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(387)不確かだった知的遺産がくっきりとー宮城谷昌光『三国志入門』を読む/5-4

今更、『三国志入門』でもでもないだろう、との声が聞こえてきそうだ。正直言って、その通りだと思う。じゃあ、どうしてここで取り上げるのか。実は、この欄に登場させる本がなく、書店に行って書棚を探すうちに適当なものが見つからず、苦し紛れで買ったのである。これならすぐ読めて、書くのも簡単だと。すみません、安易な姿勢で。反省します。が、読んでみて、やはりそれなりに新たな気づきがあったし、得たものは少なくなかった▲実は私がこれまで読んだ『三国志』は、遠い昔に読んだ吉川英治のもの。本場中国の原典『三国志演義』ではない。細部は忘却の彼方であった全貌を、ぐっと身近にさせてくれたのが実は映画だった。中国版DVD45分もので全部で50枚100話ほどであったろうか。10年ほど前に一気に観たものだが、これはまさに血沸き肉踊る面白さだった。曹操役の俳優が田中角栄元首相によく似ていたと記憶する。それを改めて想起させてくれた▲この『入門』で、気づかされたのは、劉備玄徳の「真実」である。「すべてを棄ててゆくことによって、いのちを拾う。生きかたとしては放れ業」と、「逃げの劉備」の実像を描いた後、配下の人間の心中を探る。「明確な思想をもたず、配下を思いやる心も持たない劉備に」なぜ付き随ったのか、と。答えは、彼らがそれぞれの理想を描くために、劉備はどんな絵も描ける白いキャンバスだったからだとする。配下にとって利用価値があったということなのだろうが、「思いやりの心がない」人柄との言及に、現代日本人としては疑念が残る▲「手に汗握る名勝負」の章では「赤壁の戦い」が読ませる。尤も「官渡」「夷陵」「五丈原」といった他の戦いも含めて、活劇場面のダイナミックさはやはり映画には叶わない。ただし、細かな背景、心理描写の巧みさは活字の世界である。『三国志』が生み出した言葉が10個紹介されているが、改めて「正解」を知って唸ったものもある。私としては、「出師表」「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」に感じ入った。映画では、司馬懿仲達の人物像に惹かれた。読後、これを手引きにもう一度映画を観たいとの思いが募ってきた。(2021-5-4)

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(386)アンチ巨神ファンも痺れるー橘木俊詔『阪神VS巨人「大阪」VS「東京」の代理戦争』を読む/4-29

兵庫県の姫路市で戦争直後に生まれ、少年時代を神戸市で過ごし、青年期を東京で生活した私は、プロ野球はどこのファンだったか?「そんなん知らんがな。勝手にせぇ」と言われるでしょうが、しばしお付き合いを。答えは「南海ホークス」。「今そんなんあらへんがなあ。今あるとこはどこが好きや。福岡ソフトバンクホークスか?」「ちゃいます。どこも好きやないけど、強いて言えばアンチ巨神ファンやね」ーという人間が「虎きち」の経済学者が書いた『阪神VS巨人』を読んだ。以下、へそ曲がり的野球論の一席▲著者の橘木俊詔さんは、かつて虎きちで鳴らした国際政治学者の高坂正堯さんと同じ京大のセンセイ。国会に来てもらい『経済格差』論を一度だけ聴いたことがあるが、その時は野球の「や」の字もなかった。当然のことながら、この本では阪神と巨人について蘊蓄の限りを傾けながら、ご専門の「労働経済学」から「経営と労働としての評価」にも一章を割いていて興味深く読ませる。それ以外は、伝統の一戦となった由来、ライバル関係の軌跡から始まり、代理戦争論やら地方球団論、未来予測まで、一気に痺れるほど説きまくっている▲ただし、私のような爺さん世代には大概は想定内の記述で新しい気づきはない。尤も若い世代には新発見の連続で、面白く読めるに違いない。野球と相撲くらいしか馴染める運動がなかった頃と違って、今やサッカーからバスケットボール、ラグビーまで数多くのスポーツに世の中は溢れている。Jリーグが登場し、日本中をサッカーが席巻した頃、人気の首座が交代したかに思われたが、この本を読むと未だ未だ野球は根強い。男性では、30歳まではサッカーと拮抗しているが、それ以上の世代では圧倒的に野球が上位を占めていることが分かる(NHK世論調査)。女性には人気がないがこれは今に始まったことではない▲さて私は何故南海ホークスファンだったか。一言で言えば、人気があるリーグ、チームが嫌いだったことに尽きる。セリーグ、巨人をやっつける快感を味合わせてくれるパリーグの覇者・南海こそ、その願いを叶えてくれるチームだった。阪神は甲子園球場が西宮市という兵庫県に位置しながら、大阪を代表するかのごとく、世間が言いふらすのも気に入らない。〝六甲おろし〟は主に神戸に向かって吹くではないか。大阪の人間が難波のど真ん中にある南海を応援せずしてどないするんや、というのが子どもの頃の気分だったのである▲そんな南海が昭和とともに、大阪から消えて無くなったのは無性に悔しかった。あろうことか、かつてのパリーグ内ライバル西鉄ライオンズも身売りしてしまって福岡から消えた。ただし、その地にダイエーからソフトバンクへと親会社は変わったものの、ホークスという名だけは続く。このチームは今や球界の盟主的存在だ。かつての南海と西鉄の魂が乗り移ったに違いない。人気に甘えた阪神と巨人が大阪と東京の代理戦争をするのは勝手だが、実力が伴わないのをどうする。と、冷ややかに見て、気まぐれに声援を送ったり、無視したりしているのが、へそ曲がりな〝アンチ巨神ファン〟なのである。(2021-4-29)

