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(397)〝霧にむせぶ城〟に掻き立てられる想像力ー奈波はるか『天空の城 竹田城最後の城主 赤松広英』を読む/7-18

 

著者のあとがきを真っ先に読んで驚いた。初めて竹田城の存在を偶然とある駅で見た雲海に浮かぶ城跡のポスターで知って興味を持ち、京都から現地へ。不思議な城跡と城主の魅力に惹かれ、数年かけて初めての戦国時代ものを書いたという。そんな簡単に時代小説が書けるものかと半ば疑う気持ちと、我が兵庫の生み出した〝幻の名城〟への興味とが相俟って、読み進めた。この本を読むきっかけは、岡山に住む読書人の先輩・日笠勝之氏(元郵政相)が、ご先祖ゆかりの人の本を読んでみてはと、送ってきてくれたから。かの赤松円心則村から数えて10代ほど後の武将・赤松広英が主人公。龍野城主だった政秀の息子。鳥取城攻めの後、家康によって自刃させられた竹田城主ーそう言われても、播磨守護職だった赤松の系譜では、「嘉吉の乱」の満祐ぐらいしか知らない。私には苗字が同じだけの未知の歴史上の人物。それでもご先祖様の足跡を辿るような錯覚を持ったのだから、名前とは妙なものだ▲「天空の城」とは竹田城の異名。まるで雲海の中を進む飛行機を思わせるように、城跡が霧のなかに浮かぶ。一度はその風景を直接見たいものと思いながら、写真だけで未だその機会はない。幾たびも下から見上げ、往時を偲ばせる小高い山頂にも登ったものだが。「雲海はうねりながらものすごい速さで左から右へと流れていく。頭上の雲が切れて青空が見え始めた。(中略)見ていると、雲海が少しづつ沈んでいくではないか。あそこに竹田城がある、というあたりの雲の塊が下がって、城が姿を現した」ー城主となって初めて国入りした広英が、城を対岸の山の中腹から眺める場面だ。もとをたどると、円山川から発生する霧がみなもと。雲海より霧海と呼びたい▲「天下泰平」を夢見る広英は、城下の農民たちと心の交流を度重ね、名君の名をほしいままにする。この小説は但馬、播磨をベースに、主に秀吉の天下平定への戦の数々を、広英の立場から追っている。戦国ものの体裁をとっていて、初めての気づきも多々あった。加えて、秀吉晩年の朝鮮出兵に伴う葛藤は、時代を超えて改めて無益な殺生だったことを思い知らされる。人間の一生への評価は、棺を覆うてから定まるとの思いを新たにした。更に、婚礼の儀の細やかさや、琴を弾き笛を吹く場面などに、女性作家らしい優雅な視点を感じたことは言うまでもない▲姫路城の城下で育った私には、今住む街にある明石城などは、天守閣がないゆえ、およそまともな城と思えない。どうしても壮大で華麗なそれと比較してしまう。まして竹田城は天守閣はおろか城の痕跡は石垣に残るだけ。しかし、それゆえと言っていいかどうか、観る人間の想像力を掻き立てる。ましてや〝霧にむせぶ城〟とは、まことに泣かせてくれる。この小説の作家・奈波さんは400年あまり前の時代に遡って、平和な楽土を夢見る為政者と一般人の、えもいわれぬ二重奏に誘い込む。「兵庫五国」と言われる中で、丹波・但馬地域は観光で気を吐く地域でもある。竹田城は、城崎温泉や丹波篠山の古民家などと並んで人気の的。コロナ禍前にはうなぎのぼりに観光客が増えていた。竹田城をNHK大河ドラマに、との運動もあると聞くだけに、この小説はもっと活用されていいのではと思うことしきりだ。(2021-7-18)

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(396)棚上げされてきた「平成の国防」ー兼原信克 編『自衛隊最高幹部が語る 令和の国防』を読む/7-13

