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(381)米国流への心酔だけでいいのかー相島淑美『英語でマーケティング』を読む

 マーケティングについて英語で書かれた本を読むーおいおい、赤松。どうしたんだ、って思われるに違いない。英語が得意でもなく、マーケティングともあまり関係がないはずと、私を知る多くの人は見る。その通りだ。だが、その本を書いた人が並外れた知的経歴を持つ魅力ある女性で、異業種交流会で知り合った人だといえば、一転なるほどということになるかもしれない。議員引退後10年近い歳月の間に数多の新しい分野に友達が出来たからだ。そう、著者の相島淑美さんはそのうちのひとり。上智大学で英語を学び、日経新聞で流通経済の現場を取材した後、慶応義塾大学院に入り直しアメリカ文学を研究。修士となって清泉女子大専任講師として教鞭を取る。その一方で翻訳家として20数冊の書物を訳す仕事に従事し、さらに関西学院大経営戦略科のMBAとしてマーケティング習得に磨きをかけ博士号を取得、今は神戸学院大学経営学部准教授を務める◆こう記すと、およそ近寄り難く気位の高い、うるさい女性と思われる向きが多いに違いない。しかし、その見立ては全くのハズレ。数年前に中小企業の社長で関学大MBAという、これまた際立って優秀な、高校の後輩Y氏から紹介を受けて以来、時に応じて交流を深めてきた。付き合うほどに、人としての佇まいと品の良さに心うたれる。彼女が翻訳した、ロバート・ダレクの『JFK 未完の人生』(2006年刊行)については、すでにこの欄で紹介(2015-10)したが、この度その女性が初めて自著を出版した。しかも英語を取り扱う分野で聳え立つ研究社から。とくれば、英語もマーケティングも苦手などと言っておられない。著者自身に肉迫する思いで読んだのである◆観光やアパレル業界などにまつわるマーケティングに関する三本の英語論文(抜粋)を優しく解説した本である。「英文に引っ張られるのでなく、自分から先に何が書いてあるかを予想しながら読む習慣をつけると、英文が無理なく読めるようになります」「抽象的な言葉が多く使われていますが、教育実習生と指導教員の関係を思い浮かべながら読んでいくとよいでしょう」ー長年に渡り、英書と格闘してきた人ならではのアドバイスが随所に光る。こういう英語教師と出会えなかった我が身の不運が悔やまれる、というのは少々言い過ぎかもしれないが、それに近い感情を持ってしまう◆ コロナ禍の直前、日本中はインバウンドに沸き、〝おもてなし〟に関心が高まった。マーケティングの本場・アメリカでのホスピタリティとの違いはどこにあるのか。かつて、明石港、淡路島を拠点に、瀬戸内海の島々をめぐる観光に執念を燃やした私もあらためて思いをめぐらせた。達成すべき100点満点基準を「ゴール」に設定するホスピタリティ。これは、基準をいかに効率よく達成するかがポイントだ。一方、日本の〝おもてなし〟に「ゴール」はない。どこまでいっても、まだまだよりよくする余地はあると、著者はさらに「表面的な行為は似ていても、前提となる発想は大きく異なる」と切り込む。翻訳と解説に未整理なところが散見されていささか気になるところがあるものの。刺激に溢れた好著である。「英語」と「マーケティング」どちらかに関心を持つ人に、勿論双方共に学ぶ多くの人に勧めたい。(2021-3-26 3-27一部修正)

★他生のご縁

 相島淑美さんが翻訳した(翻訳者名は鈴木淑美)『JFK  未完の人生』は、ケネディの知られざる一面をふんだんに盛り込んだ面白い本でした。とりわけ、「華麗なる大統領ープライバシー」の14章は興味津々です。「健康問題や兄妹の早世からくる『先が長くない』という気持ちから女遊びに走ったが、それは今でも変わらなかった。この先まもなく、核戦争が起こるかもしれない。となれば、人生を出来るだけ満喫したい、やりたい放題して生きたい、という衝動に拍車がかかった」とのくだりには衝撃を受けました。

 マリリン・モンローとの浮名など女癖の悪さは知らないわけではなかったのですが、このくだりは首を傾げざるを得ません。強いリスペクトの思いを持っている私には、著者の表現のありように疑問さえ抱いてしまいます。無理を承知で、相島さんに直接問いただしたい衝動に駆られてしまいました。