 

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(385)昔の坊さんが書いた今の若者への生き方、働き方指南の書ー兼好『徒然草』を読む/4-23

昨年の今頃、コロナ巣ごもり中で放送大学の講座に夢中になっていた。国際政治学の高橋和夫さん、フランス文学の宮下志朗さんと並んで、私がとても感動したのが島内裕子さんの『方丈記と徒然草』講義であった。今の時代から超然と離れた平安風の佇まいと独特の静かな口調が特徴的だった。しばらくは、この人の世界に嵌ってしまったものだ。それから約一年。先日、NHK の教養番組『知恵泉』の「兼好法師 一人を愉しむ」に登場されているのに出くわした。チャーミングな実業家・ROLANDとアフロヘアが似合うエッセイスト・稲垣えみ子と一緒に、『徒然草』の〝読み解き〟をされていた。三者三様。まずは皆さんのお顔(髪の毛、目元・口元、耳元)に目を奪われてしまった。それぞれ誰のどの部分かはご想像にお任せする▲兼好のこの作品については「徒然なるままに」から始まる一文だけで、「以下省略、以上終わり」になる人は少なくない。かくいう私も「243段」ものパーツからなるとは知らなかった。『方丈記』に比べて長いことも遠ざけられる運命と繋がる。ただ、第一段の「いでや、この世に生まれては、願わしかるべき事こそ多かめれ」と、人間の誕生から始まって、最終段の「仏は如何なる物にか候ふらん」との問いかけで終わる、この本の構造は、誰しもが興味を持つ人間存在に深く関わる。「昔むかしに坊さんが暇に任せて書いた随筆」だなどとして放置するのはあまりに惜しい▲「ちくま学芸文庫」に収められた訳本は、兼好の本文と彼女の「校訂・訳」と評から成り立っており、今に生きる人間にとってもアプローチしやすいように噛み砕いて(大胆な意訳が魅力)くれている。島内さんは38段から41段のくだりが、それ以前の兼好の生き方が根底から変わったターニングポイントだと、最重要箇所に挙げていて(放送大学講座でも「知恵泉」でも)興味深い。それは一言で言えば、座学の人から人間の只中で生きることの大事さに気づいた転機ということになる。そう結論だけ聞くと、「ああそういうことか」となり、それでおしまいになりそうだが▲『徒然草』は生き方指南書というのがこれまでの定評だが、「知恵泉」では「この本はビジネス書」との読み方を提起していた二人のゲスト(沢渡あまね、吉田裕子)の指摘が面白かった。複数の企業で働くパラレルキャリアと、外に出ることで人と繋がることの大事さを読み取れるというのだ。これを聞いて、全く私の生き方と似てると共鳴した。定年後、複数の団体、企業の顧問として関わり、様々の領域、職域の人々と繋がって生きているからだ。こう聞くと、また「あっ、そう。はい終わり」となりかねない。さてさて、至るところに中断、挫折が待ち受ける本ではあるが、それは私が老人だからであって、若者にはそんなものは通用しないはず。そう、この本は青年必読の書なのである。(文中敬称略 2021-4-23)

