(93)ハトはエサのないところには現れないー薬師寺克行『激論!ナショナリズムと外交』を読む

 このところ政治の右傾化が顕著だとの指摘が専らだ。確かに安倍首相の再登場いらいの言動を持ち出さずとも、保守勢力の動きが論壇を中心に活発だ。「自社対決」が花盛りの頃に「保守対革新」のガチンコゲームを見続けてきたものにとって、社会党の没落から消滅を経て、民主党の中に潜り込んだかに見える残党たちの影が薄いことには哀れすら催す。同時に保守の中における穏健派もこのところ姿が見えない。かつて自民党の中で安全保障をめぐって「ハト派対タカ派」といわれた対決の構図さえ見られないと言われる。ハトの姿が見えず、タカばっかりだというのだ。このあたりの背景を探る面白い本に出会った。元朝日新聞政治部長で、今は東洋大学教授の薬師寺克行さんの『激論!ナショナリズムと外交』である。サブタイトルに文字通り「ハト派はどこへ行ったか」と付いている▼薬師寺さんとは残念ながらお互いの現役時代には面識はない。朝日新聞の敏腕記者たちとは、船橋洋一氏を筆頭に付き合いは少なくないのだが、このひととはその機会がなかった。というのは薬師寺さんが公明党の担当をしていないということが最大の理由だ。ところが、つい先日同氏が私に会いたいと言っているとの連絡が後輩の代議士を通じて入った。回りくどいなあ、直接言えばいいのにと思いつつ、何事だろうと電話をすると、「公明党の取材をしているので貴方の話も聞きたい」とのことであった。当方としては願うところなので快諾したが、その際に著作を読みたいので送ってほしいと要請した。彼は『外務省』という新書を書いており、それが届けられるものと思っていたらあにはからんや、先に挙げたものと、もう一冊『現代日本政治史 政治改革と政権交代』が送られてきた。政治学を学ぶ学生向けの教科書だ。出版元は有斐閣。ざっと目を通したが、公明党に関する記述は極めて少ない。政治改革に果たした役割からするともっと紙数が割かれていいと思うのだが。なによりもPKO における市川雄一公明党書記長の戦いぶりが皆目でてこないというのでは、推して知るべしだ。こういうことだから公明党を改めて取材しようということなのだろう、と勝手に推測した▼『激論!』は9人の人たちとの対談で構成されている。学者1、評論家1、政治家7という割り振り。ジャーナリスト出身の学者だけに対談は読みごたえがある。なかでも第一章の細谷雄一慶応大教授との対談は面白く、知的刺激をいっぱい受けた。あとは、わが公明党の山口那津男代表のと、平沼赳夫日本維新の会代表代行のものに惹きつけられた(共鳴したわけでは勿論ない)。それ以外の6人のにはパンチがない。ハト派やハトとまでは言わぬまでもそれに近い穏健派の主張には食い足りなさが残る。細谷さんは立教大学時代に、かの北岡伸一氏に、そして慶応大学院時代にはわが学友・田中俊郎氏(慶応大名誉教授)に師事したという。薬師寺さんはこの16歳ほど年下の学者を相手に「欧州に見る寛容と和解の歴史」を語り、日本政治史におけるハト派のゆくえを探っている。細谷氏は各国でポピュリズムが広がって歴史問題がますます政治化すると、保守勢力(タカ派)は自国の正義を語り、リベラル勢力(ハト派)は謝罪と反省を語る。そのような大衆社会では自ずと、自尊心を満足させる甘いお話の方が受け入れられやすい。ハト派の出る幕は少なくなるというしだいだ。こうした指摘を受け、薬師寺氏は、現状を「(復讐心に燃えた)中韓両国の主張に日本政府が反発し、国内的に危機感を煽り、憲法の解釈を見直し自衛隊の活動範囲を広げようとしている」時ととらえ、軍事的緊張が高まりつつあるとの認識を示す▼安倍政権を自民党とともに支える公明党の山口氏はタカ派が強くなりすぎると、「国全体の安定感が疑われる」ので、「国としての包容力とか幅を持っていないといけない」と強調している。薬師寺氏は日中関係などでの山口氏の発言を「国際協調派ならではの主張だ」と持ち上げている。私のとらえ方は、国民の中におけるハト派的主張が後退しているため、相対的にタカ派が目立つということだと思う。公園に行くとハトに餌をやる人がいて、そこにハトが山のようにやってくる。ハトは餌のないところには姿を見せない。つまり、細谷氏が言うようにハト派的主張が国民受けしなくなったということに尽きよう。自民党内ハト派に期待ができない今、政権内ハト派としての公明党にますます期待が高まってこよう。(2015・4・26)

