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価値観変えた武士の登場ー中公新書編集部編 倉本一宏『日本史の論点』第1章 「古代」編を読む

日本史のうち古代は好き嫌いの差が大きいように思われる。古代ファンは私の周りにも少なからずいるが、私自身は苦手である。だから、この本もとっつきやすい後ろの現代から前へ逆に読み進めてきた。単に食わず嫌いなのだろうが、遥かなる昔のことに私の貧弱な想像力が及ばないからだとも思う。小説でもSF小説は馴染めない。要するにリアルがないものには手が伸びないのだ。だが、ぐるっと回って元に戻って「列島の形成から六世紀までの概要」を再び読み返すと、かなりわかってはきた。ただ、自分の理解力の拙さを棚上げにして、著者の著述ぶりの難解さが気になる。もっとわかりやすく書いてくれ、と。かつて古代史における天皇の描かれ方で、皇室の血塗られた歴史やその出発点の在りように疑問を抱いたというナイーブな私だが、この本でもあんまり克服できたとは言い難い■論点1はご存知のテーマ「耶馬台国はどこにあったか」である。様々な論争の末、近年になって「纏向遺跡の発掘調査の進展、また最初の倭王権盟主墳である箸墓古墳の年代を卑弥呼の次の世代くらいに遡らせるようになったこと」で畿内説が優勢だという。だが、倉本さんはその説に与せず、現在の久留米市、八女市、みやま市近辺地域で、環濠集落遺跡が発見されれば、との条件付きで、「そここそが耶馬台国の可能性が高い」としている。その推論に至る経緯を丁寧に説いているのだが、最大の根拠は「そもそも、纏向遺跡が耶馬台国だとすると、この巨大遺跡が三世紀になって突然出現した意味が解けない」し、それまで卑弥呼たちが別の場所にいて、そこから「集団で纏向に移住したと考えるのは無理がある」ことを挙げている。加えて、有名な『魏志倭人伝』の距離記載を巡っても、「筑紫平野の南部のどこかに落ち着く」との結論を導き出していて、無理なきように読める。この所在論は、著者が言うように、それにのみ「議論を集中させるのは生産的なことではない」と分かってはいるものの、ミステリーじみて面白くはある■論点2は「大王はどこまでたどれるか」なのだが、この大王なるものの説明がなく、わかりずらい。天皇のことを指すのだろうが、あまりこの表現は馴染みがない。この辺り、要するに不明な、謎めいたことが多くて、よくわからないというのが歴史家にとっても本音だろう。「確実にたどれるのは継体大王」と言われたところで、当方は頭を抱えるしかない。論点3は、「大化の改新はあったのか、なかったのか」。あったものと思い込んできた私など、「大化の改新否定説」なるものに驚く。著者によると、1980年代後半には歴史学会、「特に関西では強かった」というのだが、曖昧なままで、問題の立て方がひと騒がせだと思う(この辺は編集者の責任かも)のは私だけだろうか。論点4の「女帝と道鏡は何を目指していたか」でも、 核心に迫る記述は読み取れない。辛うじて一般にこれまで道鏡=悪僧説が強かったが、近年は研究も進み、道鏡=学僧説が強まっているという辺りが関心をひく程度だ。「女帝と不適切な関係があったわけではない」というくだりには、なぜそんなことがわかるのかなあ、と苦笑いを禁じ得ない■論点5の「律令制の崩壊」と論点6の「武士の台頭」は連関性を感じさせ、いささか興味を惹きつけるものの、やはり読み物としては退屈である。このように次々とあげつらうことは本意ではないが、学術書でなく一般大衆向けの新書なのだから、もうすこしサービス精神を発揮して欲しい。だが、最後の最後に俄然面白くなる。武家が中央の政治に影響力を持ち、政治の中心に座ると、「日本の歴史は途端に暴力的になって」、「自力救済(=暴力主義)を旨とする武士の世の中を迎え、まったく異なる価値観の国になってしまった」という著者の嘆きが沸々とたぎってくるくだりである。「武士的なもの」が主流になって、「古代的なもの」「京都的なもの」「貴族的なもの」が傍に追いやられた、と。そして、「草深い東国の大地を善」「腐敗した京の都を悪」とする地域感が今に至るまで生き続けている、と慨嘆しているのは興味深い。この指摘、日本史における東西の印象を極端に戯画化して捉えているように思われ、面白い。これは東国を遅れた哀れな地域、京を先進的で恵まれた地域と見る地域感と裏表をなすと、皮肉りたくなる。このような展開をもっと前に出してくれると、古代史もぐっと読み応えが出てくると思うのだが。(2018-12-30)