 その後マーケティング研究の学者に変身した相島さんは、新たに『響創する日本型マーケティング 理論と実践』(佐藤善信関学大学院教授ほか編著)という本の著者に名を連ねています。佐藤門下の10人の弟子たちの一人として、「おもてなしにおける場の生成」という興味深い章を担当しています。と同時に、コーディネーター役をされたようで、先日、本をいただいた際に、このテーマの可能性と重要性に並々ならぬ手応えを感じておられる風にお見受けしました。『万葉集』の時代から、今の世まで、文学、文化の視点から分析された手法は、大いに惹きつけられます。

 

 

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(380)巧みな政党比較に酔うー山口那津男、佐藤優『公明党の真価を問う』を読む

世の中的には安倍晋三前首相の7年8ヶ月の評判は、功罪あい半ばする。それを与党の一翼として支えてきた公明党についても見方は分かれる。私見では、政治倫理に照らして怪しげなこと(例えば、いわゆる、もり、かけ、さくら問題など)で、安倍、菅コンビに対して、公明党が大きな声でノーと言った場面が見えなかったことが原因だと思う。それは、連立のパートナーとしてのマナーの遵守なのだろうが、結果として「存在感に乏しい公明党」という見立てを許してきたのは無念である。と、私は思ってきた▲しかし、田原総一朗氏との先の対談本に続き、今回佐藤優氏との第二弾も読み終え、大いに反省せざるをえない。知られざる山口代表の底力。それを世にどう伝えるか。もっと公明党は真剣に広報に取り組まねば、損をしていると思うことしきりである。例えば、イージス・アショアによる「敵基地攻撃能力」問題を公明党が一蹴したことはそれなりに知られている。しかし、その代替策として「スタンド・オフ・ミサイル」の開発に持ち込んだことは殆ど知られていない。この兵器は領土、領海、領空を守る自国防衛のためのもので、「画期的」(佐藤)な「最適解」(山口)だ、との評価は手前味噌でなく、間違ってはいない▲しかし、メディアはそう伝えていない。公明党からの発信も弱い。佐藤氏が「成果が出たあと、何事もなかったかのように、静かに次の仕事を続ける。この謙虚さも公明党ならでは」というが、私はむしろむず痒さを覚える。安全保障分野では「絶対的平和」を求める向きも支持者に少なくない。それゆえ誤解されることを恐れて、政策スタッフが発信を躊躇したものではないかと想像している。生活に直結する社会保障分野での数々の実績やその対応とは違うところだ▲この本での佐藤氏の巧みな比喩を使った政党比較が興味深い。例えば、自民党は「エピソード主義」だが、公明党は「エビデンス主義」だという。前者は「偶然出会った出来事を普遍化させて」自身の実績にしてしまうが、後者は現場で話を聞くと、「アンケートや訪問調査で根拠をとって裏付け」たのち、党の実績へと組み立てるからだ、と。なるほど。一方、旧民主党は、「コンサルタントみたい」で、「評価しながら関わるが、最後の出口まではしっかり責任をとらない」。公明党は「コーチをしつつ、最後まで一緒に(伴走者として)走り切る」。確かに。さらに共産党は「暴力革命政党」で、公明党は「人間革命政党」だ、と。公明党は「仏法の中道主義、人間主義、平和主義に基づく価値観政党」である。その通り。共産党は「共産主義と暴力革命という価値観政党」だと、同じ価値観政党として位置付けている。分かりづらい。ここはやはり従来通り「イデオロギー政党」であるとした方が落ち着く。ともあれ、この本を読めば公明党支持者は溜飲が下がること請け合い。ただし褒められ過ぎて、酔い過ぎにご注意だ。(2021-3-21 一部修正)

 

 

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(379)「知性と現代」「公明党の足もと」「姫路と文学」などに思い馳せる3冊

