(374)安保研究の「知的怠慢」を指摘ー山本章子『日米地位協定』を読む

目が覚める思いがした。「日米地位協定合意議事録を撤廃し、日米地位協定の条文通りの運用を行うことによって、不完全ではあるが協定が抱える問題の大部分は改善される」ーこの記述を山本章子『日米地位協定』の終章で発見した時のことである。政治家として長く「日米地位協定」の改定をせよと、外務省や米国務省に要望してきたのだが、いつも日米一体の門前払い的対応に歯噛みするのみ。この視点は欠落していた。著者は、この議事録が1960年に締結されてから、60年を超えて公の場で論じられてこなかったのは、「単に政治の場やメディアで注目されず、知られていなかっただけ」で、「日米安保研究の知的怠慢のせいでもある」と厳しく断じている。もちろんご自身もその責めを負うことに言及されている。このくだりを読んで、政治の世界に身を置いてきたものとして、恥いらざるを得ない▲この書物を読むことになったきっかけは、昨年末に山本さんが毎日新聞に寄せた寄稿文である。元東京新聞論説主幹だった宇治敏彦さんの一周忌にこと寄せて「心から尊敬する人物で政治史の師である」との書き出しで、様々のエピソードを交えた心惹きつける内容であった。実は、宇治さんは、私が所属する一般社団法人「安保政策研究会」(浅野勝人理事長)の草創以来のメンバーで、理事をしておられた。中途加入した私に、色々と声をかけてくださる優しい先輩だった。版画入りの俳句集を出版されていたことも印象深い。この寄稿文を読んで私が感激した旨を同会の仲間にメールで知らせたところ、柳沢協二・常務理事(元防衛省官房長)から直ぐに反応があった。山本さんがこの『日米地位協定』で石橋湛山賞を受賞されたことなど、いかに有能な研究者であるかを教えて頂いたのだ▲この本は「日米地位協定」をめぐる一連の経緯について詳細にまとめられており、その価値は極めて高い。関心を抱く人なら座右に置いておくといい。役立つこと請け合いである。私の衆議院議員としての20年間は、ある意味で「無念なことのみ多かりき」歳月だったが、この問題はその最高峰の位置を占める。沖縄における米軍人による少女暴行事件など乱暴狼藉が起きた時には本土でも怒りが盛り上がる。被告人の裁判は勿論、身柄拘束さえままならぬ現実を変えるために壁になっている「地位協定」改定機運が高まるが、やがてしぼむ。その都度国会でも声が上がるが、結局は陽の目を見ぬままに終わってしまう▲この点について、沖縄海兵隊の元幹部で、今は政治学者のロバート・エルドリッジ氏と私はしばしば論争してきた(幾度か書いてきたので、ここでは触れない)。結論は日米地位協定の改定しかないと私が言うと、不思議に彼は黙ってしまう。昨年その謎が解けた。実はこの5年ほどの間、彼は沖縄における米軍人の犠牲になった女性たちのために戦ってきていたのである。昨年、逃げていた米兵を発見することに尽力し、遂に捕まえたという。彼はその経緯をある新聞に寄稿した。その見出しは「日米地位協定の改定を」であった。そこでは、日米双方の責任ある部局がそれに不熱心であり、日本の政治家も無力であることを批難していた。何のことはない。彼は自身の「善行」を隠していたのである。成果が出ていなかったからであろう。日本の武士道を思わせる彼の振る舞いに、口先だけだった私は〝負けた〟との実感を抱くほかなかった。(2021-1-29)

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【373】2-⑥ 行動する学者による憂国の外交指南━━北岡伸一『世界地図を読み直す』

◆日本外交はどこに立って何を目指すのか

 国連大使を経てJICAの理事長だった東大名誉教授の北岡伸一さん。彼と私は、これまでに僅かだけれども重要な接点があった。一つは憲法をめぐる政治家と学者の座談会(読売新聞主催)でご一緒して、「場外衝突」したこと。もう一つはこの人の出身地である奈良県吉野町に行った際に弟君の北岡篤町長(今は退任)としばし懇談したこと。前者でこの人の心意気を感じ、後者ではこの人の出自を知った。

 『世界地図を読み直す』を読み進めるうちに、この二つの出来事を懐かしく思い出す記述に出会った。この本は、行動する憂国の学者・北岡さんがJICAの理事長として世界の各国を訪問された際の行動録である。先年亡くなられた劇作家で文明批評家の山崎正和さんが「知的な俊英であるだけでなく、教養豊かな文化人」である北岡さんの「まなざしが各国をそれぞれ個性的に捉えて」おり「魅惑的だ」(毎日新聞「読書欄」2019-6-23付け)と推奨されたように、日本の行く末に示唆を与えてくれる極めて重要な外交指南書である。国際政治と日本の関わりに関心を持つ全ての人たちにお勧めしたい。