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日中の命運分けた蒙古襲来ー中公新書編集部編 今谷明『日本史の論点』第2章「中世」編を読む

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迸る米国人の本音ーR・D・エルドリッジ、K・ギルバート『危険な沖縄』と『平和バカの壁』を読む

沖縄県知事選挙が玉城・デニー氏の勝利に終わったのもつかの間、普天間基地の移転に向けて、辺野古基地の滑走路建設に伴う埋め立て工事が始まった。それに反対する新しい知事の誕生という選挙結果とは真逆の出来事である。この事態が起きる少し前に、私はケント・ギルバート、ロバート・エルドリッジ両氏の対談本『危険な沖縄ー親日米国人のホンネ警告』という本を読んだ。この本はほぼ3年前に刊行されたもの。それをなぜ今頃になって読んだのか。実は著者の一人エルドリッジ氏とは旧知の間柄であるうえ、最近は友人と私が共催する異業種交流会の常連メンバーでもある。先々月の会でご本人から直接、近著『平和バカの壁』(同じ共著者による)なる本を頂いた。直ちに読んだ。その際に前作の存在を知り、興味を持つに至ったのである。産経新聞系列の出版社名とタイトルを見れば、およそ中身はわかろうというものだが、二冊とも分かったつもりの勘違いを覆させられる刺激迸る本であった。多くの人に勧めたい■この二人は共に関西エリアで人気のテレビ番組『そこまで言って委員会』の準レギュラー。エルドリッジさんの方が登場回数は少ないが、外務省出身宮家邦彦氏と並んで、この番組の質を大いに高めている。露骨なまでに自己主張の強いレギュラーたちと比べて抑制を利かせた発言は好感が持てる。ただ、本の方は当然ながら随分と強い主張性が伺える。今に生きる日本人として、安全保障をめぐって米国人から警告を受け、「平和バカ」と罵られて黙ってはいられない。身構えて、彼に挑む思いでページを繰っていった。以前にもブログに記した(2012-3-23と2017-7-1)ように、我々は沖縄を巡って二度「論争」めいたことをした。テーマは沖縄県民の米軍への反発をどう見るかであった。私の年来の主張は、日本のホストネーション・サポートに対して、米軍側にはゲストネーション・マナーがなさすぎるというもの。それがただされぬ限り、何をしても言っても沖縄の心は変わらない。で、両者の論争は平行線。この経緯は繰り返さないが、彼が対談本の中でこの観点に触れているかどうかが大いに気になった■最近作で主張するところを、私なりに手短に要約する。紛争発生に対して、戦争で解決する立場を踏襲する米国と、話し合いで解決を図る日本との違いをあげ、手を替え品を替えて、日本の「平和主義」のリアルのなさを強調している。顧みれば、米国との戦争で完膚なきまで叩きのめされた日本は、それに懲りて過去とは全く違う道を歩んできた。米国からすれば薬が効きすぎで、早く正気に戻ってくれというところだろうが、そうはいかない。すぐに暴力に訴える米国式トラブル対処法は日本には馴染まなくなってしまっている。ただ、この本を読むと、米国の論理と本音が極めてよく分かる。その価値を大きく評価したい。一方、『危険な沖縄』についても流石に海兵隊の最高責任者のひとりだったエルドリッジ氏だけに、その主張は明快で鋭い。おまけに彼は監視カメラの映像を外部に提供したと見られる事件で米海兵隊を解雇されながらも、承服はおろか、反発し続けている。そんじょそこらの「軍人」ではない筋金入りの強者である。沖縄タイムス、琉球新報ー現地での二つの新聞メディアに引き摺られる沖縄世論。その主流は左翼そのもので、いびつ過ぎるとの主張が繰り返し強調され、そこには強い説得力がある■ただ、だからといって、読む者の腑にストンと落ちない。浮かんでは消え、消えては浮かぶ駐留米軍の無法ぶりは一部ではあっても目に余る。これに対する沖縄県民の怒りと悲しみを分かっていないのではないか。米国人には、「民族の悲哀」ともいうべきものに眼が届いていないのではないか、と。米軍の犯罪にはこの本でも触れられてはいる。だが、沖縄における日本人の犯罪に比べてその数が少ないことしか述べられていない。これでは開き直っているように思われる。エルドリッジ氏は、かの東北大震災時に米海軍が展開した「トモダチ作戦」の中心人物。日本にとって得難い恩人であり、日本文化に大変に深い理解を示す有数の政治学者であることをも私はよく知っている。沖縄県民の心を深く傷つけた、心ない米兵の存在を、そして背後に横たわる米沖の差別をもたらす仕組みの実態を、ご存じないはずはない。それゆえ詮ずるところは「日米地位協定」の漸進的改定に打開の鍵があると思うのだが、この本では論及されていない。せっかくの対談でありながら、画竜点睛を欠くところだと私には思われてならない。(2018-12-24)