去る6月5日に配信された、朝日記者サロン『せめぎ合う米中〜日本の針路』なる対談をネットで見た。朝日新聞政治部の倉重奈苗記者の司会で、兼原信克・前国家安全保障局次長と笹川平和財団上席研究員の渡部恒雄氏が解説する試みだった。現役時代の番記者の一人で、中国特派員も経験した旧知の同記者からのお勧めだったが、中々の知的刺激を受けた。その際、兼原氏の発言で二点興味を唆られた。一つは、昨今の中国の台頭の背景には、西側諸国の没落が始まったとの認識があるとの見立て。もう一つは、戦後日本の生き方に外務官僚として責任を自覚していると読み取れたこと。この二つから、彼の著作を読もうと思い立った▲表題の本は、正確には陸海空の3自衛隊元幹部の座談会で、兼原氏は司会役。普段は殆ど聞くことのない自衛隊の本音が伺え、滅法興味深い議論が続く。とりわけ、陸海の元幕僚長が「領土と国民を守る」戦い方の相違を巡って、激しくぶつかるくだりは生々しい。異文化のもとに培われた両組織の差異が、映像で見るようにリアルに迫ってくる。この二人は同期で、空自の元補給本部長は少し後輩。人選の巧みさが光る。ここでは、「平成の国防」を国会議員として論じてきた立場から、正直な受け止め方をほんのさわりだけ披露してみたい▲ここでの議論の前提には、中国は「力による現状変更を躊躇しなくなった」との認識がある。台湾と尖閣の有事は同時に起こるーその時に自衛隊は本当に国土、国民を守れるか。日米同盟は機能するのか。国民に備えはあるのか。兼原氏が「3名将」の奥深い戦略眼を引き出し、自らの歴史観を織り交ぜての展開は微に入り細にわたる。例えば、台湾に対して「日本の防衛装備を売って、同時にメンテナンスやトレーニング、更には空港、滑走路、港湾、道路などの軍事施設の公共事業も一緒にやってあげられるといい」との提案を示す。と同時に、これらのこと(軍民共用施設の建設)でさえ、日本は「平和主義のイデオロギーに縛られて」難しいとの現状を明かしている。このため「いっそ防衛省の能力構築支援の予算の方を拡充して」、防衛省直轄でやるといい、とまでいう▲8年前まで国会の現場にいた私としても全面的に首肯せざるをえない実態であった。だが、昨今の中国・北東アジアの情勢認識は変化を余儀なくされている。国会はコロナ禍対応一色だが、こうしたテーマを含めて関係委員会で、しっかりした議論を着実に深めていくべきではないか。この座談会では「専守防衛の日本は列島に閉じこもっていればいい」との議論が「国防」の妨げとなっていると随所で強調されている。確かに、私は「領域保全能力」のもと「水際防御」をすれば、平和を実現出来るとの考え方を持っていたし、今もこだわりがあることを認めざるをえない。同時に、「平和外交」の展開が欠かせないとして「外交」に責任を転嫁したことも。(2021-7-13)

 

 

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(395)確かにそれは突然やってきたーボーヴォワール『老い』(朝吹三吉訳)を上野千鶴子の解説と共に読む/7-6

秋の日はつるべ落としというが、私の場合、それはついこの夏に突然やってきた。これまでも徐々に歳を意識する場面に事欠かなかったが、今度ばかりは衝撃を受けている。正座が出来ず、あぐらがかけないのだ。昨今、椅子を使うことが常で、滅多に直に畳の上に座ることはなかった。ある日、座ろうとすると、右足が痛くて曲がらない。左足は左外へ回せない。しゃがむことさえままならないのである。先輩たちが会合でも、食事処でも、椅子を常用していたのを他人事と思っていたのだが、ついに自分にお鉢が回ってきた▲ボーヴォワール『老い』をNHKテレビの『100分で名著』で上野千鶴子さんが取り上げた(6月最終月曜日から毎週月曜放映)ので見た。と共に、テキストも読んだ。朝吹三吉さん訳本は上下2巻、しかも二段組の大部とあって敬遠。せめて解説本だけでも、とばかりに。上野さんについては6月16日に放映された『最後の講義』なるBSの番組も見ている。この人はボーヴォワール『第二の性』が刊行される直前に生まれ、それが世界中で話題となる過程で幼女から少女へと育った。ボーヴォワールを強く意識する中で社会学者となり、女性の権利擁護を叫び、高齢者福祉に取り組む。私の認識は「おひとりさま」なる用語を駆使する〝うるさいおばさま〟というものぐらい。背中だけ見ていたが、ようやく三つ歳下のこの人の顔をマジマジと見ることになった▲この本で最も関心を引いたのは、「老いーそれは言語道断なる事実である」との言葉と共に掲げられた6人の知識人たちの老年期の「事実」だ。例えばゲーテの場合。「ある日、講演をしている途中で記憶力が喪失した。20分以上もの間、彼は黙ったまま聴衆を見つめていた」ー彼を尊敬する聴衆は身動き一つしなかったし、やがてゲーテは再び話し始めたという。このことで私が見た二つの事例を思い出す。ある有名な先輩女性議員のケース。講演の中でしばしば沈黙された。明らかに言語障害と思われた。後の機会でも同様な場面が続き、やがて引退へと。もう一つはNHKラジオの解説番組に登場したある学者のケース。いきなり意味不明の発言を連発。司会役が「先生、朝早いからですか?それはどういうことで?」と幾たびも不可解さを指摘したが、事態は変わらずそのまんま。やがて放送時間の10分は終わった。一切説明はなかった。いずれも「老い」がもたらす災いに違いなかろう▲ヴォーボワールは学者、芸術家など知的職業人の「老い」に辛辣な見方をした。例外は画家と音楽家。上野解説では何故かは触れていない。私見では感性中心の、時代を超越した芸術分野と、理性が幅を利かす分野との違いだと思われる。政治家についても厳しい見方を提起している。「時代とより密接な関係にある」ために「(自分自身の)青年期とはあまりにも異なる新時代を理解することに、しばしば失敗する」として、代表例に英国のチャーチルを挙げている。第二次世界大戦の英雄だったが、平和期にはおよそ平凡な宰相として顰蹙を買う存在になり下がった、と。「老い」の視点を導入しないと人の一生の評価は見誤る。秀吉は日本史での最たる例であろう。さて、もはや取り返しのつかない老人になったものはどうするか。私には秘策があるのだが、ここではヒミツにしておき、明かさない。(2021-7-5)