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(第5章)第4節 「EU離脱」の背後に横たわる風景━━秋元千明『復活!日英同盟ーインド太平洋時代の幕開け』

 「インド太平洋構想」に筋金入れる

 英国をどう見るか──かつては、世界に冠たる海洋国家として七つの海に君臨した勇壮なる国家だったが、米国にその首座を明け渡してからは「英国病」の名の下に落ちぶれるばかり。近年に至っては、すったもんだの内輪揉めの挙句に「EU離脱」から、あわや身内からスコットランドが独立するのか、との動きに苛まれる始末。ミニ・トランプばりだったジョンソン首相も「コロナ禍」に悪戦苦闘した末に消え、次々と首相の名も変わりゆく。こんなイメージが一般だと思われるが、それをぶっ飛ばす勢いの本が『復活!日英同盟』である。著者は旧知の元NHK解説委員の秋元千明氏。現在は英国王立安全保障研究所(RUSI)日本代表である。

 秋元氏は、英国が外交戦略の見直しに立った上で「EU離脱」を選択し、グローバル・ブリテンの構想のもとに、今や日本と共に「インド太平洋時代」を担う存在であることをこの本の中で、克明に明かしている。つまり、一般的に伝えられてきたような、英国は「EU離脱」によってやむなく戦略変更を迫られたのではないことを、安倍・メイ外交に遡って(更に野田民主党政権時の動きにも注視)、日英合作の経緯を追う中で、証明してみせているのだ。日英同盟の復活で「インド太平洋」構想に筋金が入り、それによって中国の「一帯一路」構想に立ちはだかることが可能になるというのである。なんだか急にユニオンジャックに後光が差してきたかのように思われる。

 危ない綱渡りだったが、当初の筋書き通りに

 これを読み終えて、元英国大使の林景一氏(前最高裁判事)の著作『英国は明日もしたたか』を思い出した。2017年に出版されると同時に読んだ。当時の私は、英国が「したたか」なのは過去の振る舞いに照らして解るものの、これからはもはや無理かもしれないと思わざるを得なかった。だが、同時にメイ首相が鉄の女・サッチャーさながらの「氷の女」と知り、その後の英国の変貌に一縷の希望を持ったものである。秋元さんは、2017年8月31日の「日英安全保障協力宣言」にはじまって、2021年に予定された新型空母「クイーン・エリザベス」の日本来航まで、一気に読者を惹きつける。

 「インド洋と太平洋という二つの海が交わり、新しい『拡大アジア』を形成しつつある今、このほぼ両端に位置する民主主義の両国は、国民各層あらゆるレベルで友情を深めていかねばならないと、私は信じています」との安倍アピールが最初の号砲であった、と。そして、この本の末尾に「英国の新型空母『クイーンエリザベス』はそのことを伝えるため、2021年、はるばるインド太平洋に向けて出航する」との結びの二行まで続く。ここでいう伝えられる「そのこと」とは、「民主主義国家の集合意識」である。

 ただし私としては、「EU離脱」が逆に振れていたら、つまり「EU残留」だったら、水の泡になったかもしれないと思う。秋元氏がここで書いている流れはもちろん後付けではなかろう。だが、狙い通りだったのかどうか。恐らくは、危ない綱渡りをしたものの当初の筋書き通りに何とか事は運んだ、というのではないかと察せられる。だが、そのあたりの英国内の動きには触れられていない。

 序章の末尾に「なぜ日英同盟なのか、その現状と今後の課題、また日英同盟再生の背景について考えてみたい」とあるものの、「日英それぞれのお家の事情に関心のある読者にとっては満足できる内容とはいえないかもしれない。その点はご容赦願いたい」とある。この辺り、日本の国内事情もさることながら、とくに英国内政治の観点からのフォローが無性に欲しくなってくることは禁じ得ない。