 

 

 

 

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「江戸は封建」の誤りー中公新書編集部編 大石学『日本史の論点』第三章近世編を読む

通常、日本史は、古代、中世、近世、近代、現代という時代区分で論じられる。この本でもその五つの章で成り立っている。だが、このところ近世という区分けは不必要だという主張にしばしば出くわす。この本の近世を担当する大石学氏も冒頭から「近代は江戸時代に始まるというのが私の主張である」とし、いわゆる近世を初期近代と捉えて「江戸時代イコール封建社会」という従来の見方から脱却すべき時だとしているのは面白い。かつて劇作家の山崎正和氏が室町時代から日本の近代は始まるとしている論考を読んだことがある。また、つい最近刊行された古田博司氏と藤井厳喜氏の『韓国・北朝鮮の悲劇』なる、痛快極まりない対談本でも「近世はいらない」とお二人が云い放つくだりを読んだばかりである。そのようないらない近世なるものについて、7つもの論点で解き明かしたこの章が、実はこの本で一番読み応えがあった。大石学氏の話の運び方が滅法軽快だからといえよう■近世を否定するということは、江戸期を封建社会と捉えないということでもある。著者は繰り返す。「大名、旗本は強権的・強圧的な封建領主」として「農民に恣意的・抑圧的な支配を行なっていた」のではないことを。ではどういう存在であったのか。「幕府に任命された行政官的・官僚的役割を果たした」傾向が強いというのだ。大名の領地替えである「転封」や、江戸と領地を毎年往復する「参勤交代」がその役割を促進した、と。大名は威張っているようで、じつは「前例主義」と「横並び主義」で、お家断絶を避けるため、できるかぎり個性や独自性を弱め、官僚化していった」との指摘は、なるほどと首肯させられる。映画、テレビのチョンマゲ、チャンバラの古いイメージによる従来の大名・旗本像が思い浮かぶ。これは何のことはない、結局、マルクス主義・唯物史観のもとで培われたとするのだからわたし的には堪らない。高度経済成長が進むにつれて、農村の都市化、都市研究が盛んになっていった。その結果、江戸時代が「土地に緊縛された典型的な封建社会」ではなく、個人レベルでは「身分間移動、地域間移動が行われる流動的な社会だった」ことが明らかになってきたとしている■論点2の「江戸時代の首都は京都か江戸か」と論点3の「日本は鎖国によって閉ざされていた、は本当か」は、比較的論じられやすいテーマで、それぞれ、答えは、「江戸首都論」であり、「鎖国は名ばかり」である。かつて国会で「首都機能移転」が話題になったことにも触れているが、論議に関わったものの一人として関心が改めて呼び覚まされる。また、外国文化をあれこれと取り入れていた江戸期像についてはかなり定着してきており、議論は別れることはないだろう。より興味深いのは、論点4の江戸は「大きな政府」か「小さな政府」かであり、論点5の「家柄重視か実力主義か」の二つの問題提起である。前者は、徳川8代将軍吉宗による享保改革を通しての「大きな政府」が、のちに田沼意次によって「小さな政府」へと舵を切られ、賄賂まみれの金権政治と批判される。だが、経済活性化の効用は大きく、評価は大いに別れる。その後、相次ぐ飢饉で社会不安が高まり、田沼は失脚。松平定信が寛政改革を断行、再び「大きな政府」へと転換する。このように、大小の政府の「揺り戻しを経験しながら、官僚たちを中心に国家の足腰は鍛えられていった」ことを描き、わかりやすい。後者については、著者は官僚制と公文書管理という現代風側面から、見事に時代の様相を切り取っていて実に面白い■論点6は、「平和」の土台が武力か、教育かを、論点7は明治維新が江戸の否定か達成かを問うている。前者は、教育。結論部分に井上ひさしの『國語元年』が取り上げられている。そこで「お国が違うと言葉が通じない」としているのは、「現実とは異なるフィクションである」と述べていて、興味深い。江戸時代に教育の波は北から南までつづうらうらに行き渡っており、平和の土台をなしていたとする姿をリアルに描く。後者は江戸の達成である。ここでの著者の主張は、明治初期と戦後民主化の二つの時期に、「明治維新の革新性」が持ち上げられたとしていることである。そう、二度の欧米文明の寄せる波に慌てふためいた日本は江戸のありかた批判に身を投じてしまった。江戸をけなし貶めることで、明治を、戦後日本を、非常なまでに画期的なものと捉える愚を犯したと言って過言ではないかもしれない。「100年続いた戦国時代を克服し、250年という世界でも稀有な『平和』を実現した」ことにもっと誇りをもつべきであろう。日本の平和が、「合理的・文明的な官僚システムと教育によって支えられ、江戸を中心とする列島社会の均質化ももたらした」ことが強調されている。以上、ここでの江戸見直しは「欧米の没落」と対をなして起こってきた捉え方であることを銘記したい。(2018-12-18)

