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(第6章)第4節 元防衛官僚による真摯な批判と反省━━柳澤協二『検証 官邸のイラク戦争』

 多くの人生を分けた「イラク戦争」の検証

 イラク戦争(2003〜11年))において大量破壊兵器をサダム・フセイン政権が保有していると信じた米英軍が侵略攻撃をし、同政権を破壊した。ところが後にそれは嘘偽りの情報に基づくものであったことが判明した。米英の当事者たちはそれぞれ誤った情報で動いたことを認めた。ところが日本政府は今に至るまでそれをせず、「検証」を行った形跡すらない。実は、この戦争において首相官邸で自衛隊のイラク派遣の実務責任者を務めたのが標題作の著者・柳澤協二氏である。現役時代に外交・防衛に関するテーマに関心を強く持った私は、さまざまな場面でほぼ同世代の柳澤氏と付き合う機会があった。定年後の今もなおその関係は続いているが、防衛官僚と与党政治家の身として、「イラク戦争」への〝批判の眼差し〟には共振するものがある。2010年に公明党理論誌『公明』誌上で、簡潔な形にせよ私は反省の弁をまとめた。その意味で立場の差は微妙にあるものの、この書を紐解いて「共戦の譜」を読む思いさえした。

 著者が退官後のほぼ4年の歳月をかけて、個人的に「イラク戦争を検証する試み」を成し遂げた所産がこれである。現代における「戦争の意味」に立ち返り、「無駄な戦争」と言われてきた「イラク戦争」を完膚なきまでに分析し総括した、極めて意義深い仕事だ。同時代を生きた政治家のひとりとして心底から敬意を抱く。イラク戦争への疑問を踏まえての総括(序章)に始まり、米指導者の戦争決断への思考過程の分析(第1章)、防衛研究所所長としての思考の方向性(第2章)、小泉政権の戦争支持に至る流れの分析(第3章)、自衛隊派遣の意思決定(4章)、派遣から撤退までの官邸の対応(第5章)、イラク戦争後の政策課題(第6章)を経て、「日本の国家像」を求めた終章まで、著者の思考の軌跡が惜しみなく披瀝されていて興味は尽きない。政権を支える役目を持った官僚が、自らも少なからず関わった政策決定の是非を批判を込めて検証するというのは、「防衛」分野では初めてのことではないか。かつての仲間たちの不満や怒りを存分に感じながら、何故にこの決断に踏み切ったか。柳澤氏のこの検証公開から12年ほどが経った今、改めて振り返ることは「日本と戦争」を考える全ての人にとって欠かせぬ作業だと思える。

戦後日本が初めて経験した自衛隊派遣

 中東・イラクでのアメリカの戦争に同盟国であるがゆえに参加するということは、戦後日本が経験したことのない初めてのものだった。憲法によって禁止された「国際紛争を解決するための武力の行使」であり、政府がそれまで一貫して否定してきたものだったのである。かつて「極東」という位置を巡って関わり方が大論争になった「ベトナム戦争」や、憲法前文にある「名誉ある地位」を占めることが契機になった「湾岸戦争」などとは明らかに違った。このため自衛隊の派遣については、戦闘地域から離れた後方地域での人道復興支援に限定した。戦闘に巻き込まれたら撤退するとの条件付きであった。米英をはじめとする同盟国とも戦争をめぐる価値観の不一致をそのままにした上での〝歪な同盟の展開〟だったのである。こうした背景を持つ戦争について著者は、「イラク戦争」において日本は、「戦後の平和国家としての自己認知を否定した」とズバリ位置付けた。しかもその「自己認知」は、「変動するアジアの中で、漂流を続けている」とまで明確に言ってのけている。

 かつてイラク戦争真っ盛りの時に、米国の戦争に支持をした小泉政権のパートナーとして公明党は同調した。イラク北部のクルド族への虐待やら大量破壊兵器の存在を否定しないフセイン政権の真偽入り混じった〝挙動不審〟と〝乱暴狼藉〟に、私は公明新聞紙上で論考を上下2回にわたって書き、イラク非難の論陣を張った。「湾岸戦争」から引き続く「13年戦争」と捉えるべきだ、と。ペンと同時に兵庫県下各地で党員支持者の皆さんの前で、平和の党・公明党は座したまま理想を説く口舌の党ではなく、「行動する国際平和主義の党」だと強弁しまくった。少なからぬ男女党員の納得しがたい表情や声が今も目に浮かび、耳に残っている。こうしたことから、前述したように、誤った情報による政策判断のミスを率直に認めたものだった。柳澤氏の「検証」を読んで我が意を得たりと共感すると共に、与党の一翼を担う存在の一員として、政権の内側から戦争関与にどう歯止めをかけるかという立場の困難さを考えざるを得ない。

【他生のご縁 定年引退後に同じ「研究会」に所属】

 柳澤さんは定年退職と前後して、ある新聞紙上に政府批判の論考を書かれた。ほぼ同じ頃、挨拶に見えた際、私は「人生後半に良い生きる道を見つけましたね」と不躾な思いを率直に吐露したことを思い出します。

 その後、一般社団法人「安保政策研究会」で彼は常務理事、私は理事になりました。再会した折に「(立場の変化で)昔の仲間を失った分、新しい友人が増えました」と、苦笑いしつつ述懐されました。その点、私とは昔も今も変わらぬ関係であることには不思議な思いを抱きます。

 この本の中で、柳澤さんの防衛研究所所長時代の後輩で長尾雄一郎第一研究室長のことがでてきます。私は彼のことを、同期だった石井啓一(公明党前代表)君と共に、高校生時代からその将来を嘱望していました。長尾君は残念ながら急逝してしまったのですが、遺稿となる文章(『我が国の安全保障上の国益』)を仲間が校正したとのくだりに触れて、柳澤氏との浅からぬご縁をも感じました。

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(第3章)第2節 日本政治の変革に尽きせぬ想い━ジェラルド・カーティス『政治と秋刀魚』

 「説得する政治」未だ見えず

 米コロンビア大名誉教授のジェラルド・カーティス氏の「日本政治」についての興味深いインタビュー記事が「小泉進次郎氏の恩師」(毎日新聞2024-9-19)との添書き付きで出ていた。この中で、同氏は崩れた自民党の構造をどう立て直すのかとの議論が総裁選で全くないことやら、9人の候補者の公平さを重視しすぎる結果「討論にならない討論会」になっていることなどを懸念している。また、日本の政党政治そのものが大きな問題に直面しているのに、小選挙区制度を改めるべきだとの議論さえ出てこないのは残念であると発言をしていて注目された。

