「目茶苦茶に面白いよ。こんな本こそあなたに書いてほしい」ーメールとともに、一冊の本が私の手元に送られてきた。ヨナス・ヨナソン『国を救った数学少女』(中村久里子訳)である。送り主は笑いの伝道師・高柳和江女史。ほかに読む本はいっぱいあり、あまり気のりはしなかったのだが、読み始めた。二か月ほどかけてようやく読み終えた。いやはやまさに面白く、”喜劇小説の王女様”かもしれない。ただし、少々長い。暇な人は一気に読めるだろうが、御用とお急ぎのある人には進められない▼この著者はスウェーデン生まれ。地方紙記者を皮切りにメディアの世界で活躍してきた。この作品の前にも『窓から逃げた100歳老人』を出版。世界中で1000万部を超える大ベストセラーとなっているという。確か、すでに映画にもなったと記憶する。100歳の老人アランが活躍するハチャメチャな喜劇小説だったが、今度のは南アフリカ出身の少女・ノンベコが爆弾一個を巡って王様と首相と世界の危機を救うというドタバタ喜劇。笑いを生涯のテーマとする高柳先生ご推奨のことだけはある▼前作もそうだったが、この人の持ち味は史実とフィクションを巧みに織り交ぜるところ。どこからどこまでが本当か分からなくなり、人によっては全部本当だと思ってしまいそう。随所に皮肉を利かせた語り口は最高だ。エリツインが公式にスウェーデンを訪問した際に、石炭発電所がひとつもないこの国に対して石炭発電所を閉鎖せよと要求した、その酔っ払いぶりなどはかわいいが、ジョージ・ブッシュが「サダム・フセインが持ってもいない武器を排除するという目的でイラクに侵攻した」というくだりは痛烈なアメリカ批判で単なるブラックユーモアを超えている。現代世界批判をこうした笑いに紛れ込ませる手法は巧で鮮やかである。ジャーナリスト出身の手際の良さと造詣の深さが頼もしい▼この本のタイトルは、現作では「The Girl Who Saved the King of Sweden」となっており、数学は入っていない。数学少女で良かったのかどうか、疑問は残る。わが友・高柳女史は笑いで日本中を救うという壮大な試みを展開しているが、この本は彼女の感性に見事にフィットした小説に違いない。読んでいてしばしばノンベコとダブって見えてくるから不思議だ。私も生涯で一冊ぐらい小説を書いてみたいという気がしないでもない。その本のタイトルは「国を救った笑医」とでもして、彼女の一代記を書くか。英訳されると「The Woman who Saved Japan with lauh」ということになるかもしれないーなどと考えてるうちに秋の夜の夢から覚めて、今宵二度目のトイレに立った。(2015・11・10)
(132)”平和の光と影”に苦い思いを抱く━━畑中丁奎『戦争の罪と罰 特攻の真相』
大変に中身が濃い貴重な本に出会った。「息子が書いた。よかったら読んでくれ」といって、親しい友から渡されなかったら、恐らく手にすることはなかったろうし、読まずに終わったに違いない。畑中丁奎『戦争の罪と罰 特攻の真相』は強烈な刃を現代に生きる日本人に突きつける問題の書である。今なお曖昧模糊とした戦争責任の一角を確実に突き崩す効力を持つものと評価したい。著者が巻末に掲げた主要文献の一覧は数多い。とりわけ防衛省防衛研究所の所蔵する膨大な資料などを読み込んだ著者の熱意には頭が下がる。これらの資料の数々は亡くなっていった特攻隊員たちの墓標のように私には見えてくる。
私も、そして著者の父親も昭和20年生まれである。正真正銘の戦争直後にこの世に生を受けた。先の大戦の戦禍を直接には知らず、戦後の経済復興を始めとする恩恵だけを、ぬくぬくと享受して育ってきた。高度経済成長がもたらした”陽の当たる坂道”を駆け上がるようにして喜寿を超え、やがて傘寿を迎えようとする世代はいま、「平和の光と影」に苦い思いを持つことを余儀なくされているのだ。著者が本書の題名の由来について語るくだりはとりわけ胸に迫ってくる。「特攻が『民族古来の伝統』に発したものならば、なぜ本書で追及した特攻の命令者達は自らの所業を明らかにしなかったのか」「公にできないことを拒否権の無い兵達に課すのは罪悪である。自身の行いを認めないことはなお罪である。そして彼らは戦後このことに関して罰を受けなかったどころか、戦後の社会を形成していった」と。役割の軽重はともあれ、紛れもなく戦後社会を形成してきた一員として、その自覚の足りなさを恥じざるをえない。
★「忘れ去られた皇道派」への思い
先に私は半藤一利、保坂正康『賊軍の昭和史』を読み、明治維新いらいの軍国日本の歴史の内幕に分け入った気がした。今、本書の最終章「忘れ去られた皇道派」のなかで、真崎甚三郎の名誉回復を試みる著者の努力に接すると、さらにその深部にいざなわれた思いである。正直言って「統制派と皇道派の対立、抗争」などにはこれまでさしたる関心はなく、どちらかといえばやり過ごしてきた。どっちもどっち、同じ軍人、同じ戦争責任者たちではないかとの安易な見方に与してきたからだ。そこへ畑中氏によって新たな視点を与えられた。今は亡き同世代の友人、歴史家・松本健一との直接の語らいの中でさえ、その主張は「遠い砲声」にしか聞こえてこなかった。そんな自分だったが、さらにぐっと若い著者からの指摘はただならぬ響きを持つから不思議である。
