い自民党の変革

 公明党は立党いらい長い間、”自社55年体制”を倒すことに意を注いできた。ソ連崩壊とともに社会党が消滅し、自民党は一党で政権維持をすることが困難となった。21世紀に入り連立政権が常態になって、公明党は外から自民党政治打倒を叫ぶより、内側に入って改革することに方針を変更した。自民党政治を庶民目線のものに変えるためには、与党の一角を占めたうえで普段に主張し続けることが近道だと判断したからである。庶民大衆のために政治を立て直す観点から、与党第一党の存在を注視してきたのだ。村上氏の言われるように、かつての自民党は「あらゆる意味で強固かつ強靭な政党」であった。しかし、その分、庶民大衆からは程遠い存在であった。それを大衆寄りのものにするべく、外から内から、手を変え品を変え、あの手この手で取り組んできたのが公明党なのである。

 時として、公明党は「平和の党」の旗を降ろしたのか、との批判を受けることもある。”空想的平和主義”の立場からは無理からぬことかもしれない。現実に根差した中道政治の展開はなかなか理解されがたい側面もある。我々は自民党が庶民に目配りを十分にする党になって欲しいことを念願してきた。「消費増税にせよ、規制改革にせよ、はたまた社会保障改革など国民にとって厳しい政策を着実に推し進めることができるのは唯一、自民党である」と断言する村上氏にとって、公明党の存在こそ手枷足枷になっているとの認識なのかもしれない。

 そのあたりについては触れられていないからわからない。他党批判には手を染めたくないとの慮りなのだろう。だが、かつての自民党との違いは公明党との共闘にあるわけだから、自ずと心中はうかがえるというものだ。自民党の変貌に向けてしゃにむに手を打ってきた側からして、仮に村上氏のいうような現状に同党が陥っているとするなら、「薬が効きすぎた」というべきだろうか。友党の一員として複雑な心境にならざるを得ない。自民党の今を嘆き続ける村上氏と、自民党の変革未だならずとする私とが折り合える日は果たして来るのだろうか。

【他生の縁 日本の政治停滞を憂う仲間同士】

 村上水軍の末裔たる村上誠一郎氏は、私がかねて畏敬の念を抱く政治家です。もっともっと表舞台で活躍を、と期待しているうちに彼も70歳を優に越えてしまいました。今ではさらに闘志満々で、自民党改革に執念を燃やし続けています。政治家としてどういう決着をつけられるのか、どのような結末を迎えられるか、人ごととはいえ、大いに気になります。

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(162)「憲法」でも注目されるべき第三の道ー『見損なわれている中道主義の効用❻』

これからの日本社会の行く末に目を凝らすとき、誰しもが1985年のバブル絶頂期から数年を経ての崩壊に始まる、長期低落傾向に歯止めをかける必要性を感じるはずだ。この期間における日本を覆う支配的な価値観とは何だろうか。それは結局のところ、1945年の戦後から一貫して流れる経済成長至上主義、成長神話ともいうべきものではないか。この経済成長に全てを託すことが国家目標に、いや国民の目標にさえなっていることの過ちにそろそろ我々は気づかねばならない。いや多くの人は既にそれに気づき、様々な発信もなされているが、未だ本格的に旗印は取り換えられてはいないのである▼私はこれまでことあるごとに、芸術、文化に力点を置いた国作りにその方向性を変えるべきことを強調してきた。軍事や経済と無縁な国家は勿論ありえない。しかし、それに翻弄されてしまってはもともこもない。経済力や軍事力はほどほどでいい。それよりも、一人ひとりの人間が持てる能力を芸術や文化の面で存分に発揮して、それぞれの人生を謳歌出来るようになったら、どんなに素晴らしいことか。お前は何を戯言を言ってるのか、という向きがあればぜひとも違う目標を提示して頂きたいと心底から思う▼国家目標などといった言い回しは、今更必要ないといわれる方もあろう。現にかつてあるパーティの場で束の間だったが、尊敬する劇作家の山崎正和さんにこうした考えをぶつけたことがあるが、柔らかな微笑みを湛えて「それは必要ないでしょう」と言われたことを覚えている。それは国家目標という言葉の響きが悪いからで、国民の思いとでも言い換えてみたらどうかとも思う。今、安倍政権は「一億総活躍社会」を掲げている。この気持ちは私の言うところと相通じるものがある。あらゆる人々が活躍できるように、との思いは得難い。だが、安倍首相自身の言動がややもすれば、過去の軍国国家の再来や経済力偏重の継続を想起させてしまう。皆が活躍して、その先にいったいどういう国作りをしようというのかが、問われねばならないのだ▼「教育」をめぐっての、戦後民主主義の弊害と戦前回帰の無謀といった異なる立場の間での論争も、あるいは「憲法」についての「改憲か、護憲か」の論議も、中道主義の立場が見失われてはならない。公明党は「教育基本法改正」をめぐって自民党との間で極めて長い時間をかけて議論を積み重ねた歴史を持つ。ひとえに従来の古い「保革対立」から脱却せんとする熱い思いからだ。人間教育に依拠する「創価教育」の伝統を重視する公明党ならではの闘いである。憲法論議でも公明党は現行憲法を貫く3つの基本原理を堅持したうえで、新たな時代変化に呼応するために新しい条項を加える「加憲」を提起している。憲法の「どこを変えて、どこを変えないのか」の議論がまずはなされねばならない。「全部変えてしまえ、いや一切変えてはならない」という対立にはもう終止符を打つ必要がある。参院選挙が終わって、いよいよ公明党の真骨頂が試されるときが来た。今こそ第三の道・中道主義が待望される。(この項終わり=2016・7・13)