【この読書録のあと、薬師寺さんは力作『公明党』を書き、出版しました。私の発言も僅かですが出てきます。同世代の中で数少ない大学教授になった人だけに、仲間たちの思いも取り込んで、頑張って欲しいものと思っています。「ウクライナ戦争」をめぐって、一段と、その視点が注目されています。(2022-5-14)】

 

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住民票は仕事先、居住地と複数あっていけないか(92)

久方ぶりにかなり知的興奮を感じる本に出会った。山下祐介『地方消滅の罠ー「増田レポート」と人口減少社会の正体』である。先にいわゆる「増田レポート」を真正面から説いた御本人(増田寛也元総務相)の本『地方消滅』は取り上げた。「『地方消滅』を悲観論に終わらせるな」というタイトルで紹介(2015・2・15)したが、この本に何かしっくりこないものを感じたことは事実で、あまり評価はできない印象を持った。それから一か月ほど経って雑誌『世界』の4月号で、同じ著者の論文「隘路に入った復興からの第三の道」を読み、いたく感動した。「この国の中枢と末端をつなぐ問題解決回路の欠如」を強調した上で、自治と政策、マスコミ世論と政策、そして科学と政策の回路といった三つのフィードバックを確保すべきだと訴えていたのである。よし、このひとの本を読もうと、思うに至った▼増田氏らの主張の一枚看板である「選択と集中」は「地方切り捨て」「農家切り捨て」「弱者切り捨て」に帰着するという。東京一極集中を避けるために、地方の拠点を「地方中核都市」などと銘打って選択し、そこに人口を集中させることは結局ミニ東京やミニミニ東京を地方に作ることであって、その周辺の小さい町はどんどん切り捨てられることになる。そうではなくて地方の側からの発信を主軸にしたものが必要だ、と。「増田レポート」は「特定の政策提言集団の意見表明であり、どう見ても首都圏ないしは中心側から見た地方論である」というのだ。「大国経済」に国家のスタンスを置き、国際的な経済競争力に強い関心を持つ生き方が強く打ち出されているのだが、それでいいのかと問いかけ、もう一つの対抗軸を示す。「ふるさと回帰」「田園回帰」論である。「集落を残すか」や「過疎対策は必要か」などの議論は枝葉であって、ことの本質は文字通り国家のあり方を問うことなのだ、と。思えばこうした対立軸は今までにも”出ては消え、消えては出た”ものであり、そう珍しくはない。ただ、このレポートがあまりにも衝撃を持って登場しただけに、心底からの対論が必要とされてきているといえよう▼この本の魅力は、具体的な提案を上げているところにある。例えば、現在の「選択と集中」につながる「自治体間人口獲得ゲーム」に代わっての新しいゲームを「価値観を競う論理対抗ゲーム」と位置付けているのは面白い。さらに人口減少社会に立ち向かうためにあげている三つのポイントが興味深い。一つは、未来の適切な組み込み。第二に人口減少をプラスに生かす社会づくり。第三に、多様な住民を認めるというものだ。この三番目は大いなる発想の転換だ。住民票は一か所にしかおけないという現在の固定した観点から複数に変えようというものである。確かに、住んでいて寝るために帰る町と、昼間働いている町というように、多くの働く人たちは二か所以上の町と縁が濃い。ここらから時代を変える新たな仕組みが出てきそうだというのである▼私が住む姫路市も平成の大合併で53万人の人口を持つに至った。つい先日には「播磨圏域連携中枢都市圏」なるものを石破地方創生相出席のもとに立ち上げたところだ。周辺の農村部はますます過疎化を強める一方で、姫路市にのみひとを集めようとしているかに見える。香寺町、安富町、家島町、夢前町などかつての郡部の町村が今や姫路市に組み込まれている。そこに住む人々の福祉やサービスは向上したのか。またそのさらに外にある福崎町、宍粟市、たつの市、佐用町、赤穂市、相生市、太子町などの過疎化は進む一方ではないのか。もっとお互いの交流を強め、連携を強化するところから相互の発展に寄与する道を探そうというのが本来の狙いのはず。しかし、現実はますます彼我の乖離が増すのではないのかとの危惧も。こういった観点を一体どうするのか。明日から始まる選挙戦で問われてこよう。しかと見つめる機会にしたい。(2015・4・18)

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“町内会長一年生”としての旅立ち(91)

