小松一郎前法制局長官が亡くなった。外務省出身としては初めての任で、安倍晋三元首相が集団的自衛権の導入に向けて、期待に応えられる人物として白羽の矢を立てたと見られることなど、晩年は本人にとって不本意なことが少なくなかったものと思われる。彼が外務省国際法局長の頃に、よく私の議員会館の部屋であれこれと懇談した。豊富な外交知識を包み隠して実に物腰優しい紳士だった。後に駐仏大使になられて、「是非一度来てください」と言われながらも果てせなかった。最終のお立場になられて苦労されていたのに、一度も激励の言葉もかけずに終わった。心残りだが、ご冥福を祈る▲小松さんの大先輩・小倉和夫氏が赴任されていた頃にパリを訪れ、その著『中国の威信 日本の矜持』を頂いた。裏表紙に「2001年8月26日仏国巴里にて」と揮毫されている。この人は、吉田茂賞を受賞された『パリの周恩来』から、料理にまつわるものまで幅広い著書を持つ。私は、頂いた本から、日中関係を見る研究や論説が、幕末以降の西洋のアジア進出前後に依るものに大きく偏りすぎていることの非を学んだ。古代から中世にかけての中華の秩序の中での日本外交の歩みをしっかりと踏まえたうえでないと、自ずからかの国を見誤るということを、である▲集団的自衛権問題の与党協議がいよいよ終盤に入ってきたと見られている。これまでの憲法9条下における自衛隊の許容される行動については、個別的自衛権行使がその範囲内であり、集団的自衛権は持っている権利だけれど行使は出来ないというのが、政府の憲法解釈であった。注意を要するのは、個別、集団の境界が曖昧だったということだ。それを整理するのが今回の協議の焦点である。最初から集団的自衛権を認めて、それを限定したり、歯止めを加えるということではない。あくまで、個別的自衛権で出来ることが未だあるはず(これを明らかにすることを、私は適正解釈と呼ぶ)。つまり、集団的自衛権と従来取り違えてきたことがなかったか、ということを確認する作業を今しているはず、というものである。これがまっとうなギャラリーの認識だ。だから、「自衛権拡大に歯止めをかけろ」という表現は誤解を呼ぶ。あるべき姿に自衛権を整理するのであって、決して歯止めをかけて、縮小解釈したり、個別自衛権の枠を超えてしまう拡大解釈をしてはいけない。集団的自衛権行使を容認してしまってから、限定したり、歯止めをかけてももはや遅いのだ▲このあたりを小松氏が健在ならば議論したかった。法制局長官を引き受けていなければ、もっと長生きをしていたはずなどとは言うまい。彼の真面目さが、集団的自衛権行使容認の側に立つ転換点の役割を受けさせ、その役人人生を最後の段階で劇的なものにしたのであろう。フランスでの様々な経験やら積み重ねた国際法から見る、日本の安全保障や外交の在り方について、小倉さんのように、書きたかったはずであろうに。そうした彼の後半生を思いやりながら、残された与党協議の山場を見据えたい(2014・6・24)
(33)官兵衛と憲法9条の境遇 ──松本清張
黒田官兵衛から今我々が一番学ばなければならないことは何か。それは、官兵衛という兵略家が極力、武力の行使を避けて、戦争なしに相手を屈服させる道を選んだということであろう。官兵衛を描いた数々の作品の中で、松本清張の『軍師の境遇』がそのあたりの官兵衛の戦国武将のなかで特筆されるべき本質を最も明確にしているように思われる▲清張は、播磨の小豪族を信長の陣営に組み入れるべく秀吉のもとで奔走する官兵衛に焦点をあてた。後年の九州における官兵衛と違って、前半生ではひたすらに弁舌と調略で、つまり外交戦で勝利を得てきた。それが後世における「軍師」の名を欲しいままにする所以でもある。しかし、あまりにもその威力が度を超したがゆえに、秀吉からも疎まれ、怖がられる因を作って、結果重んじられない、遠ざけられてしまう。そういった「境遇」を描いて余りあるのがこの本の面白いところだ▲高校生向けに書いたものだけに、若者に託する平和への熱い思いが漲っているともいえる、この清張の官兵衛。