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(391)遅れてくるもう一人の巨人ー鹿島茂『渋沢栄一上 算盤編』を読む/6-6

NHK大河ドラマ『晴天を衝け』を毎週楽しみにしている人は多いはず。渋沢栄一と徳川慶喜を並行して描く手法に嵌ってしまった。かつて渋沢栄一の『論語と算盤』を読んだが、その生涯についてはあまり知らずに来た。幕末から明治にかけての歴史探訪にちょうどいい、とばかりに本屋に出かけ、渋沢関連の本を探した。そこで目にして読むことにしたのが鹿島茂『渋沢栄一』算盤編と論語編の上下2冊だ。かねて私がファンを自認する著者のものとあって実に面白く読める。現在は上巻を読み終えただけだが、こんなに惹きつけられる評伝は初めてだ。テレビとの併読をお勧めしたい▲慶喜は明治人として長生きした(76歳で大正2年まで)ことで知られるが、渋沢は昭和6年91歳まで活躍したというからもの凄い。農家出身の渋沢が武士になり、日本一の、いや世界一と言ってもいい実業家になっていったきっかけは、悪代官の横暴な振る舞いへの怒りである。「理不尽を理不尽と叫ぶ精神は明らかに(当時は)ルール違反」で、「時代の拘束に捉われない感性を持った『新人類』」だとの鹿島の渋沢認識は、この評伝の基底部を形成しており、後々幾たびか繰り返される▲渋沢が大を為すに至る大きな機縁はもう一つ。フランスへの旅。13回から27回までの記述は、ある意味で渋沢の青春記であり、これだけを独立して取り上げても十分読み応えがある。ただし、サン・シモン主義者のくだり5回分ほどは正直あまり面白くない。危うく投げ出しそうになった。ここを乗り越えれば、また興味深い読みものの連続だ。パリ万博での薩摩と幕府の鍔迫り合いは、英仏代理戦争の様相で息を呑む。これはまた日本国家の青春記とも言え、甘酸っぱい気分に誘われる▲私は先年神戸で、女性起業家の西山志保里さんのご紹介で渋沢の玄孫・健氏に出会った。爽やかな佇まいのシティボーイ風の士(さむらい)で、時々ネット上に届けられる「シブサワ・レター」に目を据える。福澤諭吉の慶應義塾で学んだ私はその昔、その孫にあたる福澤進太郎教授からフランス語を齧った。文字通り遅れて1万円札に姿を現わすもう一人の巨人・渋沢栄一。その玄孫である人に、極めて新鮮な衝撃を受けている。大河ドラマの進展もさることながら、その彼のひい爺様の算盤編を読み終え、次なる論語編へと期待は高まる。(2021-6-6 一部修正)

 

 

 

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(390)底抜けの楽観主義の果てにー半藤一利『戦争というもの』を読む/5-27

