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【27】どこまで続く「理想」と「現実」のせめぎ合いー太田、兼原、高見澤、番匠『核兵器を本音で話そう』を読む/3-28

 原爆投下後77年。これまで核兵器をめぐる〝本格的な議論〟は日本ではなされてこなかった。つまり核廃絶と核抑止の双方を冷静に一つのテーブルの上で論じることはなかったということである。世界で唯一の被爆国として、核廃絶は当然のことであって、核抑止などという考え方そのものが間違いだとの立場が隠然とした力を持ってきた。いわば、建前が本音を押し隠す風景が常態だったのである。しかし、この本での軍事・外交の専門家4人の座談会は、核兵器をタブー視せず本音ベースで語り合った、一般人にとっては珍しい本である。時あたかも、ウクライナ侵略におけるロシアによる核使用が現実味を増す中での出版。緊張感が漂う只中、核兵器をめぐる広範囲な角度からの問題提起がなされており、実に読み応えあり興味深い内容である◆私は核廃絶の立場から、核抑止の議論にどう対抗するかの観点に拘ってきた。この座談会では率直に言って、1対3。核廃絶に基盤を置く論者は太田昌克氏(共同通信編集委員)だけ。あとはいずれもそれは「理想」であり、国際政治の現場では意味をなさないとのスタンスに立つ。あたかも3人の老獪な大人にきまじめな青年が虐め、諭されている赴きなきにしもあらず。現状は百もわかった上で、「理想」にこだわり、「現実」をどう変えていくかの議論を組み立てていくことに関心を持ちたい。この本は様々な受け止め方があろうが、私は太田氏の主張に与する立場から、従来からの核のタブーを乗り越える議論をどう組み立てるかに関心を寄せた。この本の本来の趣旨と反対側から考えよう、と。読み終えて改めてスタートに立ったとの思いが強い◆最大の読みどころは、以下のくだり。核抑止派の兼原氏の「お互いに怖いから撃たない」ための議論が大事で、「戦いを始めないために、万全の準備をする」のであり、「構えていないから戦争が始まってしまう」という論理に対して、核廃絶派の太田氏が「そういう局面に持っていかないような他の努力、外交戦略があってしかるべきではないか。なぜそこまで究極のシナリオを考えて、そこへ突き進んでしまうのか」とのやりとりである。それに対して、兼原氏が「それは逆だと思います。最悪の究極シナリオを考えて、その地獄が見えるから、小競り合いの段階からやめようというのが核抑止の議論」だと押し返し、太田氏が「そこはそうかもしれませんが‥‥」とつぶやいて、終わっている。この情景は、恐らくこの場面での登場人物の「歳の差」と「多勢に無勢」がなせるわざだろう。背景に浮かぶのは、昔ながらの「恐怖の均衡」論と、「平和の外交」論という、現実派と理想派の対立である◆「恐怖の均衡」があったればこそ、キューバ危機を頂点とする「米ソ核対決」は本当の地獄を見ずに済んだのかもしれない。だが、その後の世界はまた違った風景を生み出すに至っている。今回のプーチンの核恫喝は「強者の狂乱」かもしれないし、北朝鮮による「弱者の恐喝」は、いつ何時、新たな地獄を起こすやもしれない。つまり、兼原氏のいうような地獄の局面を見る見ないに関わらず、各地域の首謀者の想定外の行為は起こりうる。それをどう防ぐのか。「恐怖の均衡」は〝ワルの火遊び〟に加わることだとの危惧は拭いかねないのだ。尤も、従来通りの「もっと平和外交を」の声も、〝善人の空騒ぎ〟に終わるかもしれない。結局は、この本での唯一の合意点とされる「国民の目に見える形で現実的な議論を戦わせることの必要性」に落ち着く。ああ、それにもう一つ。兼原氏が繰り返す「政治家の資質の向上」も見落とされてはならないのだろう。(2022-3-28)

 

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【26】こんな政治に誰がしたー御厨貴、内田樹他『自民党 失敗の本質』を読む/3-20