 北岡さんは、日本外交が対米、対中、対韓といった二国間関係に偏りすぎていたことが行き詰まりの背景にあるとして、その立脚点を定めるべきだという。つまり、日本の外交は利害の調整ばかりに終始して、どこに立って何を目指すのかが分かりづらいと指摘しているのだ。このことを「はじめに」でおさえたうえで、「おわりに」の末尾に、日本の理念は「非西洋から発展した歴史を基礎に、民主主義的な国際協調体制を、それぞれの国の事情に応じて支援していくこと」であり、「それを自覚し、言語化し、発信し、かつ戦略的に行動すること」が日本外交の大方針ではないか、と結んでいる。これまで訪問した108カ国(JICAの理事長としては50カ国)のうち20カ国を取り上げて、それらの国々の分析と、日本との関係について考察をしており、読み応え十分な知的興奮を覚える面白い内容になっている。

◆深刻化する国力の停滞を憂う

 冒頭(序章)に掲げられた「自由で開かれたインド太平洋構想」を、まず「日本の生命線」と捉えていくとの観点は大事だ。これは、中国の「一帯一路」に対抗する戦略といった次元ではなく、「インフラのみならず、信頼関係の構築であり、人づくりであり、自由と法の支配」を中心とする、死活的に重要な構想だという。

 その中で、「途上国の若者には、日本に来て日本の近代化や開発協力の経験を学んで欲しい」として、JICA開発大学院連携への期待を述べておられることが、大いに注目される。第一章から第五章までの20カ国をめぐる記述は、私としてはベトナム一国に行ったことがあるだけで、あとはいずれも未知のことばかり。尤もこのうち、親しい友人が過去に大使をしていた、マラウイ(故野呂元良大使)と東ティモール(北原巌男大使)のくだりには惹きつけられた。マラウイには「本当に貧しいアフリカ」があり、「青年海外協力隊が最も多くの犠牲を出した国でもある」ということを知って、驚いた。亡き友の苦労が偲ばれた。

 また東ティモールについては、日本がかつて強い関心を持ったのだが、今は「孤立した民主主義国」であり、地域の連帯からも外れているようだという。「日本のパートナーとして押し立てていくべき」で、「国益判断に立った外交イニシアティブが必要だ」との見解には、焦りを伴って共感せざるを得ない。

 圧巻は終章の「世界地図の中を生きる日本人」。現在の国際会議がどのように行われているかをめぐって、ご自身の体験も交えての極めて興味深い内容だ。そのうち、韓国のカン・ギョンファ元外相について「英語はうまいし、合理的で、グレー・ヘアーが魅力的な女性で」、「彼女の能力は評価している」と、ベタ褒めのところには思わずニヤリとした。美人は得するなあと、改めて思ったしだいである。

 また、中曽根元首相の「昭和の岩倉使節団」についての記述には深い憂慮を感じざるを得なかった。「経済は長い停滞を続け、少子化が進み、巨大な政府債務が蓄積してしまった」日本は、「進歩を遂げたのだろうか」と自問し、「大きな問題に優先順位をつけ、時には妥協して前に進むべきだった」し、「進歩しないうちに、いつしか国力の停滞が深刻化しているのではないか」と憂えている。最後に、島根県隠岐・海士町について、「日本にあるフロンティア」としての取り組みを印象深く紹介しており、興味深い。

【他生のご縁  忘れがたい憲法座談会での衝突】

 北岡さんと私の「憲法座談会」(読売新聞主催)での「衝突」とは、同氏が「いったいいつになったら政治、政治家の皆さんは憲法改正に取り組むのですか?」とやや詰問調で言われたことに、私が「それなりに私たちはやってますよ」と、まともに反発したことをさします。その場にいた先輩議員に宥められてことなきをえました。

 政治家らしくなかった大人気ない自分をその後恥ずかしく思いました。本当のことを真正面から言われてつい、ムキになってしまったのです。

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(372)警察官誕生のドラマを鮮やかに描くー長岡弘樹『教場』と『教場2』を読む