自治会と町内会とはどう違うのか。団地は自治会と呼ぶのが相応しいが、通常の街中のものは町内会がいいのでは、と私は勝手に思っている。昨年の4月から姫路市新在家の自治会の副会長(この地ではこう呼ぶ)になった。生まれ故郷の姫路に東京から移り住んではや27年目が経つが、この間に城北新町、野里、北新在家そして新在家と4回引っ越した。自治会活動はすべて家内に任せっきり。会合はもちろん、町内の掃除から夏祭りに至るまで一切のものに何も出たことはなかった。時々回ってくる隣保長なる役も名前だけで、妻任せ。粗大ごみすら自分で出すことはなかった。それが突然昨年から一年間、一転してやることになった。衆議院議員を辞してから1年が経っており、そろそろ身近なことで地域に貢献しなければと思っていたところに副会長になれと言われた。順番だからと、有無もなかった。▼そんな折、紙屋高雪『”町内会”は義務ですか?』という本を読んだ。このひとは40歳台半ばで団塊ジュニアの世代。私の娘より少し上の年恰好だ。サラリーマンうをしながら漫画評論やらブログガーとして活躍しているひとらしい。私と同様に全く無関心だったのが、つい自治会長を引き受けてしまい、てんてこ舞いしながらも、一風変わった自治会を創っていく様子が描かれている。およそこれまでなら読む気さえ起らなかったジャンルのものだが、必要にせまられたというか、基本を押さえておかねばという義務感で読んだ。読み終えての印象は若いのにえらいなあというのが正直なところ。彼の歳の頃にちょうど選挙に初挑戦した身としては、町内会、自治会活動なるものにはそれこそ関心を持って取り組まねばならなかったはずだったのだが▼この一年副会長として何をしたかと問われると、恥ずかしい限りだ。粗大ごみを出す日が月二回あったが、そのうち一回は午前5時半頃に起きて6時前にはごみを入れるケースなどを出して準備を始めることをした。あとは月一回の定例会の支度として様々のチラシやパンフレットの類を30隣保(全400世帯)ほどのグループに仕分けする仕事がルーティンワーク。年間を通じて最大の仕事が夏祭りということだったが、屋台の担ぎ手がなかなか集まらず苦労した。一度自分でも担ごうとしてみたのだが、そのあまりの重さが未だに肩の骨に残っているかのような気がする▼そんな私が今年は自治会長になってしまった。今年は私の住む3丁目から自治会長を出す順番に当たっていたということで、昨年末からいろんな人に声をかけたが当然ながら引き受けるひとは見いだせず、結局はミイラ取りがミイラになってしまったというしだい。先日はなったとたんに、64歳の方が脳梗塞で亡くなられたということで、お通夜に参列した。隣保長をされていた女性の実の父親ということでもあり、お悔やみに駆け付けたところ、私との人間関係も無縁ではなく、世間の狭さに驚いた。そんなわけで亡くなった方の母親にあたる90歳少し前の老婦人を激励させていただくと、大層喜んでいただいた。後日、お礼の電話があったので、県議選の支援依頼をすると快く応じてくださったうえ、妹さんが神戸市北区在住と分かり電話をさせていただき、これもまた快諾してくださった。なったばかりですべてはこれからだが、手探りの中から一つでも二つでも地域発展のため、皆様が住んでよかったと思われる地域にしていくべく頑張っていきたいと決意している。(2015・4・11)

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ある女流作家の乱行と政治を見る目(90)

読売新聞の読書欄の冒頭のページはそれなりにためになるものが多い。読者からの要望に応えて担当の識者がそれぞれ適切な本を紹介している。今年の初め頃に、「夫婦揃ってリタイアしたが、二人の間に会話がない。このきずまりを埋めるようなウイットに富んだ会話を指南してくれる本はないか」という問いかけが掲載されていた。作家の佐川光晴さんが、武田泰淳の『目まいのする散歩』を読めばと、勧めていた。「夫婦のやりとりを描いた傑作」だというので、早速買いおいていた。選挙のさ中に新快速電車で姫路・神戸間を往復する間に読んだ。当方も疑似的単身赴任が終わり、一緒に生活することが殆んどとなった今、決して夫婦の間で楽しい会話が展開されているわけではない▼8編の散歩にまつわるお話にことよせた小説風読み物で、野間文芸賞を受賞したという。武田泰淳という作家は、『司馬遷』『ひかりごけ』『森と湖のまつり』などの作品で知られるが、私は今まで殆んど読んでこなかった。この本は「近隣への散歩、ソビエトへの散歩が、いつしかただ単なる散歩でなくなり、時空を超えて読む者の胸中深く入り込み、存在とは何かを問いかける。淡々と身辺を語って、生の本質と意味を明らかにする著者晩年の名作」という触れ込みだ。ウーン。浅い読み方しか出来ぬ私のような者にとっては、あたかも別の本の紹介のように思われ、思わず笑ってしまう▼これが書かれた当時、著者は赤坂に住んでいてしばしば散歩に出かけたところが、明治神宮、武道館、代々木公園。そして荻窪、阿佐ヶ谷界隈あたり。私の宿舎は赤坂二丁目にあったし、青年期に歩き回った杉並区下井草や中野区鷺宮周辺が懐かしく思い出された。武田さんは病後間もないころに夫婦であちこちと散歩した様子を描いているのだが、どうしても気になるのは、夫人(作家の武田百合子さん)の方だ。この人、およそ常軌を逸した呑兵衛(女性だから呑み子というべきか)であったようで、惜しげもなくその酒乱ぶりが描かれている。極めつけは、大学教授の友人のうちで酒を呑んでいて、しばしば意識不明になり、悪行のかぎりを尽くす。たとえば、こうだ。「女房は無意識のまま、吐きつづけ、それから座ぶとんの上に、おしっこをした。『あらあら大へんですこと』と、奥さんがびっくりして、自分の下着をとりだして、女房のぬれたパンツをぬがせ、別のパンツをはかせてくれた」とある▼実名入りの話だ。架空のことだと思いたいが、実は違う。作者本人があれこれと妻の乱行を描いたうえで、「この原稿は、当の彼女が筆記しているくらいだから、プライバシー問題は発生しないと思う」とかっこつきでわざわざ但し書きをしているくらいだから。全編こういう調子で面白いことは請け合い。ただ、妙なところもある。「鬼姫の散歩」なる6章の終わりころに、突然ながら公明党がらみの話が出てくるのだ。「公明党が天下を取ったら、威張りだすんじゃあないかなあ。創価学会のスポーツ大会なんかみると、おっかなくなるなあ。公明党の代議士は、みんな同じような、つやつやした顔つきで、同じようなべったりした髪型、同じようなしゃべり方をするのは気にくわない」と、全く旧態依然とした公明党評価だ。こんな御仁に褒められたら却って恥ずかしいのだが、よくぞ平気でこんな認識を書いて残すものよ、とこの武田夫婦には哀れを催すばかりである。(2015・4・5)

