【88】騙された後の種明かしに呆然━━ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』の解説(堤未果)を読む(上)/7-27

 戦争や自然災害などの危機に乗じて、多国籍企業などが富を奪うに至るメカニズムを『ショック・ドクトリン』と名づけ、同名の著作を著したナオミ・クライン。この本が世に出て既に16年が経つのだが、日本ではあまりこれまで知られずにきている。ここにきて、ようやく人の口の端にのぼり始めた。それは、国際ジャーナリストの堤未果氏によるNHK 「100分de名著」の同名の解説本とテレビでの紹介の力によるところが大きい。原書は勿論、日本語訳書も読まずして、解説書を取り上げる安易さには後ろめたさを伴うが、いっときも早くこの本の魅力を伝えたい◆彼女が示すそのメカニズムとは、①クーデター(あるいは大自然災害)によるショックが発生する②それに乗じて、IMF(国際通貨基金)を使って、新自由主義経済の手法としての民営化を導入する③外国資本が参入し、利益を掻っ攫う━━といったもの。1970年代半ばのチリの独裁政権誕生から、1980年初めのイギリスのフォークランド紛争騒ぎを経て、1990年代後半のアジア通貨危機などが典型例として挙げられる。これらの背後には、米国シカゴ大学のミルトン・フリードマン教授を中心とするシカゴ学派およびその弟子たち(シカゴボーイズ)の連携プレイがあった。このドクトリンは、後進国から先進国まで、資本主義国家は当然のこと、中国、ロシアなど社会主義国家をも巻き込んで、世界中を席巻した。更に21世紀に入ってすぐのイラク戦争では、まさにやりたい放題となった事実が暴かれていく◆これまで地球環境の悪化と共に起こる、自然災害の多発という事態に「大災害の時代」との呼称が使われてきた。そこには、天災に起因するものだけしか視野に入っていない。だが、改めてクライン氏によって、この半世紀ほどの〝人災に基づく時代の特徴〟を整理されてみると、「ショック・ドクトリンの時代」と呼ぶべきものが浮かび上がってくる。今に生きる我々現代人の足元に巣くった元凶は、憎むべき対象ではあるが、あまりに見事な騙しのテクニックと、スピード感溢れることの運び方に、種明かしをされてもただ呆然とするばかりだ。しばらく経って、国家とイデオロギーにばかりに眼を奪われ、国家をまたぐ多国籍企業とカネの動きに頭が回らなかった我が身の拙さが哀しくなる◆とりわけ、イラク戦争をめぐっての日本の対応は惨めだったという他ない。小泉純一郎首相のもとでの自公政権は、米英の軍事介入に同調し、「後方支援だから」と自らを慰めた。岡崎久彦、山﨑正和氏ら名だたる学者たちが、あの当時、やがてイラクには、民主主義の根が定着し、見事に立ち直るはずだと楽観的な未来予測をしたことを思い出す。米英両国首脳は、「大量破壊兵器の存在」に事よせて自らの暴虐を正当化したのだが、後にその事実が虚構だったことが明らかになった。彼らは自らの誤りをそれなりに認めた。しかし、日本では総括すら未だなされていないのである。(以下続く 2023-7-27)

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【87】健常者よ障がい者の修行に学べ━山本章『出でよ!精神科病棟─大勢で大勢の自立を支援する━』を読む/7-13