 この人は昭和42年(1967年)の総選挙に立候補したある自民党候補に密着取材して『代議士の誕生』との著書を発表したのを契機に、日本政治のウオッチャーとして長年活躍してきていることでもよく知られている。今回取り上げた標題の著作は、サブタイトルに「日本と暮らして四十五年」とある。昭和39年(1964年)、23歳の時にコロンビア大学の大学院生として初来日していらいの見聞録風政治論考なのだが、2008年7月に出版されたものを改めて再読した。

 周知のように、自民党は2007年の参院選で大敗し、2009年の衆院選でも惨敗。旧民主党中心政権への交代を余儀なくされた。この本はそのちょうど狭間の激動期に著されたもので、その時から15年余りが経つ。当時は突然辞任した安倍晋三氏に代わって福田康夫首相が誕生したばかりのときで「日本の政治は新しい混乱期に入った」とある。この後、麻生太郎首相の時代を経て民主党政権へと移っていくのだが、〝今再びの政権末期〟と言っても言い過ぎではないほどの自民党の体たらくを横目に、日本通の米国人政治学者の15年ほど前の見立てから今何を学ぶべきかを考えざるを得ない。

 この著作でカーティス氏が最後に強調しているのは「説得する政治」の展開の必要性である。「具体的な改革の是非について、政治家が国民にわかりやすく説明して、議論して、説得する努力が必要である。野党だから与党の政策に反対する、与党だから野党の反対があるにもかかわらず押し付けようとするといった政治をやめて、新しい『説得する政治』を展開していく必要があると思う」と、最終章の「思考の改革」で結んでいる。残念ながら、第二期の安倍政権も、その後の菅、岸田政権も「説得する政治」が、実を結んだようには見えなかった。これが、与野党伯仲を生み出す大惨敗を生み出したといえよう。

「中間党」たれとの公明党への言及

 一方、この本で、カーティス氏は公明党について重要な指摘をしていた。「(三党の連立政権が実現した1999年)そのとき、公明党が小渕総理の呼びかけを断って与党でもなく野党でもない『中間党』という立場を取ったなら、日本政治で初めて国会という立法府が政策立案の重要な場になったはずだとそのとき私は思い、今もそう思っている」とのくだりである。同氏は、ドイツの自由民主党(FDP)の例を挙げて、左右両勢力のどちらにも与しない生き方を、公明党もとっていれば良かったのに、政権党であり続ける選択をしたために、今や「自由に動きが取れなくなった」と嘆いている。この見方は、「中間党」との表現の当否はともかくとして、的を射ていると私は思う。あるときは自民党、またある時は立憲民主党や維新、国民民主党など野党と手を組む手法は「中道政党」としての魅力ある政治選択であると思われるからだ。そんなことがこの本を再読しながら頭をよぎった。

 いかにも「後出しじゃんけん」みたいに思われるかもしれないが、公明党の与党化をめぐっては、この20年こうした選択肢の是非が出ては消え、消えてはまた浮上してきたのは事実である。自民党と立憲民主党の党のトップを選ぶ選挙を見ながら、なぜ公明党は、来し方行末を検証し予測する論争をしないのかとの思いは強い。冒頭の毎日新聞のインタビュー記事で、カーティス氏が、与野党の動きを占うなかで公明党の〝この字〟も出てこないのは残念というほかないが、〝音無しの構え〟あるのみの〝沈黙の集団〟では仕方なかろう。

 自民党と公明党の〝連れ立ち大敗〟との結果を得て、かつて拙著『77年の興亡』で懸念した通りになった。「与野党伯仲」は天が与えた僥倖の巡り合わせである。これをチャンスと捉えて、公明党の活躍を目にもの見せてほしいと祈るばかりだ。

【他生のご縁 「9-11」直後の大沼保昭氏宅にて】

 ジェラルド・カーティス先生と私のご縁は、あの2001年9月11日直後に遡ります。かねて親しくさせていただいていた大沼保昭東大名誉教授(故人)から、杉並区の自宅にカーティスさんが来られるので、一緒にどうか、とのお誘いをいただいたのです。それまで、殆どご縁がなかった私でしたので、喜んで出かけました。

 当初は市川雄一書記長も一緒の予定だったのですが、急用で来られず私だけになりました。その時は「9-11」直後とあって、大沼さんのところには新聞社からの「コメント依頼」などが寄せられて大忙しの状況。カーティス先生の文字通り怒り狂った様相、佇まいがとても印象的でした。日頃の沈着冷静さはどこへやら、「1812年の米英戦争以来、初めて首都が攻撃されたこと」への屈辱に立ち上がる「ナショナリストの姿」に私は只々呆然としていたものです。

 

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(第1章)第2節 究極の「歴史探偵」ここにあり━━半藤一利『荷風さんの昭和』

 名著『断腸亭日乗』の威力

 この本は、「歴史探偵」こと半藤一利さんが、永井荷風の日記『断腸亭日乗』を、虫眼鏡とも杖にもして、昭和の始めから戦争への道にいたる「日本の社会と風俗」を描いた。まさに「生きた歴史解説の書」と言える。とても面白くてためになる。平成6年(1994年)の1月から1年12回にわたってある雑誌に連載されたものを大幅に加筆して出来上がった。世に出て既に30年になる。半藤さんは亡くなって数年が経つが、私はこの人と生前に一度だけだが食事をご一緒した。拙著『忙中本あり』を出版して暫く経ったころだった。事前にその本を贈呈していた。

 因みにそれは私の処女作で、1999年から2000年末までの2年間100週に読んだ約300冊の読書録である。そこには半藤さんの名著『戦う石橋湛山』も入っている。その時の会話の詳細は忘却の彼方だが、挨拶も終わらぬうちに頂いた言葉だけは鮮明に覚えている。「貴方はくだらない本を随分沢山読んでる人ですねぇ」と。〝古典抜き軽め多し〟の読書傾向をズバリ言われた気がして、気分は複雑だった。それもあってか、その後この人の本は『日本のいちばん長い日』『昭和史』『戦後史』『漱石先生ぞな、もし』を始め、それなりにせっせと読んできた。ただし、この『荷風さんの昭和』は未読だった。

 取り上げられた荷風は、明治から昭和にかけて活躍した小説家だが、ここでは先の大戦を鋭く批判した日記(大正6年-昭和34年)が「原資料」となっている。世の中がお上から下々まで戦争讃美に流された時代風潮に抗して、無視し贖い続けた「反骨の人」として名を馳せている。かねてより深く尊敬してその足跡を追ってきた半藤さんは江戸の戯作者もどきの側面を持つ荷風を、その実情を露わにすべく面白おかしく描き切った。慶應の教授でもあった荷風にかねて関心を持った私は、若き日に岩波書店版『断腸亭日乗』全集7巻を購入して、書棚に並べた後、押入れに突っ込んできた。しかし、御多分に洩れず放ったらかし。このたび半藤さんの「手ほどき」を受けるとあって、その本を書庫風押入れから取り出して初めて紐解いた。