先の大戦における特攻隊員をめぐる問題については、既に様々に語られ、描き尽くされてきた感が強い。それを戦後35年ほどが経ち「もはや戦後とは言わない」頃に生まれた著者が、改めて克明に真相を追おうとする姿はまことに新鮮でまぶしい。そう、35歳年下の著者に「戦後生まれの私たち」といわれると、妙な気分になってしまうのだ。もはや役立たずのオヤジさんたちは後ろに下がっていてくれと、言われているような気もしてくる。著者の親父・畑中三正(株)赤のれん会長に「こういう本を書く息子って、暗くないかい」と訊いてみた。ユーモアと笑いを身上とする私には気になるところだ。「いやいや、明るいやつだよ」と、ニヤリとしながらの答えが返ってきた。神戸に住む、この新進気鋭の「戦史家」との直接の出会いが待ち遠しい。
【他生の縁 大学同期の息子】
前述した畑中三正氏とは同い年で、大学同期。慶應在学中は残念ながら交流はなかったのですが、卒業してから、というより私が衆議院議員になってから、今日まで実によく付き合ってきました。というのも、私の中学、高校、大学と親しかった友人A(故人)や、大学時代からの親友F(元広島市議)らと、私とは別に昵懇の関係をこの人は持っていたから、です。私は彼のことを「政商」と半ば揶揄していうぐらいに、神戸を中心に政治家に詳しい上、交友関係は幅広いのです。本当によく様々な友人を紹介してくれ、衆参の選挙、とりわけ慶應の後輩・赤羽一嘉(前国交相)の支援をしてくれました。私たちにとって得難い存在です。
その彼の次男がこの本の著者ですが、高校の英語の教師をしながら、せっせと作家活動に勤しんでいます。先に、劇作家の鴻上尚史が『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』(2017年)を出版し、ベストセラーになった際には、私も読みました。ドラマチックに仕上げられた読みやすく面白い本でした。百戦錬磨の達人とも言うべき、この道の先達に、とても同じ分野で勝負は出来なかろうと、同情を込めて、「どうだい。あの本は?」と、問いかけてみました。
「いやあ、あんなものに負けません。次なる作品では必ず」と言った意味の言葉が返ってきました。心意気やよし。応援団として、次なる作品を期待しています。
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(131)歯、歯、歯の歯ー河田克之、赤松正雄『ニッポンの歯の常識は?だらけ』
1999年から始めてもう16年にもなる私のブログ『忙中本あり』。初めは「新幹線車中読書録」だったが、今や、新幹線に乗る機会はほとんどないため、専ら「新快速読書録」だ。今回はその歴史の中で初めて自著を取り上げたい。尤も自著といっても対談本だから共著ということになる。姫路に住む歯科医師の河田克之さんと一緒にこのほど出した『ニッポンの歯の常識は?だらけ』である。サブタイトルは長ったらしく、「反逆の歯科医と元厚生労働副大臣、歯の表裏事情に迫る」である。この本、共著といっても実際は河田さんが主役で、私は話の引き出し役。第一部の対談では患者の立場から恥ずかしげもなく訊いた。また第二部のQAでも初歩的な質問を性懲りもなく繰り返した。まぎれもない脇役だ。ただし冒頭の序論には力を込めた。また、あとがきも。ただし、共にユーモアたっぷりを忘れずに▼もともとは電子書籍の一環として作るつもりだった。というのも本を出版するのはコストがかかる。とても貧乏な元政治家にそんなお金は捻出できない。「デジタルファースト」なるNPO法人をわが友・朽木一憲の勧めで彼と一緒に立ち上げたのが国会議員を辞めた直後。彼は元出版社の社員。本を出したくても出せない人のために役立ちたいというのが狙いだった。で、見本としてまずは櫂より始めよで、私が出した。読書録の続編『60の知恵習い』を皮切りに、小中高大の友人たちと対談をしてそれをまとめた。五冊分全部併せると、対談者全員がことし70歳の面々で、『現代古希ン若衆』というタイトルが相応しい。その次の企画として私が考えたのが各分野の専門家との対談だった▼偶々歯槽膿漏に悩む、親友の勧めで読んだ本が『青山繁晴、反逆の名医と「日本の歯」を問う』。そして自らの歯の治療にも河田歯科医院へと赴いた。いらい、一年半ほど。意気投合して電子書籍を出そうというまでに殆ど時間はかからなかった。私の電子書籍第七弾になるはずだった。準備も進めていた。ところが朽木が病に倒れてしまい、電子書籍の出版が難しくなった。そこで方向転換。急きょ紙の本に、ということになったのである。若い人向けに歯科医療について噛んで含めるように、分かりやすくをモットーに語り、話して貰ったつもりだ。私は序論の題を「歯、歯、歯の歯のはなし」にしようと真面目に思っていた。徹底的に歯の大切さを面白く語ってみようと狙った。その通りになってるかどうか。