熊の生息の実態が森の荒廃を占うとの説を掲げる、一般財団法人の顧問になって20年余り。すっかり熊の味方になった、と一般的には思われているに違いない。だが、正直いって熊がそれほど好きだというのではない。私の「熊との共生論」は大いに観念的なものではある。そんな私が、この本の『夢を見ること』に描かれた映画『子熊物語』に嵌ってしまった。未だ映画を観ていないのだが、早急に観て『日本熊森協会』の本当に熊が大好きな仲間たちに知らせ、熊を無用に恐れる人たちへのアプローチを考えたい◆「時に何もかも忘れて夢を見ることは、子供よりも大人に必要だ」との書き出しから、「最後は、互いにくっついて冬眠に入った雄熊とチビを映して終る。外は一面の雪景色」のエンディングまで。夢の世界は現の世界と紙一重。釧路湿原のそばに住む世界的な動物写真家の安藤誠さんが撮った写真や映像は本当に凄い。兄弟グマと思しき2頭が仲睦まじく立ち話をしている場面がいつも甦る。ああいう世界に立ち入れるのは、ひとえに人間の内面に熊と相呼応するものがなければと思う。淡々と描写されていく中で、そっと挿入された若者狩人とチビ熊の交流が熱く胸を打つ◆連想ゲームの様に『パワーと品格と』にある『山猫』が目に飛び込んできた。長きにわたって観たいと思い続けてきた名作映画だが、ついに先日取り溜めたビデオから探し出して観た。シチリアが題材といえば、『ゴッドファーザー』シリーズのように、わかりやすいマフィアものが連想されるが、正直、一回観ただけでは、これはそれほど馴染めず、面白くもなかった。が、塩野さんの謎解きのような解説を通し、なんとなく分かった気にはなった◆彼女は、シチリアを良くするためになぜシチリア人は動かないのかという長年の疑問に対する答えが、映画の中にあったとの記憶から改めて観たようだ。それは、「すべてを変えても所詮は何一つ変わらないという状態は、今ではシチリアの現象ではなく、イタリア南半分の現象になっている」し、「一部の人の情熱では、どうにもならない状態にまできている」からだという。『山猫』に登場する公爵のようなシチリア人が積極的に公務を勤めていたら、と仮定を述べた上で、「品格もパワーの一つに成りえることを忘れていると、社会はたちまち、ジャッカルやハイエナであふれかえることになる」と意味深長な結論で終わっている。イタリアに住んでいると、「(この国をマフィアが)脚部から麻痺させている難病である」ことが強く意識されるに違いない◆20年余り前のことだが、衆議院憲法調査会の一員としてローマに行って、塩野さんに会い、あれこれ話したことがある。その際に、私は偉大なローマ帝国の頃と現代のそれほどでも無いイタリアとの比較論に話を向けた。その時の結論は曖昧だったが、今になって、答えは、この「シチリア不変論と品格との関係」にあるのかも、と忽然と私の脳裡に浮かんできた。これはイタリアだけでなく、日本の今にも当てはまるのではないか、と懸念が高まってくるのは禁じえない。(2023-6-18)
【83】⑤-5 戦争の総括から逃げ続ける日本━━塩野七生『人びとのかたち』を読む
◆映画『地獄の黙示録』をめぐる議論
塩野七生さんの名作『人びとのかたち』の扉には、「映画鑑賞を読書と同列において 私を育ててくれた 今は亡き父と母に捧げる」とある。これは映画にまつわるエッセイ集なのだが、かねて私は、この本を〝映画のおたから〟のひとつとみなして繰り返し読んできた。全部で48本のエッセイのなかで取り上げられた映画のうち、私自身の興味の赴くところと完全に一致したのが『地獄の黙示録』である。この映画については、作家・立花隆氏の有名な評論がある。『誰もコッポラのメッセージが分かっていない』である。かつて愛読した雑誌『諸君!』に掲載されていた。そこで塩野さんがどう〝分かり具合〟を示してくれているか、固唾を飲む思いで目を凝らして読み進めた。
だが、結果は見事に外された。立花氏がこだわったカーツ大佐(マーロン・ブランド)については、「その解釈で充分」とだけしか書かれていず、それ以上は触れられていない。ただし、戦時のリーダーとしては「失格にする」とズバリ否定されている。一方、あのロバート・デュバル演じる破天荒な指揮官には好意的な眼差しを向ける。「負傷した部下たちの救出に配慮を忘れないこの男」は、戦の最中にサーフィンまでやらせる「パフォーマンスの名手」だと。神学論争になりがちな後半部分の解釈については、さらりとかわして、得意な「リーダー論」に持ち込む手際は、さすがという他ない。