 日本の100年を硬軟両面から観察

 頁を捲ると、何やら異様な黴臭いにおいがしてきた。始末が悪かったが目をつぶったしだい。この本の醍醐味は、江戸期から明治・大正期を経て昭和の戦争に突入し、やがて日本が「滅亡」するまでのおよそ100年を、硬軟両面に分けて、交互にじっくり観察したことにある。例えば、第1章が「この憐れむべき狂愚の世━昭和3年〜7年━」とくると、第2章は「女は慎むべし慎むべし」とくる。以後奇数章はお硬く、偶数章はぐっと柔らかい。第4章など「ああ、なつかしの墨東の町」と銘打って、「玉の井初見参の記」━━色街探訪が展開されるという具合だ。因みにその前段の3章「『非常時』の声のみ高く」では、「天皇機関説」をめぐる言論界の様相が見事に抉られている。この段違いというか、微妙な差異がとても味わい深い。

 戦後第一世代の私はそれなりに、戦前の時代状況を学んできたとの自負はあった。しかし、この本を読んで、そんな経験や考察がいささかぐらつきかねないことがよく分かった。例えば、我々は「日清・日露の勝利」をピークに、大戦前の40年ほどを一括りにして「軍事力拡大の時代」として見てしまいがち。だが、これでは荒っぽ過ぎる。昭和9年5月末に逝去した日露戦争最大の殊勲者・東郷平八郎元帥は「国葬」の扱いだった。だが『日乗』では殆ど触れず、日本海海戦における功績は別人にありとの見方を提起している。そして、半藤さんは荷風の指摘を肯定した上で「大功はすべて東郷ひとりに授け、事実を秘匿した。おかげで、日露戦争後の日本はリアリズムを失って、どんどん夜郎自大のとんでもない国になっていく」と、「反薩長史観」的見方を、我が意を得たりとばかりに展開している。

 昭和5年5月生まれの半藤さんは、20年11月生まれの私とは15年半ほど歳上だが、この差は実に大きい。彼はものごころついた時に軍人が幅を効かし行く時勢を存分に見聞きし、のちに荷風さんの命懸けの反戦の振る舞いを検証しているのだ。学徒動員に駆り出される寸前に敗戦を迎えた、いわば〝寸止め世代〟でもあって、「国家悪」を凝視する態度が実にきめ細かく堂に入っている。

 私の15歳の頃といえば「60年安保」の年。大学を卒業する頃が「70年安保」前夜。大学紛争が東大から日大まで燃え盛っていた。半藤さんより少し上の「学徒動員世代」の恨み辛みがあたかも世代を超えて乗り移ったかのようであった。とは言うものの、時代背景そのものは戦前の「亡国の翳り期」と、占領期を経て「興国の勃興期」とでは、比べるべくもないといえよう。ともあれ、戦後世代は、「荷風・一利」連合チームの硬軟相和す攻めの前に、なす術なしなのである。嗚呼。

【他生のご縁 娘婿との繋がり】

 半藤さんとのご縁のきっかけは、彼の娘婿・北村経夫・産経新聞政治部長(現参議院議員)との出会いに始まります。とある赤坂の居酒屋で偶然知り合って以来、彼とは滅法親しくなりました。この人は山口県出身。安倍晋三元首相と気脈を通じ合った気骨あふれる長州人です。

 親しくなるにつれて、岳父に会わせてくれと、しばしばせがみました。「北海道新聞の敏腕記者と一緒になら」との条件つきで実現した時はとっても嬉しかった。元文藝春秋の編集長にして作家の半藤さんの体験談はなかなか聞き応えがあり、深く胸に刺さりました。

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【144】この夏こんな本を私は読んでいる(下)━━『気をつけろ、トランプの復讐が始まる』『国家の総力』『日蓮の思想』/8-31

 過去に経験しなかった被害をもたらしかねない━━前評判がめっちゃ怖かった大型台風が我が居住地域のすぐそばをかすめながら、殆ど雨らしい雨ももたらさず、東へと移動していった。8月31日という子どもの頃には、いい思い出のない〝夏の終わり〟の奇妙な体験をしながら、夏休みの宿題ならぬ、この夏の読書を進めている。日本の首相に直結する「自民党総裁選」については、私のような70歳台後半の政治ウオッチャーにとっては、もう一つワクワク感が湧いてこない。むしろ、名うての弁舌家で、元首相の野田佳彦氏が名乗りを上げた「立憲民主党代表選」の方が面白くなってきた◆そんな状況を背景に、まず月末ギリギリに読み終えたのが宮家邦彦の『気をつけろ、トランプの復讐が始まる』である。米大統領選の雲行きは、つい先頃の「ほぼトラ」(ほぼトランプで決まり)から、トランプ襲撃事件を経て、民主党の候補者差し替えによって、「もしトラ」(もしトランプが再選したら)へと、様変わりした。そうした状況を背景に出版されたばかりのこの本は、実に面白い。手軽に読めて、分かりやすい。最も興味深いのは最終章の「安倍元首相なき日本の『もしトラ』生存戦略」だ。「天才的『じゃじゃ馬馴らし』政治家」としての安倍晋三は、その回顧録に余すところなく見事に描かれている。著者は安倍に代わりうるトランプと渡り合える政治家を探すのは難しいと思ってきたが、彼は「いじめっ子」であるとのオーストラリアの首相の論考を読んで考えが変わったという。「勇気をもって立ち向かい、率直に話し、本人に利益になることを伝え、繰り返し強く説得する」しかない、と。さて、そういう能力を持った総裁候補はいるのか。「いじめっ子」を巧く扱えそうな人物は見つからず、「いじめられっ子」ならすぐ浮かぶ。ともあれ、総裁選に勝利した候補はこの本を直ちに読むべし◆私の高校同期の女友だちで笑医塾・塾長である高柳和江から、7月後半に「この本絶対読まなきゃあ」と電話があり、送られてきたのが『国家の総力』。これまで彼女の専門の医学や文明論的な分野のもの、また塩野七生の本などを勧められてきたが、今回のものは異色。兼原信克と高見澤將林という「外交・安保」官僚の最強コンビが組んで、いざ「台湾有事」が現実のものになったら、日本はどう立ち向かうかを、語り合ったものである。これまで、自衛隊の元将官たちと議論したものは読み、ここでも取り上げたことはあるが、この本は、エネルギー安保と食料安保から始まり、シーレーン防衛、特定公共施設と通信、貿易と金融といったテーマを、それぞれのエキスパートと共に詰めた議論を展開している。色々と触発されるが、「石油危機後の『油断』に対応する戦略備蓄の話がエネルギー安保の話として語られますが、有事の際の日本のエネルギーをどう確保するかという議論がない。これはおかしな話です」(兼原)と、戦後日本がエネルギーを防衛政策から切り離してしまったことを嘆いている。自公政権にあって、公明党が中道とはいえ、リベラル的指向が強い分だけブレーキ役を果たしているのかどうかが気になる。「台湾有事」について大枠を聞き、語ることはあっても、ここまで細部にわたっての議論はあまりお目にかからないだけに得難い本である◆最後は、植木雅俊の『日蓮の思想━━御義口伝を読む』である。仏教学者の中村元の直弟子として、お茶の水女子大で博士号を取得した著者は、サンスクリット語に熟達した仏教思想家だ。これまで難解な専門書は別にして、数多い著作を読んできて、京都と大阪で開かれたNHK文化センターでの講義にもそれぞれ5回ほど受講したことがある。その著者が日蓮大聖人が弟子日興上人に語り伝えた『御義口伝』を題材にして日蓮思想を語ったこの本は、とてつもなく価値があると思い、飛びついた。まだ完読するまでには至っていないが、総論の「南無妙法蓮華経とは」から始まり、「自己の探究」「汝自身を知れ」「日蓮の時間論」と続き、「日蓮の仏国土観」「日蓮の死生観」で終わる、全10章430頁に及ぶ本は読み応え十分である。特に「時間論」に惹かれた。これまで創価学会の池田大作先生の『御義口伝講義』を懸命に読んできたつもりだが、市井の一学者によるこの解読書は新鮮な印象を受ける。これからじっくりと、読み進め新たなる境地を切り拓きたいと思っている。(敬称略 この項終わり 2024-8-31)