本の帯に「最後の原稿」とある。『歴史探偵 忘れ残りの記』が半藤さんの最後の著作かと思っていた。太平洋戦争を通じて記憶して欲しいと彼が願った14に及ぶ名言集である。病床の祖父から編集作業を依頼されたのは孫娘の北村淳子さん。彼女の父親は北村経夫参議院議員である。私が半藤さんと繋がったのは北村さんのお陰。その経緯については幾度も書いた。半藤夫人の末利子さんといえば夏目漱石の孫娘にあたる。エッセイストとして著名だ。そのまた孫にあたる彼女が編んだ祖父の遺言。心に深く染み入る重い本である。コロナ禍という〝異形の戦時〟に読み応え十分だった▲「一に平和を守らんがためである」ー山本五十六の言葉が最初にくる。瞬時、平和を守るために、と称して戦争は始まるものとの謂か、と誤解しかけた。「理想のために国を滅ぼしてはならない」ー若槻礼次郎の言葉も少々引っかかる。裏返して、国を滅ぼしていいのはどんな時なのか、とへそ曲がりな思いがよぎる。この人に遅れること15年。敗戦直後の昭和20年11月に生まれた私は「戦争を知らない」世代の走り。学問に、仕事に、ひたすら「戦争と平和」と格闘してきた▲この世代は「反戦」を青春の象徴として大きくなった。祖父母が生きた明治の約40年が日本が勃興する時代と重なり、父母の育った大正から昭和前期へのほぼ40年間は、この国が滅びゆく期間と重なる。自らは戦後民主主義の只中の70有余年を生きた。老境に達した今、明治の先達にそこはかとない憧憬の念を抱く。それはこの国を守りゆく〝理想の承継〟でもある。戦争の残酷さ、悲惨さは存分に知り尽くしているつもりだ。だが、観念の上での理解は突然の何らかの衝撃に、脆くも壊れ行くことも知らぬわけではない。この辺りは産経政治部長で鳴らした、淳子さんの親父さんと語り合いたいとの衝動を覚える▲この本を読み進めていく中で、妙な疑問が湧いてきた。「特攻の秋(とき)」昭和20年の初めになぜ母は妊娠したのか。お先真っ暗の「戦時」の子育てに自信はあったのか。大きなお腹を抱えて竹槍を突き出し、防空壕に入ったと幾たびも聞かされた。当時35歳を越えて応召された父は、「敗戦」を確信したとも言っていた。肝腎要のことを聞きそびれた。底抜けの楽観主義ゆえとしか思いつかない。編集に携わった淳子さんは、「この本が最後に私に手渡してくれた(祖父の)平和への願いそのもの」だと記す。さて、やがて11歳になる孫娘に、私は何を手渡すか。〝次に来る戦争〟は全くスタイルが異なるーこれしか今のところ思いつかない。(2021-5-27)

 

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(第1章)第7節 中国を舐めていると日本の低迷は続く─邉見伸弘『チャイナ・アセアンの衝撃』

 古い中国観を吹き飛ばす

 中国の経済力、科学力、軍事力など近年の国力の進展は凄まじい。実は2年前に出版された遠藤誉『「中国製造2025」の衝撃』によって私は覚醒させられたつもりだった。それでも、香港やウイグルなどでの自由・人権抑圧の報に接する度に、その評価は揺らいできた。いったい、この国はなんなのか、と。中国を分析する際に、どうしても政治の視点が経済を見る眼を曇らせる。やがて中国が世界の覇権を握るとの予測をデータの裏付けと共に示されても、頭か心のどこかで打ち消す響きが遠雷のように聞こえ、響き渡ってくるのだ。

 しかし、政治を一切抜きにした経済の現場からの報告は全く違う印象をもたらす。邉見伸弘『チャイナ・アセアンの衝撃』である。これまでの「中国観」を台風一過の青空のようにクリアにしてくれる。著者はデロイトトーマツコンサルティング合同会社執行役員・パートナー、チーフストラテジスト。豊富な図表、グラフを駆使し、章ごとに分かりやすいポイントをまとめてあり、読みやすい。

 「日系企業はここ数年にわたって中国からの撤退が続く。大きな理由はコスト増だという。同時に進出先の拠点がほとんど変わっていない」「自動車産業等においては日本企業がタイを中心に圧倒的なシェアを占めていることもあり、中国製品は安かろう。悪かろう、アフターメンテナンスでまだまだといった認識だ(中略)日本企業は簡単に切り崩せないという視点もある」──こうしたくだりには、中国の躍進がいくら著しいといっても、どうせ大したことないはずと、どこか中国を舐めた我が身には合点がいく。人権に無頓着で、お行儀も悪い、そのくせ計算高い。平気で交渉相手を騙す。そんな国民性を持った国の企業と付き合うのはとても無理だ──これが概ね日本人の「対中商売観」だと思ってきた。中国に永住を決めた「和僑」の友人でさえ、ついこの前まで中国企業との商いはよほど習熟した者でないと危険だ、との見方を振りかざして憚らなかった。

 公開情報を丹念に読み込む

 そんな見方で敬遠するうちに彼我の差は益々開いたのかもしれない。中国の都市経済圏の凄まじい発展ぶり。地続きのアセアン都市圏との綿密な繋がり。自分たちが「知らないことを知らない」うちに、怒涛のように様変わりしている「チャイナ・アセアン関係」。その実態が鮮やかに描かれていく。中国で人口が1億~2億人級の都市群が全土で5群もあるという。日本の人口は減りこそすれ増えはしない。この比較ひとつでも打ちのめされるに十分だ。

