【34】7-④ 日蓮仏法とキリスト教の類似性━━谷隆一郎『人間と宇宙的神化』

◆出発はトマス・アクィナスの研究

 私にはとても難解な本だった。幾たび投げ出そうと思ったことか。だが、その都度、古い友人の大事な著作を、碌に読みもせずにわからなかったとは言えないと、思い直した。見慣れぬ表現に呻吟し、難しい言い回しに辟易しながら、懸命に頁を繰っていった。谷隆一郎とは、知る人ぞ知るキリスト教哲学者。我が母校・長田高校の16回生の同期でもある。

 彼は東京大工学部を卒業したが、後に文系に入り直した。文学博士になり、九州大学専任講師から最終的には人文科学研究院の教授(今は名誉教授)になった。若い頃には、中世スコラ哲学を専門にし、トマス・アクィナスの研究をしていると、聞いていた。その昔、福岡に行って出会った際に、彼が連れて行ってくれたとあるバーに東京大卒の魅惑的なママがいた。彼女が歓談の途中に、やおらカウンターの脇辺りから絵を取り出した。ピカソの描いた小品だった。妙に組合せが新鮮で驚いたことを今も覚えている。

     あれからあまり交流もないまま40年ほどの時が経った。それが突然また局地豪雨のように、手紙のやり取りをすることになったのは、「東洋哲学研究所」の親しいメンバーTさんとの会話がきっかけだ。谷隆一郎氏と私が友人だと言うと、とても驚かれた。「あんな凄い先生と、赤松さんが‥‥」と、絶句された。キリスト教哲学者と日蓮仏法を信奉する政治家とに、お互い歩んできた道は違ったものの、16歳から3年間、同じ徽章の帽子を被った懐かしい仲間なのである。優しい目つきとおっとりした風貌が、今もなお鮮やかに思い浮かんでくる。

◆七世紀の証聖者マクシモスの思想を明らかに

 この本は、「東方ギリシア教父、ビザンティンの伝統の集大成者である7世紀の証聖者マクシモスの思想を明らかにした、我が国初の本格的業績」と、される。意外にもか、当然と見るべきか、仏教との類似性を感じた箇所が幾つもあった。例えば、「われわれは他者との様々な関わりにあって、陰に陽に人を裁いたり、何らかの欲望や妬みなどに動かされたり、あるいは空しい虚栄や傲りに捉われたりすることがあろう。そうした情念を自ら是認し、執着することによって、われわれは、自分自身の存在様式の欠落を招いてしまう」(73頁)──これは、われわれ風に理解すると、「十界論」の領域のことかと思われる。遭遇する環境に応じ、体内にある十の範疇に潜在する生命状態が湧き出でてくる、というものだ。そのコントロールは唱題によるのだが‥‥。

 更に、「われわれが、外なる世界にいたずらに神を探し求めても、神はそれ自体としては見出されない。(中略)  すなわち、『わたしは在る』たる神は超越の極みであって、この有限な世界のどこにもそれ自体としては現れない。しかし、諸々のものは、あたかも神的働きのしるしないし、足跡であるかのように、遥かに神を象徴的に指し示しているのだ(ローマ一・二〇)。」(45頁)   ここは、神を仏に置き換えてみるといいだろう。そうすると、「働きのしるしないし、足跡」とは、菩薩界のことに見えてくる。そう、「仏界ばかりは現じがたし」との表現と相重なって、現実世界では仏界に代わって菩薩の働きがその象徴として具現化されることに気付く。

 日蓮仏法徒とキリスト者の違いを、信じるものの形態で比較すると、御本尊にお題目をあげる姿勢と、イエス・キリストの受難の像をおもい浮かべて十字をきる態度になろうか。その究極は、仏にならんとの思いと神に向かわんとする祈りに比せられる。そんな比較心で、第九章「受肉と神化の問題」を読むと、興味深いくだりにでくわした。「われわれにとって神化の道とは、己に閉じられた単純な自力によるものではない。(中略) 人間にいわば創造のはじめから刻印されていた自然・本性的力(可能性)が現に開花し発現してくるのだ。そしてその道は、われわれが能う限り己を無みし、神的エネルゲイアに聴従してゆくという自己否定の道行きとして、はじめて現実に生起してくるであろう」(241頁)というくだりである。

 これこそ、われわれ仏法徒が朝な夕なに御本尊を拝し、「南無妙法蓮華経」と唱える姿と同趣旨のことを言ってるように思われる。その行為こそ、万人各々の生命の内に存在する仏界という最大の自己の持つ可能性を開花させ、涌現することを意味する。「能う限り己を無みし、神的エネルゲイアに聴従云々」とは、一心不乱に、広宣流布を祈ることと同義であろう。違いよりも、類似点をあげる方が異なる存在の行く手を平和なものにすることは、ここでもあたっている。信仰生活58年にして、まじめにキリスト者の本を初めて読んだ。今後の我が行く手に与える影響やいかに。

【他生のご縁 キリスト者と日蓮仏法徒の語らい、いつの日か】

 その昔。「赤松って、法華経を信仰してるんだよね?一度ゆっくり話したいね」と水を向けられたまま、月日が経ってしまった。その道一筋の巨人になってしまった谷さんと、「政治と宗教」の二刀流の私とが語り合えばどうなることだろう。どこかの雑誌にでも声をかけようかと、夢見ているのだが。

 

 

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【33】「共存化」が求められる時代─━森山まり子『クマともりとひと』を読む/5-7