誠実でひとを裏切らない正直者であるがために相手からも尊重され、大事にされる戦国武将。いささか褒めすぎかもしれないが、こういう人を生み出した地の人間であるとの誇りさえ、播磨人には湧いてくる。姫路を中心とする播磨の人間は今まであまりそういうイメージで語られなかったのが不思議なほどだ▲時あたかも、集団的自衛権問題が喧しく取り沙汰されている。徹底した平和外交を展開する中で、最後の構えとしての自衛力を不断に保持し、磨き上げていくことに大きな異論はない。しかし、外交に早々と見切りをつけ、軍事的同盟国との関係強化のみに走り過ぎることはひたすらに危ういと言えよう。先の大戦の敗北から70年。大げさにいえば、戦争か外交かの岐路に立つ政治選択を前に、規定が理想に過ぎ、多様なる解釈を生み続けてきた”憲法9条の境遇”に思いを致さざるをえない。気高過ぎるがゆえに具体の現実への適応に難航し続け、ややもすれば変えてしまいたいとの野望にさらされるという境遇に。(2014・6・17)
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(32)元防衛高級官僚を一言でいえば ──柳沢協ニ
今、自衛隊や防衛省関係者のなかで最も評判の悪い人物はだれか?別に一人ひとりに訊いてみたわけではないから推測にしか過ぎないが、防衛庁長官官房長などを経て、元官房副長官補だった柳澤協二氏だろう。なぜって、国の安全保障政策を統括していた身でありながら、今の政府のそれを厳しく批判しているからだ。一言で彼についての評判を言えば、「まったくいい気なもんだよ。立場がかわりゃあ、好きなことばっか言って」というところか▼実は柳澤氏と私は昵懇の間柄。それはそうだろう。政府側の要人と与党公明党の安保政策の責任者の関係だったんだから。私たち二人は党機関誌『公明』で対談をしたことがある。彼が、相次いで興味深い対談本(『抑止力を問う』『脱・同盟時代』)を出した後の頃だった。勿論、対談というよりも私のインタビューというのが相応しい中身だったが、大いに触発されたものだった。彼の心境を一言で譬えれば、「水を得た魚」そのもので、宮仕えから解放された喜びに溢れていた▼その彼が『改憲と国防』『亡国の安保政策ー安倍政権と「積極的平和主義」の罠』などで、一段と激しくトーンを上げて、安倍政権を批判している。前著で、歴史観を持たない安倍晋三という指導者を持ったことを恥じなければいけない、とした彼は、近著では、求められてもいないアメリカとの軍事的双務性を積極的に追い求める亡国の指導者だ、と。一言で、現在の課題についての彼の主張をまとめれば「解釈改憲などせずとも、みんな個別的自衛権ですむ」であろう▼きわめて優秀な防衛官僚であることは間違いない。その安保政策の薀蓄にもおおむね共感する。ただ、政治への洞察がやや希薄ではないか。今回の問題でも首相・安倍晋三にだけその責めを負わせる風があるのには首肯できない。加えて、彼の本は対談部分が多すぎる。是非、自らの論考を真っ向勝負で掲げて貰いたい。私自らのこの評論を一言でいえば、「わが身を棚に上げて」ということになるのだが。(2014・6・14)
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(31)軍師・官兵衛もの読み比べ序論
今、NHK大河ドラマの放映のお蔭で、黒田官兵衛ゆかりの街が盛り上がっている。何と言ってもその第一は兵庫・姫路市だろうが、これからは福岡・博多市に移っていこう。生まれ育った地と晩年を過ごした地。どちらがどうと言うつもりはない。姫路も博多も甲乙つけがたいほど関わりは深い▼司馬遼太郎『播磨灘物語』を二回目読み終えたのを始め、去年から今にかけて、吉川英治『黒田如水』松本清張『軍師の境遇』火坂雅志『軍師の門』坂口安吾『二流の人』葉室燐『風渡る』『風の軍師』渡邊大門『黒田官兵衛の謎』加来耕三『黒田官兵衛不敗の計略』と読み進めてきた。