 著者は、国際会議やビジネスミーティング、会食等の場を通じた情報交換を貴重な情報源に、海外に出れば現地不動産屋の案内で、津々浦々の人々の生活を収集してきた。コロナ禍にあっても、公開情報を丹念に読み込み、筋トレをするように報道との差に繰り返し目をつけていく──この地道な作業の結果が見事なまでに披露されている。

 中国経済の異常なまでの進展ぶりは、私のような昭和戦後世代には理解が中々追いつかない。何かにつけて私の古い頭は「共産中国の見果てぬ野望」の域を出なかった。そんな思いをこの本は、生きた「経済」の観点から、「中国恐るべし」を実に丁寧に裏付け、刮目させてくれる。とりわけ中国の変化の実態を見極めるには、3つの眼が必要だとの指摘はずしりとこたえた。

 人の眼だけではなく、鳥の眼で事業・産業全体を見、魚の眼で時代の流れを読み、虫の眼で現場の動向を見る、というものである。完全に後塵を排した日本に活路はあるのか。「日本企業が知らない日本の強み」と題して、最後に「これからの生きる道」が示されている。ここで「経済」に疎い身は救いの手を得たように、ほっとしてしまう。むしろ、「生きる道はもはやない」と突き放された方が良かったのではないか。暫く経ってからの「続編」で読みたかった、などと余計なお節介気分が頭をよぎる。

【他生のご縁 尊敬する先輩の後継者】

 邉見伸弘さんは、私の尊敬してやまない公明新聞の先輩・邉見弘さんのご長男。随分前から、親父さんから消息は聞いていました。「慶應に入った、君の後輩になった」「卒業して、経済の分析をあれこれやってるみたいだ」と。それがつい先ごろ、「中国関係の本を出した。読んでやってほしい」となったのです。直ちに、注文して読むに至りました。

   親父さんは、私より4年先輩。公明新聞の土着派猛者連中にあって、理論派として光り輝く存在でした。『日本共産党批判』で市川主幹を支え、『公明党50年史』をまとめ上げた人でもあります。生前の市川さんのところに呼ばれたらいつも邉見さんが横に居られたものでした。お二人の会話を眩しく聞いたものです。

 「父から、市川さんと赤松先輩のことは、本の話と共にずっと聞いて育ちました」──頂いたメールのこの一節を読んで、心揺さぶられました。「父子鷹」を見続ける読書人たりたいと、思うばかりです。

 

 

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(388)公平とは何かに迷いーボブ・ウッドワード(伏見威蕃訳)『怒り(RAGE)』を読む/5-11

ニクソンからトランプまで、歴代米大統領9人の立居振る舞いを9冊の本として出してきた米国人ジャーナリスト、ボブ・ウッドワード。その分野の最高峰に紛れもなく位置する人物である。このうちトランプについてだけ2冊(これで合計10冊になる)も書いた。一期4年の間に『FEAR 恐怖の男』と『RAGE 怒り』の2冊である。なぜか。1冊目は歴代大統領のうち極めて特異な人物の出現に対して警鐘を乱打する思いで就任間もない頃に出版した。その中身について「不公平だ」との批判が強烈な形でトランプ周辺から発せられ、2冊目が三年後の2020年に出された▲この2冊を読む直接のきっかけになったのは雑誌『選択』4月号の河谷史夫の連載「本に遇う 事実を見ない大統領」である。とりわけ同誌の編集後記に「彼の筆による大統領列伝は、米国現代史の最良の読み物だ(中略)私たちの時代の唯一無二のライターである」とあり、「緊急事態宣言が出た時の、一気読み候補になった」との記述に、私も倣った。『大統領の陰謀』(ニクソンのウオーターゲート事件)以外は読んでいなかった。それを読む気にさせられたのは、常軌を逸しているとしか思えないトランプを、このライターがどう料理したかに興味が募ったのだ。しかも、一作目にケチがついて、いわば仕切り直しの二作目がどうなったかに▲一作目では、トランプが会見を一切受けつけなかった。一転、二作目では17回ものインタビューやら電話のやりとりもあった。どちらの側も気を遣った結果だろう。ことはトランプだけに終わらない。国防長官のマティスや国務長官のティラーソンらが辞任に至る経緯も丁寧に書かれている。一作目ではマティス始め周辺からも著者に反発があったことへの配慮だろう。そのゆえか、私が二作目で最も心撃たれたのは、マティスが中国の魏鳳和国防部長をジョージ・ワシントン邸マウントバーノンに案内した場面である▲【マティスはいった。「しかし、戦うのはもうこりごりです。戦死した兵士の母親に書いた手紙は数え切れません。もう書きたくない。あなたも書く必要はないんです」魏のような中国の軍人の大部分が、武器を持って戦う戦闘を経験していないことをマティスは知っていたー1979年の短期間のベトナム侵攻以来、大規模な紛争は一度も経験していないはずだ。戦争はとてつもなく過酷なものになるはずだということを魏に知ってもらいたいとマティスは思った】ーこの前後の描写はマティスへの配慮が目立ち、胸を撃つ。二作目は全編にわたり、著者のトランプへの気遣いが過剰なまでに溢れているが、「結論はたったひとつしかない。トランプはこの重職には不適格だ」で、終わっている。著者ウッドワードは、この作品の出来栄えには極めて不本意だと思っているに違いない。それは「不公平だ」とのトランプの攻撃に、著者の迷いがそこはかとなく窺えるからである。(敬称略 2021-5-11)