  「『日本熊森協会』って、知ってますか?」──過去20年あまり、こう私が訊いて、「ああ」とか「うん」とか「勿論」と答えてくれた人はゼロ。全国に2万人近い会員がいる日本で最大級の自然環境保護団体だというのに、である。すでに26回の年次総会が開かれている。私がこの会に関わったのは、議員になって間もない頃。三宮での駅頭演説の最中に、宣伝カーの上から見てると、クマの似顔絵と共にその名が書かれた幟が目に飛び込んできた。それいらい、あれこれ文句や注文ばかりつけながらも、この協会をサポートし続けてきた。別にクマが凄く好きというわけではない、森の大事さは分かるけれど、まあ普通である。にも関わらず、顧問を引き受けてから、ずっと休まず応援してきたのはどうしてか?前会長の森山まり子さん(現名誉会長)に不思議な魅力を感じるからだという他ない。

 その森山さんの講演を聴いて直ちにファンになり、応援しようと思った人は少なくない。それくらい、この人の話は説得力がある。『クマともりとひと』は、その森山さんの講話要旨であり、同協会の「誕生物語」である。実はこの本(60頁ほどの小冊子)は読んだことがなかった。お話を幾たびも聴いているから、別に読まずとも、と思っていた。しかし、先年、福岡防衛局に馬毛島のマゲシカ保存の要望のために、私が伊藤哲也同局長にアポを取って同行することになり、改めて読むことにした。JR西日本の新幹線車中で、読んでるうちに思わず、じわっときた。この協会の誕生は、中学校の理科の先生をしていた森山さんのところに、ひとりの女生徒が新聞記事を持ってきたことに始まる。ツキノワグマが絶滅の危機に瀕していることを伝えていた。1992年のことである。

●生きとし生けるものの共存

 森山さんは「森を消した文明は全て滅びている」ことは知っていても、クマと森との因果関係には思いが及ばなかった。絶滅するクマについては既存の様々の自然環境保護団体が取り組んでいるはず、と思い込んでいた。ところが現実にはそんな団体は皆無。「科学がどんなに発達しようとも、自然なくして人なし。自然あっての人間だ。その自然というものは、無数の多様な動植物が互いに密接にかかわりあって、絶妙のバランスの上に成り立っている。自然を守るということは、生物の多様性を守ることである」と、普段子供たちに教えている自分が逃げるわけにはいかない。そこから、生徒と教師の〝チーム森山〟の格闘が始まった。

 クマについては、誤解が多い。「本来、森の奥にひっそりと棲んでおり、見かけと正反対で大変臆病。99%ベジタリアンで、肉食を1%するといっても、昆虫やサワガニぐらい。人を襲う習性など全くない。人身事故は、こわがりのクマが人間から逃げようとして起こす」ということが殆ど理解されていないのである。森の荒廃が進んでおり、エサを求めてクマが人里に降りてくることから、人とクマの悲劇が常態になった。それをあらためるべしと、熊森協会はあくなき活動を展開している。4年前に新しい会長が誕生した。室谷悠子さん、当時の女子中学生のひとりで、今は弁護士である。2人の幼な子をかかえて、見事な後継を果たしている。

 先の総会の挨拶で、私は『77年の興亡』にことよせ、時代を振り返った上で、次の77年を展望した。明治維新からの77年間、日本は「近代化」を求め続けた。第二次世界大戦の敗北から今日までは、「民主化」を求め定着させた77年であった。そして、これからは、「共存化」の時代でなければならない、と。人間同士は国家の体制の違いをのり超えて、また人間と大型野生動物からコロナウイルスまで、生きとし生けるものの共存が求められてくる、と強調した。歴史観に基づき、熊森協会の果たす役割が大きいことを明らかにしたかったのである。この本は、そうしたことの背景を解き明かす、小さいけれど、とて大きな内容を持っていることを強調しておきたい。

★【他生のご縁 熱血溢れる環境保護団体のリーダー】

 三宮駅前で街頭宣伝活動をして鉢合わせしたあの日から、こんなに長きにわたってお付き合いをすることになろうとは。森山さんとは、幾たびも論争したものです。本当に純で、真っ直ぐで、パワフルな人です。日本最大級の自然環境保護団体のリーダーとしてこの人ほど魅力に溢れた人はいないと思います。

 先に、私が朝日新聞Webサイト『論座』に熊森協会のことを書くと言ったところ、岡山県と兵庫県の県境にある若林原生林地区に行きましょうと、誘ってくれました。実に20数年ぶりでした。人工林との違いを知るためにと連れて行ってくれた思い出の場所再訪です。影響力ある媒体に原稿を書くのなら、原点に立ち返って、現場を取材すべし、との親御心ならぬ先輩心からでした。有難いことと感謝しました。お陰で、力作を書くことが出来たと自負をしています。

 

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【32】政治は30年前に舞い戻ったのかー川上高志『検証 政治改革ーなぜ劣化を招いたのか』を読む/5-2

 