与那覇潤、山口那津男、森本穫ーこのところこの3人の本を続け様に2冊づつ読んだ。1冊目はそれぞれ読書録に既に取り上げたが、2冊目については3つまとめて1回分で印象に残ったところに触れたい。まずは、与那覇の『知性は死なない』から。社会全体の「うつ」症状を診る『知性が崩れゆく世界で』(第5章)を追う。ソ連風社会主義と米国流自由主義が30年の時間差で、瓦解する風景を二つながらに見ている私たち。与那覇はこの背景に「反知性主義的な反発」があるという。「身体に対する言語の屈従」をどう乗り越えるか。病みあがりの若い知性の挑戦は、老政治家の知的興味を刺激して止まない◆次に、山口と佐藤優の『いま、公明党が考えていること』を。これは5年前の「安保法制騒ぎ」の直後に出た。佐藤はこの本から公明党ウオッチャーの姿勢を一段と強めた風に見える。山口は苦労を重ねた末に、見事に「集団的自衛権」問題を「憲法の枠内」に収めたことを語り尽くす。山口の家族のことを含む体験談は感動深い。強く私が共鳴したのは「人間の生命だけが一番尊いわけでもありませんし、人間以外の動物や地球環境を犠牲にし続けることは許されません」との生命観を披歴したくだり。さりげないが、凄い一行だ◆更に、森本穫の本は、同居する私の義母が持つ『作家の肖像ー宇野浩二、川端康成、阿部知二』である。このうち姫路に縁の深い知二についての第三章だけ読んだ。冒頭に歌稿168首がずらり並ぶ。胸を病んだ彼の切なる思いは、かつて同じ年頃に同じ病に悩んだ我が胸に異音を持って響く。森本は40代半ばに姫路に居を定めてから、「知二」と必然的に深い関わりを持った。「〈抒情〉とともに色濃く現れている〈官能〉の要素。それは同時に、破滅や零落を招きかねない危険因子として、恐れと予感にみちて描かれている」との〈頽廃〉を想起させる書きぶり。姫路を離れてから逆にご縁を頂いた森本穫。彼の誘いによる知二との邂逅に、遠い日に別れた女と再会したような疼きを禁じ得ない◆あとは補足。与那覇は「人類が進歩するにつれて、世俗化(脱宗教化)してゆくという考えかた」の「信憑性が疑われている」として、米露におけるキリスト教の影響を挙げる。併せて、「創価学会のささえる宗教政党(公明党)が、キャスティング・ボートをにぎりつづけた平成30年間の日本の政局をくわえても、いいのかも」と続ける。この後、最大の信仰復興を実現したのはイスラム教だと、話題を転じているのは残念だ。彼の公明党観をもっと聞いてみたい。私は、これまでの政治家人生で、竹入、矢野、石田、神崎、太田、山口と6代にわたる公明党のトップと濃淡の差はあれ、それなりに付き合ってきた。数々の思い出の中に好悪の感情が入り混じるが、「山口那津男」には益々興味が尽きない。(2021-3-9 一部修正 敬称略)

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(378)面白いのは推理小説だけじゃないー森本穫『松本清張 歴史小説のたのしみ』を読む

いまどきどうして松本清張の歴史小説なの?実はこの本、つい先日著者の森本穫(おさむ)さんから「旧著ですが」と、送って頂いた。直ぐに開いて、そのまんま一気に読み進め、翌日に読み終えた。清張の推理小説なら過去にそういうことはままあったが、歴史小説を評論にせよ読むのは初めて。書いたこの人は元短大教授にして文芸評論家。16編を11に分けて解説したものである。原素材をうまく使って、食べやすくしてくれた料理のように、絶妙な味だった。本体を直接味わってみたいとの期待を惹起させてくれる▲森本さんは、姫路ゆかりの人(生まれは福井県)だが、長く面識を得る機会に恵まれなかった。モロイに心酔し、和歌文学に造詣の深い小説家の諸井学さんに、明石に転居する少し前に紹介された。この人を小説創作上の師と仰ぐ諸井さんから、川端康成や阿部知二研究で名高い人と聞いていたので、清張の本を前にして驚いた。懐石料理屋で、いきなり一口カツが沢山出てきたような思いがした。恥ずかしながらこの人が松本清張研究会員でもあることは知らなかった▲清張は朝日新聞西部本社の広告部で図案や版下文字を書いていたことは有名だ。彼が記者に憧れたことは、その世界を齧ってきた私にはよく分かる。しかも私は政党機関紙記者の劣等感に苛まれてきたから他人事ではない。中学もろくに出られず、貧しい家庭の子沢山の中で育った清張が、いかに社会の底辺から這い上がる苦悩に支配され続けてきたかということも。彼の創作の原点にある視点を、歴史上の様々な人物の生涯に照射した試み。それがこの本で触れられた一連の歴史小説集である▲清張の処女作『西郷札』が、徳冨蘆花『灰燼』や樋口一葉『十三夜』の影響を深く受けていること、『疵』『白梅の香』が森鴎外の『佐橋甚五郎』や『興津弥五右衛門の遺書』を応用したことなどなど、森本さんは次々と明かしていく。ある意味で清張は〝模倣の天才〟でもあった。図案職人から大作家への彼の〝成長過程〟を知って、読者は穏やかならざる気持ちに誘われる。天才と凡庸の差のあまりにも大なることを思い知るのだ。それにしても森本さんの清張料理における手際良さは、目を見張り舌を巻く。文中しばしば図書館における「相互貸借制度」の恩恵にいかに浴したかに言及されていて興味深い。〝名料理人の俎扱い〟を曝け出してくれているかのようにさえ思われる。さてもさても姫路時代になぜこの人ともっとお付き合いできなかったのか、と悔やまれてならない。(2021-2-27)