 【他生のご縁 腰痛が取り持つ仲間たち】

 時の流れは本当に早いものです。欧州も日本も、世界は「ウクライナ戦争」で大きく揺れています。「復活した日英同盟」は、まさに時を得て、民主主義国家群の中にあって重要な位置を占めつつあるといえましょう。

 かつて読んだ宮澤喜一元首相と五百旗頭真神戸大名誉教授(当時)の対談『戦中戦後の体験私史』の最後のくだりで、「戦前期の日英同盟は20年続いただけですが、戦後の日米同盟は50年(2001年当時)です」と、五百旗頭氏が言ったことに対して、宮澤氏が「そうですか。日英同盟は20年ですか。意外に短いものですね」と返しているところが妙に印象に残っています。短かった同盟関係が今再び甦ることに期待する向きは少なくありません。

 秋元さんと私は、カイロプラクターを頼りにする腰痛仲間です。私が名誉会長をしている一般社団法人「日本カイロプラクターズ協会」の幹部だった村上佳弘さん(神奈川歯科大大学院特任教授)が二人を結びつけてくれました。私の手元にある秋元さんの本の裏表紙には村上さんへの彼のサインがあります。そして私は林景一元英国大使も〝この世界〟に紹介しました。この人もまた、同病相励まし合う仲間だったのです。

 

 

 

 

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(383)なぜ他の国とこうも違うのかー三浦瑠麗『日本の分断』を読む

世界中が「分断」で喘いでいる最中に、日本だけが奇妙な静謐さの中にある。その理由を解き明かし、民主主義の未来のためには、もっと「分断」が必要だと強調する。著者の三浦瑠麗さんはテレビメディアで売れっ子の若き国際政治学者。自らが主宰するシンクタンクによる意識調査をもとに、独自の日本人の価値観を浮かび上がらせたうえで、日本政治の今を分析する。私としては知的刺激をそれなりに受けたものの、やがて公明党への記述が極端に少ないがゆえの物足りなさに浸ることになった◆戦後日本の「分断」の最たるものは、日米安保条約をめぐる論争であり、その同盟の是非を問う政党間競争だった。それは今なお、経済、社会的テーマが与野党の大きな違いを生み出しえずに後衛に退き、「安保・同盟」が殆ど唯一の争点となって続いている。そこへ「安全保障」におけるリアリズムの台頭という現象が定着してきた。であるがために、結果的に劇的な変化が起こり辛くなっているというのが大まかな著者の見立てである。「政治による分断は、それが内戦ではなくゲームにとどまる限りにおいて存在意義を見直すべき」で、「あらためて健全な分断とは何かを考えなければならない」と三浦さんは本書を結ぶ◆健全な分断のない、日本独自の閉塞した事態はなぜ起こっているのか。その要因の一つに、私は「公明党の与党化」という問題があると睨む。自民党政治の小さな「安定」に腐心し過ぎた結果、大きな「改革」が滞っている。だらしない野党に代わって、今一度日本政治の覚醒のために公明党はシフトチェンジすべきだ、と。この観点に立って本書を読み直すと、気付くのは公明党への言及の極端な少なさである。登場するのは僅かに2箇所。一つは、世論調査において「宗教を基盤とした公明党への投票者はそのことをあまり明らかにしない傾向があり、実際よりも少なくしか回答に反映されない」とのくだり。果たして本当のところはどうなのか。ステロタイプ的表現に陥っていて、掘り下げが足らないだけなのではないのか◆もう一つは、逢坂立憲民主党政調会長が、「政治は残酷なもの」の実例として、自分の所属する党と公明党を比べて「それほど立場が違わないのに逆のことをする」と挙げているくだりだ。これは、政策的スタンスに違いはあまりないのに、与野党の立場の違いから結果として逆の行動になるとの意味あいだと思われる。立憲民主党の愚痴的泣き言ではあるが、現状転換の糸口にも繋がる興味深い発言である。この辺りについて、著者にはもっと考察を深めてほしかった。また、「おわりに」で、コメントを貰った人の一覧に公明党のホープ・岡本三成衆議院議員の名前が見出される。三浦さんが何を彼に聞き、どう彼が応えたのかが皆目わからないのは気にかかる。(2021-4-10)

★【思索録】では、新たに「『新・人間革命』から考える」をスタートさせました。13日付けで、第一巻「旭日」の章と取り組んでいます。

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(382)想像力の貧困さを思い知るー重松清『希望の地図 2018』を読む