塩野さんは、随所でメリハリの利いた人物論を繰り出す。まさに小気味いい。グレタ・ガルボについての「スター」の一文が目を惹く。ここでは「実像と虚像」を巧みに論じる。〝スターは虚像〟の存在であって、〝実像〟を暴き出そうと、熱意を燃やす普通の人の努力は無駄であると、明解きわまりない。創造する側に、「虚像と実像の区別など存在しない」と断じつつ。で、実像は「その人が生まれつき持っていたものにすぎない」のだが、虚像は才能と、努力と運の結晶」だといわれる。ここまで読み、私は「作家って嘘つきでないと務まらない」との持論を思いだした。塩野さんはこの辺りについて「実を越えうるのは、虚しかない。偉大な虚のみが、現実を越えて生きつづけることができる」と述べている。この結語で、ようやく自分の勘違いを気づくに至った。その昔、ある著名な作家に持論を述べてしまった際のことだ。ひと呼吸あってからの彼の「そうですねぇ」との合意は、「虚の効用」を知らない凡愚な私を慮っての優しさだった、のだと。
◆いかなる戦争でも本質は変わらない
塩野さんの代表作はなんと言っても『ローマ人の物語』全15巻だが、その物語の骨格は「戦争」である。私は、2000年も前のことをよくもまあ、見てきたようにお書きになるものだなあと、疑問に思ってきた。その辺りについての答えを「戦争」の章に発見した。昔も今も戦争をめぐる違いは、「相対的」であり、「(戦争それ自体は)歳月に関係なくヒューマン・ファクターに左右される」と述べている。その上で、❶マスコミの伝える戦力表示のいい加減さ❷湾岸戦争はベトナム化しない❸シビリアンコントロールは金科玉条ではない──との3つを考えたと述べていて興味深い。時代が変わろうが、人間のやることだから、人間観察さえしっかりしておれば、どんな「戦争」でも、本質は変わらず、その推移は見抜けるということだ、と。分かりやすく納得させられた。
この章でのハイライトは、『反省という行為』に登場する映画『八月の狂詩曲』である。主題は「原爆」。ここで塩野さんが問題にしているのは、「四十代五十代の日本人が戦中戦後の日本に面と向かわない」ことである。原爆はその象徴だろう。「経済以外のことから、逃げに逃げてきた50年だった」という。この人は「もうそろそろ、第二次世界大戦の総括という形で、顔を見せてはどうであろうか」と問題提起し「厳密な客観性で、あらゆる資料を集めて、整理し、まとめること」を主張する。黒澤明監督ただひとりだけが原爆について発言したと、この映画を高く評価してやまない。私も塩野さんと同様に、これまでの日本を恥ずかしいと思うひとりである。残念ながら、この本が世に出てより30年が経とうとしているが、日本は未だ逃げ続けている。G7の首脳たちに『平和記念資料館』を見てもらったと喜んで済ませている場合ではないのである。
【他生のご縁 ローマでの見事な肩透かし】
衆議院憲法調査会の一員として中山太郎同会長団長とする一行と一緒にイタリアを訪れた際に塩野さんにお会いし懇談しました。開口一番、日本の国会議員の皆さんがわざわざローマに来られて、私に憲法について話せとは、またどういうことでしょう、と。何とも複雑な思いにとらわれたものでした。
お別れする際に玄関まで見送った私は、日本人男性には『ローマ人の物語』を愛読する人が多いですが、女性は須賀敦子さんの愛読者が多いようですね、と妙なところで「女流作家比較論」を繰り出したのです。これには、「私ももっと須賀さんに見倣わないといけませんねぇ」と応答。見事な肩透かしを食らってしまいました。
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【82】「コッポラのメッセージ」異聞──塩野七生『人びとのかたち』を読む❶/6-4