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(161)失われた歳月を取り戻すために何が必要かー『見損なわれている中道主義の効用』❺

これまで概観してきたように、公明党が安倍政権の背後にある「宗教ナショナリズム」と結託して、日本を再び奈落の底に突き落とす重要な片棒を担いでいるとの指摘は、あまりに皮相的な見方が過ぎ、おかしすぎるというほかない。むしろ左右両翼のはざまで喘ぐ「大衆」を真に救済する中道主義の役割こそ見直されるべきではないかと、これまで述べてきた。ここで、私は冒頭に紹介した「25年パラダイム変換説」よりも、「40年日本社会変換説」の効用を説いておきたい欲望に駆られる。何も数字遊びをしようというのではない▼後者は、作家の半藤一利氏の提起によるもので、前者よりもいささか世に早く出たものと思われる。明治維新から40年後の日露戦争の勝利。更にそこから40年後の太平洋戦争の敗北。で、そのまた40年後のバブル絶頂から崩壊を経て今に至る流れ。このような山あり、谷ありの繰り返しを持ち出すと、大澤真幸氏の説といかにも酷似して見える。第一の40年は、富国強兵の国家目標、第二の40年は、継続ゆえの失敗として捉えられる。第三の40年は、経済至上主義の旗印の下での高揚の時代。これはまた、その後の40年ということになると、2025年まで続くわけだが、この期間が同じ経済優先の御旗のもとで繰り返されてはならない。自然の為すがままに放っていると、少子高齢化社会のピークとしての悲惨が待ち受けていることになってしまう。大澤説も半藤説も悲観的な先行きを強調しているという面では同種のものではある。ただ、後者の方は、国の旗印を今からでも遅くないので変えよう、との投げかけを許す余地が未だしもあるように思われる▼1945年から40年かけた期間における凄まじいまでの経済成長を経たうえでの壮絶なバブル崩壊。その影響をもろに受けた日本社会は、”失われた20年”と揶揄された。いや、その時間幅については、今や25年、30年と20年を超えて、更に伸びつつあるといえなくもない。ほぼ同じ期間を日本国の衆議院議員として、その異名を為さしめたことは今になって思えば無念だ。結果的には無為に過ごしてしまったという他ない身として、ひたすら恥じ入るしかない。あれこれとやってはきたが結局は「失われた」というのでは。この誤りを繰り返さないために、さてこれからどうしたらいいのか。(2016・7・12)

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(160)宿命的に困難さ伴う政治選択の具体的表現ー『見損なわれている中道主義の効用』❹