 

 

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(387)不確かだった知的遺産がくっきりとー宮城谷昌光『三国志入門』を読む/5-4

今更、『三国志入門』でもでもないだろう、との声が聞こえてきそうだ。正直言って、その通りだと思う。じゃあ、どうしてここで取り上げるのか。実は、この欄に登場させる本がなく、書店に行って書棚を探すうちに適当なものが見つからず、苦し紛れで買ったのである。これならすぐ読めて、書くのも簡単だと。すみません、安易な姿勢で。反省します。が、読んでみて、やはりそれなりに新たな気づきがあったし、得たものは少なくなかった▲実は私がこれまで読んだ『三国志』は、遠い昔に読んだ吉川英治のもの。本場中国の原典『三国志演義』ではない。細部は忘却の彼方であった全貌を、ぐっと身近にさせてくれたのが実は映画だった。中国版DVD45分もので全部で50枚100話ほどであったろうか。10年ほど前に一気に観たものだが、これはまさに血沸き肉踊る面白さだった。曹操役の俳優が田中角栄元首相によく似ていたと記憶する。それを改めて想起させてくれた▲この『入門』で、気づかされたのは、劉備玄徳の「真実」である。「すべてを棄ててゆくことによって、いのちを拾う。生きかたとしては放れ業」と、「逃げの劉備」の実像を描いた後、配下の人間の心中を探る。「明確な思想をもたず、配下を思いやる心も持たない劉備に」なぜ付き随ったのか、と。答えは、彼らがそれぞれの理想を描くために、劉備はどんな絵も描ける白いキャンバスだったからだとする。配下にとって利用価値があったということなのだろうが、「思いやりの心がない」人柄との言及に、現代日本人としては疑念が残る▲「手に汗握る名勝負」の章では「赤壁の戦い」が読ませる。尤も「官渡」「夷陵」「五丈原」といった他の戦いも含めて、活劇場面のダイナミックさはやはり映画には叶わない。ただし、細かな背景、心理描写の巧みさは活字の世界である。『三国志』が生み出した言葉が10個紹介されているが、改めて「正解」を知って唸ったものもある。私としては、「出師表」「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」に感じ入った。映画では、司馬懿仲達の人物像に惹かれた。読後、これを手引きにもう一度映画を観たいとの思いが募ってきた。(2021-5-4)

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(386)アンチ巨神ファンも痺れるー橘木俊詔『阪神VS巨人「大阪」VS「東京」の代理戦争』を読む/4-29