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(第3章)第7節 400年に及ぶ「海の攻防」を分析──竹田いさみ『海の地政学』を読む

 「贅沢で濃厚な新書」との評価

 『海の地政学』の著者・竹田いさみ獨協大教授には、10数年前に衆議院海賊・テロ特別委での参考人質疑(2011年8月23日)に来てもらった。ソマリア沖の海賊問題などでご意見を聞いたのだが、改めてネットに収録された当時の様子を再聴し、懐かしい思いに浸った。20年に及ぶ現役生活で私は数多の学者、文化人と時々の政治課題を巡って議論をしてきたが、竹田さんは特段印象深い。ご専門に対するあくなき研究心と誠実なお人柄に強く惹かれたものである。

 ちょうどその当時、私は海洋を巡る国際政治の動向に強い関心を持ち、竹田さん始め幾人かの専門家と知己を得ていた。そのうちある若手研究者が海洋についての論考をまとめて本にしたいと言っておられたので、心待ちにし続けたが、結局10年余り経って未だ実現していないようだ。彼は米国における豊富な人脈がある優秀な学者である。自著を出されたらすぐに読みたいと思うのだが、まだ共著ばかりとお見受けする。そんなこともあって、海洋の歴史を辿り、現代における課題をまとめることの困難さを感じていた。

 そこへ竹田さんがサブタイトルに「覇権をめぐる400年史」とある、壮大なスケールを持つこの本を出版された。「贅沢で濃厚な新書」とのある専門家の書評の見立てがズバリ言い得ている。「揺らぐ海洋秩序を前に、我々はいかに対処すべきか」について、「近現代史を海から捉え直す」作業の所産は極めて興味深い。座右に置いて時に読み返したい価値ある労作である。

中国の編み出す「新手」を分析

 ご本人は、海に関する素朴な疑問を解き明かしてみたいと思って書き始めた。最初から海の400年の歴史を追うつもりはなかったのだが、一つ一つの断片を追い続けるうちに、一つの大きなヒストリーへとまとまっていった、という風に「著者へのインタビュー」で述べておられる。確かに、大航海時代のスペイン、ポルトガルからオランダ、19世紀のイギリス、20世紀のアメリカ、そして21世紀の中国といった海の覇者たちの歴史を縦軸にして追う。そして横軸には、海の法規範の発展過程や、民間商船の犠牲、海上保安庁の役割など、さまざまな一見無縁に見えるような題材を配置する。さらに斜軸にはエピソードもふんだんに盛り込み、全体として大きな400年の海の物語を形成しているかのように読める。