★思索録「疫病禍に苦しむ人類のこの800年ー寺島氏の『日蓮論』から考える」に更新しました(2021-3-5)

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(377)なぜもっと注目されないのかー山口那津男vs田原総一朗『公明党に問うこの国のゆくえ』を読む

「日本の政治の舵を取る 公明党のすべてがわかる!」「当代随一のジャーナリストが政権政党代表に舌鋒鋭く迫る」とのキャッチコピーに惹かれて読んでみた。コロナ禍への対応も入っており、公明党に関する最新の情報が満載されている。読み終えて、こんな凄い闘いをしている党なのに、世にあまり注目されていないのは不可解だと思わざるを得ない。私のような公明党関係者でも新たな気付きが一杯あり、刺激に溢れている。ただ、一重たちいたって深く読むと、少し物足りなさも残る▲まず、山口代表が衆議院選で、自民党公認候補との調整がならず、二度にわたって闘って敗れたことについて。「こんな経験をした者は公明党の歴史の中で私しかいません」と。溢れる悔しさを覆い隠した珍しい発言である。「衆議院選挙で2回落選して、もはや政治生命は絶たれた、と自分でも思いました」ーこの前後の記述には切なくやるせない思いにさせるものがあり、公明党の選挙を経験した者として、まさに正座して読まねばならぬと思った▲全国の地方議員の闘いに触れたところ(第一章)も、改めて公明党の底力の所以を思い知った。また、郵政解散で「新しい時代の風」が起こり、「とにかく風に乗れ」と訴えた場面(第二章)では、知られざる同代表の一面を見て興味深かった。新型コロナウイルス感染症対策で、閣議決定を覆し、10万円給付決定にまで持ち込んだ舞台裏(第三章)は、まさに迫力満点。社会保障政策に関する第五章は、私にとって新しい気付きばかり。「無償化3本柱」の中身、フィンランドに学ぶ子育て支援スタイル、就職氷河期の課題解消策などなど、すべて目から鱗が落ちる思いで、読み進めた。公明新聞紙上でこの対談を細かく分けて掲載をするとか、ユーチューブで発信すべきでないのかと思うことしきりだ▲次に私の最大の関心事を巡っての思いを二つ挙げたい。一つは、安倍自民党の金権政治の象徴として、問題になっている「桜を見る会」について。田原氏が「かつての自民党なら、実力者の誰かが、安倍さん、やめた方がいいよと忠告したはず。ところが、今は誰も言わない」と述べている。それに対して山口代表は「公明党は3、4人しか割り当てられていませんけれどね(笑)。」と発言。ここは「残念ながら背後の事情など知る由もなかった」とか、率直に弁明して欲しかった。田原氏が「そういうときは、やっぱり、公明党が強くいうべきなの」と差し込んでいるのに、同代表は黒川検事長の定年延長問題に関してはきちんと説明すべきだ、とだけ。「桜を見る会」については、公明党も参加せざるを得なかっただろうが、問題点はそれなりに追及すべきだ。一般的には壇上の首相の隣に山口代表が並び、杯をあげているシーンが映像で出てくるたびに、〝自公一体〟が印象付けられ、うんざりしてしまう▲公明党に今一番求められているのは、この国をどういう国にしていくのかというビジョンの提示ではないか。社会保障分野を始め、他党の追従を許さぬほどの政策提案を展開、実績も十分だが、国のあり方の大きな方向性で党独自の視点が見えない。要するに自民党と歩調を合わせる党であるとしか見えてこないのだ。この本の「はじめに」で、田原氏は、「最後に公明党は日本をどのような国にしようとしているのか。山口代表のビジョンをお聞きしたい」と述べている。私もそれに期待した。しかし、ズバリそう聞く場面は出てこない。当然、その答えもない。残念という他ないのである。蛇足だが、本書で活躍に言及されている公明党国会議員は男女2人づつ4人いるが、全て参議院議員。衆議院議員はどうしているのかと余計な心配をしてしまう。(2021-2-20)

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(376)人の精神への処方箋と、文明への見立てとー中井久夫『分裂病と人類』を読む