自民党の失敗とは何か。8人の論者が次々とその非を打ち鳴らす。昔の自民党はもっとまともだったのに、全く違う政党になってしまったかのようだ、と。昔のこの党を否定し、まともな党にしようと、政権の内側からの改革に取り組んできたはずの公明党。その一員である私にとって、読むのが辛くなった。自民党の今日の姿に、公明党の責任はないのか。失敗を言い募る人たちに失敗はないのか。次々と異なった疑問が湧いてきた。歌の文句じゃないけれど、こんな党に誰がした?ー読まずともわかるなんて言わないで、読んで見てください。以下、ほんのさわりを気がつくままに◆8人のうち、自民党代議士が石破茂、村上誠一郎両氏、そして現在は立憲民主党の小沢一郎氏。石破氏は「言語空間」の機能不全が脆弱化の因だとする。彼は自民党を出て、私と同じ新進党に所属していた。復党して幹事長にもなり、幾たびか総裁選にも出た。その都度励ましたものだ。村上氏も自由闊達な議論がなくなりつつあると嘆く。自民党内クリーン派閥の三木・河本派に所属した。この人には〝一匹狼〟でなく、多数派工作をして仲間を募って総裁の座を狙えとけしかけた。小沢氏は信念を語る政治家が消えた、と。かつて私の記者、政治家としての仕事上の大先輩・市川雄一氏と共に、様々な場面でご一緒した。自民党をぶっ壊すと言った首相と共に、自民党を今のようにした張本人は実はこの人かもしれないと、私は思ってきた◆学者が2人。政治学者の御厨貴氏と思想家の内田樹氏である。共に現役時代に一度だけだがじっくり話したことがある。前者とは、放送大学で「権力の館」という講座を受講した。戦前戦後の政治家達の住まいからその人物像を炙り出す狙いのもので、面白かった。後者とは、合気道を学び損ね、挫折した私が座学での教えを乞うたものだ。「今からでも遅くない。もう一度挑戦されたら」とけしかけられた。御厨氏は「安倍さんが再選された時から時計の針は止まっています」という。愕然とする表現だ。内田氏も安倍再選後の9年で、「株式会社化した自民党」にはイエスマンしかいなくなった、と強烈だ。御厨氏は「共産党は勉強しています」し、「(共産党は)常に党内で学びを共有しています」と強調している。そういえば先の講座で、同党本部内の図書館風の場所を見た際の衝撃を思い出した。内田氏の「立憲民主党はふらふらしてどうも信用しきれないと批判する人がいますけれど、立憲民主党は『ふらふらする政党』なんですよ。それが持ち味なんだから」の発言には笑えた。学者らしい持ち味の言いぶりに妙に納得する◆笑えないのが、この本に一切公明党の話が出てこないことである。どこに出てくるか期待しながら読み進めた(他には元官僚2人と新聞記者)が、最後まで遂に出てこなかった。寂しいことこの上ない。維新、国民民主党もちょっぴり登場するし、令和新選組の代表さえも。平成の30年を総括する一連の試みに、私が見た限り、全く公明党がスルーされている。これに大いに異議を唱えている私としては、見過ごせない。自民党がこんな体たらくになって、連立パートナーの公明党は喜ぶべきか。悲しむべきか。私は「55年体制」打破に青春をかけ、一転政治家になった中年以降には「自民党を変えること」に執念を燃やした。複雑な思いだ。この本を読み終えていま、「自民党の失敗」でなく、「日本の政治の失敗」ではないのか、と疑問は広がる。ただただ、暗然とするしかない。(2022-3-20)

 

 

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【25】全てがすっ飛んでしまったー北海道新聞社編『消えた四島返還ー安倍政権日ロ交渉2800日を追う』を読む/3-9

 今からほぼ3週間前の2月16日のこと。北海道新聞の斎川誠太郎東京編集局長が神戸にやってきた。私にインタビュー取材をするためである。20年ほど前に公明党番記者をしていた彼とは親しい仲だった。そのこともあり、依頼に二つ返事でオッケーしたのは2月の初めだった。読売新聞に私の著書のことが報道された直後。電話の向こうの彼は「読売さんに先を越された」とちょっぴり残念そうに呟いていた。取材を受ける前に彼が鞄からおもむろに取り出したのが一冊の本。ブルーの色鮮やかな表紙に、プーチンロシア大統領と安倍元首相が向き合った写真の背景はイエロー地の帯(まるでウクライナの国旗カラーのよう)。『消えた四島返還ー安倍政権 日ロ交渉2800日を追う』だった。「我が社あげてまとめた力作です。よく書けてると評判ですから、ぜひ読んでみて」と手渡された◆その後10日も経たぬうちに、ロシアがウクライナを侵略。世界の情勢は一変した。この本を見る目も変わった。当初は、「すれ違う日ロの世界観、官邸主導外交の功罪、米中対立ー。綿密な取材に基づいて本書が描き出す背景は複雑である。元島民の思いに強く寄り添っているのも本書の大きな特徴として挙げられよう」との今売れっ子の小泉悠・東大先端科学技術研特任助教のコメントに注目しながらも、そのうち読むかと、投げ出していた。しかし、まさに現代のヒトラーさながら殺人鬼と化したプーチン大統領と、27回も会いながら、何らの結果も出せず総理の座を投げ出した安倍晋三氏の交渉の日々に俄然興味が湧いてきた。プーチンと一体何をやりとりしてきたのか。表紙の「四島返還」のうえに小さく乗っかった「消えた」の文字が一段と興味深く見えてきたのである。一気に読み進めた◆従来の日本政府のスタンスを安倍首相及びその周辺は勝手に変え、「2島返還プラスアルファ」という道に突き進んだ。北海道に本拠を置き一貫して追いかけてきた地元紙らしくその一部始終を見事なまでに描く。一つ、この本の私風のマスターの仕方とでもいうべきものを披露してみたい。まず第一章「『一気に返還へ』外れた目算」を読み、次に第9章「日ロ、見えぬ針路」に一気に飛び、エピローグへと進む。その間に挟まれた新旧2人のモスクワ支局長のコラムに見入る。そうすると、全体の構成が明瞭になる。後の第2章から第8章は今日までの交渉史として貴重なものだが、あえて極言すると、枝葉であるかもしれない。安倍周辺の動きや発言はスルーして、プーチンやラブロフ外相の発言部分のみを追って見る。すると極めてわかりやすい。プーチンの人となりが白日の下に晒された今となっては、元々一ミリたりとも領土を手放すつもりはなかった。そんな気がするからだ◆実は、私は公明新聞記者として1960年代半ばから、北方領土問題に関心を持って自分なりに追ってきた。その所産をこのほど出版した『77年の興亡ー価値観の対立を追って』の第2章第7節「『北方領土』解決への回り道」にまとめている。自分としては渾身の力を込めて、わずか10頁だが集約してみた。ウクライナへのロシア侵略という信じがたい蛮行に接する一方、道新が総力上げて取り組んだこの本を読んでみて、我が10頁の総括に誤りなきことを確信した。強いて言えば「回り道」というタイトルにやはり我が見立ての甘さを感じる。回り道は、通常、遠かったと続くように、ゴールに到着してからの表現に用いられることが多い。その解決への道が全く見えなくなった今となっては、「解決への道なき道」とでもすべきだったかもしれない。(2022-3-9)