 昭和末から平成初頭にかけて政治改革の嵐が吹いた。あれから30有余年。当時の人々が期待した方向に政治は変わったのか。共同通信の記者である著者が具体的事実を分析し、検証をした。この種の本をここでも幾冊か取り上げてきた。それらは、政治学者によるものが多く、30年経って政治改革を改めて必要とする事態に舞い戻ったようだとの認識で一致していた。この本は、大筋同様の展開がなされているが、現場を見てきた政治記者によるものだけに迫力が違う。結論は「政治改革」どころか、無惨な「劣化」で、「『政治主導』が『強すぎる首相官邸』となり、野党の弱体化と併せて『一強多弱』と呼ばれる政治状況に至っている」と。この期間、プレイヤーの一人として生きてきた私は、深い無念さを抱く。ここでは、公明党の役割に絞って考えてみたい◆30年前の「政治改革」では、38年続いた自民党「一党独裁」から、より交代が可能な仕組みに、と小選挙区比例代表並立制が導入された。確かに政権交代は2009と2013年の二度起こったものの、その前後20年余は自公連立政権が続いている。著者はその原因に、野党の迷走と「補完勢力」としての公明党の存在などを挙げる。「公明党が政策的には違いを抱える自民党を支えることで、政権交代の可能性を小さくしているのは確かだろう。それが、政治の『責任の帰属の明確化』にマイナスに働いている側面は否定できない」というのだ。例えば、「もり、かけ、さくら」と揶揄される自民党中枢の〝犯罪的行為〟を、一昔前の公明党なら許すはずはない。厳しく追及したに違いない。また、「安保法制」のような違憲の色彩が濃い政策にも同調はしなかったはずである。それを玉虫色決着にした。これらによって政権交代は遠のいたとの指摘は間違ってはいない◆この辺りをどう見るか。政策の違いがあっても連立を解消しない公明党には、支持者間でも賛否両論がある。連立解消をすることは、政治の混乱を招くだけ、「安定」が全ての根幹だとの見方が連立持続賛成論だ。一方、「改革」あってこその中道政治、本旨を曲げてまで与党であろうとするのは無理があるとのスタンスが連立一旦離脱論だろう。私は、後者の立場に立つことを『77年の興亡』で表明した。勿論、「改革重視」に主眼があり、「連立離脱」が目的ではない。「改革を忘れた安定でいいのか」ということにつきる。その意味では、安倍政権末期の権力悪用と見る他ない、一連の〝首相の悪事〟には厳しい批判の刃を向けて欲しかった。他方、安全保障分野では、徒にブレーキばかりをかけるのが能ではなく、歯止め付きの推進力も講じる必要がある。ここを見定める複合的視点がこの著作にない。この点は惜しまれる◆最大のポイントは、最終章の「新・政治改革に向けて」である。ここでは、選挙制度、政党、国会の改革と、公選法など現行制度や政官関係の見直しをすることで、国民との信頼を回復すべきだと貴重な問題提起をしている。しかし、いずれも解決に時間がかかる。手っ取り早く「新しい政治改革」に着手するにはどうすればいいか。私は、自公両党中枢が長期的課題を恒常的に議論する場を設けることが最優先されるべきだと思う。憲法、財政、エネルギー問題などを巡って、腰を据えた議論をすることである。ここを曖昧にしたまま、「連立維持のための安定」のみに捉われていると、国家の方向を誤ってしまう。まず虚心坦懐に改革の方途を自公両党が議論する。ここから日本の政治の風景がぐっと変わってくるはずと確信する。(2022-5-2)

 

 

 

 

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【31】失明のパンデミックと極限状況の恐怖とージョゼ・サラマーゴ『白の闇』(雨沢泰訳)を読む/4-24

 単純率直に言って面白くて滅茶苦茶怖い本である。1995年にポルトガルで刊行され、瞬く間に話題になり、1998年にジョゼ・サラマーゴはノーベル賞を獲得した。この2月にNHKテレビで放映された『100分deパンデミック論』に取り上げられたのを観て、読む気になった。その番組で作家の高橋源一郎氏が解説していたように、カミユの『ペスト』では取り上げられていない、被害者側(失明者)の立場から書かれている分、同じパンデミックと言っても全く「凄み」が違う。一人を除いて登場人物全員が失明状態になってしまう。会話が括弧つきなしで、交互に出て来るうえ、説明文も時に挟まれ延々と続く。しかも名前は一切出てこず、最初に失明した男、医者、医者の妻、サングランスの娘等と言った調子。一見読みづらい文体だが、テンポ良くぐいぐい引き込まれていった◆交差点で前にいる車が動き出したのに、真ん中の車線の先頭の車が動かない。当然ながら後続の車はけたたましくクラクションを鳴らす。立ち往生した車の回りに人が集まり、閉じた窓ガラスを叩いたり喚いたりする。ハンドルを握った男は何ごとか叫んでいるのだが、わからない。車のドアがやっとあけられたとき、何を言ってるのかわかった。目が見えない、と。このあと、運転者と接触した人間の眼が次から次へと見えなくなる。運ばれた先(この時運んだ人は見えていたがやがて失明する)の眼医者も。また患者たちも。この流れが実に怖い。舞台はやがて収容先にあてられた精神病院へと移り、失明者が次々と運び込まれていく。そこでの惨状が一人だけ見える(理由はない)医者の妻の目線で明かされる。ものは口から入れ、下から出す。食い物をめぐる争い。排泄された汚物の上を歩き、転ぶ。どこまでも汚くとんでもなく臭い事態が克明に明かされる。監視する役目の男たちとの諍いは死を招き、やがて〝性の魔の饗宴〟へと堕していく◆後半は収容所から一応〝自由な〟外界へ、と。といっても見えない環境は同じ。視覚、聴覚、味覚、臭覚、触覚の五感のうち、どれが壊れて使えなくても立ちどころに人間は危急存亡の危機をきたすが、とりわけ外から無惨に見えるのが視覚障害。みんな見えない状態は不遜だが滑稽でさえある。そんな情景がこれでもかと繰り返され、読む側は苦痛さえも。パンデミックの究極は人間存在の危うさと惨めさを否が応でも突きつけてくる。様々な小説を読んできたが、リアルなえげつなさにおいて超突出している。水がなくて雨を渇仰し、食う物がなくて‥‥。紹介も憚る場面がうち続く。『ペスト』についでノーベル賞をとったパンデミック作品だが、これを上回る人間の哀れさを催す小説はこれからもちょっと出てこないのでは◆作者は、ここで何を訴えたいのか。女がいないと何も出来ない男のひ弱さ、そのくせ平時は偉そばるどうしよもなさ。眼が見えているようでいて、ことの本質は何も見えていない人間の弱さなどに考えは向かう。いったいどういう結末にするつもりなのか。終わり方が気になる。ひょっとして、ずっと見えていた医者の妻が見えなくなって、ジ・エンドなのか?突然見えなくなったから、また突然にみんな見えるようになるハッピー・エンドなのか?ある意味でパンデミックの極致と言える設定である。宗教との関わりが最終局面で登場するが、いたって暗示的なのが気になる。ともあれ、生まれたまんまの人間は本来いかに無力か。それを再認識する。風呂場で、昔日の面影が遠い我が裸体を見ながら、何故か見たこともなく見たくもない〝プーチンの裸姿〟が脳をよぎる。(2022-4-24)