昨年末から新年にかけてテレビドラマに嵌った。年末は『教場』、新年は『教場2』。それぞれ前編、後編が連続二夜にわたって放映されたのだが、主演のキムタクこと木村拓哉の魅力に取り憑かれてしまった。彼の魅力を知ってる人からすれば、何を今さらということに違いないだろうが。早速、本も買い求め急ぎ読んだ。発刊された7年ほど前に読むかどうか逡巡したのだが、今頃になったことは悔やまれる。テレビの方が良くできているものの、あとで補足するためには本も得難い▲いわゆる警察小説と違って、警察官が誕生するまでの背景が描かれる。志願者を篩いにかけて落とすことが狙いとあって、教官による過酷極まりない試練が課され、観ても読んでもハラハラドキドキする場面の連続。犯罪者そこのけの際どく悪どい事案も次々発生、短編の連作の形をとっていて読みやすい。テレビ映像ではキムタク扮する隻眼の風間公親なる教官が、シャーロックホームズそこのけの観察力でトラブルを解決し、小気味いいことこの上ない▲この小説(映画)の魅力は、警官がどのように犯罪を捉え、犯人を見つけ出すかのノウハウが描かれていること。医療や政治、経済をめぐる様々に話題になるドラマは多々あるが、こうはいかない。結局、面白おかしく取り扱われるものの、あまり日常生活に役立たない。やれ、『ドクターX』やら『半沢直樹』などといった超人気を博したものも、「私失敗しないんです」とか「倍返し」などのセリフは印象に残っても、それだけに終わる。映画『記憶にございません』など、政治風刺の喜劇とはいえ、あまりに酷すぎる内容で、脚本家の知的センスを疑う。そこへいくと、この小説は犯罪にどう立ち向かうか、微に入り細に渡って説いてくれる上質の面白さを有している▲風間教官の壮絶な訓練を耐え抜いて、無事に卒業し、現場に送り出される警官たち。風間が一人ひとりと握手し、激励の一言を投げかけるラストシーンには胸が熱くなった。こう書くとお分かりのように圧倒的に映像の方が存在感漲る内容であった。ファーストシーンの運動場での訓練場面は、米映画『フルメタルジャケット』の海兵隊のそれを彷彿とさせるもので、何かと考えさせられた。先日のNHK「クローズアップ現代」では、自衛官の自殺問題を取り上げていた。また、今日は富山の元自衛官による交番襲撃事件の初公判が報じられていた。妙に自衛隊に「風間公親」はいないのかとの思いに駆られてしまう。(2021-1-14)

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(371)「首都移転」しかないー高嶋哲夫『「首都感染」後の日本』を読む

昨年2020年は明治維新から約150年の日本にとって、大きな転機となる年だった。75年前の先の大戦の敗北に引き的するくらいの。そんな年に作家の高嶋哲夫さんと私は初めて知り合い、そして親しい関係になった。彼の住まいが神戸・垂水であり、慶大出身ということもあって。この新年早々(4日)に親しい仲間たち数人と、異業種交流会(私が友人と共催)に集ったが、そこに彼も顔を出してくれた。高嶋さんは昨年一年で4-5冊もの本を出したとのことだが、別れ際に、そのうちの一冊『「首都感染」後の日本』を頂いた▲この本はコロナ禍の後に巨大災害が必ず来るとの確信に基づく予測を述べると共に、その対応策を明らかにしている。今の47都道府県、東京一極集中から、道州制の導入と首都の移転の必要を、である。これはこの人の年来の持論であり、その著作『首都崩壊』に詳しい。岡山県吉備高原に持ってくるべし、との具体的提案も詳細に展開していて迫真性がある。『首都感染』を読んで感心していた私に、次はこれ、さらにまた、と次々指示をいただく。こちらは読むのに精一杯だが、有難いことと思い直して挑戦している▲東京から首都機能を移転ーとりわけ国会を移転させること、とのテーマは1990年代にそれなりに議論された。私が当選する前年に「国会等移転法」が成立(1992年)し、阪神淡路大震災後の1996年に改正された。99年には政府審議会が「栃木・福島」、「岐阜・愛知」、「三重・畿央」の三地域を候補地にと答申している。しかし、バブル崩壊やら東京都の猛烈な反対の前に殆ど議論も進展せぬまま棚上げ、沙汰止みになっているのが偽らざるところだ。私も現役当時党内議論に少し関わったが正直言って興味は薄かった。今となっては不明を恥じる▲高嶋さんは、首都の条件として❶自然災害が少ないこと❷交通の便が良いところ❸防衛しやすいところ❹首都を造るに十分な土地があることーなどの条件を挙げる。安定した地盤と温暖な気候で、日本の中ほどという位置(北方四島から尖閣列島までの中間)にある岡山県吉備高原が最適だというのである。この選定を含めて今後の議論に注目し、遅ればせながら参画もしていきたい。彼の小説はいずれもリアルな課題を真っ向から取り上げて興味深い(特に政治家として)ものばかり。中身も表現ぶりもやや硬いとの評価をする向きが少なくないが、コロナ禍中にあって、最も聞くに値する重要な提案をされている人だと思う。多くの人に読まれることを期待したい。(2021-1-8)

★1月第一週の読書リスト【①長岡弘樹『教場』②山本章子『日米地位協定』③北岡伸一『世界地図を読み直す』④長岡弘樹『教場2』】←今年度から、私が並行読みしている本を挙げていきます。この中から、やがてこの「読書録」に書くことになるものが出てくる予定です。

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(370)孫娘の成長に見惚れ、深みに嵌るー伊東眞夏『深読み百人一首』を読む