兵庫県の姫路市で戦争直後に生まれ、少年時代を神戸市で過ごし、青年期を東京で生活した私は、プロ野球はどこのファンだったか?「そんなん知らんがな。勝手にせぇ」と言われるでしょうが、しばしお付き合いを。答えは「南海ホークス」。「今そんなんあらへんがなあ。今あるとこはどこが好きや。福岡ソフトバンクホークスか?」「ちゃいます。どこも好きやないけど、強いて言えばアンチ巨神ファンやね」ーという人間が「虎きち」の経済学者が書いた『阪神VS巨人』を読んだ。以下、へそ曲がり的野球論の一席▲著者の橘木俊詔さんは、かつて虎きちで鳴らした国際政治学者の高坂正堯さんと同じ京大のセンセイ。国会に来てもらい『経済格差』論を一度だけ聴いたことがあるが、その時は野球の「や」の字もなかった。当然のことながら、この本では阪神と巨人について蘊蓄の限りを傾けながら、ご専門の「労働経済学」から「経営と労働としての評価」にも一章を割いていて興味深く読ませる。それ以外は、伝統の一戦となった由来、ライバル関係の軌跡から始まり、代理戦争論やら地方球団論、未来予測まで、一気に痺れるほど説きまくっている▲ただし、私のような爺さん世代には大概は想定内の記述で新しい気づきはない。尤も若い世代には新発見の連続で、面白く読めるに違いない。野球と相撲くらいしか馴染める運動がなかった頃と違って、今やサッカーからバスケットボール、ラグビーまで数多くのスポーツに世の中は溢れている。Jリーグが登場し、日本中をサッカーが席巻した頃、人気の首座が交代したかに思われたが、この本を読むと未だ未だ野球は根強い。男性では、30歳まではサッカーと拮抗しているが、それ以上の世代では圧倒的に野球が上位を占めていることが分かる(NHK世論調査)。女性には人気がないがこれは今に始まったことではない▲さて私は何故南海ホークスファンだったか。一言で言えば、人気があるリーグ、チームが嫌いだったことに尽きる。セリーグ、巨人をやっつける快感を味合わせてくれるパリーグの覇者・南海こそ、その願いを叶えてくれるチームだった。阪神は甲子園球場が西宮市という兵庫県に位置しながら、大阪を代表するかのごとく、世間が言いふらすのも気に入らない。〝六甲おろし〟は主に神戸に向かって吹くではないか。大阪の人間が難波のど真ん中にある南海を応援せずしてどないするんや、というのが子どもの頃の気分だったのである▲そんな南海が昭和とともに、大阪から消えて無くなったのは無性に悔しかった。あろうことか、かつてのパリーグ内ライバル西鉄ライオンズも身売りしてしまって福岡から消えた。ただし、その地にダイエーからソフトバンクへと親会社は変わったものの、ホークスという名だけは続く。このチームは今や球界の盟主的存在だ。かつての南海と西鉄の魂が乗り移ったに違いない。人気に甘えた阪神と巨人が大阪と東京の代理戦争をするのは勝手だが、実力が伴わないのをどうする。と、冷ややかに見て、気まぐれに声援を送ったり、無視したりしているのが、へそ曲がりな〝アンチ巨神ファン〟なのである。(2021-4-29)

 

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(385)昔の坊さんが書いた今の若者への生き方、働き方指南の書ー兼好『徒然草』を読む/4-23