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早すぎたがゆえの未熟さー中公新書編集部編 清水唯一朗『日本史の論点』第4章近代編を読む

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歴史の謎解きに挑む悦びー中公新書編集部編 宮城大蔵『日本史の論点』第5章を読む

「日本史の謎解きをこの1冊で!」ーこの本は実に面白くて、ためになった。古代、中世、近世、近代、現代と5つのパートに分けられ、全部で29の論点が挙げられている。新聞書評欄で知って、一気に読んだ。但し、前から順にというわけにいかず(古代はとっつきにくいゆえ)後ろから挑んだ。で、この読書録も最終章「現代」から遡ってみる。❶戦後論❷吉田路線❸田中角栄論❹高度経済成長❺象徴天皇制の5つが取り扱われている。論点をあれこれ述べたのちに末尾に掲げられたそれぞれの集約部分が興味深い。❶では、「『戦後』に終止符を打ち、一つの時代として完結させるには、戦後につづく時代を規定し、特徴付け、そして名前を与える作業が不可欠である」という。ただ、「戦後」に終止符を打つためには、この70有余年の連続性を断つ必要がある。それは「米国からの自立」を意味するわけで、到底難しい。つまりは米国支配からの脱却なしに「戦後」は終わらないと私は思う■吉田路線の効用は、軍事力を米国任せにして経済優先に打ち込んだ結果、目を見張るスピードでの高度経済成長を果たしたことである。❷と❹は政治と経済の両面から、同じテーマを論じたとも言えよう。かつて日本は「経済は一流だが、政治は三流」と言われたものだが、今や経済についても政治と見合ったものであるとの見方が定着している。著者は、吉田路線をめぐる現時点での重要な論点は、「『経済大国』に代わる日本のアイデンティティはいかなるものなのか」であり、次の路線を問うものだという。そして経済については、「欧米を念頭に置いた後進性と特殊性の呪縛から、肯定的な『日本モデル』へ。そしてその衰退と、経済を中心とした日本モデルの国際的評価の変遷は、そのまま日本の自画像の投影でもあった」と、まとめている。経済への過信から脱却する具体的方途は、どこにあるか。吉田路線という経済成長のみを追う国作りから代わる路線とは。私は今まで、「ほどほどの軍事力と経済力を兼ね備えた文化・芸術立国」という表現を用いることが多かった。これを分かりづらいというなら、「観光大国」と言い替えてもいい。観光は、人口減社会にあって外貨稼ぎの最有力の道であり、日本の歴史・文化・伝統を外に開く最大の機会だからである■ブームと言われるほど、いま田中角栄論が喧しい。同元首相を巡っては、金権腐敗政治の張本人というレッテル貼りを除けば、私はそれなりの評価をするのにやぶさかではない。ただし、それは彼が米国の虎の尾を踏んだ(ロッキード事件の真相と絡む)と見られることが事実なら、との条件つきである。戦後史の中でたった一人だけの「偉業」であったがゆえに、獄に繋がれるとの「汚名」も違って見えてくるからだ。角栄以後の日本の首相たちがリーダーシップ(度量、裁量の面)で、見劣りするのは否めない。もちろん、中曽根首相は比肩されないかなどといった異論はあろうが、どれも彼の登場前後の破壊力とは比べるべくもない。田中の政治的業績の最大のものが「日中国交正常化」であることは論を待たず、それに関する論評も一点を除き的確だ。惜しむらくは当時の日中関係にあって公明党が果たした役割に全く触れていないのは残念である。自民党の外にあって野党外交の真骨頂を示した政党であるからこそ、今に至って連立政権の一翼を担い得ているとの論評が皆無であるのは不思議という他ない■最後の象徴天皇制に関わる記述は「なぜ続いているのか」との問題提起から始まる。結論部分に、現代日本の「象徴」として相応しいかどうか、「国民の総意」を形成する作業として欠かせぬ論点は、「皇位継承の形と皇室の範囲」だとしていることは興味深い。「結婚した女性皇族が皇室を離れるという現在の制度の下では、秋篠宮夫妻の長男である悠仁親王が天皇に即位する頃には、皇室のメンバーが大幅に減少しているという状況が不可避である」ため、「続くかどうか」は大いなる問題となろう。平成天皇の「予期せぬ譲位」は、全ての国民にとってこの問題を考える絶好の機会得たことになるとの著者の問いかけはずしりと重い。かつて衆議院憲法調査会での「女系天皇」の是非をめぐる議論の場で、私は女性天皇の実現は「男女同権」の観念から当然との発言を行ったものである。尤も「男系天皇」に限るとする論者たちの論難に、これが耐えられるかどうか。いささか心もとないのが正直なところではある。(2018-12-3)