 

 

 

 

 

 

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(第3章)第10節 知られなかった国との確かな関係──岡部芳彦『日本ウクライナ交流史』を読む/2-28

身近にいたウクライナ研究第一人者

 2022年の2月にロシアの侵攻で始まったウクライナ戦争も、まる3年を超えた。当初、テレビに映し出されたかわいい子供たちの「私、死にたくない」との泣き声が耳にこびりついて離れなかったり、何万人という人々が国境を超えて逃げゆく姿に、動揺を覚えた私たちもしだいに関心が薄れてきたことを認めざるを得ない。平和な市民が空爆で死んだり、生活の拠点が破壊され瓦礫と化することを痛む感性がこの3年で弱くなってきているとしたら、悲しいことだ。ウクライナでもロシアでも兵役を逃れる人が後を立たない現実がある一方で、戦争の終焉の兆しは一向に見えてこない。

 当初、ロシアとウクライナの歴史的関係に関心を持つ人たちは少なくなく、ロシアはともかくとして、ウクライナについてはほとんど知らない自分を発見して、急ぎ勉強した人は多かろう。実はウクライナ研究の第一人者と私が交友関係を持つに至ったのは数年前に遡る。公明党のある若手議員から「神戸にパワー溢れる学者がいます。是非一度会ってみてください」と紹介されたのがきっかけである。すぐ様「異業種交流会」にお誘いした。蝶ネクタイのよく似合う口髭の岡部芳彦神戸学院大教授である。姫路在住と聞いて一気に親近感を持った。暫く経って『日本ウクライナ交流史』なる本を頂いた。大学の教材風の赴きもあり、「1915-1937年」との副題の意味も分からず、読まずに放置してきた。

 今回の事態に慌てて取り出し急ぎ読むことにした。〝泥縄式読書〟の典型である。恥ずかしい。1915-1937と僅か22年に限定された「交流史」であることの理由は読み進めて直ぐ分かった。現存する資料では日本とウクライナ関係の始まりは、1915年の松井須磨子と島村抱月の芸術座のウラジオストクでの同国のカメンスキー劇団との共演にあり、翌年の同劇団の日本訪問へと繋がることに由来する。

 「神戸に始まり神戸に終わる」ウクライナとの関係

 終わりの方の1937年は満州の地における両国間の民間交流が、日中関係の悪化と共に途絶えていったことによる。つまり、ウクライナとの関係は日本の大正期における自由な雰囲気を背景にした文化交流に始まり、やがて昭和前期の戦争への機運の高まりと共に終わったといえよう。この辺りの時代の空気を見事に汲み取りながら、歴史的第一次資料をつぶさに追って、岡部さんの筆は進む。元々別立ての論考だったものを出版にあたりまとめたものであるため、5つの章ごとに「はじめに」と「結びに」がついている構成であり、とても読みやすい。これからウクライナを研究しようとする学生や初心者にとって極めて重要な教材だといえよう。

 「神戸に始まり、神戸に終わる」と、この本の由来が「あとがき」に述べられている。神戸っ子ゆかりの銘菓「モロゾフ」や、かつての神戸最大のエンタテイメントの拠点「聚楽館」で、二つの国の共演劇が展開された。少年時代をこの地で過ごした私など大いに惹きつけられる。前者には耳にするだけで唾液が、後者は「🎶ええとこ・ええとこ聚楽館」とのあのフレーズが甦ってくる。開戦後直ぐウクライナ情勢が気になるなか、岡部教授を急遽招いて異業種交流会を開き、仲間たちと意見交換をする機会を持った。

 冒頭、岡部さんがキエフへのロシア侵攻を多くの専門家同様予測し得なかったことに悔しさを滲ませていたのが印象的だった。彼の地での多くの友人たちの身の安全への強い懸念を漂わせつつ、冷静に的確な見通しを述べる歯切れ良い音声に耳を傾け続けた。この際一気にウクライナに関する著作をものされたらいかがですかとの、ぶしつけな私の注文に、既に2冊の刊行依頼が来ていることを明かされた。ロシアとウクライナ両国の積年に及ぶ関係を解説してくれる本に出会えることに、知的興奮を禁じ得ない。その時にウクライナに平和への兆しが現れているかどうか。今後の展開に我がこととして強い関心を持ち、戦争終結を祈り続けたい。

【他生のご縁 ゼレンスキー大統領『魂の叫び』を解説】

 プーチンのロシアによる戦争を仕掛けられ、ウクライナが残酷な被害を受ける中で、一気に注目を浴びている岡部芳彦さん。彼の地の人と風土に最も習熟されているだけに、数多見聞きする解説の中で、わかりやすいことこの上ないと感じます。

 このほど第二弾『日本・ウクライナ交流史1937-1953年』を出版されました。さっそく、「個別の話としても読めて3章(クペツィキー話)、4章(ウクライナでドイツ軍捕虜となった日本人)、5章(シベリア抑留)あたりがオススメです」とメールが届きました。母国を除けば最も愛する地が崩れゆき、友人たちが死闘する様子に同苦されている姿に、私も胸かきむしられる思いです。

 先般お会いした際に、ゼレンスキー大統領の『魂の叫び』をいただきました。同大統領の100の言葉を集め、岡部さんが解説を加えた本です。とても興味深い内容でした。大統領との関係に思いを巡らせるにつけても、人生の不可思議さに感嘆せざるを得ません。