昨年の今頃、コロナ巣ごもり中で放送大学の講座に夢中になっていた。国際政治学の高橋和夫さん、フランス文学の宮下志朗さんと並んで、私がとても感動したのが島内裕子さんの『方丈記と徒然草』講義であった。今の時代から超然と離れた平安風の佇まいと独特の静かな口調が特徴的だった。しばらくは、この人の世界に嵌ってしまったものだ。それから約一年。先日、NHK の教養番組『知恵泉』の「兼好法師 一人を愉しむ」に登場されているのに出くわした。チャーミングな実業家・ROLANDとアフロヘアが似合うエッセイスト・稲垣えみ子と一緒に、『徒然草』の〝読み解き〟をされていた。三者三様。まずは皆さんのお顔(髪の毛、目元・口元、耳元)に目を奪われてしまった。それぞれ誰のどの部分かはご想像にお任せする▲兼好のこの作品については「徒然なるままに」から始まる一文だけで、「以下省略、以上終わり」になる人は少なくない。かくいう私も「243段」ものパーツからなるとは知らなかった。『方丈記』に比べて長いことも遠ざけられる運命と繋がる。ただ、第一段の「いでや、この世に生まれては、願わしかるべき事こそ多かめれ」と、人間の誕生から始まって、最終段の「仏は如何なる物にか候ふらん」との問いかけで終わる、この本の構造は、誰しもが興味を持つ人間存在に深く関わる。「昔むかしに坊さんが暇に任せて書いた随筆」だなどとして放置するのはあまりに惜しい▲「ちくま学芸文庫」に収められた訳本は、兼好の本文と彼女の「校訂・訳」と評から成り立っており、今に生きる人間にとってもアプローチしやすいように噛み砕いて(大胆な意訳が魅力)くれている。島内さんは38段から41段のくだりが、それ以前の兼好の生き方が根底から変わったターニングポイントだと、最重要箇所に挙げていて(放送大学講座でも「知恵泉」でも)興味深い。それは一言で言えば、座学の人から人間の只中で生きることの大事さに気づいた転機ということになる。そう結論だけ聞くと、「ああそういうことか」となり、それでおしまいになりそうだが▲『徒然草』は生き方指南書というのがこれまでの定評だが、「知恵泉」では「この本はビジネス書」との読み方を提起していた二人のゲスト(沢渡あまね、吉田裕子)の指摘が面白かった。複数の企業で働くパラレルキャリアと、外に出ることで人と繋がることの大事さを読み取れるというのだ。これを聞いて、全く私の生き方と似てると共鳴した。定年後、複数の団体、企業の顧問として関わり、様々の領域、職域の人々と繋がって生きているからだ。こう聞くと、また「あっ、そう。はい終わり」となりかねない。さてさて、至るところに中断、挫折が待ち受ける本ではあるが、それは私が老人だからであって、若者にはそんなものは通用しないはず。そう、この本は青年必読の書なのである。(文中敬称略 2021-4-23)

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(第5章)第4節 「EU離脱」の背後に横たわる風景━━秋元千明『復活!日英同盟ーインド太平洋時代の幕開け』

 「インド太平洋構想」に筋金入れる

 英国をどう見るか──かつては、世界に冠たる海洋国家として七つの海に君臨した勇壮なる国家だったが、米国にその首座を明け渡してからは「英国病」の名の下に落ちぶれるばかり。近年に至っては、すったもんだの内輪揉めの挙句に「EU離脱」から、あわや身内からスコットランドが独立するのか、との動きに苛まれる始末。ミニ・トランプばりだったジョンソン首相も「コロナ禍」に悪戦苦闘した末に消え、次々と首相の名も変わりゆく。こんなイメージが一般だと思われるが、それをぶっ飛ばす勢いの本が『復活!日英同盟』である。著者は旧知の元NHK解説委員の秋元千明氏。現在は英国王立安全保障研究所(RUSI)日本代表である。

 秋元氏は、英国が外交戦略の見直しに立った上で「EU離脱」を選択し、グローバル・ブリテンの構想のもとに、今や日本と共に「インド太平洋時代」を担う存在であることをこの本の中で、克明に明かしている。つまり、一般的に伝えられてきたような、英国は「EU離脱」によってやむなく戦略変更を迫られたのではないことを、安倍・メイ外交に遡って(更に野田民主党政権時の動きにも注視)、日英合作の経緯を追う中で、証明してみせているのだ。日英同盟の復活で「インド太平洋」構想に筋金が入り、それによって中国の「一帯一路」構想に立ちはだかることが可能になるというのである。なんだか急にユニオンジャックに後光が差してきたかのように思われる。

 危ない綱渡りだったが、当初の筋書き通りに

 これを読み終えて、元英国大使の林景一氏(前最高裁判事)の著作『英国は明日もしたたか』を思い出した。2017年に出版されると同時に読んだ。当時の私は、英国が「したたか」なのは過去の振る舞いに照らして解るものの、これからはもはや無理かもしれないと思わざるを得なかった。だが、同時にメイ首相が鉄の女・サッチャーさながらの「氷の女」と知り、その後の英国の変貌に一縷の希望を持ったものである。秋元さんは、2017年8月31日の「日英安全保障協力宣言」にはじまって、2021年に予定された新型空母「クイーン・エリザベス」の日本来航まで、一気に読者を惹きつける。