読んでいただいてのお楽しみだ▼河田さんは日本の歯科医療の世界に大げさでなく、革命を起こそうとしている。それが証拠に衆参全国会議員にこの本を贈呈するという挙に出た。およそ100万円かかる。止めましょう。無駄もいいとこだ。国会議員の連中が読むはずがない。封筒を開いて表紙を見たらそのままゴミ捨て場に直行する、って私は主張した。しかし、それでもいいと彼は言う。せめてタイトルを見てくれたら、こんな歯科医が存在すると頭の片隅においてくれたら、本望だ、と。その熱意に負けた。その費用は全額彼が出してくれるとはいえ、勿体ないとの思いは私のような貧乏性の人間には消えない。そこで、議員諸氏が読んでくれるように、私はある仕掛けをすることにした。その結果がどう出るか。何れの日かの続報を楽しみにしてもらいたい。(2015・10・30)
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(130)沖縄の前に必要な日本の独立ー松島泰勝『琉球独立宣言』
このところ沖縄に関するとても胸打つテレビ番組を見た。一つはNHKスペシャル「沖縄戦 全記録」であり、今一つはBSの「なぜペンをとるのかー沖縄の新聞記者たち」である。前者は先の大戦で唯一地上戦が展開され、12万人にも及ぶ一般人が犠牲になった沖縄戦の実態をあますところなく伝え、正視しづらいばかりか、聴くにも堪えられないほどのリアルさだった。後者は普天間基地からの辺野古移設に反対する住民の動きに迫る琉球新報の記者たちの日常を克明に追ったもので、沖縄のメディアが「偏向」といわれることへの静かな怒りに、慄然とするものを感じた▼先に『小説 琉球処分』の読書録を取り上げたが、続けざまに松島泰勝『琉球独立宣言 実現可能な五つの方法』を読んだ。この本の帯には作家の池澤夏樹氏が「居酒屋から論壇へ、独立論のフィールドが変わった」との推薦文を寄せている。先のテレビ番組の放映と併せ、重要な問題提起に対して、日本人の誰しもが真剣な対応が迫られていると確信する。沖縄に対する日本政府の立ち位置は、明らかに差別を含んだものである。私はこのままいくと独立しかない、との思いを抱いて久しい。せめて準国家の扱いをしてでも真正面から向き合わないと、行きつくところ(つまりは沖縄の独立)に行くしかないと思ったもののだ▼松島さんは激しい怒りを抑えながら冷静な筆致で独立への道筋の必然性を説く。これまでこんなに真剣な独立宣言文を読んだことはない。ただし、1⃣琉球人の独立賛成派を増やす2⃣日本で独立賛成派を増やす3⃣国際世論を味方にする4⃣国連、国際法にしたがって進める5⃣日米両政府に辺野古新基地建設を断念させるーという五つの方法についての提示は、「おわりに」のなかにでてくるだけ。あまり具体的な方法論は示されていず、いささか看板倒れ的な印象は覆いがたい。しかし、それを補って余りあるほどこの本からは琉球人の不屈の魂が感じられ、いい加減な気持ちで読むとたじろぎかねない▼沖縄の問題を考える上で重要なことは、そもそも日本そのものが未だ独立を果たしていないことを自覚する必要があるのではないか。戦後70年。米国占領は形の上では終わったように見えるが、それはうわべだけ。「実態は半独立国家」というのが偽らざるところなのだ。だから「琉球独立宣言」のまえに「日本独立宣言」がなければならない。といっても、それは日米同盟を捨てることでも、安保法制を断念することでもない。そんなことをすればたちどころに国家運営は行き詰る。現実を見据えたうえで、遠くない将来に本来の姿(真の独立)を取り戻すことは、沖縄も日本も同じではないか。沖縄をいわゆる左翼に支配された”イデオロギッシュな地”とみてはならない。「琉球ナショナリズムの地」だと見ていけば、その時に初めて独立を必要とするのは日本も同じだということが見えてくるように思えてならない。ただ、双方ともに果てしなく遠い道というほかないのは残念である。(2015・10.23)
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(129)人間を見抜くにはどうすればー『権力に翻弄されないための48の法則』上下
読書好きの人は、自分だけが密かに時に応じて開いて読む本をもっているのではないか。座右の書とまではいかなくても繰り返し開く本である。それはあまり有名な本でないほうがいい場合が多い。有名すぎると、人に話してもすぐネタ元がバレてしまう。出典はわからないほうが面白い。私のケースは、ロバート・グリーン、ユースト・エルファーズ『権力に翻弄されないための48の法則』上下(鈴木主税訳)である。1999年発刊で、刊行間もないころに購入したから21世紀に入ってずっと持っていて、時に引っ張り出して開いている。大げさなタイトルだが、これは失敗だろう。むしろ「人間を見抜く48手」とでもしておいた方がもっと売れたかも知れない。まあ、そのお陰で読んだものはより密やかな喜びを独占できた気分になれる。今回はそれをあえて披露したい▼この本は、パワー(権力)を操るための法則を様々な実例を挙げて解説を加えたものである。