新しい年が能登半島大地震と共に明けて1月も中旬。早々に私にとって嬉しい話が飛び込んできました。東京の友人が総合雑誌『潮』(2月号)を電車の中で読んでると、対談の中で私のことが触れられているというのです。急ぎスマホでそのくだりを画像で送って貰いました。連載40回目の『高島礼子の歴史と美を訪ねて』に、中西進さんが登場され、『万葉集』と『古今集』の違いを、国際主義と国粋主義の違いと捉えた上で、自由さと多様性を持った『万葉集』の時代は国際主義であるとの議論を展開されています。今回はいつもと趣向を変えて、この対談から考えたことをまとめてみます◆高島さんは、中西さんの議論を受けて「令和の時代は『万葉集』の時代と同じように、世界に開かれた自由な時代、多様性が輝く時代になっていくかもしれませんね。「令和」という元号の二字自体が『万葉集』の一節から取られていますし‥‥」と発言。中西さんは「そうあってほしいものです。時代というのは螺旋階段のように、同じことをくり返しつつ進んでいくものですから」と続けて、私の著作を持ち出されます。「公明党で長らく代議士を務めて引退された赤松正雄さんが、最近、『77年の興亡』という著書を出されました。これは明治維新から敗戦までが77年で、敗戦から2022(令和四)年までが同じく77年であることに注目して論を進めた内容です」と◆このあと、中西さんは、「いまは、次なる77年の始まりに当たる」わけで、「令和の始まりはまさに日本にとって節目で、戦後の昭和や平成の時代とは大きく変わるのかもしれません」と、ご自身の「令和」という年号にかけられた「希望の光」に言及しています。私は自著において、次なる時代の明るい展開にむけて、その源泉こそ日蓮仏法に裏付けられた中道思想にあることをさりげなく盛り込みました。中西進さんという16歳上の偉大な国文学者が、時代の変遷の中に大いなる期待を込めて、私の着想に共振していただいたことはとても大きな感動を覚えます◆時代の先行きは想像はでき得ても、確たる見通しは持てません。螺旋状的展開を繰り返すと、見定める先達も同様でしょう。そこは「どうなるだろうか」との予測ではなく、「こうしてゆくのだ」との確信が新たなる歴史を形成しゆくカギを握るものと信じます。かつて池田大作先生が、普遍性と土俗性のあいだを往来してきた近代日本の歴史を俯瞰された上で、「第三の偉大なる蘇生の道」を歩み行くことへの展望を後継たちに託されたことを思い起こします。今からちょうど50年前のこと(昭和49年3月3日第15回学生部総会)です。その講演の結論で、先生は「庶民生活の中で風雪に耐え、個人の「真我」の確立を説き、人類普遍の道を開き、現代人の心に巣くう虚無感からの脱出を導く仏法にこそ、新しき確実なる活路を見出すべきだ」と訴えられました。これを銘記して、私もこの一年元気に生き抜きたいと思っています。(2024-1-16)
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【110】時代の変化と人間の英知との格闘━━宇野重規と聞き手・若林恵『実験の民主主義』を読む/1-8
正月早々にテレビで『令和ネット論━━2024年大予測』(NHK・Eテレ1-3放映)を観た。イーロン・マスクと生成AIが世界をどう変えるかについて、若い専門家を中心に討論する番組だった。AI研究家、IT評論家らによる発言を聴いていて、言い知れぬスピード感で世界が変化しつつあることを、改めて脅威を持って聞きかじった。方向は真逆だが、津波が一瞬にして町の姿を一変させてしまったと同じように、デジタルが社会の有り様を一変させている現実をグイと突きつけられた。これとほぼ同時に、標題にあげた本を毎日新聞の『今週の本棚』(1-6付け)で発見して購入、正月三連休第二弾の最終日に丸一日かけて読破した。テレビで観たものの背景と意味するものを活字で解説されたように思えて、確かなる手応えを示されたような気(これからの思索が大事だが)がした◆民主主義研究の重鎮である政治哲学者とデジタル文化に造詣が深い気鋭の編集人との〝やりとり〟は、実にユニークで読みやすい。この本は、歴史の知恵(トクヴィルの思想)を紐解きつつ、目の前で息詰まる民主主義の現状を、最先端の技術を使った実験をするかのように読み解き、打開する方向を模索したものである。その魅力は、通常見られるような学者の一方的な知的所産の披歴だけに終わっていないところだ。トクヴィルがアメリカ民主主義をどう見据えたかについて、宇野さんは深い洞察力を遺憾なく発揮して解説しながら、民主主義の現状打開への糸口を提示する。それを聞き出しながら、現代最先端のデジタル事情をファンダムなどの動きを通じて若林さんが巧みに議論を広げ、まとめゆく。学者へのジャーナリストのインタビューではなく、時代を超えて姿を現したあたかも知的モンスターとの付き合い方を、相互方向で論じあうという趣きがある。知的興味を掻き立てられ考えさせられたことは間違いない(正解はわからないのだが)◆民主主義に対する一般大衆の不満が日本中に充ち満ちてきていることは周知の通り。このところ私は世界、日本におけるコミュニティ作りへの挑戦や、くじ引き民主主義の取り組みなどについて示唆に富む本を読み、現状打破への道を探しつつある。この本においても著者たちは、民主主義の理想とでも言うべきゴールに向かって思考実験を披露しており、2つの重要な問題提起をしている。