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つまらない本を売りつける出版社の戦略を見抜け(89)

これまで直木賞受賞作だ、芥川受賞作品だからといってとくに買い求めたりしたことはない。むしろそれ相当の時期が経って、一定の評価が定まって、自分自身も気に入ってから、過去に遡って受賞作を読むというほうが多い。そのほうが当たりはずれがないような気がする。にもかかわらず今回はなぜかいきなり初めて読んでしまった。西加奈子『サラバ!』上下。第152回の直木賞受賞作品だ。この人の作家生活十周年記念作品だという。なかなかの人気のようだから、ついこれまでの不文律とでもいうべきものを破ったのである。結果は?悲惨であった。およそ酷いとしか言いようがない▼下巻の最終章にくるまで退屈至極で、およそこの本のどこがよくて直木賞なのかとの思いは終始離れなかった。あまりこういうことを書くと出版社の営業妨害になると言われそうだから書きたくないが、何一つとっても推奨できない。私がこれまで読んだもののなかで最悪のものの一つだ。御本人がラジオやテレビに登場してインタビューを受けたり、著者として自作を語っていたが、なるほどと思われた。最初からどういう人間が書いたものかを知ってから読むべきだと反省したしだい。文章といい、構想力といい、何一つ心を打つものはなかった。「あなたが信じるものを、誰かに決めさせてはいけないわ」という最終章のタイトルに著者の言いたいことが含まれているのだろうが、これもいたって平凡。ああ、もうやめよう▼少し前に読んだ岸本葉子『生と死をめぐる断想』も小説とエッセイの違いはあれ、心を打たないというところで同じ水準のものといえよう。これも新聞の書評で礼賛してあったのでつい買って読んでしまった。「人はどこから来てどこへ行くのか?」という帯にあるキャッチコピーや「治療や瞑想の経験、仏教・神道・心理学を狩猟し時間と存在について辿りついた境地とは?」という売り込みの言葉に惹かれた。がん体験から十余年云々というからにはそれ相当の悟りを得た境地の披瀝を期待した。するほうが無理だった。最後に著者自身があとがきに書いている。「知性がなし得る限度は霊性の姿を微かに映し得るということです」ーこれは鈴木大拙の『仏教の大意』の一文だそうだが、それが著者のしてきたことを言い当てているという。要するに「生と死」についてあれこれ考えたことを大仰に取り上げたに過ぎない。まんまと出版社の戦略に乗せられてしまった▼川口マーン恵美『住んでみたヨーロッパ
9勝1敗で日本の勝ち』これもタイトルに惹かれて読んだ。ヨーロッパには幾たびか訪れたものの住んだことはない人間にとって憧れを抱く向きは少なくない。それが圧倒的な差で日本の方が勝ってると言われると「え、どこが」って思うもので、つい関心を引く。読み終えて結局は「他人の家の庭はよく見える」の類で、著者はすでにヨーロッパ人になりきっていて、日本の庭がよく見えるということなのだろう。私の知人でドイツに長く住んでいる女性が言っていたというこの本への感想が思い起こされる。曰く「そんなにヨーロッパがお嫌なら、さっさと日本に帰ったらいいのに」と。そうかもしれない。このように書いてきてつくづく思うことは、何々賞を獲ったとか、あるいは深遠な思考の遺産をいただこうとか、奇抜なタイトルに惹かれたりして本は読むものではないということだ。ここでは3人の著者の作品を挙げたが、いずれも女性のものということに特に意味はない。安易な読書をするゆとりなどないということを改めて痛感した。(2015・3・27)