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「民衆の力」呼び覚ますか、天皇のお言葉 ー白井聡『国体論』を読む

明治維新150年の本年、時代を捉える様々な枠組みの提示が見られる。先日私が講演を頼まれた関西学院大学梅田キャンパスでの公開講座では、私は今を生きるうえで押さえておくべき枠組みとして、三つの代表的なものを示した。一つは、日本社会40年周期説、二つは、三度(みたび)の尊王攘夷説、そして三つは、菊から星条旗への国体変換説である。前二者は、これまで幾たびか取り上げて来た。ここでは三つ目のものを紹介したい。これは白井聡『国体論』における画期的な発想による。白井聡氏はまだ41歳の少壮の政治学者。先に『永続敗戦論』で、石橋湛山賞、角川財団学芸賞などを受賞した。一言で言えば、先の大戦で敗れた日本は正面から負けを認めないゆえに更なる敗戦が続いているとする「永続敗戦レジーム』を説くものであった。その論考から一年半、今度はもっと衝撃的なフレームワークの提示である。読んでみて深く感銘した。戦前の菊の御紋による、つまり天皇制のもとでの国体から、一転、戦後は星条旗のもとへと、すなわち米国支配へと国体の主軸が変わったとするものである■といえば、ことは簡単に見えるが、実はそのことを著者は平成天皇の「お言葉」(2016-8-8)から見抜く。そこには「戦後日本の対米従属の問題は、天皇制の問題として、《国体》の概念を用いて分析しなければ解けない」との問題意識が横たわる。お言葉を聞いた瞬間が、この本の出発点となった。安倍首相の思想的同志(日本会議系)と、天皇との「齟齬的関係」は一般的にはあまり知られていない。しかし、深いところでは当然のごとく語られている。この書物ではその背景を丁寧に優しくそして分かりやすく説く。天皇のご公務の在り方を巡っての衝突を見事に解明して見せた、白井氏の直感は鋭い■天皇をめぐる論考は深く切実であり、更にそこから先の分析は、唸らせるばかり。1945年の敗戦を境に、地に堕ちた天皇の権威は、7年間の占領期を経て、いつの間にか米国に取って代わられてしまったとの経緯を克明に追う。かつては鬼畜米英といい、不倶戴天の敵としてきた米国に全てを委ねきって、恬として恥じない日本の現状。およそかつての天皇中心の国家の在りようが、そっくり米国の支配へと移り変わったと言っても過言でないのかもしれない。国の防衛を米国に任せ、経済のみに専念するー「軽武装国家論」といえば聞こえは悪くないが、そこには首根っこを米国に抑え込まれたまま、主権国家とは言い難い半独立国の姿が仄見える。もうそろそろその実態に気付く必要があることをこの本は厳しく問うている■先日の姫路での公明党主催の政治集会で、外務省出身の自民党のY代議士の来賓挨拶を聞く機会があった。吉田茂首相以来の軽武装国家路線の正当性を誇らしげに語っていた。外務省の大先輩が、日米関係の基礎を作った云々と。確かに吉田のとった路線の効用は一度は滅亡の危機に瀕した日本を浮上させた。しかし、それから70年余。日米同盟という美名のもとでの対米従属姿勢のもたらす弊害は目を覆うばかり。戦後民主主義の破綻を私たちは旧日本社会党などいわゆる左翼のせいにしてきた。しかし、もう一方のつがい的存在だった保守の〝無為の責任〟も問われねばならない時が来たように思われる■著者は終章で、「日本人の中で、風を吹かせる役のものは政治家である。しかし、現在の日本にはそういう役割を果たせる政治家は不在であるし、日本の政治屋連には、風を吹かすのが自分たちの義務だという意識は全くない」との経済学者・森嶋通夫が1999年に『なぜ日本は没落するか』で説いた部分を引用している。そして、「日本の右傾化や歴史修正主義の勢力拡大について懸念が表明され」、「(予測は)十分に悲観的であったが、それよりもさらに悲惨な現実がその後の約二◯年の間に急速に展開されてきた」と森嶋の予測の正しさを強調する。この本の末尾で、白井氏は話を再び天皇のお言葉に戻し、そこに「闘う人間の烈しさ」を確信したとして、その闘いの対象を明確に提示することにした本書執筆の由来を明かす。合わせて歴史の転換を画するものは「民衆の力」だと結論付けていることは胸にズシリとこたえる。(2018-11-24)