前回紹介した与那覇潤さんの論考(『繰り返されたルネサンス期の狂乱』)の中で、私がもう一つ注目したのは中井久夫さんの『分裂病と人類』について触れられていたことである。この人は神戸に住む精神科医で、文筆家としても名高い。かつて私は『日時計の影』(2008年)『樹を見つめて』(2006年)を感動のうちに読み、読書録にも取り上げたことがあるが、この本は更に20年ほども前の1988年に出版されている。学術書風の硬いもので読みやすいとはいえないが、意を決して挑戦してみた▲最後の最後に「終わりにー〝神なき時代〟か」に接して、愕然とするほかなかった。「〝司祭〟を越えて殆ど〝万能者〟〝全知者〟として患者に臨まんとする医師の内なる誘惑が(実は医療の技術的未成熟による面が大きいのであろうけれども)、今日ほどたやすく診察室で実現しうるときはおそらくない」と述べた上で、「精神科医が、神の消滅しつつある時代に司祭あるいは神にとって代わろうとするのか。この誘惑の禁欲において医師としての同一性を保持しつつ患者に対しつづけうるのか。これは西欧精神医学の問題であるとともに、その枠を越えた現代の問題、特に日本(とあるいはアメリカ)の問題であろう」と結んでいる。いささか持って回った表現で解りづらい。要するに著者は〝神の代理人〟としての精神科医の危うさを吐露されているように、わたしには読める。それから40年が経った今も、この病をめぐる状況は殆ど変わりないように思われる▲一方、この本では、ルネサンス期の「魔女狩り」の史実を追っていて知的刺激を強く受ける。実は与那覇さんは、前述した論考で、「魔女狩り」と、現在における「反知性」の謀略論の台頭との類似性に着眼している。しかもその上に、「『西洋近代』を生み出す際の陣痛だったともいえるルネサンスのダークサイドは、目下の世界情勢とよく似て」おり、「いわば『中国主導の脱近代』への過渡期における『第二のルネサンス』が今起きているのだと見ることも可能」とまで読み取っている。加えて中井さんが「ルネサンス時代は異能を持たぬあたりまえの人が生きにくい時代であった」というルネサンス歴史家・塩野七生さんが繰り返す言葉に注目していることも見逃せない。この本は患者としての与那覇さんを見事に甦らせ、ついでに読者をも魅了させるのだ▲以上のように、この本は精神科医としての中井さんの二面性ー精神を患っている患者に対する医師の姿勢と、文明の病的側面を診る文明史家の態度ーが窺えるものとして、実に〝面白く〟読めた。なかでも第二章「執着気質の歴史的背景」での「文学的脇道」がいい。江戸期から明治期にかけての士農工商各階層ごとの倫理を語って、すこぶる惹きつけられるのだ。二宮尊徳、大石良雄、森鴎外、芥川龍之介らが俎上に昇っているが、とくに鴎外についての記述には関心を持った。「鴎外山脈」とも称される膨大な作品から、その一生を集約するものとして、詩「沙羅の木」を挙げている。「日露戦争における戦死の予感」としての「(鴎外)自らへの悼みの詩」は忘れ難い。「褐色(かもいろ)の根府川(ねぶかは)石に 白き花はたと落ちたり ありしとも青葉がくれに みえざりし さらの木の花」ー残された我が人生で、掴み損ねて置き去りにしているものを味わい尽くしたいとの、切なる思いが募ってきた。(2021-2-12)

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(375)知性は死にそうー與那覇潤『日本人はなぜ存在するか』を読む