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画竜点睛を欠く外国人ジャーナリストの卓越した日本論(88)

デイヴィッド・ピリング『日本ー喪失と再起の物語』上下二巻(仲達志訳)ーこの本の特徴は何といっても沢山の人に直接インタビューして取材している(御本人によると、トルストイの小説の登場人物並みに膨大な数に上るという)ことに尽きよう。様々な人びとの生の声を生かしながら、具体的事実としての東北大震災と大津波、福島第一原子力発電所事故で壊滅的打撃を被った日本が、喪失の憂き目から再起へと立ち向かう様子を描いている。外国人により外国人向けに説かれた「日本論」としてこれ以上のものはない、というぐらい一般に絶賛されているが、概ね私もそれを認めたい。これまでの『日本論」といえば、ルース・ヴェネディクト『菊と刀』から始まって、ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』に至るまでいくつかあるが、この書もそれら先行するものと比べて遜色ない価値を持っているとされるのに異論はない▼ただ、いささか難癖をつけるとすれば、船橋洋一氏を始めとする自分の友人に甘く、保守主義者の藤原正彦氏や東條英機元首相の孫娘・東條由布子さんらには厳しい眼差しが目立つように思われる(上巻の114頁、下巻の129頁から136頁)。勿論、そういう凸凹があっても一向に構わないのだが、いわゆるリベラルなものの見方が過ぎる物差しを持った著者だということは記憶に残しておいていい。それに加えて現代日本を描くにあたって、与党・公明党や宗教界の王者・創価学会を代表する人物を取り上げていないことはおろか、インタビューを試みてさえいないというのは、適正さを欠くというものだろう。幅広いそして奥深い日本論を書くなら、ダワーやヴェネディクトが試みなかった点に目を向けてみるべきだと思うのだ▼特に惜しまれるのは、下巻の冒頭に「日本人が絶滅に瀕しているという指摘を最初に行ったのは、実は誰あろう、日本の厚生労働大臣であった。二〇〇二年、当時の坂口力厚労相が『このまま少子化が続けば、日本民族は滅亡する』とやや大げさとも取れる表現で懸念を表明したのである」とのくだりを書いておきながら、当の坂口氏にインタビューをしていないのである。しかも、「あとがき」にこうあるから、なおさらだ。「二つの『失われた10年』を経て、今も数多くの問題を抱えているにもかかわらず、日本の『死亡宣告』は明らかな誤診であった」と締めくくっているのだ。だから「誤診」の主である坂口氏に弁明を求めても面白かったと思うのである▼いやはや我ながら妙な筆の進め方になってしまった。現代日本で私が尊敬する二人の男女がこの本の帯で讃えているというのに。一つは「幕末から東日本大震災まで、喪失と再起の歴史を分析する稀有な日本史」という緒方貞子さんの言葉。もう一つは「著者が本書で示した知識と良識は、私がこれまで読んだどんな本よりも、日本が経験してきた変化を理解するのを助けてくれた」というドナルド・キーンさんの指摘。オーソドックスな褒め方が出来ない私だということを割り引いて、皆さんは素直に読んでください。ともあれ話題のトマ・ピケティの『21世紀の資本』よりも面白いことは確かだ。(2015・3・20)

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新たな戦争の時代を解く手がかり(87)