もっと言うと、世間で成功するためにしてはならないことと、やったほうがいいことを、古今東西のケースを通じて説明しているといえようか。面白いのは法則を挙げて、それを提言としてまとめたうえで、法則にそむいた場合と、したがった場合それぞれの例を、歴史から拾って解説を加えていることだ。さらに、パワーを手にする秘訣や、イメージ、金言を加え、最後に例外まで挙げる。そして幾つかの示唆に富んだ歴史上の人物の言葉を添えている。まことにいたれりつくせりなのだ。ただ、これは訳者があとがきでも言ってるように、「本書は権力の本質を探る本というよりも、人間の本質を探る逸話集と言ったほうがあたっているかもしれない」し、「古今東西ありとあらゆる人びとの行動が描かれて」おり、「時代と空間を超えた大型ワイドショーのよう」なのである▼勿論、これは偉人の言葉やら行動を追ったものではない。この手のものにしばしば登場する、孫子やクラウゼヴィッツのような傑出した戦略家やタレーラン、ビスマルクのような権謀術策にたけた政治家、カスティリョーネ、グラシアンらのやり手の廷臣に加え、なんと色事師や詐欺師の言葉などもふんだんに盛り込まれている。「(彼らから)含蓄のある言葉を集め、そのエッセンスを蒸留してできた」ものだというから恐れ入る。私的に言えば、自分の読んだ本から至言を抜粋せずとも、著者たちが選択してくれているものだからきわめて便利ではある。ただ、欠点を言うと、日本人のものが少ない。辛うじて千利休や秀吉、信長、家康らが顔を出すに過ぎず、しかも胸を撃ち、舌を巻くようなものは出てこない。これって著者たちの責任か、それとも日本人が素直すぎるのだろうか▼自分自身に引き当てて感想を述べてみよう。法則4に「必要以上に多くを語るな」というのが挙げられている。法則に背いたらどうなるか。つまり多くを語りすぎると待っているものは何か。レオナルド・ダ・ヴィンチの「満月になると、牡蠣はぱっくりと口を開ける。蟹はそれを見て、石や海藻を牡蠣の口に投げつける。すると牡蠣は口を閉じられなくなって、蟹に食われてしまうことになる。口を大きく開けすぎた者は、これと同じ運命をたどる」と、解説されている。一方、法則にしたがった場合はどうか。多くを語らない男だったルイ14世をとりあげ、彼の有名な「朕は国家なり」との言葉や、まわりからのあらゆる願いに対して、ただ「わかった」という簡潔きわまりない応答をしただけだった、と言う。不気味極まりない。尤も、例外として「時には黙っていないほうが賢明な場合もある。沈黙は疑惑も招くし、相手を不安にさせる。とくに目上の者に対する沈黙は要注意だ」とも。そう。生兵法はけがのもとだということを私など骨身にしみてきた。相手を間違って使うととんでもないことになる。まぁ、生きていく上にはまことに色々あり、一筋縄ではとても済まない。だが、ここに書かれてあることを知っていて損はしない。(2015・10・19)
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(128)残された選択は「沖縄独立」しかないのかー大城立裕『小説 琉球処分』
沖縄県と政府の関係が極めて悪い方向に向かっている。13日に翁長県知事が米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設計画を巡って、移転先の名護市辺野古の埋め立て承認を取り消したことに対して、政府は行政不服審査法に基づく不服審査請求を行う方針を固めた。このことから埋め立ての是非が法廷に持ち込まれることは必至で、全面対決の様相が一段と濃い。こういう状況が進む中で私はいま、大城立裕『小説 琉球処分』上下を読んでいる。その結果、あらためて明治初年のころと全く本質的には変わっていない日沖関係を深刻に考えざるをえない▼実は私は現役時代に衆議院本会議で、日沖関係が悪化すれば、最終的には「沖縄独立」しかないことを匂わせた演説をしたことがある。自分の本会議演説では出色の出来栄えだったと思っているが、全く注目されなかった。その演説をするきっかけとなったのは、実は池上永一の小説『テンペスト』を読んだ影響が強い。中国と日本、そしてアメリカと日本という大国のはざまで苦悩しながら、見事に立ち居ふるまう琉球の生き方は小説とはいえ(いや、小説だからこそというべきだろう)実に鮮やかで、知的興味を強烈に惹きつけられた。そこで、「米軍基地の過重なる負担に苦しむ沖縄が生き残るには、こういう状況が続くなら”中国寄り”にならざるをえない。日本政府を牽制しながらの外交展開をするしかなく、やがてその先には独立を選択することが待っている」との思いを抱いたのだ▼大城立裕さんの小説は、明治新政府と琉球王朝府との確執を克明に描いている。国家間相互でもこれほどの異質のもの同士の対応は珍しいかもしれない。「五年来、何十回あるいは何百回、琉球の高官どもと談判した。根気比べの談判であった。(中略)はねかえしてもはねかえしても寄せてくるー卑小な蚊の群れにもたとえようか」ー琉球の高官とさらには王府との交渉を振り返って、明治新政府側の琉球処分担当官が述懐する。