 

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【30】逆転、横転、自由自在にー網本義弘『発想考楽ーふと思うことを楽しむ』を読む/4-19

 「発想工学」なる珍しい学問を専門にされる元九州産業大学教授がおられ、その人は我が母校(長田高校)の一年先輩で、とてもユニークな人だと聞いていた。その網本義弘さんに会う前に読まねばと、『発想考楽──ふと思うことを楽しむ』を読んだ。この本、表紙が表と裏とに二つある。どちらからでも読める。バーコードのついている後ろから読むことにした。読売新聞西部版に連載(2006年)された随想が20本並ぶ。このうち、「モンスーン応用 雨を利用した国土づくりと発電」では、故高橋実氏(原子力エネルギー研究者)の「鋼矢板ランドフォーメーション(国土造成)作戦」に網本氏が刺激された話が紹介されていて、面白い。

 全土を碁盤の目のように区分けし、格子部分が水路となるよう工事用の鋼矢板(鉄板クイ)を打ち込む。水路内部の水没した部分の土と水をポンプで一緒に吸い上げ土地部分に入れていくと、水が鉄板のすき間から水路側に排出され、土砂だけが積もっていく。これを繰り返し、天日で乾燥させれば、はい、人工台地と運河が一石二鳥で出来上がり‥」──これはヒマラヤの麓で水害に喘ぐバングラデシュを救うために提案されたものとのこと。これに発想を得た網本氏は、「商店街のアーケードをダムとし屋根に水をため、雨が落下するエネルギーで発電すれば『雨が降れば光り輝く商店街』が出現する」と、水力発電の超小型版を提案。「為政者の決断力に掛かっている」と結び、政治家に下駄をあずけている。

 ●杖代わりのキャリーバッグ

 一方、環境デザイン誌に連載(2013-2020)の方は、「デジタル折り紙発案」「筋交いトラス空間の温故創新」などといささか難解な着想によるものが25本並び、「誰もがアッという間にデザイナー」と銘打たれた、様々なデザイン術も公開されている。デザインに関心ある向きには垂涎の的に違いない。そんな中で、異職種交流会の展開について書かれているくだりが目を引いた。音楽から天文学までの多種多彩な職種の人々と交流をされている姿は極めて興味深い。米韓中の会合に日本人の網本氏が「中国代表」として参加したという。よほどの中国通に違いない。昨今の中国事情を聞きたいとの思いが募った。そこで去る15日に博多天神のNホテルで、高校同期の大谷忠彦福岡工大理事長と3人で会った。超ミニ同窓会だ。現れた網本氏の手にはとても大きな旅行用キャリーバッグが。挨拶もそこそこに、どこかからのお帰りですか、それともこれから?と訊くと、いや「杖」代わり、だと。いきなり発想の妙味を思い知った。テーブルに着いてからは、次から次へとご自身の来し方を語られた。

 その内容が尋常ではない。もの作りに関心が強く、小学生になってからケント紙で、いろんなものを作った、と。例のバッグから写真に撮られたコピー用紙を取り出された。ボート、建築物、戦艦大和に至るまで、多種多様なものが本物と見紛うばかりの出来栄え。これ、全て紙で出来上がっているものなのである。実に見事という他ない。技術工作が最大の苦手だった私など、この瞬間からもうお手上げ。高校時代も、もの作りに没頭したため通常の勉強は殆どせず。成績も下位。それを東京教育大(現筑波大)からは総合的もの作りで鍛えた猛烈極まる集中力で、あっという間に成績は向上、見事合格してしまった。更に大学を休学して、2年半ほどかけて欧米を無銭旅行した、と。

 しかも帰国後『ギリシア讃歌』(原書房)なる本まで出版。まさに行動において『なんでも見てやろう』の小田実を超え、書くものにあっては『アポロの杯』の三島由紀夫並み。ただただこちらは拝聴するのみ。元新聞記者としてはこれではいかんと、「現在の中国をどう見られるか」と辛うじて口を挟んだ。答えていわく、9年前のUNESCO北京サミットの講演で、登壇寸前にテーマを変えて、「平等民主主義」なるタイトルで話した。以来、招かれなくなった、と。うーん。最後の最後まで圧倒され続けた1時間半だった。