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半島情勢未来予測の決定版ー古田博司『「統一朝鮮」は日本の災難』を読む

前略  古田博司様  このところご無沙汰しています。その後お元気でしょうか。腰痛の具合はいかがでしょうか。先日出版元から送っていただいた『「統一朝鮮」は日本の災難』、ありがとうございました。一気に読んでしまったので早く読後感をと思いながら、今頃になってしまいました。相変わらず舌鋒鋭く、朝鮮民族に厳しいですね。これでは本当に伊藤博文や重光葵の二の舞になりかねないと心配します。もうそろそろこういう本は終わりにして、哲学論の新展開ー私の興味からすると、西洋と東洋哲学比較論などーをお願いしたいものと思います。また、最近の大学生や教授事情など、先生お得意の分野の裏表をご披露してほしいです■今回のものについては、私としては、第5章「韓国と北朝鮮は『一国二制度」になるか」における「未来予想」が興味深かったですね。かつて金日成が提唱した「高麗民主連邦共和国」構想が採用され、その後どうなるかということを占っておられるくだりです。あれこれ述べられたのちに、「将来南北が統一国家へと向かえば、巨大な中国経済圏に自然に呑み込まれ、漢字使用が中国の簡体字として復活し、韓国人の名前が中国風に変わってしまうことは、大いに先見されるところ」というのは、先生としては意外に平凡な結論付けでした。一方、米朝首脳会談をめぐって今後の推移予測は面白かったです。事が順調に進めば、北朝鮮のWMD(大量破壊兵器)破棄→終戦宣言→南北平和協定→在韓米軍撤退→南北朝鮮の統一日米防衛ラインの玄界灘までの南下→米中冷戦の日本最前線化。逆に、事がうまく行かなかった場合、米韓合同演習の再開→米の北朝鮮急襲→在韓米軍の脱出(いくらか被害を被るかもしれない)→大量の難民の韓国南下→韓国経済の崩壊→朝鮮半島のバッファーゾーン(緩衝地帯)再開→日米防衛ラインの玄界灘までの南下→日本の米中冷戦の最前線化。これってどっちに転んでも、結論は同じというところがミソですね。ともあれ中国が喜ぶ結論です■その後の推論も興味深いですが、最後に「あくまでも推論である。間違ってたらごめんなさい」って、いいですね。珍しく先生らしくなく殊勝ですね(ごめんなさい)。ともあれ❶在韓米軍がその根拠を失ってしまっていること、❷北朝鮮が核放棄をしなければ、終戦宣言も、平和協定も、南北統一もありえないこと、❸韓国は米国に見捨てられたことは確かだとされてるくだりも大いに注目されます。これからは、玄界灘に着目するしかないとして、「愚痴や未練は玄界灘に捨てて太鼓の乱れ打ち」と石川さゆりがテレビで「無法松の一生」を歌い出す日が来るかもしれないとされているところで、思わず口ずさんでしまいましたよ。尤も、私のは村田英雄調ですが■実は先生のこの本で最も感動したのは最末尾の一文です。「在日韓国人をイジメてはならない。在日韓国人には、私に日本と日本人を教えてくれた、私の妻のような『命の恩人』もいるのだから」と。随分前ですが、先生が読売新聞社から吉野作造賞だったかを受賞された時に、奥様には初めてお会いしましたね。聡明で素敵な方だとの印象はありますが、先生にとって「命の恩人」だとは驚きました。『東アジアの思想風景』『東アジア・イデオロギーを超えて』やら『日本文明圏の覚醒』など私が好きな先生の代表作に始まり、殆ど全てのご著作を読んできた私ですが、この表現に出くわすのはなかったと記憶します。そうです。先生には在日コリアについての思いの丈を書かれる仕事がまだ残ってますね。これは是非とも読みたいです。そのことによって先生の朝鮮民族に対する、真の結論付けが伺えそうな予感がします。そろそろ終わりにします。奥様、そして未だお会いしたことのない息子さんに宜しくお伝えください。                                                                草々

赤松正雄(2018-11-16)