 元厚生労働省の役人だったこの人の本を紹介するのは3回目。1作目は「薬全般」が対象だった。2作目の「麻薬」に続き、今度は「精神科」がテーマである。薬剤師というキャリアを十二分に活かすだけでなく、今回は身内に患者を持つ当事者という立場に加えて、同じ障害(以下、著者に見倣う)を持つ人たちの自立を支援する社会福祉法人の理事長として、極めて重要な提言をしている。精神を病む人を身近に持つ人びとだけでなく、今に生きる現代人必読の書と言っても言い過ぎではない。人は生きてる限り、いついかなる時でも障害を持つ(高齢者も同様)身になることは避けられないからだ◆精神に障害が生じてしまった人のことをどう呼ぶか。その昔の差別用語を持ち出さずとも、「精神病院」という呼び方も一般的に憚られるほど、偏見に満ちてきているのがこの病いであろう。最近は「統合失調症」という呼び名で統一されているが、これとて定着化しているかどうか疑わしい。かくいう私自身が「躁うつ病」と、とり間違えていた時期がある。国会議員時代には、イタリアを始めとする欧州各国のように、精神障害者を病院に閉じ込めない風潮に学ぼうという意識に立っていたのだが、所詮は口先だけだったかもと、深く反省する◆この本のタイトルに「出でよ!」とあることは重要なポイントである。これまで精神科の患者は病院から「出すな!」が常套句。街中にそうした患者が出ることを嫌がるのが世の常だった。その原因はひとえに、たまさかに起きる犯罪の容疑者にその病を持っているケースが少なくないからだと思われてきた。しかし、それが主因で、大部分の自立出来る患者を、病棟に閉じ込めてしまうことは、まるで〝座敷牢〟の大量生産のようだ。偶々この本を読みだしたところに、旧知の八尋光秀弁護士(C型肝炎訴訟弁護団の中心者)による「精神科の強制入院の課題」上(毎日新聞7-5付け)に出くわした。「とにかく入れておけ ゆがんだ法律」との見出し。「医療保護」という名のもとに、人の成長過程に国家が介入する非を厳しく断罪していた◆山本さんの本は、単に主たるテーマについての蘊蓄が傾けられているだけではない。世事万般に亘る面白くて造詣の深い話が読み取れることは、すでに前2作を手にされた方ならわかるはず。今回は第9部「生きがいを求めて」に集中する。例えば、第27章「不幸・不運・絶望、されど健気に」の中の次の一節は深く考えさせられた。「障害者・健常者のいずれについても、自立が出来ているかを人の評価指標としたらどうだろうと提案したい」とのくだりだ。「自立こそが障害の有無にかかわらず、人生修行の一大目標とするべきであり、支援付きでいいから自立を目指して健気に生きていく姿が人の心を打つことに着目して、『支援付き自立の健気度』をもって幸せの評価基準とする提案」を掲げている。見渡せば、見せかけだけの「自立」、通り一片の「幸せ」にやせ我慢する日常が多い。他人との比較でなく、自己自身の今日よりは明日への前進こそが尊い。文中、「修行」をめぐる僧侶と筆者の問答めいたやりとりの片鱗が窺え、興味深かった。「障害者の修行の方が余程リアル」との表現に大いに「挑発」された。次の機会には、この人の人生をめぐるエッセイ集を読んでみたい。(2023-7-13)

 

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【86】「西部邁」の真相をまわりくどく━保阪正康『Nの廻廊 ある友をめぐるきれぎれの回想』を読む/7-6

この本を読もうと思ったきっかけは、NHKテレビETV特集での保阪正康の『最後の講義』がきっかけ。青年たちを相手に、生真面目にあまりにも真摯に戦争体験を語る姿に胸打たれたからだ。これまで保阪の書くものは読むにつけ息苦しさが先に立ち敬遠することが多かったのだが、この本は西部邁との交遊を回想する形態をとっているということに惹かれた◆西部邁が入水死をしてから5年余り。私は彼の書いた『福澤諭吉 その武士道と愛国心』と『中江兆民 百年の誤解』の2冊に深い感銘を受けた。とりわけ諭吉の『文明論之概略』を誤読した丸山眞男の姿勢を完膚なきまでに論破したその〝訴追力〟には惚れ惚れするものがあった。ということで、誤解されることが多かった西部観の修正を期待した。ついでに「死に至る秘密」を覗き見たくなかったというと嘘になる◆2人は共に少年期を北海道札幌市で過ごした。一つ歳上の西部と保阪は、いわゆる越境入学をした中学校に通う先輩と後輩だった。その当時の学校教育とりわけ教師の問題を縦軸に、年を経て共に著名な思想家となってからの西部への世評を横軸に、2人の交遊が語られていく。その語られ方が今昔交互に登場、中央部分がない十字架のようで、ちょっときっかいでわかりづらいのは否めない◆西部という人物は「怒りっぽく、自分に気に入らぬ言説を吐く人間には徹底的に論破し、噛みつくタイプ」だったことはそれなりに知られている。その背景にかの学生運動における挫折が絡んでいることはある程度分かるものの、最後まで全貌は見えてこない。この本でも西部に対し一貫して畏敬の念を持ち続け、遠慮しがちに付き合ってきた保阪の過剰なまでの配慮がもどかしい。読み終えて、大いに物足りなさが残った。そういえば、タイトルも「Nの廻廊」に「きれぎれの回想」とやっぱり回りくどい。(23-7-6)