もう幾つ寝ると〜お正月🎵お正月には凧揚げて~駒を回して遊びましょ🎵ー子どもの頃に誰しもよく歌ったものだ。お正月の遊びといえば、かるた取りも加わり、『百人一首』に興じる人たちも少なくない。我が家でも近くに住む孫娘が小学校にあがって、今や4年生だが、去年とはまた格段に腕をあげたようで、もはや爺さんは太刀打ちできない。この一年の間に孫と爺の力の差は大きく開いてしてしまった。というのも先だって手合わせを迫られて、1年生の孫と3人でやったら、7-8割方はこの孫娘に取られてしまった。上の句を母親が読み上げたら、間髪を入れずに「はいっ!」と上体を屈ませ、手を伸ばすのだから。下の句の登場まで待ってる当方は、せいぜい目の前のものを取るのが精一杯だった▲あまりの惨敗に、何とかせねばと思い、手元に『百人一首』本を揃えた。暗記用きまり字一覧付きの『百人一首』と、あんの秀子『楽しく覚える 百人一首』である。昔懐かしい和歌の陣列の前に、ただただぼんやりとイラストを見て、頁を繰ってるうちに日が経ち月が経て、お正月は指呼の間に迫ってきた。もはや諦めるしかない。言い訳やら、違う種類の孫遊びの手立てを考えているところだ。そうした遊びとしてのかるた取りの本とは別に、以前から新聞広告で知って興味を持っていた本を読むことにした。伊東眞夏『深読み百人一首』である。サブタイトルには「31文字に秘められた真実」とあり、大いに読書欲をそそられた▲『百人一首』とは、百人の歌人から一首づつ選んだもので、通常は京都・小倉で藤原定家が選び編纂した『小倉百人一首』のことを指す。概ね平安時代の歌が取り上げられている。著者伊東氏は「歴史の痕跡」に「鍬を打ち込み、歌の底に隠れている世の中の実相に触れてみ」ることで、「歌の本質を見つめたい」という。この本では(続編が既に出版されている)14の歌が取り上げられている。100首を何らかの仕分けをして章立てをするのでなく、ただ思いつくままに料理しているかに見える。平安時代の東北を襲った大地震に関連付けて、津波にまつわるものに始まり、次に「評判の悪い」とされる歌が二首取り上げられている。更には恋の歌がきて、次第に読者は引き込まれていく。編纂者としての藤原定家が凝らした趣向が克明に明かされるとなると、門外漢の身には、大いに興味を掻き立てられる。というしだいで、藤原道長が糖尿病による合併症で悶え苦しみ死ぬ、との最後のくだりまで一気に面白く読んだ▲この春のことだが、その感想を親しい友人の電器商にして作家の諸井学さんに伝えた。彼はすぐさまこの本を手に入れて読んだ。新古今和歌集の研究に長年取り組み、西欧現代文学との比較にも論及する手練れだから当然だろう。その反応に期待していたら、なんのことはない。徹底的にこき下ろす論評が返ってきた。徹頭徹尾切り捨て、「途中でアホらしくなって読むのを辞めた」とまで。いちいちあげているとキリがないので、一つだけ。「心あてに折らばや折らむ初霜のおきまどわせる白菊の花」という凡河内躬恒の歌について。この歌は、正岡子規が、歌よみに与ふる書」の中で、「一文半文のねうちも無之(これなき)駄歌に御座候」と、一刀両断にしていることで有名な歌である。子規は、初霜がおりたぐらいで白菊が見えなくなることはない、嘘の趣向だと、切り込み、「趣も糸瓜(へちま)もこれありもうさず」と、厳しい▲それをこの著者は、当意即妙の知恵に優れた人だったと、あれこれと守ってやっている。時代背景を述べた上で、「白菊というのはまさに、天皇の紋章。天皇そのものだと見ることができ」、「その天皇の地位が危機に瀕しているという意味が込められている」という。そして「おきまどわせる、のおきには島流しの名所(?)隠岐が隠されています」と。このくだりについて、諸井さんは、「この時代に天皇家に菊の御紋があったとは時代錯誤も甚だしい。菊の御紋は後鳥羽院以降が定説」である、とし、加えて、おきまどわせるのおきは隠岐の掛詞としているのは珍説だとも指摘する。また、私がこの本を読んで、なるほどと感心した「この歌集は50番で二つに折ると、最後のところは天皇・天皇・歌人・歌人とぴったり重なっている」との箇所にも、それでは「5番と6番、95番と96番の関係はどう説明するのか」と噛み付いている。都合がいいところだけ取って「全体を一つの構成にまとめ」ようと、「趣向を凝らしている」などとはいえないというわけである。ここまでいうなら、『間違いだらけの「少年H」』(山中恒・典子)の向こうを張って、諸井さんは『突飛もない解釈だらけの「深読み百人一首」』という本でも書けばと思うのだが。(2020-12-28 一部修正)