『新・戦争論』の後半は日本周辺の課題を追う。第5章(朝鮮問題)➀日本が大陸と戦ったのは、いつも中朝連合軍。歴史上、一度も朝鮮半島の単独政権と戦ったことはない。→過去2000年の間に日中間での闘いは白村江、元寇、秀吉の朝鮮進攻,日清戦争、日中戦争の5回。その都度、朝鮮半島は戦場と化し、背後に必ず中国がいた。半島国家韓国と北朝鮮はこれからも中国の息遣いに配慮せざるを得ない。➁歴史になぞらえると、南北朝鮮は三国時代の新羅と高句麗の対立と見ることもできる。あるいは北朝鮮が渤海だと考えた方がいいかもしれない。今、北朝鮮の渤海化と韓国の新羅化が起こっている。同じ朝鮮半島の国といっても韓国と北朝鮮はもともと違う。中国は高句麗を「朝鮮民族の国」ではなく、「中国の地方政権」と位置付けている→うーん。朝鮮半島の分断化をこういうまなざしで見ることや、国境感覚なき時代・空間認識は、中国を利するだけのものだと思うのだが、果たしてどうだろうか▼第6章(中国から尖閣を守る方法)➀中国が「台湾は中国の一部」だと言い続けていることを逆用して、台湾政府と那覇の政府というローカル政府のレベルで話し合う枠組みを作ってしまえば、軟着陸できる。→理屈としてはいい線いってると思うが、果たしてそんなことが通じるかどうか。那覇と東京の現在の関係からすると、日本と沖縄の信頼関係がおぼつかないように思える➁中国は今航空母艦を作っていますが、これを我々は怖がるどころか大歓迎しないといけない。完成する頃には無人飛行機が発達して,第七世代の戦闘機ができるはずですから、航空母艦というのは単に大きいだけの格好の標的にしかならない。→これまた相当先のことと思えるし、普通の人間としては大鑑巨砲主義的感性から抜けきれない。➂ウイグルで起きる(北京政府への)反発は「イスラム主義」的な行動様式になり、どんどん過激になってきている。中国にとって東は経済発展のために必要で、紛争を起こす必要はない。国家安定のために必要なのは、西での安定なのです。→だから、尖閣は安心していいといわれても、にわかにそうはいかない。評論家特有の戯言のように思える▼第7章(分裂するアメリカ)アメリカで生まれ育った黒人が,差別される生活の中で、本当に平等なのはイスラム教なんだと考えて、ムスリムに改宗する動きが起きています。ニューヨークやワシントンでも、街角で突然、メッカの方角に向かってお祈りを始める人がいますから。→ぜひ写真か映像で現場を見てみたい▼第8章(情報5カ条)何かを分析するときは、信用できそうだと思う人の書いたものを読んで、基本的にその上に乗っかること。そのうえで、「これは違う」と思ったら、乗っかる先を変える。→現実的には、そうはうまくいかないのではないか。あれもこれもと目移りがして、結局は落馬してしまうのがオチだろうと、自戒の念をこめつつ▼終章(なぜ戦争論は必要か)20世紀はソ連が崩壊した1991年に終わったのではなく、いまだ続いている。ウクライナ問題はまだ殺したりないから解決しない。「これ以上犠牲が出るのは嫌だ」とお互いが思うところまで行くしかない。→この調子では20世紀は永遠に終わりそうにないのではないかと思わざるを得ない。(この項終わり 2015・3・14)

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中東での事態をよそ事と見る危険(86)

池上彰と佐藤優ー世事万般の動きを解説させて他の追従を許さない二人の男。この二人が対談したとあらば読まぬわけにはいかぬと思いながら、いささか出遅れた感は否めない。昨年11月発刊の『新・戦争論』をこのほどようやく読み終えた。ここでは従来とは趣向を変えて、二人の発言のうち、私が注目したものを拾い出して、それへの感想を記したい▼第一章(地球は危険)欧米で大ベストセラーのダン・ブラウンの『インフェルノ』は人口は感染症によって調整するしかないということを是認している。感染症問題に欧米が積極的でないのは、人口増への白人の恐怖。「経済力を持たないと国家はなめられる」→欧米優位できたこれまでの世界史を逆転させたくないとの思いは陰に陽に見え隠れする。戦後70年の日本は沈む欧米に追従するか、浮揚するアジアに身を寄せるか、真価が問われよう▼第二章(民族と宗教)➀「中国はプレモダンの国が、近代的な民族形成を迂回してポストモダンに辿り着けるのか、という巨大な実験をやっている」→中国はすでにプレ段階からモダンに突入している。実験を成功させ、ポストモダンに辿りつかせねば、隣国日本としてはナショナリズムのぶつかり合いを免れない。➁イスラエルのネタニヤフ首相の官房長の発言から。「国際情勢の変化を見るときは、金持ちの動きを見るんだ」「冷戦後、20年も経って,政府が情報とマネーを統制できなくなっており、国家が空洞化している」「戦利品を獲れるという発想を持つ国は、本気で戦争をやろうとする。すると、短期的には、戦争をやる覚悟をもっている国のほうが、実力以上の分配を得る→極東の孤島・日本からはなかなか伺え知れない中東の孤国イスラエルらしい見方だ▼第三章(欧州の闇)➀「1980年代末、モスクワで雑誌を見て驚いたのは、肉屋で人間の肉を吊るして売っている写真が出ていた。食糧危機で人肉を販売せざるを得なくなったのはウクライナだけ」「ドイツのミュンヘンでビールと豚肉を食べていると、その店で働いているウエイトレスはチェコ人かハンガリー人。その豚肉はハンガリーから来る。そのハンガリーの豚小屋で働いているのがウクライナ人。そのエサはウクライナから来ている」「ウクライナは汚い労働、低賃金労働の供給源として必要」→日本での風景もこれと大差ない。東京で飲んでいると、中国人やミャンマー人などアジアの人びとがウエイトレスに多い。そこで出てくる食べ物も……と考えると似たり寄ったりではある。アジアの闇とどちらがより暗いか。➁「ヨーロッパというのは、誤解を招く表現かもしれないが、基本的に戦争が好きな国々です。(中略)再びヨーロッパが火薬庫になる可能性もゼロではありません。ユーゴスラビアにしてもウクライナにしても」→問題はその火薬庫の爆発が地域限定に留まるのか、世界に飛び火するのかということであろう。ここでもアジアの孤島にすむエゴが鎌首をもたげてくる▼第四章(イスラム国と中東)➀「現代の中東は、近代主義者からすれば、中世世界のように見えるかもしれません。イエメンなどは完全に中世で、三十年戦争当時のドイツみたいに、戦国時代がそのまま続いています」→そう、中世とポストモダンの現代がぶつかろうとしているのがテロ戦争の時代だ。先日映画『アメリカンスナイパー』を観て、暗くて重いアメリカの闇を実感した。アメリカよヴェトナム戦争で懲りたのではなかったのか、と。➁「ヨルダンは国王暗殺があったら崩壊します。後継者がきちんと育っていないから。(中略)もし、今テロで国王が殺されたらこの国は本当にカオスになります。実は『イスラム国が狙っているのはそれだ』」→中東で起こっていることをどうしても身近に感じられない日本人。イスラム国が投げかけている問題は第三次世界大戦に繋がりかねないと思われるのだが……▼このように対談の中で私が取り上げたものを挙げてみて気づくのはすべて佐藤優氏の発言ばかり。池上氏は聞き役に回っているという印象が強い。しかも佐藤氏のここでの発言はいささか過激なものが多いと思われるのだが、これは読むほうがのんびりしているからだろうか。以下続く(2015・3・13)