この辺りは読むほうもはらはらイライラしてくる。ここを読んでいて、辺野古移転をめぐる沖縄県と日本中央政府のやりとりなどまだまだ序の口かもしれないとさえ思わせられる。この小説を読んでの結論は、沖縄との交渉は、根気比べでどっちかが倒れるしかないものと思わざるをえない▼この小説にしばしば出てくるのが、中国と琉球との関わりである。琉球人としてその恩義が忘れられないという風に読めるくだりに出くわすたびに、疑問を抱く。というよりも、少なからざる嫉妬めいたものを抱かせられる。中国と一言で言っても到底一筋縄でいかない。勿論、今の共産主義・中国だけでは、この大陸に生息する民族の総体を判じることは難しい。また、琉球についても、およそ単純にとらえられないことを痛感する。沖縄大好き人間の私としては、良くわかってるつもりだが、やはり琉球民族と大和民族は似て非なる民族だと感じる。例えば、官職の呼び名一つとってもきわめて難解だ。親雲上、里之子とか、王子、按司や親方など、理解を超える表現に出くわして戸惑う。この点などはいささか説明された方がいいのでは、と思ってしまう。ともあれ、『小説 琉球処分』を読みつつ、知事と政府のせめぎあいを追っていると、『実録 沖縄処分』を見せられているようだ。この行く末に待っているものは「沖縄独立」しかないと思われてならない。(2015・10・15)
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(127)今改めて蘇るケネディ米大統領の真実━━ロバート・ダレク(鈴木淑美訳)『JFK 未完の人生』
1960年代から70年代にかけては世界も日本も激動期だった。ちょうどその頃、私は10代半ばから20代の多感な時節を迎えていた。「生と死」を考えさせられた象徴的な出来事を二つだけ挙げると、一つは、63年のケネディ米大統領の暗殺事件。もう一つは70年の三島由紀夫割腹自殺である。それぞれ私が15歳と25歳になる寸前の11月の出来事だった。とりわけケネディ米大統領には、私も御多分にもれず憧れていただけにショックだった。これだけ偉大な人物の人生が突然ぷっつりと断たれるなんて、許せない。激しい憤りを感じた。その後、新聞記者を志し、政治家の道に進むことになったのだが、心の片隅に彼の人生──といっても大統領としての三年足らずの期間だけなのだが──を常に意識していたといえなくもない。他方、私が宗教の世界に入って5年ほど経った時に、三島由紀夫が自決した。あの「人のいのちよりも大事なものがあることを見せてやる」と市ヶ谷の自衛隊員を前にした演説は、今なお忘れ難い。二人の死に方はある意味対照的なのだが、この半世紀ほどの間、「どう生きて、どう死ぬか」のテーマを、二人一緒になって私に突きつけてきたといえよう▼JFK(ジョン・F・ケネディ)を取り上げた著作は数多ある。ただし、記憶に残るものは殆どない。それだからかどうか、死後50年も経った今、突然にあらためて読む羽目になった。しかも翻訳を担当された方から直接勧められた本というのだから。その本はロバート・ダレク(鈴木淑美訳)『JFK 未完の人生』(2006年刊行)である。翻訳家とのご縁など殆どない私としては初めて会った場で、厚かましくも、「翻訳されたものを送ってください、読みますから」と頼んだ。直ちに4冊も送っていただいた。そのうち2冊がケネディもの(もう一冊は『ジョン・F・ケネディ ホワイトハウスの決断』)。残るは、女子体操のコマネチとCIA流交渉術についてのものだった。どれから読むか大いに迷った末に、政治家の端くれとして、ケネディの生涯を真正面から描いたものを選択した▼史上最年少で米大統領になったケネディは、若さに加え人を惹きつける風貌と演説の巧みさで世の人気をさらった。この本を読むまでは漠然とだが、マリリン・モンローとの浮名など彼の女癖の悪さや政治手腕の問題点も知らないわけではなかった。そういう点から「華麗なる大統領ープライバシー」の第14章は興味津々だったことを告白する。「(胃と泌尿器の具合が悪く、腰痛に悩んでいた)健康問題や兄妹の早世からくる『先が長くない』という気持ちから女遊びに走ったが、それは今でも変わらなかった。この先まもなく、核戦争が起こるかもしれない。となれば、人生をできるだけ満喫したい、やりたい放題して生きたい、という衝動に拍車がかかった」とのくだりは衝撃的だ。「関係のあった女性は並べればきりがない」というのは、さもありなんとも思うが、「核戦争が起こるから」というのは「おい、おい、それはないよ。頼むよ」と遅ればせながら言いたくなる▼ケネディ大統領は死して50年余、今なお高い人気を世界で誇る人物だが、同時に影の部分を指摘する識者も少なくない。訳者の鈴木さんもあとがきで光に触れた後で「政策が一貫せず、ブレがある。不安定すぎる‥‥」との指摘もあるとしたうえで、「その『不安定さ』にあえて光をあてたのが本書である」と解説している。「ときには側近の言葉にゆさぶられ、ときには周囲の目を気にし、理解されないといって怒り、嘆く。青くさく人間的なケネディの素顔が浮かび上がる」と、本書の読みどころを挙げているのだが、私としてもそのあたりにとくに興味を持った。ところで、この本には著者・ロバート・ダレクによる「まえがき」も「あとがき」もない。読み手には、スタンフォード大学の教授だということしかわからない。で、あたかも鈴木さんが書いたかのように思われて面白い。翻訳家を育成する先生をされているだけあって、訳はわかりやすく読みやすい。多数ある彼女の訳書の中で、F・フクヤマの『人間の終わり』など、そのタイトルからして大いに興趣をそそられる。読んでみたい。