 海洋における中国の立ち居振る舞いは、改めて指摘するまでもなく、いかにも挑発的である。決して気の長くない私など、つい苛つき興奮してしまいそうになる。しかし、竹田さんはあくまで冷静に淡々と分析していく。例えば、「実効支配していない島々や海域を一方的に領有していると法律に記載し、あたかもすでに領有権があるかのようなイメージを作り上げる『新手』を編み出した」とのくだり。『新手』との表現には思わず笑った。更に「中国の法律は、中国にとって便宜的な解釈ができるように整備されている」とか、「中国側の都合で接続水域も実質的に中国の領海として扱うなど、国際ルールを受け入れていない」など、ユーモアさえ感じる表現に、優しさと知恵深さを感じさせられる。中国のこのたくらみの多彩ぶりには驚くというより呆れ果ててしまう。

 一方、専門的な解説の合間に、アメリカの有名紳士服ブランドにまつわる余談が挿入されるなど、読む者を飽きさせない。また、戦時中における日本の民間商船の哀しい歴史についても目配りがなされている。「中国軍の南進を看過し、結果的に南シナ海の緊張を高め」、皮肉にも中国の存在感を巨大化させた、〝バラク・オバマの罪〟も忘れずに触れられている。また、「大好きな新幹線での途中下車を封印してきた」との書き出しで始まる「あとがき」の苦労談もぐっと読ませる。誘い込まれた「海洋史の迷路」を抜け出すことが難しくなったとの表現に、臨場感が漂う。この人の「寄り道」の味わいを、エッセイで読みたいとの思いが募ってくる。

【他生のご縁 国会の委員会で参考人に】

 国会の委員会で参考人をお呼びする際に、尊敬する専門家をノミネートし、最終的にその方に落ち着くことは滅多にありません。冒頭に書いたように、竹田さんを私が指名し、見事に目的を果たせたのは幸運でした。そのおかげで、今なお親しくさせて頂いています。

 2011年当時は未だ中国の習近平政権誕生の前夜でした。この10年で彼の「一帯一路」構想も大きく張り巡らされ、陸にも海にも中国の「新手」が幅を利かせています。改めて竹田さんと初めてお会いした頃は、まだ中国は猫を被っていたかのような側面があったのかと思わせます。

 函館の美しさについて竹田さんは、日帰りだったので、夜景は見られなかったが、昼も絶景だった、と触れておられます。実は私は幾度かかの地に行って宿泊もしたのですが、有名な函館山からの夜景も昼景も見ていません。よほど日頃の行いが悪いのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

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(393)コレラから160年の日本の疫病対応ー小島和貴、山本太郎『長崎とコロナウイルス』を読む(下)/6-20

前回に続き、今回は長崎大学の熱帯医学研究所の山本太郎教授の講演を読む。この研究所は日本でも有数の感染症研究で有名で、今回のコロナ禍でも重要な役割を果たしている。今から160年ほど前の江戸時代末期の嘉永から安政年間にかけて、日本で流行したコレラは、この長崎から広まったとされる。中世ヨーロッパでのペストの流行はトルコのイスタンブールから。交通の要衝である両地が疫病蔓延のきっかけとなった。その後のヨーロッパや日本の近代幕開けの舞台になったとの経緯は中々興味深い▲山本さんはこの論考で、コロナウイルスと人類との遭遇を、様々な角度から考えていく。例えば、人類の歴史において、地域固有の疾病ー天然痘、麻疹、水痘、結核などーが戦争や交易などを通じて、あたかも物々交換をするかのように混じり合い、疾病の平均化をもたらしてきた。21世紀の今。新型コロナ禍のケースでは、「共生」を中心にした新たな感染症対策が必要だとされる。「共生」には壮大なコストがかかる。長崎大の片峰茂前学長の、今回のパンデミックの「収束を演出する」ために、人類の知の真価が試される、との「刊行に寄せ」た言葉は意味深長である▲山本さんは「短い期間での収束は難しく」「文明のあり方を変えていくしかない」とし、どう進めるかは皆で考えようと、読者に問いかける。「感染症との共生の在り方も、経済の在り方も、人口の推移に影響される」という。どこかで区切りをつけるための「演出」が求められるのかもしれない。人口は長期で見れば何処も同じ減少傾向にあるだろうが、短期で仮に日中比較をすればパイが違い過ぎる。その分、同次元で論じにくいのである。私見では、中国やロシアという強権的社会主義国家と、日米欧など民主主義国家の価値観の相剋が大きな課題である。これらの国家群が同じ位相でコロナとの共存を考えるというのは想像し難い。ことほど左様に前途多難である▲この講演が行われた長崎は、コレラが発症した当時、交通の要衝であり、日本近代幕開けの機縁となる明治維新の一大拠点だった。だが、今の長崎はもはや交通の要衝とはほど遠く、維新当時とポスト近代の今とでは様々の面で比べるべくもない。この辺りをどう捉えるか。各種研究機関の発信源として気を吐く長崎大学の使命は重大である。コレラからコロナへ、日本の160年とこれからを考えさせてくれる小さいがとても重い本を読んで、充足感に浸っている。(2021-6-20)