與那覇潤さんの『中国化する日本』は、妙に気になる視点のユニークな本だった。その後、彼が躁鬱病になったとの話が届いた時はショックだった。若いのに惜しいなあ、との思いが強かったのである。それだけに、大学は辞めたものの、物書きとして復活したとのニュースは嬉しかった。もう、カムバックから4-5年経つが、先日雑誌『Voice』2月号で久しぶりに論考を発見し、熟読した。『繰り返されたルネサンス期の狂乱』である。「(コロナ)危機への対応を先進国の政治家や知識人が誤った結果、知性への信頼を完全に崩壊させた」との指摘から始まり、このことを「世界史の中にどう位置づけるか」との問題提起は、極めて重要であり知的興味がそそられる▲「知性の崩壊」は、今や誰の目にも明らかになってきている。とりわけトランプ米大統領の振る舞い及び周辺の動きは「米国の分断・分裂」を明確にしただけでなく、日本にも「謀略論」の復活をもたらそうとしている。そんな状況のなか、『日本人はなぜ存在するか』を読んだ。「日本人とはいったい何か」とのテーマを巡って、国籍、民族、歴史に根拠はあるのかどうかを、社会学、哲学、人類学など様々の学問のアプローチを駆使して探っている。それはそれで興味深いのだが、より惹きつけられたのは、最終章の「解説にかえて平成の終わりから教養の始まりへ」だ。とくに、大学がこれから「独学との競争」に晒されるとのくだりは面白い▲AIの進展と共に、大学で教授から学ばずとも、スマホでグーグルにアクセスすれば、解は一発で求められる。かつての「知への山脈」はいとも簡単に崩れ去り、我々の眼前にそれは皿の上の手料理のように横たわっている。何の苦労もせずに先人の築いた「知の宝庫」が誰にでも手に入れられるのだ。時あたかも、コロナ禍でフェイスツーフェイスの教室での聴く講義から、オンラインでの見る講義が余儀なくされている。いやまして「独学の時代」の到来だとも言えるのである。大学教授はオンラインの狭間で独自の価値を編み出せるかどうかが問われ、学生の方は、単なる独学以上のものを、教授からどう得ていくかが求められてくる。この本は、大学の教授として脂の乗り切った矢先に躁鬱病を患った人の手になるものだけに、より「知性の存亡」が問われることがリアルに見えて来て興味深い▲この本は様々な意味で、今の時代の切り口のようなものを提起してくれている。それは「国家の擬人化」といった一見硬いとっつきにくい政治論的テーマから、「『シン・ゴジラ』『君の名は。』などといった一見柔らかい文化論的テーマまで、広範囲に料理してくれていて参考になる。著者はご自身の病気の体験談を含めて、平成という時代と真正面から取り組んだ『知性は死なない』というタイトルの本を少し後に出している。この本の続編の趣きがある。その意味では、わかりづらく食指が動かない危険のあるタイトルよりも『知性は死にそう』とか『死に瀕した知性』と言う風なものの方がいいかもしれないと思ってしまう。(2021-2-5  一部再修正)

 

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(374)安保研究の「知的怠慢」を指摘ー山本章子『日米地位協定』を読む

目が覚める思いがした。「日米地位協定合意議事録を撤廃し、日米地位協定の条文通りの運用を行うことによって、不完全ではあるが協定が抱える問題の大部分は改善される」ーこの記述を山本章子『日米地位協定』の終章で発見した時のことである。政治家として長く「日米地位協定」の改定をせよと、外務省や米国務省に要望してきたのだが、いつも日米一体の門前払い的対応に歯噛みするのみ。この視点は欠落していた。著者は、この議事録が1960年に締結されてから、60年を超えて公の場で論じられてこなかったのは、「単に政治の場やメディアで注目されず、知られていなかっただけ」で、「日米安保研究の知的怠慢のせいでもある」と厳しく断じている。もちろんご自身もその責めを負うことに言及されている。このくだりを読んで、政治の世界に身を置いてきたものとして、恥いらざるを得ない▲この書物を読むことになったきっかけは、昨年末に山本さんが毎日新聞に寄せた寄稿文である。元東京新聞論説主幹だった宇治敏彦さんの一周忌にこと寄せて「心から尊敬する人物で政治史の師である」との書き出しで、様々のエピソードを交えた心惹きつける内容であった。実は、宇治さんは、私が所属する一般社団法人「安保政策研究会」(浅野勝人理事長)の草創以来のメンバーで、理事をしておられた。中途加入した私に、色々と声をかけてくださる優しい先輩だった。版画入りの俳句集を出版されていたことも印象深い。この寄稿文を読んで私が感激した旨を同会の仲間にメールで知らせたところ、柳沢協二・常務理事(元防衛省官房長)から直ぐに反応があった。山本さんがこの『日米地位協定』で石橋湛山賞を受賞されたことなど、いかに有能な研究者であるかを教えて頂いたのだ▲この本は「日米地位協定」をめぐる一連の経緯について詳細にまとめられており、その価値は極めて高い。関心を抱く人なら座右に置いておくといい。役立つこと請け合いである。私の衆議院議員としての20年間は、ある意味で「無念なことのみ多かりき」歳月だったが、この問題はその最高峰の位置を占める。沖縄における米軍人による少女暴行事件など乱暴狼藉が起きた時には本土でも怒りが盛り上がる。被告人の裁判は勿論、身柄拘束さえままならぬ現実を変えるために壁になっている「地位協定」改定機運が高まるが、やがてしぼむ。その都度国会でも声が上がるが、結局は陽の目を見ぬままに終わってしまう▲この点について、沖縄海兵隊の元幹部で、今は政治学者のロバート・エルドリッジ氏と私はしばしば論争してきた(幾度か書いてきたので、ここでは触れない)。結論は日米地位協定の改定しかないと私が言うと、不思議に彼は黙ってしまう。昨年その謎が解けた。実はこの5年ほどの間、彼は沖縄における米軍人の犠牲になった女性たちのために戦ってきていたのである。昨年、逃げていた米兵を発見することに尽力し、遂に捕まえたという。彼はその経緯をある新聞に寄稿した。その見出しは「日米地位協定の改定を」であった。そこでは、日米双方の責任ある部局がそれに不熱心であり、日本の政治家も無力であることを批難していた。何のことはない。彼は自身の「善行」を隠していたのである。成果が出ていなかったからであろう。日本の武士道を思わせる彼の振る舞いに、口先だけだった私は〝負けた〟との実感を抱くほかなかった。(2021-1-29)