塩野七生さんの名作『人びとのかたち』──この本の扉には、「映画鑑賞を読書と同列において 私を育ててくれた 今は亡き父と母に捧げる」とある。これは映画にまつわるエッセイ集なのだが、かねて私は、この本を〝映画のおたから〟のひとつとみなし繰り返し読んできた。全部で48本のエッセイの中で取り上げられた映画のうち、私自身の興味の赴くところと完全に一致したのが『地獄の黙示録』である。この映画については、少し前に亡くなった立花隆氏の有名な評論がある。『誰もコッポラのメッセージが分かっていない』である。かつて愛読した雑誌『諸君!』に掲載された。そこで塩野さんがどう〝分かり具合〟を示してくれているか、固唾を飲みつつ目を凝らして読んだ。だが、見事に外された。立花氏がこだわったカーツ大佐(マーロン・ブランド)については「その解釈で充分」とだけ。それ以上は触れられていない。ただし、戦時のリーダーとしては「失格にする」とズバリ否定。一方、あのロバート・デュバル演じる指揮官には好意的な眼差しを向ける。「負傷した部下たちの救出に配慮を忘れないこの男」は、戦の最中にサーフィンまでやらせる「パフォーマンスの名手」だと。神学論争になりがちな後半部分の解釈については、さらりとかわして、「リーダー論」に持ち込む手際は、さすがという他ない◆塩野さんは、随所でメリハリの利いた人物評を繰り出す。まさに小気味ばかりだ。グレタ・ガルボについての「スター」の一文が目を惹く。ここでは「実像と虚像」を巧みに論じる。〝スターは虚像〟の存在であって、〝実像〟を暴き出そうと、熱意を燃やす普通の人の努力は無駄であると明解きわまりない。創造する側に、「虚像と実像の区別など存在しない」と断じつつ。で、実像は「その人が生まれつきもっていたものにすぎない」のだが、虚像は「才能と、努力と運の結晶」だといわれる。ここまで読み、私がある有名な芥川作家の自宅に行った時に「作家って嘘つきでないと務まらないですよね」と、投げつけた言葉を思い起こす。いらい今日まで、作家の壮大な「結晶」をして〝嘘つきの所産〟と決めつけたことを後悔し続けてきたが、「実を越えうるのは、虚しかない。偉大な虚のみが、現実を越えて生きつづけることができる」との塩野さんの結語で、ようやく納得するに至った。あの時、芥川作家の、しばし呼吸をおいてからの「そうですねぇ」との同意は、「虚の効用」を知らない凡愚な私の身を慮っての優しさだった、と◆(この稿83号と一体化させています)
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【81】片山杜秀『11人の考える日本人』❹柳田國男、西田幾多郎、丸山眞男編/5-29
次は柳田國男。この人は民俗学の大家で、「昔話や言い伝えを一生懸命集めているおじいさん」との印象が確かに濃い。ここではそのイメージを180度壊す。貧困と飢えをキーワードに「本当は怖い柳田民俗学」を読み解く。このシリーズ一番の良い方の〝イメチェン〟で、〝金の亡者・福澤諭吉〟の表現より随分得してるように思われる。私を含めて柳田を見間違ってきたのは、農政官僚としての側面を見落としてきたからに違いない。「TPP交渉を主導し、自由化路線をひた走る」農政を「百二十年も先取り」しているというのは当たらずといえど遠からずかも。厳しくも優しい「民俗」への柳田眼差しの背景には、ひたすらに「日本人の諦め方」と「不条理に耐えていく知恵」の採集と分析にあったとの著者の見方は鋭い◆西田幾多郎の思想は、アンチ進歩であり、反進化思想だと位置付ける。それは右肩上がりの考え方の否定でもある。彼の思想の中核をなす「絶対矛盾的自己同一」とは、「絶対に結びつかない物が、現在において同一化する」ことだという。分かりやすくいうと、「悲しみの底には必ず慰め、喜びがあるように、主観と客観、個人と全体、善と悪など、反対だと思っているものは必ずセットになって現れてくるという」。これって、「依正不二」、「煩悩即菩提」といった仏教思想と全く同じと思えばいい。全般に、西田についての著者の解説は他のものに比べてわかりづらく感じるのは否定し難い◆最後に丸山眞男。戦後民主主義の創始者である。「超国家主義」と「八月革命」がその思想の根幹をなす。丸山は、日本には国家統治の責任を持つ主体、存在がどこにもなく、「無責任の体系」という仕掛けこそが「異常な超国家主義の根元」と説き明かす。また、明治憲法から戦後の憲法への転換は、天皇から国民へと主権が「アクロバティックな移行」をしたもので、革命そのものの大変化だというのが丸山の「八月革命」説である。