この50年の日本の政治を概観したが、公明党という存在が一般的に理解されづらいのは、中道政党だからだともいえる。いわゆる右でもなく左でもないという政治選択。これは民主主義の展開が具体的な姿をとって現われるうえでは、どうしても分かりづらいものとならざるを得ない。政権側の一員として政治的構想や政治選択の是非を問われる場合、イエスかノーで迫られると、注文は多々あるにせよ、結局は政権側の構想にイエスとなりがちである。安保法制を例にとろう。自公協議という水面下の交渉で、公明党は自民党の狙いをめぐって修正をあれこれ主張した。だが、終わってみれば、自民党と大差ないかに見える。公明党内部から、自民党との違いを明らかにしてほしいとの要望がそれなりにあったのは当然だろう。一昨年の閣議決定以降、私は決定に至るまでの経緯をつぶさに公表すべきだと、幾つかの機会をとらえて発言した。そうすることで、公明党がいかに自分らしさを発揮したかがわかるし、自民党との主張の違いが判ると思ったからだ▼しかし、それはついになされることはなかった。せめて党首討論を安倍、山口の党首間でやればいい、それが無理なら自民、公明の安保専門家同士で公開の議論でもやるべしと、たきつけたものだ。ある後輩代議士は「赤松さんの言う通りだが、それをやれば連立が壊れる。いつの日か自公協議の全貌は明らかにするから待っていてほしい」と私へのメールで述べたものだ。ないものねだりが過ぎたかもしれないが、メディアも自公の違いをもっと明らかにする方向を促す努力をすべきだった▼要するに中道主義は政治表現の対象として分かりづらい宿命にあるということをここで指摘している。かつての民主党と、仮に公明党が組んでいたらどうなっていたか。理念的には似たものを共有していた両党だけに、面白かったかもしれない。私には「早く生い立て民主党」と云って、同党の成熟を待ち望んだ頃もあったが、所詮は無理なことだった。勿論「政治の安定」という観点から、そんな”火遊び”のようなことは到底できないのだが。中道主義は本来、機に応じて左右両翼の政治選択と歩調を合わせることがあってもいいはずのものだろう。机上の空論を弄ぶなと云われることを百も承知で、なお口にしてみたい欲望に駆られる▼今のような自公政権が永遠に続いていけば、民主主義本来の政権交代が叶わない。中道主義はここでジレンマに陥ってしまう。理屈の上では、中道主義の政党は、どこかで一方の党の補完の役割を放棄して、もう一方の側の支援に回るということがあってもいいはずなのである。日本の政治の前進のために近い将来そういったことが起こりうるかどうか。そのためには、少なくとも政権を競う片方の政党グループに、世界観を異にする革命政党の本質を持つ共産党が存在することはあってはならない。(2016・7・5)

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(159)50年前と本質的には変わらない政治的風景ー『見損なわれている中道主義の効用』➌

公明党が誕生して50年余り。目標とした理想は達成され。「物語」は完結したといえようか。残念ながら否である。右翼に位置付けられてきた自民党は、相対的により洗練された存在感のある政党であるとはいえ、依然として金権腐敗的体質はぬけきれず、その呪縛にとらわれた政治家は後を絶たない。一方、左翼に位置してきた社会党の系譜を受け継ぐ社民党に昔日の面影はない。また、民主党は一たび政権の座を襲うも、あまりにお粗末極まりない運営で天下に恥をさらけ出してしまった。その結果として、いかに隠そうとも革命政党の本質を持つ共産党が左翼の一方の旗頭たろうとする現在は、大衆にとってただひたすら不幸という他ない▼かつて自民党の幹事長を務めたのちに、同党を飛び出し、打倒自民党の闘いをそれこそあらゆる手段をもってして果たそうとし続けた小沢一郎氏。その彼がまさに刀折れ矢尽きた姿でなお一人共産党とまで組もうとしていることは、流石に贔屓目(ひいきめ)が過ぎるとはいOえ、自民党政治の問題点をあらわにしていると見れなくもない▼最近話題になっている元朝日新聞記者で東洋大教授の薬師寺克行氏の『公明党』によると、大衆救済を目的にした公明党だが、当の大衆がかつてのような貧困から脱却し、豊かになったゆえ、そのアイデンティティーを見失い、再構築が迫られているという。しかし、本当にそうだろうか?私はそれは違うと思う。50年経って確かにかつて貧しかった層が豊かになったが、一方で「豊かさの中の貧困」は顕著になり、社会全体を覆う経済的格差の大きさも見過ごすことが出来ないものとなっている▼加えて言えば、元々創価学会の目指した救済対象としての「大衆」とは、経済的側面からのもののみではない。心やからだの健康を含めた全人間的側面を意味するものとしての存在であった。この50年の歳月は、心の病を持つ統合失調症の患者の激増やら引きこもり、登校拒否の子どもたちや若者たちを生み出してしまった。新たな課題の激増に見るように、大衆は一段と厳しい日常的状況に晒されており、救済の手が差し伸べられることをひたすら待っていることに何ら変化はないという他ないのである。(2016・6・30)