今年の暮れまでに未読の官兵衛ものをなくしたうえで、読み比べを書いてみたい。これはいわばその序論▼何と言っても型破りで印象に残るのは坂口。文体の異様さと人物への切り込み方が斬新。家来たちの忠節を描いて胸うつのは吉川。オーソドックスに時代の流れの中に人物を浮かび上がらせ、目配りのうまさでは、やはり司馬。殺し合いではなく外交力の重要さを説き、子どもたちにも読ませたいと思わせるのは清張。キリシタンとしての官兵衛、播州よりも九州に視点を定め、大きく想像の翼を羽ばたかせたのは葉室▼ひとの一生は平板ではなく、有為転変、紆余曲折の流れをまとめて捉えないと見誤る。その実例として、豊臣秀吉の青年期から功成り名を遂げた壮年期を経て、狂ったとしかいいようがない朝鮮出兵の老年期が挙げられてきた。が、官兵衛も播州・姫路での行動と九州かいわいでの振る舞いは大いに違うとも見える。ともあれ故郷姫路が生み出したこの人物を、当の地元があまりにも粗末にしてきたことだけは間違いなさそう。遅ればせながら酒の黒田節ならぬ、人物としての黒田官兵衛像を生まれた地に根づかせたい(2014・6・12)
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(30)「回転木馬」みたいな自衛権論議
集団的自衛権をめぐる論議は未だ始まったばかり。様々な論者たちがメディアに登場し、その考えを述べているが、私が注目するのは憲法改正論者。そのうち、憲法を改正する必要を述べながらも、解釈でそれを済ませてしまおうとすることに反対をしている人たちだ▲なかでも小林節慶大名誉教授は筆頭株。この人はかつて自民党のブレーンと目されたり、公明党にも強い関心を寄せた時期(21世紀に入る前あたり)があり、私も幾度かお会いした。『憲法守って国滅ぶ』など明晰な論理展開で分かり易い文章が魅力的な人だ。今回の安倍首相の目論見を「権力による憲法泥棒」と断定。以前の96条改正への動きを「裏口入学」と決めつけたことと同様に明解極まりない▲ただ、小林ウオッチャーによると、彼の憲法改正への姿勢は微妙に変化したと言う。当初は普通の国にすべきだとの立場から憲法9条の改正を唱えていたと見えたのに、今は国際貢献のために自衛隊を海外に派遣することを明記せよとジワリ変わった、と。実は私もそうかもしれない、と睨んでいる。恐らくは平和を希求するのにどこまでも熱心な公明党の支持者たちとの付き合いの中で、その思いを強めるに至ったのであろう▲高村正彦自民党副総裁は地味な人柄の印象だが、どうしてどうして。うるささにおいて派手極まりない。20年ほど前に海外視察に同行していらいの旧知の間柄だが、その芯の強さといったら圧倒的だ。今、しきりに「砂川判決」を持ち出し、必要最小限の措置なら、集団的自衛権の概念に含まれるものでも排除されないとの主張を展開している▲小林さんは憲法学者30年の経験から、このような高村説は聞いたことがないとし、まったくの苦し紛れのものだと切り捨てる。今安倍周辺が提起する集団的自衛権行使への想定事例はいずれも個別的自衛権の問題で、やりたければ「その範囲を広げ、運用を見直して対応すればいい」と明解極まりない。衆議院に私が在籍した20年間にずーっと取り組んできたテーマが今展開される状況を見ながら、「回転木馬」を思い起こすのは何ゆえか。(2014・6・3)
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(29)憲法9条のもとで、自衛権の行使を整理せよ