1つは、執行権(行政権)の民主的コントロールの可能性だ。つまり、選挙だけではなく、行政に対する直接的な影響力の行使へのアプローチである。もう一つは、新たなアソシエーション(結社)としてのファンダム(支持者グループ)に着目している点である。芸能人やアスリートたちへの無数のファンたちが自発的に情報を共有して「推し活」をサポートし合うのと同様に、政治参加の新たなモデルを見出せないかというのだ◆切り口は確かに斬新である。立法権行使より行政権のあり方の改革を迫るというのはユニークである。また、旧来的な政党よりもファンダムの方が何だか楽しそうで魅力に溢れている。しかし、現実の実効性はどうか──などと野暮なことは言わない方がいいだろう。ここは、能登半島の地震被害者たちをどうするかとの問題設定からスタートするのが手っ取り早いかもしれない。今そこに倒れ、途方に暮れている人びとが助けを求めている。それを目の当たりにしながら、今行政は悪戦苦闘し、政党、政治家は混乱の最中で妙案を見つけ出し得ていない。影響力を行使するチャンスだ。今こそ、無償の善意の持ち主たちがファンダムのように、知恵を出し合い、救済の手立てを講じる仕組み作りができるかもしれない。ここに新たなる民主主義のスタートに直結する一つのヒントが隠されているように、私には思われてならないのだが。さて。(2024-1-9)
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【109】ポストモダン風〝自分探しの哲学〟作法━━諸井学『マルクスの場合』を読む/1-1
読み進めて、ああこれって前に読んだアレと似てるなあと思った。アイルランドのノーベル賞作家・サミュエル・ベケットの代表作『モロイ』に。ちょっと似てるものの、結構分かりやすいところが違う。自転車に乗った犬が海を見つめているかわいい表紙の『マルクスの場合』を読み終えての私の印象だ。犬、自転車、ビー玉おしゃぶり‥‥。登場する小道具が酷似している。しかも出だしのフレーズが最後にまた登場して、と。だが、あの作品を読み終えて感じたわけのわからなさへの苦痛と苛立ちは不思議にない。曖昧で不可解な人生へ挑む勇気が今ごろ湧いてくる。「ん?俺っていつからこんな本に感じるようになったんだろう」──な〜んて。ベケットの『モロイ』に感激して、そこから学ぼうと、筆名を諸井学(もろいまなぶ)とした人から直接手ほどきを受けた。その効果が出てきたのか、それともこれは初夢なのか◆かつて、あれこれ講釈を聞き、ポストモダンなる分野の小説を齧って数年が経った。諸井はモロイを超えた──これが私のやや無謀な実感である。現代世界文学の水準から、日本文学は遠く離されたところにある、遅れているというのが諸井さんの口癖だ。しかし、その挑戦はとりあえず成功したのではないか。ストーリーを追うんではなく、そこにある表現全体を感じとれればいい、理解しようとするのではなく、と幾たび聞いたことか。それからすると、理解できる、分かったは邪道なのだが。で、私は何故に諸井学に従順になったか。ひたすら和歌文学への彼の造詣の深さに感銘を受けたからだ。縦横無尽にあの手この手を使っての「新古今和歌集」を料理し尽くした『神南備山のほととぎす』にはたまげた。かの丸谷才一の『後鳥羽院』における誤りを謝らない同氏に、文中で挑みかかった度胸に痺れた。今度は現代世界文学への挑戦なのだ◆色んな受け止め方ができようが、私はこの本を著者の意図とは別に「自分探しの哲学奇行」と見た。愛犬マルクス・アウレリウスを相棒にその旅に自転車で出かけ、途中での数々の出会いと、思考の所産が散りばめられて飽きさせない。この人は工業大学に進みながら、文学への思い絶ち難く、ひたすらに古今東西の本を読みまくった。その遍歴の一端は第8章の「旅路の果て」に詳しい。知的興味を唆られる。専攻した「金属工学」にも、余技として熟達した「文学」にも、結局道は繋がらず、実家の電器商を継ぐことになった男。自らの生涯を〝わざとややこしく〟辿りみている。その道は、しばし出てくる「三叉路」にも似て、「自らを認識し歩む人生」だけではなく、「他者がわたしを観察しながら関わる人生」と、「私がそうありたいと望んだ人生」や「ありたかったと悔やむ人生」といった風に、幾つもある、と。思えば私も同じだ◆この本を読みつつ私は沖仲仕の哲学者エリック・ホッファーを思い起こした。そう、この人、電気屋の哲学者なのだ。随所に、犬ではない皇帝マルクスの自省録の一節や三十一文字の句を折り込みながら、人生の考察を展開し、哲学する作法をさりげなく披露しゆく。頁を繰ると、突然に三倍くらい大きい活字で「おかあちゃーん」とか「うるさい!」やら、「貴様!本官をバカにしとるのか!」「!?」と出てきたり。また文末に英語による一語や一文Yeah!、that is the question.などが登場したり、1ページ丸々英文が出てきたり、音の大小に応じて活字を変えてみたり、数行丸ごとゴチック表示などと、読み手の感情の起伏に合わせるかのように。千変万化する手練手管の数々は、追うもなかなか忙しい。読者へのサービス精神旺盛なのである。こうした表現のあれこれを総じて一括するのは、「『Merdre!(クソッタレ!)』 現代芸術はこの言葉によって幕が開けられた。以後、演劇は条理を失い、絵画は具象を失い、音楽は旋律を失い、文学は物語を失い、わたしはしばらく気を失った」とのくだり。こう書いてきて、私は、昨今の世界も同様に、政治は人格を失い、経済は節度を失い、社会は安定を失った、と言いたくなる。そう、誰も彼も己が踝(くるぶし)の傷が疼き、前途の視界が怪しくなってきた。『77年の興亡』から1年が経ち、77+2年の新年に突入したいま、ゆっくり何かを待ついとまはない。(2024-1-1)