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(369)50年経っても〝終わらない旅〟ー大澤真幸『三島由紀夫のふたつの謎』を読む

先月読んだ『三島由紀夫没後50年にコロナ禍の日本を想う』(中央公論12月号)という、大澤真幸と平野啓一郎の対談には随分と啓発された。サブタイトルの「『日本すごい』ブームの転換点」がその中身のエッセンスを言い表している。つまり、三島が生命をかけて訴えたことが、死後50年経って現実のものになろうとしていることをこの若い二人の社会学者と小説家が語り合っているといえる。コロナ禍への日本の対応がいよいよぶざまなものになりつつある状況下で、「すごくない日本」が鮮明に浮き上がってきている。これは現代日本人の多くが薄々気づいていることなのだが、その遠因のひとつが三島由紀夫の遺した言葉にあるとの見立てに、私も首肯せざるを得ない▲これが契機になって、前から気になっていた大澤真幸の『三島由紀夫ふたつの謎』を読んだ。ここで大澤が挙げる「ふたつの謎」とは、ひとつは、なぜ三島がああいう死に方をするに至ったのかであり、もうひとつは『豊饒の海』の最後がなぜ支離滅裂に終わっているのか、である。この本を読む前と後で、謎は解けたかと、自問すると「正直よくわからない」という他ない。大澤は知恵と意匠の限りを尽くして三島の45年の生涯の解明に迫っている。そのこと自体はひしひしと読むものに伝わってくる。だが、第一の謎の答えが「『火と血』の系列に属する論理が作用している」からであり、「鍛え抜かれた鉄のような肉体をあえて切り裂き、血を噴出させなくてはならなかったのだ」と言われても、もう一つ腑に落ちない。また、第二の謎についても「三島由紀夫は、この深い虚無を受け入れられなかった。自らの文学が、そこへと導かれていった何もない場所。救いようもなく深い、最も徹底したニヒリズム。ここから三島は逃避した」というのが、その回答であるという。目を皿のようにして本文中から二つの謎の答えを探しだした結果がこれである▲これまで三島の死のありようについては、私自身は、最も美しい肉体だと三島自身が信ずるに足りうる状態に到達した時に、それを破壊することで絶頂の姿を世間に、歴史に刻印させる選択をしたのだと、思ってきた。また、その文学におけるゴールも、彼自身の思索の行き着いた果てとしての「虚無」と重なり合うものだと、思い込んできた。そうした私の思いと、大澤の謎解きとは微妙にズレがあり、読み終えてなお判然としない。ただ、この本には多くの三島理解へのヒントが埋め込まれており、大いに役立つ。例えば、奥野健男の『三島由紀夫伝説』がしばしば引用されている。未読だったので、早速読むことにした。ここでは、母親から引き離され祖母と暮らした幼年時代がいかに後々の三島に影響を及ぼしたかが克明に描かれている。極めて読み応えがあった▲三島は自衛隊員に憲法改正に向けての蹶起を促し、それが叶わぬと見るや、切腹し首を落とさせた。かつて、日本の未来を憂えて、魂のない単なる経済大国が東洋の片隅に残るだけだとの意味を込めた言葉を遺した。このことを取り上げた大澤と平野の対談に、改めて三島を語る今日的意義を感じる。コロナ禍の中における対応にあって、中国に、台湾に、韓国に遅れをとっていると見られている日本。かつて「日本すごい」と言われた「面影やいずこに」という他ない。三島由紀夫が今登場すれば、ほら、言った通りだろうというに違いないのである。そうさせないために、どう動くか。50年経っても私たちの「三島への旅」は、未だ未だ終わりそうにない。(2020-12-16 敬称略)

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(368)卓越したキリスト者の目から見た師の実像ー佐藤優『池田大作研究 世界宗教への道を追う』を読む