著者は丸山が「関東大震災、特高による検挙、戦争体験、学生運動によって、こうした実感を、政治思想として深化させていった」のだとして、生活の継続性を強調する★柳田國男が生まれたのは兵庫県神崎郡福崎町である。私は今も保存されている生家に行ったことがある。慎ましいというほかない狭い家に驚いた。松岡操の六男(八人兄弟)に生まれ、12歳で茨城にいた長兄の家に移り、15歳で東京にいた三兄宅に同居し、26歳で柳田家の養子になる。柳田の足跡を民俗学の面からだけ追うのでなく、何のためだったのかを追求することの大事さを知って大いに満足した。と共に、海軍大佐から転身して民族学を志した弟松岡静雄の存在を知った。「兄の酷薄なリアリズムと弟の芒洋としたロマンの二面性があってこその一つの日本」との捉え方に驚いたしだい★西田哲学の根幹をなすものは「無」である。「いついかなる場合でも有にならないから絶対的に無なので」あり、「定まったかたちが有るのが有で、定まったかたちの無いのが無」だと。仏教の捉え方では、無に見えていても有になる場合があるという。「空」という概念がそれだ。有るといえば有る、無いといえば無いという状態を説明するのに、うってつけだ。西田哲学は、正解のない、中心のない今の世界を生きる上で、なくてはならぬ思想だと片山はいうが、なぜそうかの補助的説明が足らないように私には思われる★丸山は〈私自身の選択についていうならば、大日本帝国の「実在」よりも戦後民主主義の「虚妄」の方に賭ける〉と言った。その戦後民主主義も、憲法制定後75年経って、すっかり色褪せ、虚妄ぶりが露わになって久しいというほかない。むしろ「占領民主主義」の実態がいやまして強くなってきた。ほぼ150年前に福澤諭吉の説いた「独立自尊」が今なお燦然と輝くのはなぜか。私には、西部邁の『福澤諭吉──報国心と武士道』が圧倒的に印象深い。これほどまでに丸山「戦後民主主義」が叩かれた書物を私は知らない。(敬称略 2023-5-29 この項終わり)
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【80】片山杜秀『11人の考える日本人』❸和辻哲郎、河上肇、小林秀雄編/5-25
和辻哲郎は、姫路出身の倫理学者。私と同郷で、専門の学問とは別に『風土』と『古寺巡礼』を書いたとなると、親しみを感じざるを得ない。ニーチェ、キルケゴール、ショウペンハウエルら〝反正統派〟哲学者に傾倒し、「人間の限界を意識しつつ、それを乗り越えるためにどうすればいいのかを考え続ける思想、ままならない人生の苦悩を苦悩のままに向かい合う哲学に惹かれていた」人物だ。ポスト「坂の上の雲」時代の「教養主義」を代表する思想家である、とされる。夏目漱石門下のひとりとして、戦時下に国民道徳を説き、戦後も思想家として生き残ったことが注目される◆河上肇は「『人間性』にこだわった社会主義者」。私は尊敬する大先輩から河上の『貧乏物語』を読め、と勧められてきた。学者とジャーナリストの両面で河上は活躍したが、農業研究から出発し、マルクス主義へといくも、唯物史観に徹しきれないといった「振幅の大きい思想遍歴」を経ていく。「人間の心根の問題にこだわった経済思想」は、戦後日本社会で「あらためて参照されるようになる」。今の地球環境の危機を問う議論にあって、彼の「人間性に基づく行動変容と重なり合う論点を見出すことは可能」だとの見立ては大いに共感できよう◆私と同い年の政治家の国会執務室の書棚に小林秀雄全集が並んでいた。小林は戦後世代憧れの思想家である。「天才的保守主義」とのネーミングよりも、「何でも科学的に説明できると信じる人間が増えると、世の中はダメになる」──小林はこの考え方で一貫している、との規定の方が分かりやすい。〈僕等の嘗ての経験なり知識なり方法なりが、却って新しい事件に関する僕等の判断を誤らせる〉と、理屈で分かった気になることの危うさを指摘している。志賀直哉の凄さは「清兵衛と瓢箪」「児を盗む話」「和解」などの短編で、行為を説明せず、理屈も能書きも書かず、悔恨も懐疑も書かないで、「常に今現在のみを書く」ことにある──こう著者は宣揚する★3人への私の考察をここで加えたい。『風土』を考える時に、創価学会初代会長・牧口常三郎の『人生地理学』との対比に思いが及ぶ。