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【23】2-⑦ 微に入り細を穿つ分析━━宮家邦彦『米中戦争ー驚愕のシナリオ』

◆「知的体力」を求められて

 宮家さんとは、彼が安全保障課長時代によく付き合った。というか、しばしば教えを乞うた。役人と政治家の関係は、野党時代には叩く相手と見ていたが、与党になってコーチと化した、というのは私の勝手な思い込みだろう。色んなタイプが双方にいて、人には相性というものがある。彼とは妙にウマが合った(と私は感じた)。彼が中国に赴任した後、本省に戻ってきてしばらく経って、「これ書いたんだけど見てくれる?」と、大部の原稿の束を渡された。嬉しかった。優秀なコーチと平凡な選手の関係が瞬時逆転したのだ。読んだ印象は‥‥。後に退官し、著述家として大成した彼だが、あの時の原稿は未だ陽の目を見ていないはず。

 この本は宮家さんの「米中戦争」もし起こりせば、についての「頭の体操」を披歴したものだ。〝物書き〟にも当然ながら様々なタイプがいる。大別すると、読者に寄り添う人と、突き放す人に分けられよう。前者は教育者型、後者は研究者型。宮家さんは後者タイプだが、「米中戦争の抑止」の方法について説いたこの本は精一杯教師になろうとの努力が窺える。いやに長い「はじめに」(約30頁)の冒頭部に「筆者の如く『知的体力』に自信ない向きは、この『はじめに』だけお読み頂きたい」ときた。全11章の詳細な説明が続く。そして最後に、「本書はやや複雑な構成になっており、精読するにはある程度の『知的体力』が求められると思うからだ。『読む』のも大変だろうが、知的体力の劣る筆者にとって『書く』のは一苦労だった」と。ここまで読んで、投げ出したくなった。

◆「意外に常識的な結論」に安堵

 だが、思いとどまった。普通読み辛そうな評論集の場合、後から前にと逆に読むとわかりやすいケースが多いので、それを試みようとした。だが、この本、それが通じない。よけいに歯が立たないのだ。そこでもう一度「はじめに」に戻り、精読した。そして、一つの章の説明を読み、本章に進み、また「はじめに」に戻り、次の章の中身に触れ、という面倒な作業を繰り返した。この手法でほぼ半分の5章まで読み進み、ようやく開眼する思いになった。「第5章は本書の核心である」との記述に励まされ、その章を読み終えた。「今筆者が懸念するのは、台湾について習近平政権が、1930年代の日本と同様、『いきおいと偶然と判断ミス』に基づく誤った政治判断を繰り返し、国際情勢につき客観的な判断が出来なくなる可能性だ」──この中国の誤算が、各国の政治家の誤った政治判断のサイクルを誘発し、「抑止」を不能とする恐れがある、という。逆に言えば、誤算がない限り「抑止可能」かと、少し安心した。

 このあと著者お得意のマトリックス分析手法が繰り返され、二つの大国間で起こりうる「軍事対立の見取り図」が描かれていく。軍事オタクならぬ情報分析オタクの向きには堪えられない魅惑的タッチで、本書後半は推移していくのだが、「知的体力」どころか「体力」そのものに自信のない私は軽く流さざるを得なかった。で、最後の最後に、「これだけ精緻な分析を行なった割に、筆者の結論は意外なほど常識的なものとなった」という結論の前触れがきて、「要するに、台湾と米国が現状維持のため最大限の『意図』を持てば、中国による台湾武力侵攻を阻止することも不可能ではないということだ」と、終わる。

 知的体力の消耗を一気に補う、強烈な健康ドリンクを飲んだような錯覚を覚える。ここに至るまでの労作業をするか、しないかが極めて重要なのだが、著者の優しい心遣いで、〝落ちこぼれ〟も救われるのだ。そういえば、宮家さんが、私の今回出版した『77年の興亡──価値観の対立を追って』に送ってくれた推薦文に「戦略的読書人」とのフレーズがあった。私の読書作法を見事に言い当てられた思いがする。

【他生のご縁 毎日新聞Webサイト『公開情報深読み』】

 現役の時に付き合った官僚たちの中で、辞めてからいまも付きあっている数少ない人が宮家邦彦さん。『77年の興亡』の帯に推薦の言葉を頂いた。彼の著作を取り上げた私のブログ『忙中本あり』を読んで、いたく感激してくれると共に、「こんな素晴らしい書評を書いてくれる方は滅多にいませんね」とメールを頂いたのです。そして、毎日新聞サイト版『政治プレミアム』の「今週の公開情報深読み」欄に寄稿してくれたのには、こっちが驚いてしまいました。

 ウクライナ後の世界を深読みする、との見出しで私の本の書評めいたものが書かれていました。冒頭に、私について「外務省時代に『ウマのあった』数少ない政治家のひとりで、意見は違っても、常にその視点に一目を置いていた『老師』だ」と。中国風に単なる先生と呼んでくれたのでしょうが、日本人的には「老いた師」という、いささかすわりが悪い表現がマジ過ぎて気になりました。

 中身は、私の中道論について、示唆に富む議論を展開してくれており、大いに啓発されました。ただし、中道を中立に置き換えて、国際政治の動向分析に使う試みには私的には異論あり、で今後の議論に待たねばなりません。ともあれ、過去を共有する懐かしい友人です。

 

 

 

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【22】心騒がせ迷わせる「気候変動」ー渡辺正『「地球温暖化」狂騷曲』を読む/2-19