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【108】「文化と観光」は対立的共存?━『五木寛之の金沢さんぽ』を読む/12-26
金沢を松江、京都と共に推奨してやまない高校後輩のT弁護士の強い引きで、1泊2日の年末旅行に妻共々出かけた。かねて私には、金沢の文化への〝確証なきこだわり〟があった。劇作家の山崎正和さんは、評論家の丸谷才一氏との対談本『日本のまち』の中で、「京都人にとっては文化即観光、観光即文化ですね。ところが金沢の人にとっては、文化と観光は対立概念だというところが面白い」との比較論を展開している。私はこれまで2度ほど金沢を訪れたものの駆け足で撫でた程度だった。今回の旅では「文化と観光は違う」説の裏を取ろうとの目的を持っていた。日本海側に大雪が降るとの天気予報がドンピシャで的中。お昼前に駅を降り立つやいなや、小雪混じりの強風のお出迎えとなった。元は油屋だったという古い佇まいの台湾屋台でお粥を啜ったあと、元は銀行だった円筒形の「金沢文芸館」に入った。ここには五木寛之氏の著作が全て陳列されているコーナーがあるということも知らずに◆この地が泉鏡花、室生犀星、徳田秋聲らの作家を生み出したところだとは知っていながら、五木氏とのゆかりは全く分かってなかった。彼は九州・福岡の出身だが、苦節の若き日にこの地で暮らしたことで、第二の故郷と位置付けているという。一階受付横に置いてあった2冊が目に飛び込んできた。表題作と『蒼ざめた馬を見よ』である。後者は直木賞を受賞した彼の代表作で、その昔に手にしたことがある。迷わず散歩中の粋な写真が表紙の方を選んだ。まるで観光パンフレットを手にするようなノリで。このエッセイ集との出会いが「文化のまち」の由来を手繰り寄せる手引きの役割を果たしてくれた。旅から帰ってきて読み進めるなかで、こういう語り部を持たない土地の不幸を思いっきり感じたしだいである◆この本における金沢が生活の中に文化が根付いたまちであるとの裏付けを挙げてみたい。まず、まちの佇まいだろう。筆者が友人に宛てた手紙で「兼六園を抜けて、旧制第四高等学校の赤煉瓦の建物前をすぎると、もう香林坊。(中略) 本屋さんを順ぐりに回って、竪町の古本屋にたどりつく。帰りには『郭公』だの、『蜂の巣』だのといった喫茶店でコーヒーブレイク、というのがワンセットなったぼくの日程でした」とある。また「主計町は大橋から中の橋へかけて、浅野川にひっそりと寄りそうように暗い家なみが続く一画である。古風なお茶屋さんや、鍋料理の店や、旅館や、スナックなどが営業している」など、とも。さらに、堂々たる博物館や格調高い美術館、そして文学館から蓄音器館までといったような建物が優雅に立っている。市内を流れる犀川と浅野川という二つの川とその間にある起伏豊かな坂の存在も、と言った風に、挙げ出すとキリがない。そして、加賀百万石の礎を作った前田家の歴史と伝統であろう。戦争時の空襲を受けていないという僥倖もある。五木さんの思い入れたっぷりの散歩紀行を読むと、いっぱしの金沢通の気分になった◆実は、五木さんについては、デビュー作『蒼ざめた馬を見よ』での印象的な男女の絡み合いが災いして、彼のエンタテイナー的側面ばかりが気になった。そのおしゃれで粋な顔つきをやっかむかのようなある作家のデマゴーグに撹乱されたこともある。また、先年には友人から、名医・帯津良一さんとの「健康談義本」を勧められた。五木さんが自分の足の指10本に名前をつけて、1日の終わりにそれぞれの名を呼びつつ一本づつ愛おしみながら揉みほぐすというエピソードには、虚をつかれた思いがした。この人を多情すぎる作家と誤解していたことは否めない。今回の本もその傾向なきにしもあらずだが、上っ面だけで、人間の本質を私は見誤っていたのかもしれない。金沢に行って、人間・五木寛之に出逢った感が強い。(2023-12-27 一部修正)
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【107】現状の政治打開に打つ手はこれだ!──吉田徹『くじ引き民主主義』を読んで/12-16
総合雑誌『潮』の23年11月号の【特別企画】「政治の使命とは何か」での吉田徹同志社大教授による論考『「くじ引き民主主義」で停滞する政治を打開せよ」』(同名の著書は未読)は、燃え盛る「政治家たちの犯罪」のなかで読むと、極めて示唆に富んだ面白い内容である。こんな政治、政党、政権ではどうしようもない、と嘆いてばかりではいけない。打つ手は未だあるのだと強く感じた。実は、さきのブログNo.101で、ジェレミー・リフキンの『レジリエンスの時代』を取り上げたが、その中にあった今世界各地で広まりつつある「分散型ピア政治」なるものの日本版が「くじ引き型民主主義」と呼ばれるものだからだ◆吉田さんは、この論考で「主権者たる国民が自らを統治するにはどのような形がいいのか」「多様な意見を政治にどう反映すべきか」「そうしたビジョンを実現するには、どのような制度や仕組みが求められるのか」との自問を投げかける。