牧口に遅れること18年でこの世に生を受けた和辻は、牧口より30年余り後に、似て非なる著作を著した。人間が生まれ育った土地の地理的要件や風土に影響を受けるという点で共通する。日露戦争前に出版した牧口と、アジア太平洋戦争の初期に書いた和辻とでは背景が自ずと違う。戦犯に問われ獄死した前者と、「体制に迎合するものではなかった」後者との違いも追うに値する★河上肇への関心を持ち続けていたのは、私の仕事上のボス・市川雄一。公明党は初期の頃「人間性社会主義」を追求した。これは党創立者の池田大作先生の発想に負うところが大であるが、河上の影響と無縁ではなかったはずと勝手に想像する。気鋭の経済学者斎藤幸平がいま『人新世の資本論』などで「新しい社会主義」を提唱している、と私は見ているが、ある意味で河上の主張と類似する★小林は、「ものごとは理屈でなく、直観で判断し間違えたら絶えず修正していけばいい」と言うが、取り上げてきたのは「志賀直哉も、モーツアルトも、本居宣長も、ゴッホも、ドストエフスキーも、普通の人ではたどりつけない、正しい道に直観で着地できてしまう天才たち」ばかりだ。これに幻惑され、しかも語り口調が「上から目線の権化」に見えてしまうから、平凡な人間は読み誤ってしまう。これをどう回避するかは、大いなる問題だ。(5-25 敬称略 つづく)
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【79】片山杜秀『11人の考える日本人』❷岡倉天心、北一輝、美濃部達吉編/5-21
3人目は岡倉天心。軍事の松陰、お金の諭吉に続いて、文明論の天心と、著者は位置付ける。天心は、英語エリート官僚として米国の美術史家アーネスト・フェノロサの影響の下、日本、中国、インドの一体化を考えた。東西融和の道を探し求めて、宗教、美術、茶道などを通じて相互理解を進めようとしたのである。「文明開化に成功した日本を模範にしてアジアは一つにまとまるべし」との理想をもとに、仏教における人間観、美意識などを根底においた。これはキリスト教を基盤にした西洋が、人間と絶対神を対立した関係ととらえるが故に、自然破壊をもたらす元凶となってきた歴史的事実からすれば、21世紀の今日を見事に予見した先駆性を持つ思想だったといえよう◆ついで北一輝。「極端な国家主義者」、「近代的な社会主義者」、「政治ゴロ的な貌」などの側面を持つ北について、著者は「進化論」がポイントだと見る。ダーウインの唱えた進化論は生物学の分野だけでなく、人間の歴史、社会、国家のあり方をも説明できる思想として、明治期の日本を席巻した。これを背景に北は、天皇を親とし、国民を子とする、民族が一体となった「純正社会主義」国家を、「進化」のゴールとして目指す。勿論、この「純正社会主義」国家とはいわゆるマルクスやエンゲルスの考えたそれと違って、共同性、社会性を高めた私利私欲を持たない〝無私の精神の極み〟としての国家像だ。しかし、北の『日本改造法案大綱』を〝日本革命〟の実践の書とした陸軍の青年将校たちが立ち上がった「2-26事件」により、全ては「未完」に終わる◆三番めは、美濃部達吉の「天皇機関説」。天皇は憲法によって縛られる存在であるという考え方である。いや縛られない、むしろ超越した存在だとする「天皇主権説」と対立した。天皇の選んだ官僚の方が、国民の選んだ議会よりも偉いとすることに帰着する天皇主権説は、「軍部優先」の温床にならざるを得ない。天皇機関説は当時としては先駆的な発想であった。大正デモクラシーを背景に輝きを持った天皇機関説だったが、軍部の台頭と共に退潮を余儀なくされていく◆以下に3人の思想への私の思いを付け加えたい。岡倉の思想は、今こそ光が当てられるべき先駆性を持ったものだが、理想倒れというべきか、登場が早すぎて残念な結果となった。また、北が法華経三昧の暮らしを行い、皇太子だった後の昭和天皇に自筆の法華経を献上したとのエピソードを筆者は紹介しており、興味深い。「自らの進化を促進するための重要な行為」だった法華経信仰の流れの中で、「日本の社会進化を促進する英雄的君主」への変身を期待した「法華経献上の方が(2-26事件よりも)革命的である」という。「これぞ究極の国家改造運動だったのではないでしょうか」とまで。ここは、法華経信者の私としては、北を「分かった」とは言えないまでも、「共感出来る」ところだと思われる。美濃部の天皇機関説は、戦後の「象徴天皇」制の登場に至る前ぶれともいえる。明治と昭和前期の間に花咲いた〝自由と民主主義的気風〟に溢れた大正という時代の空気が読みとれよう。(2023-5-21 続く)