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自分にしかできないことをどう探すか(85)

「あんたは目が見えんのやから、どうせ将来ろくな就職先ないんやから、高い金使って大学行っていったい何になる。(中略)世の中お前が思ってる以上に障害者って邪魔なんや」「お前さえおらんかったら」ー実の娘に向かって母親が投げかけた言葉だ。一回限りではない。毎日のように繰り返される母親からの嫌味と存在否定に追い込まれながらも必死に耐えた。一歳三か月の頃、網膜芽細胞腫という眼球に出来る癌によって両目を摘出せざるをえなかった石田由香里さんー彼女が盲学校を経て大学生になり、フィリピンに行くなどするなかで様々な可能性を広げていく話を、大学での教師西村幹子さんと共に著した『<できること>の見つけ方』で読んだ。「全盲女子大生が手に入れた大切なもの」とのサブタイトルがついた岩波ジュニア新書である。現役時代にお世話になった国会職員の女性から、「2・14」にチョコレートと共に贈られてきたのだ。引退直後に<できること>は何かと思い悩んだ時期があっただけに好奇心に駆られた▼それにしても酷いことをいう母親ではないか。冒頭に挙げた言葉の救いはでてこないかと、気にし続けたが、ついに母親からの詫びの披瀝は最後までなかった。その意味では未完の物語との思いは消えない。”親はなくとも子は育つ”という。親から酷い仕打ちをうけようとも、周りの他人の心配りでいくらでもひとは可能性を伸ばすことができる好例かもしれない。身体に障がいを持ってこの世に誕生しても、親の愛で見事にそのハンディを乗り越えたというケースは、乙武洋匡(おとたけひろただ)さんを待つまでもなく数多い。身体に障がいを持つ人たちを激励する機会がこれまで少なくなかった私だが、この本には大いに学ぶことが多かった▼実はついこの間、高校時代の後輩からある会合に誘われた。それは、やはり全盲の身でしかも79歳という高齢で博士号を取得された森田昭二さんという方のセミナーだった。あいにくと先約があり参加することは叶わなかったが、あとで彼から届いたレジュメを目にして、世の中には本当にすごい人がいるものだとの驚きを持つに至った。この私の後輩も障がいこそ持たないものの、中小企業の社長を経て60歳を超えてから関西学院大の大学院で学び博士号を目指している人物だ。その彼が森田さんはある種の霊的な導きに基づいて目的を果たすことができたことに感銘を新たにしていたことが印象に残る。あらためて五体満足の身でありながら、あれもこれも叶わせられることの出来ないわが身の不甲斐なさに思い至る▼両目がまったく見えない石田さんが「周囲から助けてもらう代わりに、周囲に対して何ができるか」っていうことを探すところに「共生」という言葉の真意があるというのは重く響く。衆議院議員を20年にわたって務めた私は、世の人々のためにお世話もしたが、同時に大いに助けてもらった。これからは、周囲に対し,世の中に対して、恩返しをする生き方が問われると思っている。その意味では現役を退いてからの時間が多いことに心底から感謝している。(2015・3・6)

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(84)狂気か自殺か宗教かの三択を前に━━ドナルド・キーン『日本文学史』