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(158)公明党が抱く「物語」を知っているか 『見損なわれている中道主義の効用』➋

公明党が結党されたのは1964年。今の政党の中では共産、自民に次いで三番目に古い。今年で誕生して52年目になる。当初は日米安保条約の段階的解消などを掲げ、立派な「左翼政党」であった。しかし、1981年に党内大論議の末に、自衛隊の存在を容認するなど安保政策を抜本的に転換し、現実的な政策に切り替えた。1980年代は「社公民連立政権」を模索するも、不可能なることを覚知するや、90年代後半には自らを半ば解党。大きな勢力構築へと向かう新進党結成に参加した。1999年には、小渕首相の要請に応じて自民党との連立政権に合意。既に15年余りが経つ▼こうした「左から右へ」との大胆な転換、「反権力から政権中枢へ」といった立ち位置の変遷の目まぐるしさから、その狙いを訝しがる向きは少なくない。だが、その変化には大きな筋が一本通っている。それは、「政治を庶民大衆の手に取り戻す」という目的である。その目的の成就のためには”あの手この手”を使うことは厭わず、”手を変え品を変えて”でも迫る。そういった「物語」に生きてきたのが公明党なのである▼この政党は周知のように、池田大作創価学会名誉会長が創立者である。結党の集いに「大衆とともに戦い、大衆とともに語り、大衆の中に死んでいく」との指標が与えられ、全ての議員が座右の銘としてきた。成立当時の日本の政治は、自民党と社会党の二大巨大政党がイデオロギー対立に明け暮れ、庶民大衆は顧みられることがなかった。だが、あれから半世紀の間に、世界における社会主義は崩壊。それにあい呼応するかのように、日本社会党は姿を消した。そして自民党も一党単独では政権を維持する力を失った。連立政治が常態となり、その一方の担い手が公明党になって久しい▼この事態をどうとらえるべきか。自民党が政権維持のために公明党の力を借り、公明党は権力に寄り添うことで組織防衛をしようとしている、との捉え方が一般的だ。しかし、それはより本質を衝いてはいない。結党時に誓い合ったこの党の揺るがぬ理想的目標は、繰り返すが政治を庶民大衆の手に取り戻すことであり、政治家個人、政党の在り方の根本的改革を果たすということである。つまり、違う角度から言えば、日本の政党、政治家が社会全体から信頼され、尊敬に値するものになればいい。そうなれば、公明党は主たる役目を終え、後裔に退いていいとの捉え方に立つ。権力奪取を最終目標にするのではない。政界を浄化し、公正・公平な価値観をもった複数の政党が政権を相互に交代して担う。そういった姿を実現するために、あたかも触媒の役割を果たすことこそ自らの使命とし、その集団が抱え持つ「物語」として、公明党は思い描いてきたのである。
(2016・6・21)

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【153】あと4年ー25年パラダイム変換説の恐怖 『見損なわれている中道主義の効用』❶