東日本大震災から10年。この3月11日前後に嵐のように各種メディアが追憶の記事を特集し、ひとしきり続き、そしてやんだ。しかし、阪神淡路大震災から、15年ほどが経った時点で起きた地震、津波、原発事故がもたらす複合災害は、明らかに現代日本人の意識を変えた。「災害は忘れぬうちにやってくる」が当たり前になったのである。しかも、昨年からの「新型コロナ禍」の追撃は、800年前の日蓮大聖人の『立正安国論』の世界を彷彿させてあまりある◆重松清さんのこの本は、平成30年(2018年)の一年をかけて、東北を始めとする全国の被災地を横断して取材したルポルタージュだ。定評のあるこの人の優しさが満ち溢れた素晴らしい本だ。2016年4月14、16日の熊本地震、2018年6月28日から7月8日まで西日本を中心に全国を襲った平成30年7月豪雨、そして同年6月の大阪府北部地震、9月の台風21号。そしてあの1995年1月17日の阪神淡路の大震災。口絵のカラー写真20葉ほどが鮮やかに過去の記憶を呼び覚ます。今に生きる全ての人にとっての備忘録たり得る好著だ◆重松さんはこれら現地に実際に足を運び、被災者に直接会い、時に自己嫌悪に陥りながら、また呆れるほど情け無い気持ちになりつつ、重い口を開かせ続けた。その記録を読み、「想像力の欠如」にこそ、被災者たちを孤立させるものだとの、著者の思いに読者は共感する。ただ、それはわかっていながら、想像力を逞しくする辛さから逃げようとする自分をも否定できない。「大切なものを喪い、かけがえのないものを奪われてしまった人たちに、不躾に話をうかがってきた」著者は、「取材後はいつも重い申し訳なさを背負ってしまった」と。その真摯さが胸を撃つ◆「好漢二人が震災を契機にめぐりあい、素晴らしい友情を育んだ」との最終章の一節は、「希望の地図」のタイトルを裏付けるかのように明るい展望に満ちている。残虐なリアルの連続に打ちのめされても、一縷であっても希望を持ちたいとの読者の期待。それに応えてくれる筆運びが嬉しい。26年前のあの大震災の震源地となった淡路島の北淡町。その地が指呼の間にある明石市の海岸沿いのマンションの一室。そこから私は今これを書いているが、「本でしか学べない現実がある」とのキャッチコピーに強く共鳴する読後感を抱く。(2021-4-3)

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第3章8節 「おもてなし」をキーワードに日米文化を比較━━相島淑美『英語でマーケティング』

 ⚫︎米社会のホスピタリティとの違いはどこに

  著者の相島淑美さんは、上智大学で英語を学び、日経新聞で流通経済の現場を取材した後、慶応義塾大学院に入り直しアメリカ文学を研究。その後、某女子大で講師をする一方、翻訳家として20数冊の書物を訳す仕事に従事。さらに関西学院大経営戦略科のMBAとしてマーケティング習得に磨きをかけ博士号を取得し、今は神戸学院大学経営学部教授を務めている。

 標題作は、観光やアパレル業界などにまつわるマーケティングに関する三本の英語論文(抜粋)を優しく解説した本である。「英文に引っ張られるのでなく、自分から先に何が書いてあるかを予想しながら読む習慣をつけると、英文が無理なく読めるようになります」「抽象的な言葉が多く使われていますが、教育実習生と指導教員の関係を思い浮かべながら読んでいくとよいでしょう」━━長年に渡り、英書と格闘してきた人ならではのアドバイスが随所に光る。こういう英語教師と出会えなかった我が身の不運が悔やまれる、というのは少々言い過ぎかもしれないが、それに近い感情を持ってしまう。

 コロナ禍の直前、日本中はインバウンドに沸き、〝おもてなし〟に関心が高まった。そして今もまた。マーケティングの本場・アメリカでのホスピタリティとの違いはどこにあるのか。かつて、明石港、淡路島を拠点に、瀬戸内海の島々をめぐる観光に執念を燃やした私もあらためて思いをめぐらせた。達成すべき100点満点基準を「ゴール」に設定するホスピタリティ。これは、基準をいかに効率よく達成するかがポイントだ。一方、日本の〝おもてなし〟に「ゴール」はない。どこまでいっても、まだまだよりよくする余地はあると、著者はさらに「表面的な行為は似ていても、前提となる発想は大きく異なる」と切り込む。刺激に溢れた好著である。「英語」と「マーケティング」どちらかに関心を持つ人に、勿論双方共に学ぶ多くの人に勧めたい。