「地球温暖化」で大騒ぎすることはない、むしろそれは社会を壊すと、昨今の社会的風潮を真っ向から否定する本である。ことの背景が見事に明かされ、快刀乱麻そのもので、こぎみいいことこの上ない。が、それでいて、割り切れなさは残る。「されど我らが日々」とでも言おうか。鳴り止まぬ「狂騒曲」に、心騒ぐ。そうは言っても、との思いは消えない。つまり、「地球温暖化」の主因はCO2排出にありとの説への否定については分かった気がしても、それ以外の要因から地球は異変を起こしていないか、との疑問だ。世界の、日本のエネルギーの行く末をめぐる問題について考える上でそれなりに大いに刺激になる◆実は、私は2006年(平成18年)に衆議院環境委員会で質問に立ち、「地球温暖化」をめぐるIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の主張を批判したことがある。と同時に、我が党の政調でも、この角度からの議論を元環境相にふっかけたことがある。温暖化の原因は太陽の黒点活動にあるかもしれず、産業活動とは直接関係がないのではないかとの主張である。恥ずかしながら、当時論壇に少数意見ながら出ていた論調の受け売りをしたものだ。しかし、委員会でも政調でも私の意見は相手にされず、「人間活動が主因である」との観点で押し切られた。結局は、「衆寡敵せず」、私は「長いものに巻かれろ」とばかりに、矛を収めたというのが相応しい◆尤も、この間にすっかり私が「狂騒曲」に巻き込まれてしまった。2030年までのあと10年足らずの間に、CO2排出にストップをかけ、環境汚染を止めないと、地球は破滅に向かう危険性があるとの主張に与している。要するにブレたのである。この本に出くわして、なんのことはない、15年前頃に戻った気分である。ここは居住まいを正し、問題の所在を整理しないといけない、と思わざるを得ない。この本での著者の主張のポイントは、「地球温暖化」は慌てることではないし、CO2はむしろ植物の生育を助けて、人類社会をゆたかにするものだというところにある◆さらに、地球の気温を巡っては、冷温化がまたくるかも知れず、まだ闇の中である。地球の異変を騒ぐことは、誇大妄想であり、温暖化対策は軽挙妄動だ。また、再生可能エネルギー開発に取り組むことは、「一理百害」 に他ならぬ。学界と役所とメディアは自縄自縛に陥っており、環境問題は「環狂」問題に陥っていると最後に結ぶ。興味深いのは、私とは「逆にブレた」人々が海外には多いと説くくだりである。つまり、「当初は人為的温暖化説を疑いもせず受け入れながら、真相に気づいて『転向』した大物も少なくない」として、その「大物」名を次々列挙しているのだ。そして、著者自身も「温暖化論に違和感を覚えつつも当時は本質が見抜けていなかった」と正直に述べている。2002年に社会学者の薬師院仁志氏の『地球温暖化論への挑戦』なる本から影響を受けたことを明かしているのだ。中国とインドの経済成長が鈍化するであろう数年後に、未だ大気中のCO2が増え続けているなら、その時に初めて答えが出るというのだが、さていつのことになるやら。このテーマ、引き続き考えていきたい。(2022-2-18)

 

 

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(第6章)第2節 他国にない厳しさが特異な国を作る━━大石久和『[新版]国土が日本人の謎を解く』

 「国土」から説き起こす「日本人論」

 この本の著者・大石久和さんは国交省を退官後20年近く「国土」にまつわる関連機関に関わってきた。その人によるとっておきの「日本人論」である。彼は私と同い年。しかも郷土を同じくする。その上、畏友・太田昭宏元公明党代表と、京大「土木」で机を並べた間柄というから公明党理解は年季が入っており、深い。

 21世紀劈頭、私が衆議院国土交通委員長を拝命した当時、この人は道路局長だった。国会議員として既に8年ほどが経っていたとはいえ、私は全く未知の分野の委員会を仕切らねばならぬとあって、緊張した。観光庁、海上保安庁、気象庁や北海道開発局など多岐にわたる業務について、その道の達人たちが優しく手ほどきをしてくれたが、そのうちの一人が大石さんであった。懐かしい日々を瞬時思い出す。

 実はもう一人、同じ昭和20年生まれの河川局長がいた。文明評論家として今や名高い竹村公太郎さんである。この人は役人時代からペンネームで業界紙にあれこれと書いていたし、退官後は一気に作家への道に邁進された。2003年には早くも『日本文明の謎を解く』を著すなど、次々と興味深い作品を発表してきた。私もそのうち何冊かを小欄で取り上げてきたものである。大石さんの方は10年ほど遅れて〝物書き稼業〟に参入されたことになる。この本は数年前に出されたものの新版ということだが、私の著作をお送りしたお返しのようにいただいた。喜び勇んで読むに至った。期待に違わず大いなる刺激を受け啓発されている。

 若者への対中誤認識に警鐘ならす

 この本は「日本人が長い歴史の中で国土の自然条件から得た経験を他国と比較し、日本人の強みと弱みを解き明かしたもの」である。私は第2章「なぜ『日本人』は生まれたのか」に強く惹きつけられた。そこでは「日本人」を育んだ10の条件が列挙されている。①不便な形②一体で使いにくい③分断される④土砂・土石流災害が襲う⑤可住地が分散⑥近代的土地利用がしにくい──などなど。他国にないこれらの厳しい国土の条件が重なり合って、特異な日本と日本人が作り上げられてきたことを克明に解き明かす。さらに、大陸との距離と、台風の通り道に弓状の形で存在する位置を付け加える。これらが孤立、独立した文明を可能にし、飢饉をもたらし、黒潮の流れの中の「るつぼ」を生み出した。著者はこの章で、日本は中国文明の影響を受けただけの辺境の民族である、と誤認識している多くの若者に強い警鐘を鳴らしている。ぜひ未来を担う彼らに読んで欲しいものだ。