【他生の縁 異業種交流会で知り合って】
翻訳家・鈴木淑美さんは現在は相島淑美神戸学院大准教授として経営学を教えたり、各種の著作を発表されています。私が初めて会った時は、関学大のIBA(専門職大学院の経営戦略科)で彼女と一緒に学んでいる高校後輩からの紹介でした。上智大を出て日経記者になり、のちに慶應大学院に学び翻訳家になって女子大の講師を経て、という風にまことに学問への志が半端ではないのです。
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(126) 6-⑤ 健康を増進し医療費の伸び率低下へ━━辻哲夫『日本の医療制度改革がめざすもの』
◆厚生労働副大臣時代の「輝いていた」1年間
20年間の私の代議士生活の中で、ある意味一番輝いていたのは、厚生労働副大臣をしていた一年間だけだ──というと、驚かれる方も多いと思われる。では、あと19年は燻っていたのか。やっぱり、権力ある地位に就きたかったのか、などと。いやいや、これは難しく考えないでいただきたい。国土交通委員長と総務委員長を仰せつかった2年とを併せ差し引いて、残り17年間のほぼすべてを外交・安全保障分野での仕事をさせてもらった身からして、時の首相や外相、防衛相を相手に予算委や関連の委員会で質疑を交わしたこともかけがえのない経験だ。それなりに足跡を残せ、輝くこともあったと自負心もないではない。しかし、行政機構の只中で日々政治課題を追う日々はまことに得難いものだったという他ない。
その間に様々な方々にお世話になったが、最大の存在は当時の事務次官・辻哲夫氏である。この人は同省で早くから逸材として嘱望されていた。2004年の「年金」、05年の「介護保険」に続く、06年の「後期高齢者医療制度」導入を根幹とする医療制度改革に全魂を捧げ、見事に成立を果たした。その彼と、わずか一年とはいえ同じ建物の中で仕事が出来たことは、まさしく僥倖だったと言わざるを得ない。
定年で彼が退官してほぼ15年。今は東京大学高齢社会総合研究機構の特任教授をされている。同郷出身の誼みもあり、親しく教えを乞うた(恥ずかしながら、何しろ厚生労働省行政はズブの素人だったから)ものだが、残念ながらお互い疎遠になってしまっている。数年前に、私が引退後に関わった某シンクタンクの若手幹部から要請があり、再会出来る機会が訪れた。いやはや嬉しくも懐かしいひと時であった。
うず高く資料や書物が積み上げられた机の上から、いきなり辻さんは「お読みいただければ」と本を差し出された。『地域包括ケアのすすめ』だった。「私がこのところ取り組んできていることのすべてがこれに収まっています」と言いながら。本好きの私を知りぬいたうえでの心温まる先制の一撃だった。
一方、私は連れていったコンサルタントと小一時間ほど語り合われる間中、彼の肩越しの書棚から見える一冊の背表紙が気になった。『日本の医療制度改革がめざすもの』とあった。彼が退官直後にまとめたもので、文字通り半生の総決算であると睨んだ。帰り際に図々しくも「これも下さい」と所望したことは言うまでもない。日本人の健康と医療費の行く末を案じるものにとって、これほど的確に関心の的を射てくれるものはない。知的興味をそそって余りある本である。
◆今こそわれわれの生き方を問い直す時期
これからの約20年の間の高齢化の過程で、「生活習慣病の予防をどう考えるか、医療のあり方をどのように考えるのか。(中略)われわれの生き方をどのようにしていくのかを問い直すべき時期になっている」──これが、この改革の前提だった。問い直しの結果、「医療費の伸び率が結果としてよりマイルドになるようにしたいというのが望み」というのがその理念である。序章の記述以降、図や表をふんだんに用いながら辻さんを中核とした厚労省スタッフの政策の戦略的展開が次々と示される。読み進めながら〝遠い日の砲声〟とでも形容すべき日々が蘇ってきた。在宅医療を地域にどう根付かせるか。みとりをどう進めるか。「病院医療」への偏りから、どう地域のかかりつけ医を定着させるか等々。医療の根本的なあり方を問い直した画期的な提案の姿が再展開されていて、実に興味深い。
辻さんが中核になって、千葉県柏市において在宅医療と多職種連携の新たな取り組みがなされてきている。「医療制度改革」で展開した理論の現実的展開が柏プロジェクトとして繰り広げられているのだ。政策実施のトップたる事務次官経験者として、まことに責任ある態度だと心底から感心する。若き日よりひたすらに走りぬいてきた辻さんに、定年後をささやかに楽しむ暇もない。