⚫︎日本の伝統文化の究極としての「茶道」

  この人、昨秋に『茶道』(CHA DO)なる本を出版した。「日本語と英語でわかる! もっと知りたくなる日本」とのサブタイトル風の宣揚文が付いている、全頁にイラストがふんだんに散りばめられ、日本語と英語の両語併記で、楽しく日本文化を紹介しようとの狙いを持つ本である。冒頭に「日本はおもてなしの国として知られています。おいしいお茶をのんでいただくように一生懸命に準備をする。招かれた側も、その気持ちにこたえる。これが茶道の基本である」とあるように、全編「おもてなし」の心で満ち溢れている。

 著者には『おもてなし研究の新次元』という佐藤義信関学大教授との共著があり、日本の伝統文化としての「おもてなし」について、マーケティングの角度から研究を続けている。その背景には幼少期の家庭教育から始まり、中高、大学時代を通じてのアメリカ文化の吸収やキリスト教の影響などがあろう。加えて、源氏物語を始めとする日本文学、文化(美学)への憧れとアプローチがその根底をなす。研究の中で、日米の感性の違いに関心が高まり、やがて、キーワードとしての「おもてなし」に行き着いたものと思われる。

 「おもてなし」の起源を探る作業の通過点として「茶の湯」の再発見があり、今は公私共に深く取り組んでおられるように見受けられる。この人の「おもてなし」研究の概念図を覗くと、経営学・マーケティング、教育、文化、心理学・脳科学、医療・介護・社会福祉、まちづくり・地域創生、観光と、実に多彩なテーマが列挙されていて、それぞれの周辺には数多のポイントが付記されている。パワフルな知的興味の発散がいかなる方向に今後収束していくのか、実に興味深い。時に、旨いお茶を頂きながら、強い関心を持って見守りたい。

★他生のご縁 異業種交流の場で出会い、交流深める

 5年ほど前に神戸北野坂の異業種交流会の場で、中小企業の経営をしながら、関学のMBAとして学ぶ長田高校の後輩より、相島さんを紹介されました。今は、学校現場における「いじめ」の問題から、才能ある人材の枯渇といった複合的な教育の荒廃を、抜本的に建て直すにはどうすればいいのかをテーマに、種々議論を重ねているところです。

 相島淑美さんが翻訳した(翻訳者名は鈴木淑美)『JFK  未完の人生』は、ケネディの知られざる一面をふんだんに盛り込んだ面白い本でした。とりわけ、「華麗なる大統領のプライバシー」の章で、「健康問題や兄妹の早世からくる『先が長くない』という気持ちから女遊びに走ったが、(中略) この先まもなく、核戦争が起こるかもしれない。となれば、人生を出来るだけ満喫したい、やりたい放題して生きたい、という衝動に拍車がかかった」とのくだりには衝撃を受けました。

 ケネディについては、マリリン・モンローとの浮名など女癖の悪さは知らないわけではなかったのですが、強いリスペクトの思いを持ってきた私としては、著者の表現のありように疑問さえ抱いてしまいました。相島さんに背景を聞きたい衝動に駆られますが、翻訳者に訊くのはお門違いかと、遠慮しています。

 

 

 

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(380)巧みな政党比較に酔うー山口那津男、佐藤優『公明党の真価を問う』を読む