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(392)公衆衛生の仕組みを最初に作った長与専斎ー小島正貴、山本太郎『長崎とコロナウイルス』を読む(上)/6-14

長与専斎と聞いて、どんな人物かわかる人はあまりいないはず。長与とくれば白樺派の作家・長与善郎なら知ってるが、という人は少しはいるかも。専斎がその親父さん(善郎はその5男で末っ子)とは知らなかった。近代日本における公衆衛生の確立に携わった官僚だ。あの「適塾」の福沢諭吉の後任の塾頭であり、かの台湾総督民政長官として活躍した後藤新平を育てた先輩だと言った方が分かりやすいかもしれない。要するにご本人はあまり世に知られていない。だが、コロナ禍の中で注目すべき先達だとして、今大いに宣揚している人がいる。小島和貴桃山学院大学教授である▲コロナ禍と長与専斎と小島和貴ー三題噺のようだ。実は慶應義塾出身の小島さんと私は以前からお付き合いがあった。新進気鋭の行政学者だったこの人、2年前にこの長与専斎の研究で法学博士となられた。その時の論文がついこのほど『長与専斎と内務省の衛生行政』なる著作として刊行された。本の性格上、正直少々読みづらい。まずは手引きにと、小島和貴、山本太郎・講演集『長崎とコロナウイルス』の方が手っ取り早い、と読んでみた。「コロナウイルスと長与専斎の先見」とのタイトルで、明治期に官民連携の仕組みを作り、コレラなど伝染病対応に取り組んだ業績が語られている。いささか出版社の企画先行のきらいなきにしもあらずだが、医学先進県・長崎の心意気とみたい▲専斎は、①岩倉遣外使節団に随行し、西欧の医学教育制度を学んだ②「保健所」や「専門家会議」など今に先駆ける基本的枠組みを作った③「大日本私立衛生会」という官僚と住民代表の仕組みを創設した④コレラの予防のために上下水道を整備したーなどの業績は数多い。しかし、❶代表的な著作がない❷記念碑的業績がない❸地味な人物であったーなどから世にあまり知られていない。福沢諭吉と水魚の交わり的関係を保ち、後藤新平や北里柴三郎らスーパースターを育てたというのに。著者の惜しむ思いがひしひしと伝わってくる▲コロナ禍における日本の対応が諸外国に比して、後塵を拝しているかに見えるのは何故か。長与専斎の作った仕組みの原点に立ち返って、「公衆衛生」の基本に立ち向かうしかなかろう。専斎のなし得た仕事の上に胡座をかいていただけで、〝非常時想定力〟が乏しい私を含む全ての政治家の責任が問われる。それにしても、長崎という地は不思議なところだ。近代日本の魁となる偉人を数多く生み出していながら(「長崎偉人伝」なるシリーズ出版あり)、自然災害に弱く、交通事情が未だにお粗末。「あとがき」で、豪雨災害のため現地入り(2020-7-7)を拒まれた〝講演者の悲劇〟を知った。憧れの地・長崎を指呼の間にしながら近づけなかった、小島さんの切なさが迫ってくる。彼は福岡のホテルでzoom録画をし、メール送付での映像を会場で流すという離れ業を思いつく。非常時の身の処し方として学ぶべきことは多い。(2021-6-14 ※山本太郎教授の講演は次号で)

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(391)遅れてくるもう一人の巨人ー鹿島茂『渋沢栄一上 算盤編』を読む/6-6