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【85】住まいと老いと品格と──塩野七生『人びとのかたち』を読む❹/6-24

 衣食住──人間が生きていく上で欠かせぬ三大要件は、どれも大事で、重要度の優劣はつけ難い。ただ高年齢になると、食や衣はそれなりに贅沢やおしゃれに挑戦できるものの、住まいばかりは、新築や改造もままならない。テレビや映画で、素敵な家を見るたびに、思うことは多かったが、もはや諦めた。そんな私だが、かつてこの映画を見たときは、大きな家に住むのも考えものだと思わなくもなかった。その映画とは『ローズ家の戦争』。観たのは随分前だが、シャンデリアを空中ブランコのように使って夫婦が争う場面(どっちが襲うか覚えていない)にはたまげた◆ストーリーは大方忘却の彼方なので、説明は端折る。要するに、夫婦喧嘩が高じてそれぞれに思いのこもる豪邸から離れたくなくなった。心は冷え切ったにもかかわらず、離婚もできず家庭内別居ならぬ〝家庭内戦争〟に陥る。まさに壮絶な乱闘が展開され、やがて遂に死に至るというもの。豪邸に住んだものの離婚する羽目になった有名芸能人カップルというのは時々耳にするが、流石に家が「戦場」となったケースは知らない。観終えて、ああ自分ちは狭くて良かったと、皆妙に胸撫で下ろすかも。私のような40代になる直前に7部屋もある家を借金して東京に建てながら、選挙のために流浪の旅に出たまま帰れない人間も珍しい。引退した後も自宅は人様に借りて貰い、自分たちは70代後半になった今も、狭いマンションに仮住まいをし続けているというのだから、これもまた哀れだ◆年老いてからの住まいが私たち夫婦のように、若き日と逆転してみすぼらしくなってくると、自業自得とはいえ、あれこれ〝心の整理〟が必要である。それこそ書斎にぎっしりと揃えた蔵書はとっくに消えてしまった。本は図書館で借りて読むといった生活に慣れると、何だか20代に戻ったようだ。だから、若さ維持に繋がるとは口にするものの、所詮痩せ我慢にすぎないだろう◆老いをあらゆる面から描いた映画といえば、『8月の鯨』。塩野さんはここでも凄く品のある老姉妹に着眼している。今や品格の良い老人には滅多にお目にかからなくなっただけに、この映画は希少価値がある。住まいのありようと、気品は直結せぬと自らに言い聞かせているものの、自信はない。どんなところに住んでいても心には錦を飾っていたいものではある。この映画も是非、ビデオで観て、〝老いの道連れ〟にしたい。前回に続き、塩野七生さん理解のキーワードは「ディグニティ」だという点に、大いに共感を抱く。(この項了 2023-6-24)

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【84】子熊と山猫からの連想━━塩野七生『人びとのかたち』読む❸/6-18