世の中的には安倍晋三前首相の7年8ヶ月の評判は、功罪あい半ばする。それを与党の一翼として支えてきた公明党についても見方は分かれる。私見では、政治倫理に照らして怪しげなこと(例えば、いわゆる、もり、かけ、さくら問題など)で、安倍、菅コンビに対して、公明党が大きな声でノーと言った場面が見えなかったことが原因だと思う。それは、連立のパートナーとしてのマナーの遵守なのだろうが、結果として「存在感に乏しい公明党」という見立てを許してきたのは無念である。と、私は思ってきた▲しかし、田原総一朗氏との先の対談本に続き、今回佐藤優氏との第二弾も読み終え、大いに反省せざるをえない。知られざる山口代表の底力。それを世にどう伝えるか。もっと公明党は真剣に広報に取り組まねば、損をしていると思うことしきりである。例えば、イージス・アショアによる「敵基地攻撃能力」問題を公明党が一蹴したことはそれなりに知られている。しかし、その代替策として「スタンド・オフ・ミサイル」の開発に持ち込んだことは殆ど知られていない。この兵器は領土、領海、領空を守る自国防衛のためのもので、「画期的」(佐藤)な「最適解」(山口)だ、との評価は手前味噌でなく、間違ってはいない▲しかし、メディアはそう伝えていない。公明党からの発信も弱い。佐藤氏が「成果が出たあと、何事もなかったかのように、静かに次の仕事を続ける。この謙虚さも公明党ならでは」というが、私はむしろむず痒さを覚える。安全保障分野では「絶対的平和」を求める向きも支持者に少なくない。それゆえ誤解されることを恐れて、政策スタッフが発信を躊躇したものではないかと想像している。生活に直結する社会保障分野での数々の実績やその対応とは違うところだ▲この本での佐藤氏の巧みな比喩を使った政党比較が興味深い。例えば、自民党は「エピソード主義」だが、公明党は「エビデンス主義」だという。前者は「偶然出会った出来事を普遍化させて」自身の実績にしてしまうが、後者は現場で話を聞くと、「アンケートや訪問調査で根拠をとって裏付け」たのち、党の実績へと組み立てるからだ、と。なるほど。一方、旧民主党は、「コンサルタントみたい」で、「評価しながら関わるが、最後の出口まではしっかり責任をとらない」。公明党は「コーチをしつつ、最後まで一緒に(伴走者として)走り切る」。確かに。さらに共産党は「暴力革命政党」で、公明党は「人間革命政党」だ、と。公明党は「仏法の中道主義、人間主義、平和主義に基づく価値観政党」である。その通り。共産党は「共産主義と暴力革命という価値観政党」だと、同じ価値観政党として位置付けている。分かりづらい。ここはやはり従来通り「イデオロギー政党」であるとした方が落ち着く。ともあれ、この本を読めば公明党支持者は溜飲が下がること請け合い。ただし褒められ過ぎて、酔い過ぎにご注意だ。(2021-3-21 一部修正)

 

 

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(379)「知性と現代」「公明党の足もと」「姫路と文学」などに思い馳せる3冊

与那覇潤、山口那津男、森本穫ーこのところこの3人の本を続け様に2冊づつ読んだ。1冊目はそれぞれ読書録に既に取り上げたが、2冊目については3つまとめて1回分で印象に残ったところに触れたい。まずは、与那覇の『知性は死なない』から。社会全体の「うつ」症状を診る『知性が崩れゆく世界で』(第5章)を追う。ソ連風社会主義と米国流自由主義が30年の時間差で、瓦解する風景を二つながらに見ている私たち。与那覇はこの背景に「反知性主義的な反発」があるという。「身体に対する言語の屈従」をどう乗り越えるか。病みあがりの若い知性の挑戦は、老政治家の知的興味を刺激して止まない◆次に、山口と佐藤優の『いま、公明党が考えていること』を。これは5年前の「安保法制騒ぎ」の直後に出た。佐藤はこの本から公明党ウオッチャーの姿勢を一段と強めた風に見える。山口は苦労を重ねた末に、見事に「集団的自衛権」問題を「憲法の枠内」に収めたことを語り尽くす。山口の家族のことを含む体験談は感動深い。強く私が共鳴したのは「人間の生命だけが一番尊いわけでもありませんし、人間以外の動物や地球環境を犠牲にし続けることは許されません」との生命観を披歴したくだり。さりげないが、凄い一行だ◆更に、森本穫の本は、同居する私の義母が持つ『作家の肖像ー宇野浩二、川端康成、阿部知二』である。このうち姫路に縁の深い知二についての第三章だけ読んだ。冒頭に歌稿168首がずらり並ぶ。胸を病んだ彼の切なる思いは、かつて同じ年頃に同じ病に悩んだ我が胸に異音を持って響く。森本は40代半ばに姫路に居を定めてから、「知二」と必然的に深い関わりを持った。「〈抒情〉とともに色濃く現れている〈官能〉の要素。それは同時に、破滅や零落を招きかねない危険因子として、恐れと予感にみちて描かれている」との〈頽廃〉を想起させる書きぶり。姫路を離れてから逆にご縁を頂いた森本穫。彼の誘いによる知二との邂逅に、遠い日に別れた女と再会したような疼きを禁じ得ない◆あとは補足。与那覇は「人類が進歩するにつれて、世俗化(脱宗教化)してゆくという考えかた」の「信憑性が疑われている」として、米露におけるキリスト教の影響を挙げる。併せて、「創価学会のささえる宗教政党(公明党)が、キャスティング・ボートをにぎりつづけた平成30年間の日本の政局をくわえても、いいのかも」と続ける。この後、最大の信仰復興を実現したのはイスラム教だと、話題を転じているのは残念だ。彼の公明党観をもっと聞いてみたい。私は、これまでの政治家人生で、竹入、矢野、石田、神崎、太田、山口と6代にわたる公明党のトップと濃淡の差はあれ、それなりに付き合ってきた。数々の思い出の中に好悪の感情が入り混じるが、「山口那津男」には益々興味が尽きない。(2021-3-9 一部修正 敬称略)