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【143】この夏こんな本を私は読んでいる(中)━━『粋な生き方』『嫉妬論』『冷戦後の日本外交』/8-23

 本のタイトルって、それなりに大事ってことを思いっきり感じたのがこのほど読んだ帯津良一さんの2冊。『粋な生き方』と『後悔しない逝き方』である。前者が2014年10月、後者が同年12月初版と、踵を接して出版されている。出版社は違うけれど、明らかに「生と死」を一対のものと意識して世に問うたものと思われる。かつて国会で開かれたOB議員の会合でこの人の講演を聞いていらい、ファンになった。ともかく話が面白い。そして本も。お医者さんの書いた本だからどちらも健康に関わりがあるのは当たり前だが、前者は生き方に、後者は死に方に関わる。共に、サブタイトルめいた文句がついており、前者には「病気も不安も逃げていく『こだわらない』日々の心得」。後者には「患者さんが教えてくれた32の心得」。中身はダブっているところもあり、後者はここでは省く◆前者は目次から拾うと39の心得が、5章に分けて掲げられている。①挫折を知る人ほど、大輪の花を咲かせる②あきらめない、こだわらない③日々、ときめいて生きる④上手に恋する「粋な人」⑤凛として老いるといった具合に。著者とはほぼ10歳年下の私だが、圧倒的に興味深いのは4章。中でも「恋は、生きる上で最高のエネルギー源になる」「別れをかなしむことはない。別れは必ずくるように、再会するときも必ずくるから」「家族とは、ときどき会うほうが、『遠きが花の香り』でうれしいもの」の3つに関心を抱いた。帯津さんは奥さんと死別されて長い。仕事が終わると看護師、医師、事務員さんたち女性と、一献傾けながら話しを交わすのが最高のひとときといわれる。〝恋する爺さん〟の片鱗がここから伺えて興味深い。別れと再会については、夫人の亡骸を見ながら「向こうへ行ったら真っ先に謝らないといけないな。それまで少し待っていてほしい」と、心の中で語りかけ、やがてあっちの世界で会えることを楽しみにしているという。家族との関係も、「毎日顔を合わせていると気に食わないことばかりが目につきますが、たまに会う関係だと、ありがたく思える」というくだりには100%同感だ。ともあれ一読をお勧めしたい◆前回取り上げた『本居宣長』(先崎彰容著)のくだりでも述べた、山本圭(立命館大准教授)の『嫉妬論』をその後読みだした。「民主社会に渦巻く情念を解剖する」というサブタイトルがついているように、「嫉妬」という厄介な感情の有り様について、社会との関係から深い洞察を試みたユニークな新書である。「嫉妬」が現代政治に絡んで姿を表すのは、最もポピュラーなのは「生活保護費」をめぐる議論だが、これからやってくる「ポスト資本主義」社会ではいかなる問題が待ち受けているか。著者は、現在論壇の世界で話題になっているコミュニズムの新展開に矛先を向ける。つまり、私がかつてこのブログで取り上げた斎藤幸平、松本卓也氏らによる『コモンの自治論』(No.100)などを意識している。私などは「熱い思い伝わるも虚しい実現性」といった軽いタッチで論評したものだが、山本氏は、「コモンとして民主的に共同管理するとき、これまで気にも留めなかった差異が途端に顕在化する」うえに、「社会主義のプロジェクトの足を掬うことになるかもしれない」から、「こうした負の感情に何らかの仕方で向き合う必要がある」と、「嫉妬」の取り扱いに絡めて、「コモンの自治」への懸念を示している。流石だ◆あと、今読み終えて深い満足感を覚えているのは『冷戦後の日本外交』。これは自民党の元副総裁で外相や外務政務次官を幾たびもこなして文字通り日本外交の下支えをしてきた高村正彦氏による聞き語り、つまりオーラル・ヒストリーである。聞き手の中心は元内閣官房副長官補の兼原信克氏。これは実に読み応えがあった。高村氏は「安保法制」において、「集団的自衛権」の部分的容認の作業を公明党の北側一雄副代表との間で仕上げたことで知られるが、それ以外についてはあまり業績は一般に伝わってきていない。それを、兼原氏と、川島真(東大教授)、竹中治堅(政策研究大学院大教授)、細谷雄一(慶大教授)の4人で見事なまでに掘り起こしている。実は私は高村氏という政治家をよく知っていると思ってきたが、「希代の外政家」との表現に接して驚きを禁じ得ず、我が不明を恥じ入った。率直に言って大いに見直したが、自民党内ではそれこそ「嫉妬」の対象にならざるを得ないような気がしてならない。この本については、項を改めて詳しく論じたい。(2024-8-23)