 若い日の記憶にある言葉に、「人生を徹底して真剣に生きようとすると、気が狂うか、自殺することになりかねない。それをさけたければ、宗教をするしかない」というものがある。狂気、自殺、宗教の三択とは、いかにも極端すぎる。特定の宗教を人に勧める側からの陰謀ではないか、との疑念を持つ向きもあるかもしれない。まあ、それの詮索はさておき、日本の小説家の群像を歴史的にたどる作業は、悪戦苦闘しながら真剣に生き抜いた人々に出会うことに繋がり、感慨深い。このところ読み続けているドナルド・キーン『日本文学史』(徳岡孝夫、角地幸夫他訳)。その近代・現代編(全9巻)のうち、今月は一気に3巻から6巻へと進むなかで、そうしたことを痛切に印象付けられた。キーン氏といえば、いつぞやの朝日新聞の新年3日付けだったかに詩人の金子兜太さんとの対談が掲載されていた。90歳を優に超えるお二人の語らいは、人生の風雪を感じ読みごたえがあった。「この歳になって時代を脱却したね」との発言は、実に意味深長だと思えたものである▼この『日本文学史』は、一人ひとりの作家の人生を作品を通じて露にしていく試みで、まことに味わい深い。すでに知っていたことも少なくないが、未知のエピソードもふんだんに発見でき新しい感動の連続だった。全ての作品を自分で読み明かすことがとてもかなわないとなれば、キーン氏の道案内で全貌をともかく手中にできることは得難い経験だと思われる。ニューヨークで生まれたのち、31歳の年に京大大学院に留学していらいおよそ60年。その日本蓄積は深く貴重なものである。ご本人は先の対談で「日本文学の素晴らしい時代は、平安朝、元禄期、そして戦後期の三つ」と語っている▼その戦後期を代表する作家の一人は三島由紀夫だろう。いかに生き、どういう風に死ぬかという課題を突きつけてきたひととして忘れがたい。昭和45年11月25日の市ヶ谷での自衛隊員を前にしての演説や総監室での割腹自殺。あの当時は私自身の人生の曙期だっただけに、より印象が濃い。この本の訳者の一人である徳岡孝夫氏は三島との親交も厚く、自決直前に檄文を渡された人だ。その彼が、先日NHK総合テレビ番組「日本人は何をめざしてきたか」で、インドへの旅から帰ってからの三島が全然変わってしまったと述べていた。「輪廻を悟った」というのだが、どう悟ったのか。彼の最後の作品『豊饒の海』四部作に明らかにされているのだろうが、私には未だに判然とおちないところがある▼キーン氏は「三島が小説家として学んだことのすべてを『豊饒の海』に投入した」と書き、「完成後はもはや何物も残っていないから死ぬほかない」と友人たちに語っていたことを明きらかにしている。「三島由紀夫45歳での死」を私自身が見聞したのは25歳の誕生日の前日だった。「事実は小説より奇なり」に驚き、感じ入ったものだ。ひよわな文弱の徒がのちにボディビルで体を鍛え上げ、美しい印象をひとに与えたままにしておきたいとの三島の思いに、分かったような分からないような気分を抱いた。それから45年後の今がある。「長く生きれば生きるほど人間は醜くなる」という自説を、彼はだれよりも自分に対して、きびしく適用した」という著者の言葉に同意する思いと反発する思いが交錯する▼三島由紀夫の他にも川端康成、太宰治、芥川龍之介らが自死の道を選んでいる。彼らがどう生き、なぜ自殺を選んだのかはキーン文学史を通じてある程度分かる。夏目漱石、森鴎外両巨人の正反対ともいえる生き方、谷崎潤一郎、永井荷風両耽美派の似て非なる姿などについても時を忘れて読みふけることができる。それにしても冒頭にあげた三択のうち宗教を早くして選んだものにとって、名だたる小説家のなかに宗教と格闘したひとがあまりいないように思われるのは残念である。

【他生のご縁 塩川正十郎氏からの誘い】

ドナルド・キーンさんの本との出会いは、『明治天皇』が最初です。政治家の大先輩で、〝塩爺〟こと塩川正十郎さんに勧められました。新学而会という政治家と外交専門家の勉強会の席上でのこと。塩川さんはこの本について、いかに自分が刺激を受けたかを力説されました。希望者には送りますから、と言われました。しばらく経って、上下2巻の高価な本が届きました。とても感激しました。

 福澤諭吉先生の『学問のすすめ』の読書会を国会内で主催していただき、有志とともに勉強したことを覚えています。私が毎日新聞の『発言席』欄に、医療制度改革についての論考を書いたものが掲載された日に、真っ先に読みましたよ、いい内容でしたとの葉書をいただきましたが、これにも感激しました。

 尊敬する塩川先輩に勧められた本をきっかけに、キーンさんの『日本文学史』にはまりました。のちにご本人と、新幹線車中で偶然隣り合わせに。束の間、塩川さんとのことを始めあれこれと語ったものです。

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