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【78】片山杜秀『11人の考える日本人』から考える❶吉田松陰と福澤諭吉編/5-12
選挙で忙しく、このところ〝忙中本なし〟状態であったのだが、ようやく刺激的な本に出会った。ちょっと趣向を変えて、この本を4回に分けて解説した上で、私なりに考えを及ぼしてみたい。タイトルにあるように11人の思想家を著者の片山杜秀さんは挙げているので、順次触れてみる。最初は、吉田松陰と福澤諭吉。実はこの本を読むきっかけとなったのは、毎日新聞の今週の本棚4-29付けの佐藤優評である。「時代の危機『知の遺産』に生き残りのかぎ」との見出しで、この人らしい魅惑的な視点で主に柳田國男と西田幾多郎を取り上げ興味深い内容だった◆まず、吉田松陰。この人は1859年に29歳で亡くなっているから、明治維新のほぼ10年前まで生きた。幕末の緊迫した国際情勢のなか、どうすれば日本が生き残れるかを考え抜いた松陰は、天皇中心の中央集権国家を目指す。また、西洋の戦い方をリアルに認識しようとする軍事的リアリストだった。当時の日本人を結集するために、天皇を戴き忠誠を誓う仕掛けを作ろうとした松陰は、その手段として「教育」で人材育成を図ろうとし、「松下村塾」でその理想の具体化に奔走した。この松陰の思想を体現した長州の若者が中核となって明治維新は実現したのだ、と◆ついで、福澤諭吉。松陰より5つ下。江戸末期と明治後期を生きた。著者は「日本という国のありようから個人の権利、女性の権利、そして天皇の独立というものまでを一貫してお金を主眼として考え抜いた人」が諭吉であると位置付ける。その思想は「お金を儲ける経済人をどんどん作って、日本が豊かになることで真の独立、自立を実現できる」というものであった。この「お金の思想」という経済のリアリズムを実践的な生き方の根幹においたがゆえに、今も古びない存在だという◆幕末に生まれ青年期を過ごした2人は、紛れもなき明治維新の礎を作った巨魁だ。松陰は軍事に卓越し、目的完遂志向が強かったが故に、「本質はテロリスト」と見る向きがあるが、それは一面的に過ぎよう。「教育を施していけば人間はどんどん立派になって、日本が発展するような人材がたくさん輩出すると考え」た松陰あればこそ、日本の近代化がアジアで最も早く成し遂げられたといえる。また、諭吉は、これまで「いかにすれば西欧列強に屈せずに一国の独立と国民の福利を確保できるかという問題を、文字通り命をかけて考え抜いた思想家」というのが一般的だ。それを片山氏は、「お金の思想家」として徹して語っており、ユニークではあるが違和感が漂うのは否めない。これは福澤の作った慶應義塾で学び、教えてきた人ならではの一種の〝身内の謙譲さ〟の表れではないか。余談ながら、「慶應といえば看板学部はやはり経済学部」との記述があるが、さて。もうその時代は終わったとの見方も昨今は強い気がする。(2023-5-12 続く)
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【77】デモクラシーの「異端児」として━━水島治郎『ポピュリズムとは何か』を読む/3-26
「ポピュリズム」(大衆主義)を考えねば、と思ったきっかけは、尊敬する先輩が晩年にしきりに「ポピュリズムについて考えねば」と言っておられたからである。もちろん、外にトランプ前米大統領の華々しい動き、内に大阪維新の会の創始者・橋下徹氏の旋風といったポピュリズムの実例がある。民主主義(デモクラシー)の機能不全ともいうべき事態に代わって登場したとの認識が一般的だが、ともかくあれこれと事態は錯綜しているかのように見え、一筋縄ではいかない。手始めにそのものずばりのタイトルのこの本を選んで考えることにした◆定義をめぐって著者は、「固定的な支持基盤を超え、幅広く国民に直接訴えるカリスマ的な政治手法」と「『人民』の立場から既成政治やエリートを批判する政治運動」との2つがあるという。