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【142】この夏こんな本を私は読んでいる(上)━━『百年の孤独』『本居宣長』『神なき時代の「終末論」』/8-17

 私の『忙中本あり』は、今は一週間に一冊のペースで本を取り上げ、読後感を表現している。この5月3日に『ふれあう読書━━私の縁した百人一冊』上巻を出版してからは、下巻の上梓を目指して、自分がご縁をいただいた著者の本を取り上げてきている。しかし、会ったことも見たこともない著者の本も読むことは、もちろんある。出版準備にかまけてばかりいないで、そういう普通の本も取り上げようと、この夏まとめて今読んでいるところだ。お盆の時節も過ぎてしまったが、ここでこの半月あまりに読んだ本の「読書録」を一気にまとめて取り上げてみたい。読み終えたものも、いままさに読み続けているものも、読み始めたばかりのものもある。種々雑多だが、かつて20年以上前に「週間日記風」に書いた手法を久しぶりに思い出して、まとめてみた★パリオリンピックの始まる前、本屋の店頭に大々的に宣伝されていたのがガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』(鼓直訳)の「文庫化」だ。この本は20世紀文学屈指の傑作として礼賛されるものだが、今まで手にせずにきた。読み始めてそれなりに時間が経った(オリンピックが終わってもこっちは未だ終わらない)。登場人物が入り組んでいてよく分からず、筋立ても理解に苦しむ。そのくせセックスに関する場面だけはリアルそのもの(当然だろうが)。久方ぶりにこの手のものを読んだが、すぐまた難解な記述に戻って、興味が続かない。こんなことの繰り返しで、まだ全体の三分の一も進んでいない。それでも放り出さないでいるのはひとえにこの本の評判の高さゆえ。「解説」で筒井康隆も「新潮社からラテン・アメリカ文学の最初の一冊として出された本書を読んだ時の衝撃は忘れられない。『この手があったか』と驚く程度の生易しいものではない。文学への姿勢を根底から揺るがされたのだ」と書いている。こうした言葉に焚きつけられてはいるのだが、さてどうなることやら★一方、今年のNHK 大河ドラマの源氏物語『光る君へ』は、30回を超えて佳境に入ってきた。『源氏物語』の映像化と聞いて連想したものとは違って、中々本題に入らないものだからヤキモキしていた。尤も世界に誇る日本最古の小説も、〝閨房狂いの読み物〟と見られなくもないので、「千年の秘事」というべきかもしれない。実は偶々フジTV系の人気番組『プライムニュース』で、思想家の先崎彰容が登場して『嫉妬論━民主社会に渦巻く情念を解剖する』の著者・山本圭と議論していた。その際に先崎が『本居宣長━━「もののあはれ」と「日本」の発見』なる本を出版したばかり(5月)だと、知った。本居宣長が『源氏物語』の読み手として最高峰の位置を占めるとされていることから、直ちに飛びついた。これは実に読みやすく面白い。あっという間に読み終えた。当初、先崎が小林秀雄の向こうを張って「もののあはれ」論に新解釈で挑もうとしているのかと期待したが、そうではなかった。「解釈の歴史」に挑戦することで、今風の日本論の展開を試みたもので、それなりに啓発された★ほぼ同時に『神なき時代の「終末論」』という魅力的なタイトルの本をやはり思想家の佐伯啓思が6月に出したことを知って、読み始めた。これは、「自由」「活動条件」「富」の拡大を目指して、走り続けることが幸福に直結すると信じる楽観的な現代人のあり様に、くさびを打ち込む意欲的な試みである。しかもその背景に、『旧約聖書』における「終末論」に基づく歴史観が「神なき現代」にあっても、アメリカとロシアを突き動かしているという。現代文明を形作ってきた「西」の深層を「東」に位置する中国や日本はどう捉えるか。極めて興味深いテーマを佐伯がどう「料理」しているのか━と、小躍りしたい気分で読み進めた。結果は、いささか〝ないものねだり〟ではあった。つまり、「西」の背景を抉っているだけで、「東」には手がつけられていない。まあ、「神」や「終末論」とは、直接的には「東」は無縁だから仕方ない。だが、「東」とて間接的に巻き込まれて生きている。傍観は許されない。先に読み終えた先崎の『本居宣長』では、中国を「西」として、捉えていた。この2冊、これから「文明への思索」を深める契機として、活用することになりそうだ。(敬称略 2024-8-17)

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【141】価値誇れる地域へ歴史の「活用」━━久保健治『ヒストリカル・ブランディング』を読む/8-10