 以下に続く各章で、「世界の残酷さを理解できず」に、「権力を嫌う」うえ、「長期戦略がない」などと言われる日本人の特徴が中国や欧米と比較されていく。数多の知識・文化人たちの著作の一節を引用しながらの説明はまことに分かりやすく、適切で示唆に富む。そんな中、内外の経済学者への不信感とでもいうべきものが随所に顔を出す。社会資本をめぐる誤解や曲解をもたらす原因がメディアや経済学者の無理解にあるとの持論の展開である。従来から経済学の偏向に疑問を抱いてきた私としては、強い共鳴を禁じ得ない。

 最後に大石さんはいわゆる戦後民主主義教育が、いかに本来の日本人のありようを歪めてきたかを指摘している。そのくだりが興味を惹く。「日本人の強みは集団力」にあることを強調しているのだ。「参加意識、当事者意識を持った組織構成員の集団パワーがこの国を再生する」という結論にも私は全面的に賛同したい。尤も、私の場合は、国境を越えた壮大な民衆パワーを発揮しつつある創価学会・SGIが、日本と世界を再生させることに期待するところ大なのであるが‥‥。この辺りについての論及は、また別の機会に期待したい。

【他生のご縁 同世代の国交省ゆかりの仲間】

 国土交通省と公明党の関係が極めて深いものになっていることは、大臣を連続して7人も送っていることでも分かります。衆議院国土交通委員長を務めたに過ぎない私ですが、友人が省内、OBに未だ幾人かいます。彼は公明新聞にも寄稿してくれ、多くの固有のファンがいるほどなのです。

 経済学については、大石さんは、公共事業のあり方をフローとでしかとらえず、ストックで見ようとしないメディアをも批判しています。私の「経済学者批判」は、学生時代から今に続く「経済学オンチ」に由来する偏見に満ちたものとの自覚がありますが、ここで大石さんの応援を得て力強く感じます。

 退官後は活発に行政をバックアップする講演や執筆活動に力を注いでおられます。同じ世代として、大いに共闘を誓うものです。太田元代表を交えて、大石、竹村、そして私も加えて貰い、日本の国土をめぐる座談会でも開き、本に出来たら面白かろうと思っていますが‥‥。

 

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(第6章) 第7節 失敗から学ぶ仕事の手ほどき━━黒江哲郎『防衛事務次官冷や汗日記』を読む/2-7

「Dことば」に「さしすせそ」

 元防衛事務次官が自分の失敗談を書いた、との新聞広告を発見した。長く外交安保分野に関心を持ってきた者として、「黒江哲郎」の名は明確に覚えている。私より一回りほど歳が違うので、付き合う機会はあまりなかったが、実直さが漂う佇まいと、人気米映画の『24時間』に登場する「クロエ」と同一名とあって、妙に忘れ難い。防衛省の事務方トップに上り詰めた人が「失敗だらけの役人人生」なるサブタイトルのついた本を出すとは。読む前に失敗の中身を邪推して心配しなかったといえば嘘になる。旧知の防衛官僚、自衛隊幹部のさまざまの顔が浮かび、複雑な心境になった。人の失敗談は面白いが、国家の安全を司る役所の裏事情を暴露して大丈夫なのか、との危惧を抱いたのである。

 時系列での章立てのため、最初の頃に登場する若き日の黒江さんの失敗談は実に興味深い。立ちくらみでフロアに昏倒したとか、車の中で、大臣に醤油を浴びせたといったことから、総理大臣やら、防衛大臣、先輩幹部に怒鳴られた出来事が次々と出てくるのだ。そんな中にさりげなく、政治家との付き合いにおいて、使ってはいけない「Dことば」やら、相手を乗せる「さしすせそ」といった言葉の使い方が挿入されている。つまり、「ですから」「だから」「だったら」は、相手を怒らせるし、「さすが」「知りませんでした」「凄いですね」「センスありますね」「そうなんですか」は、逆に喜ばせるというわけだ。理詰めで相手を屈服させる愚かさを説くくだりなど、身につまされる。

 〝男の器量表〟か〝村の掟集〟か

 この失敗談は、同時に相手側の人物査定にも繋がっている。醤油を浴びた大臣の対応の仕方を始め、必要以上に怒った人、逆に優しい言葉をかけてくれた人物などが散りばめられており、さながら〝男の器量評〟の感もする。知っている人ばかり出てくるので興味津々にならざるをえなかった。そう、この本は遅れてきたる後輩官僚たちへのこよなき教訓集であると共に、政治家の嗜みにも深く関わる〝村の掟集〟かとも読める。我が後輩たちに読ませたい。そして、官僚、政治家の世界だけではなく、世の中全ての働く人たちへの〝仕事の手ほどき〟にもなっている。「冷汗三斗」の体験談を読むうちに、この国の「防衛」の実態が縦横斜めから分かってくる仕掛けだともいえよう。

 この人は「南スーダンPKO日報」問題で、次官を引責辞任した。「自分の能力に対する過信の裏返し」で、「いつの頃からか、議論の際に相手の主張に耳を傾けるよりも、自分が正しいと考えるところを主張することばかり考えるようになっていた」と、「謙虚さを欠いていた」ことが失敗の原因だと、締め括っている。この問題は私には、当時の大臣の未熟さに全てを帰すところなきにしもあらずだったので、逆に彼流の謙虚さが浮き彫りなった感がする。最後になるが、この本の中で、公明党及び議員のことが3箇所出てくる。いずれも、温かいまなざしで貫かれた記述で、その優しさに改めてホッとする思いだ。さて昨今、優秀な大学生が就職先に官僚を志望しなくなったと聞く。この本が世に出回ってどうなるか。大いに気になるところだ。