さらに学者によっては、「政党や議会を迂回して、有権者に直接訴えかける政治手法」(大嶽秀夫)や、「「国民に訴えるレトリックを駆使して変革を追い求めるカリスマ的な政治スタイル」(吉田徹)などといったものもあると補足されている。要するに民主主義のもどかしさを補おうとするもの、いわば「異端児」と、おさえたい。キーワードは、人民大衆、反エリート、カリスマ的手法といったところである◆民主主義が登場する以前には、一般的には「封建的専制主義」なるものが幅を利かせ、人びとに「自由」はなかった。一般大衆を率いるカリスマ的存在が全てを牛耳っていた。それに代わるものとしての民主主義は、「直接」と「間接」の2種類あって、直接民主主義が理想ではあるものの、現実の展開は難しい。そこで、議員という名の代理人を選び、議会を構成させ、大衆に代わって政治を執り行うのが間接民主主義だと捉えられてきた。しかし、大衆の指向する方向に政治が動かないために、直接と間接の中間というか、亜流としての進め方としてのものがポピュリズム=大衆迎合主義であると、私は恣意的に理解する。と共に、非民主主義社会では、新たに「現代的専制主義」が台頭してきていると捉える◆水島氏はポピュリズムは、「ディナー・パーティに乱入してきた泥酔客」のような存在だという。「泥酔客を門の外へ締め出したとしても、今度はむりやり窓を割って入ってくるのであれば、パーティはそれこそ台無しになるだろう」と。今米国では、不倫相手への口止め料支払いを巡ってトランプ前大統領を起訴しようとする動きが風雲急を告げている。これをきっかけに、米国中があたかも南北戦争以来の大騒ぎになるかもしれない。「厄介な珍客をどう遇すべきか。まさに今、デモクラシーの真価が問われているのである」との結論が重く響く。日本では未だそこまで深刻化していない。だが、原形としての「新型ポピュリズム」は明石市に芽吹いているかのように私には見える。これについては稿を改めたい。(2023-3-26)
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【76】君たちはどう戦うのか──西山太吉『記者と国家』を読む/3-12
元毎日新聞記者の西山太吉が先日亡くなった。彼は1972年(昭和47年)に沖縄返還をめぐる密約取材で、国家公務員法違反容疑を受け逮捕された。最高裁で有罪が確定(1978年)してからも、「密約文書」開示請求訴訟を起こすなど、国家の「機密」を相手に戦い続けた。事件が発覚した当時、私は公明新聞記者になって3年目。日中国交回復問題に、沖縄返還交渉に、政党機関紙政治部記者として少なからぬ関心を持ち推移を追っていた。後に衆議院議員になって、外務委員会に参考人として招致された彼に直接問う機会もあった。西山は「国家と情報開示」というテーマに向き合う上で、貴重な存在だった。後に続く「記者」の視点から垣間見ることにしたい◆冒頭の読売新聞の渡邊恒雄(現主筆)との若き日のスクープ合戦は興味津々。親友だった2人の運命はやがて相反する。方や読売のドンとして君臨し、一方は後半生を裁判三昧で戦う。「権力対新聞」と題した第1章の結末は、「渡邊という新聞界の超大物の秘密保護法制への積極参加は、権力対新聞の本来の基本構造を、根底から塗り変えてしまった」とある。権力そのものに寄り添っていった渡邊と、その暗部に挑み続けた西山という風に両記者を単純に比較するのは不適切かもしれない。毎日新聞の後輩が西山のことを「生涯、傲岸不遜。勝手放題で競艇好き。正義の味方は似合わない」(3-6付け『風知草』)と突き放して書いていたのは興味深い◆この本で西山が最も力説するのは、戦後日本の国のかたちが、長州一族(岸信介、佐藤栄作、安倍晋三)によって「根底から変革された」という点である。「日米軍事共同体」の完成が露わになったからだと言いたいようだが、これは陰の部分が表に出てきただけ。米国の掌で踊ってきた戦後日本に基本的な変化はない。一貫して真の「自主独立」とはほど遠く、いまさら国のかたちが変わったとまで大げさに強調すべきほどのことではなかろう。戦前の「天皇支配」から、戦後の「米国支配」へと、根底からの変革は1945年から始まっている。