 「インド洋と太平洋という二つの海が交わり、新しい『拡大アジア』を形成しつつある今、このほぼ両端に位置する民主主義の両国は、国民各層あらゆるレベルで友情を深めていかねばならないと、私は信じています」との安倍アピールが最初の号砲であった、と。そして、この本の末尾に「英国の新型空母『クイーンエリザベス』はそのことを伝えるため、2021年、はるばるインド太平洋に向けて出航する」との結びの二行まで続く。ここでいう伝えられる「そのこと」とは、「民主主義国家の集合意識」である。

 ただし私としては、「EU離脱」が逆に振れていたら、つまり「EU残留」だったら、水の泡になったかもしれないと思う。秋元氏がここで書いている流れはもちろん後付けではなかろう。だが、狙い通りだったのかどうか。恐らくは、危ない綱渡りをしたものの当初の筋書き通りに何とか事は運んだ、というのではないかと察せられる。だが、そのあたりの英国内の動きには触れられていない。

 序章の末尾に「なぜ日英同盟なのか、その現状と今後の課題、また日英同盟再生の背景について考えてみたい」とあるものの、「日英それぞれのお家の事情に関心のある読者にとっては満足できる内容とはいえないかもしれない。その点はご容赦願いたい」とある。この辺り、日本の国内事情もさることながら、とくに英国内政治の観点からのフォローが無性に欲しくなってくることは禁じ得ない。

 【他生のご縁 腰痛が取り持つ仲間たち】

 時の流れは本当に早いものです。欧州も日本も、世界は「ウクライナ戦争」で大きく揺れています。「復活した日英同盟」は、まさに時を得て、民主主義国家群の中にあって重要な位置を占めつつあるといえましょう。

 かつて読んだ宮澤喜一元首相と五百旗頭真神戸大名誉教授(当時)の対談『戦中戦後の体験私史』の最後のくだりで、「戦前期の日英同盟は20年続いただけですが、戦後の日米同盟は50年(2001年当時)です」と、五百旗頭氏が言ったことに対して、宮澤氏が「そうですか。日英同盟は20年ですか。意外に短いものですね」と返しているところが妙に印象に残っています。短かった同盟関係が今再び甦ることに期待する向きは少なくありません。

 秋元さんと私は、カイロプラクターを頼りにする腰痛仲間です。私が名誉会長をしている一般社団法人「日本カイロプラクターズ協会」の幹部だった村上佳弘さん(神奈川歯科大大学院特任教授)が二人を結びつけてくれました。私の手元にある秋元さんの本の裏表紙には村上さんへの彼のサインがあります。そして私は林景一元英国大使も〝この世界〟に紹介しました。この人もまた、同病相励まし合う仲間だったのです。

 

 

 

 

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(383)なぜ他の国とこうも違うのかー三浦瑠麗『日本の分断』を読む