朝日新聞の渡辺雅隆社長が経営赤字の責任をとって辞任するとのことを知った。一連の不祥事の直後に就任されたのが2014年というから、あれから6年が経ったことになる。私が付き合った少なからぬ記者たちの人生を変えてしまった激震だったが、私も長年の間慣れ親しんだ新聞を購読せぬことにし、違う銘柄に替えてから同じ時間が流れたわけだ。もちろん時々図書館でまとめ読みというか、〝まとめ流し読み〟を今もするが、同紙の紙面基調にあまり大きな変化は見られないような気がする。個人的には極めて優秀な記者が多く、あの人ならという社長候補も過去にいたし、今もいるが、そういう連中は埋もれたままのようなのは残念という他ない▲そんな状況を尻目に、同社の週刊誌「アエラ」誌上で、43回にわたって連載されてきた佐藤優さんの『池田大作研究』がこのたび出版された。毎週発売される毎に貪り読んだ私としては、買わずに済ませているが、改めてこの本について取り上げたい。著者は、創価学会による公式文書をもとに、とりわけ『池田大作全集』全150巻と、『新・人間革命』30巻31冊のテキストをベースにしたと言われる。この人の類い稀な記憶力、洞察力、分析力に加えて博覧強記というしかない知的蓄積は世に普く知れ渡っているが、短い歳月にこれだけのものを書く能力に(その前に読む能力にも)ほとほと呆れてしまう。かなり大部のものになっているのは、池田先生の著作からの引用がかなり多いことによる。このこと自体をとやかくいう人がいるが、この引用あらばこそ、門外漢の人たちにとって理解する上で欠かせぬ役割を果たしているといえよう▲この本について私ごときがあれこれ読後録を述べるのは差し控えたい。それよりも、「連載を終えて」と題する作家の澤田瞳子さんとの前後編の二回にわたる対談について触れてみる。これがまた実に面白い読み物になっているのだ。とくに佐藤さんがキリスト教と対比しているところが。創価学会での生活が55年にも及ぶものにとって、表面的にせよ分かった気になったり、当たり前に思ってることがこの人の視点を通じると新鮮に見えたり、新たな気づきになる。一例だけあげる。牧口常三郎初代会長が獄死されたことについて、「おのれ権力」という発想になって「反体制」になるはずなのに、「途中からは、ただ反体制ではなく、むしろ体制化していく。ただし、体制に取り込まれてしまったわけではない。その部分が面白かったんです。キリスト教に似ています」と。そう言われても、キリスト教の歴史に殆ど疎い私など、ああそうか、と思うしかない。今回改めて佐藤さんのこの研究から、キリスト教部分だけを抜き取って勉強する必要を感じるのは私だけだろうか▲もう一つ、深く感じ入ったのは、安倍政権の核廃絶についての姿勢が、この7年8ヶ月で変わったとして、「明らかに、公明党の影響がある」としているところだ。「ナショナリズムが強まり、戦争の危機が強まってくる中において、戦争を阻止する役割を、私は創価学会に非常に期待しているんですよ」という。ここは佐藤さんに一貫している姿勢だが、期待はずれにならぬよう心していきたい。これはご本人も後段触れているように、「核抑止の論理」は論理で外交官としてわかるから、「常に私の中に引き裂かれるような感じがある」のだ。これは公明党の外交安全保障担当者として私自身いつも感じた理想と現実の落差であり、乖離であった。そのあたりを佐藤さんは、「池田大作氏のテキストにも、理念と現実の間で、引き裂かれるような状況をやっぱり感じるわけですね。その中で自分の言葉を紡いでいって、自分の宗教団体を主導していく。やっぱり、宗教って面白いなと思う」述べている。このくだり、果たして自分はどう対応してきたか。引き裂かれる状況をやむを得ぬこととして放置してこなかったかどうか。改めて池田先生の「紡がれた言葉」を再読、吟味せねばと思うことしきりである。(2020-12-9 一部修正)

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(367)「謀略・陰謀」史観の〝迫真性〟に驚くー馬渕睦夫『2021年 世界の真実を読む』

親しい友人との会話の中で、「馬渕睦夫」なる名前が出てきて、この人の本のおかげで、日本の近代史についての自分の長年抱いてきた疑問が見事に消えたという。驚いた。元ウクライナ大使で、少し前に「日本熊森協会」顧問に名を連ねられたことは知っていた。森山まり子同会名誉会長が「国際問題に明るい凄い人」と感嘆してたことも思い起こす。その友人が持ってた本(『自立する日本』)を借りて読んだことは既に紹介した。改めて『2021年 世界の真実』を購入し、一気に読んだ。この人のユーチューブも幾つか見た。いやはや驚いた。新聞やテレビなどで主に報じられていることと真逆のことを主張されており、トランプ米大統領をこよなく評価、絶賛されている▲本を読み終えた直後に大統領選の大まかな結果が分かった。彼の期待した予測がほぼ外れて、バイデン大統領が実現する見通しになった。さあ、この状態をご本人はどう解説するのか。興味深く最新のユーチューブ(第57回)を見た。驚いた。全く動ぜず、この選挙で大いなる不正があった、トランプ氏は勝ったのだと繰り返された。ただし、行われた不正の中身についての言及は、つまりその証拠については触れられていない。米日のメディアが殆ど全て間違った報道をしているとの強調だけが耳朶に残る▲この本の中で、馬渕氏は、トランプ再選で、大きな軍事的紛争が回避され、各国が自国民の福利を最優先する「自国第一主義」に回帰し始めるとし、負ければ世界は軍事的な熱戦に突入すると予測する。彼によると、ディープ・ステート(DS=「国際金融資本」といった方がイメージしやすい)の世界支配に敢然と戦っているのがトランプ氏で、それに完全に侵されてるのが民主党だという。DSの一連の動きの黒幕の一人がジョージ・ソロスで、極左暴力革命集団に資金援助をして社会的緊張を高める役割を果たさせているというのだ。馬渕氏のグローバリズム批判は、即インターナショナリズム批判に通じ、ナショナリズム礼賛の次元に終わっているように見える▲DSの「謀略・陰謀」によって世界がこれまで支配されてきたとの見立ては、概ね一笑に付されてきた。しかし、一方で「ケネディ暗殺」に代表される不可解な事件の存在は、その笑いを押し返す。世界の理解の仕方、この世をどう見るかは、各人自由だが、世界を破滅の方向に誘導するものには与したくない。人気漫画アニメ『鬼滅の刃』が受けているのも、その気分の反映かもしれない。〝マブチスト〟なる言葉が静かに語られるほど信奉者は急増している。大統領選への見方も某月刊誌の論調は〝マブチズム〟に彩られている。馬渕氏は私と同い年。老いて華麗なるデビューをされたかに見える。この人の「世界覇権・10年戦争が始まった」との説は興味深い。その術中に嵌らず、〝超グローバリズム〟に立つ私なりに注視し続けたい。(2020-11-28)