【他生の縁 ユニークな「網本私塾」の塾生】

網本さんの大学の卒業生のひとりに姫路市在住のA君という造園業を営む、個性豊かな私の古い友人がいます。彼は九州産業大後援会の幹部ですが、同時に「網本私塾」の塾生として、しばしば姫路からはるばる福岡に足を運んだといいます。

 現代においてどの分野であれ、いわゆる古典的師弟関係を貫くことは珍しいと思われますが、このほど網本さんに直接お会いし、その後もやりとりを繰り返してみて、さもありなんと思いました。一途に真なるものを求め、破天荒な生き方をするA君の姿を見るにつけ、この師あらばこそと、改めて腑に落ちたしだいです。

 福岡周辺には高校同期が6人ほど健在しています。いずれ劣らぬ多士済々の面子。網本先輩を囲んで集まればさぞ面白いはずだと、大谷君にけしかけていますが、さてどうなることやら。

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【29】印象深い悲観的結論ーロジェ・カイヨワ『戦争論』を読む/4-10

 ロジェ・カイヨワの『戦争論』を手にしたのは、私が議員になってしばらくの頃。もう随分前のことになる。それを改めて読む(正確には、見る)気になったのは、NHK『100分de名著』の放映がきっかけだ。3年前のものがこの4日に再放映された。もちろん、「ウクライナ」を機に、「戦争」を考えようという人のために、企画されたに違いない。2019年の時点では、もちろん今回のような事態は想像すらされていない。改めて「戦争」を考えるうえで、種々刺激になった。で、戦争の悲劇を起こさぬためにはどうすればいいか。カイヨワの結論は、「人間の教育から始めることが必要である」としたうえで、「とはいうものの、このような遅々とした歩みにより、あの急速に進んでゆく絶対戦争を追い越さねばならぬのかと思うと、わたしは恐怖から抜け出すことができない」という極めて悲観的なものであった◆「プーチンの戦争」と呼ばれる今回の「戦争」を巡って考えることを三つあげたい。一つは、「対テロ戦争」はあっても、もうないだろうと思われた〝国家間戦争〟の再来であることだ。20世紀末にはNATO諸国や、米国を中心とする有志国が懲罰の意を込めて、他国を攻撃することはあった。だが、国連の常任理事国が白昼堂々と、宣戦布告もなしに一国だけの決断で隣国を侵略するということは記憶にない。この当事者の2カ国はルーツを辿れば、かつてはソ連邦を形成していた兄弟国だけに、〝変形した内戦〟と言えるかもしれない。日本で言えば遠い昔の鹿児島藩の琉球攻撃のようなものを連想する。時代の逆行も甚だしい◆二つ目は対決する政治体制の枠組みである。現在刻々と伝えられる情報によれば、国連(国際連合)の場でロシアを非難する声は、西側欧米諸国およびその傘下の国々においては強まる一方だ。かつて、日本が1935年(昭和10年)に国際連盟を脱退し、松岡洋右外相が議場を退出した時のことが頭をよぎる。勿論時代状況は大きく違うが、その後第二次世界大戦へと繋がっていったため、凶暴性を持つ国家を追い込むことついては不吉な予感が漂う。その後ドイツ、イタリアなど全体主義国家の連携が形成されていったが、いままた、中国、北朝鮮など専制主義国家がロシアに共鳴する方向を鮮明にしようとしている。この30年ほどポスト冷戦の時代と呼ばれる中で、ロシアも中国も共産主義から社会主義、そして擬似資本主義国家の様相を強めてきていたが、それと反比例するかのように、非民主主義的傾向を強めてきているのだ◆三つ目は戦争突入の口実について。プーチンのロシアが今回の軍事行動に踏み切った理由は、NATOによる攻勢でかつての宗主国の地位が脅かされていることへの反発であり、東部の親ロシア地域でジェノサイドが発生しているとのフェイク情報が口実とされていることだ。これは、21世紀初頭の米英を中心とする有志国のイラク戦争の際のいいわけに似ている。あの時はイラクの大量破壊兵器保持と北部クルド人居住地域での大量虐殺が大義名分に使われた。内実は似て非なるものとはいえ、無辜の民が犠牲になったことは同じである。当時と今と、戦争を起こした側の米欧とロシアが使った言いぶりの類似性に大差はないのに、国際世論の差異は大きい。かつてイラク戦争の際の日本で、今回ほど被害民衆を慮る動きはなかった。『戦争論』の結論から極論すれば「プーチンへの教育」がなされないと、〝恐怖の事態〟は続く。何ともやりきれない思いだ。(2022-4-10)

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【28】3-③ 非凡な人を襲った「非常」━━森本穫『川端康成の運命のひと伊藤初代』

◆非常事件の解明に向けた推理小説のおもむき

   川端康成に一連の「初恋小説群」があることはついぞ知らなかった。そんな私が『川端康成の運命のひと 伊藤初代』なる本を手にした。かねて尊敬する文学博士の森本穫さん(川端康成学会特任理事、元賢明女子学院短期大学教授)から頂いたのである。石川九楊の装幀による、ただならざる佇まい(表紙は康成と初代のツーショット)に魅かれて頁を繰っていった。