【他生のご縁 解説を担当した新聞記者】

 この本について、私は当初危惧を抱いたことから書き出しています。恐らく、著者としては、この私の書き振りは不本意だと誤解するのではないかと〝危惧〟していました。案の定というべきか、黒江さんは、冒頭を読み「身構えた」といいます。後に批判めいたことが続くことを予想したのでしょう。しかし、そうではなかったことにホッとしたという意味のメールが届きました。タイトルから、あたかも防衛事務次官のゴシップ集であるかのような印象を受けたことを素直に私は表現したのですが、いささか不味かったようです。

 「政策は、政府が無機質に決定しているのではなく、生身の人間が努力を積み重ねて作り上げています。そうした政策決定過程の実態をお伝えできればと思います」というのが本心なのですから、サブタイトルは、『失敗から透けて見える政策決定過程』というあたりにして欲しかったと思っています。

 この本は、元防衛官僚を中心に作るサイト『市ヶ谷台論壇』での連載を、朝日新聞の論考サイト『論座』に転載されたものです。その辺を含め藤田朝日新聞編集委員が読み応えのある「解説」を書いており、大いに関心を持たせます。とりわけ安倍元首相に「厳しい刃」を向け続けた同新聞社の媒体に元事務次官の論考を載せるのは、元職同士とはいえ、それなりの苦労があったと思われます。当然ながら「平和安全法制」のくだりでは、きっちりと批判の矛先が元首相に向けられております。

 実はこの人は衆院憲法調査会の欧州視察団の随行記者。その一員だった私とは20年ほどの繋がりがあります。鋭いと定評のある敏腕記者です。そういう観点からも読む楽しみがありました。

 

 

 

 

 

 

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【19】5-⑦ 想像を絶する生き物の一瞬━━安藤誠『日常の奇跡─安藤誠の世界』

◆クマの談笑、ツルのダンス、フクロウの頬擦り

 「生きてるってことは実は奇跡の連続を経験していることなんです」──初めて安藤誠さんの「映像&講演」を芦屋市で開かれた講演会でのスライドやユーチューブを通して見て聴いた5年程前に強く印象に残った言葉である。それに刺激され、私の回顧録ブログは『日常的奇跡の軌跡』と名付けることにした。

 北海道阿寒郡鶴居村に根城を置き、日本中を駆け巡る写真家でアウトドア・マスターガイドの安藤誠さんと私は、一般財団法人「日本熊森協会」の顧問を共に今も務めている。その履歴は私の方が古いが、新しく加わった安藤さんの影響力は遥かに強く深い。講演を幾たびか聴き、釧路湿原近くにある、彼の経営する宿泊施設「ヒッコリーウィンド」にも行った。その人物の奥深さに傾倒してきた私だが、改めてその成り立ちをこの本で知って深い感動に浸っている。

 表紙は、人間のような表情をしたクマの顔をアップで撮った写真である。170頁に及ぶ本文の中に、兄弟と思しき二頭のクマの談笑する立ち姿、数羽のタンチョウヅルたちのダンス、つがいのエゾフクロウの頬擦り、凍った樹液を必至に舐めるシマエナガ、二羽のフクロウがじっと見つめる前を跳ぶように逃げるリス、サクラマスの滝登り、カメラに向かって威嚇するキツネの夫婦といった、動物や鳥そして魚のおよそ私たちが見たことのない一瞬の仕草を捉えた写真が次々と登場する。

 彼の講演会ではこれらの写真と映像をたっぷり見せて貰ったものだが、改めてその奇跡ともいうべき一瞬の姿に圧倒される。国際的な野生動物写真コンテストや自然にフォーカスした写真コンテストに幾たびも入賞している凄腕の作品については何度見ても息を呑むばかりである。

◆湿原の夜に野鳥や動物たちの音楽会

 「ご縁を歩く」と銘打たれた第一部では、クマを始めとする動物や自然との、幼き日の出会いが語られ、「栴檀は双葉より芳し」を強く実感するばかりだ。塾講師から大工になる青年期の苦労談では、出会いの不可思議さを味わう。とりわけ、お金の工面で行き詰まった時に、泣き喚くかと思った奥さんが「ふーん、で、今日何食べる?」と言ったくだりには思わず吹き出した。「こんな大変な時にどういうこと?」と逆ギレする彼に、彼女は「そんなこと言ったって仕方ないでしょ?でも、お腹が減ったっしょ?」とのやりとり。彼は「その時に思ったことは、この人には逆立ちしても絶対に勝てないんだなということでした」と。とてもチャーミングな彼女を知っている私だけに、この場面にちょっぴり羨んだしだい。

 この人は、写真家でガイドという本業以外に、自転車、バイク、ギター、陶磁器など多彩な趣味を持ち、それぞれの道に師匠や仲間がいる。第二部「 安藤誠の世界」ではそのことが愛おしげに語られ、ぐいぐい引き込まれる。そして第三部「ヒッコリーウィンドのネイチャーガイド」では、星空の下でのカヌーという幻想的な風景を始め、湿原の夜における野鳥や動物たちの音楽会、神様きつねの話などが、臨場感たっぷりに描かれ魅惑する。中でも空は晴れているのに突然雷が光り始めた時の描写が凄い。【モニターに映し出された映像に思わず叫んでしまった。それは小さな天使のような女の子に見える雲が稲光を雄阿寒岳のほうへ優しく包み持ち運ぶかのような光景。神々しい光はまるでカムイの矢のように見える】と。そう、この人は文章もまた実に巧みなのだ。この本を読んで、どうしてももう一度、かの地にたまらなく行きたくなった。