 熊の生息の実態が森の荒廃を占うとの説を掲げる、一般財団法人の顧問になって20年余り。すっかり熊の味方になった、と一般的には思われているに違いない。だが、正直いって熊がそれほど好きだというのではない。私の「熊との共生論」は大いに観念的なものではある。そんな私が、この本の『夢を見ること』に描かれた映画『子熊物語』に嵌ってしまった。未だ映画を観ていないのだが、早急に観て『日本熊森協会』の本当に熊が大好きな仲間たちに知らせ、熊を無用に恐れる人たちへのアプローチを考えたい◆「時に何もかも忘れて夢を見ることは、子供よりも大人に必要だ」との書き出しから、「最後は、互いにくっついて冬眠に入った雄熊とチビを映して終る。外は一面の雪景色」のエンディングまで。夢の世界は現の世界と紙一重。釧路湿原のそばに住む世界的な動物写真家の安藤誠さんが撮った写真や映像は本当に凄い。兄弟グマと思しき2頭が仲睦まじく立ち話をしている場面がいつも甦る。ああいう世界に立ち入れるのは、ひとえに人間の内面に熊と相呼応するものがなければと思う。淡々と描写されていく中で、そっと挿入された若者狩人とチビ熊の交流が熱く胸を打つ◆連想ゲームの様に『パワーと品格と』にある『山猫』が目に飛び込んできた。長きにわたって観たいと思い続けてきた名作映画だが、ついに先日取り溜めたビデオから探し出して観た。シチリアが題材といえば、『ゴッドファーザー』シリーズのように、わかりやすいマフィアものが連想されるが、正直、一回観ただけでは、これはそれほど馴染めず、面白くもなかった。が、塩野さんの謎解きのような解説を通し、なんとなく分かった気にはなった◆彼女は、シチリアを良くするためになぜシチリア人は動かないのかという長年の疑問に対する答えが、映画の中にあったとの記憶から改めて観たようだ。それは、「すべてを変えても所詮は何一つ変わらないという状態は、今ではシチリアの現象ではなく、イタリア南半分の現象になっている」し、「一部の人の情熱では、どうにもならない状態にまできている」からだという。『山猫』に登場する公爵のようなシチリア人が積極的に公務を勤めていたら、と仮定を述べた上で、「品格もパワーの一つに成りえることを忘れていると、社会はたちまち、ジャッカルやハイエナであふれかえることになる」と意味深長な結論で終わっている。イタリアに住んでいると、「(この国をマフィアが)脚部から麻痺させている難病である」ことが強く意識されるに違いない◆20年余り前のことだが、衆議院憲法調査会の一員としてローマに行って、塩野さんに会い、あれこれ話したことがある。その際に、私は偉大なローマ帝国の頃と現代のそれほどでも無いイタリアとの比較論に話を向けた。その時の結論は曖昧だったが、今になって、答えは、この「シチリア不変論と品格との関係」にあるのかも、と忽然と私の脳裡に浮かんできた。これはイタリアだけでなく、日本の今にも当てはまるのではないか、と懸念が高まってくるのは禁じえない。(2023-6-18)

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【83】⑤-5 戦争の総括から逃げ続ける日本━━塩野七生『人びとのかたち』を読む

 

◆映画『地獄の黙示録』をめぐる議論

    塩野七生さんの名作『人びとのかたち』の扉には、「映画鑑賞を読書と同列において 私を育ててくれた 今は亡き父と母に捧げる」とある。これは映画にまつわるエッセイ集なのだが、かねて私は、この本を〝映画のおたから〟のひとつとみなして繰り返し読んできた。全部で48本のエッセイのなかで取り上げられた映画のうち、私自身の興味の赴くところと完全に一致したのが『地獄の黙示録』である。この映画については、作家・立花隆氏の有名な評論がある。『誰もコッポラのメッセージが分かっていない』である。かつて愛読した雑誌『諸君!』に掲載されていた。そこで塩野さんがどう〝分かり具合〟を示してくれているか、固唾を飲む思いで目を凝らして読み進めた。

 だが、結果は見事に外された。立花氏がこだわったカーツ大佐(マーロン・ブランド)については、「その解釈で充分」とだけしか書かれていず、それ以上は触れられていない。ただし、戦時のリーダーとしては「失格にする」とズバリ否定されている。一方、あのロバート・デュバル演じる破天荒な指揮官には好意的な眼差しを向ける。「負傷した部下たちの救出に配慮を忘れないこの男」は、戦の最中にサーフィンまでやらせる「パフォーマンスの名手」だと。神学論争になりがちな後半部分の解釈については、さらりとかわして、得意な「リーダー論」に持ち込む手際は、さすがという他ない。

 塩野さんは、随所でメリハリの利いた人物論を繰り出す。まさに小気味いい。グレタ・ガルボについての「スター」の一文が目を惹く。ここでは「実像と虚像」を巧みに論じる。〝スターは虚像〟の存在であって、〝実像〟を暴き出そうと、熱意を燃やす普通の人の努力は無駄であると、明解きわまりない。創造する側に、「虚像と実像の区別など存在しない」と断じつつ。で、実像は「その人が生まれつき持っていたものにすぎない」のだが、虚像は才能と、努力と運の結晶」だといわれる。ここまで読み、私は「作家って嘘つきでないと務まらない」との持論を思いだした。塩野さんはこの辺りについて「実を越えうるのは、虚しかない。偉大な虚のみが、現実を越えて生きつづけることができる」と述べている。この結語で、ようやく自分の勘違いを気づくに至った。その昔、ある著名な作家に持論を述べてしまった際のことだ。ひと呼吸あってからの彼の「そうですねぇ」との合意は、「虚の効用」を知らない凡愚な私を慮っての優しさだった、のだと。