そして、民主主義の再起動は、こうした構想や議論があってこそだとすると共に、「くじ引き民主主義」を答えとして挙げている。彼は、「市民の中から無作為抽出で、地域や国の構成員の属性(男女比や年齢)に似た議員を選ぶ仕組み」を「くじ引き民主主義」だと定義づけている。先に私が見た「分散型ピア政治」なるネイミングがわかりづらいのに比して、そのものズバリでわかりやすい◆現在のような犯罪者まがいの政治家の体たらくを見ていて有権者の間には、政治の現場をこんな連中に任せるなんて、呆れる、もう嫌だとの声がじわり広まりつつある。かつて私が学生時代に、遠くない将来に、政治家無用論が起きてくると言い放った教授がいた。曰く、高い予算を投入して選挙で議員を選び、また彼らに高額の報酬を与えても、ろくな結果が生まれないどころか結局無駄の限りを尽くすだけ、それなら自分たちでやれるのではないかとの議論が必ず出てくるといったものだった。政治家はいなくても、民衆の決定に応じてそれを遂行する役人(事務遂行人)がいれば済むはずとの主張だったと記憶する◆今、日本以外の世界の随所で展開されている分散型ピア政治(くじ引き民主主義=裁判官員制度が類似)は、くじ引きで選ばれた素人たちが決めた一定の指針を出すのが基本的スタイルであるが、それをどう法律にしていくかは、今まで通り、議会や官僚(役人)など行政が担っていくことになる。だから完全ではなく、まだ進行形に過ぎない。これは発展途上だからであって、そのうち、今のくじ引きで選ばれる〝一般的議会人〟が、常設の議会に取って代わる時がくるに違いないと思われる。吉田さんは「共同体と個人関係をアップデートしていかなければ、日本の民主主義はやせ細っていくいっぽうです。公と個の関係を結びなおすことのできる構想や仕組みが求められています」と強調している。実際、その通りである。国会では今後、自民党を非難し攻撃する野党や国民に対して、政府与党は「再発防止策」を練り上げるだろう。しかし、そんなことですまされるのか。それは結局対症療法であり、抜本的な問題の解決にならないと、私は確信する。打つ手が違ってるのだ。(2023-12-18 一部修正)
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【106】パレスチナへの言及が極端に少ない━━高橋和夫・放送大教材『中東の政治』を読む/12-12
実は2020年に私はBSで初めて放送大学の存在(テレビをつけるとそこで講義が観られるということ)を知った。コロナ禍が猛威を振るい始めた年だということもあって、テレビによる一流の学者の謦咳に触れられることは有り難く、はまった。欲深く10指を超えるそれぞれ15回分の講座を聞き始めたものだが、やがて次々と脱落し、3講座くらいだけが残った。そのうちの一つが『中東の政治』である。講師は国際政治学者の高橋和夫さん。現在は、同大学の客員教授。恐らく開学いらい40年のこの大学での最古参講師のひとりだと思う。話口調は滑らかで、講義の始めに音楽(ペルシアの伝承曲から、サントゥールの演奏)を持ってきたり、友人のピアニストにあれこれピアノ曲を弾かせたりと、工夫を凝らし抜いた45分は魅力に溢れている。全講座を一人で担当されるのも魅力である。私は完全に高橋さんの魅力のとりこになり、ファンレターもどきのはがきまで書いた◆あれから3年が経った。映像で15回の講座を観たといえども、悲しいかな頭の中に定着したとは言えず、次々変転する中東政治を追う際に役立っているかどうかは心もとない。ということで、放送用の教材を求めて読むことにした。正規に放送大学に入学して受講生になった人用のテキストだけに、300頁を超える立派な装丁ながらシンプルないかにも教科書という感じである。放送内容とテキストは自ずと違う。高橋さん自身が講義の初めに、教材を読み上げるようなことはしたくない、あくまで参考にして欲しいと言っていた。当然だろう。読むにあたって、真っ先にパレスチナとイスラエルのくだりを探した。今世界中の耳目を集めている事態の推移を読み解く機縁にしたかったからである。だが、15章の中の13番目に「イスラムパワー/ハイテク時代のジレンマ」とのタイトルで16頁が割かれていただけだった。一章あたり平均20頁の計算になるはずなのに、それよりも少ないことに驚いた◆さらに、著者は「まえがき」にそのことへの弁明をわざわざ断っている。いわく「本書に関して、筆者自身が驚いている点がある。それは『中東政治』のタイトルながらパレスチナ問題への言及が比較的に少ない点である。(中略)『中東の政治=パレスチナ問題』ではないという視点が、本書のメッセージのひとつだろうか」と。私が引用を略したところには、ご本人が、①これまでにこのテーマで数多く語ってきた②他にも多くの問題が存在する━━と「パレスチナ問題」への触れ方が少ない理由を挙げているのだ。そう。15章の内容を要約した目次からパレスチナの5文字が完全に消えている。該当する第13章もイスラエルについての言及なのである。映像では1993年のオスロ合意(パレスチナ暫定協定)締結時のクリントン米大統領の仲介を象徴したラビン・イスラエル首相とアラファト・PLO議長のそれぞれのリーダーが握手した場面があったことは記憶に残っている。