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近代文明との付き合い方指南ー夏目漱石『草枕』を読む

「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」ー漱石が『草枕』で、主人公の画家が山路を登りながら考えた、とした冒頭の一節である。かつて私の仲間のある女性衆議院議員が、「棹さす」を正反対の意味ーつまり流れに抵抗するとの観点ーで使っていたのを「それは逆ですよ」と注意したことがある。新明解国語辞典にもわざわざ「最近は誤って、逆行の意に使用する向きも有る」と注釈をつけているぐらいだから、ポピュラーな誤例だと思われる。私自身、国会質問で初デビューした際に、言葉の使い方で同じような間違いをおかしてしまい、聞いていた先輩から注意され、赤面した忘られぬ経験がある。先の相手も、恥ずかしい思いを未だに持っているのかどうか。智に働いて角が立った例かもしれない。知性、感情、意志の精神作用の三区分を用いて、人の世の住みにくさを説いた『草枕』に久しぶりに真正面から取り組んだ■漱石の近代西洋文明批判は、当時から150年後の実態を本質的に見抜いていたかのように思われる。江戸期の日本の教養、文化の粋を知り抜き、自在に操っていた人が嫌悪感を持った西洋文明観とは、一体どういうものか。まずは、詩歌の分野での東西比較を見てみよう。冒頭の第一章には、「余が欲する詩はそんな世間的の人情を鼓舞する様なものではない。俗念を放棄して、しばらくでも塵界を離れた心持ちになれる詩である」として、「人事が根本になる」西洋の詩歌は「銭の勘定を忘れるひまがない」とまで辛辣に非難している。その一方で、「超然と出世間的に利害得失の汗を流し去った心持ちになれる」東洋の詩歌は、「凡てを忘却してぐっすりと寝込む様な功徳」があると褒め称えているのが面白い。利害得失の現象世界ではなく、ことの本質に迫る実相の世界に目を向けよ、というのだろう。漱石は、近代日本の開花が外からの刺激に基づく模倣に終始し、内側からの自発性に乏しいことに批判的だったとされる。そのさわりをこうしたくだりで見ることが出来る■『草枕』のほぼ終わりに近いところで、有名な文明批判が展開される。「汽車程二十世紀の文明を代表するものはあるまい。何百と云ふ人間を同じ箱に詰めて轟と通る。情け容赦はない。(中略)人は汽車へ乗ると云ふ。余は積み込まれると云ふ。人は汽車で行くと云ふ。余は運搬されると云ふ。汽車程個性を軽蔑したものはない。文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によって此個性を踏み付け様とする」ー確かに大都会における朝夕のラッシュ時の列車風景は文字通り、ものを運ぶと同様である。しかし、新幹線の便利さを思う時、そうした危なさは後衛に退き、人の目には映らなくなってしまっている。汽車から始まり、汽船、電信、電話、自動車、全部並べて「横着心の発達した便法」と切り捨てた漱石は、その後の日本が戦争に突き進み、やがて核兵器によって一国滅亡の危機に瀕した未来の姿が見えていたのかもしれない■『草枕』は、主人公の画家が現実の喧騒から逃れるが様に「旅」に出る設定になっているために、さまざまな事態と直に対峙せずに、高みから見下ろすことを漱石が推奨している風に捉える向きがある。しかし、『漱石激読』で、石原千秋は「漱石は降りろとは一度も言っていない」し、「漱石のこれ以後の小説を最後まで読んでも、家族関係から、ジェンダーの問題から、社会から降りる小説は一つもない」と言う。また小森陽一はむしろ「この時代とどう向き合って生き抜くのか。その覚悟の重さと深さは凄い」として「同時代の社会と付き合い続ける」ところが「漱石文学が読者の胸を打つところ」と絶賛する。私たちの世代はまさに時代と社会との格闘にもがき続けてきたとの実感があり、今に生きる全ての人々はそうだと思っている。そこに漱石文学への共感が生まれるのだろう、とも。ところが、先日私が二人の甥(40代と30代)に対して、こうした漱石文学の魅力の一端を語ったところ、「なんで漱石かなあ、さっぱり分からん」ときた。そして「我々の世代以下の若い人間は、今の日本そのものに価値と魅力を感じていない」と。さあ、どうする。近代から降りる、降りないではないーこの問題提起は「ポスト近代」の兆しか。これはまた別の機会に考えたい。(2018-11-5)

 

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時代を抉る鮮やかな人間模様ー保坂正康『昭和の怪物 7つの謎』を読む