集団的自衛権をめぐっての論争は、まず自民党と公明党の代表による協議の場が設定された。これはまことに興味深い。与野党の予算委員会での議論などよりも数倍重要だと思われる。結果如何では、日本がこれまで憲法9条のもと他国の戦争に関与してこなかった姿勢を根本的に変えることになるからだ。私は現役時代に幾たびか自民党との安全保障をめぐる協議の場に臨んだが、今回のものに比べれば殆ど意味がなかったとさえ思われるほど。この場に挑む人たちの心中や察して余りあり、羨ましい限りだ▲石破茂『日本人のための「集団的自衛権」入門』は、いかにも彼らしい筆致で得意満面に展開されている。彼には、これまで『国防』『国難』をはじめ数多の防衛に関する著作がある。それらに比べると軽いタッチは否めぬものの、タイムリーではあり、よく整理されている。かつて同窓の先輩面よろしく「あんたは防衛に関わり過ぎる。そろそろ卒業しないと総理に成れないよ」と、偉そうに忠告したことがあるが、いやましてその思いは昨今募ってくる。安倍さんに使い捨てされぬようにね、と▲ところで、この協議は三段階に分かれて行われると見込まれる。一番目はグレーゾーンについて。二番目は国連PKO活動に関するもの。三番目が集団的自衛権の限定的行使についてである。かねて私はこの問題については、集団的自衛権と個別的自衛権、さらには集団安全保障とがごちゃ混ぜになっていることが、一切の混迷の元凶だと指摘し、問題の所在を整理せよと主張、論文も発表してきた(2002年4・16号『世界週報』)。その視点からすれば、この三段階に分けての議論開始は公明党のペースだ▲この場面、三段階すべてを議論し終えて、行使容認にいけば、自民党の勝利。公明党の敗北になる。しかし、グレ―ゾーンにおける法整備の道筋をつけたうえで、個別的自衛権で出来ることを明確にしわけし、集団安全保障における駆けつけ警護は集団的自衛権とは別概念だとして認めることが出来れば、公明党の勝利である。あくまで憲法9条のもとでの憲法解釈を縮小でも拡大でもなく、適正に解釈することがポイントだ。解釈改憲ではなく、解釈の適正化で出来る、できないをはっきりさせることは可能であり、それをすることこそ公明党の使命なのだ。(2014・5・22)
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(28)作家の油断を読み取るたしなみ ──浅田次郎
作家で現在日本ペンクラブ協会の会長・浅田次郎さんとは一度だけ逢ったことがある。正確にいうと、あるパーティ―でわたしが一方的に声をかけたのだ。前回紹介した『作家の決断』に登場する19人のなかで直接逢ったことのある3人のうちの一人だ。ただ、残念ながら、その印象は決して良くなかった▲こちらがそれなりの礼を尽くして声をかけたつもりだったのだが、終始無言。つれないこと夥しい。やあ、どうも。何時も読んでいただいて恐縮です、とぐらいは言ってほしかったなあ。尤も、大勢のなかで、しかも彼が口にモノを運んでる最中だったからやむを得なかったかもしれない。が、『壬生義士伝』や『鉄道員(ぽっぽや)』や『終わらざる夏』で流した涙はなんだったのか、との思いは募った▲『作家の決断』では、「僕は嘘つきでした」と公言してはばからない。嘘つきはどろぼうの始まりではなく、「嘘つきは小説家の始まり」だと言い切って小気味いい。小説家には文章を作ることとストーリーを作ることという二つの才能が必要であると述べ、前者は努力すれば誰でも上手くなる、つまり技術的なものだが、後者については、天賦の才能が必要だ、と。通常、作家は、これを想像力の豊かさだと恰好をつけていうのだが、彼はそれだけではなく、どれくらい嘘がつけるかだと、わざわざ付け加えている▲この本は小説家志望の学生が名だたる作家たちに直接インタビューしているもので、それだけつい作家たちは油断して自分たちの成功話を本音で、恐らくは嘘を交えず語っている。つまりはどれくらい苦労して作家になったか、今の地位を築いたかをあけすけに語っている。この本はタイトルを『作家の油断』とすべきではなかったか。作家はやはり書いたものだけで勝負すべきだろう。また、読者もそれだけを読むべきで、それ以外のものを読み、また直接逢ったりすると幻滅することの方が多いと思われる。(2014・5・15)
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(27)なぜ医者は小説を書くのか、のふかーい理由