NHK大河ドラマ『晴天を衝け』を毎週楽しみにしている人は多いはず。渋沢栄一と徳川慶喜を並行して描く手法に嵌ってしまった。かつて渋沢栄一の『論語と算盤』を読んだが、その生涯についてはあまり知らずに来た。幕末から明治にかけての歴史探訪にちょうどいい、とばかりに本屋に出かけ、渋沢関連の本を探した。そこで目にして読むことにしたのが鹿島茂『渋沢栄一』算盤編と論語編の上下2冊だ。かねて私がファンを自認する著者のものとあって実に面白く読める。現在は上巻を読み終えただけだが、こんなに惹きつけられる評伝は初めてだ。テレビとの併読をお勧めしたい▲慶喜は明治人として長生きした(76歳で大正2年まで)ことで知られるが、渋沢は昭和6年91歳まで活躍したというからもの凄い。農家出身の渋沢が武士になり、日本一の、いや世界一と言ってもいい実業家になっていったきっかけは、悪代官の横暴な振る舞いへの怒りである。「理不尽を理不尽と叫ぶ精神は明らかに(当時は)ルール違反」で、「時代の拘束に捉われない感性を持った『新人類』」だとの鹿島の渋沢認識は、この評伝の基底部を形成しており、後々幾たびか繰り返される▲渋沢が大を為すに至る大きな機縁はもう一つ。フランスへの旅。13回から27回までの記述は、ある意味で渋沢の青春記であり、これだけを独立して取り上げても十分読み応えがある。ただし、サン・シモン主義者のくだり5回分ほどは正直あまり面白くない。危うく投げ出しそうになった。ここを乗り越えれば、また興味深い読みものの連続だ。パリ万博での薩摩と幕府の鍔迫り合いは、英仏代理戦争の様相で息を呑む。これはまた日本国家の青春記とも言え、甘酸っぱい気分に誘われる▲私は先年神戸で、女性起業家の西山志保里さんのご紹介で渋沢の玄孫・健氏に出会った。爽やかな佇まいのシティボーイ風の士(さむらい)で、時々ネット上に届けられる「シブサワ・レター」に目を据える。福澤諭吉の慶應義塾で学んだ私はその昔、その孫にあたる福澤進太郎教授からフランス語を齧った。文字通り遅れて1万円札に姿を現わすもう一人の巨人・渋沢栄一。その玄孫である人に、極めて新鮮な衝撃を受けている。大河ドラマの進展もさることながら、その彼のひい爺様の算盤編を読み終え、次なる論語編へと期待は高まる。(2021-6-6 一部修正)

 

 

 

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(390)底抜けの楽観主義の果てにー半藤一利『戦争というもの』を読む/5-27

本の帯に「最後の原稿」とある。『歴史探偵 忘れ残りの記』が半藤さんの最後の著作かと思っていた。太平洋戦争を通じて記憶して欲しいと彼が願った14に及ぶ名言集である。病床の祖父から編集作業を依頼されたのは孫娘の北村淳子さん。彼女の父親は北村経夫参議院議員である。私が半藤さんと繋がったのは北村さんのお陰。その経緯については幾度も書いた。半藤夫人の末利子さんといえば夏目漱石の孫娘にあたる。エッセイストとして著名だ。そのまた孫にあたる彼女が編んだ祖父の遺言。心に深く染み入る重い本である。コロナ禍という〝異形の戦時〟に読み応え十分だった▲「一に平和を守らんがためである」ー山本五十六の言葉が最初にくる。瞬時、平和を守るために、と称して戦争は始まるものとの謂か、と誤解しかけた。「理想のために国を滅ぼしてはならない」ー若槻礼次郎の言葉も少々引っかかる。裏返して、国を滅ぼしていいのはどんな時なのか、とへそ曲がりな思いがよぎる。この人に遅れること15年。敗戦直後の昭和20年11月に生まれた私は「戦争を知らない」世代の走り。学問に、仕事に、ひたすら「戦争と平和」と格闘してきた▲この世代は「反戦」を青春の象徴として大きくなった。祖父母が生きた明治の約40年が日本が勃興する時代と重なり、父母の育った大正から昭和前期へのほぼ40年間は、この国が滅びゆく期間と重なる。自らは戦後民主主義の只中の70有余年を生きた。老境に達した今、明治の先達にそこはかとない憧憬の念を抱く。それはこの国を守りゆく〝理想の承継〟でもある。戦争の残酷さ、悲惨さは存分に知り尽くしているつもりだ。だが、観念の上での理解は突然の何らかの衝撃に、脆くも壊れ行くことも知らぬわけではない。この辺りは産経政治部長で鳴らした、淳子さんの親父さんと語り合いたいとの衝動を覚える▲この本を読み進めていく中で、妙な疑問が湧いてきた。「特攻の秋(とき)」昭和20年の初めになぜ母は妊娠したのか。お先真っ暗の「戦時」の子育てに自信はあったのか。大きなお腹を抱えて竹槍を突き出し、防空壕に入ったと幾たびも聞かされた。当時35歳を越えて応召された父は、「敗戦」を確信したとも言っていた。肝腎要のことを聞きそびれた。底抜けの楽観主義ゆえとしか思いつかない。編集に携わった淳子さんは、「この本が最後に私に手渡してくれた(祖父の)平和への願いそのもの」だと記す。さて、やがて11歳になる孫娘に、私は何を手渡すか。〝次に来る戦争〟は全くスタイルが異なるーこれしか今のところ思いつかない。(2021-5-27)