 序章「九十三年前の手紙」の書き出し「忘れられない出来事だった」から、七年前のNHK の「ニュースウオッチ9」へ。いきなり引き摺り込まれた。そこからは文字通り、巻を措く能わず。推理小説を読むように。実は森本さんは「松本清張」にも造詣深く『松本清張──歴史小説のたのしみ』なる著作があり、以前に読書録で取り上げた。そこでは「推理」だけでなく「歴史」のたのしみを追ったところに、より深い「清張理解」が感じ取れたものだ。

 康成は、一高生のとき、東京本郷のカフェ・エランで女給をしていた初代に出会う。寮が同室だった仲間3人と一緒に。21歳と14歳だった。初代は15歳の晩秋に岐阜のお寺に養女として預けられた。愛が芽生えて直ぐに、離れ離れになってしまう。手紙のやりとりをするなかで当然ながら愛は育ち、1年後には結婚の約束までするに至る。ところがほどなくして突然初代の方から断りの手紙が届いた。その手紙には「(私には)非常が有る」、「非常を話すくらいなら死(ん)だほうがどんなに幸福でせう」との衝撃的な言葉があった。「非常」の意味を探るべく謎解きのように舞台は進む。

 川端文学研究者の間では、初代の心変わりは何故かをめぐって、諸論入り混じるも、 長く曖昧なまま放置されてきたという。この「非常事件」の真相を明らかにすることに、森本さんは執念を燃やしてきたのだが、ついにこの本で解明に至る。驚くべき結末には暗澹たる思いを持つ一方、さもありなんとの妙な合点もいだく。推理小説の赴き大なるこの本ゆえ、あえて「タネ明かし」はしない。ぜひ、興味を持たれる向きは、読まれることをお勧めしたい。

 康成といえば『雪国』と並んで『伊豆の踊り子』が有名だ。20歳の10月末から11月7日まで伊豆への一人旅をし、踊り子と親しくなった、と巻末の康成と初代の詳細な年譜にある。初代との出会いのほんの少し前。かの「踊り子」のイメージとダブったのかどうか。多くの日本人の初恋の原風景。それぞれの意識の奥底に共有されているかもしれない。ここで改めて文学研究者なる種族の〝非常なる習性〟に関心を持たざるを得ない。

◆非凡な作家と文学研究者の〝美意識への追求〟

 森本さんはあとがきで、冒頭に述べたメデイアに公開された未投函書簡から、「大正10年(1921年)秋の岐阜を舞台にした初恋の頂点ともいうべき日々の息づかいが聴こえてくる」と記す。これらを一読して謎の解明を直感した同氏は、ことの真相を明らかにすると共に、「川端康成の青春、生涯に決定的な影響を及ぼした女性・伊藤初代の生涯と人となりを描く」ことに情熱を傾け続けた。

 読み進めつつ幾たびか疑問が浮かんだ。美にまつわる類稀な表現を残した作家が愛した女性。だがその人は康成との破談ののち、ひとたび結婚し子どもをひとり授かり、その夫が病死したあと再婚し男女7人もの子をもうけている。運命のひとと呼ぶのはいささか違うのではないか。非凡な作家と文学研究者の〝美意識への追求〟に、平凡な男による謎解きが読後に始まった。

 前者への解は、ドナルド・キーンの『日本文学史』近代・現代編第4巻の中に見出せる。キーンは、「生涯を通じて処女に、神聖な女性に、魅せられていた」と、康成の求めた「美の真髄」について紹介している。その中に、康成は「最初の恋愛体験、すなわち、彼を裏切った女性に求めて」おり、「現実生活の失恋の痛手が小説中の女性に影を落とし」たとの、ある評者の見立てがあった。三島由紀夫始め数多ある評の中で最も馴染みやすい。

 一方後者への解は、『川端康成初恋小説集』の巻末にある川端香男里(ロシア文学者)の解説に発見した。そこでは、川端文学における2系列の分裂(成功した作品群と苦渋に満ちた作品群の相克)の背景を述べたうえで、「事実性の尊重という骨格は決して消え去ることなく、陰に陽に作品を支える構造になっている」と結論づけている。康成の心を捉えた初代という存在を追い続けた森本さんの思いには、分裂したかに見える川端文学の総体を掴みたいとの「非凡」さがあったはず。平凡な読者は感嘆せざるを得ない。

【他生のご縁 おやさしいお人柄に感銘】

 淳心学院高(一期生)から早大に学ばれた森本穫さんは、私より三つ歳上。姫路の地には共通の友人も少なくありません。お聞きすると、私の義母と森本さんのご夫人がかつて俳句を一緒に学んでいたとか。後々になって聞く始末。人生後半に漸く知己を得たのが悔やまれますが、その膨大な知的所産を遅ればせながら吸収中です。

 改めて、おやさしいお人柄に感銘し、弟子の作家・諸井学さんを交えて、時々の出会いを楽しんでいます。

 

 

 

 

 

 

 

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【27】どこまで続く「理想」と「現実」のせめぎ合いー太田、兼原、高見澤、番匠『核兵器を本音で話そう』を読む/3-28