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【373】2-⑥ 行動する学者による憂国の外交指南━━北岡伸一『世界地図を読み直す』

◆日本外交はどこに立って何を目指すのか

 国連大使を経てJICAの理事長だった東大名誉教授の北岡伸一さん。彼と私は、これまでに僅かだけれども重要な接点があった。一つは憲法をめぐる政治家と学者の座談会(読売新聞主催)でご一緒して、「場外衝突」したこと。もう一つはこの人の出身地である奈良県吉野町に行った際に弟君の北岡篤町長(今は退任)としばし懇談したこと。前者でこの人の心意気を感じ、後者ではこの人の出自を知った。

 『世界地図を読み直す』を読み進めるうちに、この二つの出来事を懐かしく思い出す記述に出会った。この本は、行動する憂国の学者・北岡さんがJICAの理事長として世界の各国を訪問された際の行動録である。先年亡くなられた劇作家で文明批評家の山崎正和さんが「知的な俊英であるだけでなく、教養豊かな文化人」である北岡さんの「まなざしが各国をそれぞれ個性的に捉えて」おり「魅惑的だ」(毎日新聞「読書欄」2019-6-23付け)と推奨されたように、日本の行く末に示唆を与えてくれる極めて重要な外交指南書である。国際政治と日本の関わりに関心を持つ全ての人たちにお勧めしたい。

 北岡さんは、日本外交が対米、対中、対韓といった二国間関係に偏りすぎていたことが行き詰まりの背景にあるとして、その立脚点を定めるべきだという。つまり、日本の外交は利害の調整ばかりに終始して、どこに立って何を目指すのかが分かりづらいと指摘しているのだ。このことを「はじめに」でおさえたうえで、「おわりに」の末尾に、日本の理念は「非西洋から発展した歴史を基礎に、民主主義的な国際協調体制を、それぞれの国の事情に応じて支援していくこと」であり、「それを自覚し、言語化し、発信し、かつ戦略的に行動すること」が日本外交の大方針ではないか、と結んでいる。これまで訪問した108カ国(JICAの理事長としては50カ国)のうち20カ国を取り上げて、それらの国々の分析と、日本との関係について考察をしており、読み応え十分な知的興奮を覚える面白い内容になっている。

◆深刻化する国力の停滞を憂う

 冒頭(序章)に掲げられた「自由で開かれたインド太平洋構想」を、まず「日本の生命線」と捉えていくとの観点は大事だ。これは、中国の「一帯一路」に対抗する戦略といった次元ではなく、「インフラのみならず、信頼関係の構築であり、人づくりであり、自由と法の支配」を中心とする、死活的に重要な構想だという。

 その中で、「途上国の若者には、日本に来て日本の近代化や開発協力の経験を学んで欲しい」として、JICA開発大学院連携への期待を述べておられることが、大いに注目される。第一章から第五章までの20カ国をめぐる記述は、私としてはベトナム一国に行ったことがあるだけで、あとはいずれも未知のことばかり。尤もこのうち、親しい友人が過去に大使をしていた、マラウイ(故野呂元良大使)と東ティモール(北原巌男大使)のくだりには惹きつけられた。マラウイには「本当に貧しいアフリカ」があり、「青年海外協力隊が最も多くの犠牲を出した国でもある」ということを知って、驚いた。亡き友の苦労が偲ばれた。