今回から私が理事を務める一般社団法人「安全保障研究会」の安保研リポート11号に寄稿した『見損なわれている中道主義の効用』を6回に分けて転載する。一回目は「あと4年ー25年パラダイム変換説の恐怖」。
戦後70年を超えた今、もう一つの戦後が改めて意識されだした。それは江戸末期の日本を二分した戊辰戦争を起点とするもので、やがて戦後150年を迎える。この両者は日本の近代が始まるきっかけとなったいくさとその挙句の果てに一国滅亡となった戦いとである。あと4年程で75年の歳月が二つ流れたことになるから、俄然二つの塊を丸ごと比較する試みが現実味を帯びてきたように思われる▼社会学者の大澤真幸氏は、その75年を25年ずつ3分割し、前半75年と後半75年における三つの時代状況が極めて似ており、それぞれが並行して繰り返しているように見えると比較してみせた。その分析によると、明治維新から日清戦争までの25年と、後半におけるポツダム宣言受諾から高度経済成長を経てジャパンアズナンバーワンともてはやされた1970年代頃までの25年が共に、第一期として比べられる。富国強兵を基にした国づくりと経済至上主義による戦後復興とである▼第二期は、1894年の日清戦争から日露戦争を経て第一次世界大戦あたりと、大阪万博からバブル絶頂の1995年まで。前者は大戦景気、後者はバブル景気として特徴づけられる。第三期は、関東大震災を経て太平洋戦争終結までの時期と、1995年の阪神淡路の大震災、オウム真理教事件から今日までとである。戦争前夜から敗北に至るまでの社会状況が、極めて似通っているという。残された時間は4年。今重くのしかかってくる▼この分析が世に問われて既に10年程が経つが、私は最近出版された政治学者・中嶋岳志氏と宗教学者・島薗進氏の対談『愛国と信仰の構造』によって漸く知るに至った。ここでご両人は、この見立てを推奨したうえで、第三期に入ると「社会の基盤のもろさが表立って見え」てきて「国内全体が言いようのない閉塞感に苦しむようになる」と指摘する。そして「同じ失敗を繰り返さないためには、明治に遡って、日本のナショナリズムと宗教の結びつきをとらえ直すことは重要である」と強調している▼「全体主義はよみがえるのか」とのサブタイトルを持つその作業の中で、明治維新以来の歴史において親鸞主義と日蓮主義が果たした役割を克明に追っている。その矛先の鋭さは、あたかも国家神道を免罪するかのごとき様相を示し、奇妙に新鮮でさえある。結論近くで、僅かの紙数ではあるものの、二人が「『居場所なきナショナリズム』を利用する自民党のネオコン勢力」と公明党・創価学会が結びついているとして、警鐘を鳴らしていることは見逃せない。歴史が同じように繰り返すわけでは勿論ない。だが、あらかじめ予定されたかのごとく、ことの推移を占うことは世の認識を誤らせる。聞き捨てならない指弾なので、あまり一般には知られていない公明党のなりたちや理念の具体的展開に触れることで、それが筋違いの杞憂であることを明かしてみたい。(2016・6・12)

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【152】「大衆」が姿を変えたという錯覚ー薬師寺克行『公明党』

広宣流布ー日蓮大聖人の仏法を世界中に広めて、個人の幸せと社会の繁栄が一致する社会を作ろうとの創価学会の壮大なビジョンに私が目覚めたのは、1964年19歳の年だった。大学在学中にしゃにむにその活動に取り組み、卒業と同時に公明党の機関紙局に就職、公明新聞の記者になった。いらい60年足らず。その間のほぼ真ん中の時期(平成元年)に、衆議院議員候補に推薦され、足掛け5年の苦闘の末に政治家に転身した。来年、公明党は結党60周年を迎えるが、私はほぼ同じ期間を公明新聞記者、党職員、衆議院議員秘書そして代議士として過ごしてきたことになる。つまり、公明党の60年は私の人生そのものと重なる。

この本はそのうちの50年の創価学会と公明党の軌跡を追った本である。元朝日新聞記者で現在は東洋大教授の薬師寺克行氏の手になる『公明党』だ。庶民大衆を無視しイデオロギーの弄びに終始していた自社両党。そこから政治を取り戻すとの旗印のもと「55年体制」打破に賭けた日々。打倒自民党の戦いに一時は自らを解党し、大きな勢力に合流してまで取り組んだ。それがかなわぬと見るや一転、内側からの変革に切り替え、当の相手の懐に入り込み連立を組むまでになった。