東條英機、石原莞爾、犬養毅、渡辺和子、瀬島龍三、吉田茂ーこの6人が関わった「歴史の闇」に迫るというのが、この本『昭和の怪物 七つの謎』の触れ込みである。著者は保坂正康。印象に強く残るベスト3を挙げよう。まず、犬養毅の孫・犬養道子と保坂との交流。二番目は、渡辺錠太郎の娘・渡辺和子の残した言葉。三つ目は、石原莞爾の生き方である。40年余の間に延べ4000人もの人々に会ってその体験や考え方を聞き、現代史の視点で昭和史を捉え直すという試みをしてきた人ならではの迫真の著作。実に面白く、惹きつけられる中身に満ちているが、わたし的にはまずここで著者があぶり出す人間模様に感じ入った■いわゆる5-15事件は、昭和7年に時の首相・犬養毅が軍部テロで殺されたもので、その際に「話せばわかる」と彼が言ったことで知らていれる。だが、現実は「靴でも脱げや、話を聞こう」だったとの記述には少なからずショックを受けた。戦後民主主義が喧伝される中で、すり替えられたのでは、との保坂の見立ては深く、重い。当時11歳だった犬養道子(作家)は襲撃の現場となった官邸にいた。事件後60年の節目に犬養家が「犬養毅」を悼む儀式を行った際のエピソードが胸を打つ。同事件にまつわるノンフィクションを既に著していた保坂は、儀式の場で家族を含む関係者を前に「犬養毅」を語る役割を担った。彼は犬養を「テロの犠牲になった悲劇の政治家」で、「近代日本の模範的な政治家」と讃えた。その直後に立った犬養道子は、「祖父を称揚気味に語っていただくのは遺族としてありがたい」が、「多くの矛盾を背負った政治家だった」ところを語らねば、「毅像は正確には理解できない」と、凛として述べた。「感情は感情、評価はまた別と考えて臆することなく語って」と諭すように話しかけられた、と。この一言が保坂の後の人生に大きな意味を持ったとの指摘は、今も元政治家としものを書き、話す私にとっても実に大きい■ベストセラー『置かれた場所で咲きなさい』の著者、渡辺和子はいわゆる2-26事件(昭和11年)で殺害された渡辺錠太郎(陸軍教育総監)の娘。生々しい現場で惨状の全てを見てしまった和子は当時9歳の少女。後の戦時下にカトリックに入信し、シスターになり、教育者になった。保坂は、この渡辺和子の生き方の中に「昭和という時代との闘いといった側面がある」という。「宗教者と赦し」との重いテーマに真正面から取り組んだくだりは息を呑む。彼女は「二・二六事件は、私にとって赦しの対象からは外れています」と断言。許せないのは「父を殺した人たちではなく、後ろにいて逃げ隠れをした人たちです」と。昭和史を見る上で大きな鍵になる出来事はこの言葉でぐっと身近に迫って来る。和子の「自分が変わらなければ何も変わらない、誰かに咲かせてもらえると思ったら間違いで、自分が置かれた場所で咲かなきゃいけないと気付かなければダメよ」との言葉もまた重い。信仰についての保坂の根源的問いかけに対して、和子は真正面からは答えず、心の中でいつも、「お父様のおかげでこれができますよ」と父に語りかけているときに、「父の『愛』を実感する」との記述にも感動した■保坂の世代(1939年生まれ)には「悪魔のような存在として印象づけられている」東條英機。その評伝を6年余りかけて著した保坂。その取材の中心になったのが最も長きにわたって秘書を務めた赤松貞雄という人物である。別に私の親族でも知人でもない。東條については、彼の証言がほぼ全体を覆う。「戦争というのは、東條さんは、最後まで精神力の勝負だと考えていたことは間違いないと思う」との発言で、改めて恐るべき無能なひとに支配された戦時・日本を不幸に思わざるをえない。一方、同じ軍人として東條と終始一貫敵対した関係にあった石原莞爾は、なかなか全体像が掴み得ない人物である。「自らの意見を明確に口にし、上官といえども納得できなければ平然と論破した」という。『世界最終戦論』などに代表される軍事思想家、中国との友好を自らの考えとしてまとめた東亜思想家。そして日蓮宗の教学を学び、宗教者として歩んだ悟りの道などなど、「幾つもの複雑多岐な道」を歩んだ人物である。その彼は東京裁判の被告になぜ自分が選ばれぬかといって、悲憤慷慨したという。この一つとってもその裁判の最中にピストル自殺を図った東條とは人物の器が違うと思われる。北一輝と共通するものをもいくつか感じるが、そこには日蓮の「日蓮を敬うとも悪しく敬まわば、国滅ぶべし」(日蓮仏法の学び損ないではダメだとの意味)との言葉を思い起こす。いずれ、石原莞爾についてはもっと深く語りたい。瀬島龍三や吉田茂についても興味深いことがいっぱい書かれている、実に得難い本である。(敬称略=2018-10-29)

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