 原爆投下後77年。これまで核兵器をめぐる〝本格的な議論〟は日本ではなされてこなかった。つまり核廃絶と核抑止の双方を冷静に一つのテーブルの上で論じることはなかったということである。世界で唯一の被爆国として、核廃絶は当然のことであって、核抑止などという考え方そのものが間違いだとの立場が隠然とした力を持ってきた。いわば、建前が本音を押し隠す風景が常態だったのである。しかし、この本での軍事・外交の専門家4人の座談会は、核兵器をタブー視せず本音ベースで語り合った、一般人にとっては珍しい本である。時あたかも、ウクライナ侵略におけるロシアによる核使用が現実味を増す中での出版。緊張感が漂う只中、核兵器をめぐる広範囲な角度からの問題提起がなされており、実に読み応えあり興味深い内容である◆私は核廃絶の立場から、核抑止の議論にどう対抗するかの観点に拘ってきた。この座談会では率直に言って、1対3。核廃絶に基盤を置く論者は太田昌克氏(共同通信編集委員)だけ。あとはいずれもそれは「理想」であり、国際政治の現場では意味をなさないとのスタンスに立つ。あたかも3人の老獪な大人にきまじめな青年が虐め、諭されている赴きなきにしもあらず。現状は百もわかった上で、「理想」にこだわり、「現実」をどう変えていくかの議論を組み立てていくことに関心を持ちたい。この本は様々な受け止め方があろうが、私は太田氏の主張に与する立場から、従来からの核のタブーを乗り越える議論をどう組み立てるかに関心を寄せた。この本の本来の趣旨と反対側から考えよう、と。読み終えて改めてスタートに立ったとの思いが強い◆最大の読みどころは、以下のくだり。核抑止派の兼原氏の「お互いに怖いから撃たない」ための議論が大事で、「戦いを始めないために、万全の準備をする」のであり、「構えていないから戦争が始まってしまう」という論理に対して、核廃絶派の太田氏が「そういう局面に持っていかないような他の努力、外交戦略があってしかるべきではないか。なぜそこまで究極のシナリオを考えて、そこへ突き進んでしまうのか」とのやりとりである。それに対して、兼原氏が「それは逆だと思います。最悪の究極シナリオを考えて、その地獄が見えるから、小競り合いの段階からやめようというのが核抑止の議論」だと押し返し、太田氏が「そこはそうかもしれませんが‥‥」とつぶやいて、終わっている。この情景は、恐らくこの場面での登場人物の「歳の差」と「多勢に無勢」がなせるわざだろう。背景に浮かぶのは、昔ながらの「恐怖の均衡」論と、「平和の外交」論という、現実派と理想派の対立である◆「恐怖の均衡」があったればこそ、キューバ危機を頂点とする「米ソ核対決」は本当の地獄を見ずに済んだのかもしれない。だが、その後の世界はまた違った風景を生み出すに至っている。今回のプーチンの核恫喝は「強者の狂乱」かもしれないし、北朝鮮による「弱者の恐喝」は、いつ何時、新たな地獄を起こすやもしれない。つまり、兼原氏のいうような地獄の局面を見る見ないに関わらず、各地域の首謀者の想定外の行為は起こりうる。それをどう防ぐのか。「恐怖の均衡」は〝ワルの火遊び〟に加わることだとの危惧は拭いかねないのだ。尤も、従来通りの「もっと平和外交を」の声も、〝善人の空騒ぎ〟に終わるかもしれない。結局は、この本での唯一の合意点とされる「国民の目に見える形で現実的な議論を戦わせることの必要性」に落ち着く。ああ、それにもう一つ。兼原氏が繰り返す「政治家の資質の向上」も見落とされてはならないのだろう。(2022-3-28)

 

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【26】こんな政治に誰がしたー御厨貴、内田樹他『自民党 失敗の本質』を読む/3-20

自民党の失敗とは何か。8人の論者が次々とその非を打ち鳴らす。昔の自民党はもっとまともだったのに、全く違う政党になってしまったかのようだ、と。昔のこの党を否定し、まともな党にしようと、政権の内側からの改革に取り組んできたはずの公明党。その一員である私にとって、読むのが辛くなった。自民党の今日の姿に、公明党の責任はないのか。失敗を言い募る人たちに失敗はないのか。次々と異なった疑問が湧いてきた。歌の文句じゃないけれど、こんな党に誰がした?ー読まずともわかるなんて言わないで、読んで見てください。以下、ほんのさわりを気がつくままに◆8人のうち、自民党代議士が石破茂、村上誠一郎両氏、そして現在は立憲民主党の小沢一郎氏。石破氏は「言語空間」の機能不全が脆弱化の因だとする。彼は自民党を出て、私と同じ新進党に所属していた。復党して幹事長にもなり、幾たびか総裁選にも出た。その都度励ましたものだ。村上氏も自由闊達な議論がなくなりつつあると嘆く。自民党内クリーン派閥の三木・河本派に所属した。この人には〝一匹狼〟でなく、多数派工作をして仲間を募って総裁の座を狙えとけしかけた。小沢氏は信念を語る政治家が消えた、と。かつて私の記者、政治家としての仕事上の大先輩・市川雄一氏と共に、様々な場面でご一緒した。自民党をぶっ壊すと言った首相と共に、自民党を今のようにした張本人は実はこの人かもしれないと、私は思ってきた◆学者が2人。政治学者の御厨貴氏と思想家の内田樹氏である。共に現役時代に一度だけだがじっくり話したことがある。前者とは、放送大学で「権力の館」という講座を受講した。戦前戦後の政治家達の住まいからその人物像を炙り出す狙いのもので、面白かった。後者とは、合気道を学び損ね、挫折した私が座学での教えを乞うたものだ。「今からでも遅くない。もう一度挑戦されたら」とけしかけられた。御厨氏は「安倍さんが再選された時から時計の針は止まっています」という。愕然とする表現だ。内田氏も安倍再選後の9年で、「株式会社化した自民党」にはイエスマンしかいなくなった、と強烈だ。御厨氏は「共産党は勉強しています」し、「(共産党は)常に党内で学びを共有しています」と強調している。そういえば先の講座で、同党本部内の図書館風の場所を見た際の衝撃を思い出した。内田氏の「立憲民主党はふらふらしてどうも信用しきれないと批判する人がいますけれど、立憲民主党は『ふらふらする政党』なんですよ。それが持ち味なんだから」の発言には笑えた。学者らしい持ち味の言いぶりに妙に納得する◆笑えないのが、この本に一切公明党の話が出てこないことである。どこに出てくるか期待しながら読み進めた(他には元官僚2人と新聞記者)が、最後まで遂に出てこなかった。寂しいことこの上ない。維新、国民民主党もちょっぴり登場するし、令和新選組の代表さえも。平成の30年を総括する一連の試みに、私が見た限り、全く公明党がスルーされている。これに大いに異議を唱えている私としては、見過ごせない。自民党がこんな体たらくになって、連立パートナーの公明党は喜ぶべきか。悲しむべきか。私は「55年体制」打破に青春をかけ、一転政治家になった中年以降には「自民党を変えること」に執念を燃やした。複雑な思いだ。この本を読み終えていま、「自民党の失敗」でなく、「日本の政治の失敗」ではないのか、と疑問は広がる。ただただ、暗然とするしかない。(2022-3-20)