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(366)コロナ禍後の世界へのこよなきヒントー大谷悠『都市の〈隙間〉から まちをつくろう』を読む

「ドイツ・ライプツィヒに学ぶ 空き家と空き地のつかいかた」という長いサブタイトルがついた、とても可愛い装丁の本が届いた。一読、移動がままならぬ「withコロナ」の時代の生き方のヒントが満載された素敵な本だと直感する。新たな世紀の青春絵巻とも読めるし、東西ドイツ統一後の地域史の変遷とも。ただならぬ本だよと、多くの若者にも薦めたい。著者の大谷悠さん(35)の肩書きは「まちづくり活動家・研究者」とあるが、昨年東大の新領域創成科学研究科で博士号(環境学)を取得し、現在は尾道市立大学で非常勤講師も務める新進気鋭の行動する学者である。仲間と共に約10年(2011-2019)ほど、ライプツィヒの空き家を「日本の家」と銘打って運営して、まちづくりに貢献してきた。この本はその活動を通じての体験をもとにまとめたもの。コロナ禍の今なればこそ読まれるべきグッドタイミングの出版だ。

 1960年代に青春を過ごした世代にとって、小田実の『何でも見てやろう』に代表されるような未だ見ぬ世界を「旅すること」がその〝若さのあかし〟であった。その流れは21世紀へと続いてきた。2020年の幕開けと共に突然降って沸いたような新型コロナの蔓延は国境を超える旅を困難にし、「移動」に赤信号をともす。そうした時代の到来を先取りしたかの如く、著者は2010年代に──彼にとっての20歳代後半から30歳代半ばまで──ライプツィヒに住まい、その地を拠点に「空き家と空き地」の再利用を考え、実践してきた。つまり、あちこち動いた体験ではなく、定点に腰を据えて、そのつかいかたに思いを凝らした。その記録であるこの本は期せずして〝新時代の青春記〟にもなっているし、これからの時代の〝町おこし指南書〟ともなっているのだ。

ライプツィヒは旧東ドイツの都市で人口約60万人ぐらいという。日本では我が故郷・姫路よりちょっと大きめ。東西ドイツの合体から30年間の歳月の中で、その人口流動は減少と膨張など四度も変化してきた。世界史を揺るがせた東ドイツという共産主義国家の衰退。冒頭でそれを背景にした一都市の興亡が描かれているのだが、これがまた読み応えがある。世紀の一大変化を余儀なくされたライプツィヒの1990〜2010年は、悪戦苦闘の末に蘇っていく。そのキーワードは「隙間」。その隙間に芽生えた4つの仕組み。そしてその隙間に起こった5つの実践。これらが克明に語られたのち、著者が仲間とともに2011年から、つまりこの30年史の後半の10年に取り組んできた「日本の家」のプロジェクトの全貌があかされる。その切り出し方が面白い──そもそもなぜ「日本の家」を始めたか。「暇だったから」というのだ。暇に任せての所産がどんなものか。現地に足を運んで見てみたいとの強い思いに誘われる。

 著者は昨年その家をドイツ人仲間に任せて帰国し、博士論文を書いた。この本はそれを大幅に加筆修正したものである。随所に写真、イラスト、地図、表などが盛り込まれ、ありとあらゆる工夫が視覚に訴え、読むものの心の隙間に入り込んでくる。著者10年のライプツィヒ放浪の希望と挫折がない混ぜになって。今は尾道のまちづくりに取り組んでいるという。実はこの著者の父上は誰あろう、元東京工大副学長だった大谷清氏。姫路の淳心学院高校から東京大学を経て日経新聞記者になり、国際部長などを経たのち、大学経営に携わったという異色の人物。私とは東京在住の同郷人で形成された姫人会(きじんかい)の親しい仲間。その交流ももう30年近く続く。この息子君の存在はつゆ知らなかった。それだけに、「親バカを寛恕いただきたたく」と、突然送られてきたのこの本には驚いた。