医師で作家の渡辺淳一さんがつい先日亡くなった。大胆に推測すると、全国の同姓同名の皆さんはお悔やみの想いとともに、ホッとされたかも。恐らく様々な場面で名乗る機会があるたびに迷惑されたろうと思うからである。先日もラジオから聴こえてきた「ワタナベジュンイチです」との声音が苦笑いを含んで伝わってきた。正確には、かのように思えた▲ともあれ巨星墜つ、である。かつて公明新聞に連載小説を書いて頂いたことがあるが、大いに物議を醸した。日経新聞の『失楽園』ほどではなかったのが残念であったが…。我が公明新聞の編集責任者もなかなか味な人選差配だと思ったものだ。一度はお会いしたいと思いながら叶わぬままとなった▲恐らくは彼の絶筆ならぬ”絶口”となった文章を読んだ。19人の作家たちのインタビュー集『作家の決断』である。この中で、私が会った覚えがあるのは、浅田次郎、阿刀田高、西木正明の三氏だけ。後は本を通じてしか知らないが、何れも人生の岐路で、どう障壁を乗り越えたかを語っており、興味は尽きない。尤も、直木賞を始めとする小説家の登竜門やらに悪戦苦闘した話も多くて、少々閉口しないでもなかった。そんな中で、渡辺さんはやはり異色というか、出色である▲一番読ませたのは、医学部に入って解剖書を読み、実際にそれに立ち会って、全身よろめくほどの刺激を受けたというくだり。「人間って、形態学的には全く同じなのに、動いてみるとみんな違う」ことに感動して「本格的に小説を書こう」と決意した、と。「医学は極めて文科系な学問」だとの言い回しも面白い。それで、医者が次々と政治家になったり、作家になるんだな、と妙に感心させられもした。それにつけても「僕は結婚は打算で、不倫は純愛だと思ってる」というセリフに、ドキッとしない男はいるだろうか。ああ、奥さんのことが気になって仕方がない。(2014・5・10)
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(26)葉室燐の新たな連載小説で公明新聞拡大
公明新聞で葉室燐『はだれ雪』の連載が始まっている。今が盛りの人気作家の手になる、赤穂浪士異聞というか「女人忠臣蔵」はまさに注目の的で、毎朝が楽しみなひとは多いものと思われる。政党機関紙でありながら、その連載小説において過去に直木賞作家をはじめ様々な有名作家を登場させてきていることは案外知られていない。私自身、過去の記者時代に、源氏鶏太『時計台の文字盤』の原稿取りを仰せつかって約一年お付き合いしたことがある。また、愛読した『元首の謀反』の作者・中村正軌さんには、連載をお願いしたものの断られた。しかし、そのご縁で、私の拙い本の出版記念パーティーの世話人に名を連ねて頂いたり、今もお付き合いをさせて頂いている▲こうした公明新聞の連載小説にまつわるエピソードには事欠かないが、実は先年に連載された、火坂雅志『安国寺恵瓊』は、大変な人気であった。そんな連載中のさなか。党のある支部会で、その路線をめぐって議論が伯仲してしまい、収拾にやや苦労する羽目に立ち至った。その時、やおら立ち上がった80歳代後半の老婦人が「先ほど来、皆さんがあれこれ言っていることはみんな公明新聞に書いたるがな。それより、公明新聞は小説が面白い」ー場内がどっと沸いて、空気が一変した。その老婦人とも深い付き合いをする仲となった▲ところで、葉室燐といえば、『蜩ノ記』で直木賞を受賞。神戸の老舗バー『グレコ』のママーこの人は大変な読書家で、私に須賀敦子の魅力を教えてくれた人だがーが、この本を推奨しており、大の葉室好きだったことを思い起した。彼女に新たな小説が公明新聞で始まる、と告げたところ、返す言葉で「新聞取る」と。有難い、一瞬のうちに拡大が実現した。▲肝心の私は葉室麟を知らないし、『蜩ノ記』も勧められながら未読だった。それでは彼女に申し訳ないとの思いで、急ぎ読み終えた。が、今一歩ぐっと来ない。主人公・戸田秋谷が立派すぎ、眩しすぎるゆえであろうか。「これも、お読みなったら」と手渡された『風渡る』は、この店の常連・井戸敏三県知事から彼女が勧められた、と。キリシタンとしての黒田官兵衛が描かれる。彼がこういった小説を読むとは意外だった。これは読まねばならぬ。かくして私は、葉室燐にまた嵌まっていくにのかもしれない。(2014・5・3)