 

 

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【25】全てがすっ飛んでしまったー北海道新聞社編『消えた四島返還ー安倍政権日ロ交渉2800日を追う』を読む/3-9

 今からほぼ3週間前の2月16日のこと。北海道新聞の斎川誠太郎東京編集局長が神戸にやってきた。私にインタビュー取材をするためである。20年ほど前に公明党番記者をしていた彼とは親しい仲だった。そのこともあり、依頼に二つ返事でオッケーしたのは2月の初めだった。読売新聞に私の著書のことが報道された直後。電話の向こうの彼は「読売さんに先を越された」とちょっぴり残念そうに呟いていた。取材を受ける前に彼が鞄からおもむろに取り出したのが一冊の本。ブルーの色鮮やかな表紙に、プーチンロシア大統領と安倍元首相が向き合った写真の背景はイエロー地の帯(まるでウクライナの国旗カラーのよう)。『消えた四島返還ー安倍政権 日ロ交渉2800日を追う』だった。「我が社あげてまとめた力作です。よく書けてると評判ですから、ぜひ読んでみて」と手渡された◆その後10日も経たぬうちに、ロシアがウクライナを侵略。世界の情勢は一変した。この本を見る目も変わった。当初は、「すれ違う日ロの世界観、官邸主導外交の功罪、米中対立ー。綿密な取材に基づいて本書が描き出す背景は複雑である。元島民の思いに強く寄り添っているのも本書の大きな特徴として挙げられよう」との今売れっ子の小泉悠・東大先端科学技術研特任助教のコメントに注目しながらも、そのうち読むかと、投げ出していた。しかし、まさに現代のヒトラーさながら殺人鬼と化したプーチン大統領と、27回も会いながら、何らの結果も出せず総理の座を投げ出した安倍晋三氏の交渉の日々に俄然興味が湧いてきた。プーチンと一体何をやりとりしてきたのか。表紙の「四島返還」のうえに小さく乗っかった「消えた」の文字が一段と興味深く見えてきたのである。一気に読み進めた◆従来の日本政府のスタンスを安倍首相及びその周辺は勝手に変え、「2島返還プラスアルファ」という道に突き進んだ。北海道に本拠を置き一貫して追いかけてきた地元紙らしくその一部始終を見事なまでに描く。一つ、この本の私風のマスターの仕方とでもいうべきものを披露してみたい。まず第一章「『一気に返還へ』外れた目算」を読み、次に第9章「日ロ、見えぬ針路」に一気に飛び、エピローグへと進む。その間に挟まれた新旧2人のモスクワ支局長のコラムに見入る。そうすると、全体の構成が明瞭になる。後の第2章から第8章は今日までの交渉史として貴重なものだが、あえて極言すると、枝葉であるかもしれない。安倍周辺の動きや発言はスルーして、プーチンやラブロフ外相の発言部分のみを追って見る。すると極めてわかりやすい。プーチンの人となりが白日の下に晒された今となっては、元々一ミリたりとも領土を手放すつもりはなかった。そんな気がするからだ◆実は、私は公明新聞記者として1960年代半ばから、北方領土問題に関心を持って自分なりに追ってきた。その所産をこのほど出版した『77年の興亡ー価値観の対立を追って』の第2章第7節「『北方領土』解決への回り道」にまとめている。自分としては渾身の力を込めて、わずか10頁だが集約してみた。ウクライナへのロシア侵略という信じがたい蛮行に接する一方、道新が総力上げて取り組んだこの本を読んでみて、我が10頁の総括に誤りなきことを確信した。強いて言えば「回り道」というタイトルにやはり我が見立ての甘さを感じる。回り道は、通常、遠かったと続くように、ゴールに到着してからの表現に用いられることが多い。その解決への道が全く見えなくなった今となっては、「解決への道なき道」とでもすべきだったかもしれない。(2022-3-9)

 

 

 

 

 

 

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