さて、もう一つの戦争──ガザにおけるイスラエルとハマスの戦いについては、昨秋10月7日のハマス側からの急襲によって火蓋が切られた。4人の緊急寄稿がこの本の第3章に並ぶ。まず、それぞれの主張を要約する。まず柳澤氏から。国連総会(10-27)でヨルダンが提案した休戦決議に121カ国が賛成。反対したのは米国など14ヵ国のみ。G7各国は日英など6カ国が棄権(仏は賛成)し、戦争を止めるのに反対はしていない。BRICS首脳会議(11-22)では、双方を非難しつつ、「停戦と市民保護のための国連部隊の派遣を本気で考えなければならない」と提案めいた指摘をしている。加藤氏は、イスラエルの苛烈極める報復について「言語空間では、親パレスチナ、反イスラエルの言説が膨れ上がって」おり、「中東を超えて反イスラエル感情は世界中を覆っている」と率直に語っている◆林氏は、「ハマスの攻撃がイスラエル側の『怨念・憎悪」に火をつけ『ハマスに対する殲滅戦争』を決断させている」とし、これを止める手立ての困難さを訴えた上で、「先の大戦後、70余年も『非戦・避戦』を貫いた日本」こそ、その「時代精神を造る国際社会の旗手」たれと、重要な呼びかけをしている。さらに伊勢﨑氏は、イスラエルが「『事前予告』を盾に攻撃を正当化している」ことについて、「国際人道法が戒めるのは、事前予告の有無ではなく、あくまで攻撃の【結果】である」として、「ガザの人口の約半分の110万人の強制移動そのものが国際人道法違反、つまり戦争犯罪」だと、厳しく断罪。結論として「イスラエル軍のガザ侵攻の結果がこれからどうなろうと、ハマスは、すでに勝利しているのかもしれない」とズバリ。このように、戦争が勃発した直後のことではあるが、4人とも一致してイスラエルへの非難を強調している◆その後の状況の変化を踏まえても、両者を取り巻く基本的な構図は変わっていない。つまり、「言説空間」における「地獄絵図」のガザを救えとの支援を求める声は強いが、「現実空間」でのイスラエルの強引な力づくでの殲滅作戦は進行している。その背後には米国の不決断という曖昧な側面のあることが見逃せない。イスラエルを口で非難しても、力の行使を翻意させるだけの実効力を伴わないようでは、「平和」は絵に描いた餅に終わるのは当然である。この問題をめぐる日本の受け止め方は、この4人と相通ずるものが多い様に見受けられるものの、イスラエルの側に立つ向きも少なくない。外交に通暁した著名なある作家は数ヶ月前のことだが、先に仕掛けたハマスの責任を非難していた。こうした角度については、伊勢﨑さんが「イスラム学、安全保障論の研究者の一部に、〝ハマス殲滅〟を掲げるイスラエルのガザ攻撃を支持する声が聞こえる」として、「『人間の安全保障を犠牲に国家の安全保障を優先させる御用学』に成り下がっている」と手厳しい評価を下しているのが印象深い◆イスラエルとパレスチナは、共に世界史の上で、領土をめぐって特異な位置を占めてきている。〝ナチスのユダヤ人虐殺〟に見るように、イスラエルは想像を絶する〝地獄の苦難〟の挙句、シオニズム運動の果てとして新天地を得た。一方、パレスチナには〝英国の三枚舌〟に騙され、本来の自分達の住処をのちに来た他民族の故に、追い出されてきた〝辛苦の経緯〟がある。しかし、この地での争いに、ユダヤ人もいけないがパレスチナ人も、といった、〝どっちもどっちの喧嘩両成敗的見方〟は否定されるべきだろう。早尾貴紀東経大教授の「ガザ攻撃はシオニズムに一貫した民族浄化政策である」(『世界』5月号)との論考における、欧米の人種主義と植民地主義の歴史全体の中に根本的原因があり、日本も無罪たり得ないとの言及には目が醒める思いがする。多くの日本人の平凡な世界観を打ち壊すに十分過ぎるといえよう。ここは、国連を中心に、今に生きる人類の知恵の証しを打ち立てる以外にないと思う。そこには過去の歴史から見て、欧米よりは未だずっとフリーハンドの身にある日本に出来ることがあるはずだと確信する。(2024-4-15一部修正)