かつて、彼は入省間もない頃に、介護の現場に行き、実際に要介護者疑似体験をし、おむつに排尿をして過ごした。その経験をさりげなく語ってくれた日のことは忘れられない。ひたすらに日本の医療改革に命を捧げつくす日々を、他人事でなく、いとおしいと思う。辻さんは、先の本の中で長野県のある地域が、各自治会ごとに健康の道を決め、実際にどれだけ歩いたかを競い合って、毎年イベントの際に公表するという実例を紹介している。せめて私も自分の地域でそういったことをやってみないと、かつてのパートナーに申し訳ないとの気がしてならない。
【他生のご縁 厚労省事務次官と副大臣の関係】
辻さんとは、厚労省を離れてからこの15年間に2〜3度しか会えていませんが、元厚労相で辻さんと親しかった坂口力先輩と3人で会った時のことは懐かしい思い出です。
語らいの中で、彼が述べた「日本の前途の苦境を思うにつけ、日本中の医師たちが総立ちすることが大事です」との言葉が忘れられません。医師の能力の高さへの期待だったと思われます。だが、医師たちはその期待に応えているのでしょうか。
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(125)少量の放射線と温熱療法の効果を知るー伊藤要子『HSPが病気を必ず治す』
(125)先日、名古屋市立大学病院の桜講堂で開かれた第六回放射線ホルミシス講演会(一般社団法人日本放射線ホルミシス協会主催)に行ってきた。この協会を裏で支える、青山登(青山シュタイン社長)と亀井義明(坑道ラドン浴施設「富栖の里」理事長)の両氏と、私は長年の友人である。及ばずながらお手伝いをしていることもあって、この種の会合には積極的に顔を出している。今回は初めての名古屋開催であったが、100人を超える聴衆の皆さんが来られた。私も同地に住む4人の友人を誘った。この日は、中村仁信大阪大学名誉教授、芝本雄太名古屋市大大学院教授、武田力大阪ガン免疫化学療法センター理事長、清水教永大阪府立大学名誉教授ら、放射線医学の分野を代表する学者の講演があり、3時間に及ぶプログラムが次々と続いた▼これまでの講演会で「少しの放射線は体にいい」ということは何回も聞いてきた。だが、放射線科医や放射線作業者、パイロットの人たちが低線量放射線を浴びて、かえって長生き出来ているという話は印象深かった。とりわけ中村先生の、「日本の食品や水の放射能規制は、厳しいというより馬鹿げている」との指摘は耳に強く残る。「欧米や国際規格に比べて、食品は十分の一、水は二十分の一。日本中の国産食品のすべてが汚染しているとの前提で計算されているためにこうなった」として、「一リットル当たり100ベクレル程度では飲んでも問題ない」との主張は、放射能汚染に異常なまでに神経質な人たちに聞かせたい▼中村先生と初めて会ったのは、「富栖の里」での講演を聞いた2年ほど前のこと。その穏やかな佇まいからはおよそ想像できないほど、放射線をめぐる”俗論”には手厳しい。『福島を原発の風評被害から救え』とのインタビュー記事での発言は痛烈だ。加えて、低線量放射線照射の動物実験によるガン抑制遺伝子の活性化や、熱ショック蛋白(HSP)が増えることも分かったとの記述は興味深い。「温熱療法では熱ショック蛋白が出ることによって、免疫力が高まり」、「ストレスから体を守ってくれますので、HSPがホルミシスに一役買っていることは十分考えられる」と言われるのだ。HSPなるものは、最近テレビ番組でも取り上げられているようだが、熱というストレスで増える蛋白のことをさす。私はこれまで殆どこのことについての知識はなかった。ところが、この日の講演の最後に、伊藤要子修文大学教授の「マイルドな加温で増加するヒートショックプロテイン(HSP70)の効果」という特別発言があった。これは極めて分かりやすく面白かった▼伊藤教授の発言は、要するに「長風呂は体にいい」と聞こえた。これまで殆ど「カラスの行水」(入浴時間が極端に短いこと)を地で行く、私にとって衝撃だった。講演会終了後、5人の講師の先生方を囲む懇親会があり、そこで色々と有意義な話を聞くことが出来た。とくに伊藤先生は頭にバンダナを巻いたユニークな先生だった。どなたともすぐに打ち解ける性質(たち)の私なので、この人と昵懇になるには時間はあまりかからなかった。『ヒートショックプロテイン 加温健康法』『HSPが病気を必ず治す』といった著作を表しておられるというので、購入すればいいものを、後日さっそく送っていただいた。「低体温は生活習慣病」だとして、「ダイエットをするなら食事を減らすより、低体温を解消することを勧めたい」との指摘はとても斬新に聞こえる。この人の勧めるHSPを増やす入浴法は「基本は42度Cで10分、41度Cで15分。40度Cで20分である」。健康に関する書物は世に数多あるものの、この本は一味も二味も違うように思われる。まずは、私自身が実験台になるので、今後の報告をお待ちいただきたい。(2015・9・29)