◆いかなる戦争でも本質は変わらない

 塩野さんの代表作はなんと言っても『ローマ人の物語』全15巻だが、その物語の骨格は「戦争」である。私は、2000年も前のことをよくもまあ、見てきたようにお書きになるものだなあと、疑問に思ってきた。その辺りについての答えを「戦争」の章に発見した。昔も今も戦争をめぐる違いは、「相対的」であり、「(戦争それ自体は)歳月に関係なくヒューマン・ファクターに左右される」と述べている。その上で、❶マスコミの伝える戦力表示のいい加減さ❷湾岸戦争はベトナム化しない❸シビリアンコントロールは金科玉条ではない──との3つを考えたと述べていて興味深い。時代が変わろうが、人間のやることだから、人間観察さえしっかりしておれば、どんな「戦争」でも、本質は変わらず、その推移は見抜けるということだ、と。分かりやすく納得させられた。

 この章でのハイライトは、『反省という行為』に登場する映画『八月の狂詩曲』である。主題は「原爆」。ここで塩野さんが問題にしているのは、「四十代五十代の日本人が戦中戦後の日本に面と向かわない」ことである。原爆はその象徴だろう。「経済以外のことから、逃げに逃げてきた50年だった」という。この人は「もうそろそろ、第二次世界大戦の総括という形で、顔を見せてはどうであろうか」と問題提起し「厳密な客観性で、あらゆる資料を集めて、整理し、まとめること」を主張する。黒澤明監督ただひとりだけが原爆について発言したと、この映画を高く評価してやまない。私も塩野さんと同様に、これまでの日本を恥ずかしいと思うひとりである。残念ながら、この本が世に出てより30年が経とうとしているが、日本は未だ逃げ続けている。G7の首脳たちに『平和記念資料館』を見てもらったと喜んで済ませている場合ではないのである。

【他生のご縁 ローマでの見事な肩透かし】

 衆議院憲法調査会の一員として中山太郎同会長団長とする一行と一緒にイタリアを訪れた際に塩野さんにお会いし懇談しました。開口一番、日本の国会議員の皆さんがわざわざローマに来られて、私に憲法について話せとは、またどういうことでしょう、と。何とも複雑な思いにとらわれたものでした。

 お別れする際に玄関まで見送った私は、日本人男性には『ローマ人の物語』を愛読する人が多いですが、女性は須賀敦子さんの愛読者が多いようですね、と妙なところで「女流作家比較論」を繰り出したのです。これには、「私ももっと須賀さんに見倣わないといけませんねぇ」と応答。見事な肩透かしを食らってしまいました。

 

 

 

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【82】「コッポラのメッセージ」異聞──塩野七生『人びとのかたち』を読む❶/6-4