【他生のご縁 一目会って話を聞いてとりこに】

 北海道知床岬で観光船が沈没するという悲惨な事故が先年あり、多くの悲しい犠牲者を出してしまいました。実はこの場所近くに、私は安藤誠さんの案内で陸路行ったことがあります。ヒグマが大勢の見物客やカメラの放列の前で悠々とマスを捕まえ食べるシーンをじっくりと見せていただきました。まさに、奇跡の連続であったことを今懐かしく思い起こします。

 実は私が彼に紹介したもうひとりの男がすっかり捉われてしまい、大変な友情を結ぶに至っています。この人物は転勤で東京から札幌勤務になり、釧路をしばしば訪れるようになりました。ご両人を知る私は2人はきっとウマが合うと睨みましたが、案の定でした。安藤さんが講演のたびにいかに意気投合したかに触れていることを仲間から聞いてその都度驚きます。

 釧路湿原を案内された時に、私の歩き方を見て疲れていることを瞬時に見抜かれました。あれこれ気遣いをして頂いたことを思いだします。宿泊施設の前庭でキャンプ場さながらの雰囲気の中で彼が作ってくれた手料理の旨さも忘れ難いものがあります。野生動物の一瞬の生態をカメラに納め続ける腕からすれば、私のような柔な都会人の心の中を見抜くことなど赤子の手をひねるようなものに違いないと、出会うたびに畏れを抱くしだいです。

 彼の母上は著名なデザイナーで、鶴居村で作品展示ショップを開いておられます。そこに立ち寄り、私にはとても高価なアイパッドケースを買ってしまいました。いつも彼に見守られている思いで満足しています。

 

 

 

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【18】風化する「戦争への感性」ー伊藤絵理子『清六の戦争ーある従軍記者の軌跡』を読む/1-22

 人と人が殺し合う戦争ー日本はそれを起こした結果、敗れてひとたび滅びた。今から77年前のことである。私はその年・1945年(昭和20年)にこの世に生を受けた。いわゆる戦記物は数多く読んできたが、いつの日か読まなくなった。読んでも気分が晴れないからである。新聞記者である著者が、自分の祖父(従軍記者)の戦争報道を追ったドキュメント風のものを久しぶりに読んだ。「戦争の描き方に、この方法があったとは!」と感嘆する加藤陽子東大教授と同様に、私も珍しさに惹かれたのである。戦場になった中国の人びとと、そこまで彼らを殺しに行った(結果的に)日本人。改めて隣国同士の不幸な歴史と位置関係に考え込まざるをえない◆私が直接聞いた「戦争体験」は、我が父母の従軍した兄弟たち3人からだ。うち一人は陸軍少年航空兵に志願し従軍、フィリピンマニラのイポで片腕を失って帰ってきた。その叔父の肩先から伸びた装具の先端の〝鉤型の手〟と共に、忘れられない言葉がある。「マニラ湾に沈み行くあの大きくて美しい太陽を見たことのない人間に戦争を語る資格はない」ー新聞記者として安全保障問題に取り組みはじめていた私に、投げかけられた。戦争を知らない世代が何を論じても、結局は空理空論に過ぎない、と言いたかったのだろう。マニラの夕陽と重ね合わせたところに、その叔父のリアルを感じて、黙るしかなかった遠い日を思い出す◆この本の著者は同じ新聞社の先輩記者だった祖父清六の足跡を丹念に掘り起こし、南京へ、マニラへと足を運ぶ。あの「南京大虐殺」の現場に行き、「捕虜の殺害」に関わる清六の報道の痕跡を追ったくだりと、著者が自身の子どもと一緒に訪れた「記念館」での体験には息を呑んだ。「清六は南京で何を書いたのか」ーこの一点に著者の関心は集中し「必死になって記事を探し続けた」ことは当然だが、結局見出し得なかった。その空白を埋めるかのように、南京事件を伝える記念館での体験が語られる。「報道統制の中で戦場の惨状を伝えなかった記者たちが、虐殺などを行った『加害者』の一員であるという事実は重い。日本軍が中国人に対して行った非道な行いを目の当たりにし、私は申し訳なさといたたまれなさを抱えたまま、記念館を後にした」と◆一方、フィリピンでの清六の足取りは、陣中新聞『神州毎日』を洞窟等で発刊し続けた後、マニラ東方のヤシ畑で栄養失調での最期を迎える。「神州毎日は将兵愛好の的で至るところ引張凧であった」との記述が清六の彼の地での日常を物語っていると、私には見える。著者は、末尾近くで「どうすれば、戦争をあおる記事を書かずにすんだのだろう。故郷を遠く離れた場所で死なずにすんだのだろう」と、問いかけ「戦争へと時代の流れを推し進めた記者の責任は重い。そして、私自身を含む誰もが『清六』になりうることに身震いする」ーこの本の流れと結末を読み終えて、どうしてこれが二つものジャーナリストを称える賞を受賞したのか。正直いって私には分からない。75年前の記者を今の記者が追う旅に出た記録。一呼吸終えたのちに、この顛末にさして感じない我が感性の衰えー「風化する戦争体験」に愕然とする。さて、イポの戦闘で重傷を負い、米軍医に片手切断の手術を受けた我が叔父。その子や孫はこれをどう読むか。そして貴方ならどう読まれるか。(2022-1-23 一部修正)

 

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