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(378)面白いのは推理小説だけじゃないー森本穫『松本清張 歴史小説のたのしみ』を読む

いまどきどうして松本清張の歴史小説なの?実はこの本、つい先日著者の森本穫(おさむ)さんから「旧著ですが」と、送って頂いた。直ぐに開いて、そのまんま一気に読み進め、翌日に読み終えた。清張の推理小説なら過去にそういうことはままあったが、歴史小説を評論にせよ読むのは初めて。書いたこの人は元短大教授にして文芸評論家。16編を11に分けて解説したものである。原素材をうまく使って、食べやすくしてくれた料理のように、絶妙な味だった。本体を直接味わってみたいとの期待を惹起させてくれる▲森本さんは、姫路ゆかりの人(生まれは福井県)だが、長く面識を得る機会に恵まれなかった。モロイに心酔し、和歌文学に造詣の深い小説家の諸井学さんに、明石に転居する少し前に紹介された。この人を小説創作上の師と仰ぐ諸井さんから、川端康成や阿部知二研究で名高い人と聞いていたので、清張の本を前にして驚いた。懐石料理屋で、いきなり一口カツが沢山出てきたような思いがした。恥ずかしながらこの人が松本清張研究会員でもあることは知らなかった▲清張は朝日新聞西部本社の広告部で図案や版下文字を書いていたことは有名だ。彼が記者に憧れたことは、その世界を齧ってきた私にはよく分かる。しかも私は政党機関紙記者の劣等感に苛まれてきたから他人事ではない。中学もろくに出られず、貧しい家庭の子沢山の中で育った清張が、いかに社会の底辺から這い上がる苦悩に支配され続けてきたかということも。彼の創作の原点にある視点を、歴史上の様々な人物の生涯に照射した試み。それがこの本で触れられた一連の歴史小説集である▲清張の処女作『西郷札』が、徳冨蘆花『灰燼』や樋口一葉『十三夜』の影響を深く受けていること、『疵』『白梅の香』が森鴎外の『佐橋甚五郎』や『興津弥五右衛門の遺書』を応用したことなどなど、森本さんは次々と明かしていく。ある意味で清張は〝模倣の天才〟でもあった。図案職人から大作家への彼の〝成長過程〟を知って、読者は穏やかならざる気持ちに誘われる。天才と凡庸の差のあまりにも大なることを思い知るのだ。それにしても森本さんの清張料理における手際良さは、目を見張り舌を巻く。文中しばしば図書館における「相互貸借制度」の恩恵にいかに浴したかに言及されていて興味深い。〝名料理人の俎扱い〟を曝け出してくれているかのようにさえ思われる。さてもさても姫路時代になぜこの人ともっとお付き合いできなかったのか、と悔やまれてならない。(2021-2-27)

★思索録「疫病禍に苦しむ人類のこの800年ー寺島氏の『日蓮論』から考える」に更新しました(2021-3-5)

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