 塩野七生さんの名作『人びとのかたち』──この本の扉には、「映画鑑賞を読書と同列において 私を育ててくれた 今は亡き父と母に捧げる」とある。これは映画にまつわるエッセイ集なのだが、かねて私は、この本を〝映画のおたから〟のひとつとみなし繰り返し読んできた。全部で48本のエッセイの中で取り上げられた映画のうち、私自身の興味の赴くところと完全に一致したのが『地獄の黙示録』である。この映画については、少し前に亡くなった立花隆氏の有名な評論がある。『誰もコッポラのメッセージが分かっていない』である。かつて愛読した雑誌『諸君!』に掲載された。そこで塩野さんがどう〝分かり具合〟を示してくれているか、固唾を飲みつつ目を凝らして読んだ。だが、見事に外された。立花氏がこだわったカーツ大佐(マーロン・ブランド)については「その解釈で充分」とだけ。それ以上は触れられていない。ただし、戦時のリーダーとしては「失格にする」とズバリ否定。一方、あのロバート・デュバル演じる指揮官には好意的な眼差しを向ける。「負傷した部下たちの救出に配慮を忘れないこの男」は、戦の最中にサーフィンまでやらせる「パフォーマンスの名手」だと。神学論争になりがちな後半部分の解釈については、さらりとかわして、「リーダー論」に持ち込む手際は、さすがという他ない◆塩野さんは、随所でメリハリの利いた人物評を繰り出す。まさに小気味ばかりだ。グレタ・ガルボについての「スター」の一文が目を惹く。ここでは「実像と虚像」を巧みに論じる。〝スターは虚像〟の存在であって、〝実像〟を暴き出そうと、熱意を燃やす普通の人の努力は無駄であると明解きわまりない。創造する側に、「虚像と実像の区別など存在しない」と断じつつ。で、実像は「その人が生まれつきもっていたものにすぎない」のだが、虚像は「才能と、努力と運の結晶」だといわれる。ここまで読み、私がある有名な芥川作家の自宅に行った時に「作家って嘘つきでないと務まらないですよね」と、投げつけた言葉を思い起こす。いらい今日まで、作家の壮大な「結晶」をして〝嘘つきの所産〟と決めつけたことを後悔し続けてきたが、「実を越えうるのは、虚しかない。偉大な虚のみが、現実を越えて生きつづけることができる」との塩野さんの結語で、ようやく納得するに至った。あの時、芥川作家の、しばし呼吸をおいてからの「そうですねぇ」との同意は、「虚の効用」を知らない凡愚な私の身を慮っての優しさだった、と◆(この稿83号と一体化させています)

 

 

 

 

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【81】片山杜秀『11人の考える日本人』❹柳田國男、西田幾多郎、丸山眞男編/5-29

 次は柳田國男。この人は民俗学の大家で、「昔話や言い伝えを一生懸命集めているおじいさん」との印象が確かに濃い。ここではそのイメージを180度壊す。貧困と飢えをキーワードに「本当は怖い柳田民俗学」を読み解く。このシリーズ一番の良い方の〝イメチェン〟で、〝金の亡者・福澤諭吉〟の表現より随分得してるように思われる。私を含めて柳田を見間違ってきたのは、農政官僚としての側面を見落としてきたからに違いない。「TPP交渉を主導し、自由化路線をひた走る」農政を「百二十年も先取り」しているというのは当たらずといえど遠からずかも。厳しくも優しい「民俗」への柳田眼差しの背景には、ひたすらに「日本人の諦め方」と「不条理に耐えていく知恵」の採集と分析にあったとの著者の見方は鋭い◆西田幾多郎の思想は、アンチ進歩であり、反進化思想だと位置付ける。それは右肩上がりの考え方の否定でもある。彼の思想の中核をなす「絶対矛盾的自己同一」とは、「絶対に結びつかない物が、現在において同一化する」ことだという。分かりやすくいうと、「悲しみの底には必ず慰め、喜びがあるように、主観と客観、個人と全体、善と悪など、反対だと思っているものは必ずセットになって現れてくるという」。これって、「依正不二」、「煩悩即菩提」といった仏教思想と全く同じと思えばいい。全般に、西田についての著者の解説は他のものに比べてわかりづらく感じるのは否定し難い◆最後に丸山眞男。戦後民主主義の創始者である。「超国家主義」と「八月革命」がその思想の根幹をなす。丸山は、日本には国家統治の責任を持つ主体、存在がどこにもなく、「無責任の体系」という仕掛けこそが「異常な超国家主義の根元」と説き明かす。また、明治憲法から戦後の憲法への転換は、天皇から国民へと主権が「アクロバティックな移行」をしたもので、革命そのものの大変化だというのが丸山の「八月革命」説である。著者は丸山が「関東大震災、特高による検挙、戦争体験、学生運動によって、こうした実感を、政治思想として深化させていった」のだとして、生活の継続性を強調する★柳田國男が生まれたのは兵庫県神崎郡福崎町である。私は今も保存されている生家に行ったことがある。慎ましいというほかない狭い家に驚いた。松岡操の六男(八人兄弟)に生まれ、12歳で茨城にいた長兄の家に移り、15歳で東京にいた三兄宅に同居し、26歳で柳田家の養子になる。柳田の足跡を民俗学の面からだけ追うのでなく、何のためだったのかを追求することの大事さを知って大いに満足した。と共に、海軍大佐から転身して民族学を志した弟松岡静雄の存在を知った。「兄の酷薄なリアリズムと弟の芒洋としたロマンの二面性があってこその一つの日本」との捉え方に驚いたしだい★西田哲学の根幹をなすものは「無」である。「いついかなる場合でも有にならないから絶対的に無なので」あり、「定まったかたちが有るのが有で、定まったかたちの無いのが無」だと。仏教の捉え方では、無に見えていても有になる場合があるという。「空」という概念がそれだ。有るといえば有る、無いといえば無いという状態を説明するのに、うってつけだ。西田哲学は、正解のない、中心のない今の世界を生きる上で、なくてはならぬ思想だと片山はいうが、なぜそうかの補助的説明が足らないように私には思われる★丸山は〈私自身の選択についていうならば、大日本帝国の「実在」よりも戦後民主主義の「虚妄」の方に賭ける〉と言った。その戦後民主主義も、憲法制定後75年経って、すっかり色褪せ、虚妄ぶりが露わになって久しいというほかない。むしろ「占領民主主義」の実態がいやまして強くなってきた。ほぼ150年前に福澤諭吉の説いた「独立自尊」が今なお燦然と輝くのはなぜか。私には、西部邁の『福澤諭吉──報国心と武士道』が圧倒的に印象深い。これほどまでに丸山「戦後民主主義」が叩かれた書物を私は知らない。(敬称略 2023-5-29  この項終わり)