77年経った今、米国への追従は益々強まっているのだ◆西山は「イラク戦争」と「沖縄米軍基地」に見られる日米関係の真相を衝く。前者において、日本は「CIAがでっちあげた偽情報にもとづく」米国の強い要請で、「参戦」した。その総括は未だなされていない。それを曖昧にしたまま、「ウクライナ戦争」でのロシアを非難する真っ当な資格は米国にも日本にもないと私は思う。後者で米国は、米軍再編における海兵隊のグアム移転に伴う費用負担を迫る。その実態たるや「もはや同盟の関係でなく、主従の関係である」と西山は嘆くのだが、何を今更との感は拭えない。ことほど左様に「敗戦」の後遺症は深く重いのである。仮に米国を見習うとするなら、「情報公開」だろうが、日本にその強い風は未だ吹いてこない。「暴走し、衝突し、灰神楽を立てながら進む暴れん坊だった」(前掲の「風知草」)西山は、遅れ来る「記者」たちに対し「すべて主権者たる国民に正確な事実を報告する義務がある」と神妙に言い遺して去って逝った。(敬称略 2023-3-12)
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【75】ありきたりのことを鍛え直す─小山哲・藤原辰史『ウクライナのこと』を読む/2-24
ウクライナでの戦火が続く。ロシアのプーチン大統領が「特別軍事作戦」の名で軍事侵攻を始めた日から今日24日で一年。心騒がぬ日はなかった。昨秋、欧州政治に明るく心優しい友人(元T新聞政治部長)がウクライナ関連本をどっさり贈ってくれた。その中から〝すぐれものの一冊〟を紹介したい。タイトルには、頭にそっと「中学生から知りたい」との添書きがつく。その意味は、「基本に立ち返る」ことだけではない。①大人の認識を鍛え直す②善悪二元論を排除して相対化する③国際政治学的分析でなく歴史学的分析に立つ──の3つが含まれる。ポーランド史と「食と農の現代史」を専門とする歴史家2人の共著。〝どうするこの事態〟との観点だけの軽いものとは違って深い趣きがある◆冒頭、「自由と平和のための京大有志の会」の「ロシアによるウクライナ侵略を非難し、ウクライナの人びとに連帯する声明」(2022-2-26)文が掲げられる。これを受けて、今回の出来事をどうとらえるか?❶ロシアの軍事行動は、純然たる国際法違反である❷ロシアとロシア人を同一視してはいけない❸プーチン病気説には最大限の警戒心を持ちたい❹歴史を学び直して、点検し、少しでも改善する努力が大事である❺旧来の戦争観では追いつかない事態である──極めて的確なとらえ方でわかりやすい◆尤も、こう認識したのはいいが、そのあとの「地域としてのウクライナの歴史」(小山)を読んで、生半可な知識が見事に吹き飛んでしまった。まったくこの地のことが分かっていない自分に愕然としたのだ。それを次の「小国を見過ごすことのない歴史の学び方」が癒してくれる。私たちの大国に偏った歴史の理解の浅さを自覚させた上で、「NATOとロシアという二項対立図式から離れ」ることの大事さが力説される。プーチンによるウクライナの民間人の殺戮を欧米と同じ角度から批判するのでなく、「(欧米とは)異なった論理で、欧米より厳しく批判する糸口を見つけ出すこと」を迫る。「地政学風の力のゲームの議論」から、〝二項対立の罠〟に陥った論調。巷の現状に如何ともし難い我が身も反省するしかない◆最後の質疑での「日本がこれから中国の軍事大国化と米国との同盟の狭間でどのように生きていくか」という問いかけに対する答えが白眉だ。「あくまで中立であることを早期に宣言するという道を私たちはあまりにも最初から諦めている。この思考停止こそ、実は危険ではないか」とのくだりである。対米追従一本槍のお家芸になす術なしの我々国民大衆も耳が痛い。いま〝落日のムード〟が強い日本で、「米国か中国か、将来、どっちにつくのか」との〝地獄の選択〟を思考上で弄ぶ向きが少なくない。それをここでは嗜めつつ、「このテーマについてずっと考えています」と結ぶ。それは私とて同じ。自主独立の道と強靭な外交力の展開──「占領状態」を形の上で脱して70年。未だに見果てぬ夢の域を脱していない現実に天を仰ぐ。(2023-2-24)
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