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(25)憂鬱さが増すだけの田原VS西研の哲学対談
田原総一朗ーこの人物のテレビ番組に、私は現役の時に二回ほどでたことがある。その時に一度口喧嘩をした。この人は政治家を怒らせることで番組のトークを面白くさせるとの手法をよく用いるようだが、私の時もそのたぐいで、餌食にされそうになった。こともあろうに放映中に、私に対して「冬柴さん」と、あきらかにわざと呼びかけてみたり、きちっと答えているのに「もっと勉強してきてよ」とか言ったのである。
この自尊心の塊のような私に対して(笑)、である。コマーシャルの時間になって、「あんた!いい加減にしろ!」って、つい怒鳴ってしまった。一応、「ごめんなさい」と彼は頭を下げたが後味の悪さは尾を引いた。以後、彼の番組にはぜひ出てほしいと言われるまで、でないとこころに決めたのだが、そのうちこちらが引退してしまったので、当然ながら声はかからないで、今に至っている。
そういう不幸な出会いだったが、彼の書くものや人とのやりとりは面白く読んだり、見たりしていているのだから、私も勝手なものだ。その田原総一朗氏と哲学者の西研さんとの対談『憂鬱になったら、哲学の出番だ!』(幻冬舎)を読んだ。それこそ田原氏の鋭い切り込みは縦横に見られる。しかし、それに対しての答えがあまりぱっとしない。難解な哲学が分かり易く説かれることを期待するむきには羊頭狗肉だ。成果と言えば、田原さんも人の子、西欧哲学は解らんのだということがはっきりしたことか。結局は西洋哲学はただ難しいだけで、一般人には役立たずだということが改めて浮き彫りになった。憂鬱さはますばかりだという他ない。
ただ一か所だけ私としては、非常に興味深いくだりがあった。それは、田原氏が梅原猛さんの書いた『人類哲学序説』に触れたところだ。私はこの本に大変共鳴しているので、それこそ目を凝らして読んだ。西欧哲学の進歩発展主義の破綻を象徴したのが福島原発事故だとして、近代合理主義と決別するとしている梅原氏の主張を紹介。そのうえで、「梅原猛は東洋の思想を見直して、仏教の天台密教の『草木国土悉皆成仏』という考え方に着目したのです。山川や草木にも仏を見るという日本独自の思想で、ここから独自の人類哲学をつくろうとしています」ーデカルト以後の近代哲学が現代世界において、役に立たないことに気づき、新たな船出をしようとする梅原氏の意気や壮としたい、と私は思っている。
ところが、それに対して西研氏は『哲学は、一人ひとりの経験や感度や考えを出し合いながら『これは確かに大切だよね』ということを確かめ合っていく営みです。そういう風にして普遍的なものを取り出そうとすることが大事なので、それを、特定の世界観で代替してはいけないと思います」と答えるにとどまっている。これは、私には西欧哲学の側の敗北宣言に聞こえる。要するに世界的規模での現代人救済に役立たないがゆえに、確かめ合うなどといったぬるいことを言っているのだと思う。
それに対しての田原氏の最後の切り込みは「デカルトやカントらの哲学はヨーロッパ内では受け入れられたけれど、民族を超えて広がらなかったのではないですか」と言うだけ。西研氏の答も「お互いの経験をもとに考えを出し合って、普遍性を求める哲学の復権をめざしたいと思っているのです」と繰り返すのみ。
これって、結局は西研氏は、西欧哲学を超えるものが東洋の哲学にあるということに目を向けようとしないで、西欧哲学の復権にしがみついているだけのように思われてならない。その辺りをもっと田原氏には切り込んでもらいたかった。
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