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【80】片山杜秀『11人の考える日本人』❸和辻哲郎、河上肇、小林秀雄編/5-25

 和辻哲郎は、姫路出身の倫理学者。私と同郷で、専門の学問とは別に『風土』と『古寺巡礼』を書いたとなると、親しみを感じざるを得ない。ニーチェ、キルケゴール、ショウペンハウエルら〝反正統派〟哲学者に傾倒し、「人間の限界を意識しつつ、それを乗り越えるためにどうすればいいのかを考え続ける思想、ままならない人生の苦悩を苦悩のままに向かい合う哲学に惹かれていた」人物だ。ポスト「坂の上の雲」時代の「教養主義」を代表する思想家である、とされる。夏目漱石門下のひとりとして、戦時下に国民道徳を説き、戦後も思想家として生き残ったことが注目される◆河上肇は「『人間性』にこだわった社会主義者」。私は尊敬する大先輩から河上の『貧乏物語』を読め、と勧められてきた。学者とジャーナリストの両面で河上は活躍したが、農業研究から出発し、マルクス主義へといくも、唯物史観に徹しきれないといった「振幅の大きい思想遍歴」を経ていく。「人間の心根の問題にこだわった経済思想」は、戦後日本社会で「あらためて参照されるようになる」。今の地球環境の危機を問う議論にあって、彼の「人間性に基づく行動変容と重なり合う論点を見出すことは可能」だとの見立ては大いに共感できよう◆私と同い年の政治家の国会執務室の書棚に小林秀雄全集が並んでいた。小林は戦後世代憧れの思想家である。「天才的保守主義」とのネーミングよりも、「何でも科学的に説明できると信じる人間が増えると、世の中はダメになる」──小林はこの考え方で一貫している、との規定の方が分かりやすい。〈僕等の嘗ての経験なり知識なり方法なりが、却って新しい事件に関する僕等の判断を誤らせる〉と、理屈で分かった気になることの危うさを指摘している。志賀直哉の凄さは「清兵衛と瓢箪」「児を盗む話」「和解」などの短編で、行為を説明せず、理屈も能書きも書かず、悔恨も懐疑も書かないで、「常に今現在のみを書く」ことにある──こう著者は宣揚する★3人への私の考察をここで加えたい。『風土』を考える時に、創価学会初代会長・牧口常三郎の『人生地理学』との対比に思いが及ぶ。牧口に遅れること18年でこの世に生を受けた和辻は、牧口より30年余り後に、似て非なる著作を著した。人間が生まれ育った土地の地理的要件や風土に影響を受けるという点で共通する。日露戦争前に出版した牧口と、アジア太平洋戦争の初期に書いた和辻とでは背景が自ずと違う。戦犯に問われ獄死した前者と、「体制に迎合するものではなかった」後者との違いも追うに値する★河上肇への関心を持ち続けていたのは、私の仕事上のボス・市川雄一。公明党は初期の頃「人間性社会主義」を追求した。これは党創立者の池田大作先生の発想に負うところが大であるが、河上の影響と無縁ではなかったはずと勝手に想像する。気鋭の経済学者斎藤幸平がいま『人新世の資本論』などで「新しい社会主義」を提唱している、と私は見ているが、ある意味で河上の主張と類似する★小林は、「ものごとは理屈でなく、直観で判断し間違えたら絶えず修正していけばいい」と言うが、取り上げてきたのは「志賀直哉も、モーツアルトも、本居宣長も、ゴッホも、ドストエフスキーも、普通の人ではたどりつけない、正しい道に直観で着地できてしまう天才たち」ばかりだ。これに幻惑され、しかも語り口調が「上から目線の権化」に見えてしまうから、平凡な人間は読み誤ってしまう。これをどう回避するかは、大いなる問題だ。(5-25  敬称略 つづく)