ただ、印刷物には出てこないのだ◆映像と教材は一致しないとのお断りが講師からあったとはいえ、強い違和感は否定できない。そもそもパレスチナについてこの本で触れているのは2箇所。ともにイギリスがかつて支配した地域だとの記述に際してのみなのだ。さらに今回の問題の発火点になったハマスへの言及も似たり寄ったり。そんな量的比較よりも最大の問題は、「重大な人権の蹂躙が日常化している」ことで、「聖地という土地にユダヤ人が特権階級として君臨し、二級市民としてのイスラエル国籍を持つパレスチナ人がいる。さらにその下に占領下のパレスチナ人が生活している」ことなのだ。筆者は「かつて少数派の白人が支配した南アフリカの支配構造と酷似して」おり、既に「イスラエルは新たなアパルトヘイト国家になっている」と警告。占領を続ける限り、ユダヤ人国家で民主主義というのはあり得ないと、イスラエルのジレンマを指弾しているのだが、事態は一段と深刻化を増している。今回の戦争は、ハマスが仕掛けたことが発端だからイスラエルの反撃は悪くないとの議論は理屈として分かっても、現実的には肚に落ちないのだ。テレビ放映で、この辺りの高橋見解が聞けるかどうか。特別講義が待ち遠しい。(2023-12-12)
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【105】日本近代の原型はここに━━山崎正和『室町記』
◆交流のるつぼが沸騰した時代
「日本史のなかでも『室町期』の二百年ほど、乱れに乱れて、そのくせ不思議に豊穣な文化を産んだ時代はない」の一文で書き出され、「長い試行錯誤ののちにやっとたどりついた現代日本の社会は、ちょうどあの室町時代から、流血と常識をともに少しづつ失っただけの状態だといへないだらうか」で終わっている山崎正和さんの『室町記』。これは、1973年(昭和48年)の一年をかけて週刊誌に連載された。出版からちょうど半世紀ほどが経つ。この人が38歳の時だった。生前親しくしていただいた私としては、数多ある著作の中でも最も面白く読み、日本という国の歴史を考える上での糸口になった。
山崎さんが懇談の折に、「日本の近代はある意味で室町から始まったといえる」と述べられたのが、読むに至るきっかけだった。「近代日本は明治維新から」との常識に縛られていた私を覚醒させるに十分なものだった。日本史の大転換は、「室町」の後に、戦国時代を経て江戸・徳川の260年を待たねば、やってこない。だが、その原型は紛れもなく、14世紀から15世紀にかけての室町期に現れていた、と。
歴史の表面を普通に追うと、武士が権力を握った源家、北条の鎌倉期から、足利の室町期全般の流れは信長、秀吉、家康の三代の英傑が登場するまでの前座に過ぎないかのように見える。だが、室町期の豊かさに着目する著者は、その根本的原因は、「(室町期の)政治的動乱が社会をかきまはしたことで、多様な趣味がいっせいに自己主張の機会を得たこと」にあるという。「生け花」「茶の湯」「連歌」「水墨画」「能」「狂言」といった芸術有縁のものから、住まいにおける「座敷」「床の間」「庭」や、食生活での「醤油」「砂糖」「饅頭」「納豆」「豆腐」など、現代日本のお茶の間にゆかりのものまで、確かに全てこの時代が生み出したものである。更に、『太平記』『徒然草』といった読み物や、「禅の思想」から骨董趣味の原型までをも育んだ。西洋との交流もまたしかりだ。まさに交流のるつぼが沸騰した時代であった。
加えて、乱世の究極としての「応仁の乱」以後の復興にあたって、大きな役割を果たしたのが、我が国最初の「都会人」というべき「町衆」の経済活動であった。そして彼らの「ほとんどすべてが同時に熱心な日蓮宗徒だった」ということは興味深い。法華信仰は京都の町衆の間に根強く生き残り、有名な商人や職人だけでなく、芸術家にも、「狩野一族を始め、長谷川等伯、尾形光琳などの名前も知られている」。これは先年、美術ライターの高橋伸城氏の『法華宗の芸術』が、日常生活の深いところに沈められた法華経が数多の芸術家の力を引き出す機縁になったものとして見事に描いていた。
◆現代日本と室町期の類似性
ところで、混乱の中に豊饒なる文化の花が咲いた500年前の室町期の日本と、現代日本は似通っているとの山崎さんの見立てについて、心騒ぐことを禁じ得ない。文化芸術の豊穣さはともかくとして、50年ほど前に「ジャパンアズNo.1」と言われた時代がやってきたものの、今や国際社会での経済的地位はNo.2からNo.4へとずり落ち、政治も相変わらず情けないとしか言いようがない乱れた事態が続くからだ。
かつて、私は山崎さんとの会話で、明治から昭和20年までの日本が「富国強兵」の旗印のもと、「軍事力増強」で敗戦の憂き目にあい、戦後は一転、「経済至上主義」を掲げ復興を果たしたものの、20世紀末からは「失われた20年から30年へ」と、低迷が続いていることに触れた。それゆえここから先の新たな時代には、軍事、経済に代わる「国家目標」を持たねばならず、それは例えば「文化芸術立国」などが相応しいのでは、と投げかけたのである。
これに対して、山崎さんは微笑みつつ「そういうものは必要ないでしょう」と言われた。話はそこで途切れたが、ずっと気がかりになっている。国家にあって、目指すべき指標の明確化は大事だと思う。似ているとされる室町期は、乱れた政治社会状況の中で、豊穣たる文化の花を咲かせたのちに、戦国時代へと突入した。時あたかも、ウクライナ戦争やイスラエルとハマスとの残虐戦闘行為の連鎖化の惨状が続く。山崎さんの予測とは裏腹に、日本にあっても流血が増え、常識を大きく失う事態が訪れるのは遠くないかもしれない。
