◆人間中心主義と自然との共生主義
人間による「自然収奪」を中心においた文明は、「自然との共生」を主眼にした文明とは全く違う。この本における著者の主張は、ここが最大のポイントである。前者を〝人間中心主義〟と呼び、畑作牧畜民による「動物文明」と位置付ける。一方、後者は、〝自然との共生主義〟とでも呼ばれるもので、稲作漁撈民による「植物文明」とする。この二分化を基本に、収奪文明と共生文明、物質エネルギー文明と生命文明、男性原理の文明と女性原理の文明などが対比されつつ語られていく。
実はこの本は、著者が各地で講演された内容をベースに、様々な媒体に発表されたもので、全部で9つのパートにわけて掲載されている。ユーモア巧みな講演上手の著者が年来の持論を展開したもので、冒頭のエッセンスが繰り返し登場する。わかりやすく読みやすい。「国連SDGSの動き」に見るように、2030年が地球にとっての命運を決する分岐点とされ、これからの10年足らずの人類の振る舞いが注目されている。まさにその時に多くの人々に読んで欲しい本である。
安田喜憲さんは、日本で初めて、文明や歴史と自然環境の関係を解き明かす「環境考古学」を提唱したことで知られる。湖の底に沈んだ堆積物、花粉の分析などに取り組んできたことが機縁となったという。この本の第1章は「『人生地理学』と私」。当初「地理学」を志した安田さんは、その道の先達・創価学会の初代会長牧口常三郎先生との学問上の出会いをされる。伝統的な「地理学」が、中心都市を基点に同心円状に広がって形成される「中心地論」に拘泥したのに対して、牧口先生はそれを日本には合わないと否定された。川の流域に沿って、水との関わりが強い空間認識を持たれていた。加えて「郷土」「文明」に着目されたことも合わせ、安田氏が高く評価されていることは興味深い。
また、学者として15年ほども不遇をかこっていた同氏は、哲学者・梅原猛氏(国際日本文化センター)と運命的な出会いをし、世に大きく浮かび上がっていく。学問の世界の異端児ぶりは師匠譲りだということも分かった気がして実に面白い。人の世の出会いの摩訶不思議なることを改めて痛感する。
◆畑作牧畜民と稲作漁撈民との相剋の行方
この本において、様々なことを気づかされ、再認識したが、そのうち最大のものが富士山の「世界文化遺産」認定問題だ。これに深く関わってきた同氏は、三保松原を含めるべきだとの議論に固執した。これこそ、森と里と海の生命の水の循環の場であり、生物多様性を守る格好の舞台だったからだ。それを分からず、富士山頂と駿河湾は離れ過ぎている、分けて考えるのが当然としたユネスコのイコモス(国際記念物遺跡会議)。それに同調する日本人。最終的に安田さん達の粘り勝ちで、三保松原が認められたことの意義は極めて大きい。単に距離の問題ではないことが改めて分かった自分が恥ずかしい。
この本を読んで考えることは多いが、最大のものは、冒頭に挙げたように、畑作牧畜民と総称されるヨーロッパ系の文明と共に生きてきた人々と、稲作漁撈民と呼ばれるアジア系住民の相剋の行方である。ここで注意すべきは中国はアジアに位置するが、この両文明の対決では、欧米の側に括られる(ただし、安田さんがいう長江文明は例外として)。この帰趨については、「『植物文明』は『動物文明』にやられっぱなし。(中略) 勝たなければ、稲作漁撈民、『植物文明』としての日本民族は自滅するしかない」と、ある。
そう危機感を述べる一方、安田さんは、東洋と西洋のバランスをとっていくことができるのは、「明治以降、欧米の文明原理を真摯に導入したにもかかわらず、江戸時代以降の歴史と伝統文化をも失わなかった日本人をおいてほかにない」と述べる。尤も、長江文明の遺産に中国が気づけば、この国もまた東西融合の鍵を握りうると思うのだが、さてどうだろうか。
【他生のご縁 劇的な出会いと次々続くハプニング】
公明党総務部会に当時NHK経営委員だった安田さんが来られて、NHK会長人事をめぐる経緯を釈明されるというので、待ってましたとばかりに〝おっとり刀〟で出向きました。偶々慶應大の同期で塾長だった安西祐一郎氏がトラブルに巻き込まれ会長になり損なったと聞き、同社に一泡吹かせようと思ったからです。その場では、言いたいことを言って溜飲を下げたつもりでした。
ところが、終了後、後輩の稲津久代議士から安田さんが環境考古学なる学問の権威だと聞かされると共に、畏友・浜名正勝(創価学会元北海道総道長)と懇意にされていると紹介を受けたのです。いらい、長く熱い付き合いが始まり、今に至っています。思い出深いのは、理論誌『公明』主催の対談「大災害の時代」を京都・伏見で行ったことで、実に楽しい語らいでした。
また、来神した浜名氏と共に会う約束の場所に、安田さんが青い顔をして来られ、「金を貸してくれ」と言われるのです。聞いてみると、京都駅で財布を落としたみたい、だと。必ず出てくると励ましたら、案の定出てきました。とても感謝されたことが忘れられません。