 コロナ禍を経て、日本には今再びのインバウンドの波が寄せてきている。数多の外国人がなぜ今日本にやってくるのか。恐らく、彼らの住み慣れた地域とは全く異なった風景の中で、およそ特異なものが手に入るからだということではないか。テレビで、信楽焼(しがらきやき)の狸に群がる外国人の姿を見てそう思った。そんな折もおり、新進気鋭の学者から『ヒストリカル・ブランディング』なる新書が送られてきた。サブタイトルは、「脱コモディティ化の地域ブランド論」とある。議員を引退してほぼ10年、コロナ禍に襲われる前の、前半5年間は地域活性化に向けて、あれこれと取り組んだものの、悪戦苦闘の末に一旦休止を迫られた。そこへこの本の登場。渡に船である。著者は、亡き旧友の息子。歴史研究者から一転、起業家として経営に携わる。現場を走る若き学者兼経営者の入魂の一冊に深い感銘を受けている。地域起こしに取り組む多くの人々に実践の指南書として勧めたい◆この本は二部構成で、一部が「観光によるヒストリカル・ブランディング」で、具体例として北海道の小樽運河と千葉県佐原の大祭を取り上げる。二部は、「商品開発による地域ブランディング」。千葉県横芝光町の大木式ソーセージという地場産業のブランド化と、熊本県菊池市の菊池一族をファンコミュニティによるブランディングとして登場させている。それぞれ実践形態を述べた後、理論編を付け加えている。さらにコラムとして、「失敗の検証」にも言及しており、理解するための工夫が凝らされている。4つの実例のうち、私は「小樽運河」しか知らない。その「小樽」にしても「保存か開発か」をめぐって60年に及ぶ壮絶な戦いがあったことまでは、知識はおぼろげ。「運河戦争」が終結して、いわゆる「観光地化」をみたのは40年前の1984年から。運河誕生から百年が経ってようやくブランドとして確立した。ここからブランドが持つさまざまな機能を利用して価値を高めていくブランディングが始まる。今そのとば口に立ったばかりだというのだ。父祖の地・小樽をルーツに持つ著者らしい思い入れがじわりと伝わってくる◆西日本の「小京都」に比して、関東には、「小江戸」と呼ばれる町が幾つもある。佐原もその一つだが、呼び名は「江戸優り(まさり)」が相応しく、独自性を誇る。その中核をなしたのが「大祭」である。無形価値としての祭りを可視化した経緯が明解に語られ、歴史が「対立から対話に」至った道のりが理解できる。一方、地場産業としてのソーセージ作りをブランド化したケースでは、地域の青年たちが大木式ソーセージの発祥に遡って、受け継がれてきた技術の成り立ちを探求する。彼らは創業者・大木市蔵の弟子たちが開いた店を一軒また一軒と、全国各地に訪ね探してきた。また、熊本県菊地市の菊地一族についても興味深い。熊本県北部を流れる菊地川流域を淵源とするのだが、南北朝時代に九州統一を果たした一族で、豊かな歴史文化を持つ。菊池市観光協会が官民連携で実施したプロモーション施策「菊池ファンクラブ」が主体となって、「菊池こそ九州の首都なり」と勝手に宣言した物語へと発展させていく。具体例の後の理論編で、大事なのは地域の歴史の「文献資料の読み込み」との指摘があり、ハード頼りだけではいずれコモディティ化は免れないと、厳しい◆世界文化遺産・姫路城も、現実的には観光客は京都、広島への通過地点で、宿泊を伴う消費拡大は今ひとつ。私は地元選出の議員として、伊勢のおかげ横丁や京都・太秦の映画村に見倣って〝リアルな城下町〟を作ろうと呼びかけた。時の市長は研究を進めたようだが、「文化財保護法」の厚い壁に遮られ挫折した。引退後は淡路島を拠点に瀬戸内海島めぐりを目指す一般社団法人の専務理事として、万葉集学者・中西進会長、ヨット冒険家・堀江謙一副会長らと共に夢を育むプロジェクトに取り組んだ。関西国際空港との連携航路などにも挑戦して大きく羽ばたきかけたものの、コロナ禍の直撃を受けて敢えなく構想は沈んだ。この本のコラム「失敗の検証」その一「歴史文化観光を推進しても上手くいかない」を読むと、身につまされる思いがする。いま「敗者復活」に向けて新たな挑戦の気概が仄かながらも漲ってきた。(2024-8-10)

【他生のご縁 親子二代にわたる繋がり】

 著者の父親と私は今から50年あまり前、東京・中野で青春を共有した仲でした。この本には「両親の介護も年々その重さが増していった」とか「介護と仕事の両立」などといったくだりに出会います。その都度、親思いの息子の苦労が偲ばれ、胸詰まる思いがします。

 「おわりに」では、「本書を、いつも見守ってくれていた父・勝、母・和子、兄・精一に捧げたい」と結ばれています。5歳ほどで逝った兄・精一君との両親の様々な思い出━━弟・健治君は兄の生まれ変わりだと聞いた日のことなど、私には懐かしく甦ってくるのです。

 

 

 

 

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(第4章)第8節 あなたも私もみんな揃ってなる病気━━中川恵一『がんの練習帳』

「死なないつもりの日本人へ」

 この本のまえがきには、「『死なないつもり』の日本人へ」とのタイトルがつけられ、書き出しは「日本人のおよそ2人に1人ががんになります」で始まっている。そして、65歳以上の高齢者に限れば、2人に1人ががんで死亡している、と続く。だが、現実には現代日本人はあたかも死なないつもりで生きてるようだ、と。どうしてだろう。恐らく心で思ったり、口に出したりすると、きっと実現してしまうとの、日本人特有の〝縁起担ぎ〟的傾向が災いしているのに違いない。なるべく日常的生活の中に〝死にまつわること〟を遠ざけ、考えないようにすればいい、というわけだ。しかし、著者はそんなことでは、がんになって慌てふためくのがオチで、「不本意な治療を受けてしまい、後遺症に苦しんで後悔する」ことになると、警告する。そして「がんになる前に、がんを知る「練習」が必要」なことを訴えている。私はかねて中川恵一さんと知己を得てきた。だから、〝がんについての教え〟は知ってるつもりだった。だが、この本を読むと、改めて「うーむ」と唸ることばかり。かじっただけで、実は何も身についていないことを思い知った。

 「練習帳」と銘打ったこの本では、練習①が総論で「本当にがんを知っていますか?」とのクイズから始まって、がんの全体像を描く。その後、②肺がん③乳がん④前立腺がん⑤直腸がんの4つの「闘病記」がリアルに公開されていく。練習⑥では「余命」をめぐる「体験記」でトドメを刺す。今風に言うと、マジ面白くてヤバい読みもので構成されているのだ。実は私の母は胃がんで還暦前に亡くなり、父は喜寿を祝ったものの80歳直前に膀胱がんなどで逝ってしまった。そんな両親の経験から、自分も死ぬ時は、胃がんか膀胱がんのどちらかだろうと思いこんできたが、この本を読んで、「がん遺伝説」は誤りだと知った。がんは「悪い生活習慣」に起因し、「検診サボタージュ」が手遅れを招く。つまり、予防には、「生活習慣の改善」と「定期的な検診」が最善の策というわけだ。それに、日本では今、胃がんや子宮頸がんなど「感染型」のがんが減っていて、増えているのは前立腺がんと乳がんが多いことも恥ずかしながら知らなかった。食生活の欧米化、肉食型が原因である。

陰鬱になりがちな話題をユーモア交りで鮮やかに

 4つの闘病記はいささか不謹慎ないい方だがめっちゃ面白い。例えば、「前立腺がん」については、原宿のマンションに夫婦で暮らす63歳のお金持ちの男性の「性機能の維持」をめぐるケース。高級クラブの女給との秘密の関係で揺れ動くドラマ仕立てなのである。「手術・ホルモン治療・放射線治療」という3つの主な治療法と〝勃起との関係〟を巡って、医師と患者、その妻、その愛人が絡み合う非喜劇が展開される。他方、「乳がん」については、43歳のバリバリのキャリアウーマンのケース。最初に診て貰った医師から「乳がんです。お乳はとった方がいいですね。入院の手続きをして帰ってください」とにべもなく告知される。彼女それには「先生、その言い方はひどくありません?初めからお乳を残す気がないんじゃないですか!私、結婚前だし」と激しくあがらう。医師は機嫌をそこね「まずは命の心配をしたらどうですか。いやなら、お乳を残せる医者を探したらいいでしょ。私はもう知らないから」と突き放す。陰鬱になりがちな話題がユーモア交りで巧みに料理されていて味わい深い。