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【79】片山杜秀『11人の考える日本人』❷岡倉天心、北一輝、美濃部達吉編/5-21

3人目は岡倉天心。軍事の松陰、お金の諭吉に続いて、文明論の天心と、著者は位置付ける。天心は、英語エリート官僚として米国の美術史家アーネスト・フェノロサの影響の下、日本、中国、インドの一体化を考えた。東西融和の道を探し求めて、宗教、美術、茶道などを通じて相互理解を進めようとしたのである。「文明開化に成功した日本を模範にしてアジアは一つにまとまるべし」との理想をもとに、仏教における人間観、美意識などを根底においた。これはキリスト教を基盤にした西洋が、人間と絶対神を対立した関係ととらえるが故に、自然破壊をもたらす元凶となってきた歴史的事実からすれば、21世紀の今日を見事に予見した先駆性を持つ思想だったといえよう◆ついで北一輝。「極端な国家主義者」、「近代的な社会主義者」、「政治ゴロ的な貌」などの側面を持つ北について、著者は「進化論」がポイントだと見る。ダーウインの唱えた進化論は生物学の分野だけでなく、人間の歴史、社会、国家のあり方をも説明できる思想として、明治期の日本を席巻した。これを背景に北は、天皇を親とし、国民を子とする、民族が一体となった「純正社会主義」国家を、「進化」のゴールとして目指す。勿論、この「純正社会主義」国家とはいわゆるマルクスやエンゲルスの考えたそれと違って、共同性、社会性を高めた私利私欲を持たない〝無私の精神の極み〟としての国家像だ。しかし、北の『日本改造法案大綱』を〝日本革命〟の実践の書とした陸軍の青年将校たちが立ち上がった「2-26事件」により、全ては「未完」に終わる◆三番めは、美濃部達吉の「天皇機関説」。天皇は憲法によって縛られる存在であるという考え方である。いや縛られない、むしろ超越した存在だとする「天皇主権説」と対立した。天皇の選んだ官僚の方が、国民の選んだ議会よりも偉いとすることに帰着する天皇主権説は、「軍部優先」の温床にならざるを得ない。天皇機関説は当時としては先駆的な発想であった。大正デモクラシーを背景に輝きを持った天皇機関説だったが、軍部の台頭と共に退潮を余儀なくされていく◆以下に3人の思想への私の思いを付け加えたい。岡倉の思想は、今こそ光が当てられるべき先駆性を持ったものだが、理想倒れというべきか、登場が早すぎて残念な結果となった。また、北が法華経三昧の暮らしを行い、皇太子だった後の昭和天皇に自筆の法華経を献上したとのエピソードを筆者は紹介しており、興味深い。「自らの進化を促進するための重要な行為」だった法華経信仰の流れの中で、「日本の社会進化を促進する英雄的君主」への変身を期待した「法華経献上の方が(2-26事件よりも)革命的である」という。「これぞ究極の国家改造運動だったのではないでしょうか」とまで。ここは、法華経信者の私としては、北を「分かった」とは言えないまでも、「共感出来る」ところだと思われる。美濃部の天皇機関説は、戦後の「象徴天皇」制の登場に至る前ぶれともいえる。明治と昭和前期の間に花咲いた〝自由と民主主義的気風〟に溢れた大正という時代の空気が読みとれよう。(2023-5-21 続く)

 

 

 

 

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