 また東ティモールについては、日本がかつて強い関心を持ったのだが、今は「孤立した民主主義国」であり、地域の連帯からも外れているようだという。「日本のパートナーとして押し立てていくべき」で、「国益判断に立った外交イニシアティブが必要だ」との見解には、焦りを伴って共感せざるを得ない。

 圧巻は終章の「世界地図の中を生きる日本人」。現在の国際会議がどのように行われているかをめぐって、ご自身の体験も交えての極めて興味深い内容だ。そのうち、韓国のカン・ギョンファ元外相について「英語はうまいし、合理的で、グレー・ヘアーが魅力的な女性で」、「彼女の能力は評価している」と、ベタ褒めのところには思わずニヤリとした。美人は得するなあと、改めて思ったしだいである。

 また、中曽根元首相の「昭和の岩倉使節団」についての記述には深い憂慮を感じざるを得なかった。「経済は長い停滞を続け、少子化が進み、巨大な政府債務が蓄積してしまった」日本は、「進歩を遂げたのだろうか」と自問し、「大きな問題に優先順位をつけ、時には妥協して前に進むべきだった」し、「進歩しないうちに、いつしか国力の停滞が深刻化しているのではないか」と憂えている。最後に、島根県隠岐・海士町について、「日本にあるフロンティア」としての取り組みを印象深く紹介しており、興味深い。

【他生のご縁  忘れがたい憲法座談会での衝突】

 北岡さんと私の「憲法座談会」(読売新聞主催)での「衝突」とは、同氏が「いったいいつになったら政治、政治家の皆さんは憲法改正に取り組むのですか?」とやや詰問調で言われたことに、私が「それなりに私たちはやってますよ」と、まともに反発したことをさします。その場にいた先輩議員に宥められてことなきをえました。

 政治家らしくなかった大人気ない自分をその後恥ずかしく思いました。本当のことを真正面から言われてつい、ムキになってしまったのです。

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(372)警察官誕生のドラマを鮮やかに描くー長岡弘樹『教場』と『教場2』を読む

昨年末から新年にかけてテレビドラマに嵌った。年末は『教場』、新年は『教場2』。それぞれ前編、後編が連続二夜にわたって放映されたのだが、主演のキムタクこと木村拓哉の魅力に取り憑かれてしまった。彼の魅力を知ってる人からすれば、何を今さらということに違いないだろうが。早速、本も買い求め急ぎ読んだ。発刊された7年ほど前に読むかどうか逡巡したのだが、今頃になったことは悔やまれる。テレビの方が良くできているものの、あとで補足するためには本も得難い▲いわゆる警察小説と違って、警察官が誕生するまでの背景が描かれる。志願者を篩いにかけて落とすことが狙いとあって、教官による過酷極まりない試練が課され、観ても読んでもハラハラドキドキする場面の連続。犯罪者そこのけの際どく悪どい事案も次々発生、短編の連作の形をとっていて読みやすい。テレビ映像ではキムタク扮する隻眼の風間公親なる教官が、シャーロックホームズそこのけの観察力でトラブルを解決し、小気味いいことこの上ない▲この小説(映画)の魅力は、警官がどのように犯罪を捉え、犯人を見つけ出すかのノウハウが描かれていること。医療や政治、経済をめぐる様々に話題になるドラマは多々あるが、こうはいかない。結局、面白おかしく取り扱われるものの、あまり日常生活に役立たない。やれ、『ドクターX』やら『半沢直樹』などといった超人気を博したものも、「私失敗しないんです」とか「倍返し」などのセリフは印象に残っても、それだけに終わる。映画『記憶にございません』など、政治風刺の喜劇とはいえ、あまりに酷すぎる内容で、脚本家の知的センスを疑う。そこへいくと、この小説は犯罪にどう立ち向かうか、微に入り細に渡って説いてくれる上質の面白さを有している▲風間教官の壮絶な訓練を耐え抜いて、無事に卒業し、現場に送り出される警官たち。風間が一人ひとりと握手し、激励の一言を投げかけるラストシーンには胸が熱くなった。こう書くとお分かりのように圧倒的に映像の方が存在感漲る内容であった。ファーストシーンの運動場での訓練場面は、米映画『フルメタルジャケット』の海兵隊のそれを彷彿とさせるもので、何かと考えさせられた。先日のNHK「クローズアップ現代」では、自衛官の自殺問題を取り上げていた。また、今日は富山の元自衛官による交番襲撃事件の初公判が報じられていた。妙に自衛隊に「風間公親」はいないのかとの思いに駆られてしまう。(2021-1-14)

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