 

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(第1章)第7節 中国を舐めていると日本の低迷は続く─邉見伸弘『チャイナ・アセアンの衝撃』

 古い中国観を吹き飛ばす

 中国の経済力、科学力、軍事力など近年の国力の進展は凄まじい。実は2年前に出版された遠藤誉『「中国製造2025」の衝撃』によって私は覚醒させられたつもりだった。それでも、香港やウイグルなどでの自由・人権抑圧の報に接する度に、その評価は揺らいできた。いったい、この国はなんなのか、と。中国を分析する際に、どうしても政治の視点が経済を見る眼を曇らせる。やがて中国が世界の覇権を握るとの予測をデータの裏付けと共に示されても、頭か心のどこかで打ち消す響きが遠雷のように聞こえ、響き渡ってくるのだ。

 しかし、政治を一切抜きにした経済の現場からの報告は全く違う印象をもたらす。邉見伸弘『チャイナ・アセアンの衝撃』である。これまでの「中国観」を台風一過の青空のようにクリアにしてくれる。著者はデロイトトーマツコンサルティング合同会社執行役員・パートナー、チーフストラテジスト。豊富な図表、グラフを駆使し、章ごとに分かりやすいポイントをまとめてあり、読みやすい。

 「日系企業はここ数年にわたって中国からの撤退が続く。大きな理由はコスト増だという。同時に進出先の拠点がほとんど変わっていない」「自動車産業等においては日本企業がタイを中心に圧倒的なシェアを占めていることもあり、中国製品は安かろう。悪かろう、アフターメンテナンスでまだまだといった認識だ(中略)日本企業は簡単に切り崩せないという視点もある」──こうしたくだりには、中国の躍進がいくら著しいといっても、どうせ大したことないはずと、どこか中国を舐めた我が身には合点がいく。人権に無頓着で、お行儀も悪い、そのくせ計算高い。平気で交渉相手を騙す。そんな国民性を持った国の企業と付き合うのはとても無理だ──これが概ね日本人の「対中商売観」だと思ってきた。中国に永住を決めた「和僑」の友人でさえ、ついこの前まで中国企業との商いはよほど習熟した者でないと危険だ、との見方を振りかざして憚らなかった。

 公開情報を丹念に読み込む

 そんな見方で敬遠するうちに彼我の差は益々開いたのかもしれない。中国の都市経済圏の凄まじい発展ぶり。地続きのアセアン都市圏との綿密な繋がり。自分たちが「知らないことを知らない」うちに、怒涛のように様変わりしている「チャイナ・アセアン関係」。その実態が鮮やかに描かれていく。中国で人口が1億~2億人級の都市群が全土で5群もあるという。日本の人口は減りこそすれ増えはしない。この比較ひとつでも打ちのめされるに十分だ。

 著者は、国際会議やビジネスミーティング、会食等の場を通じた情報交換を貴重な情報源に、海外に出れば現地不動産屋の案内で、津々浦々の人々の生活を収集してきた。コロナ禍にあっても、公開情報を丹念に読み込み、筋トレをするように報道との差に繰り返し目をつけていく──この地道な作業の結果が見事なまでに披露されている。

 中国経済の異常なまでの進展ぶりは、私のような昭和戦後世代には理解が中々追いつかない。何かにつけて私の古い頭は「共産中国の見果てぬ野望」の域を出なかった。そんな思いをこの本は、生きた「経済」の観点から、「中国恐るべし」を実に丁寧に裏付け、刮目させてくれる。とりわけ中国の変化の実態を見極めるには、3つの眼が必要だとの指摘はずしりとこたえた。