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(124)日本を代表する二人の碩学からの励ましー山崎正和『室町記』
日本を代表する万葉学者である中西進先生と親しく懇談する機会を持った。もう8年ほど前のことになる。淡路島のホテル・ウエスティン「夢舞台」での一般社団法人「瀬戸内海 島めぐり協会」の設立発起人会が始まる前と、終わった後のひとときのことであった。この協会の目的は二つ。一つは瀬戸内海の観光振興だが、もう一つは、日本の原風景が今に残る瀬戸内海への船旅を通して、日本の心のふるさとに立ち至ろうという野心的な試みだ。もちろんこれは会長に就任された中西さんの提案に多く依存しているが、私も一家言を持っている。明治維新以来の欧米との思想戦に負け続けている日本の文明のありようをどうするのかということについてである。中西さんにここらを思いっきりぶつけてみた▼日本の伝統的思想は、キリスト教プラス欧米の哲学思想に、明治維新後と先の大戦後の二度にわたり負け続けており、そこからの立ち直りこそ最優先されるべきだというのが私の持論だ。見方を変えれば、日本近代の失敗をどうとらえるかということでもある。日本近代のとらえ方は、百花繚乱だ。例えば、劇作家で思想家の山崎正和さんは必ずしも否定しないとされるが、ユニークな視点を持たれて注目される。この人は、『室町記』などで、日本の近代は室町時代から始まる、との独自の見方を提起されているのだ。これは相当に斬新な見方だと思われる。この点について私が指摘すると、中西さんは、キリスト教の伝来がほぼその時代と重なることからすれば、決してオーバー過ぎる見方ではないと言われた。実は、山崎さんと中西さんはお二人とも私が尊敬してやまない学者である。総合雑誌『潮』の巻頭随筆『波音』の筆頭ライターは2016年1月号から山崎さんに代わって中西さんが登場されることになった。すでに7年を超えている▼『室町記』で山崎さんは、「生け花」も「茶の湯」も「連歌」も「水墨画」も、そしてあの「能」や「狂言」もこの次代の産物であったとして、日本文化の半ば近くをあの「偉大な趣味の時代」が生み出したと、記していてまことに興味深い。この書では、足利尊氏と後醍醐天皇を「乱世を開いた二人の覇者」として描く一方、「乱世を彩る脇役群像」として、新田義貞、児島高徳、楠木正成、北畠親房らを活写している。さらには「乱世が生んだ趣味の構造」や「乱世の虚実」など”乱世づくし”ともいえる展開は、乱世の何たるかを描いて余りある。最後を「考えてみれば、長い試行錯誤ののちにやっとたどりついた現代日本の社会は、ちょうどあの室町時代から、流血と常識をともに少しづつ失っただけの状態といへないだらうか」と締めくくっている。およそ700年、何もあまり変わっていないとの表現は、辛辣かつ大胆極まりない。山崎さんは、公明新聞に先般膨大なインタビュー記事を掲載され、その中で安全保障法制における公明党の活躍を温かく宣揚されていた。実は、この記事に触発されて『室町記』を書棚の山崎正和著作集第4巻から引っ張り出して読んだことを告白しておく▼一方、中西さんは先に『潮』2015年8月号誌上で「詩心と哲学こそが国を強くする」として「武力に頼る大国主義ではなく、哲学の力、文学の力、詩の力こそがこの国を最も強くする」とされ、現政権の安保法制への態度にくぎを刺された。この日の懇談の中で、私は公明党が安倍自民党に対して、歯止めをかけるために精一杯尽力したことを静かに強調した。さすがの私も偉大な文学者を前に、武力を背景にせずして現代国家の外交は無力たることや、日米同盟の強化が必ずしも対米いいなり路線を意味しないことをむやみに力説することはためらわれた。中西さんは、公明党の歯止め貢献は認めるにせよ、「あの旧態依然たる強行的採決は同意できません。私は反対です」ときっぱり言われた。「来年の参議院選挙が厳しいものになることを覚悟した方がいいですよ」とは心の籠った忠告だったと思われる。二人の碩学からの角度の違った「励まし」は実に得難いものと、私には思われてならなかった。
●他生のご縁 国家目標の必要性否定される
山崎正和さんには、私の処女作『忙中本あり』の出版記念会にも世話人に名を連ねてくださり、ご挨拶をいただきました。いろんな機会にご一緒することがあり、あれこれ意見を交わしたことが懐かしく思い出されます。
ある時、私が「日本社会40年変換説」を持ち出して、明治維新、日清日露の戦争、第二次世界大戦での敗北、バブル絶頂といった40年ごとの節目を挙げた上で、それぞれの時代に国家目標があったことに触れました。そこで、これからの時代には、軍事力、経済力に代わり得る新たな目標を持つべきではないでしょうか、と問いかけました。その時に、にこり微笑んで、そういうものはもう必要ないでしょう、と言われたのです。
私は、芸術・文化力を強調したかったのですが、時間切れとなってしまいました。そのままお別れしたのは未だに心残りです。
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