世界中が「分断」で喘いでいる最中に、日本だけが奇妙な静謐さの中にある。その理由を解き明かし、民主主義の未来のためには、もっと「分断」が必要だと強調する。著者の三浦瑠麗さんはテレビメディアで売れっ子の若き国際政治学者。自らが主宰するシンクタンクによる意識調査をもとに、独自の日本人の価値観を浮かび上がらせたうえで、日本政治の今を分析する。私としては知的刺激をそれなりに受けたものの、やがて公明党への記述が極端に少ないがゆえの物足りなさに浸ることになった◆戦後日本の「分断」の最たるものは、日米安保条約をめぐる論争であり、その同盟の是非を問う政党間競争だった。それは今なお、経済、社会的テーマが与野党の大きな違いを生み出しえずに後衛に退き、「安保・同盟」が殆ど唯一の争点となって続いている。そこへ「安全保障」におけるリアリズムの台頭という現象が定着してきた。であるがために、結果的に劇的な変化が起こり辛くなっているというのが大まかな著者の見立てである。「政治による分断は、それが内戦ではなくゲームにとどまる限りにおいて存在意義を見直すべき」で、「あらためて健全な分断とは何かを考えなければならない」と三浦さんは本書を結ぶ◆健全な分断のない、日本独自の閉塞した事態はなぜ起こっているのか。その要因の一つに、私は「公明党の与党化」という問題があると睨む。自民党政治の小さな「安定」に腐心し過ぎた結果、大きな「改革」が滞っている。だらしない野党に代わって、今一度日本政治の覚醒のために公明党はシフトチェンジすべきだ、と。この観点に立って本書を読み直すと、気付くのは公明党への言及の極端な少なさである。登場するのは僅かに2箇所。一つは、世論調査において「宗教を基盤とした公明党への投票者はそのことをあまり明らかにしない傾向があり、実際よりも少なくしか回答に反映されない」とのくだり。果たして本当のところはどうなのか。ステロタイプ的表現に陥っていて、掘り下げが足らないだけなのではないのか◆もう一つは、逢坂立憲民主党政調会長が、「政治は残酷なもの」の実例として、自分の所属する党と公明党を比べて「それほど立場が違わないのに逆のことをする」と挙げているくだりだ。これは、政策的スタンスに違いはあまりないのに、与野党の立場の違いから結果として逆の行動になるとの意味あいだと思われる。立憲民主党の愚痴的泣き言ではあるが、現状転換の糸口にも繋がる興味深い発言である。この辺りについて、著者にはもっと考察を深めてほしかった。また、「おわりに」で、コメントを貰った人の一覧に公明党のホープ・岡本三成衆議院議員の名前が見出される。三浦さんが何を彼に聞き、どう彼が応えたのかが皆目わからないのは気にかかる。(2021-4-10)

★【思索録】では、新たに「『新・人間革命』から考える」をスタートさせました。13日付けで、第一巻「旭日」の章と取り組んでいます。

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(382)想像力の貧困さを思い知るー重松清『希望の地図 2018』を読む

東日本大震災から10年。この3月11日前後に嵐のように各種メディアが追憶の記事を特集し、ひとしきり続き、そしてやんだ。しかし、阪神淡路大震災から、15年ほどが経った時点で起きた地震、津波、原発事故がもたらす複合災害は、明らかに現代日本人の意識を変えた。「災害は忘れぬうちにやってくる」が当たり前になったのである。しかも、昨年からの「新型コロナ禍」の追撃は、800年前の日蓮大聖人の『立正安国論』の世界を彷彿させてあまりある◆重松清さんのこの本は、平成30年(2018年)の一年をかけて、東北を始めとする全国の被災地を横断して取材したルポルタージュだ。定評のあるこの人の優しさが満ち溢れた素晴らしい本だ。2016年4月14、16日の熊本地震、2018年6月28日から7月8日まで西日本を中心に全国を襲った平成30年7月豪雨、そして同年6月の大阪府北部地震、9月の台風21号。そしてあの1995年1月17日の阪神淡路の大震災。口絵のカラー写真20葉ほどが鮮やかに過去の記憶を呼び覚ます。今に生きる全ての人にとっての備忘録たり得る好著だ◆重松さんはこれら現地に実際に足を運び、被災者に直接会い、時に自己嫌悪に陥りながら、また呆れるほど情け無い気持ちになりつつ、重い口を開かせ続けた。その記録を読み、「想像力の欠如」にこそ、被災者たちを孤立させるものだとの、著者の思いに読者は共感する。ただ、それはわかっていながら、想像力を逞しくする辛さから逃げようとする自分をも否定できない。「大切なものを喪い、かけがえのないものを奪われてしまった人たちに、不躾に話をうかがってきた」著者は、「取材後はいつも重い申し訳なさを背負ってしまった」と。その真摯さが胸を撃つ◆「好漢二人が震災を契機にめぐりあい、素晴らしい友情を育んだ」との最終章の一節は、「希望の地図」のタイトルを裏付けるかのように明るい展望に満ちている。残虐なリアルの連続に打ちのめされても、一縷であっても希望を持ちたいとの読者の期待。それに応えてくれる筆運びが嬉しい。26年前のあの大震災の震源地となった淡路島の北淡町。その地が指呼の間にある明石市の海岸沿いのマンションの一室。そこから私は今これを書いているが、「本でしか学べない現実がある」とのキャッチコピーに強く共鳴する読後感を抱く。(2021-4-3)

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