 人の眼だけではなく、鳥の眼で事業・産業全体を見、魚の眼で時代の流れを読み、虫の眼で現場の動向を見る、というものである。完全に後塵を排した日本に活路はあるのか。「日本企業が知らない日本の強み」と題して、最後に「これからの生きる道」が示されている。ここで「経済」に疎い身は救いの手を得たように、ほっとしてしまう。むしろ、「生きる道はもはやない」と突き放された方が良かったのではないか。暫く経ってからの「続編」で読みたかった、などと余計なお節介気分が頭をよぎる。

【他生のご縁 尊敬する先輩の後継者】

 邉見伸弘さんは、私の尊敬してやまない公明新聞の先輩・邉見弘さんのご長男。随分前から、親父さんから消息は聞いていました。「慶應に入った、君の後輩になった」「卒業して、経済の分析をあれこれやってるみたいだ」と。それがつい先ごろ、「中国関係の本を出した。読んでやってほしい」となったのです。直ちに、注文して読むに至りました。

   親父さんは、私より4年先輩。公明新聞の土着派猛者連中にあって、理論派として光り輝く存在でした。『日本共産党批判』で市川主幹を支え、『公明党50年史』をまとめ上げた人でもあります。生前の市川さんのところに呼ばれたらいつも邉見さんが横に居られたものでした。お二人の会話を眩しく聞いたものです。

 「父から、市川さんと赤松先輩のことは、本の話と共にずっと聞いて育ちました」──頂いたメールのこの一節を読んで、心揺さぶられました。「父子鷹」を見続ける読書人たりたいと、思うばかりです。

 

 

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(388)公平とは何かに迷いーボブ・ウッドワード(伏見威蕃訳)『怒り(RAGE)』を読む/5-11

ニクソンからトランプまで、歴代米大統領9人の立居振る舞いを9冊の本として出してきた米国人ジャーナリスト、ボブ・ウッドワード。その分野の最高峰に紛れもなく位置する人物である。このうちトランプについてだけ2冊(これで合計10冊になる)も書いた。一期4年の間に『FEAR 恐怖の男』と『RAGE 怒り』の2冊である。なぜか。1冊目は歴代大統領のうち極めて特異な人物の出現に対して警鐘を乱打する思いで就任間もない頃に出版した。その中身について「不公平だ」との批判が強烈な形でトランプ周辺から発せられ、2冊目が三年後の2020年に出された▲この2冊を読む直接のきっかけになったのは雑誌『選択』4月号の河谷史夫の連載「本に遇う 事実を見ない大統領」である。とりわけ同誌の編集後記に「彼の筆による大統領列伝は、米国現代史の最良の読み物だ(中略)私たちの時代の唯一無二のライターである」とあり、「緊急事態宣言が出た時の、一気読み候補になった」との記述に、私も倣った。『大統領の陰謀』(ニクソンのウオーターゲート事件)以外は読んでいなかった。それを読む気にさせられたのは、常軌を逸しているとしか思えないトランプを、このライターがどう料理したかに興味が募ったのだ。しかも、一作目にケチがついて、いわば仕切り直しの二作目がどうなったかに▲一作目では、トランプが会見を一切受けつけなかった。一転、二作目では17回ものインタビューやら電話のやりとりもあった。どちらの側も気を遣った結果だろう。ことはトランプだけに終わらない。国防長官のマティスや国務長官のティラーソンらが辞任に至る経緯も丁寧に書かれている。一作目ではマティス始め周辺からも著者に反発があったことへの配慮だろう。そのゆえか、私が二作目で最も心撃たれたのは、マティスが中国の魏鳳和国防部長をジョージ・ワシントン邸マウントバーノンに案内した場面である▲【マティスはいった。「しかし、戦うのはもうこりごりです。戦死した兵士の母親に書いた手紙は数え切れません。もう書きたくない。あなたも書く必要はないんです」魏のような中国の軍人の大部分が、武器を持って戦う戦闘を経験していないことをマティスは知っていたー1979年の短期間のベトナム侵攻以来、大規模な紛争は一度も経験していないはずだ。戦争はとてつもなく過酷なものになるはずだということを魏に知ってもらいたいとマティスは思った】ーこの前後の描写はマティスへの配慮が目立ち、胸を撃つ。二作目は全編にわたり、著者のトランプへの気遣いが過剰なまでに溢れているが、「結論はたったひとつしかない。トランプはこの重職には不適格だ」で、終わっている。著者ウッドワードは、この作品の出来栄えには極めて不本意だと思っているに違いない。それは「不公平だ」とのトランプの攻撃に、著者の迷いがそこはかとなく窺えるからである。(敬称略 2021-5-11)

 

 

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