 こうした自分が歩んできた道を、新聞記者とし、学者としての眼差しで克明に分析されたものを見せられるのは、他人の日記を覗き見るようで実に興味深い。薬師寺氏は、精一杯公正な視点をもとに抑制を利かせた筆致で公明党と創価学会の50年を描いてはいる。私が上司として長年仕えた市川雄一公明党書記長への素描が粗っぽく、いかにもステロタイプ的なことは少々気になるが、これまでにだされた「公明党」論では出色のものだろう▼勿論あれこれ異論をはさみたくなるが、ここでは一点に絞る。「公明党が重視する『大衆』は、五〇年の間に大きく姿を変えてしまった」のだから、「公明党は自らのアイデンティティを再構築するときにきている」という結論だ。ざっくり言えば、経済的に苦しい人々が多かった社会から、今や社会全体が豊かになった。だから救うべき対象としての大衆そのものが変化したという捉え方だ。しかし、創立者がさし示したところの「大衆」は、人間であるがゆえの悩みを持つ存在である。経済苦だけではなく、病苦、人間関係のもつれなどあらゆる苦難に立ち向かう人間を指す。その観点からいえば、50年たっても全く「大衆」の実像は変わっていない。経済にあっては豊かさの中の貧困という「格差拡大」や、統合失調症や引きこもり、痴呆症といった新たなやまいに悩む人々の数は一段と増えている▼そうした状況の中で、政治,政党が果たすべき役割も基本的には変わっていない。安保法制を例に挙げれば、共産党や民進党などの「戦争法」といったレッテル張りの反対姿勢は50年前のいわゆる革新の姿とそっくりダブって見えてくる。つまりは残念ながら「公明党の戦いいまだ終わらず」、ある意味で50年経ってもっと課題は深刻さを増している。「大衆とともに」のアイデンティティは再構築というより、再強化されるときだろう。日本における政党が人間、大衆と真正面から向き合うことをせぬ限り、公明党の役割展開に終止符は打たれることはないのである。(2016・5・26)

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【151】宗教と国家の関係を読み解く大事さー中島岳志、島薗進『愛国と信仰の構造』

自分の所属する団体・創価学会こそ平和を作りゆく主体者であり、担い手だと私は確信している。ところがそうではないとか、すくなくともそうではなくなる可能性があると指摘する論考がこのところ散見される。東京工大教授で政治学者の中島岳志、東大名誉教授で宗教学者の島薗進のお二人は昨今急速にそういった姿勢を示されている。このご両人が対談された『愛国と信仰の構造』を読んで、様々な意味で啓発もされ、驚きもした。いわゆる「アンチ」の立場を取ってきた人たちの主張ではないだけに、その指摘は傾聴に値しよう▼幾つもの興味深い視点が提示されているが、ここでは二つに絞る。まず第一に近代150年の捉え方を挙げたい。中島氏は、社会学者の大澤真幸氏の「日本社会25年パラダイム変換説」を取り上げ、戦前、戦後の75年をそれぞれ三つの時代区分に分けて比較し、分析している。これは作家の半藤一利氏の「40年日本社会変換説」よりもさらにきめ細かく悲観的だ。1868年の明治維新、1894年の日清戦争勃発、1918年の第一次大戦終了までが戦前の3期の仕切り。一方、戦後の3期は1945年の第二次大戦の終結、1970年頃からのジャパンアズナンバーワンを経てバブル絶頂まで、そして1995年の阪神淡路大震災、オウム真理教事件から今日までと続く。この説を推奨する人たちは戦前と戦後の類似性を強調し、これからくる三期の終わりには「社会の基盤のもろさが表立って」きて、「国内全体が言いようのない閉塞感に苦しむ」ことになるという。いささかこれは”予定調和的思考”が過ぎると思うのだが▼第二に、戦前の仏教と右翼思想との関係、とりわけ親鸞主義との関係だ。日蓮主義については既に北一輝や石原莞爾らとの絡みで、言い尽くされてきた感が強い。一方、親鸞主義はあまり知られていない。三井甲之、清沢清之と言われても知ってる人は少なかろう。「自力」への否定としての「絶対他力」や、大勢順応に居直るという意味での「寝転がる思想」といった展開を知って、おぼろげながら理解はできる。本居宣長の国学の構造と親鸞の思想の類似性。さらには、ありのままの神に随順する「大和心」が「絶対他力」と重なり、日本の全体主義の流れが加速していったとの指摘は興味深い▼宗教、思想が用い方や理解の浅深によっていか様にも変わった側面を露にすることは日蓮、親鸞のケースだけでは勿論ない。だが、日本近代の形成にあって極めて深刻で甚大な負の影響を与えたものゆえ、その仕組みは熟知しておく必要があろう。この本の後半に「愛国と信仰の暴走を回避するために」との章があり、中島氏が公明党の自民党への追随に警鐘を鳴らし、島薗氏が創価学会に対し「国家とは距離を保って活動してほしい」と述べているくだりがある。「よみがえる全体主義」の一角を創価学会、公明党が担いでいるとの”倒錯した見立て”が提示されているのだ。ここは自民党を内側から変えようとし、日本社会の構造変革に関わる際の陥穽に気をつけろ、との注告だと冷静に銘記しておきたい。(2016・5・21)

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