 あとがきで著者は、「風来坊の息子をいつも暖かく迎え、寝食を与え、惜しみなくサポートをしてくれた東京の家族」を始め、多くの皆さんに頂いた「御恩は大きすぎて返せないけれど、次の時代のために活動することで、次の世代の人びとに恩を送りたい」とある。イラストを担当しているリリー・モスバウアーさんは著者の夫人。オーストリア人とのこと。東京一極集中の影で、疲弊する地方の限界集落化に悩む日本にとって示唆に富む本の登場。「東京物語」ならぬ、日墺合体での真逆の「尾道物語」の展開に注目したい。

【他生のご縁

この本が出版された直後に中国新聞で

 

 

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(365)ポアロ三部作とマクドナルドの『さむけ』を読み比べ

我が幼き頃の読書体験は、コナン・ドイルのシャーロックホームズの冒険推理小説を貸本屋で借りたことにはじまる。勿論、少年用のもので、大人向けではない。この幼少年期の体験は後々にも影響し、やがて国際政治をバックにしたスパイものに嵌っていった。以来60年を超える歳月が流れ、この間どちらかと言えば推理小説とは馴染みが薄くなったことは否定できない。気がついたら後期高齢者。過ぎゆく時を忘れ、熱中するものを持つことが何よりの楽しみな老後の時間の過ごし方、と思うに至っている。そんな折にテレビで、映画『オリエント急行殺人事件』を観た。ご存知、エルキュール・ポアロの活躍するアガサ・クリスティの小説が原作である。ついでに、コロナ禍の有り余る時間を使って、彼女の代表三部作を一気に読んでしまった。『オリエント急行の殺人』『アクロイド殺し』『ナイルに死す』の順番で。改めて言うまでもないが三者三様で実に面白い▲この三作に共通するのは、犯人の圧倒的な意外性。つまり、登場容疑者がほぼ全員、話の舞台回し役(語り手)、中心人物というように読み終えるまで、およそ犯人像は見えてこない。三作のうち、最も驚いた結末は『アクロイド殺し』。読み手としてもう一歩まで追い詰めた、つまり疑いを持ち続けた通りだった作品は『ナイルに死す』。と、えらそうに言うが、それしかないと思っただけで、根拠は疑わしい。ともあれ、ポアロの確信溢れる犯人の追い込み方には今更ながら圧倒される。『ナイルに死す』は、近くテレビで放映されると言うので待ち遠しい(別に待たずともDVDで観ればいいのだが)。時間の経つのも気づかず、我を忘れるほどにのめり込むものがあれば‥‥。老後の過ごし方はそれに尽きるというのは、確かにそうかも知れぬ▲古典的名作の読後感に浸っている間に、毎日新聞の読書欄でめちゃめちゃに褒め称えた推理小説の存在を知った。ロス・マクドナルド『さむけ』(1963年 小笠原豊樹訳)である。推奨しているのは作家の津村記久子さん。これまで「15年以上にわたって繰り返し読んできた」本で、「自分が読んできたあらゆる小説の中でも最強の幕切れ」という。ここまでいうかと、直ちに買い求め、読んだ。確かに、「ミステリーの歴史に残る最後の一文」には感嘆する。読むこと、書くことを生涯の仕事にしている小説家がそういうのだから、確かなのだろうが、天邪鬼の身にとっては注文がないわけではない▲最大のものは、登場人物の名前が分かりづらいこと。つまり、苗字と名前が入り乱れて登場する(それはそれなりに芸の細やかさなのだろうが)ので、こんがらがってしまう。クリスティのものが決められた容疑者の枠内で犯人を探すルールを自身に課しているよう見えるのに比して、若干枠外に対象が広がってしまうかに思われる傾向(それは誤解なのだが)には、読者として追い辛い。ただ、この作者の凄さ(訳者も)は、文章の旨さ。巧みな比喩の展開と随所に織り込まれた情景描写の味わい深さには驚嘆するばかり。例えば、「峠への道を半ば上がったところで、日の光のなかへ出た。眼下の霧は、山脈の入江に打ち寄せる白い海のようにみえる。一休みした峠の頂きからは、内陸の地平線につらなるもう一つの山脈が見えた」というように(いちいちあげるとキリがない)。津村さんならずとも、文章作法の習練用には打ってつけとして、折り紙をつけたくなる。彼女はノートを取って読み進めたというが、なるほどと思わせるに十分な奥行きと膨らみがある。と、ここまで書いてから、推理小説評論家の権田萬治氏の解説を読んだ。『長いお別れ』で著名なレイモンド・チャンドラーと並び称されるほどの作家だと初めて知った。恥ずかしい限り。ここでも「日暮れて道遠し」を実感したしだい。(2020-11-5)

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