【他生のご縁 出版記念会で世話人としてご挨拶いただく】
山崎さんには、2001年の私の処女作『忙中本あり』の出版パーティで、代表世話人のひとりになっていただき、挨拶をして貰いました。身に余るお褒めの言葉を頂いたものです。
かつて、自民党のアドバイザーの役割を果たされていましたが、晩年はすっかり公明党の支援者になって頂きました。公明新聞にもしばしば論考を寄稿され、大いに勇気づけられたものです。
丸谷才一さんとの対談は数多ありますが、なかでも『日本の町』が私は大好きです。全国各地の町が取り上げられており、京都と金沢を比べて、京都は文化を観光の売りにしているが、金沢は文化の中に町があるといった趣旨でのお話は強い印象を受けました。
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【104】3-② 手取り足とり秘伝を公開━━丸谷才一『思考のレッスン』
◆読み方、考え方、書き方のコツが披瀝
作家で文芸評論家だった丸谷才一氏が20年ほど前に出版したこの本は、全部で6つのパートに分かれており、前半三つがご自身の体験で、「丸谷自伝」的読み物である。後半三つは、「本の読み方」「物事の考え方」「書き方」のコツが披瀝されている。まさに、秘伝公開の趣きがあり、若い人たちがこれを読み、実践に移せば、たちどころにレポート、論文はスラスラとかけるはず、かもしれない。
私は、後半から読み、最初に戻り、そして鹿島茂氏の「解説」へと進んだ。フランス文学者の鹿島氏は丸谷さんのこよなき「後継者」である。そう私は勝手に思ってきた。〝異流派のすぐれもの〟による見事なまでの手ほどきは、鮮やかというほかない。学生との対話形式で、この本の「使い方」を伝授してくれている。ものぐさな読み手は、この解説を読めばそれで事足れりと思うに違いない。「どんな本を読めばいいか」「読書感想文と論文との違い」から「良い問いかけ」「仮説の立て方」に至るまで、全部で10個の作法を本文の頁付きで提示している。まさに手取り足取りの「思考のルールブック」なのだ。
丸谷流の「読書のテクニック」は、実にユニーク。本はバラバラに破って持ち歩け、索引から読み始めろ、人物表、年表を作れ、と。図書館通いの私はコンビニでコピーをとるという禁じ手を犯し、あとがき、中程から読み始め、本の見返しや、しおりの裏に登場人物を書き出そうとするも、書けない仕様ぶりに悩まされてきた。「考えるコツ」で、真っ先に挙げているのは「謎を育てる」こと。時間をかければそのうち何かが発見できるなどと、悠長なことをおっしゃっている。本は慌てて読まず、散歩しながら思案し、お風呂に入りながら考えよう、とまで。私など、〝下手な考え休むに似たり〟とばかりに次から次へと本を読んできた。〝考えない人〟の典型かもしれない。恥ずかしい限りである。
「書き方」については、谷崎潤一郎の文章の一番すごいのは、「英語の文章の書き方と日本語の文章の書き方を丁寧に対応させた上で得たコツをうまく生かして書いている例」だと絶賛する。また、「漢語と大和ことばを上手に混ぜて文章をつくる。片仮名ことばはできるだけ控える。そうすると文章が落ちつく」との指摘も得難い。このくだりに触れる前段で、鳩山由紀夫元首相の話し方の不味さぶりを例に、政治家の言語責任を問うてみたり、漢語がやたらに多い官僚の文章の問題点を槍玉に挙げたりしている。確かにその通りだったなあ、と我が身の拙さを棚に上げて、納得してしまうのである。
◆実例としての『日本文学史早わかり』
実はこの本のなかで、著者は、『日本文学史早わかり』なる著作を紹介、「思考のレッスン」の具体例を示している。日本文学史については、政治に偏重した時代区分では、どうも面白くないと思い続けてきたが、「自分の心の中の謎と直面して、ああでもない、こうでもないとあれこれと考え直し続けていく中で、従来の通説と違う新説に突き当たった」といわれるのだ。
これは、全体を五期に分け、第一期→八代集以前(?──9世紀半ば) 平安遷都後約50年の頃までで、宮廷文化の準備期。第二期→八代集時代(9世紀半ば──13世紀初め) 菅原道真誕生の頃から承久の乱の頃までの宮廷文化の全盛期。第三期→十三代集時代(13世紀──15世紀末)承久の乱から応仁の乱の頃までで、宮廷文化の衰微期。第四期→七部集時代(15世紀末──20世紀初め)応仁の乱の頃から、日露戦争の直後あたりまでの宮廷文化の普及期。第五期→七部集時代以後(20世紀初め──?)日露戦争の直後(自然主義の勃興)から今に至る宮廷文化の絶滅期、としている。丸谷さんは「第四期がむやみに長いのは気になるけれど、しかし、これが日本文学史の実態なのだから仕方がない」と述べている。
確かに斬新な感じはするが、しかし分かりづらいことは否めない。ご本人はいいと思っておられるようだが、あまり人口に膾炙していない。そもそも八代集、十三代集と7部集という括り方が一般受けしないのではないか。せめて、頭に和歌、俳諧の2文字をくっつけて欲しいと思うのだが。丸谷新説をあらためて眺めてみると、明治維新以後の西洋文明の影響に関心が向かわざるを得ない。日本固有の文学史は、明治期を境に、短詩型中心の時代が終わりを告げ、西洋風の小説、長詩中心の時代が到来したということだろう。尤もこれは、早わかりならぬ、早とちりだと言われるかもしれない。
【他生の縁 桐朋学園創立50年の集いでの大爆笑】
20年ほど前、桐朋学園創立50周年のお祝いの宴に、同学園を卒業した私の妻と一緒に出かけました。その際のご挨拶に登壇した同学園を卒業した指揮者の小澤征爾さんが、「私は在学中に英語を丸谷先生に習ったのですが、おかげで一向に英語が上達しないのです」と、暴露話をされて場内は大爆笑となりました。
そのすぐ後に、私は個別にご挨拶に向かい「先生、厳しいこと言われてましたね」と水を向けたのですが、なんだか妙に嬉しそうだったのが印象的でした。
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【103】今なぜ「日蓮本仏論再考」か━━創学研究所編『創学研究Ⅱ』を読む(下)/11-21
池田先生が霊山に旅立たれて初7日が経つ。『創学研究Ⅱ』についての読書録上編を公表したのが14日だったので、下編までの7日間が不思議な意味合いを持つように思われる。我が人生における永遠の師との今生の別れという劇的変化を受けて、身も心も引き締まる。質量ともに圧巻と言っていい読み物(講演)は、松岡幹夫所長による第2章「日蓮本仏論再考━━救済論的考察」である。全体の半分以上の分量(時間)が当てられて「信仰の証明学としての日蓮本仏論史」が語られている。中身を大胆に要約すると、鎌倉時代の宗祖・日蓮大聖人より後継の祖・日興上人を経て、江戸期における中興の祖・日寛上人から近・現代に続く日蓮仏法の系譜が、創価学会の今に至るまでの正当な流れとして見事に解明されている。同時に、800年の時間的経緯の中で、袂を分つことになった身延山久遠寺を始めとする諸々の日蓮宗系各派の位置付けやら、富士大石寺系統の現・日蓮正宗及びその異端としての顕正会に至るまでの側・裏面史も表裏一体のものとして整理されている◆これがこの講演で私が理解した核心部分なのだが、そこに至るまでの議論の腑分けに必要な幾つかの道具立てが用意されている。「史実論と救済論」「護持の時代と広布の時代」などは、文字だけで大まかに推測出来るが、「準備」「予型」「過程」「真意」といった「四つの原理」は字面だけでは解りづらい。イメージ的には、過去に学んだ仏法理解のツールとしての、小中高大の教育段階での役割分担や、建設作業での足場のようなものと言えば、少しは身近に感じられよう。ともあれ、世界広布の時代の民衆救済という観点に立てば、過去に意味を持ったものも、小さくて身体に合わなくなった古い時代の衣服として捨てるしかないということである。誤解を承知の上で杜撰な理解ぶりを披歴したが、読み終えた今、複雑怪奇な迷路から脱して眺望晴れやかな高台にたどり着いた時のような爽快感を味わえたことだけは確かだ。松岡さんの労作業に、それぞれ自身の力で挑戦されることを薦める◆この松岡講演(第2章)を挟んで、前回の仏教的観点の議論(第1章)に続き、佐藤優、黒住真両氏によるキリスト者の論議がまた読み応えがある。文献学や神学といった学問に取り組む学者が、人々の生活する世界から離れていった事実を、黒住さんは挙げる一方で、生の人間の生き死にの場面━━戦場での傷病者や癩病患者の治療の場など━━で献身的に寄り添う司祭たちの姿を描いているくだりが注目された。この描写に続き、彼が「創価学会は法華経の研究者を輩出しただけで終わっていません。それ以上に、人々の生活世界そのものに飛び込んで応対していった。実際に、創価学会は多くの苦しみ、絶望した人々を救ってきています」と述べて、東西を問わず「現実世界での宗教、それと文献、言葉とが結びつくことが必要で大事」と強調しているのです。佐藤優さんは一貫して創価学会員の仲間たちの民衆救済に取り組む姿を礼讃してくれています。この本でも随所で、その視線は宗教の差異を超えて、学会員と完全に一体化しているかにみえます。私はこれらに接するたびに、その期待を裏切らぬようにと、祈る思いになるばかりです◆最終章の2本の寄稿(羽矢辰夫創価大名誉教授と関田一彦創価大教授)は、共に強いインパクトを受けます。前者は「『創学研究Ⅰ』の書評に代えて」との体裁をとっており、そのなかで、池田先生、創価学会が提唱する「人間主義」は、ヨーロッパ由来の概念としての「人間主義」との区別をすべきだと主張しています。これまで「凡夫を人間の唯一のモデルとしてきた(ヨーロッパの)人間主義」と「ボサツを人間の新しいモデルとする人間主義」を区別せよと言われるのです。これには私も全く我が意を得たりです。私風には、これまでヨーロッパのものは、自然をも含む生きとし生けるものへの畏敬の念がないため、「人間中心主義」と呼んできました。「人間主義」だと、羽矢さんが指摘されるように誤解を招きます。私自身は「人間主義」との表現を避けて、敢えて「人間主義(生き物主義)」と面倒な表現をするように心がけてきました。最後に関田さんの「仏法から見た協同教育━━十界論から授業を観る」には感動を禁じ得ませんでした。「学校が子どもたちを苦しめるいじめや不登校の温床になって久しいにも関わらず、未だ解決できないのは仏法の生命論なかんずく十界論の観点から子どもたちの学校生活を考えるという発想が乏しいから」だとの指摘には目からうろこです。公明党の人間としても今ごろになって気づきを得て、恥ずかしい限りです。(2023-11-21)
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【102】「日蓮本仏論」の興味津々たる展開━━『創学研究Ⅱ』を読む(上)/11-14
待望の2巻目が出た。1巻からの熱心な読者のひとりとしての私には特別な思いがある。日蓮大聖人と出会った、つまり創価学会の信仰に帰依した大学1年の4月頃(1965年/昭和40年)は、公明党結成後半年ほどの時であり、それいらいずっと「政治と宗教」を考えることが人生の主たるテーマになってきた。創価学会の信仰を体内に取り入れ、その魅力を人に発信する行為と、公明党を理解し世に喧伝する営みが〝人生自動車〟の車の両輪になってきた。そんな私にとって、創学研究所による、信心、信仰に学問的な考察を加えようという挑戦は、実に魅力あふれるものである。あたかも目の不自由なマラソンランナーが優秀な伴走者を得た思いがするからだ◆「信仰学」をテーマにした1巻に続き、2巻目の主題は「日蓮大聖人論」。ありていに言えば、仏教は釈迦でなく、日蓮大聖人が究極の仏だという「日蓮本仏論」への推移と帰着を追求している。釈迦が創始した仏教において、日蓮が本仏とは如何なる帰結なのか。日蓮という人物は「4箇の格言」で、他宗派への断定的評価付けをあらわにしていったのはなぜなのか──今になお曖昧さが消えない古くからの命題を大事な物入れから取りいだすように、懸命に頁を繰っていった。国際社会がロシアの仕掛けたウクライナ戦争に四苦八苦していたところに、ハマスのイスラエル攻撃に端を発したパレスチナ戦争の再発という複合的悲劇。今や、世界は第三次大戦へと向かいかねない様相で、不気味な恐怖と不安が一段と漂う。その時だからこそ、「宗教再発見」であり、「仏教再考」が求められる──いやそんな悠長なことでなく、「日蓮仏法」の現代的展開である「池田思想」を直ちに広めなければならない。そんな思いが募る。この本の第2章での松岡幹夫さんの「日蓮本仏論再考──救済論的考察」は上下2段組み169頁にも及ぶ大部なもの。門外漢には詳細を究めた議論の連続的展開で、極めてマニアックなものに思われる。だが、あたかもこんがらがった糸をみごとにときほどくような、微に入り細を穿った表現ぶりは、注意深く読めば不思議なほど面白さに満ちている◆今回の試みでまず私が注目したのは、蔦木栄一さんと三浦健一さんという気鋭の若手論者による小説『人間革命』と『新・人間革命』についての考察であり、それに対する佐藤弘夫氏、末木文美士氏という2人の外部学者による講演とそれを踏まえた討論である。とりわけ、佐藤、末木両氏による率直な問題提起や提言は、身内だけの紅白戦に突如外部から武者修行者の挑戦を受けたかのようで、緊張を孕むと同時に面白い議論が期待された。例えば、佐藤氏は、日蓮本仏論について、特権的な宗教的権威を日蓮ひとりに集中させる論理では、「教祖の権威が絶対化され、一人歩きして非常に危険な事態を招きかねません」とし、更に後段でも「誰か特別なひとだけを絶対視するような権威を作らない」ことを望む意向を繰り返している。明らかに、これは宗祖だけでなく、創価学会の側にも向けられた忠告だと思われる。さらに、同氏は、後半の「総合討議」の場で、地球上の全生命が生き残れるかどうかが問われる厳しい時代に入ったにもかかわらず、「創価学会の教学は相対的におとなしく見えてしまう」と、率直な見解を述べている。これは創価学会そのものがウクライナ戦争などや破壊が進む地球上の自然環境の現状に対して強い発信をしていないことを意味していよう。この2点について、研究所側からは直接の答えが読み取れないように思われる。前段の指摘にはノーコメントだし、後段については、〝生々しさの意味〟を取り違えているように私は見てしまう。ここは、もっと世界の現実打開へ発信すべきだとの佐藤氏の指摘だと思われる◆一方、末木さんは、鎌倉時代の仏教について、「仏教の総合化が図られていき」、「宗派対立の仏教ではなかった」とする一方、「従来は『鎌倉仏教は一つを取ったらほかは全部否定する』という考え方が広がっていました」が、「これはまったく間違っています」とした上で、「日蓮についてももう一遍考え直す必要があるだろう」と述べている。これは私のような〝従来的考え〟にとらわれた人間にとっては、強烈なインパクトで響く。しかし、このくだりについて噛み合った議論が見られないのはどうしてか。私が見落としているのかもしれないが、ぜひ、突っ込んだ議論が聞きたかった。他方、末木さんの「創価信仰学はキリスト教の神学をモデルにして作ろうとしている」との質問に対し、松岡さんは、世界192ヵ国・地域に広まっているSGIの世界布教を本格的にやろうとすると、「世界宗教であるキリスト教をどうしても参考にせざるをえません」と述べ、現状の取り組み状況を率直に明かしているのは納得できる。これまでキリスト教神学=佐藤優風神学をモデルにされ過ぎてるのでは、との意見も散見されるだけに、大事なやりとりであると私には思われる。ともあれ、思索の波音が高まり聞こえてくるような貴重な研究の所産にめくるめく思いを禁じ得ない。(以下続く 2023-11-14)
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