 更に圧巻は、巻末の〝最期の迎え方〟。著者は、告知される「命の残り時間」の精度が高まる中で、日本社会は「核家族化や病院死が進み、『死の練習』は難しくなり」、「共同体の絆も弱まり、死に向き合い、死を支えるパワーを失っている」と強調する。世界各国では、強い力を持つ宗教が「死の練習」を支える役割を果たしているのに、宗教心の希薄さで際立つ日本は「『死の受容』は非常に困難になって」いるからだ。ここでは、膵臓がんで「余命3ヶ月」を宣告された75歳の元ナースの妻と78歳の認知症の夫のケースが紹介される。家族に看取られた見事なまでのいまわのきわが印象深く描かれていく。

 中川さんは、「がんで死ぬということは、『ゆるやかで、予見される死』を迎えることを意味する」として、それを「人生の総仕上げ」の期間と捉えることを勧めている。そうすれば、「がんもそんなに悪くない」と思えるはずだ、と。さて、19の歳から「臨終のこと」を習い続けてきたはずの私も〝80歳の壁〟を間近に意識するようになった。若き日に体育の時間に苦手だった跳び箱に挑む直前の時のような心境に今はある。

【他生のご縁 公明党政調の強いアドバイザー】

 いつの頃か、公明新聞の尊敬する岩切隆司先輩の推しで、中川さんとお会いするようになって、様々なご指導をいただくようになりました。心臓麻痺のようにポックリ死ぬのと、がんで余命を告げられて死ぬのと、どっちがいいでしょう?って、訊かれたことを思い出します。どっちも嫌だって、思ったものです。

 東京に住む薬局経営の友人が中川先生の患者さん。見事に放射線治療の結果、蘇ったことを嬉しそうに語ってくれた電話の声が耳朶に残っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

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(第7章)第1節 〝臥薪嘗胆の5年〟あったればこそ━━安倍晋三/橋本五郎、尾山宏、北村滋『安倍晋三回顧録』

惹き込まれる世界の指導者の人物月旦

 「シンゾウは私と会う時、いつもスーツのボタンをしているけれど、私もした方がいいか」━━トランプ米大統領(当時)が天皇陛下と2019年5月27日に会見するにあたって、安倍晋三首相に聞いてきた。自分との前ではいいけど、陛下の前では、してくれと安倍さんは言った。トランプ氏の〝ノーボタン〟がいつも気になっていた私はこのエピソードが腑に落ちた。

 この回顧録は、2020年10月から一年の間に18回36時間にわたって行われたインタビューが基になっている。長期政権の舞台裏と共に、オバマ、プーチン、メルケル、習近平氏ら世界の指導者の人物月旦(げったん)がふんだんに盛り込まれていて実に楽しく面白い。読売新聞の橋本五郎、尾山宏氏ご両人の「つっこみ」も、時に冴えわたり読み応え十分の内容である。出だしの第1章は新型コロナが蔓延した2020年・政権末期の格闘。そこから第一次内閣の発足(2006年)前後へと遡って、退陣、再登板までの〝本番前夜〟を追う。この後、2013年からの8年間へと移るのだが、憲政史上最長期政権となった根源の秘密は、私は第一次政権の失敗とその後の〝臥薪嘗胆の5年〟(2007-2012)にあると見る。

第一次内閣を安倍さんは経済政策が弱かったと認め、「戦後レジームの脱却に力が入りすぎていた」と振り返っている。教育基本法の改正、防衛庁の省昇格、国民投票法の制定など、50〜60年に一度の重要な法改正を相次いで行ったことに「無理をしたという思いはあるか」と聞かれて、「一点集中突破ではなくて、あらゆる課題を全面突破しようと考えていた」と答えた上で、「若さゆえだった」と正直に認めている。退陣後の「まさに茫然自失」状態を経て、反省と鬱憤晴らしを込めてノートに書き溜めたことやら、高尾山登り(2008年)で出会った人々からの励ましが再起のきっかけとなったことを明かす。そして、地元で20人以下のミニ集会を約一年の間に300回やったことで、地域の皆さんが何に興味があり、何に困っているかが分かった━━有権者の関心は、やっぱり日々の生活なんだなときづかされた、と強調する。加えて、経済の専門家と繰り返し議論し、デフレ脱却の勉強会の会長を引き受ける中で、「日銀の金融政策や財務省の増税路線が間違っていると確信していく。そこでアベノミクスの骨格が固まって」いったと述べて、後の「産業政策のみならず金融を含めたマクロ経済政策を網羅することになる」経緯を、誇らしげに披瀝するのだ。

生々しい感情の発露随所に

 全編を通じて、財務省、厚労省への厳しい眼差しと共に、立憲民主党や一部メディアの安倍批判に返す刀を振るう場面が目立つ。2度にわたる政権運営を降りて間もない頃だけに、生々しい感情の発露が伝わってくる。当然ながら公明党に関する記述が気にかかった。「連立の意義」について、「風雪に耐えた連立」と断定、3年3ヶ月の野党・自民党とタッグを組み続けてきた公明党を「相当のチャレンジだった」とし、「(自公両党は)よく乗り越えた」と評価しているのはまさに的確に違いない。選挙での公明党の力には「平身低頭するしかない」と述べ、組織力の強さに脱帽する一方、とくに社会保障分野などで公明党の意見を取り入れる形で協力関係を強め、政権安定を図ってきたことを自負している。安全保障分野では、平和を達成するための手段、考え方が違うため幾度もぶつかったが、その都度綱引きをして一致点を見出したことがリアルに語られており興味深い。集団的自衛権の制限的容認やその後の安保関連法制については公明党は「よく協力してくれた」と安堵した風が率直にうかがえる。ただ、「自衛隊の明記」など憲法本体については、「山口那津男代表は私の前では自分の意見を言わず、いつも私の話を聞いた後、『うちの組織は厳しいですね』みたいな話をする」と、不満めいた心情を吐露しているのは印象深い。

 安倍政権の評価について私は、「功罪相半ばする」との見立てだった。半分の「罪」は、いわゆる「もりかけさくら」問題での疑惑にある。森友問題は「(財務省が)改竄なんかするから、まるで底の深い疑惑があるかのように世間に受け取られてしまった」といい、加計学園問題では、官僚がなんでも首相案件にしてしまう愚を指摘しつつ、自身は踏み込まなかったと明快である。それに比して「桜を見る会」については、国会で事実と異なる首相答弁が4ヶ月で計118回あったことなど「政治的責任は重い」と明確に認めている。前夜祭を巡って公職選挙法違反の案件が尾を引いたこともあり、「李下に冠を正さず」のことわざを大きく逸脱している非は覆うべくもない。

【他生のご縁 同じ「新学而会」のメンバーとして】

 中嶋嶺雄先生(元秋田国際教養大学長兼理事長)のもと、学者、政治家の勉強会「新学而会」の一員として私は、安倍さんと一緒する機会が幾度かありました。席を並べたのです。

 超保守的団体の主催による尖閣を守る集会があったときのこと。遅れてきた安倍さんとばったり会いました。その時に、「こんな会に来ていいんですか」と言われました。その際、大きなお世話だと思ったものですが、さて。

 

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(第7章) 第6節 本領発揮の時はいつやってくるのか━━石破茂『異論正論』

勉強を積み重ねてきたイメージ

 石破茂さんと私はかつて同じ政党に所属していた━━っていうと、ほんまかいなと訝しく思われる向きもあろう。そう、新進党である。1993年6月、宮澤喜一内閣に不信任案が出された。それに石破氏は賛成票を投じた。そのため、次の総選挙で自民党からは公認されなかった。無所属で出馬しトップ当選、その後に小沢一郎氏率いる新生党に。そして新進党に合流した。衆院の公明党も一緒に合流した。石破さんには『集団的自衛権』『国防』『日本列島創生論』など幾つかの専門的な著作があり、昨年の総選挙前に『保守政治家──わが政策 わが天命』なる本を出版されたが、敢えて平時に書かれた政治エッセイ風の標題作(2022年)を選んだ。石破さんは自民党議員の中での評判に比べて、全国の党員始め庶民大衆受けは圧倒的に高い。ひとたび党を離れた経歴を持つ人には疑念がつきまとうのだろうか。それを意識したと見え、この本の中に、「なぜ私は離党したのか」との見出しで5頁ほどの解説がある。

 「(分裂後の自民党が)憲法改正論議を凍結する、という方針だったことが」原因だという。しかし、新たな新生党も新進党も権力闘争の繰り返しだけ。当初掲げていた集団的自衛権の行使容認や憲法改正に曖昧な方向しか見えず、結局次の総選挙で再度無所属に戻り、当選後自民党に復党した。新進党が自滅した要因は、「自民党と対峙して二大政党制を実現する」との、当時の左から真ん中、右までの幅広い「政治改革の夢」が脆くも崩れたことにあった。石破さんのここでの説明を聞く限り、私たちとは「同床異夢」だったのであろう。1994年から僅か3年の寿命だった新進党はただ〝罪作り〟だったのかもしれない。復党後、臥薪嘗胆の時を経て、石破さんは2012年から4回続けて自民党総裁選挙に出馬する。しかし悉く負け続け、前回は出馬を見送った。で、2024年についに首相の座を射止めた。こういう経歴の人は自民党では過去に見出せない。

 もともと学識豊かな論客家肌の上に、総裁選を経て一段と磨きがかかってきた。あたかも12年浪人している司法受験生のようなもので、この間常に勉強を積み重ねてきているイメージは強い。この本でも随所に窺える。特に、第10節「外交の場では歴史の素養が求められる」では、フランス国防相とのイラク戦争をめぐる論戦から説き起こし、米中関係を考える上での米ソ対立との歴史的相違点などに論及したのち、各国首脳の思考回路を知っておく必要があると強調している。

 国民が納得する構えの大きな話未だ聞けず

 最後に、「あらゆる事態を想定しておくことが政治家には求められ、そのためには寸暇を惜しんで本を読む、識者にお話を伺うなど、勉強をし続けることが絶対に必要である」とまで訴えているのだ。ここ数年、国会が始まり衆議院予算委の場面になると、質疑者の右斜め後ろの席に石破氏がいつも座っていた。質疑の展開と彼の表情、仕草を合わせ見ると面白かった。その際の心象風景の解説は心憎いほど。自身に質問の機会がないことを嘆きつつ、チャンスが来れば、「見ている国民の方に納得いただけるような構えの大きな話をしたいもの」だという。しかし、首相に就任してからも未だ、残念ながらそれは聴こえてこない。

 ここで、憲法9条の改正を巡っての考え方の違いについて触れたい。「自衛隊の存在の明記」をしたいとの安倍晋三首相のスタンスに対して、彼は異論を唱えた。その理由は「それまで自民党内で決めていた改憲案とはまったく別の思想によるものだったから」だという。確かに石破さんの言う通りだろう。元をただすと、安倍さんをその気にさせたのは、太田昭宏公明党前代表であり、私も後押しした。それに乗った安倍さんは柔軟であり、乗らなかった石破さんは真っ直ぐて硬過ぎたと言うのが私の見立てである。

 私が石破さんの主張で最も同調するのは、「これからの日本は『自立精神旺盛で持続的な発展を続けられる国』を目指すべきだ」として、「その実現のためには国のグランドデザインも見直していく必要がある」と強調しているところだ。見直すべきものがあるのかどうか。国の方向性の議論なき連立政権は危うい。この本の出版ののちに、「旧統一教会問題」や派閥絡みの「裏金作り」が表面化した。安倍さん健在なりせばいかなる対応をしたものか興味深い。石破さんのこれらについての考え方は同党の中で最も光彩を放つものだった。

 だが、首相になってから、どうもご自身の主張がなりを潜めて、精彩を欠く。こんなはずじゃあなかったとの思いは誰しも共有していよう。

【他生のご縁 束の間だけ同じ釜の飯を食った仲】

 ひと回り下の同じ酉年。同じ大学の出身で、先に書いたように同じ政党に属していたこともあります。思い描いた政治改革の素描は少し違いましたが、懐かしい思い出です。ずいぶん前ですが、「防衛」「農水」ばかりでなく、もっと幅広いテーマに関心を持って、などと身のほど知らずにも忠告めいたお節介を焼いたこともありました。先の衆院選でも、首相就任後も折に触れてメールのやり取りもするなど、今も親しくさせて貰っています。

 選挙中に私が、首相の街頭演説の旨さを褒めつつも「庶民がアベノミクスによる貧富の差に苦しんでることをお忘れなきように」と伝えたところ、アベノミクスなる経済政策はもっと早く見直すべきだったとしたうえで、「庶民の苦しみをが理解できない議員は本来退場すべきものですが、それを言えない辛さを改めて痛感しています」との返信がありました。

首相就任後は、種々苦闘されていることを窺わせる電話